2005年フランスジュニア国際大会
63キロ級 銀メダリスト 小澤理奈さん
4月12日付で、財団法人全日本柔道連盟嘉納行光会長から2005年フランスジュニア国際大会派遣の吉報が届いた。「柔道は小学校3年生から始めました。一歳上の兄が柔道をしているのを見て、面白そうだなと思い愛知県東枇杷島にある米田道場に通いました。小学校時代は勝負への執念はまったく無く、ただ柔道を楽しんでいた」と振り返る。

中学生時代は「柔道部に入ろうと思いましたが、柔道部がなかったのでバレー部に入りました。バレー部ではレフトでアタッカーを務めていました」と、柔道で培ったスポーツ能力を意外な面で発揮。「母親が厳しくて、バレーの2時間の練習が終わるのを待って、車で道場に直行する日々が続きました」という。柔道の練習は3時間ほどで、約5時間は体を鍛えていたことになる。「体を動かすのが好きですから」と、屈託がない。中学校では、57キロ級で中2のとき県2位、中3のとき県3位。弥富高校に進学して、東内伸浩先生に「『お前を強くしてやる』といわれ、高校3年間は厳しさと戦いました」と、無我夢中の時を過ごした。その結果、高校の2年の春に63キロ級で全国ベスト16、3年生の春全国2位。インターハイ3位、全日本ジュニア3位、アジアジュニア優勝。全日本柔道連盟のジュニア強化指定選手指定も受け、頭角を現してきた。

進路は、「高校2年生のときに、山梨放送で放映されたドキュメントを見ました。西田監督、山部コーチ(現在 女子柔道監督)や選手が、一生懸命やっている姿、柔道場やトレーニングセンターの設備が整っているなど、ここだと思い山梨学院大学への入学を目指した」という。入部して「高校のときの柔道ができない。ボコボコに投げられて、悔しくて、悔しくて。大学生と高校生の力の差を感じました。今は大分良くなったと思いますが、でも何かが足りない」。そんなとき、フランスジュニア国際大会派遣の通知が寮に届いた。「嬉しかった。国際試合ができるのだと思ったとき、絶対に優勝してやるぞ」と思ったという。

そして、5月11日成田空港からフランスのリヨンに向け離陸した。2日間の調整練習のあと、試合に臨んだ。1回戦にドイツのKAUTZに大内刈りで一本勝ち、2回戦ロシアのZABLUDINAに反則勝ち、3回戦フランスのPAYEUに横四方固めで一本勝ち、準決勝でドイツのWALDOCHに合わせ技で一本勝ち、決勝戦でフランスのZOUAKに優勢負けし2位となった。

「いつも、大事なところで負けるのです。気持ちの持ち方を成長させなければ」と、メンタルな部分の強化が課題と語る。自分の長所である「前に出る柔道」に磨きをかけ、将来は「オリンピックに出場したい」と目を輝かせた。

■ 写真下記事
☆ 小澤理奈(こざわ・りな)さん
☆ 山梨学院大学法学部法学科1年
☆ 山梨学院大学柔道部(女子柔道)
☆ 全日本柔道連盟ジュニア強化指定選手