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2006-03-30

聖教職員 その二


 これは、一年前ほど前、秋谷会長に提出した報告書である。こういう人物もいることを知って頂きたい。安易な批判ではなく、信の“予防医学”と受け止めて頂けると幸いである。


報告書


 ○○日13:00に、学会本部→聖教新聞社へ電話をした際の対応があまりにもひどかったのでご報告いたします。


 私より、「今座談会御書のことで質問があるのですが」と言うと、女子職員から、「聖教新聞社に詳しい者がおりますので、お掛け直し下さい」とのこと。


 聖教新聞社では、中年とおぼしき女電話に出ました。私より、質問内容を次のように伝えました。「三障四魔に、煩悩障と煩悩が出てきますが、この二つの違いがわかりません」。「哲学大辞典はお持ちですか?」と訊かれ、「はい、既に見ました」と言ったにも関わらず、この女職員は、「今、教哲学大辞典を見てみますので、お待ち下さい」と3分ほど待たせられました。私は仕事中の電話ということもあって、「教哲学大辞典は見たと、先ほど言いましたよね? 失礼ですが、あなたのお前を教えて下さい」と言うと、「ちょっと、お待ち下さい」と、今度は男職員に代わりました。


 この男職員は最初からつっけんどんなじで、「煩悩障と煩悩は同じ味です」と答えました。重ねて私から、「妙な質問をするようですが、同じであれば、どうして二障四や三障三とならなかったのでしょう?」と質問すると、以下のような内容のことを言われました。

「地元の幹部に質問すればいい」

「『聖教新聞社に詳しい者がいる』と言った本部女子職員の対応はまずい」

「学会本部の職員は乗っても、聖教職員は乗る必要がない。そのように指示されている。もし、情を述べたいのであれば、“対応の者”と言えばいい」

「色々な方々(批判的な人も含めて)から、たくさんの電話があるので、対応しきれない」

「『大白蓮華』に書いてある通りだ。それ以上のことは自分で勉強すべきだ」

大聖人に聞かなきゃわらからない」等々。

 まさに、けんもほろろといったじで、取り付く島もありませんでした。


 たまたまこうした対応になったのかも知れませんが、「会員を大切にする」姿勢は微塵もじ取れませんでした。多くの学会員に不信を抱かせかねない問題だとい、ご報告させて頂きました。


 以上