「ラッキードッグ1」2011バレンタインデーSS
『Angel has passed』
2011.02.22〜2011.03.01
「――ジャン、大変だ」
「さっきからずっと大変だよ! で、こんどはなんだ?」
「ボストンからの、アレッサンドロ会長からの通話が途中で切れた」
「ああ、そりゃただ単に5セント玉切れただけだろ。しょうがねえエロゴリラだ」
「……おい、ジャン。この書類どうなってんだ、明細がついてないぞ」
「んあ? クソ、テープが剥がれたな。あっちのフォルダーに紛れ込んでるんじゃね?」
「……ジャンさん、すみません……。こちらの書類に、封印をお願いできますか……?」
「あー、ハイはい。てか、アルコールランプどこやった? くそ、ライターでいいか」
「ファーック!! くそ、ファック!! おんなじヤツから3通もカードがきてんぞ?」
「うるせー。向こうも印刷のカードをテキトーに名簿見て送ってんだろ、捨てれフテれ」
実に、やかましかった。
そう。ここは俺の城――
アメリカ東海岸デイバン市に巣食うマフィア、CR:5二代目カポ、ラッキードッグ・ジャンカルロ。それが俺。そしてここはCR:5の本拠地である魔城…………。
いや、そんなご大層なもんじゃなかった。
デイバン市の郊外、西の丘陵地帯に作られ、映画会社に偽装されたCR:5本部。
その奥にある、俺の仕事部屋である執務室には――去年くらいから恒例となった2月初旬の多忙と混乱が、バベルの荒野の如く広がっていた。
「クソ、誰だよバレンタインなんていうワケわからん日にカード送るなんていうクソくだらねえ習慣を思いついたタコはよ!? 郵便か、郵便屋か!?」
「口より先に手を動かせよ、イヴァン。てか、今日で何回目だ、そのファックはよ」
「うるせえ! だったらおめーもカード書けクソが!」
「イヴァン、あと何枚だ? 14日到着便は明日までに出さないと間に合わんぞ」
「わーってる! ……クソ、誰か、俺より字のうまい部下のいるヤツいねえのかよ……」
「俺たちがめでたく天国の住人となるときは、チェックインのサインはイヴァン、お前に頼むってこの間の会議で決めたじゃねえか」
「聞いてねEEEEEE!! てか地獄だったら喜んでサインしてやら、ファック!」
「――ジャンさん、新しいコーヒをお持ちしましょうか?」
「あー。口が苦いな……てか、ハラ減ったってきた……」
「終わったら、なんか食っとくか」
「そうだね……。会議、というわけではないが……ちょっと、話がある。ジャン」
「ン、俺だけでいいのか?」
「そう……。いや、やっぱり全員、頼む」
ドンと鎮座している……はずの、ボスである俺のデスクの周囲には、鉄パイプと天板だけの簡易デスクがぞろりと並んで包囲し、それぞれのデスクの上には電話と書類とタイプライターと冷えたコーヒーポット、吸殻が山になった灰皿、そして何十時間か眠っていない野郎どものツラが、あった。
真冬のど真ん中、2月なのに――執務室の空気はずん、と濁って重く、暑苦しかった。
2月の最初の週だと言うのに――天井のファンが回って部屋の空気をかき混ぜていた。
とっくにヒータは止め、ときおり窓を開けて凍った夜の外気を入れてはいたが――執務室にこもっている俺と4人の幹部たち、そして5人以下には決してならずに出たり入ったりを繰り返す部下たちの体温と呼吸で、部屋の空気は濁りっぱなしだ。
毎年の恒例行事、お決まりになりつつある苦役の日々――
2月14日に、老いも若きも、個人も会社も、そしてカタギもヤクザも、いつの頃からか知り合いにカードを送る……という風習が始まっていた。そして、CR:5の二代目になった俺にも、部下の幹部たちにもその風習のくびきは重くのしかかっていた。
ただでさえ決算前の調整で忙しく、しかも国税局にインネン付けられないよう(カタギさんの百倍デリケートに、これが大変だ)後ろ暗い商売の帳簿だけでなく、立ち寄ったスタンドのコーヒー一杯、チャイナタウンでかっこんだ茶碗めしの一膳まできっちりと書類にして、聖母マリア様のハンカチくらい綺麗にしておかなければならない、2月。
もちろん、他の仕事も忙しい――バレンタインカードの作成と発送は、2月の貴重な時間を容赦なく削ってゆく……そして俺たちの体力と、真っ当な思考も。
そして、時計の針が12を越えて、新しい日付になったころ。
「……とりあえず、去年カード送ってきた連中への発送分はできたか」
「新しい送付先へは――明日にしよう、きりがないぜ」
帳簿を作っていたベルナルドと、銀行の書面をまとめていたルキーノが本日予定の作業を終え、カードの作業場に顔を向けて進行を確認し、言った。
「……ああ、くそ、もう手の筋がビリビリしてきやがった、バレンタイン考えたヤツ死ね」
「新規発送先は――240。明日で書ききれるな」
「うるせえ! だったらジュリオ、てめえも書……いや、俺のぶん、もっともってけ!」
「まーまー。イヴァンにばっか書かせて悪ぃけどさ。ジュリオは役員会向けの書いて釘刺すので手いっぱいだからなあ。頼む、あとちょっとだし」
「240枚のどこがちょっとだよ!」
その外見と言動に似合わず、組織の中では一番――幹部、部下の誰よりも――水茎うるわしい字を書くイヴァンは、1000枚に近いカードを自筆で書かされるというもっとも重い苦行を背負わされていた(さすがに今年からは特別な相手以外、宛先はタイプとなったが)。
ぶつくさ言いいながらイヴァンが席を立ち、指を組んだ両手で大きく伸びをする。
「あ〜〜、クソ! メシだめし! 食わなきゃやってらんねえぞ」
「だなあ。おいベルナルド、今日はいったんお開きにしようぜ」
「そうだな……」
ベルナルドは、部屋で作業し、そして待機していた兵隊と護衛たちに声をかけ、彼らを通常の任務に戻す。
「よし、ではまた明日だ。朝の7時から頼む。それまで休んでおいてくれ」
「了解です」
「隊長も、ご無理をなさらず……」
部下たちが行ってしまうと――
「はぁ、あああ…………」
ベルナルドが、眼鏡をしたままの顔を両の手で覆ってうつむき……苦悩を、疲労を、そして落胆をそのまま音にしたようなため息を、ひとつ。
俺たちは椅子に座っったまま……動かない。
「……誰か。この可哀想な俺に、“どうしたんだベルナルド”と聞いてくれないのか?」
「メシ食いに行こうぜ。まだ食堂にコックが残ってるといいが」
「ハラも減ったが、風呂に入りてえ……クソ、マッサージ師の部下雇おうぜ」
「――ジャンさん。もし料理人が休憩に入っていたら……あの、また……」
「……………………」
各自、思い思いの方法で幹部筆頭を無視して――ベルナルドの声と様子に、新たな面倒事を察したルキーノとジュリオ、イヴァンが席を立った。
俺は、その様子をぐるり見てから……言った。
「この時間だと厨房は誰もいねーかもな。んで、“どうしたんだ? ベルナルド”」
「……ありがたくて涙が出るよ、我らがモナーク。実は……ちょっと厄介ごとが起きた」
「部下がいる前では言えないタイプの厄介か」
「そうなんだ……。組織の、俺の問題でね――すまないが、ジャン、みんな」
ベルナルドは腕時計を、そして壁の時計を見、言った。
「まだ作業が残っていると思うが――1時間、食事休憩をとろう。その席で、少し相談をしたい」
「……やれやれ。この上、また面倒事か。ベルナルド、お前だけで処理できない話か?」
「ああ。できれば……いや、どうしても、ここにいる全員の協力が必要なんだ」
「そーなのかー。まあいい、食堂で話そうぜ」
「いや――」
ベルナルドは、歩き出した俺を止め、何か言いづらそうに……口に、手を当てた。
「その――この議題を食堂で話すのは、無理だ。……第5会議室に、しよう。そこに機材が準備してあるんだ。それに、そこなら給仕の部下に話を聞かれなくてすむ……」
「機材?」
「ああ、見て、もらいたいものがあってね。……じゃ、会議室に――」
「なんだなンだ? チキンの筋が歯に挟まったみたいな言い方しやがって」
「……まあいい、先に行っててくれ。俺、厨房見てくるわ」
俺は、ベルナルドとイヴァンの尻を両手で叩いて歩かせ、全員でぞろぞろと……濁った空気の執務室を出ていった。
*
第5会議室――ふだんは、俺たちカポや幹部クラスではなく、兵隊の分隊長たちや役職つきの連中、そして来客との会合に使われる部屋だった。
長方形のテーブルに、椅子が6脚。ベルナルドの趣味で、金属製の骨格にシンプルな合板を組み合わせた今風のテーブル、そして椅子だった。
「――ちょうどコックが休憩に入ってたんでな、すまねえ、簡単なもんで」
俺は、厨房からでかいランチボックスに入れて運んできた食い物をテーブルに並べる。
「すみません、ジャンさんにこんな……ありがとうございます」
「温かい食い物ならそれだけで涙が出そうだ。今日のメニューはなんだ、ジャン?」
「ああ、コック呼び出すのも野暮天だったんでな。あるもんででっちあげてきた」
「んあ? パスタだけかよ、パンねーのか、パンは」
「女のコが水たまりで踏んづけてもビクともしねーようなのしかなかったわ。ソレ食う?」
「クソッ、なんて時代だ。まあいいや、なんでもいい早く食わせてくれよ」
「すまないな、ジャン。じゃあ……みんな、先に食べててくれ。俺は機材を準備する」
「おう。で……機材って――」
俺は、小さなテーブルについた幹部たちの前に、スープの深皿を、そして大皿に山盛りの黄色くなったパスタのボウルを配置する。
「なんだ、こりゃあ。いつ茹でたやつだよ、すっかりのびちまってんじゃねぇか」
「おう、まかない用のパスタが残ってたんでな、ぜんぶ、いっぺん湯通ししてから炒めて水っ気とばしてきた。んで、こいつはそっちのスープに突っ込みながら食ってくれや」
「なんだそりゃ、行儀の悪い」
「ああ……これですか、俺、この食べ方好きです」
ぶつくさ言いながらも、野郎どもは手にしたスプーンとフォークで、もさもさと積まれたパスタをちぎりながら自分のスープ皿につっこむ。
そして、空腹というよりは、食う、という行為に飢えていた男たちの口が、歯が、がつがつと動き出した。
「ン……なんだこのトマトスープ、やけにからいな」
「おう。ミートソースがあったんでな、そこにスープストックとチリソース。それくらいピリ辛のほうがめしが進むだろ」
