日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。当ブログはリンク・転載フリーです。

ひとりでも闘う

人気ブログランキング←はじめにクリックをお願いします。

小野田寛郎さん
小野田寛郎01


尖閣問題に象徴されるように、もはや日本は売国奴の巣窟と化しています。
しかしその中で、日本を取り戻す戦いを始めた。
戦いは勝たなければなりません。

戦いに勝つ秘訣は何か、という問いに対して、若い頃、

「それは勝つまで戦い続けることだ」と教わったことがあります。

たったひとりで大東亜戦争を30年間も戦い続けた人もいるのです。
ボクたちの戦いは、まだ始まったばかりです。
小野田寛郎(おのだひろお)さんは、30年間、戦争を戦い続けました。
今日は、その小野田寛郎さんのことを書いてみようと思います。

小野田さんは、大正11(1922)年、和歌山県海南市で生まれた方です。
兄弟は、みな軍人という軍人家族です。

中学時代の小野田さんは、県下有数の剣道選手だったそうです。
卒業して、貿易会社に就職。
支那に渡って、中国語を習得しています。

軍人としての招集は、大東亜戦争開戦後の昭和17(1942)年のことで、上海で現地招集されました。
配属は、和歌山歩兵第61連隊です。

入隊後、小野田さんは陸軍甲種幹部候補生を受験し、陸軍予備士官学校に入学します。

中国語や英語に堪能だったことから、卒業後すぐに推薦を受けて陸軍中野学校に入学しました。

陸軍中野学校といえば、ご存知、日本陸軍のスパイ養成学校です。

スパイ養成学校と聞くと、なにやらおそろしい諜報活動や、特殊な殺人訓練をするおぞましい武術を専門に習う怖いところ、というイメージがあります。
ところが、それも実は、戦後の洗脳です。

実際の陸軍中野学校は、いまでいったら、軍隊に思えないほどリベラルなところだったそうです。

学生たちは、軍服を着用しません。平服です。
髪も、軍人らしい坊主ではなく、長髪。

ですから、立派な軍人になろうと中野学校に入ったら、息子が平服で髪も長い。たるんでるんじゃないかっ!と、親がカンカンになって怒ったなんて話も残っています。

学生たちのカリキュラムも、午前中は、諜報関連の講義、午後は自習です。
八紘一宇や大東亜共栄圏といった理念に関する教育は一切なく、日米の戦力比較や、陛下の地位等に関しても、驚くほど自由な議論が交わされたといいます。

同校の出身者の弁を借りれば、「戦時中、最も自由な校風であった」のだそうです。

その中野学校が、学生たちに徹底して叩きこんだのが、ただ一点、
「相手のために誠意を尽くすこと」でした。

相手というのは、潜入した相手国の人々です。

中野学校の生徒は、名誉も求めず、地位も求めない。
もちろん諜報のプロとして、潜入した相手国の状況をつぶさに観察し、報告しますが、そのためにも、相手国の人々に誠意の限りを尽くす。

中野学校が、厳しく教えたのは、諜報や防諜任務について、自国の勝利のためには何をやっても良いなどという考え方の全否定です。

諜報活動は、あくまで相手国のために、相手国の実情を正確に把握するための手段でしかない。
それ以上に、中野学校の出身者は、「相手国の人々のために」全身全霊を込めて誠意を尽くせと教えられたそうです。
このあたり、自国を勝利に導くためなら、何をやってもよいと教えるどこかの国の工作員養成機関などと、まるで違うところといえます。

それだけに、アジア諸国に派遣された中野学校の出身者たちは、当時、本気でアジア諸国の独立を願ったため、あくまで「勝利」にこだわる軍首脳と、真正面から対立することもしばしばで、そうした記録は、戦前戦時中に枚挙にいとまがないほどです。

小野田さんが卒業したのは、東京中野にある中野学校本校ではなく、二俣分校の方でした。
そこはいまは、静岡県浜松市保健所天竜支所となっています。
二俣分校も、教えるところはまったく同じです。

ただ、本校と野違いは、諜報論だけでなく、やや特殊なゲリラ戦やジャングルでのサバイバル法などの訓練が施されました。
このことが後年、小野田さんのサイバル生活生存のファクターとなりました。

ただ、小野田さんのサバイバル生活で重要なことは、彼は、部下とともにジャングルに30年潜み、その間、数百回に及ぶ戦闘を行っているけれど、食料調達のために現地の村を襲ったり、女子供に怪我を負わせるようなことは、一切なかった。

小野田さんは、最初三人の仲間とともに、ジャングルに潜みますが、フィリピン警察や米軍との撃ち合いになったときも、味方に死亡者を出しても、武器を持たない地元民や婦女子に一度も怪我をさせていない。
このことは、小野田さんたち一行を語るときに、絶対に外せない一点だろうと、ボクは思います。

さて、中野学校を卒業して、フィリピン戦線に情報将校として赴任した小野田さんは、昭和19(1944)年12月、遊撃戦指揮の任を与えられ、ルバング島に向かいました。

ルバング島というのは、フィリピンの首都マニラの湾の出入口にある島です。
島からは、マニラ湾が一望でき、湾内の軍事艦船や、航空機配備の状況が一目で分かる。

赴任に際して小野田さんは、上官である横山静雄中将から、「玉砕は一切まかりならん」と厳命されます。

このとき、横山中将は次のように言いました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
3年でも、5年でも頑張れ。
必ず迎えに行く。

それまで兵隊がひとりでも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。
重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そして、その通りに小野田さんたちは、忠実に命令を守ったのです。

さらに、出発に先立って、参謀部からは、次のような説明を受けたそうです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
盟邦ドイツの降伏は時間の問題である。
戦況はわが軍にますます不利な情勢にある。

すでにサイパンが陥落し、海軍はレイテ沖海戦で壊滅的打撃を被った。

米軍は今後まず沖縄に上陸を敢行するであろう。
その後は、九州、大隅半島に上陸し、浜松を拠点化。九十九里浜上陸を目指すであろう。

従って本土決戦は必至である。
最悪の場合、米軍による日本本土占領もありうる。

その場合、日本政府は満州に転進し、関東軍を中心に徹底抗戦を図る。
大陸には陸軍80万人の兵力が温存されている。
反撃攻勢の時期は3年ないし5年後と推定される。

それまで、敵情をよく視察し、我が軍の再来に備えよ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そして5年が10年になり、ついに30年になった。
その間、小野田さんは、日本には米軍の傀儡政権があり、旧日本は、満洲の地で捲土重来を期して戦い続けていると、ずっと信じ続けたのです。

さて、ルバング島に着任した小野田さんは、守備隊に、島のジャングルに籠っての長期持久作戦を提唱します。
小野田さんにしてみれば、長期持久が任務ですから、当然、そのような判断になる。
そのために地元民と懇意にする方向を選択すべきと建言したわけです。

しかし、守備隊にしてみれば、島を守る、すなわち敵の上陸を許さないのが任務です。
だから水際で米軍を食い止める作戦を選択した。

結果は、不幸な結果となりました。
圧倒的火力にものをいわせた米軍は、隙間ない砲弾の嵐で日本側守備隊が築いた水際防衛ラインをあっという間に粉砕してしまった。

やむなく守備隊はジャングルに逃げ込むけれど、もともとの作戦が、水際作戦です。
ジャングルでのゲリラ戦を想定していない。
守備隊は、激しい抵抗戦を挑むけれど、全員が玉砕してしまいます。

その激しい戦闘を、小野田さんと、その直属の部下3名は、しぶとく生き残ります。
任務は、マニラ湾に展開する敵情の視察と監視なのです。
日本軍がふたたびもどってきたときのため、「残地諜者」としてジャングルに潜んだ。

昭和20年8月15日、日本は終戦を迎えます。
しかし、現地の日本軍は玉砕しており、もはや任務解除の命令を届ける者は誰もいません。

小野田さんたち4名は、島内の野生の牛を捕獲して乾燥肉にしたり、自生する椰子の実を拾って食料にし、生き延びます。
野生の牛は良質な動物性タンパク質を、椰子の実は、彼らにこれまた良質なビタミンとミネラルを効率良く供給した。

