政治家にとって「筋」とは、より大きな「大義」とは何か。菅直人首相の要請で経済財政担当相に就いた与謝野馨氏(72)の軌跡は、そんな根源的な問い掛けを政界に呼び起こした。この特異な「人事」から考える、政治家の条件--。【平野幸治】
「そりゃ痛いですよ」。与謝野氏の地元、東京都新宿区の男性区議がうめいた。自民党に所属し、与謝野氏の選挙を支える一方、薫陶も受けてきた。「たちあがれ日本」に移ったとはいえ、民主党批判の急先鋒(せんぽう)として心強い存在であることに変わりはない。4月の統一地方選挙でも支援を仰ぐつもりだった。それが、ここにきて突然の変わり身。
「相談? ありません。いつものことですけどね。たちあがれ結党については『仕方がない』という声が多かったが、今回は違う。誰も納得はしていませんよ」。区議は憤りを隠そうとしない。
この東京1区で、与謝野氏は民主党の海江田万里経済産業相と激しく争ってきた。それだけに有権者の不信の念は大きい。「だって前回は比例代表で復活当選したわけでしょう。自民党への票で議席を保った。それなのに敵対する政府の閣僚になるのでは筋が通らない。民主党もだらしがない。他に人材はいなかったのか」。事務所のある新宿区四谷の商店街で、鮮魚店店長(69)が吐き捨てるように言った。
「議席泥棒」「変節漢」……国会でヤジを浴びるその姿を、ほんの1年前には誰が想像しただろうか。何しろ与謝野氏といえば、東大法学部を卒業後、サラリーマン、中曽根康弘元首相の秘書を経て衆院議員となり、文相、通産相、官房長官を歴任。麻生内閣では財務・経済財政・金融の3大臣を兼務するなど華々しい経歴を誇っていたのだ。
政権交代後は民主党批判をエスカレートさせ、ついには「打倒民主党」を宣言して、たちあがれ日本の共同代表へ。そんな与謝野氏が、政権入りという「火中のクリを拾う」挙にあえて出たのはなぜか。
自身は国会で「税と社会保障の一体改革という国民の最重要課題を実行するため」と説明している。さらに「首相の熱意と本気に応えるために入閣した。良い世の中を残したい」とも。危険水域にある財政の再建をライフワークとする与謝野氏だけに、菅首相が消費税増税にかじを切ったことで、力を貸す環境が整ったと判断したのだろう。
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ここで、一つのキーワードが浮上する。「職人」の2文字。実際、与謝野氏は街頭演説やマスコミのインタビューで「職人として」などと自称することが多い。入閣直後の取材にも「職人として政権に雇われ……」と答えている。
「与謝野さんには、田中角栄や福田赳夫、中曽根さんのような政治家としての満々たる欲望があるわけじゃない。権力闘争も下手です。けれどもただ一つ、『政策の職人』としての情熱。これは本物だと思います」。自身も東京1区内に住む、元朝日新聞記者で桜美林大学教授(メディア・政治ジャーナリズム論)の早野透さんはそう語る。
そして、このキーワードから今回の行動を読み解く。
「職人だから、やっぱり仕事がしたいんですよ。彼が言い続けているのは、行政の無駄を省き、政治家や官僚が身を切ることも大事だが、社会保障という巨大な問題には、それだけでは対応できないということ。そこに、職人として『最後の大仕事』を見いだしたのではないか」
与謝野氏は自らを、ドロドロした政界を超越した政策立案のプロと認識しているということか。「だからといって」と早野さんはクギを刺す。「職人ゆえに政治家としての道義を無視していいということにはならない。本来は議員バッジを外し、民間人として入閣するのが筋でしょうね」
かつての同僚は、どうみているのか。「政治家に職人的な力量が求められることはあるが、職人ではありえない。なぜなら我々は、国民からの『信』をよりどころに仕事をしているから。政治家は『信なくば立たず』なんです」。たちあがれ日本の片山虎之助元総務相は、そう断じる。
「与謝野さんは一匹オオカミだが政策立案能力が高く、見識もある。私は敬意を持っていた。だから今回の行動にはがっかりしているんです。政治家の行動は国民から見て筋が通って、納得できるものでなければならない。信を失った者が何を呼びかけても、それに野党が乗りますか? 国民が認めますか?」
ときに机をたたきながら、片山氏は「政治家の品格」について熱く語った。
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政党政治に詳しい東京大学大学院法学政治学研究科の川人貞史教授も、与謝野氏の行動に疑問を呈する一人だ。
「入閣するなら政党間の合意に基づく連立という方法をとるべきです。有権者は、その合意内容から、どんな政策が実行されるかを知ることができる。連立に失敗したからといって党の共同代表という地位を投げ出し、単独で入閣するというのは、設立した政党に対する責任という意味からもいかがなものか」
「ただ……」と早野さん。「93年の自民下野・細川政権誕生以来、与党と野党を行ったり来たりした政治家は少なくない」と言う。例えば、与謝野批判を強める自民党。総務会長の小池百合子氏は日本新党、新進党、自由党などを渡り歩いたし、政調会長の石破茂氏も自民を出て小沢氏と行動をともにした後、復党している。「05年の郵政解散では、民営化法案に反対しながら自民が大勝した途端、賛成に転じた議員もいた。政治流動期には筋の通らないことも起こり得るのであって、今回の一本釣りは、そうした混迷の時代の『総決算』とも言えるのではないか」
いずれにせよ、与謝野氏の前に「いばらの道」が続いている。「与謝野さんは自らの決意を示すために、好きな碁を断つとか、毎日、お宮に参るとか、何か願掛けをすべきです。それほど純な気持ちで仕事に取り組まなければ成就は難しい。なおかつ結果も出さないと。そうでなければ、彼を非難する人たちの言う『権力の亡者』ということになってしまう」(早野さん)
菅首相に「三顧の礼」をもって迎えられた与謝野氏。この成句は、中国の三国時代、のちに蜀の皇帝となる劉備が名軍師・諸葛孔明を幕下に迎えるために3度、足を運んだとの故事に由来する。
批判覚悟の大勝負に出た与謝野氏、孔明のように、主君の名を歴史に残せるか。果たして--。
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毎日新聞 2011年2月3日 東京夕刊