控訴もありうると思います ( No.1 ) |
- 日時: 2011/02/07 09:47
- 名前: masa◆GYLhv9tAC1c
- 認知症の女性(当時78歳)がちぎった紙おむつを口に入れて窒息死したのは、入所していた特別養護老人ホームの管理ミスが原因として、女性の遺族3人がホームを運営する社会福祉法人「恒寿会」(久喜市)を相手取り、2463万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が4日、さいたま地裁であった。加藤正男裁判長は「介護服の使用方法が不適切だった」として原告側の訴えを一部認め、1770万円を支払うよう命じた。
判決によると、女性は2004年に入所した後、自分がはくおむつなどを口に入れる行為を繰り返し、05年6月、紙おむつを口に入れて死亡した。女性は当時、特殊なファスナーが付いたつなぎタイプの介護服を着用していた。被告側は、事態を予見できなかったと主張したが、加藤裁判長は「おむつを口に入れる行為を繰り返しており、予見できた。介護服を点検し、おむつを取り出せないようにする注意義務を怠った」と指摘した。
(2011年2月5日 読売新聞)
2005年といえば介護保険制度施行から5年後。僕の施設には「ファスナーが付いたつなぎタイプの介護服」自体が存在していない時期です(当然身体拘束廃止という意味からです)
しかし判決では堂々と介護服を着せてそこからオムツを取り出せないようにしろ、と結論付けています。
しかし身体拘束を可能としている条件は、生命の危険の予見性とともに、拘束は一時的であることを求めており、このことと原判決は整合性が取れていないと思います。
亡くなった方は非常にお気の毒ですが、審理が足りない部分があるように思います。これでは認知症の高齢者で、行動症状のある方を受け入れられないと考える施設が多くなり、行き場のない認知症高齢者が増大しますよ。
|
最後の一文 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/02/06 13:25
- 名前: にちろー
- >これでは認知症の高齢者で、行動症状のある方を受け入れられないと考える施設が多くなり、行き場のない認知賞高齢者が増大しますよ。
まさに、これにつきると思います。 こんな判決では重度の認知症の人を受け入れるのは施設側にとってリスクが大きすぎます。
|
認知症と訴訟問題 ( No.3 ) |
- 日時: 2011/02/06 22:01
- 名前: 里奈
- 施設にとって、介護事故はとても敏感になりますよね。クレーマーや訴訟は辛く施設にとってのリスクは本当に嫌なものです。モンスター家族は、どんな仕事にもついて回りますが、回避する方法は察知能力で係らない要にするだけでしょうか。ケアプランにでも例え訴えられても施設や職員を守れるような記録を意識すればよいのですかね。私は訴訟のリスクを回避するためにも施設・職員がご家族と信頼関係を強く結び本人にとっても本当に良いケアを提供していれば、例え事故が起こっても訴訟は回避できるのではないかと思っています。
しかし、職員に訴訟が怖いから…とか教育していくのも辛いですね。しかし契約から成り立っている制度ですしやはり訴訟てのも当然ですね。心を鬼にしてリスクの大きい人は受け入れしないほうが …判決はでたが、是非控訴して最高裁まで戦ってほしい。注意義務と言われても本人の人権など無視され管理だけのケアて本人にとってどうなんですかね?
