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[21253] 僕は妹に殺されたい。(異世界→現実)
Name: haru◆9665d3fe ID:cbc2f406
Date: 2010/08/29 13:57
現代似非ファンタジー/ラブコメ/

【登場人物/随時追加】
・妹 /上咲ヒカリ(前世:勇者)
・僕 /上咲マコト(前世:魔王)
・エリ/エリザベス・ザ・ダーククラフト(前世:魔女)

いつもお世話になっております。前作の完結の目処が立ったので、新作に手を付けました。
基本的に妹がボケて主人公が突っ込む、いつものパターンになります。
勇者とか魔王とか、剣とか魔法とかを描く練習をしたくて書き始めました。

一人称で剣とか魔法とかはすごく難しいと思うので、舞台を現代に移すことで得意分野との相殺を図っております。

本作も完結まで頑張りますので、よろしくお付き合い下さい。
感想、ご指摘、展開予想等含め、コメントお待ちしております。

【過去の傾向】
・宮森春姫の「八坂が恋に落ちるまで」/学園ラブコメ/完結済
・篠崎夏樹の「わたしが一億稼ぐまで」/ビジネスコメディ/完結済



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第一話【後半の展開に併せ若干の修正】
Name: haru◆9665d3fe ID:cbc2f406
Date: 2011/02/24 06:37
僕は妹に殺されたい。/第一話



 夏休みの教室――生徒会室で、僕は頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めていた。この部屋は校舎の中でも最も見晴らしが良い四階の角に位置しており、窓からは京都北区の景色が一望出来る。
 五山の送り火の時期なんかには、この景色を肴に教師陣がこっそりと酒盛りをしているとさえ噂されるその眺望だったが、生憎いま僕が見ているのはもう少し焦点を近くにずらした所――この三年間ですっかりと見慣れた我が校のグラウンドの上の、やや見慣れない光景に、ぼんやりと視線を投げていたのだ。

 サッカー部と、野球部。
 我が校の運動部の中でも最も実績を残しており、かつ規模も実力もほとんど拮抗しているこの二つの部活が、夏期休暇中のグラウンドの使用権を巡り若干険悪なムードになっているという話は昨日までに生徒会副会長の僕の耳にも届いてはいたが、それがよもや乱闘という形で爆発しようとは、流石に予想外だった。
 もっとも。
 その乱闘は、ものの数分で収束してしまって――否、収束「させられて」、眼下のグラウンドでは、サッカー部と野球部がつい先程まで一戦を交えていたとは思えないような見事な協力体制の下、散らかった器具や備品、荒れた土の整地を行っていた。

 彼らの目は、皆一様に虚ろ――かどうかは流石にここからでは確認出来ない。四階からグラウンドの彼らの目を読み取れる程、僕の視力は良くないからだ。
 けれども、彼らの表情を伺えるくらいに近くに寄って見れば、きっと全員示し合わせたように揃って虚ろな目をしているんだろうなぁ、と僕は思った。
 それこそ。
 今の僕と、そして生徒会室にいる二人の男子生徒と、同じ様に。

「……それでは」という澄んだ声に、僕は手元のレポート用紙に視線を戻した。「グラウンドの使用権についてはこの取り決めの通りに運用すること。もしも何らかの事情により変更が必要な場合には、互いの部長ではなくまずは私に申し出ること」

 良いですか?
 現在この部屋に居る四名中の紅一点、この乱闘騒ぎをたった一人で鎮圧してのけた我が校の生徒会長、にして、僕の双子の妹――上咲ヒカリのその言葉に、連行されてきたサッカー部と野球部の部長はそれぞれ神妙に頷いた。

「わかって頂けて何よりです。兄さん、誓約書を」

 こちらに差し出されたヒカリの掌に、僕は手元のレポート用紙を渡す。
 ありがとう、と言って彼女は微笑んだ。
 恐らく数分前に眼下で繰り広げられていたヒカリ無双なその光景を見ていなかったら、僕は彼女のその笑顔を「天使のような」とでも表現していたであろう、そんな表情だった。
 その笑みに眩しさよりも恐怖を覚えて、僕はそっとヒカリから目を逸らす。

「では、こちらの書面に同意頂けるようであれば、署名欄にサインと拇印をお願いします」

 ヒカリに言われるがまま、二人は誓約書にざっと目を通すと、それぞれ神妙な表情でペンを取り自分の名前を記入し、用意してあった朱肉に親指を押しつけて拇印を押した。

「ふむ」と満足そうに頷き、出来上がった誓約書を検分したヒカリは、それを僕に回した。

 僕はそれを受け取ると、席を立って備え付けのロッカーに向かい、背表紙に「誓約書」と太字で書かれたぱんぱんに膨らんだ(多分全校生徒が一人一回は何らかの形で書いているだろうから、トータル五百枚以上は綴じ込まれているはずだ)分厚いファイルを取り出して、一番上に今回の誓約書を綴じ込んだ。

「それでは二人とも、今後はこのようなトラブルを起こさないようにして下さいね? もしもまた、似たような事が起こった場合には――」

 と、彼女は含みを持たせるようにそこで言葉を切り、とある事情から僕が貸したシャープペンシルを横一線に振って見せた。
 僕の立ち位置からはヒカリの背中しか伺えないが、正面に座る部長二人がぶるり、と肩を震わせたところを見ると、彼女は余程迫力のある表情を見せているのだろう。
 外でカラスが鳴いて、バサバサと飛び立った気配がした。

「さて」と、ヒカリは二人の反応に満足げに頷く。「お二人とも、これからも部活動を頑張って下さい」

 ぱん、と彼女が掌を打ち合わせると、二人はふらふらとした足取りで――互いに肩を貸しあって生徒会室を後にした。
 まぁ、そりゃそうだろう。
 ヒカリの本気の怒りを前にして尚平然と立って歩ける人間が居たら、僕はその存在を人間ではなく化け物か何かにカテゴライズする。
 理由は簡単だ。

 時計の針を、ちょっとだけ戻そう。
 仲裁を求めて生徒会室に駆け込んできたサッカー部と野球部の女子マネージャーと共に僕らがグラウンドに着いた時には、既に二つの部活の小競り合いは始まってしまっていた。
 最初は素手で小突く程度のやり合いだったというそれは次第にヒートアップし、やがて野球部の三年生の一人が、バットを持ち出してしまった。
 こういう小競り合いに金属バットという凶器を持ち出せばどうなるか、そんなこともわからない程我が校の偏差値は低くはないはずだから、本人に取っては恐らくそれはただの威嚇行為だったのだろう。

 けれども。
 その行為が、誇張抜きの自殺行為に変わってしまった。
 男子生徒がバットを振りかぶったことを切っ掛けに、それまでは傍観していた上咲ヒカリが――僕の妹が、介入したのだ。

 それまで立っていたグラウンドの端から一足飛びにその男子の懐に入り込むと、右手に握るシャープペンシルを一閃。
 何の変哲もないそのプラスチック製の文房具で――野球部の男が振り回すバットを、叩き斬ってのけた。
 きぃぃぃん、と。
 やけに澄んだ金属音が響き渡り、一拍遅れて真っ二つになったバットが地面に落ちたのを見届けて、ヒカリは言った。

「……おや?」と、彼女は不思議そうに手の中で砕けたシャープペンシルを見る。「ペンは剣より強し、と聞いていたのですが」

 ……その格言はそういう物理的な意味じゃない、という僕の突っ込みは、果たして誰かの耳に届いたのだろうか。
 呆然と、グリップの部分だけになってしまった金属バット(とはもう呼べない代物)を握ったまま立ちすくむ男子をそのまま無視して――ヒカリは両部員の視線を一身に集めつつ、グラウンドを横断する。

「全く、バットはボールを打つために振るべきものです。決して人に向けて振り回して良いモノではありませんよ」

 とか言いながら彼女はサッカー部の生徒らの側へと歩み寄る。自分たちに加勢してくれると思ったのか、サッカー部の面々の表情が緩み、そしてその直後に自らの勘違いに気付き硬直した。ヒカリはどちらの味方もしなかったのだ。
 ヒカリはサッカー部の生徒らの間を素通りし、そしてその背後に座していたサッカーゴールのポスト部分に手を置くと「よいしょっ」と、そんな掛け声を一つ。僕は我が目を疑ったし、それはきっとグラウンド上にいた全生徒も同様だろう。
 サッカーゴール、である。
 ヒカリは片手でピッチの両サイドに陣取っているあの鉄の塊を片手で軽々と持ち上げると、それをぶんぶんと左右に切り払い、そして大上段に構え、

「――喧嘩両成敗」と、高らかに宣言した。

 僕の「ゴールは守るものであって、振り回すもんじゃないだろ……?」という突っ込みは、やっぱり誰にも届かなかっただろう。
 後はもう、阿鼻叫喚の地獄絵図。ヒカリ無双としか表現のし様がない光景が展開されたのだった。
 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う部員達と、彼らを「あはははははっ」と、楽しげに追いかけるヒカリ(ちなみに手にしたサッカーゴールの方が視覚的に大きいため、グラウンドの外で傍観していた僕の目にはゴールが人を襲っているように見えた)。
 敵も味方も関係ない、ただただ一方的な制圧作戦だった。
 怪我人が出なかったのは奇跡以外の何物でもあるまい。
 たぶん、心に大けがを負った人間は何人かいるだろうが。
 ……特にサッカー部の部員達は、果たして明日以降も冷静にゴールに向かえるのだろうか?
 僕は目眩を覚える頭を何度か振り、そして長く重たい溜め息を吐いた。

「おや? 何を疲れた溜め息を吐いているんですか兄さん。私は今日も立派に生徒会の業務をこなしたと言うのに」

「……お前こそ、何をそんな良い笑顔しているんだよ」

「あ、わかりますか? 実は最近ちょっぴりストレスが溜まっていたんですけど、久しぶりに良い運動が出来て大分それも解消されたみたいで。やっぱり週に一度くらいはこういうスポーツの時間が必要だと痛感しました」

「そうか」

 こんなイベントが週に一度の頻度で起きてたまるか。
 昔は体の弱い、おしとやかな子だったのに!
 とは口に出さず、僕は黙って彼女にポカリを差し出した。

「ありがとう」と言って彼女は缶を受け取り、一口あおる。「ふむ、しかし、喧嘩両成敗とは実に良い言葉です」

「は? 何でだ?」

「倒していい敵が二倍になります」

 つまりは得られる経験値が二倍。
 素晴らしい、と言って、ヒカリは花のように笑った。

「……斬新な解釈だな」と言って、僕は大きな溜め息を吐いた。

 天国にいるお父さん、お母さん。
 僕はどこかでこいつの育て方を間違ってしまったのでしょうか。
 それとも、こいつの育ち方が悪かったのでしょうか。
 もしくは、こいつの存在そのものが悪いのでしょうか。
 答えの出ない問いに頭を悩ませながら、僕はまじまじとヒカリのことを眺めてみた。
 シャギーを入れ、ベリーショートに整えた清楚な黒髪、憂いを秘めた瑠璃色の瞳と、その瞳を際立たせる陶器のように白い肌。更には均整の取れたプロポーションと、少なくとも外見だけを見るならば、こんな生徒会室の片隅に置いておくよりはどこかの美術館にでも飾っておきたくなるような美少女。

 それが僕の妹――上咲ヒカリだ。

 世界のセオリーに従うのなら貧乳こそがステータスなはずだが、生憎彼女のブラウスを押し上げる二つの膨らみは、爆乳とまでは言わないものの、十分に巨乳と評せる大きさだった。
 うーむ。
 いつの間にこんなに成長していたんだこいつは。
 っていうか夏服だとブラが透けるんだよな……ブラウスの下にキャミでも着せるべきだろうか。

「……どこを見ているんですか、兄さん」

「あ、ごめん」

「妹の透けブラに興奮するなんて、人としてどうかと思います」

「見ていたことは謝るが、断じて興奮はしていない」

 と言うか。
 ヒカリは普通に風呂上がりに下着姿でうろつくから、もうすっかり見慣れてしまっていた。今更ブラウスから透けるブラの一つや二つでは興奮しない僕である。
 そもそもお前のブラ、僕が洗濯してるじゃん。

「何を勘違いしているんですか?」

「うん?」

「透けブラは透けブラでも、今日の透けブラはひと味違います」

「言ってみろ」

「ブラジャー自体が透けるので、その中身がちょっと見えるのです。もっとも、ブラウス越しだとわからないでしょうが」

「お父さん! お母さん!」

「この世の終わりみたいな顔で天を仰がないで下さい」

 可愛らしい冗談じゃないですか、と言って、ヒカリは溜め息を吐いた。

「今僕は心に決めたぞ。今後お前の下着は僕が選ぶ」

 透けるモノはお前にはまだ早い。
 アイテムに頼るのは二流がすることだ。

「あ、兄さん」と、ヒカリは何かを思い出したかのように僕を見た。「今日、これから京都駅の地下で買い物に付き合ってもらっていいですか?」

「うん? まぁ、いいけど。何を買うんだ?」

「新しいブラが欲しいんです。最近、また少し大きくなったみたいで、ワンサイズ上のモノを探さないと」

「…………」まじで?

「私の下着は、今後兄さんが選んでくれるんでしょう?」

 そう言って、我が妹は華のように、そして悪魔のように微笑んだ。
 学生服のまま、妹の下着選びに付き合う兄の図を、僕は思い浮かべた。
 …………。
 どこの勇者だよ。

「そう言えば最近、よくクラスの子に『胸が大きくなる秘訣を教えて欲しい』という相談を受けるんですよね」

「ふーん」

 まぁ、ヒカリのリクエストを元に試行錯誤を繰り返した末に完成した、大豆イソフラボン+αといった豊胸成分をふんだんに使った僕の作るご飯も、要因の一つなんだろうなぁ。

「そんな大事な秘訣を簡単にバラす程、私はお人好しだと思われているんでしょうか。胸を大きくする秘訣だなんて、言ってみれば一国の最新鋭戦闘機の設計図にも等しい価値があると言うのに」

「そんなものか?」

「平均点が低ければ低い程、高得点の存在は引き立つんですよ?」

「その発言は例え本音だとしても口に出さないで欲しかった!」

 本当に、どうしてこいつが生徒会長選挙でダントツ一位なんだ……?

「まぁ、そうは言ってもヒントくらいはあげてるんですけどね」

「ほほう。ちなみにどんなヒントを?」

「『兄さんのお陰です』と」

 …………。
 ……いや。
 間違ってないよ、間違ってない。
 でもその言い方だと、僕がお前の胸を揉んでいるかのような誤解を招きかねないと思うんだ!

「……もっとこう、ある程度具体的なヒントを出すべきじゃないか? それだと想像の余地がありすぎるだろ」

「『兄さんに毎日揉んで貰ってるお陰です』とかですか?」

「僕を社会的に殺す気か!?」

 想像の余地も同情の余地もなく即死じゃねーか!
 具体的に嘘を吐いてどうする! 『兄さんに』しか真実がないじゃん!

「しかし、効果的に嘘を吐くには一握りの真実を混ぜるべきだとものの本に書いてありました」

「一握りの真実が結果的に致死量の嘘を引き立ててるだろうが!」

「でも、効果的ですよ?」

「何がどんな風に効果的なんだよ」

「こう言うと、必ず『その秘密、他の人には絶対に言わないから……』って皆が約束してくれるんです」

 とても真剣な表情で、と、ヒカリは付け加えた。

「…………」

 皆、って言った。
 いまコイツ、皆って言った……。
 どうやら知らないところで着々と、僕の社会的な寿命は縮まっているらしかった。

「このままだといつか僕はお前に殺される気がする……」

「てへ」

 舌を出して、小首を傾げてコツンと自分の頭を叩くヒカリ。
 …………。
 もう僕にはそれが、「お前の首などいつでも刈り取ってやれるぞ」という悪魔のジェスチャーにしか見えない……。



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第二話
Name: haru◆9665d3fe ID:cbc2f406
Date: 2010/08/29 16:25
僕は妹に殺されたい。/第二話



 本当に良い汗をかきました、とか何とか言いながら、ヒカリは運動部のシャワーを借りに部室棟へと向かってしまっていた。

「ついでに見回りをして来ます」

 とも言っていたが、また変なトラブルを起こさないか若干心配な僕である。
 ともあれ。
 今日登校していた生徒会役員は僕と妹の二人だけだった為に、ヒカリがいなくなると途端に手持ちぶさたになることは否めない。
 しょうがなく、溜まっていた書類仕事に手を付けようとしたところで、

「……ん?」

 窓の外、グラウンドの方が、何やらざわついていることに気付いた。
 まさか、また何かモメ始めたとかじゃないだろうな……。
 一抹の不安を覚えつつ、ペンを置いて窓の外を覗いてみる。
 すると何やら、グラウンドの部員達は片付けの手を止めて、皆で同じ場所を見つめたり、あるいは指さしたりしながらざわめいていた。
 彼らの視線や指の先――そこには。

 黒い服に身を包んだ金髪の少女が一人、立っていた。
 外国人、だろうか。
 グラウンド上の生徒らは、遠巻きに彼女を取り囲むだけで、近くに寄って話し掛けようとする者はいない。

 …………。
 シャイボーイばっかりか、うちの学校は。

「京都じゃ外国人なんて珍しくないだろうに……何をやってるんだあいつらは」

 僕は溜め息を吐き、教室を後にした。
 どうせ迷子か何かだろう。
 後で誰かが生徒会室に連れてくるだろうけど、彼らのシャイっぷりを鑑みると、こちらから出向いた方が早そうだった。
 昇降口でローファーに履き替え、僕はグラウンドに向かう。

 結局、僕がグラウンドに着いても、サッカー部と野球部の両部員らは、その金髪少女を遠巻きに眺めているままだった。

「おーい」と、僕は手近な部員に声を掛ける。「その子、迷子?」

 あ、先輩。いや、なんかいきなりグラウンドの真ん中に。金髪。じわって。気が付いたらそこに。
 ……いや、口々に言われてもわからねぇよ。
 一人ずつしゃべってくれ。僕は聖徳太子じゃないんだから。

「あー、わかったわかった」

 僕は片手を挙げて彼らを制すると、グラウンドを突っ切って、こちらに背を向けてぽつんと立っているその少女の元へと向かった。
 と、近づいてみて、僕はその美しさに思わず息を呑む。
 ウェーブがかった目も眩むようなまばゆい金髪に、日本人のそれとは本質的に異なる、白い肌。
 そして、繊細な作りの黒いサマードレス。
 年の頃は――たぶん、十才とかその位だろうか。

 うーむ。
 どこかの海外のお金持ちの娘さんが迷子になって、学校に入って来ちゃったとかかな。

「えーっと。はろー? きゃないへるぷ、ゆー?」

 何語で話せばいいのかわからなかったが、フランス語だとかイタリア語は僕の守備範囲外なので、とりあえず英語をチョイス。というか日本語以外はこれしか知らないし。
 と、僕の声に、少女がこちらを振り返った。
 さらさらと流れる前髪の下に覗く、――宝石のような蒼い瞳に、僕は射竦められる。

「……まおう、か……?」

 ん?
 えーと、何て? 魔王? いや、会話の流れ的に変か。
 僕が知らない言葉なだけか?

「えっと、日本語通じる? 実は僕、英語の成績はそんなに良くなくてさ」言いながら、僕はしゃがんで少女と視線の高さを合わせる。「えっと、迷子かな?」

「そんな……もう、ここまで……っ」

「もしもーし」

「……これほどまでに、存在が薄く……!」

「…………」沈黙の僕。

 存在が薄いって……。
 すごく辛そうな表情を浮かべた初対面の女の子に、僕の人生の中で恐らく上位三位くらいには食い込みそうな酷い罵倒をされた……。
 そりゃあんな濃ゆい妹と一緒にいたら薄くもなるっての。
 多少、笑顔を引きつらせつつも、気丈にも僕は彼女と意志の疎通を図ろうと努力を続ける。

「えっと、お名前を教えてくれるかな?」

「エリ……」

 エリちゃん。
 なんだ、意外と普通の名前だな。
 外国人ぽくないというか何というか。

「――エリザベス・ザ・ダーククラフト」

「超格好いい!」

 僕の名前と交換しない?
 男の癖に女の子っぽい名前だね、って良く褒められるんだぜ?

