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[9648] がんばれぼくらのノーカン先生!(学園迷宮探索ファンタジー)
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2009/11/26 09:05
前書き。
二次創作ばかり書いているとたまに一次創作を思う存分書いてみたくなる・・・!
そういうわけで書きました。
なんちゃって学園ものプラス迷宮探索ファンタジー。
あんまり本格的な迷宮系はたぶん書けないので、雰囲気みたいなものは出せたらいいなと思います。
作者の気のおもむくままに続きます。
なんかこう女の子とかたくさん登場させて華やかにしていきたい。
巨乳とか巨尻とか大好物さ! でもひんぬー系もいいよね! そういう作者。
ハーレム、ハーレム未満? いやよくわからないな作者にも・・・
とりあえず主人公はおっさん。弱いのはいやだ、超つおくしたい! でもへたれなおっさん。

今のところ書くつもりはありませんが、そのうち残酷な描写とかあるかもしれませんので、そういうのが苦手な人はご注意を。



二〇〇九年十一月二十六日、チラ裏からオリジナル板へと移転。



[9648] 第一話
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2011/02/09 18:15
 暖かくて柔らかな日差し。
 優しく流れる、心地のいい風。
 背中を包み込むような草の絨毯。
 学園都市リノティアは、今日も平和だ。
「あ、せんせ、ボールそっち行くからあぶねーよ」
「ぶぐおっ」
 顔面! 顔面に衝撃!
 木陰に寝転んで優雅に昼寝としゃれ込んでいた俺の顔面を、遠くのほうから飛んできたボールが襲ったのだ。
 当然、俺は飛び起きて、向こうのほうに突っ立っているガキどもに対して叫んだ。
「くぉら、このクソガキどもっ! どこ見てボール蹴ってんだッ!」
「うわっ怒ったよノーカン先生が」
「ばか、怒るだろあれは普通」
「逃げよう逃げよう」
「えー、俺のボールどうすんだよ」
「そんなの放っとけ、ほら逃げるぞっ」
 五人の生徒が俺に背を向けて走っていく。
 ……しょうがねえな。
 俺は足元に転がっていたボールを思いきり蹴り飛ばした。
 綺麗な放物線を描いて宙を飛ぶ球体。それは俺の狙い通り、ガキどもの頭上を通り過ぎて、その目前に落ちていった。
 彼らは振り返って俺を見た。
「先生……?」
「これからは気をつけて遊べよ。ていうか俺も混ぜろ」
 昼寝も飽きたところだったのさ。そろそろ体を動かさなくちゃな。
 俺はガキどものほうへと歩いていく。
 彼らはちょっと迷ったようだったが……すぐに全員一致で迎え入れてくれた。
 この学園の校庭はやはりアホのように広い。好きなだけボール遊びを楽しめた。
 これでも昔はサッカー選手に憧れて練習してたんだぜ。地区予選の準決勝で大活躍できるぐらいには熟達さ。いやいや、十数年ぶりにボールに触ってみたが、俺の脚もまだまだ捨てたもんじゃないな。もっともこっちではサッカーじゃなくてダッティンとかなんとか言うらしいけどな、この遊びは。まあ基本は変わらんさ。青空の下で球ころを追いかけるっていう基本はな。
 俺が前人未到の美しいオーバーヘッドシュートを決めて、敵チームのゴールにボールを叩き込んだとき、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
「お、そろそろつぎの授業が始まるな」
「えー、いいじゃん先生、もうちょっとやろうぜー」
「あと五分くらい大丈夫でしょー」
「ばーか。俺はおまえらとちがって忙しいし、おまえらも授業の用意があるだろうが」
 と言って、近くにいた緑髪の少年の頭を撫でてやる。こいつの年齢は十四歳くらいだろう。周りの仲間たちもそんなもんだ。耳が尖ってるって部分も含めてな。あ、ひとりは人間族みたいだ。エルフのチームに人間が混ざっているというのは珍しいかもしれん。
「ほら、さっさと行け。遅れたら怒るぞ」
「んー、じゃあそうするよ。でもさ、せんせ、次はあの曲芸みたいなシュート、ぜったい止めてやるかんな」
「うはははは馬鹿め、気賀島ヘラクレスバトラーズの得点王と呼ばれたこの俺さまのオーバーヘッドシュートが、そう簡単に止められてたまるか」
「キガジマ……? なにそれ」
 それがあまりにも耳慣れない単語だったのか、きょとんとした表情を浮かべる、エルフの少年。
 ……ああ、悪いな。俺もびっくりしてる。もう思い出すことも少なくなってるんだが。
「俺の故郷の名前さ。さあ、もう本当に行け」
「わかったー」
「んじゃね、ノーカン先生!」
「ノーカン言うな! クソガキども!」
 まったくガキというのは気安くて遠慮というものを知らない。
 馴れ馴れしくてうるさいもんだ。
 だから俺は、子供のことが好きなのさ。



 ムンドゥースと呼ばれるこの世界の地図の中心に、ギアラという大陸がある。
 学園都市リノティアは、ギアラ大陸の南西に位置する大国エルィストアートの、その王都からはやや離れたところに建造された、この世界でも有数の超巨大教育施設だ。
 生徒数は二十万人だったか、三十万人だったか。敷地面積はどれぐらいだろう? 学園都市というだけはあって、とにかく広い。東京ドームで数えるの馬鹿らしくなるぐらいには広大だ。そしておよそこの世にあるもののほとんどはここにある。敷地内には学生寮もあればパン屋から本屋、武器屋から、凶悪な魔物が出現するダンジョンまで、なんでもござれ。
 で、この教育施設がなんのつもりで造られて、そしてここでなにを教えるのかっていうと、それには色んな答えがある。たとえば剣を振る戦いかただったり、魔法を使う方法だったり、薬草や鉱物の知識、歴史、うまい商売のやりかた……これまたなんでもござれ。
 だがまあ、つまるところを言えというなら、それはたったひとつだろう。
 生徒たちを強く鍛えて、優秀な冒険者として外界に送り出す。それがこの学園都市で、そして全世界の同様の施設でも行なわれている。
 人間族、獣人族、エルフ、ドワーフ、ノーム、竜人族、悪魔族、天使族……多種多様な種族の子供たちがここに集められて、最新の教育をたっぷりと受けたあとで、外の世界に旅立っていくわけだ。なんでもこの世界には魔王という強大な存在……世界中の魔物どもの親玉がいて、人間や亜人の連合軍は、そいつを倒すためにちょっとでも戦力を増やしたいらしい。意外と重要なのだ、この施設は。
 で、俺はというと、この学園都市に数え切れないほど所属している教師のひとり。
 天然パーマのせいでたっぷりとクセのある髪は茶色っぽい。身長はだいたい百八十センチくらい。顔立ちは渋みのあるナイスガイといいたいところだが、まあ、普通なんじゃないのか。自分のことはよく分からん。けっこう鍛えているつもりだから全身にたっぷりと筋肉がついている。着ているものは、白いシャツと黒いズボン、そしてその上から羽織った灰色のロングコート。容姿については、こんなところか。
 この学園での肩書きは、用務員、兼、迷宮探索実技担当教官、兼、非常事態解決専門特別臨時教師。
 四季村秋彦。――それが、俺の名前だ。
 なんとも純和風な名前だろう。この中世ヨーロッパっぽい雰囲気の世界では、どうしたって浮きまくる名前さ。まあそれも当然だ。俺はもともとこの世界の住人ってわけではないんでね。
 あれは、そう、十年前……西暦二〇〇八年のことだったか。
 当時、普通の高校生だった俺は、その日もまたごく普通に学校に通って、普通に授業を終えて、普通に帰宅して、普通に家族と団欒して、普通に風呂に入って、そして普通に寝て、普通に起きるはずだったのだが、最後のところでどうやらなにかを間違ったらしい。
 目覚めてみれば、そこはすでに異世界だった。
 大変だったのはそこからだ。なんの後ろ盾も金銭もなかった俺だが、ちょっとした幸運が重なってこの学園に入学することが許されて、ダンジョン探索と猛勉強、自己鍛錬に明け暮れる毎日が始まった。仲間たちとパーティを組み、ダンジョンの地下の奥深くにまで潜り込み、凶悪な魔物たちと戦い、一度か二度は世界の危機っぽいものを防いで、気付いてみれば学園を卒業していた。で、ほかにやることもないからこの学園の教師として活動している。
 考えてみれば、俺がこの世界にやってきてから十年も経つのか。
 時間が流れるのは、早いな。
 俺も、もう二十七歳。もうちょっとでおっさんだ。……まだ、お兄さんだ。
「二十七歳は立派なおっさんの領域だと思いますけど、先生?」
「いきなり背後から声をかけるのは感心しないな、ルーティくん。それと他人の心を勝手に読むのはやめなさいといつも言っているだろう」
 硬くて冷たい声の主のほうへと振り返る。
 最初に断言しておくが、この少女、真正のサディスティンである。
 小柄な少女だった。人間族。かなりの美少女だと思う。艶やかな黒髪を肩にかかるあたりで綺麗に切りそろえている。いつもながら出ているところも引っ込んでいるところもないスレンダーな肢体。やたらと長くて細くて白い脚。すっきりとした鼻筋と、よく薄ら笑いを浮かべている唇の持ち主。切れ長の瞳とフレームレスの眼鏡という組み合わせが、この少女の風貌の知的さを強めている。着用しているのはこの学園の制服。白を基調としていて、デザインは洗練されていた。
 この少女の名を、ルーティ・エルディナマータという。
 ちなみにこの学園の高等部一年生でもある。
「性癖とプロフィールを紹介する順序が逆ではありませんか?」
「いやだから他人の心は読んじゃいけませんって。ていうか性癖については弁解とかしないのね」
「はい。事実ですから」
 にんまりと浮かぶ、暗い笑み。
 うわー、背中にゾゾゾって悪寒が。
「で、ルーティくん。この俺になんの用事かな」
「マスター・ゾルディアスが、あなたにお話したいことがあると」
「……先生が? ああ、分かった。いつものところか?」
「はい。できるだけお急ぎくださるようにとのお達しです」
「ほいほい。すぐ行くわ」
 ルーティに軽く手を振って、俺は歩き出した。
 正直、ほかのくだらん用事なら、無視してしまうのも有りだったんだが。あの先生に関わる用事だというなら、そういうわけにはいかんだろう。
 十分ほどかけて、俺は目的の場所へと到着した。
 校舎の隅っこのほうで俺を待ち受けていたのは、木製の頑丈そうな扉。そこを飾る金属製のプレートにはこう記されていた。
《屍霊術学科資料室》
 そしてその下にもうひとつあるプレートには、
《第三職員室》
 と、ある。
 屍霊術。ネクロマンシーともいう。それを使う連中のことを、屍霊術士とか、ネクロマンサーという。
 剣術、槍術、薬草学から錬金術まで、この学園はありとあらゆる学問の教師を招き入れているので、当然、屍霊術を専門に教える教師も在籍しているし、それを学ぶ生徒もいる。まあ、屍霊術っていうのは、死体やら悪霊やらを操る術のことだ。多くの地域では外道と呼ばれて蔑まれている一派でもあることだし、好かれていない。授業を受けている生徒の数は、すべての学問のなかでいつもワーストのトップを争っている。
 で、そんな屍霊術を教える唯一の顧問教師が、この扉の向こうにいるわけだ。
 ここは通称、魔の第三職員室。呼び出されて帰ってきた者はいないという、リノティア学園一〇八不思議のうちのひとつたる暗黒スポット……!
 いや俺はしょっちゅう呼び出されてるんだけどね。噂というのはあてにならんものなんだなあ。
 ま、生徒たちが無気味に思うのも仕方はない。屍霊術という暗くおぞましげな学問の資料を集めている場所だということに加えて、追いやられるようにしてこんな校舎の端っこにあるというのも、怪談として仕立て上げるにはうってつけといったところだろう。さらにもうひとつ、この職員室を使っている教師がただひとりだというのも奇妙ではあるはずだ。この学園は広く、生徒の数は膨大だ。となるとそれに対して教師の数も増やす必要がある。そのため、職員室の総数は三桁にも膨れ上がっていたりする。
 が、この職員室に席を置いているのは、たったひとり。実際、占有もいいところだ。
 ……おっと。考えごとをしている場合じゃなかったな。早く入らないと。
 俺は拳の裏で扉を軽くノックした。
「秋彦です」
「開いていますよ、どうぞお入りなさい」
 低く、よく通る、落ち着いた声の返事が聞こえた。
 扉を開けて、入室。
「失礼します」
 後ろ手で扉を閉じる。
 入ったとたんに、左右を大きな本棚で挟まれる。
 資料室の内部は、そんなに広くはない。というかけっこう狭い。もともと十五畳ほどの面積だったのだが、いろいろな本やらそれを置くための本棚やら、薬品やらマジックアイテムやらを詰め込んでいるうちに、こんなことになってしまったのだという。とはいえ主人が綺麗好きなおかげで薄汚れていたりはしない。むしろさっぱりとしていて小奇麗だ。
 本棚の廊下が正面の奥まで伸びていて、いろいろな資料を見て回るためには、まずそこまで進まなければならない。
 で、その、俺から見て正面の奥に、マーキアス・グラン・ゾルディアスという男はいた。座り心地のよさそうな椅子に深く腰掛けていて、大きな机の上に何枚もの書類を広げている。手にはペン。どうやら事務仕事の最中だったようだ。
 彼の年齢は、外見だけで判断するなら、二十代の後半から三十代の前半といったところだろう。もっとも俺が初めて出会った十年前から容貌が変化していないが。長い髪は腰まで届くほど長く、その色は闇よりも暗い。顔立ちは怜悧。しかも整いすぎているほど整っていて、そのせいか酷薄で非人間的な印象さえ受ける。死魚のそれのように濁った瞳はいっさいの明かりを宿していないが、その深みのある黒からは底知れない知性が感じられる。身長は俺よりも高い。俺もけっこう背丈はあるんだが、マーキアス先生はたぶん百九十センチはあるだろう。かといってひょろ長いわけではなく、体つきはけっこうがっしりとしている。真っ白なシャツと黒いズボンを着こなしていて、その上から漆黒の上着を着用していた。きっちりと身だしなみを整えているのはいつものことだ。
 マーキアス先生は俺のほうを見てにっこりとほほ笑むと、ペンを置いた。
「やあ、アキヒコ。よく来てくれましたね。いつもいきなり呼び出して申しわけありません」
「気にしないでください。先生のためならいつでも時間を作りますよ」
「そう言っていただけると助かります」
 先生は少しだけ嬉しそうに言って、それから、自分の使っている机の前に置いてある、ほぼ俺専用と化している椅子を勧めてくれた。
 そこに座りながら、俺は尋ねた。
「で、どうしたんですか?」
「生徒がひとり、行方不明になりました」
 ……やっぱり、か。
 まあ、なんとなくそんなことだろうという予感はしていた。俺がここに呼ばれるのは、だいたいそういう、厄介な事件があったときだからな。
「どこで、ですか? 生徒の詳細は?」
「生徒の名前はウィルス・ルーモニア。高等部の一年生で、レベル七十三の錬金術師。《イゾルデ大迷宮》の地下三十五階で仲間たちからはぐれてそれっきり、だそうです」
「……イゾルデにレベル七十三のひよっこが? そりゃあ無茶ってもんでしょう。監視員はなにをやってたんですか」
 この学園にいくつか置かれている大転移装置からは、大陸の各地に点在しているダンジョンへと瞬時にして移動できる。《イゾルデ大迷宮》というのは、なかでも極悪な難易度だということで知られている。レベルが最低でも一〇〇を越えていないと、地下一階をうろついている魔物どもですら死神に見えるだろう。
 で、あまりにも場違いなほどレベルの低い連中が高難易度ダンジョンに挑むのを防ぐために、すべてのダンジョンの入り口にはいつも監視員がいて、身のほど知らずの無謀な連中を通さないようにしている。はずなんだが。
 先生はため息をついて、言った。
「最近、一部の生徒たちのあいだに出回っているアイテムがありましてね。レベルの解析をごまかせる効果を持つのだそうです」
「あー……、ったく、自業自得だな、馬鹿が」
 そこまでして上級のダンジョンに挑みたかった理由は、まあ、察しがつく。いまの自分では手が届かないほど希少価値の高いアイテムが欲しかっただとか、強い敵と戦いたかっただとか、周りの仲間たちに見栄を張りたかったから、だとか。なんにしてもくだらないことだ。
 だからといって見捨てるわけにはいかんだろうな。なにせ、生徒だ。
 普通ならこんなことにはならないがね。危険な魔物が無数にうろつくダンジョンを探索するんだから、当然、死の危険性はある。胸糞の悪い話だが、行方不明になった生徒すべてに気を回していてはこんな施設は運営できない。生徒の生死はすべて自己責任の結果として扱われるのが、この学園での常識だ。それでも俺が呼ばれたんだから、それなりの理由があるんだろう。ま、そこは詳しく追求しないさ。どうでもいいことだからな。
 俺は立ち上がった。
「すぐ行きますよ」
「すみません。あなたには無理ばかりを言ってしまいますね」
「気にしないでくださいって。先生は俺とちがって忙しいんですから、そこで書類を片付けていてくださいよ。ま、こういうのも恩返しだと思えば苦にもなりません」
 そう、俺はマーキアス先生に、返しても返しきれないほどの恩義がある。
 ……この世界にやってきたばかりのころ、俺はひどく荒れていた。そりゃそうだろう。いきなりいままでの人生をなかったことにされて、右も左も分からないこの世界で、これからずっと生きていけと宣告されたんだ。心は荒むさ、無理もないといまでも思う。
 そんな不良人生まっしぐらの俺を、周囲を傷つけてばかりの大馬鹿野郎だったこの俺を、それでも見捨てずに見守ってくれたのが、マーキアス先生だった。先生がいなければ俺はこの世界で希望の光を見失い、暗黒と絶望に屈して二度と立ち上がれないところだっただろう。
 いいひとなのさ。とんでもなく。……見かけがものすごく悪そうなのが難点だけどな。ゲームとか漫画とかだと絶対にラスボスになる顔だ。でもいいひとなんだぜ。ラスボス顔だけど。
 そして俺がこの仕事を断れないのは、なにも、先生への恩返しっていうそれだけが理由ってわけじゃない。
 マーキアス先生に背を向けて、言う。
「子供は好きですからね。死ぬところは見たくないし……せめて遺体だけでも見つけてやりたい」
「素晴らしいご意見ですね、先生」
「だからねルーティくん、他人の背中からいきなり声をかけるのはやめなさい」
 びっくりするからさあ。
 テレポートの魔法なんて使えたっけ、きみ?
「単なる隠密機動術の初歩ですよ、先生」
「はっはっは。そうかいそうかい。で、俺はこれから緊急の用事があるんだがね」
「はい。分かっています」
「……その手を離しなさい。前に進めないでしょうが」
 ルーティは俺のコートを掴んでいるのだった。よしなさい、ただでさえヨレヨレなのに。独身の男にとってはね、衣服にいちいちアイロンかけるのも面倒くさいのですよ。
 半身だけ振り返って、ルーティを見る。
 少女は、とんでもないことを言った。
「私も連れて行ってくださいますか?」
「はあ? 駄目だよ駄目。いちおう訊いておくけど、おまえのレベルはいくつだっけ?」
「一七〇です」
「邪魔だ。ここにいろ」
 俺はできるだけ冷たく聞こえるように言い放った。
 《イゾルデ大迷宮》への挑戦権利が与えられる最低レベルは一五〇だ。その点でいえばルーティは合格しているといってもいいだろう。
 だが、問題の生徒が行方不明になったというのは、地下三十五階もの奥深くだ。そこで生き残るために必要となるレベルは二〇〇を軽く越える。明らかに、ルーティでは力不足だ。
 というわけで、俺はルーティの手をコートからやんわりと引き剥がした。
 ……だが。
「アキヒコ。私からもお願いします。ルーティを同行させてやってはもらえませんか」
「……先生? 本気ですか?」
「ええ。ちょうどその子にも新たな試練が必要だと思っていたところです。心配ならば無用ですよ。なにせ私にとっていままででもっとも優秀な弟子ですからね。才能は保障します。あとはそれを磨く苦難を与えるだけです」
 やれやれ……先生の趣味にも困ったものだ。
 このひと、自分があまりにも完璧に完成しているからって、我欲というものがまるでない。その代わりといってはなんだが、弟子を育成するということにかけて普通ではないほどの労力を注ぐのだ。俺も昔はよく鍛えてもらったものさ。もっとも、ろくな成果は出なかったのだが。
 先生の頼みごとだとなると、断るわけにはいかなくなった。生徒の安否も気になることだし、ここでああだこうだと口喧嘩している場合じゃないな。
 俺は盛大なため息をつきながら言った。
「分かりましたよ、先生。……ルーティ、自分の身は自分で守れよ?」
「もちろんです。ありがとうございます、先生。マスター・ゾルディアスも」
 ルーティは俺に対して笑みを浮かべ、振り返ってマーキアス先生に対して頭を下げた。
 ルーティとマーキアス先生の関係は、ただの生徒と教師というだけではない。このふたり、個人的な師弟の間柄でもあるのだ。
 すなわち、このサディスティンが専門とする職業は――
「屍霊術士、ルーティ・エルディナマータ。偉大なるマスター・ゾルディアスの名に恥じぬ働きをご覧に入れると、ここに確約いたします」
 そう言って、ルーティはスカートの裾を両手でちょんと摘み上げ、優雅に一礼してみせた。
 ……やれやれ、これは、どうも。
 楽しいことになりそうだね。まったく。



[9648] 第二話
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2010/06/06 19:47
 さて、行方不明になった生徒を救出することになったわけだが、まずは情報収集することが大事だろうな。
 そう思って先生から問題の生徒のパーティメンバーと担当官の名前、所在を教えてもらい、彼らに話を聞くことにした。
 結果は、まずまずといったところだ。
 ウィルス・ルーモニア。獣人族。性別は男。高等部一年生、十六歳。主専攻学科は錬金術。レベル七十三。中堅クラスのパーティ、《蒼き竜巻》のメンバー。と、プロフィールはこんなところだろう。容姿についても写真をもらったからちゃんと分かる。性格は、よく言えば大人しくて、悪く言えば臆病だったそうだ。
 そんなウィルス少年がなぜパーティのほかのメンバーとはぐれてしまったのかという点についてだが、これは誰にもよく分からないらしい。気がついたらいなくなっていたのだそうだ。
 ほかのメンバーは慌ててウィルス少年を探したのだが、どうしても見つからない。そのうち彼ら自身のほうも危ないことになった。ウィルス少年以外は平均してレベルが一五〇以上あったのだが、そこはすでに地下三十五階の奥深くだ。魔物どもは凶悪さを増している。できるだけ戦闘を避けていたとはいえ消耗は激しく、ときおり姿を現す強敵に対しては逃げるだけで精一杯。命の危険を感じた彼らは、はぐれた仲間を見捨てるかたちとなって地上に帰還したのだった。
 なぜレベルを偽ってまで少年が《イゾルデ大迷宮》に踏み入ったかについては、《蒼き竜巻》のリーダーだというドワーフの少年が教えてくれた。
 なんでも、彼は日ごろから、自分だけがレベルが低く、パーティのお荷物のような存在となっていることに対して、ひどい劣等感を抱えていたのだという。
 かといっていまさらほかのパーティに迎え入れてもらおうにも、彼は彼自身の激しく人見知りする性格により、あきらめるしかなかったのだそうだ。
 そういうわけで、勇気を出して難易度の高いダンジョンに挑み、おのれを鍛えようとしたわけだ。
 それがいけないとは言わないが……無謀だよ、少年。
 気持ちは分かるけどな。
 《蒼き竜巻》のメンバーたちの表情や雰囲気は、ウィルス少年をイゾルデに連れて行き、そして見捨てて逃げてしまったことへの悔恨と、彼が行方不明となることを防げなかった自分たちに対する怒りとが、混濁として浮かび上がっていた。
 いい仲間に恵まれたな、少年。
 そいつにもっときちんと気づくことができていれば、おまえは――いや、遅くないさ。まだ遅くない。
 遅くないようにするために、俺はこれからおまえのところに行くんだよ。
 学園の隅っこのほう、《イゾルデ大迷宮》への転移装置がある建物へと、俺たちはやってきた。外壁も内壁も真っ白で大きなドーム状の建造物だ。内部にあるのは転移装置のみ。周囲にはいくつかまったく同じ建造物が並んでいる。
 俺は、横に立つルーティに向かって言った。
「準備はいいかな、ルーティくん」
「はい、先生。いつでも大丈夫です」
 そう答えたルーティは、さっきまでとは服装が違っていた。というか、やっぱり制服を着てはいるのだが、その上から真っ黒いローブを身にまとっているのだ。闇色でありながら輝くような、上等そうなやつだった。フードは被らずに背中のほうへと垂らしている。手には、金属製の丈夫そうな杖。長さ二メートルってところか。
 これが、ルーティ・エルディナマータの戦闘衣装だ。
 それに対しての俺はというと、まったくいつも通りのシャツとズボン、それにコート。
 これからダンジョンに潜るとは思えないぐらいの軽装だろう。俺もそう感じる。
 昔は甲冑やら兜やら着込んでいたんだがなあ……いまでは、ああいうのを着けると、どうも重くて、思うように身動きが取れなくなってきたんだよなあ。体力の衰えを実感するよ。ていうかお兄さんはそろそろおっさんなんだから、全盛期なんてとっくの昔に終えちゃってる身の上なのである。それでもなお、かわいい生徒のためとはいえ体に鞭打って危険に飛び込む、そんな自分の生きざまに惚れる。
「おっさんの自画自賛ほどキモいものはない――モイ・キートン」
「だまらっしゃい。おっさんではありません、お兄さんです。あと勝手に詩人を創作してはいけません」
 ていうかね、きみはなんで俺の考えが読めるのだね?
 読心魔法でも習得しているの?
「先生のお考えは単純ですから。雰囲気で分かります」
「……あ、そう。……んじゃ行くよ、ルーティくん」
「はい。お供させていただきます。ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
 ぺこりと俺に頭を下げる、ルーティ。
 そうするとなんだかかわいらしいほど俺に懐いてくれている生徒のようなのだが、この生徒、隙あらば俺の痛いところを突いてくるわ寝首を吹き飛ばそうとするわ、たいへんな下克上フリーダムっぷりを発揮するので、まったく安心できない。
 ま、いつまでもこのサディスティンのことを気にして背後にビクビクしていても仕方がない。
 俺は前に進み、正面の巨大な球体に右手をかざした。
 球体は光り輝いていた。紫色の小さな太陽だ。小さな、とはいっても、本物の太陽と比べての話だ。こいつの実際の直径は五メートルほどもある。これがダンジョンへと俺たちを飛ばしてくれる空間転移装置だ。遠く離れた場所へと瞬間移動させる必要があるので、自然とそれ相応のエネルギーを扱う必要がある。よって、こういった巨大さになってしまったらしい。ダンジョンに多く置いてあるやつはもっと小型だ。最低でダンジョンの一階分、多くても数十階分くらいの、縦の瞬間移動でいいからな。
「開け」
 短く告げる。
 それがこの転移装置を扱うためのキーワード。
 その瞬間、装置が大きく膨張し、紫の光が俺とルーティを包んだ。
 視界がすべて、荒れ狂う紫の奔流によって埋め尽くされる。
 で、つぎに目に映ったまともな風景は、すでにほんの五秒前までとは一変していた。
 周囲はすべて硬く分厚い、湿気を帯びた岩肌で囲まれている。
 ここはすでに、広大なダンジョンの一部だ。
 《イゾルデ大迷宮》。ここはかつて、人間の国を侵略する魔物どもの前線基地として機能していたらしい。司令官たる魔界の貴族が倒されてから千年が経ち、一度は放棄されたこの場所に、百年前から再び魔物たちが住み着くようになったらしい。
 かなり暗いが、それでもなんとか視界を確保できるのは、岩盤のいろんなところに生えている苔のせいだろう。不思議なことに、その苔は淡く光っていて、この地下における唯一の光源となっていた。
 ……ここも、変わらんなあ。
 初めて足を踏み入れたのは、九年……いや、八年前だったか? あのときは大変だったな。ユーフィーナのやつがなにを思ったのか勝手に暴走して大暴れ。あやうく俺やウィルダネスまで巻き込まれて死ぬところだった。冷静な顔をしながら下半身がずっぽり地面に埋まってるやつまでいたし。
 卒業してからも何度かここにくる機会はあったが……ここというより、ダンジョンってやつはまったく、どれだけ年月が経とうとも変わり映えがしない。
 俺のほうは、いろいろと変わっちまったっぽいというのにな。
 と、昔の思い出なんかに浸っている場合じゃなかったか。
 先に進もうとして一歩を踏み出すと、ルーティから声をかけられた。
「先生。ウィルス・ルーモニアが消息を絶ったのは、地下三十五階でしたよね?」
「ん、そうだな」
「ならばこの転移装置で直行すればよいのでは? 教員用の機能があるのでしょう?」
 ふむ、さすがによく知っているな。
 ルーティの言葉の通り、ダンジョンの各フロアごとにひとつずつ置かれた小型転移装置は、それぞれ密接にリンクしていて、理論上、そのうちのひとつさえ見つければ、あとはそのダンジョンの内部ならばどこにでもいける。
 ただしそれはあくまでも理論上の話だ。普段は意図的にロックされていて、生徒たちが使えるようにはなっていない。
 仮にそんな機能を生徒たちに使わせようものなら、いろいろとまずいことが起こるからな。その理由はだいたい大きく分けてふたつある。
 周知のことだが、ダンジョンっていうのは、基本的に、地下に潜れば潜るほど敵が手ごわくなっていく。一階では楽勝だった戦いが、二十階や三十階も下れば命がけのものになる……なんてことは当たり前なのだ。つまり、いい気になって慢心した未熟者が一気に最下層まで降りてしまって自滅するという事態を防ぐ必要がある。これが理由のひとつめ。
 ふたつめは、学園は生徒たちを優秀な冒険者へと育て上げたいわけであって、成果ばかりを楽して求める軟弱者を抱えるつもりはない、ということだ。エレベーターやエスカレーターばかり使うんじゃありません、階段を使って足腰を鍛えなさい、というわけだな。実際、転移装置での移動に慣れきってしまったやつらなど、外の世界ではどれほどの役にも立たないだろう。
 ま、そんなわけで、小型転移装置は、学園への帰還という機能しか使えないようになっているのだ。生徒に限ってはね。俺たち教師はちがうぜ。いままさにこういう場合のような、緊急事態があるからな。機能のロックを解除する方法を与えられているのさ。
 もちろん、俺は、行こうと思えばすぐにでも三十五階まで降りられるわけだが……。
「いや、歩いて地道に行くよ」
「なぜですか?」
「んー、それはだな、ウィルス少年がそのフロアから移動しているかもしれないだろ? まさか下に降りてるなんてことはないだろうが、意外と幸運に恵まれて十階あたりまで上がってきているかもしれない。ていうかむしろ生きているならその方向の可能性のほうが高いかもな。経験上、道に迷ったやつがジッとして動いてないってのはまずありえない。その可能性を考慮して、この一階から虱潰しに探してみる」
 歩きながら、話す。
 ルーティは素直についてきてくれている。
「ですが、それでは時間がかかりすぎるのでは?」
「……まあな。だから急ぐよ、全力でな」
 そう言って、俺は、コートの内側から自分の武器を取り出した。
 無骨な、鉄材と木材の結集体。
 長さ六十センチほどの、歪な棒状の代物。
 銃だ。火縄銃を想像してみてほしい。その半ばほどに巨大な回転式の弾倉を無理やりくっつけてあって、不恰好が極まったような、なんとも情けない外見だ。
 が、性能はこの俺がきっちりと太鼓判を押してやれる。
 キンロッホレヴン社製六連発式魔導銃、ディアハザーダ。
 この俺の、いまの、相棒だ。
 俺は銃口をおもむろに前方へと向けた。
 二十メートルほど向こうからこちらに走ってくる人影がみっつ。
 そいつらは後ろ足で直立したトカゲのような風貌をしていて、両方の前足にそれぞれ金属製の盾や剣を装備していた。中堅の魔物、リザードマンだ。
 リザードマンどもは黄土色の瞳に爬虫類特有の冷たい光を宿し、こっちを餌だと決めつけて襲いかかってくる。その動きは素早い。このダンジョンにうろついている魔物どものなかじゃあ弱いほうだが、それでも戦闘能力は十分に人殺しに特化している。レベルは八十そこそこってところか。
 俺は容赦なく躊躇なく、人差し指で引き金を引いた。
 全力で扉を蹴破ったような轟音が、周囲の闇へと鳴り響く。
 銃口が火を噴き、それと同時に先頭のリザードマンが後ろに大きく吹っ飛んだ。長い首の上に乗っていた頭部が丸ごと消えてなくなり、脳漿や血をまき散らしながら宙を飛ぶ。
 残りの二匹は仲間の死にざまにすら一瞬の動揺も見せなかった。こいつらにあるのは食欲と性欲だけだ。
 俺はまたしてもためらわなかった。
 轟音。
 片方のリザードマンの腹部に弾丸が命中。そいつは上半身と下半身に分かれて壁にへばりつく。
 轟音。
 最後のリザードマンは盾を構えて防御しようとしたが、それごと頭を消し飛ばされた。
 初戦が、終わった。
 硝煙のにおいを嗅ぎながら、俺は弾倉に新たな銃弾を装填した。
 この銃の優れている点は、個人の持つ重火器として、俺のもといた世界ではありえないほどの大口径でありながら、片手で容易に扱えて、しかも撃ったときの反動がものすごく小さいというところだ。さらにはほとんど磨耗したり故障したりすることがない。さすがは魔法の世界の産物だな。
 もともとこいつはドラゴンや巨人族と喧嘩をするために作られたというだけはあって、威力は抜群。狙いが少し甘いのが難点だが、そこのあたりを使い手の技量で補ってやりさえすれば――
 頭上に発砲。奇襲をかけてきたリザードマンの股間から脳天までを一発で貫く。
 ――補ってやりさえすれば、こんなもんさ。
 俺は歩みを止めなかった。
 横幅が五メートルほどの真っ直ぐな道。左右には岩壁。
 下へ降りる階段を探し、あたりを注意深く見わたしながら、早足で歩く。
 そんな俺の真横の壁が、いきなり木っ端微塵になって砕け散った。
 岩石のシャワーの向こうから現われたのは、牛頭人身の巨躯。
 ミノタウロスか。こいつは迷宮を歩くにあたってもっとも警戒しなければいけない魔物のうちの一匹だったりする。なにせ、強いからな。
 身長五メートルはあろうかというミノタウロスは、俺の眼前で、その手に持った斧を振り上げた。
 巨大な旋風が唸りを上げる。
 触れただけで挽き肉に成り果てる死の一撃を、俺は後ろへと跳ぶことによってなんとかかわした。
 ……おいおい、ここの一階にミノタウロスなんていたっけか?
 しかもこいつ、明らかにレベル二〇〇は越えている。土気色の分厚い肌、はちきれんばかりに膨れ上がった筋肉。鼻息も荒く俺を睨みつけるその双眸には、目の前の適を殺すことしか考えにないという、狂った殺意が宿っていた。
 舌打ちしつつ、銃を持ち上げて素早く照準を定める。狙いはもちろんミノタウロスの眉間だ。
 発砲。
 鉛の飛礫が、俺の意思に従って忠実に、牛頭の急所へと真っ直ぐに飛翔する。
 が、俺の耳に聞こえたのは、銃弾が肉を穿つ重い音ではなく、鉄が鉄に弾かれるときの甲高い音だった。
 ミノタウロスはその斧の柄を盾のようにして、自分を襲う銃弾を弾き返したのだ。
 ……器用なことを。
 などと、感心している場合じゃなかった。
 そのまま俺の頭上へと持ち上がる戦斧、それは俺が銃の引き金を引く前に、俺の脳天へと――
 ミノタウロスの斧が、ほとんど同型の斧の一撃によって弾かれた。
 横合いから俺の窮地を救ったのは、こちらも、筋骨隆々としたミノタウロス。ルーティが召喚魔法で呼び出したのだ。
 ただしその容貌は異様だった。まず、全身の肌の色が部分によってちがうのだ。紫だったり、肌色だったり、あるいは赤だったりもした。色違いの肌と肌を、太い糸による縫い目がつなぎ合わせている。さらには右半身と左半身で大きさや形が異なっている。右腕のほうがやや長いし、左腕の太さは右腕のそれの倍もある。背中からは大鷲の翼が生えていて、尻尾はサソリのそれだ。それでも頭は牛のもので、ミノタウロスっぽいのだが、双眸の色は左右でちがっていた。右は燃えるような赤。左は凍るような青。顔面にもそこを半分に分けるようにして痛々しい縫い目が走っている。
 ミノタウロスというよりは、キメラ――数多の生物を組み合わせた合成魔獣だな。
 そして実際、俺の感じた印象は、正しい。
「我が敵を速やかに葬れ、ドレッティーナ」
 ルーティが静かに告げた。
 ドレッティーナと呼ばれたキメラミノタウロスが、無言で動く。
 地響きを上げて前へと踏み込む、ドレッティーナ。斧を振り上げる。当然、敵のミノタウロスも応戦した。上から叩き斬るようなドレッティーナの斧と、下からすくい上げるようなミノタウロスの一撃が、ぶつかり合って火花を散らす。
 ミノタウロスの斧が、砕けて散った。
 たたらを踏みながらも、そいつはいまだに戦意を失わず、雄叫びを上げる。
 その頭を、ドレッティーナの右腕が掴んだ。
 驚くべきことが起こった。
 ミノタウロスの膝が、曲がる。上から押さえ込まれる力に屈して膝が曲がった。ミノタウロスの瞳に、俺から見てもはっきりと分かるほどの驚愕の色が浮かぶ。おそらくはいままでに一度たりとも力比べで負けたことなどなかったんだろう。たぶん理性などないはずなのに、それほどの驚きだったということか。
 ミノタウロスが声を上げた。それだけで地鳴りが起こりそうなほどの大音声。腕が一回りも太くなるほどパワーを上げてドレッティーナの右腕を掴む。
 だがなんの変化も起こらない。
 ドレッティーナは無言。ただ、無慈悲に、機械のように愚直に、ミノタウロスを押さえ込んでいく。
 ミノタウロスの脚から骨が砕ける音が聞こえた。そして腰の骨が折れた。断末魔の悲鳴が上がる。それでも押さえ込む力はゆるまない。やがてミノタウロスが悲鳴を上げたがそれでも止まらない。巨躯の胴体が潰れて地面にめり込み血の海が広がっていく。
 時間にして一分もかけずにぐしゃぐしゃと潰れきったミノタウロスは、文字通り、原形をとどめていなかった。
 ルーティはローブの裾を摘み上げて、俺に一礼してみせる。
「いかがでしょうか、先生。我が屍霊術の働きは」
「……相変わらずネーミングセンスが最悪だよ、ルーティくん。ドレッティーナはないだろ」
「あら、かわいらしくてよいでしょう?」
 ドレッティーナこそは、ルーティの屍霊術のひとつの成果だ。彼女が《屍骸遊戯》という二つ名で呼ばれる理由でもある。
 屍霊術は死体を操ることを得意とするが、それはなにも、死体をそのまま操るというだけではとどまらない。死体を自在に操るということは、ただ死体を動かすだけではなく、死体を術者の思い通りの形態へと作り変えるという意味をも持つのだ。たとえば基本となる死体をミノタウロスに決めたとして、そこにグリフォンの死体から翼をもってきて取り付けたり、大サソリの尻尾をもってきて取り付けたりと、屍霊術士は好き勝手にやれるというわけだ。
 古いもの、壊れたものを捨て去って、新しく強いものへと交換する。劣っている部分を取り除いて、より優れた部分を持ってくる。それを繰り返して、屍霊術士は自分の好みの死体を造り上げるというわけだ。もちろん、自分の身を守るための護衛、いわば一種のゴーレムへと仕立て上げるために。まさに死体のパッチワークといったところだな。
 俺が知る限りだと、ルーティのゴーレムは全長十メートルはある怪鳥のはずだったんだが……ここしばらく姿を見ないと思っていたら、どうやら新たな作品の製作にご執心だったらしい。ていうかドレッティーナの背中の翼があの怪鳥のなれの果てか? ちなみに怪鳥の名前はキャサリンとかいったはずだ。ああ恐ろしいまでに外見と名前がかみあっていない。
 ドレッティーナが、ルーティの足元へと、その逞しすぎる手の平を下ろす。
 ルーティはそこに乗りながら、俺のほうへと振り返った。
「ねえ、先生」
「んー?」
「邪魔には、ならなかったでしょう?」
 勝ち誇ったような、邪悪な笑み。
 この娘、やはり、サディスティン。
 俺は降参するようにして両手を挙げた。
「ありがとう。助かったよ、ルーティくん」
「うっふふふふふっ! お礼なんていいんですよ、先生! 当然のことをしたまでですから!」
 愉快げな高笑いがダンジョンに響く。
 ……ついてくるなって言ったこと、じつは怒ってたりするのか?
 ずしんずしんと足音を響かせて進むドレッティーナ。その肩に座ったルーティの背中を見送りながら、俺はため息をついた。……今日はよくため息をつく日だ。



[9648] 第三話
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2010/05/08 19:44
 ルーティとドレッティーナの活躍は素晴らしかった。
 彼女たちの前に敵はいない。バジリスク、サイクロプス、マンティコア……凶暴で名の知れた魔物どもを瞬く間に葬っていくドレッティーナの怪力には、俺はもう感心するというより呆れるしかなかった。しかもただの馬鹿力だけではなく、対石化能力や対毒能力まで付加してあるとは。念の入ったことだ。もはやあのキメラミノタウロスはちょっとした動く要塞だな。
 というわけで、ルーティたちが大暴れしている後ろで、俺は思う存分にダンジョンの調査と行方不明の生徒の捜索を行なえたわけだ。
 そしてやってきました地下三十五階。
 ここまでウィルス少年の影も形もなし。
 ……まさかとは思うが……いや、けっこう可能性は高いんだが……すでに魔物の餌になっていて胃袋の中身、なんてことはないだろうな。だとするとどうやっても探しようがないということになる。
 一階からここまで、見落としはなかったはずだ。だから、この階にもいなかったとしたら、もっと下層の階にいるということになるんだが……それだと少年の生存率はますます低い。
 俺たちがこのダンジョンに足を踏み入れてから、すでに五時間が経過している。ルーティたちのおかげでかなり素早くここまで来ることができたが、少年の姿が消えてから十二時間ほども経っているというのは、かなり危険な状態だ。
 俺は若干の焦りを感じつつあった。
 と、そのときだった。
「先生。あれが問題の少年なのでは?」
 ルーティが前方を指差して言った。ドレッティーナの肩に乗っているおかげで、彼女は高いところから遠くのほうまで見渡せる。
 俺のほうでも、目視で確認した。
 ダンジョンの床に誰かが横たわっている。
 当然、俺はすぐにその誰かのところへと駆け寄った。
 白いローブを身にまとった獣人族の少年だった。そばには木の杖が落ちている。
「先生、彼が?」
「ああ、そうだろうな」
 短めの黒髪。頭の高いところから飛び出ている耳は猫のそれのよう。写真で見せてもらったウィルス少年の容姿と特徴が完全に合致する。
 少年は気絶しているのだろう。目を瞑っていて明けようともしない。だが少年の呼吸する音はたしかによく聞こえるし、ローブを着ていても分かるほど胸は上下にゆっくりと動いていた。まだ、命はある。
 ……しかも、無傷のようだ。奇跡的にも。
 俺はその場にしゃがみこみ、少年の頬をぺちぺちと叩きながら呼びかけた。
「おい、大丈夫か? 助けにきたぞ」
「う……う、ううっ……? うああああっ!?」
 しばらく経ってからようやく目を覚ました少年は、青い瞳を見開き、脅えたように後ろへと飛び退いた。
 ……かわいそうに。さんざん怖い目にあったせいで、気が動転しているんだろう。
 俺はできるだけ少年が安心できるように、阿呆のように、へらへらと笑ってみせた。
「怖がるなよ。お兄さん傷つくぞー」
「あ……、あ、も、もしかして学園の? 僕を助けにきてくれたんですか……!?」
「おう、その通りだとも。俺は四季村秋彦……リノティアの先生だ。あっちは生徒のルーティくんとドレッティーナちゃん。まったく災難だったな、少年。さ、こんなところに長居は無用だ。とっとと帰ろうぜ。自力で歩けるか? 肩を貸そうか?」
「だ、大丈夫です。自分で歩けます。……よかった、これで家に帰れる」
 ウィルス少年は、ほっとしたように胸を撫で下ろした。
 少年の身長は百五十センチくらいだろうか。黒髪と青い瞳の持ち主。顔立ちは甘くて女の子に好かれそうなタイプだったが、どうも雰囲気が弱々しく、双眸には気弱そうな光が揺れていて、ちょっと頼りなさげだった。まあそういうところが母性本能をくすぐるかもな。話に聞いていた通りの少年だ。
 ……さて。俺がここにきた目的は、すでに終わった。少年に言った通り、こんなところに長居は無用だ。さっさと地上に戻るとするか。
 俺たちはしばらくダンジョンを歩いて転移装置を見つけると、すぐさまそれを起動した。
 先頭に立っている俺が装置に手をかざし、唱える。
「開け、万里の門」
 そして装置が膨れ上がり、俺たち三人を包み込んだ。あの大型転移装置のときと規模は違うが、あとはほとんど同じだ。
 もうひとつ違うのは、景色がまったくといっていいほど変わっていなかったことだな。
 俺たちはまだ、ダンジョンの内部にいる。
 ルーティが不思議そうに首をかしげて尋ねてきた。
「先生? どうしたのですか?」
「いや、すまん。使いかたをちょっと間違えた。一気に学園に帰るはずだったんだが、上層階へ移動しちまったみたいだ」
「……おっさんを通りこしてお爺さんになったのですか? 脳細胞が死んでいますよ」
「なははは、手厳しいなあ、ルーティくん」
 俺は髪をかきながら馬鹿笑いを上げて、そしてコートのポケットから一冊の手帳を取り出した。
「ま、こういうのもご愛嬌だと思ってさあ、許してちょ。ああ、そうそう、少年。おまえにちょっと訊かなくちゃいけないことがあったんだよ」
「え? なにをですか?」
「いや、たいしたことじゃないよー。こういうときは本人かどうか確認しなくちゃいけないんだけどな、そのための質問。せっかくだからいまのうちに訊いておくわ。ごめんな、面倒くさいだろうけどこれも規則だから」
 手帳に書いてあるウィルス少年の個人情報に目を通す。
 俺は訊いた。
「少年の名前は?」
「ウィルス・ルーモニアです」
「種族は?」
「獣人族」
「年齢は?」
「十六歳です」
「生年月日は?」
「聖王暦五〇〇四年九月六日」
「所属しているパーティと、その担当官の名前は?」
「パーティは《蒼き竜巻》。担当官はブィリー・ゴードン」
「よしよし。生徒番号は?」
「はい。二四七八九〇〇二四六〇六四二九〇です」
「そうかそうか。よし、全問正解!」
「ええ、当然のことですけどね」
「うん。でも不合格。残念でしたー」
 少年の眉間に、ごつい銃口を押し当てて、俺は言った。
 俺の後ろから、ルーティが、感心したように言う。
「なるほど。はっきりとしましたね」
「だろー? ……あのね、少年。いや少年に化けたどこかの誰かさん。そんなに不思議そうな顔をしなさんな。おまえの答えは完璧すぎたんだよ。名前やら生年月日を答えるのは当然だ。そいつはできてなくちゃまずいだろう。だがな、完璧に変装して敵を騙すためには、答えちゃいけない情報だってあるんだよ。たとえそれが本人の知ってる個人情報であってもな」
 ウィルス少年の姿をまねた何者かは、まだ瞳に困惑の色を浮かべていた。
 ……生徒番号だよ、馬鹿が。生徒番号は学園創立以来、すべての生徒に与えられているものだがね。あんな長ったらしくて不規則な、それでいて生徒にとってはまったく実用性のない数字の羅列、誰が好きこのんで覚えているもんかよ。俺のもといた世界でクレジットカードの会員番号なんて誰も覚えようとしないのといっしょだ。そんなくだらないことを覚えているとすればそれは、そいつになりきろうとして情報を完璧に集めるあまり墓穴を掘った、どっかの間抜けな誰かさんぐらいのものさ。
「あとな。おまえの格好はあんまりにも綺麗すぎた。――レベル七十三の小僧が、こんな危険区域でそんな綺麗なままでいられるもんかよ。腕の一本や二本はなくしてるだろうと覚悟してきてみりゃ、てめえのそのざまだ。あんまり見え透いているもんだから怒りを堪えるのに必死だったぜ」
 ……それでも、期待していなかったといえば、嘘になるがな。
「もうひとつだけ訊いておくか。……本物の少年をどこへやった?」
「その質問に答える必要はあるのか? 薄汚い人間め」
 耳まで裂けた口で、そいつは笑いながら言った。嘲笑だった。
 直後、引き金にかけた指に力をこめる。
 発砲。
 超至近距離で、そいつの眉間に鉛弾をぶち込む。
 そのとき俺が首をかしげて体を捻るようにすることができたのは、単純に、長年にわたって研ぎ澄まされてきた直感と経験のおかげだった。
 俺の耳の肉をちょっと削って後ろへとすっ飛んでいく不可視の刃。
「先生!」
 ルーティの叫びを聞きながら、俺は横へと跳んだ。そのままごろごろと地を転がり、すぐさま体勢を立て直して立ち上がる。
 目の前、十メートルほど向こうに、ウィルス少年に化けていた者の正体がいた。
 壮年の男だ。少なくとも外見は。身長は俺と同じくらいか。全身の筋肉は引き締まっていて獣のよう。足首まで届くほど伸ばした銀髪を、後頭部のほうへと綺麗に撫で付けている。容姿は整っているのだが、その顔には邪悪でどす黒い感情が幾重にもへばりついていてどうしようもない。漆黒のタキシードのようなものを着ていて、長いマントを羽織っていた。
 青白くて血色の悪い肌。
 薄い唇の向こうから覗く、異様に鋭く長い犬歯。
 真紅の瞳。
 外見の特徴から推察するに、正体は吸血鬼、か。人間の生き血をすすって生命を永らえる、闇夜の種族。高い知能と戦闘能力をかねそなえる、もっとも厄介な魔物のうちのひとつだ。
 その吸血鬼は、大仰に両腕を広げながら、余裕たっぷりと尊大に言う。
「我が名はキルドゥーヤ。《風と幻夢》のキルドゥーヤだ。人間よ、ほめてやろう。よくぞ我が幻術を見破った」
「おまえの名前なんざ訊いちゃいねーよ。それよりこっちの質問に答えろ」
 怒りをこめて、鋭く答える。
 後ろからいまにも突撃しそうになっているルーティを、片手で制止。
 キルドゥーヤはなにがおかしいのか、くつくつと笑った。
 大口を開けて、べろんと舌を垂らす。
「あの小僧ならば、ここから入って」
 その口腔の奥を、細くて骨と皮ばかりのような指で指し示した。
 つぎにキルドゥーヤが指差したのは、自分の尻だ。
「ここから出て行ったぞ。いろいろと必要な情報は私の体に残ったがね……ははははは!」
 発砲。
 これ以上、ゲスの台詞を聞いてやるほど我慢強い耳は、俺にはない。
 ドラゴンの鱗をも砕いて貫くほどの威力を持つ弾丸が、キルドゥーヤに向かって飛ぶ。
「まあ待て、焦るな、人間」
 キルドゥーヤはまったくの余裕を見せ付けていた。
 やつの頭部を木っ端微塵にするはずだった弾丸は、その目的を果たす直前でなぜか軌道が変わり、あさっての方角へと飛んでいってしまっている。
 なにごともなかったかのように、キルドゥーヤは話を続けた。
「なぜ私が人間などに化ける必要があったのか、知りたくはないのか? 冥土の土産に教えてやろう、我が遠大にして精緻なる計画を」
「そのくだらん話は、レベルをごまかす装置をなぜ作ったかってところから始まるのか?」
 弾倉に新たな弾をこめながら言った。
 キルドゥーヤは、初めて不遜な笑み以外の感情を顔に浮かべた。驚きと、わずかな警戒心。
「……ほう。あれを作ったのが私だと、なぜそう思う?」
「おまえの目的は、まあ、だいたい分かる。学園に潜入して内部から破壊する、ってところだろ。冒険者を多く輩出する学園はおまえら魔族にとって邪魔でしかないからな。ダンジョンにもぐりこんできた生徒たちを上手く騙すなり誘惑するなりして装置を渡すことぐらい、幻術を使うおまえなら簡単だ。そうやって未熟者が高難易度のダンジョンに入れるようになれば自然と死者が増えて未来の戦士が減るし、装置の効果を試すテストもたくさんできる。で、最後の仕上げとして、完成したその装置を使って完璧に生徒に化けたおまえ自身が学園に乗り込んで、破壊工作やりまくりってわけだ。あの装置は手帳サイズだから持ち込むのも簡単だしな。ところでそろそろ始めてもいいか? ここで動かすべきなのは舌じゃないだろうからな」
 六発の弾をこめた銃を、だらりと下げる。適度な脱力。だけど脚には一瞬の爆発を準備させる。
 キルドゥーヤは唖然としていたが――すぐ、唸り声を上げて俺を睨み付けた。
「ふざけるなよ人間の若造。小賢しいだけの、弱くてくだらぬ虫けらが、この私と勝負するつもりか? 勝てると思っているのか、このキルドゥーヤに?」
「思ってるよー」
「……そんな豆鉄砲で、なにができる?」
「おまえをブチ殺して地獄に落とせる」
 言って、跳躍。キルドゥーヤに対して右側、斜め前方に低く跳ぶ。
 引き金を引く。
 連続して響く轟音。
 吸血鬼に向かって、銃弾が飛翔する。
 死の鉛を、キルドゥーヤは取り戻した余裕と共に迎え入れた。高笑いが響く。
「学習能力のない猿だ! 私には銃弾など通用せん!」
 その通りだ。銃弾はすべて、やつに命中する直前で、軌道を無理やり捻じ曲げられてあらぬ方向へとすっ飛んでいく。キルドゥーヤにはかすりもしない。
 あの現象の正体には、もう見当がついている。
 風の防御壁だ。強烈に、しかも局所的に発生した風の渦が、キルドゥーヤを守っている。それが俺の発射した弾丸をすべて受け流してしまっているのだ。
 遠距離からの攻撃では、やつは倒せない。
 ――だったら近距離からの攻撃ならどうだ?
 俺にばかり集中しているキルドゥーヤの頭上から、ドレッティーナの斧が襲いかかった。ルーティがドレッティーナを疾駆させたのだ。山のような巨体だっていうのに、驚くべき瞬発力だ。
 剛力無双、キメラミノタウロスの戦斧。その威力ときたら、堅固な鱗で覆われたドラゴンの首ですら一刀両断するだろう。
 だがそれですらキルドゥーヤには通用しなかった。
 やつは信じがたいことに、掲げた片手で刃を掴むようにして、超重量の一撃を受け止めていたのだ。
「白兵戦でなら勝てるとでも?」
 にやりと、吸血鬼が口の端を吊り上げる。
 その手にちょっと力をこめた――俺にはそのようにしか見えなかった――だけだというのに、戦斧の刃が粉々になって砕け散った。舞い散る鉄の破片。
 キルドゥーヤはそのまま、斧を砕いたのとは反対側の手をドレッティーナに向ける。その手の平は紫色の輝きを放っていた。
「人間ごときの手に堕ちた、哀れなる者よ。安らかに眠れ」
 細く長い、紫の閃光。
 鋼鉄をも焼き切るビームが横なぎに煌めいて、ドレッティーナの首をはね飛ばした。さらに連続して縦横無尽に走ったビームが、巨躯を瞬時にしてただのバラバラ死体へと変える。
 悔しげに怨嗟の声を上げたのは、使い魔の戦いを見守っていたルーティだった。
「よくもドレッティーナを……! ――罪深く救いがたき者どもよ! その背に負う罪科を捨て去り、地獄の責め苦から逃れたいというのであれば、彼方から我が手元へと集え!」
 金属の杖の石突きが、地面を叩く。
 ルーティを中心として巨大な赤い魔方陣が浮かび上がった。
 屍霊術の行使。新しいゴーレムを召喚するつもりか。
 だがそんなことをキルドゥーヤがおとなしく許すはずなどない。
「愚か者め。隙だらけだ」
 笑いながら、キルドゥーヤはぞんざいに手を振った。繰り出した攻撃はビームじゃない。もっと危険な一撃だ。目には見えない、不可視の攻撃。最初に俺の耳をちょっと削った、あれだ。
 ルーティは呆然としたように目を見開いていた。自分に迫る死の運命に対して、なんの防御もできていない。まさに無防備ってところだな。
 弾丸の軌道をずらした方法からも分かる通り、キルドゥーヤが得意としているのは、風の魔法だ。いま、あいつがルーティに向かってはなったのも、やはりそれだ。殺人かまいたち。人間のひとりやふたりぐらい大根のようにぶった切れる、巨大な真空波。
 二秒、いや一秒の先の未来、ルーティは脳天から股間まで真っ二つになって死ぬ。
 ――そして俺はそんな未来など許さない。
 限界まで全力を出して走ったかいがあって、なんとかルーティを押し倒すようにして転がり、殺人かまいたちから逃れることに成功した。
 やれやれ、困ったもんだ。お兄さんにあまりきつい運動はさせないでくれよ、ルーティくん。
「ルーティ。遠くのほうへ逃げてろ。あいつがそう簡単におまえに魔法を使わせるとも思えないからな」
「せ、先生――」
「ほらほら、さっさと行きなさい。お兄さんの言うことはよく聞くものですよ」
 やれやれ、コートが泥で汚れちまったぜ。ぱんぱんと土埃を払いのけながら、俺は立ち上がる。
 銃は……さすがだな、ぜんぜん大丈夫だ。けっこう無茶な衝撃を与えたかと思ったんだが。
 戦いに支障はない。
 だというのになぜだかルーティは焦っていた。
「で――でも、先生――」
「はいはい、話ならあとで聞くから」
「血が、うで、腕が、血……!」
 そういえば、かまいたちがちょっとだけ右腕をかすっていたか。ま、たいしたことじゃないけどな。ただ感覚はないし動く気配もないから、この戦いで使うことはもうできないだろう。
 たいしたことじゃないさ。
 だからそんなに泣きそうな顔をするなよ、ルーティ。こんな腕の痛みなんぞよりも、そっちのほうが、俺にはつらい。
「気にするなよ、ルーティくん。悪いのはあの吸血鬼野郎だ」
「でも、でもっ! 私をかばったせいで、先生、そんな――そんなちぎれそうな……!」
「大丈夫だから。唾でもつけときゃ治るよ、こんなもん。マジでマジで。ほんとだって。信じなさいよ、お兄さんを。信頼しなさい。お兄さんの半分は正しさで出来ています」
 ちなみに、あとの半分は意地と根性とやせ我慢だ。
 俺は、無事なほうの腕で銃を強く握ってから、歩き出した。
 正面では、腕組みしているキルドゥーヤが、待ち構えている。
「別れの挨拶は終わったか?」
「なんの話だそりゃ? ていうかとりあえずいっぺん死ねよテメエは」
 狙いをつけて、正確に三回、引き金を引く。
 キルドゥーヤは、嘲笑など浮かべなかった。すでに呆れたように俺を見ていた。
「馬鹿が――」
「どっちがだい?」
 俺はもちろん、串刺しになっているおまえのほうだと思うがねえ。
 キルドゥーヤは、自身の足元の床から生え出た何本もの鋭く長い杭によって、股間から頭のてっぺんまで、あるいは脚や腕をまとめて、無慈悲に刺し貫かれていた。それでもまだ生きているというのがびっくりだが、吸血鬼とはそういうものだ。まともには死なんのさ、こいつらは。
 信じがたい、とでも言いたげな表情のキルドゥーヤだったが、なにも驚くようなことじゃあないだろう。ダンジョンにはあって当然のものだ。すなわち、侵入者を撃退するためのトラップだ。
 俺が地下三十五階まで歩いているときに見つけたトラップ。
 そして俺がここに――地下十六階に転移した理由だ。床のとある一部分に衝撃を加えれば発動するキル・トラップさ。さっきの銃撃はおまえ自身を狙ったわけじゃない。おまえのちょっと手前にある床を狙ったのさ。いい具合にトラップの仕掛けてある場所に立っていてくれて助かったよ。
 まともに身動きもとれず、もがき苦しみながら、キルドゥーヤは言う。
「ひ、卑怯な――」
「おうとも。当たり前でしょうが。こちとらおまえさんの言った通りの、弱っちい虫けらなもんでね。せいぜい小賢しくいかせてもらうぜ。大人は汚いものなのです、お兄さんは卑怯なものなのです」
 さて、とどめを刺すとするか。吸血鬼はもともとかなり不死身なんだが、見たところ、キルドゥーヤは上等な部類だ。心臓をぶち抜いた程度でも死ぬかどうか分からん。弾倉に残った三発の銃弾で、頭に二発、心臓に一発。正確にぶち壊させてもらうとしよう。
 キルドゥーヤが叫んだのは、そのときだった。
「なめるなよ、人間ッ!」
 やつの体を蹂躙していた杭の群れが、一瞬にして弾け飛んで消滅する。
 それをなしたのは、キルドゥーヤが全身から放った魔力の膨張だった。
 怒りで赤い瞳を燃え上がらせて、鼻面には皺を寄せ、憤怒の形相で俺を睨みつけてくる。やつを穴だらけのチーズみたく見せていた無数の傷口も、すでに塞がっている。魔力で無理やり治療したのか。見かけによらず荒っぽいことをする。
「ゆるさん、許さんぞっ……! よくも私の体に傷を!」
「もう治っただろ。かたいことを言うなよ」
「黙れクズッ!」
 やつはあまりの怒りのために、自分の手で俺を殺さなければ気がすまないとでも思ったのだろう。魔法も使わずに、直接、その爪を鋭いカギ爪へと変化させて、襲いかかってくる。
 吸血鬼という種族のもっとも恐ろしい点は、その高い知能や魔法力、眷族を増やす能力じゃなくて、突出した身体能力にこそある。ミノタウロスの斧をも受け止める馬鹿力。そして、残像すら生む速度で駆ける瞬発力。
 俺とキルドゥーヤのあいだにあった十メートル近い距離が一瞬で消し飛んだ。
 まるでコマ落としのよう。
 それほど、吸血鬼は素早い。
 ルーティの悲鳴が聞こえた。
 心配するなって。大丈夫だからさ。
 斜め上から俺の首を狙って振り下ろされるカギ爪を、低く身をかがめるようにしてやり過ごす。と同時に草を刈るような回し蹴りを放った。足を払われて体勢を崩したキルドゥーヤの胸を、対空砲火のような蹴りで吹っ飛ばす。
 少し、浅かったか。骨を砕いた感触はあるんだが、その程度では、不死身の吸血鬼にとってたいしたダメージにはならない。
 驚愕の表情を浮かべる、キルドゥーヤ。
 怒りすら忘れたかのように、俺から飛び退くようにして距離をとった。
「馬鹿な……貴様、人間の分際で、なぜ私のスピードについてこられる?」
「さあて、なぜだろうねえ」
 はぐらかすように、おどけて言う、俺。
 実際は、そんなに余裕はないんだけどね。
 心臓は限界まで鼓動を早めていて、いまにも爆発しそうだ。全身の筋肉が悲鳴を上げている。体温が異様なまでに上がり続け、冷や汗が流れては蒸発する。たとえようもない昂揚感が全神経を支配している。
 ……ただの普通の高校生が、どうしてこの世界で冒険者としてやっていけたのか。
 その答えが、この能力だ。
 能力というよりは、肉体の欠陥を逆手にとったものでしかないけどな。
 周知の事実かもしれないが、人間ってやつは、普段から肉体の能力をすべて使って生きているわけじゃない。使用しているのは全潜在能力のうちのほんの一部……せいぜい二割から三割ってところだ。もしも十割の全力を使うとなると、肉体はそのあまりの過負荷にたえられずに崩壊する。だから脳みそが制御装置の役目を果たして、体の力加減をコントロールしているのさ。
 ただ、俺の場合、その制御装置が、ものの見事にぶっ壊れちまっている。
 あれは、俺がこの世界にきたばかりのころだ。なにがなんだか分からなくて、あてもなく野山をうろついていた俺は、山中で一匹の魔物と出会った。たしかゴブリンだったかな。で、当然、かなうはずもなく、悲鳴を上げて逃げ出したんだが、頭の後ろを棍棒で思いっきり殴られた。結果を言うなら命は助かったが、深い傷を負い、そのときの後遺症で俺は肉体のリミッターを自由に解除できるようになったというわけだ。
 だから俺は、人間の本来の能力を、完璧に自由に使用できる。
「アキヒコ、シキムラ」
 キルドゥーヤが呟いた。
 なにか、思い至ったことでもあるのか。
 やつの瞳には、理解の色があった。
「そうか、どこかで聞いたことがある名前だと思っていた。く、くっくっく……! なるほどな。思い出したぞ。我らにすら匹敵する身体能力と、珍妙なる真名! なるほど、貴様がそうなのか!」
 どこか引きつったような笑い声。
 極めて獰猛な唸り声を、やつは上げた。
「アキヒコ・シキムラだと? 二つ名のほうが通りがいいぞ――ミスター《ノー・カウント》ッ!」
 《ノー・カウント》。懐かしい名を口にするやつだ。
 もう、とうの昔に、どこかの墓場に置き忘れてきた名前だ。
 馬鹿なクソガキが馬鹿に生きたがゆえに手に入れた、くだらない二つ名だ。
 そんなくだらないものでも、キルドゥーヤにとっては愉快だったらしい。
 やつは舌なめずりしていた。
「バルログ公爵、ルードヴィッヒ将軍……そしてジャランバヤ王子! 我らが同胞を幾人も葬り、地上支配という崇高なる計画を幾度にもわたって邪魔をした貴様を、まさかこの私の手で始末できる日が来ようとは」
 古い話を持ち出すなよな。もう何年も前の話だぜ。
 ていうか、全人類抹殺計画っぽい話なんざ、そりゃ全力で阻止するっての。
 キルドゥーヤは酔ったように恍惚として、両腕を大きく広げて掲げ、大声で叫んだ。
「《ノー・カウント》よ! 貴様の滅びの日は来たり!」
「略してノーカン先生だ。親しみをこめて呼んでくれたまえ」
 キルドゥーヤの横に立ち、その顎の下に銃口をめり込ませて、俺は言った。
「外してみせな」
 この距離で、さっきまでのように外せるものならな。
 轟音。
 密着した状態から、ゼロ距離で銃弾が炸裂。最期の瞬間に吸血鬼が浮かべていた動揺と恐怖の表情をすべて消し飛ばし、鉛の塊が天井めがけてすっ飛んでいく。
 頭部の前半分を失って、それでもまだ立っているキルドゥーヤの、心臓と、後頭部に、俺は銃弾を叩き込んだ。無慈悲に、情け容赦なく。
 キルドゥーヤの死体はその場で灰と化し、それもすぐに淡雪のように消えていった。
 おまえを倒すために、俺はいろいろと小細工を仕掛けたが……最初にして最後の小細工は、小細工を使わなくてもおまえを倒せるということを隠すことだった。それを見抜けなかったのが、キルドゥーヤ、おまえの一番の敗因だ。
 俺がなぜ《ノー・カウント》と呼ばれているのか。その理由は、いま見せたようなスピードにあるらしい。敵を殺すとき、秒読みすら許さずに瞬時にして殺すから、《ノー・カウント》なのだそうだ。自分でつけたわけじゃないがね。
 だが、俺に言わせれば、《ノー・カウント》とは、カウントできない――つまり、数えられていない、という意味のほうが、らしいってもんだ。異世界からの侵入者。この世界の住人として数に数えられていないこの俺に、なんともふさわしい名前じゃないか。
 ……あと、魔法をひとつも使えないからだとか、なぜかレベルを測定できないからだとか、そんな理由もあるらしいが。少なくともいまの生徒たちに知られている由来は、そっちなんだよなあ。
「ひどいひと」
 いつの間にか近寄ってきていたルーティが、言った。その声にはなぜか怒りがこもっているように聞こえた。なぜかうつむいている。
「そんな力があるだなんて。一階のミノタウロスのときだって、本当は自力でなんとかできたんじゃないですか。……私、馬鹿みたい。嬉しかったのに。あなたの助けになれて嬉しかったのに」
「おいおい、なに言ってるのよ、ルーティくん」
 それは、大きな誤解というものだ。
「言っとくけどね、さっきのはものすごく疲れるし健康にも悪いんだぜ。朝のコーヒーに入れる砂糖の量すら減らしてるお兄さんが、そんなほいほいとこんな力を使えるわけがないでしょうが」
 事実だ。
 吸血鬼の超反射神経と超動体視力を凌駕するために酷使した俺の肉体は、いまにもバラバラになりそうなほど苦悶の声を上げている。こんなの、最初から使いっぱなしでいられるわけがない。どうしようもないときだけの、本当の意味での奥の手だ。今回だって使いたくはなかったがしょうがなく使った。
「だからな、ルーティ。あのときは、マジですごく助かったんだぜ。ありがとうな。……邪魔だなんて言って悪かったよ。俺が間違ってた。いつの間にかちゃんと立派に強くなってたんだな」
 銃を仕舞って、ルーティの頭を撫でてやる。最初に出会ったときと比べれば、けっこう背も高くなって、成長したもんだなあ。
 やっと顔を上げてくれたルーティは、ちょっと迷惑そうに眉根を寄せていたが、俺の手を払いのけたりはしなかった。
「ほんと、ひどくて、ずるいひと」
「まあね。大人はひどくてずるいものなのだよ」
「……いつか絶対に、あなたの横に立つにふさわしい術士になりますから」
 蒼い瞳に決意を浮かべて、ルーティは言った。
 俺はというと、けっこう複雑な気分だったりする。
「その気持ちは嬉しいけどね。あんまり俺には懐かなくてもいいよ。なにせ俺は、おまえさんの親父を殺したんだ」
 そう。そしてそのときこそが、俺とルーティとの出会いだった。
 稀代の屍霊術士にして狂気の復讐鬼、ガルデレール・エルディナマータ。
 俺は五年前、あの恐るべき最凶のネクロマンサーとの死闘に辛くも勝利し、そして、親をなくしたルーティを拾ったのだ。
 とはいえ、子育てだなんてそんな器用なこと、俺に出来るはずもない。稀有なほどの才能を持っていたということもあって、マーキアス先生のところに預けることになったのだが……なぜかルーティは俺に懐いてしまっていたりするのだ。
 で、俺はというと、そんなルーティの気持ちを嬉しく思う反面、ちょっと、いやかなりまずいんじゃないかと思ったりもする。
 やっぱり俺はルーティの父親を殺した男だ。なにがどうなろうと、その事実だけは曲げられない。そしてそんな男と仲良くするなど、残された娘としてはどう考えたっておかしいだろう。
 ルーティは俺を殺すべきだし、俺はルーティに殺されるべきなんだ。本当はね。
 でもこの娘ったら、よく言えば味のある子なんだが……悪く言えば変わっている。
「そうでしょうか? いたってまともだと思いますが」
「ええー、変だよ、ぜったい変だって」
「父は復讐心で我を忘れ、死ぬべくして死にました。……彼を妄執から救っていただいた先生にはお礼を申し上げます。それだけです。ですから私と先生の愛を阻むものなど、なにもないのですよ」
 にっこりとほほ笑む、ルーティくん。
 うーん、なにかが阻んでほしい。
 ……隠してもしょうがないことだからはっきりと言っておくが、半年前、ルーティから愛の告白ってやつをされてしまった。
 もちろん断ったがな。
 ま、俺もルーティのことは好きだけどさ、これは恋愛感情なんかじゃないしな。かわいい妹ってかんじ? だいたい俺は教師なのであって、生徒から告白されてもけっして手を出せないのである。ちゃんとした同年代の恋人を見つけてほしいもんだ。
 いつかきっと、まともな幸せというものをルーティに教えてやる。それが俺の使命なんだ。うん、きっと。
「――矯正するおつもりなのでしたら、どうぞご自由に。どうせ無駄な努力ですけど」
 こっちが不安になるほど自信たっぷりとしているルーティは、俺の右腕に手を触れた。その、血まみれの棒切れに。
「服を脱いでください」
「ええー?」
「変な想像をしていただいてもけっこうですが、今回は治療のためです。マスターからいただいた、とっておきの秘薬がありますから」
 やたらとてきぱきとしたルーティの治療を受けながら、俺は、ため息をついた。
 ……幸せがダース単位で逃げていってるんじゃないだろうか、これ?
 


 
 学園の廊下にある窓から外の風景を眺めて黄昏ていると、背後から声をかけられた。
「また、無茶をしたそうだな」
「んー、そうなのよ。お兄さんってばもう、がんばりすぎちゃって体がガタガタ」
 振り返りながら、肩をすくめてみせる。腕の傷はすでに完治している。ルーティの治療が適切だったというのもあるが、この学園には腕のいい治癒術士が山ほどいるのだ。
 声の主は、女だった。長くて尖った耳を持つエルフ族。しかもただのエルフではなく、ハイエルフと呼ばれる上位種族だ。年齢は二十代前半ってところだが、長寿を誇るエルフ族だから見た目は信用できない。身長は女にしては高いほうで、たぶん百七十五センチくらいか。腰まで届くストレートの金髪は流れるようで、本物の黄金のような輝きを放っている。高い鼻と切れ長の涼しげな瞳、恐ろしいほど整ったかんばせ。そしてエルフの女というのはたいていがスレンダーな体つきをしているものなのだが、こいつはちがった。やたらと豊満な胸とくびれた腰、肉付きのいい尻や脚のラインが素晴らしく肉感的。それはゆったりとした緑色のローブに包まれていてもなお、男の視線を魅了してやまない。
 エルフ女の名前を、シェラザード・ウォーティンハイムといった。
 この学園の教師のひとりにして、俺がかつて所属していたパーティのメンバーでもある。
「《イゾルデ大迷宮》に行ってきたのか」
「生徒がひとり迷子になっちゃったもんでね」
「――おまえのせいではない。気にする必要はない」
 シェラザードの声は硬く、冷たく、そして俺を気遣う慈愛に満ちていた。
 ウィルス少年は結局、死体すら見つからず、二度と地上に戻ることはなかったのだ。
 ルーモニアという名の大富豪のことは聞いたことがある。救出に向かわされたのは、そのあたりが理由なのかもしれないが……俺にとってはどうでもいいことだった。
 大切なのは。
 あの少年は、何も知らないただのガキにすぎず、そして俺はそんなガキですら満足に助けてやることもできなかった、正真正銘の役立たずのクズだってことだ。
「気にするでしょ、普通。生徒が死んだんだよ。教師としてはね……やってられないよ」
 いまの言葉、自分でも気だるげに聞こえた。
 シェラザードの瞳が、険しさを帯びる。
「おまえのせいでは、ない」
「分かってるよ」
「いいや、分かっていない。おまえはいつもそうだ。ひとりで勝手にすべてを背負い込む」
 ……背負いたくて背負っているわけじゃないさ。ただ、仕方がないだろう。気付けば勝手に背中の荷物が重みを増しているんだ。そしてこれを捨てることなど、俺にはとても出来ない。捨てれば簡単に楽になれるのにな。不器用な自分の性根が恨めしい。そして背負いきれない自分の弱さには反吐が出そうだ。
「しかも、またリミッターを外したのか」
「あら、なんで知ってるのよ。……ちょっとだけな。今回の敵ってけっこう強くてさ」
「死ぬぞ」
「はっはっは、大げさな。まあ明日からしばらくは地獄の筋肉痛だろうけど」
「……いまさら忠告することではないが、おまえの肉体はすでに全盛期ではない。十年前からの限界を超えた酷使によってボロボロなんだ」
 そんなこと、知っているさ。
 自分の肉体なんだから、俺自身こそが誰よりもよく知っている。
 もう昔のように大剣も使えず、銃などに頼っていることからも、それは明らかだ。
 いまの俺には、全盛のころの十分の一ほどの強さもないだろう。
 けど、それでも俺は戦うよ。
「でもさあ、仕方ないじゃん。生徒の安全を守るためなんだから」
 俺がそう言うと、シェラザードはなぜか悲しげに、俺を見た。
 つらいな。
 仲間にそういう目で見られることのつらさといったら、もう、すごいぜ。
「それはともかくとして」
 つらかったので、話題を強引に切り替えた。
「イゾルデに入ってみて、どうもおかしいと思ったんだが……やたらと魔物どもの動きが活発だ。そこにいるはずのないほどレベルの高い魔物が普通にいたりするし、ちゃんとした計画を立てて動いている野郎までいやがった。なにか、きな臭い」
「大きな事件の前触れだとでも?」
「さあて、ね。まだ分からんが……その可能性も十分にあるってことだ」
「ゾルディアス先生には報告したのか?」
「うん。ま、先生のほうは先生のほうで、ちょっと動いてるみたいよ」
「……おまえは、動くのか?」
「はっはっは、いい冗談だ、シェラザード。こんなおっさんになりかけのお兄さんに精力的な活動なんて不可能よ。状況を見て、どうしても必要だと思ったなら戦うまでさ」
 まだまだ、なにがどうなっているのかも分かっていないしな。
 闇雲に戦っていられるだけの体力も精神力もあった十年前とは違って、いまの俺にはかつてあったすべてが足りない。残った数少ない力の使いどころは、よく考えて見極めておかなくちゃな。
「……それにな。どうにもこうにもしょうがないことなんだが、俺の時代はもう終わってるのよ。明日を作る役目は若い連中に任せるさ。お兄さんはゆっくり確実におっさんになって、そしてジジイになって死んでいきたいね」
 ああ、そうだ。俺の物語はすでに幕を閉じている。パーティのメンバーも、ひとりは消息を絶ち、ひとりは遠く離れた地に旅立ち、そしてあるいは死んだ。六人は散り散りになって、すぐに連絡を取れるのは、こうして同僚として働いているシェラザードだけだ。
 黄昏を感じる。
 俺の物語ってやつは、きっと、あいつが死んだときに終わりをむかえたのだ。
 と、俺らしくもなく感傷に浸っていると、いきなりむんずと襟首を掴まれた。
 目の前にはハイエルフの壮絶な美顔。
「な、なんですかシェラちゃん」
「――飲むぞ。付き合え」
「はいぃ?」
 いきなりなに言い出すの、この子?
 びっくりしている俺に有無を言わさず、シェラザードは歩き出す。
「今日は飲む。とことん飲む。おまえのその不景気な顔が蕩けてなくなるまで飲む」
「いや、ちょっ、待っ、俺はあんまり酒には強くないんだって知ってるっしょ!?」
「知っている。知るか」
 どっちだよ。
「心配するな。私のおごりだ。――先日、いい店を見つけてな。人生が変わる気分を味わえるぞ」
 にやりと笑う、シェラザード。超絶の美形ぞろいで知られるハイエルフの不敵な笑みってやつは、実際に間近で見てみるとゾッとする。なんていうのかな、本能が告げる危険ってかんじ?
 ……この子、昔はこんなキャラだったかしら? などと疑問に思う。
 結局、二日酔いと筋肉痛の二重苦によって、俺はつぎの日の出勤をあきらめざるをえなくなった。
 まったく、やれやれ、しょうがないな。
 いい仲間を持つと苦労する。
 だからこの世はやっぱり、悪いことばかりじゃないのだな。



[9648] 第四話
Name: あすてか◆12278389 ID:7db01365
Date: 2011/02/09 18:05
 目が覚めた。
 あたまが痛い。
 視界がぐらぐら。首がぐらぐら。
「……最悪だな、これは」
 ひどい頭痛。口の中が粘ついていて気持ちが悪い。胃腸が重い。胸焼けがする。
 昨夜、飲みすぎたせいだろう。
 俺は、見事なまでのステータス異常、その名も二日酔い状態に陥っていた。
「うぐおおお……」
 うなり声を上げながら、なんとか半身を起こす。
 ボッサボサの髪のまま、ぼんやりと思考回路を回転させてみた。
 ……どうして二日酔いなんかになってしまったんだっけ?
 俺は、あまり酒を飲めるような体質ではない。それは自覚している。だからいつもは、こんなに気持ちが悪くなるほど飲みすぎるということは絶対にしない。
 となると、こんなになるまで俺に酒を飲ませた人物が存在すると思うのだが。
 いた。
 いましたよ、奥さん。
 俺を二日酔いのどん底にまで叩き落した犯人が、すぐ横に。俺を床で寝させておいて、自分は柔らかいベッドで安眠なさっているお方が。
 金細工のような長髪と、白磁の肌。おそろしく整った容姿。どでかいバストと魅惑的なヒップ。とにかく抜群のプロポーションのハイエルフ、シェラザード・ウォーティンハイム。
 ようやっと思い出した。
 あのウィルス少年行方不明事件から、はや一週間。
 俺は昨夜、このエルフ女に連れ去られて、無理やりに酒を飲むことを強要されたのだ。いったい何件の飲み屋を梯子したのか定かではない。
 よくよく周囲を見渡してみれば、ここは俺の自室ではなく、教員寮にあるシェラザードの部屋だ。俺の部屋はこんなに落ち着いた雰囲気の高級家具とか置いてないもの。
 昨夜の状況を、ちょっと回想してみよう。
『……だぁいたいだなあっ、……ひっく! あきひこぉっ! 聞いてるかぁっ!?』
『あ、はい。聞いてます。はい』
『よぅし! ……だぁいたい、おまえは、無茶をしすぎる! むかしっからそうだ!』
『いや、でもさぁ』
『くちごたえするなあああっ!』
『ごめん、謝るから声をもうちょっと低くしよう、静かにしよう、な?』
『ん……おうっ……わかったあっ、ひっく! うっく……うえぇえええっ……』
『ど、どったの、シェラちゃん』
『わ、私だって、ほんとはこんなに怒鳴りたくないっ……でも、おまえが、おまえがいつまでも無茶ばっかりして、私を心配させるから、仕方なく……うえええええっ……』
『ごめん、ほんとごめん。これからは気をつけるから。泣き止もう?』
『う、うううっ……ぐすっ……ひっ、ひっぐ……』
『相変わらずの絡み酒のうえに泣き上戸か……手に負えねー』
『なんか言ったかあっ!?』
『いえ、なにも言ってないです、はい!』
『……まぁ、いい……。そんなことよりもおっ! おまえは最近の世界じょーせーについて、どう思ってるんらろっ!?』
『いや、まあ、大変だよね、いろいろと』
『そうらろ! だがらぁ、わらひが、じょーおーさまになって、すごいことしてやるんらろ』
『ははあ』
『みんなお酒のみほーだいできるよーに、ほーりつ変えるんら!』
『えっ』
『すごい、いい気持ちらー。みんなお酒飲んでいい気持ちになっら、戦争だってしなくなるんらよ! ぐっどあいでぃーあ! んんっぐ、んんっぐ、ぐびぐび』
『シェラちゃん、もうヤバいって……このへんにしとこうか? そろそろ寝ようぜ?』
『うるさい……だいたい、おまぇ、まだぜんぜん飲んでないらお』
『いや、俺は下戸だし、勘弁してよ。もう許容量を超えちゃってるし』
『うるさい飲めーっ!』
『な、なにをするきさまー!』
『……えへへー、あきひこー、いっしょに気持ちよくなろー♪』
 などなど。
 もはや、人格崩壊してらっしゃったよね、シェラザードさん。
 昨夜のことは、俺の記憶の中に封印して、けっして外には出さない。墓場にまで持っていくことに決めた。
 ……というかね、シェラちゃん。
 なぜに下着姿なの?
 そう、なにやら気持ちよさそうに安らかな寝息を立てているシェラザードは、普段着のローブを足元のほうへと脱ぎ捨てていて、扇情的な下着姿を惜しげもなく俺に晒していたのだ。しかも黒か。破壊的にセクシーだな。
 もしも俺とシェラザードがまったくの他人であったなら、俺はここでこのエルフ女を襲ってしまっても無理はなかった。
 だが、残念ながら――いや、なにが残念なのか俺にはよく分からんが――俺とシェラザードは、お互いのことを知りすぎているほどに知ってしまっている、元・冒険者パーティーのメンバー同士だ。
 長いことダンジョンの探索をやっていると道中でいろいろとあるわけで、俺もシェラザードも、お互いの裸を見たことぐらいはあったりする。
 そういうわけで、理性はぜんぜん大丈夫。
 俺は心の中で素数を数えながら、とりあえずシェラちゃんを起こすことにした。
 ちなみに俺はちゃんと服を着ています。念のため。
「おーい、起きろ。そろそろ起きないと今日の授業がやばい」
「ん……? んー、んぅ……まだあと五時間……」
「五時間? 五分じゃなくて?」
「アキヒコ……おまえも知っている通り、われらの寿命は千年を越える。ゆえに時間にはけっこうおおらかなのだ……人間がいうところの五分が五時間、十分は三日になる……むにゃむにゃ」
「アバウトすぎるだろエルフ族。いいから起きろってば。あと服も着ろ」
 ベッドの下に落ちていたローブを、芸術的な肢体の上にかけてやる。布団ぐらい着ないと風邪をひきそうなものだが、まあ、エルフだから大丈夫なんだろう。華奢に見えて、けっこう丈夫な種族だし。
 シェラザードはぐずぐずしながらも身を起こした。寝ぼけまなこのまま、くしゃくしゃと頭を掻いている。
「……私はどうしてこんな格好をしてるんだ?」
「寝ぼけて脱いだんだろ。言っとくけど、俺が脱がしたわけじゃないよ」
「ふん……おまえにそんな度胸があったなら、私は苦労していない……」
「なんの話? つーか、俺はもう帰るわ。さっさと風呂に入って、学校に行ってくる」
「うん……」
「シェラちゃんもさっさと目を覚ますように。で、ちゃんとメシ食ってから働くんだぞ」
「わかった……」
 ほんとに分かってるのかねえ?
 ぼんやりしたまま生返事を繰り返すシェラザードを見ていると、ちょっと不安になってくる。
 こう見えて普段は冷静沈着、クールな言動を崩さない大人の女だ。その際立った美貌と実力、頼りがいのある性格のため、学園の教師、生徒を問わず、絶大な支持を集めている。学園の内外にファンクラブが乱立していて、統合するかしないかで揉めに揉めているんだっけ、たしか。
 そんな超人気美女なのだが……その実態というか、私生活はけっこうだらしないと知っているのは、俺を含め、数少ない人物に限られる。
 なにせ酒は飲むわ飲まれるわ、三食のうち二食は平気で抜くわ、時間にはルーズだわ、何日も同じ服を着ていたりするわ、脱いだ下着で部屋を散らかすわ、とんでもない不良エルフだ。
 俺と出会った当初は正真正銘、まったく隙のないクールビューティだったんだけどなあ。どうしてこうなっちゃったのかしら。
 ため息をついていると、不意にシェラザードは立ち上がった。
「水ぅ……」
 呟いて、ふらふらーっと部屋の外に向かっていく。キッチンにでも行くのだろうか。
 俺はその後ろ姿をなんとなく見送って、ぎょっとした。慌てて視線をそらし、全力で素数を数える。
 ……ティーバックか。侮れん子だ。








 俺もいちおう教師なので、当然、受け持っている科目の授業がある。
 迷宮探索のための基本講習……ようするに、初心者のためのチュートリアル。
 ダンジョンを歩くときにはこんなことに気をつけましょう、こういうことは危険だからやらないようにしましょう、こういう場合はこういうふうに対処するのがよろしいでしょう、と、そんなことを教えている。
 当然、ちょっとレベルが高くて迷宮探索に慣れてきた連中なら、こんな授業には見向きもしない。俺の授業を受けるのは、ピカピカの新入生やら、ヒヨっ子やら、とにかくダンジョンのダの字も分かっていないような超初級者ばかり。
 ま、ちょっとショボイのは否定しないが……俺の経験を活かすことによって生徒が育ち、優秀な冒険者にでもなってくれるなら、と思うと、やりがいのある仕事だと感じる。
 今日は朝から授業開始。
 場所は、学園の誇る超最低ランク初心者向けダンジョン、ただの洞窟。洞窟だけど松明がいろんなところにあるおかげでかなり明るい。いちおう魔物が出没するものの、数は少ないし、スライムやら蝙蝠もどきやらの最弱種族ばっかり。
 ――とはいえ、やっぱりダンジョンはダンジョンなのである。
「うひょー、俺つえええええ」
 ドワーフAが飛び出した!
 スライムはおびえている!
 ドワーフAのこうげき!
「くらえ必殺の斬魔剣――!」
 しかしこうげきは外れてしまった!
「あちゃー、はずれちまったよ。しかたねー、もういっぱつだぁー」
 スライムのターン。
 スライムは怒っている!
 スライムは仲間を呼んだ!
 スライムBがあらわれた!
 スライムCがあらわれた!
 スライムDがあらわれた!
 スライムEがあらわれた!
 スライムFがあらわれた!
 スライムGがあらわれた!
 なんと……スライムたちが合体していく!
 スライムたちは、キングスライムブロリー三世になった!
 ドワーフAはおびえている!
「は、はわ、はわわわわ……」
 ドワーフAはにげだした!
 しかしまわりこまれてしまった!
「ぴぎゃー! たすけてええええっ」
 ドワーフAは泣き叫んでいる!
 キングスライムブロリー三世の攻撃! ビッグバンアタック!
 ――俺は、ドワーフの少年がスライムの巨体に押しつぶされてしまう前に、銃の引き金を引いた。
 ドガン、という凄まじい音が洞窟内に響き渡る。
 巨大な合体スライムは弾丸一発で木っ端微塵になって吹き飛んだ。
 尻餅をついて呆然としているドワーフくんに歩み寄る。
「あのねー、きみ。勝手に先行しちゃ駄目だって、さっき言ったでしょ? ダンジョンは危険なんだから甘く見ちゃいけないの。わかった?」
 涙と鼻水を垂れ流しながら、ドワーフ少年はコクコクとうなずいた。
 俺はその頭を撫でてやってから、うしろに振り返る。
 二十人ほどのヒヨっ子たちが、一様にぽかんと口を開けていた。
「はい、注目。スライムは弱っちいモンスターだけど、油断しちゃいけません。半固形だから刃物の攻撃は通じにくいし、消化液を吐き出してこっちの防具を溶かすし、動きは意外と素早い。それと、すぐに仲間を呼ぶ。いまみたいに合体されたら、きみらじゃ手も足も出ないよ。だから先手必勝、さっさと鈍器でグッチャグチャに潰すとか、魔法で吹き飛ばすとか、そういう対処がベターです。消化液が目に入ったらすぐに聖水で洗い流して、保健室に直行してね。分かったひと、挙手してー」
 はーい、と、手を挙げる生徒たち。うんうん、じつに素直ですばらしい。
 と、こんな感じで、俺の学園での仕事は進んでいくのだ。


 
 
 昼ごろには、今日の受け持ちの授業はとりあえず終わった。
 ここからはのんびりと昼寝して定時には帰宅、といきたいところなんだが……そうもいかないのよね、これが。
 空を見上げてみると、ちょうどいいところにひとりの生徒が飛行していた。
「おーい、そこのきみ、ちょっといいかー?」
「なんスか、せんせー?」
 バッサバッサと翼を羽ばたかせながら降下してきたのは、バードマンの男子。
 バードマンとはその名の通り、鳥と人間が融合したような姿をしている、亜人の一種だ。鳥の頭と翼と羽毛、人間の手足と知能。それらをあわせもっている。商才を持つ者が多く、仲間想いで、人間族とはけっこう友好な関係を築いている、気のいい連中。
 見た感じ、高等部の生徒に見えるバードマンくんに、俺はちょっと頭を掻きながら言った。
「いやー、五番街に行きたいんだけどさ、いい足がないんだよね。よかったら乗せていってくれない?」
「パーティールームのとこにスか? いいスけど、爪で掴むことになりますよ」
「だいじょぶ、だいじょぶ。俺ってけっこう丈夫だから」
「そっスか。んじゃま、失礼して」
 と言って飛び上がったバードマンくんは、その二本の脚の先についている鋭いカギ爪で俺の両肩をがっしりと掴み、そのまま苦もない様子で舞い上がった。さすがは宅配便なども請け負うことが多い種族だ。俺の重量なんてものともしない。
 あんまり優雅でもない空の旅を楽しむこと十五分。
 やっとこさ見えてきたのが、リノティア学園の居住区五番街。
 俺はバードマンくんにお礼を言って、地上に降り立った。
 この学園には生徒たちによって組まれたパーティーが数え切れないほど存在していて、そのひとつにつきひとりの教師が担当官として付き添っている。
 担当官のやるべきことは多い。パーティーのメンバー、ひとりひとりの健康管理、精神面のケア、進路指導、戦闘の訓練、多くの学業の指導、スケジュールの管理、果ては恋路の相談に乗ったりと、とにかくなんでもやらなくちゃならない。
 ……そう、当然、俺にも担当するパーティーがあるのだ。
 教師よりも生徒の数のほうが圧倒的に多いので、ふたつやみっつのパーティーを担当するひとも多いが、俺が面倒を見ているのはたったひとつのパーティーだ。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》。それが、俺が担当するパーティーの名だ。
 学園では、生徒たちの組んだパーティーのために、部屋が設けられている。そのパーティー専用の一室だ。これをパーティールームという。生徒たちはそこを拠点として寝泊りしたり、戦術を組み立てたり、アイテムを保管したり、いろんな計画を立ててダンジョンに挑んでいくわけだ。もちろん、個人のための個室も、ちがう場所に用意されている。
 で、パーティールームのみで構成された建物がいくつもあって、これの規模だけでもとてつもないことになっている。基本的に俺の世界での高校の部室みたいなものだが、ただの学生寮だと甘く見ていると、度肝を抜かされることになってしまう。なにせ増設に増設を繰り返した結果、どこの大都市なのかって規模にまで膨れ上がっているからな。
 パーティールームにもレベルというか、序列がある。より優れたパーティーほど、広くて居心地のいい、高級な部屋に入ることを許される。学園の発展に貢献したり、メンバーのレベルが上がれば上がるほど、高い階層の、豪華な部屋をパーティールームにできるのだ。
 かつて俺が所属していたパーティー《黄金の栄光》がパーティールームにしていたのは、どこよりも背が高くて美しい建造物の、それそのものだった。つまり、たとえるとするなら、超高級マンションの一階から最上階まで丸ごとぜんぶ、《黄金の栄光》の拠点として使っていたのだ。あそこはもうほとんど王侯貴族の住むところだったな。単なる学生の住むところとしては凄まじすぎた。
 《英雄の神殿》と呼ばれるあの建物を目指すことが、ほとんどの生徒が胸に秘めている目標のひとつだったりする。
 あそこを使ったパーティーにいたというだけで、将来は国家の要人になること間違いなし。宮廷魔法顧問とか、将軍だとか、そういった輝かしい地位が約束されているとまで言われている。実際、それは間違いじゃない。いや、俺はただのしがない用務員だが。
 ようするに、餌だ。美味そうな餌をちらつかせて、生徒たちのやる気を煽っているわけだな。
 あまり気味のいい話じゃないが……やる気は必要だ、たしかに。
 と、俺の担当しているパーティーの部屋を見つけた。
 どこよりもみすぼらしく見える建物の、一階の、一番奥の部屋。別名、《初級者の寝床》だとか呼ばれる部類の、もっともレベルの低い部屋のひとつ。オンボロの、小汚いところだ。
 木造の安っぽくて薄っぺらい扉をノック。
「はーい、先生ですよー」
 返事はない。
 居留守のようだ。
 俺はさっさと扉を開けた。鍵は、かかっていなかった。
 室内をちょっと見渡してから、ソファに腰掛けてふんぞり返っているひとりの生徒に眼を向ける。
 椅子に座ったまま机の上に脚を投げ出している彼の名は、ガゼル・ディブロ。
 高等部二年生の、剣使いの戦士だ。
 ぼさぼさの白髪。紅の瞳。先の尖った、長い耳。身長は俺よりもちょっと低いぐらいか。シャツの前のボタンを外しているせいで、褐色の肌が覗いている。痩身は鍛え上げられていて、しなやかな獣のよう。女子に好かれる顔立ちをしているのだけど、眼に宿す光がギラギラとしすぎている。むやみやたらと殺気をまき散らす、手負いの獣のような少年だ。
 ガゼルの種族は、エルフだ。それもただのエルフではなく、ダークエルフだった。
 この学園は信じられないほど広いが、ダークエルフの生徒となると、けっこう珍しい。
 その理由は簡単。ダークエルフが迫害を受けている種族だからだ。
 エルフは神の栄光を浴びて育つ、清らかな精霊のような種族だという。
 それに対してダークエルフは、かつてエルフだった一族が、悪魔の誘惑に負けて暗黒面に堕落した、忌むべき邪悪の種族なのだ、とかなんとか。
 エルフとダークエルフの対立は有名だし、ドワーフやホビットもあまりいい顔はしない。人間族とは、比較的には友好な関係だが、宗教によってはダークエルフを敵としているところもある。
 というわけで、ダークエルフは滅多なことでは人里に姿を現さない。山奥とか洞窟とかの僻地に集落を作って、ひっそりと隠れ住んでいることが多い。
 まあ、俺に言わせてもらえば、ダークエルフが邪悪な種族だっていうのは、ただの迷信だ。たしかに、ダンジョンでは敵として出会うこともある奴らだが、人間族の海賊や山賊と遭遇することのほうがずっと数多い。
 人間やエルフにだって悪い奴といい奴がいる。ダークエルフだって同じなのだ。それを学園がちゃんと承知しているからこそ、こうしてダークエルフを生徒として受け入れている。ダークエルフの教師だっているんだぜ。
 で……このガゼルくんがいい奴なのか悪い奴なのかというと、だ。
「ガゼルくん、また勝手に先行してトラップにひっかかったんだって? だめだよー、そういうことしちゃ。いつも言ってるでしょ、ダンジョンでは慎重な行動を心がけてね、って」
「うるっせーよボケ。人間のくせに俺に意見してんじゃねーよ。死ね」
 うむ。クソガキです。
 やれやれ……もう担当官になって三ヶ月が過ぎようとしているのに、ぜんぜん懐いてくれないなあ。もうずっとこの調子よ、この子。ギラギラしたまま、トゲだらけ。俺を見る目は完全に敵を見る目です。
 だけどめげない、俺。泣いちゃ駄目。
「あのね、ガゼルくん。俺はこんなだけど、いちおう教師なの。きみらのパーティーの担当官なの」
「はあ? 知らねーよ」
 ぬう……手ごわい。
 ガゼルはけっこう実力があるのだけれども、プライドが高くて攻撃的で、チームワークを軽視するので、いろんなパーティーから追い出されてきたという経歴がある。
 俺もいままでにそれなりの数のパーティーを担当して、たくさんの生徒を見てきたわけだけど……正直、ガゼルの扱いには手を焼いていている。
 いったいどうすればいいんだろう?
 この生徒どどう付き合うのかが、俺の教師人生の行く末を占うような気がする。
 どうすればいいのか……?
「やっぱり手っ取り早く殺すしかないよな」
 そうそう、めんどくさい生徒はぶっ殺しちゃおう。
「――うん、マジで洒落にならないよね、ルーティくん」
「そうですか? 古今東西、気に入らない相手は迅速に殺害してしまおう、というのが常套手段だと思いますが」
 俺は背後に振り返って、サディスティンの口を左右に思い切り引っ張った。
「いひゃいふぇふ」
 うーむ。すべすべもちもちしていて素晴らしい触り心地。ルーティめ、肌の年齢は零歳児レベルじゃないのか? それにしてもこれは意外と楽しい。
 しかし、なんだな、ルーティくん。マジでネクロマンサーよりも忍者とか暗殺者のほうが適性なんじゃないのかね、きみは。神出鬼没すぎるぞ。
 俺はルーティの口から手を離した。
 ルーティは赤くなった口の端をさすっている。こら、俺を恨むような目で見上げるな。
「攻められるのは好きじゃありません」
「ああ、攻めるのが好きなんだよね」
「はい!」
 うわぁ、すんごい満面の笑顔。
「ばかじゃねーの、くだらねぇ」
 うん……否定できないよ、ガゼルくん。
「ま、まあ、ともかく、だ。集合に応じてくれただけでもよしとしよう。珍しく素直に来てくれたね、ガゼルくん。先生はうれしいぞー、マジ泣ける。……うっ……ううっ、ふぐぅっ、ぐっ、うううううううっ……」
「泣くなよアホ。だいたい俺だって来たくて来たわけじゃねーよ。ウサギが泣きまくってウゼーから、しょーがなく来てやったんだよ」
 ウサギ……レミリア・キュアフか。なるほど、彼女が頼んだというなら、ガゼルが素直に召集に応じたというのも納得できる話だ。なにせ、すごいからな、彼女。
 ……それで、そのレミリアは、どこにいるんだ?
「先生。レミィなら先ほど、蝶々を追いかけて出て行きましたよ」
「ほう、ちょーちょ。――レミリアは何歳だっけ?」
「私と同い年ですが」
「うん……ちょっち頭が痛くなってきたかな。まあいいや。よし、探しに行こう。ガゼル、ルーティ、手伝ってくれ」
「やだよ、バーカ。めんどくせぇ。死ねボケ、カス」
「ルーティくん、頼む。俺は先に行ってるから」
「わかりました、先生」
 にっこり笑うルーティくんと、しかめっ面のガゼルを残して、俺はオンボロパーティールームの外に出た。
 背後から、ルーティとガゼルのやり取りが聞こえる。
「そういうわけで連行しますね」
「あ? んだテメェ、ふざけてんじゃねーぞゾンビ屋、いい度胸……うおっ、ちょっ、ふ、ふざけんじゃねえっ、やめっ、やめろおおううあああああああっ」
「確保ー♪」
 なにが起こっているのか、知りたくない。
 ――ルーティ、ガゼル、そしてレミリア。この三人が、俺の担当するパーティー《リノティア・バーニングボンバーズ》のメンバーだ。
 いまだ三人しか集まっていない弱小パーティーだけど、必ず一流の冒険者に育て上げてみせる。と、俺は決意を固くしている。
 ……が、現状、三人目が蝶々を探して行方不明。
 お先は真っ暗なのである。とほほ。



[9648] 第五話
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/04/30 20:20
「はい、ようやく集合できましたね! 予定よりも二時間ほど遅れましたが!」
 よかったよかった。
 二時間かけてようやく《リノティア・バーニングボンバーズ》最後のひとり、レミリア・キュアフさんを見つけることに成功しました。
 学園中を走り回ることになりましたが、まあ、衰えたとはいえ、元冒険者なので、この程度のことで呼吸を乱すということはないのだ。ははは、地獄の訓練を耐え抜いた昔の俺に感謝する。
 で、パーティルームに戻ってきました。
 適当に三人を座らせて、俺はその前に立つ。
 レミリア・キュアフは獣人族……ライカンスロープとか呼ばれる一族が出身の女の子だ。ふわふわと波打つピンク色っぽい銀髪を長く伸ばしていて、綺麗というよりはかわいらしい顔立ち。やたら胸がでかいのにほっそりとした体つき。そして頭の上からは、彼女の最大の特徴、ウサギのそれに酷似した耳が飛び出している。
 ライカンスロープは人間と獣が混ざったような容姿と能力を持つ種族。ま、ひとくちにライカンスロープと言ってもいろいろとあって、普段は人間そのものの姿をしていて自在に獣へと変身できる奴とか、レミリアのようにもともとの姿が人間と獣とを合体させたような子だっている。全体的に人間に対して友好的で、親交のある種族なんだが、まだまだ詳しいことが分かっていない。
 レミリアは反省しているのか、うつむいてしょぼくれていた。耳も本人の感情の影響を受けて、だらんと垂れている。
「ごめんなさぁい」
「あー、いいよいいよ。でもこれからは気をつけてね」
「はぁい! 先生は優しいね! 大好き!」
 ぱぁっと明るい笑顔を広げるレミリア。耳も元気よく伸びる。
 あああああ、いい子だなああああ。なんて素直で純真で素晴らしい子供なんだろう。
 思わずこぼれた涙をコートの袖で拭う。
「レミリアくんはマジでいい子だよね……先生、感動してきた……ううううっ、泣けるよ本気で。……いつもいつもサディスティンやら不良のクソガキやらに苦労させられてきたけど、きみのような生徒がいるというだけで俺の人生は報われる……くうっ」
「死ねよノーカン」
「先生、あとでふたりっきりでお話しましょうね?」
「うん、そろそろ本題に入ろうか」
 ごほん、と咳払い。ちょっとわざとらしかったかもしれない。
「えーとね、レミリアくんは次回からは気をつけてね。かっちりと時間厳守、五分前行動は基本中の基本。これが守れないと命がいくつあっても足らないよマジで。ダンジョンではちょっとのことで死に繋がるんだから。……集合時間に五分遅れただけで仲間が腹に剣をブッ刺してきたりさあ」
「嘘つけ。そんなめちゃくちゃな奴がいるかよ」
 いいえ、いるんですよガゼルくん。世の中にはね、まだ若いきみの想像などはるかに超越した、めちゃくちゃな鬼リーダーが存在したのですよ。ティーンエイジのトラウマだ。
「いまのは極端な例だけどね。でもそのぐらいのペナルティを背負う覚悟が必要、ってこと。いつも言ってるけど、パーティーにとって大事なのはチームワークだよ。それがちょっと時間に遅れただけで崩れ始めることだってある。わかったかな?」
「はい、先生」
「はぁい」
 返事をしたのはルーティとレミリアだけ。
 ガゼルくんはそっぽを向いてガン無視である。どうしようこの子。挫折しそう。
 肩を落としてため息をつく。くそう、負けるな俺。
「えーと、それじゃあ、本題に入ろうと思う。……きみたち、どうして呼び出されたと思う?」
 俺の質問に対して、ガゼルくんは無視。レミリアは首をかしげて考え込むだけ。ルーティが口を開いた。
「いよいよ私に愛の告白を……」
「ちがうちがう。生徒に手を出す趣味はないから」
「では、一昨日の《ロイソス山岳遺跡》での探索失敗が原因ですか?」
「あ、うん、そうなんだけど……いきなり真面目になったな……まあ、いいや」
 きっとこの場を和ませるためのルーティくんなりの冗句なんだよね、うん。
「んー、俺はルーティくんからちょっと聞いただけなんだけど、ずいぶんひどいことになったらしいね。失敗した理由をもっと詳しく教えてくれるかな?」
「地下一階でガゼルが猪武者のように独断専行したあげく、見事なまでの無様さでトラップにひっかかって猛毒の霧を発生させました。私とレミィも巻き込まれ、全身を蝕む毒の恐怖と戦いながら、なんとか遺跡から逃げ出すことが出来ましたが、脱出したとたんに三人とも意識を失いました。以上です」
「……ああ、適切で分かりやすい説明だ。ありがとう、ルーティくん」
 なにこの問題だらけのパーティー。
 まあ、今までたいした対策もできなかった俺にも責任はある。
「で、今回のような失敗を二度と犯さないように、どんなことをすればいいと思う?」
「ガゼルがパーティーから抜ければいいのでは?」
「んだとこの根暗女」
 平然と言ってのけるルーティくんと、牙を剥いて怒りを燃やすガゼル。
 険悪な空気、レミリアはただおろおろとするばかり。
 俺は頭痛が痛くて馬から落ちて落馬する。
「まあまあ落ち着きなさい。ルーティ、たしかに今回のことはガゼルの突進が原因だと思うけど、本当の原因はもっと根深いところにあると思うんだよ、俺は」
「根深いところ、といいますと?」
 今度はルーティが首をかしげる。
 うん、簡単なことなんだ。
「このパーティー、盗賊がいないよね」
 ガゼルは剣士。
 ルーティは屍霊術士。
 レミリアは吟遊詩人。
「ちょっとどころじゃなくバランスが悪いんだよなあ。オーソドックスに盗賊と僧侶と魔法使いが欲しいところだね。とくに盗賊と僧侶は必須。……メンバー集めぐらいやろうよ、みんな……」
「興味ねーし」
「忘れてましたぁ」
「右に同じく、忘れていました」
 駄目だこいつら。どうしよう。
「……よし、今から軽くダンジョンに潜ってこようか」
 ま、結局、実戦形式でやってみるのが一番手っ取り早いのである。
「今回は特別に俺が盗賊をやります。もちろん戦闘には参加しないよ。ダンジョン内部や宝箱に仕掛けられたトラップの解除が主な仕事だね。で、盗賊ってすごいなー、仲間にいると便利で嬉しいなー、と実感してもらえるようにがんばります俺」
 いわゆる実践販売というやつである。がんばれ俺。





 てなわけでやってきました《ロイソス山岳遺跡》。
 地下一階を生徒三人と先生一人の変則パーティーで探索中。
 ここはそれほど危険度の高くない、中級者向けのダンジョンだ。黄土色っぽい煉瓦が床や壁に広がる、山の内部に網目のようにして張り巡らされた、かび臭いダンジョン。かつての権力者が財宝を隠すために建築させたと言われているが、もう発見からかなりの年月が経っているため、めぼしいお宝は奪いつくされていて、いまでは魔物が徘徊するだけの寂しい場所だ。
 ここの最下層は地下二十階。挑戦可能レベルは九〇。《リノティア・バーニングボンバーズ》のメンバーは全員が挑戦条件をクリアしている、が、そういえば詳しいレベルは把握してなかったな。
 先行している俺は、後ろを振り返って訊いてみる。
「きみら、レベルいくつだっけ?」
「一八〇」
 と、ガゼル。
「一二〇でーす」
 と、レミリア。
「一九〇です」
 と、ルーティくん。
「あれ? ルーティは一七〇じゃなかった?」
「はい。あのあと調べたら一気に上がっていて驚きました」
 ええええ?
 たった一度の探索で二〇も上がるものなのか?
 たしかにあのとき出会った魔物どもは強敵揃いだったし、最後に倒した吸血鬼野郎は手ごわかった。たくさん経験を積んだだろうとは思う。けど、それにしたって上昇率が半端じゃないだろ……。普通は何度も迷宮に出入りしてやっと一か二ほど上がるかどうかって話なのに。この子、マーキアス先生が見いだしただけはあって、とんでもない可能性を秘めているのかもしれん。
 で、「ルーティちゃんすごいすごーい」と飛び跳ねて喜んでいるのがレミリア、眉間に皺を寄せて不機嫌そうになったのがガゼル。
「ああ? てめえ、いつの間にそんなにレベル上げやがった?」
「あなたが惰眠を貪っているうちによ、ガゼル」
 自慢げに鼻を鳴らすルーティくんと、歯噛みして睨みつけるガゼル。
 なんでこんなに不仲なのこの子たち。
 ――おっと。
「はい、ちょっと止まって」
 後ろについてきている三人を、手で制止。
「ガゼルくんがひっかかったトラップって、これのこと?」
 前方の床の一部、ちょっと盛り上がっている煉瓦を指差す。
 ルーティがうなずいた。
「でも、以前と少し場所が違うような」
「こういうのは一部の賢い魔物が仕掛け直したりするからね。でないとダンジョンのトラップなんてすぐになくなっちゃうよ」
「なるほど」
「うん、でもこれはあからさまだから簡単に避けて通れるね。厄介なのは、わざとこうしておいて、避けたほうに仕掛けてあるトラップなんだけど……ま、今回はなさそうだ」
 しかし、よっぽど猪突猛進に突き進んでいないとひっかからないぞ、これ。
 どんだけ猪武者やっちゃったのよガゼルくん。
「ていうかもしかして、完全に初心者と同じなんじゃないか、きみら? レベルとかそういう話じゃなくて、ダンジョン初心者」
 レベルの高さだけでダンジョンを踏破できるものでもない。
 実際の探索中には、それに加えて、踏んできた場数――体に叩き込んで覚えた経験こそがものを言う。
 この子ら、レベルはそれなりに高いし、戦闘能力もあるのに、なんというか、振る舞いが入学したてのヒヨッ子とそう変わらない。ずぶの素人も同然なのである。
「私は、最近までずっとマスター・ゾルディアスのお手伝いをしていただけでしたから……正直に言うと、迷宮の探索には不慣れです」
「あたしはダンジョンが苦手だからあんまり入ったことない……怖いもん」
「クソめんどくせぇ。とりあえず出てきた敵をぶった切ってりゃいーんだろーが」
 うーん、ルーティとレミリアはともかく、ガゼルがやばいことになっています。
「ガゼル……いいパーティーに恵まれたな」
「あ?」
「昔ね、同じようなことをほざいて、直後に頭をかち割られた剣士がいたんだ」
 傷痕が残ってハゲにならずにすんだのは本当に幸運としか言いようがありません。
 かわいい生徒が同じような羽目に陥らないように、いまからきちんと教育する必要がある。
「戦闘中はともかく、探索中は、先走るのはやめなさいね。そういうのは盗賊とか狩人とか、身軽さが売りの奴らの仕事。剣士は攻撃力もあるけど防御力もある。奇襲があったときに体力の低い後衛職を守るのは、頑丈な前衛職の仕事なんだ。おまえがあんまり隊列から離れて先行してると、後ろの奴らが無防備になるだろ?」
「ふん。自分の身を自分で守れない奴らが悪いんだよ」
 むう……この子、いつか死ぬぞ。
 子供が死ぬ――それも自分の生徒が迷宮で命を落とすだなんて、絶対にごめんだ。
 早いところガゼルの反抗期の原因を見つけて対処しないと、本当にまずいことになる。
 と、大きな十字路に行き着いたところでわずかな物音に気づいた。
 背中から壁に張り付く。
「はい、静かにして。ゆっくりこっちに来て」
 小声で言いながら、ちょいちょいと手招き。
 怪訝な顔の三人を連れてそろりそろりと移動。
 来た道から見て右側、俺の背中が向いてる方向の通路から、生き物の気配が近づいてくる。
「まだこっちに気づいてないと思う。魔物……五体から六体かな。あんまり強くなさそうだし警戒もしてない。不意打ちできると思うから俺の合図で奇襲してみて」
「なんでそんなことまで分かるんだよ?」
「敵意のある足音と匂いがしないからね」
「は? 匂い?」
「うん。警戒してる生き物は発汗するから酸っぱい匂いがするんだよ。さて、十五秒後に接触だ。用意はいいかな?」
 なぜか不満げな顔のガゼルが剣を構えて、ルーティが静かに目を閉じて詠唱を開始、そしてレミリアは取り出した横笛、フルートを口に当てる。
 十秒が経った。
 さて、どんなものかな、この子らの実力は。ルーティのことは先日の共闘でよく知ったけど、ガゼルとレミリアはあまり分からない。
 どっこいしょ、と、近くにあった瓦礫に腰掛ける。
 最初に言った通り、俺は戦闘に参加するつもりはない。よっぽどまずいことになったら撤退の手助けぐらいはするつもりだが。冷たい態度と言うなかれ……こうしてついてきただけでもかなりの過保護、普通はやらないことだ。
 ま、彼らの実力をじっくりと見させてもらおう。がんばりなさい。
 まず始めに飛び出したのはガゼル。
 刃渡り二メートルの凶刃が、唸りを上げて魔物の頭部に食らいつく。
 突然の奇襲にまったく対応できず脳味噌を撒き散らしたのは、レッドキャップという魔物だった。真っ赤な頭髪が赤い帽子のように見えることからそう呼ばれる、子供ほどの背丈しかない小柄な老人のような姿をした魔物だ。小さな手斧や短剣などで武装していて、よく徒党を組み、集団で獲物に襲いかかって嬲り殺しにする。残虐な性格の持ち主だ。
 さて、まずは奇襲成功といったところかな。ここから相手が態勢を立て直すまでに、どれだけの数を仕留められるか。
 残り四体のレッドキャップ。
 おっと……それと、一体のレッサーオーガ、か。身長二メートル、肥満しているようにも見える体は筋肉の塊。伸ばし放題の髪と凶悪な光を放つ双眸、黄ばんだ乱杭歯。見た目どおりの馬鹿力が自慢で、棍棒やら長剣やらを振り回す。見たところ、あいつがレッドキャップたちのリーダー格だな。
 一体目のレッドキャップを切り裂いたガゼルは、返す剣でもう一体、胴体を撫で斬りにして始末した。
 レッサーオーガやレッドキャップたちの動揺した気配。
 そのとき響き渡ったのは、レミリアのフルートが奏でる澄んだ音だった。こんな迷宮で聞くには場違いとさえ思える、耳に心地いい旋律。吟遊詩人が得意とする魔法の音楽、呪歌だ。歌を歌ったり楽器を演奏したりして、周囲に魔法の影響を及ぼす。この流れるような旋律は、聴く者の精神を高揚させ、戦闘能力を高める効果を持っていたはずだ。
 魔物どもがようやく動揺から立ち直り、完全に敵意を剥きだしにして武器を構え始めた。
 が、遅すぎる。
 すでにあちらの数はレッドキャップが三体……いや、いまもう一体殺されたから二体か。それとレッサーオーガ一体。ふむ、数の上ではこっちの圧勝。なにせ、ルーティが準備を終えたからな。
 杖を地面に突き刺したルーティを中心として、真紅の魔方陣が浮かび上がる。そこからぞろぞろと這い出てきたのは十体以上もの動く骸骨……屍霊術士ルーティの忠実なしもべ、スケルトンだ。人間の死体から作り出された骨だけの戦士。もっとも代表的なアンデッドモンスターのひとつ。それぞれが剣や盾で武装している。
 こういうとき、あのキメラミノタウロスでも使えば、このダンジョンでうろついている魔物どもなんぞ瞬殺なんだろうけど。あいにくと吸血鬼野郎に解体されてしまったので、今はこうして質よりも量に頼るしかないのだとか。
 ガゼルの舌打ち。
「気色の悪いもん呼び出すんじゃねーよ」
「あなたもその下品な太刀筋をどうにかしてください。本物の戦士は、」
 ルーティめがけて飛び掛ってきたレッドキャップを、一体のスケルトンが迎え撃った。血まみれの手斧の一撃を盾で防御し、あえて身を引いてレッドキャップの体制を崩したところで、その首筋を剣で一閃。鮮やかな手際だ。
「ほら、こうして洗練された動きで戦うものです」
 ふふん、と鼻を鳴らして薄い胸を張るルーティくん。
 ううむ、あのスケルトン、俺ですら唸るほどの滑らかな動きをする。アンデッドの性能は、呼び出した屍霊術士の実力によるからな。さすがルーティ、いい仕事だ。
 ま、レッドキャップごときなら、ガゼルたちの相手にはならんだろう。
 問題はレッサーオーガか。それでもさほど手間はかからないとは思うけど。
 と思っていたら、いきなり気合いの声を上げたガゼルがレッサーオーガにとびかかって一刀両断にしていた。おお、すごい。華奢なダークエルフとは思えないほどの膂力だ。
「悪いが、お上品な剣技なんぞ知らねぇんだよ」
 吐き捨てるように言うガゼル。
 残ったレッドキャップたちは、すでにスケルトンが排除していた。
 ふむふむ、この程度の魔物たちは相手にならない、と。やっぱり戦闘力はあるんだよね、この子たち。
「みんなすごいねー。あたし、ぜんぜん活躍できなかったよー」
 にこにこ笑いながら言うレミリア。
「レミィはいいのよ、戦わなくても。怪我をしないように気をつけてね」
 あれ、そんな優しそうな顔とかできるんだ、ルーティくん。まるで普通に優しい女の子のようです。
「先生、いまなにか失礼なことでも思っていませんでしたか?」
「えっ、いやいやなんにも? あ、みんなお疲れさん。がんばったね、えらいえらい」
 よっこいしょー、と立ち上がる。
「だいたい分かった。個人の能力は高いよね、やっぱり。レミリアはちょっと分からないけど、まあ、吟遊詩人ってのは基本的に仲間の補助が役割だしね。いまのは手の出しようもない戦いだったし仕方ないよ。で、ガゼルはやっぱりちょっと突っ込みすぎ、もうちょい周りをよく見よう。ルーティはもっと積極的に攻めてもいいかな。あとガゼルをアシストしてあげて。よし、それじゃあ以上の点を反省した上で、ちゃっちゃと次に行こうか」
 と、その前に、もうひとつ仕事があった。
「おっと。モンスターの群れは宝箱を落としていった」
「先生?」
「いや、ごめんねルーティくん。ちょっと言ってみたかっただけ。で、全員注目してください。ここに宝箱があります」
 たぶんレッサーオーガが落としたんだろう。なにやら小汚い箱が床にある。
「普通に開けてもいいんだけど、罠が仕掛けられているかもしれない。猛毒のガスとか石弓、爆弾とかあると困るよね。で、こんな場合、安全に中身を手に入れたいとき、盗賊技能を持つメンバーが必須になってくるのです。具体的には盗賊、狩人、忍者だね。先生としてはやはり専門職の盗賊をおススメするけど、狩人や忍者も捨てがたいかなー」
「……で? 開けるならさっさと開けろよ」
「おお、容赦ないねガゼルくん。いや開ける、開けるんだけどね」
 んー、でもちょっとした問題がひとつある。
 俺は、俺たちの背後に振り返った。そこにあるのは迷宮の石壁。
「見学したいなら構わないよ。そんなとこにいないで、もうちょいこっち寄ってみ」
「あ?」
「は?」
「へ?」
「……失礼……いつから気づいていました……?」
 ぬるっ、とした動きで、壁の向こうから浮かび上がるようにして現れたのは、黒装束を纏った少年だった。たぶんルーティたちよりもひとつかふたつ年上。背丈は俺と同じくらいあるだろう。その代わりずいぶんとやせ細っていて、華奢だ。長い手足。びっくりするほどの美形。透き通るような色白、すっきりとした鼻筋、睫毛が長くて女っぽい。どこか虚ろな瞳の色は黒く、べったりと重そうな髪もまた黒い。その整いすぎているほど整っている容姿と、特徴的な長い耳……エルフ族か。黒髪黒瞳のエルフというのも珍しいな。
「……気配は……完璧に消していたはずでしたが……」
「完璧だったよー。でも完璧すぎたかな。初心者がやりがちなミスなんだけどね、あんまり完璧に気配を消すと、そこだけぽっかりと不自然に空っぽの空間が出来上がるんだ。だから本当に身を隠したいなら、空気にならないとね」
「……はあ」
 周囲との一体化、これが簡単なようで難しいのである。
「で、きみ、だれ? リノティアの生徒だよね? 俺は用務員のアキヒコ・シキムラ」
「……高等部二年の……ノアル・ハーミットです」
「そっか。忍者?」
「一応……」
 なんだかずいぶんと暗い子だけど、大丈夫だろうか。具合が悪いというわけでもなさそうだけど。
 忍者はここからはるか東方の国を出身とする職業で、まあ、ほとんど俺のもといた世界の忍者と変わりない。得意とするのは気配を絶っての隠密行動、周囲の警戒と奇襲の防止、そして暗殺。裏方だけど重要な役割を担う職種だ。
「で、なんで隠れてこっちを見てたの?」
「……みなさんをたまたま見つけて……それで……勉強をしたいと思いまして……」
「罠の解除の?」
「……はい」
 こくりと頷くノアルくん。見たいならそう言えばいいだけなのに。シャイな子なんだろうか。
「それはもちろん全然かまわないんだけど、仲間はどうしたの? まさかひとり?」
 と訊くと、目に見えてノアルくんの様子がおかしくなかった。
 なんというか、マジで自殺する五秒前。そんな感じ。どんよりと黒い負のオーラが立ち昇っている。
「ど、どったの」
「仲間は……いません……」
「え、なんで?」
「……あれは、先週のことでした」
 以下、ノアルくんの事情。
 先週までとあるパーティーに所属していたノアルくん。忍者としてパーティーの役に立つよう努力し、がんばってきた。みんな優秀で、けっこう勢いに乗っていたらしい。その日もダンジョンの奥底にまで潜ったのだという。
 現れた強敵。
 奮闘するメンバーたち。もちろんノアルも精一杯の力を出して戦う。
 そして勝利。
 いままでにない強敵を倒したことにより喜ぶ一同。
 落ちていた宝箱に気づく。
 どんな素晴らしい中身が入っているのだろう? 全員、興奮が止まらない。
 メンバーの中で唯一、トラップを解除できる、ノアルが宝箱に挑戦。
 罠の解除に失敗。どころか、石弓だと思っていたら爆弾だった。
 ドカンと見事に爆発した宝箱。その爆風はメンバーを残らず吹き飛ばし、体力の低い後衛職の連中に瀕死の重傷を与え、爆弾の近くにいたノアル自身もかなりひどい怪我を負った。そこからはもう必死になって命からがら脱出してきた、と。生きて地上に帰れただけでも奇跡だな。
「……幸い、怪我は治りましたが……」
「あー、パーティーから外されちゃったのか」
「はい……」
 まあ、そのパーティーの子らの気持ちは分からんでもないけど、ね。
 信頼していたのに裏切られた、って気分なのだろう。不幸中の幸いとでも言うべきか死者は出なかったそうだけど、だからといって当事者たちにとっては簡単に許せるようなものでもないだろうし。
「で、二度と失敗しないように特訓してた、と?」
「はい。……このあたりの魔物なら、僕でも簡単に倒せますから……」
 たしかに、ノアルは強そうだ。レベルにして二〇〇そこそこ? このダンジョンの魔物ならば容易に倒せるだろう。ひとりでうろついていてもさして怖くないはずだ。安心して罠の解除の特訓に励めるわけか。
「ふーん、だいたい事情は分かった。いいよ、見学してて。それで、できればうちのパーティーに参加してくれると嬉しいなあ。メンバーが足りてないんだよね。ちょうど盗賊とか忍者とか探してるところだったし」
「……いえ、それは……ちょっと。……もとのパーティーに帰りたいので……」
「あー、そっか。だよね。うん、ごめん。ま、無理強いはしないし、できないよ」
 なかなか、そう簡単にはいかないもんだよなあ。
 どうしようかなあ、メンバー集め。どうしても盗賊技能の持ち主が欲しいんだけど。トラップ解除も出来ないのにダンジョン突入とか、後ろ向きな自殺志願みたいなもんだし。
 ま、それは置いといて、いよいよ宝箱を開けてみますか。
 扉をノックするように、箱の表面を拳でコンコンと叩いてみる。
 やっぱり爆弾か。ま、このタイプなら、ちゃっちゃと急げば問題ないね。
 はい、パカッと開けて――
 開ける前に声をかけられた。
「あ、あの……」
「ん?」
「もう開けるんですか? ちゃんと調べてからじゃないと……」
 振り返ってみると、ノアルが怯えたような表情を浮かべて俺を見ていた。
 あれ、なんか変なことやったかな、俺?
「せめて罠の有無と種類くらいは把握しないと……」
「爆弾だね。旧式だから急いで解除すれば大丈夫、準備はいらないよ」
 罠の種類は宝箱に近づけばだいたい分かる。触るのは最終確認のため。
「……どうして分かるんですか?」
「味だよ。ほら、甘い味がするでしょ? 昔の爆発物は味が特徴的だからすぐ分かる。あと匂いだね。なんかツンとした柑橘系の」
「えっ」
「えっ?」
「……あの、先生、味って?」
「いや、だから、味だよ。爆弾が近くにあると空気の味が変わるでしょ?」
「えっ」
「えっ?」
 なにそれ怖い。あれ、俺がおかしいの? なんでノアルもガゼルたち三人も俺のことを異星人でも見るみたいに見るの? なんか変なことでもやったの、俺?
 いや、そういえばこんな目で見られたことが過去に何度かあったような。
 謎である。
「えっと、ほら、砂糖は甘いだろ?」
「……はい、もちろん」
「うん。爆弾も同じなんだ。だから分かるんだよ。でも最新式のはちょっと苦味がある種類が多いかな。実際に手に入れていろいろ舐めてみるといいよ。この味の火薬は二百年も昔にラザニア帝国のバウルマンが発明したやつでね、味と匂いにクセがある」
 で、もう一度、宝箱をコンコンとノック。
「叩くでしょ。音がするでしょ。で、中の様子が分かる。ほら、野菜とか果物とか選ぶときに叩いたりするだろ? あれと同じ。な? 簡単だ」
 にっこり笑う俺。
 呆れた顔の皆さん。なんで?
 なんだかちょっと居心地が悪い。
「そ、それでな、開けるんだよ」
 ついにご開帳、針金を鍵穴に突っ込んでひねってパカッと蓋を開けて蓋から箱の底に伸びてる細い糸を指先で切って端っこを持ちつつ、その糸が繋がっている筒状の物体をそっと持ち上げる。
「はい解除成功。爆弾だ。衝撃を与えても滅多なことじゃあ爆発しないけど、この糸を引っ張るとドカンといくね。派手なクラッカーみたいなもんだ。水につけると無力化できるよ」
 コートの内側から水筒を取り出して、口で蓋を外し、中身の水を爆弾にかける。
 無力化した危険物をポイっと捨てる。二度と爆発しないから、もう安心だ。
「これでおしまい。安全に宝物を手に入れられるというわけよ。……ああ、銅貨が十枚と銀貨が一枚か、シケてるな……」
 ま、子供らの小遣いの足しにはなるだろ。
「……先生」
「ん?」
 なぜか俺を見つめるノアルくん。
「弟子にしてください」
 えっ、なにそれ怖い。



[9648] 第六話
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2010/05/08 19:51
「それじゃあ、本当にうちの子らのパーティーに参加してくれるんだ?」
「……はい。先生の弟子になれるのでしたら」
「うーん、弟子とかよく分からないけど、俺なんかでよければ教えられることは教えるよ」
「……よかった。先生ほどの盗賊の技を教えていただけるなんて……嬉しいです」
 いや俺は盗賊じゃなくて剣士なんだけどね、一応は。
 ま、そんなこんなで、なにやら無事に盗賊をメンバーに入れることができたようです。よかった、安心したぞ俺は。これでうちのパーティーが悪辣なトラップにひっかかって全滅するという心配も、ずいぶんと和らいだ。
 全員それぞれの自己紹介もすませたし、こうしてダンジョンを歩く足取りも、ずいぶんと軽く――
「待てよ」
「ん? どしたの、ガゼル?」
「俺はまだそいつと組むと認めたわけじゃねーぞ」
 敵意に満ちた目でノアルを睨みつける、ガゼル。
 めちゃくちゃ不機嫌そう。なんで?
「エルフと仲良しごっこなんぞやれるかよ。胸糞悪い」
「なんで? ガゼルもエルフだろ」
 と言った瞬間、俺の鼻先に剣の切っ先が突きつけられていた。
 今度は俺を睨みつけるガゼルの目には、明確な殺意が灯っている。
「俺は誇り高いダークエルフだ。人間や、エルフみたいな、弱くて薄汚い連中といっしょにするな。分かったかクソ野郎。殺されたくなかったら、二度と間違えるんじゃねぇぞ」
 うげげげげ……この子、怖い。
 かつてこれほどまでに俺に対して敵意をむき出しにした生徒がいたでしょうか? いやいません。
 ま、エルフとダークエルフの関係が破滅的に悪いってことを忘れていた俺が悪いわな、いまのは。
 素直に両手を挙げて降参する。
「ごめんな。気に障るようなこと言っちゃったみたいだ」
「ああ。分かればいいんだよ。――次は殺すからな」
 マジで殺されそうな気配がビンビンします。うう胃が痛い。
 そしてルーティくん、スケルトンを召喚する必要はないよ。と、目線で合図。
「……んー、ノアルくん、こういう状況なんだけど……きみは大丈夫?」
「僕は……問題ありません……ダークエルフに対して想うところはありませんし。ある程度の距離を保てばいいのでは……? そこの彼が、どうしても我慢できないというのであれば……残念ながら、無理に参加することはできませんけど……」
「どうしても我慢ならねーな。クソエルフと同じ空気を吸うと思うだけでうんざりする」
「……いい加減にしてほしいわね。お子さまのわがままにこそうんざりさせられるわ」
 ため息をつき、指で眼鏡の位置を整えながら言ったのはルーティだった。
 なんだか険悪なムード。喧嘩の予感。
「あ? なんだと、根暗女」
「このパーティーはあなたのための玩具ではないし、私とレミィはあなたの不手際に巻き込まれて死ぬつもりはない、ということよ。ハーミット先輩と組むのが嫌なのであれば、あなたのほうこそ出て行ったら? あなたよりも先輩のほうがずっと頼りになりそうだもの。もっとも、出て行ったところで、もうあなたを仲間に加えるパーティーなんて、この学園には存在しないでしょうけど」
 ガゼルの怒りが燃え盛る炎のようだとすれば、ルーティのそれは絶対零度の氷塊のようだった。思わずこっちまで凍える視線。いかんな、本気で怒ったルーティは怖いんだぞマジで。俺ですら泣きたくなる。
 なので、怯むこともなく大剣の柄に手をかけたガゼルの胆力は凄まじい。と思う。
「いっぺん死ぬか……?」
「あら。どちらが死ぬことになるか試してみる? 言っておくけどあなたの死体はこの場に捨てておくわよ。再利用する価値もなさそうだもの」
「や、やめようよ、ガゼルくんも、ルーティも……」
 一触即発の空気――、おろおろするレミリア、困った表情のノアル。
 やれやれ……生徒たちのパーティーの問題だから、本来なら俺がむやみに口出しすべきことじゃないんだが、担当官としてちょっとフォローしとかないといけないかな。
「はいはい、喧嘩はやめなさいね。ダンジョンの内部でパーティー分裂とか、きみらはよっぽど死にたいのか? 仲間は大切にしよう。チームワークが大事だよ。チームワークが大事だよ。とても重要なことだから二回言っておくね」
「あ? 弱っちい人間のくせに指図するんじゃねぇぞ、この――」
「ガゼル。本当に、本気で、大切なことなんだ。よく聞いてくれ。あのな、ここでは人が死ぬんだよ、本当に。ちょっとしたことで死ぬんだ。トラップに引っかかったり、魔物に殺されたりして、うちの生徒たちは毎日のように死傷者を出している。とても危険な場所なんだよ」
「だから、なんだ? エルフと仲良しになれってか? 反吐が出るな」
「うん。反吐が出たとしても死ぬよりはマシだろ?」
 ちょっとぐらい仲が悪かったとしても、そんなもの、長いこと組んでいればやがて解決するはずの問題さ。だと思いたい。
 でも、なにが不満なのか、激しく舌打ちするガゼル。
「ああ、分かったよ。じゃあ、こうしろ。そのエルフが俺と戦って勝ったなら、喜んでパーティーに入れてやる」
 そんなにノアルくんと仲間になるのが嫌なのだろうか。ダークエルフとエルフの仲が険悪なのは誰でも知ってることだけれども、ガゼルの人間嫌い、エルフ嫌いは、もはや病気の段階だな。どうやって更正させればいいのだろうか。
 ……ふーむ、こうなると、ノアルがどうするのか……。
「きみがそれで納得するなら……僕はかまわない……」
 相変わらず虚ろな視線をさ迷わせているノアルくん。覇気とか戦意とかとは無縁の子だな。まるで真冬の湖面のごとし。恐ろしいまでに静かな気配だ。……強いな、この子。よく鍛錬している。
 先生としてはいろいろと迷うところがある場面だが、仕方ないや。どうあっても盗賊は欲しいし。
「しょうがないなー、もう。んじゃ、俺が止めるか、どっちかが参ったというまでやりあってね。三分以内にすませること。では始め」
 と言った瞬間に剣の柄に手をかけたガゼルの腹部を、瞬時にして間合いを詰めたノアルの手刀が深く抉っていた。
「っ……あ……う」
 浮き上がるガゼルの身体。つま先が地から離れる。悶絶するガゼルの瞳は白黒と明滅しながら涙を浮かべ、ぱくぱくと開閉を繰り返す口の端からは涎が垂れ、身体全体が痙攣している。
 忍者にとって最大の武器とは、手裏剣やらくないやらではなく、恐ろしいまでに鍛え上げたおのれの肉体そのものだ。極めれば五指で鋼鉄を引き裂き、足刀で敵の首を刈り取る。ノアルはまだまだ未熟だけど、その瞬発力がガゼルの反応を上回り、指先が彼の薄い皮鎧ごと褐色の腹筋をたやすく破ったとしても、なんら不思議ではない。
「はい、そこまでー。勝者、ノアルくん」
「……どうも……」
 俺に向かってぺこりと頭を下げる、ノアル。
 その足元では、悶絶しながら反吐をぶちまけているガゼルの姿。
 むごい。
 自分よりもレベルの高い忍者を相手に至近距離から戦いを挑むってのは、ちょっと無謀だったんじゃないかな、うん。
「し、死んじゃった……」
 えっ。
 と、振り返ってみると、レミリアが呆然とした表情で、地面に倒れているガゼルを見つめていた。
「いや、死んでない、死んでないから」
「死んでる……やだよぅ、ガゼルが死、死んじゃっ……ひっ、うっ、うっ」
 ああ。
 あああああ、やべえええええ。
 なんだか嗚咽を漏らすレミリア。その瞳に涙が浮かんで、溜まっていく。
 ちょっと待ってくれ。
 こんな音の反響がよさそうなダンジョンの内部で、この子に全力で泣かれたら、俺は死んでしまうかもしれません。物理的に。文字通りの意味で。けっして大げさな表現ではなく。
「ちょっ、待ちなさい、レミィ。ガゼルは死んでないわ、ほら、落ち着いて――」
 あ、久しぶりに焦った様子のルーティくん。そうだよね、きみだって命は惜しいよね。
 でもレミリアは聞く耳を持たない。周囲の声が耳に入っていないんだろう。あんな大きくて立派なフサフサ耳なのに。
 だから泣くのだ彼女は。全力で。
「ひっ、ううううううっ、うええええええ゛え゛え――ッッッ!」
 ガツン、と脳味噌がハンマーでぶん殴られたような衝撃。
 人並みはずれた肺活量と声の大きさを誇るレミリアにとって、本気で大声を出すということは、それだけで他者の鼓膜をブチ破って殺害できる武器なのだ。
 なんというガン泣き。ダンジョン内部が空気の振動でビリビリと震え、足元が揺れる。天井からパラパラと埃やら小石っぽいものやらが落ちてきた。
 両手で耳を塞いでみても気休め程度にしかならない。ガードを無視して容赦なくこっちの脳味噌を殴打してくる音波の暴力。
「うぅえええ゛え゛えええああああああああ゛あ゛あ゛っっ」
 天を向いて号泣するレミリアの調子は絶好調。竜族の咆哮ですらここまでのものは聞いたことがない。
 いかん。なんか本気で死にそう。吐き気とか目まいがマジやばい。足がふらつく。というかすでに一歩も動けそうにない。
 ルーティは耳を塞ぎながらうずくまっていて、ノアルくんも同様だ。
 あ、走馬灯とか見えてきた。《黄金の栄光》に参加した当時、最初にダンジョンに連れて行ってもらったときのことを思い出す。腹を剣でめちゃくちゃに抉られたあげく、ダンジョンの入り口付近で置き去りにされたときのことだ。死ぬかと思った。いまも死にそう。生徒の泣き声で人生終了とか、本気かよ神さま……。
 と、俺がちょっと諦めかけていたとき、泣き声がピタリとやんだ。
 きょとんとした顔のレミリア。その肩に手を置く、息も絶え絶えといった様子のガゼル。
「ほえ? ガゼルくん……生きてたの……?」
「勝手に殺すな、バカ。くそっ、最悪の目覚めだ」
 咳き込みながら吐き捨てる。
 どうやら、ようやく命の危機は去ったようだ。
 俺は安心して全身の力を抜き、ため息を深くついた。
「生徒の泣き声で死ぬとか洒落にもならんよ」
「ごめんなさぃ……」
「いやいや怒ってるわけじゃないんだよ? ねっ、泣かないでね、うん」
 また泣かれたら今度こそ生きていられる自信がないからなあ。
「ところで、勝負はノアルくんの勝ちなわけだけど、さすがにもうガゼルも文句は言わないよな?」
 いちおう、確認してみる。
 ガゼルはそっぽを向いて激しく舌打ちしながら、
「クソが。約束は守ってやるよ。俺はエルフや人間とは違うからな」
 まあ、とりあえず承知してくれたのだからよしとするかな。パーティーとしていっしょに長く組んでいれば、そのうち仲良くなったりもするでしょ、たぶん。たぶんね。きっと。
「……では……よろしくお願いするよ……」
「うんっ、あたし嬉しいなっ、メンバーが増えてすごく嬉しいっ!」
「ええ、よろしくお願いします、先輩。ようこそ、《リノティア・バーニングボンバーズ》へ」
「うん……それが、このパーティーの名前なんだ……?」
 あ、それ訊いちゃ駄目だよ。と俺が言おうとしたのは、どうやら遅かったようだ。
 よくぞ訊いてくれました、とばかりに薄い胸を張るルーティくん。あれ、なぜだか目から汗が出るよ。
「はい! 私が三日三晩かけて考えた名前です。私、こう見えても命名することに関しては自信があります。まずは文字の画数や語呂などの基本的な部分から考慮し、さらに私の好みとしてクールで可憐、それでいてどこかけな気な、そう、雪原に咲いた一輪の花をイメージして名づけた自信作なんです!」
 なん……だと……? 雪原に咲いた一輪の花……? ならばバーニングボンバーズというのはいったい……。
「そう……クールだね」
 いや。きみのほうがクールだと思うよ、ノアルくん。すごいな。まさに雪原に咲いた一輪の花。ガゼルと同じく女の子みたいな美貌だから、なんだかものすごく格好よくて羨ましい。いいなあ。
「俺からもお礼を言わせてもらうよ、ノアル。ありがとう。正直な話、メンバーがぜんぜん足りてなくて困ってたんだ。盗賊も魔法使いも僧侶もいないんだからね。これでようやく一歩前進って感じかな。あとは、まあ、回復係と攻撃係をひとりずつってところかな」
「まだまだ仲間が増えるんだよね? 楽しみだよー」
 さっきまで目を泣き腫らしていたレミリアだけど、もうすっかり元気になって、嬉しそうにほほ笑んでいる。うんうん、いい子だ。
「まだまだ未完成なパーティーだけどさ、これからがんばっていけばいくらでも成功していけるから、ノアルも協力してやってよ」
「はい……もちろん」
「うん、ありがと。で、このパーティーのことなんだけど、一応、リーダーはルーティってことになってる。詳しいことは彼女から聞いてね。でもって、うちのパーティーでは基本的にメンバーの自由意志を尊重しているんだけど、俺が作った約束……守って欲しい決まりごとが三つあるんだ」
「……なんでしょうか」
 真剣に俺の話を聞いてくれるノアルの姿を見て、俺は不覚にも泣きたくなった。そう、これだよこれ。俺はこういう生徒を待っていたんだよ。ガゼルはぜんぜんこっちの話を聞いてくれないし、ルーティはなにかにつけて俺を苛めるし、レミリアはぽややんとしていて集中していないことが多いし。素晴らしすぎて感涙しそうです俺。
 涙を堪えて、まずは人差し指を立てる。
「まず、ひとつ。仲間割れは禁止。理由は言うまでもないよね」
 つぎに、中指を立てる。
「ふたつ。ダンジョンではリーダーの言うことをよく聞いて、いつでも慎重に行動すること」
 いや、守られてない規則なんだけどさあ。はあ。ま、これからはそんなこともなくなってくれると信じているよ俺は。うん。
 で、三つ目だ。薬指を立てる。
「みっつ。水着を着用してのミーティングは禁止」
「えっ」
「……うん、その反応はよく分かる。すごくよく分かるんだ。でも大事なことだからよく聞いてほしい。こんな決まりごとを作ったのは、俺がリノティアの生徒だったころの経験が原因なのさ」
 いま思い出しても恐怖のあまり身が凍る、あのおぞましい毎日……。
「いまでも鮮明に思い出せる。あれは、そう、真夏の、凄まじい猛暑の日。事件のきっかけを作ったのは、当時の俺たちのパーティのリーダーだった」
 回想スタート。
『いやっほーう、みんな集まったかなー? ミーティングを始めるよーっ!』
『遅いわよ、フェアラート。珍しいわね、あなたが遅刻すぶううううっ!?』
『なんだよ、汚いぞ、ユーフィーナ。唾を飛ばすな。だいたい遅刻はしてねぇ……まだ五分前だ』
『ちょっ、ちがっ、なにその格好……!?』
『水着を着てみました』
『見れば分かるわよそんなのっ! 私が訊いているのは、なんで部屋の中で水着なのかってことよ!』
『暑いので』
『だっ、だからってそんなっ、ひ、卑猥な……それっ、ほとんど紐じゃないっ、紐っ! 正気!?』
『いいだろー、ビキニだぜー。エロくて涼しくて、俺の美貌を最大限まで活かし、そのうえ長いこと着替える必要もない……どうしてこんな素晴らしい衣装の存在に気づかなかったんだろうな? ふふふ、俺としたことが迂闊だったぜ』
『ま、まさかあなた、その格好で学園内をうろついていたりしないわよねっ?』
『うん。マーキアスのところに用事があったからな、ちょっと行ってきた。学園中の注目を独占できて気分そう快だったぞ。そういや風紀委員の連中が顔色を変えて追いかけてきたが、まさに俺の美しさは罪といったところか……あはははは』
『馬鹿じゃないの!? 馬鹿じゃないの!? 馬鹿じゃないのッッ!? へっ、変態っ、変態っ、破廉恥っ! ち、痴女そのものじゃないの……!』
『エロかわいいと呼べ。もしくはエロかっこいい、エロ美しいでも可。ま、なにはともあれミーティングを開始するぞ。全員、着席。……あー、それにしても胸の谷間が蒸れて気持ち悪いな……ちょっと風に当てたほうがいいな』
『アキくん、見ちゃダメぇえええええっ!』
『さっきからうるせーぞ、ユーフィーナ。見ろ、ほかの連中を。シェラザードはいつものごとく読書中だ。その本を閉じろ、燃やすぞ。ウィルダネス、鼻くそをほじくるな。手を洗ってこい。ジェラルド、ちらちらとこっちを見るぐらいなら堂々と触りにこい。アキヒコ、おまえはもうちょっとこっちを見ろ。注目されないとつまらんだろうが』
 回想終了。
 などということがあったのです。
「頭がおかしいんじゃねぇのか、その女」
「うん……じつに的確な突っ込みだよ、ガゼルくん。素晴らしい。でもね、本当の恐怖はそこではなく、その一年後。次の年の夏に始まったんだ」
 再び回想スタート。
『よーし、全員きちんと集まったな? では今日も今日とてミーティングを――ちょっと待て』
『……な、なによ、フェアラート……どうかしたの?』
『まったくだな。どうした? はやくミーティングを開始しよう』
『いや、それはもちろんだが……どうして、おまえらまで水着なんだ? しかもビキニ』
『おまえが始めたことだろう。去年のおまえが涼しそうだったのを思い出してな、私も真似してみようと思ったのだ』
『そ、そうよ……わ、私だって、す、涼しいほうが気持ちいいもの……な、なかなか快適でいいわねこれはっ! あ、あははははっ……っく、う、ふぐううっ……』
『泣くほど恥ずかしいなら最初から着るなっ! つーか、おまえらふたりに挟まれてるアキヒコのほうがよっぽど恥ずかしそうだぞ。大丈夫かおまえ。顔が真っ赤なんだが』
『本当だな。大変だ。熱でもあるのか? どれ、私が測ってやろう』
『ああっ、シェラザード、ずるいわよっ! ね、アキくん、私が測ってあげるから、こっち向いて?』
『……おまえら……ちょっとは真面目にやらないと殺すよ……?』
 回想終了。
「地獄でした。俺はもう目にやり場に困ってミーティングどころじゃなかったし、女性陣は騒ぎまくるし、喧嘩し始めるし、男のひとりは鼻くそほじってるし、ひとりは鼻血とか脂汗とか垂れ流してぶっ倒れるし、もうあれはミーティングでもなんでもありませんでした」
 まさに地獄でした。
 もう、ダンジョンの探索とか、冒険とか、そういう場合ではありませんでした。
「……大変でしたね……」
「分かってくれるか、ノアルくん。やっぱりきみは賢くていい子だ」
「はい。水着は禁止……よく分かりました」
「うんうん、その通り」
「……今年の夏には消してしまう規則ですけどね」
 にやりと笑うルーティくん。えっ、なんで俺の背中に寒気?
「ところで……先生……」
「ん?」
 ノアルくんが尋ねてきた。
「先ほどから……その……ほとんど魔物に出会っていませんが……なぜでしょうか」
「さあ? レミリアの泣き声にビビって逃げちゃったんじゃない?」
「ひ、ひどいよぅ、先生……あたし、そんな大きな声は出してないもん」
 さすがに、だれもフォローしなかった。
 その後の探索は、本当に快適に進んだ。
 さすがレベル二〇〇を超えている忍者のノアルくん。たまに出会う魔物の存在も敏感に察知して奇襲に成功するし、宝箱の罠も無難に解除してくれる。そのおかげで残りのメンバーは戦闘や探索に集中することができて、あっという間に地下五階まで進むことができた。
「今日はこんなところだろうね。みんな、とりあえず学園に帰ろうか」
「そうですね。ちょうど転移装置も見つけましたし」
 一瞬にして学園へと帰還できる、紫色の球体。フロアの片隅にぽつんと置かれたこれこそが新米冒険者たちの生命線。これがあるダンジョンでは生徒の生存率が桁違いだ。逆に言うと、この転移装置が置かれていないほど危険なダンジョンの奥底、もしくは発見されたばかりで探索の進んでいない未知のダンジョンなどでは、死傷者が多く出てしまうのだが……。
「んじゃ、みんなは先に帰ってちょうだいね」
「先生はどうなさるのですか?」
「うん、俺は――いやあ、女の子の前でこんなことは言いたくないんだけど、ウンコしたくなっちゃったんだ」
「は?」
「ウンコだよウンコ。もう本気で我慢できない。漏れそう。いますぐここでしたいんだ。そういうわけで、生徒に見られながら脱糞するわけにはいかないから、はやいところ帰っておくれ」
 ちょっと内股気味に、腰をもじもじとさせる俺。
 露骨にドン引きしているガゼルの視線、顔を真っ赤にしたレミリアの反応が心にグサグサ突き刺さる。
 ノアルくんはなにかを見透かしたように俺を見つめていて、そしてルーティは、
「我慢しきれず秘すべき窄まりから不浄の塊をひり出す……それを私に間近から観察されて、羞恥のあまり情けない泣き言を漏らす先生……はぁはぁ……いけない、鼻血が出ちゃう」
 変態だ。
 水着でミーティングを開始する女よりも、この子のほうがよっぽど禍々しく変態だ。
 五年前からずっと見守ってきたつもりだけど、どこかで育て方を間違ったかもしれない。
「勘弁してねマジで。それじゃあ俺はウンコの旅に行ってきます。みんな、今回の反省会は明日にするから、さっさと帰ってちゃんと休むんだぞ。でないと疲れが取れないぞ」
「はい、先生、わかりました……ふふっ、腸内洗浄……はぁはぁ」
「死ねウンコ野郎」
「先生、ばいばーい。また明日だねー」
 と、転移装置を輝かせてこの場から消えていく生徒たち。
 最後の生徒、ノアルくん。俺を静かに見つめる。
「……エルディナマータさんだけは、きっと本当は理解していましたよ」
「えっ、そうなの? てっきり変態の感性を刺激しちゃったのかと」
「……たぶん、それもあるとは思いますけど。……先生、ご武運を。……口惜しいですけど……僕がいても、邪魔になるだけでしょうから……」
「いやあ、自分の実力を理解してるだけでも、きみは十分に素質あるよ。まだまだ若いんだから、焦らずがんばれば俺なんて余裕で追い抜けるだろうね」
「……だと、いいのですが。……それでは……」
 と、別れの挨拶を済ませて、ノアルもまた地上に帰った。
 薄暗いダンジョンの片隅に、ぽつんとひとりぼっちの俺。
 静かだなー。
 静かすぎるなー。
 ほとんど魔物の気配が感じられないのは、どうしてだろう?
 それは、魔物どもが、自分たちよりもはるかに強大な存在を察知して、その身をどこかに隠しているからだ。巻き添えにならないようにと願いながら、必死で息を潜めているからだ。人間だって死にたくはない。同じく、魔物だって死にたくはないのだ。
 ところで、ここにきて、ひとつの大きな問題が浮上してきた。
「いや、あれだけ言ったらなんだか本気でウンコしたくなってきたわ」
 やべー、どうしよー、くそー。
 生徒たちを先に帰すための方便だったはずなのに。
 そういや昨日からウンコしてなかったような気がするなあ、あれっ、そう考えるとますますウンコしたくなってきたぞ……くそっ、ちょっとまてまて俺の肛門……いやマジでがんばろうよ。ずっといっしょにやってきたじゃん俺たち……あっちの世界でもこっちの世界でも良好な信頼関係を築いてきたじゃないか……裏切らない、よな? 俺は、おまえだけは俺を裏切ることはないって、信じてるぜ……。
 昨日とかけっこういっぱいメシ食ったからな、なんだかこの腹の感触では、そうとうデカくて硬い代物がぶっ飛びそうだぜ……へへっ、ワクワクしてきたぞ俺……お食事中のみなさま本当にごめんなさい……。
「――我らの存在に気づいておきながら、たったひとりで残るとはな。ククッ、余裕のつもりか? 愚かな人間よ」
「ごめん、ちょっとウンコに行ってきてもいい?」
 わりと真面目に俺は言った。
 ダンジョンの暗闇の向こうで、何者かの頭の血管がブチ切れた、ような気がした。
 薄暗闇の向こうから浮かび上がった、三体の人影。
 漆黒のタキシードとマントを身にまとった、ふたりの男。そして同じく闇色のドレスを着た女がひとり。どいつもこいつも絵に描いたような美男美女で、なんだか傲岸不遜なオーラを発している。その紅い瞳や血色の悪い肌などからして、全員が吸血鬼か。それも高位の。
「……どうやら、この人間、気でも狂っているようだぞ。どうする、兄上、姉上?」
「まあ待て、弟よ。相手はたかが人間だ。我ら三人を前にして正気を保っていられるほうがどうかしている……寛大な心で、無礼を許してやろうではないか」
「オホホホホ……ですわねぇ、お兄さま。お猿さんの言うことですもの」
 どうやらこいつら、兄妹のようだ。会話から察するに、兄吸血鬼、姉吸血鬼、弟吸血鬼といったところか。俺に最初に話しかけてきたのは弟吸血鬼だ。
 兄吸血鬼は見事な銀髪をオールバックに整えた壮年の男。落ち着いた雰囲気。
 姉吸血鬼はブロンドの髪を腰まで伸ばした妖艶な美女。高飛車っぽい。
 弟吸血鬼は銀髪を逆立てた若い男だ。とくに偉そうでむかつく。
 ていうかそういうのどうでもいい。なんかウンコ我慢してるときって、やたらと無駄で意味のないことばっかり考えるよね。
「いや、マジで……洒落にならんくらいウンコ漏れそうなんですけど。ねえ、行ってきていい? すぐ終わらせるから」
「ふん、仕方あるまい。すぐにすませろよ」
「マジで? やったー。ちょっと待っててね」
 で、さっさと物陰に隠れてトイレ終了。
 あー、えがっだー。すっきりしたあああああ。お花畑が見えました。
「ありがとう。ほんとにありがとう。あんたら、いい吸血鬼だな。握手しよう。俺は四季村秋彦だ、よろしく」
「く、来るな馬鹿者っ! 手を洗えっ、汚い! けがらわしい畜生めが!」
「いや、そりゃあ俺だって洗いたいけど、こんなダンジョンに手ごろな水場なんてないしさあ。水筒の水は使い切っちゃったし、俺は魔法だって使えないから水を出せないのよ」
「し、仕方があるまい……おい、水をくれてやれ。石鹸もな」
 と、兄吸血鬼が命令すると、ものすごく嫌そうな顔をした姉吸血鬼が魔法で水を出してくれて、しかも石鹸まで貸してくれた。おかげで俺の手はすっかり綺麗になった。あ、紙はちゃんと持ってきていたんだよ。
「なにからなにまで、本当にありがとう。このご恩はきっと忘れません。では俺はこのへんで失礼させてもらうよ」
「待てこらクソ人間」
 ものすごい剣幕の弟吸血鬼に引き止められた。
 そんな怒らなくたっていいだろ。ちょっとした冗談じゃないか……。
「で、なんか俺に用事でもあるの?」
「……ふざけたクズだ。兄上、姉上、もはやこの者の血を吸っただけでは満足しませんぞ。八つ裂きにして蝙蝠たちの餌にしてやる」
「まて、まて、弟よ。それはもちろんだが、まず最初にこやつが殺される理由ぐらいは教えてやろう。それが高貴な種族である我らの余裕、そして慈悲というものだ」
「オホホホホ、まったくですわ、お兄さま!」
 どうでもいいからさっさと本題に入ってくれないかなあ。出すもの出したらちょっと小腹が空いてきたんだけど。今夜の晩ご飯、なんだろうなぁ。ま、水や石鹸を貸してくれた恩人だから、もうちょっとは付き合うけどさあ。
「私の名はディナハン。《大地と策謀》のディナハンだ」
「オホホホホ。わたくしは《水と色事》のメルティーナ」
「そしてこの俺は《炎と剣》のキルナガーヤ。我ら三人こそが誉れ高き吸血鬼同盟《血鬼連名》を束ねる四魔将よ」
 ふはははは、オホホホホ、わはははは、と高笑いを上げるお三方。
 俺はもういい加減に帰りたくてしょうがないんだけど、ちょっと気になったので訊いてみる。
「えーと、四魔将……だっけ? そのわりには三人しかいないみたいなんだけど」
 四天王なのに五人いる、みたいな事態が今まさに目の前で。なにこれすごくレア。
 あっ、なんだか笑い声がピタリと止まった。
 兄吸血鬼のディナハンが苦虫を噛み潰したような表情になる。
「貴様が殺したのだ。我らが末弟にして四魔将最後のひとり、《風と幻夢》のキルドゥーヤをな」
「……ああ。あいつか」
 ちょっと前に行方不明の生徒を捜索しに行ったとき、そんな名前の吸血鬼と戦ってぶち殺した記憶がある。
「ご兄弟でしたか。それはそれはご愁傷さま。大事な弟さんを殺されたんだから、さぞかし俺に復讐したいだろうね」
「はっ。いかにも猿らしい、低俗な考え方だな」
 弟吸血鬼キルナガーヤは、その整った顔立ちをことさら大きく侮蔑の形に歪めてみせる。
 ん? どういうことなの?
 疑問に思っていると、兄吸血鬼ディナハンが答えてくれた。
「知ってのとおり、我ら吸血鬼は貴様らとは違って完璧に完成した種族だ。容姿は美しく、戦闘能力も比類なきほど高く、知能は抜群に優れていて、しかも永遠の生命を誇る。固体として完結しているのだ。それゆえ、貴様らのような血族同士の愛情など皆無なのだ。必要のないものだからな」
「オホホホホ。キルドゥーヤはそれなりに有能でしたけれど、人間ごときに負けるような者など一族の恥さらし。むしろ早めに死んでくれて幸運だったと言えますわ。その点では、あなたには感謝して差し上げてもいいぐらいですのよ、お猿さん?」
「だが、四魔将のひとりが人間ふぜいにやられて、そのまま黙っているわけにはいかん。俺たちの高貴な誇りと名前に傷がつく。《血鬼連名》の結束の揺らぎにも直結しよう。それだけは避けなければならん。よって、貴様をここで始末することにしたんだよ」
 ほうほう、なるほど、そうですか。
 よくわかったよ。
 でも、どうにもなあ。
「気がすすまないなあ」
「うん? どうしたのかね? 死ぬのが怖いのか? ははは、仕方のないことだ。貴様らは死の恐怖に怯えながら無様に地べたを這い回る虫けらよ。だからこそ恐れることを恥じる必要はない。我らとは根本的に違うのだからな」
「オホホホホ。そうですわね。ま、無様に這いつくばって許しをこうなら、血を吸って殺してさしあげてもよろしくてよ? ホホホ、わたくしたちに吸血されると、この世のものとは思えぬほどの快楽を得ながら死ねるのよ」
「言っておくが、いまさら生きて地上に帰れるなどとは思うなよ。貴様は今ここで死ぬ。それは我らが決めた、確定した未来なのだ」
 うーん、どうしようかなあ。
 これ言っちゃうと、いたずらに怒らせるだけのような気がしないでもないんだけど。
 本心だからなあ。
 いいや、言っちゃえ。
「いや、トイレさせてもらったし、水やら石鹸も貸してもらったから、ぶっちゃけ、ここであんたらを殺す気が起きないんだよね。はっきりと敵だとは思えなくてさ。ほら、俺ってば借りはきちんと返す男だから。なもんであんたら、さっさと帰ったほうがいいよ。吸血鬼っていっても死ぬのは怖いでしょ? 二度とむやみに人間を襲わないって誓うなら、今日のところは見逃してあげるからさ」
 そんな俺の台詞がよほどおかしかったのか、吸血鬼たちはお互いのきょとんとした表情を見合わせると、いきなり盛大に笑い始めて、
「死ね、クズ」
「お逝きなさい」
「くたばれ人間」
 真正面から鋭い爪を振り下ろすディナハン、真後ろに回りこんでくるキルナガーヤ、そして魔法の詠唱を始めるメルティーナ。
 俺の額にディナハンの爪が、首の後ろにはキルナガーヤが抜き放った長剣が、ぴったりと突きつけられて、俺はもはや指一本すら動かせない。ここにメルティーナの魔法をぶちかまされでもしたら普通に死ねるね。
 にやりと笑うディナハン。
「どうした、人間? 《ノー・カウント》の名が泣くぞ?」
「まあ、仕方がないがな。劣等種族ごときに我らの動きを見極められるものか。ましてや反応するなど」
 ため息をつくしかない。
 これでも俺は殺人鬼でもなければ戦闘狂というわけでもない、ただのごく普通の一般的な教師のお兄さんである。なんの因果でこんなことになっているんだか、まったく。
「いや、マジで、殺すのは好きじゃないんだ」
「ククク、心配するな。貴様は誰も殺さなくていい……今から自分が死ぬのだからな」
 またそんな死亡フラグな発言を。
 とりあえず、俺の目の前で、ディナハンの腕が半ばから切り離されて床に落ちた。
 背後にいるキルナガーヤの剣も、その柄を握った腕ごと落ちる。
「うーん、弟さんのほうが強かったかもね。レベルは同じぐらいなんだろうけど、あいつはなかなか近づかせてくれなかったからなあ。あんたらは自分からすぐに近づいてくれて助かったわ」
 そう言って、逆手に持っていたナイフを、手の中でくるりと反転。切っ先が正面に向くようにする。
 このナイフは特注品。鈍く輝く鋼色の刀身が美しく、分厚くて丈夫、さらには切れ味も凄まじい、昔からの愛用の逸品。接近戦では銃などよりもよっぽど役立つし、なにより、いまの俺の衰えた膂力でもたやすく扱えるというのが素晴らしい。人間の一体や二体、こいつ一本で簡単に解体できる。
 地面に落ちた自分の腕を呆然と見つめていたディナハンは、断末魔すら上げなかった。その頭のてっぺんから股間まで一直線に血の線が走る。
「ごめん。あんまり隙だらけだったから、とりあえず一刀両断にしておいた」
 ついでに、後ろの弟吸血鬼くんも。
 血しぶきを撒き散らしながら真っ二つになって倒れた兄弟吸血鬼。その死体はすぐに灰になって、ダンジョンの暗闇に散る。
 俺だって伊達に十年もこの世界でがんばってきたわけではないので、この程度はリミッターを外さなくても朝飯前だ。
 さて。最後に残ったのは、妹さんだけか。
 なんだかただでさえ色の悪い顔をさらに蒼白にしているけど、まあ、目の前で兄妹の解体ショーなんて見せられたら、いくら高貴な吸血鬼さまとはいっても血の気が引くのかもね。
 近づかないとナイフで片付けられないので、すたすたと歩く。
 いやいやという風に首を横に振る、メルティーナ。
「嘘よ、こんなの……ば、化け物……! ひいっ、こ、こないで……」
「そんなわがままを言われても困るんだけど」
「ま、待って……話し合いましょう。わたくしたち、お友達になりましょう? ねっ、殺すのは好きではないんでしょう?」
「うん、まあ、そうだね。でもね」
 すまないが、俺には俺のルールがある。
「敵は、きっちり殺すことにしてるんだ。ごめんね」
 たとえそれが誰だろうと。
 敵は、殺す。
 きっちりと命を始末する。片付ける。
 見逃さない。
 慈悲はない。
 それが俺のルールだ。
 この十年で嫌というほど思い知ったぜ。
 この世は、不条理で、情け容赦がないのだと。
 だから俺が俺の大切なものを守っていくために、俺に牙を剥いてきた敵は、大事に、丁寧に、殺しておかなければいけないんだ。
 だから俺がメルティーナを細切れにする前に立ち止まったのは、彼女を殺すことをためらったせいではなかった。
 ほっとした表情を浮かべたメルティーナだったが、直後、周囲に響き渡ったクスクスという笑い声を聞いて、その美しい顔が無様に強張りを増す。
「うふふふ、なんということでしょう。泣く子も黙る《血鬼連名》の四魔将ともあろうものが、まるで羽をもがれた虫けらじゃないの」
「こっ、公爵閣下……!」
 メルティーナの声には、さっきまで俺に対して向けていたもの以上の恐怖と畏怖が滲んでいた。
 そして俺がこの声に対して感じたのは、強い緊張と、そして、殺意、だ。
「なんだ。生きてたのか、ロリババア」
「うっふふふ……。当然でしょう。あの程度のことで死んでいては、魔王陛下のお側に立つことは許されなくてよ」
 メルティーナのすぐ横の空間が歪み、その歪みから抜け出るようにして、ひとりの少女が出現した。
 こんな薄暗いダンジョンには似合わない、フリルまみれの白いドレスを着た少女。身長は百四十センチぐらい、年齢は十代前半に見える。栗色のふわふわとした髪を肩にかかるくらいまで伸ばしていて、その容姿は天使そのもののように愛らしい。
 が、そのあまりにも可憐な見かけに騙されてはいけない。こいつは俺が知る魔物や人間たちの中でも、特別に素敵な性格の持ち主。つまりは、ぶっ飛んだイカれ女。ついでに言うと、年齢のほうもぶったまげるほど重ねてやがる。
 少女の名前はクラティア。魔王エンディミオンの側近として活動する、強力にして凶悪な魔界貴族。《黄金の栄光》として活動していた俺たちと、二度、死闘を繰り広げた過去がある。
 このダンジョンから魔物の気配が消えた原因は、間違いなくこの女だ。
 剣で心臓を切り裂き、脳味噌をグチャグチャにかき回したあげく、高い塔の頂上付近から蹴落としてやったはずなんだがな。さすが、高位の魔族の不死身っぷりはほとんどギャグの領域だ。
「八年ぶりといったところかしら? お久しぶりね、《ノー・カウント》。またお会いできて嬉しいわ」
「こっちはなんにも嬉しくねーよ、ロリババア。つーかババア言葉ですらないロリババアってありえねーだろ。いっぺん死んでやり直せよマジで」
 いかにも友好的な微笑を浮かべるクラティアだったが、俺は生憎とこの女に対して微塵の親しさも持ち合わせていない。
 俺は、人殺しなど好きではない。だが、この女が獲物ならば、喜び勇んで急所に銃弾をぶち込み、ナイフで切り刻むことが出来る。死んで当然の生き物がいるとするなら、こいつは間違いなくそのトップランカーの一員だ。
「嫌われたものね。残念だわ」
「ほんとに残念ならショック死とかしてくれないかなー。あー、うぜーわ。このロリババア」
「うっふふふ。……あら、あなた、どうしたの? もう戦わないの?」
 クラティアは俺の挑発などまるで意に介した様子もなく、横に立っている女吸血鬼メルティーナを見やった。
「さっきまではあんなにも息巻いていたじゃないの。誇り高き吸血鬼にかかれば、脆弱な人間の小僧など一瞬で肉塊に……だったかしら」
「そっ、それはっ」
「……ねえ? 私は忠告してあげたはずよね? この男はあなたたちごときの手には余る、と。《ノー・カウント》の二つ名は伊達ではない、と」
「あ、ああああああ、ああああっ、公爵閣下……! どうか、どうかお許しをおおおっ」
 メルティーナは顔面を紙のように真っ白な色に染めると、くるりときびすを返し、涙と鼻水などを撒き散らしながら駆け出した。俺から、というよりは、クラティアから逃げるように。
「お馬鹿さん」
 くすり、と、笑う、クラティア。それは間違いなく侮蔑の嘲笑だった。
 クラティナの足元に、ずるりと音を立てて、一本の太い触手が垂れ落ちた。それはこの女が着ている純白のドレスの、ふわりと広がったスカートの奥から生え出ていた。いやらしい肉色の、油でも塗ったかのような光沢を放つその異形の器官は、その形状や、出てきたところが出てきたところなだけあって、どうしても男の性器を連想させる。先端にある口腔には、鋭い牙がずらりと並んでいた。
 この化け物が今からやろうとしていることを悟った俺は、メルティーナに同情するわけじゃないが、つい呟いた。
「……同じ魔族だろ」
「いいえ。ただのゴミよ」
 無情な台詞を合図として、触手が、おそるべき速度で動く。丸太のような太さのそれは無制限に長さを伸ばし、超絶的な脚力を誇る吸血鬼にたやすく追いつく速さで空中を滑り、追い詰められて絶望の悲鳴を上げるメルティーナの頭部に食らいついた。そして、その柔らかそうな見かけに反した圧倒的なパワーでメルティーナを振り回し、壁にぶつけ、天井に激突させ、哀れな獲物の抵抗の力が十分に弱まるまで嬲ったあとで、ごくりごくりと女吸血鬼の肢体を飲み込んでいく。バキッ、ボキッ、と、骨や肉の砕ける音がここまで聞こえてくる。
「吸血鬼というのは、まったく愚かな種族だわ。血を吸うだけなら蚊やダニと同じ。芸のない、非力で無能な劣等種族よ。そんな連中にこの男が倒せるようなら、バルログもルードヴィッヒも敗れはしなかったわ。もちろん、この私が負けることもね。……偉大なる魔王陛下や、あの忌々しい《傭兵王》と相対していながら生き永らえている男が、ただの人間? 笑える冗句だわ」
 メルティーナをすっかり咀嚼し終えた触手が、伸びたときと同じく、凄まじい速度で戻ってきて、クラティアのスカートの奥に消えていく。
 なにごともなかったかのように、クラティアは話を続けた。
「ごめんなさいね、《ノー・カウント》。あなたとはもっと雰囲気のある場所で再会したかったものだわ」
「どんな雰囲気で出会ったって、俺とおまえのやることはひとつだろ」
「つれないわね。女はムードを大切にするものなのよ」
「化け物が自分は女だとか自称してもねぇ」
 さて。
 こっちの手持ちは化け物退治用の魔法銃と、ナイフが一本。
 はっきり言って、目の前の悪魔を倒すためにはものすごく心もとない装備だが、仕方がない。いざとなったら相討ちに持ち込んででも、この悪夢の具現とでも言うべき怪物を始末しなくてはならない。こいつが生きていれば、必ず、俺の大切な連中に害をなすのだから。
 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、いや、たぶん知っていてあえてすっとぼけているんだろうけど、クラティアはその形のいい顎に指を当てて、愛らしく小首を傾げてみせる。
「でも、考えてみれば、これはこれであなたを倒す好機なのかもしれないわね」
「あ?」
「フェアラート・ウィケッド・セルフィッシュは、もういない」
 ずきり、と、胸が痛んだ。
「あの女とあなたはそれぞれが突出した強さを持っていた上に、お互いがお互いを助け合って無尽蔵に力を増していた。幾人もの誇り高き魔界貴族が敗れたのは、そのせいよ。この私も」
 クラティアは、自分の胸を鷲づかみにした。
「ここがね、痛むのよ。あなたに切り裂かれたこの胸が。今でもよく鳴いて疼くわ」
 その瞳に、狂気が宿る。おそらく本人の無自覚のうちに溢れ出す、莫大な魔力。それが周囲の空間を歪め、風を起こし、ダンジョンに悲鳴を上げさせた。足元が小刻みに揺れる。
 胸を掴んでいるのとは反対側の手で、自分の頭を掻き毟る、クラティア。
「ひどく胸が痛むわ。そして、無骨な剣の切っ先でめちゃくちゃにかき混ぜられた脳髄は、もっともっと熱く疼くのよ。あなたのことを考えるたびに、あのときの苦しみと憎しみ、憎悪と快感が渦を巻くの」
「そいつはよかったですねー。ああ、思い出した。おまえの脳味噌、薄汚い灰色だったよな。汚いし臭いしもう最悪。あの戦いのあとは念入りに剣を磨いたぜ」
 垂れた栗色の髪の奥、憎悪に満ちた双眸が爛々と光った。
 爆発するような殺気の塊が俺にぶつかってくる。ほとんど全身を殴打されたのと変わらない衝撃。なんとか身じろぎせずに立っていられたが、超高位の魔界貴族ともなれば、ただの感情の発露だけで敵を攻撃する武器になるのだ。
 そしてこいつはいまだに全力の一端すら見せていない。
 クラティアの真の実力、おそろしさは、この女が正体を現したときにこそはっきりと分かるのだ。
 俺は魔王エンディミオンと会ったことがあるが、実力はともかく、単純な凶暴さや邪悪さ、その性質の残虐さだけでいうなら、クラティアは間違いなく魔族のナンバーワンだ。あのくそったれの《傭兵王》ベーゼといい勝負だろう。
 八年前。《黄金の栄光》が全力で立ち向かって、それでも結局は倒せなかったこの女を、いまの衰えた俺がたったひとりでどうにかできるのだろうか?
 絶望的な未来しか見いだせないことに、いまさらながら背中を冷や汗が濡らす。
 ま、それでもやるしかないんだし、やるからには勝つんだけどね。
 俺たちの対峙は、何時間にも及んだように思えたが、それはきっと俺の錯覚だ。実際には数分か。もしくはもっと短いだろう。
 吹き荒れる魔力が、ようやく収束した。
「……ふ、ふふ……」
 薄ら笑いか。不気味な。
 まるで今の怒りなど嘘であったかのように、さらりと髪をかき上げると、もうクラティアの表情はいつもの優雅で余裕に満ちたものに戻っていた。
「やめておきましょう。過去の二度の敗北は、いずれも、あなたの底力を侮ったことによって起こったわ。……三度目はない。今度こそは殺すわ。きっちりと、確実に、この拳で叩き潰す」
「それよりもここで死ねば?」
 コートから抜き放った銃を、いきなり発砲。
 完全に不意打ちのはずだった、が、クラティアの肌には傷ひとつすらない。
 それもそのはず、俺がクラティアの眉間めがけて狙い撃った銃弾は、そこに着弾する直前、この女の小さくて柔らかそうな手の平に握り潰されていたのだから。
「言ったでしょう。大切なのはムードよ。ここにはそれが足りないの。――返すわよ」
 と言って、クラティアは、その拳が限界まで圧縮してしまっていた鉛弾のなれの果てを、俺に向けて射出した。射出というほど大げさなものではなく、実際には指で弾いただけ。いわゆる指弾なんだけど、その威力はアホらしいほど絶大。
 俺は、思わず、右の空間に身を投げ出すようにして跳んでいた。
 寸前まで俺の立っていた場所を、凄まじい速度ですっ飛んでいく鉛のクズ。それは音速を突破してはるか彼方の壁に激突し、轟音を上げてダンジョンを揺るがした。
「また会いましょう、《ノー・カウント》」
 その声が聞こえたとき、すでにクラティアの姿は俺の周囲のどこにもなかった。
 しばらく様子をうかがってから、ようやく大きく息を吐く。
 どっと疲れたわ。
 やれやれ、もう倒したと思っていた強敵が再び、か。しかもこっちはもうそろそろおっさんになるお兄さんだってのに。ふざけんじゃねーよ、もう。ありえねぇ。
 あのクラティアの魔力……思い出しただけで身震いする。どうしようかね、もう。
 ていうか、やっぱり先にトイレを済ませておいて正解だったね。
「我慢したままだったら漏らしてたかもな……うっげぇ、洒落にならん」
 なんというか、変なところでホッとしてしまった俺であった。





「ただいまー」
 はー、やれやれと帰ってきたのは、我が愛すべき自宅。といってもリノティア学園の教員用に貸し出されている小さなアパートの一室なんだが。もっと金があれば学園の敷地内に庭付きの豪邸でも建てられるけど、生憎と俺は安月給の平教員なのでそんな贅沢はできません。まあ、そんなに贅沢することは体質的にできない平民なので、俺はこれで満足しているのだ。台所も風呂場もあるから不自由はないしね。
 玄関で靴を脱いでいると、シェラザードが出迎えてくれた。
「おかえり。どうした、今日は早いな?」
「うん。疲れたから仕事を切り上げて帰ってきたわ」
「そうか。最近のおまえは少し働きすぎだったからな、たまにはいいことだ」
 と言いながら俺のコートを脱がしてくれるシェラザードの格好はいつもの緑色のローブを身にまとった魔法使いルックではなく、長い金髪をポニーテールにして纏め、着ているのはシャツとジーパンというラフな出で立ち。うなじのあたりがやたらと色っぽい。昔はどんなときでも魔法使いの装束だったのに、数年前からはこういう俗世な格好も好むようになった。珍しいハイエルフだ。
 と、俺の空きっ腹を刺激するものが。
「なんだかいい香りがするね」
「ああ。夕食の準備なら、もうできている。今夜はおまえの好きなハンバーグだぞ」
「ほんと? やったー」
 シェラザードはある時期からいきなり料理のことを熱心に勉強し始めて、今ではかなり腕前が上達し、数多くのレパートリーを持っている。最初は禍々しい臭いのする石炭ばかり量産していたというのに、やればできるものなんだなあ。本人の言葉によると、今まで料理なんてしたこともなかったけど、下手糞だから料理をしなかったのではなく、する必要がないからしなかったというだけの話だったらしい。だから練習すれば上達するのは当たり前なんだと。
 なんでもハイエルフというのはエルフの王族みたいなもので、幼いころから身の回りの世話は普通のエルフたちがみんなやってくれるし、そもそもハイエルフは光合成っぽいことができるから本来なら食事の必要すらないんだとか。
 つまりシェラザードはエルフのお姫さまというわけだ。
 お姫さまが作ったハンバーグか……ごくり……美味そうだ。
 いや普通のハンバーグなんだけどね。普通に美味しい。お肉がとってもジューシィです。
 ちゃぶ台を挟んで向き合うように座り、もぐもぐと食事をする俺たち。
 ここは俺の狭苦しい自宅なんだけど、いつからかシェラザードが上がりこむようになって、歯ブラシやらコップやらといった私物を持ち込みまくったせいで、静かに着実にどんどん俺の領地が侵略されている。ま、楽しいからいいんだけどね。いまさら隠し事があるような仲でもないし。合い鍵も渡してあるから、いつでも来てねって感じ。
「しかしいつ食べても美味いな、このハンバーグ」
「そうか。よかった。喜んでもらえると、がんばって作った甲斐がある」
 にっこり笑うシェラザード。花が咲くような、というのは、こういう笑顔のことを言うんだろう。いい子だなぁ。
「ところで、アキヒコ」
「んー?」
「なにか私に隠していることはないか?」
 箸の扱い方もずいぶんと上達したシェラザードが、自分の分を食べ終えてから訊いてきた。
 俺のほうも食べ終わった。
「ごちそうさま。……あのさぁ、今日、いろいろ事情があって生徒たちとダンジョンに潜ったんだけどさ、そこであいつと会ったわ、ほら、あいつ。《万魔殿》で俺がぶっ殺したと思っていたあいつ。触手ババアの」
「クラティアか。あの、あの女か」
 シェラザードは、さすがに驚きの色を浮かべていた。ま、無理もない。俺だって同じく驚いている。
「あー、やっぱり覚えてた? ま、忘れられるようなキャラしてないよね、あのロリババア。相変わらずクソむかつく女だったわ。……あのとき仕留め損なった代償は、大きいかもしらんね」
「奴は、なにか言っていたのか?」
「うん。ムードのあるところで俺をぶっ殺すってさ。フェアラートがいないから簡単だとよ。どうしようかなあ。この国を丸ごと食いつぶすぐらいのことは平気でやるぜ、あいつ」
「……私がいる」
「うん?」
「おまえには、私がいる。私がおまえを守る。だから、心配はいらない」
 どこか、思いつめたような表情の、シェラザード。
 俺は、小さくうなずいた。
「当たり前だろ。シェラちゃんは頼りになるからね。またいっしょにがんばろうぜ」
「ああ。――私のほうが、フェアラートよりもずっと上手く、おまえとやれる」
「……どったの、シェラちゃん?」
 そんな対抗意識とか燃やさなくてもいいじゃん。……フェアラートは、もういないのだから。
 シェラザードは、悔しそうに唇を噛んだ。
「お、おまえは、本当は、あの女のことが好きだったのだろう?」
「なにそれ怖い。なんでそういう話になるの?」
「おまえが……最初に寝たのが、あの女だから」
 ……なるほど。そういう話、か。
「前にも言ったけど、あいつとはそういう関係じゃなかったさ。最初に会ったときよりかはずいぶん仲良くなってたかなー、とは思うけど。……俺は、まあ、ちょっとは気があったけど。あいつはきっと俺のことは、最後まで道具だとしか思ってなかったよ」
 身体を重ねたことも、あるにはあった。
 でも、それは、恋人同士がするような、甘ったるいものではない。例えるとするならケダモノ同士の交わりか。愛情やらロマンスやらなんて、かけらもなかった。
 俺もフェアラートも度重なる魔物との激戦の末にボロボロになって、肉体的にも精神的にも限界に陥ったとき、なんかこう、ふと視線が合って、お互いにムラムラとしてきて、それでついふらふらっと。それだけだ。しかもあの女、こっちは初めてだっていうのに、強引に馬乗りになって乱暴にしまくるし。あげくの果てには両手で首を絞めてくるし。首を絞められながら逆レイプとか、衝撃的だろ。初体験的に考えて。いまでも軽くトラウマです。
「だからっ! こと細かなところまでそうやっていつまでも思い出せるというのが、おかしいんだ!」
 ちゃぶ台を拳で叩いて声を荒げる、シェラザード。
「そんなことを言われても、あんなの忘れるほうが無茶だよ」
「いやだ。許せない」
 と言うや否や、シェラザードは魔性の素早さでちゃぶ台を飛び越え、いきなり俺を押し倒した。
 ぐえっ、後頭部が床に激突した。
 しかも腹のあたりに柔らかくて重苦しい感触が着弾。
 シェラザードの形のいいデカ尻が、俺の腹の上に乗り、ジーパンに包まれた両足が、俺の両腕の動きを封じていた。真っ白な細い指が、俺の胸板に置かれる。
「重いです。お願いですからそこをどいてください」
「私は、ユーフィーナやフェアラートなどより、ずっと嫉妬深くて独占欲が強いんだ」
 聞く耳とかないですか、そうですか。
 シェラザードは、昔よりもずっと感情豊かに、心が温かくて優しくなったのはいいんだけれども、たまに、こういう癇癪みたいなものを引き起こすようになった。原因は俺だ。それだけは分かっている。
 俺を見下ろす瞳には、暗い光が揺れている。
「……おまえを愛しているんだ。誰にも渡したくない」
「心配しなくたって、俺はシェラちゃん一筋だよ」
「ああ。信じる。……だが、過去の女はどうなんだ?」
 痛いところをついてくる。
 たしかに、俺は今でも、心のどこかであいつのことを忘れられていない。あんなキャラの強すぎる女、忘れられる気がしない。
 が、それでも結局、過去の女だ。もうどうしようもないくらいの過去の話に過ぎない。
 でも、シェラザードは安心できないのだろう。理性ではそんなはずはないと納得していても、もっと深いところの部分がそうは言わない。
 脆いのだ、シェラザードの心は、根っこのところが。ふとしたことで壊れる。
 だからこの子には、俺がついていてあげないといけないんだろう。きっと、一生。悪くないと思うよ。こんな超絶美人に惚れられてるんだから、ちょっと束縛されるぐらいは許容範囲、ぜんぜんオッケーだ。俺みたいな平凡な男にはもったいないぐらいの話さ。
 シェラザードはちゃぶ台の上に置いてあった酒瓶を手にとって、蓋を開けるとゴクゴクと喉を鳴らして中身を飲んだ。そしてそのまま、頭を下げて、俺と唇を重ねてくる。桜色の柔らかい唇は、酒の味。わずかに甘い。
「おまえの今の女は、この私だ。――あいつのことなど、忘れさせてやる」
 背筋が震えるほどの色香を孕んだ声を耳元で囁かれて、理性を保てるはずもなかった。



[9648] 第七話
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/05/11 16:32
 ……この世のどこよりも高くそびえ立つ城の、頂上。
 屋根のない、広大な空間。
 頭上には虹色の空が広がっていて、彼方には三つの黒い太陽が禍々しく輝いている。
 空間を満たす濃密すぎる魔素は人間の致死量をとうに越えていて、魔法で身を守っていなければ呼吸するだけで死にいたる。
 俺たちが魔王エンディミオンに出会ったのは、そんな地獄のような場所だった。
『――まずは諸君らのここまでの健闘を称えるとしよう。よくぞここにたどり着いた。脆弱な旧人類……進化の波に乗り遅れた、くだらぬ生命よ……わしがこの地に居を構えてすでに永劫とも思える歳月を経たが、数多の障害を突破してわしの前に立ったのは、貴様らが最初となる』
 エンディミオンは玉座に座って頬杖をついたまま、俺たちを品定めするように見下ろしている。
 空いている腕を広げて、そいつは傲岸不遜な笑みを浮かべた。
『ようこそ、魔界へ。わしが創りし世界にして我が第二の故郷、素晴らしきこの地へようこそ、諸君。歓迎しよう』
『余計なごたくをほざくなよ、クソガキが』
 フェアラートが、唾を吐き捨てながら、一歩、前へと進み出る。
『こっちはもういい加減にうんざりしてるんだよ、疲れがたっぷり溜まってるんでな。てめぇを遠慮なくぶち殺したら、さっさと帰って熱いシャワーでも浴びるとするぜ』
 挑発、というか、おもいっきり殺意だけをぶつける、フェアラート。
 エンディミオンは……きょとん、とした表情を浮かべて、そのあと、大きく笑った。
『ああ、なんだ? そうか、貴様、勘違いしておるのか……カカカッ……』
『あ?』
『このわしを倒せる、と。いや、そもそもわしと勝負をするつもりでここまでやってきたわけか。なるほど、なるほど。そういう話であったな、貴様らは……いや、しかし、これは笑える……滑稽よな』
 俺たちを侮っているとか、馬鹿にしているとか、そういう次元ではなく、エンディミオンは、本当に可笑しそうに言うのだ。俺たちが、とんでもない思い違いをしていると。
『たわけが。わしの名を知らぬのか? ――我が名はエンディミオン。知識と進化を司る、この世でもっとも高貴で偉大なる神じゃぞ。そのわしに、たかが旧人類ごときが勝てるなどとは……思い上がりも甚だしい。まったく哀れになるほどの愚かさよな』
『――殺せ』
 頭の血管のブチ切れたフェアラートが号令を下し、俺たちの戦いは始まった。
 だが。
 俺たちの、《黄金の栄光》の攻撃は、なにひとつとして魔王には通用しなかった。
 ユーフィーナの神聖魔法を受けたウィルダネスの戦斧も、シェラザードの魔法も、俺やジェラルドの剣も、そして、フェアラートの剣と魔法ですらも。
 魔王エンディミオンは玉座に座ったまま一歩も動かず、冷ややかで余裕に満ちた目つきで、俺たちの必死の攻撃をあざ笑っていた。
 どんな強力な魔法も、物理攻撃も、エンディミオンに届く寸前で完全に消滅し、もしくは弾かれて、奴の肌に毛ほどの傷すらつけられなかった。奴は、指一本すら動かしていないというのに。
『……さて、そろそろ終わったかの?』
 あくびをしながら、エンディミオンは言った。
 悔しげに歯噛みするフェアラート。俺も同じ気持ちだった。
 こいつには、俺たちのすべてが通用しない。あらゆる手段が潰される。届かない。
『簡単な理屈じゃよ。紙の剣で鉄は斬れぬ。……わしの魔力は無限、よって、わしの身を守るために展開しておる防御結界の数も強度も無限。貴様らがどれだけ強力な攻撃を仕掛けてこようが、わしは瞬時にそれ以上の防御力を用意できる。傷つけられる道理がない』
『そんな馬鹿な話があるかッ!』
 フェアラートが叫ぶ。そうだ、そんな馬鹿な話があるはずがない。
 なぜなら、そんなことは、ありえない。
 どんなに強い生命体であろうとも、その強さ、底力には限りがある。限りないように見えても限りがあるはずだし、すべてのものは有限だ。生きている限りは誰にでも始まりがあるように、終わりがある。なくてはならない。
 けれど、魔王は、ちがった。
『吼えるな、虫けら……やかましいぞ。……ここまで試して、まだ理解できぬか? それともわしの話を聞いておらなんだのか? 言ったはずじゃぞ。わしは、神だ。この世や貴様らの常識なぞ、とうに超越しておるのだ』
 エンディミオンを中心として、爆発するように魔力が広がる。
 それは、見たことも感じたこともないほど強大な魔の胎動。
『どれ、少しだけ出力を上げてやろうかの? ……さあ見るがよい、我が魔力ッ!』
 爆音を上げて広がる魔力、フェアラートやシェラザードの十倍、二十倍、百倍、千倍、いや、それ以上。
 宇宙を埋め尽くす勢いで、エンディミオンのパワーが出力を上げていく。
 まともに炸裂すれば大陸ですら簡単に消し飛ぶ質量の魔力。
 もう、魔王城《万魔殿》の頂上は、生きる者の立てる場所ではなくなっていた。
 音を立てて軋み始める魔界の空間、増し続ける重圧。
 《黄金の栄光》の誰もが、強烈な吐き気をもよおしてその場に膝をついた。立っていられなくなったのだ。
 エンディミオンは攻撃魔法など使っていない、ただ自分の持つ魔力を少し披露しただけだ。たったそれだけだというのに、俺は、俺たちは、完璧に敗北した。凶悪な魔のプレッシャーに負けた。勝てる気など微塵もしなかった。絶望感だけが胸に広がる。
 敵は、無敵だ。俺たちどころか、この世の誰も、こいつには勝てない。勝てるはずがない。無敵の存在を前にして、有限の存在ごときがどう対抗すればいいというのか。
『脆い、脆い。脆弱よのう。理解したか? 神には勝てぬ。わしは無敵だ……無敵の神だ』
 高笑い。
『さて……そこでだ、諸君。提案がある。貴様ら、わしの軍門に下るがよい』
『……なんだと?』
『ん? 不服か? ならばここで始末するだけの話じゃが。いや、なに、わしとて、諸君らのように稀有な手だれをいたずらに失うのは惜しい。我が配下のバルログやルードヴィッヒがなぜ敗れたのか興味があるしな。貴重なサンプルとして迎え入れる用意がある』
 嘘や冗談を言っている目つきではなかった。
 エンディミオンは本気で俺たちを手駒に引き入れるつもりでいたし、俺たちがそれを断れば殺すというのも本心からの言葉だったのだと思う。
『従属か、死か? 返答は如何に?』
 ユーフィーナは断った。
 ジェラルドは断った。
 ウィルダネスは断った。
 シェラザードは断った。
 俺も、断った。
 どう見てもエンディミオンは真性の悪党だったし、これまでに世界各地で魔王のやってきたことを見れば、たとえ生き永らえたところで寝覚めのいい人生を送れるとも思えない。
 そして、フェアラートは――
『見返りは?』
 俺は、耳を疑った。
 フェアラートは、どうしようもない悪党で、外道で、本当にどうしようもないくらいの悪女だったが、我が身かわいさに敵に尻尾を振るような、そんな女ではなかったはずだ。少なくとも俺はそう信じていた。
 気をよくしたように笑みを深める、エンディミオン。
『賢明な判断じゃな。――見返りか? 命を拾えるだけも幸運じゃろうに、強欲なことよ。ま、わしは寛大な神じゃ。なんでもくれてやろう。わしの魔力をもってすれば、この世のすべては思うがままよ。美しい娘よ、貴様の望みはなんじゃ? 山と積まれた黄金か、名誉か、無敵の力か、それとも永遠の生命か? 世界の半分をくれてやろうか、カカカカッ!』
『ああ、そうだな。……おまえの命を俺によこせ』
 魔の重圧を押しのけるようにして立ち上がりながら、フェアラートは言った。
 エンディミオンは驚いたように目を見開いた。
『なんじゃと?』
『聞こえなかったか? おまえの命をよこせと言ったんだ。そしたらサンプルにでもなんでもなってやるよ。俺の言ってることが理解できたか?』
『貴様……たわけ、そんな話が――』
『いいや、なんでもくれるとおまえは言った! それともなにか、さっきの話は嘘なのか? 自分の言ったことに責任もとれないのか? やれやれ、ため息が出るね。無敵の神さまが嘘つきか。みっともない。寝小便するガキだって約束は守るっていうのによ。おまえはそれ以下のゴミクズだな』
 小ばかにするような、嘲笑。
 そう、傲岸不遜な表情こそが、この女にはふさわしい。
 エンディミオンの魔力が、さらに重みを増した。もう魔王に余裕の表情はない。その顔に広がるのは、怒りの色。
 ようやく玉座から降りて床を踏みしめる、魔王。握った拳を振りかざしながら、奴は叫ぶ。
『わしを愚弄するか、虫けらごときが! わしは、わしはっ、』
『ああ、そいつはもう聞き飽きたよ。神さまなんだろ?』
『そうとも!』
『ならば神のごとく死にやがれッ! 行くぞ、ボンクラのドブネズミども!』
 そのときには、もう、うずくまっている者などいなかった。
 だれも彼もが武器を手に取り、戦意を取り戻し、魔王の殺意に立ち向かう。
 希望があった。
 おかしな話だが、誰よりも悪として生きたフェアラートこそが、俺たちに生きる希望を与えてくれたんだ。
 頭上には虹色の空、彼方には三つの黒い太陽。目の前には魔王。
 俺がフェアラート・ウィケッド・セルフィッシュを最後に見たのは、そんな、世界の果てのような場所だった。
 



 どうやら、夢を見ていたらしい。古い記憶の夢を。
 目を覚ました俺は、軽く首を横に振って眠気を払う。
 ……シェラザードがおかしなことを言い出すから、あいつのことを夢に見てしまったみたいだ。
「目が覚めたか?」
 ベッドの上で半身を起こした俺の前に、水の入ったコップが差し出される。
「まあねー。おはよ」
「おはよう。今朝はいい天気だな……」
「うん、それはいんだけどさ、シェラちゃん」
 水を飲みながら、コップを渡してきたシェラザードのほうを見やる。
 ベッドの横に立っている長身のエルフの出で立ちは、なんというか、ものすごかった。ほとんど半裸、むしろ素っ裸に近い。パンツは穿いてるけどブラジャーはつけてなくて、シャツに袖を通しただけ。ちょっと大きめのシャツは、たぶん俺のものだろう。そんなのが必死にがんばって、シェラザードの砲弾じみた巨乳を隠そうとしている。が、前のボタンすら合わせていないので、その懸命な努力もふとした瞬間には徒労に終わりそうだ。
「どうした?」
「女の子がそんなあられもない格好をするもんじゃありません。ちゃんと服を着なさい、はしたない」
「かまわないだろう? こういうのがおまえの好みのはずだが」
 いや、好きだけどね、裸ワイシャツ。
 おまえのは破壊力がありすぎて朝から鼻血が出そうなんだよ。
「そもそも、おまえだってそんな格好だ」
 う、ほんとだ。昨日のアレのあと、服も着ずに寝てしまったか。
 いやいや、ごまかされてはいけない。俺は男だけどシェラザードは超・女の子なので、こういうのはきっちりやるべきなのである。
「だいたいね、シェラザードはおかしいんだよ。炊事も洗濯もできるのに、なんで自分の身の周りのことは無頓着っていうか、やろうとしないの?」
 この家の掃除は俺が頼まなくても勝手にやってしまうのに、シェラザードの本宅ときたら、もうまさに腐海である。脱ぎ散らかした下着や衣服が地雷のように転がっているし、使った食器は流し場にぶちこんだまま放置してるし、食事すらめんどくさいと思ったら光合成で済ませてるらしいし。
「……興味がないことには、労力を使う意義を見いだせない」
「俺の身の周りには興味があるの?」
「当たり前だ。私はおまえの女だからな。よき恋人として、おまえの生活環境を良好な状態に保つ義務がある」
「一生ですか」
「もちろん」
「俺、たぶんあと六十年とか七十年は生きるんだけど。ずっと? 大丈夫?」
「忘れたのか? 私は何千年も生きるんだ。そのうちのほんの数十年をおまえのためだけに使う……それだけのことでしかない。……そんなことしか、私にはできない」
 うつむき、悲しげに声を震わせたシェラザードは、次の瞬間、俺の胸元に飛び込んできた。手が揺れて、コップにまだ残っていた水が音を立てる。
 俺の胸に顔を埋めたまま、シェラザードは言った。
「怖いんだ。おまえは人間だからすぐに死ぬ……いなくなる。それが怖い。何十年か先、おまえがいなくなったあと、どうすればいいのか分からない。だから、いま、おまえのためにやれることを、やれるだけやっておきたいんだ。絶対に後悔しないように」
 シェラザードは、ハイエルフだ。
 人間の俺などよりもはるかに長命なシェラザードは、俺がさっさと死んだあとも、千年、二千年、三千年と、この世界で生き続けるのだろう。変わることのない姿かたちで、変わることのない美しさのまま。
 そのことを想像すると、俺も、胸が苦しくなる。
 ああ、しんどい。
「シェラザード、あのさ」
「……?」
「いや、ちょっと訊きたいんだけど、俺とシェラちゃんの子供って、種族としてはどうなるの? ハーフエルフ? ハーフハイエルフ?」
 たまに、人間とエルフのあいだに子供が作られることがある。そういう子供らを、ハーフエルフという。エルフの美貌と人間の社交性を持ち、エルフほどではないにしろ長命で、魔力も高い。
 で、こうやって昨晩のように、やることをやっている以上、できるものはできると思うわけで。そうなると、子供のことについては知っておきたい。
「ハーフハイエルフ、ということになる……と思う」
 俺を見上げていたシェラザードは、眉根を寄せて困ったような顔を作る。
「正確なことは、分からない。なにせ前例がないからな」
「ないの?」
「少なくとも、公式には。あったとしても、その記録は抹消されるか改ざんされると思う。エルフですら異種族との交配は毛嫌いするというのに、ましてやハイエルフはエルフの王族だ。それが人間と交わったとなれば、森の秩序にも関わってくる」
 なるほど。
 エルフという種族は、どうも、人間という種族そのものを格下に見ることが多くて、古くから生きている連中はその傾向がかなり強いらしい。
 人間にたとえるなら、犬や豚の子でも生むようなものなんだろう。
 王さまやお姫さまが畜生の子を作るとか、マジありえねぇです。そんな感じか。
「シェラちゃんはいいの?」
「いいもなにも、好きになってしまったのだから仕方がない。おまえに尽くしたくてたまらない。この気持ちは抑えられるようなものではないんだ」
「……そっか」
 いい子だよなぁ。なんて幸せ者なんだろうか、俺は。
「でも、前例がないっていうのは怖いな。子供、できるのかな?」
「ハイエルフといっても根本的にエルフと変わりはない、だから大丈夫だと思う……な、なあ、アキヒコ?」
「ん?」
 なにやらもじもじとして顔を赤らめるシェラザード。
「作っても、いいのか? なんだ、その、私とおまえの赤ちゃん……産んでもいいのか?」
 なにこの子、上目使いが可愛すぎる。
 思わず襲いたくなってくるけど、がまんがまん。
「このままやることやってたら、そのうち出来ちゃうでしょ。そしたら産むしかないじゃん。ていうかむしろ産んでください、お願いします」
「いいのか!?」
「前にも言ったけど、俺の望みは普通に歳をとってジジイになって死んでいくことだから。普通に子供だって欲しいのよ。ちゃんと認知しますからご心配なく」
「そっ、そ、その台詞、プロポーズとして受け取ったッ! ……くぅっ、プロポーズしても返事がないから、てっきり私には身体しか求められていないのかと」
「んなわけあるか。――え、俺ってプロポーズされてたの? いつ?」
 まったく記憶にございません。
 シェラザードはちょっと怒ったように唇を尖らせる。
「本気か? 私にとっては一世一代の台詞だったんだぞ? ちゃんと言っただろう……お、おまえならば、私の、み、みっ、耳にっ、ピアスの穴を開けてもいいと!」
 耳にピアス?
 ああ、一ヶ月くらい前、そんなことあったなあ。なんかこう、満点の星空が広がる夜、すんごい雰囲気のいい森の奥に連れ出されて、顔を真っ赤にしたシェラザードからそんなことを言われたのだった。「ああ、ピアスつけるの? でもなんで俺? ちゃんとお医者さんに開けてもらったほうがいいよ」って答えたら、「医者なんかに頼めるか、ばかぁ」って泣かれた。ガン泣きされた。
 いまもそうだが、なぜにシェラちゃんは顔を真っ赤に染めているのだろうか。ピアスがどうしたんだろう? 謎である。そういえば耳にピアスとかつけてるエルフって見たことないな……ダークエルフなら見たことあるんだけど。
「とっ、とにかくっ! 産んでもいいんだな!?」
「あ、はい」
「よし! じゃあ、さっそくするぞ!」
「えっ」
「エルフは長命ゆえ、生殖能力が著しく低く、子供ができる確率は同族相手ですら千分の一ほどだと言われている。人間相手だとそのさらに十分の一、つまり一万分の一の確率らしい。ハイエルフである私にいたっては、どれだけ確率が低いのか、正直に言って想像もつかない」
「はあ」
「だからとりあえず目標は一万回だ! 朝に一回、昼に一回、夜に三回、合計五回! 毎日このセットを組めば二千日ほどで到達できる回数だ。やるぞ! するぞ! 作るぞ!」
「いやです。枯れてしまいます」
「だめだ! 一万回♪ 一万回♪」
「発情するな。頬ずりするな。胸を押し付けるな。尻を振るな。とりあえず今日も仕事だからね。シェラちゃんも仕事だからね。そろそろ準備しないと遅刻だからね」
「ふざけるな! 仕事と子供と、どっちが大切なんだ!?」
「まだ出来てもいない子供よりかは仕事のほうが大切です。ほら着替えろ」
 スライムのごとくへばりついてくるハイエルフ娘をひっぺがして着替えさせて、なんとかご飯を食べて家を出ることに成功しました。
 あまりへたなことは言わないほうがよかったかもしれん。
 ところで、子供とか出来たらやっぱり親御さんに顔を見せなきゃいけないかな。いっぺん会ったことあるけど、シェラちゃんの親父さんって本気で人間嫌いの王さまだったんですが。あのときの事件のせいでいまだに恨まれてそうだし。具体的に言うとフェアラートがエルフの森を燃やした。ぼーぼー燃やした。仲間の俺も犯人一味に含まれている。なので「ごめんなさいね娘さん貰いますね」とか言ったら「死ねよやー!」って襲ってきそう。怖い。
 まあ、子供を作っておけば、俺がいなくなったとしても、あいつが寂しくなることはないだろうし。がんばって作ってみるか。
「いや、一万回はキツいわ」
 ……亜鉛とか、多めに摂取してみようかしら。もうすぐアラサーなのにこの激務はどうしたことか。



[9648] 第八話
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/05/19 16:28
「んじゃ、俺は担当のパーティーの連中と話があるから、居住区のほうに行くね」
「ああ。私は中央区で魔法学の講義だ。……最近、そちらのパーティーの調子はどうなんだ? なかなか手を焼いていると聞いているが」
「うん、大変だよ。でも新しいメンバーが入ってくれたし、いよいよ本格的に活動できそうな気配かな。一安心だよ。シェラちゃんの担当パーティーは?」
「私のほうは、相変わらずだ。手のかからない連中だから助かっているよ」
 などなど、歩きながらシェラザードとお話をする。
 シェラザードが担当しているのは、もうすぐ《英雄の神殿》に手が届くんじゃないかとまで言われている超有力パーティー、すなわちリノティアのトップに近い現役最強クラスの冒険者たちだ。すごい。
 リノティア学園は、上空から俯瞰してみると大きな円を描くような形をしている。まず真ん中に中央区、リノティアの本体とでもいうべき馬鹿でかい校舎が置いてある。生徒が講義を受けたり、職員室があったり、いろんな行事が行われたり、文字通りの学園の中枢だ。
 で、その中央区の周囲をぐるりと囲むようにして、居住区だの、実習区だの、工業区だのと、それぞれの目的ごとに整理された区画が順番に並ぶ。イメージとしてはルーレットとかピザとかそんな感じ。
「じゃ、がんばってねー」
「ああ。おまえもな。――本当にがんばるのは今夜だぞ」
「枯れるの怖いです」
「心配するな。私のほうでもいろいろと準備をしておく。……はやく赤ちゃんの顔を見たいんだ。おまえは、見たくないのか?」
 そんな、困ったような顔をされると、俺のほうが困る。
「……見たいです」
「うん。では、がんばろう。愛しているぞ、アキヒコ」
 唇に柔らかい感触。
 いきなりキスされたかと思えば、上機嫌のシェラザードはさっさと中央区のほうに歩いていってしまった。
「惚れた弱みというのは怖い」
 ドキドキしながら歩みを進める。
 なんだか最近、押しに弱いな、俺。いや、もともとか……。
 居住区五番街、《リノティア・バーニングボンバーズ》のパーティールームに直行。
 ボロっちくて薄っぺらいドアを開ける。
 木製の椅子にちょこんと座っているルーティと、ノアル、レミリア。窓際の少し離れたところに置いてあるソファに寝そべっているガゼル。
 パーティーのメンバーはすでにみんな揃っていた。珍しいこともあるもんだ。大抵、ガゼルかレミリアがいないんだけど。
「はい、みんなおはようございます」
「おはようございます、先生」
「おはよー、先生!」
「チッ」
「……おはようございます、先生……」
「うんうん、おはよう。元気な一日は元気な挨拶から始まるからね、これをおろそかにしてはいけないよ」
 なんかひとりだけ挨拶じゃなかった気がするけど、きっと舌打ちに「おはよう」の意味がこめられていたのさ。俺はそう思いたいです。
「さて。さっそくですが、昨日の反省会も含めて、今日の活動を決めていこうと思います。まずご存知の通り、昨日の探索中にメンバーが増えました。しかも忍者です。これは素晴らしいことだよね。みんな、ノアルくんに拍手しよう」
 ぱちぱちぱち。俺とルーティとレミリアが拍手。ガゼルくんガン無視。無表情のノアルくん。
「ノアル、こんなボロっちいパーティールームでごめんね」
「……いえ……あまり気になりません……」
「そう言ってもらえると助かるな。……けど、いつまでもこのレベルの部屋ではいけないよね。せめてルーク、いや、ビショップルームぐらいは確保したい」
 ゆくゆくはナイトとか、クイーンとか。
「せんせー」
「なんだい、レミリアくん?」
「その、ルークとかビショップとか、どういう意味なの?」
 えっ。
 なにやらニコニコしながら質問してきたけど、この子……まさか、そんなことも知らないのか……? ちょっとボケた子だとは認識していたが、これは、想定外の大物なのかもしれん。
「いや、入学式の日とかに説明されたよね? ねっ?」
「わかんない。忘れちゃった」
「ぬう、手ごわい」
 仕方がない。説明するとしよう。
「俺たちのいるパーティールームだけど、これは明確にクラス分けされているんだ。もっとも下級のポーンルーム、《初級者の寝床》。これが最下層。で、ここから始まって、いろんなダンジョンを探索したり、学園の発展に貢献したりすることによって、どんどんパーティーの地位が上がる。それと同時にパーティールームもどんどんレベルアップするのだよ」
 最下層のポーンルーム。そこから順番に、ルークルーム、ビショップルーム、ナイトルーム、クイーンルーム、キングルームと、どんどんレベルアップ。
 レミリアは不思議そうに首をかしげる。
「それって、なにかいいことがあるの?」
「ある。すごくある。ここはポーンルームだからボロっちいけど、上級のナイトとかクイーンの部屋はマジすごい。広いし、風呂とかついてるし、日当たり良好、ベッドとか絨毯とかフカフカで気持ちいいよ」
「すごーい! キングルームは!?」
「もっとすごい。ていうか建物の外側だけならすぐに見えるけどね」
「どこ?」
「ほら、ここのど真ん中にでっかいのがあるでしょ? 一番高くてどこからでも見えるやつ。あれ、丸ごと全部」
「ほええ」
 口をぽかんと開けて驚くレミリア。
 いや、俺も最初は驚いたなー、あれは。
「キングルームは《英雄の神殿》と呼ばれる。あそこに住めるのはただひとつのパーティーだけだ。現役最高峰の、もっとも学園に貢献した連中だけがあそこを使うことを許される。それだけに設備も立地も最高で、上級貴族の邸宅と比べても遜色ないほどなんだ」
「すごい、すごい! 先生は、あそこに住んだことがあるの?」
「あるわけねーだろ。バカか、おまえ」
 そっぽを向いたまま冷たく言ったのは、ガゼルだった。
「あそこに到達できた連中の将来は王都の要職か地方の大領主か、ってところだ。こんなところでショボい用務員なんてやってられるかよ」
「えー? 先生、どうなの?」
「ん、どうだったかなあ……もう八年も前のことだからね、忘れちゃったな」
 語るようなことでもない。
 というか俺の場合、《英雄の神殿》を使っていた《黄金の栄光》に途中参加しただけなので、自慢できるようなことではない。賞賛されるべきは、ゼロの状態からパーティーを立ち上げてあそこまでのし上がったフェアラートだ。どれだけ困難な道のりだったのか想像することすらできない。けど、あいつはそれを成し遂げた。彼女が権力を得るために選んだ手段のほとんどは褒められるようなものではなかったけれど、少なくとも、あいつにはこの学園の最強を名乗ってもいいほどの実力があった。だから《英雄の神殿》、リノティアの頂点に辿り着いた。
 あとからやってきてフェアラートの実績に乗っかっただけの俺が、「俺はあの《英雄の神殿》に住んでいたことがあるんだぜ! 最強パーティーの一員だったんだぜ!」だなんて、そんな恥知らずなこと、言えるはずもない。
 俺はただの用務員、兼、しがない教師だ。それで満足している。
「あ、そういえば、ノアルの以前のパーティーはどの部屋だったの?」
「……ビショップルームです……」
「ふむふむ。じゃあ当面の目標はそこだな。きみら、レベルは高いんだから、ほんとはいまだにポーンルームとかありえないのよ。がんばればいけるよ、ルークとかビショップにも」
「はいっ、先生、しつもーん!」
「お。なんですか、レミリアくん。なんだか元気いいね。やる気が出てきた?」
「うん! あたし、お風呂とか好きだもん! お風呂のある部屋がいいなー」
「そっか、そっか。やる気があるのはいいことだよー。もっと早く言っておけばよかったな、こういうのは。で、質問って?」
「あのね、いろんなお部屋があるのはわかったんだけど、それって、どうすればレベルアップできるの?」
 ああ、なるほど、それをまだ説明していなかったな。
「ポイントを溜めればいいんだよ」
「どうやって?」
「ふむ。いろいろな方法があるね。まず、ダンジョンの探索を進めること。学園が管理しているダンジョンの最下層まで到達できると、そのダンジョンの難易度に応じたポイントが貰える。まだ未開のダンジョンだと、地図を作って学園に提出すればかなりの点数を稼げるよ。あと、メンバーが実習や筆記テストでいい結果を残すとか、行事に参加して活躍してもいい」
「それだけ?」
「いや。まだあるけど、一番手っ取り早いのは、依頼を受注して達成することだね。みんな、生徒会室に行ったことはあるよね?」
 当然、あるはずだ。
 生徒会室は、名前どおり、この学園の生徒たちの自治組織である生徒会の大本営。そこで行われるのは生徒たちと学園側との連絡の橋渡しやら、行事の運営、生徒たちの活動の管理と把握などなど。あと、パーティーのメンバーを入れたり外したりするとき、パーティーのリーダーとそのメンバーが生徒会に顔を出して書類を提出しないといけない。
「で、あの生徒会室の壁一面に張り紙がたくさん張ってあるのは見た?」
「ええ。あれが、どうかしたんですか?」
「あれに依頼の内容を書いてるんだ。依頼するのは生徒とか教師、この学園の関係者だね。内容は、いろいろあるよ。作りたい薬品の素材が足りないから採取してきてくれ、だとか、どうしても倒せない敵がダンジョンに居座ってるから倒してくれ、だとか。たまに行商人の護衛とか、村の近くに住み着いた魔物の駆除だとか、学園の外からの依頼もある。そういう切実なお願い事を生徒会は聞き届けて、内容を審査して、問題ないようなら壁に張るの。そのとき、その依頼を達成できればどれだけ学園に貢献できるか、ってポイントもつけられるわけだね」
 そして、依頼を受ける冒険者たちは、生徒会室の張り紙を眺めて、自分たちで達成できそうだな、と思ったなら、生徒会に依頼の受注を伝えるわけだ。で、見事に依頼達成、クエストをクリアできたなら、依頼者からの報酬と、それとはまた別に、生徒会からポイントが贈られる。
 と、ここまで説明すると、ルーティくんは感心したようにうなずいた。
「それはすごいですね。どれくらいの依頼を達成すれば、ビショップルームに上がれるのでしょうか?」
「んー、たしか五〇〇〇ポイントは必要だったと思う」
「私たちのパーティーが溜めているポイントは?」
「限りなくゼロに近い。きみら、サボりすぎ」
「あぅ」
 そんなしょんぼりするなよ、ルーティ。
「いや、ごめん。ちょっと俺も放任主義すぎたのは認める。ま、実際、落ち込む必要はないと思うよ。何度も言うけど、きみら、レベル高いし才能あるから。ほんとはルークに上がるのも苦労するとこなんだけど、一気にビショップまでいけるかもしれない。とりあえず、いま張り出されてる依頼を見てこようか」
「それと……僕の、メンバーとしての登録も……」
 あ、まだやってなかったんだ?
 そういえば昨日はダンジョンの内部でノアルと出会って、そこで話が纏まっただけであって、今日は今日で朝からここに直行か。生徒会室に行ける余裕なんてなかったのか。
「んじゃ、まずはそれからだな。行くところは同じだし、同時に済ませよう」
 ということで、出発。
 おっと、その前に。
「あ、ごめん。ノアルだけ、ちょっと残って。話があるから」
「……? はい……」
「ルーティたちは先に行っていいよ」
 と、ルーティたちが部屋を出て行ったあと、ノアルとふたりきり。
 この子、静かだなー。
「あのさ、ノアル」
「……はい」
「個人的な話で悪いんだけど。俺さ、いま、付き合ってる女の子がいるのよ。つまり恋人」
「……そうなんですか? ……それが、どうかしましたか……?」
「うん。その子、エルフなんだわ。で、同じエルフのノアルに質問したいんだけど」
 シェラザードはハイエルフだから、厳密に言うとノアルとはまた違う種族なんだけど、おおざっぱに言えばエルフってことで問題ないだろう。
「耳にピアスの穴を開けるって、どういう意味?」
「ぶふうっ」
 あ。なんか口から吹いた。無表情のまま。
「おおっ、知ってるんだ? 彼女からそんなこと言われたんだけどさ、ぶっちゃけ、どういう意味なのかよく分からないんだよね。なに? どういう意味? エルフ特有の暗号とか? 耳にピアスつけるってどういうこと?」
「せ、先生……それは、そんな大きい声で言ってはいけないことですよ……」
 ぼそぼそっ、と囁くように言うノアル。
 なんで顔が真っ赤なんだ、この子。男のくせに色っぽいなー。美形ってすごい。
 で、シェラザードと同じような反応をしているってことは、やはりこの子もあの台詞の意味を知っているということに違いない。
 が、大きい声で言ってはいけない、とは、どういうことか。
「え、なに? ヤバいの?」
「……とても。……あの、先生……エルフにとって、この耳は、種族的な象徴なんです」
「そういや、耳を大切にするよね、エルフって。ピアスとかつけてるの見たことないし」
「……そうです。他人には絶対に触らせませんし……家族や親しい友人ですら……みだりに触れることは許しません……人間の皆さんに分かりやすく例えるなら……性器、かと……」
「うえ゛っ?」
「性器は、とても大切、ですよね……?」
「うん。うん、うん」
「そんな、下品な話では……ありません……が、傷つけるなど、とんでもない……」
「とんでもないんだ?」
「……ですから、ピアスなど、もってのほか……です」
 あわ。
 あわわわわ。
 あの子、そんなとんでもないこと言ってたの!?
「えと、それって、エルフの社会では一般的なプロポーズの台詞だったりする? 聞いたことある?」
「……聞きません……ありえません……想像するだけでも、おぞましいこと……です」
 うわあああああああああああああ。
 なにやってんのシェラザード。おぞましいとか言われてるよ。お姫さまなのに。
「そういうこと言ったら、変態?」
「……ド変態、かと……」
「実行したら?」
「……エルフの社会では、二度と同族扱いされないでしょう……殺されても、やむなしかと」
 な、なんだそりゃ。
 凄まじいぞエルフ族……ピアスつけただけで重罪か。へたに反抗期とか迎えられないだろ、それ。俺のいた世界だと中学生どころか小学生でもピアスつけてたぞ……、まあ、人間の話だが。
「……それだけ、先生が愛されている、証拠……だと、思います」
「そうなん?」
「……あなたのためなら、故郷を捨ててもいい……世界を敵に回してもいい……身も心も捧げる……その覚悟があるからこその、台詞……かと」
 そ、そうだったのかー。
 なんだか、シェラザードの俺への愛の深さを改めて確認できた。
 今夜から、がんばってみようかな、本気で。亜鉛とかたっぷり摂取して。アラサー間近だけど、一万回、挑戦してみようかな。あの子がそれだけ俺を好きでいてくれるなら、俺もそれにちゃんと応えてあげないといけないよね。
「……しかし……ド変態であることには、疑いの余地はありません……」
「まあね」
 二度とああいうこと言わないように、きつく言っておくとしよう。
 嫁さんが近所でも評判の変態ハイエルフです! とか、冗談ではないのである。




 生徒会といっても、この超広大なリノティア学園の生徒たちの顔となる組織なのだから、その規模も権力も桁外れである。
 彼らは、一般の生徒たちから立候補して選挙で当選することによって、生徒会への参加を許される。さらにそれぞれが得意な部門の修行を積み、結果を出すことに成功すれば、書記やら会計といった役職に就けるんだけど、書記だけでも何十人もいて、そこにも序列がきちんと設定されているし、書記の頂点、書記長とか存在する。会長はもちろんひとりだけど、副会長とか十人くらいいたと思う。
 だれも彼もが選ばれたエリートで、本人たちも、そのことに誇りを持って職務にあたっている。若いけど、ちゃんとしたプロ意識を持ちながら仕事をする、すごい奴らだ。
 ただ、生徒会での仕事が忙しすぎるので、いったん生徒会のメンバーになってしまうと、ほとんどダンジョンに潜ることができなくなる。その代わり、一ヶ月ごとに学園から相当な額の給料を貰えるし、専用の豪勢な寮生活を約束されるし、大食堂で食い放題できる無料券が貰えるし、学園中のほとんどあらゆる場所にフリーパスで入れるようになるなど、いろんな特典が用意されているので、選挙に立候補する生徒はあとを絶たない。
 サッカーゲームができそうなほど広い生徒会室。五階建ての建造物の、一階だ。生徒会の活動の場として使われているのが一階と二階。三階から五階までは、生徒会メンバー専用の学生寮としての機能を持つ。
 数え切れないほどの机と椅子が置かれたここでは、生徒会の連中が絶えず忙しそうに走り回り、山と積まれた書類が山脈を作ったり、その書類がぶちまけられて怒号が上がったり、ひたすら紙にペンを走らせる音が永久に続き、そして罵声が上がって机を勢いよく叩く音がする。いつ来てもやかましい場所だ。活気があるとも言う。
 《黄金の栄光》時代にはほとんど来なかった場所だな。むしろ教師になってからのほうがよく足を運ぶようになった。うちのパーティーのために必要な手続きはみんなフェアラートがやっていたし、依頼なんぞほとんど受けたことがなかった。あいつは、そんな暇があるならさっさと新しいダンジョンに、って感じだったし。
 ここには知り合いの生徒もいるから挨拶しときたいんだけど、彼女も忙しいだろうし、俺たちの用事もたいしたことではないし、さっさとやることをすませよう。
 受付の女の子に挨拶。
「こんちは」
「あ、シキムラ先生。こんにちは。なにかご用ですか?」
「うん。うちのパーティーに新しいメンバーを加えたいのよ。ノアルくんっていうんだけど」
「分かりました。では、こちらの書類に、パーティーのリーダーと、ノアルさん本人の署名をお願いします」
 テキパキとした様子で書類とペンを取り出し、受付の机の上に広げてみせる女の子。
 ずらりと机が並んだ受付だけでも、十人くらいの生徒会メンバーが働いている。
 手続きは簡単なもので、すぐに終わった。冒険者のパーティーっていうのはけっこう頻繁にメンバーが入れ替わることも珍しくないので、そんなに複雑な手続きなど誰も歓迎しないからね。すぐに終わらせられるように簡略化されているのだ。
 この手続きをしておかないと、ちゃんとパーティーのメンバーとして数えられないし、本人の評価にも繋がらないからね、大事だよ。
「さて、ありがと。依頼を見てくるわ」
「はい。また来てくださいね、先生」
 ひらひらと手を振って受付の女の子と別れる。あちらも小さく手を振って、笑顔で送り出してくれた。将来はいいお嫁さんになれそうな子だ。
「むぅ」
「どしたの、ルーティくん」
「いえ。なんでもありません」
「……? さて、あそこの壁にびっしり張られてるのが、お待ちかねの依頼です」
 ほんとに壁一面、びっしりと張られている。
 でっかい壁の一面を大学ノート一ページくらいの大きさの紙が埋め尽くしているというのは、はっきり言って、異様な光景です。キモい。あれ一枚ずつ、それぞれすべて違う内容の依頼である。どんだけ溜め込んでいるんだろう。
 依頼者はさっきの受付に顔を出し、用紙をもらってそこに依頼内容とメッセージ、用意した報酬を書き記し、提出する。すると生徒会がその内容を審査して、この依頼ならば達成するとどれだけポイントを与えられるかってところを吟味した上で、最終的にあの壁に張るのだ。
「すごい数ですね」
「上のほうにあるのは、どうやって見ればいいの?」
「横のほうに脚立あるでしょ、ほら、あの馬鹿でかいの。あれ使うんだよ」
「え、やだ。あたし高いところ嫌いだよ」
「……では、僕が……」
 天井まで十メートルくらいある。脚立の高さもそれくらいだ。身軽な忍者であるノアルなら、簡単だろう。
 お願いすれば生徒会の連中が代わりに取ってくれるんだけどね。でも自分たちで目を通したほうが手っ取り早い。
「さて、達成できそうで、しかもなるべく報酬やポイントが美味しいやつを探そうか」
「依頼によって、貰えるポイントにも差がありますか?」
「もちろん。当然、だれにでもできる簡単な依頼ではちょっとのポイントしか貰えないけど、難しい依頼だとたくさん貰えるよ。みんな、手分けして依頼を探してきてくれないかな。そしたら、俺がその中からちょうどいいのを選んであげる。今回だけね。次からは自分たちで見つけるんだぞ」
 てなわけで、依頼の捜索が始まった。
 高いところにある張り紙を、脚立に乗ったノアルが見る。
 目線の高さにあるものを、ルーティとレミリアが。
 低いところにあるのは、ガゼルが。
 で、俺は、端っこのほうでうろうろ。ないかなー、ちょうどいいの。
 俺たちのほかにもいろんなパーティーの連中が依頼を探しに来ていて、いいものはすぐに受注されてしまう。基本的に、ひとつの依頼を一度に受注できるのは一組のパーティーだけなので、条件のいいものは早い者勝ちだ。なるべく早く探さないと。
 ずいぶんと古い依頼もある。
 だれからも発見されず、新しい依頼を上から張られてしまって、そのまま埋もれてしまったのだろう。
 ……おや? これは?
 俺は一枚の、古くて黄ばんだ依頼用紙を見つけた。
『腕っ節に自慢のある連中、大募集! 俺は喧嘩が大好きなんだが、最近はどうも胸を熱くさせる相手がいなくてつまらねえ! てなわけで喧嘩の相手を募集するぜ! 人間だろうがドワーフだろうが、種族なんてどうでもいい! 人数も関係ねえっ! その腕っ節で俺を熱くさせれば依頼達成、報酬は金貨三百枚だ! じゃあな、闘技場で待ってるぜ!』
 依頼者、ウィルダネス・ドストロイ。達成によって贈呈されるポイントは七〇〇〇〇点、か。大型の竜種の討伐に匹敵するポイントだな。ちなみに普通の人間なら金貨一枚で一ヶ月くらい遊んで暮らせる。
 なにやってたんだ、あいつ……。
 そういえば、一時期、闘技場でそわそわしてたなあ。やがて目に見えてガッカリしてたけど。これの相手を待っていたのか。
 だれも来ないよ。だれも死にたくないだろうし。
 俺はその張り紙をそのままにしておくことにして、新たな依頼捜索を再開した。
 で、二十分が経過。そろそろ、いいだろう。
「はい、集合」
 ぞろぞろ集まってくるバーニングボンバーズ。
「みんな、これは! と思う依頼を見つけられたかな? では先生が選び抜いてみせますので提出してください」
 えーと、ルーティは五枚、レミリアは七枚、ガゼルは二枚、ノアルは四枚か。
 一通り、目を通す。
「ふむふむ。……んー、ルーティはなかなかいいのを選んでくるね。この魔物の討伐は報酬もポイントもそれなりだ。でももうちょっとランクを上げても大丈夫だよ。レミリアはちょっと簡単なのを選びすぎかな。キノコ採集はもっとレベルの低い子たちがやるものだし。ガゼルは無謀すぎる。きみらでは《梯子山脈》の火吹き竜とか絶対に倒せないから。もう一枚のほう、《コーゴ大洞窟》のフロストジャイアント、遭遇した瞬間に凍え死ぬよ。……おっ、ノアルの持ってきた依頼はいい感じじゃない?」
 《暗黒の洞窟》に住み着いたクイーン・アントの討伐、か。クイーン・アントは、ジャイアント・アントという名の蟻たちを統括する女王蟻だ。その名の通りの巨大な蟻たちだけど、性格は極めて獰猛、強力な顎で人間を甲冑ごと食いちぎるし、うじゃうじゃと群れて襲いかかってくるし、女王の指揮下で抜群のチームワークを駆使し、非常に高度な戦術を展開するので、ただの蟻だと侮っていては簡単に返り討ちにあう。
 そいつらが《暗黒の洞窟》というダンジョンに巣を作り、探索しているパーティーにとってとてつもなく凶悪な邪魔になっているので、やっつけてほしいという依頼なのだ。クイーンを失えばジャイアント・アントたちは烏合の集と成り果てる。それからならば、どうとでも料理できるだろう。だから、群れそのものの殲滅ではなく、クイーン・アントの討伐依頼なのだ。
 依頼者は、《暗黒の洞窟》を攻略中のパーティーのリーダーたち数名。報酬は金貨十枚と、何冊かの魔道書や数種類の薬草などの詰め合わせ。依頼達成によって貰えるポイントは、五〇〇〇点。
「こいつを達成できれば、一気にビショップルームに行けるな」
「ほんと? すごーい!」
「……んー、ただ、四人ではちょっと厳しいかもしれない。クイーン・アントって、レベルにすれば二五〇から三〇〇くらいの強さだったはずだよ。いまのきみら四人なら大丈夫だとは思うんだけど、もうちょっと確実にいきたいかなあ」
 まさか担当官であるこの俺が、この子たちを絶体絶命の死地に追いやるわけにはいかない。ちゃんとこの子たちの実力に見合った依頼を見つけてあげないと。
 いまの《リノティア・バーニングボンバーズ》の戦力なら、ルーティのスケルトン軍団で蟻どもを制圧し、レミリアの呪歌で全員の能力を底上げして、ガゼルとノアルの攻撃でクイーン・アントを仕留めることは、たぶん、可能だ。
 けど、ダンジョンの内部では、なにが起こるのかまったく予測が不可能。
 ふとしたことで大怪我をしてしまうことや、予想外の強敵が現れて全滅の危機に直面することも、よくあることだ。
 やっぱりメンバーが足りない。回復役がいないことには、この子たちを送り出して安心できる気がしない。われながら過保護だとは思うけど、生徒というのはものすごくかわいいので仕方がないのだ。
「僧侶とか欲しいよね、やっぱり。司祭とか。回復魔法を使える子が」
「こだわりますね」
「いやいや、当然だよ、ルーティくん。きみら、ダンジョンの奥で怪我とかしたらどうすんの? 傷を治療してくれるメンバーは必須なんだよ、マジで」
 そんなメンバーさえいたなら、この依頼で決定なんだけどなあ。
 惜しいなあ……。
 でも、仕方がないな。
 ルーティが持ってきた、もうちょっと簡単なほうの討伐依頼にしておこう。数をこなせば五〇〇〇点くらい、すぐに溜まるだろうし。
 生徒会室のはるか向こうのほうでズドーンという音がしたのは、そのときだった。
「せんせーっ! アキヒコ・シキムラ先生――!」
 うん?
 この聞き覚えのありすぎる、生徒会室を丸ごと震わせるほどの大きな声は?
 百メートルほど彼方で、書類の山脈が吹っ飛んだ。大勢の生徒たちから絶望の悲鳴と怒号が上がる。
 舞い散る紙ふぶきを背景にして仁王立ちしているのは、俺のよく知る女子生徒だった。
 長身の、ありえないくらいわがままなボンキュボンスタイルを、リノティア指定の白い制服で包み込み、短いスカートの下から真っ白い脚が長く伸びている。
 髪型は、いわゆるドリル。黄金のような色艶を放つ髪の毛を腰に届くほど伸ばし、何本もの縦ロールにして背中に垂らしている。手入れにものすごく手間がかかりそう。後頭部を大きな青いリボンが飾っている。
 吊り上がり気味の大きな瞳には光り輝くような意思が満ちていて、口元は不敵にほほ笑み、女帝のような貫禄を感じさせる。ちょっと威圧感のある容姿だが、凄まじい美人であることに間違いはない。
 彼女の名は、エストレア・ブレイブハート。
「先生。彼女は何者ですか?」
「ん、一年前まで俺が担当してたパーティーのメンバー」
「先生ッ! いますぐそちらに行きますわ!」
 えっ。
 と思ったときにはすでに遅く、エストレアは床を蹴って跳躍していた。
 百メートルの距離、俺たちと彼女たちのあいだに置かれていた机や椅子などをすべて軽やかに飛び越え、たっぷり三秒ほどかけて、エストレアは見事に俺の眼前へと豪快に着地した。
 ものすごい音と振動が、足元を揺るがす。
 爆乳が、物理法則にしたがって大きく上下に運動。全身の筋肉をバネにして着地の衝撃を完全に吸収したのだろう、軽く身を屈めた状態から背筋を伸ばすエストレアは、いまの常識外れのジャンプを見せたあとだというのにバランスを崩した様子さえ見せない。相変わらず圧倒的な身体能力の持ち主だ。
 エストレアは俺を見下ろし、満面の笑みを見せる。
「お久しぶりですわね、先生! こちらにいらしていたのでしたら、お声をかけてくださればよかったのに!」
「ああ、ごめん。忙しいだろうから、わざわざ呼び止めるのもどうかと思ったんだ」
 俺は、かなり高い位置にあるエストレアの顔を見上げた。
 ――エストレア・ブレイブハート。身長、三メートル七十センチ。花も恥らう十六歳、巨人族の女の子である。



[9648] 第九話
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/05/19 16:34
「みんな初対面だよね? この子はエストレア・ブレイブハート。見ての通りの巨人族で、ルーティやレミリアと同い年だ。一年前まで俺が担当官だったパーティーのメンバーで、いまは生徒会の副会長のひとり。エストレア、この子たちは俺がいま担当しているパーティーのメンバーだ。そこの人間の女の子がルーティで、獣人族の子がレミリア。ダークエルフのガゼルと、エルフのノアル」
「みなさん始めまして! わたくし、エストレアと申しますの! シキムラ先生にはたいへんお世話になりましたわ! 以後、どうぞお見知りおきを願いますわね!」
 両手を腰に当てて、大きな声で名乗るエストレア。
 バーニングボンバーズもそれぞれ挨拶をして、俺たちの自己紹介は終わった。
「それにしても、先生! 三ヶ月ぶりにお会いできて嬉しいですわ! こちらにはどういったご用件で!?」
「うん、ちょっと依頼でも受注して、パーティールームのレベルを上げたくてね。俺たちのいまいるパーティールームって、ポーンルームなのよ。せめてビショップには上がっておきたいなぁ、と」
「まあ! そうでしたの! そうですわね、ポーンルームはいけませんわ! わたくし、あの狭苦しい部屋だけはどうにも好きになれませんでしたわ! それに、ネズミや黒い虫もたくさん現れますし! 思い返すだけでも忌々しい! わたくし、不衛生な場所は大嫌いなんですの!」
「はっはっは。だよねー、エストはネズミとか出ると本気でビビッてたもんな」
「せっ、先生! そんなことはありませんわ! わたくし、ネズミを怖がってなどおりませんわよ! ただ不衛生だから嫌いなだけで、怖いわけなどあるはずがございません! ええ、そうですとも! あんな小動物、どうして恐れる必要があるのでしょう!」
 顔を赤く染めて講義するエストレアだったけど、この巨娘が小さなネズミを相手に本気で泣きながら逃げ回ってパーティールームを全壊状態にしたという事件は、当時のメンバーたちなら誰もが知るところだ。
「……で? なんの用なんだよ、デカ女?」
 不機嫌そうに顔をしかめたガゼルが言う。
 エストレアはきょとんと目を丸くした。
「デカ女?」
「デカブツ女って意味だよ、馬鹿が。さっきからくそデカい声でキンキン喚きやがって、うるさくてたまらねぇ」
 ああ、やっちまった。
 次の瞬間、エストレアの左脚が大きく持ち上がって、足の裏がほぼ垂直に天を向いた。パンツ丸見え。
 直後、神速で振り下ろされる、かかと落とし。綺麗な弧を描いたそれはガゼルの鼻先をわずかに掠り、床に直撃し、派手な音と共に木材を散らす。
「……女性巨人族の平均身長を五十センチしか上回っていませんわよ、おチビさん」
 絶対零度の視線で見下ろしながら、エストレアは言う。
 いまの攻撃に、まったく反応できなかったガゼルは、驚きに目を見開き、脂汗を垂らしている。鼻の頭から血が流れていた。
 ま、エストレアがわざと外していなければ確実に即死、彼の全身が原型を留めない挽き肉に成り果てていたことは疑いの余地もないので、無理もない。鍛え上げた巨人族の肉体は、それそのものが凶悪な鈍器であり刃物だ。とくにエストレアの美脚は二メートル以上のリーチを誇り、それによって繰り出される蹴り技は、竜族が振り回す尻尾のようなものだ。当たれば肉が爆ぜて骨が砕けて死に至る。
 ……エストレアに身長の話は禁句だ。
 巨人族というのはその名の通りの巨人の種族。
 人間よりもずっと体格がよくて馬鹿力の持ち主だと思っていれば問題はない。
 ほとんどの巨人族の身長は三メートルを越し、男性の平均身長は三メートル五十センチ、女性の平均身長は三メートル二十センチくらいだと言われる。俺の昔の仲間、ウィルダネスは、ちょうど平均くらいの身長だったわけだ。
 そういうわけで普通は男よりも女のほうが背が低く、そこらへんは俺たち人間と変わらないんだが、まあ、人間にもよくあることのように、エストレアは他人よりもちょっと背が高く成長するように生まれてきた。人間の女性に換算すると、だいたい一九〇センチくらいの身長らしい。
 巨人族の中で生きるだけなら、きっと問題はなかった。強さを求め、おのれを鍛え続けて一生を終える巨人族にとって、恵まれた体格はもっとも喜ぶべきことのひとつ。女性であってもそれは変わらない。
 幼いころから図抜けた体格によって活躍し、多くの賞賛を浴び、名誉を勝ち取り、そこに誇りを持っていたエストレアは、当然、巨人族社会から旅に出てこの学園にやってきてからも、それを活かして頑張っていた。
 けど、彼女の獅子奮迅の戦いぶりを見て、憧れや信頼ではなく、どす黒い妬みや恐れを抱く連中が現れた。
 エストレアに対するいじめが始まった。
 その当時のことは、俺がまだ担当官ではなかったころのことなのでよく知らないが、とにかく苛烈で、陰湿、言葉にすることもできないほど酷いものであったらしい。
 とくに、身長に対する言葉の暴力は、凄まじかったのだそうだ。
 いままで自分の体格について誇りを持ち、それを素晴らしいことだと信じていたエストレアにとって、彼らに馬鹿にされることはとても信じられないことだったし、著しくアイデンティティーを傷つけられる事態だった。
 正直な話、三メートル以上も身長のある連中が五十センチ高かろうが低かろうが、人間にとってはさほど変わったようには思えない。ただの、幼稚な難癖をつける理由のひとつにすぎなかったのだろう。けど、エストレア自身は、そうは思えなかった。
 俺が最初に出会ったときのエストレアは、それはもう、酷い状態だった。
 心も身体もズタボロにされ、だれも信じられなくなり、ヒステリックな言動を繰り返した。ついにはパーティーのメンバーたちや担当官さえも彼女を見放し、だれも彼女を助けようとはせず、エストレアはいつ自分の命を自分で絶ってもおかしくない状態だったのだ。
 そこからなんとかして新しいパーティーのメンバーに加えて、必死に手を尽くして立ち直らせて、いまのように元気なエストレアが復活したんだけど、やっぱり過去のことはトラウマになっているみたいで、いまだに身長の話をすると凄まじく怒る。
 俺はガゼルとエストレアの中間を遮るようにして立ち、頭を下げた。
「ごめん、エスト。ガゼルには、その、おまえのことを話してないんだ。だから言っていいことと悪いことの区別がついてない。俺のせいだ。すまん」
「お、お顔をお上げになってくださいまし、先生。あなたが謝るようなことではございませんわ」
 慌てたように言う、エストレア。
 よかった、なんとか殺戮ショーが始まることは防げたようなので、一安心。この子がその気になれば、ガゼルを素手で解体するのに五秒もかからない。
「ま、まあ、わたくしも少し声を大きくしすぎたことは認めますわ。なにせ久しぶりに先生とお会いできたものですから、ちょっと興奮してしまいましたの。ごめんなさいましね、おチビさん」
「……クソが。馬鹿力の化け物め、さっきのはテメェの卑怯な不意打ちだ。勝ったと思うんじゃねーぞ」
「あら! 化け物というのは褒め言葉ですわ! レディに対して使うのはどうかと思いますけど、わたくしは女である以前に誇り高き巨人族ですもの。強さを言葉で表現する方法としての化け物呼ばわりなら、大歓迎ですことよ!」
 オーッホッホッホ、と、手の甲を口元に当てて高笑いを上げるエストレア。
 鼻の頭から流れる血を拳で拭いながら、ギリギリと歯軋りするガゼル。
 俺は肩を落としながら、ため息をついた。
「はいはい、そこまでー。喧嘩はやめてください、お願いします。……んで、エストレア、最近の調子はどう? 副会長の仕事はたいへん?」
「ええ、とても。たまに会長を撲殺したくなりますし。ですが、やりがいのあるお仕事ですわよ。人を使うことにも慣れてまいりましたの。これも先生のご指導の賜物ですわ」
「エストはいい子だなー。最近ちょっと忙しくて会いにこられなかったけど、元気そうで安心したよ」
「うふふっ。先生こそ。お元気そうでなによりですわ。……ところで、受注される依頼は、もうお決まりになりましたの?」
「それが、まだなんだよね。候補はあるんだけど。この、クイーン・アントの討伐。でも、うちのパーティーの戦力が、ちょっと心許なくてね」
「それはいったい?」
「ぶっちゃけ回復役のメンバーが足りません。この子ら、屍霊術士と剣士、吟遊詩人と忍者なのよ。万が一のことを考えると、回復の手段もなしにダンジョンに送り込むわけにはいかなくて」
 いまから僧侶とか司祭とかの子を募集しても、新メンバーを確保したころには、この依頼、すでにどこかのパーティーが受注してしまっているだろうしなあ。けっこう美味しい依頼だし。
「なもんで、とりあえず今日のところはもっと簡単な依頼を受けることにしました」
「あら、先生。それはいけませんわ。ぜひ、その依頼をお受けになってくださいな」
「えっ。いや、メンバーが」
「――はぁ。先生、わたくし、ちょっとがっかりいたしましたわ。あなたの前に立っている女は何者ですの? それとも、わたくしの職業なんて、もうお忘れになってしまわれたのかしら?」
「……マジ? メンバーになってくれるの? 生徒会は?」
「ご心配には及びませんわ。――セバスチャン、カモン!」
 優美な仕草で、パチン、と指を鳴らすエストレア。
 すると、どこからともなく、するすると滑るような動きで、ひとりの男子生徒が現れて、エストレアの背後に立った。影のように目立たない、特徴のない顔立ちの男の子だ。
「お呼びでしょうか、副会長」
「わたくし、こちらのパーティーに参加することにいたしましたの。しばらく生徒会はお休みさせていただくわ」
「左様でございますか。では準備をいたします」
「ええ、お願い。……ごめんなさいね、迷惑をかけて」
「いいえ、副会長。あなたが理由もなくそんなことを言い出すような女性ではないということは、だれもが知っていますよ。それでは、失礼いたします」
 と、恭しく一礼すると、セバスチャンなる男子生徒会メンバーは、またしてもするすると滑るような歩みで去っていった。むう、隙のない動き。かなりの使い手と見た。
「そういうことでよろしいですわね、会長!?」
「あーい。好きにやりな。半年は帰ってこなくてもかまわんよ」
 エストレアの大音声に、はるか彼方から応える少年の声。……投棄されたみたく積みあがってる書類の山岳から、腕が一本だけ突き出ていて、ひらひらと振られていた。あれが現役の生徒会長か。まともに会話したことはないけど、奇天烈な変態にしてバリバリのやり手だと聞いている。
「――というわけで、会長の許可も得ましたし、わたくし、あなたがたの仲間に加えていただこうと思いますの! よろしいかしら!?」
「ルーティ、どう? 結局、ルーティがリーダーだから、決めるのはおまえだよ」
 しばらく考え込む様子を見せてから、ルーティはエストレアを見上げた。
「あなたの職業は?」
「聖騎士ですわ。回復魔法を使い、分厚い重装備に身を包み、あらゆる職業の中でも特に高い防御力を誇ることは、ご存知でして? 失礼ながら、あなたがたのパーティーには防御力が足りないと思いますの。先生と同じ意見ですわね。たしかに攻撃力は申し分なさそうですけれど、それでは万が一のことがあった場合、簡単にパーティーが瓦解してしまいますわ。ですから、わたくしという鉄壁の盾を仲間に入れることは、とってもプラスに働くでしょうね」
「……あまりにも正論。断る理由はないわね。むしろ話がうますぎて困惑しているわ。どうやらあなたのほうが私よりもずっとレベルが上のようだけど、私がリーダーのままでも構わないかしら?」
「もちろんですわ。わたくし、大恩あるシキムラ先生にご恩返しをしたいだけですもの。だれがパーティーのリーダーであるかなんて些細なことですわ。それに、見たところ、あなたはとても切れ者のようですし、問題ないでしょう」
 そこで、話は纏まったようだ。
 ルーティとエストレアはほほ笑みあう。小さな手と大きな手が、しっかりと握手を交わした。
「ようこそ、《リノティア・バーニングボンバーズ》へ」
「まあ、素敵なお名前!」
「やっぱり分かる!?」
「ええ。燃え上がる情熱を感じますわ」
「……雪原に咲いた一輪の花なのに……」
「は?」
「……なんでもないわ」
 いやあ、そのセンスはなかなか理解されないと思うよ、ルーティくん。
 で、レミリアやノアルも異論はないようだし、エストレアは新たなメンバーとして歓迎された。ガゼルはやっぱり不満げだったけど、多数決には逆らえない。
 うーむ、俺はつくづく幸運だ。
 ホッとして胸を撫で下ろす。
「よかったー。これでクイーン・アントの討伐依頼を受注しても大丈夫だね。エストが仲間になってくれたなら心配なんていらないよ。ありがとね」
「とんでもございませんわ、先生。それに、わたくし、最近は机に向かってばかりで体が鈍ってしまいそうでしたから、鍛え直すためのちょうどいいチャンスだと思っておりますのよ。……あ、そうそう、わたくし、副会長のお仕事を辞したわけではありませんので、生徒会に戻らなければいけないこともあるかもしれませんの。ですがもちろんパーティーのメンバーとしての役割を片手間に済ませたり、疎かにすることはございませんので、ご心配なく。わたくし、どんなことにも全力投球、完全燃焼がモットーですの!」
 《リノティア・バーニングボンバーズ》五人目のメンバー、エストレア・ブレイブハート。
 元気いっぱいの巨大なお嬢さまは、こうして俺たちの仲間となった。
 で、場所を移して、パーティールームへ。
「狭いですわー。嫌ですわー。窮屈ですわー」
 巨娘エストレアは、部屋の隅っこのほうでめそめそしながら膝を抱えて体育座りをしている。まあ、身長三メートル七十センチの子には、このあばら家は狭苦しすぎるよなあ。見た目よりもはるかに体重があるから、床が悲鳴を上げまくってるし。
「んじゃ、エストレアのためにも、クイーン・アントを倒してビショップルームを確保しないとね」
「あそこは好きですわー。広いですし、天井も高いですものー」
 さっき、ドアから室内に入るのにも難儀していたからなあ。四つん這いになってようやくどうにか部屋に入れたわけだし。立ち上がると天井に頭をぶつけるので、座りっぱなしだ。
「さて。では、さっそくミーティングを始めます。いいかな、ルーティくん?」
「はい」
「今回の依頼内容は、《暗黒の洞窟》に巣を作ったクイーン・アントの討伐だ。受注したので、生徒会が詳細な情報を教えてくれた。これを見てくれ」
 《暗黒の洞窟》の大きな地図を、画鋲を使って壁に張りつける。
「問題のクイーン・アントが生息しているとの目撃情報があったのは、《暗黒の洞窟》の地下十二階。このダンジョンの最下層は地下二十二階だから、だいたい半ばあたりかな。地下十階から十二階まで、現在、ジャイアント・アントが大量発生しているらしい。こいつらは階層を越えてどんどん縄張りを拡大していて、放置しておけばもっと上の階まで進出してくるかもしれない」
「あまり勢力の広がっていない今こそが、クイーン・アントを叩く好機だということですか?」
「だね。さっさと潰しておかないと手がつけられなくなる。ちゃっちゃと潜って、ちゃっちゃと倒そう。大丈夫、きみたちなら出来る」
 昆虫系の魔物の増殖力は脅威だからね。虫だからと侮っていると死ねる。対処を間違えてはいけないのだ。
「クイーン・アントだけど、ガゼルとノアルが本気で戦えば勝てると思うよ。でも相手は女王蟻だ。兵隊蟻が必死で守ろうとしてくるよ」
「ほえ? 蟻さん、たくさん来るの?」
「来る。マジで来る。めちゃくちゃ来る。俺も一度か二度は戦ったことあるけど、ものすごいことになった。甘く考えてたらびっくりするよ。あいつら手加減とかしないから。数の暴力の凄まじさを思い知ることになると思うよ。そこでルーティの出番です」
 ビシッ、と、ルーティを指差す。
「私、ですか」
「そう。数には数で対抗しなさい。ただし相手は半端な数じゃないぞ。いけるか?」
「ええ、問題ありません。マスター・ゾルディアスと、あなたの名前を汚すわけにはいきませんから」
 ちょっと不敵な笑みを浮かべてみせる、ルーティ。
 かっこいい。
 クールだわ、この子。思わず見惚れそう。
「うん、いい返事。レミリアは呪歌でサポート。エストはルーティとレミリアを守ってあげて。あ、言い忘れたけど、この戦い、ルーティが倒れると全員が死にます。運がよければ逃げ出せるかもね。でも脚とか腕とか食われてなくなるだろうなあ」
 地図を、指で叩く。
 それから、メンバー全員を見渡す。
「だから。本気で。遊びじゃなくなる。油断すると、死ぬ。失敗しても、死ぬ。相手は、本気で、殺しにくる。だから、ぶっ殺さないと、死ぬ。――そこを分かってくれるなら、きみらが負ける要素はないよ。がんばって依頼を達成しておいで。待ってるから」
 こいつらにとって記念すべき最初の依頼達成。
 そしたら、俺の財布をことさら薄っぺらくする覚悟で、なにか美味しい食事でも奢ってやろうじゃないか。
「さーて、では、《暗黒の洞窟》に潜るのは明日にするとして、いまから簡単なダンジョンにでも行ってくるといいよ。ノアルとエストは参加したばかりだ。メンバーが全員、お互いの力量を知っておく必要があると思う。でないとチームワークとか無理だからね」
「わかりましたわ、先生。では、さっそく装備を取ってまいりますわ」
 元気よく返事をしたエストレアが、四つん這いでドアから出て行く。
「うんしょー、うんしょー、きついですわー」
 デカ尻を包むパンツが丸見えなんですけど。
 本人が気にしていないなら、まあ、いいけどさ……。
「場所は、そうだな、昨日も行った《ロイソス山岳遺跡》がいいだろうね。エストレア、あそこに繋がる大転移装置の前で待ち合わせしよう。さすがに俺はもうついて行かないけどね」
「わかりましたわー。うんしょー」
 ようやく、つっかえていた尻が抜けたらしい。勢いよく外に飛び出したエストレアは、「やっぱりお外は開放的で気持ちいいですわ! のびのびできますわ!」などと喜んでいる。
「元気のいい子でしょ。仲良くしてやってね、頼りになる子だから」
「うん! なんだか楽しいよね、エストちゃんって!」
 だね。なんか、きみと似たような匂いがするよね、レミリアくん。
「……優秀なメンバーが増えるのは……いいことだと、思います……」
 まさにその通り。ひたすらクールだな、ノアルくん。ただ、もうちょっと感情的になってもいいと思う。ま、どんなときでも冷静でいられる人材というのは非常に貴重だ。
「どうでもいい」
 どうでもよくないです。明日は本当にお願いしますよ、ガゼル。
 などなど、メンバーたちがそれぞれの思うことを口にしながら、エストレアに続いて外に出て行く。
 ルーティだけが、なぜか部屋に残った。俺と二人きり。
「どしたん?」
「先生。思えば今回の依頼が、初めての冒険になるような気がします」
 と、いつになく真剣な表情で言う、ルーティ。俺をまっすぐに見つめてくる。
「前回はあなたのお仕事について歩いただけでしたし、今までのパーティーの活動は、ほとんどどうしようもない失敗ばかりでした。でも、今回は違う。成功する予感がありますし、成功させたいという気持ちも強い。こんなことは初めてです」
「いいことだよ。それは、いいことだ」
 なんというか、できる女の眼になったな、ルーティ。
 五年前から、本当の娘か妹のように思っていた少女が、こういう眼をするようになる日がやってくるとは。嬉しいやら、寂しいやら。
「ですから、先生。絶対に失敗しないように、やっておきたいことがあるんです」
「ん?」
「お願いです。……を、……います……を……ください」
「え? なんだって?」
 聞き取りにくい。
 そんな小さな声で喋られても分からん。
「ですから、……を、……、私に……を、ください」
「いや、聞こえないって」
「もう。耳が遠いんですか、先生? これが最後です、もう言いませんからよく聞いてくださいね」
 はいはい、しょうがないなー、もう。
 どういうことなの、もう?
 恥ずかしいことでも言おうとしてるのか?
 なにやら大事なお願いのようだし、ちゃんと聞いてやるか。
 ちょっと身を屈めて、ルーティの声がよく聞こえるように、その顔の近くに耳を寄せようとした。
 そのとき、凄まじい速度でルーティの腕が伸びて俺の首に絡みつき、いきなり前方への荷重がものすごいことになったので前のめりに倒れてしまった。ルーティを下敷きにして。
 とっさに、床に両手をついて身体を支える。
 唇に柔らかい感触が激突。
 熱くて濡れたものが、歯と歯の隙間を突破して、俺の口の中に進入してくる。ルーティの舌だ、と気づいたときには、すでに手遅れだった。
 ルーティは俺の首に絡めた腕の力をますます強めて、がっちりと抱きしめ、さらには脚を俺の腰に回してホールドを完了させていた。
 ……なにがなにやら。気が動転する。
 教師と教え子で、こんなこと。いや、父親と娘というか、兄と妹というか。じゃなくて。いやしかし。
 結局、かなりの長い時間――たぶん二分か三分くらいだと思う――俺はルーティから濃厚なディープキスをされたまま、どうすればいいのかも分からずに、そのままだった。
 この子、めちゃくちゃキスが上手い。俺の口の中をめちゃくちゃに蹂躙する舌は、ちょっと油断すれば俺の意識を甘く溶かす。どこでこんなテクニックを覚えたんだ。
 やがて。
 さすがに息が苦しくなったのか、ルーティはようやく俺から唇を離してくれた。
 荒い呼吸を繰り返すルーティの双眸は、蕩けたような色を放ち、恍惚としている。頬が紅潮していて色っぽい。どこか呆けたような表情。とはいえ、俺の身体をホールドしている腕と脚の力はぜんぜんゆるんでいなかったが。
「ふふっ。なにが言いたかったのか、教えてあげますね。――あなたを愛しています。勇気を、私にください。ですよ」
「ルーティ。いいから離しなさい」
「なんですか、その言い草は。つれないですね。せっかく私のファーストキスをさしあげたのに」
「……初めてだったのか。それにしては」
「上手いものでしたか? サクランボで練習しました。ヘタをね、口の中で結ぶんです」
「ああ、知ってる。俺もやったことあるわ。できなかったけど」
「そうなんですか? すごく気持ちよかったですよ、今の。……やっぱり愛する男性が相手だから、でしょうね。ふふ」
 間近で微笑を浮かべるルーティの仕草が、とてつもなく妖艶に見える。
 あ、ヤバい。これは、雰囲気に流されかねない。いかん。
「とにかく、離れなさい。この腕と脚、解いてくれ」
「どうしてですか?」
「……分かってくれよ、ルーティ。もう何度も言ったと思うけど、おまえのことは妹みたいにしか見れないし、しかも生徒だ。教え子に手を出すのは俺には無理だ。できない。つーか、俺にはシェラちゃんがいるのを知ってるでしょ」
「ええ。でも、関係ありません。私は、あなたにとっての大切な人間になりたいんです。べつにあなたとウォーティンハイム先生の仲を引き裂こうと思っているわけではありません。なんなら私は愛人という形でも満足しますよ。ちゃんと愛していただけるのであれば」
「愛してるさ。今でも」
「今は、ただの妹? それとも娘? まさか教え子? ――冗談じゃありません。私はそんなので満足したくない。もっと、むちゃくちゃで、どろどろで、蕩けて爛れるような、強い愛が欲しいの。……私は、あなたの、特別な人間になりたい」
 狂おしい光を瞳に宿して、ルーティは言う。
 俺は。
「すまない」
 俺は、謝ることしか、できない。
「いつもそれですね、先生は。すまない。許してくれ。そればっかり。――五年前も」
 そうだな。
 その通りだ。
「あのとき、私は言ったはずですよ。私を殺せ、って。父と同じく私も殺して欲しい、と。そうしたらあなたはなんて言いましたっけ?」
「……すまない」
「そう。それですよ、先生。……そして私はこう言いました。殺さないと後悔することになるわよ、ってね。どうですか? こんなことになって、後悔していますか?」
「いいや」
 それは、ない。
 俺にとって、ルーティは、大切な家族も同然の少女だ。あれからいろいろとあって、俺とルーティが共有する思い出も増えた。楽しいことがたくさんで、嬉しいこともたくさんあった。だから、後悔など、するはずがない。
「そう。よかった。私もです。私も、あのとき殺されなかったことを嬉しく思っています。だって、こんなにも愛することのできる人を、見つけることができましたから」
「……無理だよ。恋人とか、そういうのにはなれない。おまえは俺にとって、ただの、大事な教え子だ」
「おちんちん、大きくなってますよ、先生」
 耳元で、熱い声を囁かれた。
 同時に、ルーティの白くて繊細な指先が、俺の股間のあたりに触れてくる。いつの間にか、首に回っていた腕の片方が解かれていた。
 ズキズキと胸が痛んで苦しくなる。
 そんな俺の苦悶の表情を見つめて、ルーティは心底から愉快そうだった。
「欲情したんですね? いけないんだぁ。私はあなたの、なんでしたっけ? 妹ですよね。娘ですよね。教え子ですよね。そんな私を相手に欲情するだなんて……最低ですね、先生は」
 いや、これは、無理もないことだと思うんだが。
 あんなドロドロとしたディープキスなんてされたら、普通、だれだってこうなる。
 とかなんとか言い訳するのを、ルーティが許してくれるはずもなく。
「でも安心してください。私も最低ですから。兄で、父で、教師であるあなたに、欲情しています。蕩けて溢れ出そうなほど。――証拠を見ますか? 触りますか? それとも、」
 犯しますか?
 と、ルーティが言った瞬間、俺は反射的に動いていた。
 首に回されていた腕と、腰をがっちりホールドしていた脚を力任せに振りほどき、立ち上がる。
「あん。最悪。もうちょっとだったのに……やっぱり男性に腕力ではかないませんね」
「悪ふざけがすぎるぞ、ルーティ」
「……ふざけてこんなことをするとでも? 先生、その言葉だけは取り消してください」
 床に尻餅をついたような体勢のまま、俺を睨みつける、ルーティ。
「すまない」
 本当は、人一倍、気位の高い少女だ。たぶん、俺以外の男に同じようなことをするぐらいなら、舌を噛んで死を選ぶ。難儀なことに、そういう少女だ。
 ルーティは、背中や尻についた汚れを手で払いながら、立ち上がった。
「ま、いいですけど。……あーあ。なかなか堕ちてくれませんね、先生」
「いや、本気でヤバかったから。もうこういうのは勘弁してくれないかな」
「お断りします。――私のこと、嫌いになりましたか?」
 冗談でも、嫌いになったとは言えない。
 俺はたとえ殺されたとしても、こいつのことを許すだろう。
「いや。嫌いになんてならないよ」
「でしょうね。分かります。先生は本当は私のことが愛しくて愛しくてたまらなくて、めちゃくちゃに犯してしまいたいのに、どうしてだか我慢しているのですものね。難儀なこと。そのあたりの原因をどうにかすれば、私が先生の愛人ポジションをゲットする日も近いのですけど」
 口に手を当てて考え込んでいたルーティだったけど、やがてため息をついた。
「ま、いいです。見当はついていますから、次回はそのあたりを攻めてみましょう」
「え。次回とかあるの?」
「はい。あ、ところで先生、そのことなんですけど。犯されたいですか? 犯したいですか?」
 な、なにを訊いてくるの、この子?
 ここは慎重に答えを選びたい。
「……犯されるほうが、まだマシかな」
「では犯していただきますね」
「えっ」
「基本中の基本ですよ。――サドは、マゾの欲しいものを与えない」
 忘れていた。
 この子は、真性のサディスティンだったのである。
「ありえないから。俺がルーティを犯すとか、ありえないよ」
「ならばそのように仕向けるまでです。お忘れかもしれませんが、私は女ですよ。殿方の欲を狂わせる方法のひとつやふたつ、もちろん嗜んでおりますわ」
 妖艶に微笑する、小柄な淫魔。
 女は、怖い。
「それはともかくとして、あんまり酷いことするとお仕置きするよ」
「楽しみです。お尻ペンペンしてくださいます? 私のスカートもパンティーも乱暴に引きちぎって尻をあらわにした上で、何度も何度もおもいっきり遠慮なくひっぱたいてください。私が無様に泣いて許しを請うたとしても聞く耳を持たず、肉が張り裂けそうなほどに強く。そのうち私の尻が猿のそれのように真っ赤に染まり、激しすぎる痛みのあまり失禁したとしても、躊躇する必要はありません。むしろ腫れた尻肉を全力で握りつぶすようにして揉んでください。絶叫して号泣する惨めな私をせせら笑いながら、また強く叩いてください。そういう愛のあるスパンキングをしてくださいますか?」
「ごめん無理。ていうかサディスティンじゃなかったの、きみ?」
「最近、マゾにも目覚めてきました。どうやら両方いけるようです」
「ふーん」
 変態だ。
 しかしついに教え子とキスまでしてしまったが、これは浮気のうちに入るのでしょうか、シェラザードさん?
 どうしようかなあ、これから。
 深く考え込む俺であった。



[9648] 第十話《リノティア・バーニングボンバーズ》前編
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/05/19 16:33

 ルーティ・エルディナマータの朝は、遅い。
 低血圧ゆえ早起きすることが難しいのだ。
 だが、今日に限って、ルーティの起床は素早かった。
 ベッドの上で身を起こす。
 切れ長の瞳はきちんと開き、思考は冴え渡り、自分がなにをすべきなのかをはっきりと認識している。こんなことは滅多にない。
 ルーティはまずベッドから降りて寝巻きから制服へと着替え、鏡を見ながら艶やかな黒髪の手入れをすませ、十分に身支度をすませてから、テーブルの上に置いてある眼鏡に手をかけた。
 フレームレスの眼鏡。
 視力が低いというわけではない。
 これは、度の入っていない伊達眼鏡だ。
 なぜこんなものを愛用しているのか? ファッションや気まぐれで着けているわけではない。師の言葉によるものだ。
 屍霊術士は死者の魂と亡骸を弄ぶ外道の輩。あの世とこの世の橋渡し。なればこそどちらの世界にも身をおいてはならず、この世にあってこの世になき者であらねばならない。眼鏡を着ければ、レンズ一枚分、自分をこの世から分け隔てることができる。
 熟達すれば自然と身についてくるという屍霊術士の心構えだが、ルーティはいまだ未熟ゆえ、こうした道具に頼って自己暗示をかけることが必要なのだ。
 師の言葉はいつも正しい。
 眼鏡をかけてレンズ一枚分の隔たりを作れば、亡骸を刃物で切り刻んで臓物を取り出すことも、脳髄の奥まで痛みが走るような腐臭を嗅ぐことも、怨霊どもの叫喚する声を聞くことも、どこか現実味を失っていく。なんとか自分を見失わず、正気を保ったままでいられるのだ。
 だから、屍霊術士ルーティは、今日も自分の瞳に眼鏡をかける。
 肩にかかるあたりで綺麗に切りそろえた黒髪は艶やか。年齢のわりには大人びた表情はどこか冷たいものを感じさせるほど理知的で、体系は極めて無駄のない、ほっそりとしたスレンダーなものだ。長く、しなやかな手足。双眸には深い知性が宿っている。ルーティはとても美しい少女だ。
 ルーティが寝泊りしているのは、リノティア学園の居住区一番街、教員の宿泊施設が集中している地区だ。
 豪邸、といってもいいだろう。大きな庭付きの、古びた洋館。この周辺は特に、学園の教師たちの中でも有力な者のみが住むことを許される、特別な場所だ。
 なぜ生徒であるルーティがここに住んでいるのかというと、理由は、この洋館の主人にある。
 ルーティは二階にある自分の部屋から出て、階段を下り、一階の奥にある食堂に向かった。
 食欲をそそる、美味しそうな料理の香りが漂ってくる。
 清潔な白い布をかけた長いテーブルの上座に座る屋敷の主人、マーキアス・グラン・ゾルディアスは、食堂に姿を現したルーティを見つけると、食事をしていた手を休めて、にっこりとほほ笑んだ。
「おや。おはよう、ルーティ」
「おはようございます、マスター・ゾルディアス。……起こしてくだされば、手伝いましたのに」
 ルーティは不満げに眉根を寄せる。
 すでに食卓に並んでいる食事は、二人分。マーキアスとルーティのものだ。
 焼きたてのパンと、紅茶、こんがり焼かれたソーセージ、スクランブルエッグ、レタスとトマトたっぷりのサラダ、そしてコーンスープ。
 ごく簡単なものだが、ルーティもマーキアスも普段から朝食はあまり摂らないので、こうした軽食のようなもので済ませることが多い。
 マーキアスはスープを啜り、ルーティに着席を促すと、パンを手に取りながら苦笑いを浮かべた。
「手伝うほどのものでもないでしょう」
「ですが、私は弟子ですから。どこの弟子が、師匠だけに食事を作らせますか」
「いいのですよ。こんなものしか出来ませんが、料理は数少ない私の趣味です。たまにはひとりで作ってみたくもなる。……さ、お食べなさい。今日は大事な日なのでしょう? しっかりと食べて栄養を摂っておきなさい」
 ルーティはまだ納得がいかなかったが、焼きたてのパンやソーセージの匂いに空腹を覚えてきたし、もう料理は出来上がってしまっているのだからどうしようもないので、素直に着席することにした。
 マーキアスはもっとも奥の席。ルーティは、その右斜め前。いつもの位置だ。テーブルは無駄に長いので、空席ばかりが目立っているのだが、これもやはりいつものことだ。
 この洋館は広いが、使用人のひとりすら雇っていない。掃除や庭の手入れなど、維持と管理は、ほとんどマーキアスがひとりで行っている。本人は、「ちょうどいい運動になる。もうずっとやってきたことだから趣味のひとつと言えるかもしれない」と公言している。そんなことをしているのはこの地区でマーキアスだけだ。
 たまに四季村秋彦やルーティが掃除などを手伝うのだが、ふたりがひとつのことを済ませる前に、マーキアスは三つや四つぐらいのことを終わらせている。熟練ゆえのスピード作業。凄まじい家事の腕前だ。これならたしかに使用人など必要ないのかもしれない、と、ルーティはよく感心する。
 屍霊術士であるのだから、屍霊どもを操って家事をさせてみてはどうか? と、ルーティは師に尋ねてみたことがあるが、そのとき、マーキアスはルーティの頭を軽く撫でて、「私たちは死者を弄ぶ外道だが、それゆえに死者を軽んじてはいけない。自分で出来ることは自分でやるべきだ」と、たしなめた。まったくその通りだと思い、ルーティは深く反省した。
 腰まで届く黒髪と、あまりにも怜悧なために酷薄であるようにも見える顔立ち。死魚のそれのように光のない双眸。いつも絶やさぬ微笑。百九十センチを越える長身と、黒を基調とした衣服。年齢は三十代後半に見えるが、柔和な物腰や老成した雰囲気から、もっと年老いて見えることがある。かと思えば、驚くほど若々しく行動的な瞬間もある。
 ルーティの師匠、マーキアス・グラン・ゾルディアスという男は、一言で表現するなら、とても変わった男だった。
「さて」
 食事を終えたのだろう。口元をナプキンで拭ってから、マーキアスは言う。
「私は、いつもより早めに出ることにします。まだ片付けていない仕事を残してきているのでね」
「分かりました。……私は、今日はきっと遅くなると思います。食事の用意は必要ありません」
「ふむ。クイーン・アントの討伐でしたか? あなたが受けた依頼というのは?」
「はい。困難でしょうが、きっと達成してみせます」
 おそらくは、今までに経験したことがないほどの、熾烈な戦いとなるだろう。
 だがルーティの心に臆病風は吹いていない。
 むしろ気分は心地よく高揚し、闘志は揺るぎない。
 マーキアスはそんな弟子の様子を見て、ふ、と笑った。
「まったく、子供というのは、少し目を離した隙に成長していく」
 ひどく疲れた、齢を重ねた老人のような声。
 ルーティは自分の師であるこの男がいったい何歳なのか、まったく知らない。見た目では三十歳くらいに見えるが、きっとそれよりも老いている。が、尋ねても適当にはぐらかされることばかりで、実際のところは誰にも不明だ。きっと訊かれたくないことなのだろうと今では解釈している。秋彦ですら知らないらしい。
「そうそう、ルーティ。真の意味で旅立つあなたに、私からのささやかな餞別があります。これをどうぞ」
 と言ってマーキアスが指を鳴らしてみせると、一本の杖が、ルーティの目の前に出現した。
 奇怪に捻じ曲がった短杖。
「これは」
 目を丸くする、ルーティ。見覚えのある杖だった。
 マーキアスは静かに微笑を浮かべる。楽しげに。
「《狂える魔導士の背骨》。あなたから預かっていたものですが、お返ししましょう」
「ですが、これは危険で、私の手には余ると、マスターが」
「ええ、言いましたよ。しかし、それも五年前のこと。もう大丈夫でしょう。あなたは私の予想よりもずっと早く成長して、もはやほとんど一人前と呼べる領域に足を踏み入れた。その杖を制御することも可能でしょう」
 穏やかな視線を弟子に向ける、マーキアス。
 ルーティは表情に緊張の色を滲ませながらも、迷いのない動きで、目の前の宙に浮かぶ杖を掴み取った。
「――その杖をあなたに手渡した人物のことを、覚えていますか?」
「いえ……十年前のことですから、はっきりとは」
 ただ、異様なまでに美しく、どこか寂しげで、切ないほどに強く、あまりにも孤高な女性であったという点は、記憶に焼きついて残っている。もはや明確な容姿も、聞いたはずの名前でさえも、十年という歳月により、忘却の彼方に追いやられてしまったが。
 マーキアスは、ふむ、と頷いた。
「それは私の弟子のひとりです」
「え……」
「私の、もっとも不出来な、そして、もっとも強く成長した弟子……ふふ、いま思い出してもおかしくてたまらない。才能の片鱗すら微塵も存在しない少女でしたが、もう二百年か三百年も生きれば、私の足元ぐらいには届くかもしれませんでしたね」
「あの、マスター?」
「おっと失敬。……ルーティ、あなたはなぜ自分がいまだに本当の一人前には届かないのか、分かりますか? 単純なことです。努力が足らないのです。いえ、あなたはよくやっていますよ、常識の範囲内ではね。ですが、その杖の本来の持ち主は、それはもう凄まじい努力家でした。目的のためには手段を選ばず、労力も惜しまない。勝つことや強くなることに対して見せる上昇志向はもはや執念、狂気の領域。というのも、彼女には才能というものが本当に一切も、これっぽっちも存在しなかったのですから、当然といえば当然ですね。この世はしょせん弱肉強食、彼女が食べられる側ではなく食べる側に回るためには、そうするしかなかったのでしょう」
 過去を、思い出しているのか。マーキアスはいつもよりも饒舌で、楽しげだ。
「彼女がまず最初に行ったのは、自分の性能の把握。そして次に行ったのは、自分の人生から睡眠を切り取ることでした」
「睡眠を、切り取る?」
「ええ。眠らなくてもいいように、脳味噌のスペアを作ってくれと頼まれました。私にね。ようするに疲れた脳味噌が休息を欲するから睡眠という生理現象が起きるので、それを排除できるようにしようと思ったらしいですね。強くなることを急ぐ彼女にとって、一日に何時間も動きを止めなくてはならない睡眠とは、ただの時間のロスにすぎなかったのでしょう。まったく狂っているとしか思えない発想だ」
 マーキアスは、指で自分の胸板、心臓のあるあたりを叩いてみせる。
「このあたりに、脳味噌のスペアを埋め込みました。小さな宝石のような代物でして、これが十分に役割を果たしたようです。本来の脳味噌と交代で働き、睡眠を不必要なものとする。普通の人間よりもずっと長く活動できるようになった彼女は、それを活かして努力し続けました。二十四時間、剣と魔法の修行です。肉体の疲労は回復魔法と薬物で誤魔化したそうです。必死でしたよ。哀れなほどにね。才能のない非力な少女の悲哀です」
 尋常の生物が、同じ手段を選ぶことはない。
 睡眠とは生き物である限りは絶対に必要な行為であり、欠かすことは出来ない現象だ。それを切り捨てるということは、すなわち、生き物の歩む道を踏み外すのと同じ意味を持つ。身体は無事でも精神が狂う。尋常では絶対に選ばない狂気の道筋。
 それでも少女は外道を選んだ。不屈の闘志と強靭な精神力で、不眠の身体を鍛えぬいた。
 だからこそ、少女の努力は実を結んだのだろう。
 少女は強くなり、勝ち続けて、リノティア学園のトップに立った。
 絶句する、ルーティ。
 マーキアスは、少しだけ目つきを厳しくする。
「私がこんな話をしたのは。ルーティ。あなたにも覚悟を持って欲しいからなのですよ」
「覚悟、ですか」
「そうです。少女がそれほどまでの苦難をおのれに背負わせなければならないほど、あなたが挑む迷宮の世界、そしてこの世というのは厳しく理不尽な場所なのです。アキヒコがもう十分に語っているかもしれませんが、侮れば死ぬ、気を抜けば死ぬ、そういう場所です。その杖を持てばあなたは格段に強くなるでしょう、ですが、必ず覚えておいていただきたい。その杖を手に入れて自在に扱えるようになってからでさえ、少女が努力を怠ることはなかったということを」
 努力を続ける。
 それは、簡単なようでいて、もっとも難しいこと。
 続ける意味はないかもしれない。努力した甲斐のある出来事など、訪れないかもしれない。しかし努力を続ける。実を結ばないかもしれない苦難を自分に与え続ける。
 努力していなければ防げない事態がある、かもしれない。かもしれないのためだけに苦しみ続ける。
 十年前の少女は、ずっと、それを続けた。
 そしてルーティは、今日から修行の量を増やすことを誓った。
 勝ち続けて生き残るために。
 迷宮とは、それほどまでに厳しく、とてつもない理不尽な場所。
 生き残って栄光を手にするためには、ひたすらにおのれを鍛え続けなければいけないのだ。
 ルーティに背を見送られながら、マーキアスはいつもの職員室へと出立する。
 その前に、屍霊術士は弟子のほうへと振り返った。
「ルーティ。その杖をけっして手放さないようにしなさい」
「なぜですか?」
「お守りのようなものですよ。持っていると、いいことがあります」
 師は、それ以上を語らなかった。
 だがそれだけで十分。
 ルーティがもっとも尊敬する男、マーキアスの言葉に、間違いなどあろうはずもない。
 少女は杖を大事そうに持ち、すべての身支度を済ませると、自身もまた屋敷をあとにした。




「さあ、みなさん、準備はよろしくて!? いよいよ出発! わたくしたちの輝かしい活躍が、リノティアの歴史に刻まれる瞬間ですわ!」
 《暗黒の洞窟》に繋がる大転移装置の手前、集結した《リノティア・バーニングボンバーズ》。巨人族の少女エストレアが元気いっぱいに仁王立ちしている。その装備は、まさに分厚い重装甲。三メートル七十センチの巨躯を完全に包み込むのは、鈍い銀色に輝く甲冑。その右手に持つ武器は、彼女の背丈よりもさらに長い、白銀のハルバード。そして、左手には、巨大な銀の盾。
 気だるげで、やる気のなさそうなガゼル。大剣を背負い、軽そうな皮鎧に身を包んでいる。
 いつもの虚ろな視線をさ迷わせているノアルは黒装束。太刀を背負い、全身から適度に力を抜いている様子は、緊張しているようには見えない。が、それは気を抜いているのではなく、いつでも戦闘体勢に入れるようにとの身構えなのだろう。
 白いブラウスとスカートを着たレミリアは眠たげだ。先ほど起きたばかりなのだろう。
 そして漆黒のローブを身にまとったルーティは、集まったメンバー全員を見渡す。
「準備は万端。行くわよ。クイーン・アントの討伐を成し遂げて、ビショップルームを確保する。みんな、全力を尽くしてちょうだい」
「うん、わかったー。ふぁあ、眠いよぅ……」
「めんどくせぇ。よーするに、虫けらの親玉をブッ殺すだけの仕事だろ。熱くなるなよ、ウゼーから」
 手で眼をこすっているレミリアと、唾でも吐き捨てそうなガゼル。
 レミリアはともかうとして、ガゼルがいつもの調子では困ると思ったルーティは、少しきつく注意しておこうかと思った。
 だがその前に、ノアルが口を開いた。
「……仕事の時間だ。中途半端は……よくない。……やる気がないなら……帰ったほうがいい……」
「あ? なんだと? おい。この前の不意打ちで勝った気にでもなってんのか、てめえ?」
 表情に怒りを滲ませて背中の剣を引き抜こうとする、ガゼル。
 それよりも、ノアルの太刀がガゼルの首に突きつけられるほうが速かった。
 呼吸を忘れて白刃を凝視するガゼル。
 レミリアは眠気も忘れて顔を青白くした。
 ルーティは眉根を寄せた。
 いつ抜刀したのか誰にも見せなかったノアルは、普段の虚ろな無表情をまったく崩さず、静かに言う。
「……仕事の邪魔は、……よくない」
「ああ!?」
「……きみが死ぬだけなら自業自得……でも……きみが失敗すると、みんなが死ぬ……」
 やる気のない者や無謀な者がそのまま魔物の餌食になるだけなら、それはその者の勝手だ。しかし、迷宮の内部では、それがパーティーの危機に直結する。
 ノアルの双眸は、暗い輝きを宿していた。
「……きみ……いないほうが、マシ……」
「おやめなさいな、ハーミット先輩」
 エストレアが言った。
「おチビ先輩の態度は、たしかにふざけているとしか思えませんわ。でも、だからといって、殺してしまうのはやりすぎなのではなくて?」
「……殺す? ……まさか……」
 そう言って、ノアルは太刀を引き、鞘に戻す。
 いや、エストレアが声をかけるのを遅らせていれば、ノアルはガゼルを殺していただろう。それをまったく躊躇しないと確信させるほどの殺気を、完全に静かにだが、ノアルは秘めていた。得体の知れない、奇妙に静謐な殺気だ。
 危うく殺されかけたガゼルは、ノアルを厳しく睨みつける。
「逃げるのかよ?」
「おやめなさい、おチビ先輩。……まったく、頭が痛いパーティーですわ。ルーティ、早く出発したほうがよろしいのではなくて? ダンジョンに突入する前に同士討ちでパーティーが解散してしまったなど、前代未聞のことですわ」
「まったくその通りね。――行きましょう、みんな。念のために言っておくけど、ダンジョンの内部では、仲間割れは絶対にしないように」
 頭を抱えたくなる思いをなんとか振り払って、ルーティは歩みを進めた。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》を大転移装置の紫の光が呑み込み、そして、彼女たちは《暗黒の洞窟》へと旅立った。
 暗くて湿り気を帯びた、岩肌の暗闇へと。



 パーティーのメンバー同士の戦力については、昨日の《ロイソス山岳遺跡》での探索で、それぞれがおおむね把握している。
 ルーティはアンデッドモンスターを呼び出して敵と戦わせることができる。
 レミリアは楽器を鳴らして呪歌を演奏し、メンバーの戦意を高める。
 ガゼルは突進して大剣を振り回して敵を蹴散らす。
 ノアルは周囲の索敵を行い、魔物どもの奇襲を防いだり、逆にこちらから奇襲を仕掛けたり、ダンジョンや宝箱に仕掛けられた罠を解除したりできる。
 そして、新たなメンバー、エストレアは――
「どりゃああああっ、ですわああああああっ!」
 白銀の竜巻が、レッドキャップの群れを薙ぎ払う。赤髪の邪悪な殺人鬼どもは、ある者は一撃にして首を刈り取られ、ある者は上半身と下半身を泣き別れにさせられて、ことごとく倒されていく。
 ハルバードは、一つの武器にして三つの武器の特徴を併せ持つ総合兵器だ。鋭い矛先と、その横についた斧の刃、そして反対側には湾曲した鉤爪。これらによって斬る、突く、鉤爪で叩く、鉤爪で引っ掛ける、などなど、さまざまな使い方を状況によって使い分けることが可能となっている。
 だが、完成したポールウェポンであるハルバードは、たしかに強力ではあるが、その多様性ゆえ、斧にも槍にも鈍器にもなれるものの、使い手の技量が激しく要求されることでも知られる。未熟者が持てば、斧にも槍にも鈍器にも劣る、中途半端な代物でしかなくなるのだ。
 ならばエストレアは? 扱いきれぬ武器を闇雲に振り回すだけの未熟者だろうか?
 いや、違う。
 薙ぎ払えば斧が首を刈り取り、突けば心臓を的確に捉え、鉤爪は盾や兜を木っ端微塵に粉砕していく。さらには敵の群れの足元を薙ぎ払ったり、鉤爪で引っ掛けて体勢を崩してやったりと、臨機応変にして正確無比な熟練の扱いだ。しかも速い。目にもとまらぬ斧槍さばきは、ハルバードの描く軌跡が残像を帯びるほどだ。
 エストレアのハルバード、その長さは五メートルを越える。さらに重量は百キログラムに匹敵する。化け物じみた長柄の得物だ。そんなものを振り回されてまともに食らった魔物どもは、防御することすら許されずに死ぬしかない。
 武器の怪物を自在に扱えるのは、エストレア自身もまた怪物ゆえだ。
 巨人族の三メートルを越える肉体は、そのほとんどが極限に発達した筋肉組織。柔らかくしなやかに見えるエストレアの巨躯は、それそのものが凝縮された天然の兵器なのだ。
 さらに、直径二メートルの分厚い盾は、魔物どもが射掛けてくる猛毒の矢や魔法の炎などをすべて豆鉄砲のように弾き返し、彼女の甲冑に毛ほどの傷をつけることすら許さない。
 エストレア・ブレイブハート。レベル三二〇の神聖騎士。豪奢な黄金の髪を舞わせながら戦う、美しくも苛烈な、いくさの女神。
 いまが戦闘状態であることも忘れ、ルーティは、エストレアの勇姿に見惚れた。
「ほえー。エストちゃんは強いねー。あたしの呪歌なんて必要ないよー」
「お褒めにあずかり光栄ですわ! ですがわたくし、これでもあなたのサポートにはずいぶんと助けられておりますのよ。もっともっと加護をくださいませ!」
「うん。がんばる!」
 フルートを鳴らす、レミリア。その旋律がエストレアの馬力を上げる。
 巨人族の女戦士は、大きく気合の声を上げた。
 周囲のレッドキャップたちが、怯えたように身を固くする。
 その隙を、ガゼルもノアルも見逃さない。
 ガゼルの荒々しい剣がレッドキャップたちを八つ裂きにして、ノアルの無情な剣が急所を刺し貫いていく。
 二十体を越えるレッドキャップの群れが亡骸の山と成り果てるまで、わずか五分も必要としなかった。
「ま、こんなものでしょう」
 あれだけの戦いを繰り広げておきながら、まったく呼吸を乱していない、エストレア。
 ルーティは素直に感心した。
「すごい強さね。昨日の探索で十分に思い知ったはずだったけど、まだ驚かされるわ」
「うふふっ。おだててもなにも出ませんわよ、ルーティ。でも、ありがとうございます。強さを称えられることは、巨人族にとってのなによりの名誉ですわ」
「以前のパーティーでは、どのクラスまで到達していたの?」
「ナイトですわ。クイーンまでもう一歩のところでしたのよ。その前に解散してしまいましたけれど」
「どうして?」
「いろいろ、ですわ。わたくしは生徒会のお仕事に興味を持ちましたし、ほかのメンバーもそれぞれにご自分のやりたいことを見つけましたの。残念ですけれど、仕方のないことですわ。でも、彼らとは今でもとってもいいお友達ですし、ちっとも未練はございませんことよ」
 そういうこともあるのか。ルーティは納得して頷いた。
「先生の言っていた通り、とても頼りになるわね、あなたは。私はまだほとんどダンジョンでの経験がない未熟者だけど、あなたのような熟練の戦士に守られていると心強いわ」
「まあ! うふふふ。そんなに褒められると恥ずかしくっていけませんわ。ルーティ、わたくしは思うのですけれど、わたくしたちはとてもよいお友達になれると思いますの。これから助けられることも多いと思いますけれど、どうぞよろしくお願いしますわね?」
「ええ。私も、あなたとは友達になれそう。よろしくね、エストレア」
 ルーティは、この巨人族の少女のことをすっかり気に入り、好感を抱いた。
 エストレアは大きな体格のわりに気配りが上手で、仕草がいちいち可愛らしく、笑顔がとても魅力で、しかもいざというときには頼りになる、尊敬すべき先輩冒険者だった。
 そして、およそ半日の時間をかけて、《リノティア・バーニングボンバーズ》は、《暗黒の洞窟》の地下十階に辿り着いた。生徒会から貰った地図があるので、戦闘があることを除けば、簡単な道のりだった。
 そこでまず待ち受けていたのは、何組かの冒険者パーティーのメンバーたちだ。
 歩み寄るバーニングボンバーズに、まずドワーフ族の少年が話しかけてきた。
「よう。きみらが依頼を受注してくれた《リノティア・バーニングボンバーズ》か?」
「ええ、そうです。あなたは、依頼者の?」
「おう。高等部二年、《コンゲラート》のリーダー、スカジオだ。今日はよろしく頼む」
 スカジオはそう言って右手を差し出してくる。この蒼い髪の少年ドワーフは、かなり実戦を経験し、肉体を鍛え抜いているのだろう。手の平はゴツゴツとしていて分厚く、豆だらけだ。背丈はとても低く、脚は短く、顔立ちは柔らかだが、四肢の筋肉は著しく発達していて、力強い。頼りになりそうな少年だ。
「《リノティア・バーニングボンバーズ》のリーダー、高等部一年生のルーティです。こちらこそよろしく」
 ルーティはドワーフ族の無骨な手をしっかりと握り返してから、真剣な表情で尋ねた。
「状況を確認しても?」
「ああ。クイーン・アントは相変わらず地下十二階のど真ん中、地下十三階への階段の真上に居座ってやがる。くそったれ、あいつのおかげで俺たちはここで長らく足止めを食らってるのさ」
 しゃがんで地面に地図を広げたスカジオは、問題のクイーン・アントが目撃された地点を指で叩き、忌々しげに吐き捨てる。
 小首を傾げたのはエストレアだ。
「奇妙ですわね。見たところ、みなさんはいずれも手だれのパーティーとお見受けいたしますわ。それがどうして、ジャイアント・アントやクイーン・アントに苦戦しているのですか?」
 集まっているのは、《コンゲラート》をはじめとして、少しは名の知られたパーティーが四組。総勢二十人以上の、ちょっとした大所帯だ。しかもレベル一五〇を超えるメンバーばかり。スカジオなど、おそらくレベル二五〇を超えているだろう。彼らは最強ではないが、それなりの実力者だ。
 ジャイアント・アントやクイーン・アントの戦力は脅威だが、しかし、ここまで到達できたパーティーがこれだけ集まって、まったく倒せないような敵ではないはずだ。
 スカジオは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「情けない話だが、敵が強い。あいつら、普通じゃないんだ」
「……詳しい話を聞かせていただいても?」
 ルーティは、胸騒ぎを感じた。
 スカジオは、やや青ざめた顔で頷く。
「もちろんだ。……あいつらは物陰に潜み、こっちの動きを知っているかのように待ち伏せて、罠を張ってる。そして俺たちが不用意に近づくと、いきなり飛び出してきて僧侶や魔法使いを正確に狙う。で、驚いて足を止めたとたんに頭上から大部隊が降ってくるのさ。あっという間にパーティーは散り、一網打尽。運よく逃げ出せた連中が半分、残りの半分は……食われた」
 食われた、とは、文字通りの意味なのだろう。
 レミリアは青ざめ、ガゼルは唾を吐き捨てた。
「大岩を転がしてきただとか、落とし穴を掘ってるだなんて話も聞く始末だ。普通のジャイアント・アントどもだってチームワークはたいしたもんだが、計画的に冒険者を襲うだなんて話は聞いたことがないぜ」
「あなたのパーティーは無事だったのですか?」
「まあ、な。幸運だったよ。――最近、このダンジョンに挑んだパーティーの数は十を超えるが、いま残っているのはこの四組と、まだ来ていない一組だけだ。五組のパーティーが蟻どもの餌食になり、三組のパーティーが逃げ出した」
「……失礼ですけど、このダンジョンにこだわる理由は? ここをあきらめても、まだいくらでもダンジョンはありますよね?」
「おいおい、やめてくれ。――あのクソ虫どもはむかつくほど強い、忌々しいほどに強い、それこそ不思議なくらいにな。だが、だからあきらめるのが冒険者のやることか?」
 スカジオは不敵な笑みを見せた。
「敵は強そうだ。面白そうだ。そしてそいつらを倒した先にあるものは、もっともっと面白そうだ。だから俺たちは挑み続けるし、あきらめない。すでに探索し尽くされてるはずのこのダンジョンでどんなことが起きてるのか、まったく楽しみでワクワクしてくるじゃねえか」
「気に入りましたわ」
 エストレアが言った。ハルバードの石突で、がつん、と床を叩く。
「その思想、わたくしたちにも通じるものがありますわ。ドワーフのみなさんはとても勇ましくて、強くて、わたくし、大好きですわよ」
「あんたは……エストレア・ブレイブハートか」
 スカジオの口からその名が出たとたん、スカジオの仲間たちが驚いたようにどよめいた。
「ブレイブハート……生徒会副会長の」
「二体のフレイムジャイアントと真正面から戦って倒したっていう、あの?」
「一度、彼女の戦いを見たことがある。すごいぞ、彼女は……本当に強い」
「《ストレングス》をナイトクラスまで引っ張り上げた、エストレア・ブレイブハートか」
「ハルバード使いの巨人族……すごいな、あんなに重そうな得物を使えるのか」
 どうやら、《暗黒の洞窟》を攻略しようとしていたパーティーのメンバーに、エストレアの名を知らぬ者はいないらしい。だれもが尊敬と賞賛の視線を向けている。
「わたくしのことをご存知なので?」
「あんたは有名さ。ウィルダネス・ドストロイの再来、巨人族の聖騎士だろう」
 ウィルダネス・ドストロイ。それは、八年前までリノティア学園の頂点に君臨していた伝説のパーティー、《黄金の栄光》が誇る重戦士だ。レベル五〇〇を軽く超える猛者であった彼は、体躯こそ普通の巨人族と変わりなかったが、生まれながらにして尋常ではない身体能力を持ち、巨大な竜族ですら素手で倒してのけたという。
「彼こそは我が一族の誇りにして最強の勇者でしたわ。……再来と呼ばれるにはわたくしは未熟ですけれど、このうえない喜びでもありますわ。ありがとうございます、スカジオさん」
「いやいや。……あんたがいてくれるなら、安心だな。それに、リーダーはもちろん、メンバーの連中も強そうだ。ポーンクラスのパーティーが依頼を受注したと聞いたときは、正直、どうしようかと思ったもんだが、これなら今日こそはクソ虫どもをブッ潰せそうだな」
 よっこらせ、と立ち上がり、スカジオは尻についた汚れを手で払う。
「おまえたちとなら、いい冒険ができそうだ。さて、行こうぜ。ここからは蟻どもの本拠地だ。うじゃうじゃと出てくるぞ。クイーン・アントまでの道のりは俺たちが切り開く。できるだけ無傷で連れて行ってやるから、あとのことは頼んだぞ」
「分かりました。必ず、仕事をやり遂げます」
 ルーティがそう言ったときだった。
「ちょっと! ポーンクラスの雑魚パーティーが依頼を受注したって、本当なの!?」
 後ろから、階段を駆け下りる音と、耳障りなほど甲高い声が響いてきた。洞窟の内部という場所のせいで、声はことさらに反響し、大きく聞こえる。
 数人の人間族やエルフ族の少年少女。
 先頭に立ってやってくるボーイッシュな雰囲気のエルフの少女に対し、スカジオが軽く手を挙げた。
「よう、ウェルミーナ。遅かったじゃねえか。今日は来ないのかと思って、こっちはそろそろ出発しようかと思ってたところだぞ」
「冗談じゃないよ! ボクが臆病風に吹かれたとでも言うつもり!?」
「いや、そうは言ってないが」
「だったら黙りなよ! ドワーフ族のチビのくせして! 余計なことは言わずに黙ってればいいんだよ! ボクたちは、キミらみたいな直球馬鹿のパーティーとは違うの! きちんと計画的に行動できるの! だから準備にはちょっと時間が必要なの! わかった!?」
「あ、ああ……すまん」
 活発で勝気そうな美貌の持ち主、ショートカットの赤い髪が特徴的なエルフの少女の勢いに圧倒されたのか、スカジオは眼をぱちくりとさせている。
 ガゼルが、白髪を掻き毟りながらウェルミーナを睨みつける。
「うるせぇ。キンキン喚きやがって……クソエルフが。ちっとは場所を考えろ」
「なんだって? ――ああ、けがらわしいダークエルフじゃないか。魔物のお仲間が、のこのことボクたちに倒されにやってきたのかな!?」
「……ああ? 殺されたいのか、クソアマ」
「あらら、いやだなー。やっぱりダークエルフは野蛮で邪悪だね。そんなに目つきを厳しくして。すぐに喧嘩腰になるんだね。言っておくけど、ボクに手を出したら、あんたなんて一瞬で丸焼きだよ。それでもいいなら、どうぞ? かかってくれば?」
 片手を腰に当てたまま手招きしてみせるウェルミーナ。エルフの魔法使い。
 挑発的な態度を受けて、ガゼルはこめかみに血管を浮かべながら、背中の大剣の柄に手を伸ばす。
 慌てて制止したのは、スカジオだ。
「や、やめろ、おまえら。こんなところで仲間同士で争ってどうする?」
「こんな女が仲間? 笑わせるなよ、ドワーフ」
「それについては同意見だね。けがらわしいダークエルフと仲間だなんて、考えただけでも吐き気がしそうだよ」
「なんだと?」
「なに? やる気? 上等だよ。かかってきなよ、ボクの魔法を味わわせてあげるから」
 一触即発の、緊迫した雰囲気。
 ガゼルとウェルミーナは殺気のこもった視線をぶつけ合い、バチバチと火花を散らしている。
 スカジオは困り果てたように、口をへの字に曲げた。助けを求めるようにルーティのほうへと眼をやる。
「なあ、おまえさんからも言ってやってくれないか? 彼女はエルフのウェルミーナといって、高等部二年生、ビショップクラス《スピリアル・ビューティ》のリーダーだ。今まで俺たちといっしょにこのダンジョンを探索していた仲間で、俺の幼なじみでもある。いつもはこんな調子でもないんだが、今日はどうも様子がおかしい」
「なんだよ、スカジオ!? ボクの様子がおかしいって!? ああ、そうだね、おかしくもなるさ。怒りでね。今まで必死にがんばってきたこのダンジョンの攻略なのに、大一番の大事なところを、こんなポーンクラスの雑魚どもに任せるだなんてね! むしろ、キミのほうがおかしいんじゃないの!?」
 つまり、ウェルミーナは、ルーティたちの実力を疑い、攻略が失敗することを恐れているのだろう。ただ失敗するだけならばいいのだが、ダンジョンでの失敗はすなわち、それがどんなに些細なことであったとしても、メンバーの死に直結することが多い。ウェルミーナが過敏に対応するのも無理はない。それを理解しているから、スカジオはあまり声を大きくすることはなかった。
「おまえの懸念も、もっともだ。だが見てみろ、彼らを。クラスこそポーンだが、かなりの実力者揃いみたいだぞ。ほら、彼女はあのエストレア・ブレイブハートだ。おまえだって名前を聞いたことがあるだろ?」
 スカジオの言葉を聞き、やっとその存在に気づいたかのように、ウェルミーナはエストレアのほうに目を向けた。そして、小ばかにしたように鼻を鳴らす。
「ああ、聞いたことがあるよ。巨人族でも並外れたデカブツ女、噂通りだね。ずいぶん大きな身体だけど、その脳味噌にまできちんと栄養が行き渡っているといいんだけどね。そんな野蛮な武器を考えもなしに振り回されたんじゃ、こっちの身が危険だからさ」
「……なんですって? わたくし、いま、わたくしの身体的な特徴を馬鹿にされたような気がいたしましたわ。わたくしの愚かな勘違いであるとよいのですけれど」
「その点に関しては、心配ないよ。聞き間違えてなんかいないさ。なんならもういっぺん言ってあげようか? デ・カ・ブ・ツ・女、ってさ」
 その言葉は、いつも悪態ばかり吐いているガゼルですら顔をしかめるほどの、明確すぎる悪意に満ちていた。
 エストレアの女帝然とした美貌は色を失い、握り締めたハルバードの柄が悲鳴を上げた。
 一連の状況を見るに、明らかに、一方的に悪いのはウェルミーナだ。ここでウェルミーナの無礼に対してエストレアが怒りに任せてハルバードを振りかざし、彼女を八つ裂きにしたとしても、だれも咎められはしないだろう。
 が、彼女はこらえた。
 そして、ウェルミーナに背を向けた。
「……わたくしがもっとも尊敬する恩師であるお方が、かつて、とても大切なことを教えてくださいましたわ。ダンジョンの奥地での仲間割れは絶対に厳禁、いかなる理由があってもしてはならないことだと。わたくし、あのお方のお言葉を信じたからこそ、今も生きていられますの。ですから、今回もそうすることにいたしますわ」
「プッ、クスクス。あーあ、適当なこと言って逃げるんだ? 巨人族って意外と臆病者なんだねー? ま、ポーンクラスの雑魚パーティーのメンバーだからね、しょうがないけどさ」
「ただし!」
 エストレアは大声を張り上げる。
 その背中が、怒りを燃やしている。
「ダンジョンを抜けて地上に帰還したなら……お分かりですわね? そして、わたくし個人だけならばともかく、わたくしのパーティーのみなさんまで馬鹿にすることは、絶対に許しませんわ」
「プーッ、クスクスクス! なに? 負け犬の遠吠え? いいよ、学園に帰ってから相手をしてあげても。ボクの魔法で黒焦げになって後悔するのはそっちだと思うけどね!」
「や、やめろ、ウェルミーナ……いい加減にするんだ」
「黙ってなよ、スカジオ! ……ああ、そして、なんだい? その雑魚パーティーの連中ときたら! 野蛮そうなダークエルフの剣士に、ひ弱そうなケダモノの吟遊詩人? あとはエルフの忍者と……おまえは? いかにも無知で生意気そうな、薄汚い人間族さん?」
「屍霊術士です」
「うわ、屍霊術士!? 最悪じゃないか。魔物だよ、魔物の手先だよー。魔物の手先がここにいるよー。クズだよクズ、おまえらは。死体を弄くりまわして喜んでる、最低の変態どもめ」
 あからさまに見下され、軽蔑しきった視線を向けられた、ルーティ。
 だが、ルーティの胸中は、その程度のことではビクともしない。
 屍霊術士の血筋に生まれ、父祖の業を受け継ぐと決めた瞬間から、ルーティにとって、どんな罵声や侮蔑も、そよ風のようなものでしかなくなったのだ。
 なにより、ウェルミーナの言葉は真実に近い。屍霊術士は尊い生命を弄ぶのだし、死体を自分のために酷使して使い捨てる外道のことだ。その認識は、間違いではない。
 だからルーティはウェルミーナの苛烈すぎる悪口を甘んじて受け入れていた。エストレアの言うとおり、こんなところで冒険者同士が争うなど愚の骨頂。なにやら怒っているウェルミーナだが、こちらが我慢して黙っていれば、そのうち飽きてくれるだろう。
「やれやれ、ポーンクラスってだけならまだ許せたかもだけど、こいつらは最悪だね。最低最悪の取り合わせだよ。今からでも遅くないから魔王軍に寝返ったら? そしたらボクが躊躇なくブッ殺してあげるからさ。……あーあ、まったく、こんな連中の担当官をやってるのは、いったいどんなクズなんだろうね? クズの保護者はやっぱりクズだ。顔を見てみたいもんだよ。なんならそいつもまとめてボクが焼却処分してやっても」
 ルーティの我慢の限界は、ウェルミーナの台詞の後半部分を聞いた瞬間に弾け飛んだ。
 屍霊術士の身を包む漆黒のローブの裾から、数多の腕が躍り出る。それは、骨の腕だ。ただし間接が異様に多く、それぞれの間隔が大きい。十数本もの骨の腕がルーティのローブから飛び出して、五メートルも離れたウェルミーナの腕や脚を拘束し、そのうちの一本が彼女の首筋に鋭い五指を突きつけたのだ。骨の貫手だ。
 ルーティの双眸から、人間らしい光が消えた。その表情の温度は、絶対零度。
「私をいくら罵ろうともかまわないけど、あの人のことを侮辱するのは許さない」
「な。なにを」
「三つ数える間だけ待ってあげる。無様に泣き喚いて、さっきの言葉を取り消しなさい。でないと頚動脈をザックリいくわ」
 鋭い骨の指先は、ルーティさえその気になれば、ウェルミーナの柔らかそうな肌など簡単に切り裂き、その内部の重要な血管に致命的な傷を刻み付けることができるだろう。
 そしてルーティの表情と言葉からは、これが脅しや偽りではない、本気で殺すつもりだということが、だれにも分かるほどはっきりと伝わってくる。
「殺しちまえよ、そんなクズ」
「や、やだよ、ルーティ。やめようよ」
「……はやく……あやまったほうがいい……」
「おやめなさい、ルーティ。たしかにわたくしも同じ気持ちですが、いくらなんでもそれは」
 ガゼルたちの言うことなど、ルーティの耳には届いていなかった。
 自分の生命が危険だと認識したのか、ウェルミーナの顔色が悪くなる。ピクリとも動けない状況。それでも引きつった笑みを浮かべる。
「な、なに? やるつもり? ははっ、やっぱり邪悪だな、屍霊術士は!」
「いーち」
「い、言っておくけど、ボクを殺したなら、仲間たちが黙ってないよ……お、おい、いい加減にやめろよ。ちょっとした冗談だったんだよ、な、分かれよ」
「にーい」
「ちょっ、ま、待てよ、やめっ――」
「さん。死ね」
 骨の腕がウェルミーナの四肢を封じ込める力を増し、さらに、彼女の頚動脈に狙いを定める。
 ルーティの心に躊躇など存在しなかった。骨どもに最終的な命令を下した、その瞬間であっても。
 スカジオの戦斧が、ルーティの骨の腕どもを、半ばから勢いよく両断していた。
 砕け散っていく、白色の骨。
 ガシャガシャという音を立てながら、地面に散らばる破片。
「……やめるんだ、ふたりとも」
 スカジオは怒りというよりも悲しみを滲ませた声で言った。
 そして、ルーティに対して深く頭を下げた。
「すまなかった。この馬鹿に代わって、俺が詫びる。おまえたちへの無礼も、おまえたちの担当官への侮辱も、すべて謝る。一方的に俺たちだけが悪い。いまは頭を下げることしかできないが、学園に戻ってから、どんな償いでもする」
「ちょっとー。やめなよ、スカジオ。なんでボクたちが謝るのさ?」
「おまえは黙ってろ! いい加減にするんだ!」
 身体にまとわりついている骨を手で払っているウェルミーナのほうを振り向きながら、スカジオは、やはり悲しそうに声を上げる。
「本当にどうしたんだよ、ウェルミーナ。いつものおまえと違う……おかしいぞ」
「……はあ? ボクはいつも通りだよ。おかしいのはキミだ、スカジオ。考えてもみなよ、今までいつもボクらとキミらのパーティーでどんな困難でも乗り越えてきたじゃないか。依頼を出してまで他人に頼ったことなんて一度もなかった。それなのに、キミは勝手に……」
「今回は、今までとは違う。分かるだろ、ウェルミーナ……いや、ミーナ。ジャイアント・アントどもを確実に倒せるなら、俺は手段を選ばない。依頼を出して、実力のあるパーティーを呼ぶ必要があったんだ」
「あっ、そう!? じゃあ勝手にすれば!? ボクらの約束も忘れて、勝手なことをして、それで満足なんだよね、スカジオは! 嘘つき! だったらもう知らないよ。もう好きにすればいい」
「お、おい、ミーナ。なにを言っているんだ。俺はそんなつもりじゃ――」
「うるさいッ! 嘘つきのスカジオなんて、……死んじゃえばいいんだ!」
 声を張り上げたウェルミーナの、その台詞があまりにも衝撃的だったのか、スカジオは顔色を青くした。
 そして、ゆっくりと前のめりに倒れた。
 それっきり、ぴくりとも動かない。
「え……」
 呆けたような声は、だれのものだったのか。
 うつ伏せになっているスカジオの背中に、矢が刺さっている。彼の着ている皮鎧を貫いて、背中から正確に心臓を破壊していた。
 即死だ。
 すでにスカジオは絶命していた。
 よく見れば、スカジオ以外にも、何人かの冒険者たちが倒れている。いずれも、頭部や心臓など、急所を正確に射抜かれて、断末魔の悲鳴を上げる暇さえ与えられずに殺されていた。
「な、なんだよ、これ。……スカジオ? ねえ? スカジオ? どうしたのさ?」
 ふらふらとスカジオのところへ歩み寄ろうとするウェルミーナ。
 エルフの少女の頭上から生暖かい液体が落ちてきたのは、そのときだ。
「甘っちょろい連中だ。こんなところで大騒ぎしやがって。まったく、馬鹿は不意討ちがしやすくて助かる。おまえたちは親やら教師やらに教わらなかったのか? 敵地で仲間割れなど、絶対にするな、と」
 大きな、野太い声。
 ウェルミーナの頭を濡らしているのは、赤い液体。
 彼女の頭上で、骨と肉を砕く音が聞こえた。
 ルーティの視界に映ったのは、ウェルミーナの背後に立つ、巨大な人影。
 いや、人影というには、それはあまりにも巨大で、異形すぎた。
 ごわごわとした漆黒の体毛が生え揃った巨躯、身長四メートル以上。肥満のような体系だが、着ている皮鎧がはち切れそうなほど圧倒的に膨張した肉体、ゆるみなど微塵もないほど驚異的な盛り上がりを見せる四肢からして、全身が凄まじいまでに鍛え上げられた筋肉の塊であることは疑いの余地もない。背負った大剣の刃渡りは三メートルを越えているが、きっとこの怪物ならば容易に使いこなすはずだ。
 豚に酷似した顔面は醜悪そのもの。双眸の光が強く、凶暴で、獲物を絶対に逃がしはしない冷酷な狩猟者としての本性を滲ませている。
 ウェルミーナのパーティーのメンバーを掴み上げ、フライドチキンのように噛み砕いて食っているのは、そんな、おそろしいほど威圧的な容貌のオークだった。
 こんな化け物が、いつの間に、だれにも気づかれないで、どうやって接近してきたというのか。
 鬼気というのは、まさに、いまのこの黒いオークから立ち昇るものを指し示すのだろう。数え切れないほどの生命をその手で奪ってきた強者だけが持つ、次元違いの凄み。殺戮者のオーラ。それはルーティたち全員の本能を震え上がらせる勢いで、突風のように吹き付けてくる。
 黒いオークはウェルミーナの仲間であるエルフの少年の残骸を、ゴミのように投げ捨てた。上半身を丸ごと失った死体が、《暗黒の洞窟》の暗闇に転がる。
「――さて。小さな冒険者の諸君。すまんが、早くも本題に入らせてもらおう」
 口から獲物の血を滴らせながら言ったオークが、片手を軽く掲げた。
 オークは、もっとも代表的な魔物の種族のひとつにして、極めて獰猛、邪悪な気質を持ち、人殺しと暴食と強姦を最大の快楽とする、人類にとっての不倶戴天の天敵である。
 全身の肌が粟立つのを感じながら、ルーティは叫ぶ。
「全員、伏せてッ! 狙われているわ、危険よ!」
「弓兵隊、射掛けろ。ひとりも逃がすな。これで当分の食料が確保できる。……女は生かしておけよ。俺たちの便所にするんだからな」
 天井に空いた穴や岩陰などに潜み、すでにルーティたちを完全に包囲していたオークの弓兵部隊が、まったくの無防備を晒している哀れな獲物の群れめがけて、いっせいに矢を放つ。
 《暗黒の洞窟》の奥地で、地獄が生まれた。
 もちろん、リノティアの生徒たちにとっての。



[9648] 第十一話《リノティア・バーニングボンバーズ》中編
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/05/21 17:07
 それは、幼い日の記憶。
 エルフ族とドワーフ族の関係は、お世辞にも良好とはいえない。
 時間におおらかで優美な詩人としての側面を持つエルフと、時間に厳しく愚直な職人気質の持ち主であるドワーフは、どうにも相性が合わず、会えば喧嘩に発展することがほとんどだからだ。
 だが、ウェルミーナとスカジオはちがった。
 幼少時代に小さな森の泉で出会った。
 大きな音がしたので駆け寄ってみると、ドワーフの少年が巨大なウナギの死体を引きずっているところだった。
『へえ。キミ、なかなかやるじゃん! あのお化けウナギを倒すだなんて!』
『おまえ、だれだ?』
『ボクはウェルミーナ! いずれ勇者としてこの大陸に名を轟かせる美少女だよ、覚えておきな!』
『ふーん。すげーな。覚えておくよ』
 それをきっかけとして仲良く遊ぶようになったふたりは、やがて同時にリノティア学園に入学した。
 ウェルミーナは、いつしかスカジオに対して強い恋心を抱くようになっていた。
『なあ、本当にいっしょのパーティに入らないのか?』
『ああ! ボクとキミでは方向性が違う……それは分かるだろ?』
『そうだな。俺は真正面から戦うけど、ミーナはいろいろと策を練って戦うタイプだ』
『そうそう! だからさ、ボクとキミ、それぞれの持ち味を活かしたパーティを作るんだよ! そしてどちらかが困ったことになったり、むずかしい壁にぶつかったりしたら、もう片方が助ける! こうすれば、どんなことになっても大丈夫だろ!』
『ほほう。やっぱり賢いな、ミーナは。すごいぜ。んじゃ、お互いに新しいパーティーを作ってがんばっていこうか』
『そうだね。ボクたちはいつもふたりでひとつ! いっしょにがんばろう、スカジオ!』
『ああ。もちろんだ。がんばろうぜ、ミーナ』
 すべては順調だった。
 愚直なまでに真正面から戦いを挑むスカジオのパーティーは、それゆえどんなにおそろしい強敵だろうと怯まずに戦い、勝利することができるようになった。
 計画を立てて知略の限りを尽くし迷宮を攻略するウェルミーナのパーティは、どんなに悪辣な魔物や罠が相手だろうと、けっして動揺せずに対処することができた。
 ふたつのパーティーが手を組めば、まさに無敵。敵はいなかった。
 《暗黒の洞窟》のジャイアント・アントどもにぶつかるまでは。
 スカジオとウェルミーナでさえ歯が立たない強敵など、出会ったこともない。
『だからって、依頼を出してまで他人のパーティーに頼らなくてもいいのに!』
 しかもポーンクラスのパーティーが依頼を受注したのだという。
 メンバーを引き連れて《暗黒の洞窟》の地下十階を目指すウェルミーナの鼻息は荒かった。
 ふざけた話だった。
 いや、たとえキングやクイーンのクラスのパーティーがやってきたとしても、ウェルミーナの対応は変わらない。
『邪魔してやる! おもいきり騒ぎ立てて馬鹿にして、追い返してやる!』
 隙あればわざと攻撃魔法の巻き添えにして殺してやろうとさえ思っている。
『このダンジョンを攻略するのは、ボクとスカジオのパーティーなんだ! これまでも、これからも、ボクたちが組めば突破できない難関なんて存在しない!』
 そうと決まれば、排除するのは今回やってきたポーンクラスのパーティーだけではない。ちょうどいい機会だから、《コンゲラート》と《スピリアル・ビューティ》以外のパーティーには消えてもらう。最近、どうにも邪魔だと思っていたところなのだ。
『他人の恋路を邪魔するお馬鹿さんたちには、無様に死んでもらわないとね』
 小さく呟くウェルミーナの笑みは、邪悪な嫉妬に染まっていた。
 だが、実際に目の前で死んでいるのは、自分たちの恋路を邪魔しようとした愚か者ではなく、愛しいドワーフの少年である。
「スカジオ……ねえ? どうしたのさ? 起きてよ……あはは、怒ってるの? ボクが、キミなんて死んじぇだなんて言ったから……? 馬鹿だなぁ、あんなのちょっとした冗談に決まってるじゃないか……あははは、だから気にすることなんてないんだよ、ねえ、スカジオ」
 瞳から感情の色をなくし、虚ろな視線を幼馴染の死体に向けるウェルミーナ。必死に彼の肩をに手をかけて揺さぶっている。
 だが、スカジオが生きて返事をすることは二度とない……彼は死んだのだ。
 怪我を治療する魔法などありふれているが、死者を蘇らせる方法など存在しない。
 地面に這いつくばってスカジオの身体を揺さぶり続けている、ウェルミーナ。
 黒いオークが片手を掲げたのはそのときで、同時に矢が風を切り裂く音が連続した。