「おいしい、です。ジャンさん」
「ハハッ、大の大人が食うもんじゃないな。まあ、まずくはないが」
ぶつくさ言いながらも、ふやけたパスタの山はブチブチと切り崩されてゆく。俺は、席の後ろで何かの機械を引っ張り出して電源を繋いでいるベルナルドをチラ見し、無くなる前に一人前をちぎって、ベルナルドのスープ皿に盛っておく。
「サラダも食っとけよ。おまいら」
俺は、スライスしただけの、水にさらしてないタマネギに炒めたベーコンと胡椒だけで味をつけたサラダのボウルをドカッと置いて――
「ベルナルド、その準備ってヤツはもうできそうか?」
「ああ。諸君たちのガツガツした無作法な音で、さっきからハラが鳴りっ放しだよ。――少し照明を落とすぞ」
「照明? なんだそりゃ、映写機かよ?」
ベルナルドが組み立て、電源をつないでいたのは……小ぶりな、なんだか犬の頭を思わせる形状の映写機、だった。
そしてベルナルドは、壁に掛けてあったロール式の銀幕を引き下ろす。
「なんだなんだ、お疲れの俺たちに心温まる映画でも見せてくれるのか?」
サラダの辛さに、涙が浮かんだ目でルキーノがベルナルドに笑う。
だが、ベルナルドは……。
「映画なのは間違いないがね。……まあ、こいつを見てくれ。ハナシはそれからだ」
そう言って部屋を証明していたライトを消し、残された非常灯の橙色の灯りが“??”に満たされた空間をほの暗く浮かび上がらせる。
「オ。もしやエロ映画か? でかしたベルナルド」
「残念ながら、マイロード。実に健全で、啓蒙的な教育映画……の、はずだった」
暗闇の中でも、ベルナルドが胃の痛そうな顔をしたのがわかった。
そして――ベルナルドが映写機のスイッチを押し、ランプの閃光がビームのように広がって小さなスクリーンを白く浮かび上がらせた。
「教育映画、だあ? なんで俺らがそんなモン、見なきゃあ……」
イヴァンがブツブツ言ったとき、カラカラと回りだしたフィルムが光を浴びて……銀幕に、パッと赤と黄色の字幕が踊った。
「うお。すげえ、カラーじゃねえか!?」
「……これはこれは。高価いんだろう、カラーフィルムは?」
「ああ。白黒の10倍ほど。専用機材もいる――問題は……」
問題――その言葉がベルナルドの口から漏れたとき、
「……?? ……明るい、選挙……? 僕たち合衆国市民……??」
「……スタジオ フェニックスウィング……?? 監督……知らんなあ、こんなやつ」
「うわ、何だこの音? ミュージカル……??」
「――政府の、広報映画か……ひどいな……共和党か」
「最初の5秒で……すごく……嫌な予感がします……」
フィルムが回りだしてから間もなく、俺たちの口からうんざりした声が漏れる。
だが……そのうんざり濃度を、たったひとりで超えたベルナルドの声が、
「そう、ジュリオ。こいつは、政府の――正確には、選挙対策で作られた公共施設向けのイベント用映画さ。ハイスクールを卒業した青少年に見せる……予定だった」
「あー。選挙権か。……しっかし……」
スクリーンに映っていたのは……カラーのセル画とアニメーションを使った、どぎつい色のタイトル画面と、制作スタジオのロゴ(コレが長い)、そして再びタイトル画面。
「自由で正しい明るい選挙。僕たち合衆国市民――」
「要は……18歳になった、清く正しい学生さんたちにこの映画を見せて、選挙に行けと、そういうわけか……共和党も大統領選で負けてやけになってるのか」
「問題はこの先だ……」
ベルナルドが自分の席について、両の肘をついて手を組み、そこに顔をうずめた。
「問題、って。雰囲気的にミュージカルで…………なにィ!?」
「マンガかよ、これ!?」
「……アニメーション、だ。……あの、ジャンさん、これ……」
「……ああ。パチもんだな……。うわ、背景なんだこれ、急に荒くなったぞ?」
「まさか、この動物?が踊ってる後ろの絵……クレヨンか?」
「……これでは子供の絵ですね……」
スクリーンに映されていたのは……見ていると不安になってくるようなシロモノだった。
ディズニーのアレとかコレを思わせる珍妙な生き物たちが、ラインダンスのように並んで踊って、そこに音楽が乗っているのだが……。
「いやあ、ディズニーとかコプリーのスタジオはやっぱ上手いわ。なんだこれ、動きがガタガタじゃねえか。なんか怖いわ、あ。いま、なんか絵が変わった??」
「撮影の時にセルを間違えてそのままにしているようだな……」
「うお?? おいおいおい、急に白黒映画になっちまったぞ??」
「動画が動かなくなりましたね……」
「――ベルナルド、これは一体……?」
「…………本来は、歴史的なフルカラーの予定、だった。世界に先駆けて、な」
「……予算がなくなったのか?」
「…………予算は潤沢だった、なんせ、税金だからな。青少年に、選挙の重要性と合衆国市民としての名誉と義務を啓蒙するためなら、じゅ……5……万……ドルくらい……」
「おいおい、今不穏な金額が聞こえたぞ」
「うわ、急に画面が……うーわー。映画じゃなくなったぞ、これ、ボードに書かれた絵を写してるだけじゃね? なんか、セリフが棒読みで怖いんですけど」
「……合衆国市民も災難だな、こんな気色の悪い生き物に擬人化されるとは」
「……学生は、これを見て選挙に行こう、と思うのでしょうか……?」
「……というか、18歳のボウヤたちでもこれ見せられたら怒るんじゃねえか?」
「……孤児院のガキどもに見せてもブーイングもんだぞ、これ」
ため息をつくベルナルド以外の口が、容赦のない正直な感想を吐き、めしを食って――
そして、
「あれ? オワタ?」
「……なんか、象みたいなやつが、とっても大事なことなんだ、って言ったら終わったぞ」
「……完成していないのか?」
「おいおい、これ、尺が2分ねえんじゃねえの?」
スクリーンには、ライトの白い光だけがカラカラと踊っていた。
俺は、うつむいているベルナルドの前にパスタの皿を押してやり……そして、カポである俺は、ここにいる全員のハラの中を代弁して――ベルナルドに、言った。
「それで。なんで俺たちにこんなモノ見せたわけだね、幹部筆頭」
「……マズイことになってるのは、分かってもらえたかと思う」
「まさか――このクソみたいなフィルムに、うちが関わってたのか!?」
「……残念ながら、そういう事だ」
ベルナルドは、スプーンに手を伸ばしかけ……その手を引っ込めて、頭を抱えた。
「まさか、うちの――DSPがこれ作ったんじゃねえのか、おい?」
「失敬な。俺が制作だったらこんな惨劇にするもんか。……さっきも話したが――」
DSP――デイバン・シェイディング・ピクチャーズ。CR:5がここに本部を建てた際に、建物そして資金の流れを隠蔽するために設立した、赤字経営専用の映画会社だった。
「この映画、と呼ぶのもおこがましい、こいつはな……」
ベルナルドは席を立ち、映写機のライトを消してモーターを止める。しん、とした部屋の中に、空気に、フィルムの温まったときの、独特の生臭さが漂っていた。
「こいつの制作を進めたのは、共和党のある大先生と、そいつが税金を流し込むために使っている合同セクターの法人だ。次の選挙に勝つための啓蒙映画だからな、予算はほぼ無尽蔵――当然のように、ハゲタカとウジ虫が山ほどたかってきた」
「……ウチも、そのウジ虫の一匹か」
「……残念ながら。と言っても、俺たちが――DSPが表向きに制作に関わったわけじゃない。うちは、現像と編集を一部、引き受けただけなんだが……」
「が?」
「1年の歳月と、とんでもない金額の予算を使って……できたのが、いまの1分42秒だ」
「出来てねえじゃん」
「そうなんだ……。まずい、実にまずい」
ベルナルドは再び席に戻り……冷めてしまったパスタをもそもそ食べながら、胃の痛くなりそうな現場を話しだした。
*
「――つまり。この啓蒙映画の制作は、途中でいろんなところが予算を抜いて合法的にかっぱらって、制作スタジオは手を抜きまくって……完成しなかった、と」
「おまけに、スタジオは製作中に不渡りだしてドボンか。追い込みはかけたのか?」
「……あの世に追い込みがかけられるならやってたさ。フェニックスウィングの監督は、酒のんで車で夜逃げしようとして、急行列車の下敷きになってね。しかも……」
「ワーオ。じゃあ、責任問題になったら……」
「そういうことだ。制作に関わった会社全部に、おっかぶさせられる。しかも、発注元の上院議員様のメンツに関わるからな――どこに予算が消えたかじゃなくて、なんで作品ができなかったか、を糾弾される」
「……ファック、なんでそんなクソ面倒な仕事受けてんだよ、この眼鏡もやし」
「……DSPは、最近、捜査局に目をつけられていてね。“お綺麗な教育映画も作っています”って看板があればと……うかつだった」
「――ベルナルド、あんた個人のミスだな」
「…………そういう事だ。……途中で製作を確認するべきだった」
「まあまあ。ところで――こいつの納入はいつの予定だったんだ?」
ベルナルドは、黙って右手の指を三本、立てた。
「ワオワオワオ。……1ヶ月ねえじゃねえか、どうすんだよ……?」
「……予定では22分の作品だ。そのフィルムが、3月1日までにないと、まずい。せっかく国税局に噛み付かれないように仕組んでた偽装も申告も、全部無駄になりかねないんだ。間違いなく、予算を着服した容疑で、ガサ入れを食らう」
「おいおい、脱税どころか、こんなクソマンガのせいで逮捕されたりしたらよう……! ヤクザもんの中で恥さらしじゃすまねえぞ」
「……そうなんだ……。ということで、自体の深刻さを理解して頂けただろうか」
なんだかんだで、パスタを完食したベルナルドが俺にウィンクして弱々しく笑う。
「……これは、完全に俺のミスだ。……だから――提案や、計画、命令ではなく……。ジャン、おまえたちに……頼む。この愚かで哀れな男を助けてくれないか」
「助けるって……いったい?」
「つーかよ、その、22分のフィルムがねえとうちがガサ入れくらうんだろうが?」
「その時点で、ベルナルド。もうお前だけの問題じゃないぞ」
暗闇の中、俺たちがざわめく中――ジュリオが、低く、静かに言った。
「――映画を完成させる気か?」
俺が、え??と――暗いオレンジ色の照明の下、ジュリオを、ベルナルドを、そして映写機を見ると、
