日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。当ブログはリンク・転載フリーです。

義烈空挺隊を忘れるな

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

奥山道郎義烈空挺隊大尉
奥山道郎陸軍大尉


沖縄諸島に上陸した米軍と日本軍との間で行われた沖縄戦は昭和20(1945)年3月26日から6月23日までの約3か月間の戦いです。

米海軍が戦艦から沖縄本土めがけて撃ち込んだ艦砲射撃の砲弾は、ただ爆発するだけでなく、火薬の中に無数の鉄片が仕込んであったそうです。

このため、爆発と同時にその鉄片が四散し、付近にいる日本人が多数殺傷された。

砲弾が飛んでくる。みんな防空壕に隠れるのだけれど、米兵が上陸してきた米兵は、防空壕の中にいる民間人に容赦なく火炎放射機を浴びせる。

だから、逃げる。そこを艦砲射撃が襲う。

赤子を背負って逃げるご婦人の背中で砲弾が炸裂する。飛散した鉄片が赤ちゃんの肉を切り裂き、必死で丘を越えてようやく逃げおおせた若い母親が背中を見ると、赤ちゃんの首がなかった。
そんな光景が日々繰り返されました。

そんな嵐のような艦砲射撃が繰り返されるさ中の沖縄に、上空から日本の飛行機が飛来します。

日本の飛行機が飛んでくると、沖にいる米艦隊は陸上攻撃を中断します。
米艦隊の砲火は、対空砲火一色に切り替わる。

日本から飛んできた飛行機が、特攻機 だからです。

米艦隊は、沖縄本土への艦砲射撃を中断して、総力をあげて対空砲火をはじめる。
空一面に壮絶な弾幕がはられる。
蟻の這い出る隙間もないほどまでに猛烈に撃たれる弾幕の中を、わずか数機の日本の特攻隊の飛行機が、突入する。

米軍の対空砲火は、近接信管といって半径15メートル以内に飛行機がくると、そこで爆発して四方八方に鉄片を飛散させます。
鉄片を浴びた特攻機は、機体を穴だらけにし、ガソリンタンクから火を噴きながら、敵の艦船めがけて必死の突入を図る。
ある機は空中で粉々になる。ある機は、海に激突する。
おそらく中にいる搭乗員は、全身に鉄片を浴びて血まみれになっていることでしょう。
それでも残った機が、敵をめがけて飛ぶ。

飛行機に乗っているのは、まだ十代の若い兵隊さんです。

その若い兵隊さんたちが空で戦っている間、沖縄の人たちは、地上への艦砲射撃による被害を気にすることなく、逃げることができた。

だから、当時の沖縄の人々は、特攻機が飛んでくると、逃げて、逃げて、走りながら、胸の中で手を合わせたといいます。

空で戦っていてくれているのが、自分たちよりもはるかに若い青年たちと知っているからです。
子に戦わせて、親が逃げる。そんな気持ちかもしれない。

日本は、沖縄での猛烈な市街戦に、手をこまねいていたわけではありません。
すでに制空権、制海権を奪われていた。
それでも日本は沖縄を救うため、必死の防衛戦を挑んでいたのです。

沖縄戦が始まった10日後には、戦艦大和が出撃しています。
帰りの燃料はありません。
片道切符の航海です。
大和には、沖縄の女性たちに届ける十万個の生理帯も乗っていた。
そして、昭和20年4月7日、戦艦大和は坊の岬沖で、沈みます。

特攻機の出撃は連日です。
その都度、優秀な若者が犠牲になり、その犠牲で、何人かの地元住民が敵の火炎放射機や艦砲射撃から逃げることができた。

それだけではありません。

空挺隊を組織し、米軍基地への突撃も敢行されています。

空挺隊というのは、敵の真っただ中にいきなり降り立って、敵基地を破壊する部隊です。
敵のど真ん中に着陸し、小部隊ごとに組織的に特殊攻撃を行う。
大多数の敵兵がいて、遮蔽物のない敵飛行場に飛びこむのです。
生きて帰れる可能性は皆無です。

その空挺隊の名を「義烈空挺隊」といいます。

義烈空挺隊の任務は、米軍に占領された飛行場に空挺部隊を乗せた飛行機を強行着陸させ、飛行場ならびに航空機への破壊活動を行うというものでした。

特攻機は、250キログラムという巨大で重たい爆弾を搭載しています。
ただでさえ非力なエンジン、ただでさえ、オクタン価の低い低性能なガソリンで飛んでいるのです。
敵艦隊に到着する前に、敵の高性能戦闘機が飛来すると、特攻の前に迎撃されてしまう。

だから、米軍の飛行場を使用不能にし、その隙を縫って、特攻機で米艦隊を急襲する。
そのために空挺隊員は、敵基地のど真ん中に降り立つのです。

空挺隊の乗る飛行機は、速度の遅い爆撃機です。
敵の猛烈な弾幕の中を、無事、敵基地のど真ん中に降り立てる保証もない。
途中で、飛行機もろとも中に乗っている空挺隊員が撃墜され、海の藻屑と消える可能性も大です。

それでも136名の烈士が志願し参加した。

編成されたのは、昭和19年の終わりです。
当初、サイパンを目標に準備を進め、猛訓練を繰り返したけれど、サイパンが玉砕。
次いで、硫黄島に突撃しようと準備を進めるけれど、これも立ち消えになった。

