対談【森達也×大槻ケンヂ】視点が変われば、世界が変わる(3/3)(創2011年1月号より)
創 2月10日(木)12時10分配信
◆オウム真理教から何を教訓化すべきか◆
【森】この典型のひとつがオウムです。11月下旬に集英社から『A3』という本が出るんですが……。
【大槻】おっ! 映像は出るんですか?
【森】今回のテーマは麻原です。カメラは回せない。だから活字です。死刑判決を受けたオウムの実行犯の方たちにはずいぶん会いました。麻原の実家に行ったり、彼の子ども時代を知る人にも会いました。結論としては、やっぱり普遍的なものがありますね。組織共同体の暴走のメカニズムです。さらにオウムの場合、麻原は目が見えない。だから情報を自分では入れられない。全部側近が彼に伝えるんです。つまり側近が麻原のメディアだった。
その側近たちが麻原に危機意識を吹き込むわけです。「もうすぐ米軍が攻めてきます」とか「強制捜査が間近です」とか。こうした情報に麻原は強く反応し、当然ながら麻原の危機意識も肥大します。地下鉄サリン事件が起きる1カ月くらい前の説法で麻原は、「日本の三大紙のひとつが2月に、アメリカが核弾頭を積んだミサイルを日本に向けて配備したという記事を掲載した」と語っています。もちろん、そんな記事はどこにもない。側近の誰かが吹き込んだのでしょう。麻原の目が見えないことで、側近たちが働かせる過剰なメディア性ともいうべきものが、一層強くなってしまった。
しかも麻原は自らを「最終解脱者」と呼称してしまった。だから情報の確認ができない。何か言われたときに「それは本当か」と問うことができないわけです。「それは知っている」とか、「やっぱりそうか」とか、全肯定するしかない。
【大槻】ああ、なるほど。
【森】「殺人マシーン」と呼ばれた林泰男さんに面会時に聞いた話だけど、サリン事件が起きる数日前に、のちに刺殺される村井秀夫さんと二人で、第6サティアンの近くにいたとき、遠くに小さくヘリコプターが見えた。そうしたらいきなり村井さんが携帯電話をかけ始めて、「いま米軍のヘリが来てサリンを撒こうとしています!」と伝えている。相手は麻原です。林さんはそれを横で聞きながらあきれたそうです。米軍のヘリかどうかもわからないし、あそこでサリンを捲いたらとんでもないことになるじゃないかと。でも村井さんはステージが自分より遙かに上だから口を挟めなかった。「あのとき自分がひとこと言っていたら、その後の事態はずいぶん変わっていたかもしれない」と呟いていました。村井さんだけではない。当時はほとんどの側近たちが、競うように麻原に危機を訴えていた。
【大槻】誰か「おいおい」ってツッコミが入れば、「あはは」って笑いに変わっていたかもしれない。尊師にも「そりゃマズイっすよ」って言える人がいればね。
【森】でもそういう人は、組織の中で評価されないんですよね。そういう人はどんどん外されて、「これを言ったら尊師は喜ぶ」というような機転に長けている人ばかりが重用されていく。その点は今のメディアも同じで、視聴者は何を言えば喜ぶか、どう書けば部数が増えるかばかりを考えていくと、どんどん迎合していくわけですよね。大衆社会の欲求にどんどん合わせていく。そうするとやはり同じように危機意識が煽られる。「危ない」「怖い」と言った方が、人々は食いつくわけですから。
【大槻】尖閣ビデオを流出した43歳の海上保安官がすごく騒がれていますが、あの問題だって、ちゃんとわからないと何も言えないですよね。「保安官を処罰しないで」とか騒いでおきながら、もし、ただのオモシロ保安官のイタズラだったとしたら、どうするんだろ。
【森】YouTubeにあがった映像は、職員の教育用に編集したものだと海保は言っています。ならば本来は、衝突された後にどのように漁船を拿捕して船長を逮捕したのかという映像も、絶対にあるはずです。でもネットに出た映像には、それが消えてしまっている。編集されているわけです。今回は違うとは思うけれど、その気になればいくらでもCG加工もできます。映像は恣意性の産物です。そのリテラシーがあまりになさすぎる。
【大槻】テレビにしろネットにしろ、見ている人が、一斉にどっちかの方向へ向かおうとしたときは、僕は「それは違うかもしれないぞ」と思うようにしています。
