消費税を15%に引き上げても国の借金は増え続ける--。民主党政権が封印した「増税シミュレーション」は、国の財政悪化に歯止めをかけることの難しさを浮かび上がらせた。大規模な財政出動と減税で借金の山を築いた自民党政権。「無駄の一掃」を掲げながら、2度の予算編成でばらまきをやめられず、かえって財政状況を悪化させた民主党政権。政治の無策が続く限り、将来世代にツケ回しされる負担は、重くなる。【田畑悦郎、永井大介、伊藤絵理子】
「財政不安が起きている欧州より、日本の財政赤字は深刻。国家破綻の危険性を秘めている」。サルコジ仏大統領に政策提言をするフランスの経済学者、ジャック・アタリ氏は1月、東京都内での講演で、日本の財政再建の歩みの遅さに警鐘を鳴らした。さらに「高齢化の進展で日本は歳入よりも歳出の伸びが大きい」として、経済成長力の回復と人口増加、歳出削減、増税などによる歳入増を進める必要があると指摘。特に歳出削減と歳入増について「緊急性がある」とし、「何もしないことも選択肢の一つだが、成功した例は歴史上ない。最も悲惨なシナリオだ」と強調した。
日本の債務膨張は90年代後半から急速に進んだ。「失われた10年」と呼ばれるデフレ不況を克服するため、公共事業など100兆円を超える経済対策を実施。財源不足を国債の大量発行で穴埋めしたことが響いた。99年12月、小渕恵三首相(当時)が「世界一の借金王になった」とあえて語った背景には「この借金はいずれ返す、という思いがあった」(当時の首相秘書官)。山崎拓・自民党前副総裁は「再びバブルを起こせば、(税収が増え)借金は減らせると皆が考えていた」と振り返る。
巨額の景気対策で長期のデフレ不況から脱した日本経済は02~07年に戦後最長の景気回復期を迎えたが、経済成長率は低く、賃金も上がらない。税収増につながるバブルという神風は二度と吹かなかった。
国の借金は減るどころか、世界最速で進む高齢化が債務膨張に拍車をかける。12年には団塊世代が65歳を迎え、年金を受け取る側に回る。22年には、この団塊世代が、1人当たりの医療費が若年層の5倍かかるとされる「75歳以上」に入り、介護、年金を含めた社会保障費はさらに増える。厚生労働省の計算では、89年度に44・9兆円だった社会保障給付は10年度に105・5兆円、25年度には141兆円に達する。
15%でも足りない消費税は、一体どこまで引き上げなければならないのか。BNPパリバ証券の河野龍太郎氏は「国内総生産(GDP)に対する借金残高の比率を安定的に減らしていくには、消費税率を18~19%まで引き上げる必要がある」と試算する。
民主党政権は、社会保障費や財政再建の財源として消費税増税を検討しているが、89年の消費税導入時、97年の引き上げ時はいずれも所得税などの減税が組み合わされ、税制改正全体での増税には踏み込まなかった。財政状況がいまほど悪くなく、世論に配慮する余裕があったためだ。
消費税が初めて衆院選の争点になったのは79年10月で、大平正芳首相(当時)が「一般消費税」導入を掲げて選挙に突入した。大平氏は「蔵相時代に石油危機と減税による税収減で赤字国債を発行したことに責任を感じていた」(野田毅・自民党税制調査会長)とされるが、世論の強い反発で大平首相が投票直前に導入方針を撤回。それでも自民党は過半数を割り込み、国民の消費税アレルギーを強く印象づけた。
消費税論議に再び挑んだのが、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘元首相だった。87年2月、売上税導入法案を国会に提出。所得税、法人税減税と組み合わせ、直接税中心の税体系を見直す方針を打ち出した。だが、前年の衆参同日選で「投網をかけるような間接税はやらない」と発言していたことから、「公約違反」との批判が集中。4月の統一地方選で自民党は大敗し、法案は廃案に追い込まれた。
消費税が導入されたのは、竹下登首相時の89年4月。大平氏が「一般消費税」で選挙に敗れてから10年近く経過していたが、世論や野党の反発は強く、税率を当初案の5%から3%に圧縮。所得税・法人税減税も実施し、税制改正全体では1兆円超の減税となった。だが、当時はバブル経済の真っただ中で、消費税導入を決めたときの大蔵省主税局長の水野勝氏は「好景気で税収はいずれ増えることが期待でき、3%でも大丈夫だと思った」と振り返る。
97年に消費税率が5%に引き上げられた時も、先行実施された所得減税を穴埋めするには至らなかった。
==============
ご意見、ご感想をお寄せください。ファクス03・3212・4970、電子メールt.keizai@mainichi.co.jp
毎日新聞 2011年2月20日 東京朝刊