「えーと、僕の名前は上咲マコト、っていうんだ」

「カミサカマコト――神を裂く魔の言、か。今世の名も良い名だな」

「やばい! 自分の名前にちょっとした誇りを持てそうだ僕!」

「魔王――いや、マコト。遅くなってしまって、すまなかったな」と、少女は真剣な表情を浮かべて、僕を見据えた。「あの日お前が空けたあの世界の孔をもう一度開くのに、十八年もの歳月と、莫大な魔力を費やしてしまった……」

 おかげで最強の魔女と呼ばれたこの私が、今やこのザマだと、少女は自分の身体を見下ろして自嘲する。

「まぁ、こうしてちゃんと追いかけて来られたんだから、費やした魔力も決して無駄ではなかったか」と、彼女は笑う。「さて、私の中に僅かに残った魔力が消えない内に、再契約をしなくてはな」

「……え?」

 戸惑う僕を他所に、少女は瞳を閉じて、膝をついて頭を垂れた。

「これは契約――」

 それは。
 まるで――古の物語に登場する騎士が、主に誓うように。
 もしくは――

「前世よりの不変の誓いを今ここに――エリザベス・ザ・ダーククラフトはカミサカマコトの剣として、そして盾として。この身、この血、この魂尽きるまで――永遠に不変の忠誠を誓うと、ここに誓約する」

 ――悪魔が、魂を対価にした契約を結ぶ様に。

 彼女は朗々と謳い、そして顔を上げて、しゃがんだままの僕に向かって手を伸ばし顔を近づけ――

「え、ちょ……っ」と、気付いた時にはもう遅かった。

 キスされた。

 否、それだけでは終わらない。
 唇の隙間から少女の舌が伸びて来て、唇と歯をこじ開けるようにして僕の口内に進入し、絡め取られるように貪られるように、僕は蹂躙された。

 金髪少女に、大人のキス、……された。

「……ぷはっ」と、精神的なショックがもたらす硬直から抜け出せない僕の唇から、少女の柔らかなそれが離れる。

 僕のものか、それとも彼女のものかはわからないが――つかの間のキスの名残を惜しむように唾液の糸が一本伸びて、そしてすぐに切れるのを、僕はぼんやりと眺めていた。

「なぁ、魔王……いや、マコト」と、少女は――エリは、目端に涙さえ浮かべながら、透き通るような笑みを浮かべる。「お願いだから今度こそ――死ぬまで一緒にいさせてくれ」

 僕は、その言葉とその真剣味に気圧され。
 対して意味も考えずに――頷いてしまった。
 こくん、と。

「――っ!」

 その返答――とさえも呼べない代物を受けて、エリは、まるで感極まったかの様に涙を零しながら、僕の胸に飛び込んで来た。
 反射的にその小さな身体を受け止めて、そして僕の胸元に顔を押しつけて泣き続ける少女の髪をぼんやりと撫でながら。
 僕が考えていたのは、たった一つのことだけだった。  

 京都の夏特有の、熱い日差しが降り注ぐグラウンドの真ん中で。
 部活動をしていた生徒達の衆人環視の、そのど真ん中で。
 十才の少女にキスされた(しかも舌まで入れられた)、高校生男子――というか、僕。 しかもその子、キスの後で大泣きしてるとか。

 …………。
 僕の社会的なヒットポイントが、今回の件で深刻な残値になってしまってることは想像に難くなかった。

 と、その時。
 人生について深く考える僕の背後から、聞きなれた声が掛けられた。

「シスコン、という誉れ高き称号だけでは飽き足らず、よもやロリコンなどという蔑称にまで貪欲に手を伸ばそうとは、兄さんの迸る性欲は全く持って困ったものですね」

 背筋も凍る、というのは正にこの瞬間を指す言葉だと、僕は思った。
 ゆっくりと。
 ぎぎぎ、と音がしそうな程に抵抗する首の間接を無理やりに動かして背後を振り返ると、そこには。

 僕の妹――上咲ヒカリが、絶対零度の笑顔を浮かべて立っていた。 
 その姿は、まるで。
 物語に出てくる魔王のようだと、僕は思った。
 



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第三話
Name: haru◆9665d3fe ID:cbc2f406
Date: 2010/09/02 21:59
僕は妹に殺されたい。/第三話



「ヒ、ヒカリ!」と、僕は上ずった声で弁解を試みる。「違うんだ! この子迷子らしくてさ……」

「迷子ならキスして抱き締めて泣かせても許されると思っているとは、流石の私もびっくりです」

「正論だ!」

 そして正論は時に人を傷つける!
 この場合は僕だけど!

「違うんだ……ほら、この子見ての通り外国の子でさ。キスは挨拶みたいなものなんだ」

「ばっちりくっきりしっかりと、舌が絡み合っていたように見えましたが。随分と濃厚な挨拶ですね」

「…………」

 見られていたのか……。
 と言うか、あれはやっぱり実際に起こったことだったのか……。
 衝撃の余り僕の脳が誤った情報を出力しただけだと自分に言い聞かせてたのに!
 これからどうすんだよ僕……生徒会役員の解任動議が出ちゃうぞ……。

「その心配はありませんよ、兄さん」

「なんでだよ……自分で言うのもなんだが、僕だったらそんな危ないヤツに生徒会書記を任せてはおけない……」 

「兄さんを解任させるくらいなら、私は全校生徒の方を退学させます」

「お前に一体何の権限があるんだよ!?」

「生徒会長ですから」

「生徒会長にそんな恐ろしい権限があってたまるか」

「ふむ。では自発的に退学届けを出させれば問題ないでしょう?」

「その発言をその笑みを浮かべながら口にした時点で、そこに自発的な要素は無くなったな」

 って言うか、そんな事をしてみろ。
 この学校に残るのは僕とヒカリの二人だけだぞ?

「兄さんを私の隣に置いておく為なら、生徒の五百人くらい何てことありません」

「お前の天秤は狂っている……」

 そう言って、僕は盛大な溜め息を吐いた。
 と、その時だった。
 いつの間にか泣き止んでいた少女が、弾かれるように僕の腕から飛び出し、

「……貴様」と、ヒカリを見据えて敵意丸出しの固い声を出した。「……勇者が、なぜここにいる……!?」

 そんなことを言ったかと思うと、エリはまるで僕を庇うかのように、両手を広げてヒカリの前に立ちはだかった。
 ……今度は勇者と来たか。
 勇者と魔王ごっこが今の外国の子供達の間で流行っているんだろうか?

「勇者? ははっ、一体何を言っているんでしょうかこの金髪幼女は……」と、ヒカリは獰猛な笑みを浮かべて言う。「私はこの学校の全校生徒五百名の生殺与奪活殺自在の権限を持つ、王にして絶対唯一の存在――生徒会長の上咲ヒカリです」

 勇者だなんて、そんな旅の初めに五ゴールドとひのきの棒しか支給されないような存在と一緒にしないで欲しいものです、とそう言って、ヒカリは誇らしげに胸を張った。
 …………。
 お前に与えられた権限は精々、昇降口の自販機のアクエリアスをポカリに置き換える程度のものだったはずだが……。

「何を言っているんですか兄さん。私が問題を解決するごとに相手に署名捺印をさせている誓約書、誓約文の下に小さい飾りが施してあるでしょう?」

「うん?」僕はつい先程、サッカー部と野球部の部長に書かせた誓約書の紙面を思い返した。「……ああ、そう言えばなんか、細かい飾りがあったような」

「あそこにはフォントサイズ○.○一の隠し文字でこう書いてあるのです――『上記に加え、私は今後、上咲ヒカリに生存権を初めとした自らの全権を委任します』――と」

「死神のノートよりも恐ろしい!」

「えへ」

「褒めてねぇよ!」

 と、久々に全力の突っ込みを入れたところで、

「……カミサカ……ヒカリ……?」と、エリが言葉を挟んだ。

「ええ。覚えておきなさいブルーアイズ・ホワイト幼女。ゆくゆくはこの世の頂点に立つ者の名です」

「紙しか裂けない光――ふん、今世の名も前世に引き続き、いかにも勇者らしい弱々しい響きだな」

「おおおお!? ちょっと待てエリちゃん!? さっき僕が感じた誇りが今、地に落ちたんだがこれ如何に!?」

 さっき神を裂く魔の言がどうとかこうとか言ってなかったっけ!?

「む。何をそんなに過剰反応しているのだ魔王よ。たかだかファーストネームがこんな小娘と一緒なくらいで、お前の価値は変わらんだろうが」

 小娘はどちらかと言えばヒカリよりもエリちゃんの方である。
 と思ったが、口には出さない。
 初対面のこの子が、果たしてどこまで僕の突っ込みに耐えられるか不安だしな!

「ああ、違う違う。日本はファミリーネームが最初に来て、ファーストネームは後に来るんだ」

「ふむ? ……つまり?」

「僕もヒカリも同じ『上咲』、つまり一緒のファミリーな訳だ」

「なん……だと……?」 と、只でさえ白いその顔を蒼白にし、エリが呟く。「まさかお前……この女を、妻にしたのか……?」

「兄妹は結婚出来ねぇよ!」と、思わず全力で突っ込んでしまう僕。

「そうか、良かった」と、あからさまに胸を撫で下ろすエリ。「では先程の私の婚姻の誓いは有効なのだな」

「婚姻の誓い!? 何を言っているんだお前は!?」

「何を言っているんだはこっちの台詞だ、魔王よ。つい先程、健やかなるときも病めるときも一緒にいる事を誓い、キスを交わしたではないか」

「さっきのあれ、そんな重要なイベントだったのか!? 神父も立会人もいなかったのに!?」

「神父はともかく、立会人ならたくさんいたではないか」

 ……そうだった。
 つい熱くなってしまって忘れていたが、いまも衆人環視のグラウンドのど真ん中なんだった……。

「ほれ、こうして祝福の鐘も鳴っている」

「学校のチャイムじゃねぇか……」と、僕は溜め息を吐いた。「あのね、エリちゃん……日本の法律だと、君みたいな十六才未満の女の子は結婚出来ないんだ……」

 若干疲れの色が滲む声で、僕は諭す様に言う。

「その問題はクリアーされている」と、エリはその平らな胸を張った。「私は数え年で十万と十才になるからな」

 ……デーモン小暮閣下みたいな一足飛びの年の取り方をするな。
 明らかにただの十才じゃねーか。

「それにこの世界には私の戸籍は存在しないし、それ以前に人間ですらないからな。そんなルールに縛られることなく、以前の様に思う存分、私に欲望を吐き出してもらって構わない」

 お前はどうしてそういう黒に近いグレーな発言を……いや、駄目だ落ち着け僕。
 ここで突っ込みのチョイスを間違えると大惨事になる気がする……。

「欲望?」と、とりあえず僕はすっとぼけることにした。「……ああ、あれか? 僕の中にみなぎっているこの突っ込み欲のことか?」

「肉棒を突っ込む、という意味ではその解釈は正しいな」

「僕ともあろう者が言葉尻を取られてしまうとは!」

 一生の不覚だった。
 あ、サッカー部の女子マネが軽蔑するように僕から目を逸らした。
 泣きたい……。
 誰か、助けてくれ……。
 と、僕の心中のSOSを聞き取ったのか、

「ふん、ロリ幼女が何を戯れ言をほざいているのかしら」

 沈黙を守っていたヒカリが、満を持して僕に助け船を――

「兄さんのたぎる欲望は、妹である私が責任を持ってこの豊満なボディで受け止めてますから、今更あなたの様な平坦ボディに出る幕などないのです」

 助け船を……。
 ……助け船で自爆テロされた……。
 突っ込みの話だよ? だからそんな目で僕を見るな野球部のマネ!

「ふん、ヒロインはすべからく貧乳であるものと相場が決まっておる。貴様のその凶悪な体つきなど、所詮は正ヒロインたるこの私がこの世界にやって来るまでのつなぎ――代替品でしかないのだ」

「はっ、何を言うかと思えば、貴女のような『この作品に登場するキャラクターは全員十八才以上です』という注意書きが無ければ下着姿にすらなれないようなロリっ子が、正ヒロインですって? 笑わせないでもらいたいものです」

 この世界がもしも少年漫画だったら、見開き二ページを丸々使って描かれるであろう、その美貌を活かし切った表情と、自らのプロポーションを最高に映えさせるポージングで、ヒカリは言った。

「兄さんの――上咲マコトの隣に立つ正ヒロインは、この私です」

 そう――言い切った。
 周囲の生徒の視線が突き刺さる中、僕は思わず天を仰ぐ。

「神様……妹だとかロリ娘だとか、そんな変化球なヒロインはいりません……。どうか……どうか幼馴染みだとかクラスメイトだとか先輩だとか、そんなヒロインを僕に下さい……」

 とか、願いとも祈りともつかない、そんな嘆きの声を漏らす僕を他所に、

「……よかろう、貴様がそこまでの覚悟を決めているというのなら」と、エリが固い声で言う。「――実力で排除するまでのことだ」

 そしてエリは、その小さな腕を振りかぶり、

「――地獄の業火よ、我が敵を喰らい尽くせ!」

 そのまま右手を突き出した――!

 …………。
 まぁ、何というか、当然の帰結ではあるけれども、念のために申し添えておくと。
 地獄の業火も出なかったし、ヒカリは気まずそうに「兄さん、ここは年上の女性として『うわー、やられたー』って言ってあげるべきでしょうか?」とか僕に小声で聞いているし、周囲の生徒らはどこか微笑ましげに右手を突き出したまま固まるエリのことを見守っていた。
 一拍遅れて、

「……な、エラー……だと!? なぜだ!?」とか何とか困惑の表情を浮かべるエリに、僕はこの日一番の気まずげな突っ込みを入れる。

「強いて言えば」と、僕は言った。「これが現実だから……かな?」



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第四話
Name: haru◆9665d3fe ID:cbc2f406
Date: 2010/09/07 20:38
僕は妹に殺されたい。/第四話



「さて、楽しい会話の時間はそろそろお終いにしようぜ」と、自分の右手を凝視したまま硬直するエリの頭にぽん、と手を置き、僕は事態の収拾をはかる。「ヒカリ、北大路にある交番まで一緒に着いて来てくれるか?」

「自首ならお一人でどうぞ」

「迷子の届け出だよ!」

 全く……僕の様に品行方正な生徒会役員が一体何の理由で自首すると言うのだ。
 心外にも程がある。
 と、そんな会話を聞いているのかいないのか、

「……そうか。成る程、この世には魔法という概念そのものが存在していないのだな……」

 と、エリが呟いた。

「うん?」

「だからショートカットでは魔方陣の式が発動されず、結果的にただ魔力が霧散してしまったのか……。だが、これでエラーの原因は解読出来た。なら後は――」

 ぶつぶつ、と真剣な表情で独り言を漏らす彼女に、若干の薄気味悪さを覚えてしまう僕だった。
 と。
 エリが突然しゃがみ込み、足元の自分の影に手を置いた。

「――《ダーク・クラフト》/私は影を愛でる」

 その小さな呟きが――信じがたい現象を引き起こした。

 変化は突然で、結果は唐突だった。
 エリの一言に呼応するかの様に、少女の足元の影がぐにゃりと蠢いたかと思うと――彼女の小さな手の中に、まるで影を塗り固めて創り上げたかのような黒い小さなナイフが握られていたのだ。

「……え……?」と、思わず声が漏れる。

 情けないことに。
 僕は、その現象を信じることが出来なかった。
 自分の眼球が捉えた視覚情報を、理解することが出来なかったのだ。

「エリ……お前、いま……何を?」

「何を驚いているのだ魔王よ。こんなもの魔法でも何でもない、ただの手品みたいなものだろう?」

「あ、ああ……」

 そうか。
 何だ、手品か。そりゃそうだろう。だって、影を固めてナイフを創るだなんて、そんなことが可能なはずが――

「――魔法は、これから創るんだ。悪いが、少し魔力を借りるぞ」

 そう言って、エリは右手に持ったナイフを自らの左の掌に押し当て、そのまま横に引いた。
 一拍遅れて、彼女の掌に一本の赤い筋が通ったかと思うと――みるみるうちにその傷口から、朱い血液が溢れ出した。

「なっ……!?」

 ぽたり、と、グラウンドに朱い染みが落ちる――その寸前で、エリの血は音もなく拡散して彼女の周囲に散る。
 僕は言葉を失った。
 余りのことに――突っ込みの言葉さえ出てこなかった。
 だが、そんな僕を他所に、エリは傷と出血を全く意に介さず、泰然と言葉を紡ぐ。

「エリザベス・ザ・ダーククラフトが創る――是は魔の法」

 少女の周囲の空間が、ぎしり、と悲鳴の様な音を立てて歪んだ。

「木は火に、火は土に、土は金に、金は水に、水は木に――五大元素が其の理」

 じわり――と、空間に染み込んだ血液を基点に、朱い五芒星が描かれる。

「我が血に宿る魔力を対価とし、我が願い、我が望み、我が祈りを聞き届けよ」

 そして――僕は視た。
 エリの周囲に描かれた血の五芒星から、得体の知れぬ何かが――そう、「魔力」としか表現のしようが無いような力の奔流が溢れ出て、式を構成し、そしてこの世界にその意味を、概念を、存在を刻み込む――!

「世界に告げる。我が描くこの意味、概念、存在を受け容れよ」

 僕は唐突に理解する。
 頭ではなく、――本能で理解した。
 五つの基点から放射状に流れ出る式が持つ意味と、それが世界に刻む概念、そしてそれらがもたらす存在――魔法。 
 これはきっと、僕が生きてきたこの世界のモノではなく――

「――《ダーク・クラフト》/我が従者よ敵を排せ」

 エリがその言葉を紡ぎ終えると同時に、彼女を取り巻くように浮かび上がっていた五芒星が地面に落ちた。
 と、その五芒星の中心に立つエリの足元の土が蠢くように盛り上がり、そして瞬く間に人の形に成形され――

「……ふむ。急場しのぎの魔法にしては、中々のモノが出来たか」

 僕は、そう呟くエリを見上げることになってしまった。
 およそ五メートルはあろうかという、巨大な鋼鉄のゴーレム――まるで、中世の騎士が戦場で身に着けていた甲冑をそのまま巨大化させたかのようなフォルムが、言いようのない迫力をにじませていた。
 そしてその肩に、エリは優雅に腰掛けて……僕を見下ろしていた。
 魔法。
 魔法……だって?

「嘘だろ……?」

 足元が、ふらつく。
 その現実離れした存在に圧倒されたからか、それとも魔法だなんていう馬鹿げた存在を目の当たりにしたからか――僕の中から、何か大切なモノがごっそりと流れ出してしまったかのように、立っていることが覚束ない。

「魔王、お前はそこで休んでいるが良い。少しばかり魔力を借りたからな」

「……ま、りょく……?」

「ああ。このゴーレムでそこの勇者を倒して、すぐに魔力を還元してやるから待っていろ」

「何を、言って」と、そこで僕の膝から力が抜けた。

「兄さん!」

 倒れる、と思ったその瞬間、僕の身体は何かに力強く抱き留められた。
 柔らかな、その感触。
 僕を抱き留めたのは、いつの間にか僕のそばに駆けよっていたヒカリだった。
 そして彼女はそのまま僕を抱えて、巨人から距離を取るように一気に跳んだ。
 間合いが開く。
 と言うか、男子生徒を抱えて軽々と十メートル近くを跳躍してのけるとは……。
 つくづく人間離れした妹である。 

「……ところで、ヒカリ」と、僕は問う。「なぜ僕はこんな不自然な体勢で抱き留められ続けているんだろうか」

 具体的に言うのなら。
 結構無理矢理に腰を折られる感じで、僕はがっちりと頭を抱え込まれ、ヒカリの胸に顔を押しつけられていた。
 ふわふわ天国だった。
 ついさっきシャワーを浴びた所為か、ほのかにせっけんの香りがした。

「兄さん、動かないで下さい。只でさえ残り少なかった魔力を、あのロリザベスとかいう魔女に無理矢理に結ばされた契約を通じて奪い取られたんです。今は立っているのも難しいでしょう」

「魔、力……?」ロリザベスについては今回は無視。

「詳しい説明は後です。今はとりあえず、私のこの豊満なバストを満喫して下さい」

「後半部分を詳しく説明しろ! なぜこの状況下で妹のバストを満喫する必要があるんだ!?」

「性欲は性力、即ち精力に通じ、転じて魔力となりますから。今はとにかく、少しでも私の胸に欲情することが先決です」

「こんな状況下で妹の胸に欲情できるヤツの顔が見てみたい」

「鏡を持って来ますか?」

「僕は欲情しないと言っているんだ!」

「成る程、ではこうしましょう」

 実力行使です、とそう言って、ヒカリは僕の頭を胸から引きはがし、そして今度は自ら膝を折って、僕に顔の高さを合わせた。

「……ま、待てヒカリ。この展開はついさっきやった気がす……っ」

 僕の反論が終わる前に、僕の口はヒカリの唇に封じられた。
 まぁ、何となく予想できてはいた展開だけれども。
 キスされた。
 当然の様に舌が入ってきた。
 艶めかしく、そしてとろけるようなキスだった。
 ……どこか遠くで、僕の人生が崩れ落ちる音が聞こえた気がした。
 え、何?
 ファーストキスはロリ魔女で、セカンドキスは実の妹?
 齢十八にして、僕の人生もう半分くらい詰んでるじゃん……。

「……ふう」と、ヒカリが僕の唇を解放した。「どうですか、兄さん」

「どう、とか言われても……もう僕はお婿に行けないとしか……」

「計画通りです。ようやくプランの進捗率が五割を超えました」

「そのプランとやらのゴールはちゃんとハッピーエンドなんだろうな!?」

「少なくとも、私にとっては」

「僕の幸せも準備して下さい!」

「…………」

「無言で目を逸らすなや!」

「ふむ、突っ込みにいつものキレが戻りましたね。魔力の補充は上手く行った、ということでしょうか」

 とりあえず一安心です。
 そう言って、ヒカリはほっとした表情を見せた。

「突っ込みのキレが僕のバロメータなのか……?」

 ふと気付く。
 確かにさっきまで感じていた倦怠感が――消えている。
 魔力。
 え? という僕の疑問の表情を読み取ったのだろう、ヒカリは言う。

「そうですね。魔力についてだとか、後は諸々の事情について説明したいところではありますが……とりあえず」

 と、ヒカリは一歩、僕の前に踏み出した。
 立ちすくむ僕を守るように――背中に誰かを庇い敵に相対する、勇者の様に。

「あのゴーレムを排除して、そして兄さんを傷つけたあのロリ魔女にお灸を据えるのが先です」

「傷つけ……え?」

「私がこつこつと集めて兄さんに還元していた魔力を、あんなゴーレムの生成に使うなど、無駄遣いにも程があります……! あのゴーレムを破壊して魔力の蒐集を図った後は、術者本人の腕の一本くらいは頂いて置かねば、私の気が済みません」

「腕の、一本って……そんな、何を物騒なことを」

「魔力補充用に腕一本だけを残して、後りの部位はストレス解消がてら綺麗に消滅させて差し上げます」

「僕の想像の三倍物騒な事を考えていやがった!」

 本気の目、本気の顔、そして本気の声だった。
 ……やる。
 僕は悟った。
 こいつは間違いなく、殺る……!