|
甘いと思います。 ( No.4 ) |
- 日時: 2011/02/07 09:34
- 名前: にちろー
- >私は訴訟のリスクを回避するためにも施設・職員がご家族と信頼関係を強く結び本人にとっても本当に良いケアを提供していれば、例え事故が起こっても訴訟は回避できるのではないかと思っています。
命に関わらない事故であれば回避できるかもしれません。しかし、愛する人の命が奪われるような事故であれば、今までの信頼関係など吹っ飛ぶかもしれません。
|
信頼関係も重要ですが ( No.5 ) |
- 日時: 2011/02/07 11:07
- 名前: ヘル◆MoTfQFV0AIc
- >しかし、愛する人の命が奪われるような事故であれば、今までの信頼関係など吹っ飛ぶかもしれません。
信頼関係が無くなることもあります。 ただそれだけではなく、今まで関わっていなかった親族などが訴えようと急に登場することも多いそうです。 やはり、信頼関係を築くだけでなく、適切で根拠あるケアが重要でしょう。
ただ、今回の判決については適切なケアを推奨している判決には見えません。 >「介護服の使用方法が不適切だった」 というのは「正しい」身体拘束を推進しているようにしか思えず、時代に逆行しすぎていると思います。
私はこの問題で行き場のない高齢者が増えるということもそうですが、身体拘束を行う施設が増えるのではないかということを危惧します。
|
この判決をみたらうちも拘束を推進しそう ( No.6 ) |
- 日時: 2011/02/07 21:03
- 名前: ひろひろ
- この件で厚労省や地方の行政の人はどう思うのでしょうか。身体拘束は当然いけないことでしてはいけなんですが、身体拘束してでも命を優先させなさいと言われたら厳しいな〜。
|
控訴するしかないと思います ( No.7 ) |
- 日時: 2011/02/13 10:11
- 名前: カツ
- >加藤裁判長は「おむつを口に入れる行為を繰り返しており、予見できた。介護服を点検し、おむつを取り出せないようにする注意義務を怠った」と指摘した。
言外に四肢抑制を勧めている内容である。抑制死の悲惨さ、人間の尊厳を取り戻す為に、どれ程の努力と議論と介護力を注いできたことだろう。介護服(つなぎ服)や抑制の方がどれ程介護者は楽なことか、楽なことから大変なほうへ舵を切ってがんばってきた介護福祉の誠実に対し、無知で野蛮な判決だと思う。
こういう訴訟を起こすほど大事な家族なら、家族自身で介護すべきだったのではないのか。家族は何を訴えたいのかわからない。加藤裁判長は何を裁いたのだろうか。家族のクレームに加担しただけなのでは。
|
すなわち ( No.8 ) |
- 日時: 2011/02/13 01:00
- 名前: にちろー
- >介護服を点検し、おむつを取り出せないようにする注意義務を怠った
もっとしっかりとした介護服(つなぎ)を着させなかったから駄目だった、といってますね。 是非控訴してほしいと思います。
|
ん? ( No.9 ) |
- 日時: 2011/02/18 10:39
- 名前: そうなの
- ある意味、介護について考えさせられるできごとだったのではないでしょうか?メディアが今後も施設の問題にもっと注目すれば、介護職員の気持ち、これから社会全体で向上していかなけらばならない課題が表に現れると思います。事故を減らす介護とは?施設ではさらに議論をする必要があります。サッカーの岡田監督だって悪いことしてないのにみんなから批判されたでしょ。でもある程度ワールドカップで結果を出したじゃないですか。それがプロってもんでしょ。プライド(かなりの知識や経験の投入等含める)を持って対処することが欠けていたから裁判官にそうふうに言われたのではないでしょうか?BY現役介護福祉士。これからもっと考え、質が求められる現場になってほしい。それがこの裁判のメッセージにこめられていると思います。”人が一人死んだんですよ”。
|
それとこれとは別 ( No.10 ) |
- 日時: 2011/02/18 12:41
- 名前: ガルシア◆eqecJ08zvi6
- >「介護服の使用方法が不適切だった」
控訴しなければこの判決が今後踏襲される可能性があることを危惧しているんです。 岡田監督は批判こそされましたが、1770万円の支払いは命じられていません。
批判と裁判の判決は全く別物ですよ。
|
不愉快な”人が一人死んだんですよ”という言葉。 ( No.11 ) |
- 日時: 2011/02/18 21:16
- 名前: カツ
- そうなのさんの、”人が一人死んだんですよ”の言葉の使い方は・・なんだか暴力的です。悩み苦しみ続ける人に、いとも簡単に正義の「御印籠」を突きつけているようで・・そんな風に使って良い言葉しょうか。そういわれれば、前に進んでゆけません。より前へ人間の尊厳を守る介護を求めれば、必然的にリスクを背負う。そのリスクを回避するには空極、抑制しかありません。
”人が一人死んだんですよ”そのことを、あなたに言われなくても、皆さん知っていると思いますよ。
そうなのさんに問います。 あなたなら、具体的に現実的にどう対応されますか?