そして、昭和20年5月、鍛え抜かれた義烈空挺隊は、沖縄作戦に出撃した。

出撃が決定した日、義烈空挺隊・隊長の奥山道郎大尉(死後昇進で大佐)は、次のような遺書を三角兵舎内の隊長室で書き残しています。

---------------------------
遺 書  昭和20年5月22日

この度、義烈空挺隊長を拝命。

御垣の守りとして敵航空基地に突入いたします。

絶好の死に場所を得た私は、
日本一の幸福者であります。
只々感謝感激の外ありません。

幼年学校入校以来12年諸上司の御訓戒も今日のためのように思われます。

必成以って御恩の万分の一に報わる覚悟であります。

拝顔お別れ出来ませんでしたが、
道郎は喜び勇んで征きます。

二十有六年の親不孝を深くお詫びいたします。

お母上様                      
    道郎
----------------------------

「幼年学校入校以来」とあります。
奥山隊長は、陸軍幼年学校卒です。幼年学校は旧制中学一年または二年から難関を突破して就学する軍学校で、全国から選りすぐりの優秀学童を集めた軍人英才教育学校でした。

幼年学校出身の奥山隊長にとって、国を護り、愛する人を護る使命は、まさに血肉だった。

奥山隊長は、学業優秀であることに加え、体力も人一倍優れ、運動神経も素晴らしかった。
西郷さんを思わせるような堂々たる風采に加え、誰とでも明るく気軽に話す闊達な性格で、部下たちの信望を集めていた。

昭和20年5月24日夕方、義烈空挺隊136名は、熊本の「健軍飛行場」から12機の97式重爆撃機に11〜12名ずつ分乗して飛び立ちます。

途中、4機が発動機の不調で基地に引き返し、残り8機は、10時11分「只今突入」の無線を発信したのち、6機が米軍占領下にあった沖縄の読谷飛行場に、2機が嘉手納飛行場に突入した。

北飛行場に突入した6機は、激しい対空砲火の中、5機が撃墜されます。
そして残る1機が、滑走路に胴体着陸強行に成功した。

パイロットは着陸と同時に戦死しています。
おそらく飛行中に対空砲を浴び、半死状態になっていたにもかかわらず、最後の最後まで操縦桿を話さず、着陸成功とともに絶命したものとみられています。彼は機内で突っ伏した状態で死んでいる写真が残されています。

米軍読谷飛行場に突入した義烈空挺隊の乗った陸軍97式重爆撃機
義烈空挺隊03


強行着陸した97式重爆撃機から降り立った空挺隊は、12名。

彼らは、群がる敵兵に応戦する傍ら、駐機中であった航空機9機を破壊炎上させ、30機近くに使用不能の損傷を与えた。
さらに飛行場にあった航空燃料用の7万ガロンの航空機燃料を炎上させ、約8時間に渡り、飛行場を完全に無力化させた。

少数ながら多大な損害を与え、奮戦した空挺隊員は、重傷で意識を失っていた1名を除き、全員戦死した。

四散した米軍機
義烈空挺隊04


吾か頭
南海の島に瞭(さら)さるも
我は頬笑む
国に貢(つく)せば

 奥山道郎陸軍大尉
 戦死日 昭和20年5月24日 享年26歳


沖縄戦では、一般市民、沖縄守備隊の多くの人が犠牲になりました。
そして知覧を飛び立った1400名余の特攻隊員も、その沖縄を護るために命を捧げた。

そして、ただ沖縄を護るために死ぬためにだけ猛烈な訓練を重ね、突撃した空挺隊員もいた。

ボクは、沖縄戦の是非論を議論する気などありません。

ただ、こうして必死に戦い、散って行かれた人たちがいた。
同じ日本人として、彼らの偉業を、ボクたちは決して忘れることなく、感謝の心をもって語りついでいかなくてはならないのではないかと思うのです。

 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

義烈空挺隊


日本の心をつたえる会ロゴ
コメント
烈士に敬礼!!
毎日、ありがとうございます。

涙が止まりません。
軍歌を歌いながら見ています。
2009/12/22(火) 01:13 | URL | 感涙 #-[ 編集]
所詮売国NHK
>そして知覧を飛び立った1400名余の特攻隊員も、その沖縄を護るために命を捧げた。
こんなに尊い命が犠牲になっている事を今まで知りませんでした。

マスコミ(NHK)の流す沖縄戦は、必ず沖縄の地元の方の惨状、被害を強調するだけ
で、肝心要の日本兵の話ってあまり出てきませんよね?なぜでしょう?
出てきても豪に篭って焼き殺されたとか自決したとかそんな話ばかりだった気がします。
2009/12/22(火) 02:28 | URL | 戦争賛美とか的を完全に外した輩がでそおで心配(笑) #JDUwZfwQ[ 編集]
沖縄こそは、情報戦の犠牲
沖縄がどうであったか、真実に近いエピソードは、戦中を知る人々にはわかっていました。
「沖縄県民かく戦えり」今後どうか、それを考慮して、特別のご配慮を!と、書き遺された洞窟の壁面の遺書。

みんな知っていたけど占領軍に遠慮して、口には出さなかった・・・それが、仇になり「洗脳」「偽情報」で、沖縄の心はずたずた。

1月には、成人式があります。
本来の土地の正装ではないはずの純日本式の羽織袴を身に付けた20歳の青年たちが、群れになって騒ぐ姿をテレビで見るたび、沖縄戦で、散った青年たちの魂が

