§13、近代資本主義の起源

20世紀初頭、ドイツの社会学者マクス=ウェ−バーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、16世紀の宗教改革時代にあらわれたカルヴァンの予定説が西ヨーロッパに広まったため、西ヨーロッパでは近代資本主義の発達が促進されたと主張して論争を呼んだ。この論争はいまだに決着がついていない。

これに対して私は宗教と経済の関係についての厄介な議論は避け、経済史の上での出来事に資本主義の起源を求めたい。

その経済史上の出来事とは、16世紀にスペインが新大陸を征服した結果、新大陸から大量の金銀(貨幣素材)がヨーロッパに流入したことである。これは価格革命と呼ばれる現象であるが、すでに述べたとおり、全ヨーロッパで物価が緩やかに上昇して、定額の貨幣地代収入に依存している領主は打撃を受ける一方、商工業者や農民が利益を得た。

ここまでは事実の問題であるが、物価上昇の原因についてはふたつの考え方がある。ひとつは貨幣数量説と呼ばれる考え方で、数式ではPT=MVの恒等式で表される。(Pは商品の価格、Tは取引される商品の総量、Mは流通する貨幣の量、Vは貨幣の流通速度)

もうひとつの考え方は、商品の価格は需要と供給の関係によって変動する、という経済学の初歩的な知識を活用することである。つまり、16世紀に大量の貨幣が流入した結果、あらゆる商品に対する需要(有効需要)が拡大し、供給量を超過した結果、あらゆる商品の価格(これを物価という)が上昇した、と考える見方である。私は後者を支持する。

この考え方でゆけば、商品の生産が増大することは当然である。つまり、需要と供給が一致するためには、価格が上昇した商品の増産が必要となる。

これに対してマクス=ウェーバーの仮説は、カルヴァンの予定説(一生懸命働けば死後に天国に行けるという説)を信じた商工業者や農民が、勤勉に働いて供給量を増やしたことになるから、もし貨幣の数量が変わらないなら物価は下落するはずである。実際の物価統計をグラフで見ると、16世紀のヨーロッパでは物価は一貫して上昇している。

とすれば、仮にマクス=ウェーバーの説が正しいとしても、供給の増加による物価の下落を圧倒する勢いで、需要が拡大して物価が上昇し続けたことになる。ケインズ以降のマクロ経済学では、需要が供給を超過することによって、供給も増え経済が全体として成長することが分かっている。

実際にはこのように新大陸からの金銀の流入によって、商工業者や農民の収入が増え、その一部が資本として蓄積され産業に投じられた、という形で資本主義的生産様式(マニュファクチャー:工場制手工業)が16世紀の西ヨーロッパで生まれたと考えられる。

§12、前近代の諸世界

ウォーラスティンは近代世界システムの研究に主眼を置いているので、前近代の世界についてはまとまった説明はしていない。しかし近代500年の大きな趨勢が世界の一体化(globalization)であるとすれば、前近代の世界は異質な諸世界が分立していたはずである。なぜそうなったのかを考察する前に、異質な世界の一覧表を掲げる。

 1、 中央アジア世界(トルキスタン)
 2、 東アジア世界
 3、 西アジア世界
 4、 南アジア世界(インド)
 5、 北アジア世界(ステップロード)
 6、 東南アジア世界
 7、 地中海世界
 8、 北西ヨーロッパ世界(アルプス以北:エルベ川以西)
 9、 北東ヨーロッパ世界(アルプス以北:エルベ川以東)
10、ブラックアフリカ世界(サハラ砂漠以南)
11、 北アメリカ世界(アングロアメリカ)
12、 中南米世界(ラテンアメリカ)
13、 オセアニア世界(太平洋諸島)
14、 イギリス(大ブリテン連合王国)
15、、日本

なお、ここでの世界とは世界全体という意味ではなく、共通の文明圏と言う意味である。

世界核地図加工済み 
現在の考古学の研究によれば、現生人類の祖先は数万年前アフリカに出現した。その後彼らの一部はアフリカからユーラシア大陸に移動し、さらにその一部はユーラシア大陸から南北アメリカおよびオセアニアに移動した。これは生物の進化論でいえば適応放散の過程であり、移動先の環境に適応して多様な生活様式を形成した。

