海外レポート/エッセイ
    ※当ホームページでは、毎週火曜日にバックナンバーを追加掲載しています。
冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』。
訳書に『チャター』がある。
最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーションズ)
第501回 「CBS女性記者襲撃事件とアメリカ的フェニミズム」
配信日:2011-02-19
 エジプト革命のニュースは相変わらずアメリカでは関心が高く、ムバラク辞任後の流動的な情勢も依然としてトップニュースになっています。その中で、一つ気になるニュースが全米を駆け巡り、消えていきました。それはCBSの女性記者ララ・ローガンへの襲撃事件についてです。襲撃といえば、反政府運動が拡大する中で、2月3日に突如「ムバラク派」と思われるグループが、反政府派への襲撃を試み、ラクダやら馬まで登場して軍隊が間に割って入るという事件がありました。この混乱の中で、CNNの「AC」ことアンダーソン・クーパーが襲われたりしています。

 このローガン記者も同じ3日のタイミングで襲われているのですが、問題になった事件はそれとは別です。事件は、ムバラク辞任のニュースに狂喜した群衆が街に押し出した11日に起きました。ローガン記者は大勢のエジプト人男性に取り囲まれ、性的な暴力を受けた上に激しく殴打されたというのです。

 この事件に至るまでの間にローガン記者には色々なことが起こっています。事実関係としてはこうです。ローガン記者は2日の時点ではムスリム同胞団の拠点のひとつと言われているアレクサンドリアで取材をしています。その時の映像を私は見ているのですが、やや混乱状態の中デモ隊への直接取材を行っていますが、取材の内容としてはこの欄でもお伝えしたように、「自分たちは経済を破壊するようなことはしない。ムバラクに出ていってもらって国を変えたいだけ」というもので、文脈としては「ムスリム同胞団の影響の強い地区でも宗教政治を志向するような声はない」という主旨、逆を言えば「同胞団を危険視する必要はない」という内容のレポートでした。

 そのローガン記者は、翌日はカイロに戻って問題の「2月3日」の混乱状態の中、殴打どころか拉致されてしまいます。直後に本人が語ったところでは銃を突きつけられて軍と思われるグループに連行されたが、やがて解放されたというのです。この時点ではCBSは事態を重く見て、他のNBCやCBSのメインキャスター同様に「一時的にカイロからアメリカへ脱出」させる措置を取っています。ローガン記者は一躍「時の人」となり、翌週(2月7日の週)の前半にはニューヨークでTVの対談番組に登場して「革命を遠くで指をくわえて見ているわけには行きません。一刻も早くカイロに戻らなくては」と述べていたそうです。

 実際に程なくしてローガン記者はカイロに戻って取材を続けました。その結果として、11日のムバラク辞任のドラマに「間に合ってしまい」事件に巻き込まれたというわけです。報道によれば暴力を受け、殴打されているローガン記者は、10人ほどのエジプト軍兵士と女性たちのグループによって救出され、そのまま翌朝の飛行機でアメリカに急送されました。病院で治療を受けたところ、回復は意外に早いということで、16日にニュースが発表になっています。

 ここまでお話した「経緯」はどこまで本当かは分かりません。受けた暴力の程度や事件後の記者の症状などは、プライバシーに属する問題ですから、今後も100%明らかにされることはないでしょうし、本稿でも関心を寄せるつもりはありません。またムスリム同胞団の本拠と言われるアレクサンドリアでの取材で、ローガン記者が何らかのトラブルがあってその後も付け狙われたという可能性、3日に一旦彼女を拉致した兵士の素性、11日に今度は彼女を救った兵士の素性、何故か事件現場にいて彼女の救出を助けた地元女性の正体なども良く分かりません。もしかしたら落ち着いたところで、ローガン記者本人が手記を出版するというようなことがあるかもしれませんが、仮にそうであっても内容が100%真実かどうかは分からないと思います。

 今日お話ししたいのは、2点です。それはモデル出身という目立つ外見のローガン記者が、最終的には暴力事件に巻き込まれるような「危険」を冒してエジプト革命の取材を続けたのはどうしてか、という疑問、もう一つは詳細はともかく「特定の女性が性的な暴力を受けた」というプライバシーに関わるニュースがどうしてアメリカ社会で報道されたのかという点です。

 まず二番目の問題ですが、まずこの異常なニュースが報道された背景にあるのは、性的暴力の被害者は徹底的に救済・保護するという文化が確立しているということが挙げられます。アメリカでも80年代前半ぐらいまでは、まだまだ被害者にも落ち度があるとか、必死の抵抗がなければ何らかの合意に近いのではというような見解が残っていました。ですが、ジョディ・フォスターとケリー・マクギリスの熱演で話題になった映画 "The Accused"(邦題は「告発の行方」)などに見られるように、この時期からは女性をほぼ無条件で保護する権利が確定しています。判例というだけでなく、社会的な価値観としても明らかです。