「……そういう事だ。頼む、ルキーノ、ジュリオ、イヴァン。お前たちも協力してくれないか? ジャン、頼む……」
部屋の照明を点けて、ベルナルドが言った。
「完成って……おいおい。俺、マンガっていうかあんな絵なんて書いたことねえぞ」
「DSPのアニメーターはいま手一杯だろ? どうする気だ?」
「……アニメーションにはしない。というか、ゼロから作り直す。そのほうが早い」
「はあ? つくり直すって……」
ベルナルドは、銀幕の前を歩き……生きつ戻りつしながら、話す。
「さっき話したが、監督はミンチになって消えた。そして――スタジオは、先日火災を起こしてね。制作資料ごと、燃やしておいたよ」
「おいた、か。……クソ、このこっぱげ。しょっぱなから、俺たちを巻き込む気まんまんだったんじゃねえかよ」
「……それに関しては謝る。すまない。――スタジオの火災で、用意されていた台本もコンテも灰になった。つまり……」
「作品を差し替える気か」
「そういうことだ。スタジオはアニメーターを抱えず、外注に動画を書かせて仕上げをしていた。途中で予算が無くなって、監督が自分で書いたボードを撮影してたわけだ。予算を中抜きしていた連中は、作品の内容にも進行にもまったく興味がない――つまり、この出来そこないフィルムを見たのはおそらく、俺たちだけだ」
「……ひどい税金のドブ行きもあったもんだな」
「知らなかったのか、ジャン。民主主義は税金をドブに捨てるのが上手いヤツを選挙で選ぶシステムだぞ?」
「そうなのかね。じゃあ共産主義は税金払うとドブ掃除をする権利でももらえるのか」
「共産主義には税金はないけどね。そのかわり給料を全部、国に巻き上げられる」
「――それで。どうする気だ、ベルナルド」
「閑話休題。……みんなに協力をしてもらいたいところが、それだ」
ベルナルドは、映写機を載せてあった台から、何かのファイルのようなものを取り出して、俺たちの前に一部づつ置いていった。
「なんだ、こりゃ。……天国への階段……? 正しい市民たちへの手紙?」
「まさか、台本か、これ」
「ああ。その上院議員の大先生は、めずらしくもガチのカトリックだ。選挙の啓蒙は、冒頭の書き文字とナレーションで済ませて、本編を宗教的ないい話にしておけば……。おそらく、それで気が済んで――フィルムを受領するはずだ。もしかすると自分では中身すら見ないかもね」
俺は、その薄っぺらい台本をパラパラと……見……。
「をい。これ、あんたの、ベルナルドの字じゃねーか。自家製台本かよ」
「ああ、一晩でやったにしては、けっこう自信が――」
「待て待て待て。なんで、俺たちにこれを見せる? フィルムをでっち上げるんだったら、役者を呼んで普通に――」
ルキーノがそこまで言って、ハッと、ベルナルドの思惑に気づいて嫌そうな顔になった。
「――映画を差し替えた、でっち上げを『うち』がやったと、知られるのはまずいわけだ」
「そういうことだ。うちが、DSPは、生フィルムを受領し、それを現像、指示通りに編集して……22分の教育的でありがたいフィルムを仕上げる――そうしたい」
「つまり……」
俺は、不精したヒゲがぽわぽわしているアゴを撫でながら、台本を見……言った。
「俺たちだけで、撮るしかないワケかね、オルトラーニ監督サン?」
「そのとおり、主演男優、デルモンテ君」
「ワーオ。やっぱりな」
「ハァ!? んなもん、部下でも使えよ! まさか俺たちに役者させる気かよ!?」
「……言っただろ、うちが撮影したと、でっちあげたと知られるのはまずいんだ。部下を、兵隊を使うと漏れる危険があるからな」
「んなもん、ベルナルド、お前の責任だろ!? なんで俺たちがカメラの前でバカ晒ししねえと――」
「口の堅い部下は俺の方で用意する、というか……ベルナルド、考え直せ」
イヴァンとルキーノが、台本をベルナルドに突き返そうとしている中……。
俺は――
たぶん、しばらく寝てなかったせいだと思う。
そして、さっきのヘロヘロなフィルムを見て、乾いた笑いで脳がヒヨっていたせい。
つまり、冷静な判断ができない……というよりは、何でもコイのヤケクソ状態。
だから、俺は――
「なるほどな……」
俺は席を立って、歩き……両手の指で、カメラの四角いフレーム枠を作って、この場にいる四人の部下たちをぐるり、撮影し……指で、カチンコを打つ。
「俺たち全員が出演して、映画をでっち上げれば――秘密は漏れないわな、そりゃ。こんなハズカチーこと、人にはいえねーもんな。マフィアの幹部様が、な」
「なるほど……全員が出演していれば……全員の、問題です、ね」
「そういうこと。さすがだジュリオ――というワケだ。諸君。俺は乗る。キミたちは?」
「なんてこった、ファック……。ポルノ写真で脅される女優の気分だ、クソ」
「……ファンクーロ。もちろん、メイクをガッチリして、顔は隠すんだろうな?」
「当然だ。撮影の時に少し露光気味にして顔はぼかす。天使たちの物語だからな、少々、明るすぎるくらいがちょうどいいんだ」
そのベルナルドの言語に、幹部たちは台本を開き――ジュリオはいつも通りの顔で、そしてイヴァンとルキーノはそこに野郎の尻でも貼ってあるような目で、それを見る。
俺も、赤鉛筆でマークと指示が書かれている台本を見……。
「ハナシは4つか。俺が、この天使、なのけ? なんつーバチあたり」
「――天使、か。主演がジャンさん、なのはいいが……残りを、俺たちが?」
「ああ、悪いがもう配役は決めさせてもらった。各自の台本に、赤い印がつけてある。それを……来週の月曜までに読んで、頭に叩き込んでおいてくれ」
「クソッタレ……このクソ忙しいのに! おいベルナルド、こいつは高く付けとけよ!」
「もちろん。俺のミスをみんなに助けてもらうわけだからな――俺のポケットマネーは、向こう1ヶ月、諸君たちのために解放させてもらうよ」
「聞いたぞ。バレンタイン明けの1週間は、例のスパで豪遊させてもらうからな?」
「スパだけじゃたりねえぞ。休暇よこせ、休暇!」
「ふーん」
俺が鼻を鳴らすと……部下たちの、幹部たち全員の目が、俺を見る。
「な、なんだよ、ジャン?」
「いやね。おまいら、もっと嫌がると思ったら――けっこう乗り気じゃん、と思ってさ」
「な、な……! ば、バッカ! んな、俺は。仕方ねえから、よ……」
「そ、そうだな、ここでDSPに査察を喰らうと……それに、部下たちのことは信用しているが――沈黙の掟に期待しすぎるのは、愚か者のすることだから、な。完全に秘密を守るためには、俺たちだけでするしか無いだろ」
「――饒舌だな、ルキーノ」
「な……!! お前だって、ノリ気……」
「まあマア。……まあ、アレだ。全員、お疲れの上に寝てねーからだな。アタマがきっちり動いてねーから、こんなアホなハナシに乗っちまうわけだ。もちろん俺も」
「……バカばかしい話なことは重々承知さ。――だからこうして頼んでる、すまない……」
「ハハ、言っただろベルナルド? 俺は乗ったぜ?」
俺が指を鳴らして、その指を幹部たちに向けると――ルキーノも、イヴァンも、そしてジュリオも、ベルナルドも――これから、敵地に乗り込むかのような顔で、頷いた。
「オーケイ。……ハハハ、寝不足の時に無理難題をふっかける、か。この手はいいな。今度俺も使おう。――じゃあ、そろそろ時間だ。解散して、各自、仕事に戻ろうぜ」
おう、ああ、はい、と野郎どもは俺に応え、席を立った。
*
撮影は、月曜日の深夜に決行された。
場所は、本部の敷地にある一番小さなスタジオ、第6。部下たちへの名目上は、そこで、防音施設でもあるそのスタジオで、カポである俺立ち会いのもと、新しいコルト社のピストルを試射する……という事になっていた。
部下たちには別の仕事を押し付け――俺たちが揃ったのは、深夜の11時。
「――2時間で終わらせよう。各自、台本は読んできてくれたか?」
「おう。てか、あの本だとセリフ別撮りだよな。アクションだけ覚えてればいいんだろ」
「ああ。それでも、音声とズレが出ないように台本通りのセリフを言いながら演技してくれないか。長尺や掛け合いは無いようにしたから、なんとかなるはずだ」
「オーケイ。セットはもう作ってあるのか、ベルナルド?」
「前に、別の撮影で使ったヤツをそのまま残しておいたんだ。それを流用できる台本にするのが大変だったよ――シーンは4つ、まず俺の出るカットから撮影する。そのあと、ルキーノ、イヴァン、ジュリオの順番で撮ろう」
「……俺が最後なのは、衣装を汚すからか」
ベルナルドは頷いて……。
「そうだ。ジュリオは自分の撮影まで、クラッパーボードを頼む」
俺たちを連れて、第6スタジオの奥へと進む。
大光量の白熱灯が照らすスタジオには、雑多な撮影機材や、寸劇に使うような小さいステージセットが無造作に置き捨てられていた。
ベルナルドは、腕時計を見て――そして、指で空気をたたきながら何かを計算。
「カメラをセットしてくる。ジャン、台本を読んでおいてくれ」
「おう。衣装は、と……」
「それよりジャン、コーヒーを一杯、この哀れな赤毛にめぐんでくれないか。クソッ、眠すぎて頭が痛い」
「俺にも頼むぜ、ジャン……てか、なんかメシの匂いがするんだが。まさか夜食があるのか? 先に食わせろよ」
「いや。イヴァンの撮影で食卓がいるっていうんで、いくつかこさえておいたんだわ。撮影が終わったら食っていいぜ」
俺は、でかいバスケットの中に入れておいたコーヒーポットから、全員分のカップに最初から砂糖とミルクマシマシの熱いコーヒーを注いで配る。
「グラツィエ。……しかし……衣装、なんだこりゃあ……?」
コーヒーを舐めたルキーノが、彼の名前がプレートに書かれた衣装箱の中をうんざりした目で見る。
「なんかの撮影で使ったヤツだろ。見覚えがあるわ」
「クソッ、あのこっぱげ……! 覚えてろ、打ち上げの宴会で給料全部使ってやる!」
「……俺のこの衣装……ジャンさんのと、同じですね」
「ああ、それはジュリオ主役のシーンのヤツだな」
俺たちが、パイプ椅子や、空き缶やら木箱やら衣装箱やら、バラバラに腰をかけて背を丸めているそこに、実に重そうな三脚とカメラを担いだベルナルドが戻る。
「ふう……。そろそろ始めようか」
おう、と返した俺たちは――ベルナルドの格好を、さっそく最初の撮影用に着替えていた彼の衣装を二度見し、
