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[噴水台]核のロマン主義
入力:2004.09.06 18:35/修正:2006.02.18 00:33
韓国 article.joinsmsn.com 中央日報ニュース 社説・コラム
記者:アン・ソンギュ(安成奎)政治部次長
http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=386288&ctg=20
※日本語機械訳意訳
画像
http://pds.joinsmsn.com/news/component/htmlphoto_mmdata/200409/htm_2004090618372210001010-001.JPG
パク・チョンヒ大統領は、1975年6月に行われた米国紙ワシントンポストとの会見で、
『米国の核の傘による安全保障がなければ、核兵器などの開発を行う考えだ。』と話した。
当時、青瓦台(チョンワデ・大統領府)は、
すでに在米韓国人科学者を密かに招聘して作業に乗り出し、これによって米国は非常に緊張していた。
そのような状況にあった1977年の6月。
世界的な理論物理学者である、
在米韓国人科学者のイ・フィソ(李輝昭)氏が米国で交通事故に遭い、42才で亡くなった。
京畿(キョンギ)高校2年生の時、ソウル工大に進学した後に渡米して物理学を専攻し、
28才の時にはペンシルバニア大学の正教授に採用されるほどの秀才であった。
直ぐに、「韓国の核開発を妨げんとする米国特殊機関の仕業」という噂が広がった。
その後、イ・フィソは韓国核開発の挫折の象徴となった。
『イ・フィソさえ生きていれば…。』
その悔しさは、93年のキム・ジンミョンの長編小説、「ムクゲ花が咲きました」で爆発した。
小説の中で、「イ・ヨンフ」という名前に生まれ変わった彼は、
亡くなった人にも関わらず、南北共同の核兵器開発の基礎を提供する。
米国と日本による韓国に対する侵攻に対抗し、
南北が協力して作り上げた核弾頭は、その威力を遺憾なく発揮する。
「米国と日本による韓国への攻撃」という刺激的テーマと、
「南北の協力による核兵器の共同開発」という感性が結合した小説だ。
その感性は、「北朝鮮による核兵器も、結局私たちの核兵器である。」
という「核のロマン主義」に変わり、それは今も色褪せることはない。
ところで、核兵器開発の負担に私たちは耐えることができるだろうか。
核開発の過程で体験した侮辱に対し、
中央日報が出版した「青瓦台秘書室2巻」は関係者の話をこのように伝えている。
『76年に科学技術処長官室で開かれた、韓・米原子力関連協議会に国務部次官補が出席した。
彼は横柄に、「再処理の再の字すら期待するな」と言った。
それは私たちの置かれた状況を表していた。』、『70年代の半ば、駐韓米国大使館の科学官は、
韓国科学技術研究院(KIST)に一方的にやって来てはいつも調査していた。』
当時は力が無くて米国のいいようにされたが、現在は少し力がついたので違うか、といえばそうでもない。
今は国際原子力機構(IAEA)に対して事細かに報告し、彼らは彼らでそれらを隅々まで調査する。
問題が明らかになれば国連安保理にも行くことになり、制裁が待っている。
それにより国家の信頼は地に落ち、対外依存度が高い我が国は直ちに苦労することになるだろう。
結果的に石油強国のリビアが核を放棄せざるをえなかったように。
最近、原子力研究所が0.2gのウラニウムを抽出したことに対し、
『いよいよ核兵器製造のための技術ができた。』と喜ぶ見解がある。
私たち間で良いことと言えても、世界が疑いの眼差しを送るということが問題だ。
ロマンが現実ではないように、「核のロマン主義」も現実では力になれないというところに悲劇がある。
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