命を賭けた「自由か独裁」かの戦い
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本来ならこのニュースはトップニュースでなければならない。日本のテレビがパンダ放送に明け暮れていることは、このリビアの民衆が命懸けで戦っているその尊さを全く理解していないと言わざるを得ません。
人間に取って自由・民主主義・基本的人権は普遍的なものであり、最も大切なものです。故に私は共産主義・社会主義思想を若い頃から一貫して憎悪して来ました。
人間が自由でありたいと願うのは、人間が持つ渇望でありこれを奪い取ることなど誰にも出来ない。
今回の民衆蜂起を見ると死を恐れずに立ち上がったリビアの人達には感動するばかりです。何としてもこの民衆蜂起を成功させて、自由を勝ち取って欲しいと願わずにはいられません。
本日はこのリビア情勢というよりは、「自由の道」と「奴隷の道」について、有名なイソップ寓話集にある物語を紹介することに致します。
イソップ物語 二つの道
その昔、神様は人間のために、「自由の道」と「奴隷の道」という名の二つの道を作りました。どちらの道を歩くかは人間の自由であり、神は人間にそれを選ばせた。
「自由の道」は、初めの内は岩がゴツゴツとして抜け出るのが大変な山道で、水を飲む場所もなかった。しかも、イバラのトゲが一面に生えているため、前に進むのにも危険が伴う。
しかし、最後の方は広い散歩道になっていて、森の木の実や湧水にあふれ、オアシスのようになっていた。最後は楽園に辿り着くというものです。
対して「奴隷の道」とは、初めは広く平坦で、花が咲き乱れ、木の実がなり、小川も流れ、気持ちよく前に進むことができた。
しかし、次第に道幅は細い道になって、最後には抜け出すのも大変な険しい崖っぷちになってしまう。少しでも足を踏み外したら落ちてしまうという危険地域に迷い込んでしまったという訳です。
このイソップ物語は同じイソップ物語である「アリとキリギリス」と同じような苦労した者が最後は報われるという格言であると思います。
良くこの話は人生の選択を迫られた時に、決して安易に楽なほうを選択するのではなく、苦しい道を避けてはいけない。その苦しい体験の後には素晴らしい未来が開けているからですとの教えの時に使われます。
しかし、私はこの「自由の道」と「奴隷の道」とは、そのような人生訓話であると同時に、神様が指し示した自由の尊さを表わしていると昔から思って来ました。
神は二つの道を作った。我々人間は「自由の道」を選択しなくてはなりません。そこに暴虐の独裁者が立ちはだかっていようが、それを倒さなければ、自由を獲得することは出来ないからです。
リビアの人々が現在その戦いに決起しているのだと思います。独裁者がリビアの人達によって、一日も早く倒されて平穏な社会が訪れることを心から願っております。
又この民衆蜂起はやがて支那大陸、朝鮮半島でも起きるでしょう。その時には我々日本民族も又「自由の道」か「奴隷の道」の選択を迫られることになるのです。
お知らせ 「2・26事件・歴史探訪」
2月26日は2・26事件の日ですが、この日は東京にいますので、史跡を巡って「昭和の時代を考える」という企画を立てて見ました。
抗議行動や勉強会なども大切ですが、たまには実際に歴史的な事件の現場やその記念碑や墓地などを見学して、当時の時代の人達の心情に触れて見るのも、政治思想活動家に取っては有意義なものであると思います。
参加者はメールで募っております。最低でも5人から10人規模で行ないたいと思いますので、時間のある方は是非参加してみてください。
尚、昨日北一輝の墓と書きましたが、北一輝の墓は彼の生地である佐渡島にあるとのメールを頂きました。勘違いで書いてしまったと思いますので、以前聞いた場所が誰の墓であったのか、明日調査してお知らせいたします。
尚、参加希望者はメールにてお申し込み下さい。
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