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5-13 憧憬
 話を終えて応接室から出ると、廊下でシュエラと同じくらいの背丈の、シュエラと同じ顔をした少年が待っていた。
「食堂に食事の準備ができましたので、どうぞ。ご案内いたします」
 さきほど父親の伝言を伝えにきた少年だ。妙に丁寧な言葉遣いで話す。
 息子がそう言うと、父親は「待ちなさい」と息子を呼び止めた。
「陛下には酒場で食事をしていただこうと考えていたのだ。──陛下、少々歩くことになりますが、我が街の酒場では腕のいい店主が美味しい料理を提供しているのです。王城でお召し上がりの食事にはとうてい及ばないかと存じますが、よろしかったら田舎の味をご堪能ください」
「父上。国王陛下はお忍びでいらっしゃったのですから、そういった特別扱いはみんなの視線を集めてよくないのではありませんか?」
 父親の言葉が切れたところでそのように話した少年は、シグルドの方を見てにっこり笑う。
「我が家の団欒にご招待いたします。それとも庶民のつましい食事はお口に合いませんか?」
 もしかしたらとは思っていたが、ようやく確信に変わる。
 これは、丁寧というより嫌味だな。
「ありがたく招待されよう」
 受けて立とうと言わんばかりに、シグルドは鷹揚に答えた。


 シグルドと息子の間で話が決まってしまうと、父親は「食事の前にしなくてはならないことがありますので」と言って先に歩き出した。
「それではご案内いたします」
 笑みを消し、無表情になって歩き出す。
 確か長男と言ったか。そういえば王城を訪れたときも、妙に落ち着いていて無表情だった。表情豊かなデインとは正反対だ。きょうだいでこうも性格が違ってくるものなのだろうか。
 通された食堂は、食事を待ち切れずはしゃぐ子供たちでうるさかった。その中でシュエラは、立ったままじっと一つの皿に乗ったパンとチーズを見下ろしている。
 入って来たのがシグルドだと気付き、シュエラは丈の短いスカートをつまんで腰を落とした。
「お話はお済みになられたのですか?」
「ああ。……ところで何を見ていた?」
「パンです」
 当然のことながら当たり前の返事が返ってくる。が、シュエラはさらに問う前に疑問に答えてくれた。
「陛下の分のパンを、食べやすいように先にちぎっておく方がよろしいような気がいたしますけど、ちぎってしまうと見栄えが悪くなってしまうのでどうかとも思い、悩んでいたのです。……ところで、本当に我が家の食事でよろしいんですか? アルベルトから陛下がそのようにとおっしゃられたと伺いましたが、陛下には我が家の食事は物足らないものになるかと存じますが」
「ああ、かまわない。さきほど伯爵より話を聞いたところであるし、庶民がどのような食事を食べているか知るよい機会だ。それに硬いパンははじめてではない。汁物に浸して食べればよいのであろう?」
 余裕のある笑みを浮かべながらそう答えると、食堂まで案内してきた少年が残念そうに眉をひそめた。

 少しすると、父親ともう一人の男性が、大きな鍋を持って入ってくる。その後ろから夫人と大柄な女性が入ってきて、父親のラドクリフが二人を執事と乳母で家族同然に暮らしているのだと紹介した。二人は使用人らしく、きちんと背筋を伸ばし腰から頭を下げる。
「お座りになってお待ちください」
 勧められた席に座ると、シュエラはスープをよそう乳母のところへ行く。夫人と長男とデインより小さな弟、それとシュエラの四人で、スープのよそわれた皿を各席へと運んで行く。
「デインたちは運ばないのか?」
「デインとロディとファルティオの三人は、がさつすぎてすぐスープをこぼしてしまうので任せられないんです。その下の、五男のハリスがしっかりしてきてくれたので、とても助かってます」
 スープを運び終えたシュエラが、隣の席に着きながら話す。シグルドは席に向かう少年に笑顔を向けた。
「えらいな」
 少年は恥じらったように下を向き、こそこそと席に座る。
「これだけの食事でありますが、どうぞお召し上がりください、陛下」
 シグルドが手元のパンを手に取ると、ラドクリフは家族にも「さあ食べよう」と声をかける。