 冒険者たちに対して横殴りに降り注ぐ矢の雨。
 それは、この場に生き残っている冒険者たちの人数よりも多く、すべてが獲物の心臓や頭部へと正確に狙いを定めており、しかも音のごとく速かった。
「ほう」
 するするとした軽快な動きで後退した黒いオークが片方の眉を上げ、感心したような声を上げたのは、その矢の雨が、ことごとく弾かれて地に落ちていったからだ。
 冒険者たちの中心に、魔短杖《狂える魔導士の背骨》を地に突き刺して跪いているルーティの姿があった。
 そして、邪悪なオークの矢から彼らを守るように、無数のスケルトンたちが出現していた。
 おびただしい数の骸骨戦士たちは、飛来する矢を剣で斬り飛ばし、あるいは盾で防ぎ、オークたちの奇襲を見事に打ち砕いてみせたのだ。
 天井からの矢に対しては、エストレアやガゼルが対処している。
「なるほど。お嬢ちゃんは屍霊術士か。やるねぇ」
 硬い毛がびっしり生えた顎を撫でさすりながら、黒いオークはニヤニヤと笑う。
 対するルーティは、その表情に余裕など浮かべていない。
(詠唱破棄して大量召喚などするものではないわね)
 屍霊術というのも基本的には魔法の一種だ。呪文を唱えてこの世に影響を及ぼすという形式は変わらない。
 だが、熟練の術者であれば、呪文の詠唱という行程を省略して、結果だけをいきなり具現化させることができる。もちろん、呪文を用いる正規の手段よりもずっと強引で無理のある方法であるため、大量の魔力を消費するし、その効果も安定しない。術者に多大な負担を強いる方法なので、普通ならば行われない。
 二十体以上ものスケルトンを詠唱破棄で呼び出すというのは、一流の屍霊術士でも困難を極める所業だ。間違っても未熟者のルーティになせることではない。
(さっそく、この杖に助けられたというわけか)
 この魔杖、《狂える魔導士の背骨》が秘める魔力増幅機能や魔法の成功率を上げる効果がなければ、いまの大技はとても成功しなかっただろう。
 とはいえ、ルーティの涼しげな美貌は脂汗を垂らし、呼吸はすでに荒かった。
「すげえ」
「こんなに大量のアンデッドモンスターを一瞬で……彼女は何者だ!?」
 などと驚いている冒険者たち。
 ルーティは、立ち上がりながら叫んだ。
「いいから急いで陣形を組んで! いまから逃げるのは無理だわ。密集して、離れずに戦うのよ。でないと、みんな死ぬわ」
「いや、そいつは間違いだぜ、お嬢ちゃん。皆殺しにはしない。殺しはしないさ……女はな」
 男は殺して女は犯す。
 オークの群れに襲われた村では、男はまず殺されて、女はたっぷりと犯される。オークの体力と性欲は凄まじく強力で、二十四時間ずっと休まずに性行為を続けることができるうえ、その驚異的な繁殖力は、同種はもちろん、異種族の女ですら孕ませることを可能にしている。オークに強姦された女が異形の子を孕み、悲しみのあまり発狂したという事例は、いつの時代、どこの国でも当たり前のように聞く話だ。
「……下衆ですわね」
 嫌悪でその顔をしかめたエストレアが、吐き捨てるように言った。
 黒いオークは、肩をすくめる。
「抵抗しないほうがいいと思うぜ? 心配するな……黙っておとなしくしてれば気持ちよくしてやるからよ。天国にも逝けるほどな」
 ふざけた様子で、黒いオークは腰をカクカクと振ってみせる。
 どっ、と笑い声が上がった。オークたちだ。ほとんどのオークは黒いオークよりもずっと小さく、身長百七十センチほどでしかない。そして体毛は薄く、肌はピンク色に近い。
 おそらく、あの黒いオークが首領だ。ルーティはそう判断した。
 黒いオークが身に纏っている絶大な鬼気、尋常ならざる戦闘力の気配は、ただの雑魚のものではありえない。対して、周囲を取り囲んでいるオークたちの気配は、それほど恐れるようなものには感じない。
 いま、状況は膠着している。スケルトン軍団とオークの部隊が互いを睨み合って動こうとしていない。だがいつか崩れる、危うい均衡の上に成り立っている平穏に過ぎない。
 この窮地を打破するためにまず叩くのは、あの黒いオークだ。首領を失った集団など烏合の衆である。
「エストレア」
「……難しいですわね」
 ひそかに小声で名前を呼んだだけのルーティに、エストレアは即座に返事をした。彼女もルーティと同じことを考えていたらしい。
「あのオーク……とてつもない猛者ですわ。わたくしが全力でぶつかったとしても、勝機はよくて五割……いえ四割」
「そんなに……!?」
「ええ。ですが、生き残るためですから、勝ってみせます。悪くても相打ちには」
「……いえ、駄目よ。早まらないで。チャンスを待つのよ」
「おいおい、なんの相談だ!? すまんが、こっちはもう待ちくたびれちまったぜ」
 黒いオークは、再び、片手を軽く掲げてみせた。
 また矢の雨が飛んでくるのか。
 そう思って身構える冒険者たちだったが、そうではなかった。
「抜剣。全員、弓矢を置いて抜剣だ。このお嬢ちゃんたち、どうやら飛び道具では殺せそうにない。それどころか、下手な攻撃は反撃の好機を与えるだけだな」
 黒いオークの双眸は、どこまでも醜い欲望に満ち、そして、どこまでも冷めていた。
 冷酷にして、冷静。
「侮るなよ。女だろうと抵抗すれば殺せ。できれば生け捕りにしたいところだが、しょうがねえ。最悪でも、穴が無事なら死姦が出来る。贅沢は言わんさ……俺は遠慮深いからな」
 そして、残虐。
 オーク弓兵部隊の手から弓矢が落ちて、彼らは代わりに腰の鞘から剣を抜いた。
 ぎらぎらと危険な輝きを帯びる白刃。
 それを握るオークどもの目には、血に飢えた獣の殺気が宿っている。
 この世でもっとも刃物を持たせると危ない種族は、オークである。
「突貫、突貫だ! ご馳走だぞ! 野郎ども、行け、行け、行けえっ!」
 黒いオークの野太い大声が響き渡り、オークの部隊が呼応して雄たけびを上げた。
 ダンジョンが、低く震えて揺らいだ。
 オークどもは、ある者は岩肌の斜面を駆け降り、ある者は岩陰から飛び出し、ある者は真正面から果敢に、スケルトンの群れと冒険者たちに向かって殺到してくる。
 彼らは一様に、飢えていた。
 欲望に染まった豚どもを迎撃するため、スケルトン軍団が立ち向かう。
 飢えたオークに対抗するのは、飢えとは無縁なスケルトン。
 欲望まみれの剣を無欲の盾が弾き返し、首を切り裂く。
 一体のオークが、口から血を吐きながら仰向けに倒れた。
「ぷギギギギ、やられた、死ぬーっ」
「ギャーッハッハッハ、アンドレがやられたぞっ、おっと俺もやられたっ、ギャハハ」
「うぎゃーっ、俺の手がないよーっ、うひゃひゃっ」
 笑っていた。
 ルーティは戦慄した。オークどもは笑っている。スケルトンに首を切られても、心臓を一突きにされても、手足を切り飛ばされても、笑っている。笑いながら立ち上がってくる。
 明るく、けたたましい、異様なまでに甲高い笑い声が、洞窟に満ちる。
 オークとスケルトンの大乱闘。
「あぎゃぴーっ! たいへんだ、おでの右手がなくなった!」
「ばーか、片手がなくても戦えるだろ。もう片方の手を使え」
「いやー、それが、いま、両手ともなくなっちまった」
「ほんと馬鹿だなおまえ……んじゃ、噛みつけよ」
「あっ、そっかあ! おまえ、アタマいいな」
 両手をなくしたオークはにっこり笑い、迷わずスケルトンの群れへと飛び込んだ。
 そして、なんの偶然が起こってしまったのか、そのオークはスケルトンの壁を突破してしまった。
「おっ、ラッキー♪」
 笑みを深めたオークは、近くにいた人間族の魔法使いに襲いかかった。哀れなその少年魔法使いは、突然のことに対応できず、首筋にまともに噛み付かれた。絡み合って倒れる二人。凄まじい勢いで血が噴き出して、周辺に広がる。
「うまうま♪」
 ばき、ごり、ぐちゃっ、ぐちゃちゃ、と、人間の柔らかい首の肉と骨を噛み砕く音。
 胸の悪くなる音を断ち切ったのは、エストレアだった。
 振り下ろしたハルバードが、少年ごと、オークの首を叩き切る。ごろりと首の転がったオークが最後に浮かべていた表情は、満面の笑みだった。
「な、なに、これ……?」
 レミリアはすでに顔面蒼白。震え上がり、怯えている。ほかの多くのパーティーのメンバーたちも同様だ。
 まともではない。
 このオークたちは、普通ではない。
 伝わってくる気配は、尋常ではない狂気だ。
 実力そのものはけっして強くはない、そのはずだが、どうしても、ルーティは怖かった。魔物に対して恐怖など感じたのは久しぶりだ。だが、これは、その今までに感じたどんな恐れとも違う、異質な感覚。
「……薬物で……死への恐怖や痛みを取り除いている……」
 ノアルが、ぼそっと呟くように言った。
 そして、黒いオークのほうに虚ろな視線を向ける。
「ただのオークじゃ……ない。……魔王軍でも……ない」
「ほほう?」
 黒いオークは、腕組みしながら楽しげな表情を浮かべた。
 ただし、その目は笑っていない。
「……覚えがある……おまえたちの雰囲気……破滅と混沌の狂気……」
「そう。ご明察だ。――俺たちはヨルムガルドの傭兵部隊。争いの神、カムイの信徒」
 オークどもが上げ続ける笑い声が、いちだんと大きくなり、狂気の色を濃くした。
「俺たちの大将、《傭兵王》ベーゼは寛大な御仁だ。人間だろうが、エルフだろうが、それこそ魔物だろうが、差別はせずに民の一員として迎え入れてくれるのさ。俺たちのように、好き勝手やりすぎて魔王軍からも追い出された外道部隊でもな」
 傭兵国家ヨルムガルドの存在は、だれもが一度は耳にしたことがある。
 悪名高き《傭兵王》ベーゼが治める、人間社会の極北。魔王領を取り囲む、第二の魔王軍。はるか北方の国の傭兵が、なぜこんな遠く離れた大陸の迷宮に出入りしているのか。
 黒いオークは腰のベルトから吊り下げていた小さな皮袋を手に取ると、その中身を手の平の上に広げてみせた。大量の白い粉。それをルーティたちに見せ付ける。
「阿片よりもずっとご機嫌な逸品だ」
 常人ならば一回の使用で確実に中毒症状を起こして廃人になる。
 眠気が消え去り、疲労や痛みなど感じず、むしろ痛みを快楽と感じるようになり、腕や脚が吹き飛ばされても問題なく戦えるようになり、体力と膂力が何倍にも膨れ上がり、そして、最後には必ず廃人になって破滅する。
 その、あまりにも凶悪な魔の粉末に、黒いオークは自分の大きな鼻を近づけた。
 そして、下品な音を立てながら、粉末の小山を一息で吸い込んでしまう。人間ならば完全に致死量だ。
 黒いオークは恍惚とした表情を浮かべて、それからいきなり両腕を掲げて内側に曲げた。
 上腕二頭筋をことさらに強調して力こぶを作り出すポーズ。ダブルバイセップス・フロント。
 不潔に黄ばんだ乱杭歯を剥き出しにしての満面の笑み。
「うーん、ハッスル・マッスル! 脳味噌の風通しがよくなったみたいで気持ちイイーん!」
 冒険者たちの嫌悪感をことさら刺激したのは、おぞましい事実。
 カムイの信徒には、すべてを凌駕する無敵の力と不死身の肉体が与えられるが、その代償として、必ず破滅する運命を背負ってしまうと、だれもが聞いている。
 かの神への信仰の対価として与えられるのが、あの麻薬。
 恩恵の正体は、麻薬による理不尽な身体強化だというのか。
「あーっ、お頭っ、それ俺たちの分まで吸ったでしょっ!」
「ひでえ。これが終わったあとの一服を楽しみにして戦ってたのに」
「これはもう逝ってよしじゃね」
「うん、逝ってよし」
 ブーブーと批難の声を上げる豚ども。
 黒いオークは唾を飛ばして叫んだ。
「うるせーうるせー。俺は隊長だからいいんだよ! 偉いんだから! 悔しかったら俺より強くなってみろよ、ばーか! ばーか!」
「いや、ねーわ」
「ぷぎー。オークとしてもありえんほどのガキっぽさと傲慢さだプギ」
「あんなのが隊長とは。終わったなオーク社会」
「逝ってよし」
 今が戦いであることを忘れたかのように、ふざけた調子で騒いでいるオークども。
 しかし実際のところ、彼らの剣は鋭さを増し、スケルトンをほとんど駆逐し始めていた。
 たまにスケルトンの壁が突破されて、囲いの内部にオークが侵入することも、増えている。
 もちろんルーティもすぐさま新しいスケルトンを呼び出している。
 だが、数の暴力というよりは、狂気の迫力で、オークたちはスケルトンを上回っている。
 エストレアのハルバードやノアルの太刀、ガゼルの大剣が閃き、ほかのパーティーのメンバーも応戦するが、状況がジリ貧であることは間違いない。
 黒いオークが、声を張り上げた。
「おーい。そろそろ降参したらどうだ? こっちはできるだけおまえらを傷つけずに手に入れたいんだがな。安心しろよ、狂っちまうほど気持ちよくしてやるから。男は殺すけど」
 ルーティたちは返事をしない。
 ただ、ますます反抗の意気を高くする。
 その様子を見て、黒いオークは肩をすくめた。
「強情だな。……しょうがねえ、俺が行こう。こう見えても暴力反対の平和主義者なんだけどなぁ」
 黒いオークの双眸は、殺戮と強姦へのみなぎるような期待で光り輝いていた。
 ルーティは直感的に悟る。
 あいつを近づければ、終わる。スケルトン軍団が一瞬で蹴散らされて負ける。
 あの黒いオークだけは、別格だ。
 だから、その前に、あいつがやってくる前に、倒さなければならない。
「どのみち、こうするしかありませんわね」
 エストレアの巨躯が、その甲冑も含めた重量をまったく感じさせないほどの軽やかさで、中空に浮かび上がった。地を蹴って跳んだのだ。
 そして、黒いオークの眼前、十メートル離れた位置に降り立つ。
 地響きがして、エストレアの足元の地面がひび割れた。
「エストレア!」
「心配はご無用ですわ、ルーティ。勝ちますから。あなたはみなさんを守っていてくださいな」
 盾を前に、ハルバードを後ろに引くようにして構える、エストレア。
 黒いオークは、迷いなく背中の大剣の柄に手を回す。
「でかいお嬢さんだ。サイズだけなら、俺と見合うな」
「身長のことを言われるのは好きではありませんの」
「なんでだ? 立派なもんだろう。誇れよ。強く美しいおまえは立派だ」
「……あなたには関係のないことですわ」
「あっ、そ。いいけどな。――さっさとやろうぜ? 仲間が死ぬぞ?」
 そう、エストレアの狙いは、この黒いオークを倒して、オークどもの指揮系統を破壊することにある。あの狂ったオークどもに通じる手段かどうかは怪しいものだが、やらないよりはマシだといえた。そしてそれを黒いオークも悟っている。
 エストレアの表情が引き締まって、黒いオークを睨みつける。
「フォッシルの子、エストレア。――いざ、参ります」
「俺の名は、ロイガー。親の名は、知らん。……名前を訊く前に食っちまったからな」
 口の端が耳元まで裂けるような笑みを浮かべた黒いオーク、ロイガーは、大剣を腰のあたりの高さに構えた。
 戦いは、爆ぜるようにして唐突に始まった。
 常人の知覚領域を超越した、神速の世界。
 ロイガーもまた、その巨体からは想像もつかないほどの超スピードで疾駆。待ち受けるエストレアめがけて真正面から挑んでいく。
 刃渡り三メートルを越える超大剣が、エストレアの胴体を狙って薙ぎ払う。ロイガーの剣は刃こぼれがひどく、切れ味こそ鈍そうだが、おそらくはそもそも斬るというより重量で叩き潰すことを目的とした武器なのだろう。いかにエストレアの装備が重厚とはいえ、これを食らっては無事ではすまない。
 エストレアはそれを盾で受ける愚は犯さず、軽く後ろに跳んで避けた。
 巨人族の少女の腹部から数センチ離れたところを凄まじい勢いで通過する、鋼の凶器。
 ロイガーの心臓を狙う、ハルバードの鋭い矛先。
 五メートルを越えるハルバードの長さは、それだけで驚異的なアドバンテージ。なにせロイガーの大剣よりもさらに長いのだから、ロイガーの間合いの外から一方的に攻撃できるというわけだ。
 長いということは、すなわち有利だということだ。
 こうした場合、ロイガーは、まずエストレアに突かせて、それを避け、ハルバードを手元に引き戻す瞬間を狙って攻め込むのが最良だと考えていたのだが、オークの見通しは少しばかり甘かった。
 凄まじい重量の斧槍を引き戻す瞬間は、ロイガーには見えなかった。
 突かれたと思った次の瞬間にはまた突かれている。引き戻す手が見えない。
「おほっ!? すげえっ!? やるなあ、お嬢さん! ぶははははっ!」
「……ふざけた男だこと!」
 神速の突きの連撃を披露するエストレアだが、その表情に優越感や余裕はない。
 やはり、ロイガーは、強い。
 伝説の域と謳われた彼女の突きをこうまで避けきってみせる人物など、これまでに片手で数えられるほどしか出会ったことがない。
 ロイガーは、あの図抜けた巨大すぎる体格で、しかも致命的なほど重そうな大剣をその手に握ったまま、エストレアのハルバードが掠ることすら許さないのだ。
「ならば、これはどうですの!?」
 その場で左脚を軸として竜巻のように回転したエストレアの、強烈な薙ぎ払い。
 ハルバードの斧の部分が、ロイガーの横っ腹を狙う。
 しかし、ロイガーは、剣を大地に突き立てることによって、それを盾にしてハルバードの一撃を防いでみせた。
 大きく甲高い音が上がり、火花が散る。
 衝撃で手が痺れて、思わず体勢を崩してしまう、エストレア。
 その致命的なまでの隙を、ロイガーが見逃すはずもない。
「もらったあっ!」
 巨漢のオークの瞳がぎらりと輝き、躊躇なく剣の柄から手を離すと、そのまま勢いよく突進してくる。砲弾のようなショルダー・タックル。
 エストレアは無我夢中で盾を前に突き出すようにして構えた。
 直後、凄まじい衝撃が彼女の全身を襲う。
 巨人族の仲間ですら並ぶ者のいなかったエストレアにとって、感じたことのない衝撃。
 かかとが地面にめり込む。
 じりじりと押され、後退せざるを得ない事実に、エストレアは戦慄を覚えた。腕力こそ至高とする巨人族が、パワーで負ける日が来るとは。
 盾の向こう側から、声が聞こえた。
「初めてか?」
「な、なんですのっ!?」
「自分よりも力が強い奴と戦うのは初めてかと……聞いているんだぜえっ!」
 さらにパワーを増したロイガー。
 エストレアは悟った。このままでは押し倒されて殺される。
「くっ、このおっ!」
「おお!?」
 渾身の力をこめ、起死回生を賭けておもいきりロイガーを突き飛ばすと、エストレアは再び回転した。
 そのときにはすでにロイガーも再び剣を手に取り、驚くべき反応速度で上段に振り上げている。
 エストレアがハルバードで薙ぎ払うのと、ロイガーが大剣を振り下ろすのと、どちらが速いのか。
 スピード勝負を制したのは、エストレアだった。
 厚く切れ味のいい斧の刃が、ロイガーの皮鎧を羊皮紙のように引き裂き、腹部の肉に深く食らいつく。
「ぐげええっ!?」
 傷口から大量の血を流し、口元から血液混じりの悲鳴を上げる、ロイガー。
 エストレアはにやりと会心の笑みを浮かべて、そして、ロイガーの剣がいまだに振り下ろされようとしていることに気づいた。
 ロイガーの腹からハルバードを引き抜こうとしたエストレアの表情が、驚愕の色に染まる。
 抜けない。
 驚くべきことに、おそらくは、筋肉に力をこめて収縮を利用することによって、ハルバードが引き抜かれることを防いでいるのだろう。
 超重量の大剣が、瞠目すべき速度でエストレアめがけて刃を落とした。
 とっさの判断でハルバードから手を離して後ろに跳んでいなければ、エストレアは脳天から真っ二つに両断されていたはずだ。
「これで武器がなくなったな、お嬢さん」
 自分の横っ腹からハルバードを引き抜きながら、ロイガーは口の端を吊り上げた。傷口を塞いでいたものがなくなったせいでことさらに血液が流れ落ちたが、気にする様子もない。
 たしかに、武器は奪われた。
 無理もない、あのような捨て身の方法で武器を奪われるなどと、だれが想像できるものか。しかも、たいして意味はない。なぜならすでに勝負は決まっているようなものなのだから。
「それ、致命傷ではなくて?」
 ロイガーの腹に走った傷口から流れる血の量は、明らかに致命的なほど多い。
 だが、本人は、いたって平然としている。
「ああ、これか? ……ふん!」
 鼻息も荒く、気合いをこめるような声。
 そんなもので出血が止まるなら、だれも苦労などしない。
 しかし実際に、傷口から流れる血の勢いはピタリと止まった。
 いや、それどころか、ピンク色の真新しい肉が盛り上がり、傷口そのものを完全に塞いでしまったではないか。
 目を剥いて驚く、エストレア。
「オークに、再生能力が!?」
「俺は特別なのさ。これこそ、偉大なるカムイから与えられる恩恵だ」
「……ただの麻薬に、そんな効果が?」
 カムイによって与えられる不死の肉体と無敵のパワーは、おそるべき濃度の麻薬による作用こそが、その正体であったはずだ。だが、麻薬で痛みをなくすことはできたとしても、肉体そのものが再生するようになるなどと、そんなことはありえない。
 ロイガーは、あざ笑うようにして、豚の面構えを歪める。
「下級兵士どもの強さの秘密は、それだ。だが俺は違う。ヨルムガルドの本物の国民、歴戦連破の外道戦鬼、最強の傭兵どもはな……あんなクスリなんぞに頼らずとも、そもそも不死だ」
 ベルトにぶら下げていたナイフを手に取ったロイガーは、あろうことか、その鋭い刃先を、ためらうこともなく自分の頭部に突き刺した。
 エストレアは、小さく悲鳴を上げた。
 自分の脳味噌をナイフでぐちゃぐちゃにかき回す、ロイガー。
「脳味噌に風穴が開いちゃった♪ うーん、スッキリ爽快、気持ちイイーん♪」
 満面の笑み。
 邪悪な狂気に染まりきった、化け物の表情。
「いいなー、お頭。俺もアレやりてぇ」
「なんなら俺がヤッてやろうか」
「おっ、マジで? じゃあ頼むわ、ほれ」
「よーし、ぐりぐりー」
「おげげげげぼあごごごごごぼべ」
「あー、死んだわ。やっぱこうなるよな」
 どっ、とオークたちの笑い声が上がる。
 エストレアは、自分の総身に震えが走っていることに気づいた。武者震いではなく、怯えたせいで震えるのは、勇猛果敢を信条とする巨人族にとっては恥でしかないが、それでもどうしようもなかった。
 このオークどもは、他人の生命はもちろんのこと、自分の生命でさえ、どれほどの価値も見いだしていない。遊び半分で殺し、遊び半分で死ねるのだ。
 生物は、自分にとって理解のしようもない事態を目の前にすると、恐怖を感じる。
 ナイフを投げ捨てたロイガーの頭部では、すでに怪我の治癒が凄まじい速度で始まっていた。
「理解したか? これが俺たち、ヨルムガルドの傭兵だ。カムイのパワーを借り受けた俺たちは、いつか破滅することが決まっているが、その日が来るまでは無敵だ。負けはない」
「化け物……!」
「そうだっ! 化け物だ! 怯えろ、お嬢さん! 俺たちは、仲間の賞賛や憧憬よりも、獲物の恐怖と憎悪こそが欲しい! 《傭兵王》ベーゼよ、破壊と混沌の神カムイよ、照覧あれっ! ヒャッハー!」
 膨れ上がった闘志をそのままぶつけてくるかのような突進が、エストレアを襲う。
 盾で防ぎきれるような、甘い攻撃ではなかった。
 先ほどの一撃が遊びに思えるほどのショルダー・タックルは、その規格外のパワーを爆発させて、エストレアの巨躯をおもいきり弾き飛ばしたのだ。
 巨人族エストレアの体重は、分厚い甲冑を含めれば四百キログラムに届くが、それが紙くずのように宙を舞った。
 ルーティたちの場所まで吹き飛ばされ、スケルトンどもを下敷きにして仰向けに倒れる。
 魔性の素早さで跳躍したロイガーが、スケルトンの陣形の崩れた部分を狙い、一気に内側へと進入してきた。目にもとまらぬ、電光石火のスピード。あまりの速さゆえ、残像が生まれたほどだ。
 自分の大剣とエストレアから奪ったハルバードを同時に振り回し、スケルトンを蹴散らすと、ロイガーはすぐさま得物を両方とも放り出して、両手の人差し指を突き出した。
 その指一本で、ロイガーに応戦しようとしたガゼルとノアルの腹部を一突きにして気絶させ、魔法使いの攻撃魔法を避けようともせず、ルーティとレミリアも気絶させ、残りのパーティーのメンバーたちの意識も同様に奪った。
 驚くべき、問答無用の早業である。
 《暗黒の洞窟》の地下十階で、《リノティア・バーニングボンバーズ》をはじめとしたリノティアの冒険者たちは、あっという間に全滅させられた。
 次にルーティが目を覚ましたのは、あたりに響く悲鳴があまりにもうるさかったためだ。
 敗北した冒険者たちは、ふたつのグループに分けられていた。
 便所用と、食料用。
 ふたつのグループはそれぞれ少し離れた位置に転がされている。全員の武器は没収され、一箇所に集められていた。
「いっ、いやだっいやだっ、死にたくない死にたくないいいいいいいっ」
「うわあああ、いやだああああああ」
「たすけてっ、お願いだから命だけは助けてっ、たすけてっ」
 手足を縛られ、身動きのできない状態で、命乞いを繰り返す冒険者たち。いずれも男や、オークに見た目を気に入られなかった少女ばかり。
 オークどもはそれぞれの手に持った剣や斧を見せつけながら、ゲラゲラと笑う。
「ガタガタ騒ぐなよ、男のくせして。みっともねえ」
「そうそう。死ぬのなんて怖くないぜー。痛いのは一瞬だから大丈夫よん♪」
「今までおまえたちに殺されてきた食用豚さんの恨み……今ここで晴らす!」
「いやごめん、俺も豚肉はけっこう食うわ」
「えっマジで」
「共食いじゃん」
「美味いからしょうがねーべ?」
「まあ、美味いけどな」
「うっ、裏切り者どもー! ゆるさん! てい」
 少年剣士の胸に、剣の切っ先が突き刺さる。
「な、なんで……?」
 まったく予告もなく突然に殺された少年は、呆然としながら息絶えた。
 刺したオークは、舌をぺろりと出し、自分の頭を拳で小突く。
「あらら、ついうっかり♪ てへ♪ めんご、めんご♪」
 げらげらげらげら。
 下品で邪悪な笑声が響き、比例するようにして冒険者たちの絶望の悲鳴が濃くなる。
 哀れな冒険者たちは、つぎつぎに惨殺されていった。面白半分に手足を切り裂かれ、わざと致命傷にはならない部分を傷つけられたりして、嬲り殺しにされていった。
「悪魔ね」
 手足をきつく縛られて立ち上がることすらできないルーティは、そう吐き捨てた。
 このオークどもに、温かみのある心など微塵も存在しない。冷酷、非情、他人の生命を奪うことに一切の躊躇がない鬼畜ども。
 死体を弄ぶ屍霊術士ルーティといえども、けっして許容できないほどの外道どもだ。
 やがて、食用と決められた冒険者たちの処分が終わった。
 最初の矢の攻撃で絶命した冒険者も含め、彼らの死体はバラバラの肉塊にされて、大きめの皮袋に乱雑に詰め込まれていく。あとで薫製にしたり焼いたりして食うのだろう。あまりにもむごい仕打ち。同じ学園に通う仲間の末路は、悲惨というのも生ぬるいものだった。
「さーて、おまちかねの便所タイムだ」
 軽快なステップを踏み、小躍りしながらルーティたちに近づいてくる、ロイガー。
「一応、訊いておく。だれか、最初の便所に立候補したい子はいるかなー?」
「……だれかが手を挙げるとでも思っているの? 見た目よりもよっぽど馬鹿ね、あなた」
「う、うるせー! だれか気のいい子が手を挙げてくれるかもしれないだろ! そういう善意の立候補を待ち望んでるんだよ俺は!」
 とはいえ、みずからオークの餌食になりたいと思う者など、いるわけがない。
 ロイガーの望みが果たされることは永遠にないだろう。
「ちくしょー。まあ、いいや。じゃあ俺たちで選ぶから。……こっちはどんだけ生き残った?」
「第三小隊と第五小隊が食われましたプギ。あと、アンドレとサックスも。だから残ってるのは二十五人ですプギ」
「ふーん。えーと、こいつらの残りは……」
「十人ですプギ」
「んーと、だから俺たち二十五人で、十人を便所にしたら……おお、ちょうどひとりにつきひとつの便所が行き渡るぞ!」
「えっ。どこをどうすりゃそんな計算が出てくるんだプギ……あんたマジで狂ってるプギ」
「うるせー! 算数は苦手なんだよ!」
 算数の次元ですらない問題だ。
「おい」
「うん?」
「……なんで、俺やこいつまで生かされてる?」
 不機嫌そうに、しかしどこか青ざめた顔で尋ねたのは、ガゼルだった。やはり手足を縛られている。こいつ、というのは、ノアル・ハーミットだ。男を殺して女は犯すというオークの理屈でいけば、ガゼルやノアルが生かされている理由がない。
 ロイガーは、不思議そうに首をかしげた。
「なんで、って……そりゃあ、おまえ、便所にするからだよ」
「は……? ふ、ふざけんな! 俺は男だ! 女じゃねえっ!」
「分かってるぜ。けどなあ、べつに男でもかまわんのよ。おまえさん、ダークエルフだろ。エルフ族には美形が多いよな。女みたいな顔で綺麗だよ。十分に使えるから心配すんな!」
「つ、使う、って」
「口とケツの穴があるだろ。安心しろ、俺たちはそっちの点でもテクニシャン!」
「男も女も差別はしない! 差別はよくない! ただしブサイクは勘弁な!」
「おまえは合格だ! なんかこう、ワイルドな美貌でたいへんよろしい!」
「褐色系の生意気そうな男の娘とか、大好物だゼッ☆」
 いっせいにサムズアップして笑顔を見せる、オークども。
 ガゼルは金魚のように口をぱくぱくと開け閉めして、言葉を失っていた。
(変態だわ、こいつら……)
 なんとかしてこの窮地を打破する手段を見つけようとしながら、ルーティはそう思った。
 その背後から、囁く声。
「……エルディナマータさん」
「ハーミット先輩?」
「……時間を稼ぐので……どうにかして……みんなを逃がす方法を考えて……」
 オークたちには聞こえない、蚊の鳴くような声で伝えると、ノアルは脚を縛られているとは思えないほどしっかりと立ち上がった。
 そして、今度はオークたちにも聞こえるよう、こう言った。
「……立候補……する」
「ああ?」
「……全員、まとめて……僕が面倒を……みる」
 平然とそう言ってのけたノアル。
 だれもが耳を疑った。
 オークの餌食になるということがどれほど悲惨な末路を呼ぶのか、冒険者ならば必ず知っている。たとえ獲物が男だろうが、美しければ、オークたちは遠慮しない。徹底的に犯しぬき、破壊しつくす。ただのオークでさえ恐るべき性欲で強姦を行うというのに、この狂ったオークどもがノアルに対してどれほどの陵辱を行うのか、想像もつかない。
 ノアルはエルフ族というだけあって、人間族の並みの美少女などよりもよほど美しい、ルーティに匹敵するほどの美貌の持ち主なのだ。性欲処理のための道具としては、極上の部類に違いない。
 歓声を上げる、下級オークたち。
「ヒィィヤッホオオオウッ! 善意の立候補者キター!」
「黒髪で色白のクール美人……しかもボクっ娘かよ……うはっ、キタコレ」
「へたな女よりもよっぽど可愛いぞ」
「ウホッ」
「ヒューゥ、見ろよあの尻……服の上からでも俺にはわかるぜ、あれは相当の桃尻だ」
「美味そうだぜ……しゃぶりつきてえ」
「もちろん三日ぐらい風呂に入ってないんだよな? へへっ、美少年の汚い尻穴ほど美味なモンはないからな」
「俺は後ろよりも前のほうに興味があるな。先っぽからちょっとずつ噛み千切りたい」
「なあ、首の骨を折りながらヤリたいんだけど」
「おまえは最後な」
「え、なんで」
「死姦よりも生姦。あとは分かるな?」
「ちっ、ちくしょう……ちくしょおおおおおお――ッ!」
 嬉しげに騒ぎ立てるオークたち。欲望に満ちた目をノアルに向ける。
 しかし、ロイガーだけは、ふざけて騒ぐ様子がなかった。
 値踏みするように、ノアルの身体を上から下まで眺め回す。
「なるほど。身震いするほどのいい男の娘……たしかに、上等な便所になりそうだ」
「……だから……まずは、僕を……」
「だが断る」
 ロイガーの瞳は、まったく笑っていない。
「おまえさん、忍者だろ? 忍者は手足を切り落としても油断ができん。首を落とすまではな。ましてや、おまえさん、どうにも臭うぜ……危険な臭いだ。自分の命すら簡単に投げ打って獲物を仕留める、俺たちと同類の臭いがプンプンしやがる」
「……勘違い……僕はただの哀れな獲物……逆らわなければ痛い思いはしないだろうから……立候補しただけ……」
「そうかい? あいにくだが、俺はおまえさんを甘く見ないぜ。……おい、こいつはやっぱり食料用に回す。念入りに殺しておけ」
「へい、了解」
「んじゃ、さっさとバラすか」
 二体のオークが、それぞれの手に鉈や剣を持って、ノアルへと近寄る。
 先ほどまでノアルを犯すことに関してあれほど喜んでみせていたというのに、ロイガーの命令を受けたとたん、オークたちの態度は豹変した。ノアルのことを性欲処理用の便所としてではなく、食用のための肉、いや、冷静に解体するための肉塊としか見なくなった。
 ルーティもノアルも、ロイガーたちの本質を見抜けなかった。
 このオークどもは、ならず者の団体などではない。そんなつまらない連中ではない。
 ロイガーという首領の下、徹底的に指揮系統を明確に固め、トップの指示には微塵の躊躇も不平不満もなく俊敏に従う、ひとつの生命体のごとき戦闘軍集団。狂っていながらも機械のように精密に働く、破壊と殺戮の残虐なプロフェッショナル。
 ただのオークの群れとは、なにもかもが違う。実力も、洗練された戦術の展開も、心構えも、その狂気も。
 完全なる敗北というのは、こういうことを言うのだろう。
 いまだにメンバー同士の連携ですらおぼつかない、未熟者のルーティたちが戦っていいような相手ではなかった。
 ルーティたちが生き残る手段があるとすれば、それは、最初の瞬間、スカジオが倒れてロイガーが現れたあの瞬間に、全員で全力を尽くして逃げ出すことだった。そうすれば数人は生き残れたかもしれない。
 すべてはもう遅い。ノアルはここで殺される。ルーティも、エストレアも、レミリアも、ガゼルも、このオークどもの便所として飼われ、しばらく使われ続けてから、やがて殺され、ゴミのように捨てられるか、食用の肉に成り果てる。
 ルーティの胸中を諦めの感情が支配した、その瞬間――
「うあああああっ、スカジオのかたきだああああああっ!」
 突如としてウェルミーナの叫び声が上がり、ロイガーの全身が燃え盛る炎に包まれた。
 エルフの少女は、今までどこに隠れていたのか、いきなりロイガーの背後に現れたのだ。
 そして見事な不意討ちでロイガーに攻撃魔法を放った。
 猛烈な勢いでロイガーを燃やす炎は、眩しいほどの赤色に輝き、その威力を物語る。
 自分の攻撃が完全に成功したと確信して、ウェルミーナは会心の笑みを浮かべた。
「や、やった……見たか、くそオーク! ボクのスカジオのかたきだっ、あはははっ」
 冒険者たちのだれもが思った、あの業火ならばロイガーに確実な致命傷を与えられるはずだと。
 だが、それならば、なぜ、部下のオークたちは、ニヤニヤとした不敵な笑いをやめないのか。
「……おまえさんの殺気は、ずっと感じていたよ」
 ロイガーがそう言った瞬間、彼の全身を襲っていた炎が、一瞬にして消し飛んだ。
 完全な無傷。
 ウェルミーナの渾身の魔法は、ロイガーの剛毛の一本ですら焼いてはいなかった。
 ゆっくりとウェルミーナのほうを振り返る、オークの邪悪な頭領。
「自分の姿を透明にする魔法……たいしたもんだ。だが、気配を隠す方法も知っておくべきだったな」
「う、うそだ……そんな……あああ……」
「我らが《傭兵王》ベーゼは、こんなことを言った。――人間は、絶頂の状態から絶望の底に叩き落すのが楽しいので、機会があるなら楽しんでおくべきだ、と。まったくその通りだぜ。笑える犬死に、おつかれさん」
 唸りを上げた手刀が、ウェルミーナの首を一撃で刈り取った。
 頭部をなくした肉体が、音を立てて倒れる。
「食料用だ」
「便所にはしないんで?」
「顔が好みじゃなかったからな」
 今朝の朝食の献立についてでも話すような調子のオークたち。
 その雰囲気が、いきなり殺気を帯びる。
「便所を中心に円陣を組め」
「了解」
 ロイガーの短い命令にすぐさま従って動き始めるオークたち。
 いきなりどうしたのかと訝しく思ったルーティは、すぐにその原因を知った。
 囲まれている。
 無数の、冷たい殺気が、オークと冒険者たちを取り囲んでいる。
 大剣を構えながら、油断なく周囲を見渡す、ロイガー。
「ジャイアント・アントか?」
 無数の殺気の発信源は、巨大な蟻どもだった。漆黒に染まった巨大な体躯と、真っ赤に輝く双眸、どんなものでも噛み砕けそうな大きな顎。
 数百匹ものジャイアント・アントが、いつの間にか忍び寄っていたのだ。その殺気は、冒険者たちはもちろんのこと、オークたちですら狙っている。
 ロイガーの舌打ち。
「あーあ、ドジったぜ」
「どうします、お頭?」
「どうもこうも……俺は不死だからなんとかなるけどよ、おまえらは駄目だな」
「マジっスか。俺、死ぬ前にあの屍霊術士の子だけはなんとしても犯したいんスけど」
「俺も俺もー。忍者の男の娘は俺の嫁。あ、食用にするのか。じゃあチンポだけ分けてくれ」
「奇遇だな、俺もだ。果たさねばならぬ使命があるゆえ、まだ死ねん。そこのダークエルフの剣士ちゃん……愛してるゼ☆」
「巨人族にハグされてええっ! 俺の全身の骨をバキバキ折って殺してくれえええっ」
「んじゃ俺はあの天然バニーガールもらうわ。レイプしながら耳をちぎって食べてみたい。というわけでお頭、どうにかして生き延びたいです」
 勝手なことを言い合うオークたち。
 ロイガーはため息をつき、やれやれと肩をすくめる。
「しょーがねーな、おまえらも。ま、部下の頼みは聞いてやらにゃならんか。おい、便所の拘束を解け」
 ルーティは、我が耳を疑った。信じられなかったのは、オークたちが素直にロイガーの命令に従い、自分たちの手足を縛る縄を断ち切ってくれたことだ。
 さらに、冒険者たちの武器を集めて叩き込んでいた皮袋まで、足元に放り投げられた。
 自分の魔杖を取り出しながら、ルーティはロイガーに問う。
「どういうつもり?」
「一時休戦、ここは仲良く手を組もう」
「……は?」
「死にたくないだろ? こいつらも同じだ。そら、利害が一致したぞ。よし、がんばろうぜ」
 ごつすぎる手の平でポンポンと肩を叩いてくる、ロイガー。
 ルーティは不愉快さを隠そうともせず、身長四メートルのオークを見上げた。
「ふざけないで」
「ふざけてないです、俺たちマジです。……なに? なんか変なこと言ってる、俺?」
「私たちは、さっきまで殺し合いをしていたのよ?」
「だからどうした? 俺たちは傭兵だ。昨日の友が今日の敵、そんなことは当たり前だ。その逆もな。どうでもいいだろ、敵とか味方とか。細かいことを気にするなよ」
「私たちは冒険者よ。傭兵ではないわ」
「あっ、そ。んじゃ死ぬ? ここは協力しないと、おまえらだけじゃ無理だぜ。死ぬぞ」
「し、死なないわ。まだ死ぬわけにはいかない」
「よっしゃ、決まりだ」
「勝手に決めないでくれる!?」
「あー、うるせー。うだうだ言ってねーでよぅ、とっとと覚悟を決めようぜ、お嬢ちゃん!」
 にやりと笑って大剣を構える、ロイガー。
 ルーティは、こめかみに青筋を浮かべ、握りこぶしを震わせてから、大きく深呼吸した。自分の気を静めるように。
「そもそも、オークもジャイアント・アントも同じ魔物でしょう。どうして殺しあうの?」
「知らね。思想とか音楽性の違いじゃん? 俺らは魔王軍からのドロップアウト組で、もう仲間だとか思われてないんだろ。つーか同じじゃねーよ。見ろ、蟻どもを。俺たちみたいなぽっちゃり系の愛くるしさとか、つぶらな瞳とか、フェアプレイ精神とか、そういうの皆無じゃん。軽蔑するわ」
「……みんな、ここはオークの提案に乗るわ。それでいい?」
「腹立たしいことですが、生き残るためには、それしかないようですわね」
「俺はいいぜ、べつに……」
「あ、あたしは、生きて帰れるなら、もうどっちでもいいよ」
「……僕は……それしかないと……思う」
 パーティーのメンバーの了解は得た。
 ルーティは、《コンゲラート》と《スピリアル・ビューティ》の生き残りであるエルフと人間の少女たちにも眼を向ける。
「みなさんは、どうしますか?」
「そ、それしかないでしょ、この状況……」
「あたしは嫌よ! スカジオやウェルミーナを殺した連中と手を組むだなんて!」
「そ、そうよ! 屍霊術士、あんた本気で頭がイカレてるんじゃないの!?」
 ロイガーの意見に賛成する者もいれば、ルーティを罵る者もいた。
 が、いつまでも議論している余裕など、ジャイアント・アントが与えてくれるはずもない。
 とはいえ、ここにいたるまで襲い掛かってこないというのも事実。すべてのジャイアント・アントはルーティたちを包囲して遠くから眺めるだけで、牙を剥いてはこない。
「奇妙だな」
「は?」
「いや、あいつら、ぜんぜん襲ってこねーだろ。おかしい。まるで、なにかを待っているみたいだな」
 ロイガーの言葉を合図としたかのように、それは現れた。
 ルーティたちから十メートルほど離れた位置の地面を突き破って、一匹のジャイアント・アントが顔を出した。
「あ?」
 わけがわからないというふうに眉根を寄せる、ロイガー。
 だが、地面から現れたジャイアント・アントのすぐ右隣に、またしても地面を突き破ってもう一匹のジャイアント・アントが顔を出したとき、豚面の顔色が変わる。
「……やっべー」
「は? どうして?」
「分からねえのか? こいつら、下の階から俺たちを囲んでやがるんだ」
 すでに遅い。
 時計回りに連続して地中から這い出てきた数十匹のジャイアント・アントは、ルーティたちを完全に丸く包囲している。
 すなわち、地面が切り取られた。
 地下十一階の天井から地下十階にかけて掘り進んだジャイアント・アントたちの目論見は、いまここに成就した。
 足元が落ちる。
 急転直下の崩落、終着点は、数十メートルも真下の地下十一階。
 オークどもの怒号とルーティたちの悲鳴を呑み込む《暗黒の洞窟》。
 ジャイアント・アントたちの真紅に染まった双眸が、彼らの行く末を見届ける。



[9648] 第十二話《リノティア・バーニングボンバーズ》後編
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/05/24 17:55
 地下十一階、ルーティたちが落下した地点では、砕け散った岩盤が大きく広がり、粉塵が舞い上がり、土砂が山を作っていた。
 いかにレベル二〇〇近い冒険者といえども、数十メートルの高みから岩盤と共に落下して生きていられる理屈はないが、結果としてルーティやオークたちは全員が生き永らえた。
「つ、つかれた……」
 レミリアが咄嗟にフルートを吹き、呪歌を使用したのだ。
 魔力で周囲の空間に影響を及ぼし、重力の作用を軽くする。高所から飛び降りるときなどに使われる種類の呪歌。
 しかし、全員を救うために、かなり広範囲にわたって効果を展開する必要があったため、通常以上の魔力を消耗したレミリアは、疲労困ぱいといった様子で瓦礫の上にへたり込んでいた。特徴的な兎の耳も、脱力したように力を失っている。
「ほんとに疲れた……もうだめ、しばらく呪歌は使えないよぅ」
「十分よ。よくやってくれたわね、レミィ。あなたがいなければみんな死んでいたわ。ありがとう」
 レミリアに労いの言葉をかけるバーニングボンバーズのメンバーたち。
 驚いたことにオークどもまでレミリアを褒め称えていた。
「バニーちゃんグッジョブ」
「グッジョブ」
「やはり俺が見込んだ通り、あの天然バニーちゃんは、やるときはやる子だったんだな」
「あの子はなんか影が薄いとか言ってなかったか、おまえ」
「実際、たいしたもんだ。吟遊詩人なんぞクソの役にも立たんと思ってたが、俺もちょっとは呪歌を覚えるべきかもな」
「へえ。おまえ、楽器とか演奏できたっけ?」
「いや……まあ、カスタネットぐらいなら。うんたん! うんたん! うんたん! どうよ?」
「きめぇ」
「ひでぇ」
 などと談笑するオークたち。
 ロイガーがレミリアに近づいた。
「ありがとよ、バニーちゃん。助かったぜぇ」
「……う、うん」
「なんだよ、怖がるなよー。おじちゃん悲しいぞー。ぶはは。ああ、マジでおまえさんには感謝してるんだぜ。あの高さから落ちたら、手下どもはもちろん、俺も挽き肉になってただろうからな」
「不死のあなたなら、そうなったところで問題ないのではなくて?」
 レミリアとロイガーの間に割り込みながら言ったのは、エストレアだ。ルーティたちはオークを信用などしていない。ロイガーがレミリアに危害を加えようとするなら、すぐさま阻止するつもりだった。
 ロイガーは、ぷっ、と吹き出すようにして笑った。
「いくら俺でも挽き肉になったら普通に死ねるわ」
「ですが先ほど、あなたは不死だと……」
「あー、あれ? ただのブラフだ」
「ぶ、ブラフ?」
「ハッタリだよ、お嬢さん。……俺のパフォーマンスにビビッて身体が震えたろ? ああ、だめだー、こいつには絶対に勝てない、不死身の敵なんて倒しようがない、負けちゃうーって思ったろ? いけねぇなあ。お嬢さん、おまえさんは筋がいいが、いかんせん甘っちょろいわ。殺し合いはな、ビビッたほうの負けだし、ビビらせたほうの勝ちなんだよ」
 そう言うロイガーの全身から滲み出る雰囲気は、歴戦の戦士のものだった。
 戦いというものを数え切れないほど経験し、熟知した者の面構え。
「たしかに俺たちは、ほとんど不死だ。ほとんどな。脳味噌をかき混ぜられたり、心臓をブッ刺されたり、ちょっと炎で焼かれたり、その程度では死なん。だが首を落とされたり全身をバラバラに切り刻まれたりしたらお手上げだ。どうしようもない。マジで塵も残さずに蒸発しても復活できる奴なんて《傭兵王》ぐらいのもんだぜ。ただカムイのパワーの端っこのほうを借り受けただけの俺らに、本当の不死と呼べるほどの能力はないよ」
「わたくしを騙した、というわけですの? 動揺を誘ったと?」
「そうだよーん。でもな、お嬢さん。陳腐な言葉だが、戦場では、騙されるほうが悪いのさ」
 べろん、と舌を出してみせる、ロイガー。
 エストレアは、納得がいかない様子だったが、やがて諦めたようにため息をついた。
「……認めましょう、完敗ですわ。あなたはとてもお強いのね。肉体も精神も。まあ、品性下劣で、残虐で、畜生以下の悪党ですけど」
「ぶひゃひゃひゃ! お褒めにあずかり光栄でございます、美しいお嬢さん」
 腰を折って優雅に一礼してみる、ロイガー。その仕草が意外とさまになっていて、エストレアは目を丸くした。
 ロイガーは顔を上げ、周囲を見渡す。
「ジャイアント・アントは追撃してこない、か」
 真上の階層、地下十階にはあれほど群がっていたジャイアント・アントだが、少なくともこの付近にはその姿が一匹も見当たらない。天井に開いた穴から追いかけてくる様子もない。
 ロイガーは、豚面の眉根を寄せて考え込む様子を見せた。
「やっぱ、変じゃね?」
「どういうこと?」
 レミリアを介抱していたルーティが尋ねる。
 ロイガーは小さく頷いた。
「連中の目的が分からん」
「……私たちを殺して食べるだけなら、上の階であのまま襲ってくればよかった。わざわざこんな大掛かりな真似をする必要性を感じない。もしも確実に私たちを殺すつもりなら、落ちた場所であるここにも部隊を配置しておくべき。そう言いたいの?」
「ああ、分かってるじゃねーか。そういうことだ。……ま、あの高さから落としたなら絶対に死んでると油断してるのかもしれんが……いや……」
 顎を撫でさする、ロイガー。しかしやがて頭を横に振った。
「考えても無駄だな。行くべ」
「行くって、どこに?」
「決まってんだろ。ジャイアント・アントがいるなら、クイーン・アントがいる。蟻どもを統括するのは女王の仕事だからな。これはどういうつもりなのか、じかに会ってたしかめてみるさ」
 大剣を背負い、手下のオークどもに号令を飛ばす、ロイガー。
 そのまま立ち去るのかと思われたが、ルーティたちのほうへ振り返った。
「なにやってる? ボサッとすんな、さっさと来い」
「……は?」
「言ったろ? 一時休戦、共同戦線だ。……つーか、おまえら、便所だから。この面倒ごとが終わったら予定通りに便所にするから。逃げるな。来いよ。ほら、怖くなーい怖くなーい」
 手招きされても、ほいほいとついて行けるようなルーティたちではない。
 そのとき声を張り上げたのは、生きのこっていた《スピリアル・ビューティ》のメンバーだった。
「じょっ、冗談じゃないわ! あんたたちみたいな殺人鬼のオークどもといっしょに行動なんて出来るわけないでしょ! あたしは一人でこのダンジョンから逃げ出すわ、じゃあね!」
 そのエルフの少女は、宣言した通りに単独で走り出して、迷宮の通路のひとつに消えていった。
 オークどものため息。
「貴重なエルフが」
「死亡フラグ立てんなよ」
「だからエルフは馬鹿なんだプギ」
「迷宮内で仲間の結束を疎かにするとはな……愚か者めが」
「ああ。信頼とは光……迷宮の暗闇に活路を見いだす一条の閃光……! それをみずから放り捨てるとはな。どうやら、我としたことが育て方を間違ったようだ。ところでダークエルフの剣士ちゃん、俺とあっちの隅っこで濃密な愛について語り合おうゼ☆」
「こういう状況のラブシーンは死亡フラグだぞ」
 なにやら知ったふうな口をきいているオークども。
 どこか遠くのほうから、先ほどのエルフの悲鳴が聞こえてきた。断末魔の絶叫だ。
「おまえらも、ああいうふうになりたいのか?」
 ロイガーの提案に対して首を縦に振れる者は、いなかった。
 冒険者たちとオークたちの変則的なパーティが迷宮を歩く。先頭がロイガー、そのあとに冒険者たち、最後尾にオークどもといった順番。
「……まあ、当初の目的からは外れていないから……うん……」
 どこか疲れた様子で歩くルーティ。
 ロイガーはその言葉を聞き逃さなかった。
「当初の目的? なんだそりゃ?」
「私たちは依頼を受けたの。このダンジョンに巣を作ったクイーン・アントがいるから、それを退治してほしい、って。あなたたちが殺したパーティーのリーダーからね」
「ふーん。やっぱりクイーン・アントか」
「そういえば、あなた、どうしてこんな場所にいるの? ヨルムガルドなんて、はるか海のかなたの北国でしょう。あの国の傭兵がこんなところをうろついている理由がないわ」
 ルーティはヨルムガルドに立ち寄ったことなどないが、その場所だけは知っている。
 人類の領土の、本当に最北。魔王領の手前に存在する、最北端の人類社会。リノティアのある地点から目指したなら、何ヶ月も旅をしたうえ、船に乗って危険な海域をいくつも越え、さらに下船してからもひたすら陸路を進む必要がある。このあたりの一般的な住人ならば、たとえ危険な魔王領の近くでなかったとしても、まず行こうなどとは考えない場所にあるのだ。
 そんな異国の地の住人が、なぜこんな場所に? ルーティでなくとも疑問に思うのは当然だろう。
 ロイガーは、短く答えた。
「バカンスだ」
「なんですって?」
「だーかーらー、バカンスだよ。いつものことだ。ずっと傭兵家業ってのも疲れるもんでな。休暇があるとこうやって暖かくて平和な国にでもやってきて、のんびり羽を伸ばしてるのさ」
「へえ。……嘘としては二十点かしら。もちろん百点満点のうちで」
「マジでー? けっこうがんばったのに」
「バカンスで迷宮に潜るなんて聞いたことがないし、あなたは観光地で羽を伸ばすというより、争いのために地獄に足を伸ばしそうな男だわ」
 ルーティが指摘すると、ロイガーは今までにないほど大声で、おかしそうに笑った。
「ぶはははは! ああ、いいねぇ、お嬢ちゃん。会話が楽しいわ。おまえさんのことが好きになっちまいそうだ。結婚してくれねぇ? ずっと大事にして面倒を見るぜ、便所として」
「おあいにくさま。お断りよ。私には心に決めた人がいるし、それにあなた、洗っていない豚の臭いがするのよ」
「そりゃそうだ。洗ってない豚だからな」
 ロイガーをはじめとしたオークたちの体臭は、それはもう凄まじいものだった。
「――ま、おまえさんの言う通り、バカンスなんて嘘っぱちだ。これでも傭兵だからな、わざわざこんな場所にまで足を運んだのにはワケがある」
「このダンジョンに、欲しいものが隠されているとか?」
「いや? ここに潜ったのは、本当に単なる食料と便所の確保が目的だぜ。手ごろな冒険者がいるだろうと思ってな。で、俺らの用事があるのは、この国そのものだよ」
「国? この、エルィストアートに?」
 首をかしげるルーティ。
 ロイガーは頷いた。
「隣の国と、仲が悪いだろ?」
「……よくはないわね」
 ギアラ大陸の南西に位置しているエルィストアート王国は、とても古い歴史を持つ大国だ。山林や河川などに溢れているため資源に恵まれ、国を守る騎士団は精強。魔王領から遠いため、魔物の軍勢に怯える心配も少ない。よって、平穏であり、なおかつ、強く発展を遂げてきた。
 隣国のノモス帝国もまた、エルィストアートと同様の理由で強力な大国へと進化した。
 両国の関係は、千年以上も良好なまま続いてきた。
 魔王の存在があったためだ。
 凶悪無比、無類の極悪な勢いで侵略してくる魔界の悪鬼どもに対し、人類は、エルフやドワーフ、ホビット、竜人族といった種族とも結託し、一致団結して迎え撃つ必要を迫られていた。
 だが、百二十年前、ヨルムガルドの《傭兵王》ベーゼが魔王軍二十五万をたったひとりで殲滅、魔王その人ですら撃退して魔王領を大きく押し返し、極北の半島に押し込めた。これにより陸路による進撃を封じられ、海路に頼ることしかできなくなった魔王軍は、一気にその攻勢の勢いを弱めてしまったのだ。
 結果、人類社会に平和が訪れた。
 が、おそろしいのは人間の尽きることのない欲望だ。
 魔王軍の脅威が激減したとたん、始まったのは、国と国との醜い争い。
 人間はこの世でもっとも巨大な支配圏を持ち、人間を君主とする国が全体の七割以上を占める。なぜなら、人間こそが、オークよりもさらに貪欲で戦闘的な種族であるからだ。
 しょせんは異国人など、信じる神も思想も違う。
 無理をして結託する必要がなくなったからには、隣人の財産に手を伸ばしたくなる。
 エルィストアート王国とノモス帝国はそんな理由で戦いを始め、それ以来の百年間、適当な口実を見つけては小さな戦争を繰り返している。幸い、いまだに小さな領土をめぐっての小競り合いにすぎないが、これがもっと大規模な戦いに発展したなら、双方の国に甚大な被害が出てしまうことだろう。
「面白い戦争でもないかなー、と」
「それだけのために?」
「そう。それだけのために」
「……海を越えて、山を越えて?」
「地獄の果てだろうと越えてやるさ。俺たちは、戦争が大好きなんだ。楽しいからな。だから世界中のどこにでもヨルムガルドの傭兵は足を運ぶし、俺もそうだ。そういう意味では、バカンスってのも間違いじゃないかもしれん」
 ぐふぐふと笑う、ロイガー。
 ルーティは呆れたように言った。
「あなたは本物の馬鹿だわ」
「俺なんてまだ可愛いもんさ。ヨルムガルド本国は俺よりもよっぽどイカれた連中の巣窟だぜ。《傭兵王》はその頂点だな。……《傭兵王》は恐ろしい男だ。彼こそ、まさにカムイそのものだ。破壊と混沌を求める、血と殺戮に飢えた魔人さ。どんだけ生きてきたのかも分からん。歴史の表舞台に立ったのは百二十年前が最初だが、彼はきっとそのずっと昔から生きてる。とほうもない昔からな。……彼に見つめられるとな、情けないが身震いするんだよ。あの暗い瞳……この世のすべてを自分の玩具、破壊の対象としか見ていない瞳。思い出すだけでも恐ろしいぜ。俺はもう数え切れないほどの生き物をこの手で殺してきたし、それをこのうえなく楽しんでる腐れ外道だが、彼の前では甘ったれの新兵だ」
 その声には、たしかな、底知れぬ畏怖が滲んでいた。
 この獰悪で狡猾な巨漢のオークにここまで言わせるとは、《傭兵王》ベーゼとはいったいどれほどの怪物なのか。ルーティたちは、話を聞いただけでも恐怖を感じたほどだった。
 不意に立ち止まる、ロイガー。
 通路が左右に分かれている。
「右には蟻どもの臭いがたっぷり。左にはない」
「よく分かるわね」
「豚はよく鼻がきくのさ。おまえらの何百倍もな」
 オークたちはフガフガと音を立てて臭いを嗅いでいる。
 上層階に戻ろうとしても戻れないのは、上の階を埋め尽くす蟻の臭いが漂ってきていたからだ。転移装置への道筋も、蟻の軍隊で塞がれている。だがいつも必ずがら空きになっている通路が存在した。まるでルーティたちを手招きするかのように。
「……このまま行くと、地下十二階への下り階段に一直線だわ」
 地図を広げて確かめる、ルーティ。彼女にはすでにひとつの仮説がある。
「さっきからジャイアント・アントを見かけないのは、そういうこと?」
「ああ。あからさまだな。わざと道を開けて誘導していやがるんだ。……おもしれぇ。自信満々、仕掛けは完璧ってところか? 高慢ちきな女王の顔が見えるようだぜ。虫けらが。その鼻っ柱をブチ砕いてやる」
 鼻息も荒く、ドシドシと地響きを上げて歩みを進める、ロイガー。
 ルーティたちはその背中を追っていくしかない。
 やがて、地下十二階に降りた。
 そして。
 女王の待ち受ける部屋へと辿り着いた。
 広い部屋だ。だが地図にあるよりもずっと大きく、大きすぎる。もともと広大だった部屋を、周囲の壁や通路を破壊することによって、さらに拡大したのだろう。
 石の壁に囲まれた、女王の謁見の間。
 クイーン・アントは、部屋のもっとも奥のほうに鎮座していた。
 巨大な女王蟻だ。彼女の姿を見たルーティの最初の感想は、それだった。その体躯の巨大さときたら、まるで竜族。見た目は基本的にジャイアント・アントと同じ形状だが、身体はすべて真紅に染まっていて双眸の色は金色だし、なにより、腹部から先は途方もなく長くて白い、ぶよぶよとした産卵器官だ。それはほとんどこの部屋を半周するほどに長く伸びていて、いまこうしているあいだにも新たなジャイアント・アントの卵を産み落とし続けている。その卵をジャイアント・アントが持ち上げ、壁に開いた穴からどこか別の場所へと運び去っている。
 一匹の女王蟻と、無数の兵隊蟻に囲まれて、ルーティはさすがに緊張して唾を飲み込んだ。
 たかが虫けらなどではない。
 クイーン・アント、そしてジャイアント・アントから放たれる無言のプレッシャーは、冒険者たちやオークどもをたちまち呑み込んだ。むせかえるような生命の息吹。敵地にいるという実感が凄まじく精神を揺るがす。
 圧倒されなかったのは、この男。
「で? なんか用か?」
 担ぎ上げた大剣で肩を叩きながら、傲岸不遜な態度で一歩を踏み出す、ロイガー。
「俺はただの傭兵だし、こいつらは俺の部下と便所どもだ。回りくどい真似しておびき寄せやがって。こっちはおまえさんなんぞに用事はないぜ。虫けらのメスが」
 仮にも女王に対しての、あまりにも無礼な言動。
 兵隊蟻たちは言葉を発することはないものの、聞いて理解することはできるのかもしれない。あるいはロイガーの態度から直感的に彼がどんな無礼を働いたのか悟ったのだろうか。とにかく一気に殺気を増し、いまにも襲い掛かろうという様相を見せる。
「よい。しょせんは下賎の匹夫よ。礼儀を心得ているとは思っておらぬ」
 だれの言葉か。
 決まっている、クイーン・アントの言葉だ。ギシギシと顎を動かして発したのは、意外にも涼やかで優美な声だった。
 冒険者たちは驚く。
 クイーン・アントは魔物にしては高い知能を発揮し、ジャイアント・アントを巧みに操ってダンジョンを支配する、知略に長けた魔物だという。しかし昆虫の化け物である彼女らが言葉を理解し発するなどと、聞いたこともない話だ。
 ルーティたちをあざ笑うように、クイーン・アントは高笑いを上げた。
「なにを驚くことがあろうか? 我らが偉大なる魔界の君主、魔王陛下は、知識と進化を司る至高の神であらせられる。ならばその信徒たる我らに深淵の知識と激烈の進化が与えられるのは当然のこと。我らは、汝らのごとき下劣なる輩が惰眠を貪っておるあいだにも、刻一刻と新たなる一歩を踏み出し、さらなる力を得て向上しておるのだ」
「はーいはいはいはい、よかったですねー」
 ロイガーは、クイーン・アントの台詞に対し、どこまでも興味がなさそうだ。
 クイーン・アントは、くくく、と笑う。
「羨ましかろう? 貴様からはすでに失われている恩恵よ」
「いや、べつに」
「……わらわは、魔界大元帥クラティア公爵閣下より、じきじきに、この周辺の地を平定する任をおおせつかっておる。小ざかしい人間どもはもちろんのこと、無知蒙昧な畜生のごとき魔物とて、この地に生きることは許さぬ。我が気高き蟻の一族こそが最精鋭であると魔界に示す、これは好機なのだ」
「クラティア公爵? あ、まだ生きてたんだ、あの御仁。いまもロリっ子やってる? 俺はあの御仁は好かんな、すんげー性格が悪いし。俺のチンポを笑いながらもぎ取ろうとしてくるしさ。で、あんたの自己紹介とかどうでもいいんだが?」
「ふん。その図抜けた体格と長剣、漆黒の体毛。貴様、オークのロイガーであろ? 元魔王軍師団長のひとり、あまりにも残虐に殺しすぎるがゆえに味方からも恐れられた、最強のオーク」
「なんだ? 俺のファンか?」
「貴様の噂は聞いておる。敵も殺したが味方も殺し、軍規を逸脱する行動が目立ちすぎたゆえ、処刑命令まで下ったらしいではないか。それゆえヨルムガルド……あの憎たらしく忌々しい《傭兵王》なぞの治める国へと逃げ延び、彼奴の庇護に頼って生き恥を晒しておる、とな」
 クイーン・アントの言葉にはロイガーに対する悪意や侮蔑がありありと滲んでいて、彼女がそれを隠そうともしていないことは明らかだった。
 が、ロイガーはそれをたいして気にした様子も見せず、平然としてブヒブヒと鼻を鳴らしている。
「いいぜー、ヨルムガルドは。好き勝手やって、暴れまわって、やりたい放題やれるんだ。あそこには魔王軍にあるような小難しい規律なんて存在しない。俺たち魔物が本当の意味で魔物らしく生きられる。魔界よりもよっぽどな」
「戯れ言をほざくな、たわけが!」
 初めて声を荒げる、クイーン・アント。
「そんな理由で、貴様は、栄光ある魔王軍から逃亡し、よりにもよってヨルムガルドへ渡ったというのか! 魔王陛下へのご恩も忘れて! この裏切り者めが!」
「……陛下への恩義を忘れたことは一度もねぇよ」
 舌打ちしながら頭を掻く、ロイガー。今までに見せなかった、どこか陰鬱な影のある表情。
「だが、俺はそういうのが俺らしくないと思ったから、ヨルムガルドの傭兵になったんだ。どうしようもなく惹かれて、足を向けちまったのさ。気楽で、なにも考えずに好き勝手に人殺しができて、いつまでも血みどろの戦争を楽しめる、あの夢のような国へ」
「愚か者め……。よい。もう、よい」
 クイーン・アントの巨躯が震えた。
「一度、貴様とこうして会って話をしてみたかった。魔王軍の先陣を任され、つねに獅子奮迅の活躍を見せ、オークという種族そのものの地位をも確固たるものとした、古強者の貴様とな。だが、もうよい。ここにおるのは、ただの情けない脱走兵。薄汚い裏切り者にして、無様で哀れな負け犬よ。すぐさま斬首こそが適当。これ以上の話は意味がなく、生かしておく値打ちもない」
 クイーン・アントの顎が奇怪な音を発すると、ジャイアント・アントどもの身も震える。
 高まる殺気。
 ぞろぞろと動き始めるジャイアント・アントの進軍は、瞬く間に迫ってくる。
 四季村秋彦はジャイアント・アントの数の暴力は凄まじいと語ったが、まさにその通りだ。数百匹にもなる兵隊蟻どもの攻勢は、たかが三十人ほどのルーティたちなどあっという間に呑み込み、骨も残さずに食い尽くしてしまうだろう。ロイガーやエストレアが大剣とハルバードでどれだけ頑張ろうが、そもそも戦いにすらならない。一瞬だ。一瞬で呑み込まれる。
 ロイガーは、ふん、と鼻を鳴らした。
「俺は豚だ。犬じゃねーよ。――来るぞ、お嬢さんがた。気合いを入れろよ。野郎ども、抜剣ッ!」
「勝手に仕切らないでくれる!?」
「ああ!? うだうだ言ってねーで、さっさと覚悟を――」
「決めてるわッ!」
 ルーティは、魔杖を構え、静かに呼気を吐き出す。
 深呼吸。なによりもまずは深呼吸である。
 覚悟を決めて、深呼吸。
 見えてくるのは冥界への門。開けるべき、屍霊術の門。
 屍霊術士は、まず、この門に手をかざす。
「――汝ら、罪深き者どもよ」
 ルーティの立つ位置を中心として、足元に真紅の魔方陣が広がる。
 巨大な魔方陣。
「業火に焼き尽くされし者どもよ。剣の山に刺し殺されし者どもよ。水底に沈みもがき苦しむ者どもよ。つどえ。我が元につどえ。地獄の責め苦に苦しむ罪人ども。我が名はルーティ・エルディナマータ。契約者にして、汝らの暗き煉獄に光を投じる者である」
 屍霊術士は、最後に、その門を開け放つ。
「――来たりて、つどえ! 汝らの業深き魂、我が手により仮初めの器を得て、我が敵を討ち滅ぼす軍勢とならん! 開け、冥界の門! つどえ、魂魄! 来たれ、今ここに!」
 ルーティの呪文がその効果を発揮するのと、ジャイアント・アントが雪崩のごとく襲い掛かるのとは、ほぼ同時のことだった。
 数百匹のジャイアント・アントに立ち向かったのは、数百体のスケルトン。
 先ほどのオーク部隊に対抗したときと構図が似ているが、その数が桁違いだ。
 四方八方から怒涛の勢いで駆けてきた蟻どもをスケルトン軍団が剣や盾、そしてその骨身で受け止め、凄まじい大爆発のような音がダンジョンを揺るがす。
 だれもが、呆然としてその光景を見守る。
「なんだと!?」
「……すっげぇ」
 クイーン・アントは驚いたように声を上げ、ロイガーでさえ、目を丸くしてルーティを見ていた。
「きちんと詠唱すればこのぐらいは出来て当然! それよりも急いでクイーン・アントを倒して! 長引かせるとこっちが不利よ。レミィ、もう呪歌は使えるわね!?」
「う、うん」
「サポートをお願い。エストレアと《コンゲラート》と《スピリアル・ビューティ》のみなさんは、私とレミィを守って。ハーミット先輩とガゼルはクイーン・アントを!」
「了解ですわ!」
「……了解……リーダー」
「しょうがねぇ。やらなきゃ死ぬしな……従ってやる」
「重ねて言うけど、急いで。――豚ども!」
「ぶ、ブヒ?」
「ロイガーと豚どもはクイーン・アントに突撃、ジャイアント・アントを蹴散らしなさい! 死んでもいいからやり遂げるのよ! ……さっさと行けっ、グズグズするなっ!」
「ぶひーっ!」
「なんという鬼上司! ……あれ? 便所だったよね、この子?」
「だが……豚と呼ばれて快感が……こんなの、は・じ・め・て……」
「なんだ、この、おもいきり尻を蹴り上げられたくなる未知の感覚は……!?」
「便所に豚よばわりされて悔しいっ。でも感じちゃう……ビクビク」
「うおおおおおっ、姐御! ついていきますどこまでもっ! 行くぞ、野郎どもーっ!」
「おおおおおおおおおっ! ブヒヒヒ――ッ!」
 ルーティの罵り声をもらって、なぜか恍惚とした表情でノアルとガゼルの後ろに続く、オークたち。
 ロイガーは呆れたような表情を浮かべていた。
「たいしたもんだ。俺よりもおまえさんのほうが向いてんじゃね? あいつらの隊長」
「馬鹿を言ってないで、さっさと働きなさい! ……いつまでこの術式を保てるのか、自分でも分からないわ」
「へいへい。ぶひー、がんばるぞー」
 まったくやる気のなさそうな声をあげ、ロイガーもまたクイーン・アントへと突進していく。
 そして、ルーティは。
(どういうことなの、これは?)
 実際のところ、彼女は、驚いていた。
 いつまでこの術式を保てるのか分からない。それは、真実の言葉だ。
 だが、その理由は、普通ではない。
 スケルトンを数百体も一度に呼び出す、これだけの大術式。普通に行っても成功するとは思っていたし、そのために修行を積んできた。だが、だとしても、効果が持続するのはせいぜい数分のこと。それが過ぎればルーティの魔力は底をつき、スケルトンどもは動くことをなくし、ただのものいわぬ亡骸に成り果て、消える。
 しかし、ならばどうしたことだ、これは。
(魔力が、尽きない)
 それどころか今もますます増大し、膨れ上がっていく魔力。
 《狂える魔導士の背骨》が、妖しく暗黒の色に発光している。
(この杖、すごい……! 凄まじい魔力の塊だわ)
 これまでにルーティが使っていた杖など、この《狂える魔導士の背骨》に比べれば、ただのつまらぬ棒切れにすぎない。なんという凄まじい魔力増幅装置にして、ひとつの巨大な魔力の源泉なのか。
 これだけの魔力量、扱いを少し間違えるだけでこの迷宮そのものが簡単に消し飛ぶ。ルーティが危惧しているのはそこだった。魔力の残量ではなく、増大しすぎる桁外れのパワーを制御しきれるかどうか心配しているのだ。
(いえ、問題ないわ。弱気になってはいけない。今までの修行を耐え抜いてきたのは、こういうときのためよ)
 それだけの能力と才能が自分にはあるはずだ。
 際限なく高まり、膨れ上がっていく自身のパワーに、ルーティは次第に恐怖ではなく興奮を覚えていった。
(なんでもできる。すごい……いまの私なら、なんでもできる!)
 術式さえ組めば、数百どころか数千、いや、数万のスケルトンを召喚することも、それ以上のアンデッドモンスターを自在に呼び出して使役することも、きっと出来る。
 もしかすると、マスター・ゾルディアスをも超越することができるかもしれない。
 すべての屍霊術士の頂点に立つことでさえ、夢ではない。
 そして。
「これなら、あの人の役にだって立てる……!」
 抑えきれない喜悦が胸に広がり、全身が震える。
 どんな冒険者にも、迷宮に潜り、死の危険を冒してまで冒険を続けるからには、それ相応の目的や理由が必ず存在する。
 ルーティにとって、迷宮とはおのれをより強くするための修行の場。
 いつか愛する男の横に立てるように育つための、厳しい修練。
 だが、もはや、それすら必要ない。
 この杖から迸る、尋常ならざる魔性のパワー。これを操ることさえできれば、この世のすべてが思うがままだ。どんな願いもかなえられる。
 その昂ぶりは、戦場において致命的なほどの隙となった。
 あまりの興奮のため忘我の境地に達していたルーティは、迫りくる火炎に気づかなかった。
 ひとりの人間など瞬時にして丸焼きにしてしまう、圧倒的な熱量がルーティを襲う。
 クイーン・アントが火炎魔法を唱えたのだ。魔法を使うクイーン・アントなど聞いたこともない存在だが、そもそも言葉まで使うのだからもはや驚くに値しないだろう。
(あ、死んだ)
 自分のことだというのに、脳裏に浮かんだのは間の抜けた感想。走馬灯すら走らない。
 指一本すら動かせなかったルーティが黒焦げの死体とならずにすんだのは、エストレアが身代わりになってくれたからだ。
 ルーティの真正面、盾を構えたエストレアが、巨大な火炎弾の直撃を受ける。
 凄まじい勢いで燃え盛る炎が、盾を回り込むようにしてエストレアの全身を舐めた。
「エストレア!?」
「わたくしのことなら心配ご無用! ――慈愛の女神よ、奇跡を分け与えたまえ!」
 高らかに唱えた神聖魔法。
 白く清らかな光がエストレアを包み込み、邪悪な炎は消え去った。さらに、わずかに焼けた髪の毛や肌の火傷すら治癒されていく。
「ルーティ。あなたの屍霊術が頼りです。わたくしたちのことならお気になさらず、どうか自分のなすべきことに集中してくださいな」
 振り向かずに背中で語る、エストレア。
 ルーティはおのれの愚かさを胸中で罵った。
 浮かれている場合ではない。
 自分のやるべき仕事にさえ集中できないような女が、一流の屍霊術士になどなれるものか。
「屍霊術士、私たちも防御結界ぐらいなら張ることが出来るわ」
「いつまでもバーニングボンバーズだけにいい顔はさせられないからね」
 《コンゲラート》と《スピリアル・ビューティ》の少女たちが、周囲に光り輝く壁を展開し始める。
「あの腐れオークはゆるせないけど、いまは状況が状況だわ」
「……さっきは酷いこと言っちゃってごめんね」
 生きのこった四人のエルフや人間の少女たちは、引き締まった表情を見せ、あるいは、申しわけなさそうに謝る。
 ルーティはほほ笑んだ。
「気にしていません。ありがとう。――力を貸してください。きっと勝てます」
 そう言ったルーティは気を高め、さらにスケルトンを呼び出す。
 ジャイアント・アントと戦っているスケルトンは、勇猛果敢に、鋭く、素早く、歴戦の戦士の動きを見せ始めた。




 オークの剣士ロイガーが突撃を開始したとき、ガゼルは、自分の目を疑った。
 何十匹ものジャイアント・アントが、ロイガーの目の前に立ち塞がり、彼の進行方向を阻もうとすると、次の瞬間、バラバラの死体になって吹っ飛んでいる。
「おらおらおらっ、どけどけどけええええええっ」
 雄たけびを上げる、ロイガー。
 超大剣が、目にもとまらぬスピードで縦横無尽に走っていく。
 刃渡り三メートルを誇る、あれほどの大剣、剣の化け物が、見えない。かすかに残像のようなものが見えるだけで、全体像がはっきりとしない。馬鹿げた現象。ありえるはずのないこと。
 小刻みなステップを刻み、その場で回転しながら剣を振り回し、なおかつ止まることなく突進していく、オークの巨漢。あれほどの図抜けた巨躯だというのに、ガゼルの全速力をはるかに凌駕する疾風迅雷のスピード。
 ロイガーの前に、ジャイアント・アントの軍勢など、壁の意味すら果たせずに紙切れのごとく切り裂かれて砕け散っていく。まさに無敵。最強の剣士。
 ガゼルの背中に冷や汗が流れ、心臓が高鳴り、驚愕が全身が支配した。
(あっ、あいつ……さっきエストレアと戦ったときでさえ、ぜんぜん本気じゃなかったのか)
 もしもロイガーが本気で冒険者たちを襲ってきたなら、エストレアも、ルーティも、もちろんガゼルも、一瞬で死体にされていたことだろう。手加減というか、遊んでいたのだ、おそらくは。間違いなく本気ではなかった。そしておそらく、今このときでさえも。
 ロイガーのスピードとパワーは凄まじい高まりを見せつけ、そしてその上限が見えない。剣を振るごとに強くなり、駆けるたびに強くなり、敵を殺すごとに強くなり続ける。
 どこまで強いのか、あの剣士。
 ガゼルは、突然、自分の持っている武器が果てしなくちっぽけな棒切れのように思えた。
 あのいくさの鬼のごとき男が使う剣に比べて、自分のこの得物はいったいなんだ? まるで役に立ちそうにない。
 同じ大剣でも、まるで凄みが違う。
 ロイガーの大剣は、よほど長く使い込み、寝食を共にするほど愛用してきたのだろう。刃こぼれが酷くて薄汚い。なにやら臭そうだ。だが、寒気を感じるほどの妖気のような凄みを放っている。殺戮の味を知った、剣の化け物。見ているだけでも恐怖を覚える。
 それに対し、ガゼルの剣は新品同様。恐ろしくもなんともない。なんということもない、綺麗な、綺麗なだけの鋼の塊だ。
(お、俺は……今までいったい、なにをしてきたんだ!?)
 こんなはずではない。
 自分は誇り高いダークエルフの剣士で、もっともっと強いはずなのに。
 オークの剣士の足元にも及んでいない。
 今の自分は、いったいどういう男に見えるだろう?
 ガゼルは自問した。
 答えなど分かりきっている。
 ひたすら周囲の声に逆らい、我を通し、やる気のなさそうに悪態をつき、そのくせ実力は低く、結果は残せていない。
 格好の悪い、ただのクズだ。
 オーク以下のクズ。
「ふ、ふざけるなっ……」
 プライドの高いガゼルにとって、とても許容できない事実。
(俺は、強いんだ!)
 闇雲に剣を振る。そのたびにジャイアント・アントが死んでいく。ロイガーが倒した数よりもはるかに少ないし、速度も遅いが。
 まったく届きそうにない古強者は、もうはるか遠くの前方で戦っている。
 ガゼルは、自分では絶対にあそこまで辿り着けそうにないことを知って、愕然とした。
 ロイガーは、ガゼルよりもはるかに多くの敵を一度に相手にして、まったく後退しようともせず、むしろ問題ないかのように前進していくのだ。しかも、いまだに無傷。
(か、勝てない……)
 自分がどれほど矮小でつまらない存在なのか、十分に思い知らされたガゼル。
 思わず、剣を持つ手にこめた力がゆるんだ。
 その瞬間を狙っていたかのように、ジャイアント・アントたちが群がってくる。
 慌てて剣を構え直そうとするが、すでに遅い。
 体勢の整っていないガゼルでは、容赦のないジャイアント・アントたちに対抗できない。
 だからガゼルは自分が死んだと思ったし、それでもいいかと思った。
 オークに負けたダークエルフなど、前代未聞の恥さらし。一族に会わせる顔がない。
 だが。
 ガゼルに飛びかかった最初のジャイアント・アントが、横手から現れた人物によって切り裂かれた。
「なにやってるブヒ」
 一体のオーク。
「戦場でボサッとすんなブヒ。死にたいのかブヒ?」
「お、おまえ」
「お頭の強さが気になるのかブヒ?」
 自分の考えていたことを言い当てられて、ガゼルは驚きを隠せなかった。
 オークは、馬鹿にするように笑う。
「んなこったろうと思ったブヒ。まったくガキはしょうがないもんだブヒ。足手まといなんぞいらんブヒ、だからいいことを教えてやるブヒ」
 剣を軽く振ってジャイアント・アントを牽制しながら、ガゼルの背後に回りこむ、オーク。
 両者は互いの背中を預ける形となった。
「いいブヒか? お頭だって最初からあんなに強かったわけじゃないブヒ。ひたすら戦い続けて、自分を鍛え上げたから、あそこまでの剣士になれたんだブヒ」
「だっ、だからどうしたってんだよっ?」
「おまえさん、強くなるために努力をしたことは?」
 言われて気づいた。
 そんなこと、ない。
 ガゼルは、自分がダークエルフであることに誇りを持っている。だから優れた種族である自分には才能があるものだと根拠もなく信じていて、まともな修行などしたことがなかったし、ほかの大勢の連中と力を合わせる必要など感じず、いつも孤立していた。それでもいいと思っていた。強者には努力や仲間など必要としないと。
 自分は強い、だから修行など必要ない……そんな甘ったれた幻想は、今日、砕かれた。
「……俺は……努力なんて、したことない」
「んじゃ、弱いのは当然だブヒ。おまえさんは俺らにも劣るウンコだブヒ」
「なっ、なんだとっ!?」
「うるせー、ブヒ。本当のことだブヒ。最初から強い奴なんていないブヒ、みんな血反吐をぶちまけて自分を鍛えるから強くなれるんだブヒ。それをしなかったおまえさんがクソ弱っちいウンコなのは当然のことだブヒ」
「……くそ。好き放題、言いやがって」
 だが真実だ。
 ガゼルは恥じた。欲望まみれの浅ましい蛆虫、最底辺の悪鬼と呼ばれるオークよりも劣る、いまの自分を。いままでなんの努力もしてこなかった過去の自分と、そんなことにも気づけなかった現在の自分を。
 そしてオークは、こうも言った。
「だからよぅ。今から強くなればいいんだブヒ」
「え?」
「おまえさんはもう気づけたろ? なんも難しいことはない、真面目にやれ。ふざけた兎は真面目な亀には勝てない、当たり前のことブヒ。真面目が一番、強いんだブヒ。真面目に生きて、真面目に自分を鍛えて、真面目に戦え。そうすりゃ、すぐに強くなれるブヒ。むしろそれで強くなれなかったら本当のウンコだブヒ」
 ガゼルは、ふと気づいた。自分の背中に感じる感触は、硬い。ゴツゴツとしていて、傷だらけで、鍛え上げられているのがよく分かる。おそらくは凄まじい戦いと修練の成果か。ロイガーには及ばないものの、ものすごい筋肉だ。少なくともガゼルとは比べ物にもならない。
 ……剣の柄を握る手に、力がこもる。
「ふん。真面目とか、オークに言われたくねーよ」
「ブヒッ! 俺たちはけっこう真面目だブヒ? 真面目に食って寝て、真面目に殺して犯すんだブヒ。ブヒヒヒ!」
「そういうのは真面目とは言わねーよ……」
 下品に笑うオークと、呆れたような表情を見せるガゼル。
 そして、ガゼルは表情を引き締めた。
「いいぜ。真面目にやってやる。ここからは全速力だ……遅れるなよ、ブタ」
「あ? だれに口をきいているブヒ? オークの底力を見せてやるブヒ。たまげるなよ、ウンコ」
 軽口を叩く、ダークエルフとオークのコンビ。
 大勢のジャイアント・アントが襲い掛かってきたが、ガゼルにとって、もはや恐れるようなものではなくなっていた。





「さーて。やっとこさここまで来れたか。えらい手間をかけさせてくれたもんだ」
 おどけた調子で言う、ロイガー。
 すでに彼はクイーン・アントの眼前、その生命に手が届く距離に立っている。
 ロイガーは、まったくの無傷。
 ここまで、ジャイアント・アントの軍勢は、ロイガーに触れることさえできなかった。
 圧倒的な強さだ。
 クイーン・アントの声が、驚愕で震えている。
「おのれ……それほどまでの実力を持ちながら、魔王陛下を裏切ったというのか。魔王軍に残っていれば、いかなる栄光も思うがままであったろうに!」
「だーかーらー、それが俺は嫌だったんだよ。権力や名誉なんて重苦しいだけだぜ。余計な荷物だ。俺は、血を見て、火の香りを嗅いで、人殺しと略奪の快感さえ味わえていれば、それで十分に満足だし、むしろそれ以外は必要ない。刹那に生きていたいんだよ。この世に残したいものなんて、なにもない」
 言って、大剣を腰の高さに構える。
 ロイガーは笑った。飢えた獣のごとき、凶暴な笑み。獰悪な殺意が高まる。
「じゃあな。少しは楽しめたぜ。いい戦争をありがとうよ、女王陛下」
「おっ……おのれえええええっ!」
 クイーン・アントの怒号。
 白くぶよぶよとした産卵器官、すなわち尻の部分から上の巨躯が、大きく立ち上がる。
 ロイガーの身長四メートルをはるかに上回る、十メートル以上もの全高。
 女王の周囲にいくつもの巨大な火炎の球体が生まれ、それがロイガーめがけて殺到した。
 ロイガーは、そのすべてをことごく避けきってみせた。
 後退などしない。
 前方から凄まじい速度で襲い掛かってくる火の玉を、それを凌駕するスピードで前進しながら避ける。左右に跳び、加速し、身を低くし、ほんの少し掠ることすら許さない。
 ロイガーとクイーン・アントの間合いはコマ落としのごとく消失し、そして、大剣がクイーン・アントの胴体を薙ぎ払った。
 傷口から緑色の体液を撒き散らして悲鳴を上げる、クイーン・アント。巨躯が揺れて大きく後退。
 その頭上に、いつの間にか、ノアルが立っていた。ロイガーの大きな身体を隠れ蓑にして、ここまで接近、凄まじい身の軽さでクイーン・アントの身体を駆け上ったのだ。
「……さよなら」
 感情のない、一言。
 鮮やかに閃いた太刀の一撃が、クイーン・アントの首を落とした。




 女王蟻が倒されたことによって、兵隊蟻は烏合の衆と化した。全体の動きにはまったく統制や連係というものがなくなり、それぞれがバラバラの戦いをするようになり、スケルトンの軍団によって簡単に駆逐されていった。
 気づけば、戦いは、拍子抜けするほどあっさりと終わっていた。
「勝ったの、あたしたち?」
 呪歌を吹き鳴らしすぎてすっかり疲れ果てた様子のレミリアが、信じられないといった様子で言う。
 ほほ笑む、エストレア。
「ええ、そうですわ。わたくしたち、勝ちましたのよ」
「そっかぁ……蟻さん、あんなにいたのに……すごいね……すごい」
「そうですわ。すごいのですわ」
「うん、すごい! あはははっ! 勝ったんだ!」
 レミリアとエストレアが笑っているとき、ルーティは、ようやくホッとしたように胸を撫で下ろしていた。術式を終了させたので、スケルトン軍団も消失していく。
「なんとか勝てた、か」
「なに言ってんの。楽勝だったじゃない」
「そうそう。すごかったわよ」
 《コンゲラート》と《スピリアル・ビューティ》の少女たちが言った。彼女らは疲労しているようだったが薄く笑み、勝利の喜びを感じているようだ。もっとも、パーティーのメンバーがほとんど死んでしまっていることから、それはどこか影のあるものになっていたのだが。
 ともかく、勝ったのだ。
「これで、依頼は達成ね。おめでとう、《リノティア・バーニングボンバーズ》」
「え……でも、スカジオさんやウェルミーナさんが……」
「心配いらないわ。リーダーは死んで、メンバーも減って、実質、パーティーは壊滅しちゃってるけど、報酬はちゃんとあたしたちで出すから」
「そうよ。あんたたちは自分のやるべきことをきちんとやり遂げたんだから、その正当な報酬を受け取ってちょうだい」
 ルーティは言葉もなかった。
 彼女たちは自分たちの大切なリーダーを失い、パーティーもほとんど壊滅してしまって、これからの道のりは困難を極めるだろう。本当は、ルーティたちに渡す報酬も、自分たちの再出発のために使わなくてはならない状況だ。だというのに、きちんと約束どおりに渡してくれようとしている。
 ルーティは首を横に振ろうとした。
「いえ、報酬は……」
「ルーティ。こういう場合は、感謝して受け取ることが礼儀ですわよ」
 エストレアが言った。
 《コンゲラート》と《スピリアル・ビューティ》の少女たちも、頷く。
 断る無粋さは、ルーティにはなかった。
「分かりました。ありがたく受け取ります。でも、まずはこのダンジョンを脱出しましょう。どこかにある転移装置を見つけて、話はまずそれから……」
「おいおい、待てよ、お嬢ちゃん」
 ブヒブヒ言いながら近づいてきたのは、ロイガーだった。
 ルーティは、何気なく声がした方向を振り向いて――捕まった。
 小さく悲鳴を上げる、ルーティ。
 そのか細く華奢な肉体を、ロイガーの大きく逞しい両手が握り締めていた。体重の軽い身体が、簡単に持ち上げられてしまう。
 ルーティの表情に動揺が浮かぶ。
「な、なんのつもり!?」
「忘れるなよ。おまえらは便所だ。戦いが終わったら予定通りにするって言ったろ?」
 冗談を言っているような目つきではない。血走り、欲望に狂っている。
 まったく身動きできず、脚をジタバタと振り回すことしか出来ないルーティは、抵抗らしい抵抗も出来ない。
 エストレアが真っ青になって叫んだ。
「お、おやめなさい! ルーティをお放しなさい、ロイガー!」
「嫌だよ、ヴァーカ。便所が俺に命令すんな。……なに? ちょっと共闘したぐらいで気を許したのか? お嬢ちゃん、俺たちのことをちょっとでも仲間だと思ったのか?」
「……少しはね」
「ねぇぇぇよ、間抜け! 便所だ便所、おまえらは! ぶひひひ。俺たちは傭兵だ。敵が味方になることもある。さっきまで殺しあってた連中と共同戦線を張ることもある。そういうのは気にしない……だが、味方を敵に回すことだって躊躇しないし、状況が状況なら簡単に裏切るんだ。仲間とか、なにそれ? 美味しいの?」
 ぶひひひ、ぶひひひ!
 ロイガーの高笑いが響く。けたたましく、邪悪な、勝ち誇った哄笑だ。
 ルーティは、悔しくて涙が出そうだった。
 せっかく、すべて上手くいっていたのに。
 初めての依頼を達成して、パーティーのメンバーをだれも死なせずにすんで、これでようやく、胸を張って学園に帰れると思ったのに。
(あの人に褒めてもらえると思ったのに……)
 胸中を絶望が包み、なによりも悔しくて悔しくてたまらなかった。
 こんなオークを、少しでも信用して、油断してしまったばっかりに、ルーティの人生は終わる。けがらわしいオークのための性欲処理用肉便器となって、その生涯を終えるのだ。
 切れ長の涼しげな双眸に涙が滲み、こぼれ落ちた。
 ルーティを拘束する両手の力が弱まったのは、そのときだった。
「と、まあ。これから冒険者をやっていくなら、きっと何度もこういうことがあるぜ。最後まで油断すんなよ、お嬢ちゃん」
「え……」
 足が、地に着いた。
 ロイガーは先ほどまでの瞳の血走りようが嘘だったかのように、いまは平然としている。実際、嘘だったのだろう。演技だ。
「ぐふふふ。騙されたろ? ぶひひ! ああ、さすがは俺さまだ。演技派だねぇ」
「あ、あなた」
「――油断するなよ。お嬢ちゃん。戦場ではな、油断した奴から死んでいくんだ。だれが敵なのか分からないから、用心しろ。だれも信用するなとは言わんさ……おまえさんにはそれは無理だ。だが、用心するに越したことはない。とくに、俺らみたいな薄汚いオークにはな」
 ロイガーは、わざと邪悪に笑い、裏切り者を演じてみせることによって、それをルーティに教えたかったのだろう。
 ルーティは、眼を服の袖でゴシゴシとこすって、涙を拭った。
「な。なによ……本気かと……」
「いや、本気だぜ。半分くらい。もし立候補してくれるなら便所にするが?」
「するわけないでしょう!」
「ですよねー。いいよ、べつに。……おまえさんたちは、便所にするより、戦場で出会ったほうが楽しめそうだ。敵として出会っても、味方として出会ってもな。どっちにしても期待しているぜ。せいぜい精進して強くなれよ」
 にやりと笑う、ロイガー。
 この男は本当に、殺し合いが大好きなのだ。
「おまえさんたちを見逃す理由は、もうひとつある」
「それは?」
「オークは鼻がよくきく。だから分かったんだが、おまえさん、アキヒコ・シキムラの便所だろ?」
「そうよ。……予定だけど」
 どうしてこのオークが、秋彦のことを知っているのか? ルーティは不思議に思ったが、とりあえず頷いた。
「便所ってとこ、否定しないのか?」
「もちろんよ。いまはまだディープキスを交わしただけの関係だけど、ゆくゆくは、あの人の専用肉便器に成り果てて、好き勝手に精液を注がれるだけの存在として愛してもらいたいと考えているわ」
「……俺が言うのもなんだが……おまえさん、変態だな」
 ふたりの会話は、都合よくエストレアやレミリアたちには聞こえていなかったが、もしも聞こえていたなら、花も恥らう乙女たちは顔を真っ赤にしていたことだろう。
 ロイガーは、気を取り直したように自分の首の骨をコキコキと鳴らした。
「ま、いい。……あいつとはちょっとした知り合いでな」
「どういうこと?」
「ああ。《ノー・カウント》……あいつとは、とある国で殺し合ったことがある。そのとき、俺はあいつの大切な友達やら仲間やらを何十人とブチ殺したり、便所にしたりしてやった。その代わり、ブチ切れたあの野郎に部下を百人も殺されたし、俺自身も殺されかけたがな」
 そのことを示すように、自分の肩から心臓の辺りまでを指でなぞってみせる、ロイガー。そこを切り裂かれたということなのだろう。だが、ほとんど不死であるロイガーは生き延びたというわけだ。
「俺も、あいつも、お互いをいつか必ず殺すと決めてる。ぐふふ。楽しい関係さ。恋人よりも親密だ」
 やはりこの男は狂っている。
 邪悪な欲望まみれの、恍惚とした、涎を垂らすロイガーの表情を見て、ルーティは再確認した。
「それが、どうして、私たちを見逃すことに繋がるの?」
「分からんか? おまえさんを便所にしたり殺したりするのは簡単だ。が、それじゃあ面白くない。あの野郎の大事な人間を、こんなところで好きにしたって面白みが半減する」
 ロイガーのごつすぎる太い指が、ルーティを指し示す。
「おまえさんは。あの野郎の目の前で、俺の便所にされて死ぬ。野郎は泣き叫び、憎悪で狂いながら俺を殺しにやってくる。――それは、最高に楽しそうだと思わないか?」
 復讐ではない。部下を殺されたことや自分が殺されかけたことなど、ロイガーはたいして気にしていない。ただ単純に、ロイガーは、そうすると楽しそうだから、戦うのが楽しそうだから、痛めつけて略奪すると楽しそうだから、秋彦を標的と決めて、残虐な方法で彼をいたぶることに決めている。
 あまりにも桁外れの狂気。
 ルーティの背中に冷や汗が浮かぶ……だが、彼女は笑みを見せた。不敵な笑顔だ。
「無理ね。彼は私を守ってくれるもの。あなたは、ただの悪役。無様に殺されて、おしまいよ」
「ぶはははは。……それもいい、それもいいさ。殺すときもあれば殺されるときもあるさ。やっぱり面白いお嬢ちゃんだ。俺の知ってるメスオーガにどこか似ているぜ。きっと強くなれるだろうよ」
「なによ、メスオーガって。それに、私は、お嬢ちゃんだなんて名前じゃないわ。ルーティよ。ルーティ・エルディナマータ」
「そうかい。ルーティ、それじゃあ、あばよ。次に会ったら、また、いい戦争をしよう」
「お断りよ。もう二度と会いたくないわね」
「ぶひゃひゃひゃひゃ! ――おい、野郎ども! 引き揚げるぞ! グズグズするな!」
 ロイガーの大声が上がると、たちまちのうちにオークどもは集合し、来た道を引き返していく。
「ちぇー、屍霊術士ちゃんを犯せると思ったのによー」
「空気よめ。この状況でさすがにそれはねーよ。台無しだプギー」
「つーか姐御を犯すなど許さん。まず俺が犯されてからだ。はぁはぁ」
「ルーティの姐御ぉぉおおおお! また会いましょうねぇえええええ!」
「しかし残念無念、もったいない。バニーちゃん、また会おうぜ! いいおっぱいしてるよ、あんた!」
「おっぱいおっぱい!」
「ま、たまにはこういうプラトニックなのもいいんじゃね?」
「んだんだ。じゃあな、エルフの忍者ちゃん。次こそはその桃尻をいただく」
「出会いあれば別れもある。これも、さだめか。ではな、若人たちよ。なに、なかなか愉快な戦いであったぞ。――ダークエルフの剣士ちゃん、マジ愛してる! 今度はふたりっきりでラブラブチュッチュしようゼ☆」
「うああああっ、巨娘ちゃん、ハグしてくれっ、そのデカ尻で俺を押し潰してくれっ、デカパイに押し付けて窒息死させてくれっ、俺の肉も骨もグチャグチャに捻り潰して殺してくれえええええっ。ちくしょおおおおっ、巨娘ちゃあああああんっ」
 などなど、勝手なことを言いながら立ち去っていくオークたち。
 オークの一体がガゼルの胸を拳で軽く突き、
「がんばれよ、ウンコ」
「うるせぇ。さっさと行け、ブタ。……ありがとよ」
 ガゼルは、自分の胸を小突いた拳を、ぽん、と叩いた。
 そのオークがブヒブヒ言いながらダンジョンの闇に消えていったとき、本当の意味で、《リノティア・バーニングボンバーズ》の最初の依頼は完了したのだった。




 転移装置の位置は、地図に記されている。
 クイーン・アントと戦った大広間からは、そう遠くない。危険もなく辿り着けるだろう。
 一応、周囲を警戒しながら歩く、ルーティたち。
 エストレアが言った。
「あのロイガーというオークのこと……先生にお話しておかないといけませんわね」
「そうね。とんでもない外道だもの」
「それに、いまだに先生のことを狙っているようでもありましたし。味方として会えば心強いかもしれませんが、敵であるなら恐ろしい脅威ですわ」
「ええ。そのためにも、まずは学園に帰らないとね」
 転移装置が見えた。紫色に輝く球体。危機に陥ったとき、ダンジョンでは、これこそが最後の頼りだ。
 学園は最高の環境で生徒たちを教育するが、ダンジョンに潜れば庇護はない。また、身の安全はだれも保障してくれない。死ぬのも生きるのも自己責任というわけだ。
 リノティア学園は、公言こそしないが、その本質は冷酷だといってもいい。死の危険が数多く存在するダンジョンに生徒たちを送り込むが、彼らが死んでも関知しないし、遺族への謝罪や賠償もない。入学のとき、そのことを承諾する内容の書類にサインをさせられる。
 学園としては、道を歩む途中で死ぬような弱者に用はない。王国や学園が求めているのは簡単に死んでしまう大勢の有象無象などではなく、それらの亡骸を踏み越えてきた一握りの強者。本物の勇者だ。よって、敗者には冷たく、勝者にはほほ笑む。
 転移装置は、そんな学園が冒険者のために配置した命綱。発展途上の冒険者が生きて帰れるようにとの、最低限の、そしてほとんど最後の思いやりだ。これとて昔は存在せず、当時の冒険者たちはダンジョンの最下層から地上まで歩いて帰らなければならなかった。
 ずいぶんと甘くなったものだ、と、何百年も生きている古参の教師は言う。
 今でさえ、生徒たちにとっては十分に過酷だ。
 だが、それでも入学を希望する者は数知れず、あとを絶たない。
 たとえ死の危険を冒してでも手に入れたいものが彼らにはあり、そして現実に、強くなって過酷な戦いを生き延び続けさえすれば、それはきっと手に入るのだ。
 黄金に輝く栄光を手に入れるために、彼らは生命をも賭ける。
 そして、ルーティもまた、そんな愚か者のひとりだ。
 果たして彼女は、そして彼女のパーティーは、栄光をその手に掴むことができるのだろうか?
 だれも知らない。
 すべては、これから始まるのだ。













 《暗黒の洞窟》の東側、十キロメートルほど離れたところに、ひとつの小さな村があった。住人はわずか五十名にも満たない、地図にも載っていない、山林に囲まれた本当に小さな村である。
 この名もない村ではいつもおだやかな空気が流れていて、住人の気質は優しく、のどかで、だれもがあまり裕福ではなかったものの、心穏やかに暮らしていた。田畑を耕し、家畜を飼い、その日を暮らすので精一杯だが、それで全員が満足していた。
 村の唯一の教会に、ひとりの少年が駆け込んだ。
「おはようっ、シスター! いい朝だね!」
 元気のいい声をかけると、祭壇の前でお祈りしていたシスターが振り向き、にっこりと笑った。
 美しいシスターだ。かなり若い。二十代前半といったところか。ゆるやかに波打つ金髪を長く伸ばしている。慈愛に満ちた柔和な顔つきは、聖母のごとき笑みを浮かべていて、それ以外の表情を浮かべたことがなさそうに見える。体つきは豊満そのもの。たっぷりと重みのある乳房と、引き締まったウェスト、見事なラインを描いた大きな美尻、すらりと伸びた長い脚。
 こんな僻地の山村でシスターをさせておくのは場違いなほどの美女だ。大きな町にでも行けば、たちまち人気が出て、若い男の信者たちが教会に行列を作るだろう。
 シスターは、聞くだけで心が洗われそうなほどの清らかな声で言った。
「おはよう、キオ。今日も朝が早いのですね」
「へへっ。シスターに会いたくなっちゃってさ」
「まぁ。うふふ、私も朝からキオに会えて嬉しいですよ。いっしょにお祈りしましょうか?」
「うん!」
 はつらつとした少年の様子は、だれが見ても思わず和やかな気分になる。
 そして、シスターの横で祈りを捧げ、彼女の甘い体臭を嗅いで顔を赤らめている様子からすれば、この十歳になったばかりの実直なやんちゃ坊主が美しいシスターに淡い恋心を抱いているのであろうことは、だれの目にも明らかだった。
 当然、シスターとて大人の女だ。少年が自分に向ける気持ちには気づいている。
 彼女はこの村で生まれ、この村で育ち、きっとこの村で死ぬだろうと思っていて、それでかまわないとも思っている。
 そして、いま、彼女と同年代の男はこの村におらず、はるか年上の壮年の男性や老人ばかり。
 このままいくと、このキオという少年が成長したとき、結婚することになるかもしれない。
(まあ、そのとき私はもうおばさんですから、もらってくれるとは思えませんが)
 とは思うものの、もしも求婚されたなら、自分はきっと喜んでこの子の伴侶になることだろう。そういう予感がシスターにはあった。
 そのとき、教会の外から叫び声が聞こえたような気がして、ふたりは顔を上げた。
「なにごとでしょう?」
「またゲイツ爺さんのとこの豚でも逃げ出したんじゃない? あそこの豚、ものすごく元気がいいからなあ」
「そうかもしれませんね」
「おれ、行ってくるよ。捕まえるのを手伝ってあげなくちゃ」
 と言って、勢いよく駆けていく、キオ。
「あまり危ないことをしてはいけませんよ。無理はしないでね、キオ」
「だいじょぶ、だいじょぶー」
 扉を開けて出て行くキオの背中を見送ってから、シスターは、毎朝の日課であるお祈りを再開しようとした。
 その耳に飛び込んできたのは、神のお告げや天使の囁きなどではなく、だれかが上げた悲鳴だった。
「え?」
 そう、だれかの――毎日、聞きなれている、よく見知った村人たちの悲鳴。
「うぎゃああああっ、いやだああああっ」
「あっあげえええっぐっぶぶおおおおごごぼぼおぼぼ」
「いやだっいやだっ、がああああああ」
「なんでもするっ、どんなことでもするから助けっごげええっあああ」
「いやああああっ、あなたあああああっ」
「やめろっ妻に手を出すなああああっ、ひぎっっがっ、えげぎごごごご」
「殺さないでっ、降参するから殺さないでっ、命だけはっごげっぎえええええ」
 悲鳴は、いつしか断末魔の絶叫となって、この教会の内部にもよく聞こえるようになっていた。
 この教会の外で、なにが起こっているのか。
 シスターは、恐怖を感じて震え上がった。
 剣が肉を断つ音、食器が割れる音、家具が砕けたり貨幣が散らばったりする音、赤子の絶叫、老人の哀願、犯されて絶望する女の喘ぎ声、無残に切り刻まれていく男たちの悲鳴。そして大勢の何者かの笑い声。
 教会の扉が、いきなり開いた。外から蹴破られたのだ。
 呆然としているシスターの前に現れたのは、三体の小汚い人影。
 二足歩行する豚のような怪物どもの種族の名は、オーク。
 オークどもはシスターを見つけると、ことさら嬉しそうに声を上げた。
「おほっ! ムチムチボディのシスターを発見、ヒィィヤッホオオオウッッ!」
「だから言ったろ。いい匂いがしたんだよ。この教会のシスターは極上だと俺が睨んだ通りだな。俺の嗅覚に狂いはない」
「おまえ……そう言って、この前の村は婆さんのシスターだったじゃねぇか。その前はマッチョの神父だったしよ。逆に掘られるかと思ったんだぞ、あのときは」
「うるせー。いいんだよ、そんときはそんとき、いまはいまだ」
「いい性格してるわ、マジで。おーい、お頭ぁ。見つけましたぜー、いい便所を」
 粗末な鎧や剣などで武装した三体のオークどもは、いずれも真新しい血で全身を汚していて、彼らが村に地獄をもたらした下手人であることは明らかだった。
 オークに襲われた村や町の末路は、シスターとて知っている。男は殺され、女は犯され、すべては奪いつくされ、燃やされ、あとにはなにも残らない。
 カタカタと震え、恐怖で歯を鳴らすシスター。
 三体のオークの後ろから、のっそりと、巨大な影が浮かび上がった。
 巨大な、四メートル以上も身長のある、ずば抜けて体格のいい、筋骨隆々としたオークだ。体毛は漆黒で、背負った大剣は馬鹿でかく、面構えは凶悪そのもので、その双眸には微塵の慈悲もありそうにない。
「おう、やっと見つけたか。……おほほっ、いいシスターだ! ムチムチボインちゃんじゃねぇか。でかしたぞ、おまえら。こんなところで最高の便所を見つけられるとはな」
 嬉しそうな笑みを見せる、黒いオーク。
 シスターは怯えきって絶望していたが、その視界にあるものが飛び込んできた。
 黒いオークが右手に握っているのは、ひとりの少年。キオだった。おそらく、飛び出していってすぐに捕まったのだろう。まだ怪我はなさそうだが、ジタバタと苦しそうにもがいている。
「ああっ、キオ……!」
「うああああっ、シスター、たすけてええええっ……」
 凄まじい握力で握り締められているのだろう。オークにとっては軽く握っただけのことでも、小柄な人間の少年にとっては骨が軋むほどの圧迫だ。脂汗を浮かべながら苦しんでいる。
 シスターは、自分の心を叱咤した。
 自分のことを慕ってくれているかわいい少年のことも守れないで、なにがシスターか。
 怯えている場合ではない。勇気とは、こんなときに使うのだ。
 果敢な険しさを帯びる、シスターの表情。
「キオを、――キオを、その子を離しなさい、化け物! その子を返せっ!」
「ああ?」
 黒いオークは眉根を寄せて、自分が掴んでいる少年を見下ろした。
 そして、三体のオークを押しのけて、面倒くさげに歩み出てきた。
「……まあ、いいぜ。しょうがねぇなあ」
「えっ……」
 言ってみたはいいものの、まさか自分の要求がすんなり通るとは思っていなかったシスターは、思わずホッとした。
 この化け物、案外、気のいい奴で、話の分かる男なのかもしれない。
 そんなことを、シスターが思った瞬間だった。
 黒いオークが、キオの頭にいきなり食らいついた。
 キオという少年は、悲鳴を上げる瞬間すら与えられず、あっという間に頭蓋骨ごと脳味噌を噛み砕かれ、そしてその下の首も、肩や腕も、バクバクと食われていった。
 声を失って少年が租借されていく光景を眺めていたシスターの足元に、キオの下半身が無造作に投げ捨てられた。
「ほらよ。返したぜ。仲良く半分こだ」
 口元から大量の血を滴らせて、黒いオークは笑う。
 シスターはその場にへたり込み、失禁した。黄色く生暖かい液体が彼女の衣服と床を汚し、流れ出て大きく広がる。アンモニアの異臭が漂った。
 黒いオークが、一歩、近づいてくる。
「さて。俺はあんたのお願いを聞いてやったんだから、当然、あんたも俺のお願いを聞いてくれるんだよな? 俺らの便所になってくれよ。ていうか、する。俺たちみんな、ちょうどいい性欲発散の機会を逃したばかりでな。鬱憤が溜まってるんだ。あんたでたっぷりと解消させてもらうぜ」
 邪悪な表情だった。
 シスターの信じる神の慈愛や正義など、このオークの笑顔だけで無様に消し飛ぶ。
「い……いやあ……」
 首を横に振って、涙をぼろぼろと流しながら、後ろに下がろうとする、シスター。
 当然、そんなことをしても、オークから逃げられるわけもなく、彼らの欲望を煽るだけだ。
 瞳を血走らせ、股間の逸物を限界まで屹立させ、黒いオークは舌なめずりをした。
「ボンキュボンのピチピチシスター、いただきまーす♪ ブヒッ♪」
「いっ――いやあああああああああっ!」
 だれも助けにはこない。
 シスターの悲鳴が山奥の村に木霊し、そして、やがてそれも消えていった。



[9648] 第十三話
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/06/06 19:46
 《リノティア・バーニングボンバーズ》が《暗黒の洞窟》に潜ってから、すでに半日以上が経過した。
 あいつらは、そろそろ地下十二階に到達しただろうか。
「心配だなー」
 学園の廊下。校舎の窓から外に向かって、ため息をつく。
 彼女たちはレベルが高くて才能もあるし、エストレアもメンバーに加わってくれているし、ジャイアント・アントやクイーン・アントに敗北することはないと思うのだが、それでもやっぱり不安なものは不安なのだ。
 どんなに万全を尽くしたつもりでも、死ぬときは呆気なく死ぬ。それが迷宮という場所だ。メンバーを鍛え上げ、強力な武器を持ち、重厚な装備で身を包み込み、山ほどのアイテムを持参したとしても、それでもやっぱり全滅の危機はいつもある。どれだけ安全そうに見えたとしても、それはまやかし。幻影にすぎない。
 もうちょっと簡単な依頼のほうがよかったかなあ……。いまさらだけど後悔する。ちょっと焦っていたのかもしれん。彼女たちにちょっとでもいい部屋を与えてやりたくて、その気持ちだけが先行していたのかも。
 口から出てくるのはため息ばかり。
 いい子たちばかりなのに、俺の判断ミスのせいで死んでしまったらと思うと、一秒たりとも気の休まることがない。
「悩んでいますね」
 背後から声をかけられた。
 振り返ると、黒いローブを身にまとったマーキアス先生が立っていた。
 いつも通りのラスボス顔、もとい、柔和な表情。
「第三職員室から出てくるなんて珍しいですね」
「こちらに少し用事がありましてね。それをすませて帰る途中、なにやら陰鬱な背中を見かけたので、こうして声をおかけした次第です」
「……暗くもなりますよ。心配ですもん」
 と、なぜか、先生は、苦笑いのようなものを表情に浮かべた。
「いえ、失礼。子が親になるとはこういうことかと思いまして」
「へ?」
「いつもいつも周りに心配ばかりかけていたあなたが、そうして周りを心配するようになるとはね」
 そ、そういうことを言われると、どういう反応を返せばいいのかわからぬ。
 俺は頭をかいた。
「当時のことは反省してます。勘弁してください」
「お気になさらず。だれにでもあることです。あなたの場合は、事情が事情でしたしね」
 まあ、わけもわからず異世界へとやってきて、今までの人生のほとんどを台無しにされたんだから、心が荒むのも無理はないと思うよ、今でも。だが十年前の俺は、ちょっと行き過ぎなぐらいの暴れっぷりで、平たく言えば我が人生の黒歴史である。
「……もとの世界に帰りたいと思うことは?」
「えぇ? なんですか、いきなり?」
「ふと気になりました。答えにくいことでしたら答えなくてもかまいません」
 そんなことを尋ねられるのは、ほんとに久しぶりだな。
 ……十年前の俺ならば、もちろん返す答えは決まっていたのだが。
「うーん。正直、そんなには」
「生まれ育った世界に未練はない、と?」
「いや、ありますよ。帰れるものなら帰りたいです。でも、もう十年もこっちで暮らしましたし、その方法も見つかりませんし、あきらめました。こっちの世界は好きですしね」
 《黄金の栄光》のメンバーとしてフェアラートの後ろにくっついて、いろんなダンジョンに潜り込み、パーティーが解散してからも世界中のいろんなところを旅してきたが、結局、異世界へと渡る手段や、もとの世界に帰る方法は見つからなかった。
 この世の始まりから終わりまでを知るという魔王エンディミオンにも会ったが、あのクソガキとは問答無用で戦闘に突入して、質問するどころじゃなくなったしなぁ。あの性格の悪そうなジジィの様子からして、尋ねていたとしてもまともな答えを得られたものかどうか分からん。
「十年も経って、あっちの世界に帰れたとしても、いまさら俺の居場所なんてあるのか、って疑問があります。記憶に残ってる両親や友達の顔もぼんやりとしてきました。……こっちで仲良くなったみんなと別れるというのも辛いです」
 もう、無理してまで帰りたいという欲求がないのだ。
 とにかく帰りたくて帰りたくて仕方がなかった十年前とは、心境がまったくちがう。
 これが、おっさんになったということなのだろうか。ルーティに笑われそう。
「あなたは大人になりましたね」
「お、おっさんとはちがいます」
「……あなたがおっさんならば、私などはどうなるのですか」
「えーと。……爺さん? あ、すいません、すいません、二度と言いませんごめんなさい」
 この先生、俺の知っている怒らせると怖い人物、男性部門のトップである。女性部門のトップはもちろんあのツンドラぶち切れ女、フェアラート。
 怖い先生は、こほん、と咳払いをひとつした。
「とにかく、話をもとに戻します。……心配することはありませんよ。なにせルーティがいますからね。私の自慢の弟子だ。その強さは保障します」
「でも、まだまだ経験が浅いですし」
「それを積むための実戦ですよ。まあ、いずれにせよ、送り出してしまったのだからもはや遅い。私たちはじっくりと彼女らの帰りを待ち、そして無事に帰ってきたなら、しっかりと祝ってさしあげればよろしいのです」
 まあ、それはそうなんだけど。
 心配だなあ。やっぱり心配だなあ。大丈夫かなあ、ボンバーズ。
 肩を叩かれた。
「心配性ですね。……元気をつけるためにも、これから一杯、付き合いませんか?」
「いやいや、俺は下戸なんですよ。先生も知ってるでしょ」
 あれ、なんだか以前にもこんな会話があったような。
 丁重にお断りすると、先生はあからさまにがっかりしたように肩を落とした。
「残念です。酒は気心の知れた相手と飲み交わすのが一番なのですが」
「シェラちゃんでよかったら紹介しますよ」
「彼女の酒乱は知っていますよ。というか、彼女と私ではお互いに楽しくならない。……ああ、酒の味を知る友人とは、かくも得がたきものであることよ。ルーティはよく付き合ってくれるのですが、やはり男性のほうが私としては都合がいい」
「えっ」
「えっ?」
 聞き捨てならないことを言わなかったか、このラスボス顔。
「ルーティに酒を飲ませてるんですか?」
「あ……ああ、ええっと、まあ、そうとも言えますね。彼女はなかなか酒豪といいますかザルといいますか、とにかく強いですよ。あまりにも遠慮のない飲み方なので、こちらが少し呆れてしまうといいますか、なんといいますか」
「先生」
「はい」
「ルーティはまだ十六歳なんですけど」
「……ひとりで飲む酒がつまらなくてたまらないのでカッとなって教えました。いまでは反省しています」
 開き直ってないですか、あなた。
 この世界はかなり法律とかゆるい感じだが、少年少女が酒を飲むことはあまり好ましく思われない。発育にもよろしくないしね。
「先生、そういえば俺に酒の味を教え込もうとしてた時期がありましたよね。フェアラートに殴り飛ばされてましたけど」
「おお、そういえばそろそろ大事な仕事の時間です。いつものアレですよ、ほら、アレ。急いで戻らねば。ではでは」
 あからさまに無理やり用事を捏造した先生は、俺が引き止める隙すらなく、ピューッと風のように去っていった。相変わらず大人なんだか子供なんだかよく分からない御仁だ。
 ……ちょっと元気が出たかな。少なくとも気がまぎれた。
 先生の言う通り、生徒たちを送り出してしまった以上、俺にできることはもうないのだから、おとなしく帰りを待つだけだ。
 ダンジョンでの生死はすべて自己責任、生きるも死ぬも彼女たち次第のこと。
 だから、信じて待つことしかできない。
 歯がゆいが、仕方ない。
 信じてるぜ、バーニングボンバーズ。







 で、夜遅くになって、あっさりと帰ってきました、《リノティア・バーニングボンバーズ》。
 生徒会に依頼達成の報告をすませて、報酬の金貨やらアイテムやらを受け取り、パーティールームに雪崩れ込む。
「つかれたよー」
 ぐでーん、とソファに倒れこむ、レミリア。なにがあったのか、まさに疲労困ぱい。
 エストレアはさすがに何度も冒険をこなしてきただけはあって、あまり疲労の色を見せてはいない。
 ノアルも疲れていないっぽいな。そういう様子はない。ていうかこの子、本当に死にそうだったとしてもその気配を周りに悟らせないのかもしれない。
 ガゼルは……疲れているのもあるけど、なにやら今までに見たこともないほど真剣な表情で俯いている。なにがあったのだろう。
 で、ルーティは、にこにこしてる。
 にこにこ、にこにこ。
 どうしたんだ、この子……。
「え、えーと、とりあえず、お帰りなさい。みんな、よくがんばったね。困難な依頼だったと思うけど、よく達成できた。すごいことだよ」
「ありがとうございます、先生。これも先生のご指導のおかげです」
「いや、俺はべつになにもしてないよー。きみら自身の実力を出した結果だ。で、報酬の金貨とアイテムをもらって、学園への貢献度も五〇〇〇ポイントもらえました。これで念願のビショップルームが開放されることになります」
「お風呂のあるお部屋!?」
 いきなり元気が出た様子のレミリアくん。兎の耳が勢いよく天を向く。
 素直な子だ。
「そうだよー。お風呂あるよー。広いし、清潔でネズミも出ないからエストレアも喜ぶね」
「そうですわね! まったく先生のおっしゃる通りですわ! 清潔なのは素晴らしいことですわ!」
「だね。で、今すぐというのは急すぎるからやめとくけど、明日になったらさっそく移動しようか。今夜でこのポーンルームともお別れ、明日からはこんにちはビショップルームだ。場所はここに書いてあるからね。はい、これが部屋の鍵。ルーティ、大事に持っていてね」
 ビショップルームのある共同住宅のある場所、細かな注意事項などが書かれた書類と、その部屋の扉の鍵をルーティに手渡す。書類はメンバー全員にそれぞれ行き渡った。
 やっと安心できた、って感じかな。とりあえず、全員が無事に帰ってきてくれてよかった。
「先生。ところで、お話したいことがあるのですが」
「ん? なに?」
「ロイガーというオークのことをご存知ですか?」
 ルーティの言葉が、油断しきっていた俺の心を波立たせた。
 なんとかひねり出した声は、少し掠れていたかもしれない。
「……どこでその名前を?」
「会いました。《暗黒の洞窟》で」
 ロイガー。
 忘れるわけがない。忘れられるわけがない。
 図抜けた巨躯の、黒いオーク。性欲と殺戮欲のためだけに生き続け、数多の戦場をさすらって恐怖と絶望を撒き散らす、地獄の悪鬼。この世でもっとも生きる価値のない生命体の頂点を争う、本物の腐れ外道。
 あいつと《傭兵王》が、俺の大事な友達にどんなことをしたのか、俺は絶対に忘れない。
 俺の友達を笑いながら殺して犯しまくった、腐れオーク。絶対に忘れることはない。
「なにもされなかったか?」
「殺されかけましたし、犯されかけました。彼の部隊に、多くの冒険者が殺されました。結果として私たちは無事ですが、奇跡のようなものですね」
 よかった、と、胸を撫で下ろす。この子たちがあの鬼畜の魔の手に害されなかったというなら、それは間違いなく朗報だ。
「なにか言っていたか?」
「あなたを殺す、と。私をあなたの目の前で殺すとも言っていました」
 ……上等だ、糞豚野郎。
 俺を殺す? ルーティを殺す?
 相変わらず、笑えてくるほど反吐の出るような台詞というか、考え方をしやがる。
 おまえを殺すのは俺だし、俺の大切な仲間は殺させない。
 次に出会うことがあったなら、必ず一瞬で死体にしてやる。
「先生?」
「え?」
「怖い顔でしたよ」
 ……む、いかんな。生徒の前であんまり感情を爆発させるのはよくない。
 だが、どうしても、ロイガーを思い出すと、感情が暗い憎悪に支配される。
「あー。ごめん。ロイガーのことは、いまは忘れよう。めでたい日に出したくなる名前でもない。いろいろとあってね、あんまり愉快ではないんだ」
「あ……はい、ごめんなさい、先生」
「いやいや、いいよ、べつに。ま、そのことについてはまた違う機会に考えよう。俺が始末するから、きみらは心配しなくてもいいよ。それよりも今夜のことです。どうする? お腹とか空いてない? 初めての依頼達成だから、お祝いに食事でもおごるよ」
 そうそう。こんなに嬉しい日だというのに、あのブタのことなど考えて気分を害していたのでは、台無しというものだ。あの野郎のためになぜ俺が損をしなければならないのか。
 気を取り直して、食事のお誘い。
 すっかり元気を取り戻したレミリアが、勢いよく手を挙げた。
「はーい! 賛成! あたし、お腹が空いちゃった!」
「わたくしも、すっかりお腹がぺこぺこですわー」
「……僕は……一週間ぐらいなら断食しても平気ですが……こういう場合は、お付き合いするのが礼儀……ですよね」
「そうそう。子供は黙って奢られなさい。ルーティ、ガゼル、どうする?」
「はい。私はもちろんいただきます。ありがとうございます、先生」
「……俺も、付き合う」
 おっ。めずらしくガゼルが素直だな。いつもなら、「だれがおまえらと馴れ合うかよ。バーカ、勝手にやってろ、俺は帰る」とか言い出しそうなものなのに。なんだか雰囲気がいつもとちがうし、どうしたんだろう。まあ、いい方向への変化のようなので、嬉しいと思う。
「んじゃ、決定ね。行こうか。いまの時間でも開いてる、美味しい料理屋があるんだ」
 《黄金の栄光》時代によく足を運んだ、学園内の馴染みのあるお店だ。巨人族には割引きがあるのでエストレアにも優しい。迷宮から帰ってくると、ウィルダネスやジェラルド、ユーフィーナやシェラザード、みんなと馬鹿騒ぎを繰り広げた。フェアラートだけは、滅多にやってこなかったけど。あいつは結局、最後まで、あの雑巾みたいな味のする携帯食料ばかりで食事をすませていた。メンバーとの馴れ合いとか、極端に嫌う女だったからな。学園では書類の始末や冒険の準備と事後処理に追われていて、空いた時間も修行ばかり。遊んでいるときなんて、ほとんど見たことがない。
 そういうのはさびしいと思うので、俺は、馴れ合いも大切にしたいと思っている。
 ……だれも信じないとか、仲間にすら心を開かないとか、そういうのはさびしいよ、フェアラート。




 訪れた店では、上機嫌のレミリアが大声で歌い、エストレアも張り合うようにして歌声を披露し、店内の冒険者全員でどんちゃん騒ぎ。いつの間にかノアルとルーティが酒を飲んでいたり、無理やり飲まされたガゼルがたった一滴で酔っ払って赤くなったり、たいへんな事態になりました。だから酒はやめておけと。
 料理は相変わらず絶品で、値段も安く、俺の財布にも優しい。そのうえみんな笑顔で、楽しくて仕方がないひと時だった。《リノティア・バーニングボンバーズ》の初めての冒険成功を祝うのに、最高の一夜だったと思う。
 で、夜が明けた。
 いったんそれぞれの自宅へと帰り、十分に眠ってから、再び集合。
 時刻は昼過ぎ。
 パーティールームは、ボロっちいポーンルームから、とても広くて住みやすいビショップルームへ。
「すごーい」
 部屋を見渡し、感心して、ぽかんと口を広げているレミリア。
 まあ、無理もない。
 ポーンからルーク、ビショップと、順当にレベルアップを経験したわけではなく、ルークを飛ばしていきなりビショップに上がったのだものな。あまりの変わりように驚いて当然だ。
 ポーンルームがボロアパートならば、ビショップルームは高級マンションの一室だ。部屋の広さも天井の高さも何倍もあって、調度品も高級そうなものばかり。日当たり良好、窓を開ければ心地いい風が吹いてくる。この部屋は三階にあるから毎度の階段の上り下りがちょっと面倒だけど、まあその程度は我慢しないといけないだろう。
 とにかく、すべてにおいてポーンルームとはまったくの別格、別天地。
「お風呂! お風呂がある! やったぁ!」
 さっきから嬉しそうにはしゃぎ回って部屋を探索してるレミリアが、浴室のほうから声を上げた。おうおう、無邪気よのぅ。ビショップルームの風呂はけっこう広いから、レミリアも満足だろう。
「ルーティ、いっしょに入ろうね!」
「そうね。楽しみだわ」
「残念ですわー。わたくしもごいっしょしたいですわー。でも、さすがにわたくしには狭すぎますわー」
 エストレアは指をくわえて涙目になっているけど、まあ、それは仕方がない。彼女が入浴しようと思うなら、せめてナイトルームに行かないと駄目だろう。建築しているのが人間やドワーフなので、巨人族の規格外すぎるサイズについての問題は、どうしても捨て置かれがちになるのである。
 男の子たちは……風呂についてはあんまり興味なさそうだな。そんなもんか。
「はいはい、そろそろ集合してちょうだいねー」
 ぞろぞろと集まってくるバーニングボンバーズ。
 大きな四角い机があるので、それぞれに着席をうながす。
「どうですか、みなさん。いいでしょ、ビショップルームは」
「うん!」
「はっはっは。よかったよかった。まあ、そのうちお風呂を楽しんでおくといいよ。で、さっそくミーティングを始めようと思います。まずは今日の活動について話し合おうか」
 こういう地道な活動こそが大事なのである。
 普通、司会の役目を担うのは、パーティーのリーダーか担当官だ。まだルーティはリーダーとしての経験が浅くて会議の進行がしにくいだろうから、俺が代わりにやっておこうと思う。
「どういうことをしたいいとか、こうしたほうがいいとか、意見がある人はいる?」
「……もっと依頼を受けるべきじゃないのか」
 と。頬杖をついたまま言ったのは、ガゼルだった。
「昨日のことで分かったけど、俺らはまだまだ力不足だし、経験が足りてない。だからちょっとランクを落としてでも依頼をたくさん受注して、ダンジョンに潜って、実力をつけたほうがいい」
 室内の空気が静まり返る。
 だれも、なにも言わず、ガゼルのほうを凝視していた。
 不機嫌そうにそっぽを向く、ガゼル。
「……なんだよ」
「いきなり真面目になったね、ガゼルくん。どったの?」
 いくらなんでもいきなり豹変しすぎじゃないかね、きみ?
 昨日までのやる気のない態度が嘘のような、まともな意見だ。
「べつに。なんでもねーよ。ちょっとブタに尻を蹴り飛ばされただけだ」
「なにそれ?」
「うるせぇ。どうでもいいだろ」
 顔が赤い。照れています。
「ま、たしかに、なんでもいいか。真面目にやってくれるなら、先生はとても嬉しいよ」
「ふん。……あんまり笑われたくはないしな。本気でやってやるよ」
「最初から本気を出すのが普通なの。怪我をする前に気づけたことは幸運だ」
「分かってるよ」
 実際、死ぬまで大切なことに気づけない生徒も多く存在する。ガゼルは間に合ったので、運がいい。俺のように。
「先輩もようやく更生できそうですのね。いいことだと思いますわ」
「うん。あたしも嬉しいな。いつまでもツンツンしてるのはよくないと思ってたもん」
「……いいこと……だね」
「これでようやくまともな戦力になりそうね」
 仲間もガゼルの変化を暖かく受け止めているようだし、もう心配はいらない、かな?
 本人は、鼻を鳴らしてつまらなそうに目をそらしている。やっぱり顔は赤い。
「では、ガゼルも言っていることだし、さっそく依頼でも見てこようか。ちょっとスタートが出遅れてるけど、まだまだこれから、十分に取り戻せる遅れだと思うよ」
 ということで生徒会室に出発することになった俺たち。
 で、どうしてまたルーティとふたりきりになっているのか。
 みんなが出て行く前に呼び止められたのだ。
「あの、ルーティくん、今回はどういったご用件でしょうか」
「そんなに怖がらなくても、なにもしませんよ、先生」
 本当かよ?
 前回の不意討ちホールドディープキスを食らってから、どうもこの子を相手に迂闊に接近するのが恐ろしい。ぼんやりしている昆虫を捕らえて養分にする、食虫植物のような娘である。キスしたことがシェラザードにバレるかと思って肝を冷やしたんだぞ。
 で、食虫植物少女は、お辞儀するようにして、俺にその頭を突き出してきた。
 なんのつもりだこれは。
「撫でてください」
「え」
「私、がんばって依頼を達成しました。なので、褒めてください。なでなでしてください」
 こ、これはー。
 う、うむむ、まあ、その程度なら。キスに比べれば軽いものだし、浮気にもならないよね?
 おっかなびっくり、手を伸ばす。また襲いかかってくるかもしれないから慎重に。
 なでなで。
 ありえないくらいサラサラで手触りのいい、黒髪を生やした頭部を撫でてやる。
「……いい子いい子。よくがんばったね、えらいぞ」
「えへへ♪」
 嬉しそうだなあ。
 結局、今回は不意討ちしてこなかったものの、たっぷり三分はいい子いい子させられた。



 生徒会室のある建物に入ろうとしたところ、ちょうど入れ違いのタイミングで、一組のパーティーが出てきた。
 軽い驚きを覚える。
 なぜなら、そのパーティーこそ、現在のリノティアのトップ。キングクラスの冒険者たち、《銀竜の爪牙》だったのだから。
 たしか、六人組だったはずだけど、いまここにいるのは三人だけだ。
 ココ・オルトロス。レベル三〇〇、ドワーフ族の少女。ピンク色の髪と、お団子をふたつくっつけたようなヘアスタイルが特徴的。背丈が百四十センチほどもない小柄な体格の持ち主だけど、重厚な甲冑に身を包み、巨大なハンマーを背負っている。
 デュラック・ベルゼルガ。レベル三八〇の人間族。ノアルよりも虚ろな双眸の持ち主。波打つ金髪を長く伸ばした、血色の悪い、暗い表情の青年。彼はひたすら感情を表に出さない。一年前までは普通に他人と会話していたし、わずかだが感情をあらわにすることもあったらしいが、地獄のような特訓と激戦を重ねた結果、人間らしい温かみをすべて消し去り、双眸から光を消し、完全に心を閉ざした。余分な感情を削ぎ落とし、ひたすら強くなることを求めたためだ。以来、一言もしゃべらなくなったらしい。がっしりとした長身で、漆黒の鎧をいつでも着込み、長さ二メートルを越える長剣を二本、交差させるようにして背負っている。
 そして、シンティラ・クェサ。レベル三九〇、竜人族と人間族のあいだに生まれたハーフの少女。腰まで届くほど銀髪を長く伸ばした、怜悧な美貌の持ち主。百七十センチを越える長身と、メリハリのきいた抜群のプロポーションを持っているけど、ただ美しいだけではなく、とても強い。白銀に輝く甲冑を着込み、腰の鞘には見事な業物の剣が収まっている。
 苗字で分かるが、シンティラは、あのラファーガの身内。腹違いの妹なのだそうだ。あの怪物じみた男の妹というだけのことはあり、とても強い。学園トップのパーティーのリーダーを務めているのも当然か。
 そのシンティラだが、建物を出たところで俺たちとばったり出くわすなり、いきなり睨みつけてきた。なんで?
「おまえたち、どのクラスに位置しているパーティーなの?」
「ビショップですが」
「雑魚が。邪魔なのよ。さっさと道をゆずりなさい。私たちが何者か、知らないの?」
 こちらを見下す目つき、腕組みをした貫禄のある振る舞い、まさに女王さま。
 先頭のルーティは、ちょっとムッとした様子だったが、とくに文句は言わずに道をゆずった。俺たちもそうする。
 ふん、と鼻を鳴らして歩みを再開するシンティラ。
 すぐに立ち止まったのは、俺を見つけたからのようだ。
「あら。だれかと思えば、あなた……えーと、名前はなんと言ったかしら?」
「四季村秋彦だよー。こんにちは。お兄さん、元気にしてる?」
 と言った瞬間、俺の首に突きつけられる剣の切っ先。シンティラが神速で鞘から抜き放ったのだ。なんか最近、こんなことばっかり。
 シンティラの表情は怒りに染まっていた。
「下賎の分際で兄上のことを気安く口にするな、この俗物」
「んなこと言われても、きみのお兄さんとは友達だから、気にかけるのは当然だよ」
「黙れッ!」
 うおお、剣がものすごい速さで俺の首のあった場所を通過していった。とっさに後ろに首を反らしていなければ、死んでいた。本気で俺を殺すつもりか、この子。
 びっくりしたような表情を浮かべる、シンティラ。
「よ、避け……!? 避けるな、クズッ!」
「避けないと死んでしまいますよ」
「むしろ死ね!」
 ビュンビュンと凄まじい勢いで俺を切り裂こうと剣が走る。まあ、避けられないことはないけど、どうしようかしら。身を捻ったり上体を反らしたりしながら考える。どうやらシンティラの怒りを刺激してしまったようなので、どうにかして落ち着けないとなぁ。
「おやめなさい、シンティラさん」
 優しい、それでいてはっきりとした口調で言ったのは、エストレアだった。シンティラから俺を庇うように進み出てくれる。
 シンティラは、今度はエストレアを睨みつけた。が、いかにシンティラといえどもレベル三二〇のエストレアを侮ることはできないらしく、注意深く警戒している。
「副会長、エストレア・ブレイブハート? どういうつもりかしら? 私の邪魔をするの?」
「ええ、もちろん。今回、先生に非はありませんから。……あなたのほうこそ、どういうおつもりなのか、お聞かせしていただきたいところですわね。神聖なる生徒会の門前で騒ぎを起こし、しかも教員に対して問答無用で剣を抜くなど、許されることではありませんよ」
 おおお、よくぞ言ってくれた。
 まさにその通り。
 うん、やっぱりエストレアは頼りになるなあ。
 で、シンティラの横に立つようにして進み出てきたのは、ドワーフのココ。
「なに? 文句あるの? なんで生徒会の副会長さんがそこにいるのかしらないけどさー。ボクらは《銀竜の爪牙》だよ。この学園のトップパーティーなんだ。……つまり、なにをやっても許されるんだよ。教員を殺そうが、大暴れしようが、ボクらが咎められることはないんだ」
 いや、その理屈はおかしいだろ。
 そんな無茶苦茶が通用するなら、十年前の時点でリノティアは全壊していたと思うわ。当時のトップパーティーのリーダーがあんなアレだから。
 学園のトップ、キングクラスのパーティーとはいっても、そこに辿り着いて得られるのは豪華な専用施設と多大な名誉、卒業後の将来の約束といったところだ。けっして、学園内で好き勝手に横暴を繰り返すことを容認されるわけではない。購買部のパンを盗めば一般の生徒と同様に罰せられるし、いたずらに騒ぎを起こしても同じことだ。だからこそフェアラートですら根回しを徹底していたわけで。
 エストレアやルーティも同じことを思ったようで、うんざりしたような表情をみせている。驚いたことにシンティラも同様だ。意外と真面目な子なのかもしれない。
「……分かったわ。たしかに、私としたことが軽率だったようね。この場は引いてあげる。では、失礼させてもらうわ」
 言いたいことだけ言ってから、悠然と立ち去っていく《銀竜の爪牙》。ココは暴れ足りないとでも言うかのように駄々をこねていて、それをシンティラがなだめていた。
 うーむ、扱いに困る子たちである。
「相変わらずですわね、彼女は」
「エストはシンティラたちと知り合いなのか?」
「ええ、まあ、一応。よく依頼を受注するためにやってきていますから、生徒会室で顔を合わせる機会がございますわ。でも、シンティラさんは怒りんぼですし、ココさんは過激ですし、ベルゼルガ先輩はなにをお考えなのか分かりません。わたくし、他人の陰口を叩くのは嫌いなのですけど、正直に言って、あの方がたは少し苦手なのですわ」
 頭痛でもあるかのようにこめかみを手で押さえ、ため息をつく、エストレア。
 俺の知らないところでいろいろと苦労があったようである。副会長というのはやっぱり大変な仕事のようだ。
「先生のほうこそ、シンティラさんとはお知り合いでしたの?」
「ずっと前にちょっと会話しただけだよ。んで、お兄さんのラファーガと友達だよ、よろしくね、って言ったら、あんな感じで怒り始めた。よくわからん子だ」
「ラファーガというと、八年前までこの学園の頂点に君臨していたという、最強の竜人族ですわね。なんでも、パーティーすら組まず、単独でダンジョンに挑み続けたのだとか」
 冗談みたいな話だけど、あいつの場合、本当のことだから困るんだよなあ。
 ラファーガ・クェサ。単独での戦闘能力ならばあのフェアラートをも大きく上回る、最強の男。フェアラートはその実力に加えて知能や立ち回り、パーティーの統率力などのすべてを含めて最強と呼ばれたんだけど、ラファーガはただ単純に、強くて強くて強すぎるから最強と呼ばれた。あいつとは何回か手合わせしたけど、一回も勝てたことがない。いまは、どこでなにをやっているのだろうか。元気でやっているといいのだけれど。
「さすがは先生ですわね。あのラファーガさんとお友達だなんて。わたくし、彼とは一度でいいからお会いして、手合わせをお願いしたいと思っておりますのよ」
「やるなら本気で殺しにいかないと殺されるよ。あいつ、加減とか知らないから」
「望むところですわ。先達に敬意を表するのであれば、殺すつもりで挑むのが当然ですもの」
 なん……だと……。
 おそるべし巨人族。あのラファーガと話が合いそうだとは。まさにおそるべし。
 こうしていつまでも門前で話し込んでいてはみんなの邪魔になるだけなので、さっさと生徒会室に入ることにした。
「あ、そういえば、もう俺がついてくる必要はなかったな」
 いつまでも俺が依頼を選ぶわけにもいかないし。
 ルーティが言った。
「べつにいいでしょう、先生。そんな細かいことは気にしないでも」
「でも、いつまでも俺がついて回るっていうのもなぁ」
「先生に任せきりというのがいけないのですから、全員で相談して決めれば問題ないでしょう?」
「んー、まぁ、そうかな。いまはそれでいいや、うん」
 などなど、会話しているうちに、受付のあたりを通った。
「あ、シキムラ先生、こんにちは」
 この前の受付の女の子だ。手を振ってきたので、俺も挨拶しながら手を振る。
「クイーン・アントの討伐は成功したようですね。よかったです」
「うん、本当によかったよー。勢いに乗ってきたから、今日も依頼を受注してみようと思うわ」
「ええ、がんばってください。いい依頼が見つかるといいですね」
 にこにこしながら言う、受付の女の子。
「ねーえ、これ、なにを書けばいいのー? 分からないぷーん」
「あ、はい、そこはですね、ここからここまでのすべての欄に、このようにご記入を……」
 なにやら書類と睨めっこしているツインテールの女子生徒に、優しくアドバイスをしている。あの受付の女の子、テキパキとよく働くなぁ。見ていて気持ちがいいくらいだ。
「先生。早く行きますよ」
「ん? そんなに急がなくても」
「うるさい。口答えするな、おっさん。さっさと歩け」
 うええっ、えええええええっ?
 そ、そんなに強く、ゴキブリでも見るように睨まなくてもいいでしょうに。
 んで、なにやら不機嫌になったルーティくんに怯えながら、またしてもみんなで依頼探しの時間。相変わらず物凄い数の依頼だけど、エストレアのおかげで高い位置を探しやすくなった。
 あっというまに十五分が経過。
「はーい、集合」
 ぞろぞろと集まってくるバーニングボンバーズ。
「では、受注する依頼を決めようと思います」
 みんなそれぞれ、前回と同じくらいの数だけ、依頼の紙を持ってきている。エストレアは三枚か。
 うーむ、前回はちょっと失敗ぽかったレミリアやガゼルも、今回はきちんと手堅くて実入りのいい依頼を探してきている。進歩だ。やっぱりガゼルはいい意味で変わったようだぞ。本当に嬉しい。
「どれもこれも甲乙つけがたいね。どうしようか。一度に受けられるのはひとつだけだから、慎重に決めないとね」
「俺はやっぱり討伐依頼を受注したい。強い敵と戦えば実力をつけられそうだしな」
「でも、あんまり危ないことはしたくないよぅ」
「大丈夫ですわよ、レミィ。わたくしたちの実力で倒せる敵を見極めればよろしいのですわ」
「……採集のほうが……難しいと思う……」
「私たちは戦闘専門のような編成だものね。狩人や錬金術師がいればいいのだけど」
「ぴょーん。ちまちま採集するより、おっきい魔物を倒すほうが楽しいちょろん」
「んー、でも、討伐を依頼されるほど凶悪な魔物が相手だと、それ相応の危険がつきまとうからね。その代わり、報酬は多いけど。ハイリスク、ハイリターンだね」
「これはどうでしょう? 《アーミティージ地下遺跡》の宝物庫を守るゴーレムの討伐らしいのですけど」
「おおー。いいね。最近になって発見されたダンジョンっぽいし、実入りが多いかも。報酬もまあまあだし、貢献度は三七〇〇ポイント。いいんでない?」
「俺はいいぜ。歯ごたえのありそうな相手だ」
「異論はございませんわ」
「ちょっと怖いけど、みんなといっしょなら大丈夫だよね」
「……ゴーレムの相手は苦手ですが……がんばります」
「ぴょーん! あたしもそれがいい!」
 うむ、受けるのはこの依頼で決まりだな。
 ところで。
「何者ですか、きみは」
「めろーん」
 いや、俺の頭にデカメロンをぶつけながらそんなことを言われても困る。
 さっきから俺たちの会話に割り込んでいた闖入者は、いまは俺の頭を抱え込むようにして抱きつき、その柔らかいものを押し付けてきている。明らかにおっぱいだというのが感触で分かるんですけど、これ。重い。
「せ、先生!」
「なにやつですの!?」
 焦った様子のルーティとエストレア。
 とはいっても、なにも見えません。
 何者かの腕が目隠しのように回されていて、視界が真っ暗である。なにをされているのか、感触でおおむねのことは分かるけど。
「先生から離れなさい、おっぱいお化け! 貧乳を馬鹿にするな!」
「レミィに匹敵する戦闘能力ですわ……! あ、でも、わたくしも十分に大きいのですよ。ごめんなさいましね、ルーティ」
「う、裏切り者」
 余裕の表情をみせるエストレアと、愕然とするルーティ。そんな光景が見えるようです。
 まあ、それはいいや。
「いいかげんに離れなさい。てい」
「うきゃぽー」
 ひっぺがすと、あっさりと離れてくれた、女の子。
 そう、おっぱいの感触や奇声の声色から分かっていたことだが、この子、女の子だったのだ。
 しかもどこかで見たことのある……と思ったら、さっき受付で書類を書いていた子か。
 見た目からして、おそらく人間族だろう。
 茶色の髪をツーサイドアップ、いわゆるツインテールに纏め、膝に届くほど伸ばしている。背は高く、百七十センチくらいか。リノティア指定の制服がはちきれんばかりのボンキュボンなプロポーション、ほっそりとした腕、長くて白い脚、綺麗というよりは可愛らしいといった表現が似合う顔立ち。瞳はくりくりとしていて大きい。間違いなく、超がつくほどの美少女だが、どこか奇妙な雰囲気。視線の焦点が定まっておらず、つねにきょろきょろとあたりを見回している。
 ちょっと眉毛が太めのその子は、ぽってりとした厚みのあるジューシィな唇を、にっこりとした笑みの形に曲げてみせた。
「ぽっぽろぴーん。こんちゃー」
「こ、こんにちは」
「ぽろろん。はじめまして。あたしの名前は、ハイドラちゃん」
「……ハイドラちゃん、か。で、ハイドラちゃんは、どうしてこんなショッキングなことを?」
「うーんとね、あたしも、あなたたちのパーティーに加えてほしいんだー」
 これはまた単刀直入な。
 願ってもない好機。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》はいまだに五人のメンバーしかいない。やはり六人組がバランスのいい人数なので、近いうちに新たなメンバーを探さなければいけないと思っていたところなのだ。
 ハイドラは、にこにこしながら、身体をくねくねと躍らせている。
「あなたたち、まだ五人。空いてるよね? ひとり。メンバー。まだ。あたし、その空いてる部分に入りたいと思うの、あたし。いい?」
「どうする、ルーティ?」
「職業とレベルを聞いてからでないと、どうとも……」
「職業? なんだっけ?」
 首をかしげる、ハイドラちゃん。
 おいおい。自分の職業すら把握してない生徒とか、見たことないぞ。
「うーんと、ぽろろん、ごめんね。あたし、さっき入学したばかりで、まだよく分かんない。でも、強いから、とっても役に立つと思うよ」
「さっき入学したばかり? 履修科目も決まってない状態なの?」
「りしゅー? なにそれ? ハイドラ、わかんない。ぷっぷくぷー。むずかしいことはロンくんが考えてくれるし、ややこしいことをやってくれるから、あたしはなにも考えなくていいのよ。お母さんもそう言っていたよ。びよよよーん」
「……ロン? だれなの、それは?」
「おとうとだよー。ハイドラのおとうと。弱っちいけど、とっても賢い子なんだよ!」
 いや、知らんがな。そんなに目を輝かせて言われても。
「で、ねー。あたしとロンくんと、ほかのみんな、きょーだい、みんなで入学したの。でねでね、新しいパーティーを作ることになったの。あたしがリーダーでね。で、みんなよりも先に着いたから、たまにはあたしが頑張って、ひつよーな書類を作っておこうと思ったわ。でもあたしは見つけたわ!」
 ビシィ、と、俺を指差す、ハイドラ。なぜそんなに力強く。
「あなたが、ボンクラのドブネズミさん、でしょ!?」
「……は?」
 おい。
 その言い回し、聞き覚えがあるぞ。
 昔、嫌というほどぶつけられた台詞だ。
 ハイドラは、輝くように笑う。
「だからよかった! ハイドラ、あなたに会いたくて仕方なかったの。だってお母さんがあなたのこと、とっても面白くお話してくれたんだもん。すごく興味あったわ! なので決めましたぁ、ハイドラはぁ、みんなのパーティーのメンバーになるのですわぁ。むちょん。そうすれば、ボンクラのドブネズミさんといつもいっしょにいられる……でしょ?」
 俺は、そういえば、この子に会ったことがあるような気がしていた。
 先ほどの受付などではなく、もっと実際に。
 この子そのものというより、この子の雰囲気に似た代物を感じていたことがある。
 かつて、間近で、二年間も。
 ルーティが言う。
「ちょっと待って。せっかく作ったあなたのパーティーはどうするの? メンバーの了解は得たの?」
「うんなの必要ないもん、ぷー。あたしは、いちばん大きなお姉さんだから、きょーだいのみんなとちがって、やることを選べるし、自由に行動できるんだよ。《黄金の栄光》はロンくんにあげるから大丈夫。あたしがみんなの仲間になっても、だれも困らないんだよ、ちょんきり」
 頭痛が酷い。
 心臓が早鐘のごとく打っている。
 乾いた声で、尋ねた。
「……教えてくれ。きみの名前は?」
「ほげ? ああ、ファーストネームしか教えなかったね。ごめんね、ぴろん」
 断言してもいいが、わざとファーストネームしか言わなかったのだ、この子は。
 気づいた瞬間の俺の驚きを楽しむために。
 してやったりといった表情を浮かべ、悪戯っぽく笑って、ハイドラは言った。
「あたしは、ハイドラ。ハイドラ・ザ・ウィケッド・セルフィッシュ」
「まさか、フェアラートの――」
「正解ッ! む・す・め。でぇーす! よろしくね、イェイ♪」
 おもいきりピースサインを作ってみせる、ハイドラ。
 過去が、少女の姿でやってきた。
 とりあえず尋ねたいのは、フェアラート、この子の父親はだれだ?
「いっしょにがんばろうね、お父さん♪」
 ……神さま。言葉が出てきません。



[9648] 第十四話
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/06/06 19:49
 俺の認知してない子供がいきなり登場、だと……!?
 やれやれ。
 まあ、俺がガキのままだったなら、慌てふためいて醜態を晒していたところだろう。
 しかし、こちとらすでに二十七歳、いい歳こいた大人である。
「あまり趣味のいい冗談じゃないな」
「ぷー?」
「最初にひとつ訊いておきたいんだけど、きみは、本当にフェアラートの娘なのか?」
 このハイドラという女の子の真意がどうであれ、これだけは、まず、はっきりとさせておかないといけない問題だ。
 ハイドラは、あっさりとうなずいた。
「そだよ」
「……あいつは、生きているのか?」
 ずっと、死んだと思っていた。
 八年前のあの日、魔王の城で彼女を見失ってからというもの、ずっと、死んだものだと思っていたんだ。
 けど、それを、ハイドラは迷うことなく否定した。
「生きてるよ」
「俺は、ずっと、あいつが死んだものだと」
「うんなの知らないぷー。ドブネズミちゃんがどう思っていようが、そんなのは事実とは関係ないでしょ。お母さんはちゃんと生きてるし、あたしはお母さんの娘だよ」
「……ああ、それなら、よかった」
 ハイドラの言葉が真実であるならば、それは、いいことだ。素直な感想だ。
 なぜ、今まで、俺たちの前に姿を現さなかったのか? それはとても気になることだけど、あいつのことだ……きっと事情があったのだろう。
 なんだかんだいって、俺はあいつのことが気に入っていたし、いい仲間だったとも思っている。死んだというのが俺の勘違いに過ぎず、本当は生きているのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。
「で、俺がきみの父親だって言うのは、嘘だよな」
「めろーん。そんなことないよ、お父さん♪ ひどいよぅ、認知してくれないの?」
「きみが本当に俺の娘なら認知します。……が、どうしても辻褄が合わない」
 ちょっと考えれば分かることだ。
 俺とフェアラートが出会ったのは十年前で、その、なんだ、肉体的な関係を築いたのは、八年前。
 ところが、この女の子、どう見ても年齢は十六歳ぐらいだ。ルーティと同い年に近いだろう。普通の人間だと絶対にありえないほどの成長速度だ。赤子の状態から異常な速度で成長したか、もしくは、最初から現在の姿のままで生まれてきたのでなければ、辻褄が合わない。
「本当に俺とフェアラートの娘なら、きみはもっと幼くて小さいはずだろ」
「あたしは本当にお母さんの娘だよ。疑うの? ぽろろん、ショックだよよよん」
「いや。そこは信じるよ。こうして向かい合ってみると、たしかにあいつの気配を感じる。だけど、俺の娘だというのは、嘘だ。ていうか、あいつは、自分の腹を痛めて子供を産むような女じゃない。……あいつは魔法使いでもあったからな。きみがあいつの娘だというのは、たぶん、そういう意味だろ? そもそも、あいつは……」
 ハイドラはゆっくりと瞳を細め、愉快げに口の端を歪めた。
 すべてを小ばかにするかのような、皮肉げな笑顔。
「そうだよ。――お母さんは、子供を産めない身体なの。ちゃんと覚えていてくれたんだ」
 フェアラートそっくりの表情。気配が変わっていく。さわがしく波を立てていた海面が、まったく静かになって音をなくすように。
「訊いていた話とはちがうね。もっと馬鹿みたいにビックリして騒ぐかと思ってたのに」
「どういうふうに訊いてたんだか。俺だってもう大人なんでね。きみのお母さんとパーティーを組んでいた八年前とはちがうさ」
「うん。イメージしていたのは、ただの馬鹿なガキだったけど。意外に冷静。それに推察も鋭いね。八十点あげるよ。そっちの後ろの子たちは、普通に驚いてくれたみたいだけど」
 けらけら、と、ハイドラは笑いながら言う。
 ちょっと後ろを振り返ってみると、ボンバーズはみんなびっくりとした顔をしていた。
「いや、あの、きみら、ちょっとは俺を信用してよ。自分の子供も把握できないほど女遊びはしてないよ、俺は」
「わたくし、先生のことは信用していますけれど、やはりいきなり言われると驚きますわ」
「うん。ほんとに先生の娘さんかと思っちゃった」
「俺はまだ二十七歳だっての。こんな大きい子供がいてたまるか」
「……子持ちの先生というのも、それはそれで魅力的だと思いますけど」
 どういう意味ですか、ルーティくん?
「ぽろろーん。ハイドラ、ちょっとつまらない。でもいいもん、これは単なるあたし個人の遊びだし。ドブネズミちゃんが慌てたり悩んだりするのを見たかっただけだから」
 いい性格してるなぁ、この子。
 なんというか、獲物を嬲って楽しむ、猫科の肉食獣のような娘である。
「で、結局、どういうつもりでこの学園に? あのフェアラートのことだから、なんの目的もなしに子供をここに送り込むとは思えないな」
「……びよよん。マジで想像してたのとちがう。純心無垢で間抜けなガキを、冷静で面白みのない大人に変えてしまう……八年という時間の流れは残酷だねぇ?」
 肩をすくめる、ハイドラ。
 この子、刻一刻と雰囲気が変わる。イメージが定まらないというか、不思議な子だ。
「ま、教えても問題のないことは教えてあげる。あたしたちの目的は、《黄金の栄光》の復活だよ。お母さんが、そうしなさいって言ったんだよ」
「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味でしかないぷー。あたしは、あたしのおとうとやいもうとたちと、仲良くみんなでパーティーを組むの。そして、最強のパーティー《黄金の栄光》を、このリノティア学園のトップに返り咲かせるんだよ。ぷっぷぷー、それがあたしの目的なのさ」
 そんなことをして、どういう意味があるんだろう?
 あれから八年だぞ、フェアラート。
 当時のメンバーたち、ユーフィーナやジェラルドだって、もうここにはいない。
 おまえも、今ではもう、この学園の生徒ですらない。
 いまさら《黄金の栄光》の名前だけ復活させたところで、そこにどんな意味がある?
「どういうつもりで、フェアラートは、《黄金の栄光》を復活させたがっているんだ?」
「ぽよよん? どーいうー? ハイドラ、わかんないぴょーん」
 きょとんとした表情を浮かべて首をかしげてみせる、ハイドラ。
 いや、絶対に分かってるし、知ってるだろ、この子。
 ぽよよん、だとか、めろーん、だとか、奇声を発してみせたり、いちいち道化じみた振る舞いをしてみせたりするのは、ひょっとして、こっちを油断させたり、周囲を煙に巻いたりするための演技なのだろうか?
「あの、先生? ちょっとよろしいでしょうか?」
 エストレアが訊いてきた。
「申しわけありません。わたくし、なにがなにやら……つまり、どういうことですの? 《黄金の栄光》というのは、八年前までこの学園に所属していた、学園史上最強といわれるパーティーですわよね? 魔王城にまで突入したという、あの?」
「そだね。もっとも、突入できただけで、最後は撤退するのが精一杯だったけど」
「……まさか先生もメンバーの一員だったということは」
「言ってなかったっけ」
「初耳ですわ」
 そういえば、そうか。
 まあ、あまり声を大きくして話してはいないので、無理もない。
 ボンバーズのメンバーでそのことを知っているのは、ルーティくらいのものか。
 ガゼル。そんなあからさまに驚いたような顔をしないでください。いくら俺の見た目が冴えないお兄さんだとはいっても傷つきます。
 《黄金の栄光》のメンバーのなかでは、俺は、もっとも顔を知られていない男だろう。地味だしね。レベル五〇〇とか七〇〇とかの化け物がいるのに、俺だけいつまでもレベル不明のガキだったし。それに、巨人族の英雄だとかハイエルフのお姫さまだとかに比べて、話題性とか華がないのだ。しょんぼり。
「昔の話だよ。あんまり知られて嬉しいことでもないしね。……俺たちは、リーダーを見捨てて敵地から逃げ帰ったんだ。そのことについて触れられたくもなかった、ってのもある」
 成り行きはどうあれ、最後は、結果としては、そうなった。
 フェアラートは命がけで俺たちを逃がしてくれて、魔王との死闘は、俺たちの敗北というかたちで幕を閉じた。
 ハイドラが言った。
「でも、お母さんは生きてた。そして、あたしたちを造った」
「今まで、俺たちに顔を見せなかった理由は?」
「知らないぴょーん。忙しかったせいじゃないの?」
 本当に知らないし、そのことについては興味もないのだろう。ハイドラはやる気がなさそうに言う。
 で、ちょっと気になったことがある。
「あたしたち、か。さっきも兄妹がどうとか言ってたけど」
「うん。あたしのかわいいおとうとやいもうとだよ。……あ、ちょうどいいタイミングだね」
 俺たちの背後のほうに視線を向け、無邪気な笑顔を広げる、ハイドラ。
 振り返ると、数人の生徒がこっちにやってくる途中だった。
 先頭に立っているのは、俺と同じぐらいの背の高さの、黒髪の少年だ。人間族だと思う。十七歳ぐらいか。長い髪を丁寧に後ろへと撫で付けて、首の後ろで一纏めに縛っている。鋭い目つき。引き締まった口元。よく切れる剃刀のような雰囲気。歩く音が規則正しいリズムを刻む。生真面目そうな気質を全身から滲ませている。着ているのはリノティアの制服。
 その後ろに続くのは、銀髪ポニーテールの少女。背丈は百六十センチほど。無駄のない、スレンダーな体形。こちらも人間族だと思うけど、雰囲気が少し異質で奇妙。人形のように整った容姿、綺麗な顔立ちだが、双眸に生気というものが感じられない。虚ろで、なにを考えているのか分かりにくい女の子だ。ものすごく無表情。夜の闇のような黒を基調とした、フリルだらけのふわふわとした衣服を着ている。ゴシックロリータとかいうのかな。
 そのさらに後ろに、ボサボサの真っ赤な髪を生やした、褐色の肌の少年が歩いている。ダークエルフ、か? 特徴的な長い耳と、色濃い褐色の肌は、まさにダークエルフそのものだ。ガゼルと同じ種族だが、ガゼルよりも少し背が高く、顔つきは男っぽくて、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。少し長めの八重歯が口元から覗いていた。制服を適当に着崩した格好。
 黒髪の少年が、やや険しい表情を浮かべながら言う。
「姉上。こちらにおられましたか」
「うん! 遅かったね、ロンくん。……あれ? ティアちゃんは?」
「ケルプティーアなら、先に帰りましたよ。ここは居心地が悪いのだそうです」
「ふーん。……あ、そうだ。あたし、はやく着いたから、さきにパーティーの登録をすませちゃったよ! ひとりで出来たもん! えらいでしょ、えへへー。ほめてほめて」
「……姉上の提出した書類は先ほど受付で拝見しましたが、とても見るに堪えないものでしたので、僕が書き直しておきました。受付の女子も困っていましたよ。姉上は机の上での仕事に関しては無能なのですから、以後は自重してくださると助かります」
「そんなあああああ」
 頭を抱えてうずくまるハイドラ。うーむ、あの受付の子に手取り足取り教えてもらっても駄目なのかよ。
 しかしこの少年、容赦のない物言いである。
 少年の、切れ味の鋭い眼光を放つ瞳と、視線が合った。
「はじめまして」
「あ、うん、はじめまして。四季村秋彦です。教師です」
「存じております。母上のパーティーに所属していらしたそうですね。お噂はかねがね。お会いできて光栄です。僕の名前はロン。一家の長男にして第三子です。以後、どうぞお見知りおきを」
 両手を腰の後ろで組み、直立不動のロンくん。まったく表情を動かさず、硬質な鋼のような声で言う。
「姉上……長女のハイドラがご迷惑をおかけしたようですね。申しわけありません。第一子である彼女は僕たちのリーダーなのですが、その奔放な性格には僕たちも悩まされているのです。厳重に注意しておきますので、どうかお許しを」
「ん、いや、それは構わないんだけどね、まったく」
「そーそー! かまわないぷー! ロンくんってばお固いんだからぁ、まったくぅ」
「……姉上」
 ロンはハイドラをきつく睨みつける。
 ハイドラは、ひえー、と声を上げて、なぜか俺の背中に回りこむようにして隠れた。
「あわわわ。ロンくんが怒ってるよぅ。たいへんだぁ」
 だからといって俺の後ろに来られても困る。このロンとかいう子の目つき、本気で怖いぞ。
「ひっひっひ。姉貴殿は相変わらずマイペースだよなぁ」
 と、笑い声を上げたのは、ダークエルフっぽい男の子だった。かなり目立つ、真っ赤に燃え上がる火炎のような髪の毛が特徴的だ。
「じこしょーかい。俺の名前はグルート。次男で第五子。末っ子だ。以後よろしく」
 と言って、グルートが制服の胸ポケットから取り出したのは小さな箱で、そこからさらに細い紙の筒が……って、おいおい。
 俺と同じく気づいたエストレアが、眉をひそめる。声をかけるのは、彼女のほうが速かった。
「お待ちなさい。生徒会室は禁煙ですわよ」
「あ? 固いこと言うなよ、ノッポちゃん」
「……なんですって?」
 あ、ヤバい。同じダークエルフだからって、ガゼルと同じ過ちを犯さなくてもいいだろうに。
 が、前回のようにエストレアのかかと落としが炸裂する前に、グルートの顔面を強烈に殴打したのは、ロンが振り向きもせずに放った裏拳だった。
 凄まじい音がしたぞ。絶対に鼻とか歯が折れただろ、あれ……。
「周りに迷惑をかけるな、愚か者。きちんと決められた決まりを守れ。でなければ帰れ」
「……ぶぇーい。おー、いてぇ。兄貴はすぐに暴力に走るよなぁ」
 グルートは、ぐしゃぐしゃに潰れてしまった煙草を箱に仕舞い直し、真っ赤になった鼻を擦っている。凄まじい勢いの裏拳だったけど、ちょっと涙目になるくらいですむのか。かなり頑丈だな、あの子。
「ロンくんの攻撃くらいじゃ、グルートくんはビクともしないよ」
 俺の耳元に囁きかけるようにしてハイドラが言う。
「グルートくんはあたしの次に強いの。ロンくんよりもずっと強いよ。でも、あたしたちはねんこーじょれつが強いから、グルートくんはロンくんには逆らわないんだよ」
 年功序列、ねぇ。
 たしかに、ロンという子からは、年長者の風格というか、しっかりとした大人の雰囲気みたいなものを感じる。逆らいにくいというのも無理はない。俺の背後の子はどうなんだろう。かなり子供っぽい振る舞いだけど。
 と、考えていたら、ロンがエストレアに向かって頭を下げていた。
「申しわけありません。愚弟が失礼なことを」
「い、いえ、大丈夫ですわ。わたくし、もう気にしておりませんことよ」
 さすがに、あの裏拳のあとだと、な。強く文句は言えないだろう。
 顔を上げたロンは、やっぱり表情を動かさない。
「それはよかった。ところで、あなたがたは、アキヒコ・シキムラ先生の担当するパーティーの方がたなのでしょうか?」
「ええ。《リノティア・バーニングボンバーズ》といいますの」
「いい名前ですね」
「そうでしょう!? 雪原に咲いた一輪の花をイメージしたんです!」
 おもいっきり食らいついていくね、ルーティくん。
 で、ロンはといえば、初めて表情を動かして、きょとんと目を丸くしていた。
「は、はぁ。バーニング・ボンバーズなのに、ですか。失礼ですが、変わっていますね」
 やばい。
 このロンとかいう子、かなりの常識人だ。まともすぎる。
 ルーティは肩を落としてがっくりとしている。
 いや、だから理解されないのが当たり前だってば。
 ま、それはそれとして。
「そっちの銀色の髪の子は?」
 ぜんぜん会話に参加する気配を見せない、ゴスロリ衣装の女の子のほうを見る。
 ボーッとしている様子で、こうして俺が視線を向けても、なんの反応も返さない。
 ロンが代わりに答えてくれた。
「次女、第二子のレナーテです。申しわけありませんが、こちらの姉上は言語機能に障害が発生していて、会話を交わすことは出来ません」
 ふむふむ。さっきから黙ったままでいるのは、そういう理由があったのか。しかし、言語機能に障害って。あのフェアラートが、そんなミスをそのまま放置しておくものだろうか? 少し気になる。まあ、気にしたところで仕方のない問題か。
「ロンくん、ちょっと質問してもいいかな」
「はい、なんなりと」
「きみらは全員、フェアラートの子供なんだよね?」
「子供という表現が適切であるかどうかは判断に困るところですが、大雑把に言うのであればその通りですし、僕たちは彼女のことを母親だと認識しています」
「……つまり、あー、なんて言ったらいいのか。……作られた、と?」
「そのようなものです。あなたのご想像通りの存在であると認識していただいてけっこうです」
 マジかよ、フェアラート。
 いや、そういう技術があるということは俺だって知っているが、まさか……。
 ルーティは驚いたように言う。
「ホムンクルス、ということなの?」
「そんな感じ。にょろーん」
 肩車のようにし俺の頭へとよじ登ったハイドラが言った。やめてやめて、髪を掴まないで。
「あたしやグルートくんは、くんすとりっひ・がいすと。とも言うんだけどね」
 クンストリッヒ・ガイスト? 意味のよく分からない単語だ。
 ともかく、ホムンクルスというのは、つまり人工の生命体。が、一口にホムンクルスとはいっても、その能力や完成度は、作り手によってさまざまだ。フラスコの中でしか生きられない、胎児のような姿かたちの非常に脆弱で不完全な個体もあれば、生きた人間と見分けのつかない容姿を持ち、高い魔力や身体能力を誇り、半永久的に活動し続ける固体もある。俺の頭の上や目の前にいる連中のように。
 ホムンクルスだろうとなんだろうと、冒険者として学業に励む意思があるのであれば、この学園は入学者を拒まない。
「この学園に入学するようにきみたちに言ったのは、フェアラートか?」
「はい」
「どういうつもりで、そんなことを?」
「《黄金の栄光》の復活が目的です。僕たちはこれから《黄金の栄光》を名乗り、この学園の頂点を目指します。それが母上から僕たちに下された指令です」
「分からんな。なんでいまさら? フェアラートは、なにを考えている?」
「申しわけありませんが、その質問にはお答えできません。僕は、その質問に対して回答する権限を与えられていませんから」
 なるほど。
「ていうか単刀直入に訊くけど、フェアラートはどこにいる?」
「それについても同様です。お答えできません。どうしても知りたいというのでしたら、ハイドラにお尋ねください。彼女には、すべての情報を自分の判断で開示できる権限が与えられています」
 む、むむむ。
 俺の頭の上の少女が、すべてを知っているというのか?
「というわけなんだけど、教えてくれないかな? フェアラートはどこにいる?」
「ほえほえ? んー、そういうふうに訊かれたら、こう答えろって、お母さんは言ってたよ」
 ハイドラは、俺の肩から軽やかに飛び降りると、俺の耳元に唇を寄せてきた。
 思わず、聞くことに集中する。
 囁くように、ハイドラは言った。
「教えるわけねーだろ、ばーか」
 げらげらげらげら。
 ……ああ、こういう女だったよ。思い出して、思い知ったわ。声までそっくりだ。笑い方も。
「仕方ないな。まあ、生きてるのが分かっただけでも嬉しいよ。ぼちぼちと自分で探すことにするわ」
 いまは、ボンバーズの成長を見守ってあげないといけないから、忙しくて無理だけど。
 こうしてハイドラたちを使って接触してきたわけだし、あっちも俺のことについてまったく興味がないというわけではないんじゃないか? そのうち会えるといいんだが。
 ロンが言った。
「では、僕たちはこのあたりで失礼させていただきます。行きますよ、姉上」
「やだぷー」
「は?」
 驚いたような表情を見せるロンの前で、ハイドラは、俺の腕を抱き寄せるようにしてしがみついてきた。
「あたし、こっちのパーティーのメンバーになる」
「……姉上。なにを言い出すのですか」
「ぷっぷぷー。だって、このパーティーはとっても楽しそうなんだもん。あたし、気に入っちゃった。《黄金の栄光》のリーダーはロンくんがなってよ。好きにやってくれていいからさ」
 あ、本気だったのね、それ。
 俺たちに接触するための適当な方便かと思ってたのに。
 で、ロンはとても困ったような顔をしている。
「姉上、やめてください。またそんなわがままを」
「ひっひっ。いいじゃねーの、兄貴。それに、いったん言い出すと姉貴殿はしつこいぜ」
「おまえは黙っていろ、馬鹿者。……姉上、お願いですから戻ってきてください」
「やだー! やだやだやだー!」
 ハイドラは仰向けになって床に転がると、手足をジタバタさせて暴れ始めた。
「こっちのパーティーがいい! みんな面白そうな子たちばっかりで楽しそうなんだもん! あたし、絶対にこっちのメンバーになるからね! はい、決まり! 決まりったら決まりなのー!」
 大声で喚き散らして暴れ続けるハイドラ……当然、パンツ丸見え。
 ロンは頭痛でも覚えたのか、こめかみを手で押さえている。
「おやめください。下着が丸見えですよ、はしたない。……分かりました、分かりましたよ。どうせ僕にはあなたの決定に逆らえる権限はありませんから。どうぞ、お好きなようになさってください」
「ほんと!?」
 いままでの醜態が嘘のように表情を明るくして、パッと飛び起きる、ハイドラ。
 ロンは、呆れ顔だった。
「そちらのパーティーのみなさんの了解が得られればの話ですが」
「それならだいじょうぶだよ! だよね、ねっ!?」
 ハイドラは、なにを思ったか、猫科の肉食獣じみた俊敏な動きでルーティに跳びかかった。
 魔法使い系の職業ゆえの悲しさか、あまり身体能力が優れていないルーティは、ハイドラの奇襲を避けられずに食らってしまう。
 見事な抱きつき攻撃だな。
 さすがのルーティも面食らっている。
「ちょっ……や、やめ……」
「めろーん。ねーねー。あたしもパーティーに入れてよー。いいよー、あたしは。強くて可愛くて役に立つよー。いっしょに冒険しようよー」
 いまだかつて、こんな方法で自分を売り込む冒険者など見たことがありません。
 これは止めに入るべきか否か。
 当然、引き剥がすべきだろうなー。このまま放置しておくとハイドラはいつまでもルーティに抱きついているのだろう。
 が、その前に、ルーティがギブアップした。
「わ、わかったわ。あなたをメンバーにする」
「ほんと!? やったあ!」
「……みんな、いい?」
 ハイドラに抱きつかれたまま、仲間を見渡す、ルーティ。
 まあ、だれも反対はしなかった。ちょっと不安そうだけど。
「ところで、あなたはどんなことができるの?」
「んー? えーとね、ハイドラはね、強いよ。お水を出したり引っ込めたりできるよ」
 なんだそれ。水芸か?
「姉上が強いというのは本当ですよ。僕たちの中では一番です。もっとも、あまり信用はなさらないでください。姉上は他人を平気で騙しますし、嘘もつきますから。ただし、自分にとって不利になるようなことは言いません」
 うん、それはさっき思い知ったところだわ。
 見るからに厄介な女の子がメンバーの一員になったもんだ。果たして、ルーティはこの子を扱いきれるのか。リーダーとしての資質が問われているぞ。
「では、僕たちは本当にこれで失礼させていただきます。姉上、あまりそちらのみなさんにご迷惑をおかけしないようにしてください」
「ぷっぷー。わかってるもーん。ロンくんはお姉ちゃんを信用できないのかな!?」
「ええ、まったく。それでは、みなさん、さようなら」
 きびすを返して去っていく、ロン。
 その背中に舌を出して見送る、ハイドラ。
 大丈夫なのかなー、と思いつつ、こっちのパーティーの用件をすませることにした。
 ハイドラをパーティーのメンバーに登録して、《アーミティージ地下遺跡》のゴーレム退治の依頼を受注しないと。
 で、今日はもう昼過ぎになってしまってるので、ゴーレムが発見された宝物庫のある階層までは行けそうにないが、様子見のためにちょっと潜ってみようということになった。探索が深夜になるのは、できるだけ避けたほうがいい。真夜中は魔物の活動が活発になってきて、危険だ。
 準備があるので、それぞれパーティールームに戻っていくメンバーたち。
 ちょっとした自由時間が出来た。
 花壇に水でもやろうかと考えていたら、なぜか、ガゼルに名前を呼ばれた。
「ちょっと顔を貸せよ」
「どったの?」
「俺と勝負しろ」
 なにそれ怖い。
 怖い顔のガゼルに引きずられるようにして、学園の所有する広大な修練場にまでやってきました。思えばフェアラートと初めて会ったのもここだったな。
 しかしガゼルの表情が険しい。またおまえを怒らせるようなことでもしたの、俺?
「なんだよ、その顔。……よく知らないけど、あんたは最強のパーティーのメンバーだったんだろ?」
「そういう時期もあったね」
「いまでも強いのか?」
「うーん、まあまあ? それなりには強いと思う。でも、何年も前の話だし、俺はもう衰えてる。全盛期と比べるとぜんぜん弱いよ」
「それでも俺よりは強いだろ。あのシンティラとかいう女の攻撃、俺にはぜんぜん見えなかった。でも、あんたは簡単に避けてみせた」
 いや、あんな直線的で単純な攻撃、ちょっと集中すればだれでもかわせる。シンティラは本当に優秀な剣士なんだけど、さっきは激情のあまり頭に血が上っていて、慎重に剣を振るための冷静さを欠いていたのだ。普段のシンティラと戦えば、俺だって危ないんじゃないかな。
 そのあたりのことを説明しても、ガゼルは納得がいっていない様子だ。
 訓練用の木剣を俺に投げてよこし、自分も木剣を手に取る。
「本気で来いよ」
 いつになく真剣な表情。本当に、なにがあったんだろう。
 まあ、来いと言われたのだから、行くしかない、か。
 で、十分後、ガゼルは床に倒れた。
「すまん。ちょっと強く打ちすぎたか?」
 できるだけ、打っても大丈夫なところを狙ったんだけど。
 ガゼルは返事をする余裕もない様子で、うつ伏せになって床に倒れたままだ。
 これで十五戦目、俺の十五勝が決定。
 いくら倒しても起き上がってくるガゼル。何度も何度も再戦を挑まれた。
 また起き上がろうとしている。
 俺は、その場にあぐらをかいて座った。
「ちょっと休憩しようか」
「く、くそったれ……ど、どこが衰えてるんだよ、化け物……! 涼しい顔しやがって。呼吸も乱してねぇだろうが」
「この程度の運動で呼吸を乱すわけないでしょ。俺も最初は貧弱だったけど、いろいろ特訓させられたら持久力がアップしたのよ」
「どんな特訓だよ」
「走った。二十四時間」
「は?」
「……足を止めると鞭で打たれたり、尻に火をつけられてね。それが嫌だからひたすら歩き続けるんだ。ふふふ、死にたくなった」
 ていうかあれはもうすでに特訓とか体力づくりとかではなく、ただの拷問でしかない。
 当時は、下半身が破裂するかと思った。
「ガゼルの剣は単純すぎるんだよね。ちょっと集中力がある奴が相手だと、剣の筋を簡単に読まれるよ。あと急所の防御を疎かにしすぎ。もっと自分の命を大事にする戦い方を覚えなさい」
 才能はあるのに、上手に戦うということが出来ていないのだ、ガゼルは。
 本当に強い敵が相手だと、パワーやスピードだけでは通用しない。
 しばらく休憩していると、やっとダメージが癒えたのか、ガゼルはうつ伏せの状態から身を起こして床に座った。
 ものすごく思い悩んでいる様子が分かる。
「……カムイの信徒になれば、俺は強くなれるのか?」
「は?」
「ロイガーは、強かった。とんでもなく強いオークだった。俺はあの男の強さに近づきたいんだ。弱いのはみっともなくて情けないだけだ……俺は、カムイの信徒になってでも、絶対に強くなりたい」
「やめろ、馬鹿野郎」
 思わず語気を強くしてしまった。自分でも、きつくて冷たい口調だったというのが分かる。
 頭をかく。うまい言葉を探さないと。
「あのな、ガゼル。なにがあったのか知らないけど、カムイっていうのは、おまえが思う以上にくそったれの神なんだよ。たとえ不死になろうが無敵になろうが、その先がない。待っているのは確実な破滅だけなんだ」
「死ぬのなんて怖くない。俺は強くなりたい……それだけだ」
「アホ。ただ死ぬだけならヨルムガルドの連中が怖がるもんか。カムイの信徒が味わう破滅っていうのは、あの狂った傭兵どもですら震え上がるほどの、永遠に続く地獄なんだ。おまえが考えているほど甘いものじゃない。……聞かせてくれ。なにがあった?」
 ガゼルは、《暗黒の洞窟》でロイガーたちに出会ったこと、そのあまりの強さに畏怖を感じ、そして、自分の弱さに気づいたこと、自分がこれまでにどれほどの過ちを犯していたのか気づいたことを教えてくれた。
「そのオークには感謝しておきなよ」
「……うん」
 本当は俺が教えてやらなくちゃいけないことなんだけどなぁ。どうも、最近は放任主義が過ぎたみたいだ。俺としては生徒が自分で成長してくれるのが一番なんだけど、やっぱり手を出すべきところには出さないといけないか。まだまだ未熟だ。
「でもな、そんなに焦って急いでもいいことないぜ、ガゼル。ゆっくり一歩ずつ確実に成長していくのが一番だ。でないと道を踏み外す。おまえは才能あるんだから、これから仲間といっしょに強くなっていけばいいんだよ」
「そうかな」
「そうだよ。馬鹿なことは考えずに、ぼちぼち地道にがんばりなさい。素直な態度で努力していれば、仲間のみんなだって喜んでいっしょに戦ってくれるよ。俺だって協力するしね」
 俺は、立ち上がり、ガゼルの肩をぽんぽんと叩いてやった。
「心配するな。おまえは俺よりもずっと強くなれるよ。保障する」
「……ああ。分かった。俺、がんばるよ、先生」
「おお。はじめて先生と呼んでくれたね。嬉しいぞ」
 出会って何ヶ月も経つけど、やっと先生と呼んでくれた。
 素直に嬉しい。
 ガゼルは顔を赤くして照れてるけど。
「う、うるせぇ。……強い奴のことは尊敬する。ノーカンって呼んだりして、悪かったよ」
「いや、ノーカンは本当だけどね。レベルとかいまだに分からんし、魔法とか使えないし」
 戦力に数えられないほど使えない男ってことでノーカンとか呼ばれる俺。悲しい。
 なんにせよ、これでガゼルもようやく真面目に戦ってくれそうだ。素質があるから成長率も高いだろうし、一気に戦力としての期待度がアップする。
「……なにをやっても無駄でしょうね。しょせん、クズはクズなのよ」
 疲れきった声だった。
 がむしゃらに走り回り、食事も摂らず、雨に打たれ、石を投げられ、そして疲れ果てて倒れる寸前の人間のような声。
 俺は思わず背後へと振り向いた。
 俺と二メートルほど距離を開けて立っていたのは、ひとりの少女。
 十六歳くらいか。スレンダーな身体の首から下を黒いラバースーツのようなもので包み、真紅の分厚いコートを着込んでいる。百七十センチほどの長身。波打つ黒髪を腰に届くほど伸ばして背中に垂らしているけど、その色に艶や張りというものがなく、ボサボサで、手入れされている様子がない。
 顔立ちは非常に整っているけれど、全身から生気というものが感じられず、その瞳は死んだ魚のそれのように、ひどく暗く澱んでいた。
 少女は、疲れたような笑みを浮かべた。とても荒んだ嘲笑だ。
「そいつには才能が足りないのよ。だからクズ。クズは、どこまでいってもクズのままよ」
「あ? てめえ――」
 こめかみに青筋を浮かべて飛び出していきそうになったガゼルを、片手で制止。
「そういう言い方は感心しないな。ガゼルには才能があるし、たとえなくても、努力によっていくらでも強くなれる。きみのお母さん、フェアラートのようにね」
「……ああ、分かるの?」
「少し、ね。気配が同じだ。きみとハイドラっていう子からは、特に強く感じる」
「そうでしょうね。姉さんは、ウィケッド・セルフィッシュだもの。母さんの名前の一部を受け継いだのは、姉さんがそれだけ母さんに近い存在だということ。性格がね。わがままで、利己的で、邪悪だということよ」
 たしかに、ハイドラからは、わがままな部分というか、悪の部分というか、そういうフェアラートが持っていた性質を感じる瞬間があった。
「きみは?」
「わたしはちがうわ。でも、姉さんの次くらいには相応しいかもね。ケルプティーア、それがわたしの名前。兄妹の、三女にして第四子よ」
 ケルプティーア。さっき生徒会室でロンとハイドラが話題に出していた子か。第四子ということは、グルートの姉で、ロンの妹ということになるのだろう。
 そしてこの少女もまた、ホムンクルス。フェアラートに造られた存在、か。
「そこのダークエルフとの戦いを観察させてもらったわ。なかなかのスペックをお持ちのようね」
「どうも」
「でも、その程度の戦闘能力で、母さんのパーティーのメンバーだったとは信じられない。衰えたといっても限度があるわ。正直に言って、幻滅したわよ」
「あらら、ごめんなさい。でもねー、お兄さんも最近は運動不足だし、若いころの無理が祟って身体のあちこちがガタガタなのよ。衰えるのもしょうがないよマジで」
「……ふざけた男。まあ、いいわ。いずれ機会があったら、あなたの実力の底を見せてもらうとしましょう」
 ケルプティーアは、俺を軽蔑したように睨み付けてから、背中を向けた。
「さっきの話だけど。母さんもクズよ。才能がない奴はみんなクズだわ。邪魔なのよ。……わたしはちがう。わたしだけはね」
 その台詞は、まるで自分に言い聞かせているかのように、俺には聞こえた。
 ゆっくりと去っていくケルプティーア。
 その後ろ姿が、フェアラートのそれと重なって見えた。
 切ないほどに強く、孤独で、悲壮な、あいつの背中そのものだった。



[9648] 第十五話《あたしの名前はハイドラちゃん》
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2010/08/08 16:43
 寝苦しさのようなものを覚えて、ルーティは目を覚ました。
 どっしりと重くのしかかってくる、柔らかい質量を感じたのだ。
 ルーティを抱きしめるようにして眠る、ハイドラの姿があった。
「なっ……ちょっ、ちょっとっ……」
「うーん、むにゃむにゃ、ねむむーん」
 髪をおろした寝巻き姿のハイドラは、深い眠りの世界に旅立ったまま、その長い手足を使ってルーティを羽交い絞めに拘束し、抱き枕のように扱っている。
 ルーティとしては混乱するばかりだ。
 昨夜はたしかにひとりでこの部屋に入り、ひとりで眠ったはず。
 ハイドラといっしょに眠った覚えはない。
 しかし現実にはこうしてハイドラが自分といっしょのベッドで眠り、あまつさえ自分を抱き枕の代わりにしているのだ。
 こんなことをされて喜ぶ趣味はルーティには……あるのだが、それは四季村秋彦に同じことをされた場合のみだ。
「自分の部屋に戻りなさい、自分の部屋に!」
「むにゃにゃー。美味しいよー。もう食べられないぴょん……」
 食事の夢でも見ているのだろう。至福の表情を浮かべながら涎を垂らしているハイドラは、ルーティがいくら叫ぼうと目を覚ます気配がなかった。
 重い。身長百七十センチを越える長身、しかもその童顔からは想像もできないグラマラスなプロポーションを誇るハイドラの肉体は、ふかふかと柔らかいくせにとてつもなく重いようにルーティは感た。
 そのうちハイドラの四肢にこもる力が強くなっていく。
 可憐な少女の外見には似合わない強い膂力が、ルーティの骨格の各所を締め上げて圧迫する。
 さらにはその巨大な乳房の圧倒的な質量と弾力が押し付けられるので悔しすぎる。
「ちょっとっ、くっ、苦しっ……」
「でへへへへ、美味しくいただきマンモスめろん」
「こっ、殺され……だれか、たすけ……」
 苦しげに赤く染まった顔で絶望の声を上げる、ルーティ。
 背骨がミシミシと重い悲鳴を上げる。
 呼吸が出来ないので酸素が足りず、じたばたともがこうとしても手足がまったく動かせない。
 道を歩いているだけでも死ぬことがあるのが人間だが、眠っていただけだというのに同じパーティーのメンバーに絞め殺されるというのは、なかなかありえない体験だろう。
 静かに死を覚悟した、ルーティ。
(先生……ごめんなさい……私は逝きます……)
 そのとき、唐突に部屋のドアが開いた。
 現れたのは、ゴシックロリータの衣装を身にまとった少女、レナーテ。たっぷりとクセのある銀髪をポニーテールにしている。
 レナーテは部屋に入ってくるなりベッドの上のルーティとハイドラへと虚ろな三白眼を向けると、いきなり歩み寄ってきた。
 そして、いまだにぐっすりと安眠しているハイドラの後頭部へと、無言のまま手刀を振り下ろす。
 卓越した技法により体重がそのまま加わった超速度の一撃。
 人間の頭蓋骨が奏でてはいけない音が響き、「ほんげー」と声を上げたハイドラは、そのまま気絶したようにぐったりとなって動かなくなった。その手足が弛緩し、ルーティの身体を締め上げる圧迫感が弱くなる。
 呆然としているルーティの目の前で、レナーテは平然と姉の髪の毛を鷲づかみにしてルーティから引き剥がすと、そのまま自分の肩に軽々と担ぎ上げてしまった。
 ルーティとレナーテの視線が合う。
『姉がご迷惑をおかけしました』
 レナーテは無言だったものの、なぜだかその表情がそう言っているかのように、ルーティには思えた。
「……気にしないで。ただ、もう二度とお姉さんの寝相に付き合わされたくはないわね」
『本当に申し訳ない』
 ぺこり、と頭を下げたレナーテは、ハイドラを担いだまま部屋から出ていった。あれだけの重さの肉の塊を肩に乗せておきながら揺るがない姿勢。
 閉じられたドアの向こうへとレナーテの背中が消えて、ようやく、ルーティはため息をつくことを思い出した。



 マーキアスとルーティが暮らす洋館に、新しい同居人たちがやってきた。
 ハイドラをはじめとした、自称・フェアラートの子供たちだ。
 朝食が並ぶ食堂。
 マーキアスは少し面白そうに言った。
「朝からひどい目つきですよ、ルーティ」
「ほっといてください。朝っぱらから下宿人の抱き枕にされて圧死しかけた私の気持ちなんて、マスターにはわかりません」
 かわいらしく頬を膨らませて、焼きたてのウィンナーをフォークで突き刺す、ルーティ。香ばしい肉のうま味が口いっぱいに広がる。
「同じような経験をしたことならありますよ」
「えっ。本当ですか」
「寝相の悪い女性でしてね。苦労させられました」
 苦笑いを浮かべながら紅茶を飲む、マーキアス。
 ルーティは、この男にそんな過去があることを想像もしたことがなかったので、ちょっと新鮮な気持ちになった。
「すみません。姉上がご迷惑をおかけしたようですね」
 本当に申しわけなさそうに言ったのは、ルーティの対面の席に座っているロンだった。黒髪オールバックの少年はすでに身だしなみを完璧に整えており、寝癖や衣服の乱れなど微塵もない。
「寝ぼけてあなたの部屋に入ってしまったのでしょう。今後は同じことが起こらないよう、よく言って聞かせておきます」
「……いいわ、べつに。それより、食事をするのはあなたとお姉さんだけなの?」
 食卓についているのはロンとその横に座るレナーテだけだ。
 ハイドラ、ケルプティーア、グルートの三人は、いまだに二階にあるそれぞれの自室から出てくる気配を見せない。
 ロンは食事の手を止めて、ため息をついた。
「マイペースな連中ですから、ご容赦ください。とくにケルプティーアは気難しくて、朝食を摂らない主義ですから、呼んだところで無駄なんです」
「ハイドラは起きてくるの? 今日は受注した依頼をこなさなくちゃいけないのだけど」
「どうしても起きなければ、僕が引きずってでも連れて行きます。ご安心を」
 苦悩ばかりを抱え込んでいるような雰囲気の少年である。
 その頭にレナーテが手を伸ばし、よしよしと慰めるように撫でた。
「仲良きことは美しきかな。ところで、ロン。今日の予定ですが、《黄金の栄光》が活動するためのパーティールームや学園内の施設の使用法などを案内しようと思っています。よろしいですか?」
「はい。助かります。急なお願いを引き受けてくださって感謝しています、マスター・ゾルディアス」
 ロンの言う、急な願いとは、新生《黄金の栄光》の担当官になってほしいとマーキアスに頼み込んだことだ。
「かまいませんよ。フェアラートの言葉であれば断るわけにもいきません」
「ありがとうございます」
 マーキアスが担当しているパーティーは、いまのところいない。
 もともと、あまり大きく表舞台で活動していない男である。一般の生徒たちのパーティーの担当官になることはほとんどないし、それを希望する生徒も滅多にいない。なにせ屍霊術士なので人気がないのだ。
「担当官になるなど、何年ぶりですかねぇ。あなたのお母さんのパーティー以来ですから、八年ぶりといったところですか」
 しみじみと語る、マーキアス。
「ま、当時の私は《黄金の栄光》にはノータッチでしたがね。干渉しようとしても、させてもらえませんでしたし」
「それはやはり母上が拒んだのですか?」
「そういうことです。パーティーの資金やアイテムの管理から、現場の指揮、活動の方針の決定、すべて自分だけですませるのが彼女の意思だったのですよ。前代未聞のことでした」
 それを聞いたルーティは、感心するよりもまず呆れた。
「どうしてですか? そんなの苦労するばかりだと思いますけど」
「だれも信用できなかったのですよ、彼女は。どんな些細なミスが自分の生命を脅かすことになるかもしれない、だから信用できない他人には任せられない。そう考えていたのです」
 哀れな少女である。
「マスター。私、そのフェアラートという女性のことをもっとよく知りたいんですけど」
「ふむ? なぜですか?」
「自分でもよく分からないんですけど、とても気になるんです」
 ルーティが真剣な顔で言うと、マーキアスは薄っすらと目を細めた。楽しむように。
「そのうち知ることになりますよ」
 その言葉がどのような意味を孕んでいるのか知りたくなったルーティだったが、マーキアスがそのことについて語りそうな雰囲気ではなくなっていたため、あきらめるしかなかった。
 ロンに尋ねてみても無駄そうだというのは、昨日の彼と秋彦との会話で知っている。
 秋彦に訊いてみてはどうだろうか? とルーティは考えたが、昨日の様子から推察するに、どうやら彼はフェアラートとの別離について苦悩しているところがあるようだ。興味本位でその女性のことを尋ねてみてもいいものやら、躊躇してしまう。
「お母さんのことを知りたいの?」
 いきなり両肩に手を置かれ、耳元で囁かれた。
 まったく気配を悟らせずに近寄られて、ルーティは驚く。
 背後に立っているのがハイドラだということは、すぐに分かった。
 ハイドラはくすくすと笑っている。
「いいよ、教えてあげる。お母さんはね、世界で一番、だれよりも素敵なお母さんなんだよ。おいしいものを食べさせてくれるし、面白いお話を聞かせてくれるし、あたしがきちんと言うこと聞いたら褒めてくれるし、いつもあたしのことを愛してくれるの。ギュッて抱きしめて、あたまをなでなでしてくれるんだよ。あたし、お母さんのことが大好き! お母さんのためならなんでもできるの!」
 夢見る乙女、無邪気な子供のようにハイドラは言う。
 母親のことを語るその言葉には、あふれんばかりの敬愛と信頼がこめられている。
 だが、そこにどこか歪んだ感情が渦巻いているように思えるのは、ルーティの勘違いにすぎないのだろうか?
 ハイドラはルーティの肩から手を離すと、つかつかと歩いていってマーキアスの横に立ち、少し腰を曲げるようにして彼の顔を覗き込んだ。
「だからあたしは、お母さんを困らせるひとのことが大嫌い。お母さんが嫌いなひとのことが大嫌いなの。あたしの言ってることの意味、わかるよね、おじさん?」
「いやはや、困ったものだ」
 ハイドラの挑発を涼しげに受け流したマーキアスは、食事が用意されている空席を手で示す。
「せっかくの料理が冷めてしまいますよ」
 ハイドラはつまらなそうに、冷ややかな視線でマーキアスを見下ろす。
 が、それにもやがて飽きたのか、結局は彼の言う通りにレナーテの横へと座って食事をはじめた。
「うーん、こいつはなかなかおいしいぷー」
 すごい勢いで食べているハイドラは、なにも考えていそうにない、無邪気な雰囲気を取り戻している。
 マーキアスの顔を覗き込んだときの、あの得体の知れないプレッシャーのような圧力は、もはや消えうせてしまっていた。



 朝食を食べ終えて身支度をすませたルーティはハイドラを連れて登校し、そのままパーティーのメンバーと合流して《アーミティージ地下遺跡》へと足を運んだ。
 最近になって発見されたダンジョンである。
 石造りの迷宮はまだ十分に開拓されていないため、どんな魔物が出現するのかも定かではなく、生徒会から渡された地図にも、まだまだ空白のままの部分が多い。
 それでもなんとか歩みを進めるルーティたちは、そろそろ冒険者としての基本を覚えつつある。いくらかの経験を積み、成長しているのだ。
 が、そんなルーティたちに、思わぬ悩みの種が現れた。
 それはダンジョンを徘徊する魔物やトラップなどではなく、なんと仲間のひとりだったのである。
 問題のゴーレムがいるという宝物庫への道のりを進むバーニングボンバーズ。
「……ハイドラさん? ちょっとよろしいかしら?」
「んー? どしたのぷー?」
 頭痛を堪えるように言ったのはエストレア。お気楽に応えたのはハイドラだ。
「あなた、それはどういうおつもりですの?」
「なんのことだかわかんないにゃん」
「……その二本の脚が飾りではないのでしたら、スライムから下りて歩くべきですわ」
 エストレアが問題視しているのは、ハイドラが寝そべっている透明な球体である。
 ぶよぶよとしていて不定形の、直径が二メートルほどもある水分の塊。ダンジョンで遭遇するスライムという下級モンスターに酷似している外見だが、これはハイドラが作り出したものだ。
 ウォーターエレメントという。見た目の通り、水分の結晶である。水を操ることを得意とする魔法使いがよく召喚して手駒とする、ごくありふれた使い魔の一種だ。知能はないが、非力な魔法使いを敵から守るための壁となったり、重い荷物の運搬などの簡単な作業をさせるのに向いている。いまも、ハイドラを乗せたまま音もなく静かに前進しているところだ。
 もうずいぶん前からハイドラは自力で歩くことをやめて、このウォーターエレメントに寝そべったまま移動をしている。ウォーターエレメントはハイドラの重さと姿勢に対応して柔軟に変形するため、とても寝心地がよさそうだ。ハイドラの身体が濡れることもないらしい。
 とてつもなく便利そうだし、歩いていないのだから疲れることもないだろう。
 が、エストレアにとってはそれがいささか気に入らないようだ。
「真面目になさったほうがよろしくてよ。わたくし、怠けるというのはよくないと思いますの」
「ぷっぷくぷー。だってぇー、歩くの飽きちゃったんだもん、ぷー」
「失礼ですけど、あなた、基礎体力が足りていらっしゃらないのではなくて? まだ少ししか歩いていないというのに。そんなことでパーティーの戦力になりますの?」
「びよーん。だいじょーぶだよーん。っていうか、なんでそんなに怒ってるの?」
「わたくし、ダンジョンというのは修行の場だと考えておりますの。未知の暗闇に挑み、おそろしい魔物と戦い、おのれと向き合い、おのれを高める。そういう、ある意味で神聖な場所だと思うのですわ。ですから、あまりふざけた態度をとられると、どうしても我慢がなりませんの」
 正直者で、おのれの肉体と精神を鍛えることが大好きな、エストレアらしい考え方だった。
 が、ハイドラは、小ばかにしたように笑う。
「なんかそれって、バカっぽーい」
「なんですって……?」
「あたし、そういうのは嫌いだな。修行とか、真面目とか、ダサいよー。一生懸命にがんばるのも、本気になって努力するのも、格好悪くて惨めだにょろん。テキトーにやって、完璧に仕事をこなしちゃうのが、いちばんかっこいいんだめろーん」
 ハイドラはあくまでもウォーターエレメントから下りて歩くつもりがないのか、うつ伏せになって両足をパタパタと揺らしている。
 エストレアは頭痛が酷くなったのか、眉根を寄せて歯軋りしたが、すぐにハイドラを説得するのをあきらめてため息をついた。
「そこまで言ったからには、それ相応の実力と成果を見せていただきますわよ」
「いいよー」
 にへらにへらと笑う、ハイドラ。
 結局、この少女の職業は、魔法使いということらしい。それも、水を操る系統の魔法を専門に司るようだ。
 魔法使いというのは、剣士と並んでもっともポピュラーな職業のひとつである。
 基礎体力や運動神経などは低いものの、魔法と呼ばれる超常現象を引き起こし、火炎や吹雪などを自由自在に操ることができる。攻撃力の高さはもちろんのこと、暗闇を明かりで照らしたり、身体を空中に浮遊させて地面のトラップを回避したりと、冒険者のパーティーには欠かせない万能性をも具えている。
 伝説のパーティー《黄金の栄光》のリーダーによって作られたホムンクルスだというこの少女の実力がどれほどのものなのか、まだだれも知らない。
 分かっているのは、このハイドラという少女が、やっと纏まりかけていた《リノティア・バーニングボンバーズ》に新たな火種を持ち込んだということだけだ。
 ハイドラとエストレアのやり取りを見守っていたルーティは、静かにため息をついて、ハイドラをパーティーに加えたことをちょっと後悔し始めた。
 ガゼルがルーティに耳打ちする。
「おい、ルーティ。いいのか、あれ」
「仕方ないでしょ。というか、つい最近までのあなたの姿がアレよ」
「う……わ、悪かったよ」
「謝るのならハーミット先輩にでもどうぞ。……冷静そうにしてるけどはらわたが煮えくり返ってそうなのが怖いわね」
 いまのところ、いつもの静かな物腰を崩していないノアルのほうを見やる。
 ノアルという少年は表情が虚ろで、考えていることがまったく読めないほど冷静だが、その内心では自分の仕事に対して絶対のプライドを持っており、それを邪魔する者に対しては容赦というものを知らないのだ。それは、以前のガゼルに対して本気の殺意の刃を向けたことがあることからも明らかだ。
「……気にしてない……よ」
 ルーティの小さな言葉が聞こえていたのか、ノアルが応えた。
「……足を引っ張らないなら……どうでもいい」
 つまり、ハイドラの実力がその言動に見合わないものでしかなかった場合、どうでもよくはなくなるということだろうか?
 ルーティとガゼルは顔を見合わせて震えた。案外、このパーティーで怒らせると一番怖いのは、この陰気な少年なのかもしれないのである。
 やる気というものを極限まで感じさせることがない、気だるげなハイドラ。
 どこからか菓子袋を取り出し、薄くスライスしてから油で揚げたジャガイモを貪っている。
「ガゼルきゅん、ガゼルきゅん」
「あ? なんだその、きゅん、っての」
「なんでもいいぴょーん? ガゼルきゅん、そこ、危ないよ。右に避けて」
「……はあ? こうか?」
 言われた通りに少し右へと移動する、ガゼル。
 その直後、つい数秒前までガゼルの頭部があった位置に、音のごとき速さで一本の矢が飛来した。
 騒然となるバーニングボンバーズ。
 矢が飛んできた方向には、通路の暗闇が広がるばかり。
「敵襲!? いったいどこから――」
「慌てなくてもいいぴょーん」
 そう言ったハイドラがよっこいしょ、と、うつ伏せの状態から身を起こせば、ウォーターエレメントが瞬時にしてその形態を変化させていく。
 くの字に折れ曲がり、ちょうど椅子のようになって宙を浮かぶウォーターエレメント。
 ハイドラはまるで玉座に腰掛ける女王のように、ウォーターエレメントの安楽椅子に背をあずけた。
「ま、ちょっとぐらいはお仕事しておかないと、なんでこのパーティーに入ったのか分からなくなっちゃうにょりーん」
 三本の矢が連続して放たれた。
 暗闇の奥からの射撃に対し、ハイドラはあくびを漏らしながら対応した。
 片手の指をパチンと鳴らすだけで彼女の周囲にいくつも発生した水の球体が、三本の矢をすべて受け止めてしまったのである。子供のこぶしほどの大きさしかない水の球体だったのだが、十分に勢いのついていたはずの矢はそれを貫通することが出来ず、突き刺さって停止してしまったのだ。
 暗闇の向こうで、明らかに狼狽する気配があった。
「くるくる」
 ハイドラは顔の横で右手の人差し指をくるくると回す。すると、そこにひとつのドーナツ状の水流が出来上がった。全長は二十センチほどで、信じがたいほどに薄い。水の円環の内側に指を入れてくるくると回していたハイドラだったが、次の瞬間にはそのしなやかな腕を素早く振り、勢いつけて水流の円環を放り投げた。
 チャクラムと呼ばれる投擲武器がある。真ん中の穴のあいた平たい金属製の武器で、見た目はドーナツのようだ。ただし円の外周は切れ味の鋭い刃物となっており、これを投擲して敵の生命を断つことを目的とした凶器である。
 ルーティの動体視力では捕捉できない、おそらくは音速に近い速度で投げ放たれた水流のチャクラムが、悪夢のごとき凄まじい回転で殺傷力を増しながら、毒蛇のごとく牙をむいた。
 姿の見えない狙撃手がどのような末路を辿ったのか、ルーティの目には見えなかったが、暗闇の奥から響く、柔らかい肉を断つような音、身も凍るような断末魔の悲鳴から、おおよその想像をすることはできた。
「こんなの暇つぶしにもならないぴょーん」
 指についたポテトチップスのカスをぺろぺろと舐めとりながら言う、ハイドラ。
 エストレアは厳しい顔つきをしながら言った。
「あなた……レベルは?」
「レベル? ああ、昨日のうちに測ってもらったぴょん。三〇〇、だったかな?」
 どうでもよさそうに言う、ハイドラ。
 エストレアは、その言葉を真に受けたようではなかった。
「三〇〇? その強さで?」
「めろんめろん」
「……詠唱もせずに魔法を扱うほどのマジックユーザーにしては、少しレベルが低いような気がいたしますわ」
「うんなもん知らないよーん。っていうか、呪文を唱えなくてもいいのは当然だよ。普通の魔法使いとはちがって、あたしは自分の手足を使ってるだけだもん」
「それは、いったいどういう意味ですの?」
「うにゃにゃにゃーん。秘密だにょん。女は秘密を着飾って美しくなる……お母さんが言ってたよ」
 のらりくらりと質問をかわすような態度に苛立ちを見せるエストレアだったが、このダンジョンの内部でいつまでも問答を繰り返すことは危険だと判断したのか、いったん引き下がった。
 ルーティもエストレアと同じ意見だったが、しかし、これだけは言っておかなくてはならない。
「ハイドラ」
「にゃるん?」
「あなたがどんな秘密を抱えているのだとしても、パーティーを危険な目にはあわせないで。それだけは約束してちょうだい」
「うん、いいよー」
「……そう。それならいいわ」
 少し不満が残っているようだが、とりあえずといった調子でうなずく、ルーティ。
 歩みを再開する一行。
 ハイドラはにやにやとした笑みを浮かべ、どこか得体の知れない冷たさを宿した双眸で、ルーティを見つめている。正確には、彼女がその手に持った魔杖を。ルーティはそれに気づく様子がない。
「ハイドラちゃんって、すごいねー」
「えっ?」
 ハイドラがウォーターエレメントの安楽椅子に座ってリラックスしていたところ、横を歩いていたレミリアがいきなり声をかけた。
 レミリアはいつも通りの屈託のない笑顔を浮かべ、ハイドラに尊敬の眼差しを向けている。
「あたし、このパーティーの中だと一番レベルが低くて弱いから、ハイドラちゃんはすごく強くてかっこいいと思うな」
「当然だよ。あたしはお母さんの自慢の子供なんだよ。いちばん強くてかっこいいんだもん」
「いいなあ。ねえ、ハイドラちゃんのお母さんって、どんなひと?」
「……どうしてそんなことを訊くの?」
「あたし、お母さんがいないんだ。だから、お母さんってどんなものなのか分からないの。ハイドラちゃんがそんなに好きなお母さんなら、きっと素敵なひとなんだろうね」
 裏表のなさそうな笑顔で言うレミリア。
 獣人族の少女の母親は、彼女がまだ生まれたばかりのころに流行り病にかかって命を落としてしまっている。
 ハイドラは、さして興味もなさそうに言った。
「お母さんがいないの? ふーん。かわいそうだね」
「そんなことないよ」
 無遠慮で無関心な薄っぺらい同情の言葉はレミリアの心を深く抉っても仕方のないものだったが、レミリアはそんなハイドラの悪意には無頓着である。
「小さいころはね、悲しかったよ。でも、あたしにはお父さんがいたし、いまはルーティやガゼル、パーティーのみんな、それにシキムラ先生だっていてくれてる。ぜんぜんさびしくないよ。ハイドラちゃんだっているしね」
「あたしが?」
「うん。だって、友達でしょ? えへへ、仲良くしようね。あたし、弱いっちいけど、がんばるからね」
 レミリアはそう言って、ハイドラの片手をつかみ、なかば無理やり握手を交わした。
 ぶんぶんと上下に揺れる自分とレミリアの腕を見やりながら、ハイドラは、どこか困ったように眉根を寄せている。
「……調子が狂うなぁ、この子」
「え? ごめん、いまなんて言ったの?」
「なんでもないぷー」
 唇を尖らせたハイドラは、レミリアから逃げるようにしてウォーターエレメントの移動速度を上げたのだった。



[9648] 昔のお話。まだおっさんが若かったころ。その一
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2009/06/25 08:46

 まったくこの世は地獄だな。いいことなんてひとつもないぜ。
 俺は舌打ちしながら、左腕で握った短杖《狂える魔導士の背骨》を振った。高位の魔法使いにしか扱えないレアアイテム。呪文を唱えれば、杖の先から巨大な火の玉が飛び出す。それは俺めがけてすっとんできていた殺人氷柱とぶつかり合い、破壊のエネルギーをまき散らす。氷と炎が互いを殺しあって、広い室内に凄まじい水蒸気が吹き荒れた。
 大声を上げて、俺は叫ぶ。
「ジェラルド! ウィルダネス! そんなクズどもにどれだけ時間をかけてやがる、この無能どもがっ!」
「無茶を言うな、フェアラート! これでも精一杯やっている! それよりも扉はまだ開かないのか!?」
「も、もも、もう少しです、はい、ちょっ、と、待って!」
 ジェラルドの怒号。
 ディムの泣き言。
 ――俺は、もう一度だけ舌打ちした。
 ここは超高難易度ダンジョン《黄昏の死都》の地下八十九階。
 このダンジョンの特徴は、よくある洞窟のようなタイプではないというところだ。周囲は白い大理石のようなもので構築されていて、壁や天井、床にまでも、緑色の光の線が縦横無尽に走っている。視界は十分すぎるほど明るい。神殿……そう、まさに見かけは神殿だな。正体は、古代都市の地下に建造された避難用のシェルター。それが造られてから何千年という月日を経て、魔物どもがうろつく巣窟と化してしまった。
 このダンジョンには、たいした罠はない。……が、棲みついている魔物のレベルが高すぎる。リノティアが管理するダンジョンのなかでも、おそらくは最高に近いだろう。学園最強のパーティとして名が通っている俺たちですら、ここにたどり着くまでに幾度となく肝を冷やし、死線をくぐり抜ける必要があった。もっとも弱いディムですらレベル三〇〇、リーダーの俺に至ってはレベル七〇〇を越えているというのに、だ。
 俺の背後には、厳重に封印された扉を開けようと、必死になってパネルを操作しパスワードを入力している、ディム・ウォーキスキンの姿がある。中等部二年生の、チビで臆病な、眼鏡をかけた茶髪のガキだ。
 そして眼前、遠くのほうには、招かれざる侵入者である俺たちを殺そうと、爛々と双眸を光らせ殺意をみなぎらせている、数え切れないほどのグレーター・デーモンたちの姿があった。
 グレーター・デーモンは、三メートル以上にも届く身長と、筋骨隆々とした黒色の肉体、真紅の瞳、長大な翼、そして頭部の左右からは捻じ曲がった角を生やしている、悪魔族のモンスターだ。極めて凶悪、強力で、人間なんぞ相手にもならないほどの膂力を持っているわ、強い魔法をバカスカ撃ってくるわ、ほとんどの魔法はろくに通用しないわ、馬鹿みたいに体力は高いわ、おまけに同種の仲間をどんどん呼びやがるわと、出会っただけで今日の運勢は最悪だと確信できる魔物のひとつだ。それがすでに五十体以上もうようよと集結している。
 広大な、ホールにも似た空間。
 俺たちは完全に追い詰められていて、いわゆる手詰まりを迎えていた。
 金髪オールバックの軽戦士、ジェラルド・ロウ・オッツダルヴァが叫ぶ。
「ユーフィーナ! 加護をくれ! なんとしてでも奴らの動きをくい止める!」
「駄目よ、ジェラルドくん! ひとりでなんとかできる数じゃあないわ!」
「俺もいるぜ、ユーフィーナッ! 忘れてもらっちゃ困るぜえええっ!」
 一体のグレーター・デーモンの首を大きな戦斧ではね飛ばし、スキンヘッドのごつい巨漢、ウィルダネス・ドストロイが野太い声を張り上げた。
 白いローブを着た赤毛の神聖魔法使い、ユーフィーナ・ソグラテスは、まだぐだぐだと悩んでいるようだったが……くだらねえ。
「かまわねえからやっちまえ、ユーフィーナ。どうせできなきゃ俺たち全員ここで死ぬんだからよ」
「……その通りではあるな。私も援護しよう。全力の力を一瞬に注ぎ、奴らを押し返す」
 ハイエルフの魔法使い、シェラザード・ウォーティンハイムが、冷静に、俺の意見に同意を示した。その手が握るのは高位の長魔杖《轟く豪魔》。
 ジェラルド、ウィルダネス、シェラザード。三人の決意に気圧されたように、ユーフィーナはようやく覚悟を決めやがった。
「分かったわ。――偉大なる我が主よ、この者らに御身の栄光を貸し与えたまえ――」
 長聖杖《慈悲深く抱擁する乙女》を高く掲げ、ユーフィーナが厳かに唱えれば、俺たち全員の痩身に偉大な力が満ちた。ほんのいっときだが、パワーが倍増、魔力も底なしに強くなる。
 その効果を肌で感じたのか、ウィルダネスが感激したように叫ぶ。
「お、お、おっ! み、みなぎるるるああああああああッッ!」
 身長三メートルにも達している巨人族の豪傑馬鹿は、斧を振り上げると、そのまま敵陣に突っ込んでいった。
 どかんどかんと爆発するような斧の一撃が連続する。
 そしてそのおかげで混乱したグレーター・デーモンたちの足元を這うように、神速の素早さで、ジェラルドが走る。その両手にそれぞれ持った二本の剣が、魔物どもの足首を的確に切り裂き、奴らの体勢を崩していった。
「よし、ふたりとも下がれ、私が仕留める! ――大翼の光輪よ、来たれ!」
 シェラザードの詠唱。
 エルフ女の頭上に、大きな光の輪が出現する。
 さすがにでかい魔法を使いやがる。――ならば、俺も気張るとするか。
 《狂える魔導士の背骨》を起動。
 精神を集中して、呪文をつむぐ。
「偉大なる空虚なる者、黄昏の果てにて待つ者よ。我は汝の力を借り受けたく願う者。汝の望む破滅を望む者。汝、我の願いに応えるのであれば、その力をここに示せ――」
「光輝よ! 煌めき乱舞し、邪悪なる者どもに最期の安らぎを!」
「――我が手に集うは焦熱の魔風。対象――目の前のクズどもだッ! ぶちかませッッ!」
 はしたなくも雄叫びを上げてしまった俺の手元から破滅の風が、そしてエルフ女、シェラザードの頭上に浮いている光の輪の中心から極太の光線が、それぞれ同時に発生して、グレーター・デーモンの群れに襲いかかった。
 触れるだけで全身が焼け焦げて死ぬ病魔の風が、悪魔の強靭な肉体をも蝕み、殺す。そして鋼鉄をも蒸発させる熱量を持った白色のビームが、奴らをまとめて情け容赦なく薙ぎ払う。
 学園に所属する生徒のなかでも、こと攻撃に関する魔法の技量で言うなら、俺が一番、そしてシェラザードは二番手だ。忌々しいことに僅差だがな。
 だが、そんな俺たちふたりの特大魔法を受けてもなお、グレーター・デーモンどもはその総数を半分ほどに減らしただけだった。生き残っている連中は、ますますその目に憎悪の炎を燃え滾らせて、こちらに向かって襲いかかってくる。
 大魔法の巻き添えにならないようにと一時は非難していたジェラルドとウィルダネスが舞い戻って、前線を維持しているが……それも、いつまでもつものか。
 この場でのカギを握っているのは、やはり、ディム・ウォーキスキン。学園最優秀の頭脳を持つという錬金術師。俺たちパーティの命運は、こいつがこの扉を開けられるかどうかにかかっているのだ。
 俺でも、できないことはないのだけどな。だがそれだと戦闘要員がひとり減る。こと戦闘に関してディムは死ぬほど役立たずだ。ならば必然と、護衛は俺、開錠はディムということになってしまう。
 まったく、クソ忌々しい。
「ディム……! てめえ、いつまでごそごそやってやがる……!」
「も、もうちょっ、もうちょっとです、ほ、ほんっ、と、」
「聞き飽きたぜ、その台詞は」
 俺は腰に提げてあった鞘から剣を抜き放ち、ディムの細くて頼りない首に突きつけた。
「あと三十秒だ。それで開けられなきゃ俺がてめえを殺す。いいな?」
「ひ、は」
 自分の首にちょっと刺さっている剣を目にして、ディムは涙を流しながらカクカクとうなずいた。顔面の色はすでに蒼白。小便なんざとうの昔に漏らしちまっているチキン野郎。こんなクズに自分の命運を預けなくちゃならんのかと思うと、情けなくてこっちまで泣きたくなる。
 さらに泣きたくなることに、パーティ一番の善人面した女が怒りやがった。
「フェアラート! なんのつもりなの!? やめなさいっ!」
「うるせえぞ、ユーフィーナ。黙ってろ。クズのケツを叩いただけじゃねえか」
「そんなこと絶対に許さないわよ……その剣を下ろしなさい!」
「――てめえから死にたいのか? いいから黙ってろよ。こんな土壇場で偽善者根性を丸出しにしたっていいことないぜ、マジで」
 ウィンクしながら言ってやる。
 色を失った顔のユーフィーナは、まだなにか言いたそうに口をあけたが……残念だったな、それどころじゃなさそうだ、ぜっ!
 俺はディムの首から離した剣で、グレーター・デーモンが振り下ろした長剣を受け止めた。
 がきぃん、という、甲高い音。
 俺の目と鼻の先で、火花が鮮やかな色彩を散らす。
 やれやれ、念のために身体強化の呪文をありったけ使っておいてよかったぜ。なにしろ相手は筋肉の塊のような悪魔族だ。膂力だけでいうなら俺など相手にもならないだろうからな。
 それでもじりじりと押されてしまうのは、まあ、仕方のないことだ。なにせ敵は両手を使っている。それに対してこっちは片手だ。仕方がない。
 なぜ片手しか使わないのかって?
 それはもちろん、こうやって、握った杖から魔法を放つためさ。
「――弾けろ、我が憎悪」
 短く告げる。
 直後に発生した赤黒い爆発が、至近距離からグレーター・デーモンの頭部に炸裂した。避けようのない一撃だっただろう。まともにくらって、そいつは首から上をすっかりなくし、後ろに大きく吹っ飛ぶようにして倒れた。
 グレーター・デーモンのもっとも厄介な点は、無尽蔵に仲間を呼び寄せるところにこそある。一対一の戦いなら、こんなクズに負けるような俺ではない。
 ……さて。もうすぐ三十秒が経つぞ、ディム・ウォーキスキン。
 と、俺が殺意を募らせたころだった。
「あ、開きました!」
 歓声を上げたディムの表情を見るまでもなく、巨大な扉が左右に開き、その向こうがわを見せつつある。
 俺は思わず、にやりと笑った。
「でかした。――おい、おまえら! さっさと行くぞ、急げボケッ! このボンクラのドブネズミどもがっ!」
 ちょっとでも遅れようものなら、ためらわず見捨てて扉を閉めてやる。
 密かに決意した俺の想いとは裏腹に、全員がさっさとこっちに逃げてきた。まあそれが一番だがな。誰かが欠けるとここから先はきついだろう。そのくらいのことは、俺だって分かっている。
 迫りくるグレーター・デーモンたちを、俺とシェラザードの魔法で蹴散らし、押し返し、足どめしながら、扉の向こうへと撤退する。
 俺に向かって、一体のグレーター・デーモンが魔法を放ったのは、そのときだった。
 凶悪なまでに燃え盛りながらすっ飛んでくる、大きなファイアボール。
 ちょうど魔法を使ったところで、俺は防御魔法を展開することすらできなかった。剣で火の玉を防ぐことはできない。ならばどうすればいいのか。足が硬直していて、いまから横や上に跳んでも間に合いそうにない。ならばどうすればいいのか。
 俺はすぐ横にいたディムのわき腹に剣を突き刺して、その矮躯を盾のように前方へと差し出した。
「うえっ?」
 なにがどうなっているのか分からないとでも言うような、ディムの声。目の前から迫ってくる火の玉も、わき腹の灼熱とした痛みも、現実味を帯びていないのだろう。
 だけど現実は非情で、容赦がないのだ。そしてどこまでも現実なのだ。
 俺の身代わりとなってファイアボールをもろにくらったディム・ウォーキスキンは、一瞬にしてひどい悪臭を放つ黒焦げの死体となり――俺はそれを、すぐに剣を振って放り捨てた。
 閉じていく扉の隙間へと腕をねじこもうとしていたグレーター・デーモンの顔面に、ディムの死体は鮮やかに衝突して、そのまま向こうがわに飛んでいって見えなくなった。
 重々しく閉じた、扉。
 あれだけ騒がしかったグレーター・デーモンどもの凶暴な怒声も、もう聞こえない。
 俺は深くため息をつき、言った。
「やれやれ、えらい目にあったぜ。気を取り直して先を急ごうか」
「……フェアラート。あなた、なにをしたの」
「あ?」
「ディムが――ディムが、うそよ、こんなの……!」
 ユーフィーナは、完全に閉じた扉を叩き、そこにすがりつくようにして、嗚咽を漏らしていた。まさか泣いてやがるのか? あんなクズのために? おいおいやめてくれよ、はっはっは、笑っちまうだろまったくよ。
 その背中に、そっと優しく声をかけてやる。
「尊い犠牲だったな」
「なにを、そんなこと……! よくもあなたが言えたものね!」
 きっ、と俺を睨みつける、赤毛女の蒼い瞳。
 俺は薄ら笑いを浮かべてやった。
「俺だから言うのさ。この俺の身代わりになったんだ……これ以上はないっていうほど尊いぜ。クズにしては上出来の最期だった」
「フェアラート!」
 激昂して、俺に掴みかかろうとする、ユーフィーナ。
 そんな俺とユーフィーナのあいだに割って入ったのは、ジェラルドだった。
「どいて、ジェラルドくん! もう我慢できないわ。もう、たくさんよ! そんなやつのせいでディムは……あの子は優しくて素直な、いい子だったのに!」
 つまりは、生きていく能力のないグズだったということだ。
 優しい? 間抜けってことだろ。
 素直? 無能だってことさ。
 いい子? ……さっさと死んでおいてよかったね。この世は地獄だぜ。
 このくそったれの世のなかで、生きる権利を勝ち取れるのはな……いつだって、非情で、根性の捻じ曲がった、悪い子なのさ。
 俺の嘲笑を知ってか知らずか、ジェラルドは、ユーフィーナを抱きしめるようにして言った。
「分かっている。きみは、彼とは仲がよかったものな。……だが、ひどいことを言うようだが、そのことについてはあとで議論するべきだ。いまは、先に進もう」
「でも、でもっ!」
「勘違いしないでくれ、ユーフィーナ」
 赤毛女を抱きしめたまま、俺のほうに振り返り、ジェラルドは静かに俺を視線で射抜いた。
「――私としても、彼女の行為を見過ごそうとは思っていないさ」
 ほう……?
 ふと目をやってみれば、感情の動きの激しいウィルダネスだけでなく、普段からどこの誰が死のうとも眉ひとつすら動かさなかったシェラザードまでもが、俺を咎めるようにして睨んでいる。
 ……やれやれ、まったく、どいつもこいつも偽善者だねえ。反吐が出るよ。
 他人が生きようが死のうが、そんなことはどうだっていいことだろう?
 大事なのは、自分が幸せであるかどうかさ。
 自分を大切にしようぜ、みんな。
 そんなに俺に逆らって殺されたいのか……?
 俺は肩をすくめて、言ってやった。
「話はまとまったか? そろそろ行くぞ。意見やら苦情やらは学園に帰ったあとで受け付けるぜ」
 そしてパーティのメンバーに背中を見せて歩き出す。
「そうそう。ひとり減っちまったから、新しいメンバーも見つけなくちゃな。ま、そっちは任せろ。マーキアスに活きのいいのを調達させるさ」
 と言った直後、背後から向けられる怒気や殺気が高まったような気がした。
 どうでもいいことではある。
 俺は急いでいるのだ。クズどもの偽善に付き合ってやる暇など、一秒もない。
 ――自己紹介が遅れたな。
 俺の名はフェアラート。
 フェアラート・ウィケッド・セルフィッシュ。
 純粋な人間族。
 得意とするのは剣と魔法とその他のすべて。
 クセのある短めの黒髪と、真っ赤な瞳、そしてすべてにおいてパーフェクトなプロポーションが特徴的な、リノティア学園に所属する十九歳の冒険者。最強の戦闘能力と究極の美貌をあわせ持つ、偉大なる女王。
 これでもいちおう、女だぜ。





「――で? まだなにか言いたいことは?」
 地べたにキスをしている男ふたりを見下ろしながら、俺は余裕たっぷりに言ってやった。
 ここは、学園が生徒たちの自己鍛錬のために解放している修練場の、その中央だ。広大な空間。足元は柔らかい土。天井は、かなり高い。生徒たちが剣だの槍だの魔法だの召喚獣だの使っても大丈夫なようにと建造されているわけだ。……もちろん、召喚獣や魔法は、教師の許可を得ない限り、原則として使用禁止だが。
 そして、そんな修練場をほぼ貸し切り状態にして、俺と、ジェラルドとウィルダネスは戦った。意図して貸しきったのではなく、結果としてそうなったというだけの話だ。この学園の事実上の頂上決戦だからな。誰もそばに近寄ろうとはしない。雑魚どもは遠く離れたところからこちらを見学している。
 勝負の結果はもちろん、俺さまの華麗なる勝利に終わった。
 クソ馬鹿どもが。鍛えかたがちがうんだよ、鍛えかたが。
 俺たちの装備はそれぞれがダンジョンで使用しているものとほとんど変わっていない。
 ジェラルドは、限界まで軽量化した金色の甲冑。ウィルダネスは、丈夫そうなズボンとブーツを履き、上半身はほとんど素っ裸。
 俺の装備、その武器は、左手の短杖と、右手の剣。もちろんどちらも殺傷能力のない、模擬戦用の模造品だ。防具として身にまとうのは、これはダンジョンに潜るときと同じ、首から下をすっぽりと覆い尽くすラバースーツ。その上から胸部を守る胸当てやら、足首を守るロングブーツなどを身に着けている。しかしまた胸や尻が大きくなったのかなあ、俺。ただでさえ完璧すぎる肢体だというのにこれ以上さらに育ってどうするというのかしら。
 ああ、まあ、それはいいや。
 いまは目の前に集中しましょう。
「もう意見がないなら、受け付けを締め切るぜー? はい、しゅーりょー。まったくー、こぉんな、か弱い女の子を相手にぃ、大の男がふたりがかりでぇ、しかも手も足も出ないだなんてぇ、きみたちにはぁ、男としてのぉ、プライドとかぁ、ないんでちゅかぁ?」
 意識を失ってのびている、金髪とスキンヘッドの頭部を、交互に杖で小突いてやる。うりうり。
 この俺は、最強だ。
 ジェラルドはレベル四五〇。ウィルダネスはレベル四三〇。合わせてレベル八八〇だからといって、レベル七二〇のこの俺に勝てるとでも思ったのか?
 馬鹿が……ねーよ。
 パーティの強さがレベルの単純な足し算では決まらないように、おまえらが束になってかかってきたところで、この俺にはけっして勝てんのだ。自分の能力の使いかたをちゃんと熟知している、賢い俺のような女にはな。
 俺はそろそろ馬鹿ふたりを虐めるのにも飽きてきたので、視界の端に立っている女に声をかけた。
「シェラザード。おまえはどうするんだ?」
「……負けると分かっている戦いはしない」
「ははは、賢明だな。おい、ユーフィーナ。いつまで怒ってるんだ? いい加減に機嫌を直せよ。ディムのことなら悪かった、マジで。ほら、謝ったから仲直りしようぜー」
 シェラザードの隣に立っているユーフィーナのところに歩いていって、握手を求めて手を差し伸べる。
 それを勢いよく叩き、払って、ユーフィーナは俺に軽蔑と怒りの眼差しを向けながら言った。
「あなたを絶対に許さない」
「神に仕える司祭の言葉とも思えんね。慈悲深く寛容にいこうぜ?」
「……あなたには、神ですら慈悲を与えることはないわ」
「そいつはよかった。神さまから慈悲なんてもらったら、蕁麻疹が出ちまうよ」
 ゲラゲラ笑う、俺。
 ユーフィーナの顔が真っ赤になっていく。ああ面白い。こいつはからかって遊べば面白いのだと、最近になってようやく気付いた。損をしたなあ。もっと早くに気付けばよかったなあ。
「そこまでにしておきなさい、フェアラート。みだりに他人の心を弄ぶのは、あなたの悪いクセですね」
「……みだりに他人の死体を弄くり回すあんたにだけは言われたくねえな」
 舌打ちしながら、背後に振り返る。
 せっかくいい気分になっていたというのにそれをぶち壊しにした憎むべき男、こいつの名前はマーキアス・グラン・ゾルディアス。男のくせにうっとうしいほど黒髪を長く伸ばし、死んだ魚のような目の色をしていて、黒装束を見事に着こなしている、この世でもっともむかつく野郎だ。
 こいつは俺たちのパーティ《黄金の栄光》の担当官にして、個人的に、俺の屍霊術や錬金術、その他もろもろの魔法の師匠でもある。忌々しいことにな。
 三メートルほどの距離を開けて、俺たちは向かい合った。
 ……ん?
 マーキアスの横に、見知らぬ顔がある。
 ……なんだか頼りなさそうな、陰気なガキだった。
 年齢は俺よりもちょっと下、十七歳ぐらいか。少年。茶色っぽくて山ほど寝癖のついた髪。顔立ちはまあ、そこそこ見られる程度ってところか。惰弱な女顔でないのは、けっこうなことだ。背丈はそこそこ高い。百七十センチの俺よりもちょっと上か。服装はこの学園の制服だ。
 そのあたりは、どうでもいい。
 俺が気になったのは、そいつの眼の色だ。色というよりは、帯びた雰囲気、感情とでもいうのか。そいつのそれは、真っ黒で底のない……恐ろしいまでの虚無の穴だった。おそらくは意図的に、俺と目を合わせようとしていない。
「おまえ……名前は?」
 俺は尋ねた。
 ガキは応えなかった。
 代わりに、マーキアスが言った。
「アキヒコ・シキムラ。――今日からあなたのパーティに加わる、新たな仲間ですよ」