「なんだそりゃ、ベルナルド!? ぶ、はは! 仮装パーティーかよ?」
「笑うなよジャン。せっかく、この哀れな俺が自分から汚れ役を引き受けてるんだぜ」
ベルナルドは……。
その長身を、たぶん元は古い暗幕かなんかだったらしきボロボロのローブを着、髪は街角で煙草売ってるおばさんよろしく頭巾で包み……そこからはみ出させた髪には、シッカロールかなんかを叩きつけられ、白髪?っぽくしてあった。
その変装で、顔だけはそのまま――眼鏡ものそのまま。
……きっと慢性的な睡眠不足もあったのだろう。俺は、笑いのハードルが低いアタマで、
「ハハハ、なん、っつーか。なんの役だよ、それ。魔女の婆さんか?」
「マクベスでもやるのか、ベルナルド。俺は、お前の姉妹役なんぞはまっぴらだぞ」
俺たちに笑われたベルナルドは、むっとしながらも台本を叩き――
「さては台本読んできてないな、おまえたち。……これは、第1話の、放蕩息子を案じる老婆と天使の物語――俺がその老婆、天使がジャンだ」
「い、いや、読んでたけどさあ」
俺は……台本を内容を思い出し……だが、目の前のベルナルドを見て、どうしても……。
「ごめん、似合ってねえええ。てか、眼鏡はいいのか?」
「まったくだ。お前のようなデカいババアがいるか」
俺とルキーノにまた笑われ、ベルナルドはセットの脇の鏡を覗き込む。
「眼鏡は仕方ない。カメラのセットが終わって、本番の時には外すさ」
ベルナルドは、あのボロボロのローブ、その下の腕にも律儀に付けているいつもの腕時計を見、少し不機嫌そうな声で言った。
「もう時間がない。ジャン、最初の撮影は巻くぞ。急いで着替えてくれ」
「うェーい。……ったく、ヤクザの親分が天使とか、ひどいコメディもあったもんだ」
俺は、上着替わりに着ていたセーターを脱ぎ捨て――それを、衣装箱の脇の椅子に。
「うおー、寒っ。ヒーター用意してくりゃよかったよなァ」
「………………」
「……寒そうなカッコしやがって。風邪ひくぞこのタコ」
「ん? 何見てんだよう。カネとるぞ」
「アホこけ、だれが……」
服を脱ぎだした俺の周囲で、コーヒーを舐めたり、禁煙のおかげで火の付けられない煙草を弄んでいた野郎どもが――なんだか、気まずそうだったり、慌てたりした様子でブツブツと……。そして、動き出す。
ルキーノはひとりで衣装棚を占領して、スーツをもさもさ脱ぎ……。
イヴァンは、ぶつくさつぶやきながら、カゴの中に服を一枚づつ……。
ジュリオは、俺が脱いだ上着やセーターを片付けてくれながら、自分ものそのそと……。
――そして……。
セーターの下に着ていたシャツのボタンを外し、ズボンを脱ごうとした俺は……ふと、
「ん、ベルナルド? カメラ、ソレ、回ってね?」
「えっ? あ、ああ。倉庫にあった、少し古いフィルムを入れてきたんでね。たぶん、頭のほうのフィルムは焼けが入ってしまっているだろうから、こうやって回してリールをなじませてるのさ。まあ、あとで別のシーンで使えるかもしれないしね」
眼鏡をかけた老婆ベルナルドが、なんだか今日は饒舌に聞かれていないことまで話す。
俺の横で……ブツブツ言いながら服のボタンを外していたルキーノとイヴァン、そして少し遅れてもたついていたジュリオが、!?という目でベルナルドを、俺を見た。
「おいおい、やめてくれよ! なんで俺たちのヌード撮ってんだ。止めとけよ」
「ここコッパゲ、汚えぞ。おめえだけ先に着替えやがって!」
「……あ、あの、すみません、ジャンさん、ここを……解いてくれませんか……」
「おう。――まあまあ諸君、こういう恥はかき捨て、お互い様さあね。……っと」
ジュリオの私服、ブランド物のスラックスを締めていた紐を解いてやったのと同時に、俺のズボンが緩めたベルトと一緒にストンと落ちたのに気づき、
「おーい、ベルナルド、今の撮れたか? 古典的ギャグ1カット上がりだ」
「えっと……どうかな。ファインダー覗いてなかったんで、カメラがどっち向いてたかがわからないからね、これだと」
「……ああ、ばかくせええ! お、おめえのケツなんぞ、誰も喜ばねえよボケ!」
「じゃあイヴァンのケツでも映すか。……って、ちょ。おま。なに、その星柄のパンツ」
「い……! いいじゃねえか! だああ、うぜえ! 見んな、引っ張んな!」
「イヴァン、お前も一端の幹部なんだ。パンツもいいもの履いておけよ、まったく。レディの前で脱ぐときに恥をかくぜ?」
「――脱いでも恥ずかしかったりすることがあるらしいですね、ジャンさん」
「な、なな……な!!?? てめ、この……! ケンカ売ってんのか、あああ!?」
ジュリオの、容赦のない一閃に――イヴァンがひっくり返したヤカンのようになった。
…………全員、眠ってない上に疲れが溜まって、プラス、この非日常的な映画撮影のせいで、あきらかにテンションがおかしかった。
俺は、上半身裸のジュリオに噛み付きそうな、パンツいっちょ男の肩に手を。
「だ〜〜! うるせえ! やめやめ! てかおまいら、さっさとパンツ、ぬげ」
「はああ!? な!? なんでだよ!?」
「下着まで脱ぐような役だったか、このシーンの俺たちは?」
「――……煉獄で苦しむ罪人、でしたね。わかり、ました。……ジャンさん」
慌てて……そして、ピシッとしたいい靴と靴下の上には、ずり落ちたズボンとパンツをのぞかせた……いつもは男も見惚れるほどのいい男の幹部たちは――イヴァンとルキーノは、ジュリオが指さした台本の配役を、深い井戸でも観るような目で見た。
「……つまり、腰布いっちょ、か」
「そういうこと。諸君。パンツの上に腰布はないわー。ガラパンみえたら失笑モンだわー」
「く……このやろう……」
「ファンクーロ、いっくら最近遊んでないからって、お前らの男の前で脱ぐとはなあ……」
「じゃあ、俺、むこうで着替えを……」
俺は、プールを前にしたボーイスカウトどもの前で肩をすくめ、首を鳴らし、
「ったく、なにキョドキョドしてんだ? サウナの時はいつも丸出しじゃねーかタコ。つーか、ムショのシャワールームじゃズラリ並べて品評会だったろーが。それを。……しゃあねえ。カポの俺が、男の脱ぎざま見せてやらあ」
「あ……な、な」
誰かが、何か言おうとしていたが――俺は、紐を緩めた靴をポンポンと脱ぎ捨て、ズボンを、そして何日か履き替えていなかったパンツを下ろして――蹴飛ばす。
「お。おいおい……カメラの前で、おまえ……少しは加減しろバカ」
「どうせ編集すんだろ、ベルナルド」
「……わ、わかったよ、脱ぎゃいいん、だろ……が」
「………………」
「そーゆーこった。時間ねえ。――ベルナルド、俺の衣装プリーズ」
「…………。あ、ああ。イエス、マイロード。こちらを。心の美しいものには見えない衣でございます」
「ウム。この品行方正なはずのチンには衣が見えておるが、コレはどういうコトじゃ?」
「我が君が猥雑物陳列でパクられないようにと――」
ウム、と俺は答え――ベルナルドから受け取った、真っ白なシルクのドレスを――おそらく、元はローマかなんかが舞台の撮影で、貴婦人のドレスに使ったヤツらしい貫頭衣をバンザイしながら腕、そして頭から着こむ。
「うお、引っかかった。これなんだ、背中に紐があるのか」
「あ……ああ。すまない、ちょっと引っ張る」
ベルナルドが背後でドレスを引っ張って、すとん、とシルクの薄布は俺の肩に。
鏡に写してみた俺の背中は、紐が緩んで、ケツのえくぼが見えそうなぐらいゆるゆるだった。俺はそこに手を突っ込んで、、こんがらがった紐で締め……。
「ベルトは……ああ、これ紐帯か。靴はサンダルか?」
「ああ。たぶんそこまで映らない、これを履いておいてくれ」
「オーケイ……って。これ、トイレのサンダルじゃねーか。天使の世界も倹約か」
俺は、ものすごく見覚えのあるゴムのサンダルを履き……そして、メイク台の方へ。
その俺の背後で、
「……なるほど、天使か。……金髪なだけあって、ソレっぽく……いや、見えないな」
「ハハハ、おめーが天使だったら俺はマリア様の役やれらあ。……くそ……」
「……本物みたいです、ジャンさん。……すみません、本物、見たことないです……」
「イナフ、俺だって見たことねー。……って、おまいら。なにしてん?ン?」
鏡を覗きこんでいた俺は……。
ふと、俺のツラの背後に映っていた野郎ども3人の姿を見て、??なツラで振り返る。
「なにやってんだよ。まあ、着られればいいけどさ」
ルキーノも、イヴァンも、ジュリオも――俺に背を向けるようにして、唯一の衣装である腰布を腰に、股間に巻いて……なぜか、パンツを履いたまま、その上に腰布を巻いて、パンツの生地を無理やり腰布の下に押し込んでいた。
「脱ぎゃいいのに。それだとちんこ痛えだろ」
「……俺は、その……平気です」
「い、いや……まあな。撮影中、うっかりはみ出すとまずいからな……」
「こっちはいいんだよ、こっちは! おめーの支度はすんだのかよ?」
屈強な体格の野郎どもが三人――古代の奴隷のような哀れな姿になって……そして、暖房が入っていないセットの空気の中で背を丸くしていた。
「おう。俺はもう――っと。ベルナルド、メイクはどうすんだ?」
「ああ、そうだな……。少しだけポマードで、髪をカールっぽく……ああ、それは俺がやる。ジャンはその間、顔にドーランとシャドウを」
「うに。……って、顔映さないんじゃねえの?」
「ああ、ハレーション気味に飛ばすが……目鼻立ちくらいはわかるように、少し強めのメイクをしてくれないか?」
俺は、メイク台に腰掛け、背後と髪をベルナルドに任せながら、
「あいよ。……ってメイクちょーひさしぶり。前はなんだ、ジャングルモノのエキストラやったときか?」
「……おい、ジャン、おまえ……DSPの映画にでてたのかよ?」
「――ベルナルド、何をさせて……」
「あ〜。そんな大層なもんじゃねえ。後ろのほうでウホウホいってただけよ。あとは、火星人の神官でキイキイわめいたりとか」
「ベルナルド、なぜジャンさんにそんな……」
「撮影の時に手が足りなくてたまたまさ――それよりジュリオ、小道具の翼を、ここに」
まだ何か言いたそうなジュリオは、それでも天使の翼を運んでくる。
……ハトか何かの羽が植えつけられたそれは……翼、というより車のホコリを払うブラシにしか見えないシロモノだった。
それを肩に背負い、紐で縛っているうちに鏡の中の俺が変身してゆく。
