1954年に米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験から丸57年となった1日、静岡県焼津市で「3・1ビキニデー集会」(原水爆禁止世界大会実行委員会など主催)があった。汚染海域で操業した高知県のマグロ漁船「第二幸成丸」の元甲板員、桑野浩(ゆたか)さん(78)=高知市=は参加者約1600人を前に被災状況を証言し、「(放射能の影響は)長いこと続く」などと、終わらない被ばくの現実を訴えた。
桑野さんは今も、操業中に「黒い雪のような灰」が降ったことを覚えている。その後、商船に乗り換え、年に1回、日本に帰るたびに昔の同僚が亡くなっていた。自分も数年前、胃がんの切除手術を受けた。集会で桑野さんは「がん、心臓発作、血液の病気。直感で放射能のせいではと思った」と語った。
毎日新聞 2011年3月2日 東京朝刊