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6-6 会談
 シグルドたちに続いて国境門を出てきた兵士たちが、壕のあちこちに散らばっていった。
「今の内に難民の持ち物を回収し、廃村に運べ!」
 隊長のうちの誰かが叫ぶ。


 シグルドの耳に背後の騒ぎは届いていなかった。
 壕の中央を分断する道を上に立つ者らしく堂々と歩きながら、頭の中では相手とどのように対するかめまぐるしく考えている。
 下準備をする時間もなく、慣れない戦場で初めての相手と戦う。
 このようなとき、戦いは大いに苦戦する。
 戦いにおいて、戦場の下調べは重要だ。建物、川などの障害物。ぬかるみや田畑跡といった足場。土地の勾配、段差、自軍と敵軍との高低差。その土地の特異性。それらをどれだけ知り尽くし戦略に組み入れるかが、勝敗を決めることもある。
 また、軍や軍を動かす指揮官には、戦い方の癖というものがある。急先鋒を置いて突撃する方法を好むのか、はたまた包囲陣を組みじりじり追い込む戦法を得意とするか。

 これから赴く戦場は、対話という目に見えない戦場。
 相手は、今まで一度も会ったことのない大国の皇帝。

 戦略を教え伝えながら、ウォリック侯爵はこうも言った。
 ──戦場の下調べができなかった場合は、得体の知れない土地に軍を踏みこませないことです。もしそこが草原に隠れた底なし沼だったら、我が軍は戦うどころではなくなってしまいます。自軍が戦える状況に軍を置くことも、指揮官が成さねばならない采配です。
 ケヴィンは国境に至るまでの道中、知る限りの情報をこんこんと説いた。
 ──グラデンヴィッツ帝国皇帝レナードは、今年で六十七歳になる老獪な人物です。軍を指揮する才能もずば抜けていますが、相手の隙を突く外交術や、入念な準備により戦争を回避する例も多い。戦乱のさなかに各国の要人の争奪戦が繰り広げられていたという情報がありますが、これもレナードの差し金だったようです。グラデン軍は最終的にすべての要人捕虜を手中におさめ、半数以上の交戦を回避し、結果介入から半年とわずかで戦乱を平定しました。
 話術に長けたヘリオットからは、以前このようなことを聞いた。
 ──話題を豊富に取りそろえておくことも重要ですが、相手のペースに会話を引きずられないようにするには、まず自分の目的意識を明確にしておくことですよ。会話を通じて何を得たいのか。そのことを念頭に置いて相手との対話を心がければ、こちらの意思は相手に伝わりやすいですし、相手をこちらのペースに持っていくこともできます。

 目的ははっきりしている。
 国を、国民を、隣国の難民を守ること。これが第一。
 金銭や領土割譲などの不当な要求があるかもしれない。そのような要求は一度応じれば相手をつけ上がらせることになるので、きっぱりとはねのけること。
 開戦に持ちこまれるような事態は避けること。
 こちらの考えを悟らせないようにし、弱みにつけこまれないようにすること。
 そして忘れてはならないことは、自分一人ではどうにもならないと感じたら、話を途中で切ってでも会談を中断し引きあげること。ときに退却することも、戦略的に重要だ。退却の機を逸すれば、大敗を喫することだってある。

 相手がどのような話題という戦場を用いるのか、どのような戦略を用意しているのかわからない。
 ならば目的意識だけをはっきりとさせ、あとは戦況を見ながらこれまで自らの中に蓄積してきた知識や経験を駆使していくしかない。


 壕の入り口からさきほどの戦闘で壊れかけた柵が撤去され、脇の盛り土に立てかけられていた。
 そこを抜けると、待機していた兵が敬礼して報告する。
「森の中に敵兵の姿は確認されていません」
 シグルドはうなずき、立ち止って軍道に目を向ける。
 森を切り開き作られた軍道は、高台にある国境からゆるやかな坂道となって、レシュテンウィッツ王国の大部分を占める盆地に吸い込まれていく。
 その坂道の中でも比較的平らな場所を選んで、会談の場となると思われるテントは建てられていた。兵士たちが雑魚寝をする三角屋根の小さなテントではない。天井が高く、砦の小部屋が一つ、すっぽりと収まってしまうくらい大きなテントだ。
 そのテントは、本来あるべき側面の布が取り付けられていなかった。誰も隠れることはできないという表明だろう。
 そのテントの付近に居るのは、ざっと数えて十名程度。
「こちらも同じ数に揃えましょう」
「そうだな」
 ケヴィンの進言にシグルドはうなずく。
 護衛は多すぎれば怯懦ととられるし、少なすぎれば相手を侮ったとされる。
 もう駆け引きは始まっているのだ。
 シグルドの返答を受け取ってからケヴィンは人数を数えて、残りの者には待機を命じた。
「では参りましょう」
 ケヴィンの言葉を合図に、シグルドは気を引き締めて再び歩き出した。


 シグルドの一団は天幕から少し離れたところで一旦止まり、護衛の近衛たちをその場に整列させた。
テントの中から大隊長格の徽章を肩に付けた兵士が一人出てくる。
「ラウシュリッツ王国国王シグルド陛下であらせられますか?」
「そうだ」
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
 シグルドはケヴィン、ヘリオットと目配せをしあい、二人を連れてテントの下に入る。
 シグルドに背もたれと肘かけのある椅子を勧めると、兵士はさきほどまで立っていた場所へと戻っていった。
 勧められた椅子と対面になるよう座した人物の斜め後ろの位置に。
 背後に二名の大隊長を控えさせたその人物は、座っていても背の高さを想像できる大柄な体格をしていた。そして髪のみならず、眉や口元からあごにかけて長く伸ばしたひげまでもが総白髪でありながら、浅黒い肌は年齢の割にしわが少ない。
 そして口元はにこやかにゆるめているのに、漆黒の目は異様にぎらついている。

 これがグラデンヴィッツ帝国皇帝レナード──。

 覚悟してきたのに、威圧感に圧倒されそうになる。
 ここで怯んではダメだ!
 シグルドは心の内で自らに激を飛ばしながら、動じた様子を寸分も見せず、勧められた椅子に着席する。
 そうして同じように口元をくつろげて睨み据えれば、皇帝レナードは口の端を上げてにやり笑った。
「まずは礼を言おう。話し合いに応じてくれて感謝する。儂がグラデンヴィッツ帝国皇帝レナードである」
「余はラウシュリッツ王国国王シグルドである。こちらこそ感謝したい。話し合いで解決したいのはこちらも同じだ」
 どこか空とぼけた様子でレナードは言った。
「貴殿の年はいくつであったかな?」
 若輩であるにもかかわらず、対等に話そうとするシグルドへの揺さぶりだ。
 シグルドも相手の揺さぶりに気付かない振りをして答えた。
「あと少しで二十四歳となる。六十七の齢を数える貴殿からすれば若輩もいいところであるが、余も一国を背負う身。言葉遣いが不遜に聞こえたとしても、ご容赦願いたい」
 相手より少しでもへりくだった言葉遣いをすれば、対応も下手にならざるを得なくなる。
 ──威厳のある話し方をなさってください。言葉遣いひとつで臣下の者たちの態度は変ってくるものです。
 国王の座に就いてすぐのころ、ケヴィンにこう言われた。自分を指す言葉を“俺”から“余”に変えさせられ、偉そうな言葉遣いに正された。
 この言葉遣いは、言葉を武器に戦う際の楯となる。何と言われようが手放すわけにはいかない。
 あくまでも改めないと意思表示するシグルドに、レナードは笑みを浮かべてうなずいた。
「若いのに肝が据わっておる。儂は自らの立場をわきまえる者は嫌いではない。好きな言葉遣いをすればよろしかろう」
 思っていたより鷹揚な人物だ。が、油断してはならないと思う。笑みを浮かべながらも、探るような鋭い視線をゆるめようとしない。
 ねめつけてくる視線を、シグルドは相手の目から視線をそらさないことではねのけた。
 戦いの場では、相手に弱気を見せたり考えを見透かされたりしてはならない。
 穏やかな視線で警戒をも押し隠し、シグルドは口元に笑みを浮かべる。

 そんなシグルドに対し、レナードは何故か満足げだった。
「貴殿の戦いぶりを実際に見たのは初めてだが、噂に違わぬ見事な指揮であった。恐慌に陥った民衆を鎮め、他国の民を守る戦いで兵士の士気をあれだけ上げられる者は他には居らぬだろう」
 舌打ちしたい気分だった。あの混乱に気付いていたのか。こちらは冷や汗をかくほど焦っていたというのに。元凶でありながらそのことに触れることなく褒めてくる様子はしゃくに障る。
 腹立ちを抑え、シグルドはすまして答えた。
「お褒めの言葉をありがたく頂戴する。だが、それも貴国の軍の不可解な動きあってのこと。貴国が本気で攻めてこられれば、我が軍とて苦戦を強いられたはず」
 このくらいの本心は許容範囲だろう。
 前置きはもう終わりにしたい。
 シグルドの言外な斬り込みに、レナードはぎらり目を光らせ反応する。
「我が軍がわざと手控えたと?」
 ここからが勝負だ。シグルドは眼光に闘志を宿す。


 グラデンヴィッツ皇帝レナードは、さきほどまでの和やかな様子を一変させた。口元の笑みは消え、目をすがめて睨みつけてくる。
「そのようなことをして、我が国に何の得があると言う? 何を以ってして手控えたと判ずるのかお聞かせ願おうか」
 相手の気迫に怯んではならない。慎重になりすぎてもいけない。
 ただ思うことを口にしていけばいい。相手に話すわけにはいかない腹黒いところなど持ち合せていないのだから。
 ラウシュリッツ王国国王シグルドは、考えを巡らせるようにさりげなく視線をそらした。
「貴殿の軍は弓兵を用意していなかった。城壁の上からの攻撃に弓兵たちが応戦し、歩兵たちを門に攻め込ませるのは城攻めの常套の一つ」
 レナードは声に怒気を含ませて凄みをきかせる。
「儂の策に不手際があったと言いたいのか?」
 誤解を与えてしまったことに、シグルドは動じなかった。ここで慌てて釈明すれば、レナードの言葉を肯定することにもなりかねない。
 余裕の笑みをたたえ、ゆっくりと言葉をつむぐ。
「余はその逆と考える。
 多くの国を交えた十一年にも渡る泥沼の戦いを、一年足らずのうちに平定した軍の戦いぶりとは到底思えなかった。これは貴殿の意図が戦いに勝ち難民を連行することにあるのではなく、一度戦いを仕掛けた上でこの会談の席を設けたいという思惑あってのことと推察するが、いかがか」

 たっぷり一呼吸置いて、レナードは口を開いた。
「ほぅ……貴殿はそう見るか」
 眼光がゆるみ、興味深そうにシグルドを見る。
「貴殿に問いたいことがある。
 なにゆえ難民たちを守ろうとする? 自国民ならともかく、他国民の世話をしたところで何の国益にもならぬだろうに」
 レナードの問いにシグルドは答える。
「助けを求める者たちが居るから救いの手を差し伸べる。それでは理由にならないだろうか?」
 普通はならないのだろうなと内心自嘲しながら、シグルドは付け加えた。
「一度手を差し伸べてしまったものを、無碍に放りだすことはできないと考えたまでだ。貴国が難民たちをどのように扱うか提示し難民たちがそれに同意すれば、いつでも彼らを貴国にお任せするつもりだ。これは最初から我が国が提示してきた条件であり、我が国としても彼らを早々に引き渡すことができれば、肩の荷がおりて非常に助かる」
「我が国が強引に難民を奪おうとするならば、戦争をも辞さないと?」
 レナードの脅しに、シグルドはにやり笑みをこぼす。
「貴殿は戦争をしてまで難民を奪い返したいと思っておいでか? 一千万人を超す民を抱える大国が、たかだか一万の他国の民を得るために戦うと? 我が国が善意で難民をかくまっていることは、他国にも了承を得ている。強引に打って出れば、紛争の調停人として名高い貴国の評判を貶めることになるまいか?」
 紛争の調停人。
 それがグラデンヴィッツ帝国を他国が怖れ敬う最大の理由だ。
 近隣諸国で紛争が勃発した際、軍勢を率いてそれを収め、公正な目で紛争当事者たちに裁きを下す。
 グラデンヴィッツ帝国のこの行いが、奴隷争奪戦争に明け暮れていた諸国から奴隷制度を取りあげ、二百年前の戦乱の時代に終止符を打った。
 その誉高き伝統を受け継ぐのならば、ラウシュリッツ王国側の申し入れは決して悪いものではないはずなのだ。

 レナードからの返答はなかった。しばらくの間、静かなにらみ合いが続く。

 その沈黙を破ったのはレナードの方だった。
「わーっはっはっは!」
 レナードはあごをのけぞって大笑いする。
 ひとしきり笑ったあと、大きく膝を叩いた。
「若いのに大したものだ。よかろう。そちらの要求に応じよう」

 目的は達成した。

 シグルドは内心ほっとした。
 背後の二人が動く気配はないが、自分たちに発言の権利がなかった分きっとはらはらし通しだっただろう。背後を見遣ることはできないが、きっと顔には出さずとも安堵に体のどこかから力を抜いているに違いない。
 シグルドの緊張の糸も限界に近かった。
「細かい話は別の席を設けるということでよろしいか?」
「ああ。構わない」
 一刻も早くこの場を辞して息をつきたい。
 だが、レナードは上機嫌で話を続けた。
「ときに、貴殿は先だって王妃が退位したばかりとか。世継ぎもおらぬのに王妃不在では国王として格好がつかぬのではないか? 我が孫娘グレイスを譲ろうと思う。どうだ? 和平の証として受け入れてはくれまいか?」
 レナードの申し出に、シグルドはうっかり頭を抱えてしまうところだった。
 和平の証としてこれほどのものはないが、シュエラが居るのだから有難迷惑だ。
 そのことを何とか告げようとするのだが、レナードの口は止まらない。
「グレイスは十四歳になったばかりだが、我が孫の中ではまあまあ出来が良い。貴殿の邪魔にはならないだろう」
 レナードはすっかりその気のようだ。
 どうやって角を立てないよう断りを入れるか。
 ともかく話を止めなくては。
 そう考えて口を挟む隙を狙っているところに、レナードは最大の武器を振り降ろす。

「その代り、貴殿の愛妾を譲り受けたい」

 国や国民や難民を守ることや、
 現在戦いの最中であることなど、
 シグルドの頭の中から、一切合切が一瞬にして消えた。
***あとがき***
中盤にある「相手より少しでもへりくだった言葉遣いをすれば、対応も下手にならざるを得なくなる。」の「下手」は、「したで」もしくは「したて」と読みます。いくつか意味があるのですが、ここではへりくだるという意味で使っています。


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