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ルーアン地方編
第二十六話 クローゼ・リンツの憤慨
<ルーアン市 市長邸>

ヨシュアが市長邸のドアを開けると、玄関ホール付近には犬型魔獣の姿は見当たらなかった。
どうやら犬型魔獣は2匹とも2階か奥の部屋に行ってしまっているようだ。
玄関の中へ入ったエステルとヨシュア、カルナとオリビエの4人は安心して息をついた。
市長が居るのはおそらく2階の市長執務室だろう。
まずは1階の全ての部屋を調べて、安全を確認しなければいけない。
エステル達が居る玄関ホールは入って来た方向から左手側の扉は2つの部屋の客室に通じる廊下に通じている。
右手側の扉は台所と2階への階段へ分岐して通じる廊下へと通じている。

「さて、客室の方に魔獣が入りこむとは思えないが……」
「見落としがあってはいけません、行きましょう」

オリビエのつぶやきにヨシュアが答えると、まず全員で客室の方を調べる事にした。
2つの客室には何者の気配も無かった。

「やっぱり、客室には何も居なかったわね」

玄関ホールに戻ったエステルは少しホッとした様子でつぶやいた。

「自分の身の保身しか頭に無い男だ、きっと2匹とも2階の市長執務室の側で護衛に置いているんじゃないか?」
「そうよ、番犬みたいに座らせていたりして!」
「でも、油断は禁物だよ」
「ヨシュアの言う通りさ、やつらは私達に飛びかかって来るからね。瞬発力は半端じゃないよ」

オリビエの言葉にエステルが明るく同調すると、ヨシュアとカルナが注意を促した。
息を飲んだエステルがゆっくりと台所と2階への階段へ分岐して通じる廊下へと通じる扉を開いて行く。
廊下に入ると、台所の方から獣のうなり声と物音がする。

「どうやら、食事中のようだね」
「ずっと待っていたらお腹も空くかあ」
「不意を突くなら今のうちだね」

カルナの提案に従ってエステル達は素早く移動し、廊下を台所へ向かった。
しかし、入って来た扉から全員が離れたタイミングで、2階の階段から犬型魔獣が駆け下りて来た!

「ええっ、2匹とも台所に居たんじゃなかったの!?」

背後から襲われる形になったエステルが驚きの声を上げた。
台所に居た魔獣もエステル達に気が付いたのか、うなり声を上げてエステル達をにらみつけている。
狭い廊下の曲がり角で挟み撃ちされる形になったエステル達は絶体絶命のピンチとなった。
危険に気が付いたヨシュアはエステルに声を掛ける。

「エステル、持っている餌を放り投げるんだ!」
「えっ、どっちに投げるの!?」

パニックになったエステルは2匹の魔獣を見回していた。
そんなエステルに向かって、廊下に居た魔獣が飛びかかって来る!

「エステルっ!」

ヨシュアはエステルに飛びかかった。
倒れた勢いでエステルの手から袋を持った手が離れる。
すると犬型魔獣は壁際に避難したカルナとオリビエの目の前を通り抜け、床に倒れ伏したエステルとヨシュアの頭上を飛び越え、餌の入った袋にむしゃぶりついた。
さらに台所に居た犬型魔獣もその餌を奪おうと、2匹は互いに争いを始めた。

「助かったぁ、ありがとうヨシュア」
「君がかまれ無くて本当に良かったよ」

エステルとヨシュアは見つめ合いながら笑顔を浮かべた。

「ヨシュア君、早くエステル君の体の上から退いてあげた方がいいんじゃないのかい?」
「うわっエステル、ごめん!」

オリビエに指摘されたヨシュアは顔を赤くして慌ててエステルの体から飛び退いた。

「やれやれ……」

カルナはそんなヨシュア達の姿を見てため息をもらした。

「放っておくのは厄介だから、止めを刺してしまおうか」
「そうだね、餌が無くなったらまた襲いかかって来るだろうし」

オリビエとカルナはそうつぶやき合って2匹の犬型魔獣の急所を正確に撃ち抜いた。
急所を撃たれた2匹はしばらくもがいた後、動かなくなった。

「さて、残るは元市長さんだけのようだね」
「とっくに逃げ出してたりして」
「船着き場はメルツとアネラスに抑えさせているから、逃げ道は塞いであるはずさ」

エステル達はゆっくりと2階への階段を登って行った。

「あーっ、やっぱりあたしの棒が折れちゃってる……」
「これじゃあ、使えないね」

市長執務室の扉の前には真っ二つに折れたエステルの武器が転がっていた。
曲らずに折れていると言う事は、相当強い力で扉をぶち破られたのだろう。
犬型魔獣の突進力と瞬発力はかなりのものだ。
エステル達は餌で犬型魔獣の注意を引けた事を幸運に思った。