小野田さんたち一行の携帯した武器は、九九式短小銃、三八式歩兵銃と、軍刀です。
弾薬は、島内から拾い集め、火薬には島内に遺棄された戦闘機用の機関銃弾の実包の火薬を、銃の薬きょうに移し替えて使用した。

彼らは、たった4人で、幾度も米軍基地に挑みます。
日本軍が還ってくるのに、もっとも障害になる米軍のレーダー基地を粉砕もしくは機能不全にしておく必要があったからです。

彼らは戦い続けた。
レーダー基地を破壊し、放火し、米軍に対するかく乱攻撃をし続け、ついには米軍レーダー基地の司令官をも狙撃して重傷を負わせています。

終戦から5年経った昭和25(1950)年、部下の赤津勇一一等兵が、戦闘中にはぐれて行方不明になってしまいます。
小野田さんたちは、必死に赤津一等兵を探すけれど、怪我をし、衰弱していた赤津一等兵は、もはや声を上げることすらできなかった。
6月になって、赤津一等兵は、ジャングルの中で倒れて意識不明になっているところを、米軍に発見され、逮捕され、投降します。

彼の投降によって、小野田さんを含む3名が、まだ現地残留日本兵としてジャングルに潜んでいることが確認されました。

しかし、当時の日本は、いまだ占領下にあり、捜索隊を編纂できるだけの体力がありません。
そしてこれに時を合わせたかのように、同月、朝鮮戦争がぼっ発した。

米軍は、山狩りの捜索隊を組んだけれど、朝鮮戦争の勃発のために、マニラ湾にいる米軍の艦艇や、空軍基地の動きも、にわかに慌ただしくなります。

これは、小野田さんたちからみれば、どうみても事前に受けていた説明、すなわち「3年ないし5年後の反撃攻勢」があったとしか思えない。

そんなある日、海岸に機帆船の残骸が漂着したのです。
そこには、日本船籍を示す「○○丸」の文字が書かれていた。

小野田さんたちは、その文字と、米軍の動きから、日本軍が還ってきたと確信します。
そして、ルバング島が再び日本軍の指揮下に戻った時のために密林に篭り、情報収集や諜報活動を続ける決意を新たにした。

小野田さんたちは、米軍レーダー基地に対する執拗な攻撃を繰り返しながら、同時に敵情の視察を日々、正確にし続けます。
しかし、日本軍はなかなかやってこない。

そうこうするうちに、昭和29(1954)年5月7日、地元警察隊との撃ち合いが起きてしまいます。
このとき、戦友の島田庄一伍長が亡くなります。
眉間を撃ち抜かれて即死してしまったのです。

あとに残された小野田寛郎少尉と、小塚金七上等兵の二人は、それでもなお密林の奥に潜み、来たるべき日を待ち続けます。

ある日、彼ら二人は、偶然、壊れたトランジスタラジオを手に入れます。
機械に強い小野田さんは、このラジオをなおし、改造して、短波受信機にしてしまいます。
そして米軍倉庫から奪い取った金属製ワイヤーで、これにアンテナを付けた。

懐かしい日本語の放送が聞こえてきます。
涙が出るほど懐かしかった。

二人は、毎日、短波放送に聞き入ります。
ある日、短波放送から日本の競馬中継が聞こえてきた。

小野田さんと小塚さんは、競馬中継を聞きながら、二人だけで賭けをして愉しみます。
なにもないジャングルでの生活の中で、これがお二人にとっての唯一の楽しみだったそうです。

入手したラジオからは、毎日のニュースや東京オリンピックの実況中継なども聞こえてきました。
また、ときどきやってくる日本の残留兵捜索隊が残していく日本の新聞や雑誌からは、大阪万博や皇太子成婚の様子を伝えるグラビアページなどの情報ももたらされました。

それらの情報の断片から、小野田さんたちは、日本が繁栄していると確信します。
そして、これだけ日本が繁栄しているのだから、日本は戦争に勝ったに違いないと、判断します。

しかし、そんなお二人に、運命は悲しい別れをもたらします。
昭和47(1972)年、地元警察隊との銃撃戦となったとき、小塚金七上等兵が戦死してしまうのです。

このときの小野田さんの手記があります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
敵は激しく撃ってきた。
応戦しながら、背後の谷へ一気に走れば離脱できる。
いままで何度もあったことだ。

だが、どうしたわけか、小塚は一度つかんだ銃を取り落とした。

「肩だ!」
小塚が叫んだ。

振り向くと右肩から血が流れていた。
「銃はオレが持って行く。先に走れ!」
「胸だ!ダメだ」

私は小塚の銃で五発、自分の銃で四発撃った。

小塚が逃げる時間を稼ぎたかった。

敵の銃声が途絶えた。
いまだ!私は二丁の銃を持って後ずさった。
退いたものと思っていた小塚がいた。

「小塚! 小塚!」
私は片手を伸ばして彼の足首を握り、激しく揺すった。

反応がない。
顔をみた。

見る間に両眼にスーッと白い膜がかぶり、口から血が流れ出た。

私は両手に二丁の銃を持って、一気に灌木の斜面を駆け下りた。
激しい銃声が後を追った。

私は最後の戦友を失った。
小塚、51歳であった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

小野田寛郎さん(2)
小野田寛郎02


この元日本兵射殺事件は、地元で大々的に報道されました。
その報は日本にももたらされた。

厚生省援護局は、職員を現地に派遣し、大規模な捜索隊を編成します。
この捜索隊には、小野田さんのお兄さんも同行した。
戦友たちも同行した。

遺体は、間違いなく小塚金七一等兵であると確認されます。
残る日本兵は小野田元少尉一名であることも、確認された。

捜索隊は、山狩りをします。
この様子は、小野田さんも見ていた。
密林の中で、兄の姿も見ています。

しかし、おそらくこれはアメリカの支配下の傀儡政権に強制されての行動だろうと推測し、小野田さんはジャングルに隠れた。
こうして当時のお金で1億円もの巨費を投じた大捜索隊は、失敗に終わってしまいます。

ここで登場するのが、元ヒッピーで冒険家の鈴木紀夫(すずきのりお)さんです。

彼は、昭和49(1974)年、単身でルバング島に向かいます。
このとき鈴木さん、25歳。
「パンダ・小野田さん・雪男に会うのが夢」だという方です。

鈴木さんは思います。

「鐘や太鼓をたたいた大騒ぎで捜索するから小野田さんは、まずまず懐疑的になっているのだ。
オレだったら、小野田さんの占領地に一人で入って行って、野営する。
そうすれば、縄張りを荒らすやつは誰だ、と小野田さんの方から姿を現すのではないか」

彼の読みはピタリと当たります。
鈴木さんが野営しているテントに、銃を持った小野田さんが現われたのです。

鈴木さんはこのとき「大男が現れた」と震えあがったそうです。
ほんとうは小野田さんは、身長は160cmと小柄なのです。

しかし恐怖に怯えた鈴木さんの目には、小柄な小野田さんが、大巨人のように見えた。

一方、ジャングルに精通している小野田さんは冷静です。
鈴木さんの様子を、頭のてっぺんからつま先までよく検分した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
もし、奴(鈴木さん)があの時、靴下にサンダルという妙な格好していなかったら、撃ち殺していただろう。

なぜなら、フィリピンでは、靴下をはく階級はサンダルを履かない。必ず靴を履く。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

小塚さんを失って二年。
小野田さんには、人恋しさもあったかもしれません。
彼は、その珍妙な格好をした青年に声をかけ、夜を徹して語り合います。

ふと気がつくと朝になっていたそうです。

鈴木さんは、
「小野田さんを見つけたという証拠に一緒に写真を撮りたい」とカメラを持ち出します。

ところが機械に弱い鈴木さんは、セルフタイマーの扱いがわからない。

戦前、カメラが趣味だった小野田さんが、
「だらしがないぞ、貸してみろ」と、カメラのセルフタイマーを作動させて写真を撮った。
それが下の写真です。
自分のカメラの使い方がわからず、ちょっと照れ笑いした鈴木青年と、30年の月日を超えて、堂々とした帝国軍人の小野田さんが一緒に写っています。

