50年間、飽きずに
全知全能を注げる仕事かどうかです。
1980年、孫 正義はカリフォルニア大学バークレー校を卒業後、
今後やるべき事業を40種類もの事業リストから選んでいました。
その時の選択基準についての言葉。
一生をかけるにふさわしい仕事として、
現在の礎になったパッケージソフトの流通業を選択しました。
大義名分のないことをやっても
長続きしません。
創業以来の孫 正義の一貫した事業姿勢を表現した言葉。「社会の役に立つ大義名分があれば、必ず市場はついてくる」という考え方。こんな発想が企業の中心にあるからこそ、ソフトバンクは次々と新しい事業に挑戦できるのです。
結婚、しませんか?
1980年代の発言。事業パートナーを口説く時に、孫 正義が真剣に語った言葉。通常ビジネス上では不謹慎と考えられるこんな発言も、不思議と素直に受け止められたのは、熱意をダイレクトにあらわしたから。孫 正義ならではの個性を物語るエピソードです。
私のような人間がいないと
日本社会は変わっていきません。
1981年ソフトバンク設立以来、孫 正義は「波風を立てることを恐れずにいたい」と主張し続けています。「誰かが石を投げれば波紋が広がっていくのが、開かれた市場のはずですから」。この当時から社会を公平に変えたいという強い気持ちを放っていました。
本当に何もないけど、
情熱だけは無限にある。
ソフトバンク設立当初に1億円の融資を依頼した銀行との交渉時の発言。それほどの融資を受けることができたのは交渉上手だったからかという問いに対し、「私は、本当のことを一生懸命に言っただけです」と当時を振り返り回答しています。
一番でなければ、
大きな影響力のある流れはつくれません。
この言葉も創業以来の孫 正義の一貫した事業姿勢を表現したもの。「一番にならなければ、大きな変革を担うことはできない」と新規事業に参入するたびに語られる言葉です。ソフトバンクが新規事業に常に「劇的に」参入してきた理由がここにあります。
究極の自己満足は、
人に喜んでもらえることです。
1983年、孫 正義は命も危ぶまれる病魔に侵されました。その際の発言。「人に喜んでもらえること」を考える、つまりは「人は何がしたいのか?」を問い続ける。そんな姿勢がソフトバンクのさまざまな事業を支えるアイデアの源泉になっていきました。
大ボラ吹きというのは
大きなビジョンを持っていることの裏返し。
1990年代からよく語っている言葉。壮大なビジョンを持つことの必要性を表現。1990年代は、社名を現在のソフトバンク株式会社に変更、米Yahoo! Inc.に筆頭株主として資本参加、日本法人ヤフー株式会社の設立など、大きなビジョンを具現化した時代でした。
大企業病の原因は
社員が自分を歯車だと感じてしまうこと。
1990年代の発言。がんばってもがんばらなくても同じという環境では「危険を冒そうとしない、なかよしクラブ」になってしまう。孫 正義のそんな主張から、大企業病予防のために、ソフトバンクでは少人数チーム単位の活動を中心としています。
説得するのが一番難しい相手は
ウソのつけない自分自身です。
1990年代の発言。自分がいいものと思わなければ人を説得することはできないという孫 正義の持論。「自分が心の底からいいものと思えるなら、ものすごい説得力になります。自分が納得していないものは、人に勧めてはいけないと思うんです」。
人の目を気にして生き方を変える必要も
有頂天になることもないと思うのです。
1994年、株式を日本証券業協会に登録。その際に「年配経営者の孫氏への反発をどう思うか」と問われての発言。当時は企業提携や資本参加を重ねて急成長した時代。その反面、一部で反発の声もありましたが、大きなビジョンのためにマイペースを貫く姿勢は変わりません。
革命的なことをやろうとすれば
なかなか理解されない時期もあります。
1995年、世界最大のコンピュータ見本市「コムデックス」を運営する米The Interface Groupの展示会部門へ資本参加した時の発言。当時ソフトバンクの売上高が約900億円だったにもかかわらず、コムデックス買収に800億円を投資。これは話題になりました。
止まっていることのほうが危険です。
1996年の発言。デジタル衛星放送事業「JSkyB」(現スカイパーフェクTV!)について大手メディアグループのニューズ・コーポレーションと提携するなど、新しい試みの絶えない年でした。「速度の速い世の中で止まっていることは、それだけでリスクがある」。
会社は300年ぐらい
生き続けてくれないと困ります。
1997年の発言。自分の死後にも会社は生命体として生き続けるべきだというのが孫 正義の創業当初からの持論。この考えは、1983年の大病を経てさらに深まり、企業基盤形成に邁進した90年代の力になりました。
何が何でも革命的にやらなければ
ならない時があります。
2001年、ADSLサービスで巨額の先行投資を始めた時期の発言。2001年9月、国内ADSLサービスの先駆けとなったYahoo! BBの商用サービスを開始。全国の街頭でモデムを無料配布して、インターネットを日本中に広めたのもちょうどこの頃です。
携帯電話でありとあらゆる情報を
やりとりする時代になれば、
他社を凌駕できるのではないでしょうか。
2006年、携帯事業参入の際の発言。携帯電話事業を行う他社に比べて、インターネット分野に自信を持っている孫 正義は、ケータイもPCサイトブラウザを搭載すべきと主張。iPhoneをはじめとする現在のモバイルインターネットの姿を当時から見つめていました。
携帯電話の市場をフェアで健全なものに
していきたいという志があります。
2006年、ソフトバンクの新料金プラン発表記者会見での発言。「話をそらすのではなく、真正面から改革に向かいたい」とも。情報ネットワークをあらゆる人々に公平に解放するという創業当初からの志にもとづいた発言です。
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