ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
パニック、戦闘、血の描写があります。苦手な方はご注意ください。
6-5 難民砦の攻防戦
 部屋を飛び出し、階段を駆け上がる。
 たどりついた屋上から、シグルドたちは恐れていた事態を目撃した。
 森の中央に敷かれた軍道を道幅いっぱいに整列した軍隊が十列ほど、砦に続く緩やかな坂道を上がってくる。
「兵を帰還させて門を閉じよ!」
 ウォリック侯爵の声に、シグルドは慌てて振り返る。
「何を勝手に命令している!?」
 兵の方を向いていたウォリック侯爵は、シグルドに向き直り厳しい表情で言った。
「では壕の外に兵を出して応戦すると? 他国の民を守るために、自国の兵を戦わせるおつもりですか!」
 言葉に詰まったシグルドの耳に、難民たちの悲鳴や叫びが聞こえてくる。
「頼む! 中に入れてくれ!」
「助けて! 助けて!」
「せめて子供たちだけでも、お願いします……!」
 盛り土は高いため、壕の中から外は見えないはず。だが、兵士たちの動きから気付いてしまったのだろう。
 さきほど見た難民たちを思い出す。
 心細そうに見上げていた女や子供たち。かつて自分たちの国を蹂躙した者にさえ縋らなくてはいられない、寄る辺なき哀れな。

 この声に聞こえないふりなどできない──!

 シグルドは心の内をぶちまけた。
「国王の判断としてそれがどれだけ愚かなことかはわかっている! だが武力を楯に連れ去ろうとする国に、か弱き者たちを渡せない!」
 激したシグルドに、ウォリック侯爵は瞠目しあごを引く。
「余が言い出したことなのだから余が行く。難民を守ることに同意した者たちだけがついて来ればいい」
 シグルドは歩き出す。
「国王ともあろうお方が前線に立つというのですか!? なりません!!」
 止めようと伸ばされたウォリック侯爵の手を、シグルドは腕を上げてはじく。
 階段の手前で、行く手を二人の兵士に阻まれた。
「どけ!」
 国王の恫喝に臆するどころか、口元に笑みを浮かべて兵士は言った。
「我らが参ります。陛下のご意思に喜んで従う者は、他にも大勢居りましょう。どうかご命令を」
 難民を助けることを良しとしてくれるのか?
 瞬間ためらったが、問いかけている余裕はない。シグルドは戦略を脳裏でまとめ、二呼吸置かずに指示をする。
「難民を我が国に引き入れる! 我が意に賛同する者は時間稼ぎをせよ! 壕の入り口ならび盛り土の内側に槍兵を配し、グラデン兵の侵入を阻め! 弓兵は装備を持って屋上に集結!」
「はっ!」
 敬礼とともに小気味いい応答をした兵士たちは、先を争うように階段を駆け降りる。
「伝令! 伝令! 歩兵は槍を持って壕の守りに出ろ! 弓兵は屋上へ集結!」
 成り行きを見守っていたヘリオットが、シグルドに近寄ってきて耳打ちする。
「わたしは引き入れた難民の移動先を手配します」
「任せる」
「わたしは門周辺の指揮にあたりましょう」
 ケヴィンの言にウォリック侯爵が口をはさむ。
「いや、それはわたしが引き受ける。側近が二人とも陛下のお側を離れるのは好ましくない」
 シグルドは驚いた。
「いいのか?」
 ウォリック侯爵はあきらめの笑みを浮かべる。
「昔から陛下はそうでいらっしゃった。常はわたしの進言を聞き入れ総指揮官として必要な知識をよく学んでいってくださいましたが、不測の事態になるとご自身の考えのみで軍を動かしてしまわれる。苦言を聞き入れていただけなければ陛下の指揮を従順に受け入れ作戦成功に尽力するまでです。──陛下のご決断は幾度も我が軍を救ってきた。今回もその奇跡が起こることを祈っています」
 ウォリック侯爵はマントを翻し、階段を降りていく。
 入れ違いに弓矢と矢筒を持った兵士たちが駆けあがってきた。


 グラデンヴィッツ帝国軍は、道の半ばまで到達していた。
 難民たちの声はどんどん大きくなってくる。
 手すりから少し顔を出して覗き込めば、難民たちが門周辺に殺到しているのが見えた。
「あの状態では兵が外へ出られません」
 シグルドは下に向かって怒鳴る。
「兵を先に通す! 道を開けよ!」
 シグルドの声は人々の叫びにかき消される。
「難民たちよ! 道を開けよ!」
 ケヴィンのよく通る声も届かない。
 シグルドはさらに身を乗り出して声を張り上げる。
「危ない!」
 ケヴィンがとっさにシグルドの腰に手を回して支えた。
 シグルドはそれでもなお、叫び続ける。