「日本よ、目覚めてくれ!自分たちの死はなんだったのか?」と、問いかけている・・・と、感じるのは、私だけでしょうか。

乱れた画像に、襟を正し、
申し訳ない・・・と、うなだれるのは、わたしだけでしょうか。

その恨み、必ず晴らしますと、誓いながら、なすすべもなく悄然とするのは、わたしだけでしょうか。
2009/12/22(火) 04:49 | URL | かぐやひめ #qcX4.Kko[ 編集]
No title
沖縄で生き延びたおじさんが、、、アメリカは恩人だと言っていました、、
そして、沖縄の小学校などで、日本を批判というか罵倒し、アメリカ万歳、、、の話をして、それを生きがいにしています。


こんなに一生懸命戦った日本人の兵隊さんがいるのに。
日本のこと何も知らない、、、、がっかりです。
2009/12/22(火) 07:44 | URL | M #cjNia0dU[ 編集]
No title
今回も素晴らしい話をありがとうございます
先人を誇りに思います
2009/12/22(火) 09:09 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
No title
ねずきちさん、有り難うございます。
日本人なのに余りにも知らない事が多過ぎました。
言葉になりません。
感謝だけです。
2009/12/22(火) 09:31 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
No title
今度のお正月2日に、日心会の皆さんと知覧へ行く事になりました。
今日のねずきち様のお話を胸に皆様の分まで感謝の気持ちを伝えてきます。

そういえば、数年前「明石やさんまさん」主演のサトウキビがどうのこうの、と言うテレビドラマが有りましたけど
あれは嘘っぱちでしたね、事実を知らなかったら騙されますね。
2009/12/22(火) 09:37 | URL | GASGAS #mQop/nM.[ 編集]
日本人として記憶しなければならない四つの日
陛下は皇太子時代から「日本人が記憶しなければならない四つの日」として、
沖縄終戦の日・・・6月23日
広島・長崎原爆の日・・・8月6日、9日
終戦記念日・・・8月15日
この四つの日を大切にされています。

それはもちろん大切な日です。
しかし、私は臣民として12月23日こそ最も大切な日だと思っています。
「昭和23年12月23日
皇太子殿下の満15歳のお誕生日の当日、東京裁判・極東軍事裁判でのA級被告された昭和殉難者7人の元大臣・将軍が死刑を執行された日です。
この日の昭和天皇のご心痛がいかばかりであったか、また殿下御自身はお誕生日のその日に、この悪辣な仕打ちをどのような思いで受け止められたのか、それを思いますと60年後の今日でも戦勝国の思い上がった傲慢と敗戦国が受けなければならなかった屈辱に今更ながら怒りがこみあげてくるのです。」(小堀桂一郎)

明日12月23日こそ忘れてはならない日です。
殿下は小学校6年生の時に日光での疎開先で昭和20年8月15日に終戦の詔書の放送を聞かれました。
そして、軍事占領、国家主権の他国への従属という過酷な条件下の、一面焼け野原の東京に戻ってこられました。
ウソ裁判にウソ憲法そして、15歳のお誕生日です。

明日は皇居で同志と護国を新たに誓いたいと思います。
2009/12/22(火) 10:12 | URL | まつ星 #dtvZeFjQ[ 編集]
義列空挺隊
この人たちへの感謝を忘れては人間では有りません。
この他、沖縄では歩兵第32連隊が最後まで戦いました、8月25日の時点で第32連隊は武装解除もなく戦闘を族けて居たのです。米軍との交渉で武装解除は8月29日と決定、28日に軍旗を焼却、8月29日連隊長・北郷格郎大佐とトレイン少佐が握手、武装解除が終わった。
最後まで32連隊は降伏ではない。と32連隊の生き残りの伊東孝一大尉の記録を読んだ事が有りました。
2009/12/22(火) 10:40 | URL | #kU3g/2a6[ 編集]
No title
国と国民を護るために亡くなった英霊を犬死という人がいるけど、人間として何なんだろうと思う。感謝しかない。
2009/12/22(火) 11:38 | URL | あん #.evZveS2[ 編集]
鳩山由紀夫、幸夫妻に統一教会主催の合同結婚式での挙式疑惑
鳩山由紀夫、幸夫妻に統一教会主催の合同結婚式での挙式疑惑

ブライダルブーケが二つ…確定ですね
【日本アンチキムチ団】鳩山由紀夫、幸夫妻に統一教会主催の
合同結婚式での挙式疑惑より転載

【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2009/12/22(火) 11:48 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
日本人に生まれた誇り
涙が止まりません。私たちの先人への感謝の気持ちでせ。そしていま、私は日本人に生まれた誇りでいっぱいです。
私のこの止まらない涙には違う涙もまざっています。それは、こんな素晴らしき歴史が、知らされていない悔し涙です
私たち日本人魂万歳!
2009/12/22(火) 12:11 | URL | みこ #-[ 編集]
No title
同じく涙が止まりません。なぜこのような話を子どもの時に聞くことができなかったのでしょうか。そして今の子ども達にこの話を伝えることはできないのでしょうか。
2009/12/22(火) 13:37 | URL | ZIPANGU #-[ 編集]
シロアリの侵食は政界、メディア だけではない
明石やさんまは韓国人ですよ。

松島なな ? ななこ ? も韓国人です

芸能界の半分以上は韓国人と思っていたら間違いありません。
2009/12/22(火) 14:00 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
明日、こんなイベントをやってみます。
もしよろしければご参加を。

12月23日天皇誕生日に『天皇論』を買うイベント
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/event/1261384457/
2009/12/22(火) 16:37 | URL | 、 #-[ 編集]
知覧特攻平和会館
ねずきち様

