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TOYOTA再発見

【ものづくりの心】

(16)やむにやまれぬ改善魂

2011年02月03日

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「大野耐一先生終講の地」の碑と山田日登志=岐阜市須賀

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講演する大野耐一=1986年、東京都港区新橋、廣瀬郁撮影

 1978(昭和53)年、大野耐一はトヨタ自動車工業の副社長を退き、豊田紡織(現トヨタ紡織)と豊田合成の会長に就いた。山田日登志(71)は、大野の晩年をよく知る人物。PEC産業教育センター(岐阜県羽島市)の所長で、「工場再建請負人」「カイゼンの鬼」などの異名をもつコンサルタントだ。
 岐阜県生産性本部に勤めていた山田は71年ごろ、大野の講演を聴いた。当時は高度経済成長の時代で、どの工場も人手が足りなかったが、大野はカイゼンによって「人は余る」と断言した。大野に師事し、トヨタ生産方式を学んだ。
 中小企業で実践すると、おもしろいように人繰りに余裕ができた。78年、PECを設立して独立。ソニーやキヤノンなど数多くの企業の生産現場を立て直してきた。
 大野には年に2回ほど講演を頼んだ。ある夜、車で自宅に送る際、トヨタの建物の横を通りかかった。窓の明かりをみて大野はポツリと言った。「こんな時間まで電気を使って残業しておる。俺たちのときは、仕事を家に持ち帰ったもんだ」
 90年4月、山田は色紙を渡した。「かくすれば かくなるものと 分りなば やむにやまれぬ 改善魂」。改善魂の横には「トヨタタマシイ」の文字。1カ月後の5月28日、大野は死去した。山田は大野が最後に講演した岐阜市須賀の場所に、「大野耐一先生終講の地」という碑を建てた。=敬称略

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