 真下を見た拍子に、シグルドの頭から銀冠が落ちた。
 軽いそれは、空気にあおられ回転しながら難民たちの中に落ちる。


 この場にそぐわないものが落ちてきて、気付いた難民たちは叫ぶのをやめた。見上げる者たちを見てつられ顔を上げた人々は、砦の屋上で身を乗り出して叫ぶ若者の姿を見る。
「おまえたちを我が国に入れる! だから時間稼ぎをする兵士たちを先に通してくれ!」
 沈黙した難民たちの耳に、その声は届く。


 難民たちはすぐには動かなかった。
 動けるはずもない。万を越える者たちが馬車を一台通せるだけの幅に押しかけているのだから。だが、難民たちは押し合いへしあい、少しずつ道を作り始めた。
 そこを兵士たちが通り抜け始める。
「弓兵が位置につきました」
 報告を受けたシグルドは、手すりから体を起こした。
「威嚇を行う! 敵軍の手前を狙え!」
 城壁の上に並ぶ弓兵の後ろに一定間隔に立つ隊長たちが、シグルドの命令を中央の側から順々に復唱していく。
 端にまで命令が伝わったのを見計らって、シグルドは右手を大きく上げた。
「構え!」
 弓兵たちはいっせいに弓を構える。
「威嚇射撃、撃てぇ!!」
 シグルドは精一杯掲げた手を、前方に勢いよく降り降ろす。

 弓兵たちはいっせいに矢を放ちはじめた。グラデン軍の数歩手前に弓矢が降り注ぐ。
 だが、威嚇射撃にグラデン軍は歩みを止めることはなかった。縦長に身を守る楯を構える敵兵たちは、土の地面突き刺さった矢を踏みしだき、列を乱すことなく前進してくる。
「これ以上は流れ矢が味方に当たります」
 弓兵の大隊長の声を聞き、シグルドは前方に伸ばしていた腕を上げた。
「射撃止め!」
 弓兵たちは引き絞った弓もゆるめ、同時に射撃を中止する。


 シグルドは下に向かって叫ぶ。
「来るぞ! 準備はいいか!?」
 配置についた兵士たちと難民たちとの間にできた広場に立つ男──歩兵大隊長が敬礼して応答する。
「万全です! 兵士を盛り土の内側にも配備とのことですが、上にのぼって応戦しなくてもよろしいのですが?」
「盛り土を乗り越えてやってくる敵兵を防げればよい! 防御を優先せよ! 目的はおまえたちも含め全員が国境門内に避難することだ!」
「はっ! 防御を最優先に! 最終目標は難民と兵の国境門内への避難!」
「敵軍の動きはこちらから伝える! 指揮を任せた!」
「お任せください!」
 隣でケヴィンが叫ぶ。
「距離あと5!」
 接触までもう間がない。
 シグルドはあらん限りの声を張り上げる。
「これは守るための戦いだ! 難民と仲間と、そして自らの身を守り切れ! それが我らの勝利だ! いいな!」
 兵士たちが同時に発した「おぉ!」という声が、辺り一帯を揺るがす。
 シグルドが目線を送ると、弓兵大隊長はうなずいてシグルドの前に出た。
「弓兵隊はこれより攻撃に入る! 構え! 撃てぇ!」
 頭上に降り注ぐ弓矢に敵軍は多少乱れるものの、楯の角度を変え上手く弓矢をはじいて、速度をゆるめることなく壕に向かって突き進んでくる。
 ケヴィンが叫んだ。
「距離あと2!」
 地上で歩兵大隊長が叫ぶ。
「槍兵! 構え!」
「中央接触! 交戦開始!」
 ケヴィンの声とともに、壕の中央にもうけられた入り口で、細い丸太を組んで作られた柵を挟んで槍対槍の戦闘が始まった。
 金属と金属が激しくぶつかり合う音。
 闘志を奮い立たせんと上がる雄たけびがする。
 壕まで到着した敵軍が、今までと違った動きを見せた。それを見てシグルドは叫ぶ。
「敵は左右に広がり始めたぞ!」
「弓兵! 敵が横に移動するその隙を狙え!」
 弓兵大隊長が叫ぶのとほぼ同時に、歩兵大隊長も大声を張り上げる。
「左右の兵も攻撃に備えよ!」
 盛り土の内側で槍を構えていた兵たちは、腰を低めて身構える。
 向こう側から唐突に敵兵が頭を出した。その姿の現し方は、盛り土をよじのぼってきたのではなく、他の兵に持ち上げられてのものだ。
 それに対しラウシュリッツの兵はすかさず槍を繰り出した者もあれば、意表を突かれたのか先に攻撃を受けてしまう者もある。


