成 太(しげもと・成ちゃん)
魚河岸人物伝・その1
築地の魚河岸との付き合いは、すべてこの人から始まる。
塩干屋(注1)の若旦那で、早稲田大学出身者の集い「魚河岸稲門会」のメンバー。宵越しの金は持たない江戸っ子で、きっぷが良くて優しくて、名は体を表してやや太めだけど、女にはメチャもてである。
だが、こんな言い方じゃ、とてもじゃないがこの人は紹介しきれない。
58年、日本航空にパイロット訓練生として入社し、東京に住み始めたとたんに魚河岸でこの人に出逢った。運命としか言いようがない。
初めて紹介された時の印象では、なにやら「とっちゃん坊や」のようで、話に聞く一心太助の雰囲気には程遠く、おまけに魚市場は生臭くって、中国生まれの俺にとっては、印象のいい場所じゃなかった。しかし、彼との別れ際のインパクトは強烈だった。
場内(注2)の停留所から新橋行きのバスは走り出していたので、焦った俺は挨拶もそこそこに、バスに向かって駈けだした。その時、俺の背中越しに、バスに向かって彼は大声で叫んだ。
「おぅ、乗るぞ!」
たまげたことにバスが止まったのだ。すかさず彼はまた叫んだ。
「俺じゃねっけどよぅ」
俺は腰が抜けるほど感動した。まるで気の利いた芝居でも見ているような気分だった。
バスに乗って、また驚いた。汚ねぇシートは鱗だらけ、床には鮪の頭がごろり、プロレスラーもどきの女車掌が、もたもたするなと、鉢巻のオッサンを怒鳴りつけている。
しかし、何てったって、バス停での彼のセリフと間(ま)の素晴らしさには参った。
お江戸にゃカッコイイ人も居るもんだと、すっかり感心してしまったのは、俺が田舎もんでカブレ易い性格だったせいかもしれない。
何だか面白い人が沢山いそうだから、会社はサボってもここには必ず来るぞと決めた。とにかく、暇さえあれば、いや暇が無くても彼と逢うために魚河岸に通い続けた。
俺の予想は見事に当たって、河岸の連中は、好きと嫌い、出来ると出来ない、いいと悪いがハッキリしていて、はなしが早いから、付き合っていて気分は最高だった。
人情に厚く、義理堅い。洒落っ気があて、ほどよくお助平。嘘が大嫌いだし、世の中にはこんな人達がいるのか、と驚くほどだったが、なかでも成ちゃんは抜群だった。
場内のメシ屋で、おかみが注文の魚を出す時、口癖のように、
「お客さん、これ脂乗ってますょ」
と、毎回自慢するもんだから、俺が喰ってる漬物を指差して彼が言った。
「ガンさん、やって下さい。これ脂乗ってますょ!」
不幸的是我還縦来喫過大脂鹹菜。(不幸にして俺は未だに脂の乗った漬物を食ったことがない)
ホノルルからフライトで、俺が夜の羽田空港(注3)に帰って来たら、会社の正面玄関に彼が車で待っている。
「これから銀座に飲みに行こうよ。ガンさんが家に帰るのには、銀座経由が近道だぜ」
と、誘ってくれるけど、銀座は羽田の北で、俺んちの横浜は逆の南なんだけど…。
毎回これじゃ体がもたないと考え、今回は私服が無いからと言って断ろうとすると、
「そんなコトもあろうかと思って、今日はジャケット持って来たよ」
と、先回りされる。万事がこの調子で、頼まれごとは全部引き受け、お礼を言う人には、『カエッテドウモ』とへりくだり、ときには朝まで遊び呆け、モダン・ジャズから色の道へと、彼に指南を受けなかったことはない。俺が借金をする時には、お袋さんの株券を無断で持ち出して、5年間も銀行の担保に入れてくれたことさえあった。
しかし、一番の教えは、「洒落の心」と「人への思い遣り」であった。どちらも、自分の方に心の余裕と強さが無ければ出来ないことであろう。
付き合う相手が「スグレモン」だと勉強にもなるが、こちとらも、相応に磨きを掛けなきゃならないと頑張るから、若い時にいい人に出会ったと、今でも感謝している。
後で述べるように、俺は日本航空で約9年間も冷や飯を食わされたけど、彼に始まった魚河岸の連中には、どれだけ心豊かに支えられてきたか、言い尽くせないものがある。
そんな成ちゃんも、今では脂も抜け大隠居の枯れた風格が漂っている。
注1)えんかんや=塩物と干物を扱う業者。
注2)市場のなかだだから、「じょうない」。外なら場外「じょうがい」
注3)60年代の日本の国際空港は羽田だけであった。