弟たちが多すぎて混乱してしまうというようなご意見をいただいたので、簡単な認識の仕方を記載いたしました。お困りの方はご覧ください。
5-3 ハーネット伯爵家が貧乏になった理由
シュエラが落ち着いてくると、母エイダは静かに、労るように訊いてきた。
「もらった連絡は、療養のためにあなたを帰省させるということだったんだけど、そうではないということ?」
シュエラはすんと鼻を鳴らし、ぽつぽつと話し始めた。
王妃エミリアの退冠、それに伴う新王妃選定。シュエラは大臣たちから王妃にふさわしくない理由をいくつも聞かされる。
そして陛下からは何の話もない。
止まりかけていた涙が、またあふれてくる。
「わたしは、新しい王妃様を迎えるのに邪魔になってしまったの」
手のひらに顔を伏せるシュエラの肩から母はそっと手を離し、何を思ったのかいきなり立ち上がった。
びっくりして泣き濡れた顔を上げると、母はにっこり満面の笑みを浮かべた。
「今日は久しぶりにパンを焼きましょう」
突拍子のない提案に、シュエラは目をしばたかせる。母はいいことを思い付いたというように、うきうきした様子でシュエラの手を取って引いた。
「ほら、あなたずっとやってみたいって言ってたじゃない。あなたが焼いたパンが食べられると聞いたら、みんな大喜びするわよ」
手を引かれたシュエラは抵抗することなく立ち上がる。
洗濯室で洗濯していた乳母のナンシーに、母がそのことを話す。
「だからシュエラと一緒に街に行って、パンの材料を買ってきてほしいの」
ちらっと視線を向けてシュエラの様子をうかがったナンシーだったが、何かを思ったのだろう、口の端を伸ばして笑みを作り、大きくうなづいた。
「わかりました」
「洗濯代わるわね。卵やバターが売りきれてしまうかもしれないから、急いだ方がいいわ」
母から渡されたお金の袋をナンシーがエプロンの内ポケットにしまい、洗濯を始めた母にあいさつして洗濯室を出る。するとちょうど隣の台所から出てきた長男アルベルトと五男ハリスと行き会った。
「ナンシー、皮むき終わったよ」
「ありがとうございます。アルベルト様、ハリス様。わたしはこれからシュエラ様と一緒に街に買い物に行ってまいりますね」
「何か作るの?」
五男のハリスが、わくわくしながら訊いてくる。ナンシーは体をかがめてハリスと視線を合わせた。
「シュエラ様がパンを焼かれるんですよ。ふすまの少ない、バターたっぷりの甘〜いパンを焼きますからね」
ハリスはぱあっと目を輝かせた。その目でシュエラを見上げる。
「姉さまがパンを焼くの? うわぁ、楽しみだ」
問題児たちやその三人に感化されつつある小さな弟たちなら、ふすまが少ないとかバターたっぷりとかに反応しそうだけど、真面目で素直なハリスらしい、かわいい反応だ。
台所に置いてあった買い物かごをナンシーが持ってくるのを待って、玄関に向かう。
階段ホールに出ると、上の方から小さな弟たちが駆け下りてくる音がした。
「お坊ちゃま方、階段が傷むから静かに降りてくださいと、いつも申し上げているでしょう?」
姿を見て駆け寄ってきた弟たちに、ナンシーは腰に手を当ててお小言を言う。
言われ慣れている弟たちは、ナンシーが目を吊り上げていてもけろりとしたものだ。
「出かけるの?」
「買い物?」
「何作るの?」
ナンシーが出かけるとしたらたいていが買い物で、買い物と言ったら料理を作る材料くらいしか買ってこないので、みんな最初から決めてかかってくる。
ナンシーは胸をそらしてもったいぶるように言った。
「シュエラお嬢様がね、パンを焼かれるんですよ」
生意気を言いたがる年頃の七男キーツは、唇を尖らせて言う。
「えー? 姉ちゃんがパン? ちゃんと焼けるの?」
不平を言うけど、その声色にも表情にも冗談めかした雰囲気がある。同調して、八男のマーティンと九男のコリンがぶーぶー言う。
小さな弟たちの後ろを通り抜けながら、長男アルベルトがぼそっと言った。
「そんなこと言う奴のパンは、他のみんなとわけるからな」
「そうですよ。ふすまの少ない、バターたっぷりの甘〜いパンを焼きますからね。いい子にしてらっしゃらない方には差し上げませんよ」
高価な小麦粉をかさ増しするために加えられる小麦粉の糠であるふすまは、口の中でぼそぼそしてしまいあまりおいしいとは言えない。それにバターも貴重品だから、いつも食べているパンには使われていない。ふすまをほとんど入れないバターたっぷりのパンは、小麦粉の甘さが引き立ってふわふわでおいしい。ごくたまにしか食卓に上がらないぜいたく品だ。
「白いパン焼くの!?」
シュエラの作るパンがそれだと聞いて、弟たちは歓声を上げる。
「ちゃんと掃除してきたか? 勉強もちゃんとやらなきゃダメだからな」
アルベルトが言うと、小さな弟たちは我先にと食堂に向かう。人数が多いから、食堂に集まって勉強するのだ。教えるのはアルベルト。
全員が食堂に向かったかと思ったら、シュエラのすぐそばに十男のグレアムが残っていた。
泣きそうな顔をして見上げてくるグレアムを見て、シュエラはしゃがんで視線を合わせる。
「どうしたの?」
「……帰って、くるよね?」
「当たり前よ。ちょっと街まで買い物に出るだけだから」
グレアムの顔がくしゃっとゆがむ。
「だって、姉さまいきなりいなくなっちゃったもん」