【森】僕もそうですね。100人中99人が「こっちだ」というときには疑ってかかるようにしています。100人中70人くらいなら信憑性がありますよ。99人が同一方向に行くなんてありえないですから、そういうときには絶対に、何らかのバイアスがかかっているはずだと思います。
◆ドキュメンタリーの非ドキュメント性◆
【大槻】森さんがいろんなところでおっしゃっている、ドキュメンタリーの非ドキュメント性という話でいえば、僕は先日「アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」という映画を観たんです。カナダの売れないへヴィ・メタル・バンドを追った映画です。彼らは80年代にボン・ジョヴィなんかと並ぶスーパーバンドとしてデビューしたのですが、全然売れなくなってしまって、それでも50代になった今もバンドをやっている。ドサ回りしながら、最後に日本のフェスに「どうせガラガラなんじゃないか」と思いながら出演したら、観客がみんなアンヴィルを待っててくれて大歓声の中で終わるという映画なんです。
僕もロックをやってる人間なので「ああ、ドキュメントという体で、ここまでフィクションが作れるんだ」ということが全部わかってしまいました。売れなくなったアンヴィルが、酔っ払いの寝ているようなガラガラのステージで演奏しているシーンも、たぶんあれはリハーサルの風景なんですよ。そりゃ人はいないはずです。ラストのライブも、全員がアンヴィルを待ってたというわけではなくて、いろんなバンドが出る中で、それぞれお目当てのバンドを待ってるんですよ。
昔「スパイナル・タップ」という映画がありました。これはスパイナル・タップという架空のバンドの、架空のツアーをドキュメンタリー風に撮っているフィクションドラマなのですが、「アンヴィル」はそれをお手本にして、ドキュメントという体で撮っているという二重構造なんです。「こんなことができるのか……」と強烈なショックを覚えましたね。
【森】マイケル・ムーアの作品もそうですよね。「ザ・コーヴ」も、「これはドキュメンタリーとは言えない」という批判が随分あったけれど、これらの批評の根拠としては、やはり「映像は客観的で嘘はなくて」などという前提があるわけです。それは大きな間違いです。映像や文章はそもそもが主観の産物です。この主観は他者にとっては嘘でもあるわけです。ならばたった一つの真実などありえないことは自明です。ただ今のテレビは、主観を表出するための嘘というよりも、わかりやすさや視聴率獲得に貢献するための嘘がとても多くなっている。
大槻さん自身も、テレビ番組の収録や取材で、「あれ?」と思うようなことはきっとあったんじゃないかな。
【大槻】ありますね(笑)。一度バラエティ番組で、結構長い収録があって、他の仕事も入ってしまったので了承を得て、収録の後半でスタジオを抜けたことがありました。オンエアを見たら、いないはずの番組後半で、ワイプで僕が驚いたり笑ったりしてましたね。
それからNHKで、地方で頑張っている若者をリポートするという番組をやったんです。そのVTRを見て僕が語るシーンがあるのですが、その日僕は朝が早くて、眠くて半分涙目でトローンとしていた。それが、働く若者のいいシーンを見て、僕が感極まって泣いてる絵として使われていたんです(笑)。
【森】本当は眠いだけなのに(笑)。
【大槻】みんなそれは知っているんですよ。僕も申し訳ないと思って、肩を叩かれながら「すいません、すいません」って言ってたのが、泣いている体で。こんなふうにやるのかと思って、ちょっと楽しくなりましたね。
【森】やらせと言えばやらせかもしれないけれど、別に大槻さんにそうしてくれと言って涙目になってもらったわけじゃない。きわめて境界は曖昧です。ある方向性をリードする、あるいはきっかけを作る。それが映像や表現行為における演出です。僕だってドキュメンタリーを撮影しながらいくらでもやっていることです。問題は、特にネットでは部分的で断片的で、さらに共通のリテラシーのない空間で簡単に視聴され、そして大きな影響力を持っているということです。
◆厳罰化を求める世相の中で司法の大原則が崩れている◆
【大槻】和歌山カレー事件が話題になったときに、僕は一人で「これはあやしいぞ!」と騒いでいたんですよ。林眞須美がやったのかやってないのかはわからないけれども、物的証拠もないし、絶対にこれは裁判でひっくり返って、意外に無罪になるかもしれない。僕は結構素直なんですよ(笑)。