 そうして始まった食事は賑やかだった。
 父親が静かにしなさいと言ってもきかない。隣同士チーズを取り合って喧嘩をしたり、午後から何して遊ぼうかと大声で相談する。
 食事は本当にこれだけのようだ。
 パンは大きく切られスープも大きな皿いっぱいによそわれているので、量が足らないということはなさそうだ。だが、王都の下街でもこれらに肉料理の一品くらいついてきていた。……料理屋の出す料理だったからだろうか。
 ふと考え込んだシグルドに、ラドクリフが話しかけてきた。
「夜はこれに焼いた肉をつけたり、スープで肉を煮込んだり、スープの中に牛乳を入れたりします。ここの土地に限らず、たいていの庶民はそうした食事を毎日食べ、お祝があったときだけごちそうを作って街の人々と振る舞い合うのです」
「昨日のようにか?」
「はい。昨日はシュエラの帰郷をみなが祝ってくれました。何やら誤解があったようで、シュエラが帰ってきたことに街の者たちがやたらと喜んでくれまして」
 その誤解はちらっと聞いた気がする。何でもシュエラが脂ぎった中年貴族に嫁いだとか。
 シュエラが妾妃になったことは、領民には話しづらかったのだろう。ごまかしているうちに変なうわさが飛び交うのは、どこに行っても同じことだ。シグルドも王城でいろんなうわさに悩まされた。
 ふと気付くと、シュエラが手を止めてじっとシグルドの手元を見てくる。
「何だ?」
 問いかけながらはがしたパンの耳をちぎると、シュエラは感嘆のため息をもらしながら言う。
「本当に慣れてらっしゃるんですね」
「ん……まぁな」
 シグルドは言葉をにごした。
 このパンに慣れたのは戦場でのことだ。祖国を離れての進軍は、食料の確保が難しい。離れたといってもほんの少しのことだったので補給路はかろうじて保たれたが、戦地でパンを焼くなどということはできず、保存のきくこのようなパンが送られてきていた。それをスープや、スープのないときは湯や水などに浸して食べたものだ。
 ……戦争の話など、このような場所で口にすべきではないだろう。
 シュエラは察してか、それ以上訊いてくることはなかった。
 シグルドはシュエラの手元が気になった。
 なかなかちぎれずにいるようだ。
「切れないのか? ちぎってやろうか?」
「いえ、あの……」
 すると対面の列に座るデインがにやにや笑いながら言う。
「なに上品ぶってんだよ、姉ちゃん。いつもならばりーって豪快にちぎってるじゃないか」
「デインっ」
 焦って名前を呼ぶシュエラにくつくつ笑いながら、シグルドはシュエラのパンに手を伸ばした。
「今日は俺がちぎってやろう。貸せ」
 返事を待たずに取ると、シグルドは自分の皿の上でちぎりはじめる。
「このくらいの大きさでいいか?」
「は、はい……」
 戸惑うような返事が返ってくる。
 ふと見ると、シュエラは顔を赤らめていた。当主や夫人ら大人たちはさりげなく視線をそらし、弟たちはほとんどがにやにやと見てきて、一部長男を含む数人が顔を赤くしてうつむいて食事をしている。
 別段おかしなことはしていないが、そんな彼らの反応を見ているうちにシグルドは恥ずかしくなった。


