坪内宏典 (つぼうち・ひろのり) @mrhiro1112
南山大学 総合政策学部 総合政策学科 3年
志望業界:IT系…と、コンサル、人材系
セルフキャッチコピー:「実はアクティブなインテリ」
人が嫌いだった。人と深く関わることを、半ば諦めていた。けれど、人への興味は捨てきれなかった。人を嫌いになるほどに、人に惹かれた。なんでこんなにイラつくんだ。なんでこんなに嫌なんだ。考える事が、クセになっていた。自分は人が好きなのだろうか。気がついたら、人と深く関わる仕事をしたいと思う自分がいた。
小さいころから転校ばかりしていた。始めのころは、新しい環境に入っていくのも楽しいと思っていた。けれど、辛いのは別れだった。「せっかく仲良くなったのに」。深い関係をつくっても、すぐに断ち切られる。「どうせまたすぐに会えなくなる」。度重なる転校に、人を信じることを諦めた。
ストレスのせいか、思春期がくるのが早かった。小4のころから気持ちが荒れ始めていた。小6、先生とタイマンをはったことがある。気に入らないことがあればすぐに意見を言い合った。その頃から、自己主張をするのは得意だった。
荒れてるヤツからは距離を置く。中学生の鉄則だった。自分もまた、例外ではなかった。次第に離れていく同級生、イジメとイジリのグレーゾーン。「なんで俺は避けられてるんだろう」。意外と冷静に状況を見ていた。次第に人間不信が強くなり、周りや自分を客観的に見るクセがついた。荒れていた気持ちは、もう落ち着いていた。
高校で転機が訪れた。勉強、進路、恋愛、今までは自分の内で悩んでいた。けれど1人で考えるのには限界があった。人に弱みを打ち明けるのは、正直嫌だった。でも、先生、塾の講師、数少ない友人、みんな親身になって聞いてくれた。人を信じてもいいかもしれない。少しずつそう思うようになった。
進路は、消去法で決めた。もともと理系だったけれど、あまり物理・化学・生物が好きになれなかった。だから、自然と文系に行くことは決まっていた。ただ、数学が得意という理由で経済か経営に行きたかった。けれど、結果として第一志望の経営学部には縁がなかった。結局入った総合政策は、幅広い学部だった。様々なことに問題意識を持ち、考えていく。中学時代に培った経験が活きた瞬間。物事について考えることは、もはや習慣になっていた。
大学で入った学祭実行委員。周りの人間はいいのに、何かしっくりこなかった。もっとこだわりたい企画、部分があった。しかし「楽しさ」ばかりが重視されているように思えた。組織の形態も不満だった。定例会はただの報告会、現場が見えない幹部たち。もっと横のつながりがあれば良いのに。組織の在り方について、考えるようになった。
うぬぼれていた部分があった。自分の考えが正しいと思っていた。そんな時、憧れていた先輩に誘われて政策・情報 学生交流会に参加した。参加者として関わった26期、横っ面をはられた気分だった。自分より意見を持った人たちの集まり。論理的、かつハッキリものを言う。そんな議論を見るのは初めてだった。実力、視点、どちらも低い自分に強いコンプレックスを感じた。「もっと成長したい」。強い気持ちが自分の中に生まれた。大学の中にいたら、何も変わらない。もっと全国規模で動きたい。次期スタッフになることも、自然に生まれた決意だった 。今思えば、自分の価値観が大きく変わった瞬間だったのだと思う。第2の転機だった。
スタッフとして、代表として、28期までひたすら走った 。27期、閉会式で流そうと用意したムービーがあった。交流会が始まってみたら、思い描いていたイメージと違うことに気付いた。4日にわたる会の間、急ピッチでつくりなおした。しかし当日、プロジェクターの調子が悪く流すことができなかった。その時の落胆は、計り知れないものだった。届かない想いは、ないも同然。それほどに強い思い入れがあった。ムービーは、先輩が懇親会で流してくれた。想いをこめたストーリー、きちんとみんなに届いていた。「よかったよ」、と声をかけられた。純粋に嬉しかった。
確かに実力はついた。でも、もっと先に行けると思った。もっと良いものが創れる。いや、創りたい。企画から、組織から、全てをより良くしたかった。28期の代表になると宣言したのは、交流会を終えて4日後のことだった。
就活のさなか、将来のことを考える時間が増えた。ITには大きな可能性がある。mixiやTwitterに触れながら思った。アイデアさえあれば誰でも新しいものを作れる世界、人や情報を結ぶSNS。なにかとなにかをつなぐ『プラットフォーム』が、もっと世の中にあったらいいと思った。
自分は、組織をつくる人間になりたい。IT企業を見ながらそう思う。政策・情報 学生交流会の代表時代、フラットな人間関係をつくることを大切にした。「組織が良ければ、自ずと企画も洗練されていく」。そんな信念があったから、環境づくりに奔走した。何をするにも、みんなが納得するまで話し合いを重ねた。自分がひっぱるばかりじゃなくて、自分も積極的に輪に入った。失敗も多かった。でも、何よりもまず、人を大切にした。
よりよい社会をつくりだすツール、IT。そのサービスを提供する企業を、内側から全力で支えたい。芯のある組織を作り込めば、最大限価値のあるサービスをきっと提供できる。本気の人材づくり、組織づくり。惚れ込んで入った会社なら、やりがいも、喜びもひとしおだろう。
『就活は妥協したくない』。強いこだわりを持ち、未来を見据えて彼は言う。
南山大学 総合政策学部 総合政策学科 3年
志望業界:IT系…と、コンサル、人材系
セルフキャッチコピー:「実はアクティブなインテリ」
人が嫌いだった。人と深く関わることを、半ば諦めていた。けれど、人への興味は捨てきれなかった。人を嫌いになるほどに、人に惹かれた。なんでこんなにイラつくんだ。なんでこんなに嫌なんだ。考える事が、クセになっていた。自分は人が好きなのだろうか。気がついたら、人と深く関わる仕事をしたいと思う自分がいた。
小さいころから転校ばかりしていた。始めのころは、新しい環境に入っていくのも楽しいと思っていた。けれど、辛いのは別れだった。「せっかく仲良くなったのに」。深い関係をつくっても、すぐに断ち切られる。「どうせまたすぐに会えなくなる」。度重なる転校に、人を信じることを諦めた。
ストレスのせいか、思春期がくるのが早かった。小4のころから気持ちが荒れ始めていた。小6、先生とタイマンをはったことがある。気に入らないことがあればすぐに意見を言い合った。その頃から、自己主張をするのは得意だった。
荒れてるヤツからは距離を置く。中学生の鉄則だった。自分もまた、例外ではなかった。次第に離れていく同級生、イジメとイジリのグレーゾーン。「なんで俺は避けられてるんだろう」。意外と冷静に状況を見ていた。次第に人間不信が強くなり、周りや自分を客観的に見るクセがついた。荒れていた気持ちは、もう落ち着いていた。
高校で転機が訪れた。勉強、進路、恋愛、今までは自分の内で悩んでいた。けれど1人で考えるのには限界があった。人に弱みを打ち明けるのは、正直嫌だった。でも、先生、塾の講師、数少ない友人、みんな親身になって聞いてくれた。人を信じてもいいかもしれない。少しずつそう思うようになった。
進路は、消去法で決めた。もともと理系だったけれど、あまり物理・化学・生物が好きになれなかった。だから、自然と文系に行くことは決まっていた。ただ、数学が得意という理由で経済か経営に行きたかった。けれど、結果として第一志望の経営学部には縁がなかった。結局入った総合政策は、幅広い学部だった。様々なことに問題意識を持ち、考えていく。中学時代に培った経験が活きた瞬間。物事について考えることは、もはや習慣になっていた。
大学で入った学祭実行委員。周りの人間はいいのに、何かしっくりこなかった。もっとこだわりたい企画、部分があった。しかし「楽しさ」ばかりが重視されているように思えた。組織の形態も不満だった。定例会はただの報告会、現場が見えない幹部たち。もっと横のつながりがあれば良いのに。組織の在り方について、考えるようになった。
うぬぼれていた部分があった。自分の考えが正しいと思っていた。そんな時、憧れていた先輩に誘われて政策・情報 学生交流会に参加した。参加者として関わった26期、横っ面をはられた気分だった。自分より意見を持った人たちの集まり。論理的、かつハッキリものを言う。そんな議論を見るのは初めてだった。実力、視点、どちらも低い自分に強いコンプレックスを感じた。「もっと成長したい」。強い気持ちが自分の中に生まれた。大学の中にいたら、何も変わらない。もっと全国規模で動きたい。次期スタッフになることも、自然に生まれた決意だった 。今思えば、自分の価値観が大きく変わった瞬間だったのだと思う。第2の転機だった。
スタッフとして、代表として、28期までひたすら走った 。27期、閉会式で流そうと用意したムービーがあった。交流会が始まってみたら、思い描いていたイメージと違うことに気付いた。4日にわたる会の間、急ピッチでつくりなおした。しかし当日、プロジェクターの調子が悪く流すことができなかった。その時の落胆は、計り知れないものだった。届かない想いは、ないも同然。それほどに強い思い入れがあった。ムービーは、先輩が懇親会で流してくれた。想いをこめたストーリー、きちんとみんなに届いていた。「よかったよ」、と声をかけられた。純粋に嬉しかった。
確かに実力はついた。でも、もっと先に行けると思った。もっと良いものが創れる。いや、創りたい。企画から、組織から、全てをより良くしたかった。28期の代表になると宣言したのは、交流会を終えて4日後のことだった。
就活のさなか、将来のことを考える時間が増えた。ITには大きな可能性がある。mixiやTwitterに触れながら思った。アイデアさえあれば誰でも新しいものを作れる世界、人や情報を結ぶSNS。なにかとなにかをつなぐ『プラットフォーム』が、もっと世の中にあったらいいと思った。
自分は、組織をつくる人間になりたい。IT企業を見ながらそう思う。政策・情報 学生交流会の代表時代、フラットな人間関係をつくることを大切にした。「組織が良ければ、自ずと企画も洗練されていく」。そんな信念があったから、環境づくりに奔走した。何をするにも、みんなが納得するまで話し合いを重ねた。自分がひっぱるばかりじゃなくて、自分も積極的に輪に入った。失敗も多かった。でも、何よりもまず、人を大切にした。
よりよい社会をつくりだすツール、IT。そのサービスを提供する企業を、内側から全力で支えたい。芯のある組織を作り込めば、最大限価値のあるサービスをきっと提供できる。本気の人材づくり、組織づくり。惚れ込んで入った会社なら、やりがいも、喜びもひとしおだろう。
『就活は妥協したくない』。強いこだわりを持ち、未来を見据えて彼は言う。
2010年11月16日
六本木マクドナルドにて
記者:齋藤美紅
@rikako02
六本木マクドナルドにて
記者:齋藤美紅
@rikako02
1 ■懐かしいですね。
まいどー28thスタッフの駿祐です。笑 まさか、この著者と代表がつながるとは思っていませんでした、はい。
懐かしいです、本当に。あの頃、よく二人で話してましたよね。
ヒロさん、就活がんばってください。ボクも負けずに、がんばります。