「まあ、パチもん天使にはお似合いの翼やね。……ン、髪サンキュ、ベルナルド。……って、巻き毛ってこうやって作るのか。しらんかった」
「最近、ジャンが散髪に行くヒマもなかったおかげさ。ベルトを付けるよ」
俺はメイクを続けながら……少し強めの青いシャドウを目の端に、寝不足で荒れていたツラに淡いピンクのドーランを、そして細めに紅をさす。前にやったアマゾンの土人に比べると超らくちんだ。
その俺の背後で、ベルナルドがベルトで翼を固定する。
「よし、と。少し立って、具合を確認してくれ」
あいよ、と――
俺はメイク台から立ち、凍えて寄る辺なき半裸の部下たちを振り返る。
そして、数歩。ゴムサンダルでぺたぺたと。
「どうよ、諸君」
俺の言葉に……俺を見ていた野郎どもが、少しハッとしたように目をそらす。
「……ん、まあ。いいんじゃないか、な……」
「…………ヘ、ヘンタイじゃないんだからよ、そういうのはあんまり……」
「……綺麗です、ジャンさん」
「どうもこうも。……カポのお前に女装させたなんて知られたら顧問に殺されるぜ」
俺は、頭の上に輪っかを出し(本当に出たかどうかは知らん)小首をかしげ、手を合わせた天使のポーズで、
「女装じゃなくて天使だっていってんだろこのタコ」
「……やくざの親分が天使とか。……ま、まあいい、はじめようぜ」
「…………ジャンさん。やっぱり、そうでしたか――」
「なーにが?」
俺は鼻歌を歌って歩き……ぼけっとしている野郎どもの前で、セットされた髪を崩さないようにその巻き毛を両手でかきあげ、歩き……石油缶の上に、衣の裾を割って出した片足を乗せ、そこに落ちていた廃電線で、ゴムサンダルをギリシャのそれのように編み上げる。
そして……その足と腿を撫で上げて――部下を見、ニッと。
「な、なんだよ……?」
俺は、間抜けな部下たちの前で、衣の裾を割ったまま、ふわり両手を広げ……。
「――この中に天使を見て勃起したものがいたらちんちん出しなさい。罰を与えます」
「……あ、ああ、あほかあああ!!!」
「……まさか、ジャン、おまえにそっちの才能があったとはな……たしかにイケてるぞ」
「……あの、罰って……どんな……?」
「ちんちん切断の上、銀行通りに名札付けて晒します」
俺が合掌し、微笑むと――
背後で笑っていたベルナルドが、パンパンと手を打ち、皆に言った。
「――それはひどい。さて、始めるぞ。ジャン、向こうのライトの下に入ってくれ。光量の調整をする。あと……ジュリオ、クラッパーボードを」
「……わ、わかった。指示はもう書きこんであるな?」
「もちろん。よし――」
光量計を持ったベルナルドが、セットになっている場所を、俺の前を何度か行き来し、そして大きく頷いて手を振った。
「おっしゃ。はじめ……っか――――」
俺は、眩しいライトの下に入って、そこで目をしかめ…………。
真っ白い闇。目が痛いほど眩しい。その中で…………。
――なんだろう。――この……ハイで、バカバカしくて、後戻りナシの、この……。
――自分の人生を、いや、世界全部をコインの裏表に賭けて跳ね上げたような……。
――スリル……? とも違う、この高揚感……。どこかで……。
「――どうした、ジャン?」
「あ……。い、いや、なんでも。ねえ。初めての主役でブルっただけだ」
「オーケイ。最初のカットを始めるぞ。各自、用意はいいな?」
「……用意もクソも、俺たちセリフなくてもがくだけじゃねえか」
「ふう……。始めてくれ、俺が息子の役だったな」
「……イヴァンの役と、最後までつかみ合いすればいいのですね」
「――そうだ。じゃあ、俺がセットに入ったらジュリオ、クラッパーボードを打って、そこから煉獄のセットに入ってくれ。もう1カット目のカメラは回してある」
「おっしゃ! やっかあ〜。……うおおお、なんかテンション上がってきたあ!」
俺たちがバラバラうごきだすと――
カチカチとカメラのモーター、リールが動き、眩しいライトが閃光じみて照らす中で、
「レディ!?」
「ロール!!」
PROD.TITLE : Undecided Angel story
SCENE. 02|TAKE. 1|NO. 1
DIRECTOR./CAMERA. Ortolani
DATE.10 Feb 34|MOS
DAY NIGHT DAWN
INT. EXT.
――Action!!
*
――ある日のことでございます。
天使ミカエルは、地上で務めと生を終えて天へ昇って来たひとりの善良な老婆を連れ、天国の門へ向かっておりました。
ところが、その老女は天国に行けるというのに、ひどく悲しみ嘆いておりました。
天使ミカエルがそのわけをお尋ねになりますと、老女は、
「実はわたしの息子のことなのでございます。私の息子は、親の私が言うのもはばかられるような放蕩者の悪人で、その報いを受けて今は地獄で苦しんでおります」
「そりゃ奥さん、仕方ないよクズだもん。まあお母さんも悪いよ? ガチャン」
「…………カット!」
「そんな油っこい親父声のコメンテーターみたいな天使がいるかよボケ」
「ベルナルド、笑うなよ」
「……ジャン、いっくら音声は後撮りとは言ってもあまり関係の無いことは……」
「わかった、すまねえ。じゃあ……」
「――ジュリオ、テイク02」
「たとえ私が天国に行けましても、息子が地獄で苦しんでいては私の心も引き裂かれそうです。あんな悪党でもあの子は息子、お願いです大天使様。この私が代わりに地獄に落ちても構いません、どうかあの子をお救いくださいませ」
天使ミカエルは、老女の願いを聞き入れ、地獄に落ちた放蕩息子に救いの手を差し伸べます。天使ミカエルは、ご自分の羽を一枚、そこに髪を編んだ紐を結わえて、その救いの糸をするすると、雲の隙間から地上へと、そして死の影の谷へ、地獄へとお降ろしになりました。
地獄で苦しんでいた放蕩息子は、自分の上に垂れてきた輝く羽が、母親の愛によるものだとはつゆ知らぬまま、ああ助かった!とばかりに羽にしがみつきました。天使の髪が結えられた羽は、ふわり浮き上がって放蕩息子を地獄の底から浮かび上がらせます。
「……フハハ。その紐は40過ぎた童貞の陰毛を撚りあわせた忌まわしき清純の結索。切れまい、えんがチョだからな。燃やせまい、臭いだろうからな――」
「……カット!!」
「……ジャン、セリフはいいから。それとイヴァン、笑うな」
「うっせ、おまえだって笑ってただろうが!」
「……すまんすまん。まじめにやるわ」
「たのむよ……。紐のくだりはナシだ、羽だけでいこう。――テイク03、ロール。……アクション!」
放蕩息子は、やっと地獄から抜け出せる、と叫び歓喜したい心持ちでしたが……ふと、彼は気づいてしまいました。彼がすがっている天使の羽には、他にも何人も、彼と同じような地獄の罪人がしがみついているではありませんか。
こんな小さな羽、彼一人でも危ういのにと――放蕩息子は怒鳴り、拳を振り上げ、ほかの罪人たちを羽から振り落とそうとします。
「貴様ら、手を離せ! おりろ! これは俺の羽だ、お前たちのじゃない、俺の――」
ところが。それまでは鷹のごとく風を切って浮かび上がっていた天使の羽は、放蕩息子がその言葉を叫んだ途端に、すべての力を失い、そして砕け散ってしまったのです。
放蕩息子は、そして他の罪人も、地獄の奈落へと真っ逆さまに落ちていきました。
「おおお……なんということでしょう」
老女は顔を覆って嘆きます。天使ミカエルは、優しくその肩を抱きまして、
「地獄に堕ちるものは、その故あって堕ちているのです。たとえ救いがあったとしても、己の罪を理解出来ないうちは抜け出すことはかなわないのです」
優しく、光り輝く太陽とともにそうおっしゃいました。
天国にも、昼が近くなったのでございましょう。
………………。
「――カット。 ……オーケイ、ジャン。ちゃんとカメラを見ていってくれたな?」
「おうよ。ニッコリとガンつけしたぜ。イヴァン、ジュリオ、レスリングごくろー」
「……なあ、最後に地獄に堕ちるとき……ひっくり返っただけだが、いいのか?」
「ああ。あとでフイルムにスミを入れる。いい悪人顔だったぞ、ルキーノ」
「カーヴォロ。……次にかかろうぜ、もうコリゴリな気分だ……」
「次はルキーノが主役だ。予言者の衣装に着替えてくれ。ジャンはそのまま」
「――ベルナルド……今の話……いいのか?」
「何がだ、ジュリオ?」
「……ラーゲルレーヴじゃなかったか、あの天使の話は? ……聞き覚えがある……いいのか」
「細部は変えてある。陽の下に新しきものなし、エジプトの王だか神官も言ってたさ。さあ、次だ。主役はルキーノ、ジャンはクレーン吊りのサスペンダーを」
*
預言者は啓示を受け、唯一にして真なる神の教えを伝えるために世界各地をまわり、小さな村にも、そして無知蒙昧の王が支配する城邑にも出向いて、予言を伝え説教をいたしました。
彼がある城邑にたどり着き、そこで説教をした時です。その都市を支配していた邪智暴虐の王は信仰心のかけらもない野獣で、しかも町の人々もその王を恐れるあまりに神を信じようとはしない生き方をしておりました。
その街で預言者は捕らえられ、石で打たれ、罵倒され、辱めを受けて、半死半生の身で城壁の外に、灼けつく荒野へと放り出されてしまいました。
「おお、神よ……」
打たれ、息も絶え絶えになった予言者は、荒野で身を起こし――そして、見たのです。
「――――――」
「おお……!! おお、みしるしが……!!」
その汚れた都市の上空に、金色の雲と輝きが広がり――そこからは、彼に予言を与えた大天使の御姿が浮かび上がっておりました。
大天使の怒れるかんばせは、汚れた街を見、そしてその手には、片方の手には燃えさかる神の剣が、そしてもう片方の手には神の蜜が持たれ良い香りを放っておりました。
「……おお、大天使よ――」
「――――――」
「……カット!!」
「……ジャン、中指を立てないでくれ。バッチリ写っちゃったじゃないか」
「あー、やばい。すまねえ。つい」
「仕方がない、続きから。ジャンは、そのまま宙吊りで浮かんでてくれ」
「アイヨ」
「――テイク02 アクション!!」
こうして予言者は各地を回り、正しい教えを人々に伝えていったのでした。
予言者は、のちに弟子たちに語っています。
