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いつの世にも、試験にカンニングはつきものだ。とはいえ、今回発覚した不正行為には驚かされる。やはりというか。ついにというべきか……。京都大で入学試験の最中に、数学と英語の[記事全文]
英語の授業が変わろうとしている。4月から新たに小学校5、6年で、外国語活動が週1コマ必修となる。簡単な英語でゲームをしたり、歌ったり。英語の音や表[記事全文]
いつの世にも、試験にカンニングはつきものだ。とはいえ、今回発覚した不正行為には驚かされる。やはりというか。ついにというべきか……。
京都大で入学試験の最中に、数学と英語の問題の一部が携帯電話からインターネット上のサイト「ヤフー知恵袋」に投稿された。試験終了までに第三者から回答も寄せられていた。
早稲田大や立教大、同志社大の入試でも、同じように問題と回答が投稿されていた。文部科学省は4大学に事実関係の報告を求めた。
京都大は「入学試験の根幹を揺るがす犯罪行為」と憤り、「不正行為者には厳正に対処したい」とする。当然だろう。受験生の怒りも大きい。
まだ不明な点は多い。投稿は早いものでは試験開始から数分後だ。試験官の巡回する会場でどうやったら可能だったのか。外部に協力者はいるのか。試験に合格するためだったのか。ほかの意図があったのか。
京都大は警察に被害を申告した。入学試験という業務を妨害されたとして、偽計業務妨害の疑いがあるとしている。4大学は真相と手口の解明を急がなくてはならない。それなくしては対策も立てられない。
「知恵袋」を運営するヤフージャパンも協力すべきである。
12日に入試の後期日程を控える国立大学の間には、どんな対策をとればいいのか戸惑いが広がっている。
とりあえず試験監督のあり方を早急に点検し、見直さなければならない。
受験生が試験会場に持ち込む携帯をどうするかが今後の課題だ。
扱いは現在、大学によって異なる。京都大では電源を切り、かばんの中にしまうよう指示していた。電源を切ってかばんに入れ、それを試験会場の隅の「携行品置き場」に置かせている大学もある。
今回のような不正を完全に防ぐには、携帯など電子機器の持ち込みそのものを禁じることだ。高木義明文部科学相も「持ち込む是非も含めて考えていかないと」と話した。
しかし、厳密に実施するには受験生の持ち物検査だけでなく、ボディーチェックや金属探知機の設置も求められる。予算も人手もかかる。社会全体で議論する必要がある。
ネット社会が発達したいま、何か分からないことがあれば、自分で苦労して調べなくても、投稿サイトに質問を投げておけば、だれかが教えてくれる。回答は正解のこともあれば、間違っていることもある。それでも、他人の回答に「ただ乗り」してしまう。
そんな風潮が今回の不正の背景にあるのではないか。
広がる電子情報空間と知的な営みとの関係はどうあるべきか。そんなことも考えさせられるできごとである。
英語の授業が変わろうとしている。
4月から新たに小学校5、6年で、外国語活動が週1コマ必修となる。
簡単な英語でゲームをしたり、歌ったり。英語の音や表現に親しませ、対話をする態度を育てる。
中学校は来年から各学年とも授業が週4コマに増える。高校は再来年、英語授業は英語での指導が基本になる。
学校英語は読み書きばかりで、海外に行っても役立たず――。そんな批判にさらされてきた文部科学省は、「英語が使える日本人」を育てる計画を8年前に立て、推し進めてきた。
聞く、話すのコミュニケーション重視にかじを切り、中3なら英検3級、高3で準2級〜2級程度の力を身につける、と目標も定めた。その方向で充実させるのが、新学習指導要領だ。
当の学校現場はどうか。
すでにほとんどの小学校が、英語をとり入れた授業を始めている。が、ネーティブの外国語指導助手頼みの所が少なくない。必修化を前に、担任の先生の不安はまだまだ大きい。
中学や高校で、生徒がグループやペアになって英語でやりとりするような授業が、どれだけ実践されているだろうか。つい、旧来の訳読や文法中心の授業になる。廊下を歩いてみても、英語の時間のクラスが一番しーんとしていたりする。
教える準備は、万全とは言えまい。小中高とも研修機会を充実させる、良い教材をつくる、地域の核になる先生を育てる、地域の人材に協力してもらうなど、応援態勢づくりは急務だ。
大事なのは、先生の役割が変わってきたということだ。教壇から知識を授けるだけでなく、児童生徒間のコミュニケーションを引き出し、言葉という手段や、それを駆使して考える力を身につけさせる。英語という科目に限らない大きな流れでもある。
小学校の外国語活動はその入り口。求められるのは先生の英語力より、授業を組み立てる教師力だ。準備不足で必修化が進み、中学に入ると英語嫌いになってしまうとの懸念も聞かれる。小学校と英語教員がいる中学が、より連携を深めることも課題だろう。
「英語は今や国際共通語」「中韓のように早くから英語を」といった声が強まる。他方で「まず日本語の力を」「一律に教える必要はない」との考えもある。多くの大人に苦い思い出だからだろう。英語教育には常に四方から注文がつく。
高校までの英語教育の目的は、一定のコミュニケーション能力とともに、さらに伸ばすための土台を整えることだろう。外国語を学ぶことは、世界を知る大切な営みでもある。
そろそろ苦手意識も卒業したい。私たちの準備はできているか。Are we ready?