プロ野球の戦後初の外国人選手として巨人と中日でプレーし、中日では監督も務めた与那嶺要氏が2月28日(日本時間1日)、前立腺がんのため米ハワイ州ホノルル市内で死去した。85歳。ハワイ・マウイ島出身。葬儀・告別式はホノルル市内で行うが、日時は未定。東京都内でもお別れ会を開く予定という。日系2世で、米国のマイナーリーグを経て1951年に巨人へ入団。走攻守に優れた中堅手で首位打者を3度獲得。
(2011年3月1日)
プロ野球の戦後初の外国人選手として巨人と中日でプレーし、中日では監督も務めた与那嶺要氏が2月28日(日本時間1日)、前立腺がんのため米ハワイ州ホノルル市内で死去した。85歳。ハワイ・マウイ島出身。葬儀・告別式はホノルル市内で行うが、日時は未定。東京都内でもお別れ会を開く予定という。日系2世で、米国のマイナーリーグを経て1951年に巨人へ入団。走攻守に優れた中堅手で首位打者を3度獲得。
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