ブログの更新、ご苦労様です。
私も知らない事がまだまだあり、今後の勉強の切っ掛けとなりますので助かります。
ありがとうございます。

兵庫から福岡に移り住んで6年目になりますが、九州での最初の家族旅行は知覧特攻記念会館でした。
7月末の平日でしたが、駐車場には観光バスや他府県からの乗用車が多く止まっていました。
訪れる方々も老若男女を問わず、ベビーカーを押しながらの若いご夫婦、制服姿の自衛隊の方々の姿が見られました。
会館内には復元された戦闘機や、英霊の方々の写真や遺書、遺品、他にも数多くの物が展示されていました。
英霊の方々の写真はどのお顔も凛々しく、どの遺書や手紙の文字も力強く、そして遺族の方々へ綴る思いは優しく、思いやりに溢れるものでした。
我が子達も感じるものがあったのでしょう、真剣な眼差しで館内の各所を見ていました。
本当に、胸が熱くなります。

戦争、そして特攻という行為につきましては、賛否を含めいろいろな意見があります。
しかし、それは現在の価値観に当てはめての場合が多いと思います。
戦時中、当時の状況ではそうするしかなかった。
そこには家族を、兄弟を、我が国を、命に代えても守る覚悟をされ、散華された方々がいるという事実があります。
その事実、歴史を学び、素直な心で頭を下げ、感謝の気持ちを述べる事は、平和な世の中に暮らし、自分の為の人生を謳歌出来る私達にとって必要な事だと思います。
そんな、当たり前の国になって欲しいと考えています。
2009/12/22(火) 16:51 | URL | 中西 #-[ 編集]
新自民党は一粒の麦に
核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00775.htm


沖縄返還交渉を巡り、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で
交わされたとされる有事の際の核持ち込みに関する
「密約」文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。
密約の存在を裏付ける決定的な証拠が発見されたことになる。


外務省はこれまで文書の存在を否定してきた。
日米間の密約の存否の検証を行っている外務省の
有識者委員会の判断にも大きな影響を与えるのは必至だ。


佐藤家で発見されたのは、ワシントンで行われた日米首脳会談で極秘に交わされた
「合意議事録」の実物。読売新聞社が入手した「合意議事録」の写し(英文2枚)は、
1969年11月19日付で、上下に「トップ・シークレット(極秘)」とある。
文末には佐藤、ニクソン両首脳の署名がある。


文書では、米側が「日本を含む極東諸国防衛のため、
重大な緊急事態が生じた際は、日本と事前協議を行ったうえで、
核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする。
米国政府は好意的回答を期待する」とし、
有事の際の沖縄への核持ち込みを両首脳が合意したことが記録されている。
日本側は「そうした事前協議があれば、遅滞なくその要求に応える」と明記されている。
また、「米国政府は重大な緊急事態に備え、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、
すなわち嘉手納、那覇、辺野古、及びナイキ・ハーキュリーズ基地を
いつでも使用できる状態に維持しておく必要がある」と記している。


 文書は2通作成され、1通は日本の首相官邸、
もう1通は米国のホワイトハウスで保管するとしてある。
佐藤氏は首相退陣後、自宅の書斎に私蔵していた。

佐藤氏が75年に死去した際、東京・代沢の自宅にあった遺品を遺族が整理していたところ、
書斎机の引き出しから見つかった。


机は首相在任時、首相公邸に置かれ、退任後は、自宅に持ち運ばれた。
関係者によると、元首相は生前、
文書の存在について寛子夫人(故人)も含めて家族に漏らしたことはなかった。
佐藤元首相の二男の佐藤信二元通産相は
「(元首相は)外遊の際はアタッシェケースに書類を入れて持ち歩いていた。
69年の訪米の際も、帰国してその文書をアタッシェケースから
書斎机に移したのだと思う」と証言する。
密約の存在は、返還交渉で密使を務めたとされる
若泉敬・京都産業大教授(故人)が1994年に著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」
(文芸春秋刊)で暴露した。
2009/12/22(火) 20:21 | URL | 新自民党は一粒の麦に #EMX8otDw[ 編集]
No title
大東和戦争に散っていかれた英霊たちの残していかれたものを見るにつけ、いつもながらのことですが、絶句するより他はない。
言葉に出来ません 畏敬の念のみです 今の日本で起きてる破廉恥な所業、、もちろん自らも含めてですが・
現代日本人は、自らの胸に手をあてて、そのおぞましさに恥を知るべきです もちろん自分を含めて・・涙
2009/12/22(火) 21:38 | URL | ハポ #Lhow0clE[ 編集]
英霊が外を眺める
林の中、木造2階建て**館という資料館が千葉のある部隊にあります。
そこの2階のカーテンの間から、たまに英霊が外を眺めるときがあるそうです。
自分は見たことはありませんが、
夕方、柵の周りをランニングをしていると何か気配を感じ足早に立ち去ったものです。
英霊たちが命をかけて戦ったのに今の日本は胸を張って誇れるでしょうか?
あらぬ濡れ衣を着せられ、、、今日も窓から見ているかもしれません。
2009/12/22(火) 22:11 | URL | 靖国の英霊に感謝 #mbwhQQ6o[ 編集]
No title
和でなく亜でした誤字失礼しました
2009/12/22(火) 23:31 | URL | ハポ #Lhow0clE[ 編集]
『憎しみ』を感じる相手は、日本政府ではない!真の殺戮者である“アメリカ”にこそ、感じるべきである!!


数知れぬ戦争被害者』は、日本のせいで生まれたのではなく、“”、すなわち、アメリカ軍の殺戮破壊の結果生まれたのです。

憎しみ」」や「恨み」や「憤り」を感じるのは、沖縄を救出する為に命を投げ出した日本軍ではなく、

沖縄人をメッタ殺しにし、沖縄の地形を変形させるほどの“鉄の雨(弾丸)”を降らせた、当の殺戮者、破壊者である“アメリカ軍”でないですか


沖縄の人には、この事をもう一度よーーーく考えて頂きたいと思います



2009/12/23(水) 00:25 | URL | 椿 #-[ 編集]
【政治利用】オザワ解放軍司令官へ反撃
【政治利用】オザワ解放軍司令官へ反撃

民主党・小沢一郎 中国共産党・解放軍司令官による天皇陛下を政治利用
する暴挙に対して、12/21(月 )に憲政記念館にて緊急集会が日本会議の
主催で行われ、平日にもかかわらず千名を越え るほどの大盛況となりま
した

【動画ニュース掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュースタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2009/12/23(水) 00:28 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
沖縄県民より
こんにちわ、沖縄県民です。
ウチの親父<沖縄戦時6歳>から聞いた話です。
米軍が、上陸する前、激しい艦砲射撃が島中を覆ったころ、近所に、凄く愛国心の強いオジィがいたそうです。、オジィは、国民服を着て、大きな日の丸を片手に、毎日丘の上に登っては日の丸を振り回し、友軍<日本軍の事を沖縄の年配者はこう呼びます。>を激励していたそうですが、激戦の中、とうとう、日本兵と間違われて米軍機に射殺されました。
オジィは、家族が止めるのも聞かず、「ワン<俺>は、日本人やさ!<だ>」の一点張りだったそうです。
沖縄は、いまでこそ反日の島ですが、かっては違いました。年配者に戦争の話を聞くと反日一辺倒ではない戦争の話が聞けます。
2009/12/23(水) 16:37 | URL | 石原昌光 #-[ 編集]
No title
本当に感動します

気持ちが揺さぶられ、
知らなかった事に恥じ、改めて自分達の先人達に感謝しました

子供達や何も知らずに自虐史観で染まっている大人達にも是非知って貰いたいです

2009/12/23(水) 17:34 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
No title
こんにちは。
義烈空挺隊第3独立飛行隊の隊長だった
諏訪部忠一は私の祖父の弟です。
日本の繁栄のために尽力された先祖の事を思うと
胸が締付けられる想いがします。
2010/07/19(月) 12:57 | URL | 名無しさん #jHSMZ1/Y[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

スパイ防止法・国旗侮辱禁止法作るべし・・・!!!

★シアター・テレビジョン メールマガジン〜 □ 今週の高山語録 ○「落選した千葉景子の言動は   民主党の“うしろ暗さ”を象徴していた!」 ○「 民主党に票を入れたのは  『金が欲しい』さもしい人たち!?」 ○「この民主党政府はどこを向いて  誰のために政...
おススメ記事
〜是非ご一読を〜
日心会メールマガジン
≪おススメ記事≫
世界に誇る縄文文化
航空戦艦伊勢と日向の物語
赤トンボの戦い
緑の連隊長
小麦のお話
大豆と満洲のお話
セントルイスブルース
あんぱん誕生
幸せの黄色い道
通州事件2
奉天駅前事件
真岡郵便電信局事件と九人の乙女たち
インパール作戦とパル判事
真の近現代史観
なりあき少年物語
インドのジャンヌ・ダルク
大国主は日本最初のイジメ被害者だった

≪元気の出る人物伝≫
ヤマハさんと河合さん
なにくそ! 早川徳次
社員は家族だ 出光佐三
死なない男・鈴木貫太郎
昭和の巌流島決戦 国井善弥
岩崎弥太郎と竜馬伝
稲むらの火 浜口儀兵衛
楠木正成と七生報国
大山巌 西郷の再来といわれた男
明治の貴婦人 大山捨松
津田梅子
クーデンホーフ光子
武士の娘
緒方貞子
愛する人とともに 山本権兵衛
昭和恐慌と高橋財政
ご皇室からお嫁に 嵯峨浩
東大総長を三度勤めた山川健次郎
金原明善 明治の気骨
和井内貞行 十和田湖のヒメマス
ダショー西岡の貢献
鳴門の第九 松江豊寿大佐
警神・増田敬太郎巡査
沖縄の舞天さん
日本の建築美
友情が生んだ隠岐連絡船
岡藤五郎先生
スエズ運河を造った男たち
チャンドラ・ボーズ
世のために生きる 田島道治
自転車で転んで農機具発明 佐藤忠次郎
二千人の命を守った警部 廣枝音右衛門
日本こそアジアの盟主 山鹿素行
実在した怪傑ハリマオー
日本を救った古代の英雄 大伴部博麻
西郷頼母と姿三四郎
会津藩の二人の女性 中野竹子と瓜生岩子
古くて新しい中江藤樹郎
身を投げ出して乗客の命を救った車掌 鬼塚道雄
新手一生 升田幸三
男の生きざま 山下太郎
老農と呼ばれた男 石川理紀之助
宮古湾海戦と甲賀源吾
不自惜身命 小原竹五郎と江崎邦助
白虎隊と歴史への姿勢
滅んでも勝つ 山川大蔵
良心を生きた人生 新島襄
天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ 長瀬富郎
ライト兄弟より早く飛行機を飛ばした日本人 二宮忠八
一死をもって責任を貫く 石黒小右衛門
滅んでも勝つ 山川大蔵
へりで救出された1200頭の牛の物語
38年間無報酬で働いた村長 鎌田三之助
石門心学と石田梅岩
竹カゴとカーボンナノチューブ 飯島澄男博士
乾電池の挑戦、屋井先蔵
なりあき少年物語
光秀と天海僧正
岩崎弥太郎と竜馬伝
世界に先駆けた外科手術 佐藤泰然
タイの近代法の父 政尾藤吉
インドネシアとともに 三浦襄
名越二荒之助先生
千葉惣左エ門と伊達藩の名裁き
もうひとつの赤穂浪士 矢頭右衛門七
幸せの黄色い道 三宅精一
戦うということ 松本英子と田中正造
雷電爲右エ門と浦風親方造
私心を捨てて 野中兼山
世界最長484日の漂流 督乗丸と小栗重吉
坂田三吉と関根金次郎
身を犠牲にしてレントゲン撮影に革命をもたらした林信雄医学博士
生涯の夢を乗せて 白瀬矗
大村藩の新精隊 渡辺清
悲しみの山河を越えて 石井筆子
万次郎上陸
名を残す 片平観平
あんぱん誕生
だけれども僕はやる 中田厚仁
義に生きる 山田方谷
日本初の小学校女性教師 黒沢登幾
アドレナリン 高峰譲吉
猿とみなされながら世界一の大数学者に 高木貞治
命に代えて 福井文右衛門

