2010-10-21
朝日新聞のオピニオンに載ってた鳥飼玖美子さんの意見に寸分たがわず同意
我が意を得たり、という感じの記事だった。
残念ながらWebではこの記事は読めないようなので、非常にいい記事だったので全文引用したい。
ぜひたくさんの人に読んで欲しい。
要約してもいいのだけれど、ご本人の意図を尊重したいので。
2010年10月20日朝日新聞朝刊の15面オピニオン インタビュー
これからの英語 より引用
英語はいまや国際共通語。これは多くの人が疑わないだろう。では、それはどのような英語なのか。そして日本の英語教育は。同時通訳者として活躍し、テレビやラジオの語学講師としても知られる鳥飼玖美子・立教大教授は「発想の大転換が必要」という。(聞き手/編集委員・刀祢館正明)
−かつて「英語教育は実用主義か教養主義か」という大論争がありました。近年は学校で「コミュニケーション重視」の教育が進む一方、以前からの文法・読解を重視する立場からは見直し論が出ています。なぜ、英語教育のあり方は常に論争になるのでしょうか
(鳥飼)「大論争とは平泉・渡部論争ですね。元外交官で参院議員の平泉渉さんが1974年に試案を出し、実用のための英語を教えるべきだと訴え、大変話題になりました。敢然と立ち向かったのが渡部昇一・上智大教授で、彼は『教養のための英語で何が悪い』と言い切りました」
「結論は出ませんでしたが、論争はいまも脈々と続いています。私流に言えば『使える英語』か『使えない英語』かです。バブル崩壊後、自社の英語研修や社費留学にお金をかけられなくなった経済界から英語教育へのプレッシャーが高まりました。読み書きばかりで話せないのは困る、大学卒業までに使える英語を身につけさせるべきだという圧力です。英語教育は大きく変わりました。学習指導要領は90年代にコミュニケーション重視に踏み切りました。実利の要求と英語教育の議論、文部科学省の政策はリンクしています」
「今は文法・訳読を重視する人たちから、振り子を戻せという主張が出ているほどです。コミュニケーション重視というが、効果が出ていない。それどころか基礎学力そのものが低下しているというのが彼らの懸念です」
−ですが多くの人は今も「学校英語イコール文法・訳読」だと思っているようです。
(鳥飼)「疑問なのは、どうして英語教育の現状が一般の人に認知されないのかということです。自分の子どもが通う学校の英語教育を知らないのでしょうか、教科書を見ないのでしょうか、不思議でなりません。政府の審議会でも、経済界の偉い人たちが『学校英語はだめですなぁ』『読み書きばっかりやって、会話が出来なければしょうがない』とおっしゃる。私が『この10年20年、様変わりしました。いまは会話中心になっているのが問題で、読み書きは出来るというのは昔話です』と言うと不機嫌な顔をされてしまいます。」
−なぜ実態が知られないのでしょう。
(鳥飼)なぜでしょうね。40代以上の人たちは中学高校時代にさんざん読み書き文法をやらされたという記憶が強く残っているんですね。なのに英語が話せない。いまの企業は厳しいですよ。話せないとだめだ、みたいな。じゃああの英語の授業は何だったんだ、と。それが怨念になっているようです」
−怨念ですか。
(鳥飼)「ちゃんと学校で英会話を教えてくれたら自分だって出来たはずだ。話せないのは学校英語のせいだ、というわけです。ニューヨークに出張して思い切って英語でしゃべったのに『は?』という顔をされた。だめだ、通じないじゃないか。これは日本の学校英語に責任がある…。その悔しさが子供の世代に向かうんです。『おまえはちゃんとやれよ』『読み書きなんかいいんだ、しゃべれないとだめだ』。でも私に言わせれば、これまで企業人が外国に放り出されて何とか英語でやってこられたのは、読み書きの基礎力があったからなんです。」
−コミュニケーション重視か文法・訳読重視か。鳥飼さんはどちらの立場ですか。
(鳥飼)「どちらも正しいんです。『コミュニケーションが大事』というのも『読み書きを重視しないとだめ』というのもその通りです。ですがいまの子どもたちはどちらもできなくなっている。もう論争はやめて、両方出来るような、しかも日本人の特性に合った、最大限の効果を出すような教育方法をみなさんで考えませんか、と言いたいですね。ある程度の基礎力を身につけたら学校教育としては使命を果たしたと思っていいのでは。あとは本人の努力です。」
