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TOYOTA再発見
【ものづくりの心】
(12)夢に出るまで考えた
2011年01月28日
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近藤哲夫 |
大野耐一はトヨタ生産方式をグループ企業や下請けにも広めた。ジャスト・イン・タイムの車づくりは、トヨタ本体だけでは成り立たないからだ。この方式の核心は、各工程がそれぞれの生産性を高めることではない。全体として最も効率の良いものづくりをめざす「全体最適」にある。
大野の弟子はグループ企業にもいる。子会社の関東自動車工業に勤めていた近藤哲夫(78)は1970年ごろ、東富士工場(静岡県裾野市)の課長時代に大野と出会った。工場で大野が講演した際、だれも手を挙げない中、質問に立った。大野はトヨタ本社に近藤を呼び、関東自動車でトヨタ生産方式を教える役目を命じた。
2年後、東富士工場で一つのプロジェクトが持ち上がる。トヨタが誇る最高級車、センチュリーの生産コストを大幅に引き下げるというものだ。近藤は関東自動車側のプロジェクトリーダーを任された。
近藤は、最新鋭のロボットの導入を提案した。そのための設備投資は5億6千万円。提案を聞いて大野は言った。「いいよ。ただし、ゼロひとつ取れ」。近藤は即座に答えた。「できません」。大野の目が急に険しくなった。「お前は易者か。やりもしないうちに何だ」
大野の右腕、鈴村喜久男に「夢にまで出るぐらい考えろ」とアドバイスされたが、5カ月たっても答えが浮かばない。辞職を考えはじめたころ、夢にセンチュリーがあらわれ、ひらめいた。ほかの車と一部の生産工程を一緒にすればいい――。
1台に216時間かかった製造時間は90時間に短縮。生産コストの削減目標を達成した。=敬称略
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