≪日本の心≫
大和心とポーランド孤児
たおやかに やまとなでしこ 咲きにけり
トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件
キャプテン翼大作戦
チリひとつなかった江戸日本
ギリシャ神話と日本の心
ニホンミツバチの勇気ある行動
いくつかの主張
公のために働いた武士
「日の丸」
国旗の由来と掲揚
「君が代」
「靖国」
「教育勅語(1)」
「教育勅語(2)」
「軍人勅諭」
「八紘一宇」
八紘一宇の塔
「蛍の光 仰げば尊し」
海軍兵学校「五省」
日本人の誇り
ご皇室は日本の宝
幼年時代の昭和天皇
戸籍について考える
人間を矮小化してはならない
飴を買う幽霊
シコロの木
戦艦三笠を守れ
リンゴの心
日本美の再発見・ブルーノ・タウト
見沼通船堀
ウズベキスタンの日本人
世界に誇る日本の交番
イザベラ・バードの日中韓紀行
弁慶の勧進帳
子守りをする少女 エドワードモース
悪代官のお話
有森裕子選手と日本武道
静御前の舞
大理の日本四僧塔
ウガンダの高校生を変えた日本の躾
救出された1200頭の牛
海上自衛隊・海賊船対処
日本の水を守ろう
赤穂浪士の真実
日本は一国一文化
日本刀と鉄砲伝来
貧農史観というウソ
特攻と日本武士道・・・笹森順造
元航空自衛隊宇都隆史参議院議員の演説
靴磨きの少年
赤穂浪士と山鹿流
江戸からくり人形と雇用のお話
小石川養生所
桃太郎とイザナギ、イザナミ
大国主は日本最初のイジメ被害者だった
中越沖地震で分かった日本人の美徳
美意識と日本的価値観 加瀬英明先生

≪帝国軍人≫
ランボーは日本人だった!舩坂弘軍曹
緑の連隊長 吉松喜三大佐
義烈空挺隊を忘れるな 奥山道郎
海戦史を塗り替えた男・吉川潔
軍神・広瀬武夫中佐
言葉の重み 大西瀧治郎中将
佐久間勉艦長
陸軍大将今村均
本当の日中友好 吉田保男憲兵曹長
敵さえも味方にしてしまった草鹿任一海軍中将
442部隊に学ぶ
小灘利春元海軍大尉の遺稿
渡邊美光上等飛行兵曹の遺稿
重き荷を背負いて 玉井浅一
六十年の時を経て届いた手紙 長田和美中尉
勝利の要諦は至誠と愛情と情熱 藤原岩市陸軍中佐
不屈の精神とユーモア 高崎弥生さん
名将、山口多聞
単騎シベリア横断 福島安正
人情と情けの人 小園安名大佐
戦時下のノーヒトノーラン 石丸進一
愛のかたち 快心隊隊長藤井一少佐
歴史から学ぶべきこと 広瀬武夫中佐
人情と情けの人 小園安名大佐
プロ野球の特攻隊員 石丸進一
水雷屋気質 佐藤康夫中将
ひとりでも闘う 小野田寛郎
桜花と野中五郎大佐
最後の特攻 中津留達雄大尉
大空の武士 檜貝嚢治
沖縄戦で米軍を苦しめた参謀 八原博通大佐
バックナー中将と石原正一郎大尉
慶良間の空に散る…伊舎堂用久大尉
命をかけて守る 荒井退造
会ひたい無性に 穴沢利夫大尉

≪大東亜戦争≫
ちいさくても強いサムライ
硫黄島の星条旗と日章旗
硫黄島の日章旗
花嫁人形
開戦の詔勅と終戦の詔勅
大東亜戦争に勝利した日本
日本に手を出した国は、必ず滅びる
大義のために戦った日本
12月8日を記憶せよ
大東亜戦争に関する各国の評価
日本の再生こそ世界を救ふ
公正な世界を目指して戦った日本
日本兵の手紙
玉砕までして戦った理由
英霊たちが守ろうとしたかけがえのないもの
ハーグ陸戦条約
植民地支配への戦い
腰の軍刀は竹光か
バシ―海峡の慰霊
戦没者の遺書
インパール作戦とパル判事
五族協和を目指した満洲国
南京の攻防
体験的歴史の真実
B−29との戦い
サンフランシスコ条約と日本
伊58潜水艦と原爆のお話
駆逐艦「雪風」の幸運
ケネディと駆逐艦「天霧」
終戦記念日における政府談話、日心会草案
広島市平和記念式典で読まれない もう一つの平和宣言
白梅の少女たち
特攻とテロリズム
三ヶ根山殉国七士廟
真の近現代史観
塹壕で母は生まれた
勝てた戦争
特攻隊員の思い
橋の上のホラティウス
張作霖と満州のお話
インパール作戦とパル判事
インパール作戦 続き

