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2011年2月26日(土)付

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都知事選―これからの東京の話を

東京都知事選の告示まで1カ月を切った。3期目の石原慎太郎知事は、自民党や業界団体のラブコールにもかかわらず、不出馬に傾いているという。超実力者の去就次第で、新しい顔探しが本格化する。すでに前[記事全文]

イレッサ判決―情報はなぜ届かなかった

肺がん治療薬イレッサの副作用被害をめぐる裁判で、大阪地裁は製薬企業に賠償を命じる判決を言い渡した。国については、副作用情報を明らかにするよう企業に一定の指導をしていたことなどを踏まえ、責任を[記事全文]

都知事選―これからの東京の話を

 東京都知事選の告示まで1カ月を切った。3期目の石原慎太郎知事は、自民党や業界団体のラブコールにもかかわらず、不出馬に傾いているという。超実力者の去就次第で、新しい顔探しが本格化する。すでに前参院議員の小池晃氏、ワタミ創業者の渡辺美樹氏らが名乗りを上げている。

 よその出方を見定めての「後出しジャンケン」はおなじみの光景だ。構図はまだ固まらないだろうが、ぜひ本格的な論戦を期待したい。メガロポリス東京は、これからどこへ向かおうとするのか――。

 石原氏が知事に就いたのは、1999年。東京はこの間、世紀をまたいでハード面の変容を遂げてきた。

 湾岸に立ち並ぶタワーマンション、都心各地の高層オフィスビル群。規制緩和による都市再生が、推し進められてきた結果だ。凍結されていた東京外郭環状道路の整備や、羽田空港の国際化も実現した。

 地方で過疎が深刻化するが、東京には若い世帯の流入が続く。都の人口は12年間で1割近く増え、1300万を超えた。法人税収の伸びにも支えられて一度は財政危機も脱した。銀行税、ディーゼル車規制、排出量取引……。国に先駆けた施策の舞台にもなった。

 ところが「ひとり勝ち」を続けてきたその東京に、陰りが見える。

 さらなる起爆剤を狙った五輪招致は失敗した。再開発された「○○シティー」は、リーマン・ショック後、どこも活気が薄れている。

 若者は安定した職に就けず、独居の高齢者も増える。「孤族の街」になっているのに、きずなの整備は不十分。近郊のニュータウンで急進行する高齢化は、やがて東京全体を覆うだろう。医療・福祉といった生活者施策を後回しにしたツケが、後世に噴き出す心配がある。公共の建物や橋、上下水道など、高度成長期や以前に整えられた都市インフラも老朽期が来る。

 成熟か衰退か、岐路に立つ都市。

 東京が抱える課題は、ますます複雑だ。一方、制度疲労の目立つ集権型行政を転換し、より身近な自治体や市民が権限を分かち合う時でもある。

 大阪の橋下徹府知事や名古屋の河村たかし市長らが、政令指定市と府県の関係を見直す「大阪都」「中京都」構想を提起している。都庁と特別区とが権限争いを続ける東京でも、大都市の統治や自治のカタチをめぐる議論を、もっと深めるべきではないか。

 日本全体が政治・経済の転換期にあるのは間違いない。「東京から日本を変える」と豪語した石原氏は、傘寿を前に舞台を降りようとしている。

 改めて東京の役割をどう位置づけるか。持続的な都市生活の向上や、他の地域との均衡を、どう図るのか。

 東京の未来予想図を競うときだ。

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イレッサ判決―情報はなぜ届かなかった

 肺がん治療薬イレッサの副作用被害をめぐる裁判で、大阪地裁は製薬企業に賠償を命じる判決を言い渡した。国については、副作用情報を明らかにするよう企業に一定の指導をしていたことなどを踏まえ、責任を否定した。

 同地裁は先月、和解を勧告し、原告と被告に話し合いを促していた。

 全体の解決を図る和解と、法律上の争いに黒白をつける判決とで裁判所のもの言いが異なるのは珍しくないが、そのとき示された所見には「国には救済を図る責任がある」とも書かれていた。患者らが落胆するのは無理はない。同種の訴訟は東京地裁でも審理されており、来月の判決に注目したい。

 多岐にわたる論点のなかで最も注目されたのは、薬には副作用が避けられないことを前提に、その危険情報をいかに適切に医療現場に伝えるか、という問題だった。

 イレッサの添付文書には当初、「重大な副作用」として四つの症状が記載された。「重度の下痢」が最初で、多数の死者を出した間質性肺炎は最後だった。企業と国は「順番は問題ではない」とし、被害を招いた責任は薬の特性を理解しないまま処方した医師にあるというような主張をしてきた。

 果たしてそうだろうか。

 死亡例が相次いだことを受けて、承認の3カ月後に緊急安全性情報が出た。添付文書の冒頭に「警告」として目立つ形で間質性肺炎の危険を書くと、被害は減った。

 文書のあり方が問われたのはこれが初めてではない。厚生省(当時)はイレッサ承認の5年前、重要事項を前の方に記載することなどを求めた局長通達を出している。企業はなぜこれを守らなかったのか。国も、なぜもう一歩踏み込んで、企業に働きかけなかったのか。釈然としない思いが残る。

 「読むのは専門家なのだから」という言い分もあるだろう。だが当時、医学雑誌などを通じて、イレッサには副作用が少ない良薬とのイメージが広がっていた。判決が「平均的な医師」像を前提に、治療に必要な情報の提供義務を企業に課したのは当然であり、国民の思いに沿うものといえよう。

 インフォームド・コンセント(説明と同意)という言葉は定着したが、それを実効あるものにするには、医師が正しい知識を持ったうえで、患者に正面から向き合うことが不可欠だ。

 わらにもすがる気持ちで新薬を待つ患者がいる。その期待に応えつつ、安全に万全を期す。二つの課題を両立させることの重要性を、イレッサ問題は改めて社会に示したといえよう。

 それはひとり製薬企業だけの責務ではない。法的責任は免れたとはいえ、判決で「必ずしも万全の対応であったとは言い難い」と指摘された厚生行政もまた、くむべき教訓は多い。

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