 更に、90年代になると女性シンガーソングライター・ブームの中で例えばトーリ・エイモスとかフィオナ・アップルといったメジャーな歌手たちが、過去の性的暴力被害を告白するという中で、被害者が名乗り出る文化が浸透して行ったように思います。勿論、実名での告白を自動的に強制するとか、実名を晒すということは今でも厳格に否定されていますが、本人の自由意志で過去の被害経験を告白することがメンタルな問題解決に役立つのであれば、周囲はそれを受容しなくてはならないし、まして嘲笑したり、疎遠な感じを持ったりすることは近親者であっても厳しく禁じられる、そんな文化が確立しているのです。

 この事件が実名で報道されたのは勿論異例なのですが、一旦このニュースが出回った後は、メジャーなTVニュースも取り上げて行ったわけで、その背景には「アメリカ社会は被害女性を公的にも私的にも守り切る文化が確立している」からという点があったと言って構わないと思います。ちなみに、この報道には妙なリアクションがありました。NYU(ニューヨーク大学)司法安保研究センターのフェロー(研究員)であったニール・ローセンという人物がツイッターでの暴言事件を起こして大学を解雇されています。

 ローセンのツイートは「聖女に祭りあげるのもいいけど、アイツは戦争屋だからな」「アイツみたいにヘンなことされた女がゴマンといるんだろう」(筆者意訳)というものです。勿論、これはこうした「被害者を守り切る」文化から見れば完全にアウトで、特に二番目のものは即レッドカードものですが、このローセンの屈折したツイートの背景にあるのは、先に申し上げた第一の点に関係してくるように思います。それは、どうしてアメリカのメディアは「戦争報道」にわざわざ目立つ女性記者を送るのかという問題です。

 勿論ローセンのツイートはとても擁護できるものではありませんが、確かにここ数年、アメリカのメディアは戦争報道に目立つ女性を使いたがる傾向があります。TVの女性記者で戦争報道のプロといえば、CNNで長年活躍したクリスチャン・アマンポーラ(現ABC)がいますが、彼女の場合はイラン系英国人として生まれた中で中東問題などに深い理解をしているユニークな存在として活躍したわけで、女性の目立つ特性を使ってということではないと思います。911の直後には、何人か女性戦争記者が登場していますが、その多くも事件への個人的な思いからアフガンやイラクで何が起きているかを伝えようという個人的情熱に駆られたものでした。

 ですが、ここ数年、確かに「目立つから」という特性を使って女性記者に戦争報道をさせる傾向があるようです。ローガン記者はその代表例と言えなくもありません。勿論、彼女の場合もイラク戦争ではブッシュ路線に不利な報道をし過ぎるとして「偏向報道」という非難を浴びた「武勇伝」もあり、モデル出身だからといって容姿だけを売り物にしているわけではありません。ですが、ローセンのように「斜め」に見ればその政治的ポジションも「出世のためのウケ狙い」というイメージにもなるわけで、とにかく何らかの知的な関心と正義への情熱はあるにしても「女性の目立つ特性を使って活躍しよう」という「勢い」そのものが不自然なものに見えるのだと思います。

 では、TV局サイドとしてはどうして「女性戦争記者」を使うのかというと、何といっても視聴率のためだと思います。アマンポーラなどの場合はともかく、現在ではホンネとして、女性記者の方が「受ける」という心理が漠然と社会的に存在するからです。これもかなり複雑で、女性視聴者にしてみれば「責任重大で困難な仕事を女性が担っている姿」への好感ということがあり、男性視聴者も基本的に同じですが一部の男性心理にしてみると、「戦場や混乱状態」から女性がレポートすることの「健気さ」を好むとか、「勝気な行動をしている女性が時折見せるパーソナルな表情が好きだ」などの心理があるわけです。そんな複雑なものではなく、無粋な男より女性のほうがスマートで格好良いという印象を男女ともに持っているとも言えるでしょう。

 確かにローガン記者はそうした「ニーズ」をうまく使ってキャリアを積んできたという印象はあります。南アメリカ人として英国にわたり、最初はモデルをしていたのが戦争報道で有名になり、離婚や再婚を報じられる中で芸能人扱いされる一方で、アメリカのCBSに職を得てからは、かなり積極的な取材姿勢が評価されて「ファンサイト」なども出来ているのです。

 単にアメリカの視聴者受けというだけでなく、政治的な背景もあるように思います。ローガン記者を「突撃の急先鋒」として、エジプト革命のプロセスではアメリカから多くの女性記者が現地入りしていますが、そのほとんどはエジプトということもあって、ベールを使わずに、金髪や長い髪を振り乱してデモ隊の中に飛び込んでいます。各局共にどうしてそうした演出になっているかというと、恐らく「この革命は市民の自由化を求める革命であって、イスラムの復権を目指すものではない」という性格付けをアメリカ世論へのメッセージとして送りたい、そのひとつの象徴として多くの女性記者をデモ隊の渦中に送り込んだということは言えると思います。