≪戦記≫
パラオ・ペリュリュー島の戦い
エクゼターとエンカウンター
義和団事件とコロネル・シバ
アロハ・オエ
アッツ島の戦い
グアム島の戦い
タラワ・マキンの戦い
拉孟の戦い
騰越の戦い
占守島の戦い(1)
占守島の戦い(2)
回天の志
回天・後日談
マレー沖海戦と戦艦大和
勇敢で高潔で誰からも好かれた日本軍人
三宮事件
日清戦争
日露戦争 亡くなられた方の気持ち
日露戦争の勝利はアジアの偉大な救い
日本軍の蛮行 デビンティンギ事件
戦争の体験談
第二次上海事変
石頭予備士官候補生の戦い
沖縄の二人の知事 泉守紀と島田叡
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
サイパンの玉砕戦(1)
サイパンの玉砕戦(2)
アンガウルの戦い
キスカ島撤退作戦
赤トンボの戦い
通州事件1
通州事件2
尼港事件
斉南事件
奉天駅前事件
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷
真岡郵便電信局事件と九人の乙女たち
ノモンハン事件
盧溝橋事件
リットン調査団
重慶空爆
満洲国開拓団の殉難
沖縄の集団自殺の虚構
小野田寛郎さんが語る従軍慰安婦
南京大虐殺というデタラメ
慶長の爆弾三烈士
北条時宗と元寇
大津事件
天狗党の乱
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
刀伊の入寇と竹島
旅順要塞陥落
航空戦艦伊勢と日向の物語
久松五勇士

≪台湾≫
台湾2・28事件
日本の台湾統治
日本の台湾統治の真実
台湾・高砂義勇隊
日本人はとても素敵だった
カナダからの手紙
元日本人の歩んだ道〜蔡焜燦

≪支那≫
支那人の残虐性
支那人の“避諱”観念と虚言
支那「日本支配工作要領」
相手が弱いとみるやつけこむ民族
支那に支配された国の実情
「日本は唯一の被爆国」に隠された嘘
支那の盗掘
カネを吸い取られ続ける日本企業
ロシアも怒る支那のパクリ
支那・文化大革命の恐怖
女真族と満洲の話
いまなお続く法輪功弾圧
停車場
カナダの悲劇 中国移民に占拠されたバンクーバー
支那人による日本買占めの恐怖
支那・国防動員法
支那の粉ミルク
恐怖の外国人永住者
華僑と植民地統治について
支那の中国漁船問題に思う
清き国、日本
中国人の語る中華思想

≪朝鮮半島≫
韓国建国の英雄
韓国保守派の嘆きと憤慨
誇り高く生きる 洪思翊中将
李氏朝鮮の時代(1)
李氏朝鮮の時代(2)
閔妃殺害事件
李氏朝鮮時代の刑罰
在日朝鮮人
関東大震災の記憶
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな
「警戒」を「差別」とすり替える在日朝鮮人
従軍慰安婦問題
在日コリアンたちの本音
犯罪をしたら日本人になりすませ
民団の驚くべき活動
ダライラマの法話で見た韓国人の民度の低さ
下半身裸で水死する脱北女性たち

≪その他の国≫
アンコール遺跡とカンボジア
ビルマの近代史
アフガンの地雷
二つのアメリカ
ハバロフスク事件顛末(1)
ハバロフスク事件顛末(2)
ハバロフスク事件顛末(3)
シベリアのトイレ
ウクライナ物語
地上の楽園のウソ
インカ帝国の滅亡
マサダ砦の戦いと尖閣問題
インドのジャンヌ・ダルク
セントルイスブルース
ガンデンポタン

≪憲法≫
日本国憲法という欺瞞
日本国憲法を否定せよ
Made in Occupied Japan

≪教育を考える≫
愛国心を育てよう
教育における「父性」ということ
ボーイスカウトと郷中教育
仁徳天皇陵を大仙陵と呼ぶまやかしを許すな
武徳教育のすすめ
これでもあなたは日教組に子どもをまかせられますか

≪メディア≫
やまと新聞を守れ
毎日新聞英語版のあまりにひどい報道
マスコミが反日になっている理由
反日キャスターを許すな!
反日主義者たちの陰謀

≪反日左翼≫
国鉄と鉄道公安官
夢の超特急「あじあ号」
弾丸列車と戦後左翼の利権
国連という名の欺瞞
白旗の少女
プラスの言葉
反日左翼工作員にみられる共通の特徴
野麦峠と戦後左翼の欺瞞