【森】大槻さんの見方はとても正しい。一昔前だったら明らかに、この事件は無罪になっていたと思います。自白もないし物証もない。動機もわからない。状況証拠だけです。これで死刑判決はありえません。眞須美さんが白か黒かは、僕にはわからない。でも刑事司法においては、わからないからこそ、デュー・プロセスが重要です。適正な司法手続き。そして検察が立証責任を果たす。もしも彼女が加害者であるという証明が100%できなければ、無罪にする。これが無罪推定です。でもこれら近代司法の大原則が今、どんどん崩れている。厳罰化を求める世相を背景にして。
【大槻】筋肉少女帯の曲で「これでいいのだ」という曲があります。これは、冤罪で13年間捕まっていた男が出てきて「人生これでいいのだ」っていう歌なのですが(苦笑)、冤罪っていうものに、昔からわりと興味があったんですね。僕が育った中野は結構、無農薬野菜系の人たちや在日の方も多いんですよ。中野サンプラザの前で「草の根コンサート」というのが開かれていて、白竜さんや、紅龍&ひまわりシスターズという、上々颱風の前身のバンドとか、在日の方ほかたくさん出ていた。無料だったので、小中学生の頃に見に行っていたんです。そこで、在日の歌手が歌っていたのが「おいらトラックの運転手だったんだ」という曲でした。差別を受けながら生きてきて冤罪で捕まってしまい、10年以上もの間刑務所に入れられていた。でもやってないものはやってない。おいらトラックの運転手だった、おいらトラックの運転手だったという曲でした。その曲に、ものすごく衝撃を受けたんです。「なんだこの世界観は」と。そこで、冤罪というものが世の中にあることを知りました。
【森】僕よりはるかに早熟ですね。僕なんて、冤罪という言葉を知ったのは30歳を過ぎてからですよ。
【大槻】それから27〜28歳になって、遠藤誠弁護士と番組で一緒になったことがありました。「私が書いた本だから読みなよ」と渡されたのが帝銀事件についての本でした。見方をちょっと変えると、犯人は画家の平沢貞通じゃない、本当にやったのは、七三一部隊の諏訪中佐だ、と名前まで書いてある。あれを読んだ時のひっくり返り方っていうのは、本当にすごかった。どちらが真実かは僕にはわかりませんが、いろんな見方があるということを知りました。
僕だって、下手すればいつ冤罪で捕まるかもわからない。
【森】僕もよく、警察や検察に目をつけられているから気をつけろと忠告されるけれど、そこまではないと思いますよ。
【大槻】つけられてますよ、確実に!(笑)
【森】そうかなあ。そこまで彼らも暇ではないと思うけれど。
【大槻】新刊に職務質問の話も書かれていましたけど、僕、新宿ロフトプラスワンに出たりするのでよく歌舞伎町に行くのですが、そうするとかなりの割合で職質を受けるんですよ(苦笑)。30代半ばも過ぎて、会社員らしい格好をしていないヤツっていうのはみんな怪しく見られるみたいです。
僕は前に、わざと怪しい格好をして、何度も歌舞伎町を歩いたら、一日に何回職質を受けるかというのを、ドキュメントっぽい形で撮ろうと思ったことがあったんです。泥棒髭を生やして、ぬき足さし足で歩いたりしたらどうなるんだろうって。そんなことをやったら本当に捕まるなと思ってやめたのですが(笑)。
【森】笑われておしまいかな。
【大槻】80年代のバブル期のテレビ東京だったらそのくらいやったかもしれないですよね。森さん、それやりませんか?
【森】撮る方だったらいいですよ(笑)。
<了>
(創2011年1月号より)
森達也●56年生まれ。98年にドキュメンタリー映画「A」を発表。01年、続編の「A2」が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。近著に本誌連載をまとめた『極私的メディア論』『A3』。
大槻ケンヂ●66年生まれ。82年に筋肉少女帯結成。94年『くるぐる使い』、95年『のの子の復讐ジグジグ』で2年連続日本SF大会日本短編部門「星雲賞」受賞。00年「特撮」結成。『リンダリンダラバーソール』他著書多数。
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【森】この典型のひとつがオウムです。11月下旬に集英社から『A3』という本が出るんですが……。
【大槻】おっ! 映像は出るんですか?