小野田さんと鈴木青年


鈴木紀夫青年の説得に応じた小野田さんは、昭和49(1974)年3月9日、村におり、かつての上官である谷口義美元少佐から任務解除および帰国命令を受けました。
小野田さんの戦争が終わったのです。

このとき小野田さんは、命令受領に先立ち、先に、谷口元少佐に直立不動の姿勢で、在フィリピン米軍基地の最新レーダー基地に関する詳細な状況報告を行います。
その内容は、極めて正確かつ詳細なものだった。

そして、小野田さんは、谷口元少佐らとともに、フィリピン軍の軍事基地に向かいます。

そこで小野田さんは、フィリピン軍基地司令官に軍刀を渡しました。
軍刀を渡すというのは、軍人にとって、降伏の意思表示です。
小野田さんは、処刑されることを覚悟した。

フィリピン軍司令官は、一旦受け取った軍刀を、そのままそっと小野田さんに返します。

そして、こう言います。

「この軍刀は受取れません。なぜならあなたは軍隊における忠誠の見本だからです。」

数日後、小野田さんの投降式が行われました。
この投稿式には、フィリピン大統領であるマルコス氏も出席した。

大統領は挨拶のなかで、小野田さんに「あなたは立派な軍人です」と、最大級の賛辞を贈ります。

実は、小野田さんたちは、30年間継続した戦闘行為によって、フィリピン警察軍、在フィリピン米軍の兵士30人以上を倒しています。

大東亜戦争を戦い続けた小野田さんたちにとっては、これは「戦争行為」です。
しかし、国家的にみれば、これは終戦後の殺人行為でしかない。

しかしマルコス大統領は、超法規的措置をもって、むしろ小野田さんを讃(たた)え、小野田さんを一切の罪に問わなかった。
同じ超法規的措置でも、ただ支那のいいなりになった菅総理とは、男の貫禄が違うと感じます。

この席上、州知事夫人が改まった顔で、突然、次のように切り出します。

「ミスター・オノダに島の女性と子供たちからメッセージがあります」

場が一瞬、氷つきます。
・・・罪に問うのか?

州知事夫人は続けます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
島の男たちは三十年間、大変怖い思いをしました。不幸な事件も起きました。

しかし、オノダは決して女性と子供には危害を加えなかった。
彼女たちが子供たちと共に安心して暮らすことができたのは、大変幸せなことでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このことについて、後年、小野田さんは、次のように述懐しています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は別にジュネーブ国際条約に定められた事項を守り通そうという意識があったわけではない。
人として当たり前のことをしたまでです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そうなのです。
ハーグ陸戦条約によれば、非戦闘員に対する殺戮行為は、国際法上で、一切禁じられている。

もちろん小野田さんたちは、この条約のことは知悉しています。

そしてそれでもなお、小野田さんたちは、条約があるから婦女子を殺害しなかったのではない、とはっきり答えられています。
人としてあたりまえのことをしただけなのだ、と言っているのです。

これが帝国軍人です。
これが日本の男です。

武器を持って襲ってくる相手に対しては、たとえどんなに敵が強大で圧倒的な火力、圧倒的な戦力、圧倒的な兵力を持っていたとしても、敢然と立ち向かう。

しかし、武器を持たない者、抵抗しない者、婦女子等に対しては、たとえそのために自分が死ぬことになっても、一切攻撃をしない。

以前、拉孟(ラモウ)の戦いのことをご紹介しました。

このときの戦いで、両眼を失った戸山伍長は、妻の昭子とともに、苦しい戦いを闘っていました。
昭子さんが、全盲の戸山伍長の眼になって、手榴弾投擲の方向と距離を目測し、伝えていたのです。

そこに敵の第三波が来た。

甲高い喚声を聞いた戸山伍長は「少年兵?」と昭子に聞いた。
手榴弾の信管を抜こうとした手を停めた。
「十五、六の少年兵ばかり!」と昭子さんが叫んだ。

敵兵とはいえ、年端もいかぬ子供を攻撃する?
戸山伍長は一瞬躊躇します。

そのとき、敵の少年兵が投げた手榴弾が夫婦の足元に転がってきた。
次の瞬間、手榴弾は轟音とともに炸裂し、戸山伍長、昭子夫妻はともに壮烈な戦死を遂げています。

ボクたちいまを生きる日本人のおじいさんたちは、そういう戦いをしていたのです。

いかなる状況下にあっても、非道な真似はしない。

日本は、広島と長崎に原爆を投下されました。
実は、米国より以前または同時に、当時の日本は原爆を開発していました。

その原爆を用いれば、日本は米国や支那、終戦間際に攻めてきたソ連兵に対して、原爆による攻撃をすることもできたかもしれないのです。

しかし、この原爆開発は、完成まであとすこしのところで、陛下によって開発を差しとめられました。

「どんなことがあっても、我が国が新型爆弾(=原爆のこと)を使う世界最初の国になってはならない」
「どんなことがあっても、一般人を巻き込むような非道な戦闘をしてはならない」

おかげで、日本は原爆を投下されました。
しかし思うのです。

もし、日本があの時点で原爆を保有していたら、日本は原爆を投下されることはなかったかもしれない。
しかし、被爆して亡くなられた方々も、放射能汚染で、その後の人生に苦しい思いをされた方々も、その全員が、自分たちが受けたと同様の苦しみを、自分たちが他の人に与えるということは、決して望んでなどいないと。

核保有の是非論はともかくとして(ボクは隠保有推進論者です)、ボクは、そういう選択、判断をした日本という国を、陛下を、そういう戦いをした日本の兵士たちを、誇らしく思います。

今回の尖閣領海内の支那漁船に関して、民主党の菅直人総理、仙谷官房長官は、まさに「国際関係を考慮して」超法規的措置をもって明らかな犯罪者である支那の漁船船長ら釈放しました。

これは、単に中共の圧力に屈しただけの振舞です。

その支那漁船の船長らに、どのような「立派な」行いがあったのでしょう。

小野田さんは、称賛すべき行為として釈放されました。
支那漁船船長らは、何ひとつ称賛すべき理由のないただの領海を荒らし、海上保安庁の公務執行の妨害をした犯罪者です。

どこに釈放の理由があるのでしょうか。

30年間、ひたすら命令に忠実であった小野田さんに、戦前の日本人の公に奉ずる心の偉大さを感じます。

そして平時であることを知らず、闘い続けた小野田さんを英雄と讃えて超法規的措置をしたマルコス大統領にも、素晴らしさを感じます。

そしてその一方で、比較をするのもバカバカしいですが、菅総理や仙石官房長官などの行為のなんとさもしいことか。

日本は、ふたたび生まれ変わらなければならないのではないかと、ボクは思います。

話が脱線しました。

上の写真にある小野田さん。
そして下の動画にある発見当時の小野田さんの姿を、是非、ご覧頂きたいと思います。

実に凛々しい。
まさに誇り高き帝国軍人ここにあり!のお姿です。

昔は、これが普通だったのです。
これが普通の日本人だったのです。

とっても厳しいけれど、一本筋がピンと通っている。
それが日本人だったのです。

現代日本人と比べてみてください。
あまりにも違う。

戦前の日本社会というと、戦後の印象操作で、どうしても現代人の目からみると「面倒くさくて、やっかいで、厳しすぎる社会」というイメージがあるかもしれません。

なるほどいまは自由です。
しかし、自由といいながら怠惰に流され、個人が規律を失えば全体が住みにくい世の中になる。
そうやって私たち現代日本人は、規律や規範よりも個人の自由を求め、結果として住みにくい世の中を作っているのかもしれません。

学校でどうしようもなく手に負えない不良高校生が、卒業後、ふとしたきっかけて自衛隊にはいり、3か月後に先生方が自衛隊に見学に来ると、あのどうしようもなかった不良が、実に凛々しい好青年に変わっている姿に、我が目を疑うほど、びっくりされます。

人は、規律や規範があることで成長する。
日本神話に出てくるスサノオノミコトは、神々から海を任せられるのに、怠惰で暴れん坊でどうしようもない男の子だった。
そのスサノオが大暴れして、姉のアマテラスに厳罰を与えられ、下界に追放されます。
そこで彼はヤマタノオロチを退治して、村人たちを救い、クシナダ姫(櫛名田姫)を妻にめとったと伝えられます。
クシナダは、櫛名田、すなわち、クシのようにきれいに整った田んぼです。
暴れん坊のスサノオは、立派に成長して生涯かけて美しい田畑を守る神となった。
彼は「成長」したのです。

