2011年2月8日10時11分
「すみません」
タクシー運転手のSさん(37)は客を乗せるたび、先手を打つように頭を下げる。そしてこう続ける。「この仕事を始めて、まだ1週間なんです。道に詳しくなくて」
本当に転職したのは2カ月前。だが、道に詳しくないのは事実である。自宅のある茨城県から、東京都内のタクシー会社に通っており、首都で仕事をするのは初めての体験なのだ。
客に頼りなさが伝わると、露骨に嫌な顔をされることもある。つい先日も、目的地が分からずまごついていると、急ぎの客から、「今日は運が悪い」と、舌打ちされてしまった。
一方で、途中途中の道路やビルの名前を一つ一つ丁寧に教えてくれる客もいる。
自信がつくまでは、「新米」のままでいよう。Sさんなりに考えて、小さなウソをつき続けている。
半年前までは、塗装関係のリフォーム会社の営業マンだった。人の出入りの激しい業界で10年以上頑張ったのに、昨今の不況から最後は退職勧奨の憂き目にあった。地元では再就職先が見つからず、知人のつてを頼ってようやく見つけたのが、東京でのタクシー運転手の仕事だった。
仕事初日の大失態が、忘れられない。「成田まで」という外国人客を乗せたところまでは幸運とも言えたのに、首都高速道のレインボーブリッジの分岐点で、なぜか成田空港ではなく羽田空港方面に向かってしまった。
初仕事と東京、外国人相手という三つのストレスが重なり、極度に緊張した揚げ句の失敗だった。超過分の料金は当然、自腹を切った。
Sさんにとっての救いは、分からないことがあれば、何でも教えてくれる先輩ドライバーの存在だ。道が覚えられないとこぼすと、「その日に走った道を、地図で復習すると頭に入るよ」。その教えは従順に守っている。
営業マン時代には、同じ会社の後輩でも、売り上げを競うライバルだと考えて、自身のノウハウについては一切明かさなかった。それが当たり前の世界だと思っていた。
小泉政権の規制緩和以来、タクシー業界の競争も激化するばかりだ。その先輩の度量の広さには、自分の生き方を反省してしまった。
そして、道順を説明してくれる親切な客にも、人としての在り方を教えられた。
「自分もいつか、教えることのできる人間になりたい」
そんな目標を胸に秘め、今日も新米ドライバーが東京の街を走り続けている。
人材コンサルタント、映画プロデューサー。1958年、大分県生まれ。リクルート社の「週刊ビーイング」「就職ジャーナル」などの編集長を務めた後、映画業界に転身。キネマ旬報社代表取締役などを経て独立。02〜07年、beでコラム「複職(ふくしょく)時代」を連載。近著『断らない人は、なぜか仕事がうまくいく』(徳間書店)など著書多数。