【森】今回のテーマは麻原です。カメラは回せない。だから活字です。死刑判決を受けたオウムの実行犯の方たちにはずいぶん会いました。麻原の実家に行ったり、彼の子ども時代を知る人にも会いました。結論としては、やっぱり普遍的なものがありますね。組織共同体の暴走のメカニズムです。さらにオウムの場合、麻原は目が見えない。だから情報を自分では入れられない。全部側近が彼に伝えるんです。つまり側近が麻原のメディアだった。
その側近たちが麻原に危機意識を吹き込むわけです。「もうすぐ米軍が攻めてきます」とか「強制捜査が間近です」とか。こうした情報に麻原は強く反応し、当然ながら麻原の危機意識も肥大します。地下鉄サリン事件が起きる1カ月くらい前の説法で麻原は、「日本の三大紙のひとつが2月に、アメリカが核弾頭を積んだミサイルを日本に向けて配備したという記事を掲載した」と語っています。もちろん、そんな記事はどこにもない。側近の誰かが吹き込んだのでしょう。麻原の目が見えないことで、側近たちが働かせる過剰なメディア性ともいうべきものが、一層強くなってしまった。
しかも麻原は自らを「最終解脱者」と呼称してしまった。だから情報の確認ができない。何か言われたときに「それは本当か」と問うことができないわけです。「それは知っている」とか、「やっぱりそうか」とか、全肯定するしかない。
【大槻】ああ、なるほど。
【森】「殺人マシーン」と呼ばれた林泰男さんに面会時に聞いた話だけど、サリン事件が起きる数日前に、のちに刺殺される村井秀夫さんと二人で、第6サティアンの近くにいたとき、遠くに小さくヘリコプターが見えた。そうしたらいきなり村井さんが携帯電話をかけ始めて、「いま米軍のヘリが来てサリンを撒こうとしています!」と伝えている。相手は麻原です。林さんはそれを横で聞きながらあきれたそうです。米軍のヘリかどうかもわからないし、あそこでサリンを捲いたらとんでもないことになるじゃないかと。でも村井さんはステージが自分より遙かに上だから口を挟めなかった。「あのとき自分がひとこと言っていたら、その後の事態はずいぶん変わっていたかもしれない」と呟いていました。村井さんだけではない。当時はほとんどの側近たちが、競うように麻原に危機を訴えていた。
【大槻】誰か「おいおい」ってツッコミが入れば、「あはは」って笑いに変わっていたかもしれない。尊師にも「そりゃマズイっすよ」って言える人がいればね。
【森】でもそういう人は、組織の中で評価されないんですよね。そういう人はどんどん外されて、「これを言ったら尊師は喜ぶ」というような機転に長けている人ばかりが重用されていく。その点は今のメディアも同じで、視聴者は何を言えば喜ぶか、どう書けば部数が増えるかばかりを考えていくと、どんどん迎合していくわけですよね。大衆社会の欲求にどんどん合わせていく。そうするとやはり同じように危機意識が煽られる。「危ない」「怖い」と言った方が、人々は食いつくわけですから。
【大槻】尖閣ビデオを流出した43歳の海上保安官がすごく騒がれていますが、あの問題だって、ちゃんとわからないと何も言えないですよね。「保安官を処罰しないで」とか騒いでおきながら、もし、ただのオモシロ保安官のイタズラだったとしたら、どうするんだろ。
【森】YouTubeにあがった映像は、職員の教育用に編集したものだと海保は言っています。ならば本来は、衝突された後にどのように漁船を拿捕して船長を逮捕したのかという映像も、絶対にあるはずです。でもネットに出た映像には、それが消えてしまっている。編集されているわけです。今回は違うとは思うけれど、その気になればいくらでもCG加工もできます。映像は恣意性の産物です。そのリテラシーがあまりになさすぎる。
【大槻】テレビにしろネットにしろ、見ている人が、一斉にどっちかの方向へ向かおうとしたときは、僕は「それは違うかもしれないぞ」と思うようにしています。
【森】僕もそうですね。100人中99人が「こっちだ」というときには疑ってかかるようにしています。100人中70人くらいなら信憑性がありますよ。99人が同一方向に行くなんてありえないですから、そういうときには絶対に、何らかのバイアスがかかっているはずだと思います。
