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日本の領土や日本人の生命•財産を守る?

これまで何度か書いてきたことだが、突き詰めて考えてみると、我々の運動は「日本の領土や日本人の生命•財産」ということになるはずがない。

なぜか?

利のために戦うというのには矛盾がある。利ということを考えれば、まず真っ先に他人の利より自分の利を守ることが優先される。特攻隊だって自分の利を優先すれば、特攻しなかったはずである。自分は保守だと思い込んでいるサヨクの人たちに聞きたい。他人の生命財産を守るために、自分の生命財産を差し出すことができるのか? あなたは同胞だからという理由で、隣の家や隣の部屋に住んでいる他人のために、生命財産を投げ出すことはできますか? ほぼ100%NOと答えるに違いない。もし、YESと言った人がいれば、偽善者に違いない。だから、利のために、生命財産を守るために戦うというのは、初めから論理破綻である。利を守るためなら、自分だけ逃げるのが一番の安全策である。

私たちは他の生命を食しながら生きている。生命財産が最上の価値だとするなら、キュウリの生命だってヒラメの生命だってブタの生命だって簡単に殺して食していいというわけでない。ダブルスタンダードというものだ。ではなぜ私たちが他の生命を食してもいいとされるのか? 論理的に言えば、人間には精神があるから、その精神という資格において他の生命を食しているとしか言いようがない。そうであれば、精神が立派だとか愚劣だとかが大事になってくるのであって、生命自体が大事だということにはならない。そうであれば、ある場合には精神の正道を守るために、生命を賭けるということにもなってくる。三島由紀夫が言った「生命尊重以上の価値」のことである。

特攻隊だって他人の生命財産を守るという偽善のためではなく、生命尊重以上の価値を意識して死地に赴いた赴いたはずだ。

では、生命尊重以上の価値とは何か? 生命は手段でしかないことを忘れるな。

三島由紀夫に習って言えば、

「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」リンク:檄文

このことがわからねば、どんな運動をやったって日本精神の復興は絵に描いた餅にしかならず、どんなことも成し遂げることはできないだろう。

無双さん、時間がないので簡単に書きました。あとから補足などすると思います。それ以外のことは、あとでコメント欄に書かせていただきます。


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