王城に行くと決まったその日に、シュエラは家族とのあいさつもそこそこに旅立ったのだった。
グレアムはそのことがよっぽどこたえたのだろう。
シュエラはグレアムの背中に手を回して、軽く抱きしめた。
「大丈夫よ。ちゃんと帰ってくるから。──あとで一緒に居てあげるからね」
ようやく納得したのかグレアムはこくんとうなづき、シュエラが離すと兄弟たちが向かった食堂へと駆けていく。
「それでは行きましょうか、お嬢様」
「ええ」
古びてきしむ両開きの大きな扉を開けて、シュエラはナンシーと連れだって家を出た。
玄関の前には五メートルほどの道がある。両脇は、昔は整えられた美しい庭だったのだろう。今は片方が菜園、もう片方が空き地になっている。
邸から街まで、100メートルくらいの距離だ。雑木林の間の道であるそこを通り抜けてすぐが、街の入り口になっている。
門を出て少し歩いたところで、前方から駆けてくる6人の子供たちに気付いた。
「あら、あなたたち……」
街の子供たちだ。年の頃は7、8〜10歳くらいで、小さな弟たちの友達だ。
「シュエラお姉さんだ!」
「シュエラお姉さん、お帰りなさい!」
「ただいま。遊びに来てくれたの?」
かがんで声をかければ、子供たちは「ううん」と首を横に振る。
「勉強しに来たんだ。この時間に来ればアルベルトお兄さんが勉強教えてくれるからって」
「え……? そうなの?」
「うん。──あ、急がなきゃ」
シュエラとナンシーの横をすり抜けて、子供たちは走っていく。
「あの子たちは親が職人で、子供に家庭教師をつけるほどの収入はありませんからね。勉強といっても字の読み書きや簡単な計算くらいのことですよ。それでも学があるのはいいことだと、親たちは送り出すみたいです」
「そうなの……」
シュエラは体を起こし、ナンシーと一緒に再び歩き出した。
──・──・──
シュエラをはじめとするハーネット伯爵家の子供たちが、所領に初めて訪れたのは五年前のことだった。
美しいところだと父ラドクリフから聞いていたから、所領だと聞かされた場所を目にして呆然としたのを覚えている。
その頃ラウシュリッツ王国は、隣国の内戦に参入していて、働き手は戦争にとられ物資も吸い上げられて、国中が荒廃しかけていた。シュエラたちが所領に向かうために旅してきた土地土地も。
けれどハーネット領はそこここに増してひどいありさまだった。
農地の至る所に雑草は生い茂り、橋はかろうじて渡れたからよかったもののぼろぼろで、道行く人々はうつろでまるで生気がなく、魂の抜けたような顔でシュエラたちの乗る簡素ではあってもやはり貴族しか乗らないような、手入れの行き届いた馬車を見上げていた。
そして、シュエラたちを邸に迎えるために先に到着していた父が、応接室のソファに座り頭を抱えていたのを覚えている。
子供たちの聞く話じゃないと追い立てられたけど、部屋から出され扉が閉まる直前に、ほんの少しだけ漏れ聞いた。
──全部、嘘だったのだ。
後日、かいつまんで聞かされた。
ハーネット領には全体を統括して管理する子爵が一人と、東西に分かれて実際に土地を管理していた二人の男爵が居た。三人とも父の話を忠実に聞き、上手く所領を治めてきてくれた。
隣国の内戦に参戦する話が持ち上がったころから、父は多忙のあまり所領に戻ることなくなり、すべてを彼らに任せっきりにしてしまった。
戦争に反対していたとはいえ、国王からの命令があれば男手を兵士として差し出し、物資を供出しなくてはならない。
何とかなるだろうかという打診の手紙を書き送ったところ、子爵は男爵らと協力して兵士も物資もそろえて国境に送った。ハーネット領はこれしきのことで揺らぐことはないとしたためた手紙を、使用人に持たせて父に送って。
それを信用したのが間違いだったのだ。
彼らは父の目が届かなくなったことをいいことに、領民から限界ぎりぎりの搾取を繰り返し、そのほとんどを懐におさめていった。使用人を使って手紙のやり取りをすることで、父の手の者が所領に入ることないようにして。
父が中央の職を失い家族そろって所領に戻ると知った子爵男爵たちは、私財を根こそぎ持って行方をくらました。
その行方はいまだにわからない。
伯爵邸の税を収納する倉庫は空で、荒れ果てた所領を復興するには、王都の邸家財を売り払った金ではとても足らなかった。
王都でも使用人をずいぶん減らしてきたが、残りの者たちにも紹介状を持たせて解雇した。残ったのは、給料がなくとも置いてくれと言った執事のヘンリと乳母のナンシーだけだ。
──使用人がヘンリとナンシーだけになってしまったから、家のことをおまえたちにもしてもらわなくてはならない。……苦労をかける。
父はそう言って、家族に頭を下げた。
だが、本当の苦労は家の中ではなく、外にあったのだ。
父が所領を視察しなくなった八年の間に搾取され続け疲弊した人々は、父を、ハーネット伯爵家の人間を許すことなかった。
お金を持っていっても何も売ってもらえず、そのため父とヘンリが何度か所領の外へと買い出しに出た。
──・──・──
あれから五年、母の突拍子のない行動から始まった街の人たちとの関わり合いは、さまざまな事件を経てふくらんでいき、そして現在の関係を築き上げるに至る。
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