◆ドキュメンタリーの非ドキュメント性◆
【大槻】森さんがいろんなところでおっしゃっている、ドキュメンタリーの非ドキュメント性という話でいえば、僕は先日「アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」という映画を観たんです。カナダの売れないへヴィ・メタル・バンドを追った映画です。彼らは80年代にボン・ジョヴィなんかと並ぶスーパーバンドとしてデビューしたのですが、全然売れなくなってしまって、それでも50代になった今もバンドをやっている。ドサ回りしながら、最後に日本のフェスに「どうせガラガラなんじゃないか」と思いながら出演したら、観客がみんなアンヴィルを待っててくれて大歓声の中で終わるという映画なんです。
僕もロックをやってる人間なので「ああ、ドキュメントという体で、ここまでフィクションが作れるんだ」ということが全部わかってしまいました。売れなくなったアンヴィルが、酔っ払いの寝ているようなガラガラのステージで演奏しているシーンも、たぶんあれはリハーサルの風景なんですよ。そりゃ人はいないはずです。ラストのライブも、全員がアンヴィルを待ってたというわけではなくて、いろんなバンドが出る中で、それぞれお目当てのバンドを待ってるんですよ。
昔「スパイナル・タップ」という映画がありました。これはスパイナル・タップという架空のバンドの、架空のツアーをドキュメンタリー風に撮っているフィクションドラマなのですが、「アンヴィル」はそれをお手本にして、ドキュメントという体で撮っているという二重構造なんです。「こんなことができるのか……」と強烈なショックを覚えましたね。
【森】マイケル・ムーアの作品もそうですよね。「ザ・コーヴ」も、「これはドキュメンタリーとは言えない」という批判が随分あったけれど、これらの批評の根拠としては、やはり「映像は客観的で嘘はなくて」などという前提があるわけです。それは大きな間違いです。映像や文章はそもそもが主観の産物です。この主観は他者にとっては嘘でもあるわけです。ならばたった一つの真実などありえないことは自明です。ただ今のテレビは、主観を表出するための嘘というよりも、わかりやすさや視聴率獲得に貢献するための嘘がとても多くなっている。
大槻さん自身も、テレビ番組の収録や取材で、「あれ?」と思うようなことはきっとあったんじゃないかな。
【大槻】ありますね(笑)。一度バラエティ番組で、結構長い収録があって、他の仕事も入ってしまったので了承を得て、収録の後半でスタジオを抜けたことがありました。オンエアを見たら、いないはずの番組後半で、ワイプで僕が驚いたり笑ったりしてましたね。
それからNHKで、地方で頑張っている若者をリポートするという番組をやったんです。そのVTRを見て僕が語るシーンがあるのですが、その日僕は朝が早くて、眠くて半分涙目でトローンとしていた。それが、働く若者のいいシーンを見て、僕が感極まって泣いてる絵として使われていたんです(笑)。
【森】本当は眠いだけなのに(笑)。
【大槻】みんなそれは知っているんですよ。僕も申し訳ないと思って、肩を叩かれながら「すいません、すいません」って言ってたのが、泣いている体で。こんなふうにやるのかと思って、ちょっと楽しくなりましたね。
【森】やらせと言えばやらせかもしれないけれど、別に大槻さんにそうしてくれと言って涙目になってもらったわけじゃない。きわめて境界は曖昧です。ある方向性をリードする、あるいはきっかけを作る。それが映像や表現行為における演出です。僕だってドキュメンタリーを撮影しながらいくらでもやっていることです。問題は、特にネットでは部分的で断片的で、さらに共通のリテラシーのない空間で簡単に視聴され、そして大きな影響力を持っているということです。
◆厳罰化を求める世相の中で司法の大原則が崩れている◆
【大槻】和歌山カレー事件が話題になったときに、僕は一人で「これはあやしいぞ!」と騒いでいたんですよ。林眞須美がやったのかやってないのかはわからないけれども、物的証拠もないし、絶対にこれは裁判でひっくり返って、意外に無罪になるかもしれない。僕は結構素直なんですよ(笑)。
