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6-2 シュエラ帰城
 ──どうかご無事で。
 国境へ向かう国王シグルドを見送った後、シュエラはケヴィンの従者ロアルの手配で王都へ向かった。
 王都から実家への旅はシュエラの体調を気遣ってかなり休み休み進んだけど、王都へ戻る際はお昼休憩と、午前と午後に少し休憩をはさむだけで馬車は進んでいく。
 行きの二週間より短い、十日間の旅。
 それでも考え事をするには十分な時間だった。
 王都からの旅にも同行してくれた小間使いが王都への旅にも付き添ってくれ、馬車に揺られる最中などシュエラが退屈しないように気遣って話しかけてくれた。
 しかし宿屋に入り寝支度が整えられ小間使いが退室してしまうと、一人になった静けさから、考えまいとしていたあれこれが意識の上に浮上してくる。

 本当に王城へ戻ってもいいのだろうか?
 シュエラが王妃になることを反対していた貴族たちは、シュエラが実家に帰ったと聞いて喜んだことだろう。
 シュエラを王妃にしないという、シグルドの意思表示ととった者も居るかもしれない。
 シュエラもそうとしか思えなかった。
 けれどシグルドは、シュエラの実家にまでやって来て「王妃になれ」と言ってくれた。
 そのときはとてもうれしかった。
 でも、時が経てば経つほど、不安の方が勝ってくる。
 どうして王城を脱走してまで会いに来てくれたの?
 もしかして王妃になれと言いに来てくれたのかもしれない。── 一度はシュエラを置いて出発しようとしたのに? 
 シグルドが本当は何のために実家まで来たのかわからない。そのことがシュエラの不安に拍車をかける。

 何故シュエラを王妃に望むのか。
 シュエラは先王時代に中央の職を罷免された伯爵の娘で、王妃になったところでシグルドに益をもたらすどころか治世の妨げになるかもしれない。
 それなのにシュエラを王妃にしてくれる理由に、二つ心当たりがある。

 陛下はお優しいから……。

 実家への援助のことを気にかけてくれて、シュエラを妾妃にしてくれた。
 妾妃でいる意味がないと泣いてしまったシュエラを、本当の妾妃にしてくれようとした。
 自分で言ったくせになかなか慣れずに先へ進めないシュエラに、ゆっくりでいいから慣れていってくれと言ってくれた。
 そんな人だから、シュエラの行く末まで案じてくれたのだろう。
 新しい王妃が迎えられれば、妾妃であるシュエラは日蔭の身のままだ。そして王妃が世継ぎを産めば、シュエラはお払い箱。実家に戻ったところで、妾妃という、一度は人の妻であったような者を娶りたいなどと思う人は居ないはず。そうなると、シュエラは一生を実家で暮らすことになる。長男のアルベルトが案じたように。
 そんなこと気にしなくてもいいのに。シュエラは家族の世話は好きだし、もともと一生を一人身で過ごすところだったのだから、愛妾候補として城に上がる以前に状況が戻るだけだ。
 シグルドは国を背負っていかなくてはならないのだから、シュエラのことよりまず自分のことを考えて欲しい。その重責に疲れた心を癒したいと思って王城に上がったのに、煩わせてしまうわけにはいかない。
 もし本当にシュエラを案じて言ってくれていることならば、王妃の位を辞退することをちゃんと伝えなければならないと思う。

 もう一つ思うのは、シグルドがシュエラの父ラドクリフに投げかけていた言葉。
 ──いつまでも田舎貴族のままで居るな。すぐに中央へ呼び戻すぞ。
 ブレイス侯爵は時期が早すぎると言っていたけど、シグルドはペレス公爵や父の中央復帰を考えているのかもしれない。
 だとしたらうれしい。シュエラの存在が、国を思うがゆえに汚名を受けた人々の名誉回復とこの国の調和のためになるのなら、よろこんでその役目を引き受けようと思う。

 けど、胸が痛い。
 最初に王城に上がったときは、役に立つのならばどんなことにも耐えてみせようと、その覚悟もあったつもりだった。

 でも知ってしまったから。

 覚悟があると言いながら、シュエラは何もわかっていなかった。
 嫌悪されたり軽蔑されたりするよりも、つらく悲しいことがあると。
 ……ううん、そのことはわかっていたんだと思う。だから王城に上がったときから決めていたことがあった。
 ただ、いくら心を動かさないと決めていても、どうしようもなくなるときがあるのだと知らなかったのだ。

