2011年02月28日

支那・中国民主化の行方


 支那・中国民主化の行方

 自由社会への渇望はやがて爆発する。

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集会封じ込めへ厳戒=呼び掛け、二十数都市に拡大−中国

【北京時事】中国当局は27日、民主化などを求める「中国ジャスミン革命集会」の呼び掛けがあった北京、上海、新疆ウイグル自治区ウルムチなどで、集会を阻止するため大量の武装警察を動員して厳戒態勢を敷いた。集会呼び掛けは20日に続いて2回目。前回の13都市から二十数都市に拡大したが、今回も封じ込める方針だ。

 北京で集合場所に指定された繁華街の王府井では、武装警察が巡回し、物々しい雰囲気に。ファストフード店前に工事用防護壁が設置されたり、大型車両が止められたりして、人が集まりにくくなった。3月に全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開かれることから、目抜き通りの長安街などでも例年より早く厳しい警備が始まった。

 集会に関する情報はインターネット上から削除され、厳しいネット規制が継続されている。集会情報を拡散させたとして、作家や民主活動家ら少なくとも4人が国家政権転覆などの容疑で拘束されたほか、警察に連行されたまま連絡がとれない人権派の弁護士らもいる。(2011/02/27-15:34)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011022700118


 現在までの所支那人民を支配する共産党によって完全に押さえ込まれています。今回も全く不発に終わったと思われます。

 しかし、中東地域における民主化運動の波及を一番恐れているのは共産党であり、その一党支配体制がこれから瓦解に向けて動き出したことはもう誰にも止められません。

 中東地域と同じような民主化運動が起きないようにするには、人民の自由に対する渇望を押さえ込むのではなく、自由化の方向に舵を取らざる得ないわけですが、独裁政権がそれを選択することは出来ない。

 何故ならば、国民の自由を認めてしまうことは、現体制の崩壊に繋がることを一番彼ら自身が知っているからです。経済では資本主義体制、政治では共産主義の独裁体制という、稀に見るこの支那・中国の近代化路線がやがて破綻するのも時間の問題となりました。

 中東地域のようになりたくない共産党指導部は、インターネットの規制などの手段で情報が広まらないように遮断しているようですが、このような方法では何も解決出来ないでしょう。

 一番の問題は如何に安定した社会体制を作りあげるかですが、残念ながら現在の支那大陸の現状が安定とは程遠いものとなっています。

 中国で住民5万人と警官隊が衝突、1人死亡

26日付香港紙・明報などによると、中国江蘇省連雲港の農村で24日、村で起きた母子3人の死亡事件の捜査に不満を持つ住民約5万人と警官隊が衝突、住民1人が死亡、約20人が負傷した。

住民は高速道路を封鎖、警察車両2台を壊した。騒動はすでに収まったという。今月14日、女性(27)とその娘2人が自宅で死亡。住民は、遺体に外傷があり、3人を殺したのは女性の夫だと主張したが、警察は心中事件と認定した。夫は村の党幹部の親類という。

24日に警官隊が遺体を火葬するため引き取ろうとしたところ住民と衝突、住民1人が遺体運搬車両にひかれて死亡した。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110226-OYT1T00640.htm

 ちょっとした切っ掛けでこのような大暴動にまで拡大するということは、現在の支那社会において、共産党の一党独裁支配体制に対する不信感が充満していることを示しています。

 共産主義体制は共産党幹部への賄賂や、その関係者だけが取り立てられ利権を漁るという腐敗した構造の中にあります。これに対する一般大衆の不満がもういつ発火してもおかしくない状況下にあると言うことでしょう。

 支那大陸で自由を求めるジャスミン革命の呼びかけが、果たしてどうなるのか、今後注視して行きたいと思います。何せお隣の国ですから、その影響は計り知れないものがあります。

 さて、2・26事件の日にちなんで渋谷の記念碑、そして賛否両論があることを承知で北一輝の墓に詣でたのは、実はこの支那大陸の不穏な動きを意識してのものです。

 北一輝は支那大陸の革命運動に参加する為に明治44年に支那に渡航して、南京・上海などを拠点として活躍した。

 北一輝と中国革命については下記を参考にして下さい。

 3.中国革命と北一輝

1911年10月に中国は武昌で革命が起こる。世に言う辛亥革命である。

北は宋教仁からの招請電報を受けて黒龍会特派員として上海に渡った。この間、武昌−南京の間を往復し、弾丸の下革命軍と行動を共にした。この時の経験は後の『日本改造法案大綱』(最初は「国家改造案原理大綱」)に生かされる。

1913年、革命軍の宋教仁が暗殺され、北自身も上海駐在日本総領事から三年間中国国外退去をこの4月に命じられ帰国することとなった。

帰国後、1915〜16年にかけて辛亥革命の体験をもとに『支那革命外史』を執筆し、これをキッカケとして大川周名・満川亀太郎が北を知ることとなる。ついでに名前を輝次郎から「一輝」と称するようになったのはこの頃からである。

1917年6月には再び上海に渡り、1919年8月、五四運動に在りながら断食(約)40日間を経て『日本改造法案大綱』を完成させる。

また、この大著の執筆中に大川周名が上海に現れ「中国の革命より日本の革命が先だ」と帰国を促し、北は作品を書き上げた後同年12月31日に帰国、翌年1月4日に猶存社に入った。

http://www.kokubou.com/document_room/
rance/rekishi/seiji/kita-ikki.htm



 私は個人的には今後支那大陸で起きるであろう民衆の蹶起が、共産党の打倒を掲げるものであれば、これを支援したいと考えている者です。

 勿論、60歳を目の前にする私ですから、支那大陸へ渡ることなどは出来ませんが、もし日本国内における支那人留学生や在留支那人が、祖国の民主化に呼応して起つのであれば、その動きと連帯したい。

 それを見据えて今回北一輝の墓を詣でたわけです。私はそれを来たの墓前に誓いました。勿論これは私だけの考えであり、共に参加した人達の考えとは全く違うものです。私一人の考えであることは明確にしておきます。

 日本経済界や既成政党が唱える東アジア共同体構想というアジア主義には反日左翼も反米という視点から相乗りする動きが垣間見えます。

 しかし、支那大陸の民主化という動きが、この東アジア共同体構想にどのような影響を与えるかはまだ真剣に議論さえされて来なかったと思います。

 現在の共産支那に隷属する未来を拒否する我々は、支那大陸における新たな政権の誕生に、いくらかでも関与して行かなくてはならないのではないか。そのように思っております。

 支那大陸の民主化、共産党政権の崩壊はチベット独立、東トルキスタンの独立や内モンゴル人民の独立などと直結する訳ですから、これに無関心であってはならないと言うことです。


★お知らせ
 2011020313240001                     
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 昨年は黒猫ヤマトで送りましたが、今年は郵便小包のほうが幾分安いのでそちらで送らせて頂きます。

 送料は下記の通りです。二箱まではこの料金です。

 関東・東京  650


 中部・北陸  730


 大阪・近畿   990円  中国・四国 1060円

 九州 1140円 北海道 730円

注文はメールにて受付します。

 
fukushimaseto@gmail.com

東京都台東区東上野6−10−7金子ハイツ401 
せと 弘幸  
TEL 03−5830−7473 090−3347−5720

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Posted by the_radical_right at 08:40│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!特定アジア(中国・歴史認識) 

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