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ドキュメントにっぽんの絆:薄れゆくつながり 今、共に歩き考える(その1)

 <読者とともに きょう創刊139年>

 元日から社会面でスタートした「ドキュメントにっぽんの絆」は、家族や地域のつながりが薄れていく今の時代を生きる人々と記者が共に歩き、人間の絆を考えるシリーズです。記事で取り上げた人々の取材は今後も継続し、続編を随時掲載していきます。6人の担当記者が取材現場で考えた絆の意味、あるいは読者に届けたい思いを作家の重松清さんのインタビューとともに伝えます。

 ◇東京地方部・竹内良和・34歳

 ◆診療所

 医師の笹井平(ひとし)さん(56)は企業の研究所を退職し、3年前に静岡県西伊豆町の田子地区にある診療所に赴任した。約20年ぶりに臨床医に戻った。人口2600人の田子地区唯一の医師は、昼夜なく住民の診療に奔走している。年末は友人で漁師の「むっちゃん」が肺炎になった。歩けない妻を家に残すのが心配で入院を拒むむっちゃん。笹井さんもいっしょに悩みながら入院を説得した。二人の友情はさらに深まった。

 ◆社会は大きな互助組織

 出張取材から東京に戻り、すし詰め状態でストレスが充満した、いつもの通勤電車に揺られるたび、田子との落差に心がなえる。

 女性が酔客らしき男に因縁を付けられても、飛び火を恐れてか、皆、無表情で平静を装う。ノミの心臓で割って入った私に、加勢はなく、乗客は遠巻きに事の行方をうかがった。か細い社会の絆の一端を垣間見た気がした。

 田子は、かつてカツオの遠洋漁業で栄えた漁師町だ。男たちは遠い海で命がけで働き、女たちは助け合って家や町を守ってきただけに今も結束は強い。

 路地を歩けば、おすそ分けの鍋や小鉢を運ぶ女性たちに出会う。住民は人とすれ違うたびにあいさつし、互いの近況や健康状態を知る。異変があればすぐに町の話題になり、おせっかいな人が家に訪ねてきたりする。孤独とは無縁の町で、「社会は大きな互助組織だったんだ」と感じた。

 物語の主人公の笹井さんも、田子の人情にどっぷりと漬かっている。赴任後はプライベートはなく、休日夜間、診療所に入る連絡はすべて携帯電話に転送。私と晩酌を共にしても決まって患者に呼び出され、苦笑いを浮かべる。50代後半。体力的な負担は大きい。

 だが、そんな日々に充実感を覚えている。「僕のような才能のない者に患者さんや家族が泣きながら『ありがとう』と感謝してくれる。人は求められることで生きがいを感じるんですね」。住民を支え、住民に支えられる笹井さんの実感だ。

 連載で私が自身に課したテーマは「明るい話を書く」。新聞は事件事故や不正などの暗い話題が並びがちだが、そんな記事ばかりでは息苦しい。こんな時代だからこそ、田子の人々の温かな営みを伝え、社会のあり方を考えてみたいと思う。

 ◇東京社会部・川辺康広・40歳

 ◆失踪

 死亡したとみなされた後、生存が確認された人の氏名が並ぶ官報の「失踪宣告取り消し」欄。掲載されていた神奈川県大和市の嘉一さん(55)を記者が訪ねると、借金を作り、19年前に妻と一人娘を群馬県藤岡市に残し単身赴任先から蒸発した経緯を明かした。家族への思いを託された記者は元妻(55)と娘(26)を捜し、嘉一さんの消息と謝罪の言葉を伝えた。嘉一さんの再会への思いは募るが、元妻と娘は「簡単には許せない」と距離を置く。

 ◆特異なものではない

 何らかの事情を抱え、自ら家族との絆を断った失踪者。「孤独死予備軍」とも言える人たちの心境や生活を取材することで、高齢者の所在不明問題を契機に「つながりが薄れた」と指摘された家族のあり方を考えるヒントにしたい--。そんな思いから、官報の「失踪宣告取り消し」欄に掲載された人たちを訪ね歩いた。

 取材するまで、「失踪者」は特別な事情を抱えた人というイメージを持っていたが、失踪に至る経緯は決して特異ではなく、誰もが経験しそうなものだった。

 山口県出身の女性(58)は、両親の反対を押し切り故郷を出たものの、就職や結婚で挫折。「弱みを見せまい」と十数年間、家族と連絡を取っていなかった。千葉県の女性(80)は兄嫁と不仲で、両親が亡くなった後、約20年間、兄弟と音信を絶っていた。

 失踪の理由はさまざまだが、どの人も「もう一度、家族と会いたい」と思い続けながらも、そのタイミングを見いだせずに漂流しているように見えた。断絶された時間の溝は深く、崩れた絆の再生は容易でない。

 記事で取り上げた嘉一さんも苦悩している。蒸発した時、娘は6歳だった。ちょうど私の末娘と同じ年。パチンコの借金という身勝手な失踪の理由を聞き、残された元妻や娘のことを思えば「当然の報い」とも感じた。だが、年齢を重ね「独りでは生きていけない」と気づいた時、絆の温かみを求めるのも人なのだ。

 嘉一さんが家族との関係を断った19年の歳月はあまりにも長く、親族が受けた苦痛は計り知れないし、元妻や子、母親らと再び交流できる日が来るのか分からない。それでも、嘉一さんが思いをかなえようと願う限り、その姿を見届けようと思う。

