社説

「菅・官」関係/反目は百害あって一利なし

 菅直人首相の持ち味は善きにつけあしきにつけ、はっきりした物言いにあった。「あった」と過去形にしたのは最近かつての発言や立場を軌道修正する場面が多々、見られるからだ。
 社会保障と税の一体改革をめぐる協議に野党が参加しなければ「歴史に対する反逆行為」と挑発したが、後に衆院予算委員会で「言い過ぎ」を陳謝した。
 「ねじれ国会」を乗り切るには、余計な摩擦は禁物。そう思い定めての低姿勢だろうが、民主党政権の一枚看板だった「政治主導」、中でも官僚との距離感にも微妙な変化が見られる。
 官僚との意思疎通が不十分だったことで、政権運営が迷走したのは事実。一方で官僚主導に逆戻りしたのでは、何のための政権交代だったのかという話になる。首相が今なすべきは政治主導の再定義だ。
 「知恵、頭を使っていない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」
 「政権交代後、現実の政治運営では反省や行き過ぎ、不十分さがあったのも事実だ」
 前者は2009年10月、民主党東京都連の会合での、後者は今年1月、官邸に事務次官を集めた際の菅氏の発言だ。百八十度違うと言ってもいいほどの官僚観の変遷が見て取れる。
 かつて厚生相として事務方と激しく対立しながら薬害エイズ問題の究明に当たった菅氏が、官僚を敵視していたことは明らかだ。鳩山政権下では事務次官会議が廃止されるなど脱官僚が徹底された。
 その認識はなぜ変わったのか。首相の座に就き、丸くなったというような政談では説明できない。そこには政治主導を強調するあまり、官僚の専門知識や情報を政策に反映させてこなかったとの苦い反省がある。
 民主党政権は各府省政務三役が電卓をたたいて細かい数字をチェックしたり、閣僚が好き勝手に発言したりすることが政治主導だとはき違えていた節がある。首相が言う「反省や行き過ぎ」とはそのことだろう。
 昨年末には、政務三役会議に事務次官、官房長ら官僚を出席させる方針を明らかにした。「政治主導とは政務三役と官僚が役割分担し、一丸となって取り組むこと」(仙谷由人前官房長官)という当たり前の認識に、ようやくたどり着いたと言うべきだろう。
 米軍普天間飛行場の移設問題は複雑な方程式を解くような難問だし、子ども手当も財源の制約から2012年度以降は制度の再設計が避けられない。官僚の識見を活用し、情報を共有することでむしろ政策選択の幅が広がるだろう。
 一方で国家公務員の総人件費2割削減や国出先機関の地方移管など、民主党マニフェスト(政権公約)には官僚の抵抗が予想される課題が並ぶ。実現するには首相の強いリーダーシップが求められる。
 族議員や業界と結託し、自らの既得権を死守する官僚内閣制は打破しなければならないが、知恵は生かす。排除でもなく癒着でもなく。望ましい「菅・官」関係は適度な緊張感にある。

2011年02月12日土曜日

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