「難民の避難はまだか!?」
 シグルドの怒鳴り声に、門との連絡の任につく兵士が下に向かって叫ぶ。
「難民の避難はまだか!?」
 兵士は耳を傾け、下から受けた返答を復唱する。
「まだです! あともう少し!」

 外部とつながる中央入口には兵が密集し、敵味方の繰り出す槍が木の柵を激しく揺らす。
 その中からもんどり打って倒れる者が出てくる。
「隙間を埋めよ! 救護兵!」
 一人が抜けてできた隙間は、左右の者たちによってすぐに埋められる。後方より駆け寄った数人が、怪我人を持ち上げて迅速にその場を離れる。
 時間が経てば経つほど、怪我人は増えていくだろう。中には命を落とす者も。

 何とか持ちこたえてくれ……!

 祈る気持ちで戦場を見下ろしていると、階段縁で耳をすましていた連絡兵が叫び声を上げた。
「難民の避難、完了しました!」
 待ちに待った言葉を聞き、シグルドは即座に反応する。
「後退せよ! 門を守りつつ後退!」
 命令は歩兵大隊長から各隊長へ、そして兵士へと伝えられる。
 兵士たちは槍と楯を構えたままじりじりと後退する。
「左右! 後退急げ!」
 敵に背後に回り込まれてはならない。そのためには左右の端につく兵が城壁まで後退して、門を中心に半円を描く陣形を取る必要がある。
 急いで転べば、敵に大きな隙を与えることになる。
 盛り土から後退すれば、それに乗じて敵は盛り土を乗り越えてくるだろう。


 そう警戒して弓兵たちに狙わせていたのに、敵は一人として壕の内側に入ってこようとしない。
 しかも次々と盛り土の向こうに姿を隠し、柵を挟んで戦っていた敵兵までもが後退を始めた。
 シグルドは呆然とつぶやく。
「どういうことだ……?」
 ケヴィンが答える。
「砦と壕に囲まれた中での白兵戦は不利と見て、体勢を整えるために退いたのかもしれません」
 大国とはいえ、たった一軍で複数の国が参戦していた戦乱を平定するほどの実力を持った軍が?
 答えたケヴィンも困惑顔だ。
「ともかく、今の内に兵を中に入れよう」
 今まだ警戒しながら少しずつ輪を狭めている兵たちに、シグルドは屋上から怒鳴る。
「敵は撤退した! 我が軍も速やかに撤収せよ!」
 シグルドの言葉を大隊長が受け取り、隊長たちそれぞれに指示を回す。中央から順に走り出したのを見て、シグルドは弓兵大隊長に言った。
「物見を通常の倍残し、あとは休息を取らせよ。敵の動きを注視し、動きがあればこと細かに報告せよ」
「はっ!」
 ケヴィンと護衛の近衛たちとともに、階段を降りていく。

 一階まで降りると、階段の正面に立っていた兵士が敬礼をする。
「ヘリオット様より伝言です。“難民は近くの廃村に収容した”とのことです」
「わかった」
 答えてその兵士の前を横切る。
 それから数歩も歩かないところ、国境門のある通りに出る手前で、ウォリック侯爵と行き会った。
侯爵はいささか不機嫌な顔をしてシグルドの前に立ち、手にしていた銀冠を、位置を確かめながらシグルドの頭に乗せる。
「兵士たちのあなたに対する人気の高さには、いつも呆れます。人気があればあるほど、裏切られたときの反動は大きい。難民をかくまったことがグラデンヴィッツとの開戦につながり、多くの兵が死することないよう祈ります」
 そう言って、薄暗い廊下の向こうへと歩いていく。

 自国と隣国を結ぶ通路では、まだ兵士の撤退が続いていた。
「立ち止るな! まっすぐ向こう側へ出ろ! 後ろがつかえているぞ!」
 シグルドは大声で指揮する歩兵大隊長に近寄る。
 気付いた大隊長は右腕を胸の前に上げて敬礼した。
「被害の状況は?」
「重症者は八名。軽傷者は多数にのぼると思われます」
「わずかな傷であっても治療を受けるよう徹底せよ。門を閉ざしたら作戦終了だ。次の攻撃に備え訓練は中止し、見張りの者以外は休息をとらせるに」
「はっ!」
 話を終えるとシグルドは廊下へと戻る。