 そうして動き出してしまった気持ちを知ってしまった。忘れようとしても忘れられない、その気持ちを。
 気持ちに気付いてしまえば、同じ気持ちを返してほしいと思ってしまう。

 けれど陛下がその想いを向けるのはエミリア様だけ。

 国境に向かう前のシグルドの話にもあった。
 ──エミリアのおかげで周辺諸国に理解を得ている。
 シュエラを安心させようと言ってくれた言葉だったけど、シュエラの胸にかすかな痛みを与えた。
 エミリアのことが良い意味で語られるのはうれしい。でも、その言葉をシグルドの口から聞くのがつらい。
 シグルドはエミリアを、ことあるごとに語るだろう。
 そうしてシュエラは思い知るのだ。シグルドの中でエミリアがいつまでも過去にならないことを。

 王妃になれと言われたけど、シュエラは答えられなかった。
 来いと言われたからはいと答えただけ。
 でも、これでよかったの?
 シグルドに連れられ実家を出て、今王都に向かっているということは、シュエラが王妃になると承諾したのと変わらない。

 このまま王妃になってもいいのだろうか?
 愛する人に愛されないまま、その傍らに居ることを耐えられる?

 それだけじゃない。
 シュエラが王妃になることを、国政を支える中央の貴族たちは猛反対している。その反対を押し切って王妃になれたとしても、シュエラはエミリアのように国に貢献することはできない。シグルドの役に立つどころか、邪魔になる。


 今はシグルドや国境を守る人々の無事を祈らなければならないのに、頭の中は自分のことばかりで、シュエラは自分が嫌になるのだった。


   ──・──・──


 王都の、王城にほど近い位置にあるクリフォード公爵邸に到着すると、シュエラは邸の中に迎え入れられた。
「まずは旅の汚れを落としてください。その間に公爵に使いをまいらせましょう」
 執事が言い、シュエラは客室に案内される。
 客室の浴槽にお湯がためられ、シュエラは風呂に入らされた。この邸から王城まですぐそこの距離なのに、髪までよく洗われてしまう。

 用意された外出着に着替えると、応接室に案内された。そこでクリフォード公爵が待っている。
 公爵の帰邸の報せは、風呂から上がるころに入ってきた。それから髪を乾かし手入れをしたのだから、ずいぶん待たせてしまったと思う。
「お待たせすることになって申し訳ありません……」
 肩をすぼめて謝ると、公爵は立ち上がって扉近くに立つシュエラに近付いてきた。
「旅の汚れを落として、さっぱりしましたか?」
「あ、はい……。ありがとうございます」
 シュエラは戸惑いながら返事をする。公爵の表情に笑みはあったのだけど、どこか突き離すような雰囲気があった。
 今までにそのような雰囲気を感じたことは一度もないのに。
「それではさっそく王城へ参りましょうか」
 公爵はシュエラにあまり視線を向けないままシュエラの横を通り過ぎ、開け放たれたままの扉を出ていった。


 邸の正面玄関の前に横付けされていた馬車に、シュエラはクリフォード公爵とともに乗り込んだ。
 走り出したところで公爵は口を開く。
「このように一緒の馬車に乗り合わせるのは、あなたが王城に初めて上がって以来ですな」
 懐かしむ様子の公爵に、シュエラは「はい」とだけ答えた。
「あのときは、あなたよりわたしの方が緊張していたように思うよ。間を置かずに次々送りこまれてくる愛妾候補に、国王陛下が辟易してらしたのを知っていたからね。わたしにまで候補を送り込まれたと、陛下が怒ってしまわれるのではないかとひやひやしていた。──わたしは陛下の一番の理解者で最大の味方だと自負していたからね。だから陛下に裏切りと思われ、嫌われてしまうのが怖かった」
「それは……申し訳ないことをお願いしてしまいました。それで、あの。そのときは大丈夫でしたでしょうか?」
 シュエラが首をすくめて謝ると、公爵は苦笑する。
「拗ねてしまわれたがね、数日で元通りだよ。陛下があなたに興味を持たれはじめたと噂が流れた前後からね。──正直驚きでした。あんなに頑なだった陛下があなたを妾妃にしたことは」
 そう言う様子は、シュエラの知る公爵だった。
 しかし、柔和な笑みに次第に苦悩のようなものがにじみはじめる。
「それからは予想外の連続でした。国王陛下が冤罪を晴らすために侍女に謝罪したことも、王妃陛下が位を退かれたことも、ラダム公爵が失脚したことも。
 あなたがこれまでにもたらしてきた変化は、この国にとって悪くないものだったとわたしは思っている。陛下はその経験から人の上に立つことを学び、王妃陛下は望まぬ結婚から解放され、国が乱れる元凶を招いたラダム公爵は生涯幽閉の身となり国政に干渉できなくなった。
 ですが、今後はそのように上手くいかないでしょう。あなたはペレス公爵の復帰を促す、いいきっかけになるかもしれない。けれど、今戻って来られたのは非常に間が悪い。あなたは何故戻ってきてしまわれたのですか?」
 少なからずショックだった。この人にも王妃になることを歓迎されていない。
「それは……」
 言いかけると、言葉によって止められた。
「戻って来られたいきさつは、ブレイス侯爵とお聞きします」
 シュエラははっとする。王城を出る日の昼間、シュエラは殺されそうになり、現場に居たブレイス侯爵が疑われてしまったのだ。
「あ、あの。ブレイス侯爵は」
「新しいラダム公爵が父親の罪を恥じて自主的に謹慎していてね、ラダム公爵がすべき役割を今はブレイス侯爵が代行している。──ああ、あなたが暗殺されそうになったとき側に居たことに対する疑いは晴れていますよ。あなたと出会ったのは本当に偶然だったというし、あなたが侯爵にかばってもらったと証言なさったしね」
「そうですか……」
 ほっとするけど、それとは別に心はもやもやしてくる。
 ブレイス侯爵もシュエラが王妃になることを反対していた。
 公爵の話からすると、これから会うことになる。
 どのようなことを訊かれ、どんな話があるのか。
 馬車が王城に入っていく。話はそこで終わった。


 西門から王城内に入り馬車を降りると、クリフォード公爵は表の道には行かず、シュエラが王城を出る時こっそり使った北の庭の入り組んだ道に入った。
「あなたが戻ってきたと皆が知れば、大騒ぎになるでしょうから」
 黙々と歩いていると、どうしてもこの後にことを考えてしまって、気分がどんどん重くなっていく。
 くねくね曲がりながらも最短と思われる道を突っ切ると、目の前はもう北館入り口だった。
 玄関を守る衛兵二人が、公爵の姿を見て敬礼し、扉を開ける。
 二人は公爵の後に続くシュエラに気付いて、驚いたように目を瞠った。シュエラが戻ってくるとは思っていなかったのだろう。
 居たたまれない思いをしながら中に入ると、玄関ホールの壁際に立ってクリフォード公爵に会釈していた侍女が、顔を上げてシュエラに目を向け、うれしそうに笑みこぼした。
「お帰りなさいませ。シュエラ様」
 金髪に澄み渡った青色の瞳をしたセシールは、そうあいさつをして腰を折って頭を下げた。
 一度助けたことがあるためか、セシールはシュエラのことをずいぶんと慕ってくれていた。まったくの善意ではなかったと告げたあともそれは変ることなく、何故か尊敬されているような発言さえあって気恥ずかしく思うこともよくあった。けれど今はセシールが向けてくれる親愛の表情が、沈み切ったシュエラの心をあたたかく包んでくれる。
 それもクリフォード公爵の一言があるまでだった。
「ブレイス侯爵は?」
 質問され頭を上げたセシールは、不安げに表情を揺らして公爵を見上げた。
「応接室にて、すでにお待ちです」
「そうか」
 公爵はセシールの前を横切って、玄関から東側へと伸びる廊下へと入っていく。
 続くシュエラに、セシールは心配そうな表情を見せた。
 これからどのような話があるのか、セシールはある程度察しているのかもしれない。
 わたしがしっかりしなくちゃ。
 これからブレイス侯爵と話すのは、他でもないシュエラだ。弱気でいてはこんこんと諭されてしまう。
 前回話したときはブレイス侯爵の言う通りだと思った。シュエラは王妃になるべきではないと、一度ははっきりと胸に刻んだ。
 でも今回は、陛下に望まれてここに居るのだ。
 どんな理由で陛下がシュエラを王妃にしようとするのかはっきりわからないからこそ、理由がわからないうちに負けて再度実家に帰るようなことになってはならないと思う。
 シュエラはセシールに目を細めて笑いかけ、歩き出す。
 それでほっとしたらしく、セシールは笑顔を取り戻しシュエラに会釈すると、小走りにクリフォード公爵を追いかけた。