「あのとき――あの城邑の上空に大天使があらわれたあのとき。あの時こそが、我が信仰の心が一番に弱くなった時である。」
と…………。
「――カット。 ……オーケイ、ジャン。もう降ろしてやってくれ。ルキーノ、いい顔だったぞ、やはりこの役をお前にしたのは正解だった」
「うるせえファンクーロ。顔はちゃんと出ないんだろうが。……ああ、クソそうか」
「次のシーンも予言者役だ、ルキーノ。最初だけだから気楽にな」
「おい、イヴァン。早く着替えろって」
「……ああ、めんどくせえ。次は俺が主役かよ……天使、って。めんどくせえ衣装だな」
「――天使じゃない。天国に入った善良なサマリア人だ。……どっちにしても……」
「おい、てめえ、いま何言いかけたコノヤロウ」
「セットの支度があるからな、しっかり着替えておいてくれよイヴァン」
「おい、ベルナルド。料理の皿はテーブルに並べていいんだな?」
「たのむ。撮影が終わったら、そのままみんなで夜食にしよう」
「おうよ。そう思ってアツアツを用意して、大鍋を毛布でくるんできたぜ」
「最高だよハニー。では……用意ができたら言ってくれ、ジュリオ、クラッパーを」
*
預言者は天の国に迎え入れられました。そこは、最後の審判を前に、死者たちが集ってその時を待つ控えの間でした。
預言者は明るいその部屋を、白い雲とテーブルに並べられた料理を見回し、そして小首をかしげ、傍らの天使ミカエルに訪ねました。
「大天使様。これはどうしたことでしょう」
「どうしたのですか」
「ここは、たいそう明るく、清らかで、そして美味しそうな料理が並ぶ場所のようです。ここに、善良な人々が集まってその時を待つのはわかります。しかし……悔い改めず、そして悪をなして死んだ者たちも、同じこの場所なのですか? いったいこれは?」
予言者の言葉に、大天使ミカエルは静かに頷き、ある一角を指さしました。
そこでは罪人たちが……悔い改めず、罪を償わずに死んだ罪人たちが、飢えて食卓にむらがっておりました。ところが――食卓には、長さが1メートルはあろうというスプーンやフォークしかおいてなく、罪人たちはそれでは料理を口に運べないことに憤り、お互いを罵倒し、そして飢えたままで苦しみ嘆いておりました。
「なあ、これ。手でつかめばよくね?」
「――手で掴むと燃えてしまう、という設定がいりますね」
「……!! 童貞は関係ねえだろ童貞はよおぉぉおお!?」
「………………カット!!」
「いや、ごめん。罵り合え、って言われてたんで。そしたらイヴァンくんが、キレて」
「――先に言ったのはお前だぞ、イヴァン」
「う、うう、うっせえ!! 童貞はテメエだろうが! 俺はモテモテだと――」
「……時間がない、続き行こう。次のカットには、ジャンとイヴァンだけだ。――テイク05。 アクション!!」
「これはひどい」
たとえ美しい天の国で、美味しそうな食べ物があっても、それを食べることができない罪人たちは永久とも言える苦しみの中におりました。予言者はそこから目を背け、傍らの大天使に聞きました。
「では、心正しい人々はいったいどうすればいいのですか。別の食卓があるのですか」
いや――大天使は優しくほほ笑むと、食卓の方に予言者を連れてゆきました。
そこには、心正しいサマリア人が席についており、丁寧なお辞儀をします。
「見なさい」
大天使は、そのサマリア人の向かいの席につきますと、長い長いスプーンをとって、それでもって、サマリア人の前にあった煮込みをすくい、それをサマリア人の口元に――
「……ッ!! 熱!! ば、バカこれまだ熱!! 油が、汁が!! カブが熱!!」
「こうすれば、食べられます。そして、相手にも食べさせてもらうのです。わかりましたか。天国も地獄も、汝の心が創るものなのです――」
「だ、ふ、ぶあ! だあ!! このタコ、なにがキリッ!だ! 熱い、それ熱っち!! このやろ……! てめえもコレで口ヤケドしろ!!」
「うん。ありがとうサマリアのイヴァンくん。おいしいよ、このヴィシソワーズ」
「てめえええ! 自分の方には冷たいのおいてやがったのか、この……外道〜〜〜!!」
「――カット!! オーケイ、もらったよ。次行こう」
「……あれ? いまの、よかったの? けっこうイヴァン荒れてたけど」
「あれくらいなら音声カットすれば問題ないさ。……というか、時間とフィルムが不安だ。次はラストシーン。ジュリオとジャン、二人だ。ジュリオ、着替えを」
「おうよ。よっしゃ、ジュリオ、こいよ。着替えとメイク手伝ってやる」
「……す、すみません、ジャンさん……おれ、その、化粧とか……」
「おっちゃんに任せておけ、俺より美人ちゃんにしてやるからのう。ウフフ」
「おい、ジャン、わかってるな? お前もメイク変えてくれよ、死の天使だからな」
「あー、はいはい。キモイくらいやっとくよ」
「――………………」
「尻カッチンで最後を切る。スタートは俺のアクションで始めてくれ」
*
ある日のことでございます。天の国で散策をしておりました熾天使セラフィムのもとに、大天使であるミカエルが訪ねてきました。
「――どうしたのですか。光り輝く力、ミカエルよ」
「……セラフィム。私はしくじりました。死ぬことをお赦しください。死のお赦しをもらうために、私はここにやってきたのです」
「何を言っているのだ。金色の輝きよ、ミカエルよ。悪魔を打ち倒した天界の剣であるお前が死ぬなどとはありえない」
「ですがセラフィムよ、これをご覧ください」
そういったミカエルの胸には、雀の羽がついた小さな矢が刺さり、そこには赤い血がにじんでおりました。
「地上を見ているときに、子どもがたわむれに放ったおもちゃの矢に当たってしまいました。ごらんください。私の力は血になって流れ、顔は蝋のようになり、口から吐く息からは死の匂いがします。私はここで死ぬのです。どうか、おゆるしを」
「そんなことはありえない。だが、ありえないことが起こってしまったのだな――」
「………………カット」
「おい、ジュリオ。どうした、大丈夫か……?」
「なんだ、どっか苦しいのか? あれなら代役を――」
「……い、いえ、すみません……。少し…………もう、平気です…………」
「あと少しだ、頼むよジュリオ。このまま、一発撮りでいこう。 ……アクション!!」
「申し訳ありません。審判の時にあなたの力になれませんでした」
「それよりも、おまえが死んでしまうとは。悪魔どもを抑えるものがいなくなってしまう」
「私は人間の子供の弓で命を落としました。おそらく悪魔も、人間の手で殺せるようになったという啓示なのでしょう。そのみしるしが、この私の胸の血です」
ミカエルは、その美しいかんばせと金の髪を揺らし、熾天使セラフィムにおじぎをするとそのまま、神の座の方へ歩いて行ってしまいました。
「しかし――」
熾天使セラフィムはその背中を見送り、つぶやきました。
「――我々も死ぬと分かっていたら、はたしてサタンを相手にあれだけ戦えただろうか」
CLAP!!
「――カット!! オーケイだ、おつかれ、ジャン、ジュリオ!!」
*
あれから、三日がたった――あの乱痴気騒ぎの撮影から、三日。
「――オウ。ベルナルド、どうした電話で。……ああ、そっちも身動きまだ取れねえか。俺の方はお陰さまで一段落だ。今日が……もう14日か」
俺は、CR:5の二代目カポ、ジャンカルロは――鏡を見なくてもわかる、充血した目で机の上のカレンダーと、壁にかかった時計の針を、見る。
「てか、そろそろ日付は15日……。それで……――あ〜、ああ。できたんか、あれ」
電話の向こうで……。
『――ああ。現像と編集を……その、済ませ……たんだ。それで、話が、ある……』
……ベルナルドの、この世の苦悩をまとめてミキサーにかけたような声がしていた。
「……あんまりいい話じゃ無さそうだな」
『……最低の話さ。……ジャン、おまえと――あと、他のみんなに殺されても文句は言えないな……フ、ハハ……ははは……』
こりゃ重症だった。
「おいベルナルド、そのハナシってのは俺だけじゃないとまずいのか?」
『――いや……全員に、聞いてもらったほうが速い、かな……』
「だったら――」
俺は時計を見る。夜中の10時を少し過ぎたあたり……明日は、今日から届きだしたカードのチェック作業で忙しくなるが――それは郵便が動き出す朝9時以降だ。
「たしか、いま、全員本部にいたよな? オッシ。11時半。11時半から、この前と同じ会議室で会議を開こうぜ。そこで話を聞くよ」
『……ああ。すまない……』
「しょぼくれた声だすなヨゥ。俺っちのほうは少し時間がある。――バレンタインまで、がっつりオツカレちゃんだった諸君をねぎらう用意をしとくからな」
『……すまないな……。ジャン、本当にお前は……その……』
「褒めても今日は甘いもんしかでないぜ?」
電話を切った俺は――
「この時間か……クソ、24時間OKのコックは、カネかかるかなあ……」
――執務室に控えていた部下に、『秘密の』緊急幹部会議のことを伝え、翌朝までの休息と自由時間を与えておいた。
俺たちと同じように酷使されていた兵隊たちは、俺のその命令と、机の上を滑らせた10ドル札の束を受け取ると…………ばらばらと、仮眠室や、そしてタフな連中は街に繰り出すべく駐車場へと疾走していった。
*
「おお。これがウワサに聞くデジャビュか」
第5会議室――
数日前に、トンチンカンな未完成フイルムを見せられたことから始まった騒動は、これも何日か前に他人様には見せられないトンチキ騒ぎとともに――終わっていた。
照明のついた会議室には、あの時と同じように頼れる部下たちがズラリと円卓を囲み、なぜかいつもより憔悴しているベルナルド、たぶん寝ていない上に今日は遠出してきた気配のルキーノ。そして眠たい上に右手が腱鞘炎寸前のイヴァン、ジュリオだけは平常運転に見えるが――髪の毛の艶に、いくぶんムラがある。かなり疲れている証拠だ。
そして俺たちが囲むテーブルから少し離れたところには、映写機。
「おつかれ、ベルナルド。編集というか、けっこうめんどうだっただろ?」
俺の声に、壁のシミみたいになっていたベルナルドがハッと、俺を見る。
「い、いや……。有りモノの、今までの映画から編集で切ったシーンを貼りあわせてね、ハハハ……それだけで映画一本作れそうだったよ……」
「オツカレちゃーん。そっか、じゃあこれから初号だな」
「それで? 俺たちの熱演はどうだった?」
「ちゃんと顔は隠れてるんだろうな? ああ、そうか、アフレコはどうすんだ?」
「――…………」
「ジャンさんの出番が多かったが……そっちはどれくらい切ったんだ」
なんだか……影の薄いベルナルドが、全員に責められるような形になりつつあった。
俺は、ぱん!と手を打って全員の意識をこっちに向け、
「まあいいや。ええと……たしか、会議は2時間の予定。主だった兵隊には明日の朝まで休みを出しておいた。つーわけでだねえ、ソクン」
俺は、部屋の中に運びこんでおいた給仕用のでかいサービスワゴンの方へ。そして、鍋やらバスケットやら皿やら、酒瓶やらアイスバケツやらが並んでいたそこから、
「――おつかれ。幹部諸君。今年も何とか、いっちゃん忙しい魔の時期を乗り切ったな。こいつはささやかながら……俺からのプレゼントだ」
俺の言葉に……。
「な……プレゼント?」
「……まさか、そこにある料理は――」
「なんだなんだ、会議って聞いたが……。まあいいや、なんか食わせてくれるのか?」
「まさか、ジャンさん……?」
野郎どもは、顔を見合わせ、俺を見、そして……いまごろ食い物や酒の匂いに気がついたように喉を、ハラを、舌を鳴らせていた。
「おうよ。たいしたもんじゃねえけどな。……まあ、まずはこいつだ」
「??」
俺は、着替えておいた室内着のジャケット、そのポケットに手を入れると――そこに入れてあったハーシーズの板を一枚取り出し、それをカードのようにテーブルの上に滑らせた。
「なんだ、安もんのチョコ1枚かよ」
イヴァンが、自分のおしっこの匂いをかいだときの猫みたいな顔をした。
「甘いモノは食後がいいが……スタンドのチョコか?」
「……俺にはそれでも上等すぎるよ……」
ルキーノもベルナルドも、少し疲れたような声でチョコレートと、俺を見る。
そして、
「――ああ。ジャンさん、やっぱり……俺も、そう思ってました」
「おお、さすが。フフ、ジュリオは賢いな」
ジュリオが、すごく嬉しそうに目を細めて俺とチョコレートを見……他の幹部たちが、そのジュリオと俺を怪訝そうに見る。
「何の話だい、ジャン?」
「いやね。この前の撮影の時からさ、なーんか引っかかってて。デジャヴュっていうか。見覚えのある光景っていうか、前にもあったコトみたいっていうか」
「ジャン……?」
憔悴していた顔をあげたベルナルド。
板チョコに??な目を向けているルキーノ。
そしてハラが減っているのか、なんだか落ち着きのないイヴァン。
この前の撮影の天使メイクをした時よりもいい微笑み顔のジュリオ。
俺はそいつらを見て、
「――イヴァン。そいつ、チョコ5等分してくれ」
「ハァ? なんで。ガキじゃねーんだ、こんなチョコくらい…………。ア」
「あ……」
「……ああ、そうか――」
「ついさっきのことのように、覚えています」
全員の目が、俺とチョコレートを見……。そして、遅発性のギャグのように、みんなが笑いを漏らし始めた。ファック、と吐き捨てたイヴァンの手がそのチョコをひたくって、包みごとバリバリと5等分する。
「ほらよ。ジャン、おめーは一番小さいヤツな。そういうことなら――」
「そういうこった。ホレ、こいつも回してくれ。ベルナルド、今日は禁煙じゃないよな?」
「あ、ああ。まあ……かまわない、さ。……なつかしい、な! ハハハ!」
俺たちは――
二代目カポの俺、ラッキードッグ・ジャンカルロと、ベルナルド、ルキーノ、ジュリオ、イヴァン、この5人はあの時のように――
チョコレートと、スキットルに入れたウィスキー、そしてフツーの紙巻きタバコを回しながら、ニッと歯をむいて笑い、酒をあおって…………笑っていた。
「忙しくって、全員寝てなくって、しかも追い詰められてギリギリでさー。その中で、さらに厄介なコトになって――っていうのが。脱獄したときとおんなじ、だったよな?」
「まったくだ。……ハハハ、たしかにハイになりすぎてたな」
「……今から思えば。カメラの前に、俺たちがハム役者っぷり晒すのなんてありえないな」
「クソッタレ、やっぱちゃんと寝てねえとダメだな、アホな話にのったもんだぜクソ」
「――ジャンさんは、変わりませんね、いつも……」
「いやー、そうでもねえさ。でなきゃ、いっくら俺でも回ってるカメラの前でぱんつおろしたりはしねえってば。ハハ、さあて」
全員の胃袋に、わずかばかりのチョコレートと酒が消えた頃を見計らって……。
――いくらか背筋が伸びかけているベルナルドに、俺はウィンクする。
「ベルナルド、なんか話があったんだろ? サイコーに気まずいヤツが」
「……。あ、ああ。そうなんだ……」
「言っちまえよ。今のこのノリなら、大抵のことは笑って流せる雰囲気だぜ?」
「…………。わかった、じゃあ――フィルムをセットする、少し待ってくれ」
ベルナルドはあの時のように、よろり立ち上がって壁の銀幕を展開し、部屋に置いてあった映写機にフィルムのカートリッジをセットする。
「ああ、そうか。この前撮影したヤツの現像と編集、終わったんだっけか」
「……カーヴォロ、見たくないシロモノだ」
「おいベルナルド、ちゃんと俺たちの顔は消えてんだろうな?」
「――それが……。まあ、みてくれ」
ベルナルドは映写機の電源を入れ、レンズを調整――
その間に俺は、
「まあ、上映開始までメシでも食ってイイコにしてようぜ。酒もある」
「いいねえ」
「あー、クソ! もう今日は飲む! もうしらねえ!!」
「……いい匂いです――その香り……鴨のローストですか?」
「いんや。厨房にはあったけどさ、鴨。そんなごたいそーなもん俺が触ったらバチあたる。チキンが山ほどあったんでな。ちょうどいた兵隊に手伝ってもらってな――」
俺は白目の皿に、でかい鍋で煮こんであった鶏のモモを、そしてバターで炊いておいたジャガイモと早生のアスパラを山ほど、人数分盛りつけた。
「鴨っぽい匂いがすんのはこのソースだべさ」
別の鍋で煮ておいた濃茶のソースを、チキンの上にたっぷりかけて、できあがり。
「おお、いいじゃないか。盛り付けに品がないのもご愛嬌だな」
「めんどくさかったらチキンは手づかみでもいいのよ、ルッキーニ」
「クソ、ハラ鳴ったぜ。酒は? あるんだろうな?」
「ここで酒なかったら可哀想な俺様がかわりにレイプされちまうだろうが。ホレ――」
俺は行儀悪く、白ワインのボトルにそのままカシスをぶっこんだキール・カクテルを人数分、全員のグラスにだばだば、なみなみと注ぐ。
「めしも酒も1個分隊ぶんまだあるぜ。ぱーっといこう、ツマミは――」
俺が手を振ると、ちょうどそこで、映写機のライトが点灯し、ぱあっと銀幕が明るくなった。
「ジュリオ、部屋、暗くしてくれ。――今日の酒のツマミは、俺たち主演のバカ映画! ワルイコの学習教育映画、はじまりはじまり〜」
真紅の酒が揺れるグラスを俺が掲げると、全員が、映写機のセットを終えたベルナルドもまじって、乾杯――高くグラスを掲げ、鳴らし、それをあおる。
「……ぷ、はっ……。すまん、ジャン、もう一杯……」
ベルナルドは二杯目のキールも水のように飲み干すと……自分の席に沈み、そこで組んだ両の手指に顔を埋め(ベルナルドの苦悩のポーズだ)、そして言った。
「――すまない。最初に、謝って、言っておかなくてはならない」
「な、なんだよう、ベルナルド?」
「……どうした? まさか役人に嗅ぎつけられたか――」
「いや…………。正直に言おう。――諸君らの協力は、努力は、滅私は、無駄になった」
「なん……だと……?」
カラになっていたベルナルドのグラスに酒を継いでやると……そういうギリシャの仕掛け人形のごとく、ベルナルドは機械的にそれを干して――また、言った。
「例の、みんなが協力してくれたあの映画……。あのハナシを動かして、税金をドブに捨てていた上院議員が、今朝方、州警察に逮捕された」
「な……!? まさか……バレ――」
「ファック!! やべえ、こっちに!?」
「いや、違うんだ……。その上院議員先生は……教会、でな。聖歌隊の子供に、その……。教養ある俺の口からは到底言えないようなことをしていて、それを見つかって、な。しかも余罪もあったらしく、いまごろ全米の弁護士集めても無駄なくらい糾弾されてる」
「ワーオ。……え。じゃあ……」
「あの大先生の映画事業なんて、そのスキャンダルの前じゃティッシュより軽かったよ。税金の無駄遣いも合法的着服も、みんな、あの大先生のところに転がっていくさ」
「――カトリックでそのスキャンダルは命取りだな。もう浮かび上がれないぞ」
「そういうことだ。……つまり……すまない、みんな。あの映画は、もう――」
「ファック、じゃあなんだ!? 俺たちが出た映画は!?」
「お、落ち着け。えっと……ええい! てめえら! まずはカポ自作のありがたいめしを食ええい! ――ベルナルド、食べながら……ひとつづつ、説明を」
「あ、ああ」
全員が、俺の一喝でフォークとナイフを手に……もくもくと、皿の肉と野菜を、食う。
「うまいな。やるじゃないかジャン。……欲を言えば、もう少しソテーの時にだな」
「……なんだ、このソース。なんか……食った覚えが。なんだ?」
「ありがとうございます、ジャンさん」
「……。……ほう、チョコレートソースか」
「ああ。煮込みのブイヨンを少しはねてな、ソース作るときにフト思ってさ。デザート用のビターがあったんでそれをふりかけながら煮詰めてみたんだ。意外といけるだろ」
「意外どころか。……ありがとう、ジャン。……最高だよ」
「さて、んで? 映画がどうなったって?」
「そう――」
ベルナルドは、眉間を指で抑えながら……話す。
「上院議員の先生が逮捕されて、あの映画の話は――ふっとんだ。つまり……みんなに協力してもらったあの撮影は、すべて……無駄、になった」
「なるほど。そういうことか」
「……ハッ、何かと思えば。ま、いいんじゃね? あんなもん世間に晒さずにすんでよ」
「――ベルナルド、撮影したぶんは……現像と編集は済ませたんだろう?」
「それなんだが……」
ベルナルドは席を立つと、映写機のモータースイッチを入れて、フィルムリールを回転させる。カラフィルム、そしてカウントダウンのあいだに、ベルナルドがもう一度レンズを調整して……銀幕に、パッと色鮮やか……な…………??
「アレ? カラー???」
「白黒で撮ったんじゃ……?」
俺たちがきょとんとしているあいだに――スクリーンには、キラキラとした色鮮やかな映像が映し出され、それが踊り始めた。……見覚えのある場所、見覚えのあるメンツ。
「どういう事だ、ベルナルド?」
「どうやら……」
ベルナルドが、坂道で全世界を背負わされたような苦悩の息を、吐いた。
「……俺が暗室でフィルムを入れたとき間違えて……虎の子の、試作品のカラーフィルムをリールにセットして、撮影しちまったらしいんだ……」
「あー。だからカラーなのかー」
「なんかやけにキラキラしてんな、なんだこれ」
「……カラーフィルムでの撮影には、専用のレンズと機材がいるんだ……。それを、普通のフィルム用のカメラで撮ったせいで……光量が安定しなくて、画面がな……」
たしかに――
ベルナルドの告白のとおり、そこに映っているのは、あの日の――
真夜中にみんなで集まって、あのインチキ映画をでっち上げたあの日、あの夜のスタジオの中、そしてグダグダしている俺たちの姿――だった。
「うーわー。こりゃ泣けるだろうなベルナルド、大事なカラーフィルムをこんなことに」
「……しかも、ね……カラーは尺が短くてね……。だから、途中…………」
「ハハハ、こりゃ安いファンタジーだな。画面がキラキラしすぎだ」
「ま、まあ、おかげでツラは……よくわかんねえ、か?」
甘い酒とがっつり飯のおかげか……ここにいる全員、ベルナルドへの糾弾の気配は全くないまま、そのしょうもない光景を写したフィルムの上映会は続く。
「――ということは。ベルナルド」
ジュリオが、今日は珍しく、みんなと同じように酒を飲んでいたジュリオが、画面を凝視していた目を離し、言った。
「あの時撮影したフィルムは、この映画は……もう、外部に出す必要はなくなったんだな」
「ああ、そうだ。……出したくても、こんなハレーションだらけの撮影ミスを出したら、DSPの……俺の誇りに傷がつく」
「そんなのはどうだっていい――」
めずらしく、ジュリオがピシャリと言って(同時にカラのグラスをテーブルに置いて)
「――これは、このジャンさんが出た映画は、俺たちしか見ない映画、なんだな?」
「……? おい、ジュリオ……?」
「そうだ。外には――別の意味で、出せない……」
「??」
俺が、新しい酒の栓を抜いて、ジュリオのグラスをなみなみにしてやったとき、
「うお。主役きたあああ。え。……え、え〜〜〜」
「…………こいつは――天使……??」
「え、これ……ジャンか? うそ……」
「……きれいです……」
「……ハレーションが……偶然、だとおもうが――」
そこには、銀幕には――
ライトの光が、エッチングの宗教画よろしく光線になって降り注ぐ中……。
白い衣に白い翼の、金色の髪を波打たせた……これ、俺だよな……ピンホールフィルターで演出したようなキラメキを画面に写したそのハム役者が――
天使の格好をした俺が……俺、だよな、これ……光で輪郭が飛んでいるせいで、顔が、顎の線がぼんやりして、シャドウを入れた目元だけが妖しくほほ笑んでいる……天使が、両手を広げ、そして――やけに細く見える手指で衣をからげ、まっしろな足を――そこに、ハッとするほど黒い紐がサンダルを編みあげて肌に…………。
そしてその天使は、薄い紅の唇で、くちづけするように。こちらに何かをささやき……。
俺すら、ビクっと、ゾクッとするほどのほほ笑みで……すい、と肩を、首を揺らす。
金色の髪がファサリ、ゆれて、そこからまた光が乱舞するのが見える。
「なんだ……。こいつは……たまげたなあ……」
「……やべえ、クソ、なんだよこれ。こんなだっけか、あの時よう」
「……なんてこったい。くそ、自分見てボッキしちゃった。ママン、俺汚れちゃったよ」
「……素敵です……」
「……カラーフィルムで、こんな現象が起こるなんて初耳だよ。……たぶん狙ってももうできないと思う。これを見て、短いカラーフィルムで試したんだが――駄目だった」
俺たちが、とくに問題の俺が――光とタイミングのいたずらが創りだした、なんだかとんでもなくバチあたりな映像に魅入っていると……。
「あれ。オワタ……。って、ああ、そうか。さっきのは、本番の前だよな」
急に画面が切り替わって、今度は……。
「う、うわ!! てめ、この、こっぱげ!! 着替えのシーンなんてどうでもいいだろ!」
「……いかん、俺、肩の肉が少し落ちたな。鍛え直すか」
ルキーノにイヴァン、幹部たちが着替えをして、生々しい下着の色まで写しとったカラーフィルムがそれに続いた。
「こっちはあんまりキラキラしてないな。なんだ?」
「たぶん、ライトの角度だと思うんだが……カラーフィルムは難しいな、実用化は――」
「というか。なあベルナルド、なんでこんなホンバン以外のメイキングを?」
「…………それなんだ。フィルムを間違えてね、カラーってヤツは……」
そのとき。
「オ――」
「なんだ。真っ白になったぞ、オイ」
「……ブランクか」
スクリーンは、急に真っ白になって――フィルムの傷とゴミだけが、ぱらぱらと舞い散るだけになってしまった。それが…………ずっと、つづく。
「どういうことだ?」
「……ジャン、その前に――俺に、全員に、酒のおかわりを……」
「おう。そういうことなんだな」
俺は、食前酒のグラスを下げると、キラキラのショットグラスを人数分用意し、そこに蜂蜜を一匙、グラッパを並々注いで、全員の前に。
「――罰当たりな天使に乾杯」
「ティンティン」
「アラ・サルート」
「カンペイ。……まさか、ベルナルド」
全員が、その強い酒を一息で干し――今度はそこに、ジュリオが新しい酒を注ぐ。
「そうなんだ……。カラーフィルムは試作品でな……。俺の持っていたヤツは、標準の、32分撮影用のリールにセット出来るように――途中からカラフィルムのブランクがかませてあったんだ。本来の長さは、10分ちょっと、なんだ……」
「あー。だから、俺の着替えとかアレが、映ってたのか。なるほどなー」
「…………」
「…………」
「――つまり。俺たちの台本の演技は……」
「…………すまない。ブランクのカラフィルムが回ってて、何も写って……ない……」
ベルナルドの、搾り出すような声だった。
「そーなのかー」
「……ちょっとまて。ハナシが見えんぞ」
「……つまり、アレか。俺たちは写ってもないカメラの前で……」
「……よかった、ジャンさんは映っていて――」
ベルナルドは、火の付きそうなグラッパをクッとあおり、息を、言葉を吐く。
「よくよく考えたら――うちは曲がりなりにも映画会社だ。わざわざあんな撮影しなくても、編集で切ったり使わなかったりしたシーンの端切れフィルムなんて捨てるほどある。……そいつをつなぎあわせてでっち上げればよかったんだ…………」
「デスヨネー」
俺は、久々の強い酒で喉と胃をいじめ、その快楽に仰向けた顔で天井を、見る。
……ああ、気持ちいい。……この高揚感。……なんだろうな、これ。
……そう……脱獄したときの、あの危険なハイテンションにも似た……。
「まあ、済んだことだし。オオゴトにならなくてよかったじゃねえか。なあ?」
「……なんだか、バカバカしすぎて腹もたたんな」
「……おまえらのバカ面が表に出なくてラッキー、ってとこか」
「……ベルナルド、このフィルム。編集してあるな、残りのシーンは……」
「そうそう。いいこと思いついた。このフィルム、全員のバカづら映ってるならさ――こういう身内の宴会の時に上映して、酒のサカナにしようぜ。たぶん、むこう10年は余裕で笑えるぞ、これ」
「カーヴォロ。じゃあ人数分焼き増しだな――」
「ベルナルド、カットした部分は別の……」
「いや、まともに写ってるぶんを編集したのが、これなんだ。本当だぞ……?」
そのとき――
「ん……? だれか、煙草、灰を服の上に落としてねえか?」
俺の鼻を、ヒク、と――なにか、焦げ臭いような生臭いような、奇妙な臭いが刺した。
「なんだ? 俺は平気だが……ヘンなにおいがするな、なんだ」
「屁でもこいたんじゃあ……ン!? おい、焦げ臭い……??」
「――あ……!! ジャンさん!!」
「え――」
キョトンとした俺を――嗅ぎ慣れない焦げ臭さに首をかしげていた俺を、とつぜんに、ジュリオの手が俺の腕を捕らえて立ち上がらせ、テーブルから引き離した。
「な、な……。おい――」
俺が、急な加速でぐらつく目でジュリオを見る。そこに、
「し、しまった……!」
「おい、なんか煙が!?」
「電源を切れ、火が――」
カタカタと回り続ける映写機から。真っ白な煙が立ち上っていた。
フィルムのカートリッジから、煙が吹き出し、モーターが空回りする音がした、と思った瞬間――ボウッ、っとオレンジ色の炎がカートリッジから、映写機から立ち上った。
ベルナルドが電源コードを引きぬいたが、炎はバーナーのように膨れ……。
「う、わ、わわ!?」
「ファック!! クソッタレ」
イヴァンが、早かった。テーブルの上で酒瓶を冷やしていた氷水のバケツを引っつかみ、燃える映写機にぶっかけた。
バチ、っと漏電のような音がして――ジュワー、と……水蒸気が弾け、消えた。
「……アブね……。消えた、か……」
「フィルムは燃えやすいとは聞いていたが……あんな事で発火するのか」
「し、しまった……。ライトを、消しておくべきだった……」
「ジャンさん、おケガは……?」
「ああ。ちょっとビックラこいただけだ。あ…………フィルム」
ベルナルドが部屋の照明を点ける。
映写機は、フィルムは――素人目にも、もうどうにもならない、と一目で分かるほど真っ黒に焼け焦げ、ひしゃげてしまっていた。
「火事にならなくてラッキーだったな。よくやったイヴァン」
「……フン、あんなバカ映画が火元で死んでみろ、恥ずかしくて地獄も行けねえ」
「……やれやれ。……まったく――とんだ、乱痴気騒ぎの幕引きだったな」
「……何も残らないとはな……。何か質の悪い奇跡か、これは」
「……税金をドブに捨てられた上に、信じて送り出した議員先生がおちんちんがらみで裁判所送りにされたカタギさんよりましだろうが」
「まったく――」
俺は、グラッパを瓶からラッパ飲みして――それをジュリオに回す。
「……あ、ありがとうございます」
生の酒が、まだ煙と異臭が充満する空間の中、呆然としている野郎どもの間をぐるり、まわる。……そして……誰ともなく、笑い出した。
「――全部、パアか。まったく…………」
「――なにも、のこらねえとはな。ハハハ、俺たちらしいや」
「――残念です、ジャンさん」
「――いいのさ。ああ……ハハハ、なんかひっさしぶりに笑ったよなあ」
「――まったく、面目ない。来月の休暇の日は、俺の財布の命日にするよ」
俺は笑い、全員の肩を叩いて――すい、と指を立てて、笑う。
「さあて諸君。天使も天に帰ったことだ」
「ご命令は? 我らがカポ――」
「ホールで飲み直そうぜ。今日はもう仕事しねえ」
「ご命令のままに」
俺たちは笑い、罵声を吐き、嘆き、そしてまた笑いながら歩き出した。
−END−