 城壁と部屋との間にある廊下は薄暗い。
 部屋からこぼれるわずかな光を頼りに進み、ケヴィンだけ連れて傷病室に入った。
 ちょうど手当が終わったところらしく、数人の兵士が道具を片づけ床にまでしたたった血を拭いている。
 並べられたベッドに手や足を包帯で太く巻かれた兵士たちが寝かされていた。痛むのか、目をきつく閉じ、引き結んだ口からうめき声をもらす。
 傷病室の責任者が駆け寄ってきて敬礼した。
「彼らの怪我の具合はどうだ?」
「縫合いたしましたので、血は止まりそのうち傷口も閉じるでしょう。命に別状ありません。ですが傷が治ったあと、以前のように手足を動かせるようになるかは、傷が治ってみないことには何とも言えません」
「こ、国王陛下……」
 ベッドに寝かされていた兵の一人がシグルドに気付き、痛む手足を庇いながら起き上がろうとする。
 その者にシグルドは近付いた。
「起き上がるな。横になっていればいい」
 兵士は恐縮しながらベッドに体を横たえた。

 シグルドの決断が彼らに怪我を負わせてしまった。
 こういうときに謝ることができれば、どれだけ楽になることか。
 戦場は、王城とは別の意味で謝ってはならない場所だ。
 上に立つ者の謝るという弱気は、兵を弱らせる。
 戦略を誤まったのか、自軍は劣勢なのか。いらぬ不安をかきたて、一人ひとりの戦意を削ぐ。
 それは軍全体に広がり、勝てる戦いも勝てなくなる。

「気に、しないでください」
 シグルドが見下ろしていた兵が、痛みに声を途切れさせながら言った。
「我々も、助けたかったんです。ですが、命令がなければ、できません」
 他の兵士たちからも声が上がる。
「守りきることが、できてよかったです」
「怪我した、甲斐があります」
 この言葉に兵士たちは笑い、振動に傷が痛んで顔をしかめる。
 和やかな彼らの様子に、シグルドのこわばった表情もゆるんだ。
「笑ってないで早く傷を治せ」
 シグルドは責任者の方を向く。
「軽傷だが他にも怪我人が居る」
「はい。十数名を先に向かわせました。ここの片づけが済みましたら看護の者を残して全員向かう予定です」
「わかった。では頼んだぞ」
「はっ」
 シグルドはケヴィンとともに傷病室から出て、廊下で待機していた近衛たちと合流する。


 国境の通路まで出れば、兵士たちの撤退は完了し、大きな門が閉じられてゆく最中だった。
 そちらに背を向けて砦から出ようとしたところで、外からヘリオットが戻ってきた。
「難民の方はどうなった?」
「先頭が廃村に到着したのは見届けてきました」
 廃村のことは、以前から報告を受けている。
 土台だけ残ったもはや村とは呼べない土地だ。いつ作られいつ打ち捨てられたのかわからない。拠点として使える平らな土地が広がっているので、便宜上廃村と呼んでいる。
 準国民となることが決まった難民を、そこに集めていた時期もある。
「しかしいろいろと問題が」
「寝床のことか? 軍用のテントを貸し出していい。兵士たちは皆、砦脇に宿場街に寝泊まりしているのだろう?」
 かつては国境の往来でにぎわっていた宿場街も、戦争が始まって客足が途絶えてから店は畳まれ宿屋は閉められ、住む者の居ない街となった。三年前、軍を引きあげてきたシグルドはそれに目をつけ、現在宿場街は兵士の宿舎となっている。
 ヘリオットは弱ったように首をすくめた。
「ええ。それは許可をいただかなくてはならないところだったのですけど、問題は寝具の方です。テントは雑魚寝で何とかなりますが、毛布は宿舎の方で兵士たちが使っているのでありません。
 あと、長い野外生活で体調を崩している者も居ます。それと衛生状態も悪いですね。少なくとも二カ月は着の身着のままなので、かなりにおいます」
 そういった問題もあったか。
 シグルドは口元にこぶしを当て、考え込みながら言う。
「体調の思わしくない者には、砦の方の手が空いたら医者を寄越そう。衛生面も何とかしなくてはならないが、その前に寝具の確保だな。……隙をついて壕から拾ってこれればいいのだが」
「そうですね」
 残るは衣服の替えと風呂か。
 どちらも難問だ。
 悩んでいるところに、兵士が一人走ってくる。
 砂まじりの土を蹴る足音を聞きつけ顔を上げて見遣ると、兵士は少し離れたところで立ち止り、敬礼した。
「報告いたします! グラデン軍が軍道に大きなテントを張り始めました!」
「軍道にテントを?」
 ケヴィンがいぶかしげに問い返す。
 シグルドも眉をひそめる。
 安定悪く、こちらからの攻撃を受けやすい場所に、何故?
 理由を思い付く前に、次の伝令が走ってくる。
「報告いたします! グラデン軍から申し入れがありました! グラデンの皇帝が国王陛下と一対一で話し合いたいとのことです!」
「そういうことか……」
 ヘリオットがいまいましげにつぶやく。
 シグルドは振り返って訊いた。
「どういうことだ?」
「グラデン皇帝は、きっと陛下の到着を待っていたんですよ。向こうにも目のいい物見は居ますからね。陛下の姿を見て交戦に踏み切り、脅しをかけたところで何らかの交渉に出ようという作戦です」
「何らかの交渉?」
「今の段階ではさすがにわかりません。ただ、目的は難民と半ば我が国の領土となった壕の奪取のみに限らない可能性が出てきたということです」
 それ以外の要求があったから、まともに話し合いに応じることなく、シグルドの到着を待ったということか。
「時刻の指定はあったか?」
「ありません。道の中央に建てたテントで待つとだけ」
「ならばすぐ行こう」
 シグルドは砦に向かって歩き出す。


