第76回 株式会社エムグラントフードサービス 井戸 実 3

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<銀座ですし職人の修業開始>
できるだけ早くカウンターに立てる店を探し、高校卒業後「築地すし好」に入社する

  高校時代は母のアドバイスどおり、思い切り遊んで過ごしました。すし屋や飲食店でバイトして、バイクにもはまったし、幅広い人脈もできた。そんな楽しいこともたくさんありましたが、反面、大きなケンカも経験したし、先輩にパーティチケット100枚売って来いとすごまれたり、けっこう怖い思いもしています。そうやって遊んでばかりの3年間でしたが、自分たちがイヤだと感じたことは後輩にはするまいとか、人として生きていくうえで大切となるいろんな勉強ができた時間と思っています。だからやはり、母には感謝です。

 すし屋の板前になるという決意はいっさい揺るがず、30歳までには自分の店を持つという夢も掲げていました。で、就職先を探すわけなんですが、できるだけ早くカウンターに立てる店で働くために、バイト先のすし職人にヒアリングした結果、「築地すし好」がいいだろうと。それで高校卒業後、そのアドバイスどおり「築地すし好」に入社するんです。銀座6丁目の店舗に配属され、必死で修業して、2年目になる前にはカウンターですしを握っていました。これは噂どおり本当でした。12人の板前が早番・遅番で目まぐるしく働き、当時、20坪の店で月の売り上げ3000万円くらい。めちゃくちゃはやっている店でしたね。ただ、職人として働くうちに分かったことがあります。このままの状態では、30歳で店を持つ夢なんて無理だってことが。

 本部が仕入れ値を教えてくれないので、まず、いくらで仕入れていくらで売ればいいか、すし商売の基本ともいえる仕入れと売値の関係がまったく把握できませんでした。でも、これに関しては、毎日、築地市場に通い、自分である程度の仕入れ値を理解するように務めました。そうするとただ握って出すよりも、いつもの仕事が商売として楽しくなってくるんですよ。教えてくれないなら自分で取りにいくという行動が習慣化されたのはこの頃からです。あと、30歳過ぎの尊敬できる職人さんがいたんです。その人の給料が額面で30万円そこそこだという。彼に聞いてみました。「いつか自分のお店を出すんですよね?」。彼曰く、「貯金もできないし、無理だろうな」と。このままでは夢はかなわない……。僕はすぐに夢実現のため、戦略を変更することにしたんです。

<店舗開発と業態開発>
レインズ、小林事務所で働くことで、飲食店経営成功のセオリーを学ぶ

 炭火焼き肉店の「牛角」を展開するレインズインターナショナルが店舗開発の中途採用を実施していましてね。通常ありえないのですが、未経験でもOKだと。当時の「牛角」は、年間約300店舗ほどの大量出店をしているイケイケで、こりゃあ面白そうだと。即応募して、20人の中途採用枠にもぐり込むことができたんです。東京都内の地下鉄沿線エリアを任されて、駅周辺の不動産屋へのあいさつ回りから始め、あとは毎日ひたすら歩いて、飛び込みしながらビルオーナーへのテナント誘致営業。焼き肉店は臭いも煙もあって、なかなか貸してくれないんです。でも、「牛角は日本一収益性の高いFCパッケージ。自分の親に出資させても絶対に大丈夫」という思いを持って、日々、情熱のプレゼンテーションを繰り返しました。

 結局、レインズには2年弱お世話になりましたが、18軒の新店舗開発に成功。同期中途入社20名のうち、最年少ながらトップの成績を収めています。ここでは、様々な不動産契約のノウハウを習得でき、飲食店の多店舗化成功の8割は立地と家賃で決まるという鉄則も学ぶことができました。店舗開発にそろそろ飽きてきた頃(笑)、次は業態開発を学ぼうと考え、あるセミナーでお会いした“マネーの虎”のおひとりでもある小林敦社長が経営する小林事務所へ転職。1年間、小林社長のかばん持ちをしながら、新店のコンセプトづくり、メニュー開発、仕入れノウハウなど、業態開発のいろはを叩き込んでいただきました。で、そろそろ自分の店を持ちたいという思いが大きくふくらんでくるんですよ。それで、飲食店を開業したい人と物件オーナーを結び付ける事業を行っていた、店舗流通ネットへ再び転職。入社して3カ月後、目黒区にあるレインズの店舗が売りに出されているという情報をキャッチしました。買い取り費用は1200万円。が、僕の貯蓄はたったの150万円(苦笑)。

 でも、このチャンスを逃したくないと親族から借金して、2年間で返済する計画を立て、念願の自分の店を手に入れたんです。で、「感菜(かんさい)」という屋号の創作居酒屋にリニューアルし、運営は小林事務所時代の仲間に任せました。ただしスタート当初、計画の売り上げになかなか届かず、店舗流通ネットの給料はすべて借金の返済に消えていく……。当時は妻の収入でなんとか糊口をしのいでいました。僕は26歳で、サラリーマンをやりながらの店舗オーナー。いわゆる副業だったんです。でも、30歳で店を持つという夢は、4年早く達成できたことになります。この時に学んだ教訓は、「貯蓄はできなくても、返済はできる」。借金して自分を追い込めば、自然と思いはかたちになるということです。もちろん、今では「感菜」の経営は軌道に乗り、いい感じで運営できています。

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