|
詩 「花のように」 ( No.12 ) |
- 日時: 2011/02/20 02:28
- 名前: カツ
- 古い詩集にあった「前田 鉄之助」という方の詩です
(正確でなかったらごめんなさい)
花のように 前田 鉄之助
時充ちて花のように咲き 花のように散れないものか。 荒れ狂う風雪の中に 花々はいつも可憐に、悲しく、艶に堪えた 倒れ、傷つき、散るまでに、 私は人間。 愛と望みにいつもさりげなく堪え、 智慧と運命のままに生きた。
森々と沈みゆくこころの青空に 忘却のせつなさは、然し救いでもある。 望みは更にふかい切なさを加えることだろう、 そしてなお望みは生と共にある。 葉の落ちはてた青銅ののように 忘れゆく日々、 人の一生、 私はおまえを見送っている、悼みながら・・・ 私を支えるものよ、雲とも消える忘却の慈悲よ 秋の葉は散り、地に伏し 風は赤々と入日に流れる。
|
マザーテレサの言葉 ( No.13 ) |
- 日時: 2011/02/25 19:09
- 名前: 駒◆8zVmPpZrfXQ
- カツさん、いい詩ですね。
昨夜テレビを見ていたら「CONTROL〜犯罪心理捜査〜」のエンディングでこの言葉が出てきましたので、私も触発されて書きこませていただきます。
一人の認知症のお年寄りが事故で亡くなられた。そのことに皆で関心を寄せることも「愛」なんだと思います。すぐに解決できなくても、一人のお年寄りが事故でなくなられたことに私たちは関心を持ち続けます。 新聞に載った見も知らずのお年寄りにこれだけ関心を寄せることができるのに、今目の前にいるお年寄りに関心を向けることができないなんてことはありえません。だとしたら、介護服(つなぎ服)や抑制をしない方法を見つけられないなんてこともないと思います。
「げげ」「げは3回」、松下奈緒っていいですね。先週もその前の週も「CONTROL〜犯罪心理捜査〜」を見ていた駒でした。(こんな突っ込みに気づくなんてどれだけ真剣に見ているんだか。)
マザーテレサの言葉 この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。自分が誰からも必要とされないと感じることです。そして、今日の世界における最悪の病は、そういう人に対する愛が足りないことです。
この世で一番大きな苦しみは一人ぼっちで、だれからも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです。
西欧で、今日最も重い病気は、人々が互いに求めあわず、愛しあわず、互いに心配しないという病です。この病を治すことができるのは、ただ一つ、愛だけです。
恵まれない人々にとって必要なのは多くの場合、金や物ではない。世の中で誰かに必要とされているという意識なのです。見捨てられて死を待つだけの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させることこそが、愛を教えることなのです。
貧しい人々が一番求めているのは、哀れみではなく、愛なのです。
愛の反対は憎しみではなく無関心です。
|
現実を考えて ( No.14 ) |
- 日時: 2011/02/26 00:41
- 名前: 介護太郎
- つなぎ服を着用すれば国から指導の上、目をつけられ、抑制を無いで介護理想を目指し、防ぎきれない事故でも罰せられる。サービス提供は怖くてできませんね。判決を受け入れ、介護の理想なんて忘れ、明日から認知症の方は自宅家族介護にしていきましょう。そうすれば誰もリスクはありません。一番正しい方向性だと思いますよ。
|
びくびくしなくても ( No.15 ) |
- 日時: 2011/02/28 14:34
- 名前: さんちゃん◆QthzFXxQm7o
- 拘束は絶対ダメというものではなく、同意書など段取りをちゃんとしてれば指導は
されません。(うちもそうです) ただ、外そうという努力を怠ってはいけません。 うちも、落ち着いているときなどは拘束を外し、様子がどうであったかを記録しています。 ご家族にも何も無くても連絡して様子を伝えています。
|
議論の方向性が違うよ ( No.16 ) |
- 日時: 2011/02/28 15:14
- 名前: masa◆GYLhv9tAC1c
- 身体拘束はルールの範囲で許されるから、それをどんどん行って事故を起こさなければ良いという方向に議論が誘導されるのはなんかおかしいね。
認知症の方でも第3者から拘束を受けずに暮らせる社会がまず考えられるべきで、そのためには、こんな理不尽な理解で施設サービスにすべての責任を摂らせて良いのかという議論であるはずなのに、なんだかなあ〜。
少なくともカツさんや、駒さんが目指している方向と、さんちゃんの方向性は似て非なるものでしょう。
あんまり変な方向にスレッドが進んでも困るので、このスレッドはもうおしまい。
|
介護するほうの気持ちは??? ( No.17 ) |
- 日時: 2011/02/28 15:28
- 名前: さんちゃん◆QthzFXxQm7o
- masaさんほんとに介護をしたことありますか?
認知症でオムツを口に入れてしまう人をずっと介護したことがありますか?? 人を「拘束を賛成している」みたいに言うのは失礼です!!! 拘束が絶対だめなら、したところは事業停止でも何でも決めればいいのに、国がそうしていないのはやむをえない場合もあるからでしょう。 私はNo14の方に向けて書いているのです。認知症の人が自宅で家族だけで介護なんて無理なことを書いていることに書いたまでです。
|