[9648] 昔のお話。まだおっさんが若かったころ。その二
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2009/11/28 12:15
 雪が、降っている。いや、降っているというよりは、渦巻き、吹き荒れ、叩きつけられている。目を閉じたくなるほどの吹雪。凍てつく気温。吐く息が白い。視界は真っ白。一面、どこまでも、真っ白。
 ここはリノティアの難関ダンジョン、《コーゴ大洞窟》の入り口付近。大雪原の真っ只中。
 まだまだ入り口付近とはいっても、さすがに難易度が高いと言われるダンジョンだけはあって、敵のレベルも高い。
 身の丈が三メートルを超えるオーガどもの群れと、いきなり遭遇してしまった。
 オーガは鬼とか鬼人とか呼ばれることもある。凄まじい体格と、圧倒的な筋肉、人間とは比べ物にもならないほどの膂力をもって、素手で剣使いと対等以上にやり合うことのできる、怪物だ。一匹だけならそれほどの敵でもないが、頻繁に群れを形成するので厄介だといえる。
 で、そんなオーガどもと遭遇してしまったわけだが、俺は腰の鞘から剣を抜かず、杖から魔法も放たず、ただ傍観しているだけだった。
 二十五匹目のオーガの脳天から股間まで一気に大剣でぶった切り、そいつはようやく動きを止めた。生きている獲物の姿が見えなくなったので、小休止した、ってところだろうか。
 最後のオーガ、切断面から血をばしゃばしゃと噴き上げてピクピク痙攣しているそいつの死体を踏みにじり、アキヒコは天を仰いで荒々しい呼吸を繰り返している。
 馬鹿が。まだ先は長いのに、こんなところで酸欠になるほど動き回ってどうする。
 アキヒコ・シキムラ。くたばっちまったチビ眼鏡の代用として、マーキアスが連れてきた新参者。異世界からやってきたという、変てこなガキ。ボサボサの茶色っぽい髪。瞳は黒い。痩せているが背は高い。装備は、限界まで軽量化された鎧と、分厚くて長大な大剣。
 まだ戦いかたには粗が多く、無駄な動きばかりでとても効率的じゃない。
 だが、たしかに……。
「ふん。たしかに、入学したてとは思えない戦闘力だな」
 俺の台詞を、金髪を丁寧に後頭部のほうへと撫で付けた軽戦士、ジェラルドが奪い取った。
 俺、ジェラルド、ウィルダネス、ユーフィーナ、シェラザード。五人は誰一人としてアキヒコの戦いに手出しせず、ただ静かに見守っていた。ほんの五分ほどでしかないが。
 そう、たった五分で、アキヒコはオーガの群れを殲滅しやがったのだ。
 とはいえ、俺はもちろんのこと、ウィルダネスやシェラザードだって、同じことはできる。ユーフィーナはちょっと分からんが、まあ、倒せないことはないだろう。しかも俺たちのほうがもっとスマートに同じことをできる。
 驚くべきことは、まだリノティア学園に入学して三日も経っていない、冒険者を志してから三日も経っていない、ズブの素人も同然のアキヒコが、オーガの群れをたった五分で駆逐しちまったという点にある。
 オーガの動体視力と反射神経をはるかに超越した、絶対的なスピード。高速で、竜巻のように振り回される大剣の攻撃と制圧力。たいしたもんだ。レベルにして、おそらく四百そこそこか。俺の足元にも及ばないが、まあ、ジェラルドやウィルダネスあたりには十分に匹敵するだろう。
 それはいい。
 それはいいのだ。アキヒコは俺の手駒なのだから……強ければ強いほどいい。
 だが……あの、クソガキ。俺の指示も待たずに突撃しやがった。
 気に入らない。
「おーう、すっげえじゃねーか! ちっこいくせにたいしたもんだぜ、おまえさん!」
 ウィルダネスの能天気馬鹿は、俺の怒りなど知ろうともせず、のん気に手を叩いていやがる。この吹雪の真っ只中でも上半身は素っ裸だ。哀れになるほど馬鹿だな。まあ、耐寒性能を上げるための魔法を使っているから問題はないんだが、気分がよくないんだよ、俺の。見ているだけで寒くなる。
 アキヒコは反応しない。まだ、荒い呼吸を続けている。その体に触れただけで雪が溶け、蒸発していく。体温が異常に上がっているのだろう。
 あれが、リミッターを外した、ってことなのか。脳みそがぶっ壊れちまった代わりに得た、絶大な身体能力、か。
 ちょっと見ただけで分かるぜ。あの能力は、破滅を呼び込む。ただの呪いだ。よくある魔剣の話さ。持ち主に山のような財産と栄光を与える代わりに、その身を必ず破滅させる。あれは、そういう能力だ。うらやましくもない。
 そんな奴をわざわざ冒険者稼業に放り込むなんざ、マーキアスはなにを考えてやがる? 本人の希望だとか言っていたが……あの野郎、またぞろくだらんことでも企んでいるのだろう。そういう奴だ。悪魔さ。俺がかわいく見えるほどの。
 ま、どうでもいいことだがね。――俺は俺で、俺のやりたいように動く。このアキヒコとかいう小僧も、せいぜい俺のために利用させてもらうとしよう。
「あ……怪我、してるわよ、あなた」
 よせばいいのに、うちのパーティで一番の偽善者ちゃんが動きやがった。
 白いローブを身にまとった神聖魔法使い、ユーフィーナだ。気遣わしげに、アキヒコのほうへと歩いていく。回復魔法をかけるつもりか。
 よせよせ、そいつはそんなことなど望んじゃいないぜ。それに、怪我といっても、ほんのちょこっと腕にかすり傷ができているだけだ。わざわざ魔法力を消費してまで治すようなものでもない。
 ――だからといって、振り向きざまに裏拳でぶん殴るっていうのは、どうかと思うけどな。
 手加減のない一撃のように見えた。
 悲鳴を上げて倒れる、ユーフィーナ。
 アキヒコはそれを見下ろして、冷たい声で言った。
「俺に近寄るんじゃねえよ、化け物」
 この吹雪の寒さなどものともしない、絶対零度の声だ。双眸には光がない。虚無だ。
 倒れたユーフィーナに、真っ先に駆け寄ったのは、ジェラルドだった。助け起こしながら、アキヒコを睨みつけている。おうおう、マジで怒ってやがる。ま、無理もないが。
「貴様、どういうつもりだ」
「……はあ? 化け物が近づいてきたからブッ倒しただけだろーが」
「なんだと?」
 ジェラルドの瞳が険しさを増した。
 アキヒコは、それでも虚無の瞳のままだった。その瞳で、俺たちを見回す。
「エルフだ? 巨人だ? 魔法だ? ダンジョン? ……ふざけんなよ……知るかよ、知るかよそんなもん……! おまえらみんな化け物じゃねーか。手から火を出したり! 一瞬で傷を治したり! テレポートしたり、でっかいモンスターと戦ったり……ふっざけんじゃねーよ! おまえらみんな、わけわかんねーんだよ!」
 絶望したまま怒る奴というのを、俺は初めて見た。普通はどっちか片方なんだが。
 いや……鏡を見れば、いつでも見られるものだったな。
 ガキそのものの癇癪を、アキヒコは続けた。
「知るかよ、くそっ! 俺は、普通の高校生なんだよ。普通に、ニッポンで、普通に暮らしてただけなのに……こんなわけわかんねー世界で、わけわかんねー連中と暮らすことになって……わけわかんねーんだよ、クソッ! こんなことが現実なわけがないだろ!」
 オーガの死体に突き刺していた大剣を、アキヒコは苦もなく引き抜いた。
 自分の背丈よりもでかい剣を、あろうことか、俺たちに向ける。
「……教えろよ。あと何匹だ? 何匹、化け物を殺したなら、俺はもとの世界に戻れるんだよ? あ? 知ってるんだろ? どうすりゃフラグが立つんだよ? どうすりゃクリアになるんだよ? どーすりゃエンディングになるんだよ、くそっ、教えろよ、教えろよッ!」
 うーむ、おいおい。
 さっきからずっと思っていたんだが。
「無様すぎるだろ、おまえ」
 俺は嘲笑を浮かべて、一歩、前に進んだ。
 ハイエルフのシェラザードが、ちらりと視線を送ってくる。無言だが、付き合いが長いから、なにを言いたいのかは分かる。……いやいや、ご期待には応えられないぜ。殺さないからな。
 アキヒコは、虚無の怒りを燃え上がらせた。
「誰が無様だって?」
「おまえだよ、クズ。なんで分からんのかね」
「……てめえ……ああ、そうか。最初はおまえってわけだ? なーるほど、最初のボスか。いいぜ、ぶっ殺してやるよ。さっそくフラグを立てられるってわけだ、ははは、こいつはいいやっ!」
 なにがそんなにおかしいのだか、アキヒコは愉快そうに笑い転げている。
 乾いた笑い声だ。とても、虚ろだ。
 俺は、それにはさして頓着せず、左手で握った短杖を、ユーフィーナに向けて振った。淡く光る白い光が、ユーフィーナの腫れ上がった顔面を即座に癒す。
 ユーフィーナは、信じられないものでも見たかのように、俺を見た。
 俺は、さすがに苦笑いを浮かべた。
「おいおい、そんな意外そうな顔をするなよ、ユーフィーナ。……俺がリーダーだからな。俺のパーティでのいざこざは、俺が責任をもって処理させてもらうぜ」
 アキヒコと、相対する。
 手負いの獣のような殺気をみなぎらせているアキヒコは、すでに笑うことをやめて、俺を殺すために剣を構えていた。尋常じゃない質量の鬼気が、熱波となって吹き付けてくる。
「ぶっ殺してやるよ」
「よしよし。ごたくはいいからさっさと来いよ、クズ」
 その直後、アキヒコの姿が、俺の視界から消失した。
 マジかよ。
 予想はしていたが……なんてスピードだ。俺の動体視力でも捉えられないのか。
 が、予想はしていたから、なんてこともなかったけどな。
 俺は剣を握っている右腕で、視界を覆った。世界が暗闇に包まれる。
「はっ、なんだそりゃ。それが構えか!」
 アキヒコの、あざ笑う声。
 馬鹿が。こいつは構えじゃない……備えだ。
 短杖、《狂える魔導士の背骨》の先端が、光を放った。とてつもない、極大の光。
 俺が発動させたのは、熟練すればすぐに呪文を唱える必要すらなくなる、単純な魔法だ。暗闇に包まれた洞窟などで、光によって周囲を照らし、松明などの代用にできる、意外と重宝する魔法。普通はそういう使い方しかできないが、俺の持つ莫大な魔法力をもってすれば、無明の暗黒ですら真昼のように変えることができる。
 さて。あまりにも明るすぎる光を不意にくらった人間は、どうなるのか?
 背を丸めて無様に縮こまるのさ。
 俺が右腕を下ろして視界を取り戻すと、足元には、そうなってしまったアキヒコが転がっていた。
 剣を、アキヒコの腹に、容赦なく突き刺す。抵抗はなかった。人間の肉体だからな、柔らかいものさ。ずぶずぶ、っという感触すらない。するっ、って感じ。
 そして、ぐじゅぐじゅとかき回す。アキヒコの腹の内側で、俺の剣が、内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。
 聞くに堪えない絶叫が、小僧の口から上がった。ほとんど獣だ。
「ぎゃあぎゃあとうるさいこと」
 ため息をついて、もう一刺し。今度は、肩だ。骨に当たって、ガチガチッという硬い手ごたえが返ってくる。
 アキヒコは目を剥いて、涎を撒き散らしながら泣き喚いた。
「うるさいって。ちょっと黙れ」
 悲鳴を聞くのは嫌いじゃないが、いまは、そういうときではない。魔物どもが集まってくる可能性があるしな。
 杖から魔法を放つ。アキヒコに直撃したそれは、沈黙の魔法。魔法使いに対して使い、呪文を唱えられないようにするのが本来の使用法だが、こういう使いかたもある。
 口がぴったりと塞がって開けられなくなった、アキヒコ。
 ああ、ようやく静かになった。
「よーし、いい子、いい子。で、だ。クズ。まだ言っていなかったが、最初に言っておくべきことがあったんだ」
 肩に刺してある剣は、まだ抜いてやらない。
 俺は、仰向けになっているアキヒコの胸の上に乗り、背を曲げて、その瞳を覗き込む。おお、いい感じに恐怖の色が濃くなっているじゃないか。うふふっ。
 剣を、少しだけ捻った。
 凄まじい激痛が走ったんだろう。アキヒコの背が弓なりにのけ反り、鼻から悲鳴が漏れ出る。
「痛いだろう? これが現実だ」
 ものすごく痛いだろ? 肩から、腹から、痛みが襲ってきて、全身全霊をかけて叫びたい気分だろ? そういう痛みのはずだ。俺がそういうふうに傷つけたんだから、そのはずだ。
 クソガキを躾けるためには、やはり、痛めつけるのが一番だよな。
「おまえの故郷なんざ知らねーよ。忘れろ。クソの役にも立たん思い出なんざ消してしまえ。その代わりにこの痛みを覚えておけ。くだらん思い出よりもずっと役立つ。……この痛みが現実だ。この世界は現実だ。そいつを覚えておきさえすれば、おまえはきっと地に足がつく」
 もう戻ることもできない故郷のことを思ってフラフラといつまでも泣いてやがる、そんなクソガキなぞ見ているだけでも反吐が出るし、苛立つし、なによりなんの役にも立たないからまったく無駄な存在だ。
 この俺のパーティに――いや、この俺の手駒に加わるというのであれば、断じて、そんなクズのままでいることは許されない。
「それと、もうひとつ」
 もうひとつ、剣を捻る。
 また、絶叫。
「俺のパーティにいる限り、俺の命令は絶対だ。無視することも逆らうことも許さん。なぜだか分かるか?」
 俺の質問に、アキヒコは首を横に振った。
 やさしい俺は、答えを教えてやる。
「俺はこのパーティの頭脳。おまえらは、手足だ。脳みその命令に逆らう手足なんぞ、ただの不良品だろう?」
 ま、俺がこいつの馬鹿な行動に対して怒っていた理由といえば、この言葉で表せてしまうのである。
 俺に逆らう手足などいらん。
 なぜなら、
「《黄金の栄光》は、この俺のみのパーティだ……この、フェアラート・ウィケッド・セルフィッシュさま、ただひとりのな。おまえらは、手足だ。俺の言うとおりに動いていればいい」
 ああ、そうさ。俺が作って俺が育て上げた。俺のための居場所。
「まずは俺がいる。シェラザードも、ウィルダネスも、ジェラルドもユーフィーナも、くっついてきた付属品にすぎん。……なぜこいつらがこのパーティにいると思う?」
 不思議だよなあ。
 ジェラルドだってウィルダネスだって、レベル四百を超えている。はっきりいって、リノティア学園、いや、世界の歴史からいっても非常に桁外れな、百年にひとりの逸材と呼ばれている連中だ。それぞれが独立してパーティを作るだけでも、その栄光にすがり付こうと、メンバー希望者が国の内外から殺到し、長蛇の列を作る。
 だが、こいつらはそうはしなかった。
 王を名乗れる器量を秘めながら、あえてこの俺の下で手足となって動くことを選んだ。
 どんな運命なのか、この時代、同時期に生まれた天才どもが、俺の配下になることを望んだのだ。
 なぜだろうなあ?
「こいつらには、それぞれ大切な願いごとがあるんだよ」
 それはたとえば、祖国の復興のためだとか、貧しい家族のためだとか、どうしても見つからない宝物のためだとか、いろんな理由がある。
 それらに共通しているのは、たったひとつ。
「天才を超える天才であるこの俺さまの足元にすがり付かなきゃ手に入らない、大切な願いごとなのさ。だから、みぃんな、俺を頼ってこのパーティに参加する。だから俺には逆らえない」
 笑いが止まらない。
 こんなに愉快なことはない。
「《黄金の栄光》に集まるのは手足だ。俺のために動く手足。俺の思い通りに動いて、俺の歩みを快適にするための、ただの道具。仲間なんかじゃないさ。……もう一度だけ言うが、ここは、最初から、この俺ただひとりのパーティなんだよ」
 ずるり、と、剣を引き抜く。
 先端が真っ赤に染まった刀身があらわになる。
 血と油を獣の皮で軽く拭い、鞘に納めた。
 アキヒコの腹の上から、どいてやる。
「よく理解しておけ。おまえもすでに俺の手足だ。故郷のことは忘れて、働け。そうすりゃ、いつかは帰れるだろうよ。なにせこの俺と共に歩けるんだからな。異世界に渡る方法だって、そのうち見つかると思うぜ」
 これは、いちおう、本気の言葉だ。
 来ることができたんだから、帰ることだってできるだろう。
 もしも俺の冒険の道中、その方法を発見できたなら、存分に使うといい。もしも見つけられたなら、そして、それまで生きていられたならの話だがな。
「おっと、忘れてた」
 マジで忘れるところだったぜ。いや、あぶないあぶない。
 独断専行、しかもユーフィーナを怪我させた罰は、きちんと与えないとな。
 俺は呪文を唱えて、アキヒコに魔法をかけた。
 地面に倒れたまま困惑しているアキヒコに、やさしく解説してやる。
「拷問用の暗黒魔法だ。生かさず殺さず苦しめるには、これが一番でな。失血死することも、傷口が化膿することもなくなる。だけど痛みはそのまま続くし、魔法を解除しない限りは絶対に治らない。――俺たちがこのダンジョンに潜って、帰ってくるまで、そこで反省してろ。ま、十時間ってところだろ」
 アキヒコの表情に、絶望が広がった。
 深く抉られた腹の痛み、刺し貫かれた肩の痛み、そして、いつ襲ってくるかも分からない魔物どもの脅威。沈黙の呪文をかけられたままなので、叫ぶことすらできない。
 必死になって唸りながら、俺の足元に這いずってくる。
 俺はアキヒコの頭部を踏みにじり、大事な手足どもに向かって、とびっきりの笑顔を見せた。
「よーし、それじゃあ行こうか、みんなっ! 今日もがんばって冒険しよっ♪」
 ――俺の名はフェアラート・ウィケッド・セルフィッシュ。誰よりも美しく、誰よりも頭のいい、リノティア学園最強の女王。
「フェアラート、おねがいだからもう許してあげて……私なら、大丈夫だから」
「うるさい黙れ。殺すぞ」
 ああ、今日も馬鹿な仲間がとっても馬鹿なこと言ってるけど、俺はちゃんとがんばるよ! えい、えい、おーっ♪
 



 さて、アキヒコは残念ながら……ではなくて、喜ばしいことに、生きていた。
 道中、レベルでも上げようといきなり思い立ってがんばっていたから、予想以上に時間が経ってしまって、十三時間ほど経過してしまっていたんだが、ちゃんと生きていました。ばんざい。
 いまはユーフィーナの部屋で手厚い看護を受けているところだ。自分が傷つけた相手に世話をされるとは、情けない奴だ。
 俺はというと、《英雄の神殿》と呼ばれる最上級パーティルームの一室、俺のための書斎にこもりきりで、書類を片付けていたところだ。
 雪原を駆け巡って洞窟に潜り、魔物どもと死闘を繰り広げ、この肉体は悲鳴を上げて休息を欲しているが、休んではいられない。
 冒険者はただダンジョンに潜って戦い続けていればいいという認識は、大きな勘違いだ。やることはたくさんある。
 熱いシャワーを浴びて思考を鮮明にしたら、素肌の上からふかふかのバスローブを身にまとい、机と向き合って、さあ、お仕事の時間だ。
 購買部には、俺たちがダンジョンで得た宝物の買い取り要請と、各パーティで争奪戦が予想される新製品を優先的に売ってもらえるよう、根回ししておく必要がある。武器やアイテムは言うまでもなく重要だ。回復薬や携帯保存食は、いつでも最新のものを準備しておかなければならない。
 生徒会やら風紀委員会などのうるさい連中には、手に入れておいたスキャンダルな情報をさらりと見せつけて黙らせておくのと同時に、あいつらがちょっと甘い汁を啜れるように手配しておく。こうしておかないといざというときに非常にヤバい。
 教員どもには、今回の冒険の最中に記録しておいたレポートを提出。それと、《コーゴ大洞窟》の内部を細部まで書き記した、緻密な地図だ。こいつは後発の連中にとってこれ以上ないというほどの宝になる。すべて俺がマッピングして、帰ってきてから清書を終えた。売り出せばけっこうな値がつくが、それよりも学園に恩を売ることが重要だ。
 貴族冒険者どもの高級社交クラブ《蒼薔薇探求者同盟》から定例の舞踏会の招待状が届いてきていたので、返事を書く。えーと、喜んで参加いたします、ってことを便せん三十枚ほどかけて長大に。
 あと、《黄金の栄光》の傘下に加わっている二百ものパーティが一堂に会して集会を開くので、そっちの段取りも進めなくちゃならない。みんないろいろと都合があって大変だから。俺がしっかりと計画を立てておかないと、ぐだぐだになる。それはよくない。ええと、今週末だと《ホーリー・トライデント》は大丈夫だけど、《紅の音色》の連中は予定があって来られないのか。じゃあ来週の頭はどうだろう……?
 よいしょ、よいしょと羽ペンを走らせ、判子を押し、書類の山をいくつも片付けて、ようやっと落ち着けたのは、すでに空も白み始めたころだった。
 今日も徹夜か。ま、いつものことだ。たったひとりで山のような仕事を片付けていれば、自然とこうなる。
 だったら助手を使えばいいという話になるんだろうが、あいにくと、性分でね。自分ひとりでやらないと安心できない。
 さて、冒険者の朝は早い。あと一時間もすればパーティのメンバー全員が集まってミーティングだ。その前に食事をとる必要があるが、時間がもったいないので水と携帯保存食ですませるとしよう。
 ただ、ちょっと休憩……ふぅ。
 と、扉がノックされた。
 こんな時間に俺の部屋を訪れるような物好きは、ひとりしかいない。
「開いてるぜ」
 入ってきたのは、シェラザードだった。緑色のローブを着ている。さすがに室内だから帽子はつけてないが。
 エルフ女は、わずかに呆れたような色を、その切れ長の瞳に浮かべた。
「また、眠らなかったのか」
「その暇がないのさ。心配するぐらいなら、せいぜいたっぷりと働いて、俺が眠れる余裕を作ってくれよ」
「誰が心配などするものか。おまえは、そのぐらいでは堪えんだろう」
 シェラザードの声は冷たい。
 まあね。
 最後に眠ったのがいつだったか、俺ですらも覚えていないが、ほれ、この通り、ピンピンしてるもの。
「さて。お優しく心配してくれてるわけでもないなら、いったいどんな用件だ?」
「とぼけるな。分かっているだろう」
「あのガキのことか」
 俺が言うと、シェラザードは静かにうなずいた。
「あの人間は、危うい」
「だが役に立ちそうだ。爆薬の代わりにはなるだろ」
 どかんと一発、使い捨て。
 だけど、なにが不満なのか、シェラザードは納得がいかない様子だ。
「私の目的を、おまえは知っているはずだな」
「まあな。どうかしたか?」
 死地に飛び込み続ける《黄金の栄光》のメンバーは入れ替わりが激しい。立ち上げた当初から残っているのは、俺と、シェラザードだけだ。付き合いが長いので、お互いのことも最低限は分かっている。
「あの人間は危うい。――私たちをも巻き込み、滅ぶだろう。いますぐにでもパーティから外すか、もしくは、命を絶つべきだ」
 おやおや……さすがにエルフは言うことがちがう。
 神に祝福された神聖な種族? 精霊のごとき清らかな者たち? ちがうねえ。これが、この俺の目の前にいるシェラザードこそが、エルフどもの正体さ。
 何千年も続く寿命なんざ持っちまってるもんだから、とことん、生命というものに無頓着。ひ弱で愚かな人間どものことなんざ、虫けらほどにしか見ちゃいない。冷たくて冷たくて、氷塊そのもの。だからキラキラと輝いていて、綺麗なように見えるのさ。
 ま、もっとも、俺だって同じようなものだ。――だから俺は誰よりも美しい。
 しかし、それはともかくとして。
「やめとけ、シェラザード。あいつはマーキアスの肝いりだ。手を出せば痛い目にあう」
「おまえでもあの男は怖いか」
「怖いね。なにせ俺ではあいつには勝てん」
 いまは、まだ。
「だからその恐怖を克服するために、こうして日夜を問わずに働き続けてる。おまえも協力しろ、シェラザード。俺に手を貸せば、おまえの願いはもっと早くかなう。あのガキもな。うまく使えば、いい道具になるだろうよ」
 シェラザードは、それでもまだ納得がいかないようだったが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「いいだろう。あの人間の処置については、おまえに任せる。ただし、もしものときには」
「殺すといい。どうやっても使えんゴミなら、俺だっていらん」
「それを聞いて安心した。――何者であろうと私の目的を邪魔することは許されんし、どんなことだろうと優先されることはない」
 平然と言う、ハイエルフの女。
 怖いねえ。そして、頼もしい。
 こいつは気取っちゃいるが、俺と同類に近い。
 自分の目的のためならばいくらでも冷徹になれるし、他人の命を踏みにじることに躊躇がない。
 だからずっと生き残っているわけだし、俺だって、ほかの連中と比べれば、シェラザードのことを買っているのだ。
「用件はそれだけだ。私はもう行く」
「ああ、まて、まて」
 立ち去ろうとしたシェラザードを呼び止めて、机の引き出しからボトルとコップを取り出した。
 がんばった自分へのご褒美として用意しておいた、とっておきの逸品。
「いい酒が手に入ったんだ。魂に火が点くような、本物のスピリッツだぜ」
「……いらぬ」
 せっかく誘ったというのに、俺を見るシェラザードの眼の温度は、相変わらず素っ気なくて冷たい。
「酒は魂を堕落させる。そのような代物、けがらわしいダークエルフどもならばともかく、この私が口にすることは絶対にありえん。これまでも、これからもな」
 と、一方的に言って、シェラザードは姿を消した。空間転移か。普通に扉を開ければいいものを。
 ま、いいや。
 コップに注いだ火酒をぐびりぐびりと飲みながら、考える。
 あの小僧……アキヒコ・シキムラ。
 あいつを見ると苛々としてくる。あの瞳。あの、この世のすべてに絶望しているとでも言いたげな瞳の虚無を見ていると、どうしようもなくどす黒い気分になってくる。
 まったく、むかつく。
 誰よりも美しい、この俺さまが……あんなガキの絶望の瞳を、美しいと思ってしまっただなんて。



[9648] 昔のお話。まだおっさんが若かったころ。その三
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2009/12/02 09:16

 リノティア学園は、規模、財力、人材、実績、すべての面においてギアラ大陸最高峰を誇る、超強大な教育機関だ。千年王国とも言われるエルィストアート王国の英知と技術、文明力の結晶そのものだ。
 この学園に所属する学生たちは日夜を問わずに精進に励み、知力を磨き、体力を蓄え、精神を鍛え上げて、ゆくゆくは外界へと巣立っていく。そして魔王の精力に対抗するための貴重な戦力となるのだ。
 大陸に輝く、希望の光。それがリノティア学園。
 必然、ここにはさまざまな若者たちが集まってくる。
 男も、女も、人間もエルフもドワーフも。強い者も弱い者も。この世界のあらゆる可能性が集う。
 区別や差別など、ない。学園はすべての入学希望者に対して、等しく速やかに門を開く。
 聖暦一五〇九年。リノティア学園の在学生徒数、二十万人以上。
 その頂点に、三人の強者が立っていた。
 《三英雄》、《史上最強の三人》、《三本の剣》などと呼ばれる、ほかの生徒たちと比べてあまりにも超絶した実力の持ち主たち。教員たちの大多数ですら足元にも及ばない、圧倒的な才覚と天運の塊。
 一人目。
 ラファーガ・クェサ。三人のなかでも突出した戦闘能力を持つとされる、屈強な竜人。特定の仲間とパーティを組まず、たったひとりで超高難易度の迷宮の奥深くにまで潜り込む無謀を繰り返し、そのことごとくを成功させてきた。自分を鍛え上げることにしか興味がない、生粋の戦士。たいした特徴はない。ただひたすらに強すぎる。それだけの男。
 二人目。
 フェアラート・ウィケッド・セルフィッシュ。三人のなかの紅一点。もっとも特徴の多い女。すべての武器と魔法に精通し、たったひとりで剣士、闘士、魔法使い、盗賊、僧侶、錬金術師など、おおよそすべての役割を自在にこなせるうえ、専門家以上の結果を叩き出す。人間離れした神の美貌と尋常ではない知識量、豊富な戦闘経験、俊敏な判断力の持ち主。学園最強のパーティ《黄金の栄光》のリーダーにして、学園にもたらした数多の功績を考慮するなら、事実上の《三本の剣》筆頭。彼女を示す渾名は多い。《悪女》、《傾国》、《最低最悪》、《魔女》、《不死身の女》、《最強》、《女神》、《眠らずの姫》、《神殿の女主人》、《メスオーガ》、《女を捨ててる》、《つーか人間を捨ててる》。
 そして三人目。
 ルシーファ・シュメァツェン。謎の多い、美貌の少年。極めて稀有な、天使族と悪魔族の混血児。その真の実力を見た者は誰もいない。なぜならば、彼の深淵を目の当たりにした者は、まず間違いなく、つぎの瞬間には死んでいるのだから。だが普段はそんな恐ろしさなど微塵も感じさせない飄々とした態度を崩さず、やや不真面目な学園生活を楽しんでいる様子。渾名は《天魔人》、《者でも物でもあらざるモノ》、《煉獄鎮魂歌》、《皆殺シノタメノ魔剣》、《昼行灯》、《戦闘狂》、《断罪者》、《破滅の序曲》、《紅と蒼の恐怖》、《二刀百殺》、《壊レタ創造者》、《狂エル死ノ具現》、《神意と悪意の代理人》、《漆黒の堕天使》、《朱イ咎》、などなど。
 ルシーファは美しい少年だ。銀髪の流麗な長髪が、腰にまで届いている。右目が赤色、左目が青色という、神秘的なオッド・アイ。中性的な、絶世の美女にも見まがうほどの顔立ち。だがしかしその肉体はけっして貧弱なわけではなく、鍛えられていて、ほどよく引き締まっている。百八十センチほどの長身、その頭の上からつま先までのすべてに不可視の巨大な力が満ちているようで、歩みは力強く、無駄がなく、迷いがない。
 軽装を好むルシーファは、ダンジョンに挑むときですら、普段の学生服のままだ。腰の左右に双剣《凶月》と《冥月》を携えている以外は、リノティア学園の生徒に漏れなく配給されている制服そのまま。あまりの軽装は、ほとんど自殺行為にすら見えるほど。
 だが、現実に、ルシーファはいままでずっと迷宮そのものに勝ち続けてきた。それがすべてだ。ルシーファにとって、ダンジョンとは普段の生活の延長線上にあるものでしかないのだという、最高の証拠だ。
 今日もまた、いつも通りにルシーファはダンジョンに潜る。いつも通り、飄々と。
 《黄昏の魔天使》。それが、ルシーファの異名のひとつにして、彼のパーティの名だ。
 長い青髪の神聖魔法使い、セラ・キーム。
 緑のショートカットが特徴的な大剣使い、アレア・レッドグーヴ。
 銀髪ツインテールの精霊使い、レム・プリテラ。
 いつもほほ笑みを絶やさない黒髪のサリーナ・ペティアル。盗賊。
 いずれも、道を歩いてすれ違った人間が百人いれば百人とも確実に振り返るであろう、凄まじい美少女たち。
 彼女ら四人とルシーファ、合わせて五人で、《黄昏の魔天使》だ。
 つい最近になって新発見されたダンジョン《ルノス古代遺跡》での、ある日の彼らの様子を紹介しよう。
 暗黒色のブロックが積み重なって出来た、石造りの迷宮。ほのかに光る苔が光源となっている。
 さして周囲を警戒しているようでもなく歩き続ける、ルシーファ。その後ろにはメンバーの美少女たち。
「さーて、そろそろこのダンジョンも終わりかな?」
 地下八十九階。
 並みのダンジョンならば最下層に到着しているはずだ。
 かといって、ルシーファの表情には安堵や達成感の色はない。ちょっと失望したような、不満げな表情があるだけだ。
「なんていうか、期待外れだったかな。新発見の、手付かずのダンジョンだっていうから、フェアラートやラファーガよりも先に来てみたんだけど」
「ラファーガに先を越されたら、ダンジョンのモンスターを根こそぎ殲滅されちゃうもんね」
 苦笑いを浮かべる、セラ・キーム。
 まったくだぜ、と、うなずく、アレア・レッドグーヴ。
「あいつは無茶苦茶なんだよ。修行だ修行だー、って、そればっかり。この前のときは酷かったもんな。せっかくの高難易度ダンジョンが、モンスターがいないせいで歯ごたえなさすぎ。ちょっとはアタシのぶんも残しておけっての!」
 と、憤ったように言いながら、乱暴に大剣を振り回す。
 危うく仲間を切り刻みそうになっているそれをひらりひらりと紙一重でかわしながら、サリーナ・ペティアルが忍び笑いを漏らした。
「かといって、フェアラートさんに先行を許しても、面白くありませんよね。モンスターどころか宝物もトラップも、みんなまとめて潰しちゃうひとですから」
「え? トラップはいいじゃないの、べつに」
「あは。分かってませんねー、セラさん。難解なトラップをわざと味わいながらも生き延びる……そのスリルあってこその冒険ですよ」
 人差し指を立ててウインクしてみせる、サリーナ。
 セラは、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
 漆黒のローブを身にまとった、銀髪ツインテールの精霊使い、レム・プリテラが、ぼそぼそっと呟くように言う。
「わたし、フェアラートは嫌い……精霊さんたちも嫌ってる」
「好きな奴なんていないだろ、あんな性悪女」
「そうそう。口を開けば罵詈雑言。やることなすこと大迷惑。モンスターのほうが黙っているだけまだマシよ」
「……でも、学園のミス・コンテストでは、毎年優勝なさってますよねー」
「そうそう、それが一番むかつくのよね。なんであんなのが優勝するの? シェラザードさんやユーフィーナさんが優勝するなら納得できるのに。主催者や審査員の連中、買収でもされてるんじゃないの? たしかに美人だけどさ……あんまり美人すぎて、初対面の人間が必ずドン引きするってのも頷けるし。でもね、あれはもう化け物よ、化け物」
「顔がよくて胸がでかけりゃいい女、ってか? 審査の基準がおかしいんじゃねーの、あのミスコン? 女はやっぱり腕っぷしと度胸だろ!」
 ほかの生徒たちならば、まず交わさないような会話。リノティアに君臨する悪の女王についての悪口。それを平然と口に出来るということはつまり、彼女たちがそれほどの実力者だということだ。……だからといって、もしもその耳に入ったなら、話題の当人はけっして許さないだろうが。
「お兄ちゃんは……どう思うの?」
「へっ?」
 ぼそぼそと呟くような問いに、先頭を歩いていたルシーファは不意をつかれたように振り返った。
 ちなみにレムはルシーファのことを兄と呼ぶが、本当の兄妹というわけではなく、ただ単にレムがルシーファを慕っていて、そう呼ぶことを好んでいるというだけの話だ。だが周囲からロリコンという渾名をもらって冷や汗を流すこともあるルシーファである。
 レムはルシーファの服の袖を片手で掴みながら、上目使いで問うた。
「お兄ちゃんも……フェアラートのことが好きなの? おっぱい大きいほうがいい? レムのおっぱい、小さいの……だめ? レム、あんまり女の子らしくないの……」
 朱に染まった頬と、潤んだ瞳。
 この殺人的なまでのかわいらしさで見つめられて、レムを傷つけるような答えを返せる男など、果たしてこの世に存在するだろうか? いやいない。
 ルシーファは、わずかにほほ笑み、そしてその柔らかな手のひらで、レムの頭を優しく撫でた。
 見つめ合う、ふたり。
「そんなわけないだろ。レムだって立派な女の子だ」
「ほんと……?」
「ああ。本当だ。俺が一度だって、レムに嘘をついたことがあったか?」
「……ない!」
 嬉しそうに声をあげて、レムはルシーファに抱きついた。
 照れくさそうで、困ったような表情の、ルシーファ。
「ははは、こらこら……」
「お兄ちゃん、大好き……!」
 誰が見てもほほえましくなるような、ルシーファとレム、ふたりの光景。
 しかしふたりのすぐ近くから、三つの巨大な殺気が立ち昇っていた。
 ギクシャクとした動きで首を回し、そちらを見る、ルシーファ。そのこめかみのあたりから、冷や汗が落ちている。
 巨大なドラゴンをもたやすく切り伏せるルシーファだが、たったひとつ、恋する乙女の嫉妬に対しては、対抗するすべを持たない。
 ルシーファの視線の先では、セラ、アレア、サリーナが、目に見えるほど強烈な怒りのオーラをみなぎらせて、こちらを睨みつけている。
「なんだかいい雰囲気じゃないの、ルシーファ?」
「ああ……危険なダンジョンの真っ只中だっていうのに、ずいぶんな余裕だよなあ?」
「これは、お仕置きする必要がありますねー」
「あ、あのー、みなさん……?」
「「「問答無用――ッッ!」」」
「う、うわーっ!?」
 修羅の形相でルシーファに襲いかかる、嫉妬に駆られた三人の乙女たち。
 レムを抱きかかえて、わけもわからずに逃げ回る、生粋の朴念仁。
 迷宮の奥深くに、場違いなほど明るく騒がしい声が響き渡る。
 ――そして、それがルシーファたちの見せた隙だとでも思ったのか、通路の曲がり角や物陰などで息を潜めていた魔物どもが、いっせいに姿を現した。
 盾と剣を持ち、直立歩行するトカゲ、リザードマン。
 黒いローブ姿の、カボチャ頭の怪人、ジャックオーランタン。
 武器を持って立ち上がった豚の亜人、ハイオーク。
 それぞれおよそ十体ずつ現れたのは、いずれもこの階層で生きる猛者たち。並みの魔物とはまったくレベルがちがう。学園の上級パーティでも苦戦するか、死線を見ることになる。
 ルシーファの瞳が、先ほどまでのふざけた雰囲気を消し飛ばし、冷ややかな光を帯びる。こんなときでなければ誰もが見入ってしまいそうな、妖しい冷たさ。それはけっして優しくはない。敵対する者をすみやかに地獄へと送る、死の絶対零度。
「やれやれ。黙って隠れていれば、見過ごしてやったのに」
 面倒くさそうに呟き、ルシーファはレムをゆっくりとした動きで地に下ろした。
 そして、余裕を見せ付けるように周囲を見渡し、
「ひい、ふう、みい……数えるのが面倒だな。まとめて相手してやる。来いよ」
 一匹のハイオークに向けて、くいくいっと手招きした。
 侮られたと思ったのか。そのハイオークは雄たけびを上げ、醜い顔を怒りで歪め、手に持った槍をルシーファめがけて上段から振り下ろす。
 ルシーファはそれを、半身を後ろに引くことによって簡単にかわしてみせた。
「遅いな……」
 流れる水のごとき、鮮やかな体さばき。紙一重のところで敵の攻撃を見極め、避ける。超人的な動体視力、反射神経。
 そして、自分の攻撃が避けられたとハイオークが知覚する前に、ルシーファの双剣《凶月》と《冥月》が閃いていた。
 音もなく抜き放たれた二本の剣は、ハイオークの胴体を、首を、一撃で寸断。
 自分が死んだことすら知らぬまま、豚の亜人は肉体を三つの部品に解体され、そして、首と上半身が床に落ちてから、やっと思い出したように切断面が血を流す。人智を超えた、常識外の刃の切れ味。そしてそれを自在に使いこなすルシーファの技量、もはや神か、それとも悪魔か。
 ハイオークの死体を踏みつけ、前進しながら、ルシーファは酷薄な笑みを浮かべた。
「どうした? まとめて来いと言っただろう? ……来ないなら、こっちから行くぜ?」
 その笑顔――残酷なまでに美しい。
 ハイオークの死にざまを目の当たりにして、魔物どもはすでに悟っていた。
 殺される。
 自分たちは、この、あまりにも美しい少年によって、抵抗することすら許されずに処刑される。
 それが当然のことのように思えてしまうほど、ルシーファは強く、美しく、そしてあまりにも完璧なほどに神秘だった。
 仲間に見せるのは、慈愛に満ちた天使の顔。
 敵に見せるのは、冷酷な悪魔の顔。
 白と黒、正と邪、善と悪、天使と悪魔、相反するふたつの要素が矛盾を孕みながらも完全に融合した、生きる芸術品。それがルシーファだったのだ。
 悲鳴を上げながら逃亡する魔物どもの一派。その逃走方向に、長身の女剣士が立ちふさがった。
「おっと。どこに行こうっていうんだい?」
 アレア・レッドグーヴ。その顔に浮かぶのは、不敵な狩人の表情。
 なにをたかが女ひとり、我らの逃走を邪魔するな――そんな台詞でも言いたげな形相の魔物どもだったが、ここで彼らに出来る最良の選択は、その場に踏みとどまってアレアの攻撃可能範囲内に立ち入らないことだ。しかし彼らは無知蒙昧であるがゆえ、そのまま直進してしまった。
 緑髪の剣士、アレアの得物は、魔大剣《破砕刃》。刃渡り二メートル以上、鋼鉄をはるかに上回る硬さと粘り強さ、さらには魔法を切断する能力をも秘めた、極上の業物。
 長大な大剣が、唸りを上げて振るわれた。
 横なぎに弧を描く軌道。
 触れれば切れる刀身が、竜巻のごとき勢いで魔物どもに襲いかかる。
 ハイオークの首を、リザードマンの胴体を、彼らが装備している甲冑や盾ごと紙のように切り裂いていく、アレアの魔剣。
「はっはっは! おらおら、どうしたあっ!」
 アレアが一歩、前に進み出る。同時に返す剣で五体、六体と、まとめて魔物の命を奪っていく。血が舞い、肉が散る。断末魔の悲鳴が上がる。内蔵が、飛び散る。
 これが、戦闘を放棄して逃げ出そうとした、愚かな者どもの運命。
 そして、残ったのは、茫然自失とした敗残兵。
 もはや戦う気力すら喪失した魔物の群れめがけて、何十本という数のナイフが飛んだ。サリーナの投げナイフ。
「ボーッとしてちゃ、いけませんよー?」
 戦いの場にいるとは感じさせないほどの、明るく朗らかな声。だが彼女の手による攻撃は、正確無比にして残酷。
 白く光る小ぶりな刃物が、雨あられと降り注ぐ。その狙いは恐ろしいほどに的確。魔物の頭部や心臓などの急所を正確に捉え、柔らかい肉をたやすく抉り、致命傷を与えていく。
 ばたばたと倒れていく魔物の群れ。上がる悲鳴、断末魔の絶叫は、魔物のそればかり。
 アレアのいない、サリーナの目も向けられていない方向を見つけた魔物たち。
 われ先にと、醜い争いを繰り広げながら駆けていく。
 しかし、無様にも敵に背中を見せた彼らに向かって攻撃の狙いを定める、レムの姿があった。
「精霊さん……おねがい……」
 祈るように両手を胸の前で組み、目を瞑って厳かに言う。
 するとその眼前に膨大な量の魔力が収束し、赤く色づき、燃え盛り、人型となって、火炎の魔人が現れた。炎の精霊の、最上位クラスに位置する者だ。ごく普通の天才精霊使いが何十人も集まったとしても召喚できない怪物を、レムは単身にして即座に呼び寄せてみせたのだ。
 炎によって形作られた屈強な戦士は、大きく息を吸い込むと、その内部にためこんだ熱を一気に吐き出した。絶大な威力を誇る、炎の渦が、通路を走って逃げている魔物たちの背中を追う。
 背後を振り返り、驚愕した表情そのままに、魔物たちは一瞬にして焼かれ、焦がされ、炭化した死体すら残らぬ高熱によって蒸発させられ、この世から消え去った。
 魔物の群れは全滅した。あっという間の出来事だった。
「ま、あたしにかかりゃあ、ざっとこんなもんよ!」
「ちょっと、自分ひとりだけが戦ったように言うのはやめてよ」
「そうですねー。……少なくとも、セラさんは戦ってませんけどね」
「だな。見てるだけだった」
「しょ、しょうがないじゃない、回復魔法も補助魔法も使う暇がなかったんだから!」
「……セラだけ働かないの……ずるい……」
「な、なんですってええっ!?」
「まあまあ、みんな、喧嘩はやめろよ。こうして誰も怪我せずに勝ったんだから、どうでもいいことだろ? それに、セラは本当に魔法を使う暇がなかっただけだ。いざとなれば誰よりも頼りになるのがセラだってこと、みんなは知ってるだろ?」
 少女たちの喧嘩を仲裁する、ルシーファの言葉。そこに溢れる優しさに、少女たちは息を呑むほど感動し、自分たちの愚かな争いを恥じ入り、ルシーファに惚れ直した。
 セラはうつむき、顔を赤くしながら言う。
「ルシーファ……その、あ、ありがと……」
「ん? ああ、いいって、いいって。本当のことを言っただけだしな!」
「う、うん。……ありがとう……」
 と、見つめ合う、ふたり。
 そして、ルシーファは、なにやら先ほども同じようなことがあったように感じ、すぐさまその記憶が確かであったことを知る。
 嫉妬の炎を燃え上がらせる、三人の少女。
「おいおい、なにやらいい雰囲気じゃねえか……」
「ええ。これはちょっと、またしても油断しすぎなのではありませんかねー?」
「……お兄ちゃん……浮気者……」
 ジト目でルシーファを睨みつける、アレア、サリーナ、レム。
 引きつった笑みを浮かべ、冷や汗を流すしかない、ルシーファ。
「は、ははは……み、みんな、ちょっと落ち着こうか?」
「「「問答無用――ッッ!」」」
「ま、またかよーっ!?」
「あ、ちょっ、ちょっと、ルシーファ!」
「助けてくれーっ!」
「「「まてーっ!」」」
 悲鳴を上げるルシーファと、それを追いかける少女たち。
 彼らのあいだには風が吹く。それはすがすがしく荒野を吹き抜けるような、そんな風。
 《黄昏の魔天使》は、強いパーティだ。実力的にも、精神的にも。
 ただ強いだけのパーティなら、ほかにもいないことはない。たとえばフェアラート・ウィケッド・セルフィッシュが率いる《黄金の栄光》など、その最たるものだ。単純な戦闘力だけを見るなら、百年にひとりの超逸材集団によって構成された《黄金の栄光》の右に出るパーティはいない。
 だが、《黄昏の魔天使》はそうではない。ただ戦闘力が高いだけではなく、レベルが高いだけではなく、それ以外の大きな要素こそが、彼らを無敵のパーティへと昇華させているのだ。
 《黄昏の魔天使》にあるのは、信頼。強固な結束力。ルシーファが仲間を想い、少女たちがルシーファを想う。その思いやりの心こそが、彼らを真に強くする。
 お互いがお互いを好き合い、信頼し合う、本当の意味での完璧なパーティ。
 仲間を仲間とも思わず、道具のように使役して消費することしかできないフェアラートなどでは、絶対にたどり着けない、はるかなる高み。
 だからこそ、ルシーファは《仁》の英雄と呼ばれる。
 《三本の剣》は、それぞれ《武》、《智》、《仁》の要素に例えられることがある。
 すなわち、ラファーガは《武》の英雄。
 フェアラートは《智》の英雄。
 そして、ルシーファは《仁》の英雄だ。
 《武》だけでは冷たすぎる。《智》だけでは脆すぎる。だが、《仁》は、他者を想う心によって強く成長し続ける、もっとも崇高で力強い要素。
 ルシーファこそが真の最強なのではないかと語られるのは、そのためだ。
 ちなみに学園の内外に存在するファンクラブの数も、ルシーファのものがもっとも多い。次いで、ハイエルフの魔法使い、シェラザード・ウォーティンハイムや、人間族の神聖魔法使い、ユーフィーナ・ソグラテスなどのファンクラブが、数多く存在している。ラファーガのファンクラブは主に戦士系統のクラスについている男ばかりが会員で、数こそ少ないものの、活動内容は非常に濃密でしつこい。フェアラートのファンクラブはさらに希少で、その活動が表舞台に明らかになることはほとんどないが、一部の生徒の噂によると、黒ミサやサバトのごとき魔宴をひそかに繰り広げる、怪しげで熱烈な集団なのだとか。
 ――ともかく、ルシーファたちはなんの問題もなくダンジョンの奥深くに潜り続けた。
 たいした宝物を発見することもなければ、血わき肉おどる強敵と出会うこともない。
 ルシーファはちょっと失望した様子で、歩き続けた。
 そして、その扉の前に立った。
 ここが、このダンジョンの終着点なのか。いままでにない雰囲気の、おそろしく巨大な両開きの扉だ。空気はかび臭く、重い。
「どうやら、ボス部屋ってところらしいな!」
「でも……開けるための取っ手も、鍵穴も、見当たりませんねー」
「開かない……帰る……?」
 意気揚々としているアリアとは対照的に、サリーナとレムは困ったように眉根を寄せている。
 ルシーファは無言で扉の前に歩み寄り、そこに手をかざした。
 すると、暗い色調の扉の表面を、ぼんやりと浮かび上がった光る文字がびっしりと埋め尽くす。
 驚く、少女たち。
 光る文字は、少女たちの言語力の範疇を超えていて、とても読めるものではなかった。それもそのはず、この文字は古代の、もはや誰も知るはずがない文字なのだ。誰にも読めるはずはない。――ただひとり、ルシーファを除いては。
 ルシーファは、文字の羅列を読み取り、その内容をすらすらと読み上げていく。
「この扉の先には絶望が広がっている。弱き者には、ただひとつの希望は見つけられない。禁じられた扉を開け放たんとする勇者よ、汝、真の力を持つと自負するのであれば、その勇気を示すための言葉を、高らかに謳い上げるがいい。――どうやら、合い言葉で開く仕掛けみたいだな。その言葉も、ちゃんと記されている」
 こともなげに言ってのける、ルシーファ。
 少女たちは驚き、声を上げた。
「すごい、ルシーファ! 読めるの!?」
「あたしなんてちんぷんかんぷんだぜ」
「私もです……お恥ずかしいことですが」
「……んにゅ……わたしも……ごめんね、お兄ちゃん……」
 感心したり、あるいはしょんぼりとしたりする少女たちの様子を見て、ルシーファは苦笑を浮かべた。
「なんてこともないよ。ま、昔、ちょっとあってね。……さて、行こうか。準備はいいか?」
「もちろん! ここまで活躍できなかったぶん、きっちり働くわよ!」
「へっ、肩透かしをくらわねぇように祈っておくぜ」
「うふふふ……トラップ部屋だと嬉しいのですけど♪」
「……わたし、がんばる……お兄ちゃん、見ていて……」
 絶望が広がると記された部屋に突入しようというのに、誰も異論や弱音を吐かないばかりか、むしろ、それぞれの役割を存分に果たすべく、強い意気込みを見せている。
 リーダーであるルシーファを信じているからこそ、彼女たちは強くなれるのだ。
 ルシーファがいれば、なにも恐れることはない。どんな敵が相手だろうと、どんな悪辣な罠が張り巡らされていようとも、どんな難解な迷宮に挑むことになろうとも、絶対に勝利し、生きて帰ることが出来る。それを確信しているからこそ、彼女たちは強い。《黄昏の魔天使》は強いのだ。
 ルシーファは、満足げにうなずいた。
「よし、行くぞ。――我こそは、強き勇者! 深淵を覗き込まんとする者なり! さあ、扉よ開け! 我に地獄を見せてみろ!」
 高らかに謳い上げた、ルシーファ。
 それを合い言葉として、扉が開く。誰の手によるわけでもなく、自動的に。
 ぎぎぎ、という、扉の底部と床が擦れて軋む音。
 室内の全容はまだ明らかにならない。人間の視力の及ばぬ暗黒が支配している。
 完全に開いた扉の向こうから、圧倒的な負の臭気が吹き付けてきた。
 それは、カビの臭い。
 密閉されていたために濁りきってしまった空気の臭い。
 腐った血と泥と臓物の臭い。
「――ゲーム・スタート」
 誰かが言った。
 《黄昏の魔天使》のメンバーではない。
 ひどく愉快げで、狂ったように嬉しそうな、それでいて静かに落ち着いた男の声。
 暗く冷たくおぞましい、澱んだ悪意に満ちた声。
 いったい誰の声なのか、ルシーファたちが理解する前に、それは地響きを立てて出現した。



[9648] 昔のお話。まだおっさんが若かったころ。その四
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2009/12/04 08:48

 結論から言うと、最初の一撃目で、サリーナ・ペティアルの下半身が吹き飛んだ。《黄昏の魔天使》というリノティア学園最強クラスのパーティメンバーが、まともに抵抗することすらできずに死んだ。
 過程を記そう。
 《ルノス古代遺跡》の奥底、封印されし扉の向こう側に広がっていたのは、冷たい空気と薄暗い空間に支配された、広大な一室。一辺が五十メートル以上もある、正確な四辺形の部屋だ。
 そこにルシーファたちが足を踏み入れたとたん、開くときとは雲泥の差の素早さで扉が閉まった。まるで罠にかかった獲物を逃がすまいとでもするかのように。
 そして、天井から《それ》が降ってきた。
 轟然と揺れる、硬い床。
 ルシーファたちの眼前、十五メートルほど前方に現れたのは、巨大な肉の化け物のごとき代物だった。
 醜い。
 とてつもなく醜い。
 ルシーファたちがまず思ったのは、視覚によって得た情報からくる率直な感想だ。
 てらてらといやらしく光る、湿り気を帯びた全身。ピンク色の大きな肉団子を無数に合体させ、胴体を模し、四肢を模し、人間の容貌を辛うじて模したかのような異形。そう、異形だ。模したとはいえほとんど失敗しているのと変わらない。手にも足にも指はなく、耳も鼻も口もない。首もない。ひときわ大きな肉団子が胴体の上部から半分だけ飛び出していて、半球のドーム状となっていて、そこの右側と左側に、血走った眼球が取り付けられている。目蓋はない。まるで狂った子供のきちがいじみた創作の結果。狂気の産物。
 肉の化け物は、その背丈が四メートルを超え、横幅も二メートルを超えている。
 巨大な、肉の、異形の塊。
 ルシーファは嬉しそうに微笑した。
「へえ。――多少は、満足できそうかな?」
 双剣《凶月》と《冥月》を引き抜く。
 肉の化け物は動かない。
 こちらに敵対する意思はないのだろうか?
 いや……ルシーファは一瞬たりともそうは思わなかった。
 なぜなら、肉の化け物の双眸は、こちらを見ている。そしてそこにはマグマのように沸騰し続ける憎悪があった。
「恨まれる覚えはないけど……ま、いいや。ふりかかる炎は払うだけさ。はじめようか……殺し合いを、ね」
「ルシーファさん。まずは私が」
「うん。たのむよ、サリーナ」
 ルシーファの許しを得て、サリーナの両腕がひらりと揺れる。直前までなにも握っていなかったはずの両手には、突如としてそれぞれ五本ずつ、都合十本のナイフが現れていた。
 熟達の盗賊、サリーナは、唇をぺろりと舐める。淫靡な仕草。
「せっかくトラップを期待していましたのに。今回は出番がないというのもつまらないですから、この敵は、私がしとめさせていただきます」
 そう言って、サリーナは跳躍した。人間の限界をはるかに超えた跳躍力。なんという身のこなしか。十メートル以上もあった間合いは瞬時に消えてなくなり、美貌の盗賊の姿は肉の化け物の頭上にあった。
「そーれっ!」
 投擲される、十本のナイフ。オークやリザードマンごときなら死の雨にすら見えるだろう。
 肉の化け物は、避けるということをしなかった。
 ただ呆然と棒立ちしている。そのようにしか見えなかった。
 それも無理はない。盗賊とはそもそも機敏な動作を求められる職業。風のように素早く、獣のように俊敏に。それが盗賊。そしてそれが《黄昏の魔天使》ほどのパーティのメンバーともなろうものなら、その素早さ、まさに疾風。尋常の魔物などに捕捉されるわけがなく、神速のナイフ投げに反応できなかったとしても仕方のないことだ。
 肉の化け物を大きく飛び越して着地した、サリーナ。
「歯ごたえがありませんねー」
 余裕をもって振り返る。
 その、目と鼻の先に、肉の化け物が迫っていた。全身にナイフが深く突き刺さっている。だがまるでダメージを与えている気配がない。
 静から動。あまりにも速すぎる、スイッチの切り替え。いままで動かなかった肉の化け物の、突如の突進。攻撃。鈍重そうな見た目からは想像もつかない、疾風のスピード。
 肉の化け物が、右腕のようなものを大きく振りかぶる。
 サリーナは、ほとんど条件反射の動きで、後ろへと跳んだ。
 轟、と風を唸らせる、巨大な肉塊の腕。
 ほんの少しだけ、サリーナは遅れた。ほんの少しだけ油断していたのだろう。このダンジョンにおけるここまでの行程が順調すぎたから。敵があまり強そうには見えなかったから。だから気のゆるみが生まれてしまったのかもしれない。だからサリーナは死ぬ。
 本当にほんの少しだけ、肉塊の魔腕が、後ろへと跳んだために宙に浮かんでいるサリーナの腰のあたりに触れた。
 かすった。
 そうサリーナが感じたとき、パァン、と、水風船が破裂するような音を上げて、彼女の下半身は弾け飛び、上半身と泣き別れになっていた。
 そのまま、上半身が地を転がる。ごろごろ、と。断面から内臓を撒き散らしながら。
「う……あ……」
 わずかな呻き声。まだ息があった。やっと停止したサリーナにはまだ息があった。
 肉の化け物はそのサリーナへと強烈な頭突きをくらわせた。四つん這いになり、頭部、それも顔面だと思われる部分を使って、何度も何度も、ゴツン、ゴツン、と。サリーナは、ぐちゃぐちゃに潰されて今度こそ死んだ。
「え……サリーナ……?」
「う、うそ……だよ……ね……」
 驚愕を隠せない、セラとレム。
 サリーナは仲間だった。パーティ結成当初からずっといっしょに戦ってきた、大事な仲間。どんなトラップが仕掛けられていようとも必ず解除してみせた、最高の盗賊。いつもほほ笑みを絶やさず、メンバーたちを見守ってきた、母親のような役割の少女。それが死んだ。殺された。あまりにもあっけなく。ゴミのように。
「ゆるさねえ……」
 そう口にしたのは、憎悪を燃え滾らせる女剣士、アレアだ。目に見えるほどの怒りのオーラを立ち昇らせて、背負っていた大剣を正眼に構える。
「よくも、よくもサリーナをおおおおおおッッ!」
 仲間思いの、アレア・レッドグーヴ。
 怒りに満ちた突進。
 大きく開いていた肉の化け物との距離を一気に詰め、最上段に持ち上げた剣を振り下ろす。
 空間ごと切り裂く勢いの、苛烈を極める一撃だった。
 肉の化け物は、やはり、サリーナのナイフと同じく、アレアの剣撃もまた、避けようとする気配すら見せなかった。
 結果として、当然、アレアの魔大剣《破砕刃》は肉の化け物の頭頂部を切り裂いて、真下へと落ちる。落ちていく。だが停止した。刃の蹂躙は、肉の化け物の胸の辺りで停止してしまった。尋常ではない肉の密度。長さ二メートルの剣を不自由なく振り回すアレアの膂力をもってしても両断は不可能。
 とはいえ、脳天は真っ二つだ。頭部に格納されているであろう脳みそを一撃で両断したはずだ。ただ不思議なことにアレアは手ごたえを感じず、代わりに背筋を駆ける死神の存在を感じた。
 脳みそを一刀両断されたはずの肉の化け物が、その両腕を動かす。
 アレアは反射的に剣を手放し、後ろへと跳躍していた。
 直後、寸前までアレアの頭部があったところを、バッチイインン、と、凄まじい音を立てて、肉の化け物の両腕が挟み込む。手を叩き合わせて蚊を潰すように。もしも剣を引き抜こうとしてその場に踏みとどまっていたなら、自分は頭部をぐちゃぐちゃに潰されて死んでいただろう。一瞬の判断のおかげで免れた末路を想像し、アレアの肝が冷える。
「へ、へへへ、あぶねえ、あぶねえ……」
「アレア。後退しろ。俺が相手をする」
「あ、ああ。すまねえ。得物がないと話にならねえ――」
 肉の化け物に突き刺さったままの剣が、いきなり飛んだ。
 筋肉の収縮の動きでも利用して、異物を排除したのだろう。
 弾丸のごとき勢いで射出された剣の柄が、その勢いと重量、突出した柄の部分の形状を利用して、アレアの腹部にめりこみ、貫き、その大柄な肉体を大きく吹き飛ばす。
 皮肉にも、得物を返された結果となった。
 同時にサリーナのナイフもすべて発射されていて、ルシーファたちを襲っているが、これはルシーファの精密を極める芸術のごとき剣撃によって叩き落されている。が、アレアを救う暇は、さすがのルシーファにもなかった。
 なにが起こったのかわからず、自分の腹から生えている愛剣を、きょとんとした表情で見つめている、アレア。痛みも恐怖も、いまの彼女にはない。そして仰向けに転がっているアレアの頭上から、肉の化け物が飛来した。脳天から両断された傷口が冗談のように走っている。だが止まらない。
「えっ、おい」
 呆然として呟いた。それがアレアの最期の言葉になった。
 鋭利な切っ先が天を向いている、《破砕刃》。そこに落下すれば、当然、深く突き刺さることになる。そんなことに頓着する様子もなく、肉の化け物は、はるか高みからダイヴしてきたのだ。
 およそこの世のものとは思えぬボディプレス。
 一瞬にして肉の化け物は見事なまでに剣に刺さっていき、落ちていき、そして真下に寝ているアレアを押し潰した。ズズウゥン、という衝撃。赤黒い血液が、肉の化け物と床との合間から流れ出して、絨毯のごとく広がっていく。
「か、回復、回復、しないと……回復呪文……」
 ふらふらと、肉の化け物とアレアのところへと歩き出そうとする、セラ。
「やめろ、セラ。無駄だ。彼女は死んだ」
「え……」
「行くぞ、レム。全力攻撃だ。油断するな」
「う、うん……わかった、お兄ちゃん」
 青ざめた顔で、レムはうなずく。
 ルシーファの、冷静な言動。それが恐慌状態に陥りつつある《黄昏の魔天使》を立ち直らせようとしていた。
 彼らの視線の先では、肉の化け物がゆっくりと立ち上がろうとしている。腹のあたりにアレアだったもの――潰れきった四肢や緑色の頭髪、衣服など――をべっとりとへばりつかせたまま、大剣に貫通されたままの姿で。なんの痛痒もある風でもなく。
 ルシーファは動揺する気配を見せなかった。
 たとえ目の前にあるのがどんな光景であれ、心の揺らぎを生むことは許されない。心の揺らぎは体の動きを鈍らせる。戦場において、それは死に直結する。ルシーファはそれをよく知っていた。
 双剣が妖しい輝きを帯びる。莫大な魔力の胎動。
「武神封滅流、正統後継者――ルシーファ・シュメァツェン。お相手つかまつる」
 ここ、ギアラ大陸よりはるか東方の島国に伝わるという、伝説の武術。
 武神封滅流。
 悪鬼や魔人、巨大な竜ですらも素手で葬るという、世界最強とも噂される究極の武術。ただ練り上げた拳足のみによって空を裂き、海を割り、大地を揺るがす。
 だが、素手での戦法しか教えぬ武術では、ルシーファには不十分だった。
 だから創造した。
 新たな流派、新たな武神封滅流を。
 そして極めた。双剣を。
 その凄まじすぎる偉業によって、金剛神羅仙人より免許皆伝と正統後継者の地位を貰い受けたのだ。
 さらに、ルシーファの背中から、服を破り、翼が生え出た。
 右の翼は純白。
 左の翼は漆黒。
 これぞ、ルシーファが善と悪の性質、両方を受け継いでいるという証明。天使族と悪魔族の両親を持つという証拠。ルシーファは神にでも悪魔にでもなれる。そしてその両方を超越することができる。
 気合いの声を発する、ルシーファ。胎動する魔力がこの部屋を埋め尽くす。清らかでありながらも邪悪な、それでいてどこまでも美しい、純粋なるパワー。もしもいまのルシーファを芸術家が目にしようものなら、その者は全身全霊をかけて彼の姿を自分の作品に反映させようと、この場で創作活動を始めるだろう。それほどまでの美しさ。
「アカシック・レコード、ダウンロード開始――」
 森羅万象のすべてを記録するという《一なる全》。そこからルシーファめがけて、ありとあらゆるパワーが流れ込む。
「すべての闇よ……光よ……我が意思に従え……」
 厳かに呟く。
 その峻厳なる言葉に、世界中のすべての光と闇、すなわち世界そのものが彼に従う。
 そして肉の化け物はただ傍若無人に、美しすぎるルシーファを殴り飛ばした。
 横殴りの一撃は、ルシーファの体を真横にゴミのごとく吹き飛ばす。肉が潰れ、剣と骨がへし折れる音がした。何十メートルも宙を飛んだうえに壁へと激突した美少年剣士は、そのままずるずると床に落ちて、そしてぴくりとも動かなくなった。
 セラは。
 そして、レムは。
 《黄昏の魔天使》のリーダー、ルシーファ・シュメァツェンの敗北という事実を受け止められず、ただ唖然とした様子で、ゆっくりと迫ってくる肉の巨人の姿を見上げていた。
 抵抗など出来るはずがない。
 前衛の存在が消えたいま、後衛の彼女らは、ただひたすらに無防備となってしまったのだ。
 まず、レムが餌食となった。
「ああ゛あああがあああああッッ、いや゛あああだああああ゛ああああッッ」
 肉の化け物は、まるで、捕らえた蝶々の羽をもぐように。邪気のある無邪気な子供のように。
 強大な腕力で、華奢な少女の衣服を破る。そのか細い手足ごと、ぼろ雑巾のようにひきちぎっていく。
「おっ、おにいいぢゃあああ゛ああああ――!」
 無駄な悲鳴。助けを呼んだところで、誰も彼女を救えるわけがない。もはやそれができるのは死だけ。彼女に安らかな眠りを与えることができるのは死神だけだ。その死神ですらも、到着するのが遅すぎた。
 たっぷり五分間ほど、地獄の責め苦を味わわされた挙句、精霊使いの少女は悶死した。
 血が落ちる、肉が落ちる。それらはすべて獲物のもの。哀れな少女たちの血肉が、骨が衣服が、床に落ちてゴミとなる。
 肉の化け物は、もはや原型すら留めていないレムの残骸に、何度も何度も顔面をぶつけ続けている。その行為に、なんの意味があるというのか。
 ゴヅン、ゴヅン、ゴヅンッ!
 肉が飛び散る、血が飛び散る。レムはとうの昔に死んでいて、あるのは肉と骨と血ばかり。ぐちゃぐちゃに潰れきった遺骸だけ。それでも化け物は頭突きをやめない。なんの意味があるというのか。その行為。
 ただ、この世のものとも思えぬ憎悪をむき出しにして、化け物は頭突きを繰り返す。
 セラは、弱々しい動きで、その場にへたり込んだ。その衣装の下腹部が、じんわりと濡れて、染みが広がる。生暖かい湯気を放つ液体が、彼女の足元に広がった。あまりの恐怖のために失禁したのだ。
「ゲーム・オーバー」
 誰かが言った。愉快げに。たっぷりと悪意をこめて。
 ルシーファたちがこの部屋に入ったときに聞こえた、あの声だ。肉の化け物が声を出したわけではない。セラでもない。いまだ姿を見せぬ何者かだ。
「なんだ、あっけない。この程度か、リノティア学園のトップクラスというのは。まったく、話にならない。まともな実験にならん。くっくっくっ! まあ、いい見世物ではあったがね」
 誰だ。
 セラは周囲を見回す。
 だが誰もいない。薄暗いとはいえ、室内の全貌は問題なく見渡せる。しかしこの声の主の姿は見当たらない。声は、どこからともなく聞こえてくるというのに。
 若い男の声。ただそこにある冷たさは異常なほどだ。
 そんなセラをあざ笑うように、声の主は笑った。
「馬鹿なお嬢さんだ。自分はそこにはいない。――さて、楽しい楽しいゲームも、ここまでだ。フォビドゥオ、終わらせろ。床の染みを増やしてしまえ」
 声の主に従ったのか、レムの死体に繰り返していた頭突きを終わらせて、肉の化け物が立ち上がる。フォビドゥオと呼ばれたその化け物は、声の主が言った通りの死にざまをセラに与えるべく、その丸太のような両腕を頭上に振り上げた。
 セラは、直後に振り下ろされる死の鉄槌を呆然と見上げたまま、身動きすることすらできない。
 ――そのとき、入り口の扉に、凄まじい衝撃が走った。
 巨大なハンマーで打撃したかのような、音と振動。
 室外からの、なんらかの超攻撃が、扉を大きく軋ませる。
「おいおい、ドゥレファリン合金製の扉だぞ……」
 謎の声の主が、呆れたように言った。
 ドゥレファリン合金とは、ドゥレファリンとキドレナリーというふたつの金属を溶解融合させることによって作り上げた、非常に高い高度を持つことで有名な金属のひとつだ。魔法に対する耐性はそれほどではないものの、物理攻撃に対する防御力はアダマンタイトのそれに匹敵する。レアメタルであるアダマンタイトよりもずっと安価で入手しやすい金属であるため、近年では軍事国家の城壁や戦艦などの建材に使われることも多い。ドラゴンのブレス攻撃や爪牙ですら傷つけられぬ、絶対的な堅固さは、とにかく信頼性が高い。
 その、ドゥレファリン合金製の巨大な扉の中央が、砕け散って吹き飛んだ。
 大きく開いた穴から突き出ているのは、拳。大きな拳。
 そして連続する打撃。猛烈なラッシュが合金扉をへこませてひしゃげさせて、拳の形の盛り上がりをいくつも形作る。ついには扉は壊れて、外れて、室内へと飛んだ。
 ドゥレファリン合金はとてつもなく重いことでも知られている。この扉のサイズからいって、左右のうち片側だけでも総重量はおよそ四トンを超えるだろう。それが、ただのパンチによってぶち壊されて宙を舞う様子は、まさに悪夢だ。
 ドガン、ドガンと音を立てて、扉が転がっていく。
 扉のあった場所の向こうに立っていたのは、巨人だった。拳を突き出したポーズのまま、にやりと笑っている。
「なんて硬い扉だ。この俺が……開けるのに十秒以上もかかっちまうとはな!」
 巨人族の若き勇者、ウィルダネス・ドストロイ。身長、三メートル五十センチ。小山のごとき体格を覆うのは、凄まじいまでに隆起した筋肉。見事なスキンヘッドと、いかつい顔立ちが特徴的。背負う戦斧が武器だが、防具らしい防具は身につけておらず、上半身は素っ裸だ。それは自身の圧倒的な肉体に絶大な自負があるがゆえなのだろう。
 その傍らで、小さなため息。
「いまのは、開けたとは言わん。壊したと言うんだ……馬鹿が」
 その少女は、ウィルダネスと比べれば、当然、ずいぶんと小さいが、女性にしては長身の部類だろう。くせのあるショートカットの黒髪は、艶やかな濡れ羽色。気の強そうな真紅の瞳は美しいが、そこにある色がどうしようもなく濁っているのはどういうことか。大きく育った乳房と、くびれた腰、理想的な丸みを帯びた尻のライン、長くみずみずしい両脚。世のすべての女性がおのれの身の不完全さに絶望するであろう、完璧を極めるプロポーション。それらを包むのは、首から下をすっぽりと覆う漆黒のラバースーツ。心臓のある部分を守る胸当てと、足首を保護するロングブーツ。武器は、左手が握る短杖と、右腕が握る剣。
 美しい。美しすぎる少女だ。あのルシーファがゴミに見えるほど、その少女は美しい。
 そしてその美しさと同じほどに凄まじい、邪悪な意思のパワー。
「……まあ、どっちでもいいか。よくやった」
 不敵に、口の端を吊り上げる、少女。
 空気が変わった。
 その少女がこの部屋に足を踏み入れただけで、澱んだ空気が大きく震えた。
 フォビドゥオの身が、わずかに震えた。
 少女の名は、フェアラート・ウィケッド・セルフィッシュ。
 そして、背後に立つのは、彼女のパーティ《黄金の栄光》のメンバーたちだ。
 ハイエルフの魔法使い、シェラザード・ウォーティンハイム。
 人間族の神聖魔法使い、ユーフィーナ・ソグラテス。
 人間族の軽戦士、ジェラルド・ロウ・オッツダルヴァ。
 そして、やはり人間族の、アキヒコ・シキムラ。大剣使いの新参者。
「ほう、これはこれは……」
 謎の声の主は、驚いていたようだったが、それから立ち直ったとなると、いままでにないほど嬉しそうな声を上げていた。
「面白い。じつに面白そうだ。さっきまでの連中とは違うようだな。よし、今度はおまえたちが自分の実験に付き合ってくれるというわけだな? いいぞ、じつによろしい! ちょっと待っていてくれ……新しい記録用紙を用意するから」
「ふん……どこの国の研究者だか知らんが、それぐらい最初にちゃんと準備しておけ、馬鹿が」
 嘲りの色を隠さない、フェアラート。
 なにやらごそごそと聞こえていた音が、やんだ。
「……どうしてそう思う?」
「あの扉はドゥレファリン合金だろ? 見れば分かる。古い建材に見えるよう、上手いこと偽装していたがな。この遺跡は何百年も昔に造られた代物らしいが、あの扉だけは毛色が違ってやがる。せっかく古代文字を使って雰囲気を出したっていうのに、扉そのものが新技術の塊っていうのが、なんともお間抜けだぜ」
 フェアラートの瞳は濁っている。が、そこには、非常に深く鋭い知性の気配があった。
「おおかた、うちの学園の生徒をおびき寄せて、新型兵器の実験でもするつもりだったんだろう? さっそくクズどもが引っかかったようだがな……ええと、おい、おまえ」
 まだへたり込んだままのセラを指差す、フェアラート。
 名前を思い出せないようで、顔をしかめている。
「なんだ、ほら、おまえ、あれだ、あの馬鹿のパーティの……」
 そのとき、いきなり振り下ろされたフォビドゥオの腕が、セラをあっけなく圧殺して床の染みに変えた。
 生暖かい血と肉を滴らせながら、フォビドゥオは腕を持ち上げる。そして、その奇怪な目玉をぎょろりと動かして、フェアラートを見た。
 フェアラートは、やり場のなくなった指先を下ろし、舌打ちした。
「なんて醜い化け物だ。目のやり場に困るぜ」
「そう酷評されては傷つくな。これでも、自分の大切な作品だ」
 言葉とは裏腹に、それほど傷ついた様子ではない声色。
「――さて、記録用紙の準備は整った。諸君らのお相手をつとめるのは、自分の作品、フォビドゥオ。実験体ナンバー三〇九ともいう。存分に戦ってくれたまえ」
「おまえの名前は?」
「ん? そんなことを聞いてどうする?」
 心底からの台詞なのだろう……不思議そうな声に、フェアラートは、獰猛な表情を浮かべた。
「おまえみたいなタイプのクズは、いち早く殺すことに決めている。……いずれ痛めつけて始末してやるから、名乗っておけ」
 尋常の人間ならば身体が凍えるほどの威圧。悪鬼のオーラ。
 だが、声の主は動揺した気配を見せなかった。
「そいつを倒せたなら、お教えしよう。では、ゲーム・スタート」
 楽しげな声を合図として、フォビドゥオの胸が振動した。
 ずっと突き刺さっていたままの大剣、《破砕刃》が、アレアに対して行ったのと同じように、筋肉の収縮を利用して発射されたのだ。
 柄を前に向けて亜音速で迫る、魔大剣。
 フェアラートは不敵な笑みを崩さず、前方に短杖をかざした。禍々しい魔力を放つ、捻じ曲がった杖だ。
「止まれ」
 たったひとこと。呪文の詠唱ですらない。単語を発したことによって、フェアラートの眼前に不可視の力場が生まれる。それは砲弾に匹敵する威力を秘めて迫りくる大剣の運動を瞬時にして停止させて、中空に縫い止めた。一瞬にしてこれほどまでの魔法を扱うことが出来る者は、学園でも数えられるほどしか在籍していない。そしてフェアラートはそのなかでももっとも上手く魔法を扱う。
 ピタリと動きを止めた大剣を、あろうことか、その美脚によって頭上へと蹴り上げる、フェアラート。高く舞い上がった大剣は、回転しながら落下し、彼女の後方に立っていたアキヒコの目と鼻の先に落ちた。
 自分のすぐ目の前に突き刺さっている血まみれの大剣に、アキヒコの顔が青ざめる。文字通り、一歩でも間違っていれば大惨事だ。
「いい剣じゃねえか。もらっておけ、アキヒコ」
 悪びれる様子もなく告げて、フェアラートは前へと足を踏み出す。
 不遜な少女を醜い肉の塊へと変えようと、フォビドゥオが猛然と突進してきた。



[9648] 昔のお話。まだおっさんが若かったころ。その五
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2009/12/11 09:12
 今日はさっぱりと晴れ渡った、いい天気だ。
 窓から差し込んでくる日の光はちょうどいい具合に暖かくて心地よい。
 ここ、リノティア学園の第三職員室に、ひたすら平穏な雰囲気が漂っている。足を踏み入れたなら二度と帰っては来られない魔の第三職員室だとか呼ばれて、学園の一〇八不思議のうちのひとつに数えられているこの部屋だが、俺は何度もここを訪れている。噂というのはあてにならんものなのだ。
 メイドが机の上にカップを置く。静かで自然な動作。漆黒の、上等なメイド服。
 マーキアスはそれを手に取り、カップを満たしている紅茶を口に含むと、満足げにほほ笑んだ。
「うむ、よい香りです。味も素晴らしい。また腕を上げたようですね」
「ありがとうございます、ご主人さま。お褒めにあずかり、光栄の極み」
 メイドは、腰を折り、深く頭を下げた。
 マーキアスは、ますます笑みを深める。
「はっはっは。そうしていると本物の侍女のようですねえ」
 能天気な、その言葉。
 頭を下げたままのメイドのこめかみの血管がブチ切れて、一筋の血液が流れ落ちる。
「いつもそうしていれば、かわいげが増すというのに……いっそのこと本当に侍女として就職してみますか? 私の知人の貴族を何人か紹介しますよ、フェアラート」
 ……メイドは、俺だった。
 えへ。えへへへへ。
 え、笑顔が引きつっちゃうなあ、だめだなあ、ちゃんと笑わないと駄目だなあ。俺。じゃなくて、わたくし。えへへっ。
「も、申しわけありません、ご主人さま。お断りさせていただきます。わたくし、いまだ未熟の身ですから」
「いやいや、たいしたものですよ。その衣装も、じつに似合っています」
 えへっ。うへ、あはははは、へっ、へへへっ、あはははははっ!
 ブチ殺しちゃってもいいですか、ご主人さまっ?♪♪♪
 け、血管、わたくしの頭の血管、ダース単位でブッちぎれちゃってますよぅ♪♪
「ところで、こうしてあなたを呼んだのは、ほかでもありません……あなたにそんなふざけた格好をさせるためではないのですよ」
 あ、あなたがわたくしにこんな格好をさせたんですよねえっ、ご主人さま★★★??
 ぼぼぼ、ボケちゃったのかなああっ??★★
 ぶっ殺しちゃいますよ、ご主人さまっ♪ おかえりなさいませー、いってらっしゃいませー、うふふふふっ、ぶっ殺す♪♪
「……さっさと着替えてきなさい。あなたがそんな服装では、真面目な話ができそうもありません」
 らめええええええっ! 
 憤怒と憎悪で、脳味噌が沸騰しちゃうのおおおおおっ!
 もうだめっ、もう決めたっ! もう決めたのっ!
 もう絶対にぶっ殺しちゃいますっ、ご主人さま♪♪★★★★★★
 覚悟しておいてくださいね???♪♪♪
 いずれ、そのうち、確実に、絶対、ぜったい、ぜええええったいに、地獄と呼ぶことすら生ぬるい、この世のものとも思えぬ、阿鼻叫喚な死にざまをプレゼントしちゃいますから♪♪★★
 あなたのメイド、フェアラートが、真心をこめて、ね?♪♪★★★




 自分の血で汚れまくったメイド服を脱ぎ捨てて、学園の制服に着替える。純白を基調としたブレザー。スカートが極端に短いのは、俺の手による改造だ。そのおかげで俺の素晴らしき脚、白磁の色艶と理想的な肉付きの健康美を誇る史上最高の美脚が、思う存分に威光を放っている。やはり美女はいつもエロく、男の劣情と女の嫉妬を集めねばならない。それが美しく生まれた者の宿命、そして使命だ。ようするに目立ちたいのだ俺は。
 マーキアスの目の前で着替えたのだが、このクソ忌々しいネクロマンサーは俺の裸体よりも紅茶のほうにご執心だ。かなり満足そうに飲んでいやがる。俺の超絶美貌に目もくれないとは、こいつ、チンポついてるのか本気で? わりと真面目に疑わしい。
 中身を飲み終えて空になったカップを机に置くと、マーキアスは椅子に深く座り直し、背もたれに背をあずけてリラックスした姿勢をとった。
「では本題に入りましょう。あなたのパーティーに、《ルノス古代遺跡》の調査を依頼したいのです」
「聞かん遺跡だな」
 ソファに深く腰かけて脚を組む、俺。机のマーキアスとは向かい合うかたち。
 俺は、現在の学園が保有しているダンジョンを、すべてこの脳みそに叩き込んで記憶している。そこに、《ルノス古代遺跡》とやらの名は見当たらない。
 マーキアスはうなずいた。
「最近になって新発見された、辺境の遺跡です。五百年ほど昔の代物だとか」
 新たな遺跡が発見されることは、珍しいが、ないというわけではない。世界は広く、歴史は長い。俺たちが知らない文明の、まったく誰にも見つかることもなく何百年も隠されていた古代遺跡が、ある日ひょっこりと見つかる……そんなこともある。
 そんな場合、まず間違いなく始まるのが、そのダンジョンの争奪戦だ。
 新発見された、ということは、いまだ手付かずの状態だということだ。普通のダンジョンというのはすでに誰かの手が入った状態で、目ぼしいお宝は持ち去られたあとだし、隠し通路のようなものもすべて発見し尽くされている。つまり、絶対的に、うま味が半減した状態なのだ。
 が、今回の《ルノス古代遺跡》の場合、そういうのはないだろう。なにせ見つかったばかりだからな。隠された財宝はそのまま残っている可能性が高い。
 もちろん、危険はある。誰も手を触れていないということは、未知だということだ。ダンジョンにおいて未知ほどの恐怖はないだろう。どこをどう進めばいいのかも分からないし、どんなトラップがあるのかも分からず、そこに潜んでいる魔物の強さも分からない。攻略しようにも、対策の立てようがない。これは、凄まじく厄介だ。
 まあ、そんな危険を承知していても迷宮に挑むのが、冒険者というものなのだが……。
 むろん、この俺も。
 新たなダンジョンを放っておくという手は、まずありえない。
「俺らが一番乗りか」
「いいえ。高等部のパーティー《黄昏の魔天使》が、昨日の夕方に出発しています」
 くそっ、知らなかった。
 ダンジョンの発見という情報はものすごく大切だから、いつも気を使っているのに。
 昨日は二日ほどかけて攻略したダンジョンから戻ったばかりで、そのあとの処理に追われていたから……マッピングした地図の清書やら、アイテムの整理やら、入手した宝物の整理整頓、売却やら……いろいろあったせいで、耳に入れるのが遅れたようだ。とんだ失態だ。俺らしくもない。
 それにしても。
「なんだ、その、《黄昏の魔天使》ってのは。知らんパーティーだな」
 本当に疑問だったのでそう言っただけなのだが、マーキアスはなぜだか眉根を寄せた。
 ため息までつかれた。
 なにそれ。むかつく。
「あなたと同じ《三本の剣》のひとりに数えられる、ルシーファ・シュメァツェンのパーティーですよ」
「え? ああ……あいつか……」
 思い出した、思い出した。
 ルシーファというのは、俺と同じ学年の、ただのアホだ。
 薄汚い銀髪、柔弱な女顔、ひょろひょろとしていて頼りない肉体。ふざけた性格。うっとうしい取り巻きの女ども。なんというか、俺の好みに合う部分がまったくといっていいほど存在しない、この学園のカスのようなクズ野郎だ。思い出すだけでも気分を害するものだから、記憶から抹消してしまっていたよ。
「あんな奴が、なんだって? 《三本の剣》? ああ……そういえばそんな呼ばれかたもあったな。俺とラファーガと、あと誰かひとり……どうも名前を思い出せないと思ったら、あのアホのことだったのか」
 ま、俺にとっては、くだらんとしか言いようがない。
「《三本の剣》? 《二本の剣》の間違いだろう? 俺と、ラファーガだ」
 知力、体力、精神力。総合的な強さから言えば、それがふさわしい。
 ラファーガ・クェサ。あの竜人族だけは、さすがの俺も、その強さを認めざるをえない。戦ったところで負けるつもりはないが、勝つためには俺のほうも死を覚悟しなければいけないだろう。あの圧倒的な戦闘能力は、ぜひとも我が手駒として欲しいと思っているところだ。
 マーキアスは、やれやれと肩をすくめた。
「そういう言い方はよくありませんね。あなたとラファーガが突出しているだけですよ。ルシーファもけっして弱いというわけではありません。リノティア学園の生徒としては十分すぎるほどです。ゆえに《三本の剣》に数えられているのでしょう」
 俺たちから大きく引き離された三番手として、な。
 あんなクズなど、せいぜいレベル三〇〇程度の雑魚だ。うちのパーティーだと、参加する資格すら与えられない。そういう点では、ディムの奴は失格だったのだが、あいつは俺の足元ぐらいには及ぶ頭脳の持ち主だったから特例だ。結局は死んだが。
 まあ、それはどうでもいいことだ。
「あの野郎が攻略できる程度のダンジョンなら、出向いたところで収穫はなさそうだな」
 ダンジョンとは危険であればあるほどいい。強い魔物がうじゃうじゃと出現して、難解なトラップがあればあるほど、より希少価値のある宝物が手に入る。
 ルシーファとその仲間どもが苦もなく制覇できるダンジョンなら、わざわざ俺が動くまでもない。
 ただ、それならそれで、マーキアスが俺に依頼してくるわけもない。
「報酬を前払いで差し上げましょう」
 と、そう言ったマーキアスが軽く掲げた手のひらから、一本の杖が浮かび上がるようにして出現した。
 捻じ曲がった形状と、滲み出る禍々しい魔力の凄まじさ。
 俺は思わず、息を呑む。
「おいおい、そいつは?」
「短魔杖、《捻れ狂う魔王の腕》。これをお使いなさい。あなたの技量ならば、呑まれることもないでしょう」
 ふわり、と浮かんだ短魔杖が、中空を漂ってこちらに向かってくる。
 俺はためらうことなく、《捻れ狂う魔王の腕》を掴んだ。
 そのとたん、膨大な量の魔力と、狂気と、恐怖と絶望、ありとあらゆる負のエネルギーが、俺の内側へと流れ込んでくる。
 この魔杖、とんでもない呪いのアイテムだ。こうして手に持っただけで、並みの魔法使いならば一瞬にして魂をズタズタに引き裂かれ、極限の苦しみを味わいながらのた打ち回って死ぬだろう。
 俺は、いままで鍛え上げてきた技量と精神力を総動員させて、魔杖の呪いをねじ伏せた。
 制御に成功。
 これでこいつは、俺の忠実な道具になった。
「素晴らしい」
 マーキアスがほほ笑む。紅茶を飲むときよりも満足そうに。
 ……ふん……余裕たっぷりの顔をしやがって。いずれこの絶大な魔力が自分に向けられることを知っていて、それでもそれを楽しみにしていやがる。狂った男め。
 とはいえ、この狂人、その実力だけは本物すぎるほどに本物だ。この俺でさえ、足元にも及ばない。マーキアス・グラン・ゾルディアス。史上最強の屍霊術士。俺の師匠にして宿敵。
 森羅万象を敵に回したところで勝ってみせると自負するこの俺だが、この世にたったふたりだけ、頭の上がらない人物が存在する。マーキアスは、そのうちのひとりだ。さっきの屈辱的なメイドプレイを承知せざるをえなかったようにな……。
 ただし、このまま、こいつの弟子でいるつもりは、毛頭ない。
 いつか勝つ。
 そして、殺す。
 俺は、それだけは、ずうっと心に決めてあるんだ。
「受け取ったということは、《ルノス古代遺跡》に向かってくれるのですね?」
「どうせ拒否権はないだろうが。――で、今回はどういう厄介ごとが待ち受けてるんだ?」
「さあ? 詳しいことは私にも分かりかねます。……ただ、少しばかり嫌な予感がする。あの遺跡が、ただのダンジョンだとは思えない。それだけですよ」
 あっ、そう。
 まったく、クソ忌々しい。
 おまえの嫌な予感は、絶対と言っていいほどに当たるからな。
 まったく、忌々しいことこのうえない。俺の平穏は、どうやら遠いな。




 俺が廊下を通るだけで、行き交っていた生徒どもは左右に分かれて静まり返る。
 こちらに向けられる、数多の視線。そこにこめられた感情は、畏怖、恐怖、嫉妬、怒り、憎悪、などなど。あまりいいものとも思えないが、まあ、クズどもの負の感情を着飾って美しくなるのがこの俺という女だ。俺をさらに美しくしてくれるこいつらには感謝しなくてはなるまい。
 マーキアスの部屋を出た俺は、まっすぐに居住区五番街へと向かっていた。パーティールームのある一画だ。そこで、《黄金の栄光》のメンバーと合流する予定になっている。
 連絡に使ったのは、召喚し、手紙を持たせた幼竜どもだ。まだ体が小さくて爪も牙もあまり使い物にならんが、ちょっとした炎なら吐けるし、空を飛ぶ速度はけっこう速い。そいつらを、メンバーどものもとへと飛び立たせた。奴ら、いまは自由行動をとっているので、こうして連絡して待ち合わせる必要があるのだ。
 昼下がりのこの時間なら、シェラザードは森の木陰で読書、ジェラルドは修練場でひたすら訓練、ウィルダネスは闘技場で大喧嘩、ユーフィーナは教会でお祈りの真っ最中といったところか。アキヒコは知らん。だが幼竜は鼻がよく、連中の匂いを覚えているので、間違いなく手紙を届けてくれることだろう。
 居住区五番街までの道のりは、果てしなく遠い。歩いて行くとどれだけ時間がかかるのか分からん。この建物を出たあとで、乗り物を調達する必要があるだろう。天馬かなにかでも召喚するか……。
「フェアラート!」
 背後から聞こえた馬鹿でかい声が、俺の歩みを中断させた。
 覚えのある声だ。
 俺は、舌打ちしそうになるのを堪えて、できるだけ平然とした表情で振り返る。
 果たして、俺の視線の先、廊下の向こうからこちらに歩いてくるのは、俺と同じく白い制服に身を包んだ金髪の女だった。
 その女は、俺と比べれば哀れになるほど醜いが、世間一般のクズどもの価値観に当てはめれば、まあ、美少女ということになるんだろう。長い金髪を後頭部で結って、ポニーテールにしている。鋭い目つき。整った鼻筋。薄い胸。それなりにいい形の尻と、長い脚。
 マーガレット・フォンソフィールというのが、この女の名前だ。俺よりも二歳ほど年下の、この学園の生徒。
 ズカズカと音を立てそうな足取りで俺に近づいてくる、マーガレット。その顔は赤い。頭頂部から湯気でも出しそうだ。
 無理やり完璧な笑顔を作る、俺。
「そんなに声を大きくして……いかがいたしましたか、フォンソフィール?」
「いかがもなにもなくてよっ、フェアラート!」
 俺の目の前に立ったマーガレットは、両手を腰に当て、ちょっと高いところにある俺を見上げた。俺は背が高い。マーガレットはチビだ。
「無礼者! 見世物ではなくてよっ! 全員、すぐさま立ち去りなさい!」
 周囲を見回し、一喝。マーガレットの言葉に気圧されて、周りに立っていた生徒どもが慌ててこの場からいなくなる。
 さすがにフォンソフィールのお嬢さまに逆らえるような奴は、ここにはいない。
 この、お嬢さま。マーガレット・フォンソフィールは、エルィストアートの王都で大きな顔をしている大貴族の、そのご令嬢なのだ。その貴族、この学園に多額の出資をしているとあって、運営にもいろいろと口出ししてくる厄介な一族だ。で、そのお貴族さまが目に入れても痛くないほどかわいがっているのがこのマーガレットなわけで、当然、誰もがそれを知っているものだから、こいつには逆らえない。機嫌を損ねれば五秒で退学だからな。
 そういうわけで俺もこいつにはあまり乱暴なことはできん。パーティーのメンバーどもには絶対に見せない慇懃な態度と言葉遣いで、できるだけ丁重に接してやるのだ。くそったれ。
 誰もいなくなった、校舎の廊下。
 俺とマーガレットは見つめ合う。
「どうして、昨夜は、来てくれなかったの?」
 俺以外の者の目がなくなると、突然、マーガレットは雰囲気を変えて、子供っぽく、拗ねたような声を出してきた。
 昨夜……? マーガレットの質問は、記憶にないことだった。
 柔らかくほほ笑み、俺は訊く。
「失礼ですが、昨夜、とは?」
「なっ、……本気で言っているのかしら、フェアラート?」
 怒りの気配を滲ませるマーガレットだが、あいにくと、知らんものは知らん。
「わたくしの部屋に、どうして来なかったの?」
 なに?
「お約束は、なかったはずですが」
「ええ、そうね。でも、わたくしが来いと思ったなら来るのがあなたの責務でしょう」
 なんだそれは。知るかよボケ。
 生まれたときからすべてを思い通りに動かしてきた、大貴族の思考か。脳みそが天気でうらやましい限りだね。死ねばいいのに。
 けれども、怒鳴り散らすことはできない。こいつは超有力貴族の令嬢……まともに逆らうことは許されない。なんて、忌々しい。
「申しわけありません、フォンソフィール。昨夜は迷宮探索から帰ったばかりで、その事後処理に追われていました」
「そんなもの、部下に任せておけばいいでしょう!」
「あいにくと、自分でやらなければ気がすまない性分でして。申しわけもありません」
 ああ、うっとうしい。クソ忌々しい。
 俺はなんにも悪くないのに、なんでこんな小娘に頭を下げなければならないんだ?
 こいつが大貴族でなかったなら、いますぐにでも脳味噌を木っ端微塵にしてやるのだが。
 マーガレットの鼻息は荒い。
「そっ、そんなにわたくしと会いたくないの!? 理由をつけて避けているの!?」
「まさか……そんなことがあるはずがないでしょう、フォンソフィール」
 あるけどな。
 ま、最近こいつと会ってないのは、身辺が忙しくて空き時間を作れなかったことが最大の原因だが。
 理由があってもなくても会いたくはない、というのが本音だ。
 それを表情に出すわけにはいかないというのが悲しいところだね。
「だったら証拠を見せて」
「……証拠?」
 なんだよ、なにを言い出すつもりだよ、こいつ。
 マーガレットは、たちの悪い悪戯を思いついたような、クソむかつく表情を見せた。
「名前で呼んで。そして……ここでわたくしにキスをしてみせて」
 あああああああ、うぜえええええええっ。
 色気づいたメスガキめが。死ねよクズ。
 周囲には誰もいないが、もしも何者かに見られていたとしたらどうするつもりなんだ、こいつ? 俺はかまわんが、自分はいいのか? しかし、やれと言われたからには断ることもできない。こいつの機嫌を損ねることは、できれば回避したい。
 小さな声で呪文を呟き、俺たちの周りに簡易の結界を張る。視界を歪める、光の結界。これで俺たちの姿を誰かに見られることはないだろう。
「……失礼します、マーガレット」
 マーガレットの顎に指を当てて顔を上向かせ、俺は、メスガキの小さな赤い唇へと、そっと優しく口付けた。
 ほんのちょっと、触れたかどうかも分からないほどの、俺からすればお遊びのキス。
 こんなものでも、世間知らずのご令嬢にとっては刺激的だったようだ。
 俺が唇を離したとき、目の前には、顔を真っ赤にして目の色を蕩けさせ、陶酔したような表情になっているマーガレットがいた。
 その色ボケした顔のまま、マーガレットが抱きついてくる。
「ああ、フェアラート……大好き……愛しているの……」
 ……レズビアンめ……。気持ちが悪い。
 こいつとこんな関係を持ってしまったのは、つい半年ほど前のことだったか。
 学園のトップに立ち、絶大な勇名を轟かせている俺を、こいつは疎ましく思っていたらしい。生まれたときから勝利者であり、ちやほやされ、誰よりも注目を集めていたマーガレットにとって、この学園では自分よりも目立つ存在である俺のことが、ひたすら気にくわなかったらしいのだ。
 当初はいろいろと嫌がらせを受けた俺だが、ろくに相手にしなかった。もちろん、無抵抗ではなかったけどな。マーガレットの指示を受けて集団でやってきたごろつきどもは素っ裸にして縛り上げたあと人食いゴブリンの巣穴に放り込んでやったし、俺を陥れようと画策していた教員は二度と自分の足では立ち上がれないようにしてやった。俺に危害を加えようとした奴は許せない。必ず痛めつけて苦しめて、地獄を味わわせて後悔させる。それが俺の流儀だ。
 それらがマーガレットの指図によるものだという証拠は掴んでいたが、俺はあえてこのメスガキを放置しておいた。たとえこっちに非がなかろうと、けっして手出ししてはいけない領域というものが、この世にはある。
 で、そのうち、なかなか思い通りにいかないものだから苛立ったのか、ついにマーガレットご自身がのこのことやってきた。
 ……いまになって思い返すと、そこでも無視をきめこんでもよかったのかもしれない。
 が、半年前の俺は、どうも遊び心というものに勝ってなかったらしい。
 この、高慢ちきでクソむかつく、生まれてから死ぬまでずっと勝利し続ける運命を約束されているはずの小娘が、声を高くして自分の敗北を認め、あさましく喘ぎながら哀願の言葉を並べる瞬間というのを、どうしても見たくなってしまったのだ。
 だから、返り討ちにしてやった。
 つまり、ベッドに押し倒して素っ裸にひん剥き、あの手この手を使ってさんざんよがり狂わせたあげく、俺を二度と害そうとすることがないように誓わせたのである。
 いやあ、あのときは楽しかったなあ。
 普段は冷静沈着、傲岸不遜、王都の有力貴族の次期当主として好き勝手に振る舞っているマーガレットが、その綺麗なお顔を涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃに汚しながら、獣のような声を上げて泣き喚き、俺の足を舐めて屈服したんだ。最高に痛快だったなあ、あれは! あはははははっ!
 ……しかし、楽しい時間はそう長くは続かないのだった。
 どうも、マーガレットというガキには、レズの気があったらしい。
 あの夜からというもの、嫌がらせを仕掛けてくるということはなくなったが、しつこく俺に付きまとい、熱っぽい声で甘えてくる。しかもまるで俺と相思相愛であるかのような顔をしやがるのだ。
 うっとうしいこと、このうえない。
 だから女は嫌なんだ。気まぐれにちょっと遊んでやっただけなのに、すぐに恋人であるかのような顔をする。これまでも何度かこういうことがあったというのに、俺の遊び心め……学習をしろ。くそ。
 俺も女だが、マーガレットとの最大の相違点は、俺は同性愛者ではないという点だ。
 そりゃあ、俺はいちおう、女とだって寝ることができる。相手が男だろうが女だろうが喜ばせる方法を知っている。けどそれはあくまでもその方法を知っているだけ。女が好きだというわけではない。というか男も好きではない。俺は誰も彼も嫌いなのだ。ただ、世渡りの手段として、セックスのテクニックを磨いたというだけの話。愛がなくてもセックスはできる。
 そもそも、他人を愛するというのが俺にはわからん。
 肉親を愛するというのであれば分かる。血のつながりこそが最後に残るものだ。血縁はすべての感情を凌駕する。だから、肉親を愛するというのであれば、俺には痛いほど理解できる。
 だが、赤の他人を愛するというのは、どういうことなのか、いまいちわからん。肉親ですら、ときには争う。ましてや、いつ裏切るかもわからない相手に無防備な自分を見せるなどと……アホなのかしら?
 蕩けたような表情でこちらを見上げ、マーガレットは言った。睦言のように。
「ねえ、フェアラート。いつになったらあなたのパーティーに加えてくれるのかしら?」
 また、その話か。
 いい加減にあきらめろ、雑魚。
「マーガレット。私のパーティーは危険なダンジョンにばかり挑みます。あなたの身の安全は保障できません。あきらめてください」
「あら、わたくしだってレベル一五〇なのよ。あなたの足手まといにはならないわ!」
 だからその程度じゃ雑魚だって言ってるんだよっ。わかれよっ、阿呆!
 こいつのレベルは確かに高い……優秀な魔法使いだといえなくもない。まともな連中のなかでは、な。
 レベルというやつには、限界がある。それは当人の才能の高さや努力の度合いによって決まってくる。
 なんの才能もないくせに努力もしないカスゴミでは、一生かけてもレベル三〇そこそこ。
 死に物狂いで努力をした凡人なら、レベル一二〇くらいには届くだろう。
 そこから先は、天才の領域だ。
 普通の天才なら、レベル一五〇くらいには自然となる。そいつが努力して才能を磨き上げれば、レベル二〇〇から三〇〇くらいってところか。
 で、並外れた真の才能を持ち、桁外れの狂ったような修行を積めば、レベル四〇〇という大台に到達できる。望めば英雄になることすらたやすい、絶大なパワー。
 シェラザード、ジェラルド、ウィルダネスやユーフィーナは、いずれもレベル四〇〇を軽く超える。巨大な才能の塊を、信念という研磨材によって磨きぬいた、本物の実力者。
 そして、奴らを従えるこの俺は、レベル七二〇。天才と努力の極北。
 はっきりいって、うちのパーティーは俺を含めてどいつもこいつもまともではない。
 だけどそれでいい。
 俺のパーティー《黄金の栄光》に、まともな奴などいらん。
 欲しいのは、ただひたすらまともではない戦闘力を持つ、屈強な連中。思う存分、俺のために働ける、力強い手足どもだ。
 レベル一五〇ごときの雑魚など、雑用として使うことすらできない。邪魔なだけだ。うろちょろしてると目障りだ。
 それがどうしてわからない……?
「それとも、わたくしのパーティーに加わる? あなたならいつでも歓迎するわよ、フェアラート」
 ……あまり思い上がって俺を怒らせるなよ、マーガレット・フォンソフィール。
 ちょっと本気で手間と時間をかければ、誰が犯人なのかも分からない方法でおまえを始末することぐらい、俺には簡単なことなんだぞ。
 まあ、しかし、《青薔薇探求者同盟》のぬるま湯に浸かりきっているこいつの認識では、自分がかなりの実力の持ち主ということになっているんだろう。
 《蒼薔薇探求者同盟》。貴族冒険者どもの高級社交クラブ。
 貴族というのは、大概が自分の境遇に満足しているものの、あまりにも順調に行き過ぎる人生についてちょっと退屈に思っている奴が多い。
 そうした連中が刺激を求めて迷宮やら魔物やらに挑んだのが、つまり貴族冒険者だ。酔狂な馬鹿ども。どうにもこの世の現実ってのを分かっちゃいない、能天気なクズども。
 貴族冒険者は、世界各地に数多く存在していて、独自の繋がりというか、クラブを作って集まることを好む。《蒼薔薇探求者同盟》はこのエルィストアート王国ではもっとも大きなクラブだ。もちろん、マーガレットも会員のひとり。
 で、そのクラブの活動内容はといえば、たとえば、自分がどんなところに冒険に行って、どんな危険な魔物を倒しただとか、どんな珍しい宝物を持ち帰ってきただとか、そういったことをお互いに披露し合い、見せ付けあい、自尊心を満足させて悦に浸っている。
 ようするに、酒場でごろつきどもがやっていることと変わりはない。
 ただし俺は貴族どもをより深く嫌悪し、軽蔑する。
 しょせん、貴族にとって、ダンジョンに潜ることも魔物と戦うことも、お遊びのひとつでしかない。退屈だからはじめてみた。それだけ。俺たちのように、自分の人生や生活をかけて戦っている者はいない。甘ったれた、おままごと。資金力にものを言わせ、身のほどに不釣合いな装備を揃えて、強いメンバーを山ほど雇って、自分の絶対的な安全を確保した上でしかダンジョンに足を踏み入れない。
 まったく、甘っちょろい。
 死線を踏み越えてこそ、得る価値のあるものが手に入るというのに。
 貴族冒険者どもには、とにかく、戦うための覚悟がない。
 そういう連中は、俺の好むところではない。
「マーガレット。それにしても、来週の舞踏会は楽しみですね」
「え? ……ええ、そうね。またあなたの珍しい宝物が見られるし、楽しいお話も聞かせてもらえるのでしょう?」
「もちろんです。今回は、前回よりもずっと希少なアイテムをご覧に入れます」
「まあ! 楽しみだわ。《氷の竜の逆鱗》に、《火山の核》、《黄金の蝶》……あなたのコレクションを見せられたときのみんなの顔ったら、笑っちゃうほどお間抜けだったものね。あの厭味なルーケス伯爵が腰を抜かすような、とびっきりのレアアイテムをお願いするわよ?」
「はい、承知いたしました。彼の鼻っ柱をへし折ってさしあげますよ」
「うふふふっ、それはいいわね」
 無邪気に笑う、マーガレット。
 俺が苦労して手に入れた宝物の数々を、おまえらごときに見せてやるというのも勿体のない話だが……これも、俺の立場をさらに高めて固める行程だと思えば、我慢できんこともない。
 そう、うっとうしくてたまらん、ひたすら邪魔な小娘だが、利用できる点は数多い。
 フォンソフィールの家が持つ、権威と権力、人材と財力と政治力、影響力……それらは、マーガレットを上手く使いこなすことができたならば、俺にとって少なくない恵みをもたらしてくれることだろう。
 なんだかんだいっても、好意を向けられるというのは、嫌いではない。利用できるからな。
 使えるものはすべて使うのが、俺のやりかただ。
 こいつのことも、搾り取れるものは搾り取れるだけ搾り取って、用済みになったらゴミのように捨ててやる。
 俺はマーガレットの瞳を見つめた。
「あっ……フェアラート?」
 なにか言ったマーガレットの顎を掴み、再び、その唇を奪う。
 今度は激しく、貪るように。舌をねじこんで相手の口内を蹂躙する、熱烈なディープキス。
 マーガレットは突然のとことに驚き、目を見開いたようだったが、知ったことではない。抵抗するように俺の胸を押し返そうとしていた腕が、だらりと垂れ下がるのに、それほどの時間はかからなかった。
 きっかり一分間。
 手練の俺のテクニックを駆使されたマーガレットは、やっとキスが終わったとき、荒い息を繰り返しながら快楽の余韻に酔いしれている、ただの発情したメス犬と化していた。俺がその腰に腕を回して支えていなければ、すぐさまだらしなくへたり込んでいるところだろう。
 マーガレットの耳元に口を寄せて、甘く囁く。
「大人のキスですよ。……明日の夜をお楽しみに。気絶するまでかわいがってさしあげますから」
 それだけ言って、俺はきびすを返した。
 背後で、マーガレットが倒れる音が聞こえたが、どうでもいいことだ。せいぜい蕩けているがいい。
 ……マーキアスの依頼を明日の昼までには終わらせておかなければなるまい。
 まったく、俺には休む暇さえないのだ。仕事が向こうからやってくる。やるべきことが際限なく山積みだ。できる女というのは辛いねえ。
 と、ため息をついていたところ、やっと校舎の外に出ることができた。この学園、無駄に広すぎるのが難点だな。廊下を歩くだけで十分も二十分もかけさせるなよなあ、まったく。
 さて、ここからパーティールームのある区画までは遠い。
 騎乗竜でも召喚するか……?
 こういうとき、空間転移を使うのは、あまり賢いとはいえない。あの魔法、とてつもなく魔力を消費するので、基本的に、通常の移動手段を使うほうが効率がいいのだ。
 ――おや?
 使い走りに出していた幼竜どもが帰ってきたようだ。俺が飼いならしてある、ドラゴン族の子供たち。キィキィと鳴きながら、こちらに飛んでくる。よしよし、五匹ちゃんと帰ってきたな。しかも同時に。
 幼竜どもの頭を撫でてやりながら、ポケットから取り出した餌をくれてやっていると、一匹の幼竜の足にくくりつけられたままの手紙を見つけた。
 ユーフィーナのところへと向かわせた一匹か。
「おまえ、まさか、サボって帰ってきたんじゃないだろうな?」
 疑ってみると、その幼竜は首を慌てて横に振って否定する。
 なになに? 「ボクはちゃんとユーフィーナさんのところに行ったけど、彼女、読んだ手紙をまたボクの足にくくりつけたんだよぅ」だと? ほほう、そうか。疑って悪かったな。ほれ、餌を食うがいい。
 それにしても、あの赤毛。なんのつもりだ? 読んだ手紙を食う必要はないが、そのまま捨てればいいものを。これまではそうしていたはずだ。
 不思議に思って、その手紙を広げてみる。
 するとそこには、俺の書いた文面の下に、ユーフィーナの字でこう記してあった。
『用事ができたので集合には遅れます』
 ……なんだとぉ?
 ふん、いい度胸だ。
 この俺の命令よりも優先される事態など、あるはずがない。
 どうやらこれは、きついお仕置きをくれてやる必要がありそうだ。
 いいだろう。いまから、俺がじきじきに出向いてやろう。あの赤毛を掴み、無理やり引きずってでもパーティールームに連れて行ってやる。