その環境については世界史と言うよりも地理学の範囲に属する。しかしそれぞれの文明圏の特色について簡単に触れておこう。
 1: 大部分は砂漠だが、点在するオアシスでは定住農耕が可能である。別名オアシスの道(絹の道)とよぶ。オアシスとオアシスを結ぶラクダのキャラバン(隊商)がユーラシアの東西を結ぶ交易で活躍した。
 2: 中国を中心とする文明圏。共通の文字は漢字。中国周辺の朝鮮・日本・ベトナムも漢字を導入した。
 3: 大部分は乾燥帯だが点在するオアシスやティグリス・ユーフラテス両河の流域(メソポタミア地方)では灌漑により農耕が可能となった。
 4: パミール高原およびヒマラヤ山脈の南。インダス・ガンジス両河の流域(北インド)は肥沃な大平原。南インドはデカン高原一帯で海上貿易で繁栄した。
 5: ユーラシア東西8000キロに及ぶ大草原でモンゴル人などの騎馬民族が活躍した。
 6: インドシナ半島およびジャワ島・スマトラ島などの島嶼部からなる。
 7: ヨーロッパアルプスの南のギリシャ・イタリア・スペインおよび北アフリカからなる。オリーブやブドウの栽培が盛ん。
 8: ヨーロッパアルプスの北西。現在のイギリス・フランス・西ドイツおよびベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ)
 9: アルプス以北・バルト海沿岸およびバルカン半島からなる。東端のウラル山脈以西・黒海北岸は草原の道の西端。
10: 住民の多くは黒人。19世紀以降ヨーロッパ列強の植民地となったが、第二次大戦後に独立した。
11: 先住民はベーリング地峡を通ってアジアから渡来したモンゴロイド。主にイギリス系の白人が近代に征服して植民地とした。
12: メキシコ以南の中米とカリブ海の島々(西インド諸島)およびコロンビア以南の南米諸国。近代にラテン系のスペインとポルトガルが征服したが、先住民と白人の混血(メスティソ)や奴隷としてアフリカから移入された黒人の子孫も多い。
13:中国南部から船で太平洋の島々に移住した先住民を近代になって欧米諸国が征服した。
14: イギリスはヨーロッパ諸国の一員であると同時に、北アメリカに最大の移民を送り出したため、アメリカ合衆国およびカナダとの関係が深く、その反面ヨーロッパ大陸の諸国との間の関係では距離を置く。
15:日本列島は南米のガラパゴス諸島と似た位置にある。つまり東シナ海および日本海によって中国とは隔てられているので、中国文明とは区別される独自の文明を形成した。(例えば漢字を基にしてかなを用いている)

以下ではこれらの諸世界のうち特に重要な対照的な2つの文明について説明しておく。

ひとつは中国を中心とする東アジア世界である。ここでは中国の周辺諸国の首長が中国に使節を送って、中国皇帝の臣下となる柵封体制と呼ばれる独特の国際秩序が形成された。

日本も遣隋使や遣唐使を送って中国文化を導入した。この国際秩序の特徴は近代西洋で生まれた主権国家体制とは違って、中国を宗主国とする不平等な関係だったことにある。周辺国の中でも特に日本は遣唐使が廃止されて以降、中国文化とは違った独自の日本文化を形成した。

もうひとつは、ギリシャおよびイタリアの都市国家(アテネやローマなど)を中心とする地中海世界である。アテネの場合は直接民主政が発達し、ローマの場合は元老院を国政の最高機関とする貴族たちの共和政が発達した。この民主政と共和政を理想とする考え方は後のヨーロッパ文明に継承され、特にアメリカ合衆国において建国の理念となった。

以上のような近代世界システムおよび前近代の諸世界については、詳細は学校教科書に記載されているので、このブログでは立ち入らない。むしろ初学者は細部にこだわらす、できるだけ荒削りな世界史像を描けるようにしてもらいたい。

§11、世界史教育への提言

以上に見たように、ウォーラステインの世界システム論はいくつかの欠陥を持っている。とは言え今のところこれに代わる優れた世界史像は存在しない。そこで世界史を教える立場に立てば、ウォーラステインの世界システム論を徐々に改良してゆくのが最善であろう。

本稿はそのためのひとつの試論である。全国の高校の世界史を担当する先生方が、本稿と同様の試論に着手してもらいたい。そのひとつの理由に私の友人で高校の世界史の教員だった人物が、世界史をどう教えればよいのか悩んで自殺したという事実がある。

25年間世界史を教えてきた私の体験から見ても、この科目は共通のパラダイムがなく、教員が自ら教育現場で試行錯誤を重ねる中で、何らかの共通の世界史像を構築するしかないであろう。

かつて数学教育の分野で、遠山啓氏が水道方式という数学教育の方法を考案し、現場の先生方と協力してその普及に努めた。このような民間教育運動を世界史でも始めるべきだろう。世界史教育の問題は個々の教師の努力で解決できることではないと思う。と言うのは、歴史の研究者の間でも共通の世界史像が形成されていないからである。