戦後の私たち日本人は、経済的には大きな繁栄を手に入れたけれど、人間的には戦前の日本人よりもはるかに退行してしまったのかもしれません。

しかし人は成長することができる。
私たちは、神話に登場する神々の直系の子孫なのです。

みんなで成長しようじゃありませんか。
そうして立派な日本を取り戻そうじゃありませんか。

 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

The last true SAMURAI - Japanese Spirit


日本の心を伝える会 日心会
コメント
No title
 劉暁波氏のノーベル平和賞を機会に、世界中で中国を批判する動きが一斉に出て来た。ドイツではメルケル首相がオバマを支えるように<劉氏が授賞式に自ら出向ける事を中国政府に要請する>という声明を出した。

 今日は<劉氏の奥さんの姿が消えた。そして家宅捜索。>と中国政府を大犯罪人のように扱うニュースが出た。
 
 そして、ベンツで有名な大手自動車会社のダイムラークライスラーも<中国から撤退>というニュースが入ってきた。
 
 どうやら世界は日本無しで始め出したようだ。

 菅さんのノーベル平和賞に対するコメントが悪いのなら、いっそのこと立ち上がれ日本という、日本の正当な一政党として、世界に<劉さんノーベル平和賞おめでとう。民主主義運動を支持します。>とか新聞社なり、世界の政府にコメントをを送るなりしたらどうだろうか。アジアでも西側諸国も、日本の中から何か出てくるのをきっと待っていると思うのだが。きっと喜んでくれるはずだ。

 
2010/10/12(火) 07:00 | URL | 民主主義万歳 ドイツ版 #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/10/12(火) 11:27 | | #[ 編集]
「常設型住民投票条例」
「常設型住民投票条例」は着々と。
形を変えた外国人参政権を許す法案が地方議会で次々と可決されている。

神奈川県川崎市、愛知県高浜市、埼玉県美里町、広島県広島市、岡山県哲西町、茨城県総和町、香川県三野町、石川県宝達志水市、千葉県我孫子市、広島県大竹市、 埼玉県鳩山町、北海道増毛町、北海道静内町、北海道三石町、三重県名張市、東京都三鷹市など
で成立している。
2010/10/12(火) 11:34 | URL | 国民 #rNQp2kwU[ 編集]
立ち上がれ何度でも 羊が獅子になるまで
今日の小野田さんの記事(生き様)を読んで、子供の時に読んだロビン・フッドの冒険の本が懐かしく思い出され、「ロビン・フッド」でググってみたら、同題名が2010年のカンヌ国際映画祭のオープニング上映作品になっており、またこの冬、日本での上映が決まっていました。

『ロビン・フッド』公式サイト 12/10(金)全国ロードショー
http://robinhood-movie.jp/
この予告編の中にあった以下の言葉こそ、今の日本人にとってもっとも必要なものだと感じます。

  立ち上がれ何度でも 羊が獅子になるまで 

2010/10/12(火) 11:37 | URL | Candy #.rvdWgho[ 編集]
小野田さん
 昨年小野田さんの「最後の講演」を九段会館で拝聴しました。臨席した国会議員は西村慎吾氏ただ独りであったと記憶しています。遠方からの参加だったので、後の食事会に参加させて頂く栄に預かり、貴重なお話を伺いました。
 旧帝国軍人のお話を伺うと、畑で出会ったアゲハチョウを思い出します。人参の葉に着くアゲハの幼虫を引きはがしていた時、親のアゲハチョウが私に幾度もぶつかってきたのです。かなうはずもないのに命がけで子供を守ろうとする親の思いに、涙が出ました。思えば戦前戦中は日本にはこのアゲハのような日本人がたくさんおられ、そして散華されて行きました。
 私たちの今は、無数の先人達の屍の上にあると言うことを忘れてはいけません。私も後に続く者達の踏み石になれればと思います。 
2010/10/12(火) 12:06 | URL | きくりん #.hdhzgyY[ 編集]
アマテラスは男神
ねずきち様いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
ただ1つ承伏できないのは、天照大神(アマテル)は女神ではなく男神だと言うことです。
日本の神話は『古事記』『日本書紀』をもとに共通認識となっていますが、漢字は外来語です。このブログでも、支那大陸の怪しさは何度も書かれていますが、遙か1500年以上前から怪しい国柄だったと想像できますでしょうか。遙か古代の日本にも、保守派と革新派の壮絶な政権争いがあったと想像できないでしょうか。
何度かコメントさせていただいておりますが、日本固有の文字で書かれたヲシテ文献『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』が1966年に発見されて以来、在野の方々による研究によって、日本の本当の歴史が明らかにされつつあります。
故松本善之助氏が生涯を『ホツマツタヱ』の解明に尽くし、その遺志を継いで池田満氏が研究を進めています。

その『ホツマツタヱ』では記紀では解らなかったことが沢山明らかになってきています。
スサノオについてもホツマ辞典(池田満著)から解説してみましょう。

ソサノヲの兄弟は、長男アマテル(ワカヒト)、長女ワカヒメ、次男ツキヨミ(モチキネ)、そして三男のソサノヲ(ハナキネ)の都合三男一女であった。父は七代アマカミのイサナギ、母はイサナミである。多忙なイサナギの子として生まれたソサノヲは淋しい幼年時代を過ごしたと思われる。そして、あまりに優れた兄アマテルの存在があったため、ソサノヲは精神的に打ち拉がれつつ育ったと推測される。
 
 紀伊半島南部を古い地名ではソサといって、そこで生まれたのでソサノヲと命名されたと記されている。

 ソサノヲは、クマノに生まれ、生誕地は三重県熊野市の産田神社であろうかと考えられる。ソサノヲ若年の時に母イサナミは亡くなっていまい、姉ワカヒメに育てられた。成人してからは、兄アマテルの許に仕えることになる。が優秀すぎる兄のもとでは、ソサノヲの心の負担はさらに大きくなりすぎ、横道へ迷い込んでゆくことになる。そもそも、ソサノヲは、父イサナギからネノクニ(新潟県から福井県辺り)に行けといわれていた。当時のネノクニの統治は乱れていて、イサナギの考えは当然といえる。イサナギはネノクニの出身でもあった。
 
しかし、ソサノヲの幼年時代からの悪童ぶり知っているアマテルカミは、それなりの位をソサノヲに与えるのをためらった。しかし、ソサノヲは父の教えの通りにネとサホコ(後の出雲)へと行くことになる。サホコでは、うまくソサノヲがその居場所を確保できそうになるが、アマテルカミの了解を得ぬままに事を運びすぎたため、嫁取りの話しも破談になってしまった。

 短兵急に怒ったソサノヲは、アマテルカミに恨みを抱いてしまう。折から、アマテルカミの妃の一人、モチコは自分の子が長男なのに嗣子になれないことに深い恨みを抱いていた。モチコがソサノヲと心を通じるということに、まさに千載一遇の機会が一致してしまった。さらに、モチコの妹ハヤコ(ハヤコもアマテルカミの妃の一人)は、ソサノヲに強い恋心を抱く。
 
 ここに奇妙な五角関係が発生してしまったアマテルカミと正妃ムカツヒメ、そして長男を産んだモチコ、その妹のハヤコとソサノヲ。このややこしい五角関係の解決には、妃のひとりハナコの死去と、イワムロ隠れの事件、そして国中を揺るがす大動乱のハタレの乱の惹起と平定に至る長いプロセスを待たねばならなかった。


 即ち、モチコとハヤコの姉妹は宇佐に遠島となり、さらにモチコ、ハヤコはそこも出奔してサホコに行き来たる。一方、ソサノヲは、アマテルカミを恨みいよいよ悪業の限りを尽くすうち、アマテルカミの妃のひとりのハナコを事故死させてしまう。ここに恐れたアマテルカミはイワムロに身を隠す。大騒ぎの様子を知った諸臣たちは会議を行って、ソサノヲを断罪した。結論は死刑。しかし、正妃ムカツヒメからの言葉によって、罰一等を減せられて、追放処分となった。髪も抜かれ爪も抜かれたソサノヲはサホコへと流浪していった。

モチコ・ハヤコはその後ソサノヲの婚約が成ると、その娘を次々と殺し続けて8人までも血祭りに上げていた。サホコに来たソサノヲも、さすがに、何とかせねばと腹を決めた。そして、残る嫁候補イナダヒメのため、ハヤコを斬る。これが、後のヤマタノオロチ(八俣大蛇)の話しの内実であった。

 ソサノヲはクシイナダヒメと夫婦になって、やがてサホコを治める。その宮は現在の出雲大社、延喜式では杵築大社と記されている。ソサノヲは許されてイツモ(サホコ)のクニカミに任じられる。


『ホツマツタヱ』発見以前にも梅沢伊勢三氏が『記紀批判』で古事記と日本書紀の比較を行っているが、『定本ホツマツタヱ』池田満著で三書比較を行い、ホツマツタヱが記紀の原書であることを証明している。

漢字導入によって、意図的に古代日本の姿を封殺し、大陸から文明は伝わってきたと信じ込ませることに成功してから1500年以上がたっている。

古代の歴史から見直すべき必要があるのではないでしょうか。
2010/10/12(火) 12:27 | URL | 小祝 #gHke2YW6[ 編集]
涙が止まりません。小野田さんのことはテレビで知っていました。
テレビで芸人が小野田さん捜索をギャグにして、子供だった自分はそれを見て大笑いしていたのです。
一緒にテレビを見ていた両親にたしなめられたのをうっすら覚えています。
「小野田さんはね、」と話し始める両親に笑いのセンスの無い、めんどくさい人達だなと馬の耳に〜状態でした。
今、目の前に当時の自分がいたらパコンと一発くれてやりたい気持ちです。

自分の子供にはこちらのブログを読み聞かせしたいと思います。
2010/10/12(火) 13:11 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
強力な特亜害獣駆除剤なら「特亜バルサン」
「特亜バルサン」は特亜の害獣である、支那畜、朝鮮棒子、民主売国党など反日分子の駆除に最適です。
特亜の害獣の中でも支那畜は最も凶暴で毒性と繁殖力が強いので、「支那畜1匹見つけたら100匹いると思え」といわれています。油断をしていると、支那畜は日本列島の隅々までに生息するので、定期的に駆除する必要があります。
支那畜の常識無視の不潔な生態は、見るだけで不快であり、健康を害したり被害にあう日本人は年々増加しています。
支那畜を駆除するには、支那畜の巣をまるごと退治法が効果的です。
汚物に湧く支那畜の習性を利用して罠を仕掛けます。
支那畜たちが大好きな銭の臭いと音でおびき寄せ、くん煙剤で一気に駆除消去します。有効成分に特亜害獣が嫌う「ヤスクニ酸π・ヒノマル」を配合しているので、かくれた支那畜もごっそり駆除できます。
臭いのないくん煙ですので、環境にもやさしい「特亜バルサン」です。
支那畜は共食い、雑食性で、結核菌や大腸菌など、たくさんの病原菌を保有していますので、撃退の際には十分ご注意ください。
「特亜バルサン」は、あつかましい露助やシー・シェパードら反日にもよく効きます。
「特亜退治マニュアル」をよくお読みの上ご使用ください。
2010/10/12(火) 15:23 | URL | 特亜害獣撲滅化学工業 #-[ 編集]
支那畜を秒殺ノックアウト「チャンコロリ」
強力な噴射ノズルなので、不潔な支那畜に近付かずに狙え、ポイント駆除に最適です。
有効成分に特亜害獣が嫌う「ヤスクニ酸π・キミガヨ」を配合し、すばやく動きまわる支那畜を即効的にコロリと駆除します。
女性の夜間の独り歩きにも強い味方です。
「チャンコロリ」は、凶悪な支那畜だけでなく、朝鮮棒子のレイプ魔も一気に駆除します。
日本の治安維持のために、「特亜バルサン」と「チャンコロリ」のケース買いをして、定期的な駆除をお勧めします。
2010/10/12(火) 15:42 | URL | 特亜害獣撲滅化学工業 #-[ 編集]
Go for broke!
 東条英機首相の手紙「日系2世は祖国アメリカに忠誠を尽くせ」。 これぞ、日本精神です。
転送します。  

田母神前空幕長と恵隆之介氏の「沖縄」に関する対談が掲載されている「歴史通」の11月号に「422日系人部隊」の奮闘に関する特集がありました。
アメリカ生まれの日系人が「祖國アメリカ」に認められる為にどのように 奮闘されたかを「映画の公開を前にしての解説を含んだ記事」等が中心でしたが、
「日系人は祖國アメリカに尽くせ」と題して開戦時日本語学校の生徒であった藤内稔氏が「東条英機総理が日本語学校の生徒に当てた手紙」を紹介するものがありました。
〈『日系二世は、アメリカ人である。だから、あくまでも自国に忠誠を尽くして当然である』との主旨であったそうで、「当時の日系人社会では、日米両国のいずれに忠誠心を尽くすべきかということが大問題だった」
ことに対して大きな指針を与え、誇りを持って軍に志願させる切っ掛けとなり、戦後の日系人の地位向上に大いに貢献することになる画期的なものと思いました。
「日本人の血を受けた君らは日本のために米国を苦しめる働きをせよ」と言うような手紙であったなら、多くの日系人は二つの祖國の間で苦悩したでしょうが、
「武人として祖國に忠誠を誓うのが道である」と説き、日本人の矜持を世に示させた意義は大きいものと思います。
ルーズベルト大統領の死去に際して哀悼の電報を打った鈴木貫太郎首相の精神に勝るとも劣らない手紙を書いた東条英機総理がヒトラーやムッソリーニと共に極悪非道な人として戦勝国から非難され、
一部同胞からは占領軍の裁判の結果を利用されて「A級戦犯」という名のもとに死して後も辱めを受けるのは残念でなりません。
 現在中共から日本に帰化した者に向かって「貴殿は日本に帰化したのだから、日本の為に尽くしなさい」と胡錦涛や温家宝言うであろうか?
古い地図を買い占めさせ「自分たちもかつては尖閣が日本領であることを認めていた事実を隠蔽させる」ことを企む奴らに東条英機総理の爪の垢を煎じて飲ませたい思いである。
2010/10/12(火) 17:32 | URL | 愛国一途貫け征夷 #-[ 編集]
No title
オバマやアル・ゴアがノーベル平和賞を受賞した時は
散々批判しまくったネトウヨ達が
今回の劉暁波の受賞だけ喜ぶのは何故?
劉暁波のような平和主義者は
ねずきちのような軍国主義者は大嫌いですよ。
2010/10/12(火) 19:29 | URL | 反ネトウヨ #Hyf0ngDc[ 編集]
反ネトウヨへ
嫌いなら来るな!w
2010/10/12(火) 19:43 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
シナ人掃討作戦−行動する社会運動
 支那人の侵略、政府の怠慢、商人の売国を我々は粉砕する!

10月17日、秋葉原に集結しよう!

★日時 平成22年10月17日(日曜日)集合開始14時30分

★集合場所 秋葉原公園(千代田区神田佐久間町1−18)
JR秋葉原駅 昭和通り口出てすぐ右側

★デモコース
14時30分 集合開始
15時 諸注意など
15時15分 デモ隊出発
秋葉原の中央通を行進
15時40分頃 秋葉原公園にて解散

★共闘団体
新攘夷運動 排害社
主権回復を目指す会
在日特権を許さない市民の会東京支部
政経調査会
日本を護る市民の会
千風の会
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』
NPO外国人犯罪追放運動
日本の自存自衛を取り戻す会

★問い合わせ
西村(090−2756−8794)
排害社事務局 haigai@excite.co.jp

★雨天決行。日章旗、旭日旗、主旨にそったプラカード持参大歓迎。当日は撮影が入りますので、顔を写されたくない方はサングラスなどをご持参ください。
2010/10/12(火) 20:37 | URL | ウルトラフーリガンス #-[ 編集]
No title
我が国の自称・平和主義者の方々は、何をコソコソ隠れてらっしゃるの?

劉さん、ノーベル平和賞受賞おめでとう!
2010/10/12(火) 22:55 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
No title
日本が独立国家に戻れるのであればなんでも利用しろ。
たとえチャイナが民主化してもチャイニーズはチャイニーズなのはわかってる。
65年間の呪縛は奇麗ごとだけでは逃れられない。
2010/10/13(水) 00:46 | URL | jp #-[ 編集]
ジャーナリストらが中国船長を公務執行妨害で告発 尖閣衝突事件
「ジャーナリストらが中国船長を公務執行妨害で告発 尖閣衝突事件」

産経新聞10月12日(火)

沖縄・尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件で、ジャーナリストの山際澄夫氏ら5人が12日、●(せん)其雄(きゆう)船長について、公務執行妨害の罪で最高検に告発状を提出した。

 同事件では、同容疑で逮捕、送検された船長について那覇地検が先月、処分保留で釈放した。山際氏らは「漁船を2度も巡視船に体当たりさせるなど犯情は極めて悪質」と指摘した上で、「これを放置すれば、二度と中国漁船の逮捕も勾留(こうりゅう)もできなくなる恐れが強い。最高検には政治判断ではなく、法と証拠に基づいて厳正に処分してほしい」としている。
2010/10/13(水) 01:24 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
反ネトウヨ
>オバマやアル・ゴアがノーベル平和賞を受賞した時は
>散々批判しまくったネトウヨ達が
>今回の劉暁波の受賞だけ喜ぶのは何故?
>劉暁波のような平和主義者は
>ねずきちのような軍国主義者は大嫌いですよ。

 「ノーベル賞を受賞すること」じゃなく、「受賞理由」や「受賞した人物」を批評の対象として反応が分かれているってことぐらい理解しろよ。

 馬鹿すぎるだろコイツ。

 まあ日本人では考え付かない程の馬鹿な屁理屈をこねる反ネトウヨは在チョン(中国人でななく)だと思うが、毎回知能の低さを自ら露呈する劣等民族は、偉大な日本国から出て行けよ。

いいか、これは命令だ、今すぐ出て行くんだぞ。
2010/10/13(水) 01:32 | URL | Don #-[ 編集]
No title
反ネトウヨさん、冗談じゃやりませんよ。
左翼(日本の場合左翼でもないただの売国奴)こそ
アメリカや西欧諸国に対する反対行動や声明をだしても
中国や南北朝鮮の日本国と日本国民に対する非道な行動には何も非難する行動や声明を一切出さないじゃないですか。

判りやすいよねぇ。いかに日本国内の左翼と言われる人達が中国や南北朝鮮に媚びてばかりなのかがね。

覚醒した日本国民を右翼呼ばわりするのは止めていただきましょうかね、反ネトウヨ名の売国奴さん。!(怒)
2010/10/13(水) 15:02 | URL | やっぱり #-[ 編集]
朝コメントした者です。
美術の宿題をしている子供に読み聞かせしました。
目の前で神妙な顔をしています。
2010/10/13(水) 23:49 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
日本人の誇りと勇気
最近ねずきちさんのページを知り、現在一生懸命読破中です。

今回の小野田さんの話で、帰国の詳細を知って涙が止まりませんでした。

これからも素敵なお話を続けてください。
2010/10/14(木) 17:22 | URL | とーます #yxBLcR7c[ 編集]
No title
アムネスティでは今回のノーベル平和賞を特集していますね。

劉暁波さんにお祝いと励ましのメッセージを送りましょう!http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=2575&frmtp=1#message
2010/10/14(木) 22:55 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
ふと思ったこと
初めて書き込みます。
記事をいろいろと読んでみて思ったのですが、いま日本で起きていることは資本主義と共産主義の情報戦争で、簡単にいうと米国と中国が争っているんじゃないかと。目に見える社会では中国の台頭が軍事的脅威になると言われていますが、その前哨戦は日本の中でずっとおこなわれていて、今になってその影響が目に見えるようになってきた。

米国による戦後教育で支配された日本国民は、経済の発展に目を奪われて安穏と日常生活を送るうちに日本人として大事にしていたものを忘れてしまった。
昨今の世界情勢や政治情勢をみて日本が亡国になると警鐘を鳴らしていますが、それは領土などの目に見える物質的なものであって、精神的には戦後教育によって亡国になりつつある。武力による戦争は終わったけど、戦争はまだ続いているということです。

ねずきちさんをはじめとする保守の復活を望むひとたちは、そのことに気がついていて、それを伝えようとしているんじゃないでしょうか。そうやって考えると、すべてのつじつまが合うように思います。
日本の中で日本国民を置き去りにした情報戦争、洗脳戦争がおこなわれている。それを食い止めるには、日本人があるべき姿に戻る必要がある。正しい教育を取り戻すことこそが日本の復活につながると。
2010/10/15(金) 02:37 | URL | 名無し #Jrd7vdWA[ 編集]
ひとりでも闘う、か・・
本来我が国の国民に備わっている「節を曲げない、折れない心」を、早く思い出さないといけませんね。
2010/10/15(金) 21:57 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
No title
たとえ、独りになっても闘う、そう心に決めました。
2010/10/16(土) 09:25 | URL | イシコウ #-[ 編集]
ブログランキングですがサーバーつながりませんね。
私のほうに問題があるんでしょうか?
2010/10/16(土) 20:12 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
おススメ記事
〜是非ご一読を〜
日心会メールマガジン
≪おススメ記事≫
世界に誇る縄文文化
航空戦艦伊勢と日向の物語
赤トンボの戦い
緑の連隊長
小麦のお話
大豆と満洲のお話
セントルイスブルース
あんぱん誕生
幸せの黄色い道
通州事件2
奉天駅前事件
真岡郵便電信局事件と九人の乙女たち
インパール作戦とパル判事
真の近現代史観
なりあき少年物語
インドのジャンヌ・ダルク
大国主は日本最初のイジメ被害者だった

≪元気の出る人物伝≫
ヤマハさんと河合さん
なにくそ! 早川徳次
社員は家族だ 出光佐三
死なない男・鈴木貫太郎
昭和の巌流島決戦 国井善弥
岩崎弥太郎と竜馬伝
稲むらの火 浜口儀兵衛
楠木正成と七生報国
大山巌 西郷の再来といわれた男
明治の貴婦人 大山捨松
津田梅子
クーデンホーフ光子
武士の娘
緒方貞子
愛する人とともに 山本権兵衛
昭和恐慌と高橋財政
ご皇室からお嫁に 嵯峨浩
東大総長を三度勤めた山川健次郎
金原明善 明治の気骨
和井内貞行 十和田湖のヒメマス
ダショー西岡の貢献
鳴門の第九 松江豊寿大佐
警神・増田敬太郎巡査
沖縄の舞天さん
日本の建築美
友情が生んだ隠岐連絡船
岡藤五郎先生
スエズ運河を造った男たち
チャンドラ・ボーズ
世のために生きる 田島道治
自転車で転んで農機具発明 佐藤忠次郎
二千人の命を守った警部 廣枝音右衛門
日本こそアジアの盟主 山鹿素行
実在した怪傑ハリマオー
日本を救った古代の英雄 大伴部博麻
西郷頼母と姿三四郎
会津藩の二人の女性 中野竹子と瓜生岩子
古くて新しい中江藤樹郎
身を投げ出して乗客の命を救った車掌 鬼塚道雄
新手一生 升田幸三
男の生きざま 山下太郎
老農と呼ばれた男 石川理紀之助
宮古湾海戦と甲賀源吾
不自惜身命 小原竹五郎と江崎邦助
白虎隊と歴史への姿勢
滅んでも勝つ 山川大蔵
良心を生きた人生 新島襄
天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ 長瀬富郎
ライト兄弟より早く飛行機を飛ばした日本人 二宮忠八
一死をもって責任を貫く 石黒小右衛門
滅んでも勝つ 山川大蔵
へりで救出された1200頭の牛の物語
38年間無報酬で働いた村長 鎌田三之助
石門心学と石田梅岩
竹カゴとカーボンナノチューブ 飯島澄男博士
乾電池の挑戦、屋井先蔵
なりあき少年物語
光秀と天海僧正
岩崎弥太郎と竜馬伝
世界に先駆けた外科手術 佐藤泰然
タイの近代法の父 政尾藤吉
インドネシアとともに 三浦襄
名越二荒之助先生
千葉惣左エ門と伊達藩の名裁き
もうひとつの赤穂浪士 矢頭右衛門七
幸せの黄色い道 三宅精一
戦うということ 松本英子と田中正造
雷電爲右エ門と浦風親方造
私心を捨てて 野中兼山
世界最長484日の漂流 督乗丸と小栗重吉
坂田三吉と関根金次郎
身を犠牲にしてレントゲン撮影に革命をもたらした林信雄医学博士
生涯の夢を乗せて 白瀬矗
大村藩の新精隊 渡辺清
悲しみの山河を越えて 石井筆子
万次郎上陸
名を残す 片平観平
あんぱん誕生
だけれども僕はやる 中田厚仁
義に生きる 山田方谷
日本初の小学校女性教師 黒沢登幾
アドレナリン 高峰譲吉
猿とみなされながら世界一の大数学者に 高木貞治
命に代えて 福井文右衛門

