ロザリオの祈り
本日10月7日は、ロザリオの聖母の記念日です。
そして毎年10月は、カトリック教会ではロザリオの月と定められ、ロザリオの祈りを思い起こす月となっています。
ロザリオの祈りについて知らない方、唱えたことの無い方は、Googleで「ロザリオの祈り」で検索してみてください。多くの人々が、ロザリオの祈りの唱え方について説明しています。
さて、昨今、日本の街ではロザリオを首からさげたお嬢さんたちを見かけるようになりましたが、これはアクセサリーとして流行しているからであって、祈りに用いているわけではないようです。ましてや真実の信仰をあらわすものではありません。お守りのような認識があるのでしょうか。ウエディングチャペルのように、様式美に惹かれたファッション感覚かもしれません。
しかし、オカルト的、悪魔的なシンボルやしるしをペンダントなどにしている人々もいますから、それに比べればどれほど良いかしれません。カトリックのメダイを好んで身につけているお嬢さんたちも多くいるようです。これらの現象は、日本の若い世代に、カトリック文化に対する潜在的な関心と憧れが存在することを示していると思います。
いずれにせよ、ロザリオやメダイをお守りとして身に付けたとしても、カトリック信仰に出会わず、知らないなら、身に付けたロザリオやメダイを侮辱するような、神と聖母を悲しませる生活を行ってしまう危険性も、少なからずあると思います。ロザリオやメダイを身に付けている若者たちが、マリア様のご保護のうちに、カトリック信仰との出会いへと導かれることを願いたいと思います。
さて、本題に入りますが、秋田の聖母マリアの一連の奇跡の出来事では、ロザリオの祈りの重要性が強調されています。
1973年6月、一連の不思議な出来事が始まりだした初期の頃、礼拝の最中に笹川姉妹に現われた天使は、笹川姉妹と共に、ロザリオの祈りをたびたび唱えてくれました。それは、これから起きていく重大な奇跡的しるしと聖母のメッセージの幕開けを告げるものでした。
笹川姉妹に現われた天使は、ロザリオの祈りをとてもゆっくりと唱えたと伝えられています。笹川姉妹も、それに合わせてゆっくりと心をこめて唱えました。このことは、私たちカトリック教徒の間ではとかく形式的になり、早く唱えがちなロザリオの祈りが、本来心をこめて黙想のうちに唱えられるべきものであることを示していると思います。
この笹川姉妹の体験から、聖体奉仕会で唱えられるロザリオの祈りは、比較的ゆっくりとしたリズムになりました。それは現在も継続しています。日々の聖務日課の間に、ロザリオの祈りを共同体的に必ず唱える修道会は、日本ではとても珍しく、聖体奉仕会の独自性と、聖母からいただいた使命を表現していると思います。
さて、笹川姉妹が聖母から受けた第三のメッセージでは、重大な危機の時代における回心とロザリオの祈りの重要性を訴えています。これは、1973年10月13日(ファチマの聖母の太陽の奇跡の記念日)に、笹川姉妹がひとりで聖堂に入り、ロザリオの祈りを唱えようとした時に、聖母像からの語りかける声として、伝えられたものです。
第三のメッセージの全文を下記に記します。
「愛する私の娘よ、これから私の話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい。
前にも伝えたように、もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。
その時、御父は大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。
火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。
よい人も悪い人と共に、司祭も信者と共に死ぬでしょう。
生き残った人々には、死んだ人々をうらやむほどの苦難があるでしょう。
その時私たちに残る武器は、ロザリオと、御子の残されたしるしだけです。
毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが教会の中まで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。
わたしを敬う司祭は同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。
祭壇や教会が荒されて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、
多くの司祭、修道者がやめるでしょう。
特に悪魔は、御父に捧げられた霊魂に働きかけております。
たくさんの霊魂が失われることが私の悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪の許しは無くなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。
あなたの長上は、祈りと償いの業に励まなければならないことを、ひとりひとりに伝えて、
熱心に祈ることを命じるでしょうから。
あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。
これからは、あなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。
ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。
迫っている災難から助けることができるのは、私だけです。
私に寄りすがる者は、助けられるでしょう。 」
この震撼する内容の大警告のメッセージは、後に世界中に伝えられました。
当時の無神論共産主義の台頭の中での東西分裂、冷戦の危機にある世界情勢や、第二バチカン公会議の結果としてのカトリック教会の現代化の方向性による内部の混乱と分裂、世俗化の急激な進行などのことを考えていくと、緊迫した時代背景の中で行われた預言であることがわかります。
この預言を恐れることは、信仰者として、人間として当然のことですが、聖母は冒頭にこう言われました。