 つまり「派手な白人の女性記者がデモの群衆の中に入っても、宗教的にそして文化的に排除されない」ということが「これは宗教革命ではなく市民革命だ」ということを正にテレビ的に視覚で表現できるというわけです。この辺りが、冒頭の二つの疑問のうちの一つ目に関わってくるのですが、こうした報道姿勢はアメリカ側としては終始一貫していたように思います。

 先々週のこの欄でもお伝えしたように、アメリカの報道姿勢は「大変だ。エジプトまでが反米の原理主義になるかもしれない」というリアクションを排除して冷静さを確保するということで一貫しています。例えば、ムバラク前大統領が「辞任しない」と頑張っていたときには、サラ・ペイリンが「エジプト情勢に関してオバマがいちいち記者会見すると、みんなでその見解に従うのは異常」だと吠え立てて、「原理主義拡大の動きに警戒を」と呼びかけていたのですが、これに対しては保守本流の大物政治家であるリンゼイ・グラハム上院議員(共和)が「呆れた発言だ」と大統領を擁護するなど、政界も超党派で冷静さを保っていたぐらいです。

 ちなみに、下手をすると反米センチメントの拡大もありそうな、イエメン、ヨルダンのデモに関してはアメリカの報道は抑制気味、一方でリビアのデモは長年の仇敵カダフィ政権の動揺への期待から扱いが大きくなっています。イランの民主化デモに関しては、アメリカの世論も政界もデモ隊側を応援していますが、彼等を支援するがゆえに報道を自制しているような感じもあります。

 いずれにしても、今回のエジプト革命が「アメリカ人として応援できる」そして「アメリカにとって有害ではない」市民革命の一種だということを強調する報道姿勢は明らかにあると思います。また「何とか自分たちの理解の範囲にある」エジプトの例にアメリカ世論の関心を引きつけておこうという気配もあり、それは、アメリカの超党派の本流のホンネであると同時に、とにかくアメリカの保守派による過剰反応がかえって現地での反米心理の拡大になってはいけないという相互性を意識してのことということもあるように思います。

 ララ・ローガン記者が一度目の危険遭遇にも関わらず、自ら強く志願して現場に復帰した、そして革命の瞬間に立会いつつ事件に巻き込まれたというストーリーの背景には、そうしたアメリカの「文脈」があったと言って構わないでしょう。またローガン記者の被害というプライベートなニュースが、一旦何者かが事件を暴露した後に大手メディアでも報じられたのは「暴力被害にあった女性の権利は守り切る」という文化が背景にはあるのだと思います。

 この二つの文脈は正にアメリカの「フェニミズム」の現状を反映しているように思います。私はそこに個人的には普遍性も感じるのですが、同時に深刻な問題点も感じる者です。というのは、このようなフェニミズムは「過剰」であり、同時に「独善」だという問題です。過剰というのは、例えば女性兵士の大量派兵という問題です。女性が男性同等ならば、兵士として戦闘に参加するのも当然というのは、しかも大規模で行われているというのはやはり過剰さがあります。そのことと「イスラム圏のデモ隊の真ん中に女性記者を送りたがる」というのは同根という面もあるからです。更に独善性が暴走すると、イラクのアブグレイブでの捕虜虐待に際して「ムスリムの敵兵の自尊心を破壊するために、女性兵士によって拷問を行う」というようなダークな行動にもなってしまいます。

 そこまで行かなくても、女性の権利拡大を押し付ける姿勢が余りに独善的なために、かえって反発を招いてしまい、相手国での女性の人権が拡大しないという問題もあるように思います。アメリカ流のフェニミズムを絶対的に押し付ける態度は、相手から見れば自分への蔑視を含む尊大な姿勢に映るわけで、そうした心理が起きてしまうと、逆効果になるわけです。日本もその一つのケースと見なすことができるかもしれません。

 一方で、エジプトの場合は、非常に微妙な問題が入っています。というのは完全に世俗国家化しているトルコ、マレーシア、インドネシアなどを例外とするならば、エジプト社会における女性の人権はイスラム圏では先進的なのです。その一方で、ムスリム同胞団に代表される宗教保守派は、女性の人権拡大や西側文化の流入に反対しているという緊張関係があります。例えば、2001年頃に、アメリカの『フレンズ』というTVコメディがエジプトで流行し、大問題になったのだという話をエジプトのTVプロデューサーの講演で聞いたことがあります。『フレンズ』というのは、男3人、女3人の6人組が恋愛関係になったりパートナーが変わったりしながら「グループ交際」を続ける他愛ない話ですが、エジプトの保守派には十分に刺激的で賛否両論で大変だったのだそうです。

 もしかしたら、ローガン記者はそうした「自由を欲するエジプト女性への連帯」の気持ちを秘めてデモ隊に飛び込んだのかもしれませんし、またそうしたエジプトのフェミニストたちが彼女を暴力事件の現場から救出したのかもしれません。それはともかく、今度は激しいデモはバーレーンに飛び火し、流血の惨事に発展しているという報道もあります。オバマとして、アメリカとして、中東という地域に対して、更に本質的な思考を迫る事態が来る可能性も否定できなくなりました。
村上龍RYU'S CUBAN NIGHT