≪日本の心≫
大和心とポーランド孤児
たおやかに やまとなでしこ 咲きにけり
トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件
キャプテン翼大作戦
チリひとつなかった江戸日本
ギリシャ神話と日本の心
ニホンミツバチの勇気ある行動
いくつかの主張
公のために働いた武士
「日の丸」
国旗の由来と掲揚
「君が代」
「靖国」
「教育勅語(1)」
「教育勅語(2)」
「軍人勅諭」
「八紘一宇」
八紘一宇の塔
「蛍の光 仰げば尊し」
海軍兵学校「五省」
日本人の誇り
ご皇室は日本の宝
幼年時代の昭和天皇
戸籍について考える
人間を矮小化してはならない
飴を買う幽霊
シコロの木
戦艦三笠を守れ
リンゴの心
日本美の再発見・ブルーノ・タウト
見沼通船堀
ウズベキスタンの日本人
世界に誇る日本の交番
イザベラ・バードの日中韓紀行
弁慶の勧進帳
子守りをする少女 エドワードモース
悪代官のお話
有森裕子選手と日本武道
静御前の舞
大理の日本四僧塔
ウガンダの高校生を変えた日本の躾
救出された1200頭の牛
海上自衛隊・海賊船対処
日本の水を守ろう
赤穂浪士の真実
日本は一国一文化
日本刀と鉄砲伝来
貧農史観というウソ
特攻と日本武士道・・・笹森順造
元航空自衛隊宇都隆史参議院議員の演説
靴磨きの少年
赤穂浪士と山鹿流
江戸からくり人形と雇用のお話
小石川養生所
桃太郎とイザナギ、イザナミ
大国主は日本最初のイジメ被害者だった
中越沖地震で分かった日本人の美徳
美意識と日本的価値観 加瀬英明先生

≪帝国軍人≫
ランボーは日本人だった!舩坂弘軍曹
緑の連隊長 吉松喜三大佐
義烈空挺隊を忘れるな 奥山道郎
海戦史を塗り替えた男・吉川潔
軍神・広瀬武夫中佐
言葉の重み 大西瀧治郎中将
佐久間勉艦長
陸軍大将今村均
本当の日中友好 吉田保男憲兵曹長
敵さえも味方にしてしまった草鹿任一海軍中将
442部隊に学ぶ
小灘利春元海軍大尉の遺稿
渡邊美光上等飛行兵曹の遺稿
重き荷を背負いて 玉井浅一
六十年の時を経て届いた手紙 長田和美中尉
勝利の要諦は至誠と愛情と情熱 藤原岩市陸軍中佐
不屈の精神とユーモア 高崎弥生さん
名将、山口多聞
単騎シベリア横断 福島安正
人情と情けの人 小園安名大佐
戦時下のノーヒトノーラン 石丸進一
愛のかたち 快心隊隊長藤井一少佐
歴史から学ぶべきこと 広瀬武夫中佐
人情と情けの人 小園安名大佐
プロ野球の特攻隊員 石丸進一
水雷屋気質 佐藤康夫中将
ひとりでも闘う 小野田寛郎
桜花と野中五郎大佐
最後の特攻 中津留達雄大尉
大空の武士 檜貝嚢治
沖縄戦で米軍を苦しめた参謀 八原博通大佐
バックナー中将と石原正一郎大尉
慶良間の空に散る…伊舎堂用久大尉
命をかけて守る 荒井退造
会ひたい無性に 穴沢利夫大尉

≪大東亜戦争≫
ちいさくても強いサムライ
硫黄島の星条旗と日章旗
硫黄島の日章旗
花嫁人形
開戦の詔勅と終戦の詔勅
大東亜戦争に勝利した日本
日本に手を出した国は、必ず滅びる
大義のために戦った日本
12月8日を記憶せよ
大東亜戦争に関する各国の評価
日本の再生こそ世界を救ふ
公正な世界を目指して戦った日本
日本兵の手紙
玉砕までして戦った理由
英霊たちが守ろうとしたかけがえのないもの
ハーグ陸戦条約
植民地支配への戦い
腰の軍刀は竹光か
バシ―海峡の慰霊
戦没者の遺書
インパール作戦とパル判事
五族協和を目指した満洲国
南京の攻防
体験的歴史の真実
B−29との戦い
サンフランシスコ条約と日本
伊58潜水艦と原爆のお話
駆逐艦「雪風」の幸運
ケネディと駆逐艦「天霧」
終戦記念日における政府談話、日心会草案
広島市平和記念式典で読まれない もう一つの平和宣言
白梅の少女たち
特攻とテロリズム
三ヶ根山殉国七士廟
真の近現代史観
塹壕で母は生まれた
勝てた戦争
特攻隊員の思い
橋の上のホラティウス
張作霖と満州のお話
インパール作戦とパル判事
インパール作戦 続き

≪戦記≫
パラオ・ペリュリュー島の戦い
エクゼターとエンカウンター
義和団事件とコロネル・シバ
アロハ・オエ
アッツ島の戦い
グアム島の戦い
タラワ・マキンの戦い
拉孟の戦い
騰越の戦い
占守島の戦い(1)
占守島の戦い(2)
回天の志
回天・後日談
マレー沖海戦と戦艦大和
勇敢で高潔で誰からも好かれた日本軍人
三宮事件
日清戦争
日露戦争 亡くなられた方の気持ち
日露戦争の勝利はアジアの偉大な救い
日本軍の蛮行 デビンティンギ事件
戦争の体験談
第二次上海事変
石頭予備士官候補生の戦い
沖縄の二人の知事 泉守紀と島田叡
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
サイパンの玉砕戦(1)
サイパンの玉砕戦(2)
アンガウルの戦い
キスカ島撤退作戦
赤トンボの戦い
通州事件1
通州事件2
尼港事件
斉南事件
奉天駅前事件
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷
真岡郵便電信局事件と九人の乙女たち
ノモンハン事件
盧溝橋事件
リットン調査団
重慶空爆
満洲国開拓団の殉難
沖縄の集団自殺の虚構
小野田寛郎さんが語る従軍慰安婦
南京大虐殺というデタラメ
慶長の爆弾三烈士
北条時宗と元寇
大津事件
天狗党の乱
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
刀伊の入寇と竹島
旅順要塞陥落
航空戦艦伊勢と日向の物語
久松五勇士

≪台湾≫
台湾2・28事件
日本の台湾統治
日本の台湾統治の真実
台湾・高砂義勇隊
日本人はとても素敵だった
カナダからの手紙
元日本人の歩んだ道〜蔡焜燦

≪支那≫
支那人の残虐性
支那人の“避諱”観念と虚言
支那「日本支配工作要領」
相手が弱いとみるやつけこむ民族
支那に支配された国の実情
「日本は唯一の被爆国」に隠された嘘
支那の盗掘
カネを吸い取られ続ける日本企業
ロシアも怒る支那のパクリ
支那・文化大革命の恐怖
女真族と満洲の話
いまなお続く法輪功弾圧
停車場
カナダの悲劇 中国移民に占拠されたバンクーバー
支那人による日本買占めの恐怖
支那・国防動員法
支那の粉ミルク
恐怖の外国人永住者
華僑と植民地統治について
支那の中国漁船問題に思う
清き国、日本
中国人の語る中華思想

