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【韓国】日本書紀を26年間研究、高麗大学名誉教授「古代日本は韓国の直轄領土」【偏執】

 投稿者:  投稿日:2011年 2月28日(月)00時16分6秒
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  <古代韓日関係史研究26年…老学者の執念>
2011年2月27日9時30分日曜日
韓国 yonhapnews.co.kr YONHAP NEWS 城南(ソンナム)=聨合ニュース
キム・ギョンテ記者
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2011/02/26/0200000000AKR20110226043900061.HTML
※日本語機械訳意訳 ※URLリンクはコピペしてください

写真
http://img.yonhapnews.co.kr/photo/yna/YH/2011/02/27/PYH2011022700510006100_P2.jpg
古代韓日関係史への執念、チェ・ジェソク(崔在錫)名誉教授
(城南=聯合ニュース)26年間に亘る古代の韓日関係の歴史研究を通じ、
『古代日本は韓国の直轄領土であった。』と力説する、
チェ・ジェソク(文学博士・85才。城南市盆唐区(プンダング)居住)高麗(コリョ)大学名誉教授。
<<地方記事参照>> 2011年2月27日

『古代日本は韓国の直轄領土』…150編余りの論文

去る25日の午後3時、京畿道(キョンギド)城南市盆唐区九美洞(クミドン)住民センター3階の大会議室で、
洋服姿のある老教授が熱弁を振っていた。

講義の題名は、「古代韓日関係とその後の状況変化」。
堅い主題にも3.1節(独立運動記念日)を控え、
教師に警察官や主婦など、多様な職業の聴衆100人余りが傾聴した。

この日の講師は、高麗大学名誉教授のチェ・ジェソク氏だ。
家族制度史を専攻した彼は、1985年頃、家族制度史の先行研究を調べている時、
「三国史記には作為を感じる。」と主張する日本史学者たちが意外に多いという事実に注目した。

以後彼は、日本で最も古い正史である「日本書紀」の研究に没頭し、
これまでの26年の間に150編の論文とこれらをまとめ上げ、11編の古代韓日関係の研究書を出した。

これら論文の相当数は、
「○○○○の日本古代史論批判」と同じように、日本史学者の主張や史料を根拠に反論した内容だ。

古代韓日関係史の研究を通じ、彼は、『古代日本は韓国の直轄領土であった。』と主張する。

彼は、『オーストラリアが英国の地名を使ったように、
日本の色々な都市の27種類の地名として、橋、お寺、山、渡し場、港、峠、野原、貯水池、島など、
百済・高句麗・新羅・伽耶の地名を使っている。』とし、自身の論文を使って説明した。

彼は、『古代日本は航海術が未成熟であり、新羅送使に頼って中国に行った、
7世紀末ヤマトウェ(大和倭)の領域は、独立国を維持するにはあまりにも狭く、
いくつか郡を合わせた程度であった、』と力説した。

また、百済の武寧(ムリョン)王(501年~553年)が二人の将軍と五経博士を派遣して日本を経営し、
聖王(523年~553年)は日本に百済仏教を布教しながら14回にわたって百済の官吏を派遣したとし、
こういった官吏の派遣は威徳王(554年~597年)まで続いたということだ。

さらに、百済が日本(ヤマトウェ/大和倭)で軍隊や人夫を徴集し、物品を徴収したという記録、
百済本土から大和倭に後退した将軍たちが築いた百済式山城、法隆寺の仏像の製作の経緯などについても説明した。

彼は、『日本には良心的な歴史学者もいる。』と、石渡信一郎の著書(百済から渡来した応神天皇)を例に挙げた。

彼は、『日本は騎馬民族の成立を説明しながら、韓国に対する言及もなく、
「北方民族が韓半島を通過して日本を支配した。」と大まかに、渡った部分を覆す研究書だ。』と評価した。

それと共に、我が国の高等学校の国史の教科書を取り出し、「日本に渡った我々の文化」の項を指差しながら、
『どうして文化だけが単純に渡っていった。』と記述できるのか!!と興奮を隠さなかった。

彼は、『これまでの間、歴史学報・進学学報・韓国史研究などの3大学会誌に論文を送ったが、
結局掲載されることはなかった。』とし、『社会学者の浮気に主流史学界がソッポを向いてきた。』と主張した。
彼の論文は、主に「韓国学報」という小さな学術誌に掲載されてきた。

彼はこれまでの52年に亘る間、彼の専攻である家族制度史を含む326編の論文を書いてきた。
二ヶ月に一篇の論文を書くほど、脇目も振らずに研究にだけ没頭してきたという。

彼はこういう功労で、2005年三・一文化財団が与える、「三・一文学・学術賞(人文・社会科学部門)」を受賞した。

チェ名誉教授は、
『専攻でないにしても、したければしなければならず、それが認められる社会にならなければならない。』とし、
『(こういう研究が日の目を見ることができるようになければならない。)目を閉ざすことなどできないので、
どうか(主流史学者たちと)公開討論ができるようにしてくれることを願います。』と求めた。

彼の研究論文は、
来月英文版(Ancient Korea-Japan Relation and the Nihonshoki)で製作され、英国で発刊される予定だ。
 
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