−グローバル化と言われる時代、我々が学ぶべき英語はどういうものでしょう。英語に対するパラダイムシフト(考え方の大転換)が必要だと主張していますね。
(鳥飼)みなさん、『世界はグローバル化した。グローバル化時代は英語が国際語だ』とおっしゃいますが、本当にその意味をりかいしていらっしゃるのでしょうか。英語はもはや米英人など母語話者だけの言葉ではありません。彼らは4億人程度ですが、インドやシンガポールのように英語が公用語の国の人たちと英語を外国語として使う人たちを合わせると十数億人。みなさんが英語を使う相手は後者の確率がはるかに高い。英語は米英人の基準に合わせる必要はない時代に入りました。私がパラダイムシフトと呼ぶのはそういう意味です」
−どういうことですか。
(鳥飼)「例えばノーベル賞は英語ではthe Nobel Prizeですが。日本人をはじめ英語が母語ではない人たちはtheを忘れがちです。母語話者は『theがないと違和感がある』と言う。それは彼らの勝手で、それ以外の人はなくても気にしません。意味が通じるなら、それでいいじゃないですか。これが国際共通語としての英語です」
−それでは英語が英語でなくなりませんか。
(鳥飼)「たしかに世界中の人が好き勝手に使っていいとなると、共通語として機能しなくなってしまう。発音でも文法でも、どこを守ったら英語といえるのか。そのコア(核)を探す研究がヨーロッパを中心に取り組まれています。コアを特定できたら、そこを重点的に教えればいい・発音だって米英人をまるでモデルのようにしてまねをする必要はなくなります」
−rとlの違いもたいした問題ではなくなりますか。
(鳥飼)「全く問題ないです。様々な国の英語が母語でない人に聞かせて、理解できるかどうか調べると、rとlの違いなんて文脈でわかるんですよ」
−ライス(rice)を頼んだつもりでもシラミ(lice)と受け取られる、だからちゃんと練習しろと教わりました。
(鳥飼)「でもレストランでシラミを注文する人はいないですね。theだって『ザ』でわかる。そのかわり日本人はもう少し丁寧に子音の連結や強弱のリズムをマスターしたほうが理解されやすくなるでしょう。大事なのは米英人のような発音やイディオムではなく、わかりやすさです。文法も、共通語として機能するための基本を教え、使うときには細かいことを気にせず使えばいいのです」
−ここまでは英語だけれど、ここからは英語じゃないという判断は米英人がするのですか。
(鳥飼)「いいえ。ヨーロッパで行われているのは、母語話者ではない様々な国の人たちの多様な英語を集めて、わかるかわからないかを調べる研究です。誰に聞かせてもわからないという結論が出ると、これは問題。ここはちゃんと教えましょう、というわけです」
「英語か英語でないかを母語話者が選ぶなんて、そんな時代は過ぎました。自分たちをスタンダードにしろなんて言ったらそれは少数派の身勝手です。英語は申し訳ないけれど、米英人たちの固有財産ではなくなったんです、彼らにとっては変な英語がまかり通って不快でしょう。けれど、私たちだって苦労して勉強しているんです。彼らにも歩み寄ってもらわなければ。共通語なんですから」
−英語学習者には米英で使われている英語、「生きた英語」を学びたい人も少なくありません。
(鳥飼)「私もアメリカにあこがれて英語を学びました。ですからその気持ちはよくわかります。教師としてもアメリカではこういう言い方をする、こういう面白い表現があると教えたくなるんですよ。でもあえて教えません。だってアメリカ人しかわからないものを学んでどうすんですか。そんな言葉は国際共通語じゃない。余力のある人、米英の文化や言語を専門にする人が学べばいい。少なくとも義務教育、公教育で教える英語は国際共通語に絞るべきです」
−国際共通語としての英語と地域語としてのアメリカ語やイギリス語を分けてとらえよ、と。
(鳥飼)「そうです。英語が国際共通語として定着したいま、ほかの言語と同列に扱うことはできません」
−国際共通語としての英語は英語から固有の文化を切り離して考えるということですか。外国語を学ぶには、その言語が話されている国の文化を学ぶ必要があるといわれます。
(鳥飼)英語には米英の文化や生活、歴史が埋め込まれています。これを全部切り離すことは現実には無理です。それが一番苦しいところですが、教える側の意識の問題だと考えています。少なくともコミュニケーションのための英語というのなら、無自覚に英米の文化を教えようとはしないほうがいい。これは相当批判を浴びるでしょうね。でも、これしか『英語支配』を乗り越えるすべはありません」
「国際共通語としての英語にはもう一つ重要な要素があります。それは自分らしさを出したり、自分の文化を引きずったりしてもいい、ということです。『アメリカ人はそうは言わない』と言われたら『アメリカでは言わないでしょうが、日本では言うんですよ』。それでいいんです」
−それはすごい。
(鳥飼)「お互いに英語が外国語で、下手な英語を話す人同士が『本当はあなたの母語が話せたらいいんだけど、ごめんなさいね』『いやいや私こそ、日本語を話せないのでごめんなさい。しょうがないから英語で話しましょう』というわけですから。日本人は日本人らしい英語を話し、中国人は中国人らしい英語を話し、でも基本を守っているから英語として通じる、コミュニケーションが出来る。これがあるべき国際共通語としての英語です」
さて引用として成り立たせるためにどうでもいいことを書いていく。
読まなくて結構。
自分も以前この記事と同様のことを書いたことがあるので
そちらも暇でしたらどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/what_a_dude/20100621/1277104661
さてこのコアの部分を教える、というのはとっても大事で絶対間違っていないのですけれど、
それってなんでしょうな。
まずは単語でしょう。それから本当に基本的な文法。標準的な高校で習うレベルの文法だと思いますので、
中学生、高校生諸君はしっかりと勉強するように。
ロイヤル英文法は読まなくてもいいってことだ。
学術論文で使われている程度の文法がわかればよくて、人物心理を描いた小説が読めたり書けたりする必要はないということ。
幸いにもgoogle先生がいらっしゃるので、むこうさんの書き物でわからないスラング等が出てきたら
urban dictionaryやThe Online Slang Dictionaryやなんかで引いたり
○○+meaningなんかのgoogle先生の検索結果をみてみるといい。覚える必要はないんですな。
さてもう書くこともないのだが、
以前の記事と同様に自分が掻いたことのある恥でも晒しておくとする。
ご存知のことと思うが、日本の学校英語はアメリカ語がベースになっている。
おそらく大多数の人がcanをキャンと読みカンとは読まないだろうし
centreというスペリングにも違和感を覚えるはずだ。
んで中学のときに、同級生の所にオーストラリアからのホームステイの子が来ていて、
同級生が帰国したその子に英語で手紙を書いているのをみていたら
centreと書いていたので「オイオイwcenterだろうが!」と言って思いっきり恥かいたことがありますな。
馬鹿は俺だ。
どっちゃでもいいんですな。英国領だったとこではフランス語流のスペリングが結構残ってるんですな。
小切手=chequeとか。米語でcheckですね。まぁこんなのは本当にどっちゃでもいいんですよ。
何が正しいとかなくて、米英ごちゃ混ぜでもかまわんのです。
ほかにもanalizeとanaliseとかcolorとcolourとかoffenseとoffenceとか色々ありますね。
どっちゃでもいいですな。
uが入るか入らないか
zかsか
ceかseか
llかlか(cancelとか)
が多いですな。
あと日本人のクセに日本人は"rとlが区別できない"から練習が必要とか言っちゃう人も勘弁してください。
激しくどうでもいい。
知ってるかい?会話ってのは聞き返したり補足説明したり出来るんだぜ?
日本人の感覚では同じ音ではないけれど向こうの人にとっては同じような発音だから
ダジャレに使われたりする単語ってのはある。
lawyer(法律家)とliar(嘘つき)ってのが結構似た音で出す人もいるんですな。
カタカナだとロイヤー、ライアーだけれども。
Toolっちゅうバンドのthe potって曲にも
Liar, lawyer; mirror show me, what's the difference?ってな歌詞があったりとかね。
いかん、本当に書くことがない。
要はあれですよ、ハハン、ネイティブには通じないよ
とか抜かすアホを笑い飛ばして、ネイティブにも
あっそうなの、でも意味わかるでしょ?
っていう態度を取る勇気が重要っちゅうことですよ。