【森】大槻さんの見方はとても正しい。一昔前だったら明らかに、この事件は無罪になっていたと思います。自白もないし物証もない。動機もわからない。状況証拠だけです。これで死刑判決はありえません。眞須美さんが白か黒かは、僕にはわからない。でも刑事司法においては、わからないからこそ、デュー・プロセスが重要です。適正な司法手続き。そして検察が立証責任を果たす。もしも彼女が加害者であるという証明が100%できなければ、無罪にする。これが無罪推定です。でもこれら近代司法の大原則が今、どんどん崩れている。厳罰化を求める世相を背景にして。
【大槻】筋肉少女帯の曲で「これでいいのだ」という曲があります。これは、冤罪で13年間捕まっていた男が出てきて「人生これでいいのだ」っていう歌なのですが(苦笑)、冤罪っていうものに、昔からわりと興味があったんですね。僕が育った中野は結構、無農薬野菜系の人たちや在日の方も多いんですよ。中野サンプラザの前で「草の根コンサート」というのが開かれていて、白竜さんや、紅龍&ひまわりシスターズという、上々颱風の前身のバンドとか、在日の方ほかたくさん出ていた。無料だったので、小中学生の頃に見に行っていたんです。そこで、在日の歌手が歌っていたのが「おいらトラックの運転手だったんだ」という曲でした。差別を受けながら生きてきて冤罪で捕まってしまい、10年以上もの間刑務所に入れられていた。でもやってないものはやってない。おいらトラックの運転手だった、おいらトラックの運転手だったという曲でした。その曲に、ものすごく衝撃を受けたんです。「なんだこの世界観は」と。そこで、冤罪というものが世の中にあることを知りました。
【森】僕よりはるかに早熟ですね。僕なんて、冤罪という言葉を知ったのは30歳を過ぎてからですよ。
【大槻】それから27〜28歳になって、遠藤誠弁護士と番組で一緒になったことがありました。「私が書いた本だから読みなよ」と渡されたのが帝銀事件についての本でした。見方をちょっと変えると、犯人は画家の平沢貞通じゃない、本当にやったのは、七三一部隊の諏訪中佐だ、と名前まで書いてある。あれを読んだ時のひっくり返り方っていうのは、本当にすごかった。どちらが真実かは僕にはわかりませんが、いろんな見方があるということを知りました。
僕だって、下手すればいつ冤罪で捕まるかもわからない。
【森】僕もよく、警察や検察に目をつけられているから気をつけろと忠告されるけれど、そこまではないと思いますよ。
【大槻】つけられてますよ、確実に!(笑)
【森】そうかなあ。そこまで彼らも暇ではないと思うけれど。
【大槻】新刊に職務質問の話も書かれていましたけど、僕、新宿ロフトプラスワンに出たりするのでよく歌舞伎町に行くのですが、そうするとかなりの割合で職質を受けるんですよ(苦笑)。30代半ばも過ぎて、会社員らしい格好をしていないヤツっていうのはみんな怪しく見られるみたいです。
僕は前に、わざと怪しい格好をして、何度も歌舞伎町を歩いたら、一日に何回職質を受けるかというのを、ドキュメントっぽい形で撮ろうと思ったことがあったんです。泥棒髭を生やして、ぬき足さし足で歩いたりしたらどうなるんだろうって。そんなことをやったら本当に捕まるなと思ってやめたのですが(笑)。
【森】笑われておしまいかな。
【大槻】80年代のバブル期のテレビ東京だったらそのくらいやったかもしれないですよね。森さん、それやりませんか?
【森】撮る方だったらいいですよ(笑)。
<了>
(創2011年1月号より)
森達也●56年生まれ。98年にドキュメンタリー映画「A」を発表。01年、続編の「A2」が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。近著に本誌連載をまとめた『極私的メディア論』『A3』。
大槻ケンヂ●66年生まれ。82年に筋肉少女帯結成。94年『くるぐる使い』、95年『のの子の復讐ジグジグ』で2年連続日本SF大会日本短編部門「星雲賞」受賞。00年「特撮」結成。『リンダリンダラバーソール』他著書多数。
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最終更新:2月10日(木)12時10分