やはり当事者による改革には限界があるということか。
東京、大阪、名古屋地検の特捜部で来月18日から、録音・録画による取り調べの可視化を試行する、と最高検が公表した。
ただし、どこまで可視化するのかは現場の検事に任せるとしており、可視化は一部にすぎない。
これでは、冤罪(えんざい)を生み出す密室での取り調べに対する批判や全面可視化を求める声が高まる中で、検察が自己防衛のために先手を打ったとみられても仕方あるまい。
検察改革を論議している法相の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」でも全面可視化が焦点となっている。検察で無理なら、外部の声を入れた改革策に期待するしかない。
可視化の試行は、特捜部の独自事件のほかに国税局や証券取引等監視委員会の告発事件も対象で、容疑者が拒否すれば実施しないとしている。裁判員裁判の対象事件では自白調書の読み聞かせでの録音・録画にとどめているが、特捜部事件では検事の裁量で可視化の範囲を広げることもできる。
しかし、こうした可視化には検察の都合だけが目に付く。
最高検は、可視化の目的を供述調書の任意性と信用性の立証にある、としている。ここに検察の姿勢がはっきり出ている。容疑者の人権を守り適正に取り調べがなされるためというより、検察の立証を優先させた考え方だ。
全面可視化を求める弁護士らが、一部可視化だとかえって検察が有利となるよう録音・録画を編集しかねない、と危機感を持つのも無理はない。
現場の検事には可視化への根強い反発がある。「容疑者と信頼関係が築けず、真実を語らなくなる」との声も聞こえてくる。
しかし、厚生労働省の元局長村木厚子さんを罪に陥れる証拠改ざんや、取り調べで自白を強要した検察捜査に対して、根本的な改革が求められているという認識を、検察組織全体で深くすべきだ。
村木さんの無罪事件以降も不適切な取り調べは後を絶たない。遺失物横領事件の任意取り調べで、大阪府警の警部補が暴言を吐いて自白を迫った録音をテレビなどで聞いて、多くの人が恐ろしく感じたに違いない。
自白に偏重した捜査の在り方を見直す時だ。科学技術は進歩しており、客観的証拠を重視した捜査手法をさらに磨いてほしい。
欧米諸国では取り調べの可視化が進み、韓国でも3年前に導入されている。
一部とはいえ可視化を試行する特捜現場にも注目しよう。可視化の範囲を広げながら全過程へと一歩踏みだし、その経験を検証してみてはどうだろう。
[京都新聞 2011年02月25日掲載] |