≪核≫
核のお話2
核のお話

≪時事≫
日本人が知らない資源のお話
750兆円の国家財源
最高の景気対策は国防にあり
地方行政とゴミ処理問題
小学生の妊娠
自国の防衛は自国で
日教組に立ち向かえ
外国人参政権
政治資金規正法
竹島問題の真実
夫婦別姓などもってのほか!
子供手当が在日外国人の母国に残した子供にも出る?!
奴らを許すな
「日本派」の政治家
中国産新型エイズの恐怖
口蹄疫問題に関する衆議院の質疑の模様
口蹄疫は韓国の陰謀という噂の真相を問え!
尼崎児童暴行事件
売国土下座外交のウラ
都民の100人に1人が中国人
あなたの隣に中国人が。それでもいいですか?
すべては私たちの選択にかかっている
支那人に買い占められる日本の水
尖閣問題と国益
尖閣問題と琉球共和国
尖閣領域の中国漁船問題に思う
いまと似ている通州事件前夜
口蹄疫はまだ終わっていない
子宮頸ガンとセクシュアルデビュー
在日支那人の取締りを強化せよ
神社が燃やされている
沖縄県平和祈念資料館の展示見直しを要請する

≪コラム≫
天壌無窮の神勅
天皇人間宣言という言葉のまやかし
持てる力のすべてを未来への建設に傾けて
帝国日本を語り継げ
保守は No War !!
動物農場
世界に誇る縄文文化
縄文人と渡来人の相克
世界四大文明の嘘
中国四千年の歴史という馬鹿げた妄想
魚沼産コシヒカリ物語
小麦のお話
小麦のお話2
大豆と満洲のお話
歴史に対する姿勢
伝書鳩物語
軍艦島のお話
新しいこの国のカタチのために
たった一度の敗戦で日本を失ってはならない
ブログの拡散効果
消えた歴史
日本の未来の枠組み
日本再生のために民度の向上を
元来日本社会は窮屈、でも窮屈ゆえに安心
「理論」と「心」と「都合」のお話
正しい万歳
近世のニッポン
伊勢神宮の式年遷宮
夏の怪談
文化は武器より強し
ヤプー人の伝説
犬種と人種
悪は断じて許さないという心が大切
大麻についての考察
ススキとセイタカアワダチソウの仁義なき戦い
秋の七草
階級闘争主義と信頼主義
日本の心をつたえる会
聖徳太子と十七条憲法
国連という名の欺瞞
石原莞爾「最終戦争論」を読んでの所感
石原莞爾「最終戦争論」
ある国の物語
マイセンのスープ皿
行間を読む
相貌認知
戦後世代は何をやってきたのか
人を大切にする経営
ラージャ・ダト・ノンチック元上院議員の言葉
歴史伝統文化に立脚しない革命は成就しない
語り、つたえよう!
求められる大改革
勁(つよ)くなる
日本を取り戻そう 鄭春河さんの遺稿
鄭春河先生の遺稿2「日本同朋へ」
亀井静香先生と面談してきました
日本の心をつたえる会について1
日本の心をつたえる会について2
カレンダー
01 | 2011/02 | 03
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 - - - - -
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

ねずきち

Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

このサイトで扱っている動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属してます。問題があればすぐ削除しますので、

nezu@nippon-kokoro.com

までメールでご連絡ください。

最新トラックバック
足跡
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
解析
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
私への中傷について
私個人の実名や過去の経歴をインターネット上で晒し、悪意あるコメントやら本文やらで聞くに堪えない中傷をくりかえしているサイトがあります。
この件につきましては、当ブログの2011年01月19日の記事で、ご回答しておりますのでご参照ください。 ↓ ↓ ↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1147.html
検索フォーム
ねずブロの中で検索したい事柄があった場合、↓の窓に語句を入力して「検索」ボタンを押すと、該当の記事が出ます。
最新コメント
尖閣諸島問題について
「世界日報社」の特集記事
http://www.worldtimes.co.jp/
尖閣諸島に関する1972年の外務省資料(PDF)
http://www.worldtimes.co.jp/special2/senkaku/senkaku.pdf
尖閣問題について

日本の心をつたえる会
日本の心を伝える会 日心会

登録無料!手続簡単!
設立 2009.9.6
2010.12.07時点
会員数 5,022名

携帯から日心会会員お申込みの方へ
携帯電話09

いつも当サイトにお越しいただき、ありがとうございます。
最近では携帯から等ブログにアクセスいただいている方も多く、日心会会員やメルマガ会員へのお申込みも携帯でされる方が多いようです。
ところが、せっかくお申込みをいただき、当会からお返事をさしあげても、携帯の迷惑メールフィルタによって当会からのメールが届かない、というケースが頻発しています。
お手数ですが、日心会入会申込の際、次の2つのドメインの受信が可能になるように、あらかじめご自身で携帯への設定をお願いします。
@nippon-kokoro.com
@freeml.com
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
http://blog-imgs-43.fc2.com/n/e/z/nezu621/20101005211203598.txt
やまと新聞を守れ!

やまと新聞は、戦後GHQの圧力に屈することなく、日本のジャーナリズムの正義を貫いた唯一の新聞です。
みんなの力でやまと新聞を応援しよう!!
やまと新聞社の公式HPは
 ↓コチラ↓
http://www.yamatopress.com/ 購読料は月500円です。
下の窓の中味をコピペすると、上のバナーをご自分のHPに貼ることができます。
やまと新聞の紹介記事はココをクリック
満洲国臨時政府
満洲国臨時政府
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
リンク
ブロとも一覧

■ ブログ名:ダメ人間のつぶやき

■ ブログ名:シスVSエイリアン

■ ブログ名:風歩の行方

■ ブログ名:湘南のJOHN LENNON  These are the Days

■ ブログ名:右っぽいねと言われた僕が思いのままに書くblog
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ



人気ブログランキングへ

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ


orengebanner
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
Yahooログール
amazon