≪朝鮮半島≫
韓国建国の英雄
韓国保守派の嘆きと憤慨
誇り高く生きる 洪思翊中将
李氏朝鮮の時代(1)
李氏朝鮮の時代(2)
閔妃殺害事件
李氏朝鮮時代の刑罰
在日朝鮮人
関東大震災の記憶
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな
「警戒」を「差別」とすり替える在日朝鮮人
従軍慰安婦問題
在日コリアンたちの本音
犯罪をしたら日本人になりすませ
民団の驚くべき活動
ダライラマの法話で見た韓国人の民度の低さ
下半身裸で水死する脱北女性たち

≪その他の国≫
アンコール遺跡とカンボジア
ビルマの近代史
アフガンの地雷
二つのアメリカ
ハバロフスク事件顛末(1)
ハバロフスク事件顛末(2)
ハバロフスク事件顛末(3)
シベリアのトイレ
ウクライナ物語
地上の楽園のウソ
インカ帝国の滅亡
マサダ砦の戦いと尖閣問題
インドのジャンヌ・ダルク
セントルイスブルース
ガンデンポタン

≪憲法≫
日本国憲法という欺瞞
日本国憲法を否定せよ
Made in Occupied Japan

≪教育を考える≫
愛国心を育てよう
教育における「父性」ということ
ボーイスカウトと郷中教育
仁徳天皇陵を大仙陵と呼ぶまやかしを許すな
武徳教育のすすめ
これでもあなたは日教組に子どもをまかせられますか

≪メディア≫
やまと新聞を守れ
毎日新聞英語版のあまりにひどい報道
マスコミが反日になっている理由
反日キャスターを許すな!
反日主義者たちの陰謀

≪反日左翼≫
国鉄と鉄道公安官
夢の超特急「あじあ号」
弾丸列車と戦後左翼の利権
国連という名の欺瞞
白旗の少女
プラスの言葉
反日左翼工作員にみられる共通の特徴
野麦峠と戦後左翼の欺瞞

≪核≫
核のお話2
核のお話

≪時事≫
日本人が知らない資源のお話
750兆円の国家財源
最高の景気対策は国防にあり
地方行政とゴミ処理問題
小学生の妊娠
自国の防衛は自国で
日教組に立ち向かえ
外国人参政権
政治資金規正法
竹島問題の真実
夫婦別姓などもってのほか!
子供手当が在日外国人の母国に残した子供にも出る?!
奴らを許すな
「日本派」の政治家
中国産新型エイズの恐怖
口蹄疫問題に関する衆議院の質疑の模様
口蹄疫は韓国の陰謀という噂の真相を問え!
尼崎児童暴行事件
売国土下座外交のウラ
都民の100人に1人が中国人
あなたの隣に中国人が。それでもいいですか?
すべては私たちの選択にかかっている
支那人に買い占められる日本の水
尖閣問題と国益
尖閣問題と琉球共和国
尖閣領域の中国漁船問題に思う
いまと似ている通州事件前夜
口蹄疫はまだ終わっていない
子宮頸ガンとセクシュアルデビュー
在日支那人の取締りを強化せよ
神社が燃やされている
沖縄県平和祈念資料館の展示見直しを要請する

≪コラム≫
天壌無窮の神勅
天皇人間宣言という言葉のまやかし
持てる力のすべてを未来への建設に傾けて
帝国日本を語り継げ
保守は No War !!
動物農場
世界に誇る縄文文化
縄文人と渡来人の相克
世界四大文明の嘘
中国四千年の歴史という馬鹿げた妄想
魚沼産コシヒカリ物語
小麦のお話
小麦のお話2
大豆と満洲のお話
歴史に対する姿勢
伝書鳩物語
軍艦島のお話
新しいこの国のカタチのために
たった一度の敗戦で日本を失ってはならない
ブログの拡散効果
消えた歴史
日本の未来の枠組み
日本再生のために民度の向上を
元来日本社会は窮屈、でも窮屈ゆえに安心
「理論」と「心」と「都合」のお話
正しい万歳
近世のニッポン
伊勢神宮の式年遷宮
夏の怪談
文化は武器より強し
ヤプー人の伝説
犬種と人種
悪は断じて許さないという心が大切
大麻についての考察
ススキとセイタカアワダチソウの仁義なき戦い
秋の七草
階級闘争主義と信頼主義
日本の心をつたえる会
聖徳太子と十七条憲法
国連という名の欺瞞
石原莞爾「最終戦争論」を読んでの所感
石原莞爾「最終戦争論」
ある国の物語
マイセンのスープ皿
行間を読む
相貌認知
戦後世代は何をやってきたのか
人を大切にする経営
ラージャ・ダト・ノンチック元上院議員の言葉
歴史伝統文化に立脚しない革命は成就しない
語り、つたえよう!
求められる大改革
勁(つよ)くなる
日本を取り戻そう 鄭春河さんの遺稿
鄭春河先生の遺稿2「日本同朋へ」
亀井静香先生と面談してきました
日本の心をつたえる会について1
日本の心をつたえる会について2
カレンダー
01 | 2011/02 | 03
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 - - - - -
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

ねずきち

Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

このサイトで扱っている動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属してます。問題があればすぐ削除しますので、

nezu@nippon-kokoro.com

までメールでご連絡ください。

最新トラックバック
足跡
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
解析
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
私への中傷について
私個人の実名や過去の経歴をインターネット上で晒し、悪意あるコメントやら本文やらで聞くに堪えない中傷をくりかえしているサイトがあります。
この件につきましては、当ブログの2011年01月19日の記事で、ご回答しておりますのでご参照ください。 ↓ ↓ ↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1147.html
検索フォーム
ねずブロの中で検索したい事柄があった場合、↓の窓に語句を入力して「検索」ボタンを押すと、該当の記事が出ます。
最新コメント
尖閣諸島問題について
「世界日報社」の特集記事
http://www.worldtimes.co.jp/
尖閣諸島に関する1972年の外務省資料(PDF)
http://www.worldtimes.co.jp/special2/senkaku/senkaku.pdf
尖閣問題について

日本の心をつたえる会
日本の心を伝える会 日心会

登録無料!手続簡単!
設立 2009.9.6
2010.12.07時点
会員数 5,022名

携帯から日心会会員お申込みの方へ
携帯電話09

いつも当サイトにお越しいただき、ありがとうございます。
最近では携帯から等ブログにアクセスいただいている方も多く、日心会会員やメルマガ会員へのお申込みも携帯でされる方が多いようです。
ところが、せっかくお申込みをいただき、当会からお返事をさしあげても、携帯の迷惑メールフィルタによって当会からのメールが届かない、というケースが頻発しています。
お手数ですが、日心会入会申込の際、次の2つのドメインの受信が可能になるように、あらかじめご自身で携帯への設定をお願いします。
@nippon-kokoro.com
@freeml.com
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
http://blog-imgs-43.fc2.com/n/e/z/nezu621/20101005211203598.txt
やまと新聞を守れ!

やまと新聞は、戦後GHQの圧力に屈することなく、日本のジャーナリズムの正義を貫いた唯一の新聞です。
みんなの力でやまと新聞を応援しよう!!
やまと新聞社の公式HPは
 ↓コチラ↓
http://www.yamatopress.com/ 購読料は月500円です。
下の窓の中味をコピペすると、上のバナーをご自分のHPに貼ることができます。
やまと新聞の紹介記事はココをクリック
満洲国臨時政府
満洲国臨時政府
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
リンク
ブロとも一覧

■ ブログ名:ダメ人間のつぶやき

■ ブログ名:シスVSエイリアン

■ ブログ名:風歩の行方

■ ブログ名:湘南のJOHN LENNON  These are the Days

■ ブログ名:右っぽいねと言われた僕が思いのままに書くblog
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ



人気ブログランキングへ

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ


orengebanner
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
Yahooログール
amazon