平成23年2月1日更新
今年の冬は瀬戸内沿岸でも寒さが例年以上です。寒に入ってマイナスの
気温が続き、池の氷も溶けることはありません。
金光教では、1月4日から寒の信行期間に入り、朝5時15分から30分間の教
話が行われています。この行事への参加は、私も30年以上続いていますが、
皆勤は0です。今年も既に4日休みました。年取ってあまり無理はしないように
していますが、これに参加するのは楽しみでもあるのです。 30代から70代の
いろいろな方がいろいろな話をされ、大変興味深いのです。
そして、24日から、金光学園でも寒修業が始まりました。木綿崎ボランティ
アクラブの主催で29日までです。初日は高校生12人が参加し、日々参加が
増えています。28日は、中学・高校生14人、教職員8人、保護者1人でした。
寒に田んぼを鋤くことを「天地がえし」と言うそうですが、私でも寒風にさらさ
れると少しはしゃきっとします。
1月27日は、高校入試でした。中学校入試も併せて、結果はこのHPの入試
情報でご覧ください。
1月の「校長室だより」の宿題 を出します。原田武一氏のことです。 大正時
代のアルバムに次のように載っていました。
1917年(大正6年)金光中学校卒業 慶応義塾へ進学
1924年 テニス男子シングルス1位
デ杯選手に選ばれる。
ハーバード大学留学
留学中、全米3位・世界7位にランクされた。
その後もデ杯選手として活躍
硬式テニスの名プレイヤーであった。 右の写真は、1926年10月、旧金光中
学校校庭で模範試合をしたときのものです。
ワイングラスに刻まれたMONTHLY は、よく分かりませんが、オーストラリアの
地名ではないかと思われます。知っている方は教えてください。
3学期の始業式は、1月8日(土)に行われました。高校3年生にとっては最
後の始業式、このときも私はもう一つの宿題をこなしました。
それは、昨年9月22日の高校体育会の挨拶で、その3日前が正岡子規が亡く
なった「糸瓜忌」であったことから、子規について話したのです。
正岡子規というと、脊椎カリエスで寝たきりのイメージがあるかもしれないが
、夏目漱石と一緒に入学した大学予備門時代は野球に熱中し、ベースボー
ルを「ノボール」(子規の幼名の昇をもじった)と名づけて後の「野球」のもとに
なり、他の野球用語も子規が唱えて普及させた。四国に野球を広めたのも子
規であった。(このような功績で子規が後年野球殿堂入りをしたことは私も最
近まで知りませんでした)
もう一つは閉会式で話そうと思っていたのですが、午後雨になって式が流
れて話せませんでした。その宿題が4ヵ月後になったのです。 それは、9月
20日の新聞の記事です。「糸瓜忌」を記念して、松山市で、外務省と欧州連
合( EU )が主催した「日 EU 英語俳句コンテスト」が行われ、最優秀賞に選
ばれたルーマニアの高校の数学教師エドワルド・ツァラさんの歓迎会があっ
たというのです。ツァラさんの作品は、「 Unfolding a map / the cherry petals
connect / Europe and Japan 」で、外務省の日本語訳は、「地図を広げると /
幾片の桜が結ぶ / 欧州と日本」で、その心は、(旅の道連れに広げた地図
の上に落ちてきた桜の花びらが、欧州各地と日本の架け橋になる)という思
いをこめたものだということです。 私は、生徒諸君にこれを紹介した上で言
いました。 文化の伝播、文化の理解ということはかくもすばらしいことなのか
。私はこれまで英語俳句が理解できなかったが、ツァラさんの俳句を読んで
解説を見るとなんとなく分かるような気がしてきた。人間の歴史の中で、一方
では他民族の文化を破壊し、また、民族そのものを抹殺しようとしたこともあ
った。その一方で、他国の文化をこれほどに深く理解して自国に取り入れよう
とする優れたイマジネーションと知性の働きがあるという驚きを生徒たちに伝
えたかったのです。