 ◇東京社会部・安高晋・36歳

 ◆孤独

 現役のクリーニング職人だった山口喜作さん(74)は突然、肝臓がんと告げられ、東京都内の病院に入院した。ベッドで記者に、身寄りはなく親しい人もいないと語り、1カ月後に息を引き取った。

 石川県の実家を訪ねると、疎遠だった兄の嫁が「遺品も遺骨もいらない」と顔をしかめ、勤務先の同僚も多くを覚えていなかった。葬儀に参列したのは、山口さんにアパートを仲介し、話し相手になっていた渡辺浩さん(80)だけだった。

 ◆父子家庭

 職人の父が包丁を握る東京都内のすし店「大森江戸銀」で、経営を預かる高木祐次さん(42)。出産で妻を失い、長男の玲君(11)と長女の愛美ちゃん(9)を男手一つで育てている。

 仕事と家事の両立には悪戦苦闘してきた。それでも今が一番の正念場だ。2人の思春期が迫り、接し方には不安もある。バブル崩壊以降続く店の経営難は限界に近い。祐次さんは「この子たちのために、やれることをやろう」と誓う。

 ◆不器用な人にも救いを

 余命わずかと告げられながら身寄りがない高齢者の「孤独」。出産で妻を失い男手一つで子供2人を育てる「父子家庭」。二つの物語を通じ、いつ誰の身に降りかかってもおかしくない困難を抱え生きる人の姿を描きたかった。自分の境遇に重ね合わせた読者と共に、薄れゆく絆について考えたかったからだ。

 「孤独」では、山口さんが入院する病院に通った。農家の四男で戦後の高度成長期に上京。半世紀以上、クリーニング職人一筋を貫く。故郷の石川に帰省しなかった理由には、実家の義姉とそりが合わなかったからだけではなく、「派遣の身で休めば、若手に仕事を奪われる」という危機感もあった。その結末が孤独な最期。「器用な人間じゃなかったから」と漏らす姿に、掛ける言葉が見つからなかった。

 不器用でもまじめに生きた人が報われない世の中にしてはならないと思う。そのために何ができるのか。考えるきっかけになるような続編を描きたい。葬儀の唯一の参列者は、山口さんにアパートを仲介した不動産会社の社長だった。社長のもとに世間話だけに訪れる、山口さんと似た境遇の高齢者たちが、絆を新たに紡いだり結び直そうとする姿を追い続けようと思う。

 これまで私は事件取材にかかわることが多かった。悲惨な事件を報じて再発防止を訴えることや、捜査機関を監視することは、新聞の重要な役割の一つだ。その一方で、困難を抱える人にじっくり寄り添う取材をしてきたとは言い難い。「父子家庭」では、小学生の2人の子の成長を見つめながら父子の心の動きに丹念に迫りたい。子供たちが成人式を迎える日まで、取材を続けるつもりだ。そこでようやく見えてくる絆もあると信じている。

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 ◇「自分も将来…」「幸せとは何か」「勇気に感動」--読者の反響さまざま

 共感や励まし、意見など、読者から多くの反響が寄せられた。

 19年前、借金を理由に家族を残したまま家を飛び出した嘉一さんの物語「失踪」では、今後を巡り意見が二分した。北九州市の田中珠美さん(71)は、自らの夫も47年前に突然失踪したことを明かし、「『19年間の償いを少しでもしたいと思います』という手紙を見て涙が出ました。私の主人も私たち親子の事を考えたことがあるだろうか。一緒に新しい暮らしができるよう願っています」とつづった。「嘉一さんの今は『自己責任』なのでしょうか。自分がそうならないと誰が断言できるのか」と問い掛けるメールも寄せられた。

 一方で「人はみんなそれぞれ置かれた状況の中で頑張り、家族に迷惑が掛からないよう自分を抑制しています。今さらどんな顔をして会うのか。本当に申し訳ないと思うなら連絡すべきではないと思います」(福岡県久留米市の女性)という意見も複数届いた。

 身寄りのない山口喜作さんの最後の1カ月を追った「孤独」には、自身と重ね合わせたという感想が多かった。子供4人が独立し、60代後半で1人暮らしという福岡県春日市の林直行さんは「連絡の取れない子供もいる。親子の絆が弱くなっています」と自らを振り返った。独身の30代女性は「自分も将来同じようになる可能性があると思い、寂しく思います。結婚できれば状況は変わるのでしょうか。昔であれば寂しくない老後や死があったのでしょうか。幸せとは何かと改めて考えました」と記した。

 北海道の廃校を買い取り自立援助ホームを開園した黒川正紀さんと、沖縄県で里子5人を育てる砂川竜一さんには、励ましの声が寄せられた。高校教師を38年務めたという三重県桑名市の稲垣洋子さん(64)は「『教員の立場では家庭に踏み込めない』ことに自分の教員生活でもずっと悩んできました。教員を辞めてホームを作られた勇気に感動しました」。岐阜県中津川市の保育士、三浦八千代さん(60)は「なぜそこまで親のできないことに一生懸命になられるのか。二つの記事に涙が止まらなかった。子供たちはそれぞれの環境に負けないで生きてほしいです」とつづった。

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 これまでの記事は(http://mainichi.jp/select/wadai/kizuna/)または、毎日新聞ホームページから「ニュースセレクト」→「話題」→「ドキュメントにっぽんの絆」で読めます。

毎日新聞 2011年2月21日 東京朝刊

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