[9648] 昔のお話。まだおっさんが若かったころ。その六
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2010/01/09 12:17
 リノティア学園というのは、とてつもなく巨大だ。
 なにせ面積だけならここよりも広く大きな施設は大陸中を探してみても見当たらない。この国の王都にすら匹敵する。
 ただ広いだけではなく、学園に暮らす住人たちが不自由しないよう、ありとあらゆるものが可能な限り集められている。それを扱う店も。パン屋から酒屋、武器や防具の店から玩具屋まで、とにかく幅広い。なんでもある。ここだけの話、ごく一部の連中だけが知る娼館も存在している。いや、まあ、経営しているのは俺なんだが。けっこういい儲けになってるぜぇ。教師どもはいいお得意さまだ。
 で、教会も、もちろんある。それもかなり数多い。ひとつの区画につき一件か二件くらいは必ずある。この国の国教には熱心な信者が多くて、朝夕の祈りを欠かさない。そうした連中が困らないようにとの配慮だそうだ。祈りの時間のたびに遠く離れた教会まで足を運ぶのは大変だからな。いつでも行けるように教会をたくさん建てたというわけだ。
 俺がやってきたのは、そうした教会施設のなかでも、特に豪奢なヤツのところだ。
 第五番街、パーティールームの集まる区画の外れに、その大聖堂はあった。
 天に向かってそびえ立つ塔をいくつも揃えたような外観。建設されてから百年以上も建っている。古ぼけていながらも豪壮。視界に入れるだけで吹き付けてくるような、神聖な雰囲気。
 嫌なところだ。
 この俺は暗黒なことばかりやっているものだから、こういう神さまのお膝元って感じの地形効果には弱いのだ。毒沼のど真ん中に突っ立っているような不快感がある。ちょっと気合いを入れれば吹き飛ばせるようなものでしかないが。それでも不快だ。
 ユーフィーナのやつめ……さっさと引きずり出してやる。
 俺はさっさと大聖堂の扉の前まで歩いていって、その巨大な木製の扉をノックした。
「ごめんくださーい」
 だれかいますかー?
 返事がありませんねー?
 だれもいませんねー?
「おっと足がすべったあっ!」
 どがーん、と破壊音。
 うわー、やっぱり古くなってるなあ、この教会。
 ちょっと蹴り飛ばしただけで扉が吹っ飛んじゃったよ!
 これは違法建築、欠陥住宅の疑いがあるね、うん。建設に関わった業者をすぐさま呼んで、事情を問いただすべきだ。……百年前の連中なんて死んでるかもしれないけどな。
「フェアラート! なんのつもり!?」
 あ、ユーフィーナ、いた。髪の毛と顔の区別がつかないくらいに顔を真っ赤にして、こっちに向かってくる。ずしんずしんと足音が聞こえる。うはは、すっげえ怒ってる。
 ユーフィーナの怒りをなだめてやろうと、俺はにっこり笑った。
「ごっめーん、ユフィーちゃん♪ あたしぃ、ユフィーちゃんが集合に遅れるって言うから、なにかあったのかと思ってぇ、心配でぇ、急いで来ちゃったのぉ♪ そしたらぁ、ノックしても誰も返事してくれないしぃ、あたし寂しくってぇ、ちょっと足が滑っちゃったぁ♪ めんごめんご♪」
「さっ、寂しかったら足が滑るの、あなたは!?」
「うん♪ なんかぁ、特異体質ぅ? みたいなぁー?♪♪♪」
「……こっ、この教会は、歴史と伝統のある、とても大切な場所なのよ……」
「あああーんっ、そうなのぉっ? フェアってば、ぜぇんぜん分かんなかった♪ ただのカビの生えたクソでかいだけのクソ不愉快なクソ教会のクソ扉かと思っちゃったの♪ ごめんねー、ユフィーちゃん! ゆるしてっ? ねっ? この通りだからぁ♪」
 おおっと、今度は手が滑ったあっ!
 思わず手から魔法が飛び出てしまったぞ!
 火の玉がユーフィーナの頭上ギリギリを飛び越えて、その向こう、やたら大きなおっさんの彫刻に直撃してしまったあっ! うっはあっ、木っ端微塵だああっ!
 どがーん、という爆発音。
 パラパラと舞い落ちる粉塵。石の欠片や木屑が、俺の頭や肩などに降りかかる。くそっ、汚い。爆発魔法じゃなくて凍結魔法にしておくべきだったか。
 音を立てて崩れ落ちる彫刻の姿を、ユーフィーナは大口をぽかんと開けた間抜けな表情で見つめている。
「ひーひー」
 俺は爆笑している。腹が痛い。
 あ、ユーフィーナがすごい顔でこっちを睨んでいる。
 なんというか、そう、あれだ、修羅?
「あ、悪魔! よくも、聖者の像を」
「ひぃー、ひぃー、ごっ、ごめんねぇ♪ だってぇ、半裸のおっさんの彫像なんてキモいんだもん、あたしの視界が穢れるから吹っ飛ばしちゃったぁ♪ てへっ、フェアったら悪い子ちゃん♪ はんせー♪ ほらほらぁ、ユフィーもそんな怖い顔しないで?♪ 反省したから許してよぅ♪ げひゃひゃひゃひゃ!」
 笑い転げる俺。
 やばいやばい腹筋が崩壊しそう! うひゃひゃひゃははははは!
 ゆ、ユーフィーナの怒った顔、かわいー♪ すっげえ馬鹿面! げらげら。
「死ね……」
 あ。
 本気でブチ切れやがった、赤毛。
 ユーフィーナが身にまとう純白のローブが、風に吹かれたようにはためき踊る。赤毛女の体内から膨れ上がる、凄まじいまでの濃度を誇る魔力のせいだ。
 大気が震える。足元が揺れている。巨大な爆発にも似た魔力の充実。
 ――ユーフィーナ・ソグラテス。十九歳。俺ほどではないものの美形の顔立ちと、燃えるように赤い髪の毛の持ち主。体つきは貧相そのものだが、そのクソ忌々しいほど慈愛に溢れた性格から、学園内での人気は非常に高い。
 《地上の天使》、《神の使い》とまで呼ばれる、神聖魔法使いの神童。
 レベル五八〇。
 こいつは、じつは、けっこう強い。
 ユーフィーナの両手にそれぞれ魔力が集まる。その、大魔法にすら及ぶ魔力の塊と化した両手を、こっちに向かって力強く踏み出しながら、突き出してきた。
 最強クラスのハイエルフ、シェラザード・ウォーティンハイムとすら比肩する魔力を誇る、ユーフィーナ・ソグラテスの魔拳だ。
 いくらこの俺さまといえども、これをまともに食らってやるわけにはいかん。体が跡形もなく消し飛ぶからな。
 床を蹴って、後ろに軽く跳ぶ。
 追撃してくる、ユーフィーナ。ローブをはためかせて後ろ回し蹴り。両足にも莫大な魔力の気配。これも受ければやはり死ぬ。
 俺は体をのけ反らせて回避しながら、こちらも四肢に魔力をみなぎらせることにした。
 風を切り裂き俺の首を狙う手刀を、固めた拳で打ち払う。
 拳と手刀の激突の瞬間、落雷のような音と衝撃が大聖堂の内部を揺るがす。
 神聖魔法使いは非力な後衛職というのが一般的な見解だ。間違ってはいない、が、ユーフィーナだけは例外だといってもいい。
 こいつの手刀はサイクロプスの太い胴体を大根のように切断し、オークの脳天から股間までを一撃で両断する。まともにパンチが当たったトロールがミンチになって飛び散った瞬間も見たことがある。人間破壊兵器だ。
 気合いの声を上げる、ユーフィーナ。俺は、俺の胸元めがけて神速で突き出された手刀を、半身を後ろに引いてかわしながら、この拳に満身の力をこめた。
 右の拳で、がら空きとなったユーフィーナの腹部を殴りつける。ドゴン、という重たい音。俺の魔力が炸裂し、ユーフィーナの魔力がそれを阻んだ。そういう音。
 ユーフィーナの痩躯が、宙に舞う。ひらり、と。
 普通の人間ならば、いまの一撃で消し炭も残さずに消滅して死んでいた。
 だが、ユーフィーナは、大きく中空に浮かんだかと思えば、自重を感じさせないほどの軽やかさで地に降り立った。その身のこなしに、内心で舌を巻く。最強クラスの拳闘士ですら、俺の拳が直撃した威力を逃がすことなど難しいだろうに……。
 素直に賛辞を贈ることにする。
「さすがだな、ユーフィーナ。《鮮血の聖女》のふたつ名は伊達じゃないな」
「うるさい。……その忌まわしい名は、もう捨てたのよ」
 ユーフィーナの表情が、痛みを感じたように険しく歪む。
 うちのパーティーは、どいつもこいつもわけありの連中ばかり。こいつの過去もまた、とびきり面白い経歴が目白押しだ。
 リノティアの白き女神だとか、聖少女だとか……そんなふうに呼ばれているのは、あくまでもこいつの一面に過ぎない。裏を返してみれば、そこには底知れない暗闇が広がっているのさ。
 十年以上も昔、とあるひとつの宗教が、この国にとって大きな問題になった。その宗教、いわゆる異教徒どもなんだが、こいつらがどうも悪魔崇拝や破滅思想を掲げていた連中らしく、国内各地で暴れまわり、国政の裏で暗躍し、この国そのものを転覆させて、乗っ取り、自分たちのためのどす黒い楽園にしようと目論んでいたらしい。
 事態を重く見た国王は、すぐさま異教徒どもの総本山を調べ上げ、国軍を動かしてまでこれの討伐にあたった。
 が、どうにもこうにも、うまくいかない。およそ数千人の軍隊が本気で動いているというのに、異教徒の連中、ちっとも減らない、やられない、倒せない。
 それもそのはず、数百人程度の規模でしかなかった暗黒宗教の信者どもだが、その実体は一騎当千の猛者の集まりだった。古今東西の武術を学び、暗殺術を知り尽くし、拳足を限界まで鍛え上げたうえに、麻薬を使って痛覚や死の恐怖や肉体の限界までも取り除いたドーピング兵士。
 まともにやりあったならともかく、異教徒の総本山は雲を突き抜けるような山にある。長く急斜面のある山道や入り組んだ洞穴、生い茂る木々などの険しい地形は異教徒に味方し、奴らのゲリラ戦術によって国軍は多大な苦戦を強いられていた。
 そこで、国軍のだらしのなさを見かねたのか、国教が手を差し伸べてきた。
 奴らが異教徒を葬り去るために投入してきた戦力は、たったひとり。
 まだ十歳にもなっていない、幼少のユーフィーナ・ソグラテス。
 悪鬼のごとき異教徒どもを相手に、こんな小さなガキになにをさせようというのか……呆れかえるばかりだった国軍の連中を尻目に、ユーフィーナは無言、無表情で、単独で、異教徒の総本山へと歩いていった。
 数千人の兵士たちが半年かけても陥落しなかった、異教徒の城砦。
 ユーフィーナがそれを攻略するために必要とした時間、わずか一昼夜。
 山のふもとまで夜通し聞こえてきたという断末魔の悲鳴がやっと静かになったので、様子を見に行ってみた国軍の連中は、おそるべきものを目にすることになる。
 山道を進軍してみてもかつてのような異教徒による奇襲はなく、ときどき頭上から血が滴り落ちてくるので見上げてみれば、木々から異教徒の死体がぶら下がっている。
 そして最奥地、異教徒の大聖堂、その内部は、すべて、血まみれ。肉片まみれ。
 開けっ放しの正門から外に放たれている、おぞましい異臭。血と臓腑と糞尿の悪臭。
 廊下には無数の人間の内臓がぶちまけられていて足の踏み場もなく、おびただしい量の血液がいたるところでプールを作り、眼球がおはじきのように転がっていた。
 男も女も区別なく、老人や赤子でさえ無慈悲に生命を絶たれ、もの言わぬ死体として、あるいは原型をとどめぬゴミとして床に落ちている。
 剣で斬ったり槍で突いたりしたような殺しかたではない。
 万力のようなパワーで無理やりひきちぎり、巨大なハンマーによって問答無用で叩き潰したかのような。そんなふうに見えたらしい。人間の所業じゃない。
 ユーフィーナにとっては、殺人ではなく、ゴミの解体作業だった。
 極論を言ってしまえば人間を殺すことを職業にしている兵士どもですら、そのあまりの惨状に涙を流し、嫌悪すべき異教徒の魂の冥福を祈り、震え上がって小便を漏らしながら嘔吐した。城砦に踏み込んだ兵士たちのうち、三割ぐらいは気が狂って廃人と化したらしい。
 異教徒どもの教主の部屋。
 そこにユーフィーナはいた。
 震える足をひきずるようにしてやっとそこにたどり着いた国軍指揮官は、声を絞り出すようにして、こう訊いた。
「お……おまえがやったのか……これを、全部……」
 そいつの疑問は当然だっただろう。こんなこと、人間のやることではないし、やれるようなことでもない。人外の領域だ。
 ユーフィーナは指揮官のほうへと向き直りながら、両手で持っていた教主の頭部――首から下はユーフィーナの足元でミンチになってる――を、ぐしゃぐしゃに握りつぶしながら答えたそうだ。
 柔らかくほほ笑んで。
「はい。邪悪な異教徒の生命は、これですべて絶ちました。我らが主もお喜びになられることでしょう」
 そのときの笑顔のあまりの清らかさと、周囲の地獄絵図との壮絶なギャップ。
 血煙の只中でほほ笑む聖少女。
 指揮官は叫び声を上げてその場から逃げ出し、三日後には発狂して悶死した。
 たいしたもんだ。
 ユーフィーナは処刑人だ。いや、人というよりは道具だった。教皇のための道具。神のための道具。
 異端の神に仕える者、国教の教義に背く者、教義を知らぬ者、そして教義を知ろうともしない者、そのすべてに等しく無慈悲な死神の鎌を振り下ろすための処刑道具。自立行動型のギロチン台だ。命令があれば鳩のように飛んでいって、爆撃のように標的を皆殺しにしてみせる。便利なものさ。こいつは、こいつの一族は、生まれる前からそのためだけに生きることを義務付けられる、国教の暗部。誰も触れたがらない恥部。誰もが恐れる深淵の暗闇そのものだ。
 こいつがいまでも一部の連中から《鮮血の聖女》と呼ばれるのは、そういう過去があるからだ。
 だというのに、こいつは。
「私はもう、誰もこの手で殺めない」
 こいつは、いまさら、そんなことを言う。
「自分ではなにも考えずに行動することの、空虚な心地よさと、愚かさ。それを私は知ったのよ。神の声は聞かされるものではなく、聞くものだわ。……私は二度と、あんな過ちを繰り返さない」
 こいつは、じつに愚かなことに、いまさら自分のやってきたことを悔いているらしい。
 人間を殺すのはもうたくさんだ、ということだそうだ。
 俺のパーティーに加わっているのは、かつての虐殺に対する贖罪の方法を探すためだとかなんとか。まあ、自分を痛めつける苦行にはなるわな。最低最悪の地獄にばかり好んで飛び入るパーティーだからよ、うちは。
 しかし、まあ。よくもいけしゃあしゃあと。
「おいおい……嘘つくなよ。誰も殺めないとか言っているわりに、さっきから俺を殺そうとしてるじゃねーか」
「だって、あなたは人間じゃないでしょう?」
 なんて女だ。にっこり笑いながら言いやがる。
 そしてすぐにその笑みをかき消した。ユーフィーナの蒼い瞳に灯るのは静かな殺意。
「――悪魔よ、あなたは。ディムを虫けらのように殺したことは絶対に許さない」
「またそれか……」
 いいかげん、うんざりだぜ。
 以前、チビで眼鏡のディム・ウォーキスキンというメンバーを俺の身代わりにして死なせたことを、こいつはいまだに根に持っていやがるのだ。まったく、しつこい。
 あんなつまらんこと、さっさと忘れていいもんだろうに。
「あれは不幸な事故だったと何度も説明したろう? 俺にとっても仕方のないことだったし、できるなら殺したくはなかった……なんだかんだいって、ディムはいい手駒だったからな」
「あなたは本当にそれしかないのね。パーティーのメンバーでさえ仲間として、いえ、それどころか人間としてさえ見ていない。ただの道具として扱うだけ」
「……? 当たり前だろ。馬鹿か、おまえ」
 ユーフィーナはそれが悪いことであるかのように言うが、なんのつもりなんだ、いったい?
 他人は道具だ。
 俺はそれを利用し、踏み台にして、はるかな高みに存在する栄光へと近づく。俺だけではない。誰もがそうだ。だから俺も同じようにする。それだけのこと。
 ユーフィーナは、そんな俺の当たり前の方針が、とにかく気に入らないらしい。
 偽善者め。反吐が出る。
 ……誰もが俺を嫌う。
 俺という女は、自分で言うのもどうかと思うが、まったくこの世のすべての悪の塊のようだ。
 裏切り、騙し、踏みにじり、犯し、利用し、あざ笑い、殺すのだ。
 そんな俺を、みんなが嫌う。忌み嫌い、嫌悪し、憎悪し、唾を吐き捨てて侮蔑する。
 当然だ。
 俺は、おまえたちだ。
 誰の心にもある、心のなかの悪の部分。
 それこそが、俺なのだ。
 誰だって本当は見たくもないし知りたくもない。自分の心に、俺のようなおぞましい悪逆が潜んでいる事実からは、目を背けていたい。
 が、俺という女と対峙していると、人間は、どうしようもなく認識せざるを得ない。人間の悪の部分。自分の胸中の醜い悪を、意識しないわけにはいかなくなる。
 同族嫌悪だ。およそ世界中の生き物の本性は悪にこそあるのだから当然だ。
 それが嫌で嫌でしょうがないから、誰もが俺を嫌うのだ。
 ユーフィーナ。おまえもだ。
 おまえはいま、俺を殺そうとしている。
 それは、おまえが、邪魔者は殺して片付けるという選択肢しか持たなかった幼少時代から、ただの一歩も進歩してはいないのだと、俺を見ていると気づいてしまうからだろう。
 おまえはなにも間違ってはいない……行く手に立ちふさがる者は殺して消す、それが一番の方法だ。
 が、おまえのちっぽけな理性は、それを否定しようとしてもがいている。愚かなことに。哀れな女だ。だから俺のことが憎いのだろう。おまえと同じ思考の方向を持ち、しかしそれを隠そうともせず、堂々と胸を張って生きている俺のことが。
 誰もが本当は願っている……他者よりも優れたいと、他者を蹴落として勝ち上がりたいと。
 だが、誰もがそうするわけではない。大多数の人間どもは、自分の欲望を抑え付け、心に負担をかけながら生きている。隣人を大切にしましょう、思いやりを持ちましょう、他人に迷惑をかけるのはやめましょう、と。じつに馬鹿だ。その結果、凡庸でくだらん人生と引き換えに得られるのは、《自称・善良なる健常者》という、つまらん自己満足だけだ。
 俺は違うぞ。おまえたちとは違うぞ。
 欲望のままに生きるぞ。
 人生は、幸福の椅子取りゲームだ。幸福になれる者の数は限られている。
 他人を騙して、裏切って、利用して、蹴落として、殺し尽くして、俺だけが幸せになってやる。
 栄光の頂点にたどり着くのは、脆弱な肉体と精神の持ち主では不可能だ。
 強靭な悪の心を自在にコントロールする者だけが、勝利の美酒を味わえる。
 ユーフィーナ……おまえにその資格はない。
 女々しく弱々しい、敗残者め。
 おまえはすでに、自分の過去に負けているのだ。
「俺よりもはるかに多くの人間を殺してきたくせに、よく言うよなぁ」
 魔物を討伐した数ならばともかく、人間を殺した数に関しては、俺はユーフィーナにまったく及ばない。なにせ教皇公認で異教徒をぶち殺しまくったお嬢さまだもの。
 人殺しの大ベテランに人殺しを咎められるとは、なんとも不思議な感覚だよ。
「……私はあなたとはちがう。罪を悔いて生きているのよ」
 そのくせ、いまこうして、かつてと同じように人間を殺そうとしている。
 いまだにかつてと同じように神を崇めて生きていやがる。
 やはり、進歩していない。
 結局、こいつは、なーんにも成長していない。
 ユーフィーナ・ソグラテスは、自分自身では気づいていないようだが、十年前からずっと《鮮血の聖女》のままなのだ。馬鹿だ。笑える。
 そのへんのことを指摘してやろうかと思ったら、ユーフィーナの姿が消えていた。
 気配は凄まじいスピードで俺の背後へと回りこんでいる。
 完璧なまでに計算しつくされた角度とタイミング、そして速さ。
 死角から打ち込まれてくる、一撃必殺の殺人手刀。威力も速度も剣士の剣をはるかに超える。
 見えるわけがない。
 積み上げてきた経験と磨きぬいた勘だけを頼りに、振り向きざまの拳で打ち払う。
 そして、今度こそ威力の殺しようもないタイミングを狙って、ユーフィーナの腹部へとつま先を叩き込んだ。
 肺から空気をすべて吐き出しながら吹っ飛び、床を転がる、ユーフィーナ。
「芸術的な暗殺術だな。これからもよく励んで俺のために働け」
 もう一度、賞賛を贈る。
 ユーフィーナは嬉しくもなさそうに、俺を睨みつけて見上げてきた。くっくっく、立ち上がれまい。ダメージが足にきているようじゃないか。生まれたての小鹿のようだぜえ?
 おまえがいくら強かろうが、この俺はそのさらに上をいく。
 誰が相手だろうが、俺はその上をいく。
 理由があるのだ。誰も俺には勝てない理由が。
 出来る女というのはな……負けはしないものなのさ、誰にもな。
 さて、そろそろ本題に入るとしよう。
「――どんな理由があろうが、俺の命令に逆らうことは許さん。親が死のうが子が死のうが遅参は駄目だ。おまえは俺のパーティーの一員だからな」
 アキヒコにも言ったが……俺の思い通りに動かん手足はいらんのだ。
 さあ、こいつのうっとうしい赤毛を掴んで、引きずっていくとしよう。
 ん?
 教会の奥に続いている扉が、向こう側から開いた?
「なんだか、すごい音がしましたけど……」
 半開きの扉。
 おっかなびっくりといった様子で顔を出したのは、黒髪のメスのガキだった。
 驚いたのは俺ではなくユーフィーナだ。
「出てきては駄目だと言ったでしょう……!」
「え、でも、大きな音がして、びっくりして、私……」
 なにやらせっぱ詰まった表情で怒鳴るユーフィーナと、おどおどしているガキ。
「なんだ、そのガキ?」
 ガキの年齢は、五歳か六歳ってところだろうか。黒髪を肩にかかるあたりで綺麗に切りそろえている。年齢のわりには賢そうな顔立ちだ。着ているのはこの学園の制服じゃなくて、黒のワンピース。なかなか上等な衣服。どこかの貴族の娘だろうか?
 ようやくまともに立ち上がって背筋を伸ばしたユーフィーナが、俺を厳しい目つきで睨みつけながら言う。
「この子は迷子なのよ」
「あ?」
「親御さんからはぐれてしまって迷子になっているところを私が見つけたの。だから、親御さんが見つかるまで、私がこの子を保護しているのよ。学園側には連絡してあるから、もうしばらくすれば迎えが来るはず」
「だから?」
「……しばらくこの教会から離れられない。集合時間に遅れるわ」
「却下だ、ボケ」
 なにかと思えば、まったく、くだらん。
 そんなことで俺の命令を無視しようとしたのか、こいつは? 救いがたい阿呆だ。
 俺は、急いでいる。のんびりとしているわけにはいかない。おまえらごときの都合など知らん。俺はいつも急いでいるのだ。
「おまえがいなくても、ほかの連中がいるだろうが。シスターとか神父とかいないのか、ここには」
「急用で出払っているのよ。いつもここでお祈りしている私が、その子の保護を請け負ったの」
「それじゃあ話は簡単だ。行くぞ、ユーフィーナ。ガキは置いていけ。死にはしないだろ」
 俺がそう言うと、ユーフィーナは、悪鬼でも見たかのように俺を見た。
「あなたには優しさというものがないの!?」
「ないよ、ばーか」
「……ッ、子供が、ひとりでっ、両親を待ち続ける寂しさと悲しさ……それがどれほどのものなのか、あなたには本当に分からないの!?」
 なに言ってんの、こいつ。
「知らんね。重ねて言わせてもらうが、死にはしないだろ。べつにここが魔物の巣窟ってわけでもない。時間が経てばそこのガキの親も来る。おまえがわざわざ見ていなくちゃならない理由はない」
 それよりさっさとおまえを連れて行きたい。
 ああ、こうして無意味な会話をしているあいだにも、俺の貴重な時間は浪費されてゆく。
 俺は急いでいる。
 出来る女の時間というものには、なによりも価値があるというのに。
 もう、ぶん殴って気絶させてから連行しようかしら……悩む。
「お姉さん、私なら大丈夫ですから」
 ちょこちょこと歩いてきたガキが言った。
 やはり、年齢のわりには賢そうな声だ。
 そして気づいた。
 このガキから漂ってくる、闇の匂い。
 俺にとっては馴染み深い死臭。
「おまえ、ネクロマンサーか?」
 それも、これほどまでの強烈な闇の芳香は、並大抵の術者のものではない。
 ガキはちょっと驚いたように目を丸くしてから、首を横に振った。
「いいえ。父が、そうです」
「……手前のガキに匂いを染み付かせるほどの熟達か。おい、ユーフィーナ。誰に急用ができたって? おまえがここの神父どもを追い出したんじゃないだろうな?」
 神の家に匿うには、屍霊術士の娘というのは、あまりにも罰当たりというものだろう。
 ま、ユーフィーナがなにやら無理を通して神父たちをここから遠ざけたというのが真相だろうな。
 ほら、赤毛女の顔色が赤くなってやがる。図星を突かれると怒るものさ、人間は。
「だ、だって、ここがこのあたりで一番よく目立つ場所なのよ。親御さんも探しやすいでしょう。この子にはここで待っていてもらうのがいいのよ」
「だからって神父を追い出すかねえ、普通? おまえのお節介には呆れるぜ」
 優しいというよりはクソ甘いのだ、こいつは。
 甘やかして育つ子供なんていないぜ、マジで。甘やかされて大きくなったのは、ただの大きいだけのクソガキだ。
 なにやらユーフィーナは喚いているが、もう知らん。
 それより、このガキにちょっとだけ興味が湧いてきたぞ。
「おい、ガキ。名前は?」
「ルーティ・エルディナマータといいます。以後どうかお見知りおきを、お姉さま」
 と、ルーティと名乗ったガキは、スカートの両端を左右の手でちょんと摘み上げながら、優雅な仕草で一礼をしてみせた。
 ほほう……なかなかに礼節を知るクソガキだ。
 まあ、それもそのはず、といったところか。
「エルディナマータか。王都の名門だな」
 どんな部門の名門なのか? 決まっている、屍霊術のことだ。
 今代の当主は若くして屍霊術を極めた麒麟児だという噂だったが……なるほど、そいつのガキがこのルーティだというのであれば、うなずける。
 俺の眼力は確かだ。対象の本質を正確に見極める能力は、生き残るために必要不可欠だからな。
 その俺の眼力によると……このガキの内面で眠っている才能は、たいしたものだ。
 上手く育て上げれば、ゆくゆくはレベル五〇〇を軽く超える屍霊術士になるだろう。
 マーキアスなどに見せれば、あいつめ、喜び勇んでこいつの育成にとりかかるだろうな。
 この俺としたことが、不覚にもこいつの将来性を楽しみにしてしまう。憎むべき師匠の悪癖が伝染したのかもしれない。
「俺の名はフェアラート・ウィケッド・セルフィッシュ」
「フェアラート……ウィケッド・セルフィッシュ……? ずいぶんと、不吉な響きですね?」
 遠慮を知らないガキだ。ますます、将来が楽しみだ。
 腰に提げていた杖を一本、ルーティに向けて放ってやる。
 《狂える魔導士の背骨》。俺にとってはもう必要ではなくなった魔短杖。
 ルーティはその短杖をなんとか受け止めてから、俺の意図が分からないというふうな目で見上げてきた。
 俺は、軽くほほ笑む。
「くれてやる。いまの俺は気分がいいからな」
「でもこれは、ものすごく強力なアイテムのように見えますが」
「ああ。売れば……そうさな、王都に豪邸が建つだろうな。が、おまえはそんなふうには扱わんだろ?」
 ルーティは、首を縦にコクコクと振った。
 うむ。
「それでいい。いまはまだ使いこなせんだろうが、おまえはそのうち必ずそいつを使えるようになる。そのとき、その杖はおまえにとって大きな助けになるはずだ」
 それに、その杖には、ひとつ、面白い仕掛けを隠してある。いずれ効果を発揮するだろう。
「ありがとうございます。……でも……」
「ん? なんだ、遠慮するな。さっき、もっといい得物が手に入ったからな。不要になったからくれてやっただけのことだ」
「いえ、その、……私よりも、姉さんにあげたほうがいいかなと思いまして」
 ……姉さん?
「おまえ、姉がいるのか」
「はい。双子の姉です。私よりもずっと才能があります。だから、この杖は――」
「黙れ、小娘」
 つい、俺は、本気の殺意を放ってしまった。
 ルーティが「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、その顔から血の気が失せる。
 くそ。
 姉か。
 双子の姉か。
 しかもこいつよりも才能があるのか。
 くそっ。
 ルーティの、姉のことを語る瞳には、遠慮と劣等感、敗北を認める心が浮かんでいる。まるでどこかの誰かのように。
 くだらん気まぐれなど、遊び心など、起こすものではなかった……さっき思ったことのはずなのに、またしても同じことの繰り返しか……くそったれの俺の遊び心め、忌々しい。
 そんなものを起こすから、知ってしまった。
 知ってしまったからには無視できない。
 自分の過去を無視することは誰にも出来ない……この、俺でさえも。俺だからこそ。
 俺は止まらない歩みでルーティに近寄り、その目の前にしゃがみこむ。
 目線を合わせて、正面から言う。
「ルーティ。おまえには才能がある」
「よく言われます。でも、姉さんのほうが……」
「黙れ。聞け。……まだ間に合う。才能で負けているなら、努力で凌駕しろ。いや、才能だって負けていないかもしれない、まだ先があるかもしれない。おまえにはまだ先があるかもしれない」
 そうだ。
 俺とは違って、こいつには、まだ先があるかもしれない。
 そうかもしれないじゃないか。
「……俺は、越えられなかった。おまえは、越えろ。そのためにはなんでもしろ。手段を選ぶな。邪魔する奴は殺せ。手を汚すことをためらうな。労力を惜しむな。おまえは、越えられるんだ」
 いつしか俺は、ルーティの小さな肩に手を置き、噛み付くほどの至近距離で語っていた。
 まったく、熱がこもると、周囲が見えなくなる……よくないことだ。
 立ち上がる。
 俺とルーティは違う。そう自分に言い聞かせながら。
「あなたにも、双子のお姉さんが……?」
 ああ、そうだとも。
 いるのさ、俺には。双子の姉が。
 誰よりも俺を愛し、そして誰よりも俺が愛した、最愛の女性。
 この世でもっとも高貴で、俺以上に強く、俺以上に美しい、世界最高の存在。
 この俺が本心から畏敬と尊敬の念を向けるのは、唯一、あのお方だけだ。
「おまえは……姉さんを越えろ。そして、守ってやれ」
「あなたは……」
「ふん、つまらんお喋りは終わりだ。行くぞ、ユーフィーナ。日が暮れちまう」
 と言ってユーフィーナのほうに眼を向けると、赤毛女はなんともいえない微妙な表情、にっこり笑顔のサイクロプスでも見たかのような表情で、俺のほうを見つめていた。
 なんだよ、その顔は。
「あなたでもそんな顔をするのね」
「あ?」
「弱くて、でも優しい、ごく普通の人間の顔よ」
 つまり、ゴミクズのする顔だということだろうが。
 くだらん。
 それだけは、俺にはあってはならないことだ。
 こいつ、俺を怒らせるためにたわごとをほざいたのか?
 だったら、よかったな。目論見は大成功だ。赤毛をむしり取って丸坊主にしてやる。
「――申し訳ない、私の娘がここに預けられていると聞いたのだが」
 そんな声と共に、大聖堂の扉のほうから、ひとりの男が歩いてきた。
 長い銀髪を後頭部で一纏めにした髪型の、長身の男だ。年齢は三十歳ぐらい。体つきはがっしりとしていて、眼鏡をかけた双眸には深い知性の輝きがある。身にまとっているのは黒い生地に金の刺繍を施したローブ。表情は柔らかい。
「お父さま」
 ルーティの明るい声。
 そうか、やはり、この男が……。
 ゆったりとした足取りで、男が歩いてくる。
 ルーティが男のもとへと駆け寄り、嬉しそうに抱きついた。
「お待ちしておりました、お父さま」
「ああ、すまないね、ルーティ。心配したぞ。ちょっと目を放した隙にいなくなるものだから」
「お父さま、それは違います。私が目を離した隙にいなくなったのはお父さまのほうです」
「む……そ、そうだったか。いや、なにせこの学園には珍しいものが多いからね、ついつい……」
 困ったような苦笑いを浮かべている男は、しがみついてくる娘を抱き返しながらそう言った。
 なるほど、こうしていると、ごく普通の父親のように見える。
 だが俺は、こいつの正体を知っている。
「あなたが、ガルデレール・エルディナマータ?」
 俺がそう言うと、男は、俺のほうを見た。眼鏡の奥の瞳には柔和な光。
「そうだが……きみは? 娘を保護してくれた……?」
「いいえ、それはこっちの赤毛のほうです。私はただ見ていただけ」
 ユーフィーナを指差して言う。ついでに付け加えるとするなら、見捨てようとしていただけだが……まあ、それは言わないほうがいいだろう。
 赤毛女はぺこりとお辞儀してから自己紹介をした。
 俺も俺の名を告げておく。隠しておく理由もない。
 ガルデレールはユーフィーナに深く頭を下げて礼を言い、それから俺のほうを訝しげな目つきで見た。
「なぜ私の名を?」
「同業者ですから。嫌でも耳に入ってきますよ、あなたの名は」
 それだけ有名な男だ。
 その噂がけっして誇張などではないことが、こうして対峙しているだけでよく分かる。
 ガルデレールの真の実力……圧倒的な才能と経験に裏打ちされた屍霊術の冴えは、いまは見事なまでに封じ込まれ、隠蔽されているものの、いざ戦いとなればすぐさま本性を現すことだろう。
 たとえばそれが俺に向けられたとしたら……さて、俺が勝つのか、ガルデレールが勝つのか、正直、見当がつかない。
 惜しいな。
 生まれるのがあと十五年ほど遅かったなら、俺の部下にしてやったのに。
「きみも、屍霊術士なのかね? まさか、マスター・ゾルディアスの教え子だという……」
「ええ、まあ」
 忌々しいことにね。
 ガルデレールは、俺を見て、うなずいた。
「思い出したよ。そうか……きみが、《六百六十六番目の子》か」
 ――久しぶりに、脳味噌の奥まで冷えるような感覚を味わった。
 こいつ。
 やはり、ただ者ではなさそうだ。
「ユーフィーナ。先に行け」
「えっ?」
「俺はあとから行く。さっさと行け。……俺が行ったときにまだ着いてなかったら、はらわたを引きずり出して殺すぞ」
 俺の言葉がただの脅しや嘘ではないことを知っているからだろう。ユーフィーナは少しばかり不満げな様子を見せたが、おとなしく命令に従って、教会を出て行った。
 ガルデレールとルーティ、俺。
 残った三人だけの空間。
 俺は首に手を当てて、骨をコキコキと鳴らしながら言った。
「さて、伯爵閣下。お尋ねしますが、どこまでご存知なのですか?」
「その話し方は本来のものではないのだろう? 私は気にしないよ。戻すといい」
「……あっ、そう? これでも礼儀は心得ているつもりなんでね、いちおう目上のあんたの顔を立てたつもりだったんだが。こんなのでも問題ないのかい?」
「それも、本来のものではないな。かぶる猫が重くては辛いだろう」
「なんだと?」
 睨み付ける俺の視線をものともせず、ガルデレールは、柔らかくほほ笑んだ。
「戦うすべを持たない小動物は、さまざまな方法で自分の身を守ろうとするものだ。それはたとえば全身に浮き出た過激な色であったり、耐えがたい悪臭であったりする。きみのその一見すると傍若無人な振る舞いも、周囲の他人を威嚇しようという警戒心の強さのあらわれだといえる。小さな体を大きく見せようとするのは、もっとも初歩的で効果的な自衛手段のひとつだからね」
「……よく動く舌だ。切り取って部屋に飾ってもいいか?」
 こいつの瞳。
 気に入らない。
 こちらのすべてを見透かしたかのような眼光、物言い……反吐が出るほど気に入らない。
 そんな俺の殺気に気圧されたわけではないだろうが、ガルデレールは降参したように両手を挙げた。
「いや、すまない。怒らせるつもりはなかった。いかんな。どうにも人間との対話は苦手でね」
 ああ、そうですか。
「話を元に戻す。……そこのルーティをどこかにやれ。聞かれたくない話だ」
「それはできないな。この子は大切な私の娘だ。それを、話があるからどこかに行けなどと、そんなことは言えないよ」
 舌打ちする、俺。
 このクズ、どこまでもむかつく。俺の思い通りにならない。むかつく。うざい。
「――どこまで知っている?」
「きみの本当の出自。そこまでだよ、私が知っているのは」
「ふん。どこで知った?」
「それは言えない。風の噂で聞いたということにしておいてくれたまえ。かの王の千人の子のうち、六百六十六番目の子が、この学園に在籍している……そしてマスター・ゾルディアスの弟子となっている。そんな噂を聞いただけだ」
「えらく具体的な噂じゃねえか。もう一度だけ訊くが、出所は?」
「言えんよ。言えばきみはその出所を消してしまうだろう。――ここで、私たちを殺すようにね」
 分かってるねぇ、お父さん。
 俺はにやりと笑い、武器をこの場に召喚。左腕に魔杖を、右腕に剣を握った。
「俺の……いや、わたしの出自は、秘中の秘だ。知っている者は生かしてはおかん」
 ひとりも残さず、殺す。
 ルーティにはかわいそうなことをするが、仕方がない。俺は結局、俺自身のことがなによりもかわいい。誰も見逃さないし、殺す相手に例外はない。
 魔杖を起動。マーキアスから頂戴したばかりのこの逸品、さっそく使う機会がやってきたようだな。
 暗く禍々しい光を放つ魔短杖を、ガルデレールはわずかに驚いたように見た。
「それは、《捻れ狂う魔王の腕》か。よくぞその若さで掌握したものだ」
「……余裕だねぇ? いいのかい、得物も持たずに?」
 いくらガルデレールほどの屍霊術士といえども、自分の武器も持たずにこの俺と戦うことなどできるはずがない。
 ガルデレールのレベルは、目算だが、おそらく八〇〇にも達する。しかし、武器を持たない素手の状態ならば、俺の敵ではないだろう。
 だというのに、まったくの無防備にしか見えないガルデレールは、殺気をみなぎらせる俺の目の前で、戦うために身構えるということすらしない。
 こいつ、死ぬつもりか?
 いや、それは、ない。死を望む人間の目をしていない。
 ……むしろ、ここから一歩でも踏み出せば、死ぬのは俺のほうかもしれない。そう思わせるだけの得体の知れない圧倒的な自信が、ガルデレールにはある。
「口は災いのもと、とは、このことだな」
 ガルデレールは苦笑いを浮かべた。
「余計なことを口走ったがために、こんな事態に陥っている。やはり人間関係は難しい」
「後悔するなら、あの世でやれよ」
 いつまでも固まっていても仕方がない。
 ここは、先手を取ってみるとしよう。
 地を蹴って飛び出した、俺。
 足元から床板を突き破って、巨大な腕が伸びてきた。
 骨の腕。
 見慣れた形状の各部と五指は人間の手のそれだが、サイズがとにかく桁違いだ。俺を丸ごと握り締めて圧殺できる。
 ガルデレールめ、やはりとんだ狸だ。まったくの無防備に見せかけておきながら床下の土中にこんな骨の化け物を召喚し、俺の攻撃に備えていやがった。しかもそのときの魔力の動きすら気取らせないとはな。
 俺を手のひらに乗せたまま伸び上がった腕は、そのまま俺を握り締めようとする。
 それを許すわけにはいかない。
 すかさず、短く呪文を唱えて、小規模の爆発を呼ぶ。骨の手のひらは木っ端微塵になり、中空にその破片を撒き散らした。
 おお、軽く唱えただけの爆発呪文にしては、なかなかの威力だ。この魔杖……やはり、いい代物だぜ。
 高く舞い上がった状態の俺。
 眼下にはガルデレールとルーティの姿。
 そして、親子の周囲の足元から、空中の俺めがけて、何十本もの巨大な骨の腕が殺到してきた。
 盛大に壊れゆく教会の床板。木と石と土の破片がド派手な音を立てる。
 俺はそこに、ほんの少しだけいろどりを加えてやる。
 魔杖の先からほとばしった魔力の渦が、骨の腕の群れをまとめて蹴散らした。砕け散った無数の微細な骨が、舞い散っていく。
 それらを背景にして、俺はあざやかに降り立った。
 自分の召喚したものが手も足も出ずにやられたというのに、ガルデレールには動揺の色はない。
 奴にとって、この程度は、まだまだほんの小手調べ。全力のうち、ほんの十分の一も出してはいないということだ。
 もちろん、俺も。
 ここまではお互いに様子見の段階。本当の戦いはここからだ、というところだが……。
「やめだ、やめ」
 俺は両手の武器を消し去って、ガルデレールに背を向けた。
 ちょっと驚いたような様子が伝わってくる。
「あんたを殺すのは、もうちょっと準備を整えてからだ」
 本気でガルデレールを殺すつもりなら、俺も死を覚悟する必要がある。が、こんなところで無意味に生命を投げ出すのは、賢い者のすることではない。
 学園の治安維持部隊……風紀委員の連中が、この騒動を聞きつけてやってくるのも、時間の問題だろうしな。
 俺はパチンと指を鳴らして、魔法を起動。この教会を修復した。壊れた床板や壁などが瞬く間に元通りとなり、ついでに最初にぶっ壊しておいた聖者の像や扉も完全修復。俺という女はまったくサービス精神の塊だな。
「ああ、そうそう」
 出口に向かう途中、俺は一度だけ、ガルデレールのほうへと振り返る。
「あんたが聞いた噂だが、しょせんは噂だな。間違いがある」
「ほう?」
「俺は、六百六十七番目の子だ。――つぎに間違えたら殺す。誰だか知らんが出所の馬鹿にもそう言っておけ。本当の六百六十六番目の子……あのお方と俺ごときをごっちゃにすることは許されないんだよ」
「……たしかに、伝えよう」
 ふん。それでいい。
 それ以上、屍霊術士親子と話すこともなく、俺は教会から外に出た。
 やっぱり外の空気はいい。教会は苦手だ。
 と、そこで気づいたのだが……ガルデレールほどの男が、こんな学園になんの用件があったのだろう? 娘の入学手続きか、それとも誰かと会う約束でもあったのか?
 ……ま、いいか。俺には関係のないことだ。
 それよりも、用事は片付けたんだ。パーティーの連中はすでに集合しているだろうし、俺も急いでパーティールームに向かうとしよう。
 出来る女の周りには、問題が山積み、やるべきことが累積している。
 まったく、疲れる。
 いい女として生きるというのも楽ではない。
 ため息が出る。
 腹立たしいことに、そんな俺の気苦労を、ちっとも理解しようとしない連中がいる。
 最上級パーティールーム《英雄の神殿》のもっとも広く豪壮なリビングルーム。
 俺が到着したとき、そこは、濃密な殺気に満ちていた。
「――ああっ!? もういっぺん言ってみろよ、てめえっ……!」
 アキヒコの怒鳴り声。
 それに応えているのは、ジェラルドだ。
「ふん、何度でも言ってやる。貴様からは気品というものが感じられない。いかにも粗野で卑小、剣の腕前などは腕力に頼っただけの稚拙な児戯だ。……その程度の実力でいい気になるな。私と同列にいると思うな。痛い目を見る前に跪いて無礼を詫びろ」
「わっけわかんねえっ! ちょっと手が当たっただけだろーが、なにが跪いて詫びろだボケッ! 死ねよタコ!」
「ぼ、ボケだと? ああ、まったく……これだから下賎の者の相手は腹立たしい! もういいっ、とにかくそこに跪け! 首を差し出せ! 手打ちにしてくれる!」
「うるっせーよクズ。やるってんなら相手になってやるよ。いまからでも泣いて詫びるなら許してやらんでもねーけど?」
「誰が詫びるか、貴様ごときに! そもそも、以前、貴様がユーフィーナに働いた乱暴! 許してはいないぞ!」
「おまえに許してもらう必要とかねーだろ、ばーか」
「……ッ、……ッッ! 死ねクズッ!」
 おそるべき速度で襲いかかるジェラルド。双剣が目に見えない速度で縦横無尽に走る。怒りのこもった剣の暴風を、かろやかにかわし続ける、アキヒコ。ただ無意味にかわしているだけではなく、隙あらば大剣を唸らせようと好機をうかがっているようだ。
 うーむ、両者、見事なまでに本気の殺し合いだ。
 壁際に立って戦いを観戦しているウィルダネスに声をかけてみた。
「おい」
「ん? フェアラートか。どうした、おまえさんにしては遅かったじゃねえか?」
「ああ、悪い。ちょっと野暮用があってな。それより、どうした、これは?」
「どうしたもこうしたも……歩いてたアキヒコの手がジェラルドの腕に当たった。で、ジェラルドが怒って、アキヒコが怒り返して、ごらんのありさまよ。それだけだ」
 ……くだらねえ。
 よくもそんなくだらんことで殺し合いを始められるものだな。理解できん。
「誰も止めなかったのか」
「ああ。ただの喧嘩だしな。……おほっ、見ろよ、アキヒコの体さばき! ついこのあいだまでド素人だったとは思えねえ。あいつには天性のものがあるぜえっ!」
 駄目だ、こいつ。さすがは巨人族の豪傑馬鹿。火事とか喧嘩とか、厄介で血なまぐさい雰囲気が大好きなのだ。救えねえ。
 ユーフィーナはふたりの戦いを見ておろおろとしているだけだし、シェラザードは……完璧なまでの無関心を決め込んで、ソファに腰かけながら読書をしている。
 このパーティーのメンバーに、まともな奴はいらん。ただひたすら強ければ、それでいい。
 だが、やはり、問題だ。まともで常識のある人間が、俺ひとりだけだというのは。
 俺はまずジェラルドの剣を避けることに集中しているアキヒコの背後に歩いていき、できるだけ明るく声をかけた。
「やっほー、アキヒコくん♪」
「ッ!?」
 驚いてこちらに振り返るアキヒコ。
 その腹部に、剣の鋭い切っ先を突き刺す。
 信じがたいものを見る目で、自分の腹に刺さっている剣を見下ろす、アキヒコ。
「……痛い? 思い出したかなあ? 忘れるなって言ったよね、この痛み♪」
 手首を回し、ドアノブを捻るようにして傷口を抉る。血が勢いよく流れ出た。
 感謝しなさい。頭に上った血を下げてやったんだから。
 アキヒコが血まみれの絶叫を吐き出す前に、剣を手早く引き抜き、腹を蹴り付けて吹っ飛ばした。
 砲弾じみた速度で飛んだアキヒコはその進路に立っていたジェラルドを巻き込んで壁に激突。
 だが俺はそこで手を緩めたりなどしない。やるなら徹底的にやる。
 地を蹴り飛ばして加速。
 うずくまっているアキヒコ、立ち上がろうとしているジェラルド、ふたりともまとめてボールのように蹴り飛ばす。
 横手の壁めがけて全速力でぶつかったふたりは、それぞれ苦悶の声を上げながらうずくまった。
「クズどもが……」
 なにか言おうとしたユーフィーナめがけて剣を投げつける。赤毛を数本まとめて切断し、剣は壁に突き刺さった。
「俺のやることを邪魔するな。遅らせるな、馬鹿が。……俺は急いでいるんだ」
 そうだ。俺は急いでいるんだよ。おまえらごときのための歩みを止めることなど、絶対にできない。
 こっちの足を引っ張るな。役立たずの虫けらどもが。
 ……ふう、いかんいかん。どうにも、最近、馬鹿どものせいで、怒りっぽくなっているようだ。平常心、平常心。大事なのは平常心だ。クールになれ、フェアラート・ウィケッド・セルフィッシュ。おまえは冷静だ。よし、大丈夫。俺は冷静だ。
「……とんでもねえ、メスオーガだな……!」
 血を吐きながら言ったアキヒコの頭部をかかと落としで床に沈める。
 いけないいけない、あたしったら、いま、怖いお顔になっちゃってたかな?
 うんっ、笑顔、笑顔♪ 人間、やっぱり大事なのは笑顔だよねっ♪
「えーと、みんな集まったねっ? うんうん、いい感じだねっ♪ それじゃあさっそくで悪いんだけど、フェアが今回の冒険の説明をはじめるよっ♪ ちゃんとよく聞いてね、でないとっ」
 魔杖から放った魔力弾が、シェラザードが目を通していた書物を焼き払う。
「……あたし、怒っちゃうよ♪ シェラちゃん♪」
 重ねて言うが、人間、笑顔が大事なのである。
 笑顔で頼めばシェラザードですら素直になってくれたんだから、間違いない。



[9648] 昔のお話。まだおっさんが若かったころ。その七
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2010/04/19 19:37
 さて、《ルノス古代遺跡》にやってきたわけだが。
 このダンジョン、歯ごたえがなさすぎる。俺は思わずため息をついてしまった。
 地下五十階に到着しても、出現する魔物は雑魚ばかり。トラップも幼稚でつまらん。
 まるで張り合いがない……ガキの遊び場だな。
 ま、雑魚パーティーの《黄昏の魔天使》ですら挑戦できたという時点で、ここの難易度の低さは察することが出来ていたがな。
 そんなわけでサクサク進み、半日ほどでここまで踏破してしまった。簡単だというのは手間がかからなくていいことだ、が、簡単すぎるというのも考えものだ。調子が狂って勘が鈍る。
「……みんな、ちょっと待ってちょうだい」
 あん?
 後ろのほうから、ユーフィーナが声をかけてきた。
 言うまでもないことだが、ダンジョン探索の最中に雑談はご法度、私語は厳禁だ。
 たとえどんなにレベルが低いダンジョンだろうと、死の危険を必ず孕んでいる。いつ魔物が襲ってくるか分からないし、致死性のトラップが作動する可能性はつねにある。
 足を踏み入れたが最期、一瞬たりとも油断することを許されない死の空間……それがダンジョンだ。
 だが残念なことに、俺たちの生命はひとつだけ。人生は一度きり。魔物に首を切り裂かれてから後悔しても遅すぎるし、足元から飛び出た剣山に串刺しにされてしまえば人生はそこで終わる。やり直せない。だから、気をつける。神経を研ぎ澄ませて、周囲の状況に注意する。
 わざわざ余計な物音を立てて身の危険を増やすなど、よほどの自殺志願者でもない限りは絶対にやらない。私語は厳禁。用事もないのに口を動かすな。そんなことは当たり前のことだ。冒険者としては基本中の基本だし、俺はその心構えをずっと守っている。
 ユーフィーナは、そんな基本方針を貫いている俺のパーティーの一員だ。
 もちろん、くだらん用事などで俺を呼び止めたりはしないだろう?
 果たして、振り返った俺の視界に映ったのは、なぜか顔色の悪いアキヒコくんと、そいつに肩を貸してやっているユーフィーナの姿でした。
「なにやってんの、おまえ?」
「気分が悪いそうなのよ。少しだけでいいから休憩させてあげて」
 ……はあ?
「どしたの、そいつ?」
「忘れたの? この子、まともにダンジョンを歩くのは今日が初めてなのよ。しかも今までろくに訓練もしていないのに、地下五十階以上も潜らせるだなんて、無理に決まっているわ」
 ん?
 あー、なるほど、そういうことか。
 こいつ、つまり、体力がないのか。
 考えてみれば、それはそうだ。いくら脳味噌のリミッターを外して強くなれるとはいえ、それはあくまでも一瞬のこと。単なる瞬発力に過ぎない。
 いままで戦いとは無縁の生活をしてきたアキヒコの肉体は、ダンジョンを攻略するために必要不可欠な要素が足りていない。つまり、基礎体力が圧倒的に不足している、と。そういうことか。
 何十キログラムもの重さがある装備を身につけ、アイテムを持ち、ダンジョンの隅々まで歩き回るのは、たしかに、すさまじい重労働。
 初心者が最初に挑戦するダンジョンのほとんどは地下五階とか八階ぐらいが最深部だ。それでもヒヨっ子は半死半生のありさまになる。肉体的にも精神的にも瀕死の傷を負うのだ。アキヒコが死にそうな顔になるのも無理はないな。
 うわー、めんどくせえ。
 盛大にため息をつく、俺。
「しょーがねーな。休憩にするか。……俺が先行して、キャンプを張れるところを見つけてくる。ジェラルド、ついてこい」
「了解した。……ふん、無様なことだな」
 ありったけの嘲笑をアキヒコに向ける、ジェラルド。蒼白の表情で怒りを燃やすアキヒコ。余計な火種を作るな馬鹿が。
 俺は、こっちの都合にまるで興味なしといった様子のシェラザードに目を向けた。
「シェラザード。残った連中のお守りをしておけ」
「役立たずなど、守るに値しないと思うのだがな」
 エルフ女の口の端に浮かんだのは、隠そうともしていない侮蔑の色だ。
 やれやれ。俺の目が届いていない隙にアキヒコをうっかり殺しかねないな、これは。
 しかし、一時的にせよ《黄金の栄光》を俺の代わりに纏めるという大役は、このエルフ以外ではつとまらないだろう。実力的にも、精神的にも。だから仕方のないことだ。
「これだからエルフは困る。協調性と寛容性を身につけろよ。行くぞ、ジェラルド」
 俺とジェラルドは、足の遅い連中よりも一足先に、ダンジョンの奥深くへと駆け出した。
 この俺がわざわざパーティーの先頭に立つ理由はいくつかあるが、もっとも大きいのは、盗賊の技能を修得している人間が俺しかいないという点だ。
 シェラザードやジェラルドは盗賊の仕事を下劣なものとして蔑んでいる部分があるし、ウィルダネスとユーフィーナは不器用の頂点を狙えるクソ不器用だ。とくにユーフィーナはひどい。なのであの四人には盗賊は不向きだ。
 盗賊技能を持っている奴をパーティーに加えたことはこれまでに何度もあったが、どいつもこいつも一ヶ月も経たないうちに死にやがった。まともに魔物と戦うことに向いていない盗賊という職業は、とにかく打たれ弱くて死にやすい。まったく、役立たずどもだった。
 そういうわけで、俺が自分で盗賊の技能を修得するのが最善だという結論に達したのだ。
 そうしなくてはならないほど、盗賊というのは、ダンジョンを探索するために必要不可欠な職業なのだ。
 無数のトラップを解除して危険を回避するためにも、毒針や爆発物の仕掛けられた宝箱を安全に開けて中身を手に入れるためにも、盗賊の存在は必須だ。
 ……そう考えると、もうひとりぐらい、盗賊技能の持ち主をパーティーに入れておいたほうがいいような気がしてきた。
 アキヒコを鍛えてみるかな? ちょっとは適正があるような気がするし。
 んー、まあ、俺は自分自身しか信用しないし、どんなことでも他人任せにするのは安心できないから、結局はどんなことでも自分でやってしまうのだが。
 でも、もしものときのためにアキヒコを盗賊として育てておくというのも、いい考えかもしれないな。
 そんなことを思いながらも、真横から飛び出してきたハイオークの剣を、左腕の杖で受け止める。
 杖をわざと引いてやると、力をこめすぎていたハイオークは無様にバランスを崩した。
 右腕の剣で、首を一閃。
 返す剣で、背後から迫っていたリザードマンを深く切り裂く。
 雑魚ばかりだな。うっとうしい。
 ジェラルドのほうをちらりと見やると、奴はその両手に握った双剣で、すでに十体以上の魔物を片付けていた。剣さばき、体さばきなら、こいつの右に出る者はいない。この俺以外では。
 血を噴き上げながらその場に倒れる魔物どもを尻目に、俺とジェラルドは加速した。



 このダンジョンに先んじて足を踏み入れた連中が、すでにほとんどのトラップを攻略していたらしい。
 俺とジェラルドは難なく進み、大きな広場のような場所を見つけて、そこにキャンプを張ることにした。
 ちょっとした休憩所が出来れば、それで十分。あの新参者のためにこしらえるようなものだからな。
 後続の連中が追いついてくるまでに、やることをやっておかなければ。
 周辺の状況を確認。安全を確かめた上で広場の中央に魔物避けの結界を張って、簡単な陣地を作る。シートを敷いて座れるようにして、空き缶と携帯燃料を使って火を起こして……。
「なにか、手伝うことはないかな?」
「隅のほうで座ってろ」
 ぶらぶらと暇そうにしていたジェラルドが訊いてきたが、睨みつけて黙らせる。
 しつこいようだが、俺は他人を絶対に信用しないので、どんなことだろうが自分の手でやらなくては気がすまない。我ながら難儀な性分だ。
 鍋で沸かした湯のなかに塩と干し肉をぶちこみ、調味料を使って味を整えていく。
 できあがったスープをお玉ですくって味見していたところに、役立たずのアキヒコをはじめとした後続のメンバーがやってきた。
 シェラザードが、俺のほうを見て眉根を寄せた。
「なにをしている?」
「スープを作った。貧弱な坊やに滋養のあるものを食べさせてやろうと思ってな」
「……驚いたぞ。明日は槍が降ってくるな」
 ほんとに驚いたような顔をされると、こっちが困る。
 あれ? もしかしてみんな同じような顔をしてる?
 こいつら、俺のことをなんだと思っていやがるんだ。
「俺はこの世でもっとも優れた女だぞ。いい女ってのはな、炊事洗濯、家事全般、どんなことでも完璧にこなせるんだ。ちなみに俺の料理のレパートリーは一〇八つまである」
「いや、そういうことではなく、おまえがこの人間のことを気遣ったというのが意外だったのだが」
 ああ、それか。そういうことか。
「動けなくなった足手まといなんぞ置き去りにしてもいいんだが、またぞろそこの赤毛が偽善者根性を丸出しにしてくると思ったんだよ。めんどくせえ。さっさとこの栄養満点のスープを飲ませて体力を回復させろ。た・だ・し、二時間後には絶対に出発だ。そのあとは知らん。もう二度と譲歩もしない」
 異議がありそうなユーフィーナ。
 だが知らんね。
 こうして小休止の時間を作ってやっただけでも褒め称えてほしいくらいだ。
 こんなことは、特例中の特例。いままで新参に対してここまで優しくしてやったことは一度もない。
 そもそも《黄金の栄光》のメンバーは最初から強いのがお決まりのパターンだった。俺が求めているのは即戦力だからな。だから今回のアキヒコのように体力不足でついてこれなくなるような貧弱野郎などいなかったのだ。
 だから俺のほうも配慮が足らなかったのだろう。アキヒコの事情も考えておくべきだった。
 素直に反省しよう。
 はんせい。
 それはそれとして、二時間後には絶対に出発するけどね。
 もしもアキヒコが回復していなかったら?
 うん、死ねばいいんじゃないかな。
 こんなダンジョンの奥深くで仲間から見捨てられた初心者の末路なんて、考えるまでもなく決まってる。餌を見つけた蟻のように集まってくる魔物どもに嬲り殺しにされてジ・エンド。あひゃひゃひゃ。笑える。
 知ったことじゃないな。
 死ぬなら死ねよ。
 俺のパーティーに、弱い手足は必要ない。
 いくらマーキアスの肝いりだとはいっても、そこは譲らない。あいつの魂胆がどうだろうが、俺のパーティー《黄金の栄光》に弱者は不要。それだけは絶対に譲れない。
 ……なんだかこんなことばかり考えていると、自分がとても悪い女なんだなあと思えてくる。
 実際、俺はとてつもなく悪い女なので、間違いではないのだが。
 あぐらをかいてシートの上に座り、食事をとる。無言の時間。
「あんたは食わないのか?」
 すっかり元気を取り戻したアキヒコが、スープを啜りながら尋ねてきた。
 ほかの連中が上手そうに――シェラザードだけはひたすら本を読んでいるだけだが――メシを食っている最中、料理を作った本人である俺だけが、それらに口をつけていない。そんな状況を訝しく思ったのだろう。
 俺だってちゃんと食べてる。
「おまえの目は節穴か? 俺がなにをしているように見える?」
「粘土を食ってるように見える」
「たわけ。こいつはれっきとした携帯食料だ」
 ま、たしかに色合いといい食感といい粘土だが。
 灰色のスティック状に形を整えた、総合栄養食品。持ち運びやすく、長期の保存が可能で、おまけにこれ一本で一日に必要な栄養素が完全に摂取できる。じつに合理的で無駄のない、俺好みの食品だ。
「食ってみるか?」
 食べかけのそれをアキヒコに差し出してみる。
 アキヒコはそれを素直に受け取ろうとして、なにかに気がついたのか顔を少し赤くしたあと、ようやくかじりついた。
 で、盛大に咳き込んだ。
「おいおい、汚いぞ」
「こっ、こんなもん、よく食えるなっ……! 雑巾の味がしたぞっ!」
「慣れればどうってことない。水とこいつさえあれば生きていけるから、おまえもさっさと慣れたほうがいいぞ。わざわざ料理する手間隙なんぞまったく無駄だ」
 灰色粘土をガツガツと噛み千切って飲み込む。圧倒的に不快な食感と、雑巾を食べているかのような嫌悪感。たしかに不味いことには不味いが、べつに気にならない。
 ユーフィーナやらウィルダネスやらが、すごい顔をしてこっちを見ている。
 ようやく落ち着いたアキヒコが、ものすごく不愉快な目つきで俺を睨んでいる。
 なんだよぅ。
 いいじゃん。俺の勝手だろ、なにを食べようが。
「……あんた、こんな上手い料理を作れるのに、味覚が狂ってるのか?」
「いいや。俺だってこいつは不味いと思うぜ。が、栄養をたっぷりと簡単に摂取できるからな。気に入ってる。ただの栄養補給のために手間をかけるのは時間の無駄だからな。その点こいつは合理的で素晴らしい食品だ」
 食材を選んだり調理したりする時間を短縮して、もっと有意義なことのために時間を使えるだなんて、素晴らしいことじゃないか。
「だいたい料理なんてもんはな、薬品の調合と同じだ。材料と手順を間違えなければ誰だって同じように美味くできる。……そこの赤毛やシェラザードには、なぜだかできないことだがな」
 俺がそう言うと、ユーフィーナは「むぐっ」と顔を強ばらせた。シェラザードは無反応。
 ウィルダネスが笑った。
「まっ、どんな人間にもひとつやふたつは欠点があるわな」
「……そういえば、俺の幼馴染も、料理が下手だったな」
 どこか暗く沈んだ表情の、アキヒコ。
「もとの世界の話か」
「ああ。隣の家に住んでた女の子。……元気にやってるかな、あいつ……」
 あっちの世界のことを思い出しているのだろう。
 けど、それは俺にはどうでもいいことだ。
 俺は立ち上がった。
「二時間経った。ここを片付けたらすぐに行くぞ。まったく、とんだ道草を食っちまったもんだぜ」
「嫌味かよ。しつこい女」
「おっと足がすべったあっ! アキヒコくん危なーいっ!」
 手加減なしの回し蹴りが、アキヒコを激しく吹っ飛ばした。
 
 
 
 ダンジョン攻略再開から四時間が経過。
 俺さま特製のスープが抜群の効果を発揮したおかげか、アキヒコはなんとかこっちのペースについてこれているようだ。うんうん、けっこうけっこう。
「なあ、フェアラート。訊きたいことがあるんだけど」
「私語は禁止だ、たわけ。殺すぞ」
「ちょっと。そんな言い方はないでしょう、フェアラート」
 ……おまえもいちいち飽きずにつっかかってくる女だな、ユーフィーナ。
「ごめんね、アキくん。それで、訊きたいことってなに? 私でよければ答えるわよ」
 アキくん?
 アキくんって言ったか、おまえ?
 いつの間にそのガキとそこまで親密に……? おまえ、恩を仇で返される形でおもいっきり殴られたのに、もうそのことを忘れたの? 馬鹿なの……?
 ユーフィーナの母性本能は超爆発魔法級だから、いかにも駄目な子っぽいアキヒコがそのへんを刺激したのかもしれない。馬鹿な子ほどかわいいというからな。しかし、どこか恐ろしい女だ。同じ女だから分かることだが、情の深い女っていうのは怖いぞ。ああいう女こそが嫉妬で狂ったり、別れ話のときに恋人を刺し殺したりするんだ。
 アキヒコもちょっと気圧されたのかもしれない。やや遠慮がちな声。
「あー、うん、このダンジョン、さっきから床やら壁やらに変な紋章みたいのがあるけど、どういう意味なのかなって思ってさ」
「ああ、なるほど。これはね、混沌の神カムイの紋章よ」
「混沌の神……?」
 そう、このダンジョンのいたるところ、それこそ壁やら床やら天井にいたるまで色んなところに刻まれているのは、《炎の剣を持ち猛毒の弓矢を背負う巨人》の紋章。混沌と破壊の神、カムイの紋章だ。
「アキくんはまだこの世界のことを知らないのね。よしっ、私が教えてあげる」
 おせっかい焼きの馬鹿がはりきり始めやがって。
 口を閉ざしてもらいたいところだが、ここで無理やり黙らせようとしても、余計にユーフィーナをヒートアップさせるだけだろう。無視だ、無視。
「まず最初に、この世界には六柱の神がおられるとされているわ。すなわち、」
 時間と空間の神、アートマン。《黒衣の賢者》。
 知識と進化の神、エンディミオン。《双頭の竜の背に乗った老魔法使い》。
 慈愛と治療の神、マクシミリアス。《竜巻に守護されし有翼の女神》。
 商売と成功の神、ディールズ。《財宝の山に座る青年》。
 混沌と破壊の神、カムイ。《炎の剣を持ち猛毒の弓矢を背負う巨人》。
 武勇と栄誉の神、デステ。《宝剣を携えた眉目秀麗の騎士》。
「以上の六柱。それが、この世界を管理されているという代表的な神よ」
 ピシッ、と人差し指を立てるユーフィーナ。
「もちろん、ほかにも色んな神がおられるわ。希望の神、森林の神、大地の神、腐敗の神、それから鍛治や炭鉱の神。とにかく、さまざまなことについて、それを司る神が存在しているの」
「俺の育った国の宗教と似てるかもしれないな」
「そうなの? よかった、だったら理解が早いかも。――そうね、多くの神々のなかでも、とくに偉大な力をもつとされているのが、いま挙げた六柱の神。そしてそのうちの一柱、カムイを、この場所では祭り上げているようね」
 単なるダンジョンではなくて、正体は、神を崇めるための神殿だということだ。
 もっとも、カムイを信奉するのは本物の気狂いか生粋の戦争中毒、あるいは強烈な破滅願望の持ち主だけだ。ここはそんな糞虫どもの手によって作られたのだから、神殿という言葉が持つ聖なるイメージからはほど遠い。
「……カムイは混沌と破壊の神。炎の剣でありとあらゆるものを焼き払い、猛毒の矢で死病と疑心暗鬼を蔓延させる。惨忍で、流血と殺人を好み、人間社会に憎悪と争いの火種をばらまく、おそろしい戦争の神よ。かの神の信奉者にはすべてを凌駕する無敵の力と不死身の肉体が与えられると聞くけれど、その代償として、必ず破滅する運命を背負ってしまう」
「なんだそりゃ。そんなのを信じる奴らがいるのか?」
 アキヒコの疑問も、もっともだ。
 普通の神ならば、信じる者は救われる。が、カムイは、救いなど与えない。信じようが、信じまいが、場所を選ばずに戦乱の混沌を引き起こし、誰にも彼にも平等に破滅を撒き散らすのみ。神というよりは魔神、悪神のたぐい。
 だが、いるんだよ。そんな疫病神を崇める、どうしようもない連中が。
「北方の大国、傭兵国家ヨルムガルド。あの国では国民すべてがカムイを信奉している」
 ジェラルドが言った。
「目先の利益のみ追求する、あさましい俗物どもの国だ。世界各地の戦いに手を出し、ひっかきまわす。いずれも恐るべき腕利きだが、意識の高さが畜生と変わりない。魔物と同等かそれ以下の連中だな」
「悪かったな、魔物以下で」
 と、言ったのは、俺だ。
 ジェラルドは、驚いたように目を丸くする。
「なに? まさか……」
「言ってなかったか? 俺はあそこの生まれだ。勘違いするなよ、まったく胸糞悪いところだって意見には同意しておくんだからな」
 つい口が滑った。
 こいつらに俺の出自など話すつもりはなかったんだが。
 ……さして困るような部分でもないし、いいだろう。
「ヨルムガルドはまさにカムイのための国でな。あそこでは秩序なんてあってないようなもんだ。日常的に強盗と殺人が頻発してるし、真っ昼間から町のど真ん中で乱交パーティー。狂ったところだ。この世の地獄といってもいい。俺のような常識人には辛すぎた」
 ああ、思い出すだけで憎悪の炎が燃え上がる、わが人生の汚点。
 あのクソ忌々しい国で生きていくことが出来たのは、姉さんのおかげだ。あのお方の存在がなければ、俺は地獄の現実に打ちのめされ、抵抗する気力を完全に失い、精神的にも肉体的にも死滅していたことだろう。
「……あそこの連中は、人生の先なんて見据えてないのさ。いまが楽しければそれでいい。それだけしか考えてない傭兵ども。反吐が出る。おまえの言うとおりだよ、ジェラルド。犬の糞よりも価値のない畜生どもだ」
 俺が望むのは平穏だ。
 栄光の光に照らされた、輝かしい平穏。それこそが俺の最大の目的。
 やつらの行動や理念は、俺のそれと真っ向からぶつかって相反している。
「そういうわけで、俺はあの国の生まれだが、カムイを信奉しているわけじゃない。そもそも俺は神なんぞ信じてないからな。ま、エンディミオンやデステあたりは信奉してやってもいいかもしれんが……」
「エンディミオンは忌まわしい魔王よ。邪神の信仰にまで目覚めたなら、いくらなんでもついていけないわ」
 わかってるよ。ただの冗談だ。赤毛の脳味噌には冗談を冗談と理解できる柔軟性が足りないようだな。
 アキヒコが不思議そうに言った。
「知識と進化の神じゃなかったのか?」
「そうよ。エンディミオンは知識と進化を司る魔法使いの神。信者には膨大な知識と魔力が授けられて、無限に進化することができると言われているわ。もっとも信者の多い神でもあったらしいわね。……かつては」
 いまでも、ある意味、その信者の数は圧倒的だけどな。
 なにせ、魔王軍すべてがエンディミオンの熱狂的な信徒といってもいいのだから。
「かの神がいつ人類に対して牙を剥いたのか、正確なことは定かではないわ。何百年、ううん、何千年もの昔、彼は人間の味方であることをやめて、魔物の神になったのよ」
「つまり、だ。神と喧嘩をするために、俺たちは冒険者をやってるってわけだな」
 なぜか嬉しそうに言う、ウィルダネス。
 そんなことのために冒険者をやってるのはおまえぐらいのもんだ、馬鹿ちん。
 だが、まあ、あながち間違いというわけでもない。
 俺たちはそれぞれの目的の成就のため、魔王をいずれ倒すべき敵として認識している。そこには間違いがない。ただ俺やほかの連中にはその先にこそ終着があり、ウィルダネスは、魔王と喧嘩できるということそのものこそが目的なんだ。理解しがたい。
「……冗談じゃねえ。俺は、もとの世界に帰りたいだけだ。神やら魔王やらと喧嘩なんて誰がするか」
「おいおいっ、つまんねぇこと言うなよアキヒコ。それにな、エンディミオンはこの世の真理まで知り尽くしているっていうぜ。ひょっとしたらおまえがその世界に帰る方法も知ってるかもしれねぇだろ?」
 おや。
 ウィルダネスめ……ほんのたまにだがいいことを言う。そうだな、たしかに。この世の起源から終末までを知るという全知神エンディミオンならば、そのことについて知っていても不思議ではない。
「よかったじゃねーか、アキヒコ。そこの筋肉馬鹿の言うとおりだ。これで俺の奴隷として気張る理由がきちんと出来たってわけだ」
「誰が奴隷だ、誰が。――つーか、そもそも、神さまのひとりがグレちまったっつーんなら、ほかの神さまがどうにかすればいい話じゃねえの?」
「ふん、分かってねえな、アキヒコ。そんなに話が簡単なら――」
 台詞の後半をぶった切って、俺は横手の空間めがけて地を蹴った。
 ウィルダネスが拳を構え、シェラザードが杖を振りかざし、ジェラルドが鞘から双剣を抜き放つ。
 状況を把握できずにポカンとしている間抜けのアキヒコを、ユーフィーナが抱きかかえて後ろに跳ぶ。
 直後、俺の立っていた場所へと轟音を上げて着地したのは、巨人族よりもはるかに巨大な体躯を誇る大サソリだ。黒光りする全身。爛々と光る双眸。不快な泣き声を奏でる口腔。こちらを威嚇するように高く持ち上がっている尻尾の先の毒針は、おそらくかすっただけで三度は死ねる。リザードマンやハイオークの群れなど比較にもならない強敵。
 ……こんな図体のデカブツが天井に張り付いてやってくるのを気づけなかったとはな。
 乾いた唇を舐めながら、剣と杖を構える。
「やっぱりくだらんお喋りはするべきじゃなかったな。――五秒で仕留めるぞ、ボンクラのドブネズミども」
 大サソリのレベルはおそらく二〇〇を超えるが、この程度の魔物に手こずる程度なら、俺たちはリノティア学園のトップになど立っていない。
 しかし、奇妙な感じだ。
 なにやら違和感がある。
 この《ルノス古代遺跡》は、どこかおかしい。いままでのダンジョンとは空気が異質だ。
 カムイの神殿だと……? あの神は神殿など必要としない。カムイが求めるのは形態のあるものではなく、より大きな混沌、より大きな破壊。神殿や生け贄、祈りや信者など、カムイにとってはどれほどの価値も意味もないものだ。
 マーキアスが直感したとおり……ここにはなにやら薄気味の悪いものを感じる。
 そしてそれを確かめる必要があると、俺の直感は告げている。
 そのためならば、目の前の大サソリなど……五秒も要らない……二秒で片付けてやる。



[9648] 昔のお話。まだおっさんが若かったころ。その八
Name: あすてか◆12278389 ID:8c587ade
Date: 2010/04/26 20:21
 そして俺の直感は当たった。まったく嫌な予感だけはどうしても当たる。うんざりするぜ。
 俺たちの眼前には、巨大な扉がどっしりと居座っている。
 ドアノブもなければ鍵穴もない。
 扉の表面に手をかざしてみると、光る文字がびっしりと浮かび上がった。
「現代の言語ではないな。古代ジュール文明のものか」
「ああ。後期のな。わざわざマイナーなところを……手のこんだことをしやがる」
 光る文字を読み解くことが出来たのは、俺とシェラザードだけだ。
 そしてこの扉の本質……何者かがわざと古く見せかけているだけだと気付けたのも。
 古代ジュール文明は千五百年以上も昔に滅んだ文明だが、この遺跡はどう見たって建築されてから五百年も経っていない。ちゃんと勉強してる奴なら一発でおかしな点に気付く。これを仕組んだ奴は、適当な仕事をしてやがる。
「音声認識型のようだが、どうする?」
「わざわざ相手の書いたシナリオ通りに振る舞ってやる必要があるのか? 馬鹿らしい」
 そんなことをしなくても、俺には、とびっきりのマスターキーがある。
 この世すべての扉と錠前が無価値なガラクタと化す、マスターキーがな。
「ウィルダネス。やっちまいな」
「おうっ! やらいでかっ!」
 その名も馬鹿力。
 ただのパンチ、ともいう。ただし、その威力は俺やシェラザードの魔法にも匹敵する。
 猛烈な衝撃と落雷のごとき轟音とともに、巨大な扉が吹っ飛んでいく。
 そしてブチ開けた扉の先に広がっていたのは、異様な光景。
 血と肉片の色に染まった床。
 巨躯の肉達磨。
 頭上から降ってくる、不快な声。
 忌々しい。残らず始末してやる。
 その名をフォビドゥオとかいうらしい肉達磨が、こっちに向かって突撃してくる。
 この広い空間なら、ダンジョンの崩落を気にする必要もあまりないだろう。強い魔法をいくらでもぶっ放せる。
 ちょうどいい。せっかく手に入れた魔法杖の、その真価を確かめておくとしようか。
 と、思っていたのだが。
「おぅい、フェアラート。ちょっと悪いんだがよぅ」
 俺の視界に飛び込んできたのは、ウィルダネスの満面の笑みだった。
「……なんだ?」
「いやー、どうにも最近、俺の出番が少ないような気がしてな。ほら、俺っておまえが言うとおりの喧嘩馬鹿だろ? たまには歯ごたえのある奴と戦っておかねぇと勘が鈍ってしょうがねぇのよ。な、いいだろ? ここは俺に任せてくれよ」
 などと言いながら、俺に拝んでみせる、ウィルダネス。
 小さく舌打ちする、俺。
「……まあ、いいだろう。その代わり、あまり遊ぶなよ」
「おおおおおうっ! 話がわかるじゃねーか! おまえのそういうとこは大好きだぜ!」
「ボケが。おまえに好かれたって一文の得にもならん。それよりさっさと始めろ。向こうは、もう始めているつもりだぞ」
 ウィルダネスを指差す。正確に言えば、その背後を。
 フォビドゥオがさっきから、必死になってウィルダネスの背中を叩いている。
「んあ? ああ、道理でくすぐったいと思ったぜ」
 ウィルダネスは俺に言われてやっと気付いたのか、フォビドゥオのほうに向き直り、
「――で? もしかしてそれが攻撃のつもりじゃねえよな?」
 おそらく、岩をも粉々に砕くと思われる肉達磨の豪腕を、攻撃ですらないと言い切った。
 断っておくが、俺はもちろんのことユーフィーナでさえ、ウィルダネスにはなんの魔法もかけていない。もともと身体強化の魔法がかかっているわけでもない。
 ウィルダネス・ドストロイ。この巨人族の豪傑馬鹿は、そのもともとの筋肉密度だけで、竜族の爪牙すら弾き返し、業火や吹雪をも無効化する。アホみたいに分厚い胸板が天然の鎧だ。
 そしてその攻撃は、
「ふんっ」
 なんでもない、腰の回転や背筋ですら使っていない、腕を動かしたのみのパンチが、超重量級であるフォビドゥオの巨躯を吹っ飛ばす。
 無様に地を転げまわりながら遠く離れていく、フォビドゥオ。
 ウィルダネスの足元の地面が勢いよく爆ぜる。巨人族の馬鹿でかい肉体が、残像を生むほどのスピードで加速する。
 《黄金の栄光》のメンバーの中でもウィルダネスはもっとも鈍重だ。速力だけでいえばアキヒコにすら劣る。だけどそれはあくまでも俺たちの中での話。
 全身が筋肉の塊である奴の脚力は、大概の魔物や人間の動体視力を置き去りにする。
 ようやくフォビドゥオが立ち上がったとき、ウィルダネスはすでにその眼前だ。
 フォビドゥオの豪腕が顔面に迫っても、ウィルダネスは避けようとしなかった。ま、通用しないと分かってるんだから当然か。たぶん瞬きもしてないな、あれは。
 ガツン、とウィルダネスの顔に炸裂するパンチ。
 それをものともせず、ウィルダネスの丸太のように太い脚が、フォビドゥオの巨躯を蹴り上げた。
 数百キログラムもの重量を誇る肉塊が、ただの蹴りによって十メートル以上も舞い上がる。
 あー。
 いつものアレか。
 決まったな、これは。
 獰猛に笑いながら膝を曲げて低く屈む、ウィルダネス。
「うるあああああああっ!」
 勢いよく、ジャンプ。ただのジャンプなのに地面では爆発音。
 瞬時にして上空のフォビドゥオに追いついたウィルダネスの、最強最悪の空中コンボが始まった。
 一秒間に八十連撃の拳のラッシュ。空中という足場のない状況でありながら常識を無視したキックの嵐。
 フォビドゥオの頭部がひしゃげて胴体が吹き飛び、手足が潰れる。
「おおおおおおおおっ」
 わずか二秒ですでにグチャグチャのミンチと化したフォビドゥオ。
 そこに、ウィルダネスは容赦なく自慢の戦斧を――信じがたいことだが、重量五十キログラムを越える得物を背負ったままであんな軽業師じみた芸当をやってみせたのだ、こいつは――叩きつける勢いで、振り下ろした。
「どぅおらあああああッッ!」
 真っ二つにぶった切られたフォビドゥオがさらに蹴り付けられて地面に激突。
 続いて地に降り立ったウィルダネスは、なぜか爽やかな表情でこちらに振り向き、親指をグッと立ててみせた。
「……じつに、驚くべき結果だと言えるだろう。同じリノティアの生徒と言っても、ここまでレベルに差があるものだとは」
 お。
 その存在をすっかり忘れていたが、そういえばこいつがいたんだった。謎の声の主。
 どうやら若い男っぽいのだが、どうにも声が冷めていて鬱陶しい。どこかで聞いたことがあるような気もするのだが。
「べつに驚くことじゃない」
 俺は、肩をすくめてみせる。
 そう、これはなんら驚くことでもない、ごく当然の結実。
「おまえの手駒よりも、俺の手駒のほうが優れていた……それだけのことだ」
「ほほう。すがすがしいほどの自信家だな。自分の友人によく似ているよ」
「どうでもいい。――それで? 結局、おまえは何者だ?」
「そうだな。ゲームにも敗北したことだし、お教えするとしよう。自分の名はイェルゲン・ボルザック。しがない研究者だよ。なんでも研究して開発するが、最近の専門はもっぱら兵器部門。とくに生物兵器にこだわっていてね」
 イェルゲンは、自分の作品が敗北したというのに、悔しさや怒りをまるで感じさせない声で言う。いやむしろこいつは、俺たちの出した結果に興味を覚え、ますます気をよくしているかのようだ。
「だが、本当に驚きだ。フォビドゥオの戦闘能力には期待していたのだが。とくに、その近接戦闘能力には。それがまさか同じタイプの戦力で、こうもはるかに上回る固体が存在するとは。ふむ、設計思想から見直すべきかもしれん。ともかく、よくやってくれた。諸君らには感謝しよう」
「自分の手駒を壊されて感謝だと? おめでたい馬鹿だな」
「なあに、今回のことはたしかに自分の敗北……失敗といえるが、失敗などというものは単なる過程にすぎんよ。むしろ失敗すればするほど正しい道筋を把握し、結果的にはより大きな成功へとたどり着ける。まさに失敗こそ成功の母だ」
 なるほど。
 笑える。
「負け犬の理屈だな」
「ほう……?」
「失敗は成功の母。あきらめなければ次がある。……いい言葉だ。胸を打つ。聞こえのいい理屈だ」
 だが実際のところ、やはり負け犬の理屈でしかない。
「そんなものはな……自分には絶対に次回があると信じてる、甘ったれの台詞なんだよ」
 この世は不条理だ。
 弱ければ死ぬ。負ければ死ぬ。
 足元に底なしの暗闇が広がる、決死の綱渡り。それが人生。
 失敗すれば死んで当然。生きているほうが奇跡……おかしなことなんだ。
 奇跡が何度も続くはずがない。
「真実の成功も、輝かしい栄光も、勝ち続ける人生の先にこそある。敗北者に与えられるのは、惨めで無様な末路だけだ」
 だから勝ち続けるのさ、俺は。たとえなにを犠牲にしようとも、どんな手を使ってでも。
 一度たりとも、負けてたまるか。
「ご高説、痛み入る」
 イェルゲンの、ニヤニヤとした笑みが見えてきそうな声。
「とはいえ自分も自説にはいささか自信があるのでね。次回こそはもっと素晴らしいものを諸君らに進呈すると約束しよう」
 と、イェルゲンがそこまで言ったところで、俺はひとつの異変に気がついた。
「――次があればの話だがね」
「ウィルダネス、そいつから離れろ!」
 ぐちゃぐちゃのミンチになって床に散らばっていたフォビドゥオの成れの果てが、突如として脈動した。
 手も足もどこかに吹っ飛んでいった肉の塊は、どこをどうやったか知らないが立ち上がり、近くに立っていたウィルダネスに襲いかかる。
 慌ててそれを避けて後退するウィルダネス。
「なんだこいつ? たしかに倒したと思ったんだが……」
「分からん。……魔力が馬鹿みたいに上がっていやがる」
 見た目こそ死にかけの肉塊、ただの醜いミンチだが、俺が肌で感じる威圧感はむしろ爆発的に増している。
 もはやフォビドゥオはさっきまでとはまったく別物の存在と言ってもいい。
 なにがどうなった?
「ご説明しよう」
 イェルゲンが笑いを含んだ声を響かせる。
「人間には大きく分けて三つの欲求がある。食欲、睡眠欲、性欲だ。しかしフォビドゥオには睡眠欲がない。それが必要とならないように自分が手を加えてあるからな。では残りのふたつはどうなのか? その答えがこれだ。見たまえ」
 フォビドゥオはウィルダネスを追うことはせず、わけのわからんことをやり始めた。
 近くに落ちていた死骸……たぶん《黄昏の魔天使》のメンバーのものだろう。それに向かって頭突きを始めたのだ。
 ゴヅン、ゴヅン! と。フォビドゥオは頭突きを繰り返す。
 なんだ、こいつ。
 不気味な光景に、さすがの俺も寒気を覚える。
「性欲と食欲の同一化だ。食うことによって性的欲求をも満足させる。しかし問題がひとつあってね。フォビドゥオには口がないのだよ」
 そういえば、肉達磨の顔面にあるのは大きな目玉がふたつだけだった。
 なるほど、つまり。
「究極の焦らしプレイだな」
「そういうことだ。増大し続ける食欲と性欲はフォビドゥオの精神を狂わせ、白熱させる。だがそれを解消する手段はそいつにはない。なにせ口がないのだから。なにも食えないのに飢餓感だけが無限に広がり続ける……まさに地獄。エクセレントだ」
 だからこいつは、食えないのに食いたくて、死んだ獲物の血肉に向かって、ひたすら頭突きを繰り返すのか。本来なら自分の口があるべき場所に、絶対に口に出来ない食事を入れたくて。
「素体にしたのは人間か……」
「ああ。むろん胎児に対しての実験も並行して行っているが、やはり成果が表れやすいのは成人した人間だからな。三十二歳の成人男性だ。最初こそ泣いて嫌がっていたが、妻子を人質にとったら態度を変えて協力的になった。――ちなみにそのフォビドゥオの最初の餌はその妻子だ。人間の記憶ほど脆いものはないな。ちょっと改造しただけですぐ壊れる」
 弄くっていたら壊れてしまった玩具のことでも話すような調子で言う。
 ユーフィーナが、怒りと嫌悪に満ちた表情を浮かべた。
「悪魔……」
「ひどい言い草だ、お嬢さん。――せめて、神と言ってほしいね」
 ゴヅン、ゴヅンと頭突きを繰り返していたフォビドゥオの動きが止まった。
 そして、代わりに、ぐちゃぐちゃと餌を食い散らかす音が。
 縦に割れ、ずらりと牙の並んだ口腔が、フォビドゥオの顔面に生まれていた。というよりも、顔面のほとんどが穴と化している。
「オオオオオオオオオオッッッ」
 このダンジョンそのものを揺るがすような大音声。空気が震え、ビリビリと鳴る。
 凄絶なまでに強烈な感情が、あのフォビドゥオから吹き付けてくる。
「憎悪だよ。人間のもっとも強い感情のひとつだ。そいつは不満なのさ……気が狂わんばかりの飢えが! けっして満たされず、報われることもない、自分の身の上が! そして自分よりも幸福に生きているこの世のすべてが、すべて憎らしくてたまらないのだ! その精神の負のパワーが、従来のスペックをはるかに上回る進化を実現させた。そう、まさに進化だ」
 吼え続けながら巨大化するフォビドゥオ。
 最初は四メートルそこそこの大きさしかなかった化け物が、いまではその倍ほども大きくなって、それに比例するように、魔力も桁違いに肥大化していく。
 俺たちを新鮮な獲物と認識したのか、真っ赤になるほど血走った目玉でこちらを睨みつけ、口からは涎と血を撒き散らしながら、ミンチの手足を震わせる。
「ゲームは一度で終わりだと言った覚えはないぞ。自分はしつこくて負けず嫌いなのでね。悪いが、自分が勝つまでは何度でもやり直させてもらう」
「しつこい男は嫌われるぜ」
 などと、軽口を叩いている場合じゃないな。
 これは少しばかり本腰を入れてかからないといけないようだ。やれやれ、うんざりさせられる。
 ここはいつも通りの戦術で攻めてみるか。
 ユーフィーナの加護を受けたジェラルドとウィルダネスが接近戦をしかけて時間を稼ぎ、その隙に詠唱を終えた俺とシェラザードの超高等魔法で殲滅する。あまりにも単純だが、これで倒せなかった敵はいない。
 俺たちが全力戦闘のために態勢を整え終えたとき、フォビドゥオのほうも準備を完了させていた。
 無茶苦茶にぶち壊されていた肉塊の腕が、瞬きする間にその形を整え、いままでは存在しなかった五指を形作る。脚も同様に、ただの肉団子から、より速く動けるように細くしなやかに力強く、整形し、しっかりと大地を踏みしめる。
 丸っこい肉の塊でしかない胎児が、母親の胎内で、人間としての形になるように。
 こいつはほんの数十秒の間に、驚異的な速度で成長している。
 無駄をなくし、余計な贅肉をそぎ落とし、より鋭く、より速く、より強く。
 全身の気持ちの悪い肌色や、知性を感じさせない異形の顔面こそそのままだが、筋肉繊維の束のような引き締まった腕や脚といい、高質化した胸部や腹部、巨大化した体躯といい、フォビドゥオは、見た目からでも分かるほど、その強さを増している。
 もちろん俺たちとて、フォビドゥオの進化をいつまでも眺めてはいない。これ以上の時間をくれてやれば、奴はさらに強くなる可能性がある。手がつけられないほど進化してからでは命取りになるだろう。
 舌打ちをひとつ。
「クソ忌々しい肉団子だ。――行くぞ。気張れよ、おまえら」
 俺の《黄金の栄光》は、俺を中心として活動するひとつの生命体。
 メンバー全身がすぐさま自分のやるべきことを理解し、しかるべき結果を叩き出す。
 ユーフィーナが神聖魔法を唱えようと、長聖杖《慈悲深く抱擁する乙女》を掲げる。
 ジェラルドとウィルダネスがそれぞれの武器を構える。
 そして、シェラザードと俺が、必殺の特大魔法を放つため、長い詠唱を始める。
 満足げに、イェルゲンが言った。
「さて、お互いに準備は整った。それではゲーム――」
「オーバーだ」
 アキヒコが言った。
 俺のすぐ横を、疾風が駆け抜けた。
 と同時に、フォビドゥオの胸板に、長大な剣が突き刺さる。《黄昏の魔天使》のメンバーが使っていた大剣か。
 アキヒコはあの大剣を砲弾のように投擲して、自身は弾丸のごとく疾駆したのか。
 ……いや、この俺ですら、走るアキヒコの残像すら見えなかったのだが。
 人類の限界を完璧に無視した、疾風迅雷の超スピード。
 フォビドゥオにとっては、もちろん予想外のことだっただろう。
 奴の超至近距離で吹き荒れる、鋼の竜巻。
 それはフォビドゥオの脚をまず二本まとめて斬り飛ばし、体勢が崩れたところで腕が宙を舞い、間髪入れずに頭部がそのあとを追った。
 風と血と肉が荒れ狂い、フォビドゥオは、その断末魔の声を上げることさえ許されなかった。
 しん、と静まり返る。
 イェルゲンの不快な声すらも出てこない。
 ……俺は見誤っていたかもしれない。アキヒコの強さというか、その底力……限界を。
 こいつはたぶん、底なしに強くなる。おそらくは、俺が思う以上に。
「おい、フェアラート。これでいいんだろ?」
 フォビドゥオの血肉の海を踏みにじりながら、アキヒコが訊いてくる。
「あ?」
「だからさ。こいつ、ぶっ壊しちまったけど、これでよかったんだろ?」
 ああ、そういうことか。
 そういうことなら、まあ……。
 まあ、これでよかったといえるんだが……。
「よくやった」
 舌打ち。
「だが、俺の命令もなしに飛び出したのは気に入らんな」
「あんたが鈍間なのが悪いんだよ。俺はさっさとこいつを片付けたかっただけだ」
 こいつめ。よりにもよってこの俺を鈍間扱いだと?
「調子に乗るなよ、小僧。また痛めつけられたいのか?」
「事実を言っただけだろ。こんな弱っちいデカブツ、俺ひとりで十分だったんだ」
 そしてアキヒコは、転がっている肉片のひとつを踏み潰す。不快な音と共に血が飛び散る。
「そうか……こういうことか。悪くないな。むかつくものは、ぶっ壊せばいいんだ。そういうルールか。この世界では、俺は自由に出来るってことか」
 アキヒコの双眸にあるのは、なにを考えているのか分からない虚無の色。
 俺とこいつが始めて出会ったときに見せていた、あの色だ。
 ……こいつ、強いのはいいんだが、不安定だな。……気味の悪いガキだ。
 まあ、いい。
 いまはこいつのことなど後回しだ。
「出し物は終わりか? 種が割れたら舞台を降りるのが礼儀ってもんだぜ」
「仕方がないな。今回は私の負けだ……仕方がない」
 皮と皮を打ち合わせるような、硬質な音が響く。拍手でもしているのか。
「ゲームクリアー、おめでとう。さすがは栄えあるリノティアのトップ。とくに、そこの彼のスペックにはなみなみならぬ興味を抱いたよ。諸君らにはぜひともまた自分の実験にご協力を願いたいところだな」
「それはかまわんが」
 声が振ってくる頭上のほうを見上げる。
「つぎは、おまえの命も賭けてもらう」
「いいねぇ。やはり暴力はかぶりつきで見ないと面白くないからな。ところで――ポチッとな」
 あん?
「その遺跡に仕掛けておいた自爆装置を稼動させてもらった。隠すべき証拠もいろいろとあるのでね。きっかり五分後にはその遺跡を中心とした半径五キロメートルの空間が粉微塵になって見事に吹っ飛ぶ。命が惜しければ、それまでに退避してくれたまえ」
 はああああああっ?
 いやいやまてまて俺。まだ慌てる必要はない。
「それをわざわざ俺らに教える理由は?」
「本当はいますぐ装置を作動させるのがベターなのだろうが……なに、自分は自爆のロマンを心得る者だ。そんなつまらないことはしない。それでは諸君らの健闘を祈る。また会おう」
 それきり、イェルゲンの声は聞こえなくなった。
 なんというか、むかつく上にめんどくせぇ男だな。
 アキヒコが、どうでもよさげに訊いてくる。
「どうするんだよ。五分以内に脱出とか、絶対に無理だろ」
 そのわりには落ち着いてるな、おまえ。
 軽い自暴自棄、か?
「慌てるな。俺とシェラザードの空間転移魔法でいますぐ脱出できる」
「……便利だな。あんた、なんでもできるのに、どうして冒険者なんてやってるんだ? まだ欲しいものがあるのか」
「あるさ」
 そうでなければ、誰がこんなやくざな商売などやるものか。
 毎日のように薄汚い迷宮に潜って汗水を垂らし、おぞましい化け物どもと死闘を繰り広げ、地上に帰ってきてからも不眠不休で残務処理。反吐が出る。
「分かるだろ? 誰だって欲しいものが、俺だって欲しい。……永遠の命ってやつがな」
 この世に生まれたからには誰もが死ぬ。
 それが絶対の運命。
 昇った太陽が地平線の彼方に沈むように、林檎が木から落ちるように。
 生まれの差など関係ない。誰にでも寿命はある。どんな金持ちだろうが、貧乏人だろうが、いつかは死ぬ。死んで朽ちて果てる。どれだけ素晴らしい人生を送ったかなど関係ない。屍に成り果てて焼かれるか土に埋められて終わる。
 俺にはそれが、我慢ならない。
「俺を見ろ。誰よりも強く賢く、美しい。この世でもっとも優れた人間だ。……だが忌々しいことに、この俺ですら逃げられん……老いと寿命、時間という名の死神の鎌からは。許されると思うか? ここまで完璧な、最高の女が、あと何十年か経てばヨボヨボのババアだ。我慢ならんね。だから俺は手に入れる……永遠に生きる手段を。永久無限に強く美しいままでいられる方法をな。そのための《黄金の栄光》。そのためのおまえたちだ」
 ああ。
 だから俺は急いでいる。
 いまの俺は完璧だ。
 あと何年か経っても……そう、十年くらいは完璧でいられる。
 だがそこから先は下り坂だ。美貌は陰り、実力も落ちる。絶頂期が過ぎ去る。
 それまでに、なんとしてでも、永遠を手中に。
 だから、俺は、急いでいるんだ。
 誰を犠牲にしてでも、たどり着く。
 アキヒコは顔をしかめ、吐き捨てるように言う。
「狂ってるよ、あんた」
「この美貌をむざむざと捨て去る覚悟をするのが正気なのか? そんなものは願い下げだな」
 くだらん。自称健常者のたわごとなど、とうの昔に聞き飽きている。
 それよりも……部屋の隅っこで、なにやらモゾモゾと動いた気がするぞ。
「う、うう……」
 壁際に倒れている、低い呻き声を上げ続けている者の正体は、銀髪の冒険者だった。
 ほほう。《黄昏の魔天使》のメンバーは全員が挽肉に化けたかと思っていたが、生き残りがいたか。
 まあ、生き残りとはいっても、半死半生のありさまだが。
 無造作に近づいていって、軽く手を掲げながら笑顔を見せる。
「よう、お元気?」
「……フェアラート……か……無様なところを、見られたな……」
「ああ、笑えるぜ。ルシーファだろ、おまえ? 立てるか?」
「す、すまない……足が折れている……立てそうにない……か、回復魔法をたのむ……」
「んー? ああ。だが酷いやられようだな。右腕と右脚がジャンクになってやがる。自慢のお顔も半分が脳味噌とシェイクされてスプラッタだ。だれか鏡を持ってきてみろよ、ははは!」
 いや、実際、ひどいもんだ。
 ルシーファのファンクラブに入会している女は多いそうだが、いまのこいつの状態を見たなら、千年の恋も冷めるってもんだろう。
 潰れた顔で俺を睨む、ルシーファ。
 気に食わん目つきだ。立場が分かっているのか?
「……俺の……仲間は……みんなは……?」
「死んだよ。おまえよりもちょっと念入りにミンチになってやがる」
「くそっ!」
 ルシーファは、無事なほうの腕で、床を叩きつけた。
 聞こえてくるのは涙声だ。
「守れなかった……まただっ……! 俺は、もう、二度と失わないと、決めたはずなのに――!」
 男のくせに女々しい奴だ。
「ちくしょう、ちくしょうっ……! どうして俺は、どうして守れなかったんだ……!」
「弱いからだろ。馬鹿かおまえ……」
 ここまで底なしの阿呆を見るのは久しぶりだ。
 こんな奴が、俺やラファーガと同列――《三本の剣》として数えられていたというのか?
 怒りのあまり目まいがしてくるね。
「強い奴はどんな好き勝手をしたって許されるが、弱い奴はすべてを奪われ続ける。それがこの世だ。おまえは弱いから仲間を失ったんだ。そんなのは当たり前のことだろ」
 俺は勝ち続けてすべてを思うがままに操り、やりたい放題やるために、ただひたすら強くなり続ける。
 ルシーファは、なにかを守るためには弱すぎた。
 ただそれだけのことだ。
 鞘から剣を抜き放つ。
「――そして、弱いから自分の命すらも守れない。それも当たり前のことだ」
 一閃。
「えっ」
 こっちを見上げてぽかんと口を開けた、間抜けな表情のまま、ルシーファの首が転がっていった。
 馬鹿な奴だ。商売敵だろうが、俺とおまえは……。
 俺が俺の食いぶちをできるだけ大きくするために商売敵を始末するのは、いまに始まったことじゃない。邪魔な奴は殺す。たとえそれが魔物だろうが、人間だろうが、エルフやドワーフだろうが、例外はない。もちろん公になれば俺は処分されるが、そういうときの保険のために多方面に手を回しているし、そもそも迷宮の内部で起こった事件の真実など、誰にも知りようがない。さらに言うなら、こんなことは、俺だけがやっていることでもない。
 鼻を鳴らして、ルシーファの死体に背中を向ける。
「どうして殺したのっ、フェアラート!?」
 予想通りというか、なんというか、怒り狂うユーフィーナ。
 赤毛の怒声を無視して、すべてがどうでもよさげな風のシェラザードに声をかける。
「撤収するぞ。おまえがアキヒコとユーフィーナ。俺がジェラルドとウィルダネスだ」
「ああ、分かった」
 目の前で人間が死のうとも、眉ひとつ動かさない、シェラザード。こういうときのエルフには助かるなぁ。話が早くていい。人間なんて虫けらとしか思ってない連中だもん。
 ま、騒いでいるのはユーフィーナだけだ。
 ジェラルドは俺のこういう部分についてすでに諦めているようだし、ウィルダネスはとりあえず満足のいく戦いさえ楽しめていればまず文句は言わない。
 アキヒコは……虚ろな瞳で、ルシーファの首を見つめている。やっぱり気味の悪いガキだ。
 さて、残された時間はそろそろ長くない。
 俺とシェラザードとで空間転移魔法を唱え、それぞれ分担してメンバーを瞬間移動させた。



「と、まあ、これが今回の一件のあらましだな」
 リノティア学園に帰還したその足でマーキアスのいる第三職員室へと向かい、調査の報告をすませる。このソファは座り心地がいいので好きだ。
 マーキアスは椅子に深く腰掛けながら落ち着いた様子で紅茶を口に含んだ。
「なるほど。おおよそのことは分かりました。ご苦労でしたね。よくやってくれました」
「あー、ほんとご苦労さまだったぜ。報酬を上乗せしてもらいたいくらいだ」
「いいでしょう。金貨でも魔法のアイテムでも、お好きなものをお好きなだけ」
「マジで? 好きなものをくれるの? なんでも?」
「ええ、もちろん。がんばった弟子へのご褒美ですよ」
 にっこり笑うマーキアス。
 にやりと笑う俺。
「じゃあ、アキヒコくんをちょうだい」
「……は?」
 マーキアスの、めったなことでは崩れない微笑が、困惑に染まる。
 これを見られたというだけでも、いまの台詞を口にした甲斐があったというものだ。
 俺はソファにさらに深く背中を預けてふんぞり返る。
「だからさあ、アキヒコをよこせって言ってるの。あいついまはおまえの管轄だろ? それじゃあ完全に俺の好きにはできないじゃん。俺さあ、あいつをちょっと本気で育ててみたいんだよね」
「わざわざ確認を取るまでもない。彼の育成はあなたに一任してあるはずですが」
「だーかーらー。――本気で育てるってことだよ。分かるか?」
 断っておくが、俺が本気で人間を育成しようと思ったら、それはもうスパルタを超越したなにかだ。甘い夢など見させない。地獄を見せる。秒刻みのスケジュールを組み立て、あいつの人生を一切の隙もなく掌握し、血の小便を垂れ流して喜怒哀楽を失う地獄へと叩き落す。
「まずは基礎体力だな。一日中ずっとぶっ続けで戦い続けても大丈夫なように肉体を改造する。成長とか強化じゃないぞ。改造だ。剣の技も体さばきも徹底的に叩き込む。残念ながら魔法の素質はカスだから期待していないが、最低でも盗賊の技術は覚えてもらう。今日から毎日みっちり二十四時間たっぷり使って、あいつを本職以上の盗賊に仕立て上げる。おまえの書庫にあった魔物やアイテムの辞典、それと戦術理論の本も借りるぞ。あのクソ分厚い本の山だ。一ヶ月以内に端から端まで暗記させる」
 なにせいまのアキヒコはただのお荷物にも等しい。
 これだけやって、ようやく使い物になるかどうかといったところだ。
 マーキアスはといえば、眉間に手を当てて、ため息をついていた。
「……死なせないようにお願いしますよ?」
「いや死ぬよ、たぶん。でもこれぐらいしないと道具にもならんから仕方ない」
 マーキアスのため息が大きくなる。
「ま、どうにかなるだろ。――ちょっとは期待してるんだぜ、こう見えても」
 あのダンジョンの最下層でフォビドゥオを相手に見せた、圧倒的な戦闘能力。
 いまはまだ稚拙な暴力だが、アキヒコがあれを自由自在に使いこなしさえすれば、それは俺にとって非常に魅力的な手駒の誕生となるだろう。
 部屋を立ち去るとき、ふと思い出した。
「そういえば、イェルゲンとか言う男のことだが……なにも知らないのか?」
「……さて、会ったこともありませんが……カムイを祭る神殿の存在をおそらくはかなり早い段階から知り、そこを自分の実験場としていたのですから、おのずと正体は知れますね」
 ふん。
 やっぱりこいつもそう思うか。
 俺は小さく舌打ちした。
「どこまでも忌々しい国だ。いつか絶対に滅ぼしてやる」
 そして、あの男も、必ず殺す。
 ――実の父親とはいえ、躊躇はしない。
 あれは、ただの悪魔。必ずや俺の将来を脅かす。この世に存在してはならない者だ。

















 傭兵国家ヨルムガルドは、リノティア学園のあるギアラ大陸から海を渡ったはるか北方、人間世界の極北に位置する新興国だ。
 建国からわずか百二十年という、歴史的には未熟な国でありながら、その科学技術力、保有する戦力は、数多の大国とも同等以上に渡り合う。
 ヨルムガルドは非常に特異な点を持つ国であり、その理由は三つある。
 まずひとつ、傭兵国家の通り名が示すとおり、かの国の大半の民が傭兵であるという点。傭兵とは金で買われて動く兵隊。ヨルムガルドの傭兵の戦闘能力はおそろしいほど高く、極めて優秀、一騎当千の猛者揃いということで知られ、多くの国が重用している。ヨルムガルドは世界各地の戦場に彼らを派遣し、彼らの利益と権利を保護する。一切れのパンのために人を殺す荒くれ者どもにとって願ってもいない雇用主なのだ。
 ふたつ。ヨルムガルドが位置する場所。
 地図で見ると本当の極北である突き出た半島は黒く塗り潰されている。そこが魔王領、大魔王エンディミオンの支配する禁断の地。そこでは朝日は昇らず、闇夜がすべてを支配する。全土を濃密な瘴気が包み込み、草木は枯れ果て、大地は荒み、おそるべき凶悪な魔物どもが歩き回り、一度でも足を踏み入れれば生きて帰ってきた人間はいないとされる、地上の地獄。
 ヨルムガルドはその魔王領を半円状に取り囲むように広がる、人類の絶対防衛ラインでもあるのだ。
 百二十年前、このラインが現在よりもずっと人間世界に大きく食い込んでいたころ、人間と魔物の戦いの最前線に、無名時代の建国王ベーゼがふらりと現れた。そして二十五万匹の悪鬼どもをたったひとりで笑いながら殴り殺し、やがて降臨した大魔王と一週間にも渡る死闘を繰り広げたすえ、ついには魔王を追い返し、魔王領を大きく押し返したのだ。
 大魔王エンディミオンは無限の魔力を操る怪物。呼吸をするように地震を引き起こし、台風を呼び、隕石を落とす、無敵の存在。魔物というよりは強大な悪神。それと正面から素手で対等に渡り合ったのは、人類の歴史上、ヨルムガルド建国王ベーゼをおいてほかにはいない。両者の戦いは地形を変え、空を真っ赤に染め、海を割ったという。
 そして特異な点の三つ目、それは、ヨルムガルドが人間の国でありながら、けっして人類の味方ではないということだ。
 在位百二十年目を数える建国王にして現国王、傭兵王ベーゼは、ポケットから取り出した葉巻を口に銜えると、その先端を指先で弾いた。刃物を使ったわけでもないのに異様に美しい切断面。黄金のライターで火を点ける。
 さして美味そうでもなしに紫煙を吐き出すベーゼは、見た目には三十五歳ほどの男に見える。白髪をやや短めに刈った、勇猛な戦士の風貌。身長は二メートルを軽く越し、横幅もある。白く分厚いコート、黒いシャツやズボンなどを着ているが、その内側の肉体が凶悪なまでに鍛え上げられていることは誰にでも分かる。丸太のように太く逞しい四肢、異常に発達した全身の筋肉。
 《傭兵王》、《殺戮王》、《不死王》と、数多くの異名を持つベーゼは、その精悍で整った顔立ちにいつも皮肉げな笑みを浮かべていた。この世のすべてを馬鹿にするかのように。猛獣にも似た、獰猛で野生的な魅力を放つ男だ。
 ヨルムガルド王城の玉座の間は悪趣味なまでの金銀財宝の山によって飾られた、爛れた空間。ただ、むやみに巨大で豪勢な玉座に座るベーゼ自身は、まったく権力者らしくもない格好をしている。
 誰かがすすり泣くような声が響いている。
 頬杖をついたベーゼは、謁見にやってきた者を見やる。
「なんだ。さっそく壊れたのか、あの実験場」
 ぞんざいな口調。太くよく通る声。
「たしかおまえの話じゃあ、もうちょっとは長く楽しめるはずじゃなかったか?」
「たしかにそう言ったが、それはあくまでも仮定の話だ。実際の現実にはいつでもアクシデントがつきものだし、今回はたまたま不運が起こった。自分に不手際はなかったさ」
 ヨルムガルド科学技術開発局局長、イェルゲン・ボルザックは、肩をすくめてやれやれといったような表情を浮かべた。
 イェルゲンは三十歳ほどの長身の男だ。だらしなく伸ばした白髪はクセが強く、それを首の後ろで適当に縛っていて、ホウキのようになっている。簡素なシャツとズボンの上からよれよれの白衣を着込んでいて、手足は細く長い。神経質そうに血管の浮かんだ手の甲。なかなか整った容姿だが、不健康そうな顔色をしていて、丸い眼鏡の奥から覗く双眸には、生き物すべてを実験動物として見ているような、爬虫類じみた冷たい光が宿っている。
 ベーゼは、ふうん、と気のない返事をした。
「まあ、どうでもいいがな。暇つぶしになるかとは思っていたが」
「それはそれで不満が残るが……ああ、そうそう、実験に使っていたあなたの息子だが、死んだよ。すまんね」
「あ? 息子?」
「あなたの三〇九番目の子供だ。フォビドゥオと名づけていた。……事前に許可を取っただろう?」
「覚えてねーな」
「自分がこんなことを言うのもアレだが……陛下、ご自分の子供のことぐらいは記憶しておきたまえよ」
 呆れた様子でため息をつくイェルゲン。
 どこまでも興味のない様子のベーゼ。
「知るか。千人もこさえたガキどものことなんぞ、いちいち覚えてられるかよ」
 少し機嫌を悪くしたのか、顔をしかめたベーゼは、まだ赤い火の灯っている葉巻を、玉座の隣に置いてある灰皿へと押し付ける。灰皿が甲高い悲鳴を上げたがベーゼは気にしない。火の消えた葉巻が床に落ちた。
 どこか遠くを見るような視線のベーゼ。
「いつもの思いつきでやってみたが、なかなか上手くいかんものだったな。千人も作って、まともに使い物になるのはひとりかふたりだったしなあ……俺の目論見には届かなかった」
「陛下の遺伝子は非常に繊細で未知な……ぶっちゃけ、めんどくさい代物だからな。そうそう簡単にはいかんさ」
「ま、得るものはあったがな」
「うん?」
「教訓だ。壊すのは簡単だが、生むのは難しい。俺はこの拳で殴っただけで山を消し飛ばすことすら可能だが、子供を作るためには女の股に逸物を突っ込んで腰を振らなきゃならん。もうずいぶんと長く生きてきたが、そんなことをいまさら思い知ったよ」
 自嘲のような表情。
「そう、生み出すのは難しく、生きることは困難だ。生命というのはただそれだけで素晴らしい」
 王は立ち上がる。
 そして、すすり泣く灰皿の頭を撫でる。
「――だから壊すのが楽しいんだ。精一杯に生きている者、誇り高く歩む者を、徹底的に破壊して蹂躙する……こんなに楽しいことはない。おまえもそう思うだろう?」
 玉座の左側には剣山が置かれていた。分厚い土台から刃渡り一メートルほどの剣の群れが生えている。模造品ではなく本物の凶器だ。そしてその剣山には草花ではなく、人間が活けられていた。まだ十代半ばの年頃……淡い紅色の髪を長く伸ばした、美しい少女だ。ただし少女は衣服をすべて剥ぎ取られ、四肢を根元から切断され、下半身を剣の切っ先の群れに串刺しにされていた。顔面を涙と鼻水と脂汗と、食いしばりすぎて砕け散った歯から流れる血で汚している。
 ベーゼは怪鳥のようにけたたましい笑い声を上げた。
 腹を抱えて、少女を指差す。
「不細工な顔だな……なんだそりゃ? げひゃひゃひゃっ! あーあ、みっともねえ。もう駄目だなおまえ……便所にもならん。場末のごろつきだって使わねぇよ。なんだこの生き物。げひゃひゃっ」
「ころ……してやるっ……殺してやるっ……ごっ、ごろしでやる……っ」
 自分に地獄の仕打ちを与えた張本人を睨んで呪詛の言葉を連ねる少女。その正体は、近隣の小国ディルチャイユからベーゼの側室にと差し出された第五王女、リムル。
 二週間前、ベーゼは、はるばる馬車に乗ってヨルムガルドにやってきたリムルを、彼女が謁見の間にやってきたその場で害した。無垢な王女の純潔を公の場にて無造作に散らし、素手でチーズでもちぎるようにして華奢な手足を奪い、配下に用意させた剣山に突き刺したのだ。地獄の悪鬼ですら震え上がる所業である。人間のなせることではない。
 リムルと共にやってきた従者たちは、男は弓矢の訓練の的にされ、女は傭兵どもの性欲を満たすための奴隷として今でも城の地下に飼われている。リムルを幼少のころから見守ってきた、彼女がもっとも信頼する若き騎士は、ベーゼに剣を向けて勇敢にも戦ったが、瞬く間に敗北して凄惨な拷問を加えられた挙句、泣き喚く王女の目の前で悶死した。
 ディルチャイユの宝石とまで呼ばれた美王女リムルは、現在、生きるオブジェとして、傭兵王の無聊を慰めるために生かされているのだ。普通ならばとっくの昔に死んでいてもおかしくない状態でありながら、わざわざ怪我を治療され、丁寧な延命処置まで施されている。
「ひっひっひっ。やっぱり達磨になった女の悲鳴は心地いい。より美しいものを壊すほど、破壊の快感は大きくなる」
 傭兵王ベーゼの心は、悪魔よりも巨大な悪が蠢く化け物そのものであった。
 そこはこの世の破壊のみを望み、彼の生ある限り災いを生み続けるのだ。
「さて、そろそろディルチャイユを滅ぼすぞ」
 唐突に、ベーゼが言った。
 耳を疑ったのは、串刺しのリムルだ。
「ど、どうして……」
「どうしてと聞かれても困るな。おいイェルゲン、どうしてだ?」
「自分に聞かれても困る」
「そりゃそうだ。げひゃひゃひゃ……ああ、そんな顔をするなよ、お嬢ちゃん。そうだな、たとえばこうだ。ちょうど手の届くところに積み木の城がある……自分以外の誰かが建てた積み木の城だ。しかもすごく高く積まれてる。よく出来てるんだ。突き崩して壊したくなるだろ? な?」
 にっこり笑って言うベーゼの言葉を、リムルはほんの少しも理解できなかった。
 人間ではなかった。
 強さが人間離れしているとかではなく、その心こそが。
「ボンクラのドブネズミどもを叩き起こせ。楽しい楽しい戦争の時間だ。兵隊の数が多いほど戦争は楽しい。馬鹿騒ぎは大勢でやってこそだ。いつもの通り、男は殺して女は犯す。――そうだ、王女よ。おまえの姉や妹や母親も、おまえと同じでたいそう美しいんだろ? いいねえ。おまえと同じようにして、ここに並べて飾ってやるよ。なんならいっしょに行くか? よし行こう」
 と言うや否や、ベーゼはリムルの胴体をむんずと掴み、剣山から引き抜いた。
 激痛が走ったが、リムルはそれよりもベーゼを止めようと必死だった。
 やめて、やめてと叫ぶ王女。
 血を流すオブジェを左肩に担ぎ上げながら歩みを進める《傭兵王》。
 五日後、ディルチャイユ王国は滅び去った。ヨルムガルドの悪鬼どもに逆らった者はすべて殺され、王とその三人の王子は焼け落ちる城と運命を共にし、連れ去られた王妃や王女たちの末路は定かではない。
 《傭兵王》ベーゼの悪名と武勇が、またしても遠くへと轟いたのである。