「今回ばかりは怪盗紳士に感謝しないといけないようね」
「……素直に喜べないけど」

笑顔のエステルに対してヨシュアは複雑な表情だった。
エステル達が市長執務室に入ると、ダルモアは青い顔でエステル達を見つめて荒げた声を上げる。

「何だと!? 貴様らあの魔獣どもを倒して来たと言うのか!?」
「年貢の納め時だよ、ダルモア元市長」

カルナがダルモアに近づいても、ダルモアは退こうとはしなかった。
それどころか、両腕と両手を開いて大声で宣言する。

「この家は我がダルモア家の物だ! 誰にも渡さんぞぉぉぉ!」

カルナはダルモアを連行しようとするが、ダルモアは柱に抱きついて抵抗した。

「こうなったら、全員で引きはがすしかありませんね」

ダルモアの往生際の悪さに、ヨシュアはため息をついてそうつぶやいた。

「私はこの家を絶対に出て行かないぞ!」

4人全員で柱から引き離されたダルモアは、床に倒れ込んでも抵抗を続け、なかなか歩こうとしなかった。

「大変だったなお前ら」

市長邸を出た所で待っていたのは、騒ぎを聞きつけてやって来たナイアルとドロシー、そしてクローゼだった。
船着き場を見張っていたメルツとアネラスもダルモアが捕まったと聞いてやって来ていた。
ドロシーは逮捕直後のダルモアの姿を撮影しようと、カメラのフラッシュを焚き続けている。
クローゼは怒りに燃えた表情でダルモアに話しかける。

「あなたが孤児院に放火した黒幕だと言うのは本当ですか……?」

クローゼに問い掛けられてもダルモアは何も言葉を返さなかった。

「ナイアルさんから聞きました、あなたは相場の取引に失敗して相当の借金があったそうですね。その返済のために市の予算を使ってしまったとか」
「それって、横領じゃない!」

クローゼの言葉を聞いて、エステルが驚きの声を上げた。
なおもダルモアは黙り続けている。

「なるほど、選挙で市長を解任されればその事実が明るみになる。それで、選挙運動にも多額の資金をさらに使ったわけだね」

オリビエが納得したようにつぶやいた。
ナイアルもダルモアの言葉を引き出そうと詰め寄って質問を浴びせる。

「他にも、孤児院のあった土地に別荘を建てる投資話を貴族の方々に持ちかけて資金を得ようとしたって話を聞きましたが、こうして開発の目処が立たなくなった以上、お金を返さなければ詐欺に当たるんじゃないんですか?」
「罪状が増えてしまいそうだね、元市長さん?」

オリビエが挑発するようにそう言うと、ダルモアの顔に怒りの表情が浮かぶ。

「でたらめだ、全て秘書のギルバードがやった事だ! 私は被害者だ!」
「……全く反省して居ないようね」

ダルモアの態度にエステルもあきれた顔でため息をもらした。

「証拠はどこにある! だいたい遊撃士は私を逮捕できないはずだぞ!」

開き直って怒鳴り散らすダルモアにエステル達はあきれてものも言えなかった。
そんなダルモアに、暗い顔をしたクローゼが話し掛ける。

「ダルモアさん、どうしてご自分の財産で借金を返そうとは考えなかったのですか? わざわざ、放火や強盗などの犯罪に手を染められなくても、返せる額だったはずです」
「ふん、私が先祖代々受け継いだこの家も、調度品も、そうやすやすと手放せるはずは無かろう」
「あなたは自分の勝手なわがままで、私達の大切な場所を奪い、大切な人達の命を危険にさらしました!」

クローゼは怒りが噴き出したのか、腰に身につけていたエストック(刺剣)に手を掛けた。
驚いてエステル達も思わず息を飲み込む。

「人々の心の痛みを、その身を持って知って下さい!」
「やばい!」
「クローゼ!」

ヨシュアとエステルが止めに入る前に、クローゼはダルモアに攻撃を加えていた。
軽い音が辺りに響き渡る。
クローゼはダルモアのほおを平手で叩いたのだ。
それが、クローゼに出来る精一杯の復讐だった。

「私はダルモアを遊撃士協会に連れて行って軍の兵士の到着を待っている。あんた達はその子について居てあげな」

カルナはそう言うと、メルツと一緒にダルモアの身柄を引っ張って遊撃士ギルドへ向かって歩いて行った。
残されたエステル達は、手を振り下ろしたまましばらく動かなかったクローゼの姿を見つめていた。
平手打ちだけではとても腹の虫が治まるような事ではないのだろう。
クローゼは怒りの表情を変えなかった。
その雰囲気にエステル達が声を掛けられないでいると、それに気が付いたクローゼは穏やかな笑いを作ってエステル達に話し掛ける。

「つい大人気ない事をしてしまいました、私もまだまだ精進が足りませんね」

クローゼがそう言って力の無い笑いをすると、エステルは首を振ってクローゼの手を握る。

「そんな事無い、あれは怒って当然よ!」
「無理に自分の感情を抑えつける事は無いよ」
「そうそう、吐き出す事も必要だって」
「……ありがとうございます、エステルさん、ヨシュアさん、アネラスさん」
「ふっ、僕が愛の歌を歌うまでもなかったかな」
「オリビエさんの愛の歌なら、腹筋が崩壊するほど笑えるんじゃない?」
「つれない事を言うねエステル君、僕は喜劇役者ではないよ」