 全員が食事を終えたところで、みな席を立ち始める。子供たちは自分の食器を重ねて乳母のところへ運んで行く。
 立ち上がったシュエラは、シグルドの使った食器を自分のに重ねて運んだ。
 子供たちが騒ぐ。
「大人なのにズルいー」
「陛下はお客様だからいいんです」
 シュエラの腰丈までもない小さな弟たちが、シュエラにまとわりついて話しかける。
「そういえばさぁ姉ちゃん、王様の前でぷーしたの?」
「“ぷー”?」
 何を言われたのかわからなかったらしく、シュエラは単語を繰り返す。
 一人がうれしそうに話しはじめた。
「昨日ね、父ちゃんたちについてバラックに行ったんだ。そこでおともだちになった子たちに聞いた。姉ちゃん、おならぷーしたの?」
「は?」
 乳母の側に食器を置いたデインが言う。
「下痢したんなら“おならぷー”だろ?」
 シュエラは持っていた食器を、乳母のところまで持って行かずテーブルに置いた。
「何の話よ、それ!? デイン! 待ちなさい!」
 シュエラが走り出すと、デインが笑いながら逃げ始める。食堂の中にいきなり赤ん坊の泣き声が響き始めた。
 部屋の隅に置かれた木製の台の中から、夫人が赤ん坊を抱き上げる。
「シュエラ、デイン、陛下の前でお行儀の悪いことはやめなさい」
 赤ん坊をあやしながら夫人が叱った。シュエラはシグルドに視線を向けて真っ赤になり、しずしずと歩き始める。そうなると言うことを聞かないデインに追いつけなくなった。調子に乗ったデインは、テーブルの端をぐるっと回る。
「へへーん」
 進行方向に注意を向けず得意げに声を上げるデインを、シグルドは正面に立って捕まえた。逃げられないように肩をがっちりつかみ、笑ってない目でデインの瞳を覗き込む。
「俺も訊きたかったところだ。何でシュエラが下剤を飲まされた話を知ってる?」
「え!? あの時の?」
 シュエラは声を上げ、ぎくっと体を震わせた。その反応から、シグルドはやっぱりと思う。
「シュエラが家族を心配させるようなことを報せるわけがないんだ。誰に教えられた? ロアルか?」
 捕まえられているというのに、デインは全然悪びれた様子がない。
「そーだよ。でもあいつ言ってたぜ? 王都じゃ有名な話だって。王様、姉ちゃんのために怒って罪のない侍女をクビにして、そのあとで許したんだって? へへっ、結構王様って姉ちゃんのこと」
 長男が手を伸ばしてきて、デインの頬をぎゅーっとつねりあげた。デインは引っ張られる方向に顔を持って行きながら悲鳴を上げる。
「い、いひゃいいひゃい」
「それ以上は黙っておけ。──失礼いたしました。陛下」
 慇懃無礼に謝罪をし、デインを食堂の端に引っ張っていく。
 シュエラの弟たちはどうも二手に分かれるようだ。野次ったりふざけたりする者と、真面目でいてシグルドを牽制する者とに。
 それにしても。
「ロアルのヤツ、あとで絞めておかないとな」
 隣まで来たシュエラが、シグルドのつぶやきを聞いてくすっと笑う。
 ちらっと目を向けると、シュエラは口元を押さえて肩をすくめた。
「申し訳ありません。楽しそうにしてらっしゃるように見えて、つい」
「俺が楽しそうだなんて言ってていいのか? あいつ、バラックの子供たちに今の話を面白おかしく話してるぞ」
 笑いを含みながら教えてやると、シュエラは大声を張り上げた。
「デインっ!」
 さきほど叱られたことを忘れて走っていく。
 シグルドはその姿にしばしぽかんとするが、次第笑いがこみあげてきた。

 くつくつ笑っていると、夫人が近寄ってきて頭を下げた。
「礼儀作法のなっていない娘で申し訳ありません。王城ではご迷惑などありませんでしたでしょうか?」
 シグルドは笑いを収めて、国王然として答える。
「申し分ない淑女振りであったぞ。ただ、思いもよらぬことを考えるので、驚かされることがあって愉快ではあったがな」
 国王に美味しくもない紅茶を飲ませたり、王城で賓客扱いされながらも内職をしていたり。

 侍女たちが仕事をしないからといって自分で自分の世話を始めたり、侍女の方が俺の役に立てると言ってきたこともあったな……。

 あのときのことまで思い出してしまい、シグルドは気分をどんより曇らせた。あのときは本当に自分が情けなかった。
 今思えば、頼ってもらえなかったことだけに落ち込んだのではない。シュエラが妾妃という地位にあまり執着がないことにもがっかりしたのだ。
 ──陛下がとりなしてくださったら、わたくしでも侍女にしていただけるのではないかと思いまして。
 この言葉を聞いたとき、シュエラは妾妃ではなく侍女になりたかったのかと、シグルドは心底腹を立てた。
 妾妃であることを望んでいない。シグルドを愛していないのだと。

 そして今も、慕われていることはわかるのだが、それが親愛の情なのか恋慕なのか、どちらなのかわからない。

「陛下」
 物思いにふけりかけたそのとき、夫人に再度声をかけられた。
 夫人は淑女らしく、しとやかに頭を下げる。
「至らぬ娘ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「……夫君から話を聞いたのか?」
 シュエラが泣いたことまでしか知らないのなら、このようなことを言うはずがない。
 顔を上げた夫人は優雅な笑みを浮かべた。
「陛下にお話ししたいことがあると夫から聞いておりますが、さきほどの応接室でのお話はまだ……。ですが、食事の席についた夫の顔を見ていればわかります」
 シュエラと顔立ちがそっくりな夫人がにこにこと笑うと、より一層似て見える。
 おっとりした雰囲気も母親譲りなのだな。
 そして夫君との間に結ばれる信頼関係に羨望を覚える。
 シグルドは軽く目を伏せた。
「余とシュエラも、そなたたち夫妻のようになれたらいいと思う」
「ありがとうございます」
 何に対しての礼かわからないが、夫人は笑みを深めて小さく頭を下げた。


