私の広瀬川インタビュー
トップページ >私の広瀬川インタビュー目次 >私の広瀬川インタビュー(第18回)

日時:平成22年11月12日(金)
場所:イタリアンレストラン「アルフィオーレ」
聞き手:佐藤幸輝(仙台市建設局広瀬川創生室)



6.海外のマンガ事情

聞き手

京都国際マンガミュージアムでは、「マンガ・ミーツ・
ルーヴル―美術館に迷い込んだ5人の作家たち―」
という特別展で、「岸辺露伴 ルーヴルに行く」という
展示が公開されていました。
(注:2010年11月5日〜12月3日まで開催)
また、2009年にルーヴル美術館の企画展で、
日本のマンガ家としてルーヴル史上初となる
作品展示がされたと伺っています。
ちなみに今回同行しているスタッフでそれを
鑑賞するためにルーヴル美術館に行った者もおります。

荒木さん

本当ですか?ありがとうございます。

  荒木さん

聞き手

その時はフランスでも大変好評であったと
伺っていますが、今やマンガが日本の誇る
現代アートとして海外で評価される時代だと思います。
私たちが学生時代は、どちらかというと
マンガに対するイメージは良くなくて、
学校の先生や両親などからは
「マンガばかり見ていないで勉強しなさい」
というような時代だったと思いますが、
その時代に先生がマンガ家を志そうと思われた
動機は何だったのでしょうか?

荒木さん

70年代という「時代の風」でしょうか。もう、本当に
いろんなマンガが出てきた時代だったんです。
SFもあれば時代劇もあるし、
「ゲゲゲの鬼太郎」みたいな妖怪マンガや
楳図かずお先生のような怪奇マンガとか、
とにかくいろいろな作品が一気に出てきた時期で、
そのエネルギーがとにかくすごかった。

聞き手

一つのメディアとしてのエネルギーが
マックスだったのでしょうか。

荒木さん

というよりも、新しい時代の始まりという感じ
かもしれない。芸術でいうとルネサンスというか、
一つの黄金時代の始まりというか、
今から思えばそんな感じがします。

聞き手

そこに当てられてしまって。

荒木さん

そう、当てられて、もう…ほんと、
マンガ家になりたくてしょうがなかったですよ。

  荒木さん

聞き手

マンガ家になられただけでなく、今ではアーティスト
としてルーヴル美術館に展示されるまでになられました。

荒木さん

いや、まだまだですけど(笑)…でもね、
当時は「キン肉マン」を描いたゆでたまご先生が、
僕と同い年なのに高校生でもうプロになっているという
時代でした。僕なんか普通に学校通っていた時で、
「えっ、同い年でもうプロのマンガ家なんだ!」って。
その時は焦りましたね、
「もう学校に行っている場合じゃあない!」と(笑)。
それから僕もマンガ描いて、早く投稿とかしないと
プロになれない、と思いました。

聞き手

そこから独学でスタートされて…

荒木さん

そうですね。本当はアシスタントとかきちっと
やりたかったですが、その前に独り立ちしてしまって…
二十歳のときにデビューさせていただいたんです。

聞き手

先ほど申し上げましたように、今ではマンガが海外でも
評価される時代ですが、デビューされてから
これまでのマンガを取り巻く環境の変化は
どのように感じられますか?

荒木さん

マンガには、例えばストーリーが面白いとか、
画がうまいとか、デザインが素晴らしいといった、
いろいろな要素から成り立つ総合芸術的な魅力も
あると思います。
でも、そのうちのどれか一つだけでも成立すると
思うんです。話が面白くなくても、画がうまいと
それでプロとして成り立ったりするんですね。
普通だったらこのストーリーだと幼稚だな、
というものでも売れちゃうんです。
売れるというか、芸術として成り立つんですね。
逆に、画がこれは子供が描いたの?という作品でも、
とにかくストーリーが面白かったり。
いろんな魅力があるんですよ。
でも、僕には理解できないものもありますが(笑)。

聞き手

これはすごいと感銘を受けるものは今でもありますか?

荒木さん

それはもうたくさんあります。
若い人たちはすごいですよ。
でも逆に、画もうまくないし、ストーリーも面白さが
わからないけど売れる、という作品もありますね。

聞き手

東北大学での講演時にもストーリーは
起承転結が非常に大事という話もされていたそうですね。

荒木さん

そこから完全に外れているマンガでも、
かなりファンがいたりとか…
それはそれで、すごいですけどね。

聞き手

そうした懐の広さというのもマンガの持つ
魅力かもしれませんね。一方で、海外では
マンガはどのように受け止められているのでしょうか。

荒木さん

フランスのマンガは「バンド・デシネ」というのですが、
その描き方はこちらとは明らかに違います。
例えば、日本ではまず表紙に主人公を描くんですよ。
メインのキャラクターをバーン!と。
それを、ルーヴルのスタッフは表紙にキャラクターを
描いてくれるなというんです。
ルーヴル美術館は人物の背景として描いているのに、
背景のルーヴルをメインで描いてくれって。
確かにフランスのバンド・デシネを見ていると、
表紙のメインが背景なんですよ。

 

聞き手

主人公はどうなってしまうのですか?

荒木さん

主人公は背景のどこかに、
よ〜く見ると小さく写っていたりとか、
建物の上を飛んでいる飛行機に
ちょっと乗っていたりとか、
運転している車の操縦席からちらっと
見えていたりとか(笑)。
そういう画を描いてくれって言われました。
逆に、日本の場合は絶対にファッション雑誌の
表紙の様に主人公が前にガーン!と出ている。
そこはまるで違いますね。

聞き手

正反対の価値観なのですね。

荒木さん

ええ。だから、「日本はこういうやり方なんです」って
説明して描いたんですよ(笑)。
なかなか分かってもらえなかったですが、
「日本人のマンガ家に依頼したんだから、
日本のマンガの方法論でやらせて下さい」と
説得しました。

聞き手

先生がデビューされた当時の週刊少年ジャンプでは、
10m離れても見ても誰が作者なのか分かる画を描く、
というのが基本だったそうですね。

荒木さん

ええ、そうです。

聞き手

でもそれとは逆で、向うの人は一目で誰が描いたのか
分からなくても、いいと。

荒木さん

まず全体的なムードを描いてくれ、という感じですね。
あなたならルーヴル美術館をどう描きますか、みたいな。
あくまでもルーヴルがメインという考え方ですね。

聞き手

「ジョジョ」の作者というよりも、アーティストという
位置づけだったのかもしれませんね。

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