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きょうのコラム「時鐘」 2011年2月25日
明治30年代に米国に留学した鈴木大拙は、滞在2年目、チフスにかかって長期入院した。後に仏教思想家として名を残す人も、28歳の貧しい書生だった
所持金も身寄りも乏しい異郷の地で、時に死を覚悟した、と回想にある。大志を抱く身を襲った突然の悲運。ニュージーランドの地震被災者と似通うようであり、がれきの下で今も救助を待つ人々はもっと耐え難い苦痛と闘っているかもしれない 80歳を過ぎても大拙は米国に出向いた。名声は得たが、家族や多くの友を失っていた。そんな老大家の元に一人の留学生が会いに来た。茶道裏千家の千玄室さん。15代家元を継ぐ前の若宗匠だった 往時のことを、千さんに聞いた事がある。渡米の目的を問われて、茶道を広めるためとこたえたが、大拙は何も言わない。千さんは海軍特攻隊の生き残りだった。多くの死と向かい合った身の上について語り、「生き残った者には務めがあります」と結ぶと、大拙は初めて深くうなずいたという 生存者、犠牲者、いまだ消息不明の人々。一瞬で命運が分かれた非情を、日々思い知る。襟を正して生きることも教わる。 |