完結御礼番外編 シュエラとシグルドのお引っ越し 御礼-1 朝の出来事
チチチチチ……
小鳥のさえずりが聞こえる。
まどろんでいたシュエラは、ぬくもりの中でゆっくりと目を覚ました。
まず視界に入ってきたのは、夜着に覆われた胸元。顔を上向かせれば、間近にいとしい人の顔が見える。
群青色の意思の強い瞳を閉じ、薄く唇を開いて寝入る様は、子供のようにあどけない。
見ているとしあわせな気分がこみ上げてくる。今度こそお別れだと絶望しかけたからこそ、ことさらに。
こみ上げてきた想いで胸をいっぱいにしながら、シュエラは肩に回ったシグルドの腕をそっと外した。
今日は早めに起きてほしいと言われている。
シュエラの居室を替える日だからだ。
この部屋は王子や王女が使う部屋。
移る先は、王妃の間。
シュエラはまだ王妃ではないけれど、シグルドの強い要望で早々に部屋を移ることに決まった。
その準備が大急ぎで進められ、昨日部屋替えができるところまで整ったのだという。
本館三階に住まうシグルドも今日、国王の間に部屋を移る予定だ。
早めに起きてほしいと言われたのには理由がある。
一週間前から侍女たちが起こしに来ることがなく、それをいいことに朝寝坊を繰り返しているからだ。
……朝寝坊の原因は、眠り足りないらしいシグルドに捕まえられて身動きが取れなくなるためだけど。
こんなに寝起きの悪い人だと、今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。
今日は上手く抜け出せそうだ。
そう思いながら体を起こし、腰に回った腕をそっと持ち上げる。
が。
「きゃ……っ」
シュエラは小さく悲鳴を上げて、体をもう一度ベッドに沈めた。
起こしてしまったの!?
シグルドの腕が肩と腰に回って、シュエラの体を拘束する。
胸元に引き寄せられたシュエラは、できるだけ顔を退いてシグルドを見上げた。
シグルドはまだ目を閉じていた。
その顔がわずかにしかめられ、ゆっくりと瞼が開かれる。
寝起きの無防備な笑みを浮かべ、シグルドは口を開いた。
「おはよう。シュエラ」
「お、おはようございます」
シグルドは無意識なのだろうが、この笑顔を見てしまうとシュエラはシグルドに「起きてください」と強く言えなくなってしまう。甘えてくる子供のようで、好きなようにさせてあげたくなってしまうのだ。
その挙句、シュエラも二度寝してしまう。
だが、シグルドだって今日のことはわかっているはず。
体を少し起こしたシグルドは、気だるげな目で厚いカーテンのむこうに透かして見える朝日を見遣る。
「……まだ早いな」
つぶやくとシュエラの上に覆いかぶさり、唇を重ねてくる。
唐突な行為にシュエラは動転した。
強引に口づけられたことは何度かあっても、こんな脈絡のない口づけを受けたのは初めてなのだ。強引なものであれば抵抗すればいいように思うが、このような場合はどうしたらいいのかわからない。
とりあえず、身をよじり抵抗してみる。
それは、シグルドの腕にさらに加わった力によって封じられた。
きつく閉じていたシュエラの唇が割られ、口づけが深くなる。
そのときになって、シュエラは何かおかしいことに気付いた。
シグルドの動きに容赦がない。どこか乱暴で、シュエラに気遣いがないような。想いが通じ合ってからは、強引なところはあってもいつでもいたわりのようなものを感じていたのに。
唇がわずかに離れた隙をついて、シュエラは息も絶え絶えに言った。
「寝ぼけて、らっしゃるんですか?」
その言葉にシグルドの動きが止まる。たった今目を覚ましたというような顔をして、シュエラを上からのぞきこんだ。
シグルドの唇から呆然と漏れ出るつぶやき。
「夢じゃなかったのか……」
夢だと思ってたんですか!
シュエラは心の中で叫ぶ。
表情をひきつらせたシュエラに、シグルドは何故かほっとしたような笑みを見せた。
「夢の中で、夢を見ていたんだ」
そう言ってシュエラの上から退き、ベッドの上に座り込む。立てた膝の上に腕を置いて、もたれるように背中を丸めた。
どこか疲れたような雰囲気。
「夢の中で夢、ですか……?」
シュエラも体を起こして傍らに座った。
シグルドはシュエラの方に少し顔を傾け、視線を合わせて弱々しい笑みを浮かべる。
「おまえが俺のもとから去ってしまったという夢だ。夢の中の俺は失意の中でおまえの夢を見て、夢なら覚めないでくれと思いながら一晩じゅうおまえを求めるんだ。
──自業自得だな。おまえの気持を確かめようともせず、単なる思い込みで手放そうとした」
そのときのことを思い出すと、シュエラの鼻もつんとしてくる。
涙があふれるのをこらえながら言った。
「わたしならここにおります」
「そうだな。……俺はもう、おまえを手放す気はない」
「わたしも、シグルド様のお側を離れたりしません」
そう言って笑い合い、どちらからともなく唇を重ねる。
シグルドの腕がシュエラの背に回って抱き寄せられ、シュエラもシグルドの背に手を回す。
しあわせに目が回ってしまったみたい。
と思ったら、気付かないうちに体を横たえられたからだった。
「あ、あの、シグルド様?」
シグルドの唇が頬を伝って耳元に向かい、大きな手のひらが夜着の上からシュエラの体をなぞる。
「まだ時間が早いからな」
「え!? あの、今日は──」
シュエラの慌てた声は、戻ってきたシグルドの唇に飲み込まれてしまう。
シュエラはシグルドの背を叩いて抗議した。
みんながいつ起こしにくるかわからないのに!
ここ一週間遠慮して起こしに来なかった侍女たちも、今日はさすがに起こしに来るだろう。
というか。
こんなこと、朝っぱらからするものじゃないでしょう!?
シグルドは唇を離すのと同時に身を起こした。
わかってくれたのかとほっとしたのもつかの間、両の手首を掴まれベッドに押し付けられてしまう。
額と額、鼻と鼻が触れあいそうなくらいの距離で、シグルドは切なげな声を漏らす。
「おまえがここにいることを確かめさせてくれ。──夢の残滓を消し去りたいんだ」
シュエラは軽く息を飲み、もがくのをやめてしまう。
抵抗が止むと、シグルドは再びシュエラに口づけて、いくつもの蝶々結びで閉じられていた夜着の胸元をほどいていった。
その合間に肌をなでる手は、さきほどの好き勝手なものとは違う。シュエラの様子を確かめるように行き来する。
口づけも触れてくる手のひらも、甘く心地よくて、シュエラの体からどんどん力が抜けていった。
シュエラは今がどんな時間であるかを次第に忘れて、シグルドから与えられるものに身も心も委ねていく。
全部ほどかれた合わせからシグルドの手が滑り込んだとき、こんこんという硬質な音が聞こえた。
その音に我に返り、シュエラはシグルドの胸に手を当てて押し返す。
「待ってください。今、ノックの音が」
「──時間切れか」
…………今、舌打ちの音が聞こえた?
シグルドはシュエラを離し、ベッドを降りた。
シュエラも身を起こし、急いでほどかれてしまった胸元の紐を結び直す。今から着替えるとはいえ、シグルドと入れ違いに入ってくる侍女たちに胸元が開いているのを見られるのは恥ずかしい。
一番上の紐を結び終えるのと同時に、ベッドがまた大きく揺れた。ガウンを身にまとったシグルドが、ベッドの上に身を乗り出し、シュエラの顔を間近からのぞき込む。
「そういえば今朝はまだだった。──愛している、シュエラ。おまえは?」
毎日朝晩繰り返されている言葉。
今でも言葉にするのは気恥ずかしい。シュエラは頬を染め、ちょっとだけシグルドの目から視線を下げて答えた。
「わたしも愛しています。シグルド様」
うれしそうにほほえんだシグルドは、シュエラの頬に手を添え上向かせ、唇にやさしく口づけを落とした。
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