「エリちゃん逃げて! 超逃げて!」

 ゴーレムの肩の上で、どこか呆然とした表情を浮かべるエリに、僕は叫んだ。
 正直に言えば、エリちゃんの身を案じての発言、という訳ではなかった。
 その理由はあくまで半分程度のもので。
 残りの半分は、こんな理由だった。

「こんな訳のわからない状況の中で、僕の大事な妹を前科者にさせちゃったりしたら、天国の両親に顔向け出来ない!」

「大丈夫ですよ、兄さん」

 と、そう言ってヒカリは微笑んだ。

「証拠を残すような愚は犯しません」

「目撃者がこんなにたくさんいるだろうが!」

 突っ込みの方向性が間違っている気がしたが、残念ながらこんな状況下で冷静な突っ込みを入れられる程に僕のスキルは完成されてはいなかった。

「それも無用な心配です」と、ヒカリは真剣な表情を浮かべて言う。「搾りカス同士とは言え――最強の魔女と勇者との戦闘が、常人に理解出来るはずがありませんから」

「……え?」

 僕のその疑問の声には応えず、ヒカリは胸ポケットから一本のシャープペンシルを取り出した。
 僕がさっき生徒会室で貸した、何の変哲もないドクターグリップ。
 それをまるで聖剣か何かのように右手に構えて、言う。

「これは兄さんが貸してくれた、兄さんのペンです」

「……? だから何だよ」

「特に意味はありません」

「ないのかよ!」

 意味はないですが、でも、とヒカリは微笑んだ。

「何となく、強くなれる気がします――」




[21253] 僕は妹に殺されたい。/第五話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/09/12 16:09
僕は妹に殺されたい。/第五話


「はああああああっ――!」

 低く気合いの声を上げながら、ヒカリはグラウンドを滑空するように駆け抜け、一気にゴーレムの左側面に肉薄した。
 そして、右手に持っていたシャーペンをその巨大な人形の右脚に向けて横凪に一閃。
 硬質な金属音が響き渡り、そして眩い火花が散ったかと思うと、ずっ――という音を立てて、ゴーレムの右足が膝の下辺りから切断された。

 人型であるが故の構造的弱点――足、と言う名の二本の支柱のうちの一本を失ったゴーレムは、当然の如くバランスを崩し、その場に倒れる――かと思いきや、次の瞬間には足元のグラウンドの土が盛り上がり、切断されていたはずの右脚部分が再生される。

 そのままゴーレムは、右脚を傷つけられたお返しとばかりに、左腕を振りかぶりヒカリを殴りつける。拳の質量から鑑みて、喰らえばひとたまりもないであろうその一撃を、彼女は紙一重で躱す。そのまま一瞬前までヒカリが存在していた空間を凪いだその拳が、グラウンドに突き刺さった。
 轟音、そしてその威力を物語るかの様に着弾点から爆風の如き土埃が舞い上がる。

「嘘だろ……!?」

 その威力はある程度予想通りではあったが、速さに関しては完全に予想以上だった。
 土を材料に構成されているはずのゴーレムだったが、動きは鈍重どころかまるで獣の様にしなやかで、かつ一撃の威力が驚異的だった。
 予想が、裏切られた。

 ヒカリなら――きっとこんな非現実的な存在だって、簡単にやっつけてしまいそうな気がしていたのに!

 体勢を立て直したヒカリが腕の隙間を縫うようにして放った突きが、敵の胴を穿つ。
 しかし、これもまたすぐに再生されてしまう。カウンターで繰り出された右腕は身を屈めてやり過ごす。

「兄さんの魔力を還しなさい! あれは私が生徒らの問題を解決する対価としてコツコツ集めたものです!」

「勇者風情が何を言う! 貴様を殺し、その魔力をマコトに還元してやるから安心して死ぬが良い!」

「その台詞、全くそのままお返しします!」

「「貴様が死ね!」」

 ……困った!
 会話の流れ自体は痴話喧嘩っぽいのに、「やめて! 僕のために争うのは!」とか言ってられるような状況とはほど遠い!
 殺伐としすぎだ! 

「くっ! やはり聖剣もなしにグラウンドの上で土と金の混合属性魔法を相手取るのは分が悪いようです……!」と、ヒカリは焦れた様に言う。

 ヒカリの攻撃は確実にゴーレムを切断し、削り、穿ってはいるものの、敵はすぐに足元の土を利用して再生してしまう。

「ふん、地の利は活用するのがセオリーだろう!」激しく動くゴーレムの肩の上に涼しげな表情を浮かべて座るエリが胸を張る。「そらそら、ゴーレムだけを気にしていると、死ぬことになるぞ?」

 そう言って、エリが再び黒いナイフを手に、呪文を唱える――!
 しかし。
 しかし、――ヒカリは恐らく、このタイミングこそを待っていたのだろう。
 計画通り、と言わんばかりの残忍残虐な笑みを浮かべて、

「おや、良いんですか? 魔王の魔力が枯渇してしまいますよ?」と、ヒカリは言った。

「…………!」エリの動きが、逡巡するようにぴたりと止まる。

 同時に、パンチを繰り出した姿勢のまま静止するゴーレム。
 どうやら、この泥人形も彼女が操っていたらしかった。
 ……いや、て言うか。
 いまほんとナチュラルに利用されたよ僕……。  

「隙あり――」と、僕が突っ込みを入れる間もなくヒカリはゴーレムの左腕に飛び乗り、そのまま肘、肩へと駆け上がる!「私もそのセオリーとやらに従って、術者本人から仕留めさせて頂きます!」

 そのままゴーレムの右肩に座るエリの元へ駆けて、シャープペンシルによる突きを繰り出すヒカリ――が、しかしその攻撃は少女の元には届かなかった。
 影。
 先程までゴーレムの肩にエリの身体を括り付けていた影が一瞬で隆起し、まるで盾のようにヒカリの一撃を阻んだのだ。
 予想外の防御方法に、驚愕の表情を浮かべるヒカリ。

「馬鹿め、そのセオリーの対策は構築済みだ」ダーククラフトの名は伊達ではない、と、エリは獰猛な笑みを浮かべる。「貴様が何を考えてここまで魔王を追ってきたのかは知らんが、――死んでもらうぞ、勇者!」

 エリの叫びに応えるように、ゴーレムが左腕でヒカリの身体を羽虫を払うかのようにはじき飛ばす。地面に叩き落とされるヒカリ。そしてヒカリが体勢を整える前に、追撃の右腕が落ちる――だが!

「やめろぉぉぉぉっ――!」

 いくら訳のわからない状況だとは言え、妹がそんな攻撃に晒されるのを黙って見ていられる程、僕は諦めが良い人間ではなかった。
 僕は駆ける。
 これまでの体育のどんな測定よりも速いタイムでヒカリの元まで辿り着いた僕は、ゴーレムから妹を庇うように両手を広げて立ちはだかる!
 兄さん! と僕のことを呼ぶヒカリの声と、なぜか驚愕に目を見開くエリの顔が、やけに印象に残った。

 ――あ、死ぬ。

 轟――ッ、という風切り音を残し、ゴーレムの右腕が僕を――僕のすぐ横を掠めるようにして地面に叩き付けられた。
 地面を揺らす衝撃に僕はたたらを踏むが、なんとか倒れることなく踏み留まる。

「…………っ!」

 冷や汗が頬を伝う。何だ? 攻撃の軌道は、確実に僕を捉えていたはずだったのに――外れた?
 涙で滲む視界の中(怖くて泣いたんじゃなくて砂埃が目に入ったのだ!)、ゴーレムの肩の上で顔面を蒼白にしたエリが叫ぶ。

「なっ……何をしている魔王よ! なぜ勇者を庇うんだ!?」

「な……っ!」僕は激昂する。「何をしているはこっちの台詞だ! 僕の妹に何をしやがる!」

「妹!? そいつは勇者で、お前を殺そうとこの世界まで追ってきた存在なんだぞ!?」

「勇者だの魔王だの、そんなの知らねぇよ! 僕が知っているのはこいつが僕の守るべき妹だということ、ただそれだけだ!」

「なっ……!」

 僕の叫びに、悔しげに唇を噛むエリ。その表情と、停止したゴーレムを見て、僕は一先ず安心だろうと判断し、僕が背後に庇ったヒカリに向き直ろうとし――

「大丈夫か、ヒカリ……って、え?」

 ぐい、と、僕は背後からヒカリに抱き締められ……、否。
 首に腕を回され、背後からヒカリにがっちりと固定される僕。
 背中におっぱいの感触を覚えるが、そんな事を考えている余裕はなさそうだった。
 ぴたり、と、首筋に何かが当たる感触。
 そしてカチカチカチ、という音がして、僕の首に何かがちくりと食い込む。

 …………。
 多分……いや、間違いなく……シャープペンシルが、僕の首に突きつけられている……。
 シャーペン。
 金属バットはもちろん、金属製のゴーレムの大木の様な脚ですら簡単に斬り裂いてのける、ヒカリの武器。

「ロリザベスよ、そのゴーレムを廃棄して下さい。さもないと、貴女が敬愛するこの魔王の命がここで尽きることになりますよ?」

 カチカチ。
 食い込みが深くなった。
 ……いや、ちょっと待て、何だこの状況!
 僕が人質になっている……だと……!?
 格好いい台詞で決めた「僕の守るべき妹」に、魔女と交渉する為の人質にされているだと……!?
 あんまりだろ! これはあんまりだろ!?

「……なぁ、ヒカリ」

「動かないで下さい、兄さん」

「なんでだよ」

「胸が擦れて気持ち良いです」

「ここは一つ『僕に構うな、撃て――!』とか言ってみるべきなんだろうか!?」

「やめて下さい。多分、あのロリ子は本気で撃ちます」

「僕、全然敬愛されてないじゃん!」

「違います。詳しい仕組みはわかりませんが……魔王の命令に対しては絶対服従、それが魔物の本能に組み込まれているのです」

 まぁ、あのロリータは魔物の中でも最強の部類に属する魔女ですから、存在が弱体化してしまっている今の兄さんの命令なら、あるいは反することが出来るのかも知れませんが、とヒカリは言った。

「試してみますか?」

「流石にお試しで自分の命をベット出来る程僕は人生捨ててねぇよ」

「何も命を賭ける必要はありません。安全な命令で試してみればいいんです。例えばほら、『脱げ』とか」

「社会的に死ぬだろ!」

 と、そんな会話を交わしていると、

「……わかった、勇者よ」と、歯ぎしりさえ聞こえて来そうな悔しげな表情でエリが言う。「貴様の要求を呑もう……だから、頼む。魔王は……魔王だけは殺さないでくれ……」

「ではまずゴーレムの構成を解除して下さい」と、ヒカリは言った。「そして次に、着衣を全て脱いで下さい」

「エリちゃん。二つ目の要求はキャンセルだ」と、僕は口を挟んだ。

「なぜですか兄さん! 服の中に危険なモノを隠し持っていたらどうするんですか!」

「お前が胸に隠し持っているものの方がよっぽどどうしようだよ!」

「そんな……確かにこのバストは兄さんから見れば危険かも知れないですけど……」

「誰がおっぱいの話をした」

 僕が言いたいのはお前の胸中に隠れている危険な発想の事だ。
 こんな衆人環視のグラウンドでエリちゃんを全裸にさせようとか……。
 鬼畜の所業にも程がある。
 と、

「わかった……」と、エリが沈痛な面持ちで言った。

 ゴーレムの肩から飛び降り、ふわり、と地面に降り立つ。
 そして使役していたその土人形に手をかざすと、

「無に還れ」と告げた。

 すると、まるで成形時の逆再生のように、ゴーレムの巨体を構成していた存在が、概念が――そして意味が、消失してゆく。
 霧散するように、光り輝く魔力の粒子を撒き散らしながら、ゴーレムは無に還った。
 と、ヒカリは行き場を失い残滓のようにたゆたう魔力の光に手を向け、

「エナジー・ドレイン」と、告げた。

 すると、魔力が流れるようにヒカリの身体を包み込み、そしてキィィィン――という甲高い音が響き、光の粒子が消えた。
 ヒカリに吸収されるように。
 まるで、何事もなかったかのように。

「ふぅ、魔力の蒐集も完了しました」と、ほっと息を吐き、僕の耳元で囁くヒカリ。「さて兄さん。目を閉じて口を半開きにして下さい」

「何をする気だお前は」ぺしん、と僕は依然として首元に巻き付けられいるヒカリの腕に平手で突っ込みを入れておいた。「て言うか、いい加減に僕を解放しろ。首元にシャーペンを突きつけられたままそんな要求をされたら、恐怖の余りうっかり応じてしまいそうだ」

 これは失礼、と言って、ヒカリはここでようやく僕を解放した。
 
 何はともあれ。
 こうして、勇者と魔女の戦闘は、勇者の勝利で幕を閉じた。
 決まり手、人質(僕)を取っての脅迫。
 …………。
 ギャラリーの皆様もどん引きの結末だ。
 兄として少しだけ悲しくなってしまい、僕はそっと目頭を押さえた。 



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第六話(加筆修正)
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/10/02 18:08
 第六話



「てれれてーてーてー、てっててー」 

 魔法だの何だのの超常現象オンパレードに、うっかり現実逃避しそうになる僕の横で、なんだか淡く輝いている気がするヒカリが高らかに歌った。

「何の音だよ」と、僕は問う。「そして何か光ってるぞお前」

「レベルアップです」

「レベルアップ?」

「最強の魔女とゴーレムという強敵に辛勝したことで、中々の経験地が得られましたから。新しい技なんかも覚えました」と、輝きが収まったヒカリは言った。

 お前の中では、あれが経験値が取得出来る『勝利』にカウントされるんだな、とか。
 きっと人としてのレベルはダウンしてるぞ、とか。
 喉まで出かかったそんな突っ込みを呑み込み、「そうか」と僕は言った。

「さて、それでは事後処理をしないといけませんね。まずは目撃者ですが――」と、ヒカリはざわつく部員らの方に向き直る。「……消すには人数が多すぎますね」

「人数の問題じゃねぇだろ!?」

「ああ、失礼。目的語が抜けていました。正確には『記憶を消す』には人数が多すぎます、と言いたかったんです」

「そ……そんな便利な魔法まで、あるのか」

「魔法? ないですよ?」

「ないのかよ!」

「仮にそんな魔法があったとしても、勇者である私は魔法を扱えません。魔法を使えるのは魔物だけ、それが世界のルールですから」古今東西現実異世界、記憶を消すと言ったら手段は一つですと、ヒカリは微笑んだ。「物理的衝撃でメモリを飛ばすしかないでしょう」

「別の手を考えろ」

「まぁ、そうでしょうね」レベルが上がって色んなパラメータが上昇しちゃったので手加減が難しそうですし、とヒカリは言った。「首が飛んじゃったら大変です」

「そうだよな生徒会長を首になったら大変だもんなと僕は納得したからお前はもう何も言うな」

 果たしてどの位ヒカリのレベルとやらが上がったんだか僕にはわからないが……間違いない。
 妹の人としてのレベルがダウンしている……!

「ではこうしましょう」と、ヒカリは未だにざわめき続ける生徒らの方を振り返った。「皆さん! 生徒会は秋の文化祭でこんな劇を上演しますから、皆様お誘い合わせの上、ご来場下さいね!」

 ……そんな手段で、と思ったが、見て見れば生徒らは訝しがりながらも納得したような表情を浮かべていた。
 成る程。
 魔女だの魔王だの勇者だのゴーレムだの。
 そんな超常的な存在を信じる位なら、例え自分を騙してでもいいから何か適当な理由で納得しておこうと、そう判断したのだろう。
 と言うか当事者である僕も劇かなんかだと思いたい位だし。

「さて、兄さん」と、ヒカリは僕を振り返る。

「なんだ?」

「キスをしましょう」

「なんでだ!?」

「回収した魔力を兄さんに還元しないといけませんから。先程のキスで一時的に魔力を貸与して間を持たせてはいますが、私のそれはそもそもが正の属性です。やはり負の属性のもので補完をしておかないと、後々どんな悪影響が出るかわかりません」

「いまここでお前とキスしたりしたら、ジャストインタイムで社会的に悪影響が出るな……」

 ヒカリとキスすれば現在進行形で悪影響が。
 キスしなければ未来形で悪影響が出る訳か。
 とても好ましくない、行くも地獄退くも地獄な状況だった。

「ちなみに魔力枯渇からくる悪影響の一つとして、勃起不全に陥ることも考えられます」

「てめぇこらロリ魔女! 僕の男性機能に何てリスクを負わせやがる!」

「ま、待て勇者よ!」と、慌てたようにエリが言った。「そもそもなぜ貴様が魔王と魔力のやり取りが出来るんだ?」

 ぎり、とエリは歯ぎしりし、噛み付かんばかりの獰猛な表情でヒカリを睨み付ける。

「まさか貴様……! 魔王と契ったのか!?」

「どきっ」

「心当たりがあるみたいなリアクションを取るな!」と、僕は突っ込んだ。

「……ふ、ふん。一体何を言っているのでしょうかこのエリザベスは」

「動揺しすぎだろ!?」

 初めてヒカリがエリちゃんのことを名前で呼んだよ……。

「やはりか……! 貴様とマコトの匂いが同じだったからまさかとは思ったが……!」

「匂いって……生々しい事を言うな」

 まぁ、同じシャンプー使ってるからなぁ。
 世界が嫉妬するヤツ。

「っていうか、エリちゃん……。えらい気軽に言ってるけど、そもそも契るって何のことかわかって言っているんだろうな……?」

「え?……あ、いや」と、視線を泳がせるエリ。「ち、契ると言ったら……その、あ、あれしかないだろう……」

 頬を真っ赤に染めて、そんな台詞を小さな声で言うエリ。
 ……てめぇさっき肉棒がどうとか散々言い放ってたろうが。
 エリの碧い双眸を見据えて、僕は突っ込みを入れた。

「はっきり言えや」

「セックス」

「「「…………」」」

 沈黙の帳が落ちた。
 …………。
 ノータイムで即答されてしまった……。
 はっきり言い過ぎだろ……さっきまでの恥じらいはどこに投げ捨てた……?

「……はっ!? い、いや……違う! 今のはマコトが《王権神授》を発動させたから、強制的に答えさせられただけだ!」

 わたわたと慌てたように手を振るエリ。

「王権神授って、お前なぁ……白昼堂々エリちゃんみたいな少女にそんな台詞を言わせるためにそんな権利を造る神がいるならいますぐここに連れて来い! 僕が全力で突っ込みをいれてやる!」

「あの、兄さん」とんとん、と僕の肩を叩き、ヒカリが言いにくそうに口を挟んだ。「今のは、その……兄さんが悪いです」

「……は?」

「言ったでしょう? 魔物は、魔王の命令には絶対服従するように出来ているのだと。さっきも兄さんはゴーレムの攻撃を『やめろ』と言って強制停止させてたじゃないですか」

 さっき?
 はて、と僕は記憶を探る。
 さっき……ああ、確かにゴーレムの攻撃が逸れたいたような気もするが。

「……ちょっと待て、あれはエリちゃんが攻撃を逸らしてくれたんじゃ……」

「違うぞ。いくら私と言えど、あそこまで攻撃態勢に入った動きをキャンセルさせることは出来ん。あれは魔王が――マコトが『やめろ』と命じてくれたから逸らすことが出来たんだ」

 契約を先に済ませておいて本当に良かった、と胸を撫で下ろし微笑むエリ。

「今のマコトは魔王としての存在が極めて弱まってしまっているから、ともすれば私にさえ《王権神授》が届かぬところだった。もしもあの攻撃を逸らせていなかったらと思うと……本当に背筋が凍るぞ」

「そんな……じゃあ、つまり」と、僕の背筋に冷たいものが奔った。

「つまり我が校のグラウンドで、白昼堂々幼女に無理矢理『セックス』と言わせる事案が発生したという事です」

「つまり僕が本当に魔王なのか大変だ!」取りあえず勢いで押し切ろうとする僕。

「幼女に無理矢理『セックス』と言わせる存在――魔王の名にふさわしいですね」

 …………。
 今日一番の笑顔でトドメを刺しに掛かるヒカリだった。

「ヒカリ……お前さっき『脱げ』とかそんな命令でエリちゃんが絶対服従かどうかを試せとか言ってなかったか……?」

「結果的により酷い形で確認出来たので、まぁ良しとしましょう」

「命令だ! いますぐその楽しげな笑みを引っ込めろ!」

「私は人間、しかも勇者なので効きませんよ。この世界ではエリちゃんにしか効果がないでしょうね」

「使えない力だなこれ!」

 エリちゃんみたいな外見年齢十才の女の子に対する命令権だと……?
 使えないどころか、持っているだけで国家権力のお世話になってしまいそうな危険な力じゃないか……。

「あー、もう。それでお前ら、いつまでも僕を置いてけぼりにしないでくれよな……。魔法だの、《王権神授》だの勇者だの魔女だの……ちゃんと説明してくれよ。これでも僕はまだ混乱しているんだ。そもそも魔法だなんて初めて見たぞ。一体あれは何だ?」

「何だ、と問われてもな……。本当に、何もかも忘れてしまったのだな」と、エリちゃんは寂しそうに笑い、そして僕に言った。「……魔法というのは、構成した魔法式に魔力を流すことで、初めて世界にその存在を示すものだ」

「ああ……さっきの、ゴーレムか」と、僕は言う。

「そうだ。魔法というのは、自分が魔力にて描くルールを世界に認めさせる法を言う。例えばさっき私が使った魔法を例にすれば……魔力を対価にして自らの意のままに動くゴーレムを生成するという魔法式を構築し、世界にその意味を示し、概念を刻み、存在を顕現させることで、ゴーレムという存在をこの世に認めさせた訳だな」

「なるほど」

 全くわからん。
 わからんので、僕は助けを求めるようにヒカリを見た。

「ヒカリも、その魔法とやらが使えるのか?」

「いえ。私は勇者ですから、魔法を使うことは出来ません。そもそも魔法を使えるのは――魔法式を組み立てる事が出来るのは魔物と呼ばれる存在だけなんです」と、ヒカリは言った。「対する人間は――勇者は、魔法を使うことが出来ない代わりに『聖剣』を扱うことが出来るんです。正の感情を力とし、如何なる魔法でさえも、どんな暗闇でさえも斬り裂く、希望を冠する聖なる剣――」

 それが、勇者の武器です。
 そう言って、ヒカリはシャーペンを切り払って見せた。

「兄さんも見ていたでしょう? 野球部員が振り回していたバットとシャープペンシルが相撃ちだったのに、エリザベスが造ったゴーレムの脚は容易く斬り裂いていたのを。絶対的な《魔力殺し》を持つ聖剣そのものは前世に置いてきてしまいましたが、それでも勇者である私が扱う武器には、魔法に対する抵抗力が付与されるんです」

「我々魔物の天敵だ」と、エリちゃんが敵意をみなぎらせながら言った。「魔王よ、お前……あの時どうして、私のゴーレムの攻撃からこいつを庇った!? 聖剣を持たぬ勇者なら、今の魔力が乏しい状態の私でも倒すことが出来たのに!」

「だから、倒すとかそんな物騒な発言をするんじゃない」さっきも言っただろ? と、は言う。「こいつは僕の大切な妹なんだ。ヒカリのためなら僕は何だって出来るし、それこそこの身だって投げ出せる」

 ヒカリを助ける為なら。
 ゴーレムの攻撃の前にこの身を投げ出すことさえ、僕は厭わないのだ。

「一体何を……何を言っているんだ魔王よッ!」と、ちょっと格好いい事を言った自分に浸っていた僕の襟首を、エリちゃんはその小さな背を目一杯に伸ばして掴み寄せた。「勇者を守るだ!? 寝惚けるのも大概にしろ! 勇者は世界の正の感情を力とし、魔王は世界の負の感情を力とする! そこには一片たりとも相容れる要素はなく、互いに殺し合うことがその使命だろうが! 勇者は聖剣を扱い、魔王は魔力を統べ――魔王が世界を破壊し、勇者が世界を再生する! それがあの世界のルールだったのに!」

 いや、ちょっ……お、落ち着くんだエリちゃん!

