高木マニア堂
何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。
291:さよなら星野総裁
<2010年12月=東スポ携帯サイトより>
往年の名プロレスラー・星野勘太郎さんが11月25日、肺炎のため亡くなった。享年67。
プロレス担当時代。幾度となく赤坂界隈に飲みに連れ歩いていただき、その場で力道山時代、馬場&猪木がエースの日本プロレス時代、そして新日本プロレス時代の貴重な秘話を聞かせていただくのが楽しかった。
星野さん…いや星野総裁が率いた魔界倶楽部の別名は「アントニオ猪木近衛兵団」、そして「安田忠夫親衛隊」。
星野総裁が猪木を「神」と呼べば、猪木も「クーデターとか色々あったなかで、勘太郎ちゃんだけが、オレを一度も裏切らなかった」と星野総裁に全幅の信頼を置いていた。披露されるのは、酔ってご機嫌なときに限定される
が、猪木による星野総裁のモノマネは、声色からセリフまで、それはそれは見事に似ていたものだ。
若手時代から、先輩後輩関係なく、ケンカっ早いことで知られていた総裁が、なぜに、そこまで猪木に心酔するに至ったのか?
それは何と「スパーリングで一度も勝てなかったから」だそうだ。
腕に自信がある総裁。「プロレスは喧嘩である」が持論である。
一方でプロモーターとしての顔も併せ持つ。日プロの若手時代、当時最年少で神戸地区の興行プロモートを手がけた記録をも持つ総裁は、冷徹な目で「客を呼べる選手と、そうでない選手」、「華のある選手、華のない選手」を見分ける嗅覚も鋭い。もちろん、プロレス稼業が「強いだけ」では成り立たぬことも熟知し尽くしている。
そんな総裁だが、一プロレスラーとしてのヒエラルキーはあくまで「強いか、弱いか?」によるモノが大きかった。
では、総裁が若手だった当時の日本プロレスで、道場におけるスパーリングの強さランキングはどうだったのか?
総裁いわく「トップはもちろん猪木さん、2番はワシ、3番目はやっぱり上ちゃん(上田馬之助)かな」となる。
総裁は昭和38年秋、若手の実力ナンバー1を決めるトーナメント「関西の牙」決勝戦で、上田馬之助さんの腕固めに敗れているハズだが…。
おそるおそる、そんな記録を突きつけてみる。
すると「あの決勝戦で負けたことが悔しくて悔しくてな…。だからワシは、試合後すぐに上ちゃんの控室に殴り込んで再戦を訴えた。そして次の日、道場で戦い、今度はワシが勝った。だからワシが2番で、上ちゃんが3番だ」
と言い張って譲らない。
リング上でキッチリと勝ったのに、すぐに再戦を申し込まれてしまった上田さんからすれば、たまったモノではない…。
そんな負けず嫌いな総裁は、ついぞ道場において猪木に勝てず「一生、この人について行こう」と誓ったそうだ。
リング上でも主役であり続けた猪木は〝道場番長〟でもあったようだ。
「猪木さんはとにかく体が柔らかい。特に足首や股関節が柔らかかったので、こっちが有利に攻めていても、すぐにセンヌキのような胴締めで捕えられ、自由を奪われ、あとは首を絞められたり、関節を極められる。あと、変な話、あの尖ったアゴも、寝技において凶器になってくるんだ。手と足だけでなくアゴまで使ってコントロールしてくるんだもん。反則だよ。結局、猪木さんには1回も勝てなかったな…」と証言していた。
男子の世界は、子どもの頃から「ケンカが強い」「勉強ができる」「かけっこが速い」「女の子にモテる」「お金持ち」、はたまた「チ○ポが大きい」など、さまざまな要素でヒエラルキーが成り立っている。
プロレスの世界で酸いも甘いも噛み分けた男たちが、還暦を過ぎてもなお、若き日の道場におけるスパーリングで染みついた上下関係を維持し続けていたというのが、何とも微笑ましく、ステキではないか! 合掌。
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