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TOYOTA再発見
【ものづくりの心】
(8)抵抗はね返し改革断行
2011年01月22日
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流れ作業を導入した乗用車の内張工場(1956年)=トヨタ自動車提供 |
トヨタ自動車の元副社長で、いまは名古屋グランパスエイトの社長を務める池渕浩介(73)は、大野耐一からトヨタ生産方式をたたき込まれた一人だ。
「大野さんがやろうとしたことは、ものづくりの革命。そのぶん抵抗勢力も多かった」
池渕は振り返る。
工員1人に複数の機械を受け持たせた大野は、次に1人が違う作業工程を受け持つ「多工程持ち」に取り組んだ。つまり、部品を削る旋盤工が穴開けや研磨も手がけるのだが、職人技を誇りにする熟練工たちの抵抗はすさまじかった。
1950年の労働争議。大野は何度も労働組合の集会に呼び出された。「労働強化だ」「大野ラインをたたきつぶせ」と、批判の矛先が向けられた。それまでの常識を否定する「ものづくり革命」は、工員たちの大きな反感を買った。
大野は工場をまわる際、決してヘルメットをかぶらなかった。池渕は、その理由をたずねたことがある。
「誰かに後ろから木刀で頭を殴られてもいいというぐらいの気持ちでやっている。だから、ヘルメットはかぶらない」
体を張って、生産性の向上に取り組んでいた。そんな大野を当時、経営幹部だった豊田英二(現最高顧問)らが支えた。大野はのちに、池渕に打ち明けている。「トヨタ生産方式は俺がやったというけれど、ちゃんと理解してくれた人がいたからできたんだ」
ものづくりの革命は、抵抗を受けながらも着々と進んだ。その中に「大野方式」と呼ばれた仕組みがある。「かんばん方式」だ。=敬称略
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