「これが落ち着いてられるか! 魔王!」

「は、はい!」

「正座!」

「はい! ……正座っ!?」

 ここグラウンドで制服が汚れちゃう……とか思ったけれども、なんだかそんなことを言えそうな雰囲気では無かった。
 僕は慎重に膝を折り、極力制服が汚れないようにその場に正座した。

「勇者と魔王が世界から消えて十八年……頑張ったんだぞ……私、すっごく頑張ったんだぞ!?」

「そうですよ、兄さん」と、エリの横に立つヒカリが言った。

「待てやヒカリ。なぜお前がそっちサイドに立っているんだ」

 お前のいるべきポジションはどちらかと言えば僕の横だろう。

「質問は受け付けない!」何故かエリちゃんに怒られた。「大体おかしいと思ったんだ……! ある日突然『疲れた』とか言い出したと思ったら人間攻略を止めるし! 『人間の基礎体力を弱体化させるために、インフラを整備してやろう』とか言い出して土系魔法を使って道路やらビルやらを建て始めるし! 『手の皮膚が弱くなれば人間は剣を振れなくなるな』とか言って金系魔法を使って全自動洗濯機やら掃除機やらを開発させるし! いきなり『世界に孔を空ける術式を考えて欲しい』とか言われて、基本概念だけ組んでやったらその研究成果だけ持ち逃げするし! 知ってるか!? 向こうの世界では魔王の銅像が各都市の駅前一等地に建ってるんだぞ!? どうするんだ! 魔王の力の根源は負の感情なのに、感謝されてどうするんだ!?」

 …………。
 楽しそうだな異世界。

「もうやだ! 私は家に帰る! 魔王なんて知らない!」

「そうか。気を付けて帰るんだぞ」と、僕は言った。

「帰る、それは大いに結構なんですが……魔力は足りるんですか?」

「え?」

「だから、魔力。先程エリは、『世界の孔をもう一度開くのに、十八年という年月と莫大な魔力を費やした』とかなんとか言ってましたけど、既に開けた孔をもう一度開くだけで、最強の魔女がそんな姿になる程の魔力が必要だったのでしょう?」

 世界のルールをねじ曲げるには、莫大な魔力が必要になりますよね。
 と、確認するようにヒカリは続けた。

「…………」沈黙するエリちゃん。「……なぁ、魔王」

「なんだ?」

「五百人程、生贄を用意してくれたりすると助かるんだが」

「残念だが、無理だな」

「さっき勇者が五百人の生殺与奪の権限を持っていると言っていただろう!? 勇者に出来て魔王に出来ぬ道理はないだろう!」

「ヒカリ、お前が責任を持って説得しろ。お前の吐いた軽口を信じちゃってるぞこの子」と、僕は溜め息を吐いた。

 はい、とヒカリは僕に頷くと、

「悪いことは言わないから、しばらくウチに泊まって行きなさい。後のことはゆっくり考えましょう」

 と、ヒカリがエリの頭にぽん、と手を置いて言った。

「……だ、誰が勇者の世話になんてっ」

 悔しげな表情で言い掛けるエリに、僕は告げる。

「僕の家でもあるぞ」

「…………」

 しばらく壮絶な表情で悩む様子を見せたエリは、やがてぽつりと呟いた。

「……よろしくお願いします」と。
 




[21253] 僕は妹に殺されたい。/第七話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/10/02 23:21
第七話

※第六話を加筆修正しております。
 具体的には、魔王と勇者の能力に若干の変更があります。
 ご迷惑をお掛け致しますが併せてご覧頂けると幸いです。

 では、第七話をどうぞ↓



「とりあえず、一旦生徒会室に戻ろうか。ここじゃ人目があり過ぎるし、何よりいつまでも部活の邪魔していちゃ悪いだろ」

 と、僕は何やら和解した風のヒカリとエリちゃんに言った。
 魔王、勇者、魔法を操る魔女。
 正直に言って、全く事情が理解出来ない。

「そうですね。一刻も早く兄さんと魔力の交換をしないといけませんから、人気のない場所へ行くのは大賛成です」

「ヒカリ……お前が何を考えているのか知らんが、取りあえずは魔王だの勇者だのの事情を詳しく聞きたいだけだからな……?」

「ですが兄さん。一刻も早く兄さんの中の正の魔力と、私が回収した負の魔力を交換しないといけません」

「いや、まぁ……そうなのかも知れないけど」

 言葉を濁す僕を他所に、ヒカリはポケットからリップクリームを取り出し唇に塗りだした。
 無言の圧力。
 …………。

「……なぁ、エリちゃん」と、僕は隣を歩くエリに小声で問う。「魔力の交換とやらって、キス以外の方法では出来ないのか?」

「キス以外の方法、だと?」とエリちゃんはきょとんとした表情を浮かべた。

「うん。もしあれば教えてくれ」

 流石にヒカリとそう何度もキスするって訳にはいかないし。
 今もほら、周囲からの敵意の視線が痛すぎる……。

「一番ポピュラーなのはやはり性交渉だが」

「ハードルが上がってんじゃねぇかよ」

「お手軽なところではディープキスによる唾液の交換か」

「現代社会においてはその手段は断じてお手軽ではない」

 というかその手段を回避するために僕は君に質問をしているんだ。

「むぅ……あとはそうだな、互いの血液を舐める、辺りが簡単だと思うぞ。血液は魔力の媒介だからな。私も世界に孔を開ける為に自分の動脈をナイフで突き刺し、血液を溢れさせて魔力を解放したんだ」

「怖ぇ事言うなよ」と、僕は鳥肌が立った腕をさする。「けど血液……血液、ね」

 うん、そこら辺が妥当な線なんだろうな……。
 後で針か何かで指でも指して、ヒカリに舐めてもらうことにしよう。
 幾分背徳的な要素が残るが、それでも当初案よりは大分ハードルが下がった気がする。

「ありがとう、エリちゃん……」と、横を見る。

 だが、エリちゃんは僕を見てはいなかった。
 歩みを止めて、険しい表情で京都の真夏の、この抜けるような青空を睨んでいる。

「……エリちゃん?」

「すまないマコト。少し……まずいことになったかも知れん」

「うん? まずいこと?」

 僕は彼女に倣って、京都の空を見上げてみた。
 そこにはいつもと変わらぬ青空と、京都の気温を高める日差しと、そして蜘蛛の巣状の亀裂と――

「……は?」と、思わず声が漏れた。

 空に、亀裂――?

「……エリザベス。一つ聞きたいのですが」と、いつの間にか僕らの横で一緒になって空を見上げていたヒカリが言う。「――今の魔力で、神龍を相手取ることは可能ですか?」

「難しいな」と、エリは答える。「実に難しい。十中八九敗れるだろうし、残りの一はせいぜいが何とか逃げ延びることが出来るかどうか、といった所だ」

「ふむ。私も似たようなものです。聖剣もなく、先程の戦闘で手元の魔力も心許ない――ですが」

 ぴしり、と音が響き、空の亀裂が深まったかと思うと。
 昼時の青空が、――割れた。

「――敵の方は、そんな事情など考慮してはくれないでしょうね」

 ヒカリの呟きに応えるかのようなタイミングで、空の――否、虚空に広がった亀裂から暗闇が広がり、そして。
 ――巨大な爪が、世界の亀裂から覗いた。
 まるで亀裂を力任せに拡げようと力を込めるように、一対の爪が虚空から突き出たかと思うと、

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」

 辺りに獣じみた方向が響き渡り、――世界の壁が、まるで硝子のように砕け散った。
 そして、突如として生じた世界の隙間から覗くのは、

「ど、ドラゴン……!?」

 巨大な顎に、鋭い牙と、全身を覆ういかにも堅牢そうな鱗。
 そして――その巨体の飛翔を担う、強大な翼。
 まるで神話やゲームの世界に登場するような、全長十メートルはあろうかという巨大なドラゴンが、巨大な翼を拡げて校舎の上空に佇み、――まるで品定めをするかの様に、こちらを睨み付けていた。
 グラウンドに散っていた生徒らも異変に気付いたのだろう。
 余りに現実離れしたその光景にざわめきが広がり、そしてそれが悲鳴に変わるのにさほど時間は掛からなかった。  

「……やはり、神龍」と、喧噪の中、呆然とした声でヒカリが呟く。

「しんりゅう?」と、僕はヒカリの言葉をなぞる。「なんだ、僕の願いでも叶えてくれるのか?」

「残念ながら、まだ各地に散らばる七つの球を集めていない以上そんな虫の良い展開は望めません。今のあの神龍はZ編までのそれではなく……言わば、GT編のラスボスです」

「それは、……つまり?」

「あの世界の神龍とは、正に神の使い――世界のバランスが狂った際に、そのバランスを再調整するバランサーです。いつまで経っても魔王が勇者を殺さず、勇者も魔王を殺さぬことに業を煮やして、私達を血眼になって探していたのでしょう。恐らくは神の命令に従い――勇者か魔王の魂を回収する為に」そう言ってヒカリはシャーペンを構える。「つまり何とかして倒さねばこちらが――最低でも私か兄さんのどちらかが、――最悪の場合二人共が死にます」

 今はまだ、私達が勇者と魔王かどうか迷っているようですね、とヒカリは言う。

「力の大半を失ったことが、結果的に目くらましの役割を果たしてくれているようです。あとは何とか不意討ちでダメージを与えられれば、あるいは倒すことが出来るかもしれません」

「不意討ち、だけで倒せるかどうかが問題だがな」と、エリが言って、右手に漆黒のナイフを握りしめた。「これは私の不手際だ……世界を渡る際に、孔を閉じる術式まで気が回らなかった。どうやらこの神龍……私が開けた孔を拡げ直し、この世界に渡ってきたようだ」

「あなたが気に病む必要はありません、エリザベス。遅かれ早かれ神に見つかり、この様な事態になるだろうとは思っていました。むしろ予想よりも遅かったくらいです」

「……なんだ、偉く殊勝な物言いだな、勇者よ。いっそお前の所為だと罵ってくれた方が気が楽なんだがな」

「こういう言い方をした方がより責任を感じて、自分の命と引き替えに神龍を倒してくれないかな、と思ったんですが」

「はっ――」と、エリは笑った。「それは最後の手段だな。この先待っているマコトとの幸せな生活の為には、今ここで死ぬ訳にはいかん」

 くすっ、と、ヒカリは笑った。

「では、私が前衛を務めます。あなたは魔法で後方支援を」

「いいだろう。だが、その文房具ではいくら何でも心許ないだろう? ――《ダーク・クラフト/我が従者よ敵を排せ》」

 エリが呪文を唱える。
 それは――先程も見た、土と金の混合魔法。
 金属製のゴーレムを造り上げた、魔の法則。
 だが、今回エリの手元に形成されたのは――、

「聖剣にはほど遠いだろうが、それでもそのペンで立ち向かうよりはマシなはずだ。今ならお前の中に先程のマコトの魔力も残っているだろうから、この剣のポテンシャルも引き出せるだろう。使え、勇者よ」

 エリが右手に掲げるのは刃までが漆黒の闇色に染まる、一本の両手剣だった。
 ――初めて見る、のだろう。
 初めて見る、はずなのに――どこか懐かしい、そんな気がする剣だった。

「――向こうの世界で、兄さんが使っていた剣ですね」と、シャーペンを胸ポケットに仕舞い、その両手剣を受け取ったヒカリが言う。「……いいんですか? 私が使っても」

「ああ。今のマコトに振らせる訳にはいかんだろう。握っただけで残る魔力を絞り取りかねんからな……。それに私にも打算はある。お前がその剣を使うことで、あるいはお前が魔王だとあの神龍に誤認させることが出来るかも知れん。そうすれば最悪、お前と私が死んでもマコトは助かる」ちら、とエリが僕を見た。「……だが勇者よ、お前も手元の魔力は残り少ないだろう? 扱いには十分に気を付けろ」

「そうですね……」

 ぶん、と鮮やかな動作で、感触を確かめるように漆黒の刃を左右に切り払う。

「……良い剣ですね」

「だろう? マコトの好みに合わせて私が鍛えた、魔王と魔女の愛の結晶と言うべき一振りだ」

「あとは――魔力不足の問題ですね」と、ヒカリがこちらを見て、そしてすぐに視線を逸らす。「……兄さんの魔力は、現状アテにはなりません」

「だろうな。手詰まりか?」

「はっ、何を言っているのですか。この世界ではとある漫画により、神龍と名の付く存在を相手取る場合のセオリーは既に確立されているのですよ?」

「む? そうなのか?」

 エリの問いに、ヒカリは自信ありげに頷いた。

「ええ。人はこの技をこう呼びます――『元気玉』と」

 …………。
 いや、まぁ。
 ちょっとだけ納得、と言うか、理にかなっている気がする。
 自分の魔力が足りないから、周りのみんなから少しずつ魔力を分けて貰うと――そういうことか。
 ……って、ちょっと待て!

「ヒカリ! それはつまり、周囲の生徒らとキスして周るとかそういうことか!?」

「ええ、まぁ、流石に手を挙げるだけでは魔力は集まりませんから」

「いくら非常事態とは言え、そんなことは僕が許さん! ヒカリにそんな真似をさせる位なら、あのドラゴンは僕が相手取る!」

 その、僕の言葉に。
 ヒカリは優しく、微笑んだ。

「ありがとう、兄さん。でも、このままだと兄さんにも危険が及んでしまいます」

 兄さんは先程、こう言ってくれましたね?
 私の為なら、何だって出来る――

「兄さん。私も同じです。兄さんを助ける為なら、私だってこの身を投げ出せる。ゴーレムの前にだって、それこそ神龍の前にだって。兄さんの命を守るためなら、全校生徒とキスして周る位、どうということはありません」

 ヒカリの言葉に、覚悟に、想いに――僕は圧倒される。
 返す言葉を――失う。

「でも――でも!」

 それは――僕に取って、そんな風に天秤に掛けられる様な問題じゃない!

「……ですが」と。

 それでも何かを言おうとした僕の言葉を遮るように、ヒカリが口を開いた。

「確かに私も、ここにいるサッカー部と野球部の皆様とキスして周るのは気が引けます。この中には恋人がいらっしゃる方も多いですし、要らぬトラブルの火種に成りかねません。生徒会長としてそういった問題を起こすのは、いくらこんな非常事態とは言えやはり躊躇われます」

 ですから、と言って、ヒカリはくるり、とギャラリーの方を向き直る。
 …………。
 その瞳に、覚悟の色が灯る。

「ですから、そうですね――元気玉、のコンセプトだけをお借りしてこの場は、先程のレベルアップと、私の中に残る兄さんの魔力により覚えたこの技で乗り切りたいと思います――」

 すっ――と、ヒカリが右手を掲げ、そして高らかに告げる!

「上咲ヒカリが命ずる――我が契約に従い、お前らの魔力を寄こせ!」

 キィィィン――、と。
 不可視の力が生徒らに向かって飛んだのが、視えた気がした。
 そして。
 悲鳴も声も無く、力なく崩れ落ちるようにグラウンドの上にばたばたと倒れていく生徒達。

「…………」

 何も言えない僕。

「…………」

 同じく無言のエリちゃん。
 そして。

「……ああ」と、感嘆の吐息を漏らすヒカリ。「久しぶりに、身体に魔力が満ちました」

 この充足感、たまりません――と、浮かべるのは恍惚の表情。

「ひ……ヒカリ……? 今のは……」

「兄さんの魔王の力、《王権神授》の勇者版ですね。魔王である兄さんが魔物に対して絶対命令権を持つように、勇者である私がこの力を使うと、人間に対しての絶対命令権を行使出来るようです」

 私よりもレベルが高い人間なんているはずがないですから、この世界では最早無敵ですね私、と言ってヒカリは悪魔じみた笑みを浮かべた。
 …………。
 お前……!
 そんな手段で集めた力には、最早一片たりとも元気玉のコンセプトは残ってはいない……!

「さて」と、ヒカリは神龍に向き直り、右手の漆黒の剣の切っ先と鋭い視線を向ける。「神の使いよ――《勇者/魔王》上咲ヒカリが相手です」



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第八話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/10/09 23:08
第八話



 ふっ――と、微かな呼吸の音を残し、ヒカリの姿が僕の視界から消える。
 え? と僕はその姿を探し、

「――ぉぉぉおおおおおおおおッ!」

 鼓膜を震わせるヒカリの気合いの声につられるように、僕は上空を振り仰ぐ。
 見つけた。
 グラウンド上空に佇む白亜のドラゴンの、その更に上。
 太陽を背に、一瞬のうちに神龍の死角――背後に飛び上がり、プリーツスカートをはためかせながら、上空からその首筋目掛けて漆黒の剣を一閃。
 狙い違わず、その刃が敵の首に食い込み、白い鱗に血液らしき青い液体を散らすが――

「――ちッ、浅い! やはり神龍の防護結界はこの世界でも有効か!」

 僕の隣で、エリが舌打ち混じりに悔しげな声を漏らす。
 浅い、と、僕もそう思った。
 ヒカリの放った一撃は確かに神龍の首筋を捉えてはいたものの、その堅牢な鱗に阻まれたのか、致命的なダメージを与える事に成功したようには見えなかった。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」

 突然の攻撃を受け、ヒカリを敵性体だと認識したのだろう。
 ドラゴンが剣閃を放った彼女に向けて、その鋭い爪を横凪に払う。
 まだ中空に浮いていて、重力に抗う術のないヒカリに、その攻撃を避ける手立ては無かった。
 吸い込まれるようにヒカリの身体に爪が食い込む、その寸前。

「《ダーク・クラフト/地獄の業火よ、我が敵を喰らい尽くせ》」

 エリが呪文を唱え、その右手に生まれた小さな火球を神龍に向けて放ち、攻撃の軌道を無理矢理に逸らせた。
 右足に火炎呪文を受けバランスを崩した神龍に向け、着地したヒカリが今度は腹部に向け逆凪に剣を振るう。
 再度の被弾。
 しかし――神龍は未だ健在だった。

「勇者よ、翼を狙え! 翼の付け根の鱗が薄い! まずは地面に引きずり下ろすぞ! ――《ダーク・クラフト/冥府の氷河よ、その手に我が敵を捕らえよ》」

 再度エリが呪文を唱える。
 と、今度は小さな氷柱を生み出したエリが、その右手を振ってドラゴンの右翼を凍り付かせた。

「上出来です、エリザベス!」その意図を汲んだヒカリが神龍の背に駆け上がり、左の翼の付け根を薙ぎ払う。

 飛び散る青い血液と――その巨大な翼!
 翼を失ったドラゴンが、グラウンドに轟音を立てて墜落した。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」 

 神龍が咆える。
 その叫びに滲む、明確な怒気に、僕は思わず身体を竦ませた。
 先程のゴーレムとの戦闘以上の緊張感。
 明確な命のやり取り。
 一瞬でも気を抜けば命を失う、――そんな戦闘。
 いきなり妹が勇者だっただとか、僕の前世が魔王だとか――そんな現実を認識したばかりの、否――それですら未だ半信半疑の一介の高校生に過ぎない僕に、震える自分の足を押さえ込むことなど出来はしなかった。
 だから。
 僕の視界の中で、まるで羽でも生えたかのように、地に落ちたドラゴンの周囲を飛び回り、少しずつ敵の身体を傷つけていたヒカリが――

「うわぁぁあああああッ――!」

 神龍のその鋭い爪の一閃を受け、赤い血を散らしながらゴールポストに激突しても、すぐに彼女に向かって駆けよる事が出来なかった。
 そして前衛を務めていたヒカリが戦線を離脱した為に、神龍は攻撃対象をエリへとシフトする。

「マコト! 逃げろ!」

 右手に握る黒いナイフで辛うじて神龍の爪を捌いたエリが、僕に向かって叫ぶ。

「今のお前なら、こいつに気付かれることはないだろう! こいつは私が何とかするから、お前は逃げろ!」

「に、逃げるって――」と、僕は震える声で言う。「僕だけが逃げられる訳が……!」

「馬鹿野郎! 今のお前に何がッ――!?」

 ごッ、という嫌な音がして、エリの身体が跳ね飛ばされる。
 僕のすぐ横にその小さな体躯が叩き付けられ、砂埃が舞い上がった。
 ぴっ――と、一拍遅れて僕の頬に液体が飛んだ。
 震える手でその液体を拭うと――指に付いたのは、朱い朱い、血液だった。

「……ま……コト……逃げ……」

 金髪を赤い血で染めたエリのか細い声が、僕の鼓膜に届く。

「あ……あ……」

 呆然とする僕の視界の中で、ドラゴンが動く。
 その視線の先には、――ぐったりと横たわる、ヒカリの姿があった。
 神龍が右脚を振りかぶり、そしてヒカリの身体に振り下ろそうとする様子が、やたらゆっくりと見える。

「あ……あああああああああああああああああああああああッ!」

 僕は咆えた。
 喉が張り裂けそうな程に叫び、そして足元に落ちていたエリの黒いナイフを握り、ヒカリとエリを傷付けた神龍に向けて駆ける。
 こいつの狙いが、勇者か魔王だと言うのなら。
 僕を殺して、そして僕の/魔王の魂を持って行けばいい。
 だから、――ヒカリは、これ以上傷付けさせない!
 僕を……魔王を、勇者の兄を、舐めるな――!
 狙うのは一点。
 先程の戦闘でヒカリが付けた、未だ青い血液を流し続ける腹部の傷跡。
 ヒカリとエリが束になっても敵わなかったこの神龍を、僕如きが相手取れるとは思っていない。
 けれども。
 だからと言って、このままただ殺されてやるつもりなどない――!
 僕は全力で駆け、その勢いを乗せた一撃をドラゴンの腹部に向けて放ち――

「――がッ!」

 その鋭い爪による横凪の攻撃に、右手に持っていたナイフを簡単に弾き飛ばされた。
 武器を失った僕に、――最早抵抗の手段は残されてはいない。
 ――いや!
 僕はさっきのゴーレムとの戦闘を思い出す。
 ――《王権神授》!
 魔物に対する、絶対の命令権――これを使えば!

「《死ね》――!」

 願うように。
 縋るように、祈るように、――僕は命じた。
 けれども。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」

 そんな僕の抵抗をあざ笑うかのように、神龍がその巨大な顎を開き、咆えた。
 ――あ。
 ゆっくりと、世界が色を失った。
 走馬燈。
 命の危険を感じた脳が最大限の処理能力を発揮し、敵の動きがスローモーションになる。
 横凪に迫る爪。
 まるでコマ送りのように、その軌道ははっきりと読み取れる。
 けれどもそれは、抵抗につながることはなく――ただ、最後の瞬間を間延びさせるだけの効果しか生まなかった。
 僕の身体を、衝撃が襲う。
 けれどもそれは神龍の爪を突き立てられた事によるものではなく――もっと優しげに、突き飛ばされたことによるものだった。

「駄目ですよ、兄さん……。この龍は神の使いであって――魔物ではないですから、《王権神授》は通用しません……」

「あ……ヒカ……リ……?」

 僕は呆然と呟く。

「とは言え、所詮は魔力によって編まれた存在ですから、私の全魔力を解放しての《魔力殺し》なら、相応のダメージは与えられるでしょう……」

 ヒカリは、か細い声で続ける。
 その口元から、大量の血液が漏れて、僕のYシャツにかかった。
 ヒカリは――僕を庇うように、その右肩にドラゴンの爪を受けていた。
 ブラウスを染め上げる、大量の朱い血。

「……だから、兄さん」と、ヒカリが左手に持っていた漆黒の剣を僕に向けて捧げる。「この剣で、止めを刺して下さい……」

「ヒカリ……何を……」

 僕は。
 反射的に、その剣を受け取ってしまった。
 受け取って――しまった。

「これから私が全魔力を解放し、……神龍の鱗に編み込まれた防御結界を破壊します。……あとは兄さんが、……私がこいつを押さえ込んでいる間に、止めを……私が回収した魔力を乗せてありますから、一撃だけなら、今の兄さんでも振れるはずです……」

 言葉の端々に滲む、苦悶の色。
 傷口から流れ出る血液は、常人なら間違いなく生命の危険に至る量。
 血液。
 血液は――魔力の媒介。
 僕は先程のエリの言葉を思い出す。

「ま、待てヒカリ!」 

 だが。
 ヒカリは僕の静止の声を無視し、震える手で胸ポケットからシャープペンシルを取り出し――逆手に握り締める。

「――全魔力解放、是、《神裂剣/カミサカヒカリ》」

 突如、ヒカリの血が輝きを放ながら収束し、シャープペンシルに纏うように、光の刃を形成した。
 それは。
 幻想的な、蠱惑的な、――見る者を惹き付ける、命の煌めき。

「ぉぉぉおおおおおおおッ!」

 ざん、と。ヒカリは逆手に握る剣を一閃し、右半身を捉えていた神龍の爪を切り飛ばす。
 そして。
 両手で光の剣を振りかぶり、――袈裟斬りに、その刃を神龍の身体に突き立てる。 
 と、先程までは表面を傷付けるだけだった神龍の鱗を容易く斬り裂き、首筋から胸元に掛けて刃が食い込んだ。

「今です、兄さん!」

 ヒカリの声に、僕は我に返る。

「神龍の存在を構成する中核は、この心臓部分です! 私が結界を殺している間に、止めを!」

 僕はその言葉に導かれるように手元の剣を振りかぶり、

「ひ……ヒカリ! 早くそこを離脱しろ! このままじゃお前を巻き込んでしまう!」

「駄目です、兄さん」と、ヒカリは言った。「この剣を抜けば、すぐに結界が復活してしまいます! こいつを倒すには、このまま撃つしかありません!」

「ばッ……! そんな事が出来るはずが――」

「《撃って下さい、兄さん》――!」

 え……?
 と、思う間もなく――
 僕の腕がまるで別個の意志に支配されたかのように、

「――やめろぉぉぉおおおおおおおッ!!」

 漆黒の剣を、振り下ろした。
   



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第九話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/10/14 20:32
第九話



 僕の剣閃から伸びた漆黒の衝撃波は、神龍の巨体と、その巨体に剣を突き立てていたヒカリの身体を呑み込み、更には背後にあった旧校舎を余すことなく破壊してからようやく消失した。
 舞い上がる砂埃に視界が遮られる。
 だが僕はそれに構わず、尚も体力を奪い続ける漆黒の剣をその場に投げ捨て、破壊の跡へと駆けた。
 目指すのは、旧校舎の残骸に横たわるドラゴンの体躯。
 脳裏に浮かぶのはたった一つのことだけ――僕の一撃により神龍と共に旧校舎に叩き付けられたであろうヒカリのことだけだった。 

「ヒカリ――ッ!」

 もしかしたら旧校舎に人がいたかも知れない、だとか。
 巻き込まれた人がいるかも知れない、だとか。
 そんなことはどうでも良かった。
 今この時に限って言えば――例えば僕が駆けつけることで助かる生徒が、巻き込まれただけの生徒がそこにいたとしても――僕はヒカリの無事を確認することを優先した。
 その他の事象など、脳裏に浮かびすらしなかった。

 たった一人の――僕の妹。

 ともすればその場に倒れてしまいそうな程の、全精力を絞り取られたかのような倦怠感を訴える身体を無理矢理に動かし、僕は駆ける。
 と、砂埃の中、何かが動いた。

 ――ヒカリ!

 反射的にそう思ってしまったが、その影はどう考えてもヒカリのそれより大きい。 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」

 大地を揺るがす咆吼。
 神龍の健在を知らせるその響きに、僕は反射的に足を止める。

 ――まずい、剣を!

 と振り返ろうとする僕の視界の中で、神龍はぴたりとその動きを止め、

「…………!」

 一拍遅れて、その体躯が崩れて、光の粒子に代わり始めた。
 どうやら先程の咆吼は断末魔のそれだったらしい。 
 僕はほっとするのもつかの間、止めた足を再び動かし、存在を消失させ掛けているその巨体の下へと駆ける。
 溶けるようにその存在を失っていくドラゴンにはもう一瞥さえもくれず、僕はヒカリの姿を探す。
 辺りに散るのは四階建ての旧校舎一棟分の瓦礫。
 僕は必死に視線を這わせる。
 壁の残骸、砕けた机、折れた黒板――その他の有象無象。

「ヒカリ……ヒカリっ!」

 ……いた。
 瓦礫の中、半ば埋もれるような形で倒れ伏していた彼女に、僕は駆け寄る。
 朱。
 僕の視界に滲むのは――

「あ、ああああああああああああああああああああああああああ」

 ヒカリの身体から流れ出る、一目で致死量と見て取れる出血。
 特にドラゴンの爪を受けた右肩の傷は深く、もはや右腕が繋がっていることが不思議な位で。
 全身に散る裂傷は数えきれず、そしてその一つ一つから流れ出る血が、僕の脳裏を麻痺させる。
 左腕と右足は骨折しているのか、おかしな方向に曲がってしまっていて。
 真っ白だったブラウスは、最早初めから朱い製品だったかのように真っ赤に血染めされている。
 半開きの瞳に生気はなく、――そして背中には、袈裟斬りに僕の剣閃を受けた、大きく深い傷。
 ぴちゃり、と僕のローファーが、水たまりに足を突っ込んだときのような水音を立てる。
 朱い朱い、水溜まり。
 血溜まり。
 致命傷。
 明らかな――致命傷だった。

「――あああああああああああああああッ!」

 僕はその場に崩れ落ちる。
 僕の所為だ。
 僕がヒカリを斬り裂いた。
 僕が――この手でッ!
 僕が、僕が僕が僕が僕が僕が――

「……落ち着け、馬鹿者ッ!」ぱん、と誰かに頬を張られ、僕は我に返った。「まだこいつには息がある! 恐らくはお前の中の魔王の部分が、人にしか効かぬ勇者の《王権神授》に逆らい剣を振り切れなかったんだろう!」

 そんな言葉で僕に冷静さを取り戻させたのは、漆黒のドレスをボロボロにし、あちこちの傷から血を流すエリだった。
 魔女。
 ……魔法。
 そうか……魔法!
 僕は顔を上げる。
 縋るように、飛び付くように、その選択肢に望みを託す。

「エリ……エリザベス!」と、僕は彼女に飛び付く。「エリザベス、頼む! 力を貸してくれ!」

「言われずとも分かっている! 神龍をこの世界に渡らせたのは私の落ち度だ! こんなところで借りをつくり、あまつさえこんな勝ち逃げを許しては最強の魔女の名が泣く!」そもそも命と引き替えに神龍を倒すのは私のはずだったのだ、と傷だらけの魔女は嗤う。「回復術式を組む。だが、私の魔方式では魔物以外を回復させることは出来ん」

 勇者は人。
 人は――エリの魔法では治せない。

「……そ、そんなッ!」

「慌てるな、馬鹿者が。確かに私の負の魔力では拒否反応が起きてしまい、正の魔力を力の源とする勇者を回復させることは出来ん。――だから、マコトの中に残る正の魔力を使う」

 正の魔力。
 さっき無理矢理に押しつけられた――妹の魔力!

 試行もなしの即席混合魔法だ、確かな効果が出るかわからんがな、とそう言って、エリは自分の傷口に指を這わせ、血を掬った。

「上手く……行くのか?」

「それはやってみなければわからん。わからんが――マコトと勇者は魔力のやり取りが出来ていただろう? なぜかは知らんが、勇者の中に負の魔力への適正が存在するのかも知れん。だとすれば負の魔力を元にした魔方式であっても、こやつの正の魔力と反発を起こさず――上手く行く可能性はある」

 エリの血が、輝きを放つ。

「――《ダーク・クラフト/我が子に闇音の祝福を》」

 エリの言葉と共に、魔女の血が作る魔方陣が、ヒカリの身体を包み込むように展開する。
 そして――

「マコト、こいつに口付けろ」

「……え?」

「言っただろう、お前の中の正の魔力を勇者に戻すんだ。意識がない今、血液を飲ませるよりも確実性が高いからな」

「で……でも、魔力の渡し方なんて……」知らない、と言いかけて、僕は頭に残る違和感にふと気付く。「なんだこれ……魔力の扱い方が……脳に、直接刻み込まれるような……?」

「レベルアップ、だろうな」とエリは言う。「人の身で神龍を倒したんだ。レベルは一気に引き上げられるだろうし、それに伴って使える術式、扱える魔法も飛躍的に増えたはずだ。私が手ほどきをすれば五大元素魔法はもちろん、また世界に孔を開ける術式にさえ手が届くやも知れん」

 もっとも魔力を調達しなければ、単純な火炎魔法一つ満足に発動させることは出来んだろうがな、とエリは言った。

「じゃあ……このまま、正の魔力をヒカリに戻せばいいのか?」

「ああ。傷ついた身体、臓器の修復のための魔法式は組んだ。あとは魔力を補充さえすれば、少なくとも生命の危機は脱することが出来るはずだ」

「あ、ああ……」

 僕はそっと、横たわるヒカリのそばに膝をついた。
 そしてそっと、――僕はヒカリに口付ける。
 薄く開いた唇から流し込むように――舌を入れて絡ませる。
 唾液の交換。

 二度目のキスは――血の味。
 そして僕の中の何かを放出する、そんな官能感を覚えた。
 ヒカリの身体を、淡い光芒が包む。
 そして数秒後に光が収まると……目に見えて生気が戻ったヒカリの姿が、そこにはあった。
 頬には血の気が戻り、呼吸も戻ったのか、ゆっくりと、だが確かに胸が上下している。
 安堵感を覚えると同時に、僕はどっと疲れを感じた。

 そして――頭痛。

 締め付けるような。
 刻み込むような。
 ――脳に、直接情報を流し込むような。

「……マコト?」と、エリが訝しげな声を出す。

「……すまない、エリザベス……」と、僕は言う。「少し……頭が……」

 近くに僕の名を呼ぶエリザベスの声を。
 遠くに救急車とパトカーのサイレン音を聞きながら、僕はその場に倒れ込む。

 ――レベル……アップ……?

 レベルアップに伴い、失っていた魔王としての力を取り戻したという趣旨のメッセージと、莫大な量の情報を脳裏に直接刻み込まれる痛みを感じながら、僕は意識を手放した。

 きっと。
 次に目を覚ました時には、ヒカリがまた元気に笑って、「寝坊にも程がありますよ、兄さん」だとか言ってくれるんだろうな、と。
 そんな思考を最後に、僕の意識は闇に閉ざされる。

 僕は、――眠る。
 深く深く、沈むように落ちるように――夢の中/別の世界へと堕ちて行く。
 その暗闇は。

 ――どこか、懐かしい香りがした。  



(挨拶)
現代編は一旦ここで終了です。
次回は過去編でお会いしましょう。



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第十話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/11/01 05:56
第十話



 その世界は、神の作ったルールに支配されていた。
 光を担う勇者と闇を担う魔王が存在し、勇者は人々の正の感情を力に換え、負の感情を力とする魔王を討つ。
 人と魔物の争いはそうして決着し――そして。
 魔との争いを終えた人は、人と争うようになる。
 そうして生まれた負の感情は、やがて――再び魔王という存在を生み出す。
 負の感情の行き場として。
 悪意と敵意の矛先として。
 終わることのない魂の牢獄に繋がれたまま、幾たびも殺され、そして同じ数だけ生み出される、ただただ人同士の争いを抑制するためだけの存在――魔王。

 それが、神の作った不変のルール。
 それが、その世界の普遍のルール。

 魔王は願う。
 この煉獄からの解放を。
 終わらぬ地獄の終焉を。
 負の感情に晒され続けた魂は疲弊し、幾たびもの死滅と再生を繰り返す中で存在を摩耗させてしまった今――魔王の願いは、ただ一つ――

 ――勇者に■されたい。



 淡い光を放つ聖剣の切っ先が、僕の喉元に突き付けられた。絶対の魔力殺し。大魔法と呼ばれる攻性魔法を乱発し、莫大な魔力量をすっかり使い切ってしまった今その剣を受ければ、僕の身体は容易く消滅するだろう。

 死。
 それは甘美な誘惑の言葉。
 少なくとも、また人の世界に悪意が溜まるまでは、この身が復活することはないだろう。
 思わず緩んでしまいそうになる口角を引き締めながら、僕は言った。

「殺せ」

 それは懇願だった。
 これ以上の悪意をこの身に受け続けることなど、考えたくもなかった。
 例え神の身勝手な事情ですぐに再生させられるのだとしても、一時の魂の休息が必要だった。
 僕の心は、既に折れてしまっていた。

「……一つ聞きたいのですが」

 眼前の勇者は言った。
 今代の勇者は若い女だった。
 まぁ、そういうこともあるのだろう。何せ人の半分は女なのだから。そういえば以前にも何度か女の勇者に倒されたことがあった気もする。だが、その記憶はもう幾たびもの上書きを繰り返された精神の中、すっかり摩滅してしまっていた。

「あなたは一体、何を考えていたのですか?」

 剣は、未だ僕の首元にあった。

「……何を、と言うと?」と僕は聞いた。

「おかしい、と思ったんです。何かがおかしいと。魔王は人を滅ぼす、だから勇者は魔王を倒さなくてはならないと彼らはいう。歴史を紐解いてみても、歴代の勇者は間違いなくあなたを倒し続けてきた。にも関わらず、こうして魔王は復活した。そしてあなたを倒すために私は生を受けて――」

 ここへ来た。
 まるで。

「まるで――導かれるかのように」と、彼女は言った。「生まれた街は平和でした。街を出ても周囲には子供でも相手取れるような弱い魔物ばかり。そして私の成長に併せて、行き先に併せて段階を追うように強さを増す彼ら。最初はこう考えました」

 強くなったから、次の街に行けるのだと。

「けれども、次の街に行っても、その次の街に行っても――この魔王城に最も近い、最後の街でさえも、人々は魔物の影に怯えながらも、いっそ平和と称してもおかしくない暮らしをしていました。まるで最低限の生活が保障されているかのように。人としては最高峰の強さを持つ私でさえも苦労するような魔物が周囲に溢れていながらも、彼らは普通に暮らしていた」

 魔物が出向けば簡単に街など潰せるはずなのに。
 魔物は。
 積極的には人を襲わなかった。
 魔物が襲うのはほとんどの場合――勇者。
 しかも。
 ギリギリのラインで勝ちを拾えるような微妙なバランスを取った戦闘が多かったと、勇者は言った。

「だから、私は『強くなったから、次の街に行ける』のではなく、『次の街へ行くために、強くさせられている』のだと気付いたんです」

 一定の難易度を保ちながら。
 導くように育てるように、ゆっくりと着実に、勇者に経験値を与えて行く。
 まるで。
 魔王の元に着くまでに――魔王を倒せる力を、勇者に与えるかのように。

「――答えて下さい、魔王」

 勇者が剣を下ろした。
 僕は言葉を失った。
 これまでに何度も勇者に倒されてきたが、彼らは皆、そんなことなど考えずに僕に剣を突き立ててきた。
 何がいけなかったのか、と僕は考えた。

「何がいけなかったのか、とでも言いたげな顔ですね」と勇者が言った。

 完全に心が読まれていた。
 僕は慌てた。
 が、僕が何かを言う前に、勇者が答えた。
 何がいけなかったのか。

「いいでしょう、教えてあげます。何て言ったって私は勇者ですからね、その位の慈悲はあります。まず私が生まれたその瞬間。その時点でおかしかったんです。それまではある程度の強さを持った魔物が街の周囲をうろついていたはずなのに、私が生まれたその日以降はぱたりと姿を見せず、代わりに魔物の中でも最弱の部類に入る連中しか目にしなくなったそうです」

 買い物帰りのうちの母がおたま一つで倒せるような魔物。

「おかしいでしょう? 王は『勇者の正の力が魔物を追い払ったのだ』とかなんとか寝惚けた事を言ってましたが、私はそこまで楽観論者ではありません。生まれたての勇者に何が出来ると言うのです? と言うか、そもそも」

 私が生まれたその瞬間に、魔王が出向けばそれだけで終わる話なはずなのです。
 そう勇者は言った。

「なのに、まるで私の成長に併せるかの様な難度設定のダンジョンやら魔物やら、おかしいにも程があります。それに極めつけはこの聖剣です。何で魔王すら斬り裂く最強の魔力殺しが付与されたアイテムがこれ見よがしに魔王城の宝物箱に入っているんですか?」

「いや……ほら、僕にとっても危険なアイテムだから、目の届くところでしっかりと保管して置いてだな……」

「それなら鍵くらい付けて置いて下さい。それに、まだまだ聞きたいことはあります。最強の魔女がこの城にいなかったのはなぜですか? 聞けば、彼女は神々が宿る霊山の頂上で隠棲しているとか。なぜ魔王城防衛拠点に彼女を置かないのです?」

 いや、だって。
 あいつ本気で勇者を倒しちゃいそうで怖かったんだもん。
 絶対遵守の命令で《ここから出るな》って言っておかないと、序盤のうちに勇者の元に繰り出しかねなかったしな。

「他にも言いたいことは山程あります」そう言って、勇者は本当に山程の小言を繰り出した。

 曰く、ダンジョンの地図がなぜ入り口付近にあるのだ、だとか。
 曰く、なぜ魔物は物量作戦を採用しないのか、だとか。
 曰く、倒されたからって強力なアイテムを落としていくな、だとか諸々の小言をまくしたてた彼女は、疲れた顔で最後にこう言った。

「そして最後に辿り着いた魔王城では、最後の魔王の間の直前に魔力と体力が全回復するアイテムが落ちてましたし……いざ魔王の間に入ってみれば、魔王が単身待ち受けていて更には隙だらけで口上を述べたあげくに、魔法を無効化出来る聖剣を持つ私相手に派手な攻性魔法をばんばん繰り出して勝手に自滅しちゃいますし」

 はぁ、と彼女は溜め息を吐いた。

「自殺志願なら勝手に死んで下さい。私は弱い物虐めは嫌いなのです」

「確か略奪を繰り返す武装盗賊団を嬉々として単身壊滅させてた気がするんだが」

「単身? 気のせいでしょうか。やたら大きな魔力を持った謎の人物がそれとなく支援してくれた気がするのですが」

 僕だった。
 バレてる!

「エリザベスの馬鹿! 存在秘匿のアイテム全然効果ないじゃん!」

 思わず東の霊山に向かって叫んだ僕に、ほらやっぱり、と勇者は笑って見せた。
 しまった。

「……だがな、僕がいる限り人と魔物は敵対したままだ。僕が死ねば魔物達は弱り、人里からもっと離れた奥地から出られなくなる。そうせねば、魔物達も安心して暮らせないし、何より人だって困るだろう」

「それは魔物の危険が去った後、人たちがどうするか知っていての台詞ですか?」

 何もかもお見通し、と言わんばかりの澄んだ眼で見つめられた。
 人は、争う生き物だ。
 魔物との争いを終えれば、次は人同士で争う。
 幾たびも繰り返された歴史だった。
 僕は諦め、溜め息を吐いた。

「……だがな、僕は魔王だ。そういう存在なんだ。人々の悪意の受け皿として神に造られた以上、その役割から抜け出すことは出来ない。そして僕はもうこれ以上人の悪意を受け止め続ける自信がない」

 これ以上の悪意をこの身に受け続ければ。
 僕の心は、きっと壊れてしまう。
 心の壊れた魔王は、魔王として機能せず。
 神はきっと、次の魔王を造るのだろう。
 そうすれば確かに僕は――この魂の牢獄から解放される。
 けれども。
 そうなった場合――次の魔王に一番近いのは、僕の眼前にいる彼女だ。
 人の身でありながらも魔王ですら倒す存在。
 勇者。
 その能力は言わば――魔王に一番近い。
 僕は。
 この地獄を、他人に背負わせたくはなかった。
 だから。

「だから、今回の僕はここで終わらせてくれ。一旦リセットして、また次の悪意が溜まった頃に再度顕現させられるだろうから」

 だから、今は。

 ――僕を■してくれ。

 そう、僕は懇願した。

「そうして――あなたは魔王として、幾たびも勇者の剣を受け続けて来たのですか?」勇者は、悲しげな眼で僕にそう問う。「他の勇者を、魔王にさせない為に、ずっとずっと――魔王の座に座り続けていたんですか?」

 あ、あれ?
 なんか雲行きがあやしい!

「……違うぞ! 僕は私利私欲の為にもこの座を渡したくはなかったのだ! 魔王というのは意外と役得もあってだな! エリザベスみたいな絶世の美女とお知り合いになれたり、絶対遵守の命令であんなことやこんなことが出来たりだな……」

 出来るかも知れないけど、しないけどね。

「羨ましいですね、絶対遵守。私も魔王の座が欲しくなって来ました」

「なぜだろう、お前が絶対遵守の力を持ったら世の中が大変な事になる気がする……!」

「と、冗談はさて置き」こほん、と勇者は咳払いをした。「魔王、その魂の牢獄――抜け出したくはありませんか?」

 …………。
 ……え?

「あなたが背負うその魔王という役割は辛くて、悲しくて、痛くて、それでも抜け出す事が出来なくて。そんな重い重い役割を――元々勇者だったあなたに、このまま背負わせ続けておくことを良しとは出来ません」

 僕は驚きに言葉を失った。
 僕が元、勇者であると――そこまで気付かれていたのか。

「だから――私と手を組みましょう、魔王」

 そう言って、勇者は微笑んだ。

「私があなたの、その魔王という役割を」


 ――殺して差し上げます。 



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第十一話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/11/03 10:41
第十一話



 旅に出ます。
 探さないで下さい。
           魔王


 そんな書き置きを残して勇者と共に魔王城を後にしてから、一週間が経った。
 ――私と手を組みましょう。
 勇者のその申し出に、まだ返事はしていなかった。

「……まったく、流石は勇者様だ」窓を叩く雨粒を見ながら、僕はぼんやりと呟いた。「魔王にさえも救いの手を伸ばすとはな」

「はい? 何か言いましたか?」

 向かいの席に座り、木製のフォークで器用にパスタを口に運んでいた勇者が小首を傾げて僕に問う。
 僕は「何でもない」と言って、魚とキノコが入ったキッシュに手を伸ばした。
 と、そこへ、

「お待たせしました、勇者様。ぶどう酒を二つお持ちしました」と、給仕を務めるこの宿の一人娘の少女が、僕らのテーブルにグラスを二つ並べた。

 年の頃は十三、四といったところだろうか。まだ小さいのに、ずいぶんと仕事ぶりが様になっている。くたびれた給仕服が、この仕事の年季の長さを物語っていた。

「……酒?」注文は揃っていたはずだ。

「あ、いえ。これはサービスです」と、少女は微笑んだ。「私達の為に頑張っている勇者様がうちみたいな小さな宿屋に泊まって下さっているんですもの。これくらいはサービスしないとバチが当たっちゃいますよ」

「成る程」と、僕は言った。

「ありがとう」と、勇者も礼を口にした。

「この長雨にも感謝ですね。お陰で魔王城に近い、こんな辺境の小さな町に勇者様が滞在して下さるんですもの、ひょっとしたらこの雨は神様からのプレゼントかも」

 そう言って、少女はお盆を胸に抱いて満面の笑みを浮かべた。
 そこに浮かぶのは、喜び、嬉しさ、感謝といった溢れんばかりの正の感情。
 それを受ける勇者が羨ましくないと言えば嘘になる。
 かつて僕が受け取っていたもの。
 今の僕が受け取る事のないもの。
 僕は黙って、ぶどう酒を一口あおった。
 安宿に置かれる酒だけあって、随分と渋い味がした。

「ところでお兄さんは」と、少女が僕の顔を覗き込んだ。「勇者様のお付きの方なんですよね? でも剣を持ってないところを見ると、戦士様じゃなさそうですし、杖も無いから魔法使い様でも、ローブを召していらっしゃらないですから賢者様でも……」

 まずい。
 僕に話題が移ってしまった。
 僕は基本的に外見は人と変わらないから、こうして普通の旅人の格好さえしていればそうそう正体が露見することはないだろうが、それでもこうしてまじまじと見つめられると落ち着かない。
 僕は少女の視線から逃げるようにコップで顔を隠しつつ、助けを求めて視線を勇者に向けた。
 僕の視線を受けて、勇者は心得たとばかりに頷いて、

「魔王」と言った。

 僕は思いっきりむせ込んだ。

「――を倒すためにスカウトした、私の護衛です。魔力を編んで剣を創れば剣士並みに腕が立つし、魔法に関しては杖も無く大魔法を行使する、おまけに賢者顔負けの知識を持つ、私が安心して背中を預けられる、一人三役の最強の護衛」

 もっとも、私には一歩及ばないですが、とそう言って、勇者は悪戯げに微笑んで見せた。

「うわぁ、すごいんですねお兄さん!」ぱぁっ、と少女の顔が華やいだ。

「……あ、いや」

 きらきらと瞳を輝かせる少女に一歩引きながら、僕は曖昧な笑みを浮かべた。
 少女の眼に浮かぶのは、勇者の護衛に対する憧憬。
 例えそれが間接的にではあるにせよ、人から悪意以外の感情を向けられるのは久しぶりだった。居心地の悪さに、僕は黙々と料理をぱくついた。

「そう言えば」と、勇者がようやく助け船を出してくれた。「大雨が降っているとは言え、今日は町がやけに静かですね。前回立ち寄った時には、もっと賑やかだったと思うのですが」

 勇者のその言葉に、僕は改めて食堂を見回した。
 昼時にも関わらず、僕ら以外の客の姿は無かった。 

「あ、ええ」と、少女は困ったような表情を浮かべて、窓に視線を向けた。「実はこの一週間降り続いている大雨で、この町の傍を流れる河が随分と水嵩を増しているようでして。大人達は今、総出で堤防の補強にあたっているんです」

 少女はそう言って、窓の傍に歩み寄った。

「それは大変ですね。私も手伝いましょう」

 そう言って、勇者がフォークを置いて席を立とうとする。

「だ、駄目ですよ! 勇者様にそんなことをさせたりする訳にはいきません! 勇者様は魔王を倒す旅の途中にこの町に立ち寄られたのです! そんなことは気にしないで、ゆっくりと休んで頂かないと!」

 少女の台詞に、僕はそっと視線を逸らした。
 勇者は僕を一瞥し、そして少女に向き直る。

「では、私ではなく彼を行かせましょう。どの道、私達はその河を渡らねばなりません。増水の状況を確認しておく必要があります。お仕事中に申し訳ありませんが、その河まで彼を案内してあげて頂けますか?」

 そう言って、勇者は微笑んだ。
 その様子を見て、僕は苦笑した。一応はお願いという体裁を取っていたが、人の希望をその身に背負う勇者の頼みを、一介の宿屋の給仕が断れるはずがなかった。
 少女はいっそ気の毒になる位に恐縮しながら、女将に店を開ける旨を告げに行った。

「……どういうつもりだ?」と、少女の背が厨房に消えたのを見届けてから僕は問う。「僕は魔王だぞ? あの少女に危害を加えないという保証はないだろう?」

「本当に危害を加えるのならそんな台詞は口にしないでしょう」と、勇者は笑った。「大丈夫ですよ。あなたはあなたのしたい事をして下さい」

「……僕の、したい事?」

「ええ。魔王はあの日、魔王城で倒されました。今のあなたは魔王ではなく――一介の元勇者です。そう思って行動してくれさえすれば、後はお好きにどうぞ」

 そう言って、ぶどう酒を飲み干した勇者は聖剣の入った剣袋を手にして席を立った。

「少し疲れました。先に部屋で休みます」

「……ああ」と、僕は頷いた。

 勇者の意図は読めなかったが、考えてみればあの日あの時死ぬつもりだったこの身だ。
 しばらくは勇者の企みに付き合ってやるのも良いか、と思った。
 僕は雨よけのローブを被り、宿の玄関へと向かった。
 雨足は一向に弱まる気配がない。町の大人が総出で堤防の補強に向かっていると言うのだから、この分では河の増水もかなり危険な状況になっているのかも知れなかった。

「お待たせしました!」

 雨合羽を被って出てきた少女の声に、僕は振り返る。

「河まではここから歩いて一時間程です。お疲れのところ大変申し訳ないですけど、ご案内させて頂きます」

 歩いて一時間。雨で道が悪くなっている上、朝から立ち仕事をしていた少女には厳しい道程だろう。そして少女と二人きりで歩くその道程の中でどんな会話が発生するかを考え、僕は溜め息を吐いた。荷が重い。

「ちょっと失礼」

 そう言って、僕はひょい、と少女を胸元に抱え上げた。

「きゃっ、や、ちょ」

「方向だけ教えてくれ。後は自分で見つけるから」

「……え?」

「どっちだ?」

「……あ、あっち、ですけど」

 北西の方角を指さしながら、きょとん、と僕を見上げる少女を無視して、僕は思い切り地面を蹴った。この身は魔王。ただの跳躍でも、町の一区画分位は簡単に飛べる。

「きゃぁぁぁぁっ!?」僕の胸にしがみつきながら悲鳴を上げる少女を無視して、僕は指向性を持たせて魔力を解放する。

「《我が炎は風を生む》」

 僕の言葉に呼応するかのように、火系魔法の応用で生んだ風が、少女の指差した方角に向かって僕らの身体を運んだ。
 魔力の解放による高速飛翔移動。後は僕の身から迸る魔力で雨粒や風の抵抗から身を庇えば、少なくとも歩くよりはマシな移動手段だった。
 滑空するように、僕らの身体は一気に町を横断する。
 これなら歩いて一時間の距離でも、一分足らずで着けるだろう。
 僕の胸の中で固く眼を閉じていた少女も、恐る恐る眼を開けると、眼下の風景に「うわぁ……」と簡単の声を漏らした。

「怖いか?」

「ううん! すごい! 鳥になったみたい!」

「そうか」

 僕は思わず、微笑んでしまった。

「あ、お兄さん、あそこが河です」と、少女が指差す方向に、大きな河が見えた。「ほら、今みんなで土嚢を積んで――」

 と、その時だった。
 雨の音と風の音の他に、突然異質な音が混じった。
 低く、重い――地鳴り。
 僕は咄嗟に河の上流に視線を投げる。鉄砲水? いや、これは――

「――土石流!」

 長雨で地盤が緩んでいたのだろう。山腹が崩れ河に流れ込み、全てを呑み込む濁流となって町へと流れ込んで来る。僕は息を呑んだ。河の傍に立つ町の大人達。このままでは助かるまい。あと数秒で、彼らは土石流に呑み込まれる。
 死に行く者の悪意。残された者の悪意。
 それらは僕の力になり、そしてまた僕の心を灼くのだろう。
 僕は無感情に、土石流が彼らに襲いかかろうとするのをただただ眺めていた。
 と、その時だった。僕の腕の中で少女が叫んだ。

 ――神様!

 祈るように。
 願うように。
 神様。人々の信仰の対象。人は神に救いを願い、そしてその祈りはいつだって届かない。
 神に願って一体何になると言うのだ。人にとっての最大の敵とされる魔王を倒すことさえ、同じ人である勇者の手に委ねられていると言うのに。
 本当に神が、こんな辺境の小さな町を襲う自然災害を気に掛けるとでも思っているのだろうか。
 馬鹿馬鹿しい。 
 神はただ、遙かな高みから、ただ黙ってこの世界を見下ろしているだけだ――!

 僕は。
 神に祈るこの少女を、そして祈る少女を救わない神を許せなかった。
 だから、――これは神への意趣返し。
 神に救いを求める少女を魔王が助ければ、その祈りは無駄になるだろう?
 あくまでこれは神に一矢報いるための行為。

 決して――人を助ける訳じゃない!

 僕は右手を掲げて、魔方陣を展開し、魔力を解放し土系と金系の混合魔法術式を編む。
 眼下には今にも人々を呑み込まんとする土石流。

「《我が従者よ――》」

 僕の胸にすがりつく少女が、息を呑む音が聞こえた。
 僕は構わず、世界に告げる――

「《敵を排せ!》」

 僕が組んだ魔法式に基づき、世界がその姿を変える。今にも人々を襲おうとしていた土石流の流れを阻む様に、周囲の土が盛り上がり、町を囲む様に数キロにも渡る強固な壁を形成する。
 土系と金系の混合魔法で構成する、巨大な堤防。
 それは土石流の直撃にも耐えうる、最強の盾!
 術式が収束したその刹那、土石流が完成した堤防に激突する。

 轟音。
 だが、世界最強の存在として名を馳せる魔王が組んだ術式が、何の魔力も伴わない自然災害ごときに打ち抜けるはずもなく、土石流は町を囲む堤防に沿って、その流れの向きを変えた。

「……地図を書き換えないといけないな」と、僕は魔王城の壁に掛かっている世界地図の一画を占めていた大河を思い出した。

 魔力を調節し、ゆっくりと地面に降りる。
 と、地面に足が着いたその瞬間。
 僕の腕の中から、少女が飛び退いた。

「……お兄さん、まさか」

 その呆然とした表情に、ふと気付く。しまった。考えてみれば、人が持つ魔力では地形を変える程の術式を行使出来るはずがなかった。
 まぁいい。悪意は僕の力になる。大規模な魔法を行使して、若干の魔力不足を覚えていたところだ。ここらで正体を明かしてしまっても良いだろう。

「ああ、そうだ。悪いな、僕は実は魔王なんだ」

「ま……おう?」

「ああ」

「魔王……様」

 魔王、様?

「いや、様はいらんだろう」

 というか、なんだそのキラキラとした表情は!
 僕はたじろいだ。

「ま、魔王だぞー。恐れおののけー」

 がおー。
 何となく迫力がありそうなポーズを取ってみる僕。少女は気にせず近寄ってくる。しまった。城の中に引きこもってばかりいないで、もっと人に接して人が恐れるポーズを研究しておけば良かった。

「ま……魔王様!」と、がばっ、と少女に組み付かれた。

「は、はい!」と、その真剣な表情に、思わず敬語になってしまう僕。

「ありがとうござます……」と、少女は僕の胸に顔を埋めるようにして、そして何度も礼を言う。「ありがとうございます! 魔王様! 本当に……本当にありがとうございます!」

 …………。
 それは全力の感謝だった。
 正の感情は勇者の力の源であって、魔王である僕の身には毒でしかなかった。
 少女に、そして事態を把握した人々から向けられる正の感情が、僕の存在を削る。
 神のルールに反した、ペナルティ。
 がりがり。がりがり、と。
 身でも心でもなく、存在そのものを傷つけられるその感覚は、決して心地良いものではない。

 けれども、痛みは胸のうちに隠し、僕は微笑を浮かべて言った。

「どういたしまして」

 絶え間なく僕の精神を蹂躙する痛みと、久しく忘れていた心を満たす温かい感情を胸に刻みながら僕は思った。
 成る程、今代の勇者は随分と優しい。
 魔王に対し正の感情をぶつけることで、少しずつ魔王の存在を削ってゆく。
 剣をこの身に突き立てるのではなく。
 負の感情の矛先として創られたこの身に正の感情をぶつけることで、存在そのものを弱らせてゆく。

 負の感情に晒され続けて、死の誘惑に取り憑かれる程に心が磨耗していた僕にとって、それは。

 ――何よりも優しい、魔王の殺し方だった。



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第十二話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/11/14 15:35
第十二話


 隣のベッドで眠る勇者を起こさないように部屋を出た僕は、顔を洗うために外の井戸へと向かった。
 路銀の節約の為と、宿屋に入る都度部屋を一つ取るか二つ取るかで言い合いをしていた頃がふと懐かしくなる。

 勇者と旅を初めて三年と少し。
 一つのベッドで寝起きするという最後の一線だけは辛うじて死守しているものの、今ではなし崩し的に一つの部屋で寝起きするようになってしまっていた。
 魔王の威厳もなにもあったものではないが、まぁそれも仕方あるまい。
 僕の魔王としての存在は、この三年ですっかりと弱まってしまっていた。
 体感で言うのなら、残りはおよそ七割、といったところだろうか。
 はっきり言って――僕の命を脅かすものとして、勇者以外の存在さえも気にし始めなくてはならないような状態だった。

 けれども。
 それは存在の三割をもって、人々を救い続けて来たと言う何よりの証で。
 だから僕は、今の弱くなった自分のことが嫌いではなかった。

 魔王城を始まりの場所に、勇者の旅路を遡る道程も、この町で丁度半分になる。魔王城の傍の土石流に襲われた町の周囲には無数の魔物がいたが、この町の周囲にはほとんど魔物の姿はなく、代わりに人の数が増えたようだ。

 悪くない、と僕は思う。人が多ければ多い程、正の感情を受ける機会もまた増えよう。
 そして残り半分の旅路を終える頃――勇者が生まれたというその街に着く頃には、きっと僕の命も終わりを告げる。

 ああ。
 早く死にたい。
 それは僕の心を占める、たった一つの願いだった。

「あら、お客様」と掛けられた声に、僕は思考を中断した。「おはようございます。随分お早いんですね」

 見れば、井戸に居た先客――この宿のメイドが、井戸の横で大きなタライを使って洗濯をしていた。
 秋も更けたこの時期、しかも早朝。冷えた井戸水の所為か、少女の指には無数のあかぎれが目に付いた。

「……おはよう」と僕は返事を返す。「朝早くから精が出るな」

「ええ。お客様が目を覚まされる前に従業員らの洗濯を終わらせておかないといけませんので。こうして顔を洗いに来られるお客様のご迷惑になってはいけませんし」

 そう笑って、少女は水の張られたタライを抱えて、僕の為に場所を空けてくれた。

「すまない」

 僕は桶に水を汲み、そこに手を入れた。冷たい。顔を洗うだけならまだしも、洗濯となれば小一時間はこの冷水に指をさらさねばなるまい。まだ年若い少女の手に浮かぶ赤い疵が、僕の脳裏に染みついた。

「……その手」と、僕は聞いた。「痛むか?」

「はい?」きょとん、とした表情を浮かべる少女。「ああ、これですか? ええ、まぁ、痛くないと言えば嘘になりますけど、薬草は私のような丁稚には高価で手が出ないですし、それにどうせすぐにまたあかぎれちゃいますし」

 しょうがないです。これが仕事だから。
 そう言って、少女は儚げな笑みを浮かべた。

「…………」

 僕は考える。
 僕の負の魔力では、この少女の指を癒す事は出来ない。そして勇者に頼むのは何だか癪な気もする。
 勇者を頼らず、この少女の指を癒すにはどうすれば良いか。
 と、僕の視界にふと洗濯物が浸されたタライが目に入った。
 ……ふむ。

「例えば」と、僕は言う。「例えば、冬の水が冷たくなければ……人肌程度に温かいお湯であれば、水仕事はもっと楽になるだろうか?」

「え? はぁ……それはそうですけど。でも、お湯なんてそんな簡単に私達メイドが使えるものではないですし」

「そうだろうな」と、僕は言った。たしかにこの場でこの水をお湯に変える事は僕には可能ではある。だが、この場で火系魔力をもって一時的にこのタライの水をお湯に変えたところで、明日の朝からはまたこの少女の指は冷たい水にさらされることになる。それでは根本的な解決にはほど遠い。

 だったら、そう……発想の転換だ。 
 水の方をどうにかするんじゃなく、この洗濯物を洗うタライの方を改善するのはどうだろうか。要は、今は手でやっている作業を、手を使わずに出来ればそれで解決する訳だ。

「ちょっと失礼」と言って、僕は少女の横に立ってタライに手をかざす。「――《そなたの流れは我が意のままに》」

 創るのは、至って簡単な魔法式――水の流れを操るだけの初級魔法。
 だがその効果は僕の狙い通り、タライの中で奔流となった水が洗濯物を動かし、汚れを落として行く。十数分もすれば、昨夜の夕食時に掛かっていたであろうテーブルクロスやら厨房のエプロンやらの汚れは、すっかりと落ちていた。

 呆然とタライを見つめるメイドをよそに、僕は水を入れ替え、今度はすすぎに移る。
 待つ事、また数分。最後に火系魔法で生んだ温風で乾かせば、そこには小一時間掛けて洗濯した後のように綺麗になり、一日中干した後のように乾いた洗濯物の山々。

「……思い付きでやってみたにしては、上出来だな」と僕は満足して頷いた。「この概念を魔術具に落とし込めば、もしや画期的な新商品になるやも知れん」

 名前は全自動洗濯機とかどうだろうか。
 魔王ブランドで発売したら、きっと多大な感謝を得られるに違いないと、僕は思った。

「す……すごいです!」と、若干置いてけぼりにしてしまっていた少女が言った。「あっという間にお洗濯が終わってしまいました!」

 ありがとうございます。

 その言葉に込められる正の感情が刃に変わり、僕の存在を傷付ける。
 僕の、狙い通りに。

「こちらこそありがとう」と僕は言った。「君のお陰で、水仕事に悩む人々の感謝の気持ちを世界中から集める方法を思いつくことが出来た」

「……はい?」

「明日の朝もまた洗濯をしなくてはならないのだろう? この時間に、またここで会おう」と、僕は言った。

 今日一日を掛けて、先程の洗濯工程を魔術具に落とし込もう。そしてそれをエリザベス辺りに監修させて量産し、魔王の発明として全世界に普及させれば、きっとこれまでよりも効率的に正の感情を集められるに違いない。

 集まった感謝の思いがこの身を灼く様を思い浮かべ、僕は恍惚に浸った。

 これまでいくつかの町で堤防や道路、建物なんかを整備することで感謝の思いを受け取って来たが、この全自動洗濯機の概念はより効率的に正の感情を集められそうだ。
 また明日、この少女の意見を聞こう。
 そしてまた少し、感謝を得るのも良いだろう。
 その正の感情がきっと――優しく僕を殺してくれるのだから。


 その夜、食堂で食事を済ませ(朝のメイドに「ほんのお礼」と称してえらくサービスしてもらった。勇者の冷ややかな視線が痛かった)、それぞれ湯浴みをしてから床についた。
 日中を掛けて創った全自動洗濯機の魔法式に不備がないか見直しつつ、僕は眠気に身を委ねる。
 明日、彼女がどんな正の感情を見せてくれるかを考えると胸が躍った。
 洗濯機の製造に試行錯誤して、魔力をかなり消費していたことも手伝い、眠りはすぐに訪れた。

 そして、夜半。

「起きて下さい、魔王!」という勇者の切羽詰まった叫びに、僕は無理矢理に目覚めさせられた。「火事です! いえ、火の周りが異常に早い……まさか――火系魔法を扱う魔物による襲撃!?」

 勇者の言葉に、僕は一気に意識を覚醒させられた。
 魔物による襲撃?
 馬鹿な! 僕はそんな指示を出していない!
 信じがたいという思いで窓の外を見ると、町のあちこちから火の手が見えた。
 まるで――炎自身が意志を持って町の住人全てを焼き殺さんとするかのように、外壁から中心部へ抜ける大通りを初め、主要な道、人が多い場所を選んで火災が発生しているようだった。
 事故ではありえない、効率的な破壊。
 火系魔法。
 馬鹿な、と僕は毒づく。
 この町の周囲に、こんな高度な戦術を採れる程に戦闘に長けた魔物は配置していなかったはずだ!

「先に行きます!」

 勇者が手早く聖剣を手に、窓から飛び出す。
 僕も慌ててローブを身に纏い、勇者の後を追った。
 飛ぶように空を駆ける勇者の横に並び、僕は言う。

「待て、勇者! 魔物だと言うのなら、僕が命じた方が早い!」

「魔物に対する絶対命令権――《王権神授》ですね」

「ああ」

「たしかにそれが一番効率的で確実な手段でしょうね」と、勇者は黒煙に顔をしかめながら言った。「もしもこれが――本当に魔物の襲撃によるものであったなら」

「何?」

「私も最初勘違いしていましたが、どうやらこの襲撃の犯人に《王権神授》は通じないようです」勇者の言葉は、燃えさかる炎と住人らの悲鳴の中にも、やけに大きく僕の耳に届いた。「――この襲撃の犯人は、人ですから」

 ……え?
 僕は一瞬、勇者の言葉の意味が把握出来なかった。
 が、すぐに僕にも勇者の言葉の意味が分かった。
 そして、彼女が悲しげな、悔しげな――悲痛な表情を浮かべている理由も。

「なっ!?」

 炎に照らされる大通り、そこで。
 そのままダンジョン攻略に向かえる様な武装に身を包んだ集団が、炎から逃げようと家々から出てきた住人らを襲っていた。
 そして僕の眼下で、今また一人の少女が燃え盛る家から飛び出して来た。
 少女は、僕らが泊まる宿で働くあのメイドだった。
 彼女は左右を見渡し、炎に包まれる町に驚き、まずは身の安全を確保しようと町の外へと繋がる門の方へと駆け出して――

 ――門の前に待ち伏せていた、数人の男らに取り押さえられ、地面に引きずり倒された。
 そして、男の一人が手にしている剣を振りかざす。   

「や――やめろぉぉぉぉッ!」

 僕は叫んだ。
 今この場に限って言うのなら。
 それで彼女が助かるのなら。
 それこそ神に祈ってやったって良かった。
 けれども。
 願いは叶わず祈りは届かず、僕の叫びはただ霧散する。


 男の剣に胸を貫かれ、少女はその場に崩れ落ちた。



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第十三話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2010/11/20 23:01
第十三話



 少女の胸を貫いた剣が乱暴に引き抜かれた。地面に血飛沫が飛ぶ。まるで何かに助けを求めるかのように少女の手が虚空を彷徨い、そしてそのまま崩れるように倒れこむ。血の海が広がっていく。男達が下卑た笑みを浮かべながら、尚も彼女の身体に武器を振り下ろす。自らに救いの手が伸びなかった事に対する絶望と、自らの命を刈り取ろうとする男らへの濁った悪意が、少女の身体から滲み出るのが僕には視えた。

 やがて、少女の目から光が消える。尚も彼女の亡骸に振り下ろされる武器。質量を伴いそうな程に濃厚な負の感情が渦を巻いていく。
 僕には人を蘇らせるような、世界のあり方をひっくり返すような魔法式を組み立てることは出来ない。仮に組み立てられたところで、僕の負の魔力では人を蘇らせることは出来ない。そして正の魔力を調達するにしても、一体どこからそんな莫大な量の魔力を集めれば良いのか。
 間に合わなかった僕に、彼女を救う手立てはなかった。

「……魔王?」

 勇者が僕の背後から声を掛けてきたが、僕はそれを黙殺し、身体を浮かせていた魔力を調節して男達の前に降り立つ。一拍遅れて、勇者が僕の横に降り立つ気配がした。
 男達は三人組だった。
 魔物に対するのならともかく、町を襲うには過剰にも思えるような装備に身を包み、楽しげに笑いながら少女の身体を蹂躙している。
 まるで。
 自らの武器の持つポテンシャルを確認するかのように。
 まるで。
 危険性の高い魔物を狩るリスクを避け、自分よりも弱い人を殺す事で――自分の経験値を上げようとするかのように。

 僕らに気付いた男の一人が、何かを言いながら僕らに剣を向けた。少女に剣を突き立てた男だった。周囲の火災と断続的に響く悲鳴と怒号に掻き消され僕の耳には彼の言葉は届かなかったが、彼の口の動きから彼らの会話の内容は読み取れた。

 ――おい、見ろよ、勇者だ。まじかよ? 勇者を殺せばものすごい経験値が手に入るんじゃないか? 魔王が消えたって噂だからな、勇者を殺してレベルアップ出来れば、こんなちっぽけな獲物を狩ってこつこつレベルを上げていく必要なんてなくなるんじゃないか? でも俺たちで勇者を殺せるのか? 大丈夫だって、見ろよ。勇者は聖剣しか持ってないぜ? 聖剣は魔物しか殺せないように出来てるんだ。俺たちは悪人だが、人だぜ? 魔物じゃない。だから、大丈夫だ。殺せる。そうだ、殺せる。町中に出た全員を集めろ。逃げられる前に畳み掛けるぞ。

 彼らの明確な悪意が、勇者に向けられる。
 僕は一歩前に出て、彼らの視線と悪意から勇者を庇った。
 魔王である僕に正の感情が毒となるように、勇者である彼女にとって悪意は存在を蝕む害悪だ。
 そして勇者を庇って久しぶりにこの身に直接受ける悪意は、実に心地良かった。
 心地良いと――思ってしまった。

「勇者よ、一つ聞きたい」と、僕は目線は男達に向けたまま、背後の勇者に問う。「死に行くこの町の為に僕がここで力を振るっても、正の感情は集めることが出来ない。助ける対象は既に死んでしまっているからな。だからここで僕が力を振るえば、僕らの目的にとってマイナスの結果しか生まないだろう」

 こいつらを一掃したところで、正の感情は集まらず。
 敵が僕に向けるであろう負の感情は、僕の死期を先伸ばすだろう。

「……いえ、そんなことはありませんよ、魔王」と、勇者は言った。「この襲撃は魔物によるものだとばかり思っていたので、今私の手には聖剣しか武器がありません」

 聖剣は絶対の魔力殺しであり、魔物に対する最強の抵抗手段だ。
 だがそれ故に――人を斬る事は出来ない。

「故に、今の私には彼らから身を守る術がありません」

「……つまり?」

「勇者である私に、人である彼らは殺せない。手元には聖剣しかなく、自らの身を守ることすら心許ない。故に、私はあなたにこう言わざるを得ない」

 ――助けて下さい、魔王。私をこのピンチから助けてくれたら、目一杯感謝して差し上げます。

 勇者は、そう言って瞳を伏せる。
 勇者と言う役割に縛られた彼女が言える、ギリギリのライン。

「は――ははっ」と、思わず笑みが零れた。「良いな、実に良い。勇者の感謝――勇者の正の感情か。実に心地良く僕の存在を殺してくれそうだ」

「お礼にほっぺにキスまでなら差し上げます」

「――実に魅力的な話だ」言いながら、僕は右手を掲げた。まずはさっき殺された少女の残した悪意を、右手に集める。「交渉成立だな、勇者よ。後はそこで黙って見ていろ。人を殺すのは――魔王である僕の役目だ」

 この世界のルール。
 悪意は僕の力の源であり、そして殺される者の悪意が最も強い。
 そして。
 魔王は――人を殺す。
 それが、神が僕に与えた役割。
 ああ――そうだ。
 これが、この世界の神が創ったルールだ。

 僕は右手に漆黒の剣を編み、ゆっくりと男達に歩み寄る。男達が笑いながらまた何かを言っているが、僕はそれを意図的に遮断する。悪いが魔王城の最後の間ならいざしらず、こんな寂れた田舎町で僕が格好良い殺しの口上を述べる理由などない。僕が魔王であることさえ貴様らには教えてやらない。そして僕が君たちの声を聞いてやる義理などない。だから君たちの死に様が魔王に相対した勇敢な者として歴史に残る事はない。人として最低限守るべきルールさえ踏みにじったお前らに魔王に相対する権利はない。悪意を残す時間すら与えず、自らの命が終わる事さえ知覚出来ぬ間にその存在を刈り取ろう。

 貴様らはここで、無為に無残に無意味に死ね。

 僕は右手の剣を振りかぶる。
 受け取れ。
 ――これが貴様らが殺した少女の、そしてこの町の人々が残した悪意だ。 


 町を襲っていたのは、かなりの実力を持った傭兵団だった。これまでは町と町とを行き来する商隊や国交のための要人の移動に際し、魔物の脅威から彼らを守ることで生計を立てていたらしい。しかし三年前――僕が魔王城を後にしたあの日から魔物が人を襲わなくなった為に需要が減り、今では徒党を組んで町を襲い、人を殺す事で経験値を上げ、より効率的な「狩り」を行う事を楽しむ低俗な集団に成り下がっていた。

 魔物の脅威が無くなった後、人は人同士で争う。
 これまでも幾度も繰り返された歴史だ。
 元傭兵団の手で町が一つ死に。
 そして元傭兵団は一人も残さず壊滅した。
 僕が、殺した。

「……ごめんなさい、魔王」

 手にしていた剣を無に還したところで、勇者に声を掛けられた。
 勇者の声は震えていた。

「なぜお前が謝る?」

「私も、人だから」と、絞り出すような声で彼女は言った。「そして、魔物に人を襲わせないようにしてもらったのも私だから。この事態のそもそもの原因は、私に帰するものです」 

「はっ、流石は勇者様だ」と、僕は笑った。「そのうち貴様は、この世界に争いが絶えないのも自分の所為だと言い出しそうだな」

 僕の言葉に、勇者は目を伏せて黙り込む。気まずい沈黙が、僕らの間に落ちた。何かを言うべきなのかも知れなかったが、生憎僕はこんな事態を乗り切るための経験値は積み上げて来なかった。
 やがて。
 僕が次の言葉を探している間に、勇者は気持ちを立て直したようだ。
 彼女は顔を上げ、澄んだ瞳で僕を見据えた。

「魔王」と、彼女は僕に言う。「三年前、私は魔王城であなたにこう言いました。あなたの魔王としての役割を殺して差し上げます、と。その約束の下に、あなたはここまで私と共に旅を続けてくれ、そして行く先々で文字通り身を削って、人々を助け正の感情を受け続けてくれました」

 この身には毒でしかない正の感情に身を晒し、自らの存在を傷付けながら。
 僕は勇者と旅をして来た。
 町を救い、人を助け、道を整えて交易を促進し。
 水を治め、家を建て、食を満たし生活を支えた。
 魔物には人を襲わぬように命じ。
 願えば平和に暮らせる環境を整えた。
 世界のルールに反しながら。
 僕は勇者と共に歩んできた。

 けれども。
 魔物という脅威を排した人は、――こうして人同士で争い始めた。
 旅路は、まだ半分。
 しかし――旅の前提条件が、狂い始めた。
 当初の旅の目的は、僕を殺すこと。
 魔王というシステムに、正の感情をぶつけることでエラーを発生させて、神のルールに刃向かう旅。
 この緩慢な自殺が成立する為には、僕の手で正の感情を集めなくてはならないのに。
 ここへ来て――また世界に負の感情が満ち始めた。

「……初めから分かっていたことだろう? こんなもの、幾たびも繰り返されてきた歴史だろう」と、僕は言った。「僕が勇者に殺されれば、一時的に平和がもたらされ――そして平和に飽きた人は、他の人が持つ財を妬み、人同士で争い始める」

 人は争う生き物だ。
 魔物の脅威が去れば。
 自らの為に、世界を救う存在である勇者にさえも剣を向ける生き物だ。

「ええ、そうですね」

「……このままだと、お前の持つ勇者という立場さえも、人に狙われるかも知れない。お前はこの世界における最強の存在の一角だ。人はきっと気付くだろう。魔王不在の今――魔物の脅威が去った今、お前の持つ力が世界で最大の脅威になると。お前を殺し、お前の強さを得ようとする人が、この先もっともっと増えるかも知れない」

 だから。
 歴代の勇者は、魔王を倒した後に姿を消す。
 そして魔王が復活した後は、前回魔王を倒した勇者ではなく、新たな勇者が魔王の前に立つ。
 それが。
 僕らを縛る、この世界のルールだ。 

「だから」と、言いかけた僕の言葉を勇者は遮った。

「ええ、そうですね。だから、私はこうしてあなたを旅に誘ったんですよ、魔王」

「……何?」

「勇者は人を殺せない。それはなぜか? 人を殺す事で生じる負の感情が、私の存在を削るからです。でも」と、勇者は言う。「私は既に――多くの人を手に掛け、勇者として死に掛けているんです」

「…………!」

 僕は驚愕に目を見開いた。そう言えば、こいつは僕の城に着くまでに、単身で武装盗賊団を壊滅させていた。民に重い税を課す領主を倒していた。他国を攻める力を蓄える軍を破っていた。まるで――人同士で争う力を、失わせるかのように。

 その過程で――多くの人をその手に掛けていたのだろう。

 だから。
 だから、こいつは人を救うのを僕に任せていたのか。
 弱体化してしまっていたから。
 最早――人を救う力さえ残っていないから。

「ちょっと待て、勇者よ! 一体どういうつもりだ!? この旅は僕が死ぬためのものだったはずだろう!? お前――一体何を企んでいる!?」

「……そうですね、そろそろネタばらしと行きましょうか」と、そう言って、勇者はゆっくりと僕に歩み寄る。「仰るとおり、魔王であるあなたの役割を殺す事だけがこの旅の目的ではありません。だって、そうでしょう? 魔王という存在が死んだって、勇者が残ってしまえば、世界のパワーバランスが今度は反転するだけなんですから」

 勇者が世界の脅威となり。
 そして勇者を殺す為の存在が生み出されるだけだ、と彼女は言った。

「もっとも、それが魔物の中から生まれるのか、それとも人の中から生まれるのかは分かりませんけどね」

「……それは、つまりこの旅が無駄だと言うことか?」

「まぁ、確かにあなたが一人で死ぬのなら、それはこの世界にとって無意味な旅になってしまうでしょうね」

 ですが、と。
 そう言って、勇者は微笑んだ。

「――勇者である私も一緒に死ねば、世界のルールが破綻して、神はとっても困ると思いませんか?」

 ……一緒に、死ぬ?
 僕と、お前が?

