種牛の改良はもともと農家の工夫によって始まったものだ。
大正から昭和初期にかけて兵庫県と全国1、2を争う和牛の一大産地だった広島県では1882年に民間有志による営利目的の和牛改良会社「殖牛社」が発足し、改良ブームの先がけになった。農家なら必ずといっていいほど1頭か2頭の黒い和牛を飼っていた中国山地では、兵庫県を含め、半ば家族のような和牛の繁殖は農家の楽しみでもあり、集団で取り組めば、もうかるビジネスでもあったのだ。
昨年、口蹄疫で移動禁止エリアにある牛を特例避難させて殺処分を回避した宮崎県のように、最近は自治体や国の機関が商品開発にあたる種牛改良業務や販売を独占する傾向が強まっている。だが、もうかる種牛の開発は民間にまかせ、「県や国の機関は遺伝資源の多様性の保存など基礎的な研究に力を入れるべきだ」(向井文雄・全国和牛登録協会会長=神戸大学名誉教授)という意見もある。
県が売れる種牛の育成に失敗すると、地域全体の肉牛生産者がよそから高い凍結精液を購入するなど不利益を被るリスクもある。いっそ国や県の改良機関から、商品として凍結精液を製造、販売する部門を分離し、改良を民営化するほうが効率的で、ブランド作りにも有利なのではないか。大きな農場や産地の農協にはそれだけの体力があるはずだ。
口蹄疫で問題点が一気に噴出した
もう1つの不安は大規模化に突き進むことへの疑問や警戒が広がっていることである。宮崎を襲った口蹄疫で問題点が一気に噴出した。
肉牛なら1000頭、豚なら1万頭規模で飼う農場も増えて、口蹄疫に感染した家畜の殺処分や埋却が間に合わず、2次感染が広がった。
宮崎県は畜産農家約1万2000戸(2009年)を抱える全国2位の畜産県でありながら、県家畜衛生保健所には獣医師が47人しかいない。家保獣医師1人当たりで担当する農家数は全国平均の約5倍で最多だった。韓国で多発する口蹄疫への警戒を怠った農家にも問題があるが、県の監視・指導体制の不備も防疫が不徹底になった一因だとされる。
同県の口蹄疫集中発生県内に直営で13、合計1万5千頭もの大規模な農場を展開していた安愚楽牧場(栃木県那須町)も、常勤の獣医師が1人しかおらず、感染牛の発見の遅れにつながったとして農水省から管理体制の見直しを強く求められた。
安愚楽牧場によると、地元農家と契約している預託牧場は同県えびの市でまもなく再開するものの、「直営牧場の再開は現時点でメドは立っていない」(佐谷洋・執行役員)という。地元畜産関係者の間で大規模農場の情報開示や管理体制を疑問視する声が根強く、獣医師確保も難しそうなのだ。まず小規模な預託先の経営再開を優先しているからだ。
安愚楽のように複数の県にまたがって農場を経営する法人が災害などに備えた保険制度である農業共済に入ることも極めて難しい。各県でしかも地域ごとに運営している共済組合は互いに独立した機関で、広域展開する生産者が1カ所でまとめて加入することを想定していないからだ。
県が違えば監督当局が情報交換することもまれで、防疫体制も共済の仕組みも、肉牛生産者が県域を越えて事業を展開する時代に対応し切れていない。政府が今後、農業への一般企業参入を推し進めていこうとするなら早急に解決すべき問題である。
このまま大規模化に突き進むのはリスクが大きい
昨年いったんは収まった口蹄疫が再発し、猛威を振るっている韓国など、近隣国が口蹄疫汚染国だらけの日本で、官民の防疫体制が整わないまま大規模化に突き進むリスクは大きい。口蹄疫感染家畜への全額補償など政府の財政負担も半端な規模では収まらなくなるだろう。大規模農場の集中立地規制や獣医師確保の義務付けも今後必要になる。
20年前の自由化にもまして農家は環太平洋経済連携協定(TPP)への対応に気を揉んでいる。関税がなくなれば、輸入牛肉が一段と安くなり、国産牛肉への値下げ圧力は高まる。しかし、今回は関税収入から捻出した子牛対策などの財源が消えるのである。バブル期と違って、税収不足も深刻だ。財政事情は様変わりしている。
リクルート・スキャンダルに見舞われながら、粘り腰で消費税法案を成立させた竹下首相、さらに畜産振興に尽力し、生産者たちからカリスマのように頼りにされていた山中氏のような大物議員もいない。「開国」の宣言は大変結構なことなのだが、本当に実行する覚悟が菅内閣にはあるのか。日米FTA(自由貿易協定)の締結を掲げた09年衆院選マニフェストが農業団体の反発を受けると、民主党代表代行として直ちに打ち消してしまった菅直人首相の姿を思い出し、頼りなく思えてしまうのである。