 扉をノックしてから、セシールは中に声をかける。
「失礼いたします」
 セシールは内開きの扉を押して中に入り、扉の裏側に回って支えた。
 そうやって開け放たれた入口から、クリフォード公爵に続いて、シュエラは室内に入る。
 一人掛けの椅子からブレイス侯爵が立ち上がり、シュエラの方を見た。
 そして小さくため息をもらす。
「おかけください」
 そう言って長いソファを手のひらで指し示す。
「え? ですが……」
 入口を見ることのできる三人掛けのソファは、普通身分が上の人の席だ。シュエラに王妃を辞退するよう言いに来た三人の大臣も、そちらに座った。
 戸惑っていると、もう一つの一人掛けの椅子の横に立った公爵が言う。
「あなたは妾妃ですから。非公式な身分であっても、我々はあなたに礼を取らねばならない立場にあります」
 そう言われてしまっては、三人掛けのソファの方に座らないわけにはいかなかった。端の方に座ろうとしたのをクリフォード公爵に注意を受け、真ん中に座らされる。
 シュエラが座ると、クリフォード公爵とブレイス侯爵もソファに座った。
 さっそくブレイス侯爵は切り出す。
「シュエラ様、あなたは何故ここへ戻ってくることにしたのですか?」
 訊かれないわけがない問いに、シュエラは用意していた答えを口にする。
「国王陛下がわたしに、王城へ戻るようおっしゃられたからです」
「いつ、陛下よりそのようなお言葉をお聞きになったのですかな?」
 何故その言葉に従ったのかと追求されるかと思ったのに、話は何やら違う方向へと流れていく。
 困惑しながらシュエラは答えた。
「実家で、ですけど……」
「つまり陛下は、あなたの実家まで赴かれそのように話されたのですな?」
 その通りだけれど、「はい」と答えられないような、不機嫌な雰囲気をシュエラは感じる。
 だからといってごまかすこともできず黙っていると、ブレイス侯爵はこれみよがしなため息をついた。
「王城内で飛び交っている噂は、まったくそのとおりだったというわけか」
「え……?」
 噂?
 何のことかと、ブレイス侯爵の顔をまじまじと見つめてしまうと、侯爵はシュエラの不作法を見て嫌そうに顔をしかめ話し出した。
「二週間ほど前に、陛下が病に倒れ面会謝絶になったのです。ですがその二日後、国境からの報せを受けたとき、陛下はすでに国境へ向かったという話も同時に受けました。
 ですから貴族たちは不審に思ったのです。面会謝絶を必要とするほどの病に倒れた方が、たった二日で旅ができるようになるまで回復したのはおかしいと。ましてや大国が攻めてくるかもしれないという事態は国の一大事で、こそこそと出立しなくてはならない理由などない。
 そこでこう考える者たちが現れたのです。“陛下が病に倒れたというのは嘘で、本当はシュエラ様に会いに行かれたのではないか”と。
 シュエラ様が戻って来られたと聞いてから計算しておりましたが、経過日数から考えてそうかもしれないと予測を立てておりましたが、陛下は本当にあなたに会いに行かれていたわけだ」
 ブレイス侯爵はもう一度ため息をついた。
「このような時期に、何ということをなさるのか……」
 つぶやいたかと思うと、ソファに沈み込み眉間をつまむように指を押しあてる。
 不安を覚え、シュエラはクリフォード公爵に視線を移した。公爵は憐憫に似た表情をしてシュエラに視線を返す。
「本当に時期が悪かったというだけです。平時でしたらお忍びで数日城を空けられたとしても、誰もさほど問題視しないでしょう。
 しかし今は大国と一触即発の状況にあり、そんな大事な時に国を放り出して女の元へ駆けつけたということが問題なのです。浅はかな行動をとった陛下は批判されるでしょうし、陛下にそのような行動を取らせたあなたは、人々からの非難を免れないでしょう」
 国王が城を空けて大丈夫なのかと案じはしたけど、そこまでのことは考えなかった。事の大きさにシュエラは青ざめ、指先が震える。
 ブレイス侯爵が眉間から指を外し、厳しい表情をして言った。
「あなたを王妃にするかどうかは、陛下がお帰りになられてからの話となります。ともかくあなたは、それまで北館から出ないようにしてください。……」


 シュエラの背後に控えていたセシールは、シュエラがだんだん項垂れていくのを、気遣わしげに見つめるしかなかった。


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