振り返ってみれば戦前の日本では、歴史教育は国史・東洋史・西洋史に三分され、世界史の全体像が教えられることはなかった。そのことが日本を神国とする皇国史観をはびこらせて日本を無謀な戦争に導いた一因であった。

そこで戦後アメリカ軍の占領下で行われた民主化改革の一環として、世界史という科目が創設され、近年必修となった。

しかし最初に述べたとおり、世界史を苦手とする生徒が急増しているというのが25年間世界史を教えてきた私の実感である。

学校でどのような世界史教育を受けてきたのかを生徒に質問すると、次のような衝撃的な事実が判明した。
少数の例外を除いて多くの高校では、世界史の学習とは、年代の語呂合わせであり、あるいは史実をバラバラに暗記することに他ならないと多くの生徒が思い込んでいる。

例えば、コロンブスによる大西洋横断を「イヨクニ燃えるコロンブス」と覚える(1492年と言うこと)。しかし、それが1492年であるということには大きな意味はない。むしろコロンブスの航海が 西洋諸国おける大航海時代の到来を告げる出来事であった、という世界史的意義を持っていることを生徒に理解させることが重要である。

というのはコロンブス以来500年間の近代史を通じて、世界の一体化が着実に進んできたこと、そして特定の強国が覇権国として、世界の一体化を推進してきたこと、また、21世紀初頭の今日、覇権国アメリカが衰退局面を迎える一方、BRIC'sと呼ばれる新興勢力が台頭している。

かつて日本がドイツが覇権を握ると信じて、日独伊三国同盟を結び米英に宣戦した。この太平洋戦争の誤りを繰り返してはならない。

戦後の日本はこの誤りから教訓を得て、覇権国アメリカと日米安保条約を結んで、アメリカの同盟国となった。近年の中国の急激な経済成長を前にして、アメリカから中国へと乗り換えようとする動きが生じつつあるが、よくよく慎重な検討が必要であろう。私の考えでは中国の経済成長はアメリカへの大量の輸出によって可能となったものであり、また、総合的な国力から見て中国はアメリカに匹敵するものを持っていない。

具体的に言うと、デモクラシーというソフトパワーにおいて、中国はアメリカには到底及ばない。例えばアメリカでは近年、黒人のオバマが大統領に選出されたが、中国においてオバマのような人物が国家主席に就任することなど考えられない。

私は四半世紀の世界史教育を通じて、このような時事問題について授業中に積極的に発言して、生徒には考えさせる努力をしてきた。特に世界史を暗記科目であると思い込んでいる生徒が多い中で、次のような思考実験を試みたことがある。

それは、例えばヒトラーが第一次世界大戦中に戦死していれば、第2次世界大戦は起きていただろうか、と生徒に発問する。もちろん私にも正解は解らない。しかし生徒の思考を触発する上で、このような思考実験は極めて有用であることは生徒の顔を見ていればわかる。

理科系の分野でも、実験による検証が不可能な仮説については思考実験が行われている。(例えばアインシュタインは、光の速度が一定不変であると仮定すれば、落下するエレベータの中では、光線は屈折するであろうかと言ったような思考実験を積み重ねて相対性理論を発見した。)

本論の趣旨に戻れば、全国の高校の世界史担当教師が、このような思考実験を世界史の授業の中で工夫してもらいたいと思う。と同時に、世界システム論をベースとした世界史像を、生徒の前に提示することによって、世界史の全体像を生徒に理解させる方法についても創意工夫が求められる。

「世界史教育における水道方式」を衆知を集めて開発しましょう。

§10、ウェーバーの多元主義に戻ろう

20世紀ドイツのマックス・ウェーバーは社会現象は無数のファクターによって生じており、政治・経済・文化・社会の4つの分野はそれぞれ固有の法則性を持っている、という立場から一切の決定論を否定した。私もこのウェーバーの見解(多元主義)を支持する。

どのファクターが優勢であるかは、ケース・バイ・ケースであって一般論をたてることはできない。

§9、なぜ経済決定論の誤りが生じるのか?

マルクスの唯物史観と同じく、ウォーラステインンの世界システム論も、経済決定論の立場に立っている。その理由は私の考えでは、社会現象の中で経済現象がもっとも数量的な指標が多く、数学を応用しやすいからである。

従って、自然科学をもっとも厳密な科学とみなす立場から見れば、経済を基礎として政治を論じることがもっとも容易であるのであろう。
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