[9648] 六年前のお話。その一
Name: あすてか◆12278389 ID:7db01365
Date: 2011/02/09 18:07
 西の小国、アーホルン。
 この国が位置している地方は気候が穏やかで魔物の数も少なく、食料となるものも豊富にあるおかげで民が飢えることも滅多にない。
 魔王領からは遠く離れ、隣国との関係も良好そのもので、まさに平和そのものといった空気が国全体に広がっている。
 とはいえ、いくら平和だとはいっても、不慮の危機から国と民を守るための騎士団はもちろん組織されている。
 アーホルンが誇る精鋭、緋炎騎士団。
 規模はそれほど大きくないが、騎士たちの練度や志気は非常に高く、その勇名はたとえ大国といえども無視できぬほどである。
 アーホルンの王都、メイポル。この国の人口が集中する、もっとも活気のある場所。
 王城の敷地内、兵士たちが存分に鍛錬に励めるようにと広く作られたスペースに、緋炎騎士団の兵舎はあった。
 緋炎騎士団団長、レド・ファーレス。黒髪と黒い瞳、平凡な顔立ち。あまり見栄えのよくない容姿に見えるが、その肉体は鍛え上げられており、実力は騎士団の中でも随一だ。二十五歳という異例の若さで団長に就任できたことからも、それは明らかだろう。
 レドは今日もいつものように自分の執務室で書類と向き合い、さまざまな案件と格闘していた。
 唐突にドアがノックされたのは、そんなときである。レドは机の上に広げていた書類から目線を上げた。
「ブルローネです」
「ああ、入ってくれ」
 失礼します、と言いながら部屋に入ってきたのは、長い金髪を三つ編みにした、柔和な顔つきの若い女だった。肉付きのいい豊満で魅力的な肢体を女性用の団服が包んでいる。緋炎騎士団副団長、ブルローネ・シュレム。
 ブルローネは部屋に入るなり驚いたような顔をした。
「あららー、レドさん、まだ書類が片づいてないんですか?」
 時刻はすでに昼過ぎ。彼女の記憶によれば、レドは今朝早くから仕事に取り組んでいたはずだ。
「うるせー。ひとりでやってるのに終わるわけねーだろ、こんな大量に押しつけてきやがって。おまえも手伝え」
「あはー。遠慮しておきます。わたしにも大事なお仕事がいっぱいありますから」
「……たとえば?」
「ええっとですね、今日は朝から城下町に新しくできたクレープ屋さんの実力の調査と、流行のお洋服のチェック、ウィンドウショッピングもそこそこに、劇場に足を運んでみたり……もうとにかく忙しい一日でしたね、ええ」
「遊んでばっかりじゃねえか! 働け! 働けよ!」
「ヤです」
「三文字!? 俺の必死の願いを三文字で否定したのか!?」
「それはともかくレドさん。姫さまがお呼びですよ。お城のほうに急いでくださいね」
「ああ、わかった。いまから行くよ。ていうか団長と呼べ、団長と」
「ヤです。あはー」
 舌を出して部屋から出ていくブルローネ。
 レドはペンを置くと、ため息をつきながら立ち上がった。


 アーホルンの王女、バレンティア・ルヴィニ・アーホルンは、この国の第一王女にして正当なる王位継承権を持つ、次代の女王と目される人物である。
 鮮やかな赤い髪はゆるやかに波打ちながら腰まで伸び、まるで燃え上がる炎のよう。長身でスレンダーな体つき。人形のように整った顔立ちであるが瞳の色は力強く、知性に富み、十七歳にしてすでに国王の補佐を務める、若き女傑。
 第一王女にして《炎神の御子》とも呼ばれる輝かしい才女でありながら、その自室は意外にも質素で殺風景なものだった。
 衣食住さえ満足ならばそれ以上は必要ないという、本人の気質がよく現れているといえるだろう。
 レドが王女の自室に足を踏み入れると、落ち着いた色のドレスに身を包んだバレンティアが出迎えた。部屋の隅には親衛隊の寡黙な女性騎士レギーナが控えている。
「すまぬの、レド。忙しいであろうに、こうして呼び出してしまって」
「いえ、姫殿下。どうぞお気になさらず」
 レドは深く頭を下げた。
 バレンティアは唇をへの字に曲げ、不満を見せた。
「なんじゃ、その他人行儀な堅苦しい物言いは。そなたとわらわの仲であろうが?」
「……失礼ながら、姫殿下。ここにはまだレギーナ殿がおられますが」
「かまわん。いつものように話せ。これは命令じゃぞ」
「そこまで言うなら、そうさせてもらうけどよ」
 慇懃な態度から一転して、気楽に構えるレド。
「うむ、それでよい」
 バレンティアはほほえんだ。
 騎士団長と王女のあいだに、単なる主従というだけではない、親密で暖かい空気が満ちる。
「まったく、こんなことがだれかに知られようもんなら、俺は不敬罪で牢獄行きだぜ? 分かってるか?」
「分かっておる、心配するな。もしものときには檻の中に差し入れでも放り投げてやるゆえな」
「助けてくれるんじゃないのかよ!?」
 バレンティアはころころと鈴の鳴るような声で笑った。
「冗談じゃ。許せ、我が友よ」
「ったく……レギーナも大変だよな、こんなじゃじゃ馬の面倒を見てるんだから」
「いえ、滅相もございません、ファーレス団長。閣下のお側を任されるのは至極の栄誉です」
 黒髪を肩のあたりで綺麗に切りそろえた鉄面皮の護衛騎士は、ハスキーな声でそう答えた。
 レドは肩をすくめる。
「それで? いったいどんな用事なんだ? また厄介ごとか?」
「そう。残念ながら、また厄介ごとじゃ」
 バレンティアの表情がわずかに曇る。
「南にある大きな森林地帯に、一匹の巨大なドラゴンが現れたらしい」
「……なんだって?」
 気楽にしていたレドの雰囲気が一気に緊張感を帯び、表情も険しくなる。
 ドラゴン。それはこの世界に数多く存在する魔物のなかでも、もっとも強大で危険な種族として知られている。
 一口にドラゴンといってもその実態は多種多様、身体の大きさから知性の有無に始まり、二足歩行であったり四足歩行であったり、炎を吐く個体があれば氷の息を吐く個体があったり、飛べる者もいれば飛べない者もいる。 
 が、総じて、剣をも通さぬ堅い鱗に覆われた巨大な体躯、ナイフのごとき鋭い爪牙、強力なブレス攻撃、そして莫大な魔力を誇ることが共通点として挙げられる。
 なによりも特筆すべきなのが、その主食が基本的に肉類であるということだろう。牛、豚、鳥、下級の魔物ども……そして、人間。
 旺盛な食欲を持つたった一匹のドラゴンの食事によって、ひとつの国が滅んだという話もある。
 きわめておそるべき、人類の天敵。それがドラゴンという種族なのだ。
 とはいっても、そう滅多なことでは人類の生活圏に現れることはない。ほとんどのドラゴンは魔王領を住処としているし、そうでない者も山奥などで暮らしていて、静かな生活を送っている。人間以上に高い知性を持つドラゴンは、無駄な争いを好まない者も多い。
 だが、南の森に現れたというドラゴンは、どうやらそうした思慮とは無縁であるらしい。
「すでに村が一つ滅んだ。たった一日、奴のたった一度の夕食でな」
 バレンティアの握りしめた拳が震えた。下唇を噛みしめ、《炎神の御子》は怒りをあらわにしている。
「建国祭も間近に迫っておる。この喜ばしい時期に、災厄の種を放置しておくことはできん。……なによりも。わらわの愛する民の命を奪った畜生には、その命で罪を償ってもらう」
 第一王女は、もっとも信頼する騎士に、断固とした口調で言った。
「レド・ファーレスよ。火急の任務を言い渡す。我が国の平和を脅かす仇敵を、騎士団の総力を挙げて退治せよ!」
 レドはうやうやしくひざまずくと、にやりと笑って言った。
「御意のままに、我が君」



 二日後。
 アーホルンの南に大きく広がる森林地帯。
 頑丈な甲冑に身を包んだ屈強な騎士たちが、見事に整列しながら足音をひとつにそろえて、森の奥地へと歩みを進める。
 早朝から正午にかけて数時間以上も歩き続けているというのに彼らの目や挙動に疲労の色は見あたらない。おそろしく鍛え上げられた、練度の高い集団だ。
 見事な毛並みの愛馬に跨ったレドは、鋭い眼差しを周囲に向ける。その横に馬を並べるブルローネも、普段より緊張した様子でいる。
 すでにここはドラゴンの住処に近い。彼らは縄張り意識が飛び抜けて強く、自分の巣に足を踏み入れた者をけっして許しはしない。いつ襲われてもおかしくないのだ。
「動物の気配がまったくしないな」
「ドラゴンのせいでしょうね。みんな怖がって逃げ出しちゃったんでしょ。あーあ、わたしも逃げ出したいですぅ」
「ばか。任務中に副団長がそんなこと言うな。志気に関わるだろうが」
「えー。だってぇ」
「嘘でもいいからやる気を見せろ。これが終わったらクレープでもなんでも奢ってやるから」
「あはっ。ほんとですか? がんばっちゃいますねー」
 小声で言い合うふたりの行く手に、木々の生えていない、むき出しの大地が広がっていた。
 半径五十メートルほどの円を描いて焼け焦げた木と草。 炭化して横たわる、砕かれた木々が、騎士団の面々を出迎えた。
 レドは顔をしかめる。
「ドラゴンのブレスだな。炎を吐く個体らしい」
「焼かれてからけっこう時間が経ってるみたいですね。だれかと戦ったんでしょうか?」
「冒険者だろう。ドラゴンの死体を売れば莫大な金になるからな。……バカだよ。五人や六人でドラゴンに勝てるわけがない」
 この焼けた大地をよく調べてみれば、数名の冒険者の肉片が見つかるかもしれないが、そんなことをするつもりは騎士団の面々にはなかった。
 冒険者とは、世界各地のどこにでも足を運び、魔物を倒したりダンジョンを探索して宝物を手に入れることによって生計を立てている、危険な商売を生業にする者たちのことだ。
 いずれも腕に覚えのある、一攫千金を夢見る者たちで、六人ほどのパーティーを組んで活動することが多い。今回のようにドラゴンに目を付けることもあるが、レドからしてみれば死んでも自業自得の判断だ。  
 レドのレベルは二九〇。常人をはるかに越える天才剣士。副団長ブルローネもまた、レベル二〇〇を越える実力者。
 だが、王国が誇る最強の騎士でさえ、ドラゴンに正面から挑むことはしない。
 勝てないからだ。
 人類の限界をはるかに超越した、あまりにも圧倒で絶対的な存在――それが、ドラゴン。魔物の頂点なのだ。
 ゆえに、選び抜かれた五百人の精鋭たちを引き連れ、こうして竜退治にやってきた。
 本来ならば森からおびき出して戦いたいところだが、近隣への被害の拡大を懸念すると、作戦を考えている時間も惜しい。
 ゆえに選択したのは、十分な装備と人員による奇襲戦法。
 長槍で武装した騎士を中心に、攻撃力を重視した編成をしてある。
 しかし、レドとしては、これでもまだ不安が残る。
 ドラゴンのブレス攻撃は地獄の灼熱。爪や牙は一撃必殺の凶器。振り回す尻尾は大木ですら容易にへし折る。
 騎士たちは強固な甲冑で身を守ってはいるものの、ドラゴンの攻撃の前では水に濡れた紙のように無力だろう。
 おそらくは、いや、まず間違いなく、団員たちのなかに死人がでるはずだ。それも、数多くの。
 レドにとって団員たちはただの部下ではない。同じ釜の飯を食い、短くない年月をともに過ごし、お互いに切磋琢磨し、艱難辛苦を共にしてきた、信頼しあう仲間たち。よく知る幼なじみも大勢いる。
 ブルローネもそうだ。なんだかんだいっても最後にはいつも真剣な顔を見せる、いちばん頼りになる友人だ。平民から成り上がったレドに対する周囲からの風当たりは優しくなかったが、いつもブルローネが助けてくれた。その暖かい笑顔を見せながら。
 この素晴らしい仲間たちを失うことになるかもしれない。
 そう考えるだけで胸が締め付けられるようだ。
 だが、罪もない民たちを殺戮する邪悪なるドラゴンを放置しておくことは、レドの信念が許さなかった。
 ――この身は、国と王女のために捧げた。
 たとえ命が尽きようとも、国家の脅威を討ち滅ぼす。
「怖い顔になってますよ、レドさん」
 横に並ぶブルローネに言われて、レドはハッとした。
「リラックス、リラックス。レドさんなら大丈夫ですから。きっと勝てますよ。ね?」
 優しい笑顔を向けられると、なんだか本当にそんな気になってくる。レドがブルローネを副団長に選んだ理由は、実力だけではない。いざというときに勇気を与えてくれる、この素晴らしい笑顔があるからだ。
 だがレドはひとつ間違いを犯していた。
 致命的な間違いだ。
 それは、団員たちの命の心配ではなく、自分自身の命の心配を真っ先にすべきだったということだ。
 なぜなら、レドは、あまりにも強大な化け物を相手にして、無謀な戦いを挑もうとしていたのだから。
 彼自身がそれに気づいたときには、すでに遅すぎた。
 前方から、木々がパスタのようにへし折れる音が響いてくる。
 なにかとてつもなく巨大なものが、ゆっくりとだが確実に、こちらに向かってやってくる。
「全員、戦闘態勢!」
 声を張り上げる、レド。
乗っている馬から明らかな恐怖が伝わってくる。レドは馬から降りた。怯える馬に乗ったままで戦うのは無理だ。
 細かな指示を飛ばすブルローネの顔からもさすがに笑みが消え、騎士たちは緊張と興奮で身を堅くしながらも上司の命令に従って動く。
 あたりの雰囲気が殺気と静けさを帯び、そして、爆発するようにして恐怖が広がった。
 森の風景を砕きながら現れたドラゴンの威容。鋼鉄よりも堅そうな濃い緑色の鱗が全身を覆い、大地を力強く踏みしめる四本の足は丸太よりも太く、背中には巨大な皮膜の翼を生やし、長い首の先の頭部では、赤い両目が爛々と燃えるように輝き、長く裂けるような口腔からはナイフのような牙がずらりと並んでいる。
 高さは十メートル、全長は三十メートルを軽く越えるだろう。飛び抜けて体格の優れたドラゴンだ。
 騎士団がドラゴンの迫力に圧倒されていると、その眼前で、ドラゴンはあざけり笑うように口元を歪め、鼻を鳴らした。
「なんだ。騒がしいと思ってきてみれば、虫けらどもか。ちょうど小腹が空いていたところだ。わざわざそちらからやってきてくれるとはありがたい」
 異形の怪物が人語を解しても、レドはさほど驚かなかった。知性のあるドラゴンは人間の言葉を理解してしゃべることもあるという。
 目の前のドラゴンの戦闘能力を人間でいうレベルに当てはめると、おそらくは四〇〇を越えるはず。それだけの実力者ならば、言葉をしゃべっても当然だろう。
 物理的な突風のように吹き付けてくるプレッシャーに気圧されながら、レドはなんとか言葉をしぼりだす。
「俺は緋炎騎士団団長、レド・ファーレスだ。おまえは我が国の領土を侵し、無惨にも民の命を奪った。間違いないか?」
 ドラゴンは大きく笑った。
「ああ、そうだ。相違ない。だがそれのどこに問題がある? 虫けらごときの勝手に決めた領土など、我は知らぬ。虫けらの命にも興味はない。腹がへったから、そこにあった食い物を食っただけだ。ガタガタと騒ぐな、愚かで下等な人間どもよ」
 完全に人間の生命を見下しきった、邪悪で傲慢な言葉。
 食物連鎖の頂点に立つ種族としてのプライドゆえか、こういった思想に行き着くドラゴンは少なくない。
 たしかに、ドラゴンに比べれば人類はあまりにも脆弱だ。
 ドラゴンのように長大な寿命、強靱な生命力もなく、爪や牙もなければ炎も吐けない、空も飛べない。劣っていると見られても仕方がない。
 だが、それでも――
「おまえが俺たちを踏みにじってもいい理由など、ひとつもない……!」
 レドの心が怒りに燃えた。
 ドラゴンは笑う。
「くだらんな。強者が弱者を踏みにじるのに理由などない。おまえたちは、足下の虫けらをいちいち気にかけながら歩くのか? 死に急ぐというのであれば止めはせんよ。生かして帰すつもりもないからな」
 大きく口を開けるドラゴン。
 その口腔の内部で、炎が生まれた。
「我はすでに千年を生きた。数え切れぬほどの虫けらを食らってきた。おまえたちも我が糧となるがいい。燃え尽きなかった者だけを食ってやろう」
 ドラゴンがもっとも得意とする最大の攻撃方法、ブレスだ。このドラゴンは炎を吐き出すことを得意としていて、その圧倒的な温度は鋼鉄をもたやすく溶かす。
 ドラゴンの周囲の空気が熱によって歪み、青ざめたレドが大きな声で「逃げろ」と言ったときにはもう、巨大な火の玉が吐き出されていた。
 まるで神が下す天罰のように、一撃にして緋炎騎士団を全滅させるだけの威力を秘めた大火球が飛来する。
 レドは死を覚悟した。自分はあの火の玉を避けることも防ぐこともできない。ゆえに、ここで、いますぐ死ぬのだと。
 あっというまに炭化するか蒸発するか、どちらにしてもできるだけ苦痛が少ないことを祈りながら、敗北の無力感に打ちひしがれた。
 だが、その瞬間は、いつまで経っても訪れることがない。
 それもそのはずだ。
 レドたちに直撃する寸前、大火球は、横手からいきなり飛来した光の球と衝突してかき消されていたのだから。
 呆然とするしかない騎士団。
 光の球が飛んできた方向へと素早く視線をめぐらせるドラゴン。
「おのれ、なにやつ」
 自慢のブレス攻撃を阻まれた屈辱のためか、強い音を立てて歯ぎしりをしている。
 木漏れ日を浴び、木立の向こうから静かに歩み出たのは、ひとりの女だった。
 輝く黄金のような髪を腰まで伸ばした女の年齢は二十代半ばといったところか。女性にしては身長が高く、ゆったりとした緑色のローブを身にまとっているものの、それは女の肉感的で完璧なプロポーションの魅力を損なわせることはできていない。右手に長い杖を持ち、つばの広い帽子を深くかぶったその姿は、まさに昔話に登場する魔法使いのそれそのものだ。
 呼吸することすら忘れそうになるほどの、超絶的に整った美貌。
 女の耳は、人間のそれよりも長く、尖っている。
「エルフか……」
 ドラゴンの瞳がうっすらと細くなる。
「我の邪魔をするということは、それ相応の覚悟はあるのだろうな?」
「もちろんだ。そのつもりでここにきた」
 氷の塊を想わせるような、美しいが冷たい声。
 ドラゴンはもはや騎士団のことなど忘れたかのようにエルフに目を向けている。
「おまえたちはよく人間どもの味方をする。なぜだ? おまえたちには我らほどではないにしろ長大な寿命と強力な魔力があるはずだ。こんなひ弱な虫けらどもと肩を並べることに、なんの疑問も持たぬのか? 共存など馬鹿げた話だ。異種族間の関係が平等であるはずがない。絶対にどちらかが優れていて、どちらかが劣っている。そして強者は弱者を支配する……それが自然の摂理というものだろう。おまえたちは支配を望まないのか? 虫けらどもを奴隷のようにこき使おうとは思わないのか?」
「興味がない」
 冷たい美貌のエルフ女は、そっけなく言った。
「人間の味方をするつもりも、支配をするつもりもない。私は私のやりたいように動く。エルフという種族の代表を気取ってしゃべるつもりもない」
「ならばなぜ、そこの虫けらどもを助けた? 矛盾しているではないか」
 ドラゴンのもっともな指摘に、エルフ女は小さく笑みを浮かべた。そうした些細な仕草でさえ、一枚の絵画のように美しい。
「連れが人間でな。あいつは、同族が死ぬのを見ると悲しむ」
「柔弱な!」
「そうだな。だが、そんなところが気に入っている。――おまえも人間の相棒を持ってみろ。酒の美味さを知れるぞ」
 ドラゴンが大きく吠えた。翼を広げ、全身の筋肉という筋肉が膨れ上がる。
 充実していく魔力がドラゴンを中心として吹き荒れた。
 レドの全身の血の気が引いた。自分たちは、あんな化け物に戦いを挑もうとしていたのか。
 あれは、あのドラゴンは、もはや人間の手に負えるような存在ではない。騎士団が何百人いようとも、何千人いようとも、無力だ。
 たとえば台風や地震を止めようとすればどうなるだろう?
 答えは、周囲から笑われる。
 あのドラゴンは、そういった存在だ。
 爆風と化して荒れ狂う魔力。まともに立っていられなくなった騎士団員たちは尻餅をつき、倒れ、あるいは転がった。レドもまた剣を地面に突き立てて、かろうじてその場から吹き飛ばされないようにしている。
「エルフよ。我の眼前に立った愚かさに敬意を表して、最後に貴様の名を聞いておいてやろう」
「シェラザード・ウォーティンハイム」
 ドラゴンの間近で魔力の突風にさらされながらも小揺るぎもしないエルフは、けっしておおきくはない声で、しかしはっきりとそう名乗った。
 ドラゴンの瞳が大きく見開かれる。
「……まさか……貴様が……!?」
 明らかな動揺の気配。
 傲岸不遜を絵に描いたようなドラゴンが、エルフの名に驚きを隠せないでいる。
 それもそのはずだ。レドの記憶がたしかならば、二年前、魔王城に突入したという世界最強の冒険者パーティーのメンバーに、そんな名前のエルフがいたはずなのだ。
「――なるほど。どうやら我はここで滅ぶらしい」
 その言葉に驚いたのはレドだった。
 あの、天災そのものを具現化したかのような強力無比なドラゴンが、その牙のひと噛みによって粉砕できそうな線の細いエルフを前にして、勝利をあきらめるような台詞を吐くとは。
 杖を構えるでもなくごく自然な姿勢で立っているエルフの姿は無防備そのもので、あれならレドでも簡単に勝てそうだ。
 だというのに、ドラゴンからはすでに戦う意欲は失せている。勝てないと分かっていて挑むのは愚かだとでも言うかのように。
 シェラザードと名乗ったエルフは、少し意外そうに言った。
「ずいぶんとあきらめがいいのだな」
「あの最強の魔族、バルログ公爵を倒した貴様に勝てると思うほど、我は増長しておらぬよ。……その代わり……」
 いきなり、ドラゴンの足下で地面が爆発した。
 超強力な筋肉の盛り上がった四肢が全速力で駆け出そうとした結果、そうなったのだ。
 鋭利な牙で獲物を噛み砕く、一撃必殺の攻撃。
 ただし、大口を開けて食らいつこうとする相手は、シェラザードではない。
 いまだにその場から逃げることすらままならない、緋炎騎士団だ。
「こいつらを道連れにして滅んでくれるわあっ、ヒャァハハハハハハ――!」
 種族としてのプライドも強者としての誇りもすべてかなぐり捨てたドラゴンの心にあるのは、どうせ死ぬのであればせめてエルフを少しでも苦しめてやろうという、あまりにも見苦しすぎる邪悪な目論見だけだった。
 その瞬間、シェラザードが出てきたのとは反対方向の木立から、凄まじい勢いで飛び出してきたものがあった。
 レドはそれを目にすることができていたが、何十メートルも離れていても、それが人間だとかろうじて分かっただけだった。おそらく、至近距離ならば視界に入れて認識することなど不可能だろう。
 それは残像すら生むほどのスピードで疾駆し、全速力で駆け抜けるドラゴンにやすやすと追いつき、手に持った巨大な剣を一閃した。
 右の後ろ脚を切断されてその場に倒れ、地面を滑るドラゴン。驚愕を浮かべたその表情。
 次の瞬間、剣が振り落とされて、首が落ちた。
 噴水のような血しぶきが上がり、大地を赤く汚す。
 耳障りな断末魔の絶叫が上がった。
 おそるべきはドラゴンの驚異的な生命力。
 首を切断されてもなお、頭部にはまだ意識がある。
 だがこの場合、その強靱すぎる生命力は、ドラゴンにとって仇となった。人間だったならば苦しむことなく即死できるというのに、彼は首を斬られた激痛を味わわなければいけないのだから。まさに地獄だろう。
 そして、その苦痛もやがて終わる。首を落とされて生きていける生き物などいないのだ。
「……呪ってやる……人間ども……エルフも……死ね……ちくしょう……死ね……」
 呪詛のような恨みと無念を吐き出しながら、ドラゴンはやがて静かになった。
「終わったな、アキヒコ」
「ああ」
 シェラザードに声をかけられ、ドラゴンの死体の上から降りてきたのは、長さ二メートルにも達する大剣を軽々と扱う青年。
 やや長く伸びたボサボサの茶髪と、すっきりと整っているが少し粗野な印象を受ける顔立ち。身長は百八十センチ以上、年齢は二十歳程度だろう。動きやすさを重視しているのか身体には簡素な皮の鎧をつけているだけだ。しなやかに鍛え上げられた筋肉、隙のない身のこなし。
 精強なる騎士が何百人と集まっても倒せないドラゴンを一瞬にして葬る、鬼神のごとき強さ。
「あんたら、この国の騎士団だろ? 倒れてる奴もいるけど大丈夫か?」
 声をかけられてはじめて、レドは周りを気にする余裕ができた。
「あ、ああ……ブルローネ、被害を確認してくれ」
「はっ、はい」
 急いで立ち上がり、よろよろとしながら駆けていくブルローネ。
 レドも立ち上がり、アキヒコと呼ばれた青年と向かい合った。
 思わず、苦笑いを浮かべる。騎士団が冒険者に命を救われるとは。
「悪いな、助かったよ。礼を言わせてくれ」
「いや、困ったときはお互い様だ。気にしないでいいよ」
 そう言って笑顔を見せる青年はごく普通の人間そのものだ。
「噂に聞いていたのとはずいぶん違うんだな」
「ん?」
「アキヒコ……《黄金の栄光》のアキヒコ・シキムラといえば、《ノー・カウント》。気に入らない奴は一瞬でブチ殺す、異常に喧嘩っ早い奴だと聞いていたからな。噂ってのはあてにならんもんだぜ。実際のおまえは、見ず知らずの俺の仲間を気にかけてくれるぐらい優しいんだからな」
 レドがそう言うと、アキヒコ――四季村秋彦は、露骨に嫌そうな顔をした。
「うげ。まだ出回ってんの、その名前? やめてくれよな。悪魔みたいな野郎だと思われていい迷惑してるんだよ、こっちは。なあ、シェラザード?」
「そうだな」
 苦笑いを浮かべて口元を隠す、シェラザード。まるで氷が溶けたように。
 そして。
 秋彦は、ちょっと困ったようにほほ笑んだ。
「そんな名前は忘れてほしいね。……《黄金の栄光》は、もう解散したんだ。俺はもうただのガキ、ただの四季村秋彦だよ」
 その言葉にどれだけの苦しみが隠されていたのか、このときのレドには知るよしもない。
 ――ただの四季村秋彦になろうとも、運命は容赦というものをしてくれない。
 その証拠に、このときすでに、秋彦は巻き込まれていたのだ。
 大きくとてつもない、未曾有の悲劇に。



[9648] 六年前のお話。その二
Name: あすてか◆12278389 ID:7db01365
Date: 2011/02/24 13:58
 秋彦とシェラザードはドラゴンを退治した功労を賞賛され、王城に招かれた。
 通されたのは、謁見の間。
 この城では最大の威厳を誇る、大きく広い空間。
 玉座に腰掛けたアーホルン国王、ジョージ三世は、ほがらかな笑みを浮かべながら秋彦たちを出迎えた。
「そなたがドラゴンを倒したという若者か。騎士団の危ないところを救ってくれたらしいではないか。礼を言うぞ」
 ジョージはすでに老齢の域に入った男だ。とはいえ雰囲気は若々しく、肌の色は健康的で、落ち着いた物腰からは思慮深い性格を漂わせ、たっぷりとたくわえた髭は黒々としている。豪奢な衣装を身にまとい、王冠を頭に乗せた姿は、まさに万人の思い描く国王のイメージそのものだ。
 秋彦とシェラザードは、うやうやしい態度でひざまずいている。
 シェラザードが言った。いつもの帽子は脱いでいる。
「旅の途中で悪竜の噂を聞きつけたので、これを退治したまでのこと。ですが、騎士団の皆さまのご活躍の場を奪ってしまったようです。出すぎたまねをいたしました」
 事情を知っている者が聞けば嫌味に思えるかもしれない台詞だが、こうでも言っておかないと騎士団の面子は丸つぶれである。
 国家の守護者たる騎士団が流れ者などに助けられるなどとは、本来、あってはならないことなのだ。
 シェラザードはそれを分かっていて言葉を選んでいるし、国王ジョージも、事情は十分に理解している。
 ジョージはゆっくりとうなずいた。
「うむ……そなたはハイエルフか。《森の賢者》の王族と出会えたこと、嬉しく思うぞ。我が国にはいったいどのような目的で?」
「ただの物見遊山でございます。西から東へ、目的もない旅路です」
「物見遊山で諸国を? 魔王城に突入したほどのそなたらが、か?」
 ジョージ三世の目つきが険しさを帯びたようだった。
 そして、シェラザードの声色は冷たさを帯びた。
「それは、どのような意味でしょうか?」
「――つまり父上は、こうおっしゃりたいわけじゃ。なぜゆえかこの国に現れた凶悪なドラゴン。そなたらほどの冒険者ならば、かの悪竜が現れた理由を知っているのではないのか?」
 シェラザードの質問に答えたのは、烈火の髪をたなびかせる王女だった。
「バレンティア。口を慎め」
「父上。迂遠な言い回しは、この際、我らのあいだにいらぬ溝を作るだけです。のう、シェラザード姫? ここはひとつ、腹を割って話そうではないか」
 バレンティアは腕組みして余裕たっぷりの表情を浮かべている。
「立つがよい。わらわは見え透いた世辞や薄っぺらい儀礼など好まぬ。事実だけが欲しい。……我らの疑問に答えてはもらえぬか?」
 困り果てた顔のジョージ三世と、周囲の親衛隊。
 秋彦は小さくため息をついた。
 初対面にしてその激しい性格をうかがわせる、王女の言動。
 それはそれで秋彦にとっては苦手なのだが、それ以上に彼の頭を悩ませるのは、すぐ隣にひざまずいている美しい相棒のことである。
 この冷厳なエルフ女の、ただでさえ薄っぺらい社交用の仮面が、バキッと音を立ててひび割れた。秋彦はその音を聞いたように感じた。
 すっ、と立ち上がる、シェラザード。バレンティアに視線を向けると、作り笑いすらも見せず、感情を消し去った表情で、
「知らぬ」
 と、たった一言で斬って捨てた。
 詮索をされたことがよほど気に入らなかったのだろう。
 凍り付くようなオーラを発していて、完全に気分を害している状態だ。
 秋彦は頭を抱えたくなった。
 かつてのパーティーのリーダーと向かい合っているときは常時このような感じだったのだが、最近はほとんど見せなくなった絶対零度の顔だというのに。
 だが凄まじいのは王女バレンティアの胆力だ。国王や屈強な騎士たちでさえ気圧されるシェラザードの冷気に、まったく恐れをなした様子がない。
「本当に? 本当に知らぬのか? わらわはただそれが知りたいだけなのじゃがな、シェラザード姫。理由もなくドラゴンが現れることはなかろう。そなたたちならば、もしや原因を――」
「くどい。知らぬと言ったのが聞こえなかったか? 調子に乗るなよ、人間」 
 ここで初めて、シェラザードが笑みを浮かべた。ただそれはけっして友好的なものではなく、敵意に満ちた、冷たく毒々しいまでの侮蔑の笑みだ。
 さすがに誇りを傷つけられたバレンティアが怒りを見せた。
「無礼であろう」
「それはこちらの台詞だな。ひ弱で無知で浅はかな人間の姫よ。誇り高いハイエルフであるこの私が、おまえたちごときに根ほり葉ほりと詮索されるなど、まったくもって屈辱の極みだ」
 気位の高い、エルフらしい台詞ではある。
 だがそれを許してしまっては、国家の面子は守れない。
「気分が悪い。行こう、アキヒコ」
「……おい。やばいって、シェラザード」
「うん?」
 周囲に居並ぶ騎士たちが色めきたち、いまにも剣を抜きそうな殺気を放つ。
 それを見回して、シェラザードは鼻で笑う。
「やりあうつもりか? 私はかまわんぞ。……この私の魔法は剣より速く、おまえたち全員の命を一撃で奪うが、それでもいいというのであればかかってこい」
 事実である。
 シェラザードの指先に灯った小さな光。それは、この謁見の間に集まった騎士たちと国王、王女、そのすべての生命を一瞬で吹き飛ばす、絶大な災いの火種。
 これだけの威力を秘めた魔法をなんの詠唱もなく用意するとは、シェラザードの技量と魔力はすでに伝説の領域だ。
 圧倒的すぎる力量の差をいまさら悟ったのか、騎士たちの顔が青ざめ、国王の額に汗が浮かび、バレンティアは下唇を噛む。
 シェラザードは気分をよくしたように笑った。
「愚かな人間どもめ。いますぐ土下座してわびるがいい。そうすれば命だけは助けてやろう。恐れ敬い、ひれ伏すがいい! ふはははは!」
「やめんかい」
「ひでぶぅ」
 魔王のように振る舞っていたシェラザードの脳天に、いつの間にか立ち上がっていた秋彦のチョップが炸裂した。
 前のめりになったシェラザードはすぐに振り返り、涙目で抗議してくる。
「い、いたい。すごくいたい、アキヒコ」
「痛くなるようにやったんだから当たり前だろ」
「どうして……」
「あのな。フェアラートじゃないんだからいきなり虐殺しようとするな。すぐキレるな。なんでもかんでも攻撃魔法で解決しようとするな。そういうのはダメだって約束したよな?」
「約束……した、けど……」
「じゃあなんで破ろうとしたの」
「だって……こいつら、ウザい……」
「だからってすぐキレるな! 何歳だよ、おまえ!」
「に、にひゃくじゅうきゅうさい……」
「だったらちょっとは我慢を覚えろよ」
「で、でも、こいつら、しつこいし……私たちほんとになんにも知らないのに、あからさまに疑ってくるじゃないか。すごく失礼だ」
「そういうお仕事だからしょうがないの。大人の事情ってものがあるの。我慢しろ」
「どうしても?」
「どうしても」
「ううぅ……あ、アキヒコがそこまで言うなら……我慢する……」
「よし、いい子だ」
 シェラザードは頭をなでられて、目尻に涙を浮かべて拗ねたような表情をしながら、
「わ、私のほうがお姉さんなんだぞ……」
 と、ぼそぼそと言った。
 秋彦はその頭をつかんで、むりやり下げさせる。
「すいません。こいつ箱入り娘なんで、ちょっとわがままなんです。許してやってください」
「なっ……や、やめろアキヒコ……恥ずかしい……」
「いいから謝れ!」
 口論しながら頭を下げる二人を見て、不意に、バレンティアが笑った。
「なんじゃそれは」
 くっ、くっ、と笑う王女の表情には穏やかな色が広がっていた。
「父上。どうやらわらわたちの勘ぐりすぎだったようですな」
「む。……うむ、そうだな。無礼なことをした。許して欲しい」
 顎髭をさすりながら笑みを浮かべる国王。
 周囲の兵士たちも、笑いをこらえるのに必死になって、頬をひくつかせている。
 秋彦とシェラザードのやりとりがあまりにもばかばかしくて、ここにいる全員が毒気を抜かれた様子だった。
 シェラザードは口をへの字に曲げた。
「やっぱりこいつら殺していいか?」
「だめ」
 秋彦はため息をつきながら、シェラザードの頭をもっと低く下げさせた。
 ジョージは咳払いをした。
「結局、私たちが知りたかった情報を得られないのは残念だが、それについてはそなたらの責任ではない。繰り返すが、ドラゴン退治の件は本当にご苦労であった。ひとつ訪ねるが、この国にはしばらく滞在する予定かね?」
「ええ。つぎの行き先も決まっていませんし。たぶん、一ヶ月くらいはこの国にいると思います」
「それはよかった。もうすぐ建国祭が行われるのだ。初代国王と火の神ヤフタレクによって興されたこの国のさらなる繁栄を願うため、毎年この時期になると国を挙げて大きな祭りを開催しておる。ぜひ参加していって欲しい」
「そうさせてもらいます。祭りは好きですからね、楽しみです」
そう言った秋彦はやっとシェラザードの頭から手を離した。
 解放されたシェラザードは乱れた髪を整えながら小声で文句を言っている。
「今晩の宿は決まっているかな? もしまだ見つけていないというのであれば、手配しておこう。城下町で一番の宿屋をな。詳しい場所は騎士団長にでも聞くといい。もちろん代金はこちらで支払わせてもらう」
「いいんですか?」
「ああ、いいとも。それぐらいのことはさせてくれ。なにせそなたらは我が国の恩人と言ってもいいのだからな」
「ありがとうございます。助かります」
「うむ。ではまた後日、建国祭の日にでも会うとしよう。まことに大儀であったな。下がってもよいぞ」
 




 国王との謁見を終えた秋彦とシェラザードは、その足を騎士団の兵舎に向けた。
 二人が訪れたのは騎士団長の執務室だ。
 レドは笑いながら出迎えてくれた。
「聞いたぞ。陛下の御前で騒ぎを起こしたそうじゃないか。まったくとんでもないコンビだよ、おまえらは」
「俺は悪くないからな。毎度のごとく最初に爆発するのはこっちのエルフ」
「ちがうな。アキヒコが面倒ごとを起こすほうが多い。いつもいつも最初に飛び出すのはおまえだ。私はちゃんと数えているんだぞ」 
 不満げな表情でお互いを指さす二人。
 その様子を見て、レドはさらに大きく笑い声をあげた。
 ドラゴンを退治した森で出会ってから、この王都にたどり着くまでの数日の道程で、秋彦たちはすっかりと打ち解けていた。
「まあ、まあ、いいじゃないか。ところでこれからどうするつもりだ? 今日の宿はまだ決まってないんだろう?」
「いや、さっき王さまに紹介してもらった。《炎と白馬のたてがみ亭》とかいう宿屋なんだけど」
「ああ、いいところだ。城下町じゃあ一番だな。ブルローネ、案内してやってくれ」
「わっかりましたっ!」
「ずいぶんといい返事だが、それが終わったらさっさと帰ってこいよ。まだまだ片づける仕事が残ってるんだからな。芝居を見に行くのもクレープ屋に行くのもダメだからな」
「ヤです」
「だから三文字で否定すんなって言ってんだろ!?」 
 今度は秋彦とシェラザードが笑う番だった。
「仲がいいよな、レドとブルローネさんは」
「ただの腐れ縁だ」
 肩をすくめる、レド。
 ブルローネはいやらしい笑みを浮かべる。
「レドさんと本当に仲がよろしいのは姫殿下ですよね」
「なっ、なにを」
「わたし、見ちゃいましたよぉ。先日の夜遅く、レドさんが忍び足でお城の庭園の東屋に向かっていくのを……」
「……お、おまえ……知らん、知らんぞ、俺は。なんの話だかさっぱり分からん」
「そういえば同じ時間に同じ場所で姫殿下のお姿も見たような」
「ちょっと待て!」
「あれあれー、おかしいなー。さらにそういえば、姫殿下の苦しそうなお声を聞いたような。たしか、そう、こんな感じのことを言ってましたね。ああっ、レド、我が愛しの騎士よ、もっとそこを強く」
「ブルローネッッ!」
 顔を真っ赤にしてブルローネに詰め寄るレド。
 ブルローネは伸びてくる手をひらりとかわすと、さっさと扉を開けて外に出てしまった。
「行きましょう、お二人とも。怖い団長さんは放っておいて」
「あのバカ! ……なあ、おまえら。いまの話は、その……」
「心配するな。秘密にするよ」
「助かる。もしも陛下の耳に入ったら俺は不敬罪で縛り首だ」
 疲れた顔で肩を落とすレドに、同情するような視線を送る秋彦だった。





 王都メイポルは活気で満ちあふれていた。
 国王の言うとおりに建国祭を間近にひかえ、国民の意気も弾んでいるのだろう。
 大通りには早くも露店を開く者たちの姿も多く見られる。
 秋彦たちは宿屋までの道のりを歩きながら、それらの露店や大道芸人たちを眺めて楽しんでいた。
「へえ。まさにお祭りムード一色だな」
「でしょでしょ! 毎年、このお祭りが楽しみなんですよね。この国が一年で一番、楽しくなる時期なんですよ。アキヒコさんたちは本当にいいときに来ましたね」
 そう言うブルローネの左右の手には、それぞれすでにクレープが握られている。チョコとクリームたっぷりのものと、いちごとクリームたっぷりのものだ。秋彦など、それを見ているだけで胸焼けを起こしそうなほどである。
「建国祭は三日かけて行われます。初代国王レングランと火の神ヤフタレクを讃えて、国中がいっせいにフィーバーです!」
「初代国王は分かるけど、ヤフタレクってのは? この国が崇めてる神さまってことか?」
「そういうことです。アーホルンは燃える神に守護される国なんですよ。かの神の使っていた武具も伝わっていますし、姫殿下はそれをお使いになることができますので《炎神の御子》なんて呼ばれています」
 あっという間に左右のクレープを平らげたブルローネは、それを包んでいた紙屑を近くのゴミ箱に放り捨ててから、遠くのほうを指で示した。
「ほら、あそこ」
 秋彦が目をやると、そこには、大広場の中央にそびえ立つ巨大な銅像の姿があった。
 ジョージに負けぬほど威厳に溢れる国王の周囲を炎が守り、その足下にはいかにも獰猛そうな狼がいる。
「あれが初代国王レングラン陛下。その周りの炎が、ヤフタレク。足下の狼は、伝説の白い狼です」
「伝説の白い狼?」
「はい。古い言い伝えによりますと、国王レングランの幼少時代、彼がまだ貧しい戦士として暮らしていたころ、戦地で敵兵に囲まれて絶体絶命のピンチに陥ったそうです。そのとき突如として現れ、若き日のレングランを救ったのが、あの白い狼なんだそうですよ」
「へえ。それで、感謝のしるしとしてあそこに?」
「レングラン王が狼に助けられていなければ今日のこの国もなかったでしょうからね。その後もレングラン王が窮地に陥るたびに彼の前に現れては助言をくれたそうです。正体はどこかの位の高い神さまか、その使いの者だと言われてます。まあ、わたしからしてみれば眉唾物の話ですけどね」
 肩をすくめる、ブルローネ。
 たしかに、実際にはありもしなかった逸話を創作して自分を偉大に見せるというのは、国家にはありがちな話だ。
 位の高い神に何度も助けられ愛された国王ということになれば、より人気も出ようというものだろう。
「じゃあ、ただの作り話?」
「その可能性はおおいにあるだろうな」
 シェラザードが言った。
 二百年ものあいだ生きてきたシェラザードが言うと、やはりそうなのだろうという気がしてくるものだ。
「ひっひっひっ。作り話、ねぇ。まあ、そういう解釈もあるかもな」
 と。
 秋彦が聞いたことのない声が、後ろから聞こえた。
 振り返ると、見知らぬ巨漢が立っていた。
 年齢は三十五歳ほどだろうか。
 身長は二メートルを超え、白髪を短めに刈った、精悍な顔つきの男だ。
 横幅のあるがっちりとした体格の持ち主で、その肉体は凶悪なまでに鍛え上げられている。
 白く分厚いコート、黒いシャツと白いズボンを身にまとい、つねに皮肉げな笑みを浮かべている口元では、火のついた葉巻をくわえていた。
 尋常ではないほど特徴的な男だったので、秋彦はすぐに、この男とは初対面だと思った。なにせ、一度でも見たら忘れるはずのない風貌をしているのだ。
 ブルローネは、きょとんとした表情を浮かべた。
「あなたは?」
「こいつは失礼、美しいお嬢さん。いや、なに、歩いていたら、なにやら興味深い話をしているのが聞こえてね。無礼だとは思ったが、ついつい声をかけちまった」
 紫煙を吐き出し、二メートルを越える高みから秋彦たちを見下ろす、男。
「俺は、とある人材派遣会社を経営している者でね」
「人材派遣会社?」
「ああ。顧客のニーズに応えた適切な社員を各地に派遣する……いわゆる隙間産業ってところか? 国を相手に商売することもある。で、珍しくまとまった休暇が取れたんでね。この国にはちょっとした観光目的でやってきたんだ。おまえさんたちは?」
 秋彦たちは、すこしためらいながらも、男の質問に答えた。
「ただの旅行者だ。冒険者だから、いろんな国を旅してる」
「右に同じだ」
「わたしは、騎士団の副団長です。観光客の方なら大歓迎ですよ。そうしたひとがひとりでも多いほどにぎやかになりますし。建国祭も見ていかれるんでしょう? 楽しんでいってくださいね」
「ああ。ぜひ、そうさせてもらうつもりだ。楽しませてもらうよ」
 ずっとにやにやと笑っている男。
 真冬の湖面のように静かな色の、蒼い瞳。
 秋彦はどこか薄ら寒いものを感じたような気がした。
 なにか、こう、真っ暗闇の海のような、底知れぬものを。
 男と、目があった。
「坊やは冒険者か。ずいぶんと器量のいいエルフを連れてるじゃないか。うらやましいぜ」
「坊や? 俺はもう二十一歳だ」
「俺からしたら、だれでも坊やに見えるのさ」
 そのとき、男の足下に衝撃が走った。
 小さな悲鳴。
 前をよく見ずに走ってきた少女が、男の太く逞しい脚に後ろからぶつかったのだった。
 少女は転び、その手に持っていた紙コップが地に落ちて、中身の暖かいミルクティーが男の白いズボンにぶちまけられた。おそらくそのあたりの露店で買った飲み物だったのだろう。
 一瞬、その場が静まり返る。
 大男は静かに振り返ると、その場にしゃがみ込み、ぶつかってきた少女に対して無造作に手を伸ばした。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん」
 男は少女を優しく起こし、立たせてやると、葉巻をくわえたまま柔和な笑みを浮かべた。
「怪我はないか? 立てるか?」
「うん……ごめんなさい、おじちゃん」
 金色の髪をしたかわいらしい少女は、うつむきながら素直に謝った。
 男は、大きな手のひらで少女の頭を撫でてやる。
「いいんだ。気にするな。おじさんは強いからな、このぐらいへっちゃらさ。……パパとママはどうした? お嬢ちゃんはひとりか?」
「ううん、パパはお仕事でいないけど、ママがいるよ。いっしょにお買い物をしにきたの」
「そうか。ママはどこにいる? 場所は分かるか?」
「うん、分かる」
「よしよし。ひとりで行けるか?」
「うん」
「そうか! えらいな。強い子だ。……せっかくの飲み物が台無しになっちまった。これで代わりを買うといい」
 そう言って、男はコートのポケットから一枚の金貨を取り出した。一杯のミルクティーの代金には多すぎる額である。
「ついでに、ママに新しい洋服でも買ってもらえ。いまので汚れちまったろう」
「いいの!? おじさん、ありがとう!」
「ああ、いいとも。その笑顔を買えたと思うなら、金貨一枚ぐらい安いもんだ」
 花が咲くような笑顔を見せた少女は、何度も何度も礼を言いながら、通りの向こうに去っていった。
 その様子を見守っていた秋彦は言った。
「優しいんだな、あんた」
「子供が好きなのさ」
 男はゆっくりと立ち上がった。
「子供はいい。いつの時代でも、どこの国でも、子供は希望そのものだ。小さくて元気がよくて、夢と未来が詰まってる。だから俺は子供が好きだ」
 男は、すぐ近くに置いてあったベンチに腰掛けた。
「さて、時間をとらせて悪かったな。俺はここでちょっと休むから、坊やたちとはお別れだ。……また会うことがあれば、そのときはもっと落ち着いて話をしたいもんだな」
「そんな機会があればの話だがな。おそらく二度と会うこともあるまい」
 素っ気なく言う、シェラザード。
 男は盛大に笑った。
 怪鳥のように。
「げっひゃっひゃっひゃっ! そうとも限らんぜ、耳の長いお嬢さん。なにせ世界は狭い……びっくりするほど狭いんだ。今回、俺たちが出会ったのはただの偶然だが、それが二度と続かない理屈もないさ」
「み、耳の長い……? 貴様、それはわが種族の誇りをバカにしているのか」
 目尻をつり上げて怒りの表情を見せ始めるシェラザード。
 秋彦はあわててその腕を引っ張る。
「やめろよ、シェラザード。じゃあな、おっさん。そういえば名前も聞いてないけど」
「つぎに会ったら名乗ろうや、坊や。お互いにな。……なあに、どうせすぐに再会できる。そんな気がするんだ」
「……ああ。それじゃ」
 そして秋彦たちは男と別れて、再び宿屋へと歩み始めた。
「なんだかよくわからん、変わったおっさんだったな」
「ふん。あんな無礼な男とは二度と会いたくない」
 まだ少し不機嫌な様子のシェラザード。だが気を取り直したように言う。
「アキヒコ。はやく宿屋に行こう。最高級だというから、きっとベッドはふかふかだぞ。……楽しみだな」
 秋彦と腕を組んでいる美貌のエルフ女は、熱っぽい声を出し、そのたわわにみのった乳房を相棒の身体に押しつける。
 まだまだこういうことに慣れていない青年は顔を赤くして、それを見ているブルローネはにやにやと笑う。
「そ、そういえばさ」
 むりやり話題を変えるように、秋彦は言った。
「さっきのおっさんに、飲み物、かかったよな」
「ああ。ミルクティーのように見えたが。脚にかかっていたな」
「……ズボンに染み、できてたか?」
 秋彦の質問に、シェラザードとブルローネは、同じように眉根を寄せた。
「覚えていない」
「わたしもですね。そんなの気にしてませんでした」
 あの男があまりにも平然とし過ぎていたので、だれも気にとめなかったことだった。
 秋彦は、少し不気味なものを感じながら、先ほどの男のことを思い出す。
「できてなかった気がするんだよな。……見間違いだろうけど」




 去っていく秋彦たちを見送ってから、なにをするでもなく、男はベンチに座り続けていた。
 くつろいだ様子で傲岸不遜に足を組み、楽しげに町の風景を眺め、静かに薄ら笑いを浮かべている。
 そのズボンに、ミルクティーによる染みはない。
 まるで先ほどの一件が夢幻であったかのように。
「……だれが召還したのかねぇ、あの坊や」
 ひっひっひっ、と笑う。
 なにかを楽しんでいるように。
 その悪名を世界に轟かせるヨルムガルドの《傭兵王》ベーゼは不気味に笑う。
「いるか、ガルデレール」
「お側に」
 ベーゼの呼びかけに応じて、ベンチの背後に現れたのは、影のような暗さを宿した壮年の男だった。
 白髪の多く混じった銀髪を後頭部でひとまとめにしていて、背丈は百八十センチ以上。だが異様なほど痩せ細っていて、頬はげっそりとこけており、目の下には色濃いくまが浮かんでいる。土気色に近い肌といい、眼鏡の奥の瞳にある狂気に近い色といい、おそらくは過剰なストレスと不摂生に満ちた生活を送っているのだろう。身にまとった黒いローブは何日も洗っていないせいで薄汚れて異臭を放ちつつある。
 歩いてやってきたというわけではなく、いままでまったく姿が見えなかったというのに、まるで最初からそこにいたかのような自然さで、白い男の真後ろに立っていた。
 ベーゼは振り返りもせずに言った。
「ハエレティクス・ケッツァーを暴れさせろ。あの坊やたちには遠出してもらうことにする。パーティーを序盤から台無しにされても困るからな」
「よろしいのですか? あの少年が敗北した場合、ハエレティクスを野放しにすることになりますが。そもそも、やりすぎる可能性がおおいに考えられるかと」
「かまわん。派手に騒いでくれたほうが、餌に使うのにちょうどいい。その点、ハエレティクスはうってつけだ。なにせ放置しておけば国がダース単位で滅ぶからな。だからといって、さして困ることもない」
 紫煙を吐き出し、なんでもないことのようにベーゼは言う。
「それと、適当に何人かつけておけ。ロイガーのオーク部隊も使っていい。そのへんの案配はおまえに任せる」
「かしこまりました、ご主人さま」
 ガルデレールと呼ばれた男は、慇懃に頭を下げた。
 思い出したようにベーゼは言う。
「そうそう。それが終わったらおまえは自分の国に戻っていいぞ」
「よろしいのでございますか……!?」
 ガルデレールの瞳の色が増した。
 骸骨のような顔に、狂おしいまでの生気が宿る。
「そろそろ俺の執事ごっこにも飽きただろう? おまえの煎れるコーヒーは極上だから手放すのが惜しいと言えば惜しいが、おまえにもおまえの事情というものがある」
「もったいなきお言葉。感謝の極みにございます。あなたさまは祖国からゴミのように扱われた私をお救いくださり、ありあまるほどの巨大な魔力を与えてくださった」
「そうだな。おまえにはとにかく援助してやった。その貸しを返してもらうときがきた。……俺がなにを望んでいるのかは、言わなくても分かるはずだな?」
「はい。破壊と、混沌でございます」
「おまえの喜びは?」
「復讐! そして、ご主人さまのお望みをすべてかなえることでございます」
「ならば狂え、ガルデレール。そしておまえの神に仕えるがいい。……行け、エルィストアートへ」
「御意のままに。無敵にして偉大なる王よ」
 あふれだす感謝をそのまま形にするように一礼したガルデレールは、すうっと風景に溶けて透明になるようにして消えた。
 ベーゼは首の骨をコキコキと鳴らす。楽しげな表情で。
「まったく、あっちもこっちも大忙しだな」
 その視線を、自分の隣へと向ける。
「それで? おまえは俺に、なんの用だ?」
 いままでベーゼしか座っていなかったはずの、彼の隣に、少し距離を置いて、ひとりの少女が座っていた。
 おそろしいほど可憐な少女だ。年齢は十二歳ほど、身長は百四十センチにも届いていないだろう。小柄だ。栗色のふわふわとした髪を肩にかかるあたりまでの伸ばした、人形めいて冷たく整った容姿の持ち主。フリルがふんだんに使われている白い上質なドレスを着ていて、全身からは神々しいまでの高貴さを放っており、どこかの大貴族の令嬢ではないかと思わせる。
 だが、その顔に無惨にも包帯が厚く巻かれ、左目を完全に覆い尽くしているのは、どういうわけか。そして無事なほうの右目には煮えたぎるような暗い感情の色が宿っているのは、なぜなのか。
「おまえが俺にこうして会いに来るとは珍しいじゃないか……貧乳大元帥」
「魔界大元帥だ! 愚か者ッ!」
 くわっ、と目を見開いて怒鳴った少女の名は、クラティア。
 偉大なる魔界の大公爵にして魔王の側近中の側近、魔王軍を実質的に統率している大元帥である。
 常軌を逸した光景だ。
 この一見すると平和に見えるアーホルンの王都の一角に、悪逆非道を極める《傭兵王》と魔王軍最強の邪悪生命体が並んでベンチに座っていようとは、だれが想像するだろうか。
 いまはごく普通に往来を歩いている住民たちとて、もしもこの両者の正体を知ったなら、その場で卒倒してしまってもおかしくない。
 そんな超絶的な極悪生物である二人の会話は、世間話のようにして始まった。
「ジジイは元気か?」
「もちろん、ご健在よ。それよりも魔王陛下とお呼びなさいな、愚か者。ま・お・う・へ・い・か。みなぎるような畏敬をこめてね」
「あるか、そんなもん。ま、元気ならそれでいいんだ。二年前のあの一件以来、なんの連絡もとってなかったからな」
「……よくもやってくれたわね。あなたたちのせいで《万魔殿》は半壊、魔界も大部分が焼き払われたわ。天文学的な損失を取り戻すために私は不眠不休の激務の真っ最中だわ」
「おいおい。ほとんどジジイが自分でやったんじゃねぇか」
「魔王陛下の逆鱗に触れるようなまねをするのが悪いのよ」
 クラティアは腕組みをして、冷たい目つきでベーゼを見やる。
「俺に言われても困る」
 肩をすくめる、ベーゼ。
 クラティアは深くため息をついた。
「いまはなんという名前だったかしら? 《殺戮者》タドミール? 《傲慢王》ボヘウアイ? 《不滅王》イムモルターリス? 《破壊者》ラズルシェーニエ? それとも《超絶天上天下絶対無敵大魔王》ディフィニティーヴォ?」
「《傭兵王》ベーゼだ。分かってて言ってるだろ」
「さあ? ただ今回の名前は覚えやすくて助かるから、それだけは誉めてあげるわ。あなたときたら何度も何度も名前を変えて身分を変えるものだから鬱陶しいのよ。いちいち覚えなくてはならないこっちの身にもなりなさいな」
「そいつは悪かった。名前を変えてイメチェンするといい気分転換になるんでね。ついでに謝っておくと、この名前は近いうちに捨てることになるかもしれんから、覚えるだけ無駄かもな」
 ずいぶんと短くなってしまった葉巻を、ベーゼは自分の足下へと落とした。
「そろそろあの三人が目覚める時期だ。戦争が起こる。ヨルムガルドは滅び、俺は負けるだろう」
「またしてもね」
 クラティアの表情に浮かんだのは、冷笑だった。
「何度も何度も負け続けて、男として悔しくないのかしら?」
「仕方がないだろう。俺は不死身なだけが取り柄の、しょうもない男さ。俺よりもはるかに強いジジイと戦えるのだって、この不死の肉体があるからだ」
 本当にそう思っているのだろう。
 ベーゼの顔に、強がっているような色はない。
「それにな。長いこと不死身を続けてると、勝ちとか負けとか、そんなものにこだわるのが馬鹿らしくなってくるんだ。……不死身の俺には無限のチャンスがある。永久無限に勝負し続けることが出来る。そして、永遠に勝ち続けることが出来る奴がいないように、永遠に負け続けることが出来る奴もいない。どんなに勝ち続けたとしてもいずれは負けるし、どんなに負け続けたとしてもいつかは勝てる。そう考えると、勝ち負けという結果には微塵の興味もなくなった。俺が楽しみなのは、過程だ。どうやってあいつらと戦うのかだけが俺の興味をひく」
 それは、人間などとは比べものにもならぬほど強靱な生命力を持つ魔族のクラティアでさえ理解できぬ、不死身のベーゼだけが達することのできる境地だった。
 何者だろうと、死の瞬間は訪れる。
 不老の肉体を持ち、脳味噌と心臓を破壊されても復活することのできるクラティアとて、その肉と魂と霊を完全に消滅させられては死んでしまう。
 だが、ベーゼはちがう。
 この男には本当に、死という概念がない。
 その点だけは、魔王エンディミオンをも超越している。
 ベーゼこそは、世界にたった一人だけの、不死の頂点。
 真の不死者として、この世が滅ぶまで、いや、この世が滅んでも生き続ける男の感性など、ほかのだれにも理解できるはずがない。
「ところで、クラティア。おまえ、結局、なんの用だ」
「さっきの人間に手出しするのはやめなさい」
 クラティアの右目に、暗い色が増した。
 ベーゼは、少し考え込んでから、ああ、と思い出したようにうなずいた。
「あの坊やか」
「そう。あの人間を殺すのは私よ。だれにも横取りはさせないわ」 
 それは復讐心なのだろうか。
 熱っぽい執着が、クラティアの声にはあった。
「理由は、その包帯の奥か?」
 ベーゼの指摘。
 クラティアは、包帯をかきむしるようにして掴んだ。
「そうよ。剣で脳髄をかき回され、心臓を斬られたわ。……死ぬところだった。死ぬところだったのよ、魔界貴族の筆頭たる、この私が! 愚かで醜い人間の小僧の手で!」
 憎悪。
 少女の小さな身体では許容し切れぬ巨大な憎悪が、いまにも燃え上がる炎と化して外界に飛び出しそうだ。
 ベーゼはにやにやとした笑いを大きく広げた。
「ほう。ジジイを除けば魔界最強のおまえをそこまで痛めつけるとは、たいしたもんだな、あの坊や。もしかするとバルログを倒したのも?」
「ええ、そうよ。魔王陛下のために尽力してきた我が最大の朋友を、あの人間とその仲間に殺されたわ。絶対に許さない。憎いわ。憎い、憎い、憎い……殺してやる……はらわたをひきずりだし、八つ裂きにして、徹底的に苦しめて、かつてないほど残酷な方法で地獄に落としてやる!」
「げっひゃっひゃっひゃっ!」
「なにがおかしいのよ!」
 睨みつける、クラティア。
 ベーゼは言った。
「おまえがだよ、クラティア。教えてやろう……それは恋だ」
 一瞬、クラティアは、ベーゼがなにを言ったのか理解できなかった。
「は?」
 思わず、魔界貴族にあるまじき間抜けな表情をしてしまったのも、無理もない。
 それほど、ベーゼの言葉は突飛で馬鹿げていた。
「こい……?」
「恋愛感情だ。おまえはあの坊やを愛してしまったというわけだ、クラティア」
「――なにを、言ってるの? 馬鹿なの?」
「狂ってはいるが、馬鹿じゃないさ。俺はいままでにいろんな生き物の感情のありさまを見てきたからな。そういうのは、すぐ分かる」
「なっ、なにを、言ってるの? この私が、栄光ある魔界の貴族である、この私が、下等な蛆虫のごとき人間族の小僧に、れ、恋愛感情ですって?」
「クラティア。そいつは愛を否定する理由にはならない。愛情には差別はない。身分や種族の差は関係ない」
「あの人間は私の敵よ。私の身体を切り刻んで、抉ったのよ」
「それも愛を否定する理由にならない。愛情は心の問題だ。身体の状態は関係ない」
「何人もの高貴な魔族を殺したわ。私の大事な仲間も」
「それはそいつらの問題だ。おまえには関係がない。おまえの坊やへの愛を否定する理由にはならない」
 ベーゼは、新たな葉巻に火をつけて口にくわえた。
「クラティア。どこの何者だろうが、どんな法律だろうが、愛を否定したり邪魔したりすることはできないし、そんなことが許されてはならない。愛はそれだけ素晴らしく、尊いものだ。喜べ。おまえはそれを知った。ただの人間に恋をして、おまえは素晴らしい奇跡を知った。それは、天に届くほど積み上げた金塊よりも価値のあるものだ」
 その蒼い瞳の色はあまりにも真摯で、クラティアは、視線をそらすことに苦労した。
 可憐な魔界貴族は地面に視線を落とし、吐き捨てるように言う。
「ばかばかしいわ。ついに精神も脳味噌も腐って狂ってしまったようね」
「かもしれん。ところでクラティア、あの坊やのことをどう思う? おまえの率直な意見が知りたい」
 問われて、クラティアはその形のいい顎に指をそえて考え込む仕草を見せた。
「……そうね。まず見た目は悪くないわね。少なくとも柔弱な女顔ではないわ。顔つきがちょっと粗暴すぎる気もするけれど、まあ、私たちのような高貴な種族と比べるのも酷でしょう。性格は愚かだけれど実直そうね。小賢しくはなさそうだわ。戦闘能力は人間にしてはたいしたものよ。なみの魔界貴族よりもはるかに高いわ。なにせこの私を追いつめたんだもの。肉類とか好んで食べそうね。紅茶よりコーヒーを飲みそう。その点では趣味が合わないわ。それと女の趣味がよくないわね……いったいいつまであのうっとうしいエルフの小娘と行動を共にしているつもりなのかしら? 保護者付きじゃないと買い物もできないガキじゃあるまいし。そんなに付き添いが必要なら私が飼い主として……」
「よし、もういい。よく分かった。俺が思った以上の重傷だ。悪いことは言わんから、さっさと坊やのところへ行って抱かれてこい。スッキリするぞ」
「アホぬかせっ!?」
 顔を真っ赤にして怒鳴る、クラティア。
 ベーゼはやれやれとばかり首を横に振る。
「おまえは娯楽を知らなすぎる。もっと頭の中を空っぽにすることを覚えたほうがいい。俺もな、知っての通り、三度のメシよりも破壊と殺戮が大好きなんだが、それさえもどうでもよくなることがごくたまにあったりする。この世のすべてが面倒くさくなるときがな。そんなときに一番いいのはやはりなにもかも忘れて遊びほうけることだな。自分の立場や名前も忘れて、気に入った女でも妻にして、どこかの山奥か海岸にでも家を建てて、海で泳いだり野菜を育てたりしながらのんびりと自由に過ごすんだ。釣りもいいし読書もいい。女を抱きまくって快楽を貪るのもいい。そうやって五十年も過ごせばすっかりリフレッシュできる。身も心も綺麗さっぱりとした気分で、新しい殺戮を楽しめるんだ。どうだ? 魅力的だろ?」
「だ、抱かれる……!? 抱かれる……セックス!?」
「聞いちゃいねえ」
「ふざけないで。わ、私に、あんな薄汚い人間族の、何日も洗ってなさそうなチンポをしゃぶれというの? 黄ばんだチンカスをこの舌で掃除しろと言うの? い、いやよ。絶対にイヤ。そんなことしたらもう、もう、戻れなくなるわ……私、あの腐れ人間の性欲処理用の肉便器になって、もう高貴な魔界貴族には絶対に戻れなくなる……そ、そんなの」
「想像しただけで興奮するのか。たいした変態だ。気分が高ぶると言葉遣いが汚くなるのも相変わらずだな。ジジイが泣くぞ」
「うるさいっ、この愚か者! も、もういいわ。あなたと話し合おうとした私が馬鹿だったわ!」
 腰を上げてベンチから離れる、クラティア。その顔はまだ赤い。
「だいたい、どうして私があの人間を愛さなければならないの? どのタイミングで恋に落ちる場面があったというの? ただ憎しみあい、殺しあっただけの私たちに」
「愛情が発生するのに理由はいらない。愛に理屈は不要だ。ただ恋をして愛してしまう。それだけのことなんだよ、クラティア。なにも不思議なことじゃない。おまえのそれは、ただの一目惚れだ」
「ひ、ひとめ……、もういいっ! 黙りなさいっ、もう聞きたくないわ! とにかく、あの人間は私が殺すのよ。邪魔したり横取りしたりするのは許さない! 覚えておきなさい!」
 怒りの表情を浮かべ、ビシッとベーゼを指さしながら人混みの中へと歩いていくクラティアの姿は、すぐに見えなくなってしまった。
「魔族の少女は人間の男に恋をした、か」
 面白そうに、ベーゼは言う。
 クラティアが去ってからも、そのベンチから腰を上げようとはしない。
 やがて夕暮れ時が訪れた。
 赤く染まりつつある王都。
 ベーゼはいつまでも、この町の風景を眺め続ける。
 なんといってもこの時間はベーゼにとっての大のお気に入りだ。
 国が、町が、健康そのものである。
 住民たちの表情は笑顔。町は活気に満ちあふれ、笑い声が絶えず響きわたり、がやがやと騒がしく、それでいて不快ではない。
 穏やかで、せわしなくて、満ち足りていて、安全だ。
 美しい。本当に美しい。
 ここには、平和がある。
 ベーゼは、そんなごく普通の平和な町並みを眺めて過ごすのが大好きだった。
 なぜなら、これを見られるのは、いまが最後のチャンスなのだから。
 この国はもうすぐ地獄の業火に焼かれ、ここに暮らす民草はひとり残らず断末魔の悲鳴を上げながら死に絶え、家は叩き壊され、めぼしい金目のものはすべて奪われ、美しい町並みは完全に原形をとどめぬまでに破壊し尽くされる。
 だから、平和だったころのこの国を見られるのは、いまが最後のチャンスだ。
 だから、ベーゼは、いつまでも楽しげに眺めている。
 より美しいものを壊すほど、破壊の快感は大きくなる。
 この国を壊すとき、もともとどんなに美しかったのか思い出しながら破壊すれば、甘くとろけそうな快感を味わえることは間違いない。
 なにせ、そうしたことを何度も繰り返してきたのだから。
 何度も、何度も、何度も、かぞえきれぬほどの国を壊してきた。
 かぞえきれぬほどの生命を、文明を、歴史を、この手で破壊しつくしてきた。
 ベーゼは、壊すために生きている。
 なによりもそれだけが、永遠に生き続けるこの身の飢えと渇きを癒してくれる。
 楽しみでならない。
「ひっひっひっ」
 本当に楽しみでならない。
 あの青年。
 彼は素晴らしい、彼はとてもいい。
 この、とても平和で素晴らしい、壊し甲斐のありそうな国に、あんなオマケまでついてくるとは。
 なにもかもが、自分を中心に回っているかのようだ。
 すべてが思い通りに、否、思い通り以上に動いてくれている。
「……まったく、この世は天国だな。楽しくて楽しくてたまらんよ」
 だから、ベーゼは静かに笑う。
 アーホルン王国の崩壊を夢見て。



[9648] 設定とか、キャラクターの詳細とか、いろいろ
Name: あすてか◆12278389 ID:759dc3b2
Date: 2011/02/24 14:06
(´・ω・`)
 キャラが増えてきたので、設定資料集、っていうかキャラクター辞典みたいなものを作ってみました。
 情報の整理という目的もありますが、こういうものを一度でいいから作ってみたいと作者が思ったのが最大の理由です。
 ここの情報はそのうち修正したり追加したりします。
 作品の進行に合わせて、思い出したように更新すると思います。
 キャラの名前の由来とかも記しておきますが、英語とかドイツ語とか詳しくないのに調べて由来にしてあるので、もしかしたら間違ってるときがあるかもしれません。でもいまさら直せない。うわあん。
 あ、一部のキャラは名前の上と下で英語やドイツ語がごっちゃになってますが、あんまり気にしないでください。作者は適当です。ハハッ!
 その性質上、ネタバレを多く含みますので、まだ作品をすべて読み終えておられない方は、閲覧するのをお止めになったほうがいいような気がします。まあ、そんなにたいしたことは書かないと思います。すべて適当。適当って言っておけば何ぞやらかしたときの言い訳にできると考えている。

 キャラクター紹介(順番は適当)
 
◆四季村秋彦
 本編の主人公。二十七歳。ぼさぼさの茶髪。ちょっとハンサムな顔立ち。よれよれのコートを着ている。身長百八十センチ以上、けっこうがっしりとした体格。
 けっこう適当な性格をしているが、やるときはやる。たらし。恋人はシェラザード。
 かつてのリノティア最強パーティー、《黄金の栄光》のメンバー。今はリノティア学園の用務員とか実習教官とかやっている。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》の担当官。
 十年前、異世界からやってきた。昔はそのおかげで荒んでいて、暗黒面にどっぷりとはまっていたが、脱出に成功。更生した後は別人のように軽い性格に。というか本来の性格に戻った。
 平和主義者だけど敵は見逃さない。
 知る人ぞ知るおっさん。
 下戸。
 武器はでっかい銃とナイフ。昔は大剣を使っていたけど、体力の衰えのせいで使えなくなった。
 最大の武器は肉体制御のリミッターを外すことによる超人的な身体能力そのもの。異世界にやってきたばかりのころにゴブリンの棍棒で後頭部をガツンとやられてリミッターがぶっ壊れた。あんまりやると死ねるので自制しているけど、すでに身体はボロボロだし、外すときはためらいなく外す。
 二つ名は《ノー・カウント》。略してノーカン先生。あまりに素早すぎて、敵を倒すのに秒読みすら必要としないからだとかなんとか。あと異世界の命の数に数えられていないから。
 異世界人のため、レベル測定不可能。


◆シェラザード・ウォーティンハイム
 ハイエルフの超絶美女。エルフの王族のようなもので、本当はお姫さま。身長百七十五センチくらい、ボンキュボン。グラマラス。金髪さん。年齢不詳、でも二百歳くらいのような気がする。中途入学か。エルフ的には若輩者。
 フェアラートと共に、《黄金の栄光》結成当時からのメンバーだった。
 伝説級の魔法使いで、冗談のように莫大な魔法力の持ち主。おもに光や熱を操る攻撃魔法を好むが、ほぼ万能に近い。魔法の使い手としては最強と噂される。
 最初は秋彦のことを「下賎で役立たずの人間め、邪魔だから始末してやる」と思っていたが、やがて「な、なんだ、けっこうやるじゃないか。認めてやらんこともない」と思うようになり、現在では「あいつのためなら死ねる」とまで惚れこんでいる。悪い男にどっぷり嵌まるタイプ。典型的なツンデレ。ヤンデレの素質も有り。
 十年前と現在のギャップが著しすぎて、もはや別人。
 クールビューティーな過去のシェラザードと、駄目な現在の駄目ザード。
 酒乱の悪癖の持ち主。
 大人気の教師。彼女の講義は予約待ちでいっぱい。
 ファンクラブが無数に乱立していて、統合するかどうかで揉めているとかなんとか。
 料理は出来るが、秋彦のために覚えただけで、自分のためには作らない。掃除も同様。ちょっと放置しておくと自室は腐海に沈む。本性は自堕落。自分に甘い。
 現在の秋彦の恋人で、そのことに満足しているが、嫉妬深くて独占欲が強く、いつか秋彦を誰かに奪われるのではないかと冷や冷やしている。だれの助けもないと、どこまでもネガティヴな方向に思考が向く。
 テンパって変態的な発言をぶちかます。どこか天然。
 現在のレベルは不明、過去編の時点ではおそらく六〇〇以上か。


◆ルーティ・エルディナマータ
 リノティア学園、高等部一年の女子生徒。黒髪と眼鏡が知的な、クールな雰囲気の美少女。つるつるぺたん。身長百六十センチくらい。十六歳。
 人間族にしては珍しい、屍霊術士。屍霊術士は死体を操って手足とするその特製ゆえ、迫害され、嫌悪と侮蔑を向けられる対象となることが多い。
 最悪、魔物と同様の扱いを受けて殺されることもある。
 ルーティはそんな屍霊術士の一族の出身。最後の一人。
 極めて優秀な才能を持ち、フェアラートの眼力と推測が正しければ、きちんと厳しい修行を積めばレベル五〇〇以上には確実に到達する。間違いなく大天才。父親を越える可能性を秘めている。
 いまだ未熟だが、大きく成長し続けている未知数の存在。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》のリーダーにして名付け親。アンデッドモンスターをはじめとする自分の作品などに名前をつけるのが趣味だが、そのセンスはなかなか理解されないことが多い。
 五年前、秋彦に実の父親を殺され、そのまま保護という形で引き取られた。今はマーキアスの弟子。
 酒豪。
 双子の姉がいるはずだが消息不明。
 普段は冷静な態度を崩さないが、意外とすぐに激昂する。未熟。
 秋彦のことが大好きで、兄として父親として教師として愛している。いつか彼の愛人となり便所になるのが夢。どろどろの黒い愛憎とか倒錯的な狂気とか、激しく変態的な性行為とか、とにかく普通ではないインモラルな関係を好む。生粋の変態。すでに人間の領域を突破しつつある。サドだがマゾ。狂人。
 変態行為を変態行為として自覚し、異常なことだと理解しながら好んで実行できる。
 正真正銘、生来の変態。
 どうしようもない狂人の変質者。
 生まれながらにして男を堕落させる方法を本能に刻み込まれし魔性の女。
 かつてフェアラートと出会い、彼女の魔杖を授けられた。その杖は幼少のルーティが扱うにはあまりにも危険すぎたためマーキアスが保管していたが、最近になって返された。
 レベル一九〇以上だが、どんどん実力が上昇しているのですぐに数値が変化する。


◆レミリア・キュアフ
 リノティア学園、高等部一年の女子生徒。獣人族。うさみみ。ふわふわの銀髪のてっぺんからウサギの耳がそのまま生えてる。ボインちゃん。分かりやすい天然バニーガール。かわいい。十六歳。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》のメンバー。
 通称、レミィ。ルーティの親友。やさしくて甘くてふんわりとした性格。涙もろく、泣きやすい。泣くとものすごい高周波やら電磁波やら振動やらを発生させて周囲を地獄のズンどこに叩き落す。悪夢のガン泣き。
 吟遊詩人。フルートを吹き、呪歌を使って周囲にさまざまな影響を与える。戦闘向きではないが、サポート要員として非常に優秀。
 レベル一二〇くらいだが、まだまだ未知数。


◆ガゼル・ディブロ
 高等部二年の男子生徒。ダークエルフの少年。褐色の肌と白い髪の持ち主。背が高くて引き締まった体つき。かなりの美少年で、女の子っぽい顔つき。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》のメンバー。
 大剣を使う剣士。が、いろいろ未熟。
 言動がいちいちツンツンしていて、異様にプライドが高く、だれに対しても無駄に突っ張り、無用な争いを起こし、それでいて実力は乏しくピンチに弱い。へたれ。オークに尻を狙われる運命にある。
 読者さんからの嫌われっぷりがナンバーワン。ツンツンさせすぎた作者のせい。まあ狙い通りといえば狙い通りなので問題なし。彼がこの先生きのこれるか。それは作者の気まぐれによる。更生イベントを何度か起こしてやらないと本気で死ぬる。やさぐれっぷりが十年前の秋彦と少し似ている。
 レベル一八〇、一応は天才。けど努力しないと無駄な才能。



◆ノアル・ハーミット
 高等部二年生、男子生徒。エルフの少年。黒装束の忍者。波打つ黒髪と怜悧な美貌の持ち主で、美少女と間違えられる。何を考えているのかよく分からない虚ろな双眸の持ち主。大きな声を出すことがなく、いつもぼんやりと喋るが、きちんと相手の言うことには耳を傾けているし、会話は通じる。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》のメンバー。
 なにやら影のある雰囲気の少年。
 以前のパーティーにいたとき事故を起こし、そのせいでメンバーから外されたらしい。
 いざとなれば躊躇いなく冷徹な判断を下せる。プロ意識が強くて仕事は完璧にこなさないと気がすまない。言葉や態度に出すことはほとんどないが、仕事の邪魔をされることが嫌いで、ガゼルのことは好ましく思っていない。
 レベル二二〇くらい。強い。
 名前の由来。ノアルはノワールのもじりで、『闇』とかそういう意味。ハーミットは『隠者』。


◆エストレア・ブレイブハート
 高等部一年、巨人族の女の子。十六歳。縦ロールの金髪を何本も背中に垂らしている。ドリル。ですわ。お嬢さま。身長三メートル七十センチ。脚の長さだけでも二メートル超。体重は数百キロある。グラマラスなプロポーション。ボンキュボン、というよりもドカァンキュンドカァン。
 巨人族としても並外れた体格、凄まじい膂力、身体能力の持ち主。礼節を重んじ、周囲に気を配る。やさしく正義感の強い少女。強敵と戦うことを喜び、真正面から正々堂々とぶつかって勝利することを栄誉とする。
 《リノティア・バーニングボンバーズ》のメンバー。
 分厚い重装備に身を包む聖騎士で、卓越したハルバードの使い手。回復魔法も使える、パーティーの支柱。
 もともと体格をネタにいじめられていて絶望のどん底に落ちていたところを秋彦に拾われ、《ストレングス》というパーティーに参加した。めきめきと実力をつけてナイトクラスに昇格、クイーンクラスに届こうかというとき、メンバーそれぞれにやりたいことが出来たのでパーティーは解散。それが一年前。その後、エストレアは生徒会のメンバーに立候補、見事に選挙で選ばれて入会。副会長の地位を得た。
 巨人族のくせにミニスカなんて愛用しているので常時パンツ丸見えに近い状態だが、見せパンなので大丈夫ですわの理念があるらしい。
 魔法の修行という名の精神鍛錬と筋トレが日課。自分を鍛え上げることに生き甲斐を感じている。
 作者としては大好きなキャラクター。本命に近い。常識的で、書いていて気持ちがいい。
 名前の由来。エストレアは『星』とか『流星』という意味を持つらしく、ブレイブハートは『勇気ある心』みたいな感じ。
 レベル三二〇。いまのところボンバーズ最強。


◆ハイドラ・ザ・ウィケッド・セルフィッシュ
 詳細不明。ツインテール電波少女。ぴよーん、ぽろろん、ぷっぷー。マジキチ。ボンキュボン。巨乳。デカメロン。ボンバーズの六人目のメンバーか。
『りびんぐでっど』の最後に登場している少女と同一人物に近い。
 名前の由来。ハイドラは『ヒュドラ』。ギリシャ神話に登場する不死の怪物。ウィケッドやセルフィッシュについてはフェアラートと同様。
 レベル不明。


◆フェアラート・ウィケッド・セルフィッシュ
 過去編の主人公にして、十年前の高等部三年生。ショートカットの黒髪と紅い瞳、パーフェクトなプロポーションの持ち主。凄まじい美少女で、作中最高の美貌を誇る。あまりにも美人なのでみんなにドン引きされる。そのことをよく理解して他人を堕落させる道具として用いる。魔性の女。二人目の主人公。
 剣も使えるが魔法も使える。基本的になんでもできる。というより、なんでもできるようになった。もともとは才能の欠片もない劣性遺伝子の塊なので、脳味噌のスペアを作って睡眠時間を切除するという異常な荒業によって鍛錬の時間を増やした。
 母親は不明だが、父親は《傭兵王》ベーゼ。つまりヨルムガルドのお姫さまということになる。が、本人はそのことを誇らず、むしろ汚点として考えている。本国もベーゼもいつか潰すつもりでいる。
 どうにかしてヨルムガルドから逃げ出し、リノティアに辿り着いてからは、マーキアスのところで彼の弟子となって修行した。そのため屍霊術も得意。が、普通に攻撃魔法を使ったほうが手っ取り早いと感じているので、戦闘ではめったに使わない。
 伝説の最強パーティー《黄金の栄光》の設立者にしてリーダー。圧倒的なレベルの高さと戦闘能力の持ち主。
 片手剣と短杖を左右の手に持って戦うスタイルを好んでいる。
 上昇志向がずば抜けて強く、努力のみでのし上がったため、異常に実力主義なうえ、非常に冷酷で利己的な悪党。この世はしょせん弱肉強食という理念がある。他人はもとより自分のパーティーのメンバーですら道具としか思っていない。そのため、いざとなれば簡単に切り捨てるし、殺すことに躊躇がない。
 情け容赦というものがない。自分勝手で自己顕示欲が強い。プライドが高い。
 細かいところまで気になる。神経質。
 目的達成のためなら手段を選ばず、どんな労力も厭わない。
 目的は永遠の美貌と最強の戦闘能力。最終目的は栄光ある平穏。
 人生を急ぐあまり危険な冒険も多く、今までに何人ものメンバーを死なせてきたが、まったく反省しておらず、むしろ死んだほうが悪いとすら考えている模様。性根が腐っている。
 が、そうした性格の難点や暴虐な振る舞いなどを考慮しても余りあるほどの貢献を学園にもたらし、関係者に甘い汁を撒き散らすので、彼女の足元にすがりつこうとする者は数多い。有能なので、迷宮の内部ではメンバーたちも彼女の言葉を疑わない。
 だれも信用していないので、すべての仕事を自分ですませようとする。そのため死ぬほど多忙。眠らないし眠れない。料理は得意だが、自分の食事は固形の形態食料ですませる。それは雑巾のような味がしてたいへん不味いが我慢している。
 貴族に太いパイプを作ろうと考えている。社交界でも十分に通用するほどの教養を身につけている。
 大切なものは自分の生命と美貌、そして実姉。
 嫌いなものはこの世のすべて。
 非処女。超ビッチ。
 性行為の際に相手の首を絞めたがるという奇癖がある。
 常識的な悪党。
 暑いからといって水着姿で校内を歩き回り、リノティア学園を震撼させた。
 双子の姉がいる。真の天才である姉に比べるとゾウリムシでしかない。姉を『あのお方』と呼び、崇拝の対象としていて、自分と酷似した外見でありながらまったく別次元の強さを誇る彼女に対して、妄信的なまでの敬愛を捧げている。だが、姉を越えたい、姉に近づきたいとも思っているらしい。それが不可能だということにも気づいてはいる。
 『りびんぐでっど』の主人公と同一人物に近い。ただ、『りびんぐでっど』のほうのフェアラートはチマチマしていてみみっちい。か弱い存在か、それとも少しは実力を得た段階なのか、その差が表れている。
 本編開始から八年前の時点で生死不明。魔王の居城で消息を絶っている。
 名前の由来。
 フェアラートは『裏切り』。
 ウィケッドは『邪悪な、悪意のある、不正な』。
 セルフィッシュは『利己的な、自分本位の、わがままな』。
 過去編の時点でのレベルは七二〇だが、魔王の居城に突入した八年前の段階ではレベル九〇〇を超えていた様子。

◆姉
 フェアラートの双子の姉。
 《傭兵王》ベーゼの娘。ヨルムガルドの姫君。
 詳細不明。生死不明。最強。無敵。天才。優性遺伝子の塊。

◆ユーフィーナ・ソグラテス
 過去編当時の高等部三年生。《黄金の栄光》のメンバー。肩の辺りで切りそろえた赤毛が美しい、温かくてやわらかな雰囲気の少女。だれに対しても慈愛に満ちた笑みを浮かべる。つるつるぺったん。スレンダー。
 神聖魔法使い。シェラザードに匹敵するほどの底なしの魔力の持ち主で、その回復魔法は手足をもがれて瀕死の状態にある半死人ですら容易に復活させる。回復の超エキスパート。
 非常に温和で心優しく、面倒見のいい、まさに慈母のような性格の少女だが、いったん怒ると噴火した火山のようになる。
 とてもかわいがっていたディムという少年をフェアラートに殺されたので、彼女に対してだけは憎悪を向けている。情が深いので怒りも根強く色濃い。
 リノティアの白き女神、聖少女などと呼ばれているが、かつては宗教的な敵対勢力を抹殺するために暗躍する殺戮マシーンのような少女だった。
 暗殺一族に生まれたが、転換期と呼べる事件を経験したらしく、それからはおのれの手で人間の生命は奪わないと誓っている。フェアラートは悪魔と判断しているので対象外らしい。
 魔力で全身を強化する魔法の使い手でもあり、本気になればサイクロプスやオーガを素手でミンチにすることができる。その暗殺格闘術はフェアラートですら警戒するほど。
 秋彦のことをアキくんと呼び、好意を向ける。相手が駄目な男であるほど強く惹かれる、母性本能の塊のような少女。男が駄目であればあるほど可愛く見えて仕方がなく、世話を焼きたくて仕方がなくなる。悪い男にひっかかるタイプ。
 現在の生死、消息は不明。
 過去編でのレベルは五八〇。《黄金の栄光》の女性陣では最弱だが、それでも十分に化け物。


◆ウィルダネス・ドストロイ
 過去編での《黄金の栄光》のメンバー。高等部三年生、巨人族の男子生徒。スキンヘッド。上半身は素っ裸。下半身にはズボンだけ。胸がケツのようだ。筋肉ムキムキのマッチョマン。脳味噌筋肉。とにかく筋肉。武器は巨大な戦斧。身長三メートル五十センチ。
 喧嘩が大好き。とにかく燃える戦いを経験したいという願望しか頭にない。
 裏表のない、いい奴。
 竜族すら素手でボコボコにして葬ることが可能。殴っただけで岩盤が砕ける。胸板で銃弾を弾く。
 名前の由来。ウィルダネスは『荒れた大地』。
 現在の生死は不明。
 過去編でのレベルは四三〇。《黄金の栄光》最弱だが、やっぱり化け物。

◆ジェラルド・ロウ・オッツダルヴァ
 過去編での《黄金の栄光》のメンバー。高等部二年生の人間族。天才坊や。金髪オールバックの青年で、極めて軽い鎧に身を包んだ軽戦士。双剣を扱い、異常な剣速で相手をバラバラに切り刻む。秋彦とフェアラートを除けば最速。
 どこか北のほうの国の出身らしい。
 礼儀正しく紳士的な性格だが、プライドが高く、秋彦を相手にすると余裕が崩れ去る。
 過去編でのレベルは四五〇。現在、消息不明。


◆ディム・ウォーキスキン
 過去編での《黄金の栄光》のメンバーだった。中等部二年生の少年。茶髪と眼鏡が特徴的な、背の低い錬金術師。極めて優秀な頭脳の持ち主だったらしいのだが、フェアラートの身代わりの盾にされて燃え尽きた。丸焼き。合掌。

◆ラファーガ・クェサ
 詳細不明。過去編当時のリノティア学園の生徒。
 竜人族。
 当時のリノティアにおける最強の戦闘能力の持ち主。
 一対一での戦いならばフェアラートですら上回るという。
 特定のメンバーとパーティーを組まず、たったひとりでダンジョンに潜る。
 名前の意味。ラファーガはスペイン語で『強く吹く風』。
 レベル不明。現在も生存。卒業生。



◆ルシーファ・シュメァツェン
 過去編での高等部三年生。
 謎の多い、美貌の少年。極めて稀有な、天使族と悪魔族の混血児。腰まで届く銀髪、右目と左目で色の違うオッド・アイ、中世的な絶世の美貌。鍛え上げて引き締まっている長身。腰の左右に双剣《凶月》と《冥月》。飄々とした性格の持ち主。本性は無様。
 リノティア学園の頂点に並び立っていた三人、《三本の剣》と呼ばれる実力者のうちの一人。が、実際には残りの二人とは実力にかなりの隔たりがあった様子。本人はそれを知らなかった。
 リノティア学園有数の実力派パーティー《黄昏の魔天使》のリーダー。たらし。
 渾名は《天魔人》、《者でも物でもあらざるモノ》、《煉獄鎮魂歌》、《皆殺シノタメノ魔剣》、《昼行灯》、《戦闘狂》、《断罪者》、《破滅の序曲》、《紅と蒼の恐怖》、《二刀百殺》、《壊レタ創造者》、《狂エル死ノ具現》、《神意と悪意の代理人》、《漆黒の堕天使》、《朱イ咎》、などなど。マジキチ。
 《仁》の英雄だとか言われていた気がするが、そんなことはなかったぜ。
 東方の国に伝わる伝説の流派、武神封滅流という最強の武術を扱うらしいが、たぶん妄想。
 本気を出して全力を開放すると背中から純白の翼と漆黒の翼が現れ、アカシック・レコードを自在に支配し、世界中のすべての光と闇、すなわち世界そのものが彼に従属するようになるが、実はそんなことはない。
 自分の実力を過信し、ダンジョンを甘く見ていたために、敗北。パーティーのメンバーたちを失い、自身も大怪我を負った。最期は、自分の不運を嘆いていたところをフェアラートに始末される。
 ふざけて登場させた。いまでは反省している。でも他のキャラの強さを見る時のけっこういい感じの物差しになった気がするので、ポジティブに考えていこうと思っている。
 名前の由来は、ルシーファは『ルシファー』のもじり。いわずとしれた堕天使の代表格、地獄のお偉いさん。シュメァツェンはドイツ語で『痛み』らしい。
 レベル三六〇。それなりの実力者だった。


◆セラ・キーム
 《黄昏の魔天使》のメンバーだった。神聖魔法使い。長い青髪。普通の少女。ユーフィーナのことを尊敬していた。フォビドゥオに叩き潰されて死亡。

◆アレア・レッドグーヴ
 《黄昏の魔天使》のメンバーだった。緑髪の大剣使い。デカ女。フォビドゥオに押し潰されて死亡。
 
◆レム・プリテラ
 《黄昏の魔天使》のメンバーだった。銀髪ツインテールの精霊使い。幼女。フォビドゥオに捕まり、紙くずのようにぐちゃぐちゃに引き裂かれて死亡。

◆サリーナ・ペティアル
 《黄昏の魔天使》のメンバーだった。黒髪の盗賊。あはー。にこにこ笑う少女。フォビドゥオに下半身を吹き飛ばされたうえ、上半身を頭突きでメタメタに潰されて死亡。


◆フォビドゥオ
 《ルノス古代遺跡》の最深部で冒険者たちを待ち受ける、醜悪な肉塊のごとき化け物。耳も鼻も口もなく、大きな目玉だけが顔にある。手足の指はない。肉団子を適当にくっつけて人間の形にしたかのような外見。
 レベル三〇〇を超える冒険者ですら赤子のように一捻りにしてしまう、圧倒的な戦闘能力の持ち主。凄まじい筋肉のパワーですべてを叩き潰す。
 イェルゲンの命令に従って無言で殺戮し、仕留めた獲物に対して頭突きを繰り返す。
 その正体はイェルゲンによって改造された人間の成人男性。《傭兵王》の三〇九番目の子供。フェアラートの異母兄。
 原型を留めぬほど強化され、睡眠欲をなくし、食欲と性欲が混ざり合って肥大化したが口がないため食事が出来ない。この世のすべてを憎悪するパワーが原動力。
 ウィルダネスにあっさりと敗北。
 報われない身の上を憎み、憤怒と憎悪で心身を焦がしてパワーアップしたが、秋彦の敵ではなかった。
 レベル不明。

◆イェルゲン・ボルザック
 傭兵国家ヨルムガルドの科学技術開発局局長。見た目の年齢は三十代前半。長身。だらしなく伸ばした白髪。白衣。眼鏡。痩身。温かみのない爬虫類じみた双眸の持ち主。あまり健康的ではない肌色。
 天才的な頭脳の持ち主だが、典型的なマッドサイエンティスト。自分の知的好奇心を満たすためならば他人の人生を平気で台無しにすることができる。笑いながらゲーム感覚で殺戮を楽しむあたり、ヨルムガルドの国民である。
 だれに対しても普段の態度で接する。自分の主君だろうと関係ない。
 忠義の心を理解できない。
 社会的な生活能力が低い。
 自分だけが可愛くて他人のことはどうでもいい。
 一人称は『自分』。
 レベル不明。貧弱。

◆ロイガー
 傭兵国家ヨルムガルドに所属する傭兵。オークの部隊を率いている。全身に生えた漆黒の剛毛、四メートルを越える図抜けた巨体、はちきれんばかりの筋肉、長さ三メートルにも達する大剣を扱う。かなり特徴的な外見のオーク。
 性格は極めて獰猛にして邪悪。殺戮と強姦と暴食を好む、オークという種族の典型的なスタイル。人殺しと破壊の快感を得られるなら他のことはどうでもいいと豪語する。下卑ていて粗野。欲望に忠実。
 桁外れの性欲をいつでも滾らせていて、女性のことは自分の性欲をぶちまける便所だとしか思っていない。
 極上の殺し合いを望み、地獄の戦場を求めて世界中をさすらっている。戦闘狂。
 かつて魔王軍の師団長を務めていて、かなりの武勇を誇ったらしいが、味方ですら殺したため、ついには処刑命令を下されて軍を追われる立場となり、ヨルムガルドへと渡った。
 混沌と破壊の神カムイを信奉しているため、かの神から恩恵を与えられ、すべてを凌駕する無敵の力と不死の肉体を得ているが、いつか必ず破滅する。この破滅とは単純な死などではなく、もっとおぞましく救いがたい恐怖の末路。狂人ですら恐れる最期だが、それでもカムイのパワーを求めるからこその狂人。
 不死といっても首を落とされたり全身をバラバラに切り刻まれたりすると死んでしまう。が、脳味噌や心臓を破壊された程度では死なない。
 過去に秋彦と戦い、部下百人を失い、自分自身も殺されかけている。以来、彼の生命を狙う。ただし復讐心は無い。
 クイーン・アントとの一件でさえ本気はまったく出していない。
 真の実力は不明だが、その気になればバーニングボンバーズを一瞬で皆殺しにすることも可能だった。
 何者をも恐れない傲岸不遜な男だが、魔王に対しては敬意を表している。《傭兵王》には本能的な恐怖を感じるらしい。
 意外と面倒見がいいので部下からの信頼は厚い。
 精神と肉体、経験、パワー、スピード、テクニックと、すべての要素が最高クラスでバランスよく完成している。天才的な戦闘センスの持ち主。知能は低いが戦いの場では頭がよく回る。戦場で生きるために産まれてきたような男。オークという種族の頂点。
 レベルは不明だが、五〇〇以上は確実か。


◆ベーゼ
 傭兵国家ヨルムガルドの首領、《傭兵王》。短めに刈った白髪。精悍な顔つき。二メートルを越す長身の人間族。白く分厚いコート。凄まじく筋骨隆々とした肉体。いつも皮肉げな笑みを浮かべている。
 世界中に傭兵と争いの火種を撒き散らすヨルムガルドの《建国王》にして《不死王》、《傭兵王》と、いくつかの渾名で呼ばれる悪の大首領。
 詳しい出自や経歴は不明。百二十年前、当時の人類と魔王軍が争いを繰り広げていた最前線にふらりと現れ、二十五万体の魔王軍を一人で笑いながら殴り殺し、降臨した魔王ですら七日七晩にも及ぶ激闘のすえに追い返した。
 魔王軍から奪い取った土地をヨルムガルドと名づけ、傭兵国家として建国し、現在にいたる。
 そもそもカムイという悪神を信奉する生き物などほとんど存在しなかったのだが、ベーゼの圧倒的な暴力に憧れた者が多く現れたため、爆発的に信者の数が増した。世界中に混沌と戦乱が満ち始める原因を作った張本人。
 百二十年以上も生きていることから、魔物ではないかと噂されているが、れっきとした人間族。ただそれでは説明がつかないほど明らかに理不尽な戦闘能力を誇っていて、謎が多い。
 性格は極めて惨忍で好戦的。傍若無人。破壊と混沌を撒き散らすことを求め、血と殺戮を渇望する気質はカムイそのものだといえる。狂人ぞろいのヨルムガルドの傭兵たちですらベーゼの瞳に見つめられると震え上がり、恐怖を覚えるという。
 あまりにも暴虐な振る舞いをするため、ヨルムガルドこそ第二の魔王軍だという声も多く、各国の連合によるヨルムガルド討伐軍が組まれたことも一度や二度ではないが、すべて討伐軍の全滅という形で失敗に終わっている。
 周辺諸国はヨルムガルドに貢ぎ物を捧げてベーゼのご機嫌をうかがっている現状。しかしベーゼはそんなことなど考慮せずに気まぐれに国を潰して楽しんでいる。
 この世に破壊と混沌が満ちることを望み、そのために行動している。生き物が傷つけ合い苦しめ合い、殺し合うありさまを見ることに喜びを感じる。獲物にわざと希望を与えた後に絶望のどん底に叩き落し、もてあそんで殺すことを好む。
 なにかを破壊することに関してはこだわりがある。生き物を苦しめて痛めつけて殺す残酷な方法を熟知し、数え切れないほど列挙することができる。獲物ができるだけ大きな悲鳴をあげる方法で殺すのが好き。
 生命は尊く、この世に存在して生きているだけで素晴らしい、だからこそ破壊して蹂躙するのが楽しいのだと断じている。他人の積み上げた積み木の城ほど壊したがる。
 他人の人生をめちゃくちゃにするのが大好き。
 最近の趣味は、手足をもぎとった達磨の美女をオブジェとしてコレクションすること。
 完全に常軌を逸してしまった狂人。怪鳥のようなけたたましい笑い声が特徴的。
 どういう理由によるかは不明だが、千人の子供を作っている。
 フェアラートの実父だが、本人はフェアラートのことなどまったく覚えていない様子。
 数多くの変態が登場する本作だが、この男を超える変態は現れない。
 ありとあらゆる文明と生物にとっての窮極的な不倶戴天の天敵。正真正銘、一切の同情の余地が存在しない絶対悪。狂気と殺戮欲の権化。
 ベーゼという名前の由来は、ドイツ語の『邪悪』から。
 レベルは不明。計測不能。無敵。真の不死。素手で大地を砕き、大海を割り、不死身なので塵も残さずに蒸発しても復活できる。



◆クラティア
 魔族。栗色のふわふわとした髪を伸ばした、天使のように愛らしい幼女。見た目の年齢は十代前半。かなりちんまい。ロリっ子。純白のドレスを着ている。
 偉大なる魔界の大元帥にして公爵。魔王の側近中の側近。魔王軍の最高責任者。魔界貴族のなかでも最大の勢力を誇る、有力者の筆頭。
 いつでも笑みを絶やさず、余裕と気品のある態度を崩さない。どんな人間の貴族だろうと気後れするほどの、光り輝く高貴さを放っている。
 天使と見紛うほど愛くるしい幼女だが、その本性はとてつもなく凶悪にして残虐、冷酷無比な魔性の化け物。どれだけ生きているのか不明だが、魔王軍の最古参に数えられている。魔界創造の当時から魔王の右腕として活動していた模様。おそるべき悪意の持ち主。魔王よりも邪悪で危険度が高い。
 魔族以外のすべての生命体を見下し、侮蔑し、憎悪し、なんの価値もないゴミだと断じていて、躊躇なく残酷に殺戮することができる。また、たとえ魔族であったとしても、無能で脆弱だと判断したなら簡単に抹殺する。殺戮に喜びを覚えていて、できるだけ惨忍な方法で殺したがる。悪夢の具現のような邪悪生命体。
 スカートの内側から奇怪な触手を伸ばして獲物を捕らえ、丸ごと噛み砕いて食い殺す。空間転移を自在に扱い、一瞬で遠く離れた場所に移動できる。自分に撃たれた銃弾を素手で掴み取る。極めて強靭な不死性の持ち主。
 魔王軍に敵対する存在を絶望のどん底に叩き落してから殺すことに生き甲斐を感じていて、世界各地で智謀の限りを尽くして悪魔的な戦略と戦術を展開している。
 魔王軍では主に作戦を立案して実行する策士・参謀のポジションに位置しているが、実際に自分で戦ってみてもほぼ最強を誇る。強大な魔力と身体能力の持ち主。
 十年前から八年前にかけての《黄金の栄光》と二度の死闘を演じ、どちらも敗北している。秋彦によって心臓を切り裂かれ、脳髄を抉られ、さらには高所から蹴り落とされたが、魔族特有の強靭な生命力と不死性によって復活、生き永らえた。
 秋彦に対して強い殺意と復讐心を抱いている。
 ベーゼに対しても強い殺意と憎悪を抱いているが、うかつには手を出さない。
 多くの魔族と同じく、主君である魔王だけには絶対の服従を誓っていて、彼の目的のために尽力し、彼のために生命を捧げて戦うことを誇りとしている。
 クラティアという名前の意味は『権力』『支配』。
 レベル不明。九〇〇以上? 世界最強クラス、伝説級の怪物。


◆エンディミオン
 魔王。現在の人類にとって最大の敵性存在。
 詳細不明。
 知識と進化を司る、魔法使いの神。《双頭の竜の背に乗った老魔法使い》。
 この世界の頂点に君臨する六柱の最高神のうちの一柱。
 何千年、何万年という途方もない年月を生きている。
 魔界を創造した。魔族の神。《万魔殿》という暗黒の居城で冒険者を待ち受ける。
 生来の高慢ちき。自己顕示欲とプライドが異常に高く、普段は余裕のある王者の態度を崩さないが、ちょっとでも侮辱されるとすぐに激昂して大声で喚き散らす。
 文字通り無限の魔力を誇る。そのため、無敵。戦力という意味では、魔王一人がいれば魔王軍など必要ない。
 ありとあらゆる魔法を呼吸するかのごとく使いこなし、すでに世界から失われた禁忌の魔法ですら自在に操る。
 台風を起こし、津波や地震を発生させ、宇宙から地上に隕石を落とすことすら容易に可能。
 魔王軍からの支持率は圧倒的に高く、唯一無二の絶対君主として扱われている。
 名前の由来。ギリシャ神話に登場する、羊飼いの美少年。
 レベル不明。計測不能。無敵。


◆マーキアス・グラン・ゾルディアス
 リノティア学園の教師。長い黒髪。酷薄に見えるほど怜悧な顔立ち。身長百九十センチ以上。けっこうがっしりとした体つき。基本的に黒い衣服。
 正体不明。年齢不詳。
 史上最強の屍霊術士。フェアラートの師匠。ラスボス顔。
 なんでも知ってる。明らかに怪しい。意味深な発言をする。
 秋彦からしてみれば最大の恩師で『とてもいい人』だが、フェアラートからしてみると『自分以上の悪党』。評価が分かれる。
 名前の意味。
 マーキアスは『公爵』とか『侯爵』。マルコキアス。
 レベル不明。無敵。


◆ガルデレール・エルディナマータ
 ルーティの父親。屍霊術士の名門の家に生まれた麒麟児。
 十年前の時点ではまともな父親っぽいが、少なくとも五年前には狂人と化していた。
 狂気の復讐鬼。最凶のネクロマンサー。
 四季村秋彦に倒され、死亡。
 レベル八〇〇以上の怪物。フェアラートですら、戦う場合には死の危険を感じる。







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