米が移動海上基地評価 普天間代替施設

99年 有事の即応性期待 CIA機密文書に5案

2011年2月2日 09時32分この記事をつぶやくこのエントリーを含むはてなブックマークLivedoorクリップに投稿deliciousに投稿Yahoo!ブックマークに登録

 【平安名純代・米国駐在契約記者】米軍普天間飛行場の代替施設案をめぐる協議が進められていた1999年当時、米国防総省が移動式海上基地(MOB)を新基地の最適案としていたことが米中央情報局(CIA)が2004年3月に解禁した機密文書(2000年1月作成)で分かった。米軍が1960年代に立案した同案は、湾岸戦争の際に戦地の近くに基地を確保する必要性が指摘されたのを受けて同省が90年代に検討を開始したもので、米軍の有事戦略に即応できる移動基地を辺野古に建設しようという米側の意図を示したものといえそうだ。

 文書に記されているのは、陸上、コースタル・ハイブリッド(海・陸混成)、QIP(杭(くい)打ち桟橋工法)、メガフロート(セミ・サブマリーン式)、移動式海上基地の5案で、各案の支持層と支持理由が記載されている。

 文書によると、移動式海上基地案を推していたのは国防総省とノルウェーや複数の米企業で、運用能力の高さと柔軟性を評価している。陸上案を支持したのは稲嶺恵一知事(当時)や地元建設業者らで、コースタル・ハイブリッド案は名護市と地元企業、QIP案の支持基盤は「鹿島、大林、日商岩井を含む本土の建設業者とNKK、日本鋼管などの鉄鋼業者」、メガフロート工法の支持層は「石川島播磨重工(現IHI)、川崎重工、三菱重工、新日本製鉄、日立造船、三井造船など造船・鉄鋼17社と運輸省(現国土交通省)、通商産業省(現経済産業省)」とそれぞれ記されている。

 米軍の立案を受け、70年代に国防高等研究計画局が研究を始めた移動式海上基地案は、湾岸戦争後に国防総省が検討を開始。有事の際に米軍と多国籍軍が共同使用できる垂直離着陸機や通常離着陸機の滑走路、軍用装備と補給物資などの貯蔵能力を備えた基地として開発が進められていた。

 96年ごろには米企業3社が普天間代替基地案として検討を本格化させたが、2001年にコスト高を理由に計画は中断した。

 当時、同案に関わっていた国防総省の元高官は取材に対し、「当時、移動可能基地は武器輸出三原則に抵触する恐れや、北朝鮮や中国などの周辺国を刺激する懸念があり、コスト面でも現実性が伴わなかった。沖縄近海以外の移動ができないならば意味がなく、同案は必要性を失った」と説明している。

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