「ええ。お願いです、魔王――」

 ――私と一緒に、死んでください。



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第十四話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2011/02/20 20:38
第十四話



 グラウンドでの神龍との戦闘後に倒れた僕は、その夜自宅で意識を取り戻した。自分の部屋のベッドの上で目を覚ましたとき、こちらを心配そうに覗き込む妹の顔を認識したその瞬間、僕は無意識のうちにヒカリの事を抱き締めて――そして辺りを憚ることもなく、大声で泣いた。
 いきなり子供のように泣き出した僕に抱き締められたヒカリはと言うと、その胸に僕の頭を抱き締めながらこう言った。

「兄さん、私は丁度シャワーを浴びてきたところなのでノーブラです。思う存分この豊満な感触を楽しんで下さい」

「ま、マコトっ! 勇者ばっかりずるいぞ! 私だってお風呂上がりで下着を着けてはおらん! この将来性を感じさせる膨らみに顔を埋めるべきだ!」

「お前ら頼むから少しくらいシリアスな気分に浸らせてくれよッ!」

 何だかすごく真面目な夢を見ていたはずなんだが、お前らの所為で全く思い出せる気がしない。
 と、そんな風に愚痴りつつ、僕は涙を拭いて身体を起こした。

「あー、でも二人とも無事で本当に良かった。でも、一体どうやって帰って来たんだ? あの後、多分すごい騒ぎになったんじゃないか?」

 意識を失うその前に、ぼんやりとパトカーやらのサイレンの音が聞こえていた気がする。
 だとすれば、あの戦闘は一般人にも認識されているということになる。野次馬だって相当な数が集まっていただろうから、そこから意識を失った僕を抱えて抜け出すのは至難の業だったろう。 

 聞けばどうやら、あの後すぐに回復魔法の効果で意識を取り戻したヒカリが、エリの存在秘匿の魔法を駆使して、僕を背負ってこの家まで帰ってきたそうだ。

「魔法って本当に便利だな……」と、思わず呟いてしまう僕だった。「それで? 学校は今、どんな感じなんだ? 旧校舎がぶっ飛んだんだ、えらい騒ぎになっているんじゃないか?」

「それなんですが……」と、珍しく言葉を濁すヒカリ。「どうしましょう、兄さん。ちょっとやり過ぎちゃいました」

 と、困ったような表情を浮かべてヒカリはそう言って、僕の部屋のテレビを点けた。
 写し出されたのは、今日の出来事を告げる夜のニュース番組だった。

「って……あれ? うちの学校じゃん」

 見れば、テレビには僕らの通う高校が中継で映し出されていた。夜の十時を回っているにも関わらず、多くの報道陣が詰めかけている様子が伺える。
 ふと液晶テレビを見たエリザベスがどんな反応をするか少しだけ期待していたのだが、残念ながら彼女は特に反応を見せなかった。

「なぁ、エリザベス。お前、このテレビを見て驚かないのか?」と何とはなしに聞いてみる。

「うん?」きょとん、とした表情を浮かべるエリ。「ああ、大分技術は進歩しているようだが、それでも根底の部分で向こうの世界と大差はないな。これに似た映像受信投影機だって、私が向こうで魔術具として造り上げ、今では魔王ブランドの人気商品として一般家庭に浸透しているのだぞ」

 とそんなことを言って胸を張った。ちなみに動力源は電気ではなく、正の魔力とやらで動いているそうだ。起動時に持ち主が魔王への感謝の言葉を述べることで、そこに発生する感謝の気持ちを吸い上げ、そして内部に組み込んだ魔法式がそれを正の魔力に変換して動力にしているらしい。そしてその仕組みはテレビだけではなく、同じくエリが創った洗濯機や冷蔵庫にも採用されているそうだ。

 向こうの家電は、当面の間、こちらの世界の様な環境問題を引き起こすことはなさそうだな、と僕はそんなことを思いながら、テレビへと視線を戻す。

 テレビの中継が京都警察病院に切り替わり、その入り口前で先程とは別のレポーターが運び込まれた生徒の保護者らにインタビューをしていた。

 そして、僕はそこで初めて知った。
 ――あの時校庭でヒカリに魔力を奪われて倒れた生徒らの意識が、未だに戻っていないということを。

「……え?」と、思わず間抜けな声を上げてしまう僕。

 僕はてっきり、この後はどこかのギャグ漫画の様に、学校は何事も無かったかのように修復されて、そして魔力をヒカリに蒐集された生徒らも無事に意識を取り戻して、ちょっと奇抜な登場をした自称最強の魔女のロリっ子――エリザベスとのドタバタな日常パートが始まるのだろうな、と思っていた。

 けれども。
 僕の予想や期待は、悪い方に裏切られてばかりだった。


 京都市北区の高校で、旧校舎の古い配管から漏れ出したガスが大規模な爆発事故を引き起こしたというニュースは、ほとんどの報道番組のトップ扱いで報じられた。グラウンド上で起きた神龍との戦闘は、どうやらそういう形で世間に受け入れられたようだ。通行人や近所の住人らから巨大生物の目撃談がいくつか寄せられているらしかったが、警察はそれをガスによる何らかの集団幻覚症状として扱っているとのことだった。
 まぁ常識的に考えれば、異世界からドラゴンが襲ってきました、なんていう受け入れ難い事実よりはよほど現実味のある落としどころだろう。

 夏休み中で登校していた生徒は極一部だったが、それでも事故が起きたのが日中であった為に、五十名という決して少なくはない数の生徒らが巻き込まれたことで、しばらくは学校自体が立入禁止になると、アナウンサーが言っていた。

 事故に巻き込まれた生徒らに目立った外傷はないものの、依然として意識不明の状態から回復しないままであり、親や教師達の心配そうな姿が取り沙汰された。そして同時に、保護者やマスコミのバッシングの矛先は、学校の管理体制に向いた。曰く、老朽化した旧校舎をなぜもっと早く取り壊さなかったのか、とのことらしい。
 色んな番組を梯子して仕入れた情報をまとめると、概ねこんな感じだった。

「それで、ヒカリ」と、僕はベッドに座る妹に問う。「さっきやり過ぎたって言っていたけど、これは――皆の意識が戻らないのはやっぱり、あの時お前が《王権神授》で魔力を奪ったからなのか?」

「……ええ」と、苦虫をかみつぶすような表情で俯くヒカリ。「限界まで魔力を奪ってしまいましたから、現代医療では彼らの意識を回復させることは出来ないでしょう」

「現代医療では――か。じゃあ例えば、何らかの方法で奪った魔力を還せば、それで皆の意識は戻るのか?」

「ええ。理論上はそうなります」

「理論上?」と、僕は言った。「そう言うって事は、何か問題があるのか?」

「はい。実はですね、兄さん」

「うん」

「神龍との戦闘で、魔力、使い切っちゃいました」

「……うん?」

 なんかさらっとすごい事を言われた気がする。
 嫌な予感。

「つまり?」

「彼らに魔力を還したくとも、そもそも還す魔力がありません」

「まぁ、それも已む無しだろう。神龍を倒す為に勇者は、自分の命さえも全て魔力に変換していた位だからな。あの時あの場所で生徒らから簒奪した魔力など、とうに空になってしまっていても不思議ではない」

 と、エリが口を挟む。

「大問題じゃん! どうすんだ!?」

 借りたものを使い切ってしまって返せません、と。しかもこの場合、借りたのはうちの生徒の生命力だ。間違っても謝って済むような問題ではない。 

「ご心配なく。手は考えてありますよ、兄さん」慌てる僕に、ヒカリが言う。「無い袖は振れないというのなら、それこそ昼間の神龍との戦闘の時と同様、あるところから調達してくればいいだけの話です」

「……? と言うと?」

「兄さんを限界まで欲情させて、精力を生成。それを精製して魔力に変換して、私に注ぎ込めば良いのです」

「……一応聞いておくぞ。具体的にはどうするんだ?」

「後ろから、少し乱暴なくらいでお願いします」

「具体的な体位のリクエストなんて聞いてねぇよ! 僕が問うたのは手段だよ! っていうかもうこの突っ込みで僕がどんな回答を想定していたのか丸分かりじゃん! 何を自白しているんだよ僕は! 性行為もバックもまとめて却下だ馬鹿野郎!」

「なぜ勇者が魔王の性癖を知っているんだ!?」

「お前もお前で何を言っているんだエリちゃん!?」

 お前らマジで僕を殺しに掛かっているのか!?
 最近は条例とかとっても厳しいんだから、お前らみたいな外見年齢十八才未満の女の子は発言に気を配らなきゃいけないんだぞ!?

「と、まぁ冗談はさておき、安心して下さい」


 ――私に一つ、策があります。


 ヒカリは微笑みを浮かべて、そう言った。
 その初めて見る笑みの色を見て、僕は違和感を覚えた。
 そこにはまるで――物語の魔王が浮かべるような、そんな邪悪な色が滲んでいる気がしたからだ。

 ……まさかね、と、僕はその不安を呑み込んだ。

「策?」と、エリがヒカリに問う。「性交渉以外で、一体どうやってこの世界で魔力を集めると言うのだ? お前の場合、まともに魔力を精製しようとすれば、何らかの形で正の感情を受け取らねばなるまい。この現世ではかなり効率の悪い手段ではないか?」

「違いますよ、エリザベス。私の策は、もっと単純なものです」と言って、ヒカリは僕らにその手段を説明する。 

 ヒカリの策というのは、聞いてみれば何のことはない――グラウンドで神龍相手に採った戦略をより大規模にしただけのものだった。
 ヒカリがあの時回収した魔力は、その時グラウンドにいた五十人から集めたものだ。
 その五十人全員から限界まで搾り取ったから、彼らは皆、意識を失ったままなのだと言う。

「だったら話は簡単です。同様に魔力を調達できる全校生徒五百人から少しずつ魔力を調達して、そして五十人に意識を回復出来る分だけ配賦してしまえばいいんです」とヒカリは言った。

 成る程、と僕は思った。
 人間が持てる魔力の限界を十として考えればわかりやすいだろう。
 五十人から限界値である十ずつ集めると、合計は五百。これが今回ヒカリが集めた魔力の量だとする。結果として、限界まで絞り取られた生徒らの意識は回復しないままになってしまっている。

 だが、同様に五百人から同量の魔力を集めた場合を想定してみよう。現時点でヒカリが「誓約書」をもって契約している生徒の数は五百人、つまり全員から一ずつ集めても、日中に生徒から蒐集したのと同量――合計五百の魔力が集まる訳だ。まぁ、実際には既に全校生徒のうちの五十人は既に倒れてしまっているから、残る四百五十人から二、三ずつ集める形になるのだろうけれど。

 それでも、十あるうちの二、三の量を蒐集するだけなら彼らの意識は失われないだろうし、そしてそれだけの魔力量が集まれば、最初に魔力を奪った五十人に魔力を還元しても充分お釣りが来る。
 結果として――ヒカリが命を削って生み出した魔力の分も補填することが出来ると、そういうことか。

「ならば善は急げ、だな。でも具体的にはどうすればいいんだ?」と、僕はヒカリに問う。「まさか全校生徒を一人ずつ訪ねて回って魔力を集める訳にも行かないだろ」

「それも考えてあります。これだけ大規模な事故として今回の件が扱われているのです。恐らくマスコミ対策として、近いうちに生徒らのケアだとか称しての全校集会が開かれるでしょう。その場で生徒会長の挨拶か何かで、全生徒に向けて《王権神授》を発動させます」

「成る程な」とエリが納得したように頷く。「だが、五百人分の契約か……全くもって恐ろしいヤツだな、勇者よ。それだけの生贄がいれば、それこそもう一度世界に孔を開けて向こうの世界に帰る術式どころか、人一人生き返らせるくらいの術式さえ発動出来るかも知れんぞ」

「うん?」と、僕はそのエリの言葉に疑問を覚える。「エリ、お前……やっぱり向こうの世界に帰りたいのか?」

 まぁそれも已む無しかな、と僕は思った。彼女がこちらの世界に来た目的はあくまで魔王の為であって、その魔王――僕には前世の記憶が無く、エリのことなんてちっとも覚えていなかったし、それどころか前世で敵だったというヒカリに肩入れまでしているのだから。
 だが、エリは即座に首を横に振った。

「マコトのいない世界に未練などない」

 その真剣な口調に、僕は返す言葉が思い浮かばず、ただ「そうか」と一言返事をするのが精一杯だった。


 そして、ヒカリの策を実行する機会は思ったよりも早くやって来た。ヒカリの読み通り、事故に動揺する生徒のケアを目的として、全校集会が開かれることになったのだ。



[21253] 僕は妹に殺されたい。/第十五話
Name: haru◆9665d3fe ID:a2d3c0e3
Date: 2011/02/23 22:21
第十五話



 全校生徒が集まる体育館は、私語をする生徒らの喧噪に包まれていた。
 まぁ、それも仕方のないことだろう。何せ、旧校舎が吹っ飛んだ上に決して少なくはない生徒が被害にあっているのだ。事故――として処理されたあの戦闘からまだ三日しか経っていない以上、落ち着けという方が酷だろう。教師の方も、特段それを咎める様子は無かった。

 そして、僕も僕で少しだけ緊張していた。
 体育館の後ろの方にマスコミが入っていて、テレビカメラも二台程見受けられるから――ではない。
 これからヒカリの「策」を実行するのだが、果たして五百人もの人数に一気に《王権神授》を発動出来るのか、不安だったからだ。
 エリは「向こうの世界では、マコトは三十億にも達する魔物全てに《王権神授》を発動させていたから大丈夫だろう」と楽観的な事を言っていたが、元来心配性な僕はそんな安易な保証一つで安心することは出来なかった。

「なぁ」と、僕は小声で足元――自分の影に問い掛ける。「本当に上手く行くんだろうな?」

『何だ、マコト。お前は自分の能力を信用していないのか?』と、僕の頭の中でエリの声がした。

 これは《念話》と呼ばれる、魔力を用いた交信術だそうだ。
 エリと結んだ契約により、自分の影を通じて任意の相手と通信出来るようになる魔法だそうだが、生憎僕の残り少ない魔力では契約を結んでいるエリとの交信が精一杯だった。魔力に糸目を付けなければそれこそ地球の裏側とだって交信出来るそうだが、そんなことをする位なら普通に国際電話を使う。高度に発達した科学は魔法と変わらない、とは有名なフレーズだが、まさかこうして実感することになろうとは流石に思ってもみなかった。

『む、それは違うぞマコト。この《念話》は一対一はもとより、不特定多数と一気に交信することだって可能だ。魔王はそうして魔物達に命令を下す訳だな』

「ちょっと待て、なぜ声に出してないモノローグが読み取れる?」

『あ』

「あ、じゃねぇよ! もしかして契約したからとかそんな理由で心が読まれてるのか!?」

『だ、大丈夫だマコト! お前が昨晩打ち合わせの最中に『どうしてエリザベスはもっと大人な体型でこっちの世界に来てくれなかったんだろう』とか考えてたことなど読み取ってはおらん!』

「てめぇちょっと表出ろ」

 いやむしろ出てきて下さい。どうすれば思考だだ漏れ状態を解除出来ますか、と四つん這いになり、僕は影に潜っているエリに向かって呼びかけた。

『ま、待てマコト。いいのか?』

「何がだ」

『どうやらものすごく注目を浴びているようだが』

「…………」

 だらだらと背中に流れる冷や汗を感じながら、顔を上げる僕。
 生徒会役員として演壇に上がっていた僕が脈絡もなく突然四つん這いになり、自分の影をばんばん叩き始めるという意味不明な姿に、全校生徒と全教師、そしてマスコミが困惑の視線を向けていた。僕の決して高性能とは言い切れない頭脳ではフォローが思いつかない状況だった。

「…………」

 僕は無言で、同じく生徒会役員として隣に立ち、マイクテストをしていたヒカリに視線をやる。
 助けてくれ、というアイコンタクト。
 《念話》なんて使わなくても、目と目で兄妹は通じ合えるのだ。
 こくり、と頷きマイクを握るヒカリの姿が、これほど頼もしく見えたことがあっただろうか。

「兄さん」

「あ、ああ。何だヒカリ」

「私のパンツを見たいのなら、何もこんな公衆の面前で覗こうとしなくても、後でゆっくりと生徒会室なり自宅なりで見せて差し上げますから、とりあえず今は我慢してもらえると全校集会の進行の妨げにならずに助かるのですが」

 心が折れる音がした。

『どうしたマコト! 何かものすごい悲しみが伝わって、ってうわぁ何をマジ泣きしているのだお前!?』


 開始前に生徒会副会長がマジ泣きするという波乱の幕開けを見せた全校集会だったが、流石にそこは府下で最も「そこそこ」という評価を受ける我が校。いざ開会してしまえば、先程まで喧噪に包まれていたのが嘘のように、校長の講話から教頭による事態の説明まで、特段騒いだり私語をする生徒もなく、つつがなく会は進行した。
 教頭が演壇を降りたタイミングで、進行役の教師から「続いて生徒会長、上咲ヒカリさんのお話です」と声が掛かり、ヒカリが席を立つ。カメラ映えするからだろうか。教師陣の話の時よりも、明らかに多い数のフラッシュが瞬いた。

 僕は拳をぎゅっと握る。
 いよいよ、《王権神授》による全校生徒からの魔力回収計画を実行に移す時がやってきた。マスコミが入っているのは予想外だったが――それでも、計画は延期にはしない。意識を失った生徒らがいつまで持つのか不透明だったし、今が夏休みである以上、次に全校生徒が集まるのは大分先になってしまう。
 そして、計画通り彼らの魔力のうち二、三割程度を蒐集するだけなら、「少し疲れたかな」程度で済むはずだ。これは前例のない、マスコミが入っている全校集会なのだ。生徒らは例え少し位疲れたとしても、緊張の所為だと勝手に解釈してくれるだろう。

 ヒカリはゆっくりと演壇中央に設置されたマイクの前に向かい――その途中で、くるりと踵を返し、同じく演壇上の席に座っている僕の方へと引き返して来た。

「どうしたヒカリ? 何か問題でもあったか?」

「ええ、問題が発生しました。《王権神授》の発動には、兄さんの魔力が必要なことを忘れていました。ですから兄さん、キスをしましょう」

 そう言いながら、彼女はためらう様子もなく僕に顔を近づけてくる。

「お前どうしてそんな大事な事をこのタイミングで……!?」

 僕の台詞は、ヒカリの唇によって遮られた。
 公衆の面前なんだから少しは躊躇うとか恥じらうとかしてくれればまだ避けようはあったのに、本当に一切の隙もなく一直線に僕の唇を奪いに来やがった。
 この前のグラウンド上でのキス同様に、舌が入ってくる。抵抗しようにも、僕は椅子に座っている状態で後ろに下がる事は出来ないし、両手はヒカリにがっちりと拘束されてしまっていた。
 万事休す。教師や生徒ら、そしてマスコミ連中のどよめきの声が、体育館中に広がる。

 ……ああ、駄目だ。
 頑張って今日この日まで生きてきたけど、もう駄目だ。
 総勢五百人と報道陣の聴衆の面前、高いステージの上で、思いっきり妹に大人のキスをされてしまった……。

 絶望の所為か、目の前が真っ暗になり、僕の身体から力が抜ける――

『なっ、マコト!? 勇者、貴様! それ以上魔力を奪えば、マコトがもたんッ! 一体何を――』

 エリザベスの声が頭に響くが、これは恐らくヒカリには聞こえないのだろう。ヒカリはエリに応えず、僕の唇を解放すると、

「ごちそうさまでした」

 と恍惚の表情で言い放ち――今度は生徒らの方に向き直る。
 そして大仰な身振りで、体育館に集合した彼らに神が授けた王の権利を行使した。

「上咲ヒカリが命じます――我が契約に従い、貴様らの魔力を寄こせ!」

 キィィィィン、という魔力が放つ耳障りな音。
 そして――体育館に集合していた全校生徒と全教師、総勢五百人が、まるで糸の切れた人形の様にその場に倒れる。
 意識を失ったように。
 魔力を――根こそぎ奪われたように。
 倒れた彼らは、ぴくりとも動かない。
 ヒカリと契約を交わしていないマスコミの連中が騒ぎ始める。一気に魔力を奪ってしまえば、こんな風に意識を失ってしまうのだから――だから、蒐集するのは一人当たりの保有量の二、三割ずつに留めるはずだったのに!

「……ヒカリ、何を――」

 魔力を根こそぎ奪ってしまったら、また――

「あ……ははっ、あはっ、あははははッ!」

 ヒカリは――高らかに嗤った。

「何を? あははははっ、あなたこそ一体何を言っているのですか、魔王。何をするかだなんてそんなこと、決まっているじゃないですか――」

 ぼんやりと滲む視界の中、こちらを振り返るヒカリの笑顔が、僕の目に映る。
 そこに浮かび上がる、邪悪な笑み。


「――世界征服」


 と、彼女は――僕の妹はそう言った。

「ヒカリ……? 何を、言って……」

 駄目だ、身体に力が入らない。無理に立ち上がろうとした僕は途中で体勢を崩し、椅子から転げ落ちた。
 演壇上に倒れる僕を、見下ろす形になるヒカリ。

「まったく、困ったものです。向こうの世界では魔王を倒しても、負の感情が増えればまたすぐに復活してしまうシステムが構築されていましたから。いくら私が世界最強の存在になったところで、またすぐに私を脅かす存在が生まれてきてしまう。こんなに不愉快なことがありますか? まったく、神とやらも厄介なシステムを造ってくれたものです」

「勇者、貴様ッ!」

 僕の影からエリが飛び出し、僕を庇うようにしてヒカリの前に立ち塞がった。
 その手には、あの黒いナイフ。
 だがヒカリはエリの刺すような視線を全く意に介さずに続ける。

「だから私は考えたのですよ――魔王という存在を根本から殺してしまうにはどうすれば良いか、と。悩み抜き、考え倒し、調べ尽くして出した答えが、『正の感情』をもってして魔王という存在そのものを削る方法――なのに」

 と、ヒカリは溜め息を吐いた。

「魔王の席を不在にしてしまえば、今度は勇者である私が魔王の席にコンバートされてしまうと言うではないですか。これには困りました。私は少しくらいなら乱暴にされるのも好きですが、けれども痛いのは頂けません」

 魔王の座に無理矢理に就かされて、次の勇者に刺されたり斬られたりっていうのは、勘弁願いたいですから。
 ヒカリはそう、言った。
 一体お前は何を言って――

「ならば昨夜のリクエストは、別にマコトの性癖を知っていたのではなく、たまたまお前の性癖とマコトのそれが合致しただけなのだな!?」

「…………!」

 突っ込みたい!
 一体お前は何を言っているんだと全力で突っ込みたいのに、今の僕には口を開く体力すら残っていない!

「だから――だから私はこう考えたのです」と、ヒカリはエリのふざけた問いには応えずに、ただただ僕に向けて言い放つ。


 ――神の手が届かぬ異世界に魔王を連れ出し、そこで魔王を殺してしまえば、そこに残るのは勇者である私の存在だけ――


「そうすれば世界は簡単に――私のモノになると」

 ああ、とヒカリは恍惚の声を漏らす。

「ですから魔王、そしてエリザベス。あなた達はそこで黙って見ていなさい――」

 そしてヒカリは――勇者は、朗々と宣言した。

 
「告げる! 今このときより、この世界は私――カミサカヒカリのものです!」



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