オリビエとエステルのやり取りを見ているうちに、クローゼの気分もずいぶんと明るくなってきたようだ。

「それにしても、すっかり日が暮れてしまったね」
「選挙の結果が公表された時はすでに夕方だったからね」
「今日はルーアンに来て一番長い一日だったわ」

エステルは伸びをしてから気が付いたようにクローゼに声を掛ける。

「そう言えば、クローゼはどうしてルーアン市までやって来たの?」
「市長邸で事件が起こったと聞いて、いてもたっても居られなくなってしまいました」
「薄暗いヴィスタ林道を1人で歩いて来るなんて危険すぎるよ」
「ごめんなさいヨシュアさん、心配させるような事をしてしまって。でも、1人ではなかったんですよ」
「へえ、どんな人に助けてもらったの?」
「ふふ、その方との約束で秘密です。街に着いたら姿を消してしまわれました」
「気になるなー」

少し不満そうにエステルは口をとがらせた。
夜になってしまったので、クローゼはルーアン市のホテルに泊まる事にした。
エステル、ヨシュア、アネラス、オリビエもクローゼをホテルまで送って行く事になった。

「これは、いらっしゃいませ!」

クローゼがホテルを訪れると、フロント係のアーネストは丁寧なあいさつをした。
そして、クローゼが泊まる部屋を予約したい事を告げると、アーネストは慌ててホテルのオーナーであるノーマン新市長に連絡を取る。
ロビーで待たされると、ノーマン市長はクローゼに頭を下げて、最上階のスイートルームへと案内された。

「これはずいぶんと立派な部屋だね」
「本当、予約も無しに泊まれちゃうなんて凄いじゃない。もしかしてクローゼって、とっても偉い貴族さんの家の子なの?」
「そ、それほどでは……もう、大げさにして欲しく無いのに……」

エステルにそう答えたクローゼは苦笑しながらため息をついた。

「それじゃあ、僕達はこの辺で失礼しようか」

ヨシュアがそう言って出て行こうとすると、エステル達もそれに従って部屋を出て行こうした。

「あの、待って下さい」

クローゼに呼び止められて、エステル達は立ち止った。

「この部屋は1人で泊まるのは寂しすぎるので、一緒に居てくださいませんか? 相談したい事もありますし……」

顔を赤くして話すクローゼはエステルの事をじっと見つめていた。
そこへオリビエが茶化すように割り込んで来る。

「恋の相談なら僕に任せてくれたまえ。おっと、自己紹介が遅くなったね。僕はオリビエ・レンハイム、愛を求めてさまよう旅の演奏家さ」
「はいはい、オリビエさんは僕達と一緒に帰りましょう。じゃあエステル、相談に乗ってあげてね」
「あーれー」

ヨシュアはそう言って悲鳴を上げるオリビエの襟首をつかんで部屋を出て行った。

「あはは、エステルちゃん、クローゼちゃん、また明日ね!」

アネラスも元気良くあいさつをして部屋を出て行った。
部屋で2人だけになったエステルはクローゼに恐る恐る質問を投げかける。

「あのさ、クローゼがあたしにしたい相談ってもしかして、恋の相談だったりして?」
「実は、そうなんです」
「ええっ!? あたし、そう言うのはあんまり得意じゃないから」

エステルが慌てた様子でそう言うと、クローゼは首を横に振る。

「いえ、エステルさんがどう思うか正直に答えて頂ければ良いんです」
「うーん、あたしで役に立てれば良いんだけど」
「……エステルさんは、告白して振られてしまった相手と普段通りに顔を合わせる事は出来ますか?」

クローゼの質問に、エステルは少し考え込んだ後答える。

「振られても好きな相手なら構わないと思うけど、もしかしてクローゼは誰かに振られたの?」
「いえ、私がある方の告白を断ってしまったんです」
「それって、お見合いでの話?」
「はい、そんなところです」
「あたしには分からないけど、相手もクローゼが断った事を負い目に感じては欲しくないと思うよ」
「……そのようなものなのでしょうか?」
「会う度にお互いギクシャクしちゃうし。クローゼが気にしている事が分かったら相手も気にしちゃって良くないと思うんだけど」
「言われてみればその通りですね」
「あたしで役に立てたかな?」
「ええ、ずいぶんと気持ちが楽になりました」

クローゼはほっとしたような表情で息をついた。

「こうして2人でいると学園に居た時を思い出すわね」
「またいつでも学園にいらして下さい」
「ありがとう、でもあたし達はいつまでルーアンに居られるか分からないし」
「エステルさん達は遊撃士になるために都市を回っているんでしたね……」
「あっごめん、寂しがらせる様な事を言って。今夜は思いっきり話そう!」

エステルとクローゼはホテルのスイートルームで寝る直前まで語り明かしたのだった。
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