「それにしてもあの子ったら、どこへ行ってしまったのかしら?」
 夫人が困ったように言っていると、シュエラが息を切らせて戻ってきた。
「何も申し上げず失礼して申し訳ありません。デインにはしっかり言い聞かせてまいりましたので」
シグルドはこらえきれず吹き出した。
「ホントに王城と実家では大違いだな」
「へ……陛下」
 どう反応したものかという様子で、シュエラは途方に暮れている。
 夫人はシュエラに近付いて、抱いていた赤ん坊をシュエラに渡した。
「シュエラ、ルーミスをお願い。寝室に寝かしつけてやってちょうだい」
 それからくるっとシグルドを振り返る。
「騒がしい邸で申し訳ありません。三階には子供たちも近付きませんので、シュエラとゆっくりお話しなさってくださいませ」
 淑女の礼をとり、夫人は食堂を出ていく。食堂の片づけはすっかり終わり、あとに残ったのはシグルドとシュエラ、赤ん坊だけ。
「母らしくなく強引で申し訳ありません。ご一緒していただけますか?」
「あ、ああ」
 気を利かせてくれたのだろう。シュエラと二人きりで話せるのは願ったりだ。


 シュエラについて、三階へ上がる。
「そなたの家族が王城を訪れたとき、あと半年で生まれると言っていなかったか?」
 あれは三か月ほど前のこと。赤ん坊は一カ月前に生まれたそうだ。全然計算が合わない。
「……何か勘違いがあったようです」
 何やらごまかそうという含みを感じたので、シグルドはそれ以上訊くことを止めた。
 三階に着いて少し歩くと、シュエラは赤ん坊を片腕に抱き直して大きめの扉を開けようとする。シグルドが扉を押さえると、「ありがとうございます」と言って中に入った。
「ここは主寝室か?」
「はい。両親の寝室です」
 この主寝室も、シグルドが寝ていた客室や食堂と同じく、部屋が広く殺風景だった。
 殺風景だけど貴族の屋敷らしい雰囲気を残す部屋の中に、不釣り合いなたんすが一つ置かれている。
「酒場のおやじさんから聞いてらっしゃると思いますが、所領の復興のために我が邸の家財道具を売り払ってお金を作りまして。あまり物がなくてお恥ずかしいです」
 シグルドは苦笑した。
「どうしてもその口調に戻ってしまうな」
 シュエラは首をすくめて笑った。
「あ、申し……すみません。陛下とお話しするときはやっぱり丁寧な言葉の方がするっと出てきてしまうみたいです」
 二人きりになったのをいいことに、シグルドはシュエラを軽く抱き寄せ顔を近づけようとする。
「シグルドだ。二人きりのときはそう呼んでくれと」
 真ん中に挟まれた赤ん坊が、潰したわけでもないのにぐずりだした。
 シュエラは身をよじってシグルドから離れ、赤ん坊をゆすってあやす。
「ごめんなさい。ルーミス、どうしたの?」
 赤ン坊まで邪魔をする。
 シグルドはシュエラからよろよろと離れ、ベッドの端にどさっと腰を降ろした。
「いい子ね。いい子よ、ルーミス」
 子供をあやすシュエラの姿は、まるで我が子をあやしているように見えた。そんなシュエラは母親そのもので。

 その姿はとてもまぶしかった。
 それは周囲の人々すべてに誕生を祝われたわけではないシグルドにとって、あこがれの光景。

 不意にその光景が、母に抱かれるシグルドに見える。そうかと思えば、シュエラの抱く赤ん坊が二人の子に──シグルドとシュエラの子だと錯覚する。

 ああ、俺たちの子が生まれたんだ……。

 そんな幸福に浸ったのはほんの一瞬のこと。
 シグルドはすぐに我に返る。
 そして呆然とする。
 錯覚するまでに、そうであることを自分が望んでいることに。


 ようやく眠ったのか、シュエラはベビーベッドに弟を寝かせてシグルドの方を向いた。
「失礼いたしました。──あの」
 振り返ったシュエラは、間近にシグルドが立っていることに少し驚き戸惑いを見せる。
 見上げてくるシュエラの瞳を、彼女の戸惑いに構わずシグルドはじっと見つめた。

 側に居てほしい。
 俺の子を産んでほしい。
 生まれた子を一緒にいつくしんでほしい。
 この先の人生を一緒に歩んでほしい。
 好きなんだ。
 愛している。
 ……

 あふれかえる感情を言葉にできないまま、
 シグルドはシュエラを抱き寄せ、唇に唇を重ねた。


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