「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。」
「もし、人類が悔い改めないならば....」という前提を置かれているのです。
これらのことを考えると、この預言は、人類の神への忘恩と侮辱に怒っておられる神の御心を察した聖母マリアの、人類の母、教会の母としての母心から発出した預言であることがわかります。マリアは人間社会と教会の行く末を心配するあまりに、この預言を笹川姉妹に託し、聖母像から涙を流されたのです。「これ以上罪が続くなら、もはや罪の許しは無くなるでしょう。」とは、人類社会と教会が、どれほど厳しい段階に達してしまっているかを示すものでした。
そして、この危機の克服のために特別に強調されているのが、ロザリオの祈りです。
「その時私たちに残る武器は、ロザリオと、御子の残されたしるしだけです。
毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって司教、司祭のために祈ってください。
(中略)
ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。
迫っている災難から助けることができるのは、私だけです。
私に寄りすがる者は、助けられるでしょう。 」
現代の重大な滅びの危機における霊的戦いにおいて、聖母は私たち信仰者の勝利と救いのために、小さな手段、単純な手段を望まれます。それが、ロザリオの祈りです。
ロザリオの祈りは、聖母と共に、御子イエスと御母マリアの生涯を黙想しながら祈る祈りです。
そして同時にロザリオの祈りは、主の祈りによって御父への賛美と嘆願を捧げ、アヴェ・マリアの祈りによって聖母にもたらされた比類なき恵みと受肉の神秘を賛美しながら聖母に願いを捧げ、栄唱によって三位一体を賛美し礼拝するのです。ですから、それゆえにこの祈りは、神への忘恩と侮辱を償う償いの祈りであり、その信仰によって三位一体を慰める、神との和解のための執り成しの祈りでもあるのです。この”単純な信仰”の実りである祈りは、思想の混乱と複雑化の中で、懐疑に満ちて神を排斥する傲慢な現代に、強力な信仰の勝利をもたらします。
第二バチカン公会議におけるカトリック教会の現代化の方向性は、時代の変化に即したふさわしい、素晴らしいものでしたが、変化の時期に特有の危機も多くありました。それらの混乱と危機は、教皇ヨハネ・パウロ2世のリーダーシップのもとで、行き過ぎや復古主義などが徐々に克服されていきました。教会の現代化は、世俗化した近代社会との対話の必要性から、より積極的に理解されるようになり、今も様々な側面で着実に進行しています。
また、東西冷戦の危機は過ぎ去り、世界はひとつの重大な分裂からの和解をしました。ヨーロッパはひとつの共同体となるほどの努力を継続しています。共産主義国だった国々の中で、キリストに立ち返り洗礼を受ける人々が急増しました。無神論共産主義の制度的、思想的矛盾と誤謬は、ますます明らかになってきています。
秋田で第三のメッセージが行われた時代と比べれば、世界はひとつの重大な危機から、すこし離れたと言えるのではないでしょうか。きっと、世界の民が聖母と共に絶え間なく祈ったロザリオの祈りが、主なる神に届いたのでしょう。聖母の汚れなき御心の勝利が、世界に現われました。天罰の危機は、少し遠ざかったのかもしれません。
しかし、現在、なお世界は引き続き、新しい様々な側面での重大な危機の中にあります。
世界に苦しみが増していくことを、誰もが感じ、体験しています。
核兵器の拡散の危険性が叫ばれています。テロリストたちが核兵器を手にする危険性は、さらに高まってきています。
人類を養うために、ひたすら生産と消費の拡大を目指している世界は、その結果としてしのびよる気候変動と将来的な資源の枯渇の危機に見舞われており、地球の限界に直面し、価値観と生活習慣の大きな転換へと追い詰められていきます。人類社会は、この近代社会の構造的危機について、人類の英知を持ってしても根本的な解決策を見出せず、大いなる苦悩の中に置かれています。
教会の世俗化が顕著に進行しています。日本のカトリック教会を見ても、社会を支配する世俗主義的文化の習慣や相対主義、マスメディアの影響を顕著に受け、聖性の軽視、誤謬の流布、バチカンへの反抗、司祭修道者への志願者の減少、マリアへの信心の軽視、信仰の確信と宣教の熱意の喪失などの現象があらわれてきています。
このように、ひとつの大きな危機の時代は過ぎ去りましたが、さらに、新たな側面からの危機の時代が続いていきます。
私たちカトリック教徒に聖母から委ねられた使命である「ロザリオの祈り」は、この地球的規模の世俗化の中での自由の乱用による堕落の危機と、近代社会の制度的崩壊の危機の時代に、三位一体の神と聖母マリアへの、私たちの単純な信仰の確信と信頼の表現として、また聖母マリアから託された救いのための鍵として、ますます大切に心を込めて唱えられなければいけない時が来ていると思います。
もう一度、聖母の第三のメッセージの一部を記します。
「その時私たちに残る武器は、ロザリオと、御子の残されたしるしだけです。
毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって司教、司祭のために祈ってください。
(中略)
ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。
迫っている災難から助けることができるのは、私だけです。
私に寄りすがる者は、助けられるでしょう。 」
クレルヴォーの聖ベルナルドは言っています。
「マリアは非常に愛に富んでいるので、その取次ぎを願う者がどんなに罪人であろうとも、
だれ一人として退けることはありません。
なぜなら、聖人たちも言っているように、この世が始まってから、信頼の心と忍耐をもって
聖母に依り頼んだ者の中で、その願いを退けられたものは、誰一人いないからです。 」
参考文献:「日本の奇跡 聖母マリア像の涙」 安田貞治神父著