始業式のことでもう一つ皆様にお伝えしたいことは、高校3年生の決意表明
です。
野球部の桑田雅矢君が、次のように言いました。自分は3年間好きな野球に
打ち込んできた。夏に引退して、受験勉強に取り組むに際し、嫌いな教科もあったが、嫌いなものから逃げることはすまいと思った。実は自分は人前で話すことは大の苦手なのだが、この決意表明の依頼があったときも逃げなかった。概略こんな話でした。
桑田君のスピーチはまことに堂々たるものでした。
始業式の1週間後はセンター試験です。中学1年生から高校2年生まで全員と
教職員全員が大応援団を結成し、高3の人たちの進学の願い成就をお祈りし
ましょう。これが始業式の〆の挨拶でした。
ところで、ルーマニアで思い出すこと。 1989年にルーマニアではチャウシェ
スク独裁政権が倒れ、その前後国は混乱し経済は疲弊していた。子どもたち
も鉛筆などの文具が不足しているという報道があり、学園の家庭クラブが生
徒会の協力を得て、使っていない文具を全校挙げて集め、ルーマニアに送り
届けた。それ以来文通が始まり、学園創立百年の1994年(平成6年)8月、家
庭クラブの代表5名と先生1名がルーマニア「190学校」を親善訪問するという
快挙が行われ、その年10月に NHK の「プライム11」で全国に放映された。
1月15.16日(土・日)センター試験が行われた。 学園は、今年から会場が作
陽大学に変わり、120名が受験した。新倉敷駅から徒歩7分だから、近くて便
利になった。午前8時開門する。学園生は、門の手前で担任の先生から、激
励のプレゼントを手渡される。先生の写真とメッセージ入りの“金光饅頭”だ。
受験生たちはにやっとしたり、驚きの声を上げたり、それでも嬉しそうに受け
取って、大学職員に受験票を見せて門を入る。試験場までの広い通路には、40mほどロープが張られ、先生方からの受験生への激励のメッセージが掲げ
てある。大学側は、受験生と引率教員に広い学生食堂を控え室として提供し
てくださった。県南も雪の予報があったが何事もなく、全国的にも大きな支障
はなく、2日間の試験が無事に終わったことは有難いことであった。すでに国
公立は、2次試験の出願が始まった。私学もセンターを課す大学が多くなって
いる。生徒たちは補習を受けて最後のがんばりを見せている。生徒たちが願
い成就のおかげを受けられるよう祈るばかりである。
「森近運平没後百周年記念事業」 が 1月23日(日)井原市であった。大逆事
件で明治44年1月24日に12名が処刑されて100年が経ったのである。
森近運平は井原市高屋町出身の農業技師であった。この記念事業の実行委員長、坂本忠次先生(高校4回卒)のお名前の案内状を、井原在の金光教
関係者から頂いたのは1月12日であった。坂本先生は思いもよらず、1月9日
に急逝され、私はご葬儀で、関西福祉大学の代表、教え子の代表の方ととも
に弔辞を上げさせていただいた。坂本先生が、森近運平の研究者であること
は最近いただいた本で知っていたが、記念事業のことも委員長であることも
知らなかったから、弔辞ではそれに触れなかったのが悔やまれる。私は暮れ
の 18 日に坂本先生にお目にかかったばかりであった。案内状はあたかも幽
冥界からのごとくに思われ、すぐに出席の返事をした。
午後1時、開会のオープニングは、運平が刑死の2日前に妻の繁子と一人
娘の菊に宛てた、悲壮かつ沈静かつ情愛に満ちた約900字の手紙が心こめ
て朗読され、その後、司会が、実行委員長の坂本先生が急逝されたことを告
げ、坂本先生と百年前に刑死した 12 人の方のご冥福をお祈りいたしましょう
と呼びかけた。会場いっぱいの参会者一同黙祷を捧げた。
二つの記念講演があったが、多く私の初めて聞く内容であった。中でも、森
近運平の妻の実家が金光町佐方で、運平処刑後、一人娘を嫁ぎ先に残して
実家に帰った妻は3年後に結核で亡くなった。娘さんは、成人して結婚する
が、まもなく亡くなっている。「大逆事件の悲劇」は「残された家族の悲劇」と
重なっている、という講演者のことばが強く耳に残った。運平は、前述の妻へ
の手紙の中で、「事件の真相は後世の歴史家が明らかにしてくれる」と書い
ている。事実、100年後の今日、処刑された12人も無期に減刑された12人も
すべて無実との説もある。少なくとも、森近運平は無実であると歴史家も郷里
の人も確信している。
初代校長佐藤範雄先生は、運平が逮捕されたとき、無実を信じる郷里高屋
の人が、助命嘆願をするから、その橋渡しをしてほしいとの依頼を受け、ご自
身も運平の無実を信じておられたから、その願いを引き受けて、時の政府高
官に連絡をとられた。範雄先生は、1900年の金光教の独立運動以来、内務
省とのパイプを持っておられた。けれども、高官は、せっかくの佐藤さんの願
いだが、これだけはどうにもならないと断わられたようである。運平は岡山県
庁の役人を辞めてから、社会主義者との交流があり、大阪で平民新聞の編
集に携わっていた時期もあったが、やがて郷里に帰り、当時としては先進的
な、野菜のハウス栽培などを始めていた。彼が作ったイチゴを範雄先生と一
緒に本部教会にお供えに行ったこともある。そのようなことから範雄先生は
運平の無実を信じておられた。範雄先生は、天皇を中心とした維新政府を支
持し、ロシアの南下政策に歯止めをかけた日清・日露の両戦争も肯定してお
られたから、無政府主義や社会運動には反対の立場をとられたが、それでも運平の無実は信じておられたに違いない。範雄先生の大著「信仰回顧65年」
の明治44年の箇所に、「このことについてはこれ以上書かない」と筆を折って
おられる。私はそこに範雄先生の悲痛な思いを感じるのである。
1月21日:中学1年生の進路学習 として、「高3の先輩に学ぶ」というのがあ
った。高校3年生で、すでに指定校推薦・自己推薦・ AO 入試などで合格した
人を招いて、体験談を聞くという企画である。「学年通信」に載っている1年生
の感想を読むと、中1の生徒が高3の先輩に刺激・影響を受けて自分を変え
ていこうとしている気持ちがよく出ていて、やはり、中高一貫の金光学園だか
らこんなことも出来ると嬉しくなった。
1月21日:中学校生徒会長選挙 が行われ、次の新役員が当選し、放課後、
冬芝の伸びている「やつなみ広場」で認証式を行った。
新生徒会長: 2年1組 若林 周 君
副会長: 1年3組 木下 豪 君
〃 : 1年1組 井上 光さん
中1中2の8クラスから9人の立候補者が出て激しい選挙戦を戦った
結果でした。
同じく21日:川端雅章氏来校
カナダのヴァンクーバーで旅行業を営んでおられる高校20回の卒業生
で、毎年夏の短期夏季海外研修のカナダコースのお手伝いをしてくださ
っている方です。川端氏が校長室を訪れてこられ、今年の夏のカナダ
研修や初めてご自分が出演したという映画の話など楽しいひと時でし
た。
2月28日(月)は高等学校第63回卒業式です。 卒業生の胸に付ける花飾り
のリボンの名前を心こめて書きましょう。
SSH (スーパーサイエンスハイスクール)の申請書は25日に完成し提出しました。 2月中旬にヒアリングが行われるでしょう。
金光学園の合言葉「人をたいせつに 自分をたいせつに 物をたいせつに」
☆ ほつま同窓会岡山支部会
日時: 1月30日(日)午後2時
場所:ピュアリティーまきび
60数名の出席予定と聞いています。楽しみにしています。 多分、当
日の飛び入り参加も大丈夫と思いますよ。
☆ 校長が主催する二つの会の予定
読書会
2月15日(火)の予定でしたが、2月22日(火)に変更になりました。 1:30から 祈りの室で
やつなみセミナー
2月19日(土) 1:30から 祈りの室で あるいは、校長室で
◎ 2月4日の立春を心待ちにしています。
石ばしる垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも