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[16649] ひきこもっ!【習作・オリジナル:微鬱系現代ファンタジー】
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/02/20 01:35


 放課後、俺は一人帰宅部の理念に反し、家には直帰せず百均に向かった。

 まあ、週に四回はそうしているが。高校へ入学してそろそろ一月経ち、ボッチポジションに固まった俺にはそうするより他無いと言うだけだが。

 百均は素晴らしい。常々そう思う。

 鼻歌を交えながら百均の店内を見回せば、コンビニ程度だろう広さの店内に所狭しと棚が並ぶ。

 そこを埋め尽くす数々の日用雑貨、食品達。

 そして、その殆どが税込で一つ百五円ときたもんだ。

 百均を作ったのは神だ、神に違いない。

 例え違っても俺が百均教団を結成し、百均を神の居ます場として後の世に語り継いでみせよう。

 奇跡の伝道師、その名は大山信治。うん、ださいな俺。

 現実に向き直りつつ、賞味期限が近づいて五十円引きシールの貼られたスナック菓子を籠に二つ放り込む。合計百十円、ブラボー。

 消費税を割引いてくれないのは玉に瑕だが、それでも割引万歳。

 そして店先に停めていた自転車を駆り、普段通りで次に目指すは町外れの友人宅。

 自転車を愛用した結果太くなった大腿部が唸りを上げる!

 ……まあ、悪い筋肉の付き方らしいが。

 空を仰げば、どんよりと分厚い雲。

 今日は早めに家へ帰った方が良いやもしれん。

 周囲に人気と建物が少なくなってきた。畑やら古めかしい家が点在する眺め。

 そろそろだ。

 緩やかな傾斜を登り、半ばで舗装が途切れた。徒歩に切り替え、軟らかい土を踏みしめて自転車は押して進む。

 道は車一台やっと通れる程度の広さで、左右には春過ぎた新緑の木々が生い茂る。登り終えた先、目的地の民家を認めた。

 ぽっかり空いた土地の中、十年ほど前にリフォームしたらしい、周囲にそぐわぬ小綺麗な二階建ての白い家。

 自転車は家の横にある、がら空きの車庫に停める。

 バリアフリーに均された玄関前の微かなコンクリの斜面、大股一歩でガラス張りな引き戸の前へ。

 俺は普段通り、鍵もかかっていない不用心な戸を開けて中へ入った。

 そのまま居間を通り過ぎ、一階の奥まった部屋へ。ドアを開ける。

 ベージュの絨毯が敷かれた白い壁の十畳間。

 中央で複数並べた座布団に俯せで寝そべり、長い足を曲げ延ばしして本を読んでいる少女。

 床に広がっている腰に遠くだろう長髪は、烏の濡れ羽色と形容するにふさわしい漆黒。

 白地に青い花柄の着物が若干着崩れて色っぽい。

 その切れ長の視線の先は、挿絵のツンデレがヒロインのライトノベルだが。

 俺の視線に気付き、服の乱れを直しながらゆっくりと起き上がった。


「うぃーす」


 ぴしっとした正座で気だるそうに言われると、違和感がある。


「おう、うぃっす司」


 そう、コイツこそ我が友人、要司である。


「今日も元気にニートってるかー」


「僕はニートじゃない」


 ほう。常識的に考えれば高校に通っている、または労働に精を出すべき年頃であるというのに、心に傷を抱えているようでもなく部屋に引きこもっているお前を何と呼称すればいいのか、ご教授願えないか。

 そう問えば、司は何処か誇らしげなため息と共に額へ手をやる。

 まあ、カッコ良いポーズのつもりなのだろう。


「――そう、ガーディアンと呼んでくれ」


 格好良く言い替えても、結局は自宅警備員と言う名の無職である。

 しかも中卒。


「さあ、日夜自宅を守っている僕をねぎらってくれ。そう、愛を込めて」


「何から守ってるっつうんだよ」


「……それは、ええと、新聞の勧誘とか?」


「お前が奴らに対抗出来るとは微塵も思えん」


 俺と同様に人見知りだろお前。押し切られるのが目に見えてるんだけど。


「その通りだ。セールスの類は私が追い払っている」


 背後から凛々しい声。よく知る年齢不詳な自称お手伝いさんの声だ。


「お邪魔してます神崎さ……ん?」


 振り向くと、そこには見事なメイドさん。

 いつもと違う服にドッキリ。これは予想外。

 どう見ても身長百六十センチ未満の小柄、奥にくりくりした瞳を覗かせる黒縁メガネに若干色素の薄い三つ編みで十代の文学少女的な清楚さを振りまき、濃紺のロングドレスに白いエプロンが目映い。

 うんうん、昨今のミニスカメイドには俺ちょっと辟易してるんだよね。


「でもちょっとまて」


「なんだ?」


 お手伝いのくせに、どこか尊大な口調。

 しかし嫌みには感じない。


「男がメイド服着るなよ」


 似合っているけど。

 似合っているけどさ。

 大事な事だから二回言う。


「そんな、似合っているだなんて……」


 ほのかに色づいた両の頬に手を当てて、メイドこと神崎勉は身体をくねらせた。

 そこだけ拾うなよ。


「都合の良い耳だろう?」


「確信犯だよこの人」


「それは誤用だ」


 はいはい、自分がやっていることを正しいと確信している犯罪者に使う言葉だっけ?

 細かいこと気にするなよ。言葉の意味が変わっていくのは仕方ないことなんだから。


「御用だ御用だー!」


 立ち上がり、どこから取り出したのか十手を振り回す司だった。


「……何の御用ですか?」


 冷ややかな眼差しをくれてやった。


「いじめですかー!?」


「私の持ってたヤツだろそれ」


 神崎さんが十手をひったくった。

 そして嘆息。まったく、いつの間に――と。


「めんごめんごー」


 悪びれない笑みの司。


「でも遊び心くすぐるよね、そういうグッズ」


「そこには俺も賛同する。神崎さんも好き者だよな」


「ロマンを理解していただいたようでなにより。……麦茶を持ってきた」


 神崎さんは足下に置いていたお盆を拾い、俺に差し出す。横から割って入った司が受け取った。


「ありがと勉さん。じゃ信治、その袋のお菓子、開けて」


 立ち去る神崎さんを尻目に、部屋の床へ置かれた座布団の一枚に座り込む。

 買ってきたスナック菓子の袋はパーティ的に開放。

 麦茶を含みつつ、マイナーな堅焼きの微妙な味に二人揃って首を捻る。

 正直、揚げパン味の再現率は褒められた物ではない。

 半分ほど減らし、ウェットティッシュで手を拭ってからテレビゲーム開始。


「しっかしお前、いい加減外に出ろよ」


 そう言いつつ、レースゲームで身体が傾く癖は直らない。

 神崎さん曰く、傍から見ると二人が良い具合で平行に揃って面白いとのこと。


「野外プレイを強要されてる!」


「……携帯ゲーム対戦だったら、野外もオッケーだぞゴラァ」


 たまにはすれ違い通信の一つもしてみせろ。


「常時戦場の心構えで自宅を守り抜く。だから家からは一歩も出ない」


「だったらゲームに興じるなよ」


「それは……」


 そこで壁のない断崖絶壁の連続カーブにさしかかる。

 落ちればタイムロス。お互い何かを言う余裕も無くなった。

 ……カーブを過ぎた。

 俺から口火を切る。


「自宅警備するなら真面目にやれー。鍵掛けないとか有り得ん」


「しかし有り得るジェルウォッシュ」


「上手くない。座布団一枚もってけ」


「手厳しい」


「はい、座布団を回収しに参りましたー」


「神崎さん!?」「勉さん!?」


 音もなく登場。

 たまにあるが、いつ見ても驚くよこれ。

 が、司は自身が乗った二枚重ねの座布団を死守することに成功。

 いやまあ、神崎さんが本気じゃなかったというのもあるだろうが。

 そして程なくして、窓から見える空がより雲を厚くしたので、雨が降る前に帰宅することに。

 その時には神崎さんも、普段通りシャツにスラックスを履くスタイルだ。髪型も長髪を後ろで軽く纏めている程度。メガネはレンズの小さな縁なしだ。

 そして、司に肉じゃがを用意してあるから温めて食べろと告げて、俺と玄関へ。


「じゃーね、お二人さーん」


 司の見送りを背に、神崎さんと一緒に家を出る。お手伝いさんとはいえ、同居しているわけではない。


「――というわけで、お風呂でバッタリは無い。安心したか?」


「誰も聞いてませんて」


 俺は地べたがアスファルトに変わった直後、徒歩の神崎さんと別れて自転車を飛ばした。

 雨が降り出したのは、家へ着く直前。さほど濡れずに済んだ。

 雨が降っている時、家に居ると妙に安心出来る。家はガランとし、誰もいない。

 親は共働き。妹は名門中学の寮生。慣れっこなので、開放によるテンション上昇は起こらない。

 夕飯は昨日のカレーが冷蔵庫に残っているから問題無い。神崎さんに司の分と一緒に用意して貰う時もあるが。

 ――あいつも今頃、家で一人か。

 ボンヤリと思いながら、カレーを鍋に移してコンロに載せる。静かな家の中、コンロに火の点る音がやけに響いた。




 司は点けたばかりだったコンロの火を落とした。目を離した隙に何かあったら大変だ。

 魂にちらつく不快感。司の勘は今日も冴え渡っているようだ。

 今朝方『調律』を終えたばかりで、封印は万全。優に一時間は外で活動可能だ。体調も万全で、迎撃に支障無し。まあ、時間一杯使うようでは話にならないが。

 ――光の国からやって来た宇宙人にだって負けないよ。

 調律とて楽ではない。それくらいの意気込みでなくば、家を守り抜くことは出来ないだろう。

 自室に駆け込み、押し入れを開ける。中に置かれた台座、杖から刀剣類、複数の武器が収まっている。

 どれも、『呪い』の但し書きが着く逸品だ。

 必要な物を過不足無く選択せねば。続けて使用すれば消耗度も激しく、長持ちさせなければ勿体ない。とはいえ、やはり使いやすい武器に偏ってしまうのだが。

 家へ近づく気配の大きさから適当な物を手に取る。山を覆う結界に感知され、あまつさえ足止めを喰らう中途半端な妖気の隠蔽具合から、不足無しと判断。

 それが囮で、本命が感知されないレベルの隠行を以てここへ迫っているのであれば、もう白旗を揚げるしかないが。

 ――家には誰も入れない。ここは自分の領地だ。

 決意の確認。強く握られるのは、鞘が薄く角張った小太刀。銘は『水面月』。知る人ぞ知る、かもしれないマイナーな一品。湿気にも強い。

 専用の帯と一緒に、服の上から腰へ帯びるその不格好さに苦笑しつつ、雨よけの外套を肩に掛ける。そして要司は、頑強なブーツで玄関先のコンクリートを蹴って、しとしと濡れる夜の帳へ躍り出た。


 続く、やもしれん




これは引きこもりとダメ人間が繰り広げる『悲喜こもごも』の物語です。





[16649] 二話(改訂)
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/02/20 01:37


 さて放課後だ。

 一日を終えた開放感が教室に満ちて、皆が騒ぎ出す。

 やれ部活だ、やれバイトだ、やれ寄り道だ、やれ暇だ――。

 教室を出る者は弾んだ足取り。残っている者は人数の多寡あれど、二人以上集まって思い思いに駄弁っている。

 俺は一人だ。

 最前列、真ん中の席で一人。

 最初の一週間で特定の友人を作れなかった俺は、この通り気軽に語らう友人もいない。バイトする気力もない。

 ちなみに、先日の席替えで好きな席を相談して決めろとか教師に言われ、余ったのがここだ。意外と注目されないという説もあるが、居心地が良いとは言いにくい。

 学校に残しても問題ない教材を選別し、課題のある教科のみ選んで鞄へ残す。後方のロッカーへ教材をしまい込み、下校モード。

 喧噪の空気が俺にはちょいとうざい。ホームルームの途中でも構わず、他の連中みたいに下校の準備済ませりゃよかった。でも、タイミングを逃すと注目を浴びるようでやりにくいんだよな。

 いっそのこと、アウトローを気取ってイビルアイを持たぬ者にはわかるまい……とかシニカルぶったりできりゃ楽なんだが、常識を捨て去る勇気と言う名の思考放棄パワーは無い。

 けったいな言動で孤立するアニメや漫画のキャラクターは度胸あるよ。こんな時だけ尊敬する。

 同じようなボッチ組の女子が一人いるが、そいつは教材全部置きっぱで鞄を薄くしてさっさと帰っている。

 今度話しかけてみようかねぇ。まあ、多分出来ずに終わるが。

 うわ! 皆が同調したかのように、三日後からのゴールデンウィークの予定とか語らってやがる。

 ……いいさいいさ。高校は違えど、中学時代の友人だっている。

 それに――。


「うん、百均行こう」


 呟いて、早足で駐輪場へ向かう。

 百均行って、それからあいつの家へ。

 陽気の中自転車を飛ばし、百均の店内を一回り。レジで払った金額は合計百六十円。

 半額のおかきを一袋と、他にもちょいと余計な出費が発生したけど、まあいいだろう。

 そう、男心をくすぐるお宝に罪は無いさ。


「――というわけで、見ろよこれ」


 司の家、居間で神崎さんと司に、プリスターパックのそれを取り出し掲げた。


「……ナイフ?」


「単なるナイフじゃない。七徳ナイフだ!」


 単なるステンレスのナイフではなく、その他に缶切りやらニッパーやらの多機能。

 ああ百均マジパねぇ!


「……正直ナイフとか引くわ」


 一拍置いてから口を開いたのは司だった。 


「え?」


「ああ、ナイフは無いな」


 そして二人揃って、俺から間合いを取る振りをする。

 え、ちょっと待って!


「……警察のお世話になりたくなければ、それをパッケージから開放してはならない」


 封印するんだ――。上目遣いに言いながら、神崎さんは俺の両肩に手を置いた。

 ……そして、そこでフッと先ほどまでの昂揚が消え失せた。

 そうだね。ナイフなんて持ってたら、危険人物扱いされるご時世だったね。


「……俺、何やってたんだろ」


「正義の心を取り戻したね」


「テンションが下がっただけだろう。冷静になって考えれば、日常生活でナイフを使う機会など滅多にない」


 神崎さんの仰る通りで。

 でも、多機能とかナイフとか、俺のツボを突きまくりだったんだよ。


「こないだも、使いもしないLEDライト片手に目を輝かせてたよね」


 懲りないねぇ――。肩を揺らす司。


「悪いかコラ」


 掌に収まる大きさであんなに明るいんだ。食指が動くのは仕方ない。


「その理屈はおかしい」


 第一、LEDライトなら君の携帯にもあるはずだよ――。司はツッコミにそう付け加えた。


「携帯……だと……?」


 盲点だった。

 そういや、カメラのフラッシュをライトとして使用できる機種だった。


「気付けよ」


 こちらを指差し、司は吹き出した。


「……なら、携帯の充電機能付きLEDライトに意味はあるのでしょうか!?」


 手回し充電のヤツとか、めっちゃ心惹かれるのに!


「まあ、緊急事態用とかは……意味、あるんじゃない?」


 どれだけの人が緊急時、手元に置いておけるか知らないけど――。


「……なんか、冷めたわ。色々と」


「悟りを開いたか」


「遊び人がいよいよ賢者だね」


 元が遊び人じゃ、碌でもない知識しかなさそうだな。悪どい方向に悟りを開いてそうだ。

 司の言葉に、俺は借金してまでパチンコする類の人種を連想していた。


「それは依存症……! ギャンブル依存症……! 酔って……溺れているんだ……! 勝利に……! 積み重ねていても……目を向けない……! 見ちゃいないんだ……敗北をっ……!」


 神崎さん、溜めを作れば似ると思うなよ?

 後、心読まないで。




「――お前が言うなって感じだね、ホント」


 夜半、家を出ながら司は自嘲に口元を歪めた。刃物を携えた今の自分は、思いっきり危険人物だ。信治を笑えない。

 手を切らぬよう、ゆっくりと鞘から抜いた『水面月』。刃渡りは54センチ、顕わになる。抜刀の瞬間には、未だ緊張を伴う司だ。どこぞの漫画のように居合いを必殺技にするには、数年はかるく要するだろう。

 つまり鞘は不要なのではないか。天啓のような閃きに従い、黒く塗られた鞘を放り投げる。セルフ小次郎破れたり。

 刀身が月光にも酷似した淡い輝きを放っている、ような錯覚がフラッシュバックする。虚構の輝きは、頼もしさと温かみを湛えている。それすらも本来は人類の五感に基づく認識ではないが。柄を右手に緩く握り、切っ先は眼前へ、迸る敵意で射貫くような思惟を掲げる。その敵意に何かが響くような、手応え――あるいは不思議な確信を覚える。


「よしっ」


 今日も好調、迎撃に支障なし。そして魂の感覚――即ち霊視に基づく認識への集中を高める。そうすると、五感にちらつく違和が増大していく。

 感じる、生者とは噛み合わない、不快な存在がやって来る。霊脈に流される霊魂達、封印から数百年を経てなお妖気を吐き出す鬼に惹かれ、流れに淀みを生み出そうとする。つまり、終着点は司の家。

 この土地のような規模の大きい流れであれば、その中で亡者達は引き合って群をなすことがままある。司の視界、遠くにちらつく幻影、濁った靄のようで、そしてどこか軟体じみたそれら。それはさながら百鬼夜行、いや、群れなす霊に無意識か認識した末かの怯えを抱いた誰かが、そういった物を創り出したのだろう。

 そして封印が、その奥の鬼がかすかに揺らめくのを感じる。よくあることだ。純粋な魂の存在は、大概が欲望やらの負の念で引き合う。けれど完全には重ならず弾き合い、摩耗した果てに合一する。


「人の魂もそうやって一つになれば、今頃は世界平和だね」


 生者の魂は引き合う事はあれど、そう簡単に重ならない。死者の魂よりも複雑で、変化に富んでいるからだ。

 仮にそうなっても、どっちかと言えばディストピア系の平和だけど――。司は嘆息混じりに呟き、ゆっくりと進む。霊達の魂が響き合うのを感じる。司の敵意に、負の念が揺れている。

 霊を家に入れてはいけないし、留まらせるのは論外。鬼と霊の妖気が霊脈に満ちれば流れは乱れ、果てに数百年単位の汚染を引き起こす。結果、伝承の如く土地に死が溢れかえるだろう。

 水面月は無機物なれども、そこには精錬された強い魂を宿す。その魂と司は、不思議なまでに引き合った。他の呪具とは薄皮一枚隔てた違和感が伴うというのに。

 そして右手で横に薙ぐ一閃。自らの魂を以て霊を切り裂く意志を、刃に重ねて――。


「いいね」


 稀にある、司の中で何かが噛み合ったかのような手応え、思わずにやついた笑みを浮かべてしまう。司の頭を過ぎる結果、それは刃の間合いを超越した広範囲の斬撃。周囲の気が共鳴し、発生する流れに霊達は存在を掻き乱され、いとも容易く霧散する。水面月、虚空を隔てた水面に月の像が映るように――。

 今切り裂いたのは、司の2、3メートル先か。慣れれば、もっと遠くを侵す思惟を放てるだろう。しかしそれも、司の魂が霊を容易に蹴散らす程強いという前提があってこそだが。

 一歩踏み込み、更に攻撃的に研ぎ澄ませた念を以てもう一振り。亡者の群れは為す術無く瓦解していく。群れの共鳴が弱まることによる結果だ。

 今日も問題なく自宅を守り抜けそうだ――。と、そう思った矢先の事だ。

 群れを離れ、迂回するように家の裏手に移動する何かを感知した。地の流れに、魂に引き寄せられるままの亡霊にしては不自然な動き。

 イメージは、誰かが暗幕を被って幽霊の真似でもしているかのような、縦に長い不格好で黒一色の何か。そのような違和感、暗い森の開けた空間に満ちる月明かりで、真っ暗が微かに映えるその幻覚。だが、どこかぼやけて曖昧だ。

 自分より少し大きいくらいか。ゆっくりと近づいてくる。先までに切り捨てた霊達よりも、強い存在だという確信。それほどに妖気が高まっていながら、魂の揺らめきを小さい。もしかすれば素通ししてしまったかも知れない。自然発生か人為的な、どちらにせよ形成における方向性が定まっているように見えなかった。

 しかしどうあれ、この存在にさほど脅威は感じない。早い内に始末するのが吉だろう。それでも、念を入れる

 腰から紐で吊していた栄養ドリンクの瓶。ちぎり取り開封し、投擲。地に落ちる瓶は割れることもなく、しかし軌跡に内容物を散らした。

 瓶の中身は通販でケース買いした、霊験あらたかと評判の霊水。単なる山の湧き水だが、ボトリングされたそれは山の気を多く残している。呪言と共に自分の血を一滴混ぜたそれは、即席のお清めだ。

 血の素養頼みで形式を無視しているため、効果は薄い。それでも、浴びせた水は妖気と強く反応、伴う蒸発のイメージ、そして影の表面が波打った確信。

 これ、被せ物か――。そう、水の気による影響が浸透していない。


「鬼は隠ぬとも言うし……。恥ずかしがりか、大穴で闇属性を強調したいだけのお年頃なのか」


 呟いてから気付く。ある意味鬼だ。内に隠している、何らかの意図。儚く、しかしどこかおぞましい。

 その不吉を感じるとほぼ同時、反射的な跳躍。小刻みに数歩で間合いを詰め、両手に握り直した小太刀を袈裟に振り下ろす。

 斬撃に伴う司の攻撃的な意志に、容易く影は切り裂かれ、しかし中心の核とも言える何かは既に無い。逃げた、いや違う。司を通り抜けた。その先には鬼の封印を支える我が家、近づいて――。

 土地に刻まれた封印との過剰反応。反発による消滅。おぞましさを覚えたのは、自分が封印と繋がっているからか。封印から、微かに漏れ出る妖気。大丈夫、許容範囲内だ。蟻の穴から堤が崩れるような事はない。

 しかし酷く呆気ない。覆う影も気がつけば夜に溶けるかのように消えている。それが、不自然に感じられた。そう、呆気ない。


「ちょっと待て」


 これはあれか。陰謀の予兆とでも言うのか。あれは人為的な、俗に式神というヤツか。

 自分でも突飛と思える閃き。しかし不安は消えない。あふれ出た妖気のせいで心がかき乱されているのか。

 けれど実際、後にあのような事態をとなるとは夢にも思わなかった、などとなっては洒落にならん。

 見回りだ、ついでに結界の強化も――。司は道具を取りに、家へ駆けだした。

 家へ向き直る際に視界の端で不吉そうな黒猫を捕らえ、司の心にはより不安感が募っていた。

 黒は夜の色。人は夜を恐れ、夜色の黒へ畏敬の念を抱く。だから、黒には人に影響を与えうる力を持つ。

 所詮は連想ゲーム――。そんな理屈で言い知れぬ不安を理解の範疇へと取り込もうとしても、胸の内で広がる焦燥は拭えなかった。




 駆ける後ろ姿。

 黒猫――ニムは木陰から、それを覗いていた。

 対象は緊張状態であると類推可。

 そして踵を返し、麓へと駆けていく。

 ――と、ニムとの魂同調、部分的な記憶の推定補完を終え、昴は自己へと回帰した。

 閉じていた瞳を開けば感覚が戻る。腕に抱えるニムの重み、頭頂部に触れられているこそばゆさもまた同時に。昴の頭に手を置いていた真も目を開く。魂を共鳴させ『接続』の仲介を受け持っていた真にも、補完内容はおおよそ伝わっているだろう。

 調整を加えた使い魔ですらない、ただの黒猫。だからこそ、露見しにくい。そのため、昴と相性の良いニムであっても、魂に焼き付いた記憶の読み取り――俗に言うサイコメトリーの一種で昴に伝わる内容は断片的なものだが。そこから推測した結果をイメージしたのが先のものだ。

 何らかの外的補助を用いねば、おいそれと為し得ない法外の技と聞く。対象の主観を分析するという技能は使いどころに困る。ニムにカメラでも持たせた方がまだマシだったと思うところもあるが、発覚は防ぎたかったし、資金も余裕があるわけではない。

 とにかく、囮であり試金石であった式神の意図に相手は気付いてしまったらしいという事は察する事が出来た。


「警戒されてる。やりにくく、なるかも……」


 昴は呟いた。やり方を間違えたかも知れない。この方法を提案したのは昴自信だ、申し訳なく思う。


「思ったよりもめんどくさくなりそうだな」


 真はため息と共に、気にしてないと言外に伝えようとしているのか、昴の頭を優しく撫でた。


 続く、やもしれん


 作中の呪いなどは作者の適当な脳内設定による物で、実在の物とは一切関係無いことを伝えておきます。





[16649] 三話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2010/05/01 04:22


「そちらはここの家主、要司だな?」


「……あ、はい」


「『先日』の件、お悔やみ申し上げる」


「……その、どうも。ええと、それで、どちら様でしょうか?」


「役所から来た者だ、と言えば分かるか?」


「えと、検分役の後任……ですか?」


「そうだ。君が滞りなく役目を果たせるか見届け、権限の及ぶ限りで便宜をはかるのが私の仕事だ」


「お一人、ですか? 前は三人くらい居たのに」


「そうしたいのは山々なのだが、事後処理の過程で芋づる式にいろいろと発覚してしまってな。こちらに人材を割く余裕が、な」


「なら、なおさら人が居た方が良いんじゃ……?」


「ここは四級指定危険区域。小さくはないが中途半端な汚染規模で、尚かつ鬼の利用は幅が限られている。だからこそ公安の警戒が薄く、この事態を招いてしまった。しかし、一度事が起こってしまえば、どの勢力にとっても優先度は低くなる」


「もう用済み……ですか」


「そう、なってしまうな。無論、絶対安全とは言い切れないが」


「いいですよ。危険は、ある程度『覚悟させられました』から」


「……そうか。では、よろしく頼む」


「はい。……それでその、名前を教えてもらえますか」


「これは失礼した。私は神崎勉。好きなように呼んでもらって構わない」


「神崎って、もしかしてあの一流どころの家……あれ?」


「――率直に言えば、左遷だ」






 司が自宅警備員になると宣ったのは、司の最後の家族であった母親が死んで間もない頃。ちょうど、中二に上がるときだった。

 流石にその時は、思春期特有の精神病をこじらせたのかなんてからかったりも出来ず、多少なりとも労ったつもりだ。

 だが、俺の見た限りでは、司が自分の母さんの死にそこまで精神的ダメージを負ったようには思えなかった。いや、死んで間もない時は憂鬱そうな表情だったが。

 それからは退廃的と言うべきか、当時から友人の少なかった俺と一緒に漫画やらゲームやらには嵌っていき今に至る。お互いに貸し借り、または一緒に鑑賞、なんとも不健康な日々を過ごす。

 俺と司が未だに友人関係を維持できているのは、趣味嗜好の一致というのが大きな理由となっているだろう。


「よし、この写真集を読む権利をやろう」


 そう言って、司はニヒルな笑みを浮かべた。相変わらず正座が違和感バリバリだ。

 司の掲げる表紙でニッコリ笑っているのは、最近お気に入りのグラビアアイドル。司は同い年の癖にFカップだなんて羨ましいと仰っている。

 うん、グラビア写真集まで貸し借りするのはどうかと自分でも思うんだけどね。

 ギャルゲーの遣り取りから始まり、最近は十八禁じゃなきゃ別にいんじゃねと抵抗感が殆ど無い。


「僕だってね、無いわけじゃないんだよ。補整下着でラインが外に出ないから、パッと見じゃ分からないけど」


「別に聞いてないから」


 ついその淡い水色の和服に覆われた体型を目で確認してしまいそうになり、視線を背けて司の部屋を見回すように動かしながら、胡座の足を組み直す。

 うん、自嘲(誤字にあらず)しろ俺。


「分かり易いねぇ」


 何所のラブコメだ――。司は苦笑混じりに呟いた。


「うっせ」


「まあ、君と僕じゃ色気のある展開はまず無いだろうねぇ」


 お互い、恋愛とかめんどくさそう、とかだからな。というか対人コミュニケーション能力低いし、遠い世界の話だ。

 ついでに言えば、二次元の見てれば満足。ついさっきまでの話題と言えば、昨今のツンデレはツン期が暴力的過ぎるのではないか、とかだからな。


「お互い、一生縁がない展開だろうよ」


 司と目線を合わせないままに言う。


「リア充死ねだね分かります」


「死ねとは言わん。むしろ跪いて他人と関係を築ける能力の極意を賜りたい」


 ホント、どうやって友達とか作ればいいんだよ。


「無理無理」


 鼻で笑っても、全部お前に返るんだからな。


「僕には使命がある。貴方とは違うんです」


 はいはい、頑張れガーディアン。

 手を振って応援の意を示してやる。


「うむ、年中無休で励みます」


 無休ねぇ……。

 あ、休みと言えば。


「ゴールデンウィークの予定とか、あんの?」


「自宅警備は年中無休だと何度言ったら――」


「そうか暇か」


 同類が居るのはやっぱり嬉しい。


「君こそ、連休に予定があるなんてリア充めいた事ぬかさないよね」


 休日の予定があるだけでリアルに充実した人生とか、どんだけ敷居低いんだ。


「無いから安心しろ」


 中学時代の数少ない友人も引っかからなかった。と言うか、もう切れてそうだ。

 そう付け加えれば、司は生暖かい視線を向けた。

 こいつ、安堵してやがる――。苦笑が漏れた。

 司は右手を掲げた。肩を竦めてから、同じように。


「「イエーイ!」」


 自然とにこやかに、そして二人でハイタッチした。




 村を出ようかと思った。

 もう夏になるというのに、一足飛びに秋が来たかのような涼しさ。曇りの日も多く、今年はいつにも増して実りが悪くなりそうだ。このままでは家族全員が冬を過ごすのは無理だろうというのは、親のしかめっ面で察した。

 そう遠くないうちに、口減らしに山へ捨てられるのは自分だろうと思った。周囲に好かれていない自覚はあった。そういえば、子供の癖して空気を読もうと伺う小賢しさも周りに嫌われていた。

 もしかしたら、人買いに売られる手筈かもしれない。それならば、そうするべきかも知れない。けど、それだけは嫌だった。

 売り物になったら、自分が要らないのだと思い知らされてしまう。お父とお母が、自分を売り物だなんて見ていると思うのも嫌だったからだ。

 あぜ道を進んで町外れを目指す。自分は今ぐらいの時間、いつも一人だとみんなが知っている。見とがめられなくば、大人しく売られろとお縄になることもないだろう。

 けれど、道を歩いて他の村に行っても意味があるのだろうか。一人で食っていく自身は無い。

 いっその事、向こうの野犬が出るらしい山へ行ってしまおうか。道を外れようとしたその時だ。

 後ろから声が聞こえた。自分が呼ばれている風ではなく、二人ほど、どうやら話をしているようだ。田んぼとは逆の方にある、生い茂る草の中に飛び込み様子を伺うことにした。


「ったく、何なんだ今年は」


「あんま言うな。口に出したらよけーに景気悪くなるもんだって、こないだ来とった坊さんが言ってたろ」


「坊さんねぇ。地主様が呼んだって話だが、どうもうっさんくせぇなぁ。奇妙なナリだったしよ」


「そりゃ、おめぇが余所モン嫌いなだけだろ」


「それに聞いたか、ただでさえ見通しが悪い時だってのに、好き者の地主様がまぁた人買い呼んだらしいぞ」


「知っとる知っとる。俺な、地主様の所に持ってかれる籠の中見たんだよ。それがよう……」


「どうしたってんだ、勿体ぶって」


「簾がな、風でちこっとだけ捲れたんだがよ……」


「それで?」


「ありゃ、おっかねぇよ」


「しわくちゃのばーさんでも入ってたか?」


「……ありゃ、鬼っ子だ」


 声が遠ざかっていく。気付かれていなかったようだ。

 そこで冷たい強風が吹いた。寒さにがなり立てる声が聞こえる。周りの草と一緒に、自分のボサボサ頭も揺れた。

 ――鬼。その言葉に、惹かれるものがあった。

 会ってみたい。

 起き上がって、さっきの二人が行き過ぎる先とは逆の方を向く。地主様のお屋敷へ行ってみよう。どうしてか足取りは軽く、胸が躍る。

 珍しい物があったとしても、地主様の屋敷に近づこうなど普段は思わなかった。どうせ行く当てもすることもない。ならば、手前勝手で良いじゃないか。

 もし鬼に会ったら、自分は喰われるのだろうか。それとも――。




 続く





[16649] 四話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/02/20 01:38


 空が白み始めた。夜が完全に明けてしまえば、死者の亡霊は生者の気を忌避し眠りにつく。休憩を幾度となく挟んだ自宅警備の仕事も一段落着くというものだ。

 イメージを言い現すならば、それは半透明のクラゲを思わせる質感、高さ二メートル程の人型。それだけ希薄になりつつある。水面月で二体纏めて切り捨て、霧散させる。霞を切ったかのような手応えの無さ。それとは裏腹の魂にのし掛かる負荷。モヤモヤした不快感と言うのが適当か。霊を切るというのは研ぎ澄ませた自らの魂で行うものであり、武器は補助――思いこみを助長する道具に過ぎない。

 それにしても、水面月は中々に便利だ。時折身体の一部と錯覚してしまうほどの一体感。刀身の薄べったい見た目にそぐわず、物理的にも霊的にも強度が高い。

 そしてやはり、と言うべきか。次々と切り捨てる亡霊は、先日の人為的と思われる影とは違う。死して尚、気の塊である魂を霧散させない為の型とも言える怨念の方向性、何と無しに感じ取れる。

 封印と過剰反応した様から考えれば、何らかの手段で負荷を掛けようとしたのか。しかし、世代交代で更新する封印の要は経年劣化もせず、常に柔軟性を保っている。

 過負荷に耐えるための妖気部分開放が原因で、封印の要であるここに亡霊が寄ってくるのだが。それを除去せねば、いずれは集合した魂が霊脈を汚してしまう。周囲の植林されたらしい木々も影響を受け、枯れ果ててしまうだろう。そうなれば、何のために封印を維持しているのか。

 霊脈に根付いた鬼。永い時を経れば、街に集った人々の霊気に沿った生命を活性する性質に変化するはずなのだが。


「後何年なのやら」


 最後と思しき人型を軽く突きながら、苦笑混じりの呟き。出来るならば、自分が死ぬ前に終わって欲しいものだ。跡継ぎを用意できるとは限らない。

 それとは裏腹に、一生終わって欲しくないとも思っている。このために生きている。だから、他にどうすればいいのか分からない。

 視線を人里に向ける。この辺りは少し高い位置で、街を見下ろす格好になる。視界の端に朝日が顔を出した。眩しさに目を背ける。何となく、居たたまれない気分になった。

 家に、戻ろう。自分は自宅警備員なのだから。




 縁が丘は三方を山に囲まれた住宅街で、開けた北東を行くと都市部だ。そこまで電車で十数分程度だし、利便性はそこそこ。

 俺の通う、市立縁が丘高校は最寄りのローカル駅、縁が丘から徒歩十分の位置にある。偏差値は平均を少々上回る程度。それでも入るのに若干苦労したが。

 学力的にも相応の範囲、家から自転車で十五分程度と便利だったのでここにしたが、俺の友人連中は偏差値の低い所か高い所という両極端だったわけだ。


「というわけで、高校に以前からの友達が居ないのも仕方のないことなんだ」


 そしてちゃぶ台をどんと叩けば、司は微笑を返して来る。

 言い訳するなよ、所詮貴様はコミュニケーション能力不全のヒトリ・ボッチ君だ――。目がそう如実に語っていた。

 自覚していても、やはりその目線を受けるとつらい物がある。

 どうして中学の友人と同じ高校に入らなかったのか。そんな質問してまで俺を貶めたいのか。

 あれ、別に暴言でも何でもなくね? 自意識過剰だった。


「名門の連中は、ゴールデンウィークに行事で勉強合宿するらしいしな」


 先日電話がかかってきて、よくよく聞いてみるとそうらしい。

 うん、それじゃ予定が合わないのも仕方ない。関係が切れてしまったのかと一時期嘆きもしたが、それならば涙を呑んで淋しい休日を過ごそう。

 今度埋め合わせすると、言質を取った。社交辞令ではなかったと信じたい。


「ふーん」


 ちゃぶ台のクッキーを囓りながら、どこか胡乱な眼差しを送ってくる司。

 どことなく機嫌が悪そうだ。


「……じゃあ、お馬鹿高校の友達は?」


「知るか、あんな連中」


 ねぇ、高校に友達居ないの? 居ないの? そう半笑いで言ってくる奴らなんて。

 ああ、携帯電話越しにも関わらず、奴らの笑い顔が浮かぶようだ。

 そもそも奴らのせいだ。俺が司以外友達の居ない人間なのではと思ってしまったのは。


「実は、友人連中が君一人ハブって楽しく遊んでいたとしたら――」


「ああぁぁぁ!」


 なんて恐ろしい事言いやがるんだ。想像しちまったじゃねぇか!

 一瞬有り得そうだと納得しそうになったが、そんな事は無いはずだ。多分、恐らく、きっと、めいびー。


「半端に希望を抱くなよ、信治ボーイ」


「俺はお前ほど暗黒面に浸っていないんだよ」


 学生だ。日々勉強中だ。

 そう、『職業に就かず、教育、職業訓練も受けていない』というニートの定義は当てはまらん。

 落ち着こう――。クッキーに手を伸ばす。


「予定がないから安心しろ――。そう言っておいて、友達とまだ関係が切れていないなんて言って僕を裏切ろうとするなんて……」


 よよよ……。目頭を押さえ、正座を崩してへたり込む司。

 つーか、お前だって中学の時には他に少なからず友達いただろ。それはどうしたよ。


「そんなもん、受験シーズンが開ける頃にはサクラチルさ!」


 咲く頃に散るとはこれいかに。

 しかし腕組んでふんぞり返って言う台詞じゃねーな。


「それはさておき――酷いわ! 私とは遊びだったって言うの!?」


 友達とは遊ぶものだろう。

 後、今の流れは強引過ぎだ。


「酷いわ。貴方が私の下僕だって、信じていたのに……」


「まて、神崎さん」


 いつ俺の背後にとか言わないが、その台詞は止めい。


「下僕はお気に召さんか、犬」


 餌付けしてやってるのに――。確かに俺と司が会話の合間に食っているのは、台の上で皿に盛ってある神崎さんお手製のナッツ入りチョコクッキーだが。

 それに犬と呼ばれて平然としていられるほど、人間の尊厳も捨てちゃ居ない。


「お前の好きなラノベは、そんなヒロインではなかったか?」


 そう首を傾げられても、現実と空想をゴッチャにするつもりは御座いません。

 あんなん現実にいたら鬱陶しいわ。


「べ、別にあんたの為に作ったんじゃないんだからね!」


「あっそ」


 食えりゃいいよ。理由はどうあれ。

 しかし良い声出てますね、神崎さん。


「お、俺だってな、いらねぇよ! お前の作ったもんなんて!」


 司はそう言ってから、クッキーに手を伸ばしてボリボリ。


「でりーしゃす」


「演技持続しねーなおい」


「ああいう意地の張り合いって、正直見苦しいよね」


 そりゃ、客観視できているからこその台詞だな。


「客観的に見れば、お前ら二人も相当見苦しいがな」


 どういう意味ですか、それ。


「人間関係なんて、傍目にしてみれば大抵そうだと言う事だ」


 傍から見れば……ねぇ。




「縁が丘。ここがどういう由来の土地だか、詳しい説明してなかったな」


「鬼によって霊脈が汚染された、くらいなら知ってる」


「まあ、軽い補足だ。昔、元々痩せた土地だったらしいが、特に実りが悪い時期があってな。それを何とかしようと、儀式だか何だか色々やったらしいんだ」


「……霊脈の活性?」


「そう。大地の気の流れ――霊脈を活性化させると副産物として、そこに魂が引き寄せられる」


「それくらい知ってる。魂も要は気の塊だから、流れに引きずられる」


「そう。魂が集う――すなわち魂を持った生物たちが集まり、生命の循環サイクルが活性する。うまくすりゃ、土地が肥える切欠くらいにはならぁな」


「でもここは――」


「違いは気の波長ってやつ。知っての通り、生者と死者なんて基本噛み合わねぇもんさ。霊脈が妙ちくりんなテンションだと、逆に生者がよりつかねぇ。俗に言う霊的スポットなんて、正にその例だ」


「……ダジャレ?」


「霊と例をかけた意図はございませんっと。それで、だ。ここは土地一帯で霊脈の活性が大きくマイナスに作用した」


「それが、鬼のせい」


「その通り。そりゃもう酷い有様だったらしいぜ。土地が枯れて、作物もみんな腐っちまったんだと」


「ふちがおか――」


「気付いたか?」


 腐地が丘。


「ここは、今も封印されたはずの鬼が霊脈を汚し、お山に死者を引き寄せているんだ。そういう土地だ」




 続く




 合同企業説明会は、行っただけで就活した気になれる魔法のイベントです(実際は何もしていないに等しい)





[16649] 五話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2010/06/04 01:31


「少しいいか?」


 司の家から帰る道、舗装の辺りまで来て普段であれば神崎さんとここで別れるのだが、今日は珍しく呼び止められた。


「あー、そのだな……」


 だというのに、何か言いにくそうだ。

 いつもは過ぎるくらいのストレートなのに。


「最近、学校の方はどうなんだ?」


 うん、なんつーか。


「久々に息子と話そうと思ったけど距離感分からないお父さんみたいだね」


 確かに二人で話すなんて滅多にないけど。


「……ポッ」


 神崎さんは頬を染めた。


「ハイハイネタに走らない」


 もしかして、気まずいの誤魔化してる?


「なら、ぶっちゃけよう」


「はいはい」


「お前は、普通の生活を送るつもりはないのか?」


 ……何と言い返せばいいのやら。


「普通に学生やってるじゃん、俺だって」


 司とは違うのだよ、司とは!

 ……比較対象がアレな件。


「そう言う意味でないと、分かっているのだろう?」


 その、普通より人間関係的な意味で劣っているのは分かっているんだけど。


「そんな事でこの先、まともな人生を送っていけると思うのか?」


 何も言い返せない。

 俺は居心地の悪さを感じながら、すぼめた口から息を吐いた。口の中が冷えると、少しだけ落ち着く――。


「ダメ人間同士集まっているだけでは、いずれ対処できない何かにぶつかるぞ」


「……うっ」


 いきなり此処までぶっちゃけられるとは。

 精神的ダメージで目眩がしそうだ。


「責めるつもりではない。しかし、何かを感じたというならば、それに対処すべきだと自覚しているのではないか?」


「……それで、どうしろってんだよ」


 喉の奥にこみ上げる不快を飲み込んで、それから呟いた。

 睨むような格好になっていると自覚できた。それでも神崎さんは何所吹く風で、微かに涼しげな表情に射すくめられるような感じを覚えた。


「何か、してみたらどうだ?」


 ポツリと。


「今更誰かと関係を築くのは、確かに並大抵の努力ではどうにもならないだろうよ」


 だから、どうしろと。


「それでも、だ。それを意識するのとしないのでは、違いがあるはずだ」


 今のままでは、例えチャンスが来ても見過ごすぞ――。付け加えながら、神崎さんは何故か淋しげに眉根を寄せた。


「その時が来たら、踏みとどまるな」


 そして俺の肩に手を置いて上目遣い。それでも、その表情は俺を案ずる大人の顔だった。

 ……でもさ。それ、司にも言えよ。

 そう問えば、


「あいつの社会復帰は現状、絶望的と言って良い。だから、手助けくらいできるようになれ」


 ――ひでぇ言い様。

 次の日、ゴールデンウィーク初日は何もする気が起きなかった。

 何かするべき――。神崎さんの言葉が耳に残って、けれど何かする気が起きない自分のヘタレさに嘆息した。

 結局、その日は寝て曜日だった。


 ゴールデンウィーク二日目。

 今日は中途半端に学校だ。昼休みに携帯をいじるくらいしかない平和で特に何事も無い一日。そして放課後。


「ああ、ぶっちゃけ暇だ……」


 ぶっちゃける相手も居ない、ロンリーさ。机に突っ伏せば眼前には教卓、誰もいないのに、そこはかとないプレッシャーを放っている。

 ああでも、今日は掃除当番だったな俺。決められたグループで日替わりのローテーション。教室を軽く黒板消して、軽く掃くだけだからすぐ終わる。

 席を立ち、教室後方のロッカーに向き直る。すぐ後ろで下校モードに入っていた同じく当番の女子――確か鬼瓦さんだったな、クラスメートの名前は半分くらいしか覚えていないけど特に個性的だったし――を視界に捕らえた。

 華奢な小柄で、しかし力強い印象。肩の辺りで切りそろえられた髪、制服のスカートは膝にかかるくらいと今時大人しい装いが浮いている。モスグリーンのブレザーが周りと違って渋く感じるな。


「……あの、掃除当番」


 恐る恐る話しかける。声が掠れ気味で、キョドっているのが自覚できた。


「……何?」


 小さく、迫力を帯びた声。

 何と言ったのか聞き返しているのか、はたまた文句あるのかと開き直っているのか。どうも後者臭い。

 だって、つり目怖い。


「いや、だから、掃除当番……」


 少し大きめな声でもう一度。言わなきゃ良かったと直後に後悔した。

 これを孤高って言うのか、静かな佇まいに圧力を感じる。うん、被害妄想に一票。

 鬼瓦さんは無言で持っていた鞄を机に置いた。そしてロッカーにつかつかと歩み寄り、手を掛ける。俺はそれを無言で見つめていた。

 鬼瓦さんがこちらを振り向く。


「するんでしょ、掃除?」


 ぶっきらぼうな物言い。そして取り出した二本の自在箒、一本の柄をこちらに突きだした。

 それを受け取り、無言で掃き掃除を始める。俺が黒板側、鬼瓦さんが後方と自然に役割が分担された。無言のまま進み、その後の黒板消しは鬼瓦さんの身長を考慮し、上部を俺が担当。俺の身長も百七十センチ届かないんだけどな。

 お互い終始無言で、掃除に集中すればそりゃすぐ終わる。十分ちょいくらいか?

 教室に残っている人達へ軽く頭を下げながらの掃除は、酷い苦痛だった。格差を思い知らされる。

 そして掃除を終えれば、すぐさま鬼瓦さんは去っていく。


「あの……!」


 気がつけば、呼び止めていた。同時に、昨日神崎さんに言われた事を思い出す。

 このままただ無言じゃ、いつもの自分と変わらない。今日一日を思い出す。周囲の喧噪から目を背けて、何もしていない。

 そうだ。自分から、アクションを起こさないと何も変わらない――。


「あの、掃除、お疲れ様。またね」


 大した事は言えなかった。それでも、挨拶できただけ自分では良くやったと言いたい。


「……あ、うん、お疲れ様」


 鬼瓦さんは消え入りそうな声を返し、今度こそ教室を後にした。

 そして、俺は溜息を吐いた。達成感というよりは、自嘲気味に。

 さて、明日からまた連休なわけだけど、予定も行く当ても……司の家とか。うん、他に当てが百均と古本屋くらいしかねーぞ。

 休日に行くと、平日よりもあいつの家に居る時間が長くなる。すなわち、あいつとの会話が詰まったときの気まずい雰囲気へのエンカウント率が上がる。

 アレは辛い。お互い、詰まったときにポンポンとはい次なんてネタ振りできる人間ではないし、自分のダメっぷりを自覚させられるようで辛い。

 ゴールデンウィークは長いし、そう度々あの空気になっても困る。行くなら、会話のネタになる何かを持って行くべきだ。

 そうだな……映画でも借りて、神崎さんも交えてツッコミ入れながら見るとか。録りだめしたアニメとかもありだ。あいつの部屋、テレビは家よりでかいし、レコーダーも高性能だ。

 ――っと。そういや近所のレンタル屋、今日は割引日じゃねぇか。忘れてた。

 とりあえず、行ってみるか。

 しっかし、自転車もそろそろ買い換えた方が良いな。力入れて漕ぐとギアが少しガタつく。




 お前を生ませたのは戯れだ。父にはっきりとそう言われたのを覚えている。

 お前には下賎な血が流れていると、だからお前は醜いのだと。

 歯噛みし睨み付ける先、鏡に映るのは他と余りにも違う顔立ち。せめてと髪を染めることも許されなかった。そのまま伸ばせ、その方が面白い――父は高笑いしていた。

 どうして自分はこうも周囲と違うのだろう。自分を生んで間もなく死んだらしい、顔も知らぬ母が憎らしい。

 さぞかし醜かったのだろう。自分とは似つかない、父の雅やかな顔立ちと装いを思い出す。周りと違って着飾ることも許されなかった。

 ボロ切れで出来たツギハギだらけの着物。ここに来るまでの道中、籠からみた人々のような。初めて見る外の世界は、思いのほか貧しく地味なようだ。

 外の世界でも、自分のような顔はいなかった。粗末な籠の簾はしょっちゅう捲れ、目線があった人々は表情を歪めた。

 肌は自分の方が綺麗だった気がする。身を清める事だけは怠っていない。汚れて虫が寄れば魂が汚れると、父が言っていた。

 鬼子。幾度となくそう囁かれた自分の魂は、汚れていないのだろうか。

 視線を鏡から背け、宛がわれた部屋に面した庭を眺める。家と違って貧相な印象を受けた。数本生える松の木からも弱々しい様が窺える。

 土地全体で生命が弱っているような雰囲気、それを支える霊脈が細くなっている事実を改めて思い知らされた。加えて冷害ともなれば、更に生命が弱っていくだろう。

 ここを自分は救わなくてはいけない。父にそう申しつけられている。周辺の地理に明るいからと人買いに運ばれた自分を、周りがどう見ているかは想像に難くないが。そこにも父の悪意が窺える。

 実際の所、売られたに等しいと言って良い。そう、きっと自分はここで……。

 気持ちがささくれ立つ。一旦考えを区切ろうと庭を歩くことにした。周りが自分を呼び咎めるような事はしない。どのような立場かも明かされていないはず。そんな怪しい人間と進んで話したがる物好きはそういないだろう。

 だから――。


「キラキラして、お日様みたいな髪の毛……」


 初めてだった。

 枯れ落ちる木の葉と皮肉られることはあったけれども。


「綺麗……」


 そんな風に、言われたのは。

 庭の外れで、出会った。膨らんだボサボサの髪をした、自分よりも幾つか年下だろう男の子。

 異人の血筋が濃いらしい、青の瞳と視線があっても、物怖じしていない、満面の笑み。

 風が吹いた。初夏にそぐわぬ涼しく爽やかな風が。同時に胸中で抱えた懊悩たる思いが吹き飛んだような、そんな清々しさを覚えた。


 続く




 俺、この作品が十話いったらオリジナル板に移行するんだ……。





[16649] 六話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2010/05/01 04:23


 覚醒自体は午後になってすぐだった。疲労もすっかり抜け、それでも布団を出ないまま俯せになって微睡みを堪能するのが司の癖になってしまっている。

 昨夜は亡霊の数が少なかった。そういう日も稀にあり、自宅警備も幾分楽に済んだ。普段は夜明けと同時にシャワーを浴び、それから重くなった身体を布団に沈める日も多いのだが。

 おかげで久々に、大手掲示板を過去ログ抜きにリアルタイムで張り付いていられた。……何とも不毛な一夜だった。

 昼夜逆転の生活を送るようになってから、夜の過ごし方に困っている。ネットゲームになど手を出してしまえば、みんなが死んでしまうからとモニターから離れられなくなってしまうだろう。

 必然いつでも中断できる読み物が多いのだが、最近はジャンル:アドヴェンチャーとは名ばかりのノベルチックなギャルゲーにどっぷり浸る有様だ。ちなみに古典文学なぞ、端から読む気が起きない。

 自分は色々と終わっている――。喉を鳴らして自嘲する。だからこそ信治と話を合わせることが出来ているのだが。

 そういえば、昨日は休日だったが信治は来なかった。どう過ごしたのだろうか。信治は、自分に友達などいないと笑っていた。本当なのだろうか。だとすれば、とても淋しいことだ。

 自分にだって友達はもういないと言っていい。友達だった人達からのメールも御無沙汰だ。

 ……もう、信治くらいだ。友達は。

 信治は、こちらを友達と思ってくれているのだろうか。

 それがただの同情ではないと確認する術はない。

 このまま布団の中にいては気鬱になるばかりだ。ゆっくりと這い出た。

 もうじき高校は放課後だろう。信治が来るかどうか分からないが、心構えだけはしておこう。いつまでも寝間着のままではアレだ。

 布団を押し入れにしまい込んでから、部屋の隅に置かれた化粧台の前に正座する

 緩く編んでいたおさげを解いて、ヘアウォーターをスプレーして軽く髪を湿らせる。それから赤い半月形の櫛を手に取り、そっと梳かす。

 随分と長くなった髪。神崎さんがあれこれ世話を焼いてくれるが、自分での手入れは怠りがちだ。

 適当に梳いているだけでは髪が傷むだのなんだの。正直な話、億劫だ。そんな姿勢でこの髪質を維持しているのは奇跡だと宣うあきれ顔を思い出した。

 鏡に映るしかめ面。昔は、そこに母の微笑ばかりがあったというのに。鏡に映る自分と母を見比べ、将来母のような美人になれる筈と、はしゃいでいた時期もあった。

 ああダメだ、似ていない。こんな陰気な表情、母はしていなかった。同じように髪を伸ばしても、あの日の像とは似つかない。

 そのまま髪をゆっくり梳いていく。しばらくして、櫛の通りが良くなってきた。

 目を閉じてから、更に梳いていく。もう殆ど抵抗はない。ただその感触が心地よかった。

 目を開く。そこには少し微睡んだような表情があった。全身の強ばりが解けたような気もする。

 そして、微笑む。フリは出来た筈だ。

 記憶の中の母に、少しだけ近づけたと思うから。 

 これでいつも通り。

 心を隠しても。

 ……そこで、ふと頭を過ぎった。

 鬼の由来。

 おぬ――隠ぬが転じて、おに。

 隠れ潜むモノこそ恐ろしいと。




 レンタル屋に着いた。さて、何のビデオを借りようか。

 ちょっと古い作品や話題の映画などが良いだろうか。そう思いつつ、まっ先に向かうのがアニメのコーナー。

 我ながら呆れるが、メジャーな映画などは後回しだ。作画の崩れで有名な作品はDVDだと修正されているから困る。その辺りをネタに盛り上がりたいのに。

 それとも、超展開な作品で攻めようか――。

 と、そこで前方、マイナーなアニメDVDの並ぶ一角に不似合いな光景を認めた。

 幼稚園児くらいか。踏み台に載って、小さな身体で目一杯、手を棚の上方へ伸ばす紺色のベレー帽を被った後ろ姿。この辺りにはちょいと難しい設定の作品が多く、その手の設定をクールと感じる人間の巣窟の筈なのだが。

 指先が届きそうで届いていないその作品には覚えがあった。複雑な設定がウリだったSFアニメ。あ、今惜しかった。

 ……いつまでもこうしてただ見ているのもアレな気が。俺もその辺り見たいし。ここで話しかけづらいと離れたらきっと後で後悔するし、別段大した事でもない。


「コレですか?」


 近づき、そのケースに触れる。声は若干緊張気味になってしまった。

 子供は、一瞬こちらを向いて目を見張らせた。ドングリ眼の間の抜けた表情は可愛らしかった。半ズボンにTシャツ、顔立ちも何処か中性的で性別が分かり難い。髪も短いし、多分男の子か。

 その子は背伸びを止め、こくりと小さく頷きを返してきた。

 俺はそれに応じ、DVDの内ケースを取り出して渡した。その子は更に隣を指で示す。あ、続きの巻も借りていくのか。それも取り出し渡す。

 どうも――。澄んだ声と共に小さく頭を下げ、去っていった。その仕草に微笑ましいものを覚えていた。

 ああ、声かけて良かった――。


「やっ!」


「おあっ!?」


 突然声を掛けられ、気のゆるみもあってか思わず奇声を上げてしまった。

 声の方を向けば、そこには見覚えのある顔が。

 明るく頬を緩ませまくっている。お気楽そうな女子。


「久しぶり、大山君」


「あ、うん」


 えーと、岸さんだっけ。司辺りとよく話していた人で……友人だった? 二年の時のクラスメートだった筈なんだが、どうも記憶があやふやだ。

 それにそういや、俺あんまし司の交友関係とか、知らないな。つーか、その程度の繋がりの俺によく話しかけたな。コレがリア充の秘訣か?


「元気してる?」


「はぁ、まぁ、ぼちぼち」


 ボッチボッチな高校生活です。


「こっちは学校がアレだからさぁ、授業が楽だね。そっちは縁高だったよね?」


「ああ、うん。そっちって、どこだっけ?」


 授業が楽だって、レベルに合わせた高校通ってないのかよ。


「こっちは砂賀谷だよ。知らなかったの?」


 そう言われましても。あ、でも制服には見覚えが。

 ああ、砂賀谷って確か元……だな、元友人が二人ほど通ってる学校だったはず。近隣の公立じゃ一番レベルが低い所。

 そうは言っても、最近の公立は何所も偏差値上昇中だけどな。名前書けば入れる私立と一緒にしたら流石に可哀相だ。


「や、その、ごめん」


 知り合いの進学先くらい知ってて当然なのだろうか――。一瞬そう思い込んで、つい謝ってしまった。


「ははは、やっぱり大山君は面白いねぇ」


 貴女様の笑いどころが理解できません。それとも、嘲笑されてる?


「そんで、司とは最近どう?」


「へ?」


 またいきなりですね。

 どうって、別段変わったこともなく、だれてるだけですが……。


「いや、まぁ普通なんじゃない?」


 どこまで言えばいいのやら。当たり障りのない返答しかできない。


「普通ねぇ……」


 向こうも返しに困っている。しかしなぁ、他に何と言えば。


「司は元気してるの?」


「まあ、元気なんじゃないかな」


 自宅警備員をガーディアンと言い張れるくらいには余裕があるだろう。その開き直りっぷりは既に人間としてダメな気もするが。


「そか……。ありがとう、私はもう行くんで。またねー」


 これまた若干唐突に岸さんは去っていった。

 司のヤツは中学の友人ともう切れてるって言ってたけど。そうでもないのか?

 いやでも、それだったら一々司について尋ねたりなんてする必要も無いしなぁ。

 分からん。

 そもそも司の交友関係についてもさっぱりだけど、他の人は友達の友達とか、知ってて当然なのかね。友達紹介とかあんましたこと無いからなぁ。

 ……ホイホイ紹介できるほど居なかったしな、友達。

 あいつ、今頃どうしてんだろ。

 司と会うときは大抵、司の家で二人だった。年頃の少年少女は会うだけでも人目を憚ってしまうものだったわけで。

 司のお母さん――円さんとかは、割と俺に親切にしてくれたなって覚えがある。いっつもニコニコしてしょっちゅうお菓子とか振る舞ってくれたな。

 どうして、そうまでして遊んでたんだっけ?

 それって、司はウザかったりしなかったのか?

 ……今は、どうなんだろ。

 今更だけど、俺ってあいつの事知らない。


 続く





[16649] 七話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2010/06/04 01:34


 少し、不安になった。

 そして、胸が苦しくなった。

 それは普段からの持病のようなもので。叫びたくなる衝動を必死こいて抑えつけ、深呼吸すれば収まる、その程度の慣れっこで。

 背の高い棚が並ぶ店内の閉塞感が辛くて、早く出ようと適当に引っこ抜いて借りた数本のDVD。それが収まっているナイロンバックを、動悸がする胸に押しつけるよう抱きかかえながら店を出た。

 肩掛けの鞄がずり落ちそうなまま、余裕の無いみっともなさで。店員さんは変な眼で見なかっただろうかと、気にする余裕もなかった。ただ機械的にメンバーカードと代金を出して、お釣りとDVDを受け取って。

 ナイロンバックは鞄に押し込み、深呼吸を。震える息、それでも肺に引っ張り込んで、大きく吐き出す。

 数回繰り返し、ようやく静まってきた。それでも、微かに喉の奥で引っかかるものは消えない。

 自分がどう思われているか、分からない。

 司に対してそんな不安を抱いた事は無かった。

 自転車の籠に鞄を放り込む。後輪に据え付けられた鍵を開け、またがる。

 ……確かめられるだろうか?

 俺は、司の傍にいて良いのだろうか。

 サドルには腰を下ろさず、八つ当たりするみたいに強くペダルを踏んだ。

 ――そんな数分前までの自分が、恥ずかしくなった。

 俺は、先ほどまでのシリアスじみた心境を何所に置けばいいのか分からなくなった。若干しゃっちょこばっていた姿勢も崩れ、胡座を崩して足を伸ばした。司はやっぱり楚々とした雰囲気が漂っていなくもない正座だった。


「シュレディンガーのパンツなんだよ!」


 拳を振って力説する司。

 不安はつまり、願望の裏返し。どうして、俺はこんなアホウに良く思われたいなどと考えていたのだろうとすら思えそうだ。

 つか、コイツに俺以外の友達らしいヤツはいない。俺の不安って、杞憂じゃないのか?


「もう一度、分かり易く説明してくれ」


「だから観ろ、この明らかに履いてない絵」


 司の掲げる紙、そこでは屈んだ可愛らしいポニーテール少女の後ろ姿。セーラー服のスカートがきわどいというか、既に中味が見えていないとおかしい領域まで太ももと尻のラインが窺える。

 ちなみに俺、ポニーテール萌えなんだ。と、何か馬鹿らしいので思考を明後日にやる。


「どうでもいいけど、いつの間にそんなイラスト描けるようになったんだ?」


「君を驚かそうと、密かに修練を積んでいたのさ」


 直前の発言でインパクト皆無になったからな。

 まあ、素直に凄いと認めるが。俺は手のデッサンがめんどくてイラストの勉強投げたクチだからな。

 ……首から上だけ、無難に描ける。ちょっと斜めからのアングルで。


「コレを観ろ。履いてるか履いてないか分からない。もしかしたら、ヒモパンとかかもしれない」


「確認するまで分からない。まるでシュレディンガーの猫が如しだと」


 半分の確立で死亡する箱に入った猫は、生と死が同居しているとかいうよく分からんアレだね。量子力学がどーたらこーたらっての。

 しかし俺は犬派だからいいものの、エルヴィン・シュレディンガーさんは猫に恨みでもあるのか?


「そう、その通り!」


 ズビシッと勢いよく俺を指差し、司は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 うんうん、分かる。今、自分が世界の心理を掴んだかのような全能感で胸が一杯なんだろうね。

 けどさ……。


「悪いがそれは、俺が二年前に通った道だ」


「なん……だと……!?」


 演技がかった驚愕。少しは余裕があるようだ。


「検索すれば、似たようなネタは山ほど在る」


「嘘だと言ってよ信治!」


 悲壮さが微塵も窺えない、司の絶叫。


「全く意に介していないみたいだな」


「んなこたーない」


「相変わらず楽しそうだな」


 神崎さんはいつも突然だ。そして、麦茶を置いて部屋から去った。

 ……何かホント、いつも通りで拍子抜けだった。

 そりゃ、別に何かが変わった訳じゃない。

 改めてここへ来て見直そうとも、俺には分からない。今まで目を向けなかった真実がそう容易く分かってたまるか。

 結局は俺の、心の問題で。

 不安を吹き飛ばしたくて、笑った。少しだけ、声を高く響かせるように。


「おい司、働かずに食う飯は美味いか?」


「あーあー、聞こえなーい!」


 ……楽しいさ。改めてそう思う。

 こんな日々が続くなら、別に良いから。

 俺はダメ人間のままでも。

 どう思われていても。

 だから――。


「なあ司、岸さんて覚えてる? 何かいっつもニコニコしてる感じの」


「……それ、多分西だわ。西広美。他に岸浦って知り合いいるから、多分混ざったんだと思われ」


 ――で、それが?

 司は、微かに不快を滲ませた様子で眉をひそめた。


「最近司どうしてるって聴かれたんだけど――西さん? まあ、西さんが司の事気にしてるっぽいんだけど、どうなの?」


「……べっつにぃ。言ったでしょ、連絡なんてここ最近全く来てない」


 キモイヤツがいるとか、嗤い話のタネにでもするんでしょ――。唇を尖らせた司。

 俺と正面から貶し合うのは良くても、陰口の類は嫌悪しているようだ。俺もそうだが。陰口とか、やや遠くからヒソヒソと断片的に聞こえる嘲笑の類は、気付いたとき抜群の破壊力だからな。

 ――そうだ。

 だからコイツも、俺と同じでいて欲しい。

 俺と同じ底辺で。

 最低の願望だと、自覚はしている。

 何かするべきだと言われたのに、立ち止まろうとしている。

 けど、司がここに留まっていれば、俺は司と友達でいられる。置いていかれないで済む。

 ――司を、外へ連れて行って上げて。

 ふと頭を過ぎったのは、優しい透き通った声。そして、懐かしい光景。

 司に目をやる。長い髪に、立てば俺よりは確実に高いだろう長身。

 記憶が確かなら、昔は小さくて、髪も短かった。今の司は、円さんに似てきているような気もする。

 だから、目を逸らさずにいられなかった。

 このままで居心地が悪い。借りてきたDVDを取り出そうと、鞄に手を伸ばした。

 二本借りたはずだけど、何を借りたんだっけ。ネタのギャグアニメに、もう片方が思い出せない。




 続く





[16649] 八話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/02/20 01:39


 どうしてだろう。

 ふと生まれる沈黙。ああ、偶にある。

 なんとなく居たたまれない気持ち。叫びたくなった。


「ガッデム! なんじゃこれ!?」


 だから、司は叫ぶ。誤魔化しの、八つ当たり。

 矛先は、信治の借りてきた半透明ケースのDVD。おあつらえ向きに、嫌いな作品だった。

 当の信治はたじろいでいる。大丈夫、気付いていない――。


「あ、ああ、悪い」


 合点がいったと、視線がDVDに向かっている。ネタにしようと持ってきたのだろうか。

 主人公一筋だったはずのヒロイン格がふらふらして、挙げ句に主人公以外とくっつく話。ギャルゲーを原作にしたラブコメだったくせに、御法度の部類に入る超展開だった。


「ビッチとか超あり得ないんですけどー」


「その口調がなんかそれっぽいな」


 司がもてない男の偏見を含んだ物言いを、尖らせた唇でそれらしい風に漏らせば、信治の予定調和なツッコミが返ってくる。


「いやぁ、幼馴染みはくっついとけよなー」


「幼馴染み属性好きだな」


 まあ、俺もだが――。信治はそう同意し頷く。


「なんつうの? 健気というか、一途とか、そんなキャラが好きなんだよ」


 ――昔、そういう風に洗脳されたし。

 情操教育のつもりだったんだろうか。結果的にはそれが功を奏していると言えなくもない。違うベクトルで。


「ああ、なして僕には可愛い幼馴染み居らんのー?」


「居たらどうするつもりだよ」


 信治の苦笑。でも、同姓ならばもう少し気が楽だったかもしれないとは偶に思う。

 時々ふと思い出してしまう、母の言葉。その、告げる夢。それを思い出して気まずくなってしまう。

 叶わなかった夢を、託したいと――。


「……無理だね」


 きっと、自分には無理だ。そう呟いて、思わず自嘲に口の端が歪む。


「無理って、何が?」


 呟きが届いていたか。若干の動揺に、思わず目を逸らす。

 黙り込みそうになる。咳払いで一拍置く。そして少し間を開けて。


「……いや、可愛い幼馴染みが居てもフラグ立てらんないんだろうなぁって」


「そりゃそうだ。ただしイケメンに限るって言葉を知らないのか?」


 司の自虐めいた苦笑、信治の喉も自嘲気味に鳴る。確かに、信治はカッコ良いとは言いがたい。

 とりあえずと言った程度に整えた短髪、顔立ちは司としては無難だと思う程度。今は学校の制服だが、服のセンスもいまいちだ。

 ――美女も醜女も三日で慣れる。母が偶に、自分と信治へ言い聞かせていた。世の中顔じゃないと。若々しく、また美しい母の言に説得力は微塵も無いと感じたのを覚えている。

 分かっている、ああした発言の一つ一つが集約する意味は。

 それを思い出す度に、また居たたまれない気持ちになるのだから。


「あー、唐突な押しかけ許嫁とかで良いから美少女来ないかなー!」


 湧き上がる衝動を誤魔化すために、適当な叫びを上げる。


「だから、ねーよ」


 信治の呆れた風な嘆息。どこか嘲笑じみていても、言葉が返ってくるという事に司は安堵していた。

 何をやっても反応は寒々しく、突き刺さる視線はただ不快さを楽しむ被虐に満ちて――。又は、無関心か。

 そうなったら、どうして良いか分からないから。

 人間関係なんて傍から見れば大概見苦しい。そう、神崎さんが言っていたのを思い出す。

 こうやってビクビクしながら癇癪じみた発作を起こす自分は、相当に滑稽だ。

 司は、内心で自分をそう嘲笑った。




 どうしてだろう。言葉が出ない。

 目の前で微笑む童に、何を言えばいいのか。好奇の視線自体はさして珍しくもない。けれど、ここまで好意的な、そう信じられる眼差しを受けたのは初めてだ。

 そもそも、何者だろう。衣は粗末で、おそらく地主の縁者でもなかろうし、村の住人だと辺りもつくが。


「俺な、太郎ってんだ。ねえねえ、姉ちゃんの名前はなんていうの?」


 童――太郎は、顔を笑みでくしゃくしゃに歪めてこちらを見上げる。重なった視線を思わず背け、そのボサボサ頭へ向かう。まるで何かの巣みたいで面白い――。逃避じみた感慨。


「……咲耶だ」


 やや間を置いてから、短く返す。頭が回らないことに、微かな苛立ちがあった。気の利いた言葉が、浮かばない。

 それにしても、自信の現状に置き換えると、咲くという字が皮肉に感じられる。


「さくら?」


「さくや、だ」


「そっか。ところで桜は好き? 俺は好きだよ」


 同意の頷きを返すが、それすらぎこちなくなってしまう。

 それでも太郎は、一緒だとケラケラ笑う。

 手を掴まれた。思わず身が竦む。咲耶の手よりも一回り小さく骨張ったような、けれど何処か柔らかみの残る手。優しく、しっかりと――。

 いきなりどういう事だろう。自分の手をこんな風に掴む者が、今までに居ただろうか。 


「えっと、こんにちわの握手」


 態度に出ていたか、こちらの困惑を察したようで太郎ははにかんだ笑みを見せた。

 ――暖かい。

 じんわりと染みるようで、くすぐったい心地よさがあった。人の体温がこういったものだと、知らなかった、と。

 戸惑い、居心地が悪さを感じながら、握り返す。今度は、重なった視線から逃げなかった。

 咲耶は表情が緩むのを自覚するが、長年連れ添った仏頂面が出しゃばって、酷く強張った感触だ。

 ゆっくりと手を解きながら続く話題を探すが、教え込まれた社交辞令の、形式的な時候の挨拶くらいしか浮かばない。そんなもので、このような村の一般庶民に通じるか――。

 そういえば、ここは地主の屋敷。その庭先に踏み入った事が見とがめられれば、この子もお叱りのひとつも受けるのではないか。


「どうして、お前のような童がここにいるんだ?」


 つい、咎めるような口調となってしまったが、太郎は意に介した風もなくあっさりと理由を告げた。


「えっと、鬼が居るって聞いて、会ってみたかったから」


 咲耶は苦笑せざるを得なかった。それは間違いなく、自分のことを言っている。この髪に、ややくっきりとし過ぎた目鼻立ち、物の怪呼ばわりされるのは今に始まった事ではない。

 そう告げてやると、太郎は肩を落とした。鬼に会いたいなど、度胸のある童だ。鬼など、親が子を脅して分かり易く言い聞かせる、言うなれば話題の鋳型のようなものだ。


「子分にして貰おうと思ったのに……」


 唇を尖らせて呟く。どうしてそのような発想に至るのか、咲耶は首を傾げたくなった。


「止めておけ。喰われるのがオチだ」


 咲耶は嘆息混じりにそう告げた。咲耶が凶祓いの修練を積んでこの方、おとぎ話に聞くような角の生えた化け物に出くわしたことなぞ終ぞ無いが。

 ああいったものは大概が敵方を比喩的に現したものであり、俗に言う怪異はそこまで鮮明な形を残さず、また認識が一様に違っている。まず認識出来る者が少なく、その者の価値観ごとで認識が変調するものだ。

 まあ、つまりは冗談のつもりだったのだ。


「喰われるのかな」


 しんと、辺りが静まりかえった気がした。どこか冷ややかな、太郎の声。


「鬼は、おんなじ鬼でも喰うのかな……?」


 太郎が自分の髪を片手で掻き分けながら、もう一方の手は咲耶の手を引いた。咲耶の手が、頭の天辺に触れる。

 小指の先ほどに尖った円錐形、頭皮でもカサブタでもないような硬い、しかし飾り物めいた気はしない温もりのある感触。

 ――角?


「俺、鬼なんだよ」


 そう言って、太郎は笑った。何処か、寒々しい笑みだった。




 続く?





[16649] 九話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/02/20 01:46


 鬼は隠ぬ。それは人の心における隠れた一面、主に負の面を指し示す。

 魂には、鬼という字がある。そして魂は、云う鬼と書く。鬼は云わない、伝えられない。


「そうなっちゃあ、お終いだねぇ」


 何処か皮肉めいた呟き。その夜半、気の波とでも例えるべき、大地の脈動に乗じ大挙する亡霊――当然俗に云う悪霊に近い存在が過半を占める――を大方討ち、司は一時休息を取ろうとしていた。司の経験則として、鬼に惹かれてやって来る霊魂の動きは、先に例えた波のようなある程度の周期がある。

 なのに、と驚くワケではないが。玄関先出てすぐ前方、蠢く気の塊は鬼だろう。この地に宿るものより、遥かに小さな規模であるということは分かるが。


「まあ、おっきな石が流れ着くってのも偶にはあるよね」


 そして波が引けば、顕わになる。その、他の霊魂とは一線を画した存在感。それでいてワケが分からない。

 これこそ、本物の鬼。先日の人為的存在とはまた別物。思念の濁り具合が違う。司は、思わず息を呑むのを自覚した。

 こうして知覚するのは初めてだ。封印を隔てて鬼の傍にある普段とは別種の緊張で、手に汗が滲む。縋るかのように、攻撃性を駆り立てそうな武器から半ば気まぐれで選んだ右手の太刀を強く握り直す。切っ先は下げたまま。無思慮に敵意を奮ってはならない――。

 そして知識を反芻する。対象を理解の範疇に落とし込む事で恐怖を拭う、司独自の自己暗示法。息を整え、柄を握る手を僅かに緩めながら。

 魂という物は、非常に曖昧かつ断片的な存在。娯楽にありがちな、生前の記憶や人格を保持した霊魂は非常に珍しい。

 魂という物は、確かに情報を記録するような性質がある事は経験則として伝えられている。では魂とは何か。それは気などと称されるエネルギーが、ある程度の密度で何らかの方向性に伴って集合したものだ。一説では電磁波の一種、また近年では量子力学の発達に伴い、暗黒物質として知られる詳細な観測が困難とされる存在に謎があるという説も囁かれている。

 それだけだ。魂が何か。何故それが万物に宿るか。一部の霊能力者と呼ばれる者が、何故その存在を認識する事が出来るかは不明瞭な点が多い。魂同士で何らかの干渉場が働き、それが脳に伝わっているのだろうとのことだ。霊とはそんな、正しく怪異な存在なのだ。

 そして魂がどれだけの情報を保存できるかは、その存在が持つ魂の量によって決まる。魂単体の量は年月である程度増減するものの、その量は微々たるものである。生物である場合、特に人間は許容量の基準が遺伝し易いということが、やはり経験則として分かっている。


「もう人の思念的な面影、無いなぁ」


 肩を竦め、嘆息。これはもう、霊じゃない。

 魂とは断片的にしか人の想いを残さない。肉体の死後、魂がそこから乖離する。大抵は、そこで大地を行く気の流れに取り込まれ、分解される。

 しかし人であれば、死に際に妄執を抱く愚かさがあれば、その思念が魂に強く刻まれる。一つの思いに固まった魂は、強く残る。そんな断片の情報で生前の人となりを判断するのは、もはやプロファイリングというレベルを超越した妄想だ。霊を見るというのは、魂で感じ、妄想という色眼鏡を通した末の幻覚に他ならない。

 そして妄想しても、眼前の存在がどのような意志を持っているのか分からない。

 近しい想いを抱いた魂は響き合う。その歪さ故か、欠落を埋めようと引かれ会う。他者を恐れるが故か、欠落が補完されない矛盾。あるいは、人と人の出会う真実。

 けれど噛み合わない歪さ、そんな欠片で描く絵は、やはり歪のままで。


「――って言ってみると詩的かも知れない」


 呟き、踏み出す。真実とかその手の単語は、日常会話とは縁のないものだ。好んで使うのは、ノートにファンタジックな設定を書き殴る思春期くらい。


「卒業したよ、そんなもの」


 通った道ではある。口が裂けても言えないが。そして、司は更に一歩進む。

 感じる。魂が拉げそうな、引き寄せる力を。近づくほどに強く。通常の霊魂とは桁外れの引力。まるで質量の大きい天体ほど、その重力を高めるような。

 本来であれば、引かれ会った魂はその器によって近づける限界がある。規模によっては、器が悪影響を受ける事例も多い。剥き出しの霊魂であれば尚のこと。

 引き寄せ合ってくっついて、混ざって摩耗した成れの果て。表面は歪でも、惑星はおおよそ丸い形状に落ち着くように。

 結果、混沌が在るのみ。それでもテーマとも言える感情の共通点。言い様の無い、負の感情らしきものを魂で感じた。妖気と現すにふさわしい。

 そこに伴う司のイメージを現すならば、極小規模のブラックホールと言ったところか。時折視界に現出し明滅する幻覚は、凝縮された黒い点。


「死に際の感情なんて、後ろ向きなものさ」


 と、苦笑混じりに。世知辛い世の中であれば、なおさら。くそったれな世界とおさらばハッピーイェーイの鬼とか……昔は結構いたらしい。迷信を真に受けて。

 洗脳した対象を生け贄に、そして選別した魂を融合してハッピーな精神的引力で治世とか。大抵そっちは神扱い。後は宗教的、または政治的対立云々で臨機応変。

 更に歩いて、太刀の間合い。足運びは司自身、不用心の極みと感じられるほどに。普段であれば、幼い頃より学んだ体術で警戒心を呼び起こし、魂の防御を行うが。


「今回は、斬るのに全力投球の方が良いね」


 小細工は逆効果――。そうした判断の下、両の足はしっかりと砂利混じりの地を捕らえ。両の手にしっかりと握り直した柄は、額ほどの高さ。切っ先は天を突くように。

 司の掲げる凶刃は正しく敵意の象徴。ただ攻撃の意志に研ぎ澄ました魂が、刃のそれと重なり――。

 敵意に応え、黒点の鬼が奥底で蠢く気配を感じた。司は慌てる事もない。悪意と悪意が響き合えば、より強く引き合うのは道理なのだから。同時にそれは、鬼の存在が揺らぎ崩壊しやすい状態であると言う事。危険はあれど、それを補う程度には利点がある。この場を乗り切る程度の力は持っていると、自負している。

 司の魂にのし掛かる精神的圧力。それは実体を伴うと錯覚するほどに。以前の式神も何らかの干渉力場を内包していたが、やはり違う。濃密でありながら、それが上手く纏まっていない不安定な存在。

 存在の不安定さが底知れぬ雰囲気をかもしだし、より司の精神を圧迫する。司の魂における負の鬼が共鳴し、司の脳裏で閃く負の感情。

 怒り、悲しみ、憂い、恐怖。呼吸が乱れ、心臓の鼓動が高鳴る様が耳障りだ。ここで集中を崩せば魂が砕かれ、咀嚼される恐れがある。そしてそれは、確実に脳へ悪影響を及ぼすだろう。最悪、廃人だ。

 けれど、平気だ。まだ、耐えられる。


「伊達に引きこもりやってないからね」


 不健全な生活を送る人間にとって、自虐めいた精神的なブレはありがちだ。少なくとも、司にとっては日課のようなものだ。

 だから、慣れてる。ここで魂が屈する選択肢は無い。日常的な判断に影を落とすほどの重病でもなく、加えて精神科医にも頼りにくい身の上は、しかし鬼退治においてはある程度有効のようだ。

 戦える。そして、その自信は力になり、感情の反転。司の優越感に、鬼が気圧されるのを感じた。鬼に劣勢を立て直す知恵はない。一度優位に立てば、後は坂を転がるように崩壊の連鎖を引き起こす。

 勝利の確信と共に、司は太刀を振り下ろそうと、そう息む。

 けど、振り下ろせなかった。

 唐突に響き渡った思念へ、意識が吸い寄せられて。

 ――私たちは、仲間だ。

 それは実際のところ、漠然と浮かんだだけの言葉にならない揺らめき。けれど何故か、適切に訳せたという確信があり。

 鬼が鳴る、共鳴。思念の主との協奏、こんなにも激しく。魂を奮わす異次元的な帯域をまき散らす。司の魂も煽りを喰らい、その調べに飲み込まれる。

 心が沈む、共鳴。フラッシュバックする後悔に彩られた過去。湧く怒り。響く嘲笑。羞恥と恐慌。逃げ出して、もう戻れない、そのまま。

 嫌な事が脳内を埋め尽くし、濁った混沌、もう心が分からない、どうしようもなくなる――。


「カァッッッ!」


 無我夢中で一喝し、精神を白く塗りつぶす。嫌な事を思い出したら唸りたくなるように、一時そこから目を逸らす対症療法。それでも、そこから巻き返す方法はある。

 仕切り直しと太刀を一度振り下ろし、再度上段に構え直す。混沌とした負の感情、手綱を握ろうと想いの方向性を自己暗示で誘導する。感情の正負は、容易に入れ替わらない。けれど、同じ負であればある程度操作出来る。

 不安に彩られた日々の、胸をジワジワと苛む暗澹たる寂寥。すなわち、孤独。微かに身体が震えるのは強張った筋肉の緊張か、はたまた冷え切る心の表出か。

 ――孤独は、静かだから、一人で、僕だから。

 額を伝う汗を拭う余裕もない。堕落した虚無感に縋り、自己を確立する。そうすれば、混沌にかき乱される事もない筈だ。そう、ジメジメとした陰鬱に魂を浸せば。

 孤独、孤独、孤立無援の一人相撲。滑稽、滑稽だ。霊視抜きで傍から見れば、刀を携え一人震える物狂い。自虐、自らの胸中へ沈み込むイメージは加速する。

 拒絶、拒絶、拒絶。分かたれた。もはや鬼は司と別個。響き合っても、重ならない。そう今こそ――。

 一閃。その刹那に、冷え切った敵意が鬼を切り裂いた。自らも、諸共に切り裂いてしまいそうな鋭利さだった。きっと、自虐の現れだ。

 司の敵意が鬼を激しくかき乱し、その魂は不安定になる。そして、怒濤の如き勢いで広がっていく。それはあたかも水蒸気爆発――瞬時の蒸発により衝撃を伴う膨張。もはや魂の体を成さず、字の如く気体のようだ。

 広がる波、それは魂を揺さぶる精神的衝撃。司の魂は激しく揺らぎ、感情の変動とはまた別種の軋みを上げる。まるで雑音のような、明滅するかのような、不自然な思考の断絶。

 しかしそれも一瞬の事。意識が正常に戻り、そこで司は大きく息を吐き出した。


「終わった……」


 安堵しつつ、太刀を地へ突き立てた。初めて実感した魂の危機への恐怖は、酷く司の体力を損なった。今までに自分が学んだ知識、そして継ぎ足した技術が有効であったことは喜ばしい。

 けれど、それが必要になるとは思わなかった。いや、思いたくなかったというのが正確か。危機感の欠如甚だしい。予兆はもう在ったというのに。

 激しく肩を上下させながら、顔が引きつるのが分かる。そうだ、理不尽はいつも傍らにある。それは、自分の母とて例外ではなかった――。


「大丈夫か?」


 司への問いかけ。気付けば、傍らに黒いスーツを着た神崎勉。気遣う声が、司には白々しく感じられた。


「いつから、見ていたんですか?」


 問いを返した。努めて虚勢を張り、平然としている風に。


「そう言うな。お前の集中を妨げたく無かったんだ。それに、本当についさっき来たばかりだ」


 大規模な異変に気付きやって来たのか。そう言えば、妖気を感知する周囲の結界に、勉が機械的な発信器を連動させていた気が。よく見ると、勉の呼吸は微かに乱れているのが分かる。

 確かに勉が乱入すれば、司の集中力が散漫になる恐れがあった。それに、司が発狂寸前で踏みとどまれたのは、独りだったから。そうでなくば頼る心が生まれ、負の意志を逸らす事が叶わなかっただろう。初めから大人数だったならば話は別だが。


「情報収集くらいは、してくれたんですよね?」


「見に徹してはいたが、直接触れ合ったお前の方が情報量は多いはずだ」


「残念ながら、爆発で消し飛びました、色々と」


 気の爆発と意識の明滅が、司の魂に刻まれた共鳴の痕跡とそれを分析する余裕を吹き飛ばした。得られた情報は、司を飲み込もうとした強烈な共鳴に外部からの介入があった事くらい。


「残念ながら、こちらもそうだ。恐らく、自爆装置のような物が仕組まれていた」


 少々、爆発の効率が良すぎた――。勉の補足に、司は苦笑せざるを得なかった。


「あんなレベルの鬼にそこまで干渉出来るって、何者ですか」


「それが容易く出来る高名な技能者であれば、動向が把握できる筈なのだが」


 そうですか――。司は投げやりに嘆息し、太刀を引き抜いて家へ向かう。結局何も分かりそうにない。

 これだけの衝撃、周囲の霊も煽りを喰らったはずだ。少しは休めるだろう。封印もいい加減維持しなくてはならない。司は封印の支柱なのだから。


「今日は、もう眠って構わない」


「はい?」


 勉の言葉に司は思わず振り返り、怪訝な声を出していた。


「周囲の結界を、一時的に強化して霊の流れを妨げる。朝まで保つはずだ」


「ダムでせき止めたって、霊はこちらに向かってきますよ?」


 朝まで保とうと、溜まった妖気が夜に急激な活性化を引き起こす。そうすれば、魂が融合して鬼になりかねない。

 だから、司は毎晩わざわざ手ずから霊を斬っているのだ。


「夜明けギリギリに、こちらで一掃しておこう。丑三つ時も過ぎた。それほど労はないだろう」


「それだってかなりの手間でしょうに、別に平気ですよ?」


「無理をするな。魂が消耗しているはずだ」


 それに、と右手の人差し指を立てる勉。司はそこで一つ思い至った。


「そして、それを見越して追撃の恐れもある。警戒するから足手まといは引っ込めと」


「そう言う事だ」


「なら仕方ないですね」


 お気を付けてと言い残し、司はお言葉に甘えるとする。太刀を手に、家へ小走りする。

 でも、これなら普段から手伝ってくれれば良いのに――。司は一瞬そう思ったが、家へ毎晩踏み込まれると、きっと落ち着かないだろうなと自嘲した。






「……やられちゃった」


 断固たる拒絶が昴の魂にまで波及しかけた。即座に鬼を自壊させるように仕向けられたのは、昴にとっては僥倖とも言えた。

 更に、共鳴による反動が昴の魂を未だ揺さぶっている。落ち着かない。


「キツイか?」


 真が昴の頭に手を置いたまま、問いかける。真の不安そうな声に、申し訳なくなる。


「私は、大丈夫」


 出来るから、真が望んでくれれば。真が触れてくれれば、頑張るから。

 今この状況なら、昴は真の役に立てる。その素養が、昴にはある。実験を経て、出来るという確信も得た。

 だから――。


「でも、もうちょっとだけ触ってて」


 その言葉に真は頷き、昴の頭を撫でる。指先が、ゆっくりと頭頂部を。そこにある、昴の角を――。

 触れて良いのは真だけ。だから、二人の生活を勝ち取るんだ。

 昴は高ぶりと共に、唇を小さく噛んだ。




 続く




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