ライフ【産経抄】2月28日2011.2.28 02:57

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【産経抄】
2月28日

2011.2.28 02:57

 昨年92歳で亡くなった池部良は昭和19年、陸軍少尉として中国上海にいた。司令部内で愛馬にまたがっていると、目の前を「芋俵」みたいな兵隊が歩いている。将校に敬礼しないとは何ごとぞと怒ったら、「良ちゃん、じゃない?」と話しかけてきた。

 ▼「俺より偉いのは解ってるけどさ、お互いイトコの間柄じゃないか」(『食い食い虫』新潮社)。小太りの兵隊は、確かに7歳年上の従兄(いとこ)、岡本太郎だった。戦後、池部が銀幕のスターとなり、名エッセイストでもあったのに対して、太郎の活躍を一言で表すのは難しい。

 ▼まず84年の生涯でおびただしい絵画、彫刻作品を残した芸術家であり、評論家でもあった。美術愛好家でなくても、昭和45年に開催された大阪万博のシンボル「太陽の塔」や「芸術は爆発だ!」の流行語を、知らない人はいなかった。

 ▼生誕100年を迎えた今年、再びブームが起こっている。来月、国立美術館で回顧展が開かれるほか、雑誌の特集が相次ぎ、生涯を描いたテレビドラマも始まった。ただ、作品の芸術性については、正直言ってよくわからない。画家の息子である池部でさえ、「でたらめ」としか思えず、あるときは絵を逆さまに見て、従兄をあきれさせたらしい。

 ▼〈いぢめられ悲しき時は校庭の木馬をひとり打ちたたくとふ〉。母、かの子の目に映った孤独な少年の姿だ。軍隊では、フランス帰りの「危険思想」の持ち主として、殴られない日はなかった。

 ▼戦後は美術界の旧弊を糾弾して、専門家から批判あるいは無視された時期も長い。しかし、岡本太郎はひるまず、闘い続けた。無尽蔵に見えたそのエネルギーが、今の日本に何より求められていることは確かだ。

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