 想定し、覚悟してきたことだった。
 グラデンヴィッツ皇帝との直接の話し合い。
 だが、一対一でという申し入れが、シグルドの心に重くのしかかる。
 グラデンヴィッツ帝国の皇帝レナードは齢六十を越えてもなお、ラウシュリッツ王国を十も抱えるような大国を掌握する大人物だ。
 自国の貴族ですら御することもできない小国の王が、渡り合えるものなのか。
 胸を張って歩きながらも、シグルドの心中は動揺していた。
 どんな要求がなされるのか。
 不利な要求を持ち出されて、それを上手くかわすことができるのか。

 兵士たちには隠し切れたと思う。
 だが、砦に入り横にそれる廊下に差しかかったとき、ケヴィンは近衛たちをその場に止めてシグルドを廊下に連れていった。
 ケヴィンは自分の長身でシグルドを近衛たちから隠し、声をひそめる。
「しっかりなさってください。この会談の成功如何は、我が国の命運をも揺るがすかもしれないのです」
 シグルドは言い返す。
「それはわかっている」
 わかっているけど、会談を成功させる自信などない。

 ケヴィンの後ろからついてきていたヘリオットが、のんびりとした声で言った。
「前々から思っていたのですが、陛下は戦争では堂々と全軍を指揮できるのに、何故話し合いということになるとそのように弱腰になってしまうのですか? 貴族たちとの対話も今から行われる会談も、形は違いますが戦争と同じです」
「戦争?」
 思ってもなかったことを言われ、シグルドはわずかに見開いた目をヘリオットに向ける。それを見てヘリオットは苦笑した。
「言葉という武器を取った戦いですよ。さきほどは兵士たちが、自分たちの命をかけて戦いました。今度は陛下が、我が国の命運をかけて戦うのです」

 これも戦い。
 言われて目が覚めたような気がした。
 兵士たちにばかり戦わせていることを、うしろめたく思うことも多々あった。
 だが、兵士たちに命をかける戦場があるように、シグルドにも戦うべき戦場がある。
 それも、シグルドにのみ赴くことを許された戦場が。

 怯懦に委縮していた気持ちが冴えてくる。負ければ国を危機にさらす。負けられない戦いだと思えば闘志がわいてくる。
 瞳に光を取り戻しはじめたシグルドに、ケヴィンも力づけるように言う。
「その意気です。相手は大国の皇帝ですが、一国の王であるということでは陛下も同じ。対等に渡り合えばいいのです。重要なことは弱みを見せないことです」
「わかった。行こう」

 恐れるな。
 怯えるな。
 相手に弱気を見せるな。

 今から向かうは戦場。
 相手がどのような武器を手に取ろうと、武器を持ちかえて応戦するのみ。

 力強く歩き出したシグルドに、ケヴィンとヘリオットは敬礼した。シグルドが脇を通り過ぎるのを待って、二人はその後ろに続く。
 シグルドは近衛の列の中央に戻り、歩き出す。それに合わせて護衛をする近衛たちも進む。
 さきほど閉じられた門が、今から出陣するシグルドのために開け放たれている。
 シグルドは門を抜け、三年振りとなる隣国の地を踏みしめた。
***あとがき***
「御する」は「ぎょする」と読みます。他人を思い通りに動かす、統治するという意。「怯懦」は「きょうだ」、臆病で気の弱い。いくじのないという意。
シグルドとウォリック侯爵の一部やりとりに、現代にそぐわないものがあります